はてなキーワード: 天賦の才とは
今のところこんな感じ
毎フレーム計算された値が加算されていく。正の値なら良い状況、負の値なら悪い状況。
初期値は0。
計算を開始すべき時期については諸説あると思うけど、受精したタイミングから測るのが妥当か。
天賦の才。親から受け継いだ遺伝的特性。文学的才能や数学的才能、身体的なものまで含む。
親が後天的に獲得した特性や、資金面での優位性、親族関係、幼少期を過ごす地域の風土や近隣住人などなど。
生まれ持った社会的なハンディキャップとなり得る身体的な特性、または事故による負傷や病気とその後遺症など。
自分がその時に何を選択したか。-1~1の範囲の値で、1が現状に対する最良の選択をした場合、-1が最悪の選択をした場合。
人には向き不向きがある。それは自然なことである。本来ユニコーンの角のように鋭敏で尖っているものが、計るものさしの向きによっては短所にもなりうる。周りはその角をしきりに気にするのである。そこに優劣をつけて、優れたものを崇め奉り、劣ったものを見下し、屈辱を与え、尊厳を剥奪する。私こそ、その力学の中で最ももがき苦しんだ人間の一人であろう。私は才能、誰をも圧倒し凌駕するほどの、人類で一番というほどの天賦の才がなかったこと、ただその一点によって人であることを剥奪された。人は「それでも君は優秀ではないか」と鈍感なことを言うが、人類の分布の先端を目の当たりにしてしまった人間にとっては何もかも慰めにもならないのである。私は自分の無能を呪い尽くした。集団に不適応を催しているのなら、「天才」でなければ存在価値を認めない。そういった一元的専門能力主義に毒され、歪みきった価値観が「上位」の集団では蔓延しているのである。周囲は私にそのことによってのみ侮蔑的態度をとる。私の角をことあるごとにあざ笑う。屈辱の極みだった。腹も立った。しかし、それはあらゆる評価に裏打ちされた客観的事実に思われ、自分よりも明らかに優れている人間が繰り出してくる蔑みには抗えなかった。何よりも私自身が、この醜悪な能力主義を内面化してしまったようなのだ。苦しかった。自分が価値のないものに思えた。どんなに上り詰めても頂点に君臨するものに畏怖し、怯え、下から追われることにも怯え、自分が何もできはしないちっぽけな存在に思われた。数学ができれば生きている価値があるのだろうか?特別な才能がなければ、平凡であれば生きている価値がないのだろうか? しかしながら残酷なことに人の興味は優れ卓越したものに向くのである。私は私を肯定できない。
・アイドルにレッスンを受けさせるのは、少なからずショービズとして成立する興業を行う為
・逆に言うとレッスンが必要なアイドルは、ショービズには出しづらい
・つまり、最初から天賦の才を持つ安室奈美恵のようなアイドルか、「レッスン費用を無尽蔵に支払える人」のみしかアイドルになれない
・あるいはアイドルとして登録? した際に「年間レッスン料」みたいな形でローンを組ませるやり方もできるのかもしれないが、それはいわゆる専門学校と変わらない
・そのアイドル学校方式で立てたアイドルグループは、経営者側として考えた場合には特にアイドルとして何か仕事を行わせなくても授業料を徴収できているので、アイドルをアイドルにする動機は薄い
みたいなところだと思うんやけど、どないやろ。
なぜここまで苦しいのかと思えば、もしかして昨日の出来事が生まれて初めて経験した、「大好きなことを利用されて揚げ足を取られる」経験だったからかもしれない。
ここまで人生20余年、親の環境作りが良かったのか自分にそういう天賦の才があったのかは知らないが、周囲の自分よりも年長の人物は皆、私が「大好きなこと」に対しては常に応援してくれる立場を取ってくれた。
親族だけではない。部活、趣味、学校。関わった大人の尽くは、何故かそうだった。大嫌いだった部活の顧問でさえ、試合で勝ちあがれば応援してくれた。今まで出会った大人は常に私の大好きなことを大なり小なり応援してくれた。
しかし今日、多分生まれて初めて、「大好きなこと」が原因で揚げ足を取られた。さらにまずい事に、その「大好きなこと」が続けられなくなりつつある。
今まで本当にそういう大人には出会ってこなかったからこそ、その衝撃が計り知れない。大人は味方。例え後輩や同級生に敵がいても、大人は味方。自分の気持ちを真摯に伝えれば、応えてくれる。それが私の常識だった。
しかし昨日、崩れた。一度崩れれば後は容易い。今まで味方だと思っていた人たちさえ敵に見える。
人を敵視するのは正直苦手だ。だが敵視しなければ生きていけない年代に自分も入ってきたということだろう。
こんな世の中なら、いっそ世捨て人にでもなった方がマシではなかろうか。
この漢文はマジものではなく、うちの息子が書いたものです。悪しからず。
鹿聞之輒怒啼。以為「甚矣、吾見辱也。吾且不勝怒。」
北国翁聖誕者、食鹿、愛鹿、能解鹿之意也。
聖偶知之。則諫曰「方昏時、我将召鹿。焉可啼哉。」
鹿聞之大喜、乃笑曰「聖及其使者也、器之。不亦説乎。」
(聖誕列伝)
北国に馴鹿あり。其の鼻の赤きこと猶日の然ゆるがごとし。然れども人これを見るに異能なき者におぼえ、又しばしばこれを笑う。
鹿これを聞きて輒(すなわ)ち怒り啼く。おもえらく「甚だしきかな、吾が辱めを見るや。吾まさに怒りに耐えざらんとす」と。
北国の翁・聖誕(サンタ)は、鹿を養い、鹿を愛し、よく鹿の意を解するなり。
聖たまたまこれを知る。則ち諫めて曰く「昏なる時にあたりて、我まさに鹿を召さんとす。いずくんぞ啼くべけんや」と。
鹿これを聞きて大いに喜び、乃ち笑いて曰く「聖の其の者を使うに及びてや、これを器にす。また喜ばしからずや」と。
北国にトナカイ(馴鹿)がいた。その鼻はちょうど日が燃えるように赤かった。しかし、人々はこれを天賦の才と思わず、笑って小馬鹿にしていた。
この度ごとにトナカイは怒り、泣いていた。(トナカイが)思うことには「あまりにもひどすぎるなぁ…この仕打ちは。もう怒りに耐えられない。」
北国のおじいさんであるサンタはトナカイをやしない、愛し、気持ちをよく理解していた。サンタはたまたま、このこと(トナカイと周りのものとの軋轢)を知った。
そこで、諫めて「暗いときには、お前を呼んで(その赤い鼻をうまく使って)あげよう。どうして泣くのか、いや泣かなくてよい。」と言った。
トナカイはこれを聞いて大いに喜んで、「サンタのおじさんは動物や人(者)を使うときにその性質や能力を考えている。(このような人に理解されるのは)なんと喜ばしいことだろうか」と笑って言った。
結婚に絶望したおっさんどもは人生を諦める前に海外に目を向けるのも良いと思う。特にベトナムをおすすめする。中国嫁日記のようなくたびれたおっさんが若い女の子と結婚するという話はベトナムのほうが起こりやすいと思う。自分も日本ではカースト下層のチビデブだが10歳以上若い女の子を捕まえることができた。なぜベトナムが良いか説明してみよう。
もちろん全てが良いことばかりではないがそれは自分の目で確かめてくれ。
なお、ベトナムの男は総じて無責任で嘘つき、ヒモ体質だから日本人女子はベトナム男と結婚などは考えてはいけない(そんな奴はめったにいないと思うけど)。
と、わたし(筆者)は思う。腐女子こそ夢小説を書くべき論とかを読んで、うだうだ考えたことと提案。
わたしの夢傾向のせいで、おおむね夢小説のことになるけれど、ある程度夢創作全体に通じると思っている。そして、だれにも押しつけるつもりはない。
女。
夢創作愛好歴はおよそ10年で、ブランクはない。「灰男」からとでも言えば、わかる人にはわかるだろう。
よく読む(積極的に探す)のは好きな原作の二次創作の夢小説。でも、おもしろいと思えば、なんでも読む。主人公の個性がマシマシだろうがナシナシだろうが、性別が同性だろうが異性だろうが、恋愛があろうがなかろうが、その相手が主人公と異性だろうが同性だろうが、ヒトであろうがなかろうが、ものだろうがなんだろうが、おもしろければ読む。じゃあ、どんな夢小説がおもしろいのかとかいう話しにはキリがないので、割愛させてもらう。
「よく読む」と表現はしたけれど、書きもする。むしろ書くのがメイン。
で、わたしには一つ譲れないところがあって、自己投影する。作者がどういう意図をもって主人公を設定したか知らないけれど、その夢小説を読んでいるとき、その主人公は、わたし自身だ。
自己投影とは - 日本語表現辞典 Weblio辞書にはこう書いてある。
(2)目にした状況や呈示された刺激などを理解したり解釈したりする際に、その時の自分の心理状態や人格特性などが反映されること。「自己投影」は俗に、フィクション内のキャラクターなどを自分と同一視し、キャラクターを自分に重ねることを指して用いられることもある。
そのうち後者(フィクション内のキャラクターなどを自分と同一視し、キャラクターを自分に重ねること)が、夢小説における自己投影だと思う。少なくともわたしにとってはそうだ。
「わたしの夢傾向」を読めばわかるだろうけど、主人公自体にこだわりがあるわけではない。わたしは、おもしろければ読む。かれ(かのじょ)が、生き残った魔法使いだろうが、高校生探偵だろうが、半妖だろうが、天使の生まれ変わりだろうが、悪魔に呪われたエクソシストだろうが、マフィアの十代目だろうが、自分自身の子どもだろうが、あらゆる天賦の才能を無効化する天才だろうが、宇宙人に侵略された地球でなんでも屋を営んでいようが、超次元サッカーを嗜んでいようが、メロンパンが好きな紅蓮の異能者だろうが、宇宙に適応した新人類だろうが、幻のシックスマンだろうが、個性を掴みとった無個性だろうが、異世界の侵略から地球を守っている戦士だろうが、壁の中の人類を追い詰める巨人だろうが、六つ子の六分の一だろうが、あるいはCV田村ゆかりでも、桃色の髪でも、透明な肌でも、眼鏡でも、ショートヘアでも、オッドアイでも、幼稚園児でも、おばあちゃんでも、壁でも、掃除機でも、薄汚い中年でも、ノンケでもレズビアンでもゲイでも、もうなんでもかんでも、それはわたしだ。夢小説を読んでいるとき、わたしはその突拍子もなくかけ離れた、ありえない、あるいはありきたりの、場合によっては自分そっくりの、そのものになる。
ところで、これがだれしもに当てはまるとは、思っていない。自己投影にはレベルがあると、わたしは考えている。レベルと表現したからには高低があるが、そこに優劣を見ているわけでないことは言っておく。
ガバガバ。とくにレベル2と3。レベル0と1と4については、説明は不要だと思う。
「無個性」について。文字どおり「個性」が「無」いことだ。その個性について、個性とは - Wiktionary日本語版(日本語カテゴリ) Weblio辞書には、以下のように書いてある。
ある個人を特徴づけている性質・性格。その人固有の特性。パーソナリティー。 「強烈な-をもった作品」 「 -を発揮する」
夢小説においては、主人公に「(自分と)同じ性別」「同じ種(つまりヒトである)」だけが設定されていることだと思う。それに加えて「同じ性愛の向き(同性愛か異性愛か)」「同じ好きなひと(主人公とのかけ算の相手)」が設定されていることもあるだろう。その程度だ。ここまでが、レベル2の「無個性」の範囲だと思う。
レベル3の「ある程度の個性」は、単純なものではない。ここでは「なんでもかんでもは無理」としか説明できないことだと思う。レベル2の無個性に少しだけなら、いやいやヒトならいいよ、擬人化された人外なら、異性でも同性愛者ならいいよ、有機物ならいいよ、基本はヒトがいいけど単眼ならいいよ……などといった具合に。
で、「自己投影」についていろいろ言ったばかりだけど、ぶっちゃけ自己投影しなくてもいい。読み方は自由だ。
二次創作に関して言えば「オリ二次」の一つとして読む人もいるだろう。実際、夢小説の主人公は、原作に存在しない「オリジナルキャラクター」といえることが多い。
二次創作的なものにばかり言及することになるが、原作に明記されていないことを、「こうに違いない」「こうだといいな」と考えたり、あるいは原作の設定を無視して「こうさせてみた」としたりすることがあると思う。あれも、ある種の読み方といえると思う。わたしも二次創作夢小説を、そういう原作の読み方から書いている。こんな(夢小説の)主人公がいたら、原作のあのキャラクターはああするだろう、こうしたらあそこはああなって……とか。
どれもこれも読み方だ。わたしたちはおそらく考えながら読んでいる。そして、考えることは自由だ。だから、どう読むかも、また自由だ。
わたしは、よく二次創作夢小説を書く。そして、この日記でいう自己投影レベルは4で、読者としては主人公に自己投影する。
当然(ではないかもしれないけれど)、わたしの書く夢小説には、わたしの嗜好が大きく表れる。「おもしろさ」の基準を満たそうとするだろうし、自分の書くものだから、ある程度は満たしていると思う。で、嗜好が大きく表れるので、主人公は異性愛者の女性かもしれないけれど、おばあちゃんかもしれないし、ゲイかもしれない。ヒトとも限らない。ボールに入るモンスターかもしれないし、壁の外の巨人かもしれないし、魔神族の王かもしれないし、好きなCPが愛を営むベッドのシーツかもしれないし、だれそれがだれそれをドンする壁かもしれない。
でまあ、書くのも自由だ。ある程度は。書くということは表現で、表現することは、ある程度は自由だ(公共の福祉に反しないかぎりとか、憲法かなにかで言っていたと思う)。二次創作について言うと、著作権どうこうの話しになってしまって、これまたキリのない話しで、わたしには専門的な知識がないので割愛させてもらう。今のところ「非親告罪なので原作者が罪をつきつけないかぎりOK」というスタンスで、つまり原作側になんやかんや言われたら速やかに従いますよってくらい。しか言えない。これはマジで。
ここには夢小説に通じる内容があるよねってやつ。だと思ってる。
大阪の国際的なスタジオのテーマパークの、魔法使いになれるところ。原作、大好きです。原作の主人公が通う学校の生徒になれたらな、入学許可証がきたらなって思った。そして、なんと、大阪のその遊園地に行けば、杖が買えるという(行きたい! 買いたい!)。わたし今()に気持ちを書いたし、魔法使いになれたらなとも思った。んでもって、わりと世のなかには、あの小説や映画や、あるいは遊園地で、わたしと同じようなことを考えたひとがいるんじゃないかと思う。遊園地では魔法使いになった気持ちを味わったひともいると思う。
次いこう。実は東京にはない夢の国。あそこで(遊んでいる間だけでも)夢の国の民だったひとも、やっぱりいると思う。あそこのキャスト(スタッフ)の神対応が、たびたび話題になっているから。
というかだね、幼いころに、日曜朝のヒーローになりたい、ヒーローに守られたい、あるいは戦うヒロインになりたい、楽器から魔法の道具を生み出したいとかって、考えたひとも、やっぱりいると思う。「あんなこといいな できたらいいな あんなこと こんなこと いっぱい あるけど」(だっけ?)とか、二十ウン世紀からきたロボットに会いたいとか。
ボールでモンスターを捕まえるゲームが、リアルマップに対応したよね。わたしたちはスマートフォンさえ持っていれば、GOした先で、疑似的ではあるけれど、まるで本当のトレーナーのように、モンスターをゲットできるようになった。
こういうのは夢小説に通じる考え方だ。二次創作の話しになるけれど、先述の「オリ二次」にも、同様に夢小説に通じるものがあると言える。あのCPの営みを空気になって見ていたいとかもだね。そして、それが形になったものを見たとき、そこに「夢小説」のラベルがなければ、「実質夢小説」として見る。
商業の小説にも、「わたし」視点の、あるいは明らかに作者(のペンネーム)と同じ名前の主人公がいたりする。(それだけとは限らないけれど)そういうところから夢小説のにおいをかぎとったとき、やっぱり実質夢小説として見る。
書いてるうちにだんだんと疲れてきて、かなり文章が雑に、より滅茶苦茶になってきていることを、わたしは自覚している。本当に。
それを夢小説かどうか決めるのは作者だ。言いたいのは、これだけだ。題名にもしたけれど。
夢小説っていうのは、すごくガバガバだと思う。自己投影したりしなかったり、名前を変換したりしなかったり。夢小説は、ある種の表現技法で、考え方だと思う。そこには、かなり「主観」の要素がある。
まず、作者が、それを「夢小説」にする。ここには作者の嗜好が、存分に表れていたりいなかったりする。それが発信されると、だれかの目にとまることがある。このだれかが「読者」だ。この読者にも嗜好があって、もしかしたら、かれ(かのじょ)はそれを「夢小説」と思えなかったかもしれない(これのどこが夢小説だ! オリ二次でやってろ! モブ創作でやってろ! 云々)。そのときは、そう思うにとどめて、「これはわたしには合わなかった」「このひとの作品は読まないようにしよう」などと、読者が避ければよいだけの話しだと思う。読者が「おまえのは夢小説じゃないから夢小説のラベルを剥がせ」などと作者に強要することではないと思う。一人の作者として、わたしは、そう強要されるのは嫌だ。読者に読者の「夢小説」観があるように、作者にも作者の「夢小説」観がある。
これは、なにも「夢小説」だけの特別なことではなくて、いろいろなことに言えると思う。わたしは、実質夢小説だと思いながら、言いながら、けれどそこから「実質」を剥がしはしない。つまり、強要はしないし、直接作者に提案することも、しない。わたしは、されたら嫌だから。考えてもみようよ。男二人の友情を、あるいは女二人の友情を、はたまた男女の友情を書いていたのに、「これ恋愛(BL)(GL)ですよね。友情ものを名のるのやめてくれません?」なんて言われたら、どんな気持ちになる?
とくに、「わたしが不快だから(夢小説の)ラベルを剥がせ」とかいう強要(提案)はやめたほうがよい。これにはキリがない。万人に受け入れられるものは、ない。Twitterにロバの絵の四つの比較みたいなのがあったと思うんだけど、まあ、あんな感じで。不快だから剥がせという強要がまかり通るようになってしまうと、気づいたときには、あなた独りだけが夢小説を書いている……なんてことになりかねない。
つかれた。
2014年の映画で、一言でいえば音楽院でドラマーを目指す青年ニーマンとそこの鬼教師フレッチャーとのガチバトル?
愛読しているブログで考察記事があり心惹かれたので、さっそくレンタル。
朴訥な青年が鬼教師の傍若無人なふるまいを受ける中で狂気じみてくるのがたまらないですね。
血だらけで笑いながらドラム叩くシーンあるんですよ。おっかないけど、狂うほど突き詰める人間の姿そのものってもはや芸術的。
個人的には、フェスの舞台で恥をかかされたニーマンが、父親から抱擁の後、舞台に舞い戻ってフレッチャーの舞台を乗っ取る展開が印象深いです。
ここ、ニーマンが父親の愛情に浸るより、フレッチャーに自分のドラムを見せつけることを選択したシーンだと感じます。
彼はドラムを評価しない父より、たとえ鬼でもドラマーとして自分を見るフレッチャーの評価がほしかったのかもしれません。
ブログの考察記事ではニーマンの承認欲求とその達成のための手段としての彼のドラムに触れていて、興味深く読ませていただきました。
最初、ニーマンは普通のドラマーでした。しかし、フレッチャーとの関わりが進むにつれ、ドラムへのめりこんでいきます。
ただ、ここでのドラムへの執着は、ドラムという音楽そのものよりフレッチャーの評価に向けられたものです。
この点に、彼にとってのドラムが承認欲求を満たす手段であると表れているのかと。
ニーマンはフレッチャーからの承認を乞い続け、最終的にはブチ切れて憎悪が爆発する。そこまで至った彼の演奏が、フレッチャーを感服させるというね。
なんというか、愛憎劇ですね。
それを集中して向けたフレッチャーの行いによって、さらにそれが育ち、ついに狂気へ変わる。
狂気に走ることで芸術が完成される図式は映画『ブラック・スワン』と通じるものがあるように思います。
承認欲求って一般的にめんどくさいもの扱いされますが、あそこまで昇華させると薬、というか劇薬ですね。
ニーマンはドラマーとして天才だったかわかりませんが、それほどの承認欲求の種を持っていたこと自体が天賦の才だったかもしれません。
このブログが、人気だ。
「「京大出て専業主婦なんてもったいない」と言う人は、じゃあわたしが何をすれば許してくれるのか」
http://seramayo.hatenablog.com/entry/2016/05/23/121352
京大を出たが、就職したり、研究者になったりせず、専業主婦になったことに対して、他の人からその行為を「もったいない」と言われたという話だ。
http://anond.hatelabo.jp/20160524012315
一方で、高等教育もコストが掛かるんだよという意見をいう人も居る。
http://anond.hatelabo.jp/20160524045830
それは、「天賦の才能は神から与えられたもので、返す必要がある」という指摘だ。
これはもしかしたら、上のブログでもったいないと言ったという話に繋がるかもしれない。
東大京大に入る程の頭脳は神から与えられた天賦の才能だ。天賦の才能を持つ人は社会にその才能を還元する義務があるのではないかと考えている。例えば、プロスポーツ選手は単に試合をするだけではなく子供にスポーツを教えたりする。それは単に人気取りの為だけではなく、彼らが与えられた天賦の運動能力を社会に還元させるという目的もある。
ハテブの中にノブレス・オブリージュの話が出ていたが、優れた能力を持つものは、より多く社会に貢献すべしという主張に通じるのかも知れない。
京大を出て専業主婦をする人のエントリーに関して感じる違和感は、「天賦の才能」に対する意識の欠如だ。彼女の頭脳は彼女の努力の賜物ではあるが同時に、神から与えられたものでもある。その意識が低いように感じる。
研究者になったり企業人にならず、専業主婦を選ぶことも立派な人生だ。それでも、自分が「天賦の才能」を与えられていることを時々は思い出して、例えば自分の子供だけでなく、貧困層の家庭の子供に勉強を教えるとか、恵まれない人にも何かを教えるとか、与えられた才能を活かす方法を考えてみてほしいな。
ちなみに私は、ソフト開発に天賦の才があったようで、良いソフトウェアが書ける。
だから私は仕事としてのソフトウェア開発だけじゃなくて、休日にgithubにソースコードを上げたり、qiitaにコードを書いて検証した結果を上げたりしている。
自分に優れた能力があると思っているのなら、その能力を自分一人に独占するんじゃなくて、他人や社会に還元する方法を考えてみてはどうだろう。
※読みにくい、長い(そのため最後が切れてる)という指摘もいただいたので手直しします。
※長いのは元のnobiのが冗長なんですが、いらんところをバッサリきると、意図的とかも言われかねず。
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長く書けるとこもないし、パブリックは増田にするということで、
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引用三行略
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平日業務日の大事な時間、つつもいつも記者会見に遅刻してやってくるジャーナリストに奪われる、
他の報道関係者やアテンドする人の貴重な時間を連日削り取ってるのが貴方です。そんなあなたの大事な土曜日の時間を凌駕するほど、
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お察しかもしれませんが、この投稿が共有されている人は「矢作晃」とある程度、交流がある方々です。※個人名落としました
【1.どう接するべきか(林案)】
子供を育てたことがある人ならわかると思いますが、ダダをこねる赤ん坊にいい顔をしてしまうと、子供のダダはひどくなるばかりです。おそらく最良の方法は無視する、あるいはちゃんと向き合って接する場合には「気をそらす」だと思います。
心をわずらっている彼が、最近、再び暴れているという知らせを何人かから受けて、彼のツイートやらFacebookの投稿、そこでのコメントのやりとりなどを観察しました(ブロックしているけれど、ブラウザのプライベートモードを使うとパブリックな投稿は読めるようです。まあ、そりゃ当然か...)。
自分の不幸のアピールは彼の天賦の才能なので、それを見て「かわいそう」、「何か言ってあげなきゃ」と思う同情心の気持ちはわかります。
でも、彼のことをこれから先、一生面倒をみる覚悟がないなら、そして本当に彼を思いやるなら、そこで突き放すことも大事だと思います。
人間は誰しも「人に認められたい」願望があります。彼は特にそれが強いと思います。
さらに自己肯定力はやたらと強いので、誰かがちょっとでも同調をしてしまうと「やはり、俺は正しいんだ」と、この24時間ほどの爆発を生んでしまうというのが私の見立てです。
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彼の見立てですから何も言うことはありません。このリストは、今の事件で彼が味方に付けたい、付けようとしているだけのリストです。自己顕示欲ねぇ、何かにつけて審査員とかやってる貴方は、いつもスペシャルアドバイザーとか、特別審査員とか、一般ではなく何か特別な枠におさまり(言い換えれば、その内容の責任を一切とらない安全なポジションを確保しながら、自己顕示欲をだしてますね。
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同情のコメントがなくても、おそらく愚痴ツイートは続いていたでしょう。
でも、ここまで増長することはなかったと思います。
「それでも彼のことが心配だ。何かしたい」という人はいるでしょう。
そういう人への私のオススメは、他の関連のない話題に彼を誘導することです
彼が好きなアニメやマンガが好きで、そこいら辺の話が得意な人は、その話で盛り上がるのもいいでしょう。
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かれにとっての、アニメや漫画へのスタンスが垣間見れる記述です。ただ、こういう人に限って、何も知らない、何もできないくせに、Cool Japanとか言い出しやすいのが特徴です。
村上隆だいすきですね。個人の意見としては、村上隆はその骨頂で、これまで日本のオタク文化に貢献してきた無名クリエイターをパクリ、商業主義に貶めるというのが私の認識です。
アートとは事腹痛い。そんなこ言うなら、村上隆のアートって、90年代は美少女変形戦闘機の突端に、女性器をリアルに写実的に描写してたのはご存じですよね。
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(この記事の末尾に参考になりそうなうつ病対策のページのリンクを貼っておきました)
「彼の原稿が好き」と本心で思っているのなら、それを書くことについて、私がとやかく言う権利はありません。
ただ、彼のことを本当に思うなら、もう少し経ってから、過去形で「好きだった」と書いた方がいいのではないかと思います。
【2.なぜ「過去形」なのか?】
彼が言っている通り、彼のIT関係の執筆の仕事は終わりだと思っています。
ただ、今終わったのではなく、とっくの昔に終わっていたと、私は見ています。
私は彼とは付き合いが古く、同情心や心配さからMacPeopleに彼の連載を提案していたこともありました。「とりあえずお試しで」と特集記事を振った結果、彼は逃亡し、音信不通になり、結局、連絡こずで、私とその編集者で全部を丸かぶりして死ぬ思いをしたこともあります。
その後も、何度か彼に仕事を与えようと、面白い製品発表の声かけを彼にも回したり、自分で企画した重要なイベントに彼を呼んだこともあれば、面白いネタを持っている広報会社の人を紹介したこともそれこそ何度もあります。ムーンライトウェーブの望月さんなどもその一人ですよね。
望月さんなどは本当に彼によくしてくれていると思います。でも、おそらく、彼が呼ばれたイベントを記事にしたことはほとんどないと思います(と、ここは私もまったく人のことは言えないのですが…苦笑)
編集者などにつなごうと呼んだパーティーも隅で昔からの知り合いと話をするばかりで(性格的に無理か、と途中から諦めました)。
ここで聞きたいのですが、そもそも、この中で、誰か彼がここ1〜2年で書いた記事を読んだ人、いらっしゃいますか?
もしかしたら、よく検索すればインプレスかどこかで見つかるのかもしれませんが、彼の最近のPublicへの露出で私が知っているのは有名な彼のツイッターと、あとは Kohichi Aoki と 松尾 公也さんのPodcastくらいです(他に本当にあるのでしょうか?)
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矢作は終わったそうです。原稿も書いていません?●矢作の反論。および解説
原稿は2015年も、2014年も2016年も書いてます。あなたが見に来ないだけです。当たり前ですよ、ブロックしてるんですもん。仮に俺が「書きましたー言っても」知らないんですよね。
「そんな中、今回、彼が(これまでなんで招待されていたのか不明だけれど、記事は書いていたんだろうか?)」 への証拠と回答です。これだけでも、名誉毀損は成立します。
http://pc.watch.impress.co.jp/ba…/event/index_c105s3385.html
http://pc.watch.impress.co.jp/ba…/event/index_c105s2964.html
http://pc.watch.impress.co.jp/ba…/event/index_c105s2626.html
http://pc.watch.impress.co.jp/backno/event/index2012.html
http://pc.watch.impress.co.jp/backno/event/index2012.html
その後のフォロー記事とかは抜いて、リンク集を5年ほど。リンク集なので、他の筆者さんの記事もはいっていますけど。
これでも、記事書いてないと思いましたか? 中身がポエムじゃないから、見る気も起きないとか行っわず、逃げずにご回答ください。
http://anond.hatelabo.jp/20160514155637
この件についてはもうひとつ。
林信行はWWDCにおいてもオレの記事をほとんど読んだことがないというか、存在さら知らないくせにdisってるんだよね。オレの記事リンクは掲載済み。
オレは例えポエムだと思っても、同業者の書いたITMediaなりASCIなりも読んでます。だから、Attitudeとか咄嗟にTwitterギャグで使えるんです。
書いてないと言われた記事、2015年WWDCのオーバービューもここにあるし、
http://pc.watch.impress.co.jp/…/…/event/20150609_705991.html
http://pc.watch.impress.co.jp/…/feature/20150613_706743.html
http://pc.watch.impress.co.jp/…/kaimono/20150613_706753.html
7月になってからは、WWDCで発表されたEl Capitanにフォーカスして、El Capitanカウントダウンとして、15週間ぐらい毎月記事を書いてきた。
http://pc.watch.impress.co.jp/…/elcapi…/20150821_717281.html
わずかばかりですがWWDCを切り口に、2015年にわずかばかりばかり書いてるのに、ここ1,2年全く書いてないとか、どの口に言われたんだろう。
ここまで事実を曲げて書いた中傷文の責任、またいつものへらへらニヤニヤ笑いでごまかすとはさせません。
個人名を出すのは酷いですね。望月さんには大変にお世話になりました(なってます)。でも、記事書いてますよ。Parrotのドローン、Netatom Weather Station。あと、自分で書けないとき、ロボット要素が強いときは、媒体の人に案内を振ってますし、メールにも返信をしています。あと、営業部門が広告企画を提案したいと言うことで、あなたみたいに恩義を着せる「お膳立て」は、しませんが、各種情報や日本での立ち位置なんかも説明してます。足りませんか? イヤ全然足らない、だとしたらそれは望月さんが私に直接不満を述べることでしょう。そのそも俺の記事見てないってあなたが、なんで、書いてないって決めつけるの? ぱぱ、もうリンクも貼り飽きたよ……。
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/news/event/20140107_629705.html
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/news/20120522_534410.html
スフィロは残念ながら最初はPC Watch向きではないと提案がボツになり、その後石井さんのロボット枠でフォローされてます。
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彼は同情心集めが得意で、昔から付き合いがあるインプレス系の方々のスネをかじり続けているのは知っています。インプレスの方々が、他の若い方々にあげられたはずのチャンスの一部を彼に与え続けていたことも。それによって彼は自分が「まだまだライターとしてやっていける」という誤解を長く持ち続けてきてしまったこともわかっています(が、その担当が誰だかわからないし、おそらく友達になっていないので、この投稿をシェアできずに残念です。ご存知の方、ぜひ、この投稿をコピペしてシェアしてください)。
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そんな若い芽がいらっしゃるとは知りませんでした●矢作の反論、そして解説
多の若い方々にあげられたはずのチャンスの一部を彼に与え続けていたことも。この部分があれば、
インプレス社内でシェアしていただき結果として仕事を奪ってしまった若い方々について、お詫びと倍賞をいたします。具体名をお知らせ下さい。
そこまで知ってんのに担当の名前は覚えてないんですね。さすが、三歩歩けば忘れらる人です。
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しかし、そのインプレスも、昨年、彼が海外で暴力沙汰を起こしてからは彼のことを干している、と人に聞きました(被害に遭われた方は散々でしたね)。
つまり、彼はもうほとんど仕事をしていないんじゃないかと思っています。
もしかしたら、週刊アスキーが、獲物のいない猟場、食料のない餌場に、ノラ猫の餌をまいているのかもしれません(が最近、読んでないのでわかりません)。
実は彼のITジャーナリスト業だか、ライター業はとっくに終わっていたんじゃないでしょうか(彼が認めたくないだけで)。
そこにまんまとアップルさんが、まるでアップルのせいで廃業したかのように見せたと愚痴る口実を与えてしまったのが今回の事件の全貌だと思います。
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よっぽど私が邪魔なことが、言葉の端はしから●矢作の反論、そして解説
私がベルリンで、某氏をなぐったのは事実ですよ。この件について事実の否定はしません。中傷文のなかで、俺が誰かを殴った(とか書いてますが)事情も知らずに勝手な1事象で書くのはやめてほしい。背景には過去2年近くに及ぶ陰湿な無視行為が存在していたので、我慢の限界を超えただけの話。今回も同じですよ、積年にわたる恩着せがましさと、nobiの影での中傷(非中傷文)。ちなみに警察沙汰と言いますが、殴ったこと自体については警察は一切無関係です。ホテル入り口で、でてきたらもう一発食らわすつもりで待っていたら、ホテルから一歩敷地より出てほしいと言われましたが、敷地ギリギリでとどまり、押し問答になったので、私からドイツ警察を読んでもらい。警察のクルマに載せられる形で排除されました。現地でも調書は一枚。後日、調書を取った旨、敷地内に許可無く立ち入ったが不問、という紙ペラ一枚が国際郵便で届きました。あ、被害を受けたその人に同情してみせても無駄ですよ、その人、nobiが嫌いですwwwww
干されたという件も明確にしておきます。これはPC部門の決定なのでそれに従いました。
しかし、2016にはK-tai Watchで記事を書かせて頂き、まあこのままでは流れるでしょうが、2016のWWDCもPC Watchへと寄稿を打診し、その編集部から了承は得ています
もう一点、「もしかしたら、週刊アスキーが、獲物のいない猟場、食料のない餌場に、ノラ猫の餌をまいているのかもしれません(が最近、読んでないのでわかりません)。」
このセンテンスは、今、アスキーで原稿を書いている仕事をしている人に対する侮辱です。
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インプレスに干されてからなのかは、彼の記事は検索しても出てこないくらいに発見が難しいです。ツイッターでもフォロワーは、そこらの大学生以下くらいですよね。 マスメディアならぬ、ナノメディアに近いのですが、地上波のテレビでも取れない席が自分に与えられなかったと言って彼は愚痴ります。
それくらいに存在感のない記事、読者も求めていない記事、編集者もお情けで仕事を与えて手間が増えただけでもしかしたら迷惑かもしれない記事。
それでも「かわいそうだから何か仕事を与えなきゃ」という不健全な負の連鎖、いつまでもつづけられるわけがないですよね?
そもそも、あの見苦しいツイートの主の記事を載せるなんてメディアのブランド戦略としてもどうなんでしょう。
彼がこの先も「ITジャーナリズムの最先端をつっ走って」まだまだこれからかなり遠い先までどんどん走り続けられると本気で信じている人は、ここにいらっしゃいますか?
このあと、書きますが、彼は自己肯定力だけは強いので、走らせる距離が長いほど、崖の高いところにまで登っていきます。
今、ここで彼に同情して、もっと先にいけるよ的な声をかけてもっと高いところから堕ちさせるのは、本当に彼にとって良いことでしょうか?
だから、無責任に彼に自信を与えるのはやめてほしいと、私は思っています。
自分の人生の大事な時間を彼のために割くのは、時間と脳の無駄遣いなので、私は今回の件を本当に最後にしたいです。
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さっき、ご指定のインプレスの Watch Headlineから、矢作でエゴサーチしたら1570ありました。
くり返し検索してもでてこないのは、貴方の検索能力が低く、あるいは見たくないモノに対して盲目になっているだけです。
前述の通り、2016年、2015年の記事も存在します。WWWDCまでに向けては、これまでもさまざまな仕込みも進行させていました。
自分の目が腐っている。ネットに書いてることも読めないという、根本的な勘違いを枕にしたうえで、お情けで仕事を与えて手間を増やすとか、侮辱も甚だしいです。
見苦しいツイートの部分はそのとおりだと思います。自覚しています。
編集者の手をわずらわすと言いますが、納品後からの作業においては、日本語の起承転結や、そもそも日本語を理解してない貴方の原稿より、
私の記事の方がデプロイされるまでに格段に必要とする時間は短いです。まあ、自覚ないんでしょうけど。
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【3.自己肯定力】
ここがくどくて長いので、もう原典をあたってください。
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鬱とそれにともなう心身の不都合については、心療内科の主治医にかかっており、決められた日時に診察、カウンセリングを行って、日常的な生活が少しでも出来るよう、不眠を減らすよう、ストレスをためないようアドバイスをうけ、ずっと付き合っています。言うまでもなく、時間はかかりますが、長い将来には服薬やカウンセリングの必要のない生活へと戻りたいと思います。
今日1日を素敵な思いで過ごしたい人は、もっと後になってから読んでください。
お察しかもしれませんが、この投稿が共有されている人は「矢作晃」とある程度、交流がある方々です。
この投稿は、(余計なお世話かもしれませんが)特に 石野 純也 さんと 星川 哲視 さん、あたりに読んで欲しくて書いています。
【1.どう接するべきか(林案)】
子供を育てたことがある人ならわかると思いますが、ダダをこねる赤ん坊にいい顔をしてしまうと、子供のダダはひどくなるばかりです。おそらく最良の方法は無視する、あるいはちゃんと向き合って接する場合には「気をそらす」だと思います。
心をわずらっている彼が、最近、再び暴れているという知らせを何人かから受けて、彼のツイートやらFacebookの投稿、そこでのコメントのやりとりなどを観察しました(ブロックしているけれど、ブラウザのプライベートモードを使うとパブリックな投稿は読めるようです。まあ、そりゃ当然か...)。
自分の不幸のアピールは彼の天賦の才能なので、それを見て「かわいそう」、「何か言ってあげなきゃ」と思う同情心の気持ちはわかります。
でも、彼のことをこれから先、一生面倒をみる覚悟がないなら、そして本当に彼を思いやるなら、そこで突き放すことも大事だと思います。
人間は誰しも「人に認められたい」願望があります。彼は特にそれが強いと思います。
さらに自己肯定力はやたらと強いので、誰かがちょっとでも同調をしてしまうと「やはり、俺は正しいんだ」と、この24時間ほどの爆発を生んでしまうというのが私の見立てです。
同情のコメントがなくても、おそらく愚痴ツイートは続いていたでしょう。
でも、ここまで増長することはなかったと思います。
「それでも彼のことが心配だ。何かしたい」という人はいるでしょう。
そういう人への私のオススメは、他の関連のない話題に彼を誘導することです
彼が好きなアニメやマンガが好きで、そこいら辺の話が得意な人は、その話で盛り上がるのもいいでしょう。
(この記事の末尾に参考になりそうなうつ病対策のページのリンクを貼っておきました)
「彼の原稿が好き」と本心で思っているのなら、それを書くことについて、私がとやかく言う権利はありません。
ただ、彼のことを本当に思うなら、もう少し経ってから、過去形で「好きだった」と書いた方がいいのではないかと思います。
【2.なぜ「過去形」なのか?】
彼が言っている通り、彼のIT関係の執筆の仕事は終わりだと思っています。
ただ、今終わったのではなく、とっくの昔に終わっていたと、私は見ています。
私は彼とは付き合いが古く、同情心や心配さからMacPeopleに彼の連載を提案していたこともありました。「とりあえずお試しで」と特集記事を振った結果、彼は逃亡し、音信不通になり、結局、連絡こずで、私とその編集者で全部を丸かぶりして死ぬ思いをしたこともあります。
その後も、何度か彼に仕事を与えようと、面白い製品発表の声かけを彼にも回したり、自分で企画した重要なイベントに彼を呼んだこともあれば、面白いネタを持っている広報会社の人を紹介したこともそれこそ何度もあります。ムーンライトウェーブの望月さんなどもその一人ですよね。
望月さんなどは本当に彼によくしてくれていると思います。でも、おそらく、彼が呼ばれたイベントを記事にしたことはほとんどないと思います(と、ここは私もまったく人のことは言えないのですが…苦笑)
編集者などにつなごうと呼んだパーティーも隅で昔からの知り合いと話をするばかりで(性格的に無理か、と途中から諦めました)。
ここで聞きたいのですが、そもそも、この中で、誰か彼がここ1〜2年で書いた記事を読んだ人、いらっしゃいますか?
もしかしたら、よく検索すればインプレスかどこかで見つかるのかもしれませんが、彼の最近のPublicへの露出で私が知っているのは有名な彼のツイッターと、あとは Kohichi Aoki と 松尾 公也さんのPodcastくらいです(他に本当にあるのでしょうか?)
彼は同情心集めが得意で、昔から付き合いがあるインプレス系の方々のスネをかじり続けているのは知っています。インプレスの方々が、他の若い方々にあげられたはずのチャンスの一部を彼に与え続けていたことも。それによって彼は自分が「まだまだライターとしてやっていける」という誤解を長く持ち続けてきてしまったこともわかっています(が、その担当が誰だかわからないし、おそらく友達になっていないので、この投稿をシェアできずに残念です。ご存知の方、ぜひ、この投稿をコピペしてシェアしてください)。
しかし、そのインプレスも、昨年、彼が海外で暴力沙汰を起こしてからは彼のことを干している、と人に聞きました(被害に遭われた方は散々でしたね)。
つまり、彼はもうほとんど仕事をしていないんじゃないかと思っています。
もしかしたら、週刊アスキーが、獲物のいない猟場、食料のない餌場に、ノラ猫の餌をまいているのかもしれません(が最近、読んでないのでわかりません)。
実は彼のITジャーナリスト業だか、ライター業はとっくに終わっていたんじゃないでしょうか(彼が認めたくないだけで)。
そこにまんまとアップルさんが、まるでアップルのせいで廃業したかのように見せたと愚痴る口実を与えてしまったのが今回の事件の全貌だと思います。
インプレスに干されてからなのかは、彼の記事は検索しても出てこないくらいに発見が難しいです。ツイッターでもフォロワーは、そこらの大学生以下くらいですよね。 マスメディアならぬ、ナノメディアに近いのですが、地上波のテレビでも取れない席が自分に与えられなかったと言って彼は愚痴ります。
それくらいに存在感のない記事、読者も求めていない記事、編集者もお情けで仕事を与えて手間が増えただけでもしかしたら迷惑かもしれない記事。
それでも「かわいそうだから何か仕事を与えなきゃ」という不健全な負の連鎖、いつまでもつづけられるわけがないですよね?
そもそも、あの見苦しいツイートの主の記事を載せるなんてメディアのブランド戦略としてもどうなんでしょう。
彼がこの先も「ITジャーナリズムの最先端をつっ走って」まだまだこれからかなり遠い先までどんどん走り続けられると本気で信じている人は、ここにいらっしゃいますか?
このあと、書きますが、彼は自己肯定力だけは強いので、走らせる距離が長いほど、崖の高いところにまで登っていきます。
今、ここで彼に同情して、もっと先にいけるよ的な声をかけてもっと高いところから堕ちさせるのは、本当に彼にとって良いことでしょうか?
だから、無責任に彼に自信を与えるのはやめてほしいと、私は思っています。
自分の人生の大事な時間を彼のために割くのは、時間と脳の無駄遣いなので、私は今回の件を本当に最後にしたいです。
【3.自己肯定力】
私は、何気に彼との付き合いが古いです。
私がアメリカの学生で、彼がバイトで編集の仕事を始めたあたりから知っています。
その後は、海外の取材先で同じ部屋に泊まることもありました。部屋に戻ると、彼が半裸で鼻をほじりながらずっと2ちゃんねるを見ているおぞましい光景を何度か見てきました。消し去りたい私の心の傷の1つです。
そんな私が見るに彼の最大の特徴は:
異常なくらいまでに「自己肯定力が強い」ことです。
彼は、まるで「ポジティブ」であることが悪いことであるかのように、人のことを「ポジティブ野郎」などと呼んでいるようです。
ただ、自分のことをポジティブに分析する能力では、私は彼の足下にも及びません(いつも、自分がダメだと思って苦しんでいる側なので)。
彼のツイートを昔から見ていると、彼の周りではやたらと物が壊れるんです。
しょっちゅう再フォーマットや再インストールをしている印象です。
あきらかに異常な頻度で物が壊れます。
(彼にとっては)もちろん、壊れるものが悪いわけです。
自分の記事が読まれないのは読者が悪いし、
他の人の記事が読まれるのも読者が悪い、そんな記事を読む読者は地獄におちろ、みたいなノリで罵ります。
自分の媒体力とか自分の記事がどれだけ求められているか、といった部分に関係なく、イベントに呼ばれないと招待しない人を罵ります
昔からやっているから俺を呼べ、みたいな考え方です
自分以外の考え方は一切、認めません。
私が何を取材するか、どう書くか、どう考えるかまでいちいち批判してきます。
ITジャーナリストたるもの、スペックシートを接続詞でつなげたような、無味無臭な記事でないと客観性が足りなくてダメみたいな古い自分だけの考えを振りかざして、それに従わない人間を批判します。
ちょっとだけ自分の考えを言うと「私は客観的な記事は存在しない」、実は存在していると思っている人ほど実は危ないという考えの持ち主です。
実はどのニュースをピックアップするかでも主観は入ってくるし、
「褒め 大さじ 3杯/悪いところを見つけ出して批判/スペック 小さじ2杯/個人的感想 一振り」みたいなレシピを客観性と考えるのも間違いだと思っているし、長年、レビュー記事にはシリアスだったMACPOWERで「そのレビューは本当に正しいのか」という自己批判企画をずっとやろうとしていた私的に言うと
作る側は世の中にどんなベンチマークテストがあるかを知っているから、そこに向けて性能などをoptimizeしているのは、日本語入力プログラムだけでないことはみなさんもご存知でしょう
でも、日本では「報道は客観的でないと」という考えがあまりにも広く根付いている。
だから、「あえて最初から主観」を強く出すのが私のスタイルです。
この話をすると長くなるので(すでに長いですが)、私は文字によるコミュニケーションを信じていません。
そういう人もいれば、無味無臭な書き方をする人もいる、そういうバランスがあり、どの記事からどの記事へも1クリックでいけるのが現代人のバランス感覚だと思います。
それをITジャーナリズムかくあるべきの同じレシピでJIS規格された矢作色の世の中になったら、記事は1本読んだら他は読む必要がなくなってしまいます。
ここでちょっと脱線。
みなさんの中で言葉の仕事をしている人は、自分がこう書けば相手に伝わる、と思っている人もまだいるかもしれませんが、25年、執筆の仕事をしていて強く思うのは、読者は自分の知識の範囲やその時の感情のフィルターで、自分で読みものを想像し創造しています。
いいことを書いたつもりの記事でも、それを批判と捉える人もいるし、私の記事とか感想の振れ幅がめちゃくちゃ大きくてすごく面白いです(ただポエムとか言ってる中身も読んでいない、バカの壁[養老孟司読んでください]の人は別としてちゃんと読んでいる人の感想です)
脱線しちゃいましたが、彼は自己固定が強いあまり
業界で起きている時流の変化にも順応しようとしなければ(変わる時流が間違っている)
自分の記事がどんなに読まれなくても、それは読まない読者が悪いので書き方に工夫をする必要もないのです
ある意味、脳内では幸せな人ではあるけれど、脳の中と外とのギャップが、いよいよ、大きくなりすぎて破綻し始めたのが今起きていることです
ここで、誰も見ていないツイッターとはいえ、2ちゃんねらーがRTし始めて、私とかに絡む人も出てきて、
それでも相手にしちゃうと、調子にのるから、表では静観を続けている私ですが、あまりにもな言われ放題みたいなので、いくつか自己肯定をさせてください。
というか、神尾さんも被害にあっているので、彼のことから擁護すると
私は神尾さんのこともよく知っているので、ここで断言しますが、
彼は神尾さんがSさんと交際があるような書き方をしていますが、
よく知っている人間として断言しますが、神尾さんが好きな人やら何やらについて深いコメントは避けますが(いや、いいお父さんです wink絵文字 )
Sさんとの交際だけはないことはよく知っています。
証拠を示せと言われると難しいのですが、
1つは神尾さんは交際相手に関して、好みのタイプがかなりしっかりしていて(というか狭い!)、Sさんは良くも悪くもそこから外れるからです。
2つめは、証拠というよりは、矢作のデタラメな主張を崩す内容ですが、彼はジャーナリストを唱いながらもろくな事実確認も無しに神尾さんがアップルスペシャルイベントに愛人(Sさんのことらしい)を連れてきたと書いていますが、実はこれ、神尾さんにとっても私にとってもとSさんは初対面でした。
音楽の男女デュオが実は別々に結婚相手がいても「実はつきあっているんじゃないか」と噂が立つのと同じで、交際とかの経験が少ない人ってやたらとそういうの勘ぐって噂たてたがりますよね。
まさにソレです。
神尾さんがSさんが近しいのは、今、神尾さんがやっている未発表の?プロジェクトに関係あります。
彼は、いつも「IT業界の中にいる人」や「ガジェットが好きな人」からは真実は見えてこない、とスマートフォンやサービスがもっと一般の人目線で評価させることの重要性を主張していました。
で、若い女の子とつきあわないまでも、おしゃべりするのは好きなので、よく女子高生や女子大生のヒアリングをして探るのが神尾さんのスタイルです(もともと、ドコモの時からそういう仕事をしていましたみたいで、奥様との出会いも...)
実は幅広い年齢層の女性にヒアリングをしていますが、Sさんもそうしたサンプルの中だったのが、色々、話をするうちに本気でライターになりたいという思いを知ったみたく、面倒見よく、いろいろな人に紹介しては、「あの人からは〜〜を学べ」と教育しているようです。私もSさんにデザインについての講義を請われました。
ウェアラブルを筆頭に、今やデジタル製品はどんどん生活領域に入ってきているのに、ファッション誌ではデジタルに詳しい人がまだ少ない。
そんな中、生活者目線で記事がかけるライターを増やす必要がある、というのは神尾さんの強い信念で、近々、発表あると思いますが(って書いちゃっていいのかな?)実は神尾さんは最近、そっち方面での活動に本腰を入れています。
一緒に仕事しているし、(うらやましいことに仕事を振っているので)一緒にいる時間も長いかもしれないけれど、彼とSさんの噂がたつのをみていると
「ん〜、(彼のツボは)そこじゃない」(笑)と心の中でツッコミを入れたくなってしまいます。
まあ、仮に神尾さんは打たれ強いし、いいとしたとしましょう。
それにしても本当に根も葉も無いのに、変な噂を立てられて、好奇の目でみられているSさんの立場はどうなるのでしょう?
彼は精神を病んでいるから、ここは狂犬に噛まれたと思って我慢しろ、というのでしょうか?
九州にいて、なんとかライター業でやっていきたいと思っていた彼女のやる気を見て、神尾さんがライターの顔ぶれの若返り(平均年齢下げることも考えて)東京で仕事できる環境作って、呼び寄せたところで、わめけばいいと思っている見苦しい老害(病害)のために若い才能の1人を犠牲にするのは本当に正しいことでしょうか?
神尾さんが元ドコモでコンサルの仕事をして、という批判もしているようですが、だからこそ、矢作なんかには書けない、会社の裏事情などの視点が書けるのだと思うし、それを是とするか非とするかは読者次第だと思います。
もしかしたら、NDAなどがないものは、disclosureとして記事で関係性を明らかにしたら良いかもしれません。
私もコンサルをしている、ということで彼の批判を受けていますが、一時期、そうでないことがあったのは私の失敗でした(1年半くらい)。でも、そこでも自分なりに中で線引きはしてきたつもりです。
また、それ以後は、実はコンサルティング契約を結ぶときに、コンサルティングをすることになったからには、ソーシャルメディアでは応援するけれど、マスメディアなどでの記事ではとりあげない、ということを約束していますし、そもそも自分が記事を頼まれる業界とは別の業界のコンサルティングが多いです。
どうしても、コンサルティング先のことを記事で書く必要が生じたときは、去年のfashionsnapの記事や毎日新聞か日経産業がそうでしたがdisclosureとして、株を持っているかいないかに関係なく、関係性に関する注意文を示してきました。ここら辺はもしかしたらメディア側でガイドラインを作ってくれた方が良いかもしれませんね。別に神尾さんもそこは否定しないと思います。
ちなみに書いている記事が製品のレビューなどが中心だと、少ないかもしれませんが、トレンドの分析などを記事にする人は、その洞察に価値を感じた相手から講演などの依頼を受けるのは、かなり自然で海外でもよくあることだと思います。私自身は書きたいが、心底のモチベーションではなく「世の中を変えたい」がモチベーションなので、企業の中に入って現状をよくするために手を動かす機会の方が圧倒的に増えています。全部明かせないのが残念ですが、一部は今月26日に発表になります。
【5.私の自己肯定】
つづいて私の方の自己肯定。
彼は自分が正しいと信じていないとやっていけない人間です。
なので、ツイッターの喧嘩でも、やたらと関係のない人にいきなりメンションを送って巻き込んで、その人たちが自分の味方であるかのように見せる演出をします。
私は彼にとっての仮想敵なので、批判される側だけれど、彼がそうやって私の周囲の人間にメンションし始めるのは正直迷惑でした。
ある日、携帯おサイフ系の発表会の実況をしていた時に、たまたま彼の病気が強めに出ていた(私がソフトバンクワールドで講演したことへのジェラシーかもしれません)のだと思いますが、こちらはツイッター実況で言葉もらさないように忙しいのに、彼がやたらとつっかかってきて「お財布いらない?レシートはどうする?」とか言ってきたので、そこで喧嘩になりました。
(ちなみにレシートは、皆さんがアップルストアで日々そうしているようにメールで送ってもらえばいい話ですよね?そういうところ、相手を批判するためなら事実を都合よく忘れるところが多いのも彼の特徴です)
今と同じようにツイッターで暴れ出して、そこを周りの人がなだめて、ほめて、彼が「やった見てくれている人がいる、これは甘えなきゃ」と「自殺してやる」と叫びだして(本当に絶望した人は、言わずにひっそりやっていると思います。彼は構って欲しいだけなんです。かまう方法によってプラスなこともあるけれど、同じ壺の中でいくら上に持ち上げても落ちる距離が長くなるだけ、別の壺に移し替えて気分転換されることが大事)、警察に保護されて、その後は親が迎えに来ておさまったようです。
そこで、私も「もう付き合ってられないや」と思い。
でも、彼のフォローをやめて、そのことに彼が気がついたら大騒ぎするだろうと、わざわざ彼の行動をツイッターでチェックして、彼が海外に行っていてメールとかも増えて気がつかないだろうというタイミングを見計らって(嫌いな奴のために、俺、なんでこんなに気を使ってやっているんだろう。と自分を責めながら)Twitter、Facebook、Instagramなどすべてのソーシャルネットワークで彼をブロックしました。
自分を不快にするものが視界に入らない方が、彼も健全に生きられるだろうという配慮だったのですが、私も誰かをブロックするのは初めての経験でわからなかったのですが、私が彼をブロックしていても、彼がフォローしている誰かが私のツイートをRTすると彼に見えてしまうようです。
もちろん、自己肯定感が強い彼は、私のツイートがRTされてくると、その人をアンフォローして自分の方から改善の道を選ぶのではなく、RTする人たちを「そんなのRTするな」と批判し始めます。
私がティム・クックに遭遇したのが、やらせとか言っているようですが、実はそうではないと証明できるつづきの写真がいくつかあります(あれは実はWWDCの一般開発者のランチ場所で撮影しました。私が話していたら、すぐに開発者たちがよってきて、大騒ぎになったのでその写真があります)。
彼が書いている批判の多くは、彼が勝手に思い込みで書いているだけの事実無根が多く、証拠がそろっているものもいくつかありますが、相手にするのもバカバカしいので、無視しているだけ。
良識のあるみなさんの中にもつきあい長い人多いので、真に受けていない人多いだろうけれど、つきあい新しい方は要注意です。
そんな中、今回、彼が(これまでなんで招待されていたのか不明だけれど、記事は書いていたんだろうか?)今年、地上波テレビでも取れない取材枠を得られなかったことで、「世界一詳しい俺が呼ばれない」と大騒ぎしたようですが、実際のところは既に終わっていた自分の仕事の失敗をアップルになすりつけるためだけの見苦しい行為。
まあ、それも病気ゆえ(実際に通院して薬で治療しているようです)なのでしょうが、病気だからといって周りがどこまで好き勝手に批判されるのを耐えなければならないのか、非常に強く疑問に思ったのが今回の事件であり、無責任な同情コメントが彼を増長させているという事実を知ってもらい、そういうことを同意していただけるならやめて欲しいと思って、この長い記事を書きました。
私は、最近はかなりちゃんとした方々とのお付き合いが多いので、
IT/モバイル業界のあまりにも見苦しい醜態話、およそFacebookでパブリックには投稿できませんでしたが、隠す内容ではないのでコピペしてアングラ掲示板で広めてもらったりする分には構いません(というか私は読まないので、感知しようがない)。
また、彼に親しいインプレスの編集の方や、あまり存じ上げないのですが、 山口 健太さん 中山 智さん といった彼と親しい面々は私自身があまりお付き合いがないので、タグ付けしてみたけれど、この投稿がシェアできていない可能性があるので、どなたかが回してもらえればと思います(もっとも近しい方なら、彼がどういう精神状態で、どう対処したら良いかもよくご存知かもしれませんね)。
近しい方々は、どこかでは彼の問題や、接し方も詳しいと思うので、その辺りの情報共有やアソバイスもいただければ嬉しいです。
また、 narumiさんは、週刊誌的なノリでこの話題をとりあげないか心配で、あえてシェア対象から外しています。
正直、時期がきたら本人にも読んでもらいたいですが、今はまだ暴れだしたら困るのでやめておきましょう。
なお、矢作さんと、それでもお付き合いを続ける方のために、いくつかどう接したらいいかの参考になりそうなサイトを見つけてきたので、以下にまとめておきます(自己肯定力のネガティブな影響については一番最初の記事が詳しいです):
http://www.utsubyou.co/entry/2015/10/20/#more3
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/2130663.html
http://mojostyle.net/sigoto-16/
tag: 海老原 昭、 法林 岳之
この記事は、私がつくった「IT系」(何人追加したのかの確認する方法がわかりません)というリストの人にシェアしています。Facebookでつながっていないのでリストに入れられなかった人は、タグ付けしてみました。ウォールに表示されてしまった人は、投稿右上のメニューから「タイムラインに表示しない」を選べばタイムラインへの表示を消せます。もし、タグ付けされている人も読めるようならシェアされていない人は、あとでタグ付けします。
自分は普段、こういう押し付けはしないほうだと思いますが、この投稿が見れている人たちにとって「矢作問題」はそろそろ一段落をつける頃だろうと思い、あえて押し付けてしましました。
はじめに書いておくが、私は発達障害である。ただし軽度である。
これまでの人生の中で、何人か発達障害(おもにアスペルガー)の人に出会ってきたのだが、その人たちが
極端なまでの承認欲求の強さを持っていたのが個人的にとても興味深かったので、それを書いてみたい。
一人は、大変能力のある人だったのだが「ブッダやキリストに並ぶ人間になりたい」とつねづね言っていた。
これを聞いて、こちらもちょっとアホなところがあるものだから「なんてすごい人だ」と素直に思っていた。
もう一人の人は「とにかくすべての人から愛されたい」と言っていた。あと、「日本で初めて◯◯した」とか、そういった人物に
なりたいとも言っていた。
2人は、ここではっきり身分を書く事はできないけど話したら「へ〜」と言われるたぐいの人である。
2人とも努力がすごい。すごい勢いでがりがり目標に向かって邁進する。
もしその努力のモチベーションとなるものが「認められたい」という切実なまでの想いだとしたら…
ときどき言われているけれども、天才型の有名人にアスペルガーの特徴を持つ人が多い。
私はときどき思うんだが、もともとからの天賦の才を持った人が、堪えがたいまでの承認欲求に駆られて
必死に努力に努力を重ね、さらにそれが時流とマッチしたとき、スティーブジョブスみたいな、ああいう存在になるのかなと
そんなふうに思ったりした。
幼いときから、とにかく同じ水準、同じスピード、同じ結果ばかりを求め続ける。
数学だけ突出してできるけど、他はまるきりわかりません、苦手な事を強要されたら突然泣いたり暴れたりします、
あとさ、天才型のアスペは才能が突出してるからすごくわかりやすいのよ
だけど何も才能がない人もやっぱりいるわけよ
突出した能力を持っていてもそれが富に結びつかない人もたくさんいるわけよ
というかそっちのほうが大多数なわけよ
自分はたまたま軽度で、承認欲求もそこまで強いものを持っていなかった。
だけど、これまで見てきた人の中には、自分の承認欲求の強さに自分が堪えられずに壊れてしまったような人も見てきた。
本当にしんどそうだった。
ああ、今ここまで書いてきて思ったけど、承認欲求って性欲とすごく似ているね
性欲の強さを持て余したことは男なら何度かあるんじゃないかな