はてなキーワード: 高千穂とは
平成30年10月~11月
令和元年9月~11月 の期間に、舟渡2丁目のゴルフ場の向こうの草むらの中からトラメガで何かを言っている者がいるという主張を
しているが、何も記録がない
さいたま県警が 平成31年2月以降に、志木市の高速道路のところから、拡声器で大声を出している男がいたので自転車で追跡したというが記録がない
蓮根の歩道橋からトラメガで大声を出している男がいるということで自分で3000円を出してビールを飲んだと申告する男性がいるが、
けいさつとはなにか? 昭和54年~59年 西部警察のような感じとしていたと思うが嫌われていたので不明
平成6年 あえていえば、川崎浩二と押方彰一という教員が けいさつにみえたが、不明
平成9年 延岡の中学校の部活動の生徒が けいさつ ではないか?
ここ数日、ラノベにSFはないだのSFとスペオペは違うだのSFファンは性格が悪いだのといった話題がX(旧twitter)を騒がせている。
そのきっかけは、カクヨムで公開された一本のエッセイなのだが、これ自体は読む価値ゼロなので、みなさんも実際に読んで価値の無さをしっかり噛み締めてほしい。
【おまけ4】なぜラノベからSFジャンルがほぼ消えたか - 若者のライトノベル離れ 約7年で市場半減のショック(らんた) - カクヨム
ttps://kakuyomu.jp/works/16817330659071865553/episodes/16817330663869554252
さて、そんな流れの中で、日本SF史の汚点ともいうべき一つの事件が蒸し返されることになった。
79年開始の第一作から現代まで連綿と続く、大人気ロボットアニメ「ガンダム」シリーズ。
その初代ガンダムが人気絶頂だった頃に、著名なSF関係者たちが「あれはSFではない。私がそう判断したからだ」とSF性を否定した……と伝わる事件である。
中でも、「ダーティペア」「クラッシャージョウ」「神拳 李酔竜」で知られるSF作家、高千穂遙氏が中心的な役割を果たしたと、一般的には認識されている。
高千穂氏はXにアカウントを持っている。そして今回、この問題について本人から語られた経緯がこちらだ。
ttps://twitter.com/takachihoharuka/status/1714121118590849427
@takachihoharuka
いまだにこういう方があらわれるので、もう何度も書いてきましたが、もう1回、あのことのいきさつを書いておきますね。ある日、OUTの大徳編集長から依頼がありました。「最近、SFが注目を浴びているけど、SFが何かがよくわかないという声もある。そのことについて、書いてもらえませんか」と。→
ttps://twitter.com/takachihoharuka/status/1714122162037309833
@takachihoharuka
「書きますが、切り口が重要ですね。わかりやすいように、人気の巨大ロボットアニメを軸にして語ってみるのはどうですか?」「いいですね。それにしましょう」で、書いたのが、「SFとはこういうものだと定義すると、あのガンダムでもそこから外れ、SFではなくなる」という一文です。大徳さんは、→
ttps://twitter.com/takachihoharuka/status/1714122878810222800
@takachihoharuka
「いいですね。わかりやすい」と言われ、掲載となりました。でも、そのあと「ガンダムはSFじゃないのか」という投書がたくさん編集部にきたんですね。困った大徳さんがぬえにきて「こんなふうに読まれるとは思っていなかった。どうしましょう?」と嘆かれ、「前提が飛んじゃうのは予想外でしたねえ」→
ttps://twitter.com/takachihoharuka/status/1714124598462271844
@takachihoharuka
という話になり、「とりあえず、富野さんと高千穂さんとの対談を載せましょう。それで誤解も解けるんじゃないんですか?」と大徳さんが提案され、富野さんと対談しました。いきさつは、以上です。地球重力下での巨大ロボットに対する視点は、ハインラインの「宇宙の戦士」に対して、異を唱え、→
ttps://twitter.com/takachihoharuka/status/1714125784858943681
@takachihoharuka
「宇宙兵ブルース」を書いたハリー・ハリスンの見解を参考にしました。パワードスーツは巨大ロボットより小さく、重量も軽いので、ハリスンは沼地という設定で、その弱点を指摘しています。巨大ロボットは大好きですが、あれは巨大ロボットが成立する前提での作品というスタンスは変わっていません。→
ttps://twitter.com/takachihoharuka/status/1714126373860913585
@takachihoharuka
ちなみに、当時のSF作家で、あの一文を読んだ方は、ほとんどおられません。ただひとり、平井和正さんが読まれ、「きみは、小説よりもああいった評論のほうが文章が上品だね」という、返答に窮した感想をいただきました。反応は、それだけです。
とのことである。
これに対しXでは、
なるほど!そういうことか!誤解が解けた!といった声が多数上がっている。
ttps://twitter.com/unyanyako/status/1714134026813116780
うにゃ子
@unyanyako
高千穂さんがそう言うた、という話は聞いていて、どういうことなんかなあ、とずっと思っていたので、御本人の口からわかりやすくそれは誤解、誤った解釈とのお話が聞けてたいへんよかった。
ttps://twitter.com/yuno_sarashina/status/1714163341017673796
@yuno_sarashina
「ガンダムはSFじゃない」という誤解の産物のフレーズがひとり歩きして、実態とはまるでかけ離れたイメージだけが浸透していくいつものパターン
ttps://twitter.com/guchihaki_2021/status/1714157477510664446
@guchihaki_2021
こういうことがあるから、安易に仮定を絡めた話をするのは憚れる
ttps://twitter.com/masa5046/status/1714193810727866858
masa-5046
@masa5046
なるほど、
は、
ttps://twitter.com/v_mx/status/1714236647032951242
VMX
@v_mx
80年代オタ界隈を席巻した「ガンダムはSFか」論争、ライトオタ小学生の私には「なんだかややこしそう(面倒そう)な話だなぁ」という印象でした。ぶっちゃけ「面白ければそれでいいんちゃうの」とか💧
@takachihoharuka
ttps://twitter.com/ZEfcTDI5bXPck5Q/status/1714236234435043550
@ZEfcTDI5bXPck5Q
はてブでも早々に、「未だに「思い上がったサブカル連中のアニメ差別」みたいなデマ記事が書かれるのはアンフェアよね」とのコメントが付いている。
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/takachihoharuka/status/1714121118590849427
たしかに、まことしやかに語られてきたアニメとSFの対立が実は虚構のものだった、という話は、多くの人にとって安心できる結末ではある。
高千穂遥氏が「OUT」誌に掲載したガンダムとSFに関する文章は、「ガンダム雑記」及びその続編というべき「SFを考える 巨大ロボットアニメを軸として」の二つがあるらしい。
検索をかけてみたところ、こちらのツイートでいずれも実物が引用されているのが見つかった。
ttps://twitter.com/sakaetype21/status/1140142346048176128
ttps://twitter.com/sakaetype21/status/1140142668690817024
ttps://twitter.com/sakaetype21/status/1140147594913431552
ttps://twitter.com/sakaetype21/status/1140148195281887232
今回の高千穂氏の発言の「SFが何かがよくわかないという声もある」「人気の巨大ロボットアニメを軸にして語ってみるのはどうですか?」という部分を見ると、そこで語られている文章は「SFを考える」の方を指しているようにも見える。
ただ、実際に「SFを考える」を見てみると、執筆・掲載の経緯は高千穂氏自身がOUT編集部に申し入れてということになっており、今回のツイートとは食い違う。また、その執筆の動機も、そもそも「ガンダム雑記」でガンダムはSFではないとしたのはなぜかを読者に説明するためのようだ。
高千穂氏による、ガンダムSF性否定の本丸は、やはり最初の「ガンダム雑記」の方にあると見るべきだろう。そのため、ここでは「ガンダム雑記」の内容を主に検証することにする。
「ガンダム雑記」から、今回の件に関連しそうな部分を書き起こしてみる(恣意的な切り取りを疑う人は自分で元ツイを確認してほしい)
ぼくは「0テスター」以来、創英社―サンライズスタジオ、日本サンライズの企画スタッフに加わっていたが、その際、必ず強制するひとつの原則があった。「勇者ライディーン」「コンバトラーV」「ボルテスV」などのロボット物をけっして、ぼくの前ではSFと呼ばせなかったのだ。ロボットプロレス物という呼称も好きではなかった。あの程度の格闘ではプロレスに対する侮辱であったからだ。
ぼくの意見は、SFと銘うちながら、まったくSFではないものが最近多すぎるというこの一点に絞りこまれていた。「宇宙戦艦ヤマト」は、むろんSFではない。アニメではなかったが「ウルトラマン」もSFではなかった。五三年秋の時点でSFと断言出来た作品は唯一「未来少年コナン」だけだったのだ。
ぼくはSFに厳密な科学的正確さを要求するものではない。ある一線からは、科学を超えていても、それを認めることができる。「スターウォーズ」は明らかに科学を逸脱しているが、にもかかわらず立派なSFなのだ。なぜなら逸脱の範囲を知り、それに応じてストーリーが組み立てられているからである。
SFがSFたるもっとも重要なエレメンツは、SFとしての発想、SFとしての思想、SFとしての理念にある。いいかえれば、これらが欠けた作品は、SFではないということだ(作品の優劣の問題ではない。単にSFであるか否かについてのみ語っているのだ。お忘れなく)
例えば、SFとしての発想は、「スターウォーズ」でいうならば、"A LONG TIME AGO"にある。遠い昔、はるかかなたの宇宙で繰り広げられた大冒険――この発想ひとつで、科学のもつ巨大なしがらみから「スターウォーズ」は抜け出たのだ。
この原則を忘れ、幼稚な善悪問答をもちこんだ「ザンボット3」は最終回でSFになりそこねた。総監督富野喜幸氏のSF的限界を知ったのは、このときである。
最後のSFの理念だが、これは表現者みずからの立脚点を明確化できるかということを意味している。エスパーを描くなら、エスパーの立場と人類の立場を区分しなければならない。(略)理念は両者に対立を生み、対立は続者(ママ)に対するメッセージとなる。テーマではない。メッセージなのだ。SFは読者の魂に、強烈なくさびを打ち込まねばならないのである
いかがだろうか。
少なくとも、もしもこのようにSFを定義したなら~というような仮定の話には、全然見えない。
明らかに、当時の高千穂氏自身の主張として、SFとはこういうものである、こうでなければいけない、という要件が書き連ねられている文章である。
(ロボット物をSFと呼ばせなかったというくだりの、あまりにステレオタイプなめんどくさいSF者の姿には、現代人として大いにたじろいでしまう)
さて、肝心のガンダムを「SF」としてどう見たのか、という話だが。
ぼくが怒りにまかせて喚き散らしたためでもないだろうが、設定の制作は慎重であり、よりSFたろうとする努力がメインスタッフの間には、はっきりとみられた。
第一話の試写のあと、ぼくは「機動戦士ガンダム」をSFの傑作となりうる要素を秘めた作品と評した。三話までは、その印象は変わらなかった。
と、序盤はかなりの好感触だったのが、
しかし、五話を過ぎたあたりから「ガンダム」は見るのが苦痛な作品になってきた。今ひとつ、SFになりきれないのである。セリフはいたずらに饒舌で、退屈をきわめた。ぼくは「ガンダム」を見るのをやめた。
「ザンボット3」で感じた富野さんへの評価はまだ変化していない。ニュータイプをだすならだすで、小松左京の「継ぐのは誰か?」に匹敵するアプローチがほしいのだ。あの展開では、焦点がただただぼかされていくのみである。残念ながら、やはり「ガンダム」も偉大な失敗作だったようだ。たしかに一歩、進むことがきたにせよ……。
というところに落ち着いたようだ。
作品自体の評価と入り混じって分かりにくいが、ザンボット同様としている以上、やはりガンダムも最終的には「SF」ではない、と断じているものと見ていいだろう。
といえる。
意欲作として評価していたことは伝わったが、この内容をもって高千穂氏によるガンダムSF性の否定を「デマ」「誤解」のひとことで片づけるのは無理があるだろう。
念のために言っておくと、「SFを考える」の方にも、「SFとはこういうものだと定義すると、あのガンダムでもそこから外れ、SFではなくなる」というような、限定付きのSF性否定のような部分は特に見当たらなかった。それどころか、
という主張が展開され、「ガンダム雑記」以上に、SFと非SFの線引きを当然のものとする論調に見える。
(疑う人は引用している元ツイで実際に読んでみてほしい)
世間ではこういうことになっているが実は~という隠された真実の発覚。これには誰しもが一定の快感を覚えてしまうものだと思われる。
しかし、そうした新たな情報を、自分自身で検証することなく無批判に受け入れてしまえば、それこそ新たな「デマ」「誤解」の拡散に加担してしまうことにもなりかねない。
このリスクには、十分に注意を払う必要があるだろう。それがたとえ当事者の言葉であっても。
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4743724076906217039/comment/a842
少なくともSFじゃないとは言い切っていないのは間違いなさそう。SF度が自分の期待値より下だったと言っているように思えます。0/1じゃなくてスペクトラム。
「ガンダム」は、三話まではSFでした。四話から違和感を感じはじめました。五話になるとスタッフのSFマインドのなさがありありと見えてきました。全四十三話のトータルでひとつの作品として成立しているのが「ガンダム」です。三話までがSFだったからといって、「ガンダム」がSFだったとはいえません。限りなくSFに近いSFというのはないのです。線引きをするのなら、SFか、そうでないかのどちらかです。「宇宙から――」ははるかにSFではなく、「ガンダム」は惜しいところでSFではないのですが、言葉にしてしまえば、どちらもSFではないわけです。
と高千穂氏みずから、まさにゼロイチの基準を提示しているのであった。
また、
総監督の富野さんが「ニ〇〇〇一年宇宙の旅」を超えてみせるとまで豪語した「ガンダム」が「ニ〇〇〇一年――」を超える超えない以前にSFにすらならなかったのには、いろいろな要因があったと思います。
と、やはり「SFにすらならなかった」と断言している。
「ガンダムはSFじゃない」問題の中では非常に重要な部分だし、ここは最初から引用しておくべきだったね。すまない。
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4743724076906217039/comment/kamm
善悪の概念を持ち込んだとはいえ「自身のSF定義に照らし」ているんだから「限定付きのSF性否定」と同義じゃないの?増田の文章の方に矛盾を感じた
引用したツイート群を見てもらえば分かると思うけど、今回の高千穂氏の「SFとはこういうものだと定義すると、あのガンダムでもそこから外れ、SFではなくなる」という言葉を、氏自身のものではないが仮にこういう定義を用いたとすると、という仮定や思考実験の問題だったと捉えてる人がたくさんいるのね。
(ひどいものになると、だからSFの定義はなるべく広く曖昧にしておこうという話だったんだな、と好意的すぎる拡大解釈をしている人もいる)
でも実際の文章では全然そうでなくて、あくまでも高千穂氏自身が、氏自身の定義によって、ガンダムはSFじゃないと判断するものになっていた。という話なんだが、分かってもらえただろうか。
まとめ主と反するコメントを書くと消されるのでこっちで書き残しておく
とあるが
コレは微妙に違う
「富士山」という商標は「東京都千代田区 株式会社ニップン」が取得して、ずっと更新してる
商標法上「その商品」の「産地、販売地等」は商標登録が認められないと規定されているため、出願書類に記載する「指定商品」が「富士山」を産地や販売地としそうなものであれば商標登録が認められない。
というような構造があり
変な話だが、青森で酒を作っているAfuriの方が、山に関係ないとして商標を取りやすい
そんな馬鹿なと思うかも知れないが、そういう規定のものなのである
山の名前、川の名前、そういった類の物は実は商標登録可能で、【産地じゃない】方が使えるのだ
もちろん、消費者感情を完全に無視できれば、という条件はつくが
変な話、Afuri社が、大山の麓で酒を作っていたら、その方が阿夫利で商標取るのが難しいまでありえる
もちろん、このあたりの判断はこうして社会的な話題にならなければ緩いものだ
「阿夫利大山」という日本酒は、伊勢原市(まさに販売地)の酒屋が商標を所得できている
産地であり販売地でありながら取得できている、八海山、高千穂等の実例もある(この辺は過去の経緯等も重要だろう)
この話は、例外事項が多すぎて、変にうだうだやる方が深みにはまる(人が一般的に感じる人情と乖離する)ので
至極ドライに進めるのが正解だった
八海醸造(1925年)高千穂酒造(1902年)を例に語れば、歴史や地域性で判断されてしまう
だから、そっちで戦っては駄目なんだ
ひたすらドライに
ただただビジネスライクに
法的にどうかという点はともかく
とにかく、社長の動き(facebookやインタビュー)が燃料になってしまっている
これ、だんまりを貫くのが正解だと思うんだよ
「権利者の苦労」とか言ってるまとめ主も、盛大な後ろ弾だと思うんだよね
酒造さん側の苦労がないとでもいいたいのか?
企業買収をお涙頂戴で語って、再建物語をプロジェクトX風に語ったら勝てるのか?
違うだろ?
ラーメン側のほうが苦労が大きいと?
違うだろ?
なんの苦労もない思いつきで作った商品を
売ったら売れちゃった、みたいなケースも、商標は守るんだよ
昭和58年10月に出産しました。家庭内では団地の子供とはなかなか交わらず幼児退行気味で、昭和63年にゆりかご保育所に連れて行ったんですけども、よく分からない。
63年にインフルエンザにかかったときに又木小児科に連れて行ったら自閉症と書かれましたがカルテも何も残っていない。医師死亡のためです。ゆりかごの中で何をどの程度やっていたか
も記録がない。平成2年に南方小に進学したが、やはり他児童との関係も先生との関係も不分明で何も記録がない。よく分からないし覚えていない。平成4年から登校拒否があった
んですけども抽象的でどの程度かもほとんど意味がない。平成6年に高千穂小に転校したときにも色々な児童がいてよく分からない。卒業時点では肥満気味でそのまま卒業したという
感じ。平成8年に西階中に入ったのだけどこれもよく分からない。以後もよく分からなくて黒羽刑務所の10工場で多くの受刑者と一緒に刑務官の下で集団訓練を受けて出所してきた。
出所後は延岡で近寄る人もいないし、うちの息子の同級生も延岡市ではほとんど確認がとれないので。かろうじて山之内隆樹君が同級生だけど息子があったことがありません。
出所後に息子が対話してるのは警察官ばかりで出所後に4年間誰とも対話していない。東京都では、杉浦医師、肥後医師、立野医師、須佐医師から次々に診断を受けたんですけども
ほとんどはASDではないかとか統合失調症ではないかとかそういう感じで、野田先生は東大法卒ではないといったんだけど立野、須佐になってからは診断書に、東大法卒業後に、と書いてあって
昭和59年頃までは、金八先生とかの威光で学校教育というのは神様で凄いオーラがあったんすけど、鈴木秀行っていう裁判官が検事になるようになった昭和60年から悪化して
小学校だと、平成2年頃かな、もう最悪でね、 クソガキが。っていうかただのクソガキなんですよね、Twitter界隈にいる奴で東大生で、これから先生になる奴がね
昔は老人が中心で偉人もたくさんいたんだけど、 平成11年から文科一類が人気だったのは当時警察があまりにも、ものを書かないので、Z会や予備校が代わりにやったら反骨精神
んであれなんですがもうそういう老人がいないというか、志村警察署とか、蕨(けつ)署、延岡署って、 ババアもしくは、クソガキか、 佐藤しかないので、
例えば25年前の西階中の理科の先生の児玉先生とか、 斎藤久美子先生っていないんすよね、 児玉先生は理科の先生で、平成10年当時に、警察のやってることは君たちのためでは
毛頭ないのよ、と言っていた
斎藤久美子先生は、普通の善人ではなかったか。 まあ昭和59年より前はもっとやばい人ばっかりだったんですけどね、今はカスの話をしてるので え?なんですか?
それで佐藤って金八先生の時代とか知らないのでね 私がこの世で一番嫌いな人間が佐藤ですが
それで西階中のことはほとんど覚えてないんだけど、 理科の児玉先生とか、 斎藤久美子先生、 高千穂小学校だったら、 こうすけの担任だった、財部祥子っていうのがいたけど
どうなってるか分からないというか、誰も語らないのでね
女装の吉永だった気がする。 女装ブームは、昭和55年頃からあり、あの晴生も女装をして飲み会に出ているが、 高千穂小の吉永誠治(?)は平成7年の祭りで女装をして
女子児童から嫉妬された。その女子児童は多分山間部で結婚してシンママになってると思うが、吉永誠治はどうなったか分からない。高千穂小のアルバムは捨てたし、記憶としては
えー、押方彰一算数教諭から教えてもらったことはですね、というか、押方彰一教諭は、高千穂中学校校長時代に、私は昭和54年頃に教員になって哲学者のなんたらから習った
と言っていましたがそれはともかく
押方彰一先生から平成6年に紹介されたのは、っていうかあれは、 押方彰一×川崎浩二の共同授業だったと思いますが
1+2+3+・・・・+10 を計算しろと。 これのアイデアとして2つくらいのアイデアが重なっていたような気がしますが、1つのアイデアは、これをSとおいてブラックボックス
化するんですね。
えーと、1から10の足し算って、代数なんですかね。代数というのは、具体の数の代わりに、記号を扱うものなので、普通、具体的な数があるときにそれを Sと置いたら代数の世界に
もっていくことになるんですね。
ひっくりかえしたら、 2S=110になるから、これは代数の計算なんですね。だから結局、押方から教わったのは、代数化してひっくり返すということなわけですが。
私が押方から算数を教わったときにつまらないと思ったのは、これが最高ではないからですね、アイデアとして、別にてっぺんにあるもんじゃないですからね。
高校生時代は、自分で自習して、コーシーシュワルツを知りましたが、証明の方は理解できないからそのまま覚えましたね。コーシーシュワルツを知ったのは、井上修二がやった第一回の
川崎浩二先生の思い出ですかねえ、 私が転校当初にあいさつの会でしゃべられなかったからですね、その後に、川崎が、お前の担当は俺だっていう感じで出てきて、
それ以外には記憶にないですねえ。後で教職員録を開示請求したら、算数と図工の先生だったようですね。ただし、私が在学中に、川崎から算数を教わった記憶がないんですよね
算数は確か押方彰一が教えていて、川崎は、算数と図工と書いてあるがほとんど体育ではなかったか。高千穂小学校の印象ですねえ、汚い後者で、便所も最悪で、そんな感想しかないですね
今行ってもですね、プールと校長の家はそのままだけど、校長はいないしね、確か平成7年だったか、井上嘉彦のときに、吉永君が女装をするようなくそまつりがあって
多分そういう勢力は最近はわいせつサイトとかの運営をしていていないと思いますが、別に敵対もしていないし、えー、森美千代っていう先生がいたんですが、森真知子の方は平成21年に
デカルトが考案した二次元座標っていうのは応用範囲が広いので文部科学省が学習指導要領に含めており高等学校では必ず習うことになっていますが、これが数学的手法として
とりあえず大量の問題を解決するので美しいのは美しいのですが、しかも、この理論は、初等幾何の問題を全部やってしまうので、強力であるとは言われていますが、驚愕的かというと
分からないのですね。技術的着想の美しさというのは、色々ありますので、驚愕というのは単に驚きまくっているだけの状態なので、でもそれが一番難しい。
数学の手法では、強力だけど、醜悪とか馬鹿だとか言われるものはいくらでもあるわけですね。例えば、ある関数の最大値を出すときに、ラグランジュの未定係数法は出してしまうので
IMOの問題でですか、なんかいい問題がありましたね、あの、因数分解して、最大値のMを出せっていうので、あれって、東大レベルですね。平成初期に、もっと簡単な似たような問題が
東大理系で出てますが、IMOのあの問題はよかったですね、答えが、9√2/32になるってやつですか、 あれは非常に驚愕的なやり方でやってますね。私は高千穂小学校で押方彰一
から1~10までの足し方の技術を教わったことは教えられたが、それは簡潔な奴で、このIMOの奴は、最強で、今論文を読んでいるんですが、まだ何を書いているのか分からないと。