はてなキーワード: 健康診断とは
朝に弱過ぎる私の半生について語りたい。
幼稚園時代
朝に弱い傾向は覚えてないが、この頃から超面倒臭がり屋。
確か、年長くらいまで母に着替えさせてもらっていたと思う。
母に、「こんな年になってお母さんに着替えさせてもらってるのなんてあなたくらいよ」と言われるけど、平均的な園児の平均的な着替えのスピードなどは分からない。
小学校時代
基本的に間に合わない、起きれない。
小学1年生頃くらいまではまだちゃんと登校班に間に合うように行っていた気がするが、学校が好きではない事もあり、徐々に「登校」に燃え尽きていく。小学6年生になる頃には、半分以上登校班に間に合わなかった。そういう時は、1人で走って学校へ行った。夏休みの朝のラジオ体操は、2回くらいしか行ったことがない。毎日行っていたという人がいるが、私とは全く別の種の人間だと思う。
中学校時代
ギリギリ登校。遅刻をする人がクラスメイトから悪口言われているのを見て、頑張って登校するが、やはりギリギリ。早く起きれないから、女子で仲良く登校しているグループに入れなかった。
無理やり身体を起こして、半分寝ぼけたような顔で学校に来るから、よく笑われた。髪とかも、ボサボサでみっともない事が多かったと思う。体力がなくて部活は辞めてしまった。夏休み、冬休みの部活の練習も、行く気になれなかった。中3になり、受験で塾に行くが、せっかく授業料払っているのに疲れて寝てしまう。勉強したいのに、身体がついていかない。ここら辺から、学校に行けないことが増えて行く。遅刻も増える。このあたりでうつ病っぽくなってしまった。志望校には受かったものの、おそらくこの時期に大きく心と身体を損ねてしまったと思う。
高校時代
眠い。授業に全く集中できなくなった。登校は、良くてギリギリでほぼ毎日遅刻。遅刻する自分が嫌で、遅刻する事に何か言われるのも嫌で、自己嫌悪もひどくなっていくし、登校日数すら危うい。学校生活に支障を来していたので、この頃から心療内科に通う。夜眠れる薬をもらったが、効きすぎて翌日さらに眠かったり、元気を出す薬も効きすぎて躁転したりした。本で発達障害のことを読んで、私はADHDではないかと医者に言ってみたら、やはりADHDだった。しかし、当時はリタリンが規制されてしまった時期で、ADHDの私の症状に処方する薬はなかった。
死にそうになりながら、受験シーズンがきて、やはり塾に通う。先延ばし傾向の強い自分は、塾に行かなければ勉強しないと思った。しかし、やはり言われたことをできない。夏期講習も、参加して勉強したいのに、起きれない。勉強のできる男子が、私のことを批判して、本当に辛かった。詳しくは書かないが、彼の言動は何年もトラウマになり、私を苦しめた。結局学校自体の成績も悪く、偏差値も伸びず、私は浪人してしまった。
浪人時代
再び、眠い。勉強しようにも、様々なトラウマが蘇る。しかし、週2で予備校に通っていたものの、週5回毎朝起きて、学校に通うという習慣がなくなったのは良かった。予備校は夕方だったから。元々面倒くさがりな私が浪人で勉強するわけもなく、よくネットをやっていたので、家族からも批判された。しかし、座ることさえ苦痛になった私が、せめて熱中できるのが、ネットと本だった。
英語の音読はとりあえずやっていたが、私が早稲田や慶応、マーチにも受からないことは明らかだった。そもそも、この状態では社会人にとしてやっていけるかさえ危うい。「社会人になったら大変だよ」「社会に出たらそんな事は許されない」みんな言う。今でさえ大変なのに、これからもっと大変なのか。私は、本を読んだり、知識を頭に入れることが好きだ。だから、大学には行きたい。しかし、その先、働いたとしても、上手くいかないのではないか。
いつでもベットと本があった浪人生活。こんな風に、生きていけたらなあ。
昔は大学を卒業して無職で家にいる女性は「家事手伝い」と呼ばれ、それなりにいたらしいが、今の世の中だとそれでは「ニート」だし、聞こえも悪い。家族も私の将来を心配するだろう。
もう一つ、大学卒業後「家でゆっくりする」生活を手に入れるとしたら、それは専業主婦になることだ。そして当時、婚活、という言葉が流行り始めた。結婚できない女性が増えているらしい。そして、奥さんが専業主婦できるくらいの年収の男性も減っているらしい。ならば、早いうちに準備しなければ。稼げて、かつ、生涯を共にしてもいいと思えるほど愛せる人など、きっと何年かに一度しか会えない。私は、こんな私をバカにし、理解しない家族や、嫌な思い出のつまった家を早く出たい。新しい家族が欲しい。幸い、私はまだ若く、容姿も良い。私の最大の武器。
志望校は、早稲田や慶応も受けたが、もちろん撃沈し、あとは男ウケの良さそうな女子大を受けて、その中の一つに合格する。この頃から婚活を意識して志望校を選んでいた。(本当は高学歴の学校に受かるのが一番良い。優秀な男にたくさん出会えるから。)
受かった女子大は家から遠く、やはり朝がキツかった。2限より前の授業に遅刻せずにいけたことなんて、数えるほどしかないと思う。お嬢様で育ちの良い女子大生たちは、ほとんど授業をサボらず、皆真面目だった。服も髪もメイクも、本当にみんな綺麗。その中で遅刻しがちで、寝ぼけた顔で大学に行くのが嫌だった。相変わらず、どうしようもなく朝が苦手だった。もう、遅刻することとか、何か色々言われるのが嫌で、大学ではほとんど友達を作らなかった。
サークルには入った。音楽が好きなので、軽音サークルでボーカルとギターをやった。先輩になってくると、バンドを組んで、バンドリーダーという立場にもなった。歌とギターが上手くなりたくて色々頑張ったこと、人前で大きな声で歌ったこと、ギターソロができるようになったことは自分の中で大きなプラスの経験になった。ここで、念願の優秀な彼氏もできた。男子校育ちでモサかったので、そこは私が磨いた。彼氏にもメンタル的に支えてもらい、いろんな事に挑戦するようになった。飲食店のバイト。ギターを習う。ボランティア。読書会。浪人してしまったが、やはり大学には行って本当に良かったと思った。
就活
大学3年生の終わり、就活の時期がやってくる。ここでまた、私の朝の弱さと先延ばし傾向が炸裂した。
まず、ESが書けない。面倒くさい。要領の良い人は、「一応受けとく」レベルの会社でも、さーっと書いてさっと出す。私は、書けない。やりたくない。夜、書こうと思ってPC開いたは良いものの、書きたくなさすぎて朝になる。会社説明会は4割くらい遅刻。自己嫌悪で自信がなくなり、また受からなくなる、できなくなる。
結婚の話もちょくちょく出ていた彼氏は、やはり私が就職しない、というのは嫌らしい。旦那の親から見ても、優秀な息子の彼女が就職できず無職というのは、今の時代恥ずかしいのではないか。優秀な彼氏にふさわしい妻になる彼女として、どうしてもどこかに内定をもらい、就職しなくてはいけない。
自分が、社会に対して何ができるのか。今まで、私が褒められた事を思い出す。私は容姿が良く、友達は少ないものの、コミュ力には問題ない。元気で礼儀正しいと言われたこともある。ブラック低賃金と名高いが、販売職で明るく物を売ることならばできるのではないか。椅子に座ることが苦手だから、事務職は視野に入れなかった。
確かに、彼氏もこの世の中、彼女が一度も社会人経験なく専業主婦になる、というのも不安だろう。ある程度社会を知ってから結婚した方が良さそうだ。
最後の方は一ヶ月に一回、会社を受けるというペースで、私はなんとか販売職に内定をもらった。
販売職時代
数年前炎上したブログに、「社会の底辺の人とは関わってはいけません」https://ameblo.jp/akky-0829/entry-12188216276.htmlというのがあったけど、販売職はまさにこういう世界だった。いや、このブログはさすがに極端すぎるけど、残念ながら、大方賛同できてしまう。私はここで、巷で噂される「若くて可愛い子に嫉妬して悪口を言うおばさん」を初めてみた。一日中、イライラしている大人を初めて見た。それでも、人が足りないからと言う理由で彼らは雇われているのである。私は遅番が多く、昼から出勤が多かったから、朝の弱さは軽減された。しかし、基本的にギリギリ出勤ではあった。基本、先輩よりも遅く来た。出勤が昼とはいえ、30分も早く売り場にいることが生理的に無理だった。ある日、私の評価をつける人が、「店の準備」の評価項目にCをつけた。毎日商品の埃を払ってフロスなどを熱心にかけているのに、なぜここがCなのか。上司に聞いてみると、ギリギリ出勤だからだと言う。おいおい、そういう準備も、規定の就業時間の中に入っているんじゃないのか。ギリギリでも、時間内に来てるんだから、せめてBでしょ。会社に、強く不審感を抱いた。
一方で、私は働く楽しさも感じていた。私は、よく売れる販売員となったからだ。それは、私の容姿や愛嬌、コミュ力のおかげだ。また、商品提案のための勉強も進んでした。そして、若い私は男性社員からも気に入られた。しかしそこがまた、先輩から気に入られなかった要因でもあった。いじりとしても、先輩からのキツイ言動が増えた。その頃からまた、私は心療内科に通うようになった。当初の予定通り、専業主婦になって辞めればよかったが、人手不足の中、辞めて良いものかわからなくなっていた。まだ若い私は、色々なことが経験不足で、判断がつかなかった。
色々あって、ああ、もう、キツイなと思った時、退職を考えた。このころあたりに、結婚した。職場に行くのもキツくなったときに、休職し、傷病手当をもらって辞めた。旦那に養われながら、傷病手当をもらいながら、ゆっくり休むことにした。この頃、ストレスでガリガリになっていたが、念願の専業主婦になる夢がやっと叶った。
専業主婦時代
本を読む。RPGのゲームをする。ジムに行って、身体を鍛える。ギターを弾く。散歩する。
ささやかな、やりたいことを色々やった。この頃あった友人に、「なんか綺麗になったね」と言われた。
しかし、念願の専業主婦になったにも関わらず、私の中にはある思いがあった。
「このまま、20代半ばにして専業主婦で過ごしていて良いものか」
他の同年代はみんな働いている。そして、私はどうも、仕事ができない方じゃない。子供を産んだら、子育て中心の人生だ。それで良いのか。私は、働けばお金になるのに。
そこで、転職活動を始めた。しかし、職歴販売職のみ20代半ば既婚、いつ妊娠するか分からない私はなかなか良い職に受からない。しかもここでまた朝弱いが発動、面接もしばしば遅刻してしまう。
やっぱり私はダメなのかな。
そう思った矢先、親戚の保険のおばちゃんに声を掛けられた。正直、保険の営業に良いイメージはなかったので断った。しかし、給料も販売よりずっとよく、女性が働きやすい環境で、福利厚生もしっかりしているという。とりあえず、面接だけは受けてみないか。そう言われ、とりあえずで受けに行くと、トントン拍子で面接が進み、あっさり合格。保険の営業には抵抗があったが、他に受けた企業よりは条件が非常によかったため、挑戦してみることにした。
保険屋時代
最初は、毎日16時帰りで研修をした。保険についての授業を受ける。保険を売るための試験に受かったら(みんな受かる)いよいよ営業活動である。
相変わらずのギリギリ出勤だが、このころ、やっと安定して朝9時の出勤時間に間に合うようになる。20代も後半に差し掛かり、やっと。
しかし、本格的に営業が始まると、やはり体力的にキツかった。荷物も重い。大抵の保険屋の女の人は、バッグを二つ持っている。一つは財布やポーチなどを入れるバッグ、一つは資料やお客様の提案書など、書類を入れるバッグだ。自分が保険屋になると、他の保険屋が分かるようになる。保険屋さんって、いっぱいいるんだなあ。
1週間のうち1日は、出勤だけして、疲れて何もできない日があった。そう言う時は、カフェや図書館で時間を潰して、適当に報告書を書いて一日が終わった。情けないけど、この一日があったから、私は今まで続けられたと思っている。
数字の方だが、私は順調な方であった。しかし、その順調な数字も、多少無理して働いた結果であった。週1日は休む日を作っているとはいえ、疲労でキツイ日も多かった。それでも、1年は続けようと思った。保険営業でやっていけたら、他のこと何でもできるような気がした。自信がつくと思った。確かに1年は、私は頑張った。しかし、段々とまた、身体が弱っていった。風邪を引きやすくなったり、頭痛や腹痛も増えた。
私は愛嬌で保険を売っていたと思う。愛嬌で近づき、仲良くなり、アポをとり、上司が提案する。しかし保険の知識があるかと言われると、あんまりだ。形が見えない商品は、イメージがしづらく、正直あんまり興味が持てない。飛び込みも、営業先の企業で知らない人を呼び止め名前と生年月日聞くのもキツくなってきた。
この仕事を続けて2年。同じ時期に入った同僚が半分以下になる中、私はよく頑張ったと思う。
最近は会社も休みがちになってしまい、今日も会社を休んでこの増田を書いていた。
私が今、会社を休みがちになってしまったのは、朝弱いにも関わらず、無理矢理にでも9時に出勤し続ける生活をして、また壊れかけてしまったのだろうなと思っている。
私はいつだって、他の人とは違うと言うコンプレックスに苛まされていた。普通になりたい、普通になりたいともがき続けた。一日中、寝っ転がって本を読むような生活だってしたかった。でも、誰かの役にも立ちたかった。いろんな思いがグルグル回って、色々やり続けた。
私は今、27歳。昔よりは色々落ち着いて、大人になった。自分のこともよく分かった。
ひとつ、これはもう辞めようと思ったことがある。それは、週5のフルタイム労働だ。体力的にキツイし、学校でも、会社でも、週5で何かして良い結果を残したものはない。幸い、旦那が高収入だから、基本的には週5でフルタイムで働くことはなさそうだ。しかし、人生何があるか分からないから、お金を稼ぐ手段は手に入れたいと思っている。
いや、それにしても、私は生きてきた。思うに、色々やっていれば、人の能力は年々高まって行くものらしい。朝9時出勤も、ずいぶんできるようになったし、寝つきの悪さもかなり改善した。仕事終わりにササっと美味しい手料理を作り上げた日など、旦那からはあまりの変わりように「お前は誰だ」と言われたものだ。
欠点があっても何とか色々頑張ろうとがむしゃらに生きた結果、今があるのだと思う。
誰がこの増田を読んでいるか分からないけど、読んでくれた人、ありがとう。
【追記】
書いた当初、自分としては力作に関わらずあんまり反応がなかったので、残念な気持ちになっていたのですが、昨日夜見たら色々反応があって嬉しかったです。
反応をいただくのは何でも嬉しいですが、「読んでよかった」「人の半生は面白い」「頑張ったね」などの言葉は特に嬉しかったです。
ありがとうございます。普通の人が普通にやっている事が私にはとても辛く、例えできたとしても世間では「当たり前」ですから、自分が頑張っていることが認められていない気がしていたのです。本当に、ありがとうございます。
・元増田が能力が高い、勝ち組、若くて容姿の良い女はイージーモードだと言う声について
まずは、ご意見ありがとうございます。
あの記事は、また会社を休みがちになってしまい内面的にもグダグダになり、誰かに自分がADHDであり、朝が弱く、辛い人生を送ってきたと言うことを誰かに急に吐き出したくなり、衝動的に書いてしまったものです。
匿名ダイアリーだからこそ、自分は実は発達障害で〜などと秘密にしていることも話せるように、「私は若くて容姿が良い」など、現実世界ではちょっと言えないようなことも吐き出すことができます。普段人に言えないようなことがかけるからこそ、魂の叫びのような記事を読めるのも、増田の醍醐味だと思います。
知り合いには誰にも見せない日記だから、私の良いところも、悪いところも正直に書きました。日本は謙遜する文化だから、はっきりと「私は容姿が良い」などかくと、自慢に聞こえてしまったかもしれませんが、私の人生を語る上で、これは重要なファクターでした。
正直、私は発達障害者にしては恵まれている方だと思います。しかし、これはあくまで「発達障害の中では」と言う話であり、やはり人一倍辛い人生を送ってきました。
この記事のコメントにも死にたい、とありましたが、死にたい、と思って死ねる人なんてほぼいないと思うのです。私は小学校低学年の時から死にたかったですが、結局、人間苦しくてもよっぽどのことがあっても死ねないのです。死ねなかったら、生きるしかないじゃないですか。それも、なるべく苦しくないように。
だから、私は自分が持っているものを、最大限使おうと思いました。その事実を書きました。
自慢したかったのではなくて、「そうやって生きてきた」と言いたかったのです。
あと、ちなみにイージーモードではありません。
それに、遅刻はするわ色々ミスするわなのに、「可愛いから」もしくは「イケメンだから」という理由でモテてたり、かわいがられる同性の同僚がいたら、ちょっと嫌じゃないですか?なんか悪口言いたくなりませんか?私だって、そんな人が周りにいたら、少し黒い感情が湧きます。容姿の良さが仇となることもあるのです。
血圧は十代のころから低めでしたが、目立って低い訳ではありませんでした。
大人になって、疲れやすいと言うことで甲状腺の病気を疑い、検査したりしたのですが、結果は到って健康でした。正直、体のどこも悪くないのです。
むしろ今の会社の上司が、女性の営業職10年と言うことでかなりバリバリ働く人なのですが、健康診断の数値で低血圧で引っかかっています。しかし、普通にバリバリ働いています。本人曰く「気合い」だそうです。体の色々な数値よりも、結局「気」と言いますか、生命エネルギーのようなものの方が大事そうです。私には、それが足りないようにも思います。
起立性調節障害については確かに、十代の頃、親が調べてくれればよかったな。。。肝心の母は私が朝全然起きれないことを母の母(つまりおばあちゃん)に愚痴ってた。。。私が発達障害な事もあんまり認められない感じだったし。父母共に優等生だった故か。もう過ぎた事だけど、書いてて悲しくなってきたわ。もうフルタイムでは働かないって決めたから、もう治療する気もないけど、子供の時に親がもっと色々やってくれればと言う思いは確かにある。学校が辛くても、せめて家庭だけでも私を受け入れてくれたら。子供の時の記憶は、悲しい事ばかりです。
・朝の時間を守ることを以上に重要視するせいで道を踏み外す人が結構いると思う
私もそう思います。そもそも人には色々リズムがある訳で、全員朝9時出勤と言うのも無理があると言うのも同意です。遅刻する人に対する嫌悪も、「自分は周りに合わせてこの時間に来ているのにお前はゆっくりしやがって」という嫉妬なのかもしれません。
あと、大学の授業でやったのですが、日本人はとても均等性を重視するのだそうです。なので、その観点からも、遅刻をする人は「均等を乱す」ため、好かれないのもしれません。
・朝起きれないのは自己肯定感の低さが原因だった
自己肯定感が低いと、全てにおいてレベルが下がりますよね・・・私も、旦那と暮らしてから急速に成長したように思います。これから私はしばらく子供も作らず好きに生きる予定ですが、それは自分の自己肯定感を上げるために、必要な期間であるように思います。
・小規模な会社なら増田の働けるところがあるかも
そうですね・・しかし、周りの人たちに聞きますと、大企業より中小企業の方がブラックなところが多いようで、就職先として探すのは尻込みしてしまいます。コメントをくれた方は人を雇う立場なんてすごいですね。何かのご縁があり、あなたのように寛容な人の元で何かしら活躍できればそれはとても素晴らしいことだと思います。
健康診断の精神科の問診みたいな奴で「悩みを打ち明けて相談できる家族以外の人が何人いますか」みたいな質問あるじゃないですか。いつも一人も思いつかなくて0人って答えて死にたくなるんですよね。
この質問に対する答えは0人だけど、でも一緒に遊ぶ人がいないってわけじゃないんですよ。それで尚更悲しくなるというか。同じ集団に属する人と遊びに行ったりご飯食べたりすることはよくあるクセに、自分はそれ以上人間関係を深めようとしてこなかったんだな、環境に甘んじて友人がいる気分になっているだけなんだな、という気分になるんですよね。
だから、他人が「学生時代の友人と久しぶりに連絡取って遊んだ」とか言ってるのを見るだけで死にたくなるんですよ。ああ、この人はちゃんと属する集団が変化しても繋がり続ける友人を作れているんだな、俺にはそれができていないのに、って。
大学の頃から20代折り返しの今までコツコツ貯めて今年の冬のボーナスで貯蓄額500万行くな!とウキウキしてたら独り身の血縁者が突然病に倒れた。健康診断をきちんと受けていなかったこの親族、病状が悪く行政の制度を利用しつつもそれなりに高額な医療費が掛かった。親族でこの医療費を出資出来るのは貯蓄のある私だけだったので、貯金から払った。今後も通院が続くというのでお金を少しでも親族の手元に残させる為に、退院後親族が会社に持って行く菓子折り代も払った。借りているという駐車場代も払った。そういえば病院で使うタオルやパジャマ、下着、洗面用具その他全てに掛かる費用も払ってる。
父親の祖母が死んだ。幼少期散々母や私を虐げて来た祖母に対し払う金は鐚一文ないと思っていたが、祖母と一緒に私を虐げて来た父親は「俺の給料から天引きで祖母の葬式代を出す。嫌なら家から出て行け」と母に宣った。父親の給料から月々祖母の葬式代を出すと家計費は一万円しか残らない。母も働いているとはいえパートタイマー、そう高い稼ぎは望めない。葬式代を払い終えるまでの二年間、母の支援の為に生活費を払う。
私には10歳上の姉と2歳上の兄、一つ年下の妹がいる。それぞれフリーター、ニート、フリーターという肩書きで実家に寄生しており生活費だけが掛かる。収入源にはなり得ない。家計は上記の通りなので生活費を払うが、私が必死に働いた金がこいつらの衣食住になると思うとこんな静かな夜なのにとても穏やかではいられない。
貯金残高がみるみる減っていく。今年中に500万到達なんて夢のまた夢だ。しんどい。お金が減ることではなく「自分に原因がないのに、苦労して築いたものが他者によって崩されること」が苦しい。何で私がこの理不尽を負うのか?という気持ちが拭えない。私はケチなのか?金の亡者なのだろうか?ちゃんとした人は病気の親族を労わり亡くなった方を悼み兄弟を我が身のように想うものなんだろうか。どれにも当てはまらない自分は自己中心的なのだろうか。
今後も貯金残高が減ることが予想されて気が滅入る。こんなことのために貯めたんじゃないのに。自分の為に貯めたのに。
お金の話だしこんな内容だし、友達にも誰にも言えなかったからこうして吐き出せて良かったし反応まで貰えて嬉しかった。ありがとう。
姉は以前外で借金作って、ヤクザ引き連れて母の職場に乗り込んできた前科持ち。借金作って借金取りに追われるまでの流れをもう数回繰り返してる。兄は母から貰った大学の教科書代や定期代を全部趣味にぶっこみつつ、大学に通ってるフリを一年か二年し続けてその間母からずっと「教科書・定期代」を貰い続けてた。大学中退後三十路間近の今までヒキニート。ニートだけど飯と風呂は人並み以上。
妹は就活生時代「説明会で頷いてる奴ら全員赤べこww馬鹿みたいwww」とイキッた結果フリーター。全員いつ他所様に迷惑を掛けるか分からんから監視下に置いておくというのが母の方針。座間市の件が全く他人事じゃない、この三人は何をしでかすか分からない。生活費が足りなくなった母親がキャッシングに手でもしたらそれこそ後が厄介なので足りないお金は私の貯金から出すのが一番平和なルートとして確立されてしまっている。本当は出したくない。でも職場に乗り込まれたりするのはとても困る。
父も姉も兄も妹も全員明日辺り不慮の事故で死んで欲しいと願わずにはいられない。
こうしたあまりに不出来な親族は本当に、本当に呪いだと思う。私は前世で放火殺人レベルの重罪を犯した罪を今償わされているのか?と思ってしまう。他にも更に苦労してる人は沢山いるだろうけど今夜くらいは苦労人としてその頭数に入れて欲しい。
増田達の家族ってみんなまともな人ばかりなんだろうか。自分もまともな親族に恵まれたかった。兄弟の人数だけは多いし、心強さを感じてみたかったな。
https://anond.hatelabo.jp/20170907021659
始めた頃は74キロだったのが、66~65キロをうろうろするようになった。
今の所特に無理もせず、大きな戻りもなく、順調に続けて順調に下がっていっている。
正直誰からも「痩せたね」と言われる事はないし、見た目に痩せた感じは全くない。
もしかして体重計がおかしいのか、私がいつも見ているこの数字は幻なのかと本気で考えたりもしたんだけど、この前あった会社での健康診断でちゃんと体重は落ちてた。
よかった。
飽き症なんだけど当初決めたふんわりとしたルール、
①無理はせず続ける事を第一に考える
③レコーディングする
①をまずルールとして設定したのは、昔きつめのダイエットをやって痩せたもののやめた途端思いきりリバウンドした事、ダイエット中にきつさに根を上げて成果が出るまで続けられなかった事があるからだ。
反動が起こらないような、また日常の延長線上にあるようなものにしようと思った。
また期間を限定してのダイエットは、「明日から」になりがちだし、結果が出なかった時の失敗感もすごい。
なので「無理せず」「とりあえず続ける」を一つ目のルールとした。
大きな戻りもなく、と上で書いたけども、小さな増減は結構ある。
でも続けているとそこから減っていくし、一週間前と比べず、一か月前と比べると確実に減っているので、気にしない事にした。
あとグラフ(カロリー管理のアプリを使っている)を見ると、一気に減る、停滞、少し増える、一気に減る、というサイクルが出来ているので、きっと自分が悪いのではなくそういうものなんだと。
ちなみに増え始めるのは月経の前で、一気に下がるのは月経後だ。
これは皆そうなのかな?それとも人それぞれなんだろうか。
月経前にはお通じが良くなるのでそれのせいもあるかもしれない。
あんなに憂鬱だった月のものが今はちょっと楽しみになっている。
無理をしない、で言ったら、カロリー制限以外の事は基本的に考えない。
制限内ならお菓子も食べるしラーメンも食べるしハンバーガーなんかも食べる。
飲み会では一応気にしつつもカロリー上限を超えても仕方ないと思うようにしてる。
塩分を取り過ぎた翌日は確実に体重が増えているので、塩分取りながら「明日は増えてそうだな~」と思うけど別に気にしない。
一日の摂取カロリーの上限だけを気にして、食べたいものを食べてる。
たまに馬鹿食いしたくなる時はある。
でも自担の美しさとあの時の居たたまれなさを思い出す事で簡単に我慢できるようになった。
あー、でも二つほど悩みがある。
一つ目はこれまで快便だったのが便秘気味になっている事だ。
正直これまで便秘で悩んだ事はなく、ダイエットと便秘が結びつかなかった。
大体のダイエットサプリの説明を見ると便通がどうのこうのって書いてあって「私快便で太ってるけどな?」と思ってたんだけど、単に私が快便だったのは過剰なカロリー摂取のためだったようだ。
便秘苦しいね。快便、下手したら下痢気味で生きてきた私には、この辛さがわからなかった。
お腹重い。あと便秘してると体重が減らない。出すと減る。出したい。出して減らしたい。
これかあと思った。世のダイエットサプリが訴えてた事は本当だったんだ。(サプリが効くかどうかはともかく)
ジャニーズにハマる前からとあるスポーツ観戦が趣味なんだけど、特に海外の選手を応援しているので、夜中に放送されるそれをリアタイするには睡眠時間を削らねばならず…。
仕事で日付超えてから帰宅しても一旦仮眠して3時に起きて観戦した日に体重計乗るとガツンと増えている。
最初は摂取カロリーをさらに抑えてみたり、便秘薬飲んだりして改善を図ろうとしてみたんだけど変わらないしなんでだろ?と思って自分の行動と照らし合わせてみたら、見事に観戦のために睡眠時間を削った日とかぶってた。
かといってリアタイ観戦はやめたくないので、できるだけ仮眠時間を取れるようにしよう、と思っている。(なかなかできていない)
自担が毎年やってる舞台が冬にあると仮定して、そこまでにあと2キロくらい痩せたいなあ。
自担、54キロなんだって。身長は私よりもあるのに。筋肉もあるのに。
8キロ痩せた私よりまだ11キロも軽いとか私どれだけ太ってるの。
道のりは遠い。
http://itpro.nikkeibp.co.jp/atcl/column/14/346926/101101158/
https://anond.hatelabo.jp/20171012165214
市町村役場で大規模開発が必要なシステムと言えば住記・税・福祉系の3つだが、この中でも福祉系がぶっちぎりで地雷。
住記:住民票の管理。住民票はほぼ全国統一のフォーマットなのでシステム移行は容易。
税:市町村の税で大きいのは住民税・固定資産税・軽自動車税。細かい税率は違うが基本の計算式はほぼ全国統一されてるのでこれも移行は容易。
○国民年金:運営は日本年金機構が行っているが、申請受理や審査の窓口業務は市町村。
○障害者福祉系:障害者手帳の交付・自立支援医療の給付・通所サービス・その他医療費助成(重心)等。
○児童福祉系:児童手当・児童扶養手当・保育(保育園幼稚園)・妊婦健診・その他医療費助成(小児慢性や養育医療)等。
これらの業務それぞれが国・県からの権限移譲されたものと市町村独自のものが混在している。
市町村ごとに千差万別と言っても過言ではない。また、普通の市町村と中核市と政令指定都市でも、どこまで権限があるかは異なる。
これらの業務を全て1つのメインフレームで運用しておりそれを新しいものに入れ替えるだけ、
これらの業務は根拠法令が成立して制度が始まった時期がバラバラなため、そのたびに入札を行って新たにシステムを構築する羽目になる。
そのため、役所内にメインフレームと、異なるベンダー・異なる言語のパッケージが乱立する状態になる。
京都市は今回そんな状態を解消すべくシステムの一括更新を試みたがプロジェクト炎上した、と推測する。
パッケージに業務を合わせろという指摘、業務が役所の内部だけで完結するシステムなら簡単。
人事給与や財務や決裁のシステムであればどこの役所も業務を適宜修正してる。
問題は仕様変更が住民に影響を及ぼす業務(印刷物を送って申請をしてもらわなければならない類のもの)。
毎年送られてくる役所からの文書が変わると混乱してしまう住民の方はものすごく多い。
もちろん事前に今年からこのように変更になります、とお知らせはするんだが読まない方は読まないので。
京都市レベルの大都市で役所からの書類が全部いっせいに変更なんてことになったら、
なので、対外的に住民に出す文書の様式は従来のものから変更はなしで、という仕様になりがち。
「○○さんて、若いですよね…さんじ…うーん…さん…」
会社の人に帰りのエレベーターホールでそう言われた。ちゃんと「30くらいですか」と言ってくれれば「20代もちょうど半ばです」訂正できたのに。それとも「3歳に見えますか?」とでも言えばよかったか。
結局その辺が曖昧なままに健康診断の胃カメラへと話題が移った。
と言っておいた。暗に20代であるということは伝わっただろうか。
昔から年不相応に見られることが多い。結婚をしてからそれが悪化したような気がする。所帯染みてきている。勘違いされること自体は昔からなので気にはならないけれど、勘違いさせたままにしていることが騙している罪悪感としてのし掛かってくることがある。後で実年齢が発覚したときに相手に気まずい思いをさせるのも辛いので何とかした方がいいような気がしてきた。
肌を綺麗にする努力をすれば、良くなるだろうか。そもそも夫も年上なので同じ年くらいの子と接触する機会が現在ほとんどないので若い子の振る舞い方が分からない。
元増田です。
三月に受けたときは、肺のレントゲンは異常なかったっていうのは今のところ判明してる。
夏場はまだいいけど、冬になると、普通に風邪とかインフルうつされるってリスクも加わる。
まあ、そんなこと言ったら、外の人混み歩けないんだけど。
でも、リスクはなるだけ減らしたい。
大きな会社だったらそのへんの危機管理しっかりしてて、インフルとわかったら出社禁止とかきちんと管理されている。
会社員なら、風邪くらいじゃ休めないってのはあるし、同じ社内の誰かにうつしたら自分にそのしわ寄せや責任が来るってのもあるからだと思うけど。
コワーキングで働く人たちは、基本、仕事上のつながりはないから、そのあたりの危機意識が薄いのかな。
インフルでなくても、風邪ひいてめっちゃ辛そうな咳をしてる人とかもたまにみかける。
これが会社員なら、休めない理由もあるだろうけど、フリーランスなら、風邪ひいて辛けりゃわざわざコワーキングきて菌まき散らしながら仕事するなよ。治るまで家でやれよ、っていつも思う。
自分が神経質すぎるだけなのかもしれない。
実際、気にしない人は、その咳してる人の前で普通にたんたんと自分の仕事してたりするし。
そのあたりの感覚はきっとわからない人にはわからぬのかもしれない。
コワーキングを利用してるんだけど、嫌な咳をしている人がいる。
いつも一緒になるわけではない。
が、一緒になったときには、少し離れた席だけど、同じ空間でよく嫌な咳をしている。
最初のうちは風邪でも引いているのかなと思っていたけど、かれこれ利用するようになって1年以上。
その人はかわらず、たいてい同じような嫌な咳をしている。
これが普通に会社勤めなら健康診断があるし、なにかしら病気があった場合は引っかかるので大丈夫だろう。
けど、コワーキングを利用している人なので、おそらくはフリーランスか自分で会社を立ち上げたベンチャー系の人と思われる。
うつらない病気ならいいんだけど、咳というのはどうにも気にかかる。
喘息なんかがもっともよくある無害なパターンだと思うけど、近頃は結核なんかも徐々にまた世の中に増えてきていると聞く。
実際、ここ10年ほどだけど、自分の仕事先や知り合いで、2人、結核になった。初期の頃だったらしく、薬と短期間の入院で治癒したらしいが。
コワーキングで嫌な咳をきくたびに、この人結核とかじゃないだろうな…と不安になる。
こちらはフリーランスの身。下手にうつされて長期入院とかになったら死活問題だ。
まあ、嫌ならそんなコワーキングは利用しなけりゃいいだけなんだけど、立地的にも設備的にも使いやすく気に入っており、なかなか別の新しいコワーキングを見つけるという気になれない。なにより、なんで自分の方が出て行かねばならぬのだっていう思いもある。
一番いいのは、本人に聞けばいいことなんだろうけど。
「いつも咳にしてらっしゃるけれど、喘息とかなんですか」とか。
しかし、たいして面識もない、ただコワーキングでよく顔を見かける程度の間柄で、いきなりそんな質問をするのも失礼だろうし。
どうすればいいんだろう。
個人的には発達障害を不便ではあるけど、そこまでマイナスのものと思ってません。「腰が最近痛い」という人に、「ヘルニアかもよ?整形外科行ってみたら」みたいな感じで、発達障害かもだから専門家の話聞いたら、って言える世の中になってほしいと思います。発達障害の診断は難しいですが、椎間板ヘルニアや通風の診断だって素人には同じように難しいです。発達障害という言葉を特別扱いする必要はないというのが私の意見です。
あ、あとちょっとしたアドバイスです。知能試験を受けて、専門家と相談することは良いと思いますが、お子さんの投薬治療は、よく考えてから始めたほうが良いと思います。就職時の健康診断とか、生命保険はいるときの審査とかに影響がでます。過去五年以内、という質問が一般的なので、投薬を就職5年前にやめる見込みがあるなら問題ないです。
・野菜350g…とってる
・運動…どうしたって続かない
5分で終わること(洗濯物の取り込み、ゴミの分別etc)ができない。
はじめても、その後2分で休憩に入ってしまう。
入れるだけで力尽き、そこらにほっぽってしまう。
たまーに、必要に迫られすぎて、15分位でばああああっとやると、
普段なら1週間がかり(やんなきゃなと思い悩みやろうとするがやらない5日間、週末2日間でやりはじめて2分後から休憩×5回、つまり実働は10分たらず)のことを、
2、3個はこなせて「こんなに簡単で早くできるんだ!なのになんで普段やらないかな~」と驚く、
が、かといってそれを継続することはできず…。
仕事ではそれなりに集中力を持続させ、人よりもわりと早く終わらせることができるし、仕上がりも悪くはない。
こんなザマの生活をするために稼いでいるのかと考えると、自分がアホのように思える。
心地よく豊かに暮らすために働いているのに、自宅は雑然としたゴミ溜め同然で、
ベッドで寝転がりKindle本を読む以外のことを一切しない…。
汚い部屋は嫌いだ。
なのに綺麗にしない。
時間はたっぷりある。9時5時の仕事で、アフター5の予定は常にゼロ。
しかし、帰宅すると死んだようにベッドに直行し、時には歯も磨かずに寝てしまう。
だらしないのだよとにかく。
でも変わりたいとは本当に思っているのだよ(本当に変わりたかったら変わってるはずだ、はナシでおねがい)
汚い部屋にイライライライラし、毎年更新される健康診断での不健康な結果に愕然とする。
しかし、動くことはできない。
緑黄色野菜を大量にミキサーですりつぶし野菜を摂取することだけは続いている。
よわい32。
自分の世話を適切に見られるようになりたい。
ちゃんと動けるようになりたい。
戸塚ヨットスクールみたいなとこで根性を叩き直すしかないのかね。
仕事ではフィードバックがあり、それなりに評価されることが成功体験となり、それがやる気につながっている(気がする)。
自分の世話を自分で見ることを評価されるのは、親と同居していたころ、それも小学生くらいまでだ。
そして独居のいま、自分の世話をしても、それを褒められるのは自分だけだ。
だから、それなりにご褒美などを考えてみたりする(美味しい外食など)。
しかし、動かない、動けない、しかもそのくせご褒美用のイベントはちゃっかり行う。
だらしないだらしない。
だらしないな~~~。
だらしないな~~~。
本気が伝わらないかもしれないけれど、本当に変わりたいのさ。
いつも26~28日で生理が来るのに、30日たっても生理が来ない。
こんなこと初めてだ。
ここ数日吐き気がする気がするんだけど
会社に行きたくないときも吐き気するから、会社行きたくない病なのかもしれない。
あぁ、どっちなんだろうか。
妊娠してるのかしてないのか。
生理後1週間しないと判定できないらしいので、そわそわする。
この気持ちはなんだろう。
この間の健康診断で、妊婦さんが受けちゃダメな検査を断っておいてよかった。
先週カップ麺食べたことを少し後悔している。
待ち遠しいな。
いや、まだ分からないし、なんでもないのかもしれないけど。
いいママになれるといいな。
父は貧しい個人商店の長男で、奨学金を貰いながら大学に通った。やがてお見合い結婚をし、母との間に私と妹が生まれた。妹が生まれる直前に、土地付きの家を買った。家族旅行にもよく連れて行ってくれた。私も妹も、名の通った私立大学を出ている。
専業主婦の母と娘二人を養ってくれた、世間的には平凡だが立派な父。
理屈ではそんな風に考えられるのに、私は父を愛することが出来ない。30歳になった今でもだ。
子供の頃、我が家には大きなピアノがあった。私がピアノ教室に通い始めてすぐ、音楽の心得のある父が付きっきりで練習を見てくれたことがある。幼稚園児だった私にとっては、トラウマと言ってもいいような記憶である。
私がうまく弾けないでいると、父は厳しく叱り付けた。正しい運指を見せて、この通りにやれ、と言う。殴られたわけではないが、涙が出る程度には恐ろしい口調だった。両手が塞がっているので、涙も鼻水も垂れるがまま、いつ間違ってしまうかと怯えながらピアノを弾いた。見せてもらったばかりのお手本の真似も出来ない自分は、きっと出来の悪い子供なのだと思った。
その後も父にはしばしば、「同じところで何度も間違うな」と注意されたことを覚えている。間違えると叱られる。私にとってのピアノとはそういうもので、演奏を楽しんだり、褒められた記憶はない。今でも鍵盤を前にすると、誰かに監視されているような気がする。弾くことは、もう一生ないと思う。
子供にも音楽をやらせたい、最初に正しい型を叩き込むのが肝心。それは父なりの愛情表現だったのだろう。ピアノは高価な買い物だったはずだし、月々の月謝も安くはなかったはずだ。何より、わざわざ時間を割いてくれた。練習の様子も気に掛けてくれてはいた。
家族で食卓を囲んでいても、父は原則として、人の話を聞いていない。「お父さんはどう思う?」と水を向けても、大抵は無反応である。
テレビを見ながらの大人同士の雑談なら、それでもいいかと思えるが、毎日の出来事を話したい盛りの子供には辛いものがあった。進路や学費といった相談事まで無視されるのには辟易した。仕方なく何度も話し掛けたり、大きめの声で注意を惹くと、ものすごく不機嫌になる。金は出してやるから好きにしろ、とだけ言って背を向けてしまうので、どのみち会話は成立しない。
そのくせ父の方は突然ウンチクを語り出したり、つまらぬオヤジギャグを飛ばし、望んだような反応が得られないと機嫌を損ねるのだ。
そんな壊滅的な父の対話能力は、酒が入ると完全に消滅する。自分語りやお説教を垂れ流すのはともかく、好意的な反応を返さないと拗ねたり怒鳴ったりするのが厄介である。
体のためにも酒量は控えて欲しいと、家族がどれだけ注意したところで、ネットショッピングで無尽蔵に取り寄せられてしまう。それでも家計に響かない程度に稼いでいるのは父自身なので、経済的な切り口から禁酒を勧めることも難しい。健康診断は既に要注意項目が複数あるのだが、どれも「危険」の一歩手前であるため、「これくらいは大丈夫ってことだろ」と言い張って毎日のように飲む。
酔った時の父について、私は子供の頃、まるで人語の通じない別の生き物みたいだと思っていた。大人になり自分自身が酒を嗜むようになった今でも、その印象は変わらない。お酒は楽しい時間を過ごすためのもので、酔って記憶も正体もなくすのでは本末転倒だと思う。
私は思春期を迎えると共に、夕食を食べ終えた後は子供部屋に引きこもるようになった。妹は部活動やアルバイトで、なかなか帰って来なくなった。
父の帰りが遅かったある日、嫌味を言われたことがある。
「俺の金で生活出来てるくせに、女同士でだけ楽しそうにしやがって」
何も言えなかった。父がいない日は妹も早く帰ってくるし、私だって居間で宿題をやった。
父はたぶん、精神的には幼児のまま、体と職能だけが立派になってしまった人だ。父方の親戚や祖父母の家を見れば、経済的にも精神的にも恵まれない育ちだろうと想像はつく。発達障害の特徴もある。それでも一家の大黒柱として、アルコール依存症気味になりながらも私たちを育ててくれた。
立派だね、頑張ったんだね、育ててくれてありがとう。
きっと、そう言えるのがいい娘であり、いい大人だ。
分かっていても、気持ちが追い付かない。虐待を受けたわけでもないのに、愛情を注がれてきたはずなのに、肉親を愛せない自分に失望する。
食卓に出された料理を、自分が欲しい分だけ取ってしまう父。一人二つずつだからね、と食べ始める時に母が釘を刺したにもかかわらず、無視して三つも四つも食べる。それが久しぶりに帰省して来た娘の好物であってもお構いなしだ。酒が入ると、もう手が付けられない。
だから小皿に分けてって、いつも言ってるのに。ごめん、大丈夫だと思ったんだけど。母とは目と目でそんな会話をして、肩をすくめた。
父は視野の狭い、ただの子供だ。悪気はないんだ。ならば歩み寄れる、愛せるようになるはずだ。
そう自分に言い聞かせようにも、欲のままに飲み食いする還暦過ぎの酔っ払いは視覚的インパクトがあり過ぎる。卑しい、醜悪だ、という感情を打ち消すことが出来ない。自分の血肉の半分がこの男から受け継いだものだと思うと、身の毛がよだつ。どうして母は、こんな男と一緒に暮らして正気を保っていられるのだろう。
私には、父を愛することが出来ない。
朝、シャワーを浴びて頭と体を洗った。
AVEDAのシャンプーを初めて使ってみたのだが、薬草のようなニオイがする。
風呂場から出るとグッタリと疲れたので、布団に横になりながら顔のムダ毛を抜いた。
髪の毛を乾かしたあと、2時間ほど寝た。
起きてから歯磨きして身支度を整え、昼すぎに通院先の大学病院へ出発。
病院に着いて受付をすませると、ほどなくして血液検査室へ呼ばれ、尿検査と血液検査を完了。
血液検査の際、最後に食事をしたのはいつですか?と聞かれたので昨日の夜6時から何も食べてませんと答えるとビックリされた。
「いえ、受けてないです」
「健康診断とかだと厳密に空腹時血糖値をはかるので夜9時以降は何も食べないで来てくださいって指示が出ることもありますけど、こういう血液検査はそこまで厳密ではないので、先生から指示が出てない限りは朝食とか普通に食べてきて大丈夫ですよ。ウチでは食後4時間以上なら空腹時血糖として扱ってますから」
「えっ、そうなんですか」
ここに通いはじめて4年だが初めて知った。
ボーッとスマホを見ながら待つ。
ようやく診察時間になるが呼ばれない。
私の主治医の診察室だけ異常に回転が遅い気がする。
上が96で下が71。
そして脈拍数がなぜか113もあった。
1年くらい前もこうなって、検査して洞性頻脈だから心配いらないと言われて、しばらくしてから治ったはずだったのに、また再発?
スマホゲーを集中してこなす。
冷房のきいた待合室でずっとスマホを見ているので首の後ろと後頭部が凝って痛くなってきた。
「はいはい、ああこれね、問題ないですよー。ああそうですかー。うん、この数値もね、特に問題ないですから。はいはい」
という流し気味の診察であったが、いつものこと。
私はとくに何もしてないけど長時間椅子に座って待っていたせいでくたびれている。
疲れている人とくたびれている人が出会って、とくに検査結果に問題がなければこんなものだろう。
会計窓口のところでおじいさんが事務員さんに「2時間も待たされてね、○×△…」とクレームをつけていた。
おじいさんのクレームによって会計窓口に列ができているのだが、見えないのか、おじいさんよ。
薬剤師さんにお加減は変わりないですか?と聞かれたので、調子はいまいちだけど血液検査は問題ないからスルーされてます旨伝える。
お薬のことで何か質問ありますか?と聞かれるが、do処方歴2年近いし1〜2ヶ月に1度の頻度で通ってるので、さすがにもう聞きたいことは聞き尽くしており、質問は特にない。
スーパーのL袋相当のビニール袋いっぱいのお薬を手にし薬局をあとにする。
帰りはマクドナルドに寄って本日発売のチェルシーシェイクを飲む。
あまーーーーーーーーーーーーい!!
Sサイズにしておいてヨカッタ…。