はてなキーワード: 劇場とは
昂揚感、平和と繁栄、人類の良心、オリンピック憲章、そういうもろもろの理念が正しくデザインに反映されていないから嫌いです。
普通のデザイン教育を受けた人間にはあのデザインは以下のように見えます。
https://tokyo2020.jp/shared/images/olympic_emblem_large.png
①まず、中央を貫く黒いバーは、喪章、あるいはモノリス(不滅の絶対性、時間)を表す。
②対角は金銀のコーナーはモーターの界磁であり、これによりモノリスは右方向に回転モーメントを与えられる。
(通常のネジが右ネジだから)
※ちなみにベルギーの劇場のデザインは回転ドアのデザインで真ん中のラインが垂直に立っていることは、劇場が外へ向かって
開かれていることを意味する。
③右上の赤い丸、これはもちろん日本であり、太陽、陽性なるものを意味する。
金銀の界磁によって駆動されるモノリスは冷徹な正確さで日本をいままさに叩き落とそうと運動する。
金銀の界磁と一緒になったとき、モノリスは死神の鎌であり、赤い丸は狩られて血まみれの生首である。
冷徹な時間の論理によって日本が凋落していくことが避けられないという死を表す。
④金銀はメダルであり、メダルにより黒くて強大な物体が突き動かされて日の丸を叩き落とす図でもある。
日の丸の位置は、時計の1時付近であり、これは絶頂期を過ぎていてこれから沈んでいくしかないことを表す。
⑤2020はフォントで海の波、水平線を表す。五輪マークは、すでに水面下に沈んでいる。
このような、日本の凋落とメダルに駆動される凋落加速のデザインはオリンピックの理念を正しく表現しているとは理解できず、
まったく共感できない。
Wikiで調べてつくってみた。宮崎駿監督の後継者云々を受けてつくったので、主な有名監督と若い監督中心。基本的にはTVシリーズをやってないオリジナルか、小説原作の劇場アニメを発表してる監督。例外も一部あるけど。
1941年生まれ 宮崎駿(風の谷のナウシカ)、富野 由悠季(機動戦士ガンダム)
1960年生まれ 庵野秀明(ヱヴァンゲリヲン新劇場版)、片渕須直(マイマイ新子と千年の魔法)
1961年生まれ 新房昭之(劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編] 叛逆の物語)
1966年生まれ 神山健治(009 RE:CYBORG)、水島精二(楽園追放)、沖浦啓之(人狼)、宇田鋼之介(虹色ほたる)
1967年生まれ 宮崎吾朗(コクリコ坂から)、細田守(時をかける少女)
1973年生まれ 新海誠(言の葉の庭)、米林宏昌(借りぐらしのアリエッティ)
ちょっと変な人なんじゃないかと思い始めた。
今回のオリンピックのロゴで、劇場のロゴと同じく「盗作なんじゃないか」と言われたスペインのロゴがあったけど、
「大イベントのエンブレムに着想を与えたのならば誇らしいことだが、恐らく偶然の一致だと考えている」
なんだよね。同じデザイナーだったら、普通はこういうコメントに落ち着くもんだと思う。
正直、デザインという仕事をしていたら偶然一致してしまうことなんて多々あるし、それをすべてチェック出来ないことだって理解しているはずだ。
(まして今回の劇場のロゴは著作権登録されていないわけで、明らかにベルギー人側にも手落ちの部分がある。)
今回のロゴをデザイナーという目線で見たら着想から違うのがすぐわかるし、ロゴの根幹の考え方が違うことも感覚として理解出来ているはず。
今回のような類似の仕方で「盗作だから使用停止しろ」って言い出すとデザイナーである自分たちの首を締めることになるのに、
あのベルギー人は今回「使用停止」とかまで求めていて、デザイナーの感覚からするとすごい違和感を覚える。
大体使用を停止することで何のメリットがあるのかと考えると、
「騒ぎ立てることで売名できる」「騒ぎ立てることで示談金を釣り上げることができる」ぐらいしか思いつかないんだよね。
正直あまり大したデザイナーじゃないんだろうなとは思ってたんだけど、ワークスを見て確信した。
http://www.debie.com/logo.html
作家性やこだわりが薄く、流行りの要素などを無節操に取り入れるスタイルの人みたいだ。
確かにこのレベルのデザイナーの感覚からしたら「俺の作品の盗作だろ」と思っちゃうのかもしれない。
盗作って、ビジュアルの類似よりも考え方の類似の方がマズいと思う。
なぜなら、デザイナーだったら考え方をパクった上でビジュアル上はさもパックっていないかのように上手い具合に修正することができるから。
一見ちょっと違って見えるけど、実は考え方を丸ごとパクってますって方がはるかに悪質だと思う。
逆に言うと、パクろうと決めたデザイナーは元ネタとぱっと見の見た目が被らないようにビジュアルを修正したがるもんだと思うから、
同じような見た目のロゴが出てきた場合は、逆に偶然の一致の可能性が高いとすら言える。
そういう目線で見ると、ベルギー人デザイナーのこのロゴだって「盗作」と言われる可能性がある。
http://www.debie.com/display.php?JobCatID=1&JobID=0112
同じ文字を反転させて、重ねてハートを形作るという全く同じ考え方のロゴが昔からある。
http://ks.c.yimg.jp/res/chie-0/46/529/i3/AVOY______3.jpg
色を2色にしたりしてぱっと見の見た目は多少違って見えるけど、考え方は全く同じ。
でも、これも偶然の一致だろうけど。
はてなブックマーク - 五輪エンブレム制作者「全く似ていない」 記者会見:朝日新聞デジタル
記事を読めば分かるが、
要素は似ているがデザインの考え方が全く似ていない、という言葉の最後だけが抜き出されているんだよ。
まぁ、朝日の要約が下手なのもあるので、もっと詳しい記事を見てみよう。
「まったくの事実無根」 東京五輪エンブレムのデザイナーが会見、盗用疑惑を強く否定 書体など詳細も説明 (1/4) - ITmedia ニュース
ベルギーのリエージュ劇場のロゴは「TとLを主軸に作られていると思う」と佐野さんはみており、Tと円をモチーフにした五輪エンブレムとは考え方が異なる。「要素は同じものがあるが、デザインに対する考え方がまったく違うので、正直全く似ていないと思った」。
例えば、五輪エンブレムはTの縦棒と横棒が接しているが、劇場のロゴは離れていたり、エンブレムは正方形を9分割したグリッドをベースに作っているが、劇場のロゴはそうではなかったり、色や書体も違うなど、「デザインの考え方もまったく違うので、出来上がりも自ずと変わってくる」と指摘。
「似てる」って言ってるブックマーカーはここまで突っ込んで観察した上で「似てる」って言ってるのか?
違うだろ?
「ぱっと見でパクリだと思いまーす」ってだけだろ?
A.デザイナーの佐野氏は、ベルギーの劇場のロゴが表す「TとL」ではなく「Tと円」をモチーフにデザインしたと発表してます。Tの背後に巨大な円のシルエットを表すために右下に銀色の△が必要となりました。この巨大な円は1964年の東京五輪のエンブレムにあやかったものです。
A.会見で公表された「A」~「Z」のデザインは、あくまでエンブレムの拡張性を示したものであり、最初に「Tと円」のエンブレムありきのものなので何もおかしくないです。この拡張性は最初からデザインの一貫として含まれていたので、今回公表された「A」~「Z」や数字のデザインは盗作疑惑以後に後出しで作成されたものでもありません。
A.今回のエンブレムのオリジナリティは、単に見た目だけではなく、エンブレムを分解して「A」~「Z」としても使えるといったデザインの拡張性にあります。この展開の分かりやすさが評価されるところです。一方ベルギーの劇場のロゴはそれができません。
売店以外で購入した飲食物は持ち込み不可、って映画館があるけど、ちょっと納得いかない。
劇場内での飲食禁止というならわかる。
周囲でくちゃくちゃ飲み食いされるのが不快な場合は、ままある。
売店で買ったものならいいけど外からの持ち込みはダメ、というのが、よくわからない。
今日行った映画館では、持ち込み不可の理由として、騒音(包装等から発生する音)が問題のようだったのだけど、
売店で売ってるポップコーンだってムシャムシャ食べる奴はムシャムシャ音がしているし、
何より、売店のドリンクだと肘をぶつけて倒しただけで中身がこぼれて大惨事になってしまう。(これは自分がやらかした)
もうさー、せめてペットボトル飲料くらいは持ち込み可でもいいんじゃないですかね。
実際、持ち込み不可の映画館でも売店でペットボトル飲料を売ってたりするわけだし。
なんだよあの映画泥棒水。(映画泥棒の広告でお馴染みのビデオカメラ男がラベルになってる水)
欲しくなっちゃうじゃないか。思わず買っちゃったよ。普通の水だったよ。むしろあんまりおいしく感じなかったよ。
いや、そうじゃない、
売店で売ってるペットボトル飲料が可で、外部からのペットボトル飲料の持ち込みが不可、というのに納得がいかないという話。
劇場の売り上げガー、みたいな身も蓋もない話なのかもしれないけれども。
だいたい、売店で買おうと思っても混雑がひどくて諦めることもあるわけで。
自分はドリンクだけ買いたいのに前の客がポップコーンやらホットドッグやらあれやこれや買い込んでいてやたらと時間がかかってイライラするし。
ドリンクのみ専用レーンみたいな優先窓口を設けてくれるだけでもありがたいのだけどなー。
映画「進撃の巨人」見てきました。監督は「平成ガメラ」の特撮監督である樋口監督、脚本は「あの」町山智浩さん、ってことで、かなり期待して見に行ったんですが…
脚本というか、話は突っ込みどころ満載で、正直、調査兵団が間抜けの集団にしか見えない描写が多々あって、かなりキツかったです。
映画では、原作以上にエレンは「ミカサ!ミカサ!」とミカサに夢中です。たとえば、兵士がミカサの肩を掴んだだけで「ミカサに触れるなぁ(# ゚Д゚)!!(マジギレ)」と殴りかかるくらいミカサに執着してるんですね。
でも、「なぜエレンがミカサにこんな恋心を抱いているのか?」が劇中で全くといっていいほど描かれていないし、二人が絆を深めるシーンもないので、エレンが「可愛い幼なじみに盛っている思春期の童貞」にしか見えてなくて(実際にエレンは童貞設定だと思いますが)。
原作では、「共に人殺しをしている」という特別な関係があるから、ミカサとエレンの関係は特別なものになっていますが、映画ではそれをパージしています。パージする事自体は悪いことではないと思うのですが、「人殺し」にかわる何かの要素を入れないと、「何でこんなに執着しているのか?」がわからず、単に盛っている思春期にしか見えなくて、かなり残念な感じになっています。
エレンのミカサへの恋心はかなりしつこく描写されるんですね。でも、第一回目の巨人の襲撃でエレンと生き別れになった後、ミカサは、立体機動を教えてくれたシキシマ隊長(映画オリジナルキャラクター)と出来てしまっていて。
で、シキシマ隊長がエレンに見せつけるように、自分のかじったリンゴを「お前も食べるか?うまいぞ」とミカサに差し出して、ミカサもリンゴをかじるんですね。その間接キッスを見たエレンは「うわぁあああああああああああ!」と発狂。いや、お前は童貞か!調査兵団の仲間が巨人に踊り食いされてもそれなりに落ち着いていたのに、間接キッスで発狂する男、エレン。この男、童貞である。
で、このNTRシーンがその後のシーンのカタルシスにつながるなら、ありだと思うんですよ。でも、全くつながってきません。正直、まるまるなかったとしても話は通ります。
主人公を成長させるために主人公を精神的に追い込むのは、少年漫画ではよくある手法ですが、NTRで追い込んでも仕方ないだろ!個人的には、NTRてズタボロになった男が自分の使命に目覚める話、大好きなんですけど、それは日常劇の話で、進撃の巨人みたいな話でそれをやられても「人が死んでんねんで!」としか思えません。
脚本家の町山智浩さんは、早稲田大学時代に、彼女をサークルの先輩に寝取られた経験があるそうで、podcastでも何度も語っていたんですが、それが関係しているんでしょうか。
失意のエレン君。でも、すぐに調査兵団のシングルマザーのキャラクターが「あら、意外と子供なのね♡」「歳上は嫌い?」と迫ってきて、おっぱいを揉ませてくれます(この間、実に3分)
エレン君もなし崩しにおっぱいをもんでしまう。いや、緊張感ゼロか!人が死んでんねんで!
まず、このシングルマザーのキャラクターとエレン君の関係がそれまで全く描かれていないので、「歳上は嫌い?」と迫ってくるのが、かなり唐突です。なんですかね、巨人が襲ってくる未来では、人類全員発情してるんでしょうか、そのくらいの盛りっぷり。
で、誘われるままにおっぱいを揉もうとすると、そこで巨人襲来。シングルマザーは服をはだけたまま踊り食いされてしまう。もうね、調査兵団が油断しまくりの間抜け集団にしか見えないんですよ。
原作でも描かれていた「爆薬で開いてしまった穴を塞ぐ作戦」が映画の中でも実行されます。で、その爆弾は「人類最後の爆弾」とされていて、これがなくなると、永遠に穴をふさげなくなるってしろものです。
けれど、その爆弾を積んだ車を謎の覆面男(非武装)にアッサリ奪われてしまう。なぜ奪われたかって?兵士が誰も車にのっていないから!セキュリティどうなってんだよ!真面目に仕事しろよ
覆面男に車を奪われたことがキッカケで作戦を失敗してしまうんですけど、なんていうんですかね「詰めが甘いってレベルじゃない」ので、正直、見るのが馬鹿らしくなりました。
序盤の巨人襲撃でミカサとエレンは生き別れになってしまうんですね。で、再開すると、ミカサはエレンにそっけない態度をとる。
あと、脚本の問題をいうと、ところどころのシーンが死ぬほどダサい問題があります。
たとえば、壁に囲われたつかのまの平和に辟易しているエレン君が不発弾を何度も蹴り飛ばすシーンがあって。そこで、最後に不発弾を見てエレン君が「俺もこいつと一緒だ…」って言うんですね。いや、それ口で言わなくてもわかるよ!口で説明しなくても、意味ありげに不発弾にあたりちらす、現状に不満を抱えた男がいれば「俺もこいつと一緒だな」なんて言わなくていいから。こういう「説明過剰」の脚本を町山智浩さんは何度も批判してきたと思うんですが、忘れちゃったんでしょうか。
あと、悶絶したのがミカサとシキシマ隊長がリンゴを食べるシーン。シキシマ隊長はサタンを意識していると町山智浩さんがおっしゃっていたので、ミカサにリンゴをすすめるシーンは「エデンズアップル」のメタファーでしょう。(町山智浩さんは失楽園の構造で物語を語るのが大好きだから)
いやさぁ…いまどきリンゴを「エデンズアップル」のメタファーとして描くって、ダサすぎるよ!手垢つきすぎて垢太郎をつくりだせるくらいじゃないですか。そこをドヤ顔でリンゴをシャキッと噛むカメラ目線のシキシマ隊長が出てくるもんだから、もう悶絶ですよ。
事前にアナウンスされたように、原作とは「壁に囲まれていて、巨人が襲ってくる」「キャラクターの名前」くらいしか一致していないので、原作の「あのミカサ」「あのアルミン」を見たい人は、本当に行かない方がいいです。
エレンが巨人に変身できる理由などの重要設定も、原作とは大分変わっていて、原作真理教の人は「原作とちがう!」のラッシュで憤死すること確定なので、「巨人が出てくる映画」として見ることができない人は見ない方がいいと思います。
で、色々と突っ込んできたんですけど、上のようなことなんて、全部どうでもいいことなんですよ。リアリティの詰将棋をやっても映画が面白くなるわけじゃないし、矛盾がなければいい映画かっていうと違う。
突っ込みどころがあっても人の心を掴む映画はいくらでもある。たとえば、ブルース・リーのドラゴンシリーズなんて、映画としての出来はイマイチだけど、ブルース・リーのアクション一発で、世界中の男子の心を掴んだわけじゃないですか。
だから、どんなに突っ込みどころがあっても、映画としての「抜きどころ」があればOKなんですよね。
じゃあ、この映画の抜きどころはどこか?もちろん、「巨人の人間踊り食い」「立体機動装置のアクションシーン」「エレン巨人vsモブ巨人」じゃないですか。
この3つがよくできていれば、エレン君が嫉妬深い童貞野郎でも、調査兵団が職務中に乳繰り合う間抜け集団でも、何でもいいんですよ。この3つがよくできていれば。じゃあ、この3つはどうだったか?
序盤のシーンで、人類の築いた壁が超大型巨人によって破壊されて、その穴から、巨人が侵入してきて、人類が踊り食いされます。
進撃の巨人といえば、このシーンですよね。このシーンはかなり頑張っていた
特撮とCGを上手く融合させた巨人のビジュアルは、原作の巨人が持っていた「妙なゆがみ」をしっかり再現できていて。人間ではあるんだけど、人間の理とは違う生き物である巨人の不気味さを、実在感を持って表現できていて、心を掴まれました。
あと、踊り食いですね。PG12指定なので、残酷表現には限界があるかな‥と思っていたんですが、しっかりグロをやりきっている。人間が噛みちぎられたり、引きちぎられる、原作の絶望感が映像でも再現されていて、持ってかれます。血もバンバン出るし、身体もバンバンちぎられるので、オジサン、大満足!
みんなだいすき、立体機動装置アクション。これはどうだったか?
個人的には「かなり残念」だと思いました。なんていうんですかね、「巨人のCGを背景にワイヤーで移動しています」感が凄くて、実存感や浮遊感が足りないというか。
製作陣は「スパイダーマン」の飛翔アクションくらいのクオリティを意識したそうですが、映画「スパイダーマン」の跳躍シーンほどの、躍動感、スピード感、開放感は全然ないです。
CG合成が上手くないのか、背景から動きが浮いていて、スパイダーマンのような「市街地を蜘蛛の糸でかけめぐってる!」ってリアリティが全然伝わってきませんでした。なんだろう、「ツィーーーー」と移動している感じ。
もちろん、邦画としては頑張っている方なんでしょうけど、満足のいくものでは到底ないと思います。
でもね、でもね、これだけDisってきて、僕がこの映画を嫌いになれないのは、ちゃんと抜きどころがあるからなんですよ。
この映画も原作のように、エレン君がハイパー巨人化してモブ巨人を駆逐するシーンがラストにあるんですが、このシーンが最高で。さすが平成ガメラの樋口監督、素晴らしい仕事ぶり。
エレン巨人も他の巨人も特撮中心に使ってとってあるので、「存在感」「重量感」がある。ここを安いCGだけでやってしまうと、どうしても「ペラい感じ」「ゲームのムービー感」が出ちゃうんですけど、特撮なので、パンチやキックの重み、衝撃がスクリーンを通じてビシビシ伝わってくる。
かつ、最新の編集技術で、とろくなりがちな特撮バトルがスピーディーになっているし、血しぶきのエフェクトもクール。それまでのイライラが溜まっていた分、「やれ!駆逐しろ!」とアドレナリンどくどくですよ。
重みだけでなく、スタイリッシュさもあわせもつこのシーンは、新しい和製怪獣映画の名シーンとして、平成ガメラの渋谷崩壊レベルには語り継がれるくらいの出来だと思います。ラストの怪獣映画としての出来はすさまじいので、特撮映画ファンなら絶対に劇場に足を運ぶべき。
たぶん、これから進撃の巨人について、「突っ込みどころ満載!」とか「原作崩壊!」みたいなレビューがわんさかあがってくると思うんですよ。でも、それで「ふーんクソ映画なんだ(鼻ホジホジ」とわかった気になるのは、人として本当にダサいし、やめた方がいいと思う。
あのな、オレは1800円払って見たから文句言ってんだ。貶してんだ。1800円も払わずに、ネットのレビューだけ見て、見た気になってこの映画を貶す奴は俺がぶっ殺す。あと、こういう特撮映画をDVDで見て「なんか迫力いまいちだったね」とか言う奴も俺がぶっ殺す。
進撃の巨人は若い人なら誰でも知っている超人気作品だし、「意外と健闘してた」でも「クソ映画だった」でも話のネタにはなるし、議論できるので、それだけでも劇場に見に行く価値はあると思います。ぜひ、劇場に足を運んでみてください。
パクリだの何だのと言われてるけど、パクリではないと個人的には思う。
デザイナーがロゴを作る考え方のプロセス上で、必ず一度は考えうる形なので。
(それは独創性無くてダメじゃね?という話は一旦脇に置いておく)
案外気づいてる人少ない気がするけど、あの形にはTとLの形が共存してる。
2文字以上の要素をロゴマークに共存させる考え方はデザインにおける常套手段で、
2人のプログラマーが似たような動作を要求されるソフトウェアを開発するときに
プログラムのプロセスが似ていたとしてもパクリとは言われないだろう。
所謂ゴシック的(※1)なサンセリフ体を元にしてあの形を組むとただの罫線だ。
色分けするのもアリだが、白黒で使われるシチュエーションを考えるともっと
パっと見て判る物がいい。
そうなると、もっと書体として判り易いセリフ体を元にしたツメ方になっていく。
形を組み合わせ、出来る限り余計な線を排除し、シンプルに、シルエットでも判るように。
どこかに日の丸を組み込むと64年の亀倉先生へのリスペクト(※2)にもなる…。
と考えて行くとあの形にたどり着くのは容易に想定される。
このプロセスと似たような形をベルギーのデザイナーも踏んだはずだ。
中村勇吾が言う「すごく基本的な形態の組み合わせのシステム」というのはこういう事だと思う。
言わないよね。デザインを説明するなんて、芸人がボケを説明するくらい恥ずかしいもの。
だから精神論に走ったり、凄い人だからパクらない!みたいな言い方になる。
それでは少しも擁護になっていないのだが、どうしても一言言いたかったのだろう。
こういう時は黙っておくべきだ。本人のように。
まあ、本人自身は「パクリではありません」の一言くらいはあるべきだけど。
そんな訳で「ありがちなアウトプットなのでパクリではない」が答えだと思う。
(この"ありがち"っていうのも同業者が変な擁護論に走ってる一つかな)
同じ答えを誰かが言ってた気もするけど、自分も書き出してみたくなった。
以上。
オリンピックのエンブレム、パクリパクリと騒がれているが、偶然の一致じゃねーの? 少なくともあれは、パクらないと思いつかないような形ではない(笑)。
ベルギーのデザイン事務所の人が「うちのは2年も前に世に出ているんだから、デザインを目にしているはず」みたいなことを言っていたけど、悪いけどベルギーの劇場のマークなんて、日本で目にする機会はまずないよ。
だいたい、俺がベルギーについて知っていることなんて、ワッフルとビールとスパ・フランコルシャンぐらいのもんだし。他の人も大差ないんじゃないかな?
色にしたって、黒、金、赤なんて、和風なデザインにするときの常套句みたいな色の構成でしょうに。スペインのデザイン事務所がどうのこうのと言ってるらしいけど、パクリもくそもないよ。だいたい、スペインのデザイン事務所が作ったデザインには、銀が入ってないじゃない。こじつけに近いよ。
これだけありとあらゆるデザインが氾濫している世の中で、シンプルなマークを作ろうと思ったら、どうしたって何かに似るってのはある程度避けられないんじゃないだろうか。まあ、運が悪かった以上のもんではないと思う。
どんなにデザイン事務所がハードワークだなんだ言ったって、二ヶ月も制作期間があったら、ベルギーの劇場のマークなんかわざわざパクって使おうなんて思わないよ。そっちの方が面倒臭いでしょうに。
デザイナーが慌ててSNSのアカウント消しちゃったりしたのが印象悪いね。
ともあれ、デザインなんて、百人が見て百人が気に入るようなものは絶対作れないんだから、こういう公共のデザインを勝ち取ったんだったら、胸を張って対応すれば良かったんだと思うけど。
好きなライトノベルを投票しよう!! という企画がある。今のところ毎年二回やっていて、ライトノベル読者がおすすめしたい作品を投票するというものだ。ちょうど上半期の結果が出たところだ。最近のラノベ分からないし、面白い作品なんてないんでしょというおまえらにおすすめのライトノベルが揃っているから載せておく。
http://lightnovel.jp/best/2015_01-06/vote.html
たまらん! メチャクチャな青春ラブコメに巻き込まれたけど、生まれてきてよかった。
薬屋のひとりごと(3)
終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか? #02
ランキング上位は基本的にラノベ読みの間で話題になった作品だな。読んでおけば通ぶれるし、それでいてマイナーすぎないという狙い所だ。
「終末なにしてますか?」は、例えば アニメ・ラノベファンタジーの”呪い”を描くメタライトノベル「終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?」 - 主ラノ^0^/ ライトノベル専門情報サイトとか取り上げている人も多い。野崎まどもいまやだいぶ出世したが、当初から独創的な作品を書くことで話題だった (ファンタジスタドールとか)。下読み男子と投稿女子とかは作品として出す前に一般的に行われる下読みという校閲に近い作業を話題に取り上げていて、ラノベ作家を書くメタ的なラノベからの派生が伺える感じ。ラノベ作家ものいうと平坂読たんの最新作「Amazon.co.jp: 妹さえいればいい。 (ガガガ文庫): 平坂 読, カントク: 本」がおすすめだ。作家同士の交流とか、編集との絡み、作品制作の苦労がギャグ風味で書かれている。
「ひとつ海のパラスアテナ」は電撃文庫の新人賞作品で、女主人公百合風味な海洋ものという異色な作品でライトノベルの懐の深さを示してくれた。ラノベでも女主人公いるんやんで。
「たまらん」とか「アルデラミン」、「ソラリス」も同様の傾向がある。
トップのラインナップをみれば分かるけれど、メジャーどころがないのが特徴的。前述したよみたんの「妹さえいればいい。」もないし「俺ガイル」もないしね。すでに有名なのはおすすめしてやるかという意思が感じられる。その偏向したポジションが、このライトノベルがすごい!とかのランキングを良い意味でも悪い意味でも混乱させるんだけどね。
上位だけじゃなくて下位の方にも面白い作品が入っているのでぜひ本家のほうで見てくれ。票数は少ないものの、その作品を押したいというラノベ読みの意思が反映されている。
同時期に行われているライトノベルツイッター杯2015年上半期概要 - ライトノベルツイッター杯も募集が終わって、1、2週間後の土曜日に結果が発表されるはずだがそっちにも注目だ。そして次の機会にはおすすめの作品を投票してくれると助かる。それじゃあ、良いライトノベル生活を!!!
好きなライトノベルを投票しよう!! - 2015年上期 作品別投票結果一覧より。
既に評価を確立している人気の戦記ファンタジーだが、第一部の完結とその終わり方が高く評価された。
http://dengekibunko.dengeki.com/newreleases/978-4-04-886559-3/
『生徒会の一存』シリーズで知られる著者の新作。ゲームガチ勢とエンジョイ勢の対比とともに誤解が誤解を生む賑やかなラブコメが描かれる。
http://www.fujimishobo.co.jp/sp/201503gamers/
元軍人とその相棒が営むパン屋が、戦争で傷ついた街で奮闘する姿を描く、ハートフルなファンタジー。
http://hobbyjapan.co.jp/hjbunko/series/135/index.html
22世紀の深海を舞台に、予想もつかない展開で読者を魅了するモンスター・パニック・スリラー。
http://bc.mediafactory.jp/bunkoj/solaris/
奇才・比嘉智康が描く、テンポの良さとテンションの高さが魅力の多角関係ラブコメ。
http://bc.mediafactory.jp/bunkoj/tama_run/
『文学少女』シリーズの野村美月が贈る、ラノベ新人賞の下読みを務める主人公とラノベ作家を目指すヒロインの青春ストーリー。
毒物に詳しいヒロインが後宮で起こるさまざまな事件を解き明かす中華風ミステリ。「小説家になろう」で人気だった作品の書籍化。
http://ncode.syosetu.com/n9636x/
危機に瀕した人類の救世主としてアニメの中からヒーローがやってくるロボットアクション。熱い展開とスタイリッシュな演出が人気。
今年の電撃小説大賞《大賞》受賞作品。全ての陸地が海に沈んだ世界で、メッセンジャーとして逞しく生きる少女の物語。
http://dengekitaisho.jp/special/21/works/pallasathena/index.html
幼馴染のヒーローを救うために、悪の組織の残党を率いて戦いを挑む主人公のダークヒーロー・アクション。
http://sol-comics.shogakukan.co.jp/solc_dtl?isbn=9784094515398
謎の敵によって人間が滅び、それ以外の種族が空に浮かぶ島へと逃げた世界と、それを守る少女たちの戦いを描いたファンタジー
http://sneakerbunko.jp/series/shumatsu/
「最近のラノベの文章www」として注目を浴びる天才・野崎まどの、意欲的な試みがふんだんに盛り込まれた短篇集。
http://dengekibunko.dengeki.com/newreleases/978-4-04-891099-6/
アニメ化で話題をさらった「ダンまち」がランクイン。人気のある作品には投票を避ける臍曲がりなラノベ読みたちからも支持を集めた。
はぁ?
どうやったら、確認できるんだ?
そりゃ、映画館に聞いたさ。前々から。2回目、3回目見る直前にな。どの映画館でも
「○○日に行くのですけど、入場者特典は貰えますか?」
「数量があれば貰えます。」
んで、貰えなかったので、払い戻してもらおうとしたが、不可能なので、そのまま帰ったさ。3回目の時は。
グッズなんてモノである。最悪金で手に入れることも可能だ。
しかし、増田が劇場で味わったその感動は、金では手に入れることはできない。
そりゃ、貰えた人だけが言えるコトだ。
まわりが、手に入れて満足している中、貰えず、その「貰ったコト」を共有できない人の気持ちがワカルのか?
確認して、できる限りのコトをして、貰えなかった人のキモチが分かるのか?
貰った人の中には、「グッズはゴミ」だという人もいるかもしれない。それはそれだ。違うんだよ。
「入場者限定の貰うコト」自体も、またオンリーワンなイベントなんだよ。
グッズを金で買うじゃ意味がねーんだよ。
なお、ワイの場合はバルト9の日曜深夜の回とかでも特典貰えてたので、配布数自体は少ないのではなくて偏りがあるんじゃないかと見た。
そりゃ良かったな!
少くとも、俺の県内全域では、1日の午前で全部無くなったよ!
ごめん、ちょっとやっぱり酷いと思ったので、言わせてくれ。
俺はそもそも映画を複数回見る人じゃないのだが、今回ラブライブの映画を3回見た。
知らない人のために説明しておくが、今回のラブライブの入場者特典ってのは、
「毎週」特典が切り変わって行く。だから、毎週行けば、毎回違う特典が貰えるって仕組みだ。「数量限定」でな。
「数量限定」なので、そりゃ当然貰えない人も出てくる。
俺だ。
3回行ったが、3回とも貰えなかった。
いや、1回目は仕方ないと思ったよ。
1回目見た時は、特典が配布されてから3日経っていたので、「まぁ、仕方無い」と思ったので、まぁ、普通に映画を楽しんだ。
2回目は、反省を行かし初日に行こうとした。だが、仕事も入って、初日の夜の上映で、映画館側に聞くと、「夕方には配布終了しました。」と言って、仕方なしと思ったよ。
けど、3回目は、今度こそ!!と思って、平日の仕事の間隙で、劇場の予約をして、なんとか配布切り代え、3回目の上映に、(予約開始の1時間足らずで、2回分の席が埋まってしまった!)なんとか予約して行ったが、なんと上映2回で、配布終了してしまったのだ!!!!
いや、いくら「数量限定」と言ったって、これはいくらなんでも酷い。
その数量の数も書いて無いし、明かに供給不測ってのは考えられるし、狙って、品薄商法的な、ビジネスな戦略を取った。というのは分かる。ビジネスとして正しいのかもしれない。だけど、いくらビジネス的に、正義だからと言って、ファンの人みんなが幸せにならない商法はどうなのか?
そもそも、劇場で、席の数は決まっている。なので、そもそも、席数×上映回数で、上限が分かるはずだ。
ラブライブは、大体、1日に4~5回上映される。なので、大体1週間に30回ぐらい上映されるのだ。3回目で配布が無くなったってことは、30回のうち2回分の分しか用意して無かったって事になる。これはいくらなんでも酷いんじゃないのか?
せめて、初日に来た人なら貰える程度の数を用意するべきじゃなかったのだろうか?
ラブライブで特典で、暴れるマナーの悪い客がいたらしい。確かに、暴れるのは良くないが、暴れる側の気持ちは分からないでも無いのだ。
これは、どうクレーム入れりゃ良いんだ?
以上だ。
追記。
次回も行く。
追記2
映画は正直たぶん、一般には微妙な出来だと思うし、特典貰えなかったのはムカツクし、公式は糞だと思うが、
俺はラブライブを愛している。
「スギ花粉にすぐ反応してクシャミばっかりする人たちに、私は心底うんざりしているのだ」
ってのは、ちょっとどうかと、俺は思う。
ヒドイ自称をしてるが、俺は映画やドラマやエンターテイメントが好きだ。
(作品を貶すよりも)鶴を見つけたと叫ぶ方が有意義だと思ったから、そうした。
批評家から酷評されようがファンからブーイングを受けようが映画館に足を運ぶのは、そこに輝きがあるからだ。
例えば昨今のイカ人気に便乗するなら「ザ・ビースト/巨大イカの逆襲(1996)」というパニックムービーがある。(日本では劇場未公開・TV公開)
娘に海の無慈悲さを説く主人公である父親には(ゴジラ作品に通ずるような)自然への畏敬がある。
ただ、有り体に言ってジョーズの何番煎じかの作品で、秀作とは言えオススメするのは難しい。
しかし、単なるパニックムービーに深みを与える演技を魅せた主人公のWilliam Petersenは、
「CSI:科学捜査班(2000~)」でギル・グリッソムを演じ、ハリウッド殿堂入りを果たしている。
つまり、どんな作品にもそこに関わった人間の思いが込められているし、
駄作と酷評されるような作品にも、愛と信念を持って臨む人間が居る。
こちとら最初から「何が(何を持って)成功か失敗か」という話はしていないんですよ。論点分かってくれ。 /この人のように実際に観てから言ってる人には何も言うつもりはないんです。
十分に論点を理解した上で書いたが伝わらなかったのは俺の力不足だからだろうし、
これが個人攻撃に見えてしまったり、曲解した上で叩いているように見える可能性もある。
ので、ゴリッとidを入れておいたので、不愉快に思ったら手数をかけるが削除申請して欲しい。
少なくとも「自分の好悪」であると主張しているのは、俺は好ましい態度だと思う。
だからこそ、共通点を探ろうとブログを読み(slinky_dog_s11さんの好きであろう)ゴジラシリーズを週末かなり観た。(正直キツイし時間かかった……)
だもんで例示としてあげるのはローランド・エメリッヒ監督のGodzilla(1998)にするが、
俺は、パニックムービーとして良く出来ていると思う。ジャン・レノも良い味出してるし。
しかし、「ゴジラ」ファンがこれを「ゴジラシリーズ」として認めるかは、意見が割れると思う。
ゴジラ(1954)にある自然への畏敬や人間社会への風刺はホトンド無いし、
フォーマットとして確立していたゴジラvs怪獣という点も無く、独立している。
そもそも、それまでのゴジラの造形からあまりにもかけ離れている。
こういったハリウッド化が何度も繰り返され、slinky_dog_s11さんの好きなゴジラや特撮が、
そうではない別ものとしてハリウッド化が何度も何度も繰り返し為されていたとしたら、
「ハリウッド化!」に対して「もう止めてくれ!」と叫ばないだろうか。
それを、「ゴジラを見ていないし思い入れも無い人」が「ハリウッド化に騒ぐ特撮クラスタは目障りだから止めろ」と言ってきたら、
「ゴジラ好き」達は、素直に「次こそはという可能性もあるから黙って待つか」と思えるだろうか。
そもそも「実写化」というのは別に本質じゃない。次元を超えるせいで、単に目立つだけだ。
例えばリメイクやリブート、コミカライズやノベライズ、もっと言えばアニメやドラマのシリーズものだってそうだ。
第三者が別のキャンバスを持って現れ、横で少し真似た絵を描き始めた
http://blog.goo.ne.jp/yukks453145/e/12eb31fc9d5080c07c838ef6fb4ea238
slinky_dog_s11さんも書いてるよな。的確な比喩だと思う。
自分の好きな絵の名前で「これこそが名画でござい!」と模写を披露してるのを、見るわけだ。
その模写は、原作の絵を知っている人間が見ると、とんでもない模写なワケだ。
もしくは、「トンデモナイ描き方を始めた」ように見えるワケだ。
例えば最近だと寄生獣(2014, 2015)があるな。放射性廃棄物を使った演出で、一炎上あった。
個人的にはね、ミギーの阿部サダヲの名演とか、寄生獣を実写で見られたというワクワク感も無くは無い。
でも、あの映画があると(あった事実は消せないよな)「寄生獣っていうのは、ああいう思想の作品なんだ」として記憶される訳だよ。
主人公に寄生する謎の生物であるミギーもさ、「なんかヒョウキンなバケモノが腕についてんな」という評価になるわけだろ。
人間から見たら冷酷な(でも事実を言ってるだけの)ミギーに対する違和感や嫌悪感、そこからの「共生」みたいなものは読み取れないわけだ。
漫画を読んだら判るはずの良さが、映画を観た人には伝わらない。
観た人に演繹されて「ああ、原作もこういう作品なのね」と思われると想像して当然だろう。
そして、そうなるであろうという不信感・違和感が、「止めてくれ!」と叫ばせるわけだ。
「ここが違う」「そこが違う」として細かな差異をアゲツラウってのは、本質じゃないと思う。
それは「不安だ!不信感がある!」という違和感を上手く言語化できないだけじゃないかと、俺は思う。
俺は、初期の段階で騒ぐのは良いことなんだと思ってる。
少なくとも、熱心なファンが居ることは伝わるわけだし、プレッシャーもかけられる。
島本和彦みたいに「原作を変えたんだから、実写も変えろ!」みたいな面白しなくても、伝わる可能性がある。
そして、この中で、作品がより良くなる可能性があるのは1番しか無い。
だから、「実写化!」にファンが即応して「マジかよ!」と叫ぶのは合理的だ。
俺は、ブコメでも言及されていた「るろうに剣心(2012)」を邦画と呼ぶのには強い抵抗がある。
(るろ剣に関しては語りたいことが山ほどあるが、本筋ではないのでここには書かない。需要も少ないだろうしな)
それぐらい、「邦画」界や「ドラマ」界隈ってのは特殊で、ハッキリ言って漫画やアニメを実写化するには向いてないと思う。
だからこそ、Twitter等でファンの声を製作者側に伝えられる機会があるなら、もっともっと騒ぐべきなんだと思ってる。
そして、そういうファンの存在を「受け入れがたいので目を背ける」コトが出来ずに「本当に嫌い」として黙れというのは、狭量じゃないかな。
http://anond.hatelabo.jp/20150619121107
(※追記:Twitterみたら個人攻撃にしか見えない感じになってたので題名を修正。あと、ゴジラ24本観終わったので、残り6本のはずだが近所でレンタルしてねえ……)
今、俺が求めているのは、
具体的言うと、Bluetoothワイヤレスヘッドセットが常備されている映画館ができて欲しい。
90分、ひとりでニヤニヤ笑って
だから誰も観に行かない。
ホラー映画なんて、友達とワイワイ騒ぎながら観るもんなんだよ。
人、死んだーッ! って。
首、飛んだーッ! って。
「ファイナル・デスティネーション」観て、
助かった、と思ったらあっさり死んだーッ! って。
「ソウ・ファイナル」観て、
そこ夢かよッ! って。
「ホステル」観て、
三池崇史出てきたッ! って。
「キャビン」観て、
ボタン押せーッ! って。
「死霊館」観て、
そう言いながら観るのが楽しい。
たぶん、あんなにシリーズ続いてない。
「呪いのビデオ」シリーズは、高校生が夜中、友達の家に集まって、
いやフェイクだ、
と言いながら観るのが「呪いのビデオ」シリーズの最もポピュラーな楽しみ方であって、
一人で「よくできてるなあ」ってニヤニヤしながら観るのは極一部の好事家でしかない。
海外で当たったホラー映画やコメディ映画が、日本ではさっぱり当たらない。
それどころか、1億ドル売り上げた作品が平気でビデオスルーされる。
そりゃそうだよ。
社会人になって、
ほんのたまにしか会えない友人と、
そりゃあ、映画観に行かないよ。
おでん屋行くよ。
たぶん「コワすぎ!」シリーズだけだと思う。
たとえば、映画を観ながら友達と、小さな声で会話をすることが許されるなら、
マッドマックスの新作を観ながら、
こんな風に上司ぶっ殺してやりたい、って、
やべえ、すげえ、超楽しい、って、
喋りながら観れたら。
まず結論から言うとだ、良い作品もある、が、クソが多いから「止めてくれ」って反射的に叫ぶんだよ。
判るか?
例えばオマエがゴリゴリの童貞で秋月電子にパーツセットを買いに行く時にだ、
Bの可能性も確かにゼロではない。
僕これから25個セット買うから10個お譲りしますよ、と発展する可能性も、存在までは否定出来ない。
だがな、常識で考えた場合、即座にお断りするのが一番正しいんだよ。
ソコ!2時間拘束されても女性と5分話せたんだからお得とか言うな。
結論から言ったら短くなったので、折角だから(罵倒されること前提で)オススメ実写化作品を上げておこう。
なお、自称から判る通り嫌な予感がした地雷は自分から踏みに行くタイプだ。売上に貢献しちまってスマンな。
あ、日本原作限定な。ハリポタとか300とかバットマンとか手に負えなくなるから。
実相寺昭雄監督も凄いんだけど、やっぱ加藤役の嶋田久作だよな。
今見るにはツライところがあるとか、嶋田さん別に美男子では無いよなとか、どうでも良くなるレベル。
(古橋秀之のブラックロッドを実写化するなら、ゼン・ランドーは嶋田久作以外だとブーイングだろう)
クドカンが脚本書いて、松本大洋本人もワリと協力してるので、普通に「漫画未読」も「漫画読者」も楽しめるようになってる。
カメオ出演も多いし、全体的に小奇麗にまとまってる。
一番のポイントは、この映画、石野卓球が音楽提供してんだよ。卓球の漫画だしな。
原作のギャグっぽいところがキチンと表現されているところも高得点。
まあ映画版は、邦画らしく脚本がグダグダでダレる部分も多いので、好きな俳優が居ないとツライかもしれん。
漫画読者なら楽しめる。未読者もまあまあ良いんじゃないかな?
KISSメンバー、ジーン・シモンズの懐の深さを堪能する映画でもある。
でもガチなヘヴィメタ好きと観に行くと喧嘩になるので、そいつとはアンヴィルでも観とけ。
ああ、あの絵柄がこうなるのかあという感慨はあるものの、まあ漫画読者も満足できなくはない。
(個人的には、もっとこう、ジメッとした感じなんだけど、まあソコはソレ)
相棒役に松田龍平おいてあんな探偵役なんて大泉洋じゃなきゃ出来ねえよ、あの人マジ緊張しねえな。
個人的には1の方が好き。全般的にノスタルジックで無い昭和感というのは貴重だと思う。
でもまあ、納得できるというか、まあアレはアレで有りだよな、という。
ほとんど松重さんの人徳に寄るところが多いドラマ。映画化は無いだろな。
まあ原作派からすると、全然違うじゃ無えかと思うものの、ハリウッド凄えな、という作品。
ループものをアレだけテンポ良く判りやすく面白く描くのは層の厚みが違うんだろうな。
なんだかんだ言ってトム・クルーズやっぱカッコイイし凄え役者だよ。
ヤッターマン1号に櫻井翔、ドロンジョ様に深田恭子、極め付きはトンズラーにケンコバとド直球の地雷配役でアリエナイ傑作。
ただこれ、原作アニメのヌルイギャグ、ユルイお色気、要らないだろソレっていうスベリ方と、
ほぼパーフェクトなアニメの実写化なので、アニメ知らない若者には相当ツライと思う。
開幕5分で劇場のソコココのカップルから漂う「なんだこれ……」という空気は今思い出しても笑える。
アニメの実写化としてはこれ以上無い完璧な作品だと今でも思う。マフラーだけは無念。
そういや、誰もが判るカメオ出演って珍しいかも。
なんかタカラヅカだと定番化しててソコソコ人気になってて面白そうなんだが未見。
ソコのあの真宵ちゃんのピアノシーンとかナンダヨ!という原作派、まあ待て。
一回ちょっと目を閉じて思い描いて欲しい。
これ、ゲームの初回特典DVDとして付いてきた実写版だったとしたらどうだ?
ほら、震えるくらいの超豪華特典だろ?信じられないレベルの実写化だろ?
原作ヘッドギアの「メディアミックス前提の、アニメ版と漫画版が独立して存在する」珍しい作品。
先行したゆうきまさみの漫画版を原作扱いすることも多いけど、やっぱ違うんだよね。
特に横手美智子の小説版は忘れられてることが多いけど、作品世界に多大な影響を与えてる。
漫画、OVA、アニメ、小説、映画、全部こみこみでパトレイバー。
と、いう面から見ると、実物大のイングラムがデッキアップされただけでも価値はあったと思う。
カーシャがネズミ苦手とか、お武さんの怪談嫌いを彷彿とさせる細かいネタも沢山あったと思うが……
というか、この実写版は流石にどの過去作品にも触れたことが無い人は観てないんじゃないかな?
原田知世版(1983)、中本奈奈版(1997)、細田守版(2006)、仲里依紗版(2010)と4作品ともイイヨ。
特に、筒井センセイも納得の細田守アニメ版「時をかける少女」の主人公の声あててた仲里依紗のやってる2010年版は、細田守版の影響が尾を引きすぎて隠れてしまった不遇の名作。
ワリと細田版時かけの実写版と言って良いんじゃないかなあ……ダメかなあ……
多すぎて割愛。
というか、このカテゴリーに入る作品を「実写化で成功した作品」扱いするのが全ての元凶な気がする。
DEATH NOTEとかさ、テルマエ・ロマエとかさ。
いや、良いんだよ。
でも、アレは実写化として原作ファンが納得する出来なのかっていうと、どうだ?
(他にもスピード・レーサーはワリと酷評されるが作品単品では面白いと思うよ?でもマッハGoGoGoの実写化かあれ)
探せば「原作ファンが喜ぶ実写化」も無くは無いが、ホトンド無えんだよ。