はてなキーワード: 小学校とは
これまでずっとどこかに書き残しておこうと思いつつ、なにかと手が進まなくて書き残せなかったことを、今回こそ残しておこうと思う。
『私が受けてきた虐待とその影響。家族や環境。そして私の将来について。』
私は父親から身体的虐待と心理的虐待を受けてきた。物心ついた時からだ。
一番古い記憶は幼稚園生の頃に、深夜3、4時に突然起こされ、母、弟と並んでリビングで正座して、ひたすら「ごめんなさい」と土下座して謝ったことだ。
詳しい理由はわからなかったが、両親の喧嘩に巻き込まれて起こされたんだなと思ったことははっきりと覚えている。
その時にすでに、「お父さんをこれ以上怒らせないようにしなきゃ」と必死だったから、それ以前から父からの虐待はあったと考えられる。
すでにこのエピソードを書いただけで泣きそうだし、なくのを堪えようとして喉が痛い。でも書き残したい。
・「バカ」「アホ」「マヌケ」と鬼の形相で怒鳴られる(必ずついてくる基本セット。もはや戦隊ヒーローの名乗り的な。)
・幼稚園の親子参観で父親が私に恥をかかされた(と思った)ので、帰宅後に殴られたり怒鳴られたりした。
・幼稚園に登園中、(当時すでに嫌いな)父と手を繋ぎたくなさすぎて、幼稚園前の泥道を走った結果、転んで制服を大々的に汚す。このことに父が怒り、その日は仕事に行かず、帰宅後に父にめちゃくちゃ怒鳴られる。
・買ってもらったコートをすぐに見せなかったのでマグカップで殴られる(すぐに見せれば良かったな〜)
・ゴルフクラブで背中を殴られる(直前に布団を被ったのでセーフ)
・ゲーム機を破壊して見せしめのようにリビングに置かれる(「「見せしめ」」)
・ノートPCで頭を殴られそうになり、腕で頭を守った結果、PCで腕を殴られる(守ってなかったらどうなってたんだろう)
・「◯ね」、「とび◯りろ」と罵倒される
・何かと「金を出してるのは誰だと思っているんだ」と言われる。(中学までは公立で無料で入れるのに、なぜ早くから私立に入れたの?と思ってやみません)
・コロナ禍の時に学校に行けないので家にいなければならず、余計父と顔を合わせるタイミングが多くて衝突することが増えた
・大学受験に失敗し、「低学歴」と罵られる。(大学生になってからは心理的虐待メインで、ほぼこれ。)
他にもたくさんあると思うが、忘れてることも多い。なにかをきっかけに思い出すこともあるが、たぶん脳が忘れようとしているのだろう。
すでに書くのが辛い。でも、今まで辛くて書くのをやめてきたから、今回は最後まで書き切りたい。
・学校が終わるのが怖い、家に帰るのが怖い、金曜日が終わるのが怖い。
・父が帰ってくる時間が近づくたびに怖くなる
・いつか刃物で刺されて殺されるんじゃないかと、頭のどこかで常に考える
・頭に3-5cmの傷ができて血が止まらない。のちに跡が残る(髪で隠れてるのでセーフ。尼さんじゃなくて良かった。)
・10cm以上の傷あとが残る
・足を捻挫し、小学校の階段が昇れなくなったのでエレベーターを使わせてもらう(学校の先生には病院に行きなさいと何度も言われた)
・その他、傷、あざ、捻挫、などなど
なぜ病院に行かなかったのかと思う人も多うが、その理由は後述。
・どんなに人前でポジティブに振る舞っていても、心の奥底では強い自己否定をする
・家に帰るのが怖い、金曜日が終わるのが怖い
・DVを扱っている映画やドラマは問答無用にボロ泣きするので見れない
・なぜか大学受験を控える高3の時、学校の授業中や塾の自習室でそれまで受けてきた虐待のことを思い出し、泣いてまともに勉強ができない。友達に(受験に対して不安だと思われて)慰められる。(大学受験の失敗は私の勉強不足もあったから、そのせいにはしたくないけど。)
・大学で取った授業のテーマがDV(家庭内暴力)で、毎回紹介される具体的な例を聞いて大号泣する。(オンライン授業というだけでテーマも調べずに取ってしまいました。恥ず。)
・やっぱり自己肯定感がめちゃくちゃ低い
割と内容がハードめだと思っているので()におちゃらけたコメントとか入れてみたので、読みやすかったかもしれません(?)
このままもう少しお付き合いください。
・男性が怖い
・どんなに優しい人でも裏の本性はやばいのではないかと思い、信頼するのに時間がかかる。
・男性が怖いので、疑り深くなり、彼氏ができたことが一度もない。(まあ今時そういう子が少なくないのは救いですが)
・将来結婚して子供を持てても、私が子供に虐待をしてしまうのではないかと思い、将来の選択肢に結婚を入れにくくなる。
・でも、親は選べない分、自分で選んだ家族は持ちたいから結婚はしたいし、子供に恵まれたら子育てもしたい。(超ジレンマ)
特に中学生までは医療費がタダだったので、病院なんて保険証を持っていけば一人でも行けたかもしれない。
でも、まず母が病院に行こうと(たぶん一度も)言ってくれなかった。
母は父の暴力をあまり止めることができていなかったし、怪我をしても病院に行こうと言ってくれることは(たぶん一度も)なかった。
正直、これに対してすごく怒りがある。
それは、傷跡が残ったからだ。
頭から出血して血が1時間たても止まらなかった時や、10cm以上も傷ができる怪我した時ですら、母からは病院に自ら連れて行ってくれなかった。
1ヶ月後くらいに、私がようやく母に病院に行きたいと言い出せて皮膚科に行ったが、おじさんの皮膚科医から「なぜすぐに来なかったんだ」「一生傷跡は残る」と言われた。
すごく悔しかった。泣きそうだった。
私だってすぐにでも病院にいって手当してもらいたかった。でも、理由をどう説明すれば良いかわからなかった。
「父から殴られた」なんて言ったら児童相談所に通報されると思った。児相に連絡が入ったら、親が仕事をなくすかもしれない。
そしたらまた「金を出してるのは誰だと思ってるんだ」的なことを言われるかもしれない。
「お前が黙ってれば良かったのに」と言われるかもしれない。
そんなことを想像してぐるぐる考えていたら、1ヶ月が経っていた。
傷跡は今でも残ってる。
最近その傷跡を消したいと思い傷跡レーザー的な治療の見積もりに行った。20万以上すると言われた。
それでも傷跡は完全に綺麗には戻らない。
悔しい。
ただ、母は専業主婦で、仮に児相に相談したりして別居になったり、離婚でもすることになったら私と弟を引き取ることになり、2児のシングルマザーになってしまう。
一度だけ、母に「なぜ離婚しなかったのか」と聞いたが、「離婚してほしいと思ってたんだ」と返された。たぶん心理学のバックトラッキングとかオウム返し的なことをして共感を表現したつもりなんだろうけど、私には共感や同情どころか、離婚なんて選択肢があったんだという驚きに感じられた。
事実かどうかはおいておいて、離婚は絶対に嫌だったのだろうと思う。
それは幼稚園か小学校低学年の時に、母は「玉の輿に乗った」のだと気づいたからだ。
父はそれなりに社会的地位が高くて収入の高い職業に就ているし、将来も有望だ。(実際、結婚して20年以上経った今でも高収入)
しかもお互いに海外旅行好きとあれば、(出会った時は想定外だったであろう)DVにさえ耐えれば、毎年海外旅行に行けるし、ブランド物のバッグや服やジュエリーが手に入れられるし、一生安定した生活が望める。
そんな人生を捨ててまで一人で子供2人を育てながら再び働くなんて考えにくかっただろう。
ただ、物心ついた頃から虐待を受ける経験をしてきた私は、もし母の立場なら即刻子供を連れて離婚する。
子供に金銭的に不自由で肩身の狭い思いをさせることにはなるかもしれないが、少なくともこれ以上父親からの虐待を受けさせずに済む。
やっぱり、虐待が子供に与える精神的な影響は根深くて、一生レベルで続くと感じているからだ。
これは、まだ彼氏すらできたことのない私だから言える理想論かもしれない。
でも、真面目に結婚できるか相手の基準は「良い"パパ"になりそうだと思える人」、つまり、子供に虐待をせず、子供に愛情を注げそうと思える人だ。
それを見定める基準は今のところ
かなと思っている。
本当に信頼できる、安心できる相手が見つからなければ、結婚しなくていい。
私が結婚する時は、世界中に自慢できるくらい素敵な人と縁があった時だと思う。
先ほど「「お前が黙ってれば良かったのに」と言われるかもしれない。」と考えたと記したが、実際に公的な人や機関に相談していたら、どうなっていたかを想像してみる。
③仕事は失わないかもしれないが、どこからか噂が流れて仕事は減っていたかもしれない(噂はどこからともなく広がるのがこの世の不思議なとこ)
④保護されて金銭的にはそれまでよりは恵まれない環境に身を置くかもしれないが、それ以上父から虐待を受けることは無くなったかもしれない。
要するに、金銭的には裕福ではなくなっているかも知れないが、身体的・心理的にはそれ以上悪影響を受けずに済んでいたかも知れない。
物心ついたころから人と比べて怒りやすいところがあると思っていた。また、大学受験の時に結構自己肯定感が低いなと気づいた。そしてどちらもその原因に父の虐待は大きく影響していると思っていた。
なので、特に大学に入ってから、アンガーマネジメントの本や自己肯定感の本など、いわゆる自己啓発系の本を読むようになった。
もう定番の本から図書館の貸し出し回数が少なさそうなものまで、くまなく読んだ。
その中で、次第に、少しずつではあるが、アンガーマネジメントができるようになってきたり、自己肯定感を上げられるようになってきている。
まだ、将来に対して大袈裟なくらいの不安を抱いたり、自分の可能性を信じられなかったり、人に頼るのが苦手なところがあるが、毎年少しずつ精神的な成長を感じる瞬間がある。
ただ、こういう精神的なものは一生かけて育てるものだと思うので、定期的に読書や勉強を続けていく。
特に小学生を対象にしている中学受験塾や家庭教師のバイトをした。
これは、私が特に小・中学生の頃に父親から勉強を教わるたびに暴力や罵倒を受けてきていたので、そうではなく理性的に、子供が納得するような指導方法を身につけたいと思ったからだ。
私は少し算数や数学が苦手で、問題の解き方がわからないと、それだけで罵倒や暴力を振るわれてきた。
勉強がわからないだけで虐待されるなんておかしいと思いつつ、将来私が子供を育てることになった時、子供が「(私にとって)簡単なことすらできない」と感じた時に、父と同じように怒りに任せて罵倒したり手を出したりしてしまうのではないかと恐れていた。
そこで、子供の気持ちがまだわかる大学生のうちに、教育に携わることで少しでも正しい教育の仕方を知っておきたいと思った。
バイトの中で1番に気を配ったのは、言葉の選び方だ。特に小学生の男子はいたずらをしたり、全然勉強しなかったりする子が多い。そんな子に対しても、怒るのではなく、「周りの子が勉強を頑張っているから、それを妨げるようなことはしてはいけないよ。私と一緒に問題解いてみる?」など、その子のしていることが良くないことだと伝えつつつ、本人の勉強をサポートする意思があることを提示するような声掛けをした。また、問題が解けなかったとしても、必ず褒めるポイントを見つけている。「ここまでの計算は合ってたからあと少しで正解するよ」とか伝えたり、「難しいと思っても頑張って解こうと考えてたのが良かったよ」と伝える。そして。結果よりも過程を褒めるようにしている。
とにかく、父のようにできないことを怒るのではなく、少しでもできたことを褒める方針をとっている。
教育系のバイトを経験することで、少しでも私の伝え方や教育の仕方を上げることができたらと思っていたが、我ながらその成果は得られていると思う。
でも、いざ自分の子供を育てることになったらどうなるかはわからないから、怖い。
私は大学生になってから、私がこれまで受けてきた虐待にしっかり向き合おうと思い、色々と本を読むことに加え、関連する動画を見るようになった。
やっぱり、見るたびに大号泣するし(普段はそんなに泣けるタイプじゃないに)、過去を思い出して辛くなるし、悔しさや怒りが込み上げてくる。
それでも、私はこれからの人生を少しでも明るくするために、過去に向き合って原因を見つけたり、思考の癖を見つけて改善したいと思っている。
https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2019103761SA000/
この回は、加害者である父親が、虐待を振るう心境や、本人の養育環境を語っている。
簡単にいうと、虐待を振るっている時、理性は存在しないらしいし、虐待をすることは「教育」であり「正しいこと」だと信じてやまないらしい。
この父親は、妻から児相に通報されたことで、子どもから離された。
そして、虐待の加害者が集まる「更生プログラム」に参加しているという。
加害者側の心境を知る機会など多くないと思うので、この番組はすごく参考になった。
有料だが、こんな内容の番組他にないと思うので良ければ見てほしい。
私の父も同じ心境だとは断言できないが、普段の生活の時と虐待をしてくる時との豹変ぶりから判断するに、自分が悪いことをしているとは思っておらず、むしろ教育にあたっって正しいことをしていると思っているかもしれないと思うし、理性でもって父親自身の行動止めるなんてこともできないだろうと考えた。
私は父親に、そのが集まる「更生プログラム」して、少しでも自分の行動と言動を反省してほしいと思うが、簡単に言い出せない。
https://www.youtube.com/watch?v=zSCNXWIQ0Js
6分ほどで誰でも見れるので、ぜひ見てほしい。
この動画で1番印象的なのは、女性には子供が2人いるが、虐待をしたことがないことだ。
女性の長女が「よく自分に暴力を振るわなかったな」、「よく自分を止めた」、「私に愛情を注いでくれた」と言っているのをみるたびに、必ず号泣する。
私はずっと、「将来の自分の子供に暴力を振るってしまいそう」と考えていたし、虐待を受けて育った人は、虐待以外の教育方法を知らないのではと思っていたからだ。
でも虐待を受けて育ったとしても、子供にその経験をさせない人がいた、と知れたことで、自分の未来に少し希望が持てた。
また、女性は自分で色々な本を読んだりして自分の感情との向き合い方を探っていて、そこも参考になった。
物心ついた頃から虐待されてきたので、正直殺したいと思ったことは山ほどあった。
キッチンにある包丁を見て、親が寝てる時にこれで殺したら、もう虐待されずに済むのかな、刺すならどの位置が確実なのかな、なんてサイコパスみたいなことはまあまあ考えた。
そんなことを考えるくらい、命の危険を感じることが身体的にも精神的にも多かったと思う。(ゴルフクラブとか、、)
でも、ニュースとか小説とかで少年法を知って、14歳から少年法が適用されて、人を殺したら少年院に入れられると知った。
警察にお世話になるのは時間と人生全体の無駄になるので、14歳の誕生日前日夜に、「絶対に父を(もちろんその他の人も)殺すことを考えるのは辞めよう」と決めた。それからは一度も父を殺したいとは思っていないし考えてもいない。
ただ、なるべく早めに死んでほしいとは正直今でも思う。
父さえいなければ、と思うことが数えきれないほどあるし、これからもそうだと思う。
一度父が大きな病気をしたが、看病になんて1ミリも行きたくなかった。父は物凄く来て欲しがってたらしいが、私は、子供が看病に来ないことに気を病んで寿命が縮まらないかなとか考えてた。(サイコパス?)
でも、父が一定期間家にいなかったあの時期ほど、安心して家にいられた日はない。あと、父と母の海外旅行中。
父の年齢で既に亡くなってる人だっているのになんで父みたいな人が生きているのだろうか。元日の石川の地震も、翌日の海保機の事故も、父より若い人も亡くなってる。
遺産なんて私は1円もいらないので、私たち子供が母に仕送りなどしなくて済むようなお金を残して死んでほしいとか考える。
考えるだけなら罪ではない。
弟も虐待の被害者だが、これは私が書いているブログなので、弟が受けた虐待については書かない。
弟とは、小学生までは喧嘩が絶えない間柄だったが、今ではお互い成長して、喧嘩はほとんどしなくなった。
むしろ、私が父から虐待され始めると止めに入ってくれたり、後で父に対して客観的な態度で「あの発言が良くない」など言ってくれるようになった。結構それに心が救われている。ありがとう。(このブログ知らないけど)
そんな良い感じの関係になってきたので、弟と、父の虐待について話すことが増えてきた。
続きはこちら
小学校まで歩いた道。中学校まで自転車で通った道、高校まで電車通学で通った駅、駅、駅。免許合宿で走った街並み。
友達や親戚が住んでいる地区、岸から岸まで泳いだ海、花火やキリコ祭りを見に行った場所。
大人になってからちゃんと訪れるようになった輪島の朝市、珠洲の見附島、和倉温泉……。
知ってる能登が全部被害を受けていて、通った学校が全部避難所になってるの。
2007年のときも「なんで地元が……」ってなったけど、今回のかダメージ大きいよ。地元が破壊されて喪失してくような感覚。正直きっつい。
今回はたまたま帰省していなくて「不幸中の幸いですね」なんて言われて。不幸に幸いなんてないわい、って思ったけど口に出さずにいる。
地元にいなかったから幸いなの? 親兄弟が生きていたら幸いなの? 全壊じゃなくて半壊なら幸いなの?
元気なのに何もできないのが不幸じゃない? って思いながら、ノイズの多いXで情報収集ばっかしてる。意味あるのかなこれ。
親とは1日に話せたきり、連絡が取れていない。
ネットじゃよく言われているけれど個人的にはその理屈が全く理解出来ないんだよな
だって若い女と中高年の女だったら、若い女の方が明らかに話は聞いてもらえるじゃん…
自分がこう感じるようになったのって最近の話じゃなくてかなり昔から、多分大体小学校2年生くらいからで
女は若ければ若いほど得だと思い知らされるようになった
中学でも高校でも大学でも社会人でも、1年目より2年目、2年目より3年目、
10代より20代、20代より30代、30代より40代、40代より50代と
年を重ねれば重ねるほどに女の扱いは悪くなっていく
その自覚、ぽこぽこ無計画に子ども作っちゃう人らにあるといいですよね
子どもはペットでは無く人間なので、飽きたら捨てる!とか出来ないし、不幸がなければ80年は生きるんだよな
小学校中学年まで乗り切ればみたいな寝言を言っているのもいるけど、
子どもの持つ特性や発達スピードによっては成人後だってサポートが必要だし、
生まれつきの問題がなくても、いつ病や事故に遭うとも限らないのよ
つか、健常者の子であっても、成人後もフツーにメンタルか人手か金銭のフォローが必要で、
必要じゃなくなるのは、フォローしようがない年齢(自分が還暦を越える)になってからなのよね
具体的に指名したい女がいるわけではない。
そもそも、当時憧れていた女の子がいるわけではない。今までずっと好きだった人がいるわけでもない。
とりあえず誰でもいい。
俺は、小中高ずっと日陰者だった。いわゆるクラスの三軍男子。スクールカーストの最下段。
彼女を作るどころじゃない。相手にされたことが無い。見下された存在。
そんな俺でも、もし相手が風俗店で働いているなら、お金を持っていくだけで勝者の側に立てるのだ。
ああ、誰かが風俗店で働いてないかな。誰でもいいとは言ったが、もちろんクラスの中心人物であればあるほどいい。この際、俺にとっての美醜は問わない。あの頃の立場を逆転し、性的に支配することに価値がある。
確率で言えば同級生のうち1~2人は働いていると思う。どうにか探し出す方法はないだろうか。
あるいは、別れさせ屋みたいに、『特定の人物をホスト漬けにして風俗店に売り飛ばさせるエージェント』みたいな闇仕事を請け負ってくれる人いないだろうか。
よく考えたらこれ大して好きじゃねえな、むしろ嫌いかもしれんって気付きが少しずつ増えてる気がする。
食のレンジを広げたくて自分の好き嫌いと向き合ってんのに、新しいものに慣れるより早いペースで実は嫌いだったものが発見されていく。
人参もボーっと食ってたけど、野菜の癖に甘くてキモいしよく考えたら嫌いだ。カレーに浮かんでても彩り以外に存在意義を見いだせない。生の細切りがサラダに入ってても、ドレッシングに合わない。大根でいい。
が元凶かもしれない。柑橘系っぽい印象の見た目から放たれる、ゼリーにあるまじきモソっとした食感に中途半端な甘み。「抹茶味」的な甘さを期待して抹茶を飲んだ時の裏切り感に等しい。
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前置きというか予防線として、私は増田達にはあまり好かれないタイプで、嘆き風自慢話にしか聞こえない可能性は、十分に理解した上で書いている。
ただ、「死にたい!」という理由はなくても、だからといって別に、「生きねば!」という強い理由もないからなぁ~。だったら死んじゃおっかな~。
案外、このくらいの感じで自死を考えちゃう、そんなしょうもないおっさんが実は結構な数いるんじゃないかと、そんな思いで書いてみる。(もし似た人がいたら、少し安心できる気もする)
でもたぶんどうせ、死なない。死ぬ理由もとくにないからな。ふはは。
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18でも20でも30でもないのでなんの節目でもない年齢だが、
35歳(私の中での明確なおじさんの基準)が目前に迫った34歳を迎えるな~、とか、知らないうちに無理やり自分の中で理由をつけていたのか、
この1ヶ月はやたらと人生を振り返ることが多かった気がする。
結果として、これからおじさんとしての人生が50年くらい続くことに対して、希望が持ちづらいと思う日が増えた。
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富豪とまでは言わないまでも、それなりに裕福な家庭で育った。
物心ついた頃から頭が良い子だと言われ続け、足もそれなりに速く、小学校ではごく自然な形で学芸会の演劇の主役をしていたし、生徒会の会長も務めた。
私立中学の受験にも成功した。塾時代の成績はいつも全国模試上位だったから、失敗することなんて考えもしなかった。
部活も学園祭実行委員も最前線で楽しみ、彼女も当然のようにいた。童貞は、附属高に上がる16歳頃には卒業していた。
卒業アルバムを開けば、嫌な記憶はひとつもない輝かしい中高時代が思い出せる。
学校名は伏せるが、所謂、最上位の大学に進学した。最早、まわりも当然だといった様子だった。
バイト、サークル、ゼミ活動。大学生のお手本のような生活を送っていた。
講義をサボりすぎて1年留年したりもしたが、大手広告代理店にすんなりと内定した。
某代理店で、新卒女子が自殺をした頃、広告業界の忙しさが嫌になり転職を経験したが、
次の会社でも大きな挫折を経験することなく、同期の中では出世の早い方だったし、全社表彰されたことも何度かあった。
ある程度の給与をもらえていたので、都内の繁華街近くの1LDKで20代の独身生活を存分に謳歌した。
その時々の彼女を連れては、グルメインフルエンサーが紹介したがるような、洒落たバルやら、ネオ酒場やら、
ミシュランの星がつくような店にも、何か記念日などのイベントがあれば、それほど無理をせず行くことができていた。
フレンチもイタリアンも中華も、職人から手渡しされるような寿司屋も、数えきれないほど行った。「kint〇nとかガキが喜ぶ焼き肉屋だろ」とかイキったりもした。
連休があれば近場の温泉にふらっと出かけた。海外旅行はあまり好きではなかったが、女にねだられれば年に1~2回は連れて行った。
嫌味のような半生を書き連ねてあらためて、本当に、なにひとつ不自由のない人生を歩んできた。と思う。
衣食住はもちろん、三大欲求をそれなりに高いレベルで満たし続けてきた。
____
理由をあげだせばキリがないのだが、一番は子作りについての考えの相違で、要するに私は子供が欲しくなかった。
入籍当初には同意してくれていた元嫁は、すぐに「やっぱりわたし子供が欲しい」と言い始め、口喧嘩が増え、離婚した。
別に島耕作の時代でもないので、離婚が出世に響くとかは考えたことがなかったが、自分でも意外なほどに離婚はしたくないと粘ってみたりもした。
でも、自分の子供が欲しくないという気持ちがどうにも変化する気がしなかったので、結局、離婚した。
(子供が欲しくない詳細理由は割愛するが、ざっくりいうと、絶望と閉塞感のあるこれからの日本に、子を産み落とすことは無責任なように感じる、みたいな理由が主)
俗にいう若手エリートのモデルケースからズレたような気持ちになって、急に仕事に対する熱意がなくなってしまい、
でも少し経ったらそれもなんだかんだ事業も軌道に乗り、リッチとは言えないまでも、今はまた不自由ない独身暮らしを送っている。
お金は、めちゃくちゃな贅沢は出来ないまでも困ってはいないし、莫大な資産を築きたいという野望がなくなった。
思えば、別にエリートを目指して生きていたわけでもないので、また大企業に勤めたいという思いはないし、日本を動かしたいという思いもなく、ステータスへの渇望感は消えた。
夜のお店にたまに顔を出してはお店の女の子と仲良くなったりもするので、セックスもとくに困っていない(今は、かもしれんが)。
10年後くらいにいよいよ老後の孤独を考えたりする頃には、多少気持ちも変わっているかもしれないが、再婚もあまり考えていない。
だから、真面目な出会いは求めていない。もちろん、子供は今も欲しくない。
若い頃からずいぶんと分不相応な美食家を気取っていたが、ある程度の金額で満足できる程度のバカ舌だったのか、赤提灯で十二分な満足が出来てしまうことを知り、必要以上の金をかけて食事をすることに喜びは感じなくなった。
_____
となると、だ。
残すところ短く見積もっても30年、長ければ60年近くの人生が漠然と待ち構えているわけだが、
そこに対して全く、何かを成し遂げたいという欲が起きないんだ。
金を稼いで、良い家/車/服揃えて、良い女を抱きたいとも思わなければ、
将来のこの国のために子孫を残す気もないし、だったらと血が繋がっていない若者を導くような使命感もない。
君たちはどう生きるか、というより、もっと前の段階のところで躓いているわけで、
やべ、とくに生きる理由ってなくね?
老化は避けようもないし着実におじさんになっていくわけで、あれ、人生今より楽しくなることってなくね?って考えるようになった。
生きる理由より、むしろ死んでもええかって理由の方が、よっぽど簡単に見つかることに気づいてしまったわけだわな。
結局のところ、人類なんてものは大いなる生命の螺旋を繋ぐための歯車でしかなく、
子供が欲しくない奴なんていうのは、歯車としては欠陥品ってことなのかもしれん。
冒頭にも書いたけど、どうせ死にはしないと思うんだ。
生きてればそれなりに、本当にそれなりに程度でも、楽しいこともまだあると思うんだよ。
でも、楽しさも幸福も、これまで以上は超えてくる気がしないという謎のおぼろげな展望が、日を追うごとに輪郭がはっきりしてきていて、
その現実からどうしようもなく逃げ出したい。逃げる?あれ、死んだらいいわ?そゆこと?
違うと思う。
キツイのは単に、偏差値が低い人間だけが集まった集団だから、コンプライアンスって何?倫理って何?な人が多くて、地獄化してるだけ。
たとえば女が一切いなくても、あるいは男女同数程度でも、偏差値が低いやつが集まる集団はやっぱりキツイ。現場仕事系とか、一部サービス業とか。
お前ら看護系のヤバさわかってないだろ
いやいやいやいや
増田は公立の看護専門学校と国公立大の看護系学部に教えに行ってるけど、ヤバイよほんとに。
これが低偏差値の世界かあ……ってなるもん。嘘言ってるんだろハイハイって思うかもしれないけど、ガチだからねこれ
たとえばだけど、
・60点満点のテストで取った点数を100点満点に換算できない←国公立大大学の看護学部すらそう
・教員(元看護師)「ウイルス対策としてパソコンで資料を作るときはUSBメモリ上でのみ編集しなさい。本体に移してはいけません」
俺は性差別主義者ってヤバいおっさんとヤバいツイフェミと匿名掲示板住人くらいしか見た事無くて
身の回りの人たちは皆普通に男女交流してるし自分達若い世代は別に性差別とかさほどしてないと思ってたんだけど
某対戦ゲームの配信見てたら大学生くらいの主が女性差別トークして囲いがコメント欄で女叩きしまくってたんだ
「女だからバカ」とか「女は脳味噌ついてないから」とか「股開いてればいいから」みたいなコメントを推定中学~大学生くらいの子達が発信していて
彼らは本当に実在しエコーチェンバーの中で現に生まれ続けているんだと眩暈がした
まさかゲームやりながら男女論で異性を呪うなんてゴミみたいな行為を今の世代がやっているとは思わなかった
しかも彼らは女性を見下しながらも性欲だけはばっちり向けてて好きな女アイドルとかは存在する有様
なんで?なんでお互いが同じ人間だと理解できない…?小学校に女子の友達くらいいただろ…?
そういうのが上にいると下のキッズ共もそれをモデルにインセルミソジニストとして成長していくわけで
実際何人かツイートをのぞいてみたら道端ですれ違う女の容姿はけなすわ行った施設に女が多いから不快だと愚痴るわ世も末だった
なのに女性差別しまくった直後に今日は好きな女子と話せて嬉しかったみたいなツイートが出てきたりもして「差別はするけど俺の好きな○○」は特別みたいなダブスタも平気でやってる事がわかりまあなんだ、うんざりした
信じられない
https://twitter.com/Tempei_Asuka/status/1740680931520995764
自分が小学生の頃にハマったorまわりでブームになったことのある遊びの幅広さを考えると、
子供は最新の遊びしか楽しめないというのはかなり疑問だなあ、この人の適応力が低かっただけでは
というかベーゴマとか折り紙そのものが周囲でプチブームになったこともある
小学校の高学年になった頃だろうか、家族共用のPCに触らせてもらえるようになった。
しかし、見ていいのはyahoo!きっずから行けるページだけだった。
それでゲームのカテゴリからいろんなページに行ってみたけれど、どれもルールが難しくていまいちハマらなかった。
ただ、あるゲームに併設されていたチャットルームだけは同年代の子どもが多くて楽しく、あっという間にハマってしまった。
そのルームにいるのは小中学生が7割、残りは高校生と大学生と社会人が1割ずつぐらいだったと思う。
私は毎日のようにログインし、「こん」「何歳?」「アニメなにみてる」「私もそれすき」と一生懸命キーを打って会話を楽しんだ。
結構にぎわっているところだったので曜日や時間帯によってもメンツが違い、常に新しい出会いがあるのが嬉しかった。
そんな中、いつ行っても同じ名前を見かけることに気がついた。
近い音で表現すると、そのメンバーは「もちとろん」のような名前だったと思う。
彼は他の小中学生のように誰かと会話することはなく、時々思い出したように「もちもち……ぺたん」「ころころ……もち」のように擬音だけを投稿していた。
それで興味を惹かれた子どもが話しかけると「もちとろんは◯◯だよ」のように答え、答えられない質問には「もちもち……」と擬音でごまかして会話を終わらせた。
[※追記 botではなかったと思う。というのも、彼は相手によって話す内容を変えたり、以前に話した内容を覚えていたり、直近の会話に反応して転がり方のバリエーションを変えたりしていたからだ。何より、生身の人間の気配がそこにはあった]
幼かった私はそれを見て、「なんかかわいい生き物がいる!!」と思った。
それからの日々、私はもちとろんを見つけては果敢に話しかけに行った。
「男なの?女なの?」と聞いたら「もちとろんは男でも女でもないよ、ころころ」と言われた。でも、なんとなく男のひとなんだろうなぁという気がした。
「もちとろんはいくつなの?」とも聞いた。そうしたら、「りんごちゃんよりはずっと大人だよ」と返ってきた。
「おしごとは何をしているの?」と聞いたら「ころころ……ぺたん」としか返ってこなかった。
私はもちとろんをとても気に入った。
それで、少しでももちとろんと長く話していたくて擬音にもいちいち返事をするようになった。
たとえば、「ころころぺたん」と言われたら「もちとろんは丸いんだね」「丸いからころがっちゃうんだね」、「もちもちころん」と言われたら「もちとろんは柔らかいんだね」「もちもち」のように毎度律儀に返していた。
他の子どもがもちとろんに話しかけた時には、自分の方がもちとろんに詳しいことをアピールしたくて「あのね、もちとろんは男でも女でもないんだよ!」と先回りして答えたりもしていた。
そんなもちとろんとの蜜月だったが、中学に入った頃に部活や塾で家に帰るのが遅くなり、チャットルームから自然に足が遠のいたことで終わりを迎えた。
高校に入ればYahoo!きっずのページに入り浸っていたことすらも忘れ、そのまま大学を出るまでほとんど思い出すこともなかった。
けれど社会人になってから、ふと「あのページは今もまだあるだろうか」と気になった。
そうして、私は再びYahoo!きっずからあのチャットルームを訪れた。
チャットルームにはほとんどアップデートがかかっておらず、自分がいた時と同じ背景、同じ文字の色のままで当時とは違う小中学生たちが会話していた。
いい大人が子どもたちのチャットルームに入ってしまった後ろめたさから私はROMに徹することにして、しばらくの間ルームの動向を見守った。
そうしてある程度の懐かしさを消化して満足したあと、私はふと子どもたちの会話の間にひどく懐かしい文字列を見つけたのだった。
「ころころ…………ぺたん」
発言者は「もちとろん」だった。
思わず「もちとろん、久しぶり!」まで打って、送信ボタンの直前で手が止まった。
このままもちとろんと会話したら彼が10年以上このチャットルームにいることを他の子どもたちが知ってしまう。彼らはそれをどう思うだろう。
そして、私が小学生だった頃に「ずっと大人」だったもちとろんは今年何歳になったのだろう。それを彼に自覚させるのもなんだか気が引けた。
子どものときには見えていて、大人になると見えなくなる妖精というのがいる。
けれど、彼は大人になると見えすぎてしまう妖精だったのだと思う。
私にとって25日はクリスマスなわけですが、一日家にいたので、散歩がてらBOOTHのコンビニ決済のためコンビニに行ったわけです。
んで、その帰り。高架下にいかにも話しかけたらやばそうなおっさん。コンビニ袋にマクドの袋。ヒッピーか?っちゅうごちゃごちゃした恰好というかまあヒッピー的な生き方しとるんやと思うんやけど、とりあえずおっさんがいた。
「おい、おい、今何時や26日かなあおい」とかなんとか言われて、仕方なく、まだ9時やでおっさん言うたら、「おおそうかほんじゃあ時計が待ちごうとるな、ああ、ああ、いやちゃうわ。違う国のやつ見とったわなんかいろんな国のやつついとんねんこの時計」
「ようけ買っとんのにクリスマス過ぎてたら大変やないですか」
あかん。話通じひん。通じひんというよりはガシャンガシャンと話が切り変わる。次から次に話題を渡される。
家の話から町の大学の話をして気づくと小学校のころ顕微鏡で精子を見た話になった。
何が悲しくておっさんとホワイトクリスマスやねん。自分の赤血球見たことしかないわこっちは。
後ろに歩いてる二人組はたぶんただのカップルでストーカーやない、落ち着けおっさん。
「(ストーカーおるから)ちょっと静かに行きましょ」いうたらちょっと静かになった。
これでおっさん気分悪した瞬間刺してでもしてきたら俺終わりやがな。あほくさい。
んじゃあ、僕こっちなんで、ほなさいなら。
ところで、冬の夜にふと、遠くで走る電車とか、近くの国道を走り回るバイクとか、そういう音に気付けて目を閉じる瞬間があるじゃないですか。
町田駅での昇格記念パレード。ほんとうに感動した。町田市民であることをこんなに誇らしく思ったことはない。
来季はJ1。すでに大型補強が決まっていてビッグクラブの予感すらある。
フロンターレ、ベルディ、ベルマーレとの神奈川ダービーも楽しみ。
2023年4月1日から神奈中バスの小児料金が一律50円に。子ども用のパスモを利用すれば、小学生はどこまでのっても一律50円になった。地味なニュースなんだけど、町田市民によってはすごいことなんよ。町田の山奥の団地に住んでる小学生は世界が団地だけなんだよね。団地に住んで、団地の小学校に通って、団地の商店街で買い物、団地の公園であそぶ生活。それが一気に広がるんよ。小学生の目から見ると、町田の駅前とか、ほとんど東京と同じだから。ハンズあるし、ヨドバシカメラあるし、有隣堂あるし。
ニュースで熊が増えているとは聞いていたけど、住んでいる市に熊が出るとはおもわなかった。町田が熊の支配下になる日が近づいているということだな。熊鈴買わなきゃ。
連日、超有名お笑い芸人さんの8年前の性加害疑惑の話題を目にする。
真偽については現状定かでないためお笑い芸人さんにも被害者とされている方々にも肩入れする気はないし、正直自分とは無関係のことなので当事者同士で納得のいく結末になればいいね、悪いことをした人がいるならそれ相応の罰が下るべきだね、とそれくらいの気持ち。
ただ、旧ジャニーズの時も今回も「●年も前の話をなぜ今になって」という第三者の声が聞こえる。
それについて思うところがあって、でもそれを友達や家族には話せないので、この日記を書くことにする。
私は、30歳をとうに超えた独身女。
そんな中、私はいまだに独身で、結婚願望もあんまりない。というか、自分には結婚は無理だと思ってる。
いや、「性被害」なんて大仰に言うべきではない。
レイプされたわけではない、なんなら、身体を触られたわけでもない。
小学校4年生だった私は、当時同じマンションに住んでいた高校生のお兄さんに非常階段に連れ込まれ、四つん這いになってお兄さんにお尻を向けるように命じられた。お兄さんは私のワンピースを捲り上げた。私は怖くなってその場から走って逃げた。文章にすると、それだけ。
たったそれだけのことを、いまだに私は、家族にも友達にも誰にも言えずにいる。
大人になったいま、カウンセリングに行ってみようかなと思うこともある。
勇気というか、なんだろう、なぜかわからないけどいざ言葉にしようとすると、何も言えなくなる気がする。
他人からすれば「たったそれだけのこと」だし「なんで今更?」と思うようなこと。
なんでたったそれだけのことを引きずってるの?なんで今更そんな話するの?って。
だからずっと、誰にも言えなかった。
だけど、「たったそれだけのこと」を、私は今でも昨日のことのように思い出す。
あの日着ていたワンピースが何色でどんなデザインだったか、膝をついたコンクリートの冷たさや駆け降りた階段の情景まで鮮明に。
いいなと思って付き合った人も何人かいた。
だけど性行為を想像すると途端に嫌になって、せっかく想いが通じ合って交際が始まっても、すぐに自分から別れを切り出してしまう。
最初はなんでなのか自分でもよく分からなかった。付き合う前はあんなに好きだったのにどうして?って。
だけどある時「男の人に性欲を向けられることがたまらなく怖い」のだと気づいた。
20年以上も前のことなのに。高校生のお兄さんにスカートを捲られただけなのに。
30年以上生きてきて、今更ようやく、こんな匿名日記で初めてやっと話せた。
そういう人もいる。
あの時の高校生のお兄さんは、あの日以降も同じマンションに住んでいたはずだけど、一度も顔を合わせていない。
私はもう関係のない場所に住んでいるし、実家も違う場所にある。
きっと私がいまだにあの時のことを思い出して苦しくなっているなんて、あのお兄さんは思いもしないだろう。
それどころか、私のことなど、私にしたことなど、とっくの昔にすっかり忘れてしまっているだろう。
だけど私は、きっとこれから先も忘れられない。
「●年も前の話」なんて、当事者以外が簡単に言ってはいけないと思う。
そう言えるのはきっと本人だけだし、本当に苦しんできた人はきっと誰より「●年も前の話なのにこんなこと今更言うべきなのだろうか」と散々自問自答した挙句、ようやく言えたのかもしれないから。
字が汚いから綺麗になりたい
昔からずっと字が汚かった。
汚い部類としては小さすぎたりミミズではなくバランスがおかしいタイプ。一文字のバランスや全体としてのバランスがおかしい。
小学校の頃、名前書いてないプリントに対して、これ誰の~?字的に多分男の子だと思うけど。と先生に言われたプリントが自分のだった。
それがショックで近所の習字教室に通わせてもらい硬筆毛筆を習った。
前よりは良くなったが日本語をあまり書けなかった帰国子女の友人に段位?を抜かされたし、学校の書き初め?で学校の代表の1人になった。
高校に入ってからは男女共に多少癖があっても字が綺麗な人が多く、真面目な文を書く時はその癖も消えてきれいな字だった。そしてみんな習字も習ったことがないと。
高校の友人から私の書く字はギャル字になろうとしてなれなかった文字と評されていた。別の友人からはアルファベットは普通なのになんで日本語書くの下手くそなの?とも言われた。
大人になって字を書く機会が減ってほっとしていたが、最近友人同士での誕生日に手紙を書いたり、お土産にメッセージカードを付けるようになった。
だから最近オンラインのペン習字や近くの書道教室を探しているが、鉛筆で綺麗に書けないのにペンで綺麗にかけるようになるのか?筆から練習するのは遠回り過ぎないか?等考えてしまって結局何もできていない。
ちなみに母は一文字のバランスはぱっと見ると綺麗だけどよく見ると汚くて全体としてのバランスが悪く、父親は頭の回転に手がついていかないタイプで文字を書かせるとミミズで読めた試しがない。
小学校の時の同学年にロクでも無いやつがいた。もう終わりだよ猫の国。
私はそいつにふざけて体当たりされ、車が走る道路に飛び出したことがある。幸い車が通る前になんとか歩道に逃げたけど。
嫌だったけど1回ぐらいは行った方がいいよなと思い、しぶしぶ行った
同窓会には沢山の人が来ていた、もちろんやつも
やつは色んな人に過去のことを話していた。万引きやら下着泥棒やらまあとにかくやっていたらさい。でも今は会社の幹部やってるらしく、結婚もしてるそうで、興味もないので俺は「へー」ぐらいの感じでてきとーに聞いていた。
ところがやつは唐突に「お前に謝りたいことがある」と俺に近づいてきた
やつ曰く、あの時ふざけて車道に押し出したことはずっと悪いと思ってたから謝りたかったらしい
途端、凄まじい吐き気と過去のフラッシュバックで胃痛がした。その奴の顔を見ているだけでぶっ倒れそうだった
だから俺は急に用事が出来たと言ってその同窓会から逃げた、ここにいてはいけないと