昔から、人に強く言えなかった。
その場の空気を悪くするのが嫌だとか、
人に聞き流されて、受け入れてもらえないのが怖いからだ。
その記憶はずっと昔。
私が小さい頃、父は酒を飲むたびに私達兄弟を怒鳴り散らした。
直接暴力を振るったことは殆どないが、時々襖にものが投げられたりもした。
怒声はいつも突然だった。
当時の私達は、幼稚園生くらいだったと思う。
無力で口答えもできなかった私は、ただただ身を縮こまらせたまま、
いつも溜めこんでいる皿洗いを、こんな時ばかりは自ら洗いに行っていた。
実家は居間と台所が直結していて、私の定位置からは母の背中がよくみえた。
その背中と時々聞こえる流しの音が、今でも脳裏に焼き付いている。
父は酒で怒鳴ることは無くなった。
それでも、私の脳裏には怒鳴る父と、弟を突き飛ばした父の姿が脳裏に焼き付いている。
その過去から私は、頭の中に「人は突然怒るから無理に刺激しない方がいい」という考えが刷り込まれてしまった。
いつも人の怒りに敏感で、ビクビクしていた。
大声を聞くのが怖かった。
人に聞き流される孤独が心に沁みついたのも、幼い頃の記憶からだった。
母は私の話し方を会話の最中にいつも指摘した。
「言い訳をしない」
そうして、話すことに疲れ果てた私に、母はいつもこう言って締めた。
「あんたにも原因があるんじゃないの?」
私は次第に自分の悩みを人に打ち明けられなくなった。
もう少し大人になった頃、母の言動に疑問を抱き、それを指摘したことが何度かある。
その度には母は逆上した。
「私が悪いの?!」と。
母の行動がはっきり悪だと言いたいわけじゃなかった。
ただの純粋な意見だ。その言動を少し変えた方が物事がスムーズなのでは?という。
しかし、私が懸命に説明をしようとすばするほど、母は乱暴に話を終わらせようとしてしまう。
結局私の意見を何一つ取り合ってはくれなかった。
そういった日々のおかげで、私の心の隅に「人に懸命に想いを伝えても無駄だ」という気持ちが棲みついた。
社会人になっても人に悩みを打ち明けることができずに、悶々と日々を過ごした。
人の言う「なんでも言って」が信用できなかったし、
人が自分の話に戸惑っていると分かった瞬間、私は言葉を止めてしまう。
聞き手があの頃の母親のように私の話を迷惑に思っているかもしれない、と。
そんなことすらもずっと言えずに心に溜めてきた。
本当はずっと昔から言いたいことが山ほどあった。
世間にも、同僚にも、友人にも。
両親にも、まだまだ言いたいことがある。
お父さん、
どうしてあなたは酒に逃げたんですか。
どうして直面している問題を私たちと話し合って解決しようと思わなかったんですか。
私達が家事をサボっていると思うなら、どうしたらサボらずにできるようになるか、一緒に考えてくれたらよかったじゃないですか。
どうしてそれをしなかったんですか。
お母さん、
どうして助けに来てくれなかったんですか。
どうして一緒に父から逃げてくれなかったんですか。
離婚なり、実家に帰るなり、対抗策はいくらでもあったはずなのに。
でもあなたはそれを言えば、私が悪いの?!とまた怒りだすのでしょう。
どうしてそうやって、私の話を聞き入れてくれないのですか。
私はただ、あなたのその態度が悲しかったと、そう伝えたいだけなのに。
例えばこれを今本人たちに捲し立てたとしても、
「今更そんなことを言われても」と思われるのがオチだというのも分かっている。
だからここに放流する。
そういや今日オナニーしてないな
今日も女はポエムde毒親叩き