はてなキーワード: 成功法則とは
アジャイルがどうの、ドメイン駆動開発がどうの、マイクロサービスがどうのと、開発プロセスについての情報が巷にあふれている。
しかし勘違いしないほうがいい。あなたの現場にとって最適な方法を追求できるのは、あなたの現場の人間だけだ。
外の世界の「これがうまく行った」論は、文脈を無視しては話にならない。企業Aの文脈と企業Bの文脈が全く別のものであるなら、開発プロセスの成功法則に再現性がないのである。
「開発でこういうことが困っている」ということがあれば、それを列挙するところから始めるべきだ。現場の人間は「問題」がはっきりすれば解決策を考え出すだろう。
「モジュールの独立性について困っている」という話をしているときに、「マイクロサービスとして独立させよう」という情報がググって出てきたら疑ったほうがいい。
これ、だれか教えて
どんな正論も森元首相レベルのおじいちゃんに理解させないと超高齢化社会の日本は変えられないよ。
自分の成功法則(昭和脳)に支配されて脳が硬化してる高齢者がいなくなるまで現役世代の正論は握りつぶされたままだよ。
そうでもしないと現役世代の正論が実現するのは30年後もしくは40年後になってもう日本が経済的にも国際社会の地位的にも最下層に追いやられて
どうしようもなくなった時だと思うんだ、それは今3歳や6歳の子供を持っている親には切実な問題だと思うんだけど?
その段階まで来たらどんなにプログラミング思考が出来る子供もプログラミングが出来る子供も海外に出ていける実力がない限り貧しくなるって事。
最近増えてるフリーランス最高!!!とか、起業最高!!!とか言ってる人種が嫌いだ。差別化!!!独自性!!!自分だけの強み!!!と叫びながら、一部のインフルエンサーの言うことをクソ真面目に聞いて、俺も新しい時代の生き方をするんだと意気込んだ無が無を呟くのが気持ち悪くて仕方ない。これからは評価経済の時代でプロ奢ラレヤーは新しい生き方を体現しているんだと大真面目に信じ込んでる大脳皮質がないバカどもを見ていて気分が悪くなる。否定から入るコミュニケーションはよくないってつぶやきをリツイートしながら、自分たちは既存の文化と社会体制を否定することで連帯しようとしているのもクソ寒い。共通の敵を作って仲間内でぬるま湯に浸かるのが楽しいのか。そうかそうか。まぁそういうもんだよな。
俺たちは異常なんだ〜と対して異常でもない奴らが自分の凡庸さと無から目を背けてヘラヘラ笑ってるのも気持ち悪い。オタクが狭いコミュニティの中で自分の性癖がいかに歪んでいるかをアピールして、マウントとってポジショニングするのと構図が同じなんだよ。何も持っていない人間がせめて肩書きだけでもと自分の”個性”を演出しようとしているのもダセェ。自分に専門性がないヤツでも0から始められるアクションの代表が起業とかフリーライターだ。無が肩書きを持って有っぽく振る舞おうとしてる。その人自体に何か新しい価値が付随してるわけではない。もはや個性的な人材でも新しい生き方でもなんでもない。
プロ奢ラレヤーを過剰評価してる人類もうんざりだ。あれを新しい生き方だと褒め称えてる奴、頭おかしいよ。なんでtwitterで見ただけの人をそこまで尊敬できるのさ。だってどう考えても社会不適合者じゃん。会ったらわかると思うんですけど、ただの多動ですよ。新しい生き方なんじゃなくて、プロ奢ラレヤーの生き方。手放しで崇拝するなよ。他人は他人、お前はお前の人生を生きろよ。そりゃあプロ奢氏の無を惹きつける能力は素晴らしい。真似しようと思ってできることではない。すごいんだけど、盲目的に「俺もプロ奢になるんだ!!」ってうおーしようとしてるワナビは、虚無へまっしぐらだなぁと思って受け付けないです。twitterであそこらへんの界隈?に絡んでる奴のプロフィール見てたらあ〜〜〜なるほどね〜〜〜つまんないな〜〜〜って気持ちになった。フリーランス×ブロガーやりたいんだったらつまんないのはダメだよ。他人の言葉をコピーしても熱量はコピーされないんだからお前にしか言えないことを言って欲しい。
成功した人のやり方を真似ても、成功した人以上の存在にはなれないでしょう?その人はその人独自の居場所を確立したから成功しているのであって、成功法則はその人が作った評価時空なんじゃん?そういう人もいるんだなぁと思う以上にのめり込んでどっぷり浸かるのは思考停止で先に待ち構えてるのは穏やかな死か搾取される未来でしょ。成功者に会った人に対する普通の人の反応は、驚愕・尊敬・相対化の3ステージをたどると僕は考えている。これまでの自分の世界観とは異質な世界観に触れて驚く。これはかなりショックの大きいイベントで、受け入れられる人と拒絶する人にわかれる。ふるいにかけられて生き残った人、つまりすごい!!!と心の底から感動した人だけが次の尊敬のステージに移行する。プロ無職すげぇ!!だとか、イケダハヤトはすげぇ!!だとか、そういう精神状態だ。そして「まぁ、あの人はこういう考えだけど、自分は違うんだな」「私のスタンスとあの人のスタンスはここが違う。でもいいところは取り入れよう」と分析して相対化に至る。で、いわゆる信者というのは、尊敬のステージから盲信のステージに入り込んじゃった人のことで、相対化に行けなかった人なのだ。特定の思想が絶対的だと信じて疑わない人。信奉することは何も悪くないと思う。だが、わざと教えにカルト的要素を仕込んでいる教祖はずるいというか、悪徳だなぁと思う。
エホバの証人の教えには、「悪霊たちからいやがらせをされる場合は,み名を口にしてエホバを呼ぶとよいでしょう。そうすればエホバはあなたを守ってくださいます。(箴言 18:10)しかし神の保護を受けるには,心霊術や悪霊崇拝とかかわりのあるものからすべて完全に離れなければなりません。古代エフェソスにいた神の崇拝者たちはそれを実行しました。魔術の本を全部集めて燃やしたのです。(使徒 19:19,20)現代の神の僕たちも同じようにしなければなりません。あなたのお札や魔よけ,“お守り”のひも,呪物,魔術の本など,心霊術とかかわりのあるものすべてから離れてください」
というように書いてある。要は、「エホバの証人以外の人は悪魔サタンに支配されているから関わりを断て」ということだ。#起業しろの人とかはまさにそうで、自分の仲間を増やしたいがために、若者に後戻りさせないよう引き返せないよう迅速な決断を迫っているのである(ここら辺の決断を熟慮せず悩むことなくできるのが、ADHDで多動入ってる系なんだろうなという雑感想)。えいやっと割り切ることでしか手に入らないものもあるし見えてこない世界もあるのはわかるから、起業推進系VCとかエンジェル投資家を否定しようというわけではないのはわかってほしいな。
落合陽一周りをうろうろしてるNewspick張り付き意識高い系おじさんも嫌いだ。手を動かせっつってんだろ。落合陽一の文章のうまいところは、カタカナマシマシ学術用語マシマシで翻訳したら簡単なことしか言ってないというところだ。彼がAIを偏微分装置だなんだ生物は計算機だどうのこうの未来は自然(ネイチャー)に計算機が溶け込んでいくのだなどと冗長に表現するのを、専門外の意識高い理系が頑張って解釈して、「俺はわかってる側なんだ」と優越感・選民意識を持つ。さすがだ。これはまさに与沢翼が信者に買わせているメルマガで使っている手法だ。脳に負担を掛けさせるだけのガチガチに硬い文章を読ませて、単純な内容を苦労して理解させる。こうして得られた情報は、信者にとっては神託として作用し、自分は周りと違って「リテラシー」のある人材なのだと錯覚するのだ。うまい、うますぎる。
互いに褒めるのが一時期流行ってたけど、あれも最高にキモい。なんだよ構ってちゃんかよ。そんなに褒めてもらわないと死んでしまう病気にかかってんのか?一般社会に適合できなかった人が自分のいいところを見つけてもらって承認されようとしている光景が嫌だ。別に承認を求めるのは悪くない。だってみんな承認されないと生きていけないから。でもその承認の過程を、さも新しい運動だと喧伝して新しい活動だとアピールするのは、欲望を綺麗にパッケージングしているにすぎない。自分の居場所を、アイデンティティの固定を求めているのだと意識していないのを嫌悪している。
これがワールドスタンダードだから、とかアメリカでは〜だからと言って日本の文化風土が遅れていると批判している奴に、ここは世界じゃない日本だと言いたい。海外には海外の文化風土と国民性と歴史があって、これらに合致した制度が作られてるの。日本には日本の文脈があるの。そりゃあ日本の制度は非効率的でグダグダで今にも沈みゆく船かもしれないけど、そこにしがみついて生きるしかない人々もいるわけ。変えるなら場所を変えろ。ここにいるな。一人で逃げるのが寂しいからって他の人を巻き込んで行くんじゃない。まずはお前が一人で出て行け。そんで出ていった先で幸せそうにしておけ。本当にそこがよかったら自然に人は流出して行くから。いいか、一人でやれ。
zozotownの平社員だかなんだかの、炎上商法で人の感情を煽り立てては「はい今お前俺の言ったことに反応した〜〜〜wwwww俺の勝ち〜〜〜〜〜wwwww」という姿勢がめちゃくちゃ嫌いだ。メッセージを伝える、少なくとも見てもらうための方法なのは理解できるけれど、他人を不快にさせてもいいという態度はさっさと死んでしまえと思う。伝えたいことは、相手が受け取りやすい形で伝えるべきだ。キンコンの西野もだぞ。あとこいつらのやり方をみて、フォロワーを獲得するのに繋がるから俺はいいと思うけどな〜ってしたり顔で語る意識高い系を装ったクソも嫌いだ。他人に迷惑をかけるのは仕方ない。誰もが迷惑をかけてかけられて生きていくしかないのだから。でも意識的に他人を不快にしてもいいわけじゃないだろ。さっさと熱狂的なファンに刺されてしまえ。腹が立つ。善意を利用して金をとる、愛につけ込んで時間を奪う、畜生だな。おい、秋元康、聞いてんのか?おまえもだ。ソシャゲのガチャを考案した奴もだからな。天国に行けると思うなよ。
フォロワー◯◯人集める方法教えます!!とかスポンサーつけて●●円稼ぐ方法noteで売ります!!っていうのに嫌悪感がある。あれじゃん、与沢翼とか情報商材と同じじゃん。「お金稼ぐ方法売ります」が「フォロワー稼ぐ方法売ります」に変わっただけじゃん。ごく少数のインフルエンサーが大多数の無から金を吸い上げるだけ。確かに、金よりはフォロワー稼ぐ方が実現のためのハードルは低いから、まだ優良なのかもしれないが、本質的に価値を生み出すような行動で金を稼いでいないのは気持ち悪いと思う。実労働が伴っていないのだ。あぁ、もし僕にお金があれば、インフルエンサーが売っている無の情報を買い集めて無料で公開できるのに。情報は広がっていく性質を持っている。その流れをせき止めて、価値があるように見せかけて利ざやを稼ぐ行為を私は好まない。価値を生み出せ価値を。お前にしかできないことかそれは?実質を伴っているのか?他人の劣化コピーに成り下がった人間は死ぬほどつまらないぞ。
あと何かにつけて海外に行こうとするのなんなの?トビタテなんとかプロジェクトをいろんな大学が推進してたけど、大学に教育する気力もリソースもないから外注するってバカなの?いつから大学は知の養成機関から二流旅行代理店になったわけ?海外留学がレールを外れることみたいな風潮あるけど、それめっちゃ他人にレール敷かれてるじゃん。ありきたりすぎる。海外にいくのが異常で独自性で新しくて自分らしさだとかマジで信じ込んでるの?短絡的すぎて脳みそショートするわ。わざわざ国の税金を浪費しなくても、日本にも新しい価値観に触れられる場所はいくらでもあるぞ。なんなら日本の国土の三分の二は森だからな、近くの山に行って森で一ヶ月暮らした方が圧倒的にブルーオーシャンでしょ。西成に行って日雇い労働してみた方が誰もやってないからレアでしょ。なんとなくみんなが行ってるから海外に行くっていうのはレッドオーシャンじゃない?あとたかが海外に行った程度で価値観変わった〜〜って思うくらいの経験しかしてないのってめちゃくちゃダサくない?wowwow
インフルエンサーはわりとまともなことを言っていたり、真理情報を握っているのだが、その周りでうろちょろしてる人間が大嫌いだ。ホリエモンが言った言葉を文字起こしする、図解する、本にする、ゴーストライトするなどの仕事をもらって日々口に糊する糧にするのは大いに結構だが、インフルエンサーが提示する価値観に染まりきって他の文化体系を取り込もうとしない態度は気持ち悪い。それ、ただの新興宗教やぞ。カルトやぞ。ロールモデルは大事だ。正しさなんて誰も保証してくれない世の中で、生きる指針・データセットとして有用だ。だが、特定の人、特定の集団に共鳴して絶対的だと信奉するのはあまりにも気持ち悪い。そこにお前という個人は存在しなくて、ただの情報の結節点に成り下がっている。いいのか、それで。つまらなくないか?みんながみんな、「ひととの繋がりってやっぱ大切だよね〜」と同じ表情で同調して笑う世界がそんなに面白いか?僕はそう思わない。ヘラヘラ馴れ合うな。お前は個性的なんじゃないぞ。ただの社会不適合者だとを手帳にでもMacBookのデスクトップにでも書いておけ。
どいつもこいつも多様性が大事だ大事だと言いつつも、多様性が死ぬコミュニティに飛び込んでいる。矛盾だ。クズも利口もエリートも筋肉もメンヘラもオタクも意識高い系も引きこもりニートも普通の会社員もおじいちゃんも赤ちゃんもヤクザもアルコール依存症も発達障害も健康優良児も腕がない人もある人もゲイもレズもポリアモリーもノンセクシャルもノーマルも自営業も高学歴も中卒も野蛮人も文明人も右翼も左翼もリベラルも宗教家もメンサ会員もいるのが多様性だろ。
「普通の社会」に生きづらさを感じて逃げてきたのは素晴らしいことだと僕は思う。だって辛いことをしてたらしんどいもの。しんどいことを続けてたら死んでしまうもの。死んでしまうと僕は悲しい。人はすぐに忘れる生き物だというこじらせメンヘラもいるかもしれないが、それは誤りだ。僕は死んだ父のことを一生忘れることはないだろう。虐待で死んだ女の子のことも、自殺したご当地アイドルも、メンヘラ.jpのライターの首をつった妹も、もしかしたらこの後自殺する予定のお前のことも、僕は一生死ぬまで抱えて生きていくからなバーカバーカ。忘れるんじゃなくて、心の中から血反吐をドバドバ垂れ流しながらとてつもない喪失感に慣れるんだからな、そこんとこ履き違えるなよ。死にたいと思うならいくらでも死にたいと言え。希死念慮なら僕も持ってる。いつもそばにいてさっさと消えちまえよと囁いてくる。俺も消えたいよ。この世には苦しみしかない。生きる意味なんてどこにもない。意味があると盲信して生きている人しかいない。だから僕より先に死んで勝手に救われようとしてんじゃねえよ。
取り乱した。申し訳ない。
つい数日前に、名刺を全部捨ててる発言のたかーぎとかいう奴がなかなかホットだったが、僕もあれは嫌いだ。嫌悪。上の世代の価値観を否定することで自分の立ち位置を確立し、賛同者を集めるという行為は、フォロワー集めと信頼稼ぎの手法として効率が最高に良いし実際にやろうとしてやれる人はいない。素晴らしいと思う。天才だ。だけど、この世界のほとんどは従来のパラダイムに乗っかっている人で動かされているわけで、彼のパフォーマンスは彼らに対するリスペクトを捨てているからこそ得られる効用なのだと認識しなくてはならない。新しいパラダイムを作り出す集団は、旧来の価値観の否定なしには動くことができない。これもまた事実だ。僕が言いたいのは、手放しに全てを賞賛するのは間違いだということだ。アリストテレスも孔子も中庸こそが目指すべき立ち位置だと言っている。
歴史的コンテクストと共感不可能な他者への尊重を失ったムーヴメントを、私は拒否する。
これが僕の基本的な生きる姿勢だ。好き・嫌いと関わりたい・関わりたくないは別方向のベクトルだと僕は考えている。正直起業家ワナビもプロなんたらもほにゃらら2.0を進めていくんだと意気込む虚無も、大嫌いだ。だとしても、嫌いなものから目を背けてしまっては学びがない。可能性を捨てている。共感不可能な他者と共感可能な自己を理解&比較して初めて知を獲得できる。範馬勇次郎はこう言っている。
「防腐剤...着色料...保存料...様々な化学物質、身体によかろうハズもない」
「しかしだからとて健康にいいものだけを採る、これも健全とは言い難い」
「毒も喰らう、栄養も喰らう」
「両方を共に美味いと感じ、血肉に変える度量こそが食には肝要だ」
50代以下の中高年女性のあのプライドの高さは一体なんなんでしょう
バブル以降のオバサンも同様にクズでゲスで無能なんだけど、それを指摘すると発狂するんだよな
それに気付きだした男が女に幻滅して草食化して
今の40代30代の売れ残り婆に結果が出てるんだけど、それはスルーw
>時代によって下駄をはかせられていただけなのに、自分たちの能力がすごく高くて実力があったからいい時代を築けたんだって本気で思ってる。
>この年代の人はそもそも若い世代とかを見下してるよ。能力がないやつらだって思ってる。
>一方で自分の成功法則にしがみついて、好景気の時代と同じ行動をやってしまう。
>日本のボーナスステージはもう終わったんだって、早く気づきなよ。
その後、結局、専業寄生虫やって世間知らずなままVERY妻とかやってる婆にも同じように当てはまるよ
増田です。
このところジャーナリストカエルさんのまとめが立て続けにホッテントリに入ってたりして、
そこで私は「この人は困窮してるんではないか」と直感的に思いました。
というのも、題名の通りですが、今まさに知人が困窮の一途を辿っていく道すがらにおり、
もちろんカエルさん=知人ではありません。
それを目の当たりにしたので、すごいスピードでピンと来たのです。
いや、ピンと来ただけでそれが当たっているとはみじんも思いません。
最初の1年くらいはノリノリですごく頑張っていたのですが、じょじょに雲行きがおかしくなってきました。
家はあるが生活費が厳しくなっていきました。
SNSを見ていると、この知人の変化がつぶさにわかるのがなんとも言えず…。
初期
中期
どうしてこんな貧乏になってる。嫁さんすまない。嫁さんに財産残してやるつもりだったのに
末期
お前らみんなふざけんなよ、俺がどんだけ頑張ってるかも知らないで!嫁さんを苦しめてしまった、お前らのせいだ!
みんな敵だ!
実はこの知人が始めたのは××なんですね。××は天候に左右されることが多いですし、
使っている機具もそれなりに高いものがポコンと壊れたりもする。
頑張っても取れない時期もある。
受けていない××もあると思いますが、補助金が廃止されたら、日本の多くの××は食い詰めるくらい、補助金で食べている人も、実は多いのです。
中期には、やはり周りの人に助けて欲しいという気持ちが表れてきます。同情を誘うような投稿が多くなり、それでもけなげに頑張ってるよ感を出してくる。
チラチラっていう感じなんですが、まわりはどうしようもないんですよね…
実はこの時期に「××の多くは補助金で食べているのが実情だけど、そういうのは考えない?」と訊ねたことがあるんですよ
でもプライドがあるんでしょうね。そんなものは無意味だと突っぱねられました。
(しかしながら多くの企業が補助金や助成金をもらっているのは事実なんですけどね。ちなみにこの知人はもともとは社長でした)
カエルさんもそうですよね。
朝日の記者だったんだ、俺はすごいんだというプライドから離れられない。
朝日の看板でそこまでのプライドがあるのであれば朝日をやめてフリーになる事なんてなかったのに、
俺はすごいんだ、やっていけるんだという欲目が出てきてフリーになって、それでもやっぱり今は媒体の変化によって物書きの値段は恐ろしく落ちていますから
俺は元朝日の記者だぞと仕事を選んでいたら当然ですが仕事が減っていくでしょう。
それどころか、文そのものの値段が落ちていて、もうどうしようもなく下がっている。
私も専業の物書きの人は知っていますが、投げ銭を要求してそれを浄財と呼んでいる人は初めてみました。
ファンらしき人が「明日のお昼代を振り込んでおきますね」というリプライを送ったりしている。
これは、もう相当逼迫しているのではないか、そう感じました。
カエルさんは末期にあたる状態だと思います。もうまわりがみんな敵になっています。
どうしてお前らは俺を理解してくれないんだ、お前らみんなクズだ!死ね!
50代〜60代の中高年男性のあのプライドの高さは一体なんなんでしょう。
そしてプライドのために困窮している。
とくにカエルさんなんて、あの年代で京大卒&コロンビア大卒ってすさまじいですよ。
同級生なんかは銀行の頭取とか大企業の幹部になっていてもおかしくない。年収も数千万クラスがゴロゴロいるでしょう。
そんな中で自分は朝日のジャーナリストとして肩で風切って歩いてきたのに。
こうなったらすごい記事を書いて一旗あげるしかない、となるわけですよね。
だいたい50代〜60代の人っていうのは時代が良くて好景気で、バブル前夜→バブルキター!みたいなのと、
若くて脂が乗ってバリバリ働けた時期がまるかぶりしてるんですよ。
時代によって下駄をはかせられていただけなのに、自分たちの能力がすごく高くて実力があったからいい時代を築けたんだって本気で思ってる。
この年代の人はそもそも若い世代とかを見下してるよ。能力がないやつらだって思ってる。
一方で自分の成功法則にしがみついて、好景気の時代と同じ行動をやってしまう。
日本のボーナスステージはもう終わったんだって、早く気づきなよ。
ああ、胸が痛い。
追記
増田です。
トラバ、ぶコメいただきましてありがとうございます。
自分の中ではジャーナリストとして独立したあたりを初期、しんどくなってきた時期を中期と適当にイメージしていました。
twitterはあまり関係なく、独立した時期から現在までのスパンと思っていただければ。
まっすぐにいこう。 全15巻セット (集英社文庫―コミック版) きら
☆コミュニケイションのレッスン 鴻上 尚史
クアトロ・ラガッツィ (上) 天正少年使節と世界帝国 (集英社文庫) 若桑 みどり
日露戦争、資金調達の戦い―高橋是清と欧米バンカーたち (新潮選書) 板谷 敏彦
山本五十六 (下) (新潮文庫 (あ-3-4)) 阿川 弘之
心の力の魔術―驚くほどの富と幸福が得られる成功法則 ダビッド・J. シュワルツ
食卓からの経済学―ニュービジネスのヒントは「食欲」にあり (ノン・ブック―先見サラリーマン・シリーズ) 日下 公人
もろい青少年の心―自己愛の障害 発達臨床心理学的考察 (シリーズ 荒れる青少年の心) 上地 雄一郎
「死にたい」気持ちをほぐしてくれるシネマセラピー上映中―精神科医がおススメ 自殺予防のための10本の映画 高橋祥友
モテないのではない モテたくないのだ! ! (アクションコミックス) カラスヤ サトシ
もっと! Vol.4 2013年11月号 (増刊Eleganceイブ) 水沢悦子
ヒトラーのテーブル・トーク1941‐1944〈上〉 アドルフ・ヒトラー
しろうと理論―日常性の社会心理学 アドリアン・フランク ファーンハム
グラン・ヴァカンス―廃園の天使〈1〉 (ハヤカワ文庫JA) 飛 浩隆
☆ドイツ・フランス共通歴史教科書【現代史】 (世界の教科書シリーズ) ペーター ガイス
ドイツの歴史【現代史】 (世界の教科書シリーズ) ヴォルフガング イェーガー
ポストモラトリアム時代の若者たち (社会的排除を超えて) 村澤 和多里
☆言葉にして伝える技術――ソムリエの表現力(祥伝社新書214) 田崎真也
滅びの風 (ハヤカワ文庫JA) 栗本 薫
大日本サムライガール (星海社FICTIONS) 至道 流星
☆少女マンガの表現機構―ひらかれたマンガ表現史と「手塚治虫」 岩下 朋世
マルコヴァルドさんの四季 (岩波少年文庫) イタロ・カルヴィーノ
スティーブ・ジョブズ(1) (KCデラックス Kiss) ヤマザキ マリ
カリガリからヒットラーまで (1971年) ジークフリート・クラカウアー
物語の体操―みるみる小説が書ける6つのレッスン (朝日文庫) 大塚 英志
ウェブ炎上―ネット群集の暴走と可能性 (ちくま新書) 荻上 チキ
アメリカの中学教科書で英語を学ぶ―ジュニア・ハイのテキストから英語が見えてくる (CD book) 林 功
☆☆「AV女優」の社会学 なぜ彼女たちは饒舌に自らを語るのか 鈴木 涼美
ぬばたま (新潮文庫) あさの あつこ
果てしなき渇き 深町 秋生
病んでるなって思う。
心療内科へは、通っている。
カウンセリングやらを通じて、成長したと言われる部分もあるし、トラウマの整理も出来つつあるように思う。
臨床心理士の人へも、嫌われてしまうかも、と思って話せないこともある。
基本は、なんでも、「うんうん」と聞いてくれる。
説教じみたことも、言われるが、簡潔で理にかなっていて良い。
医者の方は、適応障害の診断を下して、休職をするように、勧めてくれた。ADHDの薬も、処方してくれている。
時間がないのか、うっとうしいのか、臨床心理士との二人体制だからか、あんまり、グチグチとした話は聞いてくれない。体調面は、配慮してくれる。
しかし、
精神系の薬のせいだろうか。
あるいは、職場の上長に対して、あるいは、身近な人間に対して、死を持って私の憎しみに答えてもらいたい、などと、考える。
あるいは、自分が水難死でもしてみようかとも、空想する。飛び降りようかと、とも思ったりもした。
夜、車でドライブをしながら、「このやろう」「こんちくしょう」といった汚い言葉を、絶叫している。
通常、
行動することにになると思うのだが。
と、思ってしまう。
治っているのか、治りつつあるのか。
以前なら、このような考えを文字にすることすら、おっくうだったときから、比較したら、マシなのだろうか?
文字に書くことさえ、怖かったが。
成功法則の本によれば、「書いたことは、実現する」なんて書いてある。
なんて、ことならば、書いて見よう。
「私は、幸せな人生を歩む。人間関係が良好で、幸せになる。ハッピーな気分になる。給料も、安定して正社員の職に就ける。奥さんも、美人になっている。精神的な病への理解を示してくれるようになる」
冷静になろうと、唱えて冷静になれるならば、どれほど救われることか。
え。瞑想ですか。
呼吸ですか。
私、今、乱れてますね。
まず第一に、自分の気持ちをわかってくれている人なんてのはいない。
共感とかいっているものは、同じ状況で似た感性の持ち主どうしが経験値を似た排泄物として消化したものを結果として近い位置で見せ合うことができただけの状況。連れションと一緒。
同じ位置を共有しなくなったり感性を違えたり仕方を変えるとそれはもちろん共有できなくなる。忘れてしまったとか変わってしまったということではない。そういう状況になったというだけ。
変化は変化だろうが、それを言い出せば毎日毎秒変化はしてる。
なので同じ位置にずっといることでチャンスのめぐりを待つこともできるが、可能性としてはチャンスに対して適応したほうが確率は高まる。
一人でいたいのなら新しい接触の少なかった時と同じでよいし今までどおりのものが変化したので新しくもとめるものがあれば自分の状況を異なる位置にもっていく。
ずっと同じことをしていたからといってかなわないこともない、それは変化によってもたらされることもある。
10年つづけても本物になれないことも、それは成功法則が変化したものかもしれない。
あと、文中どこを読んでも彼女があなたの寂しいということをわかっているとは読めない。とりあえずそれはおいておこう。
「気持ちをわかってくれる彼氏」がほしいという場合なら、連れションできる男と巡りあう状況に自分が変化する必要がある。
以前つかっていたものは壊れた、状況が転じたので異なるものを新調するか以前つかっていたものを必要としない状況にするか、もしくは以前の状況に戻すため以前のものを取り戻すかしか選択肢はない。
取り戻し方を考えるのはあまりに非効率だろう。詳細を述べるまでもなく様々に予測できるものと思う。
そこでだが歳を取ると都合のよい変化が起こる。おっさんおばさんくさくなるということだ。ガサツになりだらしなくなり恥ずかしげがなくなる。
これにより共感すべき視野が外部にわかりやすくなり消化方法と排泄物の明確さがでてくる。アニメが好きでどういう詳細を選択してどんな活動や反応をしているのか。
その状態を維持して他人と接触するとチャンスは広がりやすい。年下のウブな子で自分を発揮できず共感をまだ手に入れられない時期に対して手ほどきができる。
アニメを好きと公言してもいいのか戸惑う若者にアニメ好きなんだわ私とあけすけに言う、どんなジャンルが好きなのか恥ずかしげもなく。そしてどんな感想をもってるのかとか活動をしているのかとか。
前の職場では、
僕より30歳くらい年上の人とコンビを組んで仕事をしてたんだけど、
僕のことを気に入ってもらい、とにかく僕を上に引き上げてくれた。それがデカかった。
自分では出世欲が無いにしても、その人の存在のおかげで贔屓される。
その人に太鼓判を押され、その職場に就いてすぐに高評価された。
自分より上の存在が、その職場のトップだったわけもあって尚更かわいがってもらった。
そんな体験もあって、
「誰とやるか」ってすごく重要だなぁ、と思う。
自分より上の存在に引き上げてもらえると、自分のステージが一気に上がる。
成功法則みたいなものだと思うけど、その職場ですぐに「自分」という存在を認められた。
自分ひとりの力なんてショボイだけ。
自分より強い力を持つ人に気に入られ、上に引き上げてもらうと、組織の中で一気に認められる。
誰とやるかで大切なのは、「見つけてもらうこと」。
自分より上の存在の目にとまり、自分の「何か」を気に入ってもらったから一緒に組めた。
AKBは日本の現代社会の考察対象としての興味は強くあったが、メンバーそのもの自体にはあまり興味がなかった、しいて言うなら峯岸みなみが好きだった。
彼女の顔が好みだったというのもあるが、彼女の自分を下げるようなことをしてまで笑いをとるサービス精神が気に入っていた。
それは彼女の持つ、一種の愛に対する不安感がそうしているのではないかと思っている。心の奥底で、しっかりと安心した愛を受け取れなかった寂しさ。
しかし、その行為は、彼女に備わる本質的な優しさがそうしているのだと思うのだ。
実存的な不安から来る愛の渇望を埋める方法は人それぞれ違う。他人のことをわがまま放題に振り回したり、異様に執着したり。多くの場合はそうなる。
だけど、彼女は意識的ではないだろうが、自己犠牲を選んだ。自己犠牲なくして、何が本当の優しさなのか。
女性特有の利害関係への敏感さを標準以上に持つ他のメンバーの対して、異彩に存在していると感じていた。
彼女にたいする愛はこのへんにして、本題に入ろう。
今回の坊主謝罪問題は、AKB48というゲームを破壊するほどの衝撃がある。
「恋愛禁止」は、ファンと運営の間にある馴れ合いの果てに生まれたルールだ。
恋愛という実に個人的な出来事を、仕事であるアイドル活動に結びつけるのは、昔からあるアイドルの伝統ではある。
しかし、そういった不文律だったのものを、はっきりと打ち出したことは、AKBの大躍進の起爆剤になったのは間違いないだろう。
アイドルに抱く願望を、はっきりと約束してくれる。これは最初は一種のネタのようなものであったようだが、徐々にファンと運営の間での前提となっていったようだ。
ファンと運営との馴れ合い(ふれあい?)は総選挙やじゃんけん大会などがファンからの要望を答える形で誕生したように、AKBの伝統なのだろう。
そのファンと運営とそれをとりまくメディアとの馴れ合いのゲームそのものが、AKBというプラットフォームであり、彼女たちはゲームのキャラクターのように象徴化されて愛された。
そのゲームが現実にならないようにするには、彼女たちに生身の人間としての行動を許してはならない。それが恋愛禁止へと至ったのだと思われる。
しかし、今回の峯岸みなみの事件は、その関係に亀裂を生じさせる始まりになるのではないか。
これはゲームに熱中しすぎて、ゲームそのものが成立する条件を破壊してしまうということだ。
例えば、こういう経験はないだろうか。子供の頃、友だちとふざけてじゃれあってる時に、徐々に叩き合いになり、そして、ある瞬間一線を超えて喧嘩になる。
あるいは、文化祭の準備で、実行委員長が本気になりすぎて周りが引いてしまう。
ゲーム(遊び)が成立していた関係性や暗黙の了解が、参加者が過熱しすぎることで暴走し、破壊されてしまう。
これと似たようなことが、今回の事件で起こった。
AKBの人気が頂点を極め、ショービズの世界に巨大な化け物ように君臨した時、自分たちの成功法則の一つ、恋愛禁止のルールの存在が大きくなりすぎてた。
それは過去のメンバーへの激しいバッシングや、脱退や移籍などの処罰(人間的行為なのに!)を受けたのを見ればわかるだろう。あれほどの人気を持ちながら、その地位を奪うほどだ。
前田敦子なんて、恋愛禁止がいやで脱退したと言われるほどだ。それほどのことなのに、誰もそれを批判しない。まさにゲームが行き過ぎて暴走していた状態だ。
彼女が実存的な不安を抱えていると想定すると、きっと自分の居場所が消えてなくなるほどの強いショックを週刊誌を読んで感じたのだろう。
それがパニックとなり衝動的に坊主にしたのだろうと思っている。運営が事前に知ってたら絶対こんなマイナスなイメージを与える結果になるようなことはさせない。
坊主にしなければ許されないと彼女を追い詰めるほど、恋愛禁止ルールは暴走していたのだ。
そして、多くの人が後味の悪い気持ちになる。恋愛禁止を旗手にもってそれを犯したメンバーをバッシングしていた人も、今回は彼女に拳を振り下ろすことに躊躇するだろう。
なぜなら、自分が人を追い込んだことを坊主というはっきりとわかるヴィジュアルで見せられたら、さすがに自分がこれからやろうとすることの意味に気づいてしまう。
そして、それまで白熱していたことが、ゲームだったことに気づいて覚めた気持ちを抱くのだ。ネタだったものがマジになっていき、そして行き過ぎた時にネタだったことを思い出す。
あるいは、からかって遊んでいるつもりが、いつの間にかいじめになり、相手がひきこもりになってようやく自体を理解するような。
一度人はゲームに覚めてしまうと、なかなかまた再熱中出来ない。
もしかしたら、今回の事件がきっかけに、AKBは崩壊するかもしれない。
そして、今の芸能界と日本に漂う、自己増殖的に増えるゲームが、崩壊するきっかけになるかもしれないなんてのも思う(話を広げすぎだけど)