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2016-01-15

増田投稿調子の良い日

年に数回、増田へ書き込んだ記事がことごとくホットエントリする調子の良い時期が訪れる。

何書いてもだいたい100ブクマはいく。個別的トラバは抜きにして。

増田を司る11柱の精神呼応するかの如くだ。一種トランスってやつ。

しかし当然リアルでは何のメリットもない。何らのメリットもない。

だいたい増田調子の良い時ってのはリアルで追い詰められて死にたくなるくらいに仕事がたまりにたまっているんだけど、

なんとかこれを乗り切ろう! と上向きに取り組んでいるときだ。

忙しいけど頑張っている、精神的に前向きなとき。これが増田を書くにふさわしい時期なのだ個人的には!

さっき書いた増田文に「怪文章」だとか「狂ってる」とかコメントが付いていたが上記の事情を考えると半ば当然とも言えるだろう。

2015-12-03

公共団体デモクラシー

都道府県市町村、もちろん国家だとか、公共性の高い観光協会だとか商工会だとかもそうですが、そうした団体が、アニメゲームタイアップとか、さらに言えばツタヤタイアップとか、こうした事象が「社会問題化」しています

なぜ問題になるのかその原因はというと、私は「デモクラシーが成立していないから」だと考えるわけです。

例えば市町村が、「萌えキャラ」にしろゆるキャラ」でさえも、そうした広報、というかむしろ広告宣伝ですが、そういう行政します。そうすると、市町村構成員であり最も基本的利害関係者(ステイクホルダー)は、そこの市町村民です。そこではたして、そこの市町村民の意思が、その広告宣伝活動に反映されているのでしょうか?

例えば武雄市などがツタヤと「タイアップ」したわけですが、これも市民意思が反映されているのでしょうか、また、市民の利害に目を向けられているのでしょうか。

選挙で勝ったから」という理由で、首長が何をしてもいいという風潮になっていますよね。その選挙でその候補者投票した人がどのくらいの割合なのでしょうか? そもそも、全員一致で当選したとしたって、個別案件市民意思を完全無視していいという理屈は立たないと思います

それに、投票の拒絶されている人(例えば未成年者)の利害に目が向けられていますか?

また、その施策が実行された後、将来になってその施策の利害を負わされる人への眼差しにも欠けています典型的には、日本の「借金」の件もそうです。世代間の「支えあいモデル破綻した公的年金もそうです。だから率直に言って、「こういう無責任な人たちには人間の血が通っているのか?」と思いますよ。強権的(ポピュリズム的)な思想と、儒教的な(年長者を尊敬し、子孫に責めを負うという)思想が混在し、致命的な矛盾を起こしていると思います

さてともかく、「選挙で勝ったから」という発想でさえも問題があるし、「俺が責任をとる」と云われても、損害が出てからお前が腹を切っても損害が無かったことにはならないわけですね。

ましてや、具体的で個別的施策決定はむしろ首長ではなく職員が決めていることが多いと思われます首長は、上がってきた案にサインするだけかもしれませんし、ましてや「聞いていない」ことすらありうるのではないかと思います。そうするとつまり、その施策には住民意思を反映するプロセスがあるのか、ということが問題であるわけです。

例えば、東京オリンピックエンブレム問題もやはりそうなんですね。東京都がやるんだったら、東京都民意思を反映しないといけないのに、むしろ密室的に行われていたわけですよね。

このような問題はですね、そのまま、「日本国」の問題でもあります政策決定しろ道路を敷くだのダムを建てるだの原発を建てるだのもそうですし、「消費税」を上げるとかいうのもそうです。さらには、広報ポスターCMに誰を採用するかというところにも、1件あたりならばたか個別案件でも、継続的に、特定タレントとか広告代理店とかを使っていくことが慣例化するともう、個別案件だといって済むとは思えないと感じます。(ちなみに、こうした問題点を軽減するための手法に「パブリックコメント」の制度があるわけです。)

そして、例えば、市町村だとか商工会観光協会特定アニメタイアップすると、当該市町村はそのアニメイメージを負うことになります。そうすると、市町村民もそのイメージと影響を負うことになってしまます市町村民は意思決定プロセスに関与していないのに、利害を負わされるわけです。

それがかりにどっかの中小企業宣伝タイアップしたというのならば、それはその企業の「自由」だということになるのでしょう。上場企業だったら株主に責を負いますが、少なから株主は「儲けてくれればいい」と思っているので、実際に収益が出れば文句は出にくい、つまり問題化はしにくいかもしれません。

それでも例えば鉄道事業者がやったら、その列車に乗る人みんなが、その作品だかなんだかを(事実上強制的に)見せられたり、さらには車内アナウンスまでも差し替えられて聞かされたりするわけです。そうすると、たとえ私鉄、「民間事業者」であったとしても、無難な選択にとどまって、「大冒険」はすべきではないというのが原則だと思われます

ですから事業性質や規模によっては公共性が高くなり、決してプライベートでは済まされないことがあります

話が長くなりましたが、昨今の騒動をみると、「大冒険をするな(最大公約数的であれ)」という主張と、「大冒険を許さないと社会が改まらない」という主張の二極対立、デジタル的・バイナリ的なコンフリクトになっているように思います

しか問題本質は、「大冒険」をしても良い場合でも、その決定プロセス構成員利害関係者の意思を聴き反映させなければならない、ということにあるのです。

それを言い換えればデモクラシーだというわけです。

日本人」はデモクラシーに未熟なのだと思います

問題本質は通底しているのに、そうした事件一つ一つを分断して個別化し、洞察反省をしない習性が今の「日本人」にあるように思えます

2015-10-31

http://anond.hatelabo.jp/20151031162952

のつづき

 

まり属人的個別的判断必要なんじゃないか?

例えば壇蜜おっぱいには興奮するが街中の女性の胸をガン見はしないように。

障害」一般にあるイメージを持つこと自体が実は失礼で「あの人の障害」「この人の障害」を見てそれぞれ別々の判断をするべきなんじゃないか?

「欠損女子バーは本人はいいけど障害者イメージが……」って人はその態度自体が失礼なんじゃないか? ひとまとめにしてしまってるわけだから

そうじゃなくて「あなたのフック義手はもうマジで魅力的で見てるだけでドキドします」「けれど街中で見かけた障害者の方の義手をそういう目で見ないようにするし、見たとしてもそれが表に出ないようにします」とかそういうことなんじゃないか?

そしてそれって男性女性に対して、女性男性に対して求められる態度と何も変わらないのでは?

2015-10-06

H23行政法

感想

・結局8時間かかった。途中で紙に書くのをあきらめてPCで打ち始めた。

・全体的に誘導分かりづらすぎ。上位答案も把握しきれていないのがほとんど。

・設問1については通達が「関係法令」(9条2項)に当たらないことを前提にして、それからどうすんの?みたいなとこを聞きたかったらしいけど、中原行政法に書いてない時点でりーむー。上位答案も書けてない。

・設問1書きすぎた。どう削ればいいのか要検討。

・設問2(2)はほんと難問。『行政法ガール』の参考答案さえ誘導に乗れてない時点で無理。上位答案がどこまで書いてんのか要検討。

・設問3はほとんど力尽きてどうでもいい記述になってる。

設問1

1. X1原告適格

 「法律上利益を有する者」(行政事件訴訟法〔以下「行訴」と略す〕9条1項)とは、当該処分により自己権利若しくは法律上保護された利益侵害され、又は必然的侵害されるおそれのある者をいう。そして、当該処分を定めた行政法規が、不特定多数者の具体的利益を専ら一般的公益の中に吸収解消させるにとどめず、それが帰属する個々人の個別的利益としてもこれを保護すべきものとする趣旨を含むと解される場合には、このような利益もここにいう法律上保護された利益に当たる。

 そして、上記の法律上保護された利益の有無を判断するに当たっては、行訴9条2項に規定されている考慮要素を勘案することとなる。

(1) 「当該法令趣旨及び目的」の考慮

(a) 本件許可によってX1は、法科大学院Sにおいて教育をする際、それを静謐環境下で行うことができる権利利益侵害されると主張することが考えられる。

(b) モーターボート競走法(以下「法」と略す)1条は、同法の目的が「海に囲まれ我が国の発展」、「公益の増進を目的とする事業の振興」、「地方財政改善」にあるとしている。

この目的規定からは、法科大学院Sの静謐教育環境保護する目的は窺われない。

(c) 本件許可要件を定めたのは法5条2項・モーターボート競走法施行規則(以下「規則」と略す)12である。この規定は場外発売場の「位置」「構造及び設備」「施設及び設備」について抽象的な基準を定めているだけであり、規律内容は詳細とは言えない。

もっとも、規則12条1号は場外発売場の位置が「文教上・・・著しい支障をきたすおそれのない場所であること」を要件としている。文教とは文化教育のことであるから、同号は場外発売場により周辺の教育環境に支障をきたさないよう配慮していると言える。

(d) 規則11条2項1号は、場外発売場の設置許可申請に際し、申請書に場外発売場付近の見取図を添付するよう求めている。しかもそこには周辺1000メートル区域内にある「文教施設」の位置及び名称を明記することを求めている(同号括弧書)。この見取図は、国土交通大臣が、場外発売場が周辺の文教施設に与える影響を審査するために必要となるものであり、そのために添付が義務付けられていると解される。したがって同号は、法科大学院Sの静謐教育環境保護しようとしていると言える。

(e) 法4条5項は、国土交通大臣が場外発売場の設置許可に条件を附すことを認めている。その要件国土交通大臣が「必要があると認めるときとあるだけである文言抽象から言って、周辺教育施設への影響をこの要件判断考慮することも可能と言える。したがって、同項は、法が法科大学院Sの静謐教育環境保護しようとしていることと矛盾しない。

(f) したがって、法は目的規定にこそ掲げていないが、法科大学院Sの静謐教育環境保護しようとする趣旨であると解される。

(2) 「当該処分において考慮されるべき利益の内容及び性質」の考慮

 (a) まず、法科大学院Sにおいて教育をする際、それを静謐環境下で行うことができる権利利益は、生命・身体・財産といった高次の利益に比べてその重要性は劣後する。

 (b) 法科大学院Sの静謐教育環境侵害する原因となるのは、まず場外発売場から発せられる騒音であるしかし、場外発売場と法科大学院Sとは400メートル離れていることから、この騒音もある程度減衰するとの反論も考えられる。

しかし、場外発売場は、多数の来場者が参集することによってその周辺に享楽的雰囲気喧騒といった環境をもたらす。特に本件では、P駅から来た来場者は県道を通って場外発売場に向かうことになるが、その際、県道に面した法科大学院Sの前を通ることになる。その結果、法科大学院Sの周辺には享楽的雰囲気喧騒といった環境がもたらされることとなる。法曹養成という目的の下、学生全員が静謐環境下で勉強することが求められる法科大学院性質上、教育環境に対する悪影響は甚大である

 (c) 本件施設が場外発売場として営業を行うのは1年間に350日であり、ナイターのない日は午前10から午後4時頃まで、ナイターのある日は午前10から午後9時頃まで、来場者が出入りし続けることとなる。

 しかも、本件施設敷地面積約3万平方メートルという大規模施設であり、700台を収容する駐車場が設置されることを考え合わせると、本件施設の来場者は多数人に上ることが予想される。

 そうすると、本件施設へ多数の来場者がほぼ一年中昼夜を問わず法科大学院Sの前を通ることとなる。その結果、法科大学院Sの静謐教育環境は絶えず侵害され続けることとなり、その侵害の程度は大きいと言える。

 (d) したがって、法科大学院Sにおいて教育をする際、それを静謐環境下で行うことができる権利利益は、生命・身体・財産匹敵する高次の利益とは言えないもの重要利益である。また、本件施設によりその利益侵害される程度は大であるということができる。

(3) 結論

 以上の検討により、法科大学院Sにおいて教育をする際、それを静謐環境下で行うことができる権利利益は、法律上保護された利益に当たるということができる。また、本件認可はこの利益を害するということができる。

 よって、X1は「法律上利益を有する者」に当たり、原告適格が認められる。

2. X2の原告適格

 X2は「法律上利益を有する者」に当たるか。

(1) 「当該法令趣旨及び目的」の考慮

(a) 本件許可によってX2は、静謐環境下で生活する利益侵害されると主張することが考えられる。

(b) 法1条は周辺住民生活環境について言及しておらず、ここにX2の静謐生活環境を保護する目的は窺われない。

(c) 規則12条1号も周辺住民生活環境に支障を来たさないことを要件としていない。したがってここにもX2の静謐生活環境を保護する目的は窺われない。

(d) 規則11条2項1号は、場外発売場の周辺の見取図の添付を要求している。これにより国土交通大臣は場外発売場周辺の住宅状況等を把握することもできる。しかし、文教施設及び医療施設と違って住宅状況については詳細な記述を求めていない。設置許可審査住宅状況を考慮に入れることが規則11条2項1号の主目的であるわけではない。したがってここにもX2の静謐生活環境を保護する目的は窺われない。

(e) 法4条5項が、X2の静謐生活環境の保護矛盾しないのはX1について検討したところと同様である

(f) したがって、法はX2の静謐生活環境を保護しようとする趣旨ではないと解される。

(2) 「当該処分において考慮されるべき利益の内容及び性質」の考慮

 (a) まず、静謐環境下で生活する利益は、生命・身体・財産といった高次の利益に比べてその重要性は劣後する。

 (b)  X2の静謐生活環境を侵害する原因となるのは、場外発売場から発せられる騒音である。場外発売場とX2の住居は200メートルしか離れていない。これは、騒音を減衰するのに十分な距離とはいえないから、X2に予想される騒音被害は甚大といえる。

 (c) 本件施設へ多数の来場者がほぼ一年中昼夜を問わずX2の住居の前を通ることとなるのはX1について検討したところと同じである。その結果、X2の静謐生活環境は絶えず侵害され続けることとなり、その侵害の程度は大きいと言える。

 (d) したがって、X2が静謐環境下で生活する利益は、生命・身体・財産匹敵する高次の利益とは言えないもの重要利益である。また、本件施設によりその利益侵害される程度は大であるということができる。

(3) 結論

 以上の検討により、本件許可により、X2が静謐環境下で生活する利益侵害される程度は大といえる。しかし、法にX2の静謐生活環境を保護する趣旨を見出すことはできない。

 よって、X2は「法律上利益を有する者」に当たらず、原告適格が認められない。

設問2(1)

1. 候補

 本件で考えられる訴えは、①本件取消措置差止めの訴え(行訴3条7項)と、②本件要求措置違法であることの確認の訴えである

2. 比較検討

(1) 適法とされる見込み

 (a) ①の訴えの訴訟要件

 本件で国土交通大臣は、要求措置にAが従わない場合、取消措置を執ることを検討している。この状況下でAは国土交通大臣に対し、要求措置に従う意思がないことを表明している。そのため取消措置が執られる蓋然性が高く、「一定処分・・・がされようとしている場合」(行訴3条7項)に当たる。

 取消措置がされた場合、その後取消訴訟等を提起して執行停止の決定を受けることなどにより容易に救済を受けることができるものではないことから、「重大な損害を生ずるおそれ」(行訴37条の4第1項・2項)があると言える。

 本件要求措置行政指導であり処分に当たらない以上、これの取消訴訟と取消措置に対する差止訴訟との関係問題とならない。そのため、補充性(行訴37条の4第1項但書)も認められる。

 本件取消措置の名宛人はAである以上、Aに原告適格(行訴37条の4第3項・4項)が認められる。

 以上の検討により、本件取消措置差止めの訴え訴訟要件を全て満たし、適法である

 (b) ②の訴えの訴訟要件

 ②の訴えの訴訟要件のうち問題となるのは確認利益である確認訴訟は不定型訴訟であり、最後の救済手段と考えられているから、補充性が要求されるのである

本件では取消措置に対して差止訴訟が認められることから、この補充性の要件を欠き、不適法となる。

(2) ①の訴えの実効

 Aは取消措置を受けるおそれを除去することを求めており、取消措置差止訴訟の認容判決が得られれば、国土交通大臣は取消措置を執ることができなくなる以上、Aの目的は達せられるといえる。したがって、①の訴えの実効性は高いといえる。

3. 結論

 本件でAは、①本件取消措置差止めの訴え(行訴3条7項)を提起することが適切である

設問2(2)

1. 本件取消措置適法性を論ずる前提として、国土交通大臣がAに対し執り得る措置範囲ないし限界検討する。

(1) 規則12条に定められた基準以外の理由許可拒否できるのか

 この問題は、Aが要求措置に従わないことを考慮して、許可拒否できるかという問題である。そこで、設置許可について国土交通大臣要件裁量が認められるかが問題となる。

 本件で設置許可基準を定めた規則12条各号は、場外発売場の「位置」「構造」「設備」「施設」に着目して具体的な基準を定めており、一般的な包括要件を定めていない。これは専ら「位置」「構造」「設備」「施設」について審査し、それ以外の点を考慮しない趣旨と思われる。そのため、国土交通大臣要件裁量を認めるとしても、「位置」「構造」「設備」「施設」と関係のない理由許可拒否する裁量までは存しないと解される。

(2) 通達に定められたことを理由にして許可拒否してよいのか

以上に述べた点に加えて、本件通達は法による委任を受けずに定められたものであるから、その性質行政規則である。したがって本件通達法的拘束力はなく、上述した裁量範囲を考え合わせると、Aが本件通達に従わなかったことを理由許可拒否することはできないと解される。

(3) 通達違反により許可の取消しまでできるのか

 設置許可の取消しについては法59条規定しているが、その要件は設置者が法58条2項の命令違反したことである。これは許可の取消しという、許可拒否に比べて強い効果を持つ処分をする要件を厳格に限定した趣旨と思われる。したがって、法58条2項の命令違反以外の事由を考慮する裁量は認められないと解される。

 したがって、通達違反により許可の取消しまですることはできないと解される。

設問3

1. 考えられる規定の骨子

 本件制度実効性を持つためには、T市長許可を得ていないにもかかわらず場外発売場を設置した事業者に、(a)罰則を与える規定、(b)場外発売場を強制撤去する規定必要である

2. 条例問題点

(1) 規定(a)の問題点

 条例刑罰規定を置くためには、地方自治法14条3項の要件を満たさなければならないという問題がある。

(2) 規定(b)の問題点

 ここには、条例行政上強制執行手段を創設することができるのかという問題がある。そしてこれは認められない。行政代執行法1条にいう「法律」に条例が含まれないからである。なぜなら、同法2条で「法律法律委任に基く・・・・・・条例を含む。以下同じ。)」とされていることの反対解釈から、そう解されるのである

2015-08-11

アメリカへの共同防衛義務を負っていない同盟国は日本だけ

他の同盟国はアメリカ本国への攻撃自国危険とみなす条項があるけど、日米安保にはそれがない。

日米安全保障条約(新)

五条

 各締約国は、日本国施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃自国平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険対処するように行動することを宜言{宜はママ}する。

 前記の武力攻撃及びその結果として執つたすべての措置は、国際連合憲章第五十一条規定に従つて直ちに国際連合安全保障理事会に報告しなければならない。その措置は、安全保障理事国が国際の平和及び安全回復し及び維持するために必要措置を執つたときは、終止しなければならない。

北大西洋条約

五条

 締約国は、ヨーロッパ又は北アメリカにおける一又は二以上の締約国に対する武力攻撃を全締約国に対する攻撃とみなすことに同意する。したがつて、締約国は、そのような武力攻撃が行われたときは、各締約国が、国際連合憲章第五十一条規定によつて認められている個別的又は集団的自衛権行使して、北大西洋地域安全回復し及び維持するためにその必要と認める行動(兵力の使用を含む。)を個別的に及び他の締約国と共同して直ちに執ることにより、その攻撃を受けた締約国を援助することに同意する。

 前記の武力攻撃及びその結果として執つたすべての措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。その措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全回復し及び維持するために必要措置を執つたときは、終止しなければならない。

六条

 第五条規定適用上、一又は二以上の締約国に対する武力攻撃とは、次のものに対する武力攻撃を含むものとみなす。

(i)ヨーロッパ若しくは北アメリカにおけるいずれかの締約国領域フランス領アルジェリアの諸県、トルコ領土又は北回帰線以北の北大西洋地域におけるいずれかの締約国の管轄下にある島

(ii)いずれかの締約国軍隊船舶又は航空機で、前記の地域、いずれかの締約国占領軍条約の効力発生の日に駐とんしていたヨーロッパの他の地域地中海若しくは回帰線以北の北大西洋地域又はそれらの上空にあるもの

米比相互防衛条約

四条

 各締約国は、太平洋地域におけるいずれか一方の締約国に対する武力攻撃が、自国平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国憲法上の手続に従つて共通の危険対処するように行動することを宣言する。

 前記の武力攻撃及びその結果として執つたすべての措置は、直ちに国際連合安全保障理事会に報告しなければならない。その措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全回復し及び維持するために必要措置を執つたときは、終止しなければならない。

五条

 第四条規定適用上、いずれか一方の締約国に対する武力攻撃は、いずれか一方の締約国本国領域又は太平洋地域にある同国の管轄下にある島又は太平洋地域における同国の軍隊、公船若しくは航空機に対する武力攻撃を含むものとみなされる。

ANZUS条約

四条

 各締約国は、太平洋地域におけるいずれかの締約国に対する武力攻撃が、自国平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国憲法上の手続に従つて共通の危険対処するように行動することを宣言する。

 前記の武力攻撃及びその結果として執つたすべての措置は、直ちに国際連合安全保障理事会に報告しなければならない。その措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全回復し及び維持するために必要措置を執つたときには、終止しなければならない。

五条

 第四条規定適用上、いずれかの締約国に対する武力攻撃は、いずれかの締約国本国領域、又は太平洋にある同国の管轄下にある諸島又は太平洋における同国の軍隊、公船若しくは航空機に対する武力攻撃を含むものとみなされる。

米韓相互防衛条約

第三条

 各締約国は、現在それぞれの行政管理の下にある領域はいずれか一方の締約国が他方の締約国行政管理の下に適法に置かれることになつたものと今後認める領域における、いずれかの締約国に対する太平洋地域における武力攻撃自国平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国憲法上の手続に従つて共通の危険対処するように行動することを宣言する。

2015-08-07

読書好き同士にとっての最適なコミュニケーション

 は、一般に「最適」「コミュ強」とされているものと異なる。

 なぜか。それは前提となっているコミュニケーションの型が違うからだ。

 たとえばフツーのコミュニケーションにおいて大部分を占める個人(自分/他人)の体験談である。これはかなり独自性が強い。抽象化すればカテゴライズ可能かもしれないが、基本的には個別的で、「事前に共有されていないこと」が前提となる。なので体験談を話すときフォーマット自然「知っている人間が知らない人間に教える」形におさまる。 

 これがみんなの身体に刷り込まれているため、「あ、私その話知ってる」と言って情報の非対称を乱すような行動はあまり好ましくないわけだ。人は情報強者っぷりに酔えなくなるので、知ってるアピールを嫌うのではない。頭のなかにあるリズム無意識プランニングされた流れを崩されたかイラつのだ。

 武術の型稽古で型を外し奴は迷惑素人なのである

 一方読書流派が違う。その体験が「事前に共有されている」可能性を常にはらんでいる。なので「私知ってる」といってもコミュニケーションの型が完全崩壊することはない。むしろ、そこから分岐するのだ。

 つまり体験談とは違い、「互いに知っている状態」の先がある。

 えてして体験談トークのコアタイム体験談のものに宿っているわけだが、読書はそうとはかぎらない。

 もちろん、「知っている人間が知らない人間に教える」形も多くあるわけで、その場合はいかにあらすじをネタバレせずにおもしろおかしく語るかが重要になってくる。レビューのようなものだ。

 ところが「互いに知っている状態」であれば、そのフォーマットがお互いどう読んだかの討論モードに変化する。ここでいう討論モードはかならずしも怜悧評論批評合戦のみを指さない。ゆるい感想の言い合いも含む。

 ともかく「知っている人間-知らない人間」の場合と「知っている人間-知っている人間」の場合とでルート分岐するのが読書コミュニケーション特性であるといえる。別に読書でなくとも似たようなコミュニケーションが発生する流派はやまほどあるはずだけれども。

 

http://anond.hatelabo.jp/20150807154103

2015-08-02

砂川判決読んでみたら、集団的自衛権への言及があった件

今、話題武藤議員

ホットエントリFacebookの方も上がってて、

https://www.facebook.com/takaya.mutou.7/posts/792937030826673

また都合の良いとこだけ引用してコラージュしてるんだろうと思って、

初めて砂川判決を読んでみた。

56年前の判決でもクーラーの効いた自宅でちょちょいと閲覧出来るんだから、便利な世の中になったもんだ。

http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=55816

全文(PDF

http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/816/055816_hanrei.pdf

裁判官田中耕太郎の補足意見」の二として、以下がある。

さらに一国の自衛国際社会における道義的義務でもある。今や諸国民の間の相

連帯関係は、一国民の危急存亡が必然的に他の諸国民のそれに直接に影響を及

ぼす程度に拡大深化されている。従つて一国の自衛個別的にすなわちその国のみ

立場から考察すべきでない。一国が侵略に対して自国を守ることは、同時に他国

を守ることになり、他国防衛に協力することは自国を守る所以でもある。換言す

れば、今日はもはや厳格な意味での自衛観念存在せず、自衛はすなわち「他衛」、

他衛はすなわち自衛という関係があるのみである。従つて自国防衛しろ他国

防衛への協力にしろ、各国はこれについて義務負担しているものと認められる

である


これって、集団的自衛権のことだよね。

安倍ちゃんや自民党が「砂川判決集団的自衛権を認めてる」云々といってるけど、

しか集団的自衛権への言及がある。

産経含めて、僕の知る範囲では各メディアではこの記述言及がなかったと思う。

・これって集団的自衛権のことじゃないの?

・補足意見ってのは、判決としてはさほど重要視されないの?

教えて、はてなの偉い人。

2015-07-20

集団的自衛権について調べてみてわかったこととかわからないこととか

ここはそうじゃないとか、いろいろ教えていただけると嬉しいです。

わかったこと
  1. 個別的自衛権や、集団的自衛権は、国連憲章の第51条に明文化されている。
  2. 日本個別的自衛権を保有している。だけど、国連憲章の第51条に明文化されているところの個別的自衛権すべてを行使しない。例えば、国連憲章で言うところの個別的自衛権であれば、日本に対して他国から弾道ミサイル攻撃があれば、他国ミサイル基地攻撃していいことになっているが、日本は(今のところ)そこまでやらないし、実際自衛隊にそんな能力はない。
  3. 集団的自衛権も保有しているけれども、集団的自衛権行使することは、憲法上許されない、というのが、これまでの政府解釈であり、昭和56年の政府答弁書にもそのことが明記されている。
  4. 安倍内閣になって、政府憲法解釈を変えた。しかし、個別的自衛権について、そのすべてを行使しないくらいだから集団的自衛権についても、そのすべてを行使するわけじゃない。じゃあ、どういう時に行使するかは自衛の措置としての武力の行使の新三要件に書かれている。ただし、ここに書かれているのは、武力の行使要件であって、集団的自衛権行使要件ではない。だから、武力の行使個別的自衛権行使集団的自衛権行使かは分けて考えなきゃいけない。
  5. 新三要件を満たす条件として政府は三つのケースを上げている。三つのケースについては、どれが原典かわからなかったので、ここでは河野太郎さんのブログから引用させていただく。個人のブログではあるが、与党国会議員ブログなので、引用している内容については問題はないと思っている。
    1. 一つは、半島有事など海外での紛争から逃れようとする邦人輸送している米軍艦船に対する攻撃があった場合
    2. 二つ目我が国近隣で武力攻撃が発生し、ミサイル警戒中の米軍艦船に対する攻撃があった場合
    3. 三つめは我が国エネルギー資源依存する中東ホルムズ海峡機雷が敷設され、国民生活に死活的な影響を与え、我が国の存立を脅かすような事態になった場合
  6. 集団的自衛権の発動には、条件がある。WikiPediaの集団的自衛権のページに有る「個別的および集団的自衛権行使要件」がわかりやすいけど、攻撃を受けた国による攻撃を受けた旨の表明と援助要請がなければ集団的自衛権行使できない。
  7.  国連軍やいわゆる「多国籍軍」は「集団安全保障」における実働部隊であって、集団的自衛権によるものではない。日本集団安全保障へ参加できるかどうかについては、政府答弁書などのソースは見つけられなかったが、実際に多国籍軍に参加したことはないので集団安全保障へ参加出来ないという認識で間違いないと思う。
  8. 今の国会で提出されている法案についていえば、集団安全保障については何も語られていないので、おそらく従来通り、日本多国籍軍に参加することはないのだと考えている。
  9. 国連憲章の第51条によると、国連加盟国個別的自衛権集団的自衛権行使できるのは、「安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要措置をとるまでの間」となっている。国際連合憲章には「共同の利益場合を除く外は武力を用いない」と明記されていて、「共同の利益場合の武力の行使」とは「集団安全保障」のことなので、いわゆる「多国籍軍」が活動できるような事態になっていれば、集団的自衛権行使できないと考える。
  10. 半島有事の際に、日本集団的自衛権行使して韓国軍とともに北朝鮮軍と戦う、というシナリオは、今のところなさそうに見える。韓国北朝鮮を国として認めていないので韓国北朝鮮との戦闘は「国際紛争」ではなく「内乱」になる。だから韓国北朝鮮に反撃しても、それは個別的自衛権行使ではない、という解釈もあり得る。「国際紛争」とみなされたとしても、日本集団的自衛権行使するためには韓国の援助要請必要だけど、韓国日本集団的自衛権行使に反対しているので、援助要請もないと考えるしかない(その時になって気が変わる可能性もあるけど、そんなことまで考えていては話が膨らみすぎるので、取り敢えず除外する)。
  11. 半島有事の際に、米軍邦人輸送してくれるとして、その米艦はどこから出撃したのかだけど、在韓米軍ほとんどが陸軍空軍なので、日本から出撃した艦が輸送してくれるのだと思われる。在日米軍が朝鮮半島に出撃する際は日本の了承が必要という報道が正しければ、日本が了承して初めて、米軍輸送のために出撃できる。日本側には、米軍に依頼するための法的根拠がない(と思われる。見つけられなかった)ので、米軍から邦人輸送したいので出撃させてください」と依頼を受け日本が了承することで初めて可能になると思われる。韓国による了承の必要性についてはわからなかった。
  12. ミサイル警戒中の米軍艦船に対するミサイル攻撃自衛隊迎撃することは、艦隊防空能力を持つこんごう型あたご型のいわゆる「イージス艦」と僚艦防空能力を持つあきづき型なら出来るらしい(全部で10しかないけど)。米海軍海上自衛隊護衛艦データリンクでつながっているので、米軍レーダーがとらえたミサイル米軍システム迎撃に最適な艦を自動的判断し、それが海上自衛隊の艦なら、海自護衛艦撃墜させる。といったことも可能らしい。逆は、半自動なら出来るらしいけど、それが技術的なものなのか政治的理由によるのかはわからなかった。
  13. 弾道ミサイルが発射されて、そのミサイル日本に向けて発射されたものであれば自衛隊迎撃できるが、アメリカに向けたものであれば、それを迎撃するのは集団的自衛権行使に当たるので迎撃できない。以前からそうだったし、新三要件に当てはまらない為、今後も変わらない。
  14. 掃海作業そのものは、軍事力行使じゃない。日本も、日本国憲法下で自衛隊発足前から掃海作業を行っている。機雷を撒いた側が掃海妨害するために軍事力を使ってくる可能性があるため、その対応として掃海作業側も軍事力必要なのだと思っている。
  15. 日米安保アメリカ日本を守るのは義務だけど、集団的自衛権日本アメリカを守るのは相変わらず義務じゃない。義務になるには条約改正必要
からないこと
  1. 日本集団安全保障には参加しない。だから日本集団的自衛権行使している間は自衛隊戦闘を行うけど、多国籍軍が出てきた時には自衛隊戦闘を終了して日本に引き上げる。と理解していますが、あってますか?
  2. 自衛隊後方支援活動中はジュネーブ条約上の『捕虜』になることはない、とのことですが、後方支援ではなく集団的自衛権戦闘中自衛隊員が拘束されたらジュネーブ条約の『捕虜』として扱われるのでしょうか?そういう議論はあったのでしょうか?
  3. 半島有事の際の邦人輸送の件は、新三要件の「我が国の存立が脅かされ」に含まれるのでしょうか?軍艦は、客船じゃないので運べる人数はたかが知れています。仮にそれらの方々が皆攻撃を受けて亡くなられたとしても(ご本人やご遺族の方にとっては大変な悲劇しょうが)「我が国の存立が脅かされ」るほどのことではないように思います
  4. 半島有事の際の邦人輸送は、なぜ「米軍」と限定されているんでしょう?輸送ならどの国の軍艦でも出来そうな気がします。安保条約が日米間のものしかないから、と理解していますが、あってますか?
  5. ミサイル警戒中の米軍艦船に対する攻撃の件で、集団的自衛権の発動には国会承認必要とのことですが、米国の援助要請を受け国会を開いて承認を受けるだけの時間的余裕があるんでしょうか?
  6. アメリカは最新のイージスシステムベースライン9でミサイル防衛と対空戦闘が同時に出来るようになりましたが、日本イージス艦にはそのような機能はありません。アメリカが1隻でできるところ、自衛隊弾道ミサイル迎撃用とそれを守る防空艦の2隻必要になります日本のほうが数も能力も劣っているのに、それでも日本アメリカを助けなくちゃいけない理由がよくわかりません。最新のシステム日本に売ってくれるならやるよ、位の駆け引きはやってもいいと思いますが、そんな形跡は見つけられませんでした。
  7. ホルムズ海峡機雷除去の件は、わからないことだらけです。
    1. 他の国なら個別的自衛権対応できると思いますが、あってますか?
    2. 日本のために石油輸送してくれる船であっても、日本船籍ではなく乗組員も日本人でない場合でも自衛隊で守れるんでしょうか?(他の国ならともかく、日本ならこういう点が議論対象になってしまう気がしています
    3. ホルムズ海峡機雷で封鎖されたら、中東石油依存している他の国も困ると思います。これらの国と合同で機雷除去を行うとしたら、それは個別的自衛権行使なのでしょうか?それとも集団的自衛権行使なのでしょうか?私はどちらにも当てはまらない(そういう事例を国連憲章は想定していない)と思っています

http://anond.hatelabo.jp/20150719235002

いわゆる夢と現実がごっちゃになった状態ってのにも細かくみれば色々あると思うんだよな。

テレビドラマ等における個別的出来事現実に起こった出来事だと基本的には信じる。

テレビドラマ等における世界観価値観現実でも通用している世界観価値観だと基本的には信じる。

テレビドラマ等における世界観価値観現実でも通用している世界観価値観でないことをおかしいと感じる。

歴史ネタにしたドラマとかで、おおまかな流れだけではなく、

詳細でドラマティックなところまで現実歴史だと思っている人はけっこういそうな気がする。

ドラマにおける人々の世界観価値観が、現実の当時の人々の世界観価値観だったとか思ってる人も。

一般にその人がよく知らない領域ネタにしたドラマ等で、

ドラマ等での出来事世界観価値観がどれくらい現実に基づいているかについての製作から情報等を参照してない状態で、

ドラマにおける出来事現実のその領域で起こりがちな出来事であるとか、

ドラマ登場人物が抱いている世界観価値観を、

現実のその領域で抱かれがちな世界観価値観だとデフォルトで思いやすい人はけっこういるかもしれない。

逆に、ドラマ等での登場人物の心情や行動が自分がとりがちな行動ではないと、

感情移入共感個人的にはしにくいと思うだけに止まらず、一般にリアリティとか迫真性の度合いが弱めなのだとか思う人も気になる。

現実で、自分とは類似度が低い他人の心情については迫真性を感じないかのように振る舞う人々もそれなりにいるだろうが、そういう人々なのだろうか。

狭義の精神病で起こりがちなこと。

・次々にイメージや考えが思い浮かんで検討することなくそれらを事実だと信じる。

・夢の中での「行動」のように、現実での行動にまとまりがない。

2015-06-16

 以下便宜国鉄の例をとり、両者を対比してみる。

(一) 国鉄国家行政組織法に定める国の行政機関ではなく、したがつてその職

員も国家公務員ではない。これに対し林野庁は言うまでもなく、右組織法に定める

国の行政機関であり、その職員は一般職に属する国家公務員である

(二) 国鉄職員に対しては日本国有鉄道法(以下国鉄法という。)第三四条第二

項により、国家公務員法適用全面的排除されているが、林野庁の職員に対し

ては前述のとおり公労法第四〇条により、一定範囲国家公務員法規定適用

排除されているのみで、一般的には同法が適用されている。

(三) 任免について国鉄職員の場合には国鉄法第二七条において、その基準の大

綱を示すにとどめ、その具体的規律については国鉄の定めるところに一任している

のに、林野庁職員の場合には、前記のとおり国家公務員法第三章第三節および人事

規則八-一二によつて、職員の採用試験、任用手続等がきわめて詳細かつ具体

的に規定されており、林野庁に一任されている部分はきわめて少ない。

(四) 降職および免職事由についてみると、林野庁職員の場合には、国家公務員

法第七八条第四号において「官制若しくは定員の改廃又は予算の減少により廃職又

は過員を生じた場合」と規定されているのに対し、国鉄職員の場合には国鉄法第二

九条第四号において「業務量の減少その他経営上やむを得ない事由が生じた場合

と、ことさら私企業的色彩の強い降職および免職事由が定められている。

(五) 懲戒事由についてみると、林野庁職員の場合には、国家公務員法第八二条

第三号に「国民全体の奉仕者たるにふさわしくない非行のあつた場合」と定めら

れ、林野庁職員の公務員たる性格を明らかにしているのに対し、国鉄職員の場合

懲戒事由を規定した第三一条第一項にかゝる規定を欠いているし、その他の点で

国鉄法にはその職員を「国民全体の奉仕者であるとは規定していない。

(六) 一般服務関係については、国鉄職員の場合には国鉄法第三二条が職員は法

令および業務規程に従い全力をあげて職務遂行に専念すべき旨を定めるにとどま

るのに対し、林野庁職員の場合には国家公務員法第九六条において「すべて職員は

国民全体の奉仕者として公共利益のために勤務する。」ものであるとの根本基準

を明らかにしているほか、上司命令に対する服従、信用の保持、秘密の厳守、職

務への専念、政治的行為制限私企業から隔離、他の業務への関与制限等(国

公務員法第九八条ないし第一〇四条国家公務員として特殊な勤務関係に応ずる

ものと解される詳細な規定が設けられている。

債務者見解については裁判例として参照すべきものに次のものがある。

(一) 東京地方裁判所昭和三〇年七月一九日判決

行政事件裁判例集第六巻第七号一八二一頁)

(二) 東京地方裁判所昭和三八年一一月二九日判決

判例時報第三六四号一四頁)

 以上のように債権者らが全く同質的ものであると主張する三公社職員の勤務関

係と、林野庁職員の勤務関係との間には、実定法規の上で本質的差異が認められ

るのである

 しかして、債権者らに対する本件配置換命令は、すでに述べたとおり国家公務員

法第三五条人事院規則八-一二(職員の任免)第六条にもとづいて行われる公権

力による一方的行為であるから、いわゆる処分性を有し行政処分としての性格を有

するといわなければならない。(公労法第八条第二号は各種の人事事項に関して当

事者自治による決定を認めているがこれはあくまでも所定の人事権行使に関する基

準について団体交渉等を認めたものであつて、その基準適用して具体的、個別的

に行われる人事権行使一方的行為であることに消長をきたすものではない。)

四、(一) 債権者らは、林野庁職員に労働基準法適用され、同法施規則第五

条に就業場所に関する事項等を労働条件として明示することを規定していること

を挙げ、林野庁職員は私法的労働契約関係にあると主張するが、同条の規定労働

条件に関する事項(基準的事項)について、使用者にその内容の明示義務を課した

ものであつて、このことと個別的、具体的措置がいわゆる共同決定事項であるかど

うかとは別個の問題である

 ところで任命権者ないし使用者が、個別的具体的人事を決定する最終的権利を保

有することは、公務員関係である私企業における労働関係であるとを問わず一般

是認されているところである労使関係運用の実情及び問題点労使関係法研

会報告書第二分冊一一四頁)。

 これについてみると、国家公務員として任用された以上は、任免、分限、服務お

よび懲戒等の勤務関係の具体的内容は国家公務員法によつて任命権者が一方的に行

いうるのであつて、個々に職員の同意を要しないものであり、また配置換命令につ

いていえば、任命権者が国家公務員法第三五条の欠員補充の方法として、その権限

範囲内で職員をいかなる官職に任命するかは自由裁量であつて、それは任命によ

つて勤務官署が異ると否とを問わず、任用関係本質および内容からいつて改めて

個々的に同意を要しないのである。そしてこのことは、例えば労働基準法施行規則

五条第一〇号の休職に関する事項が明示事項とされているが、具体的な適用に当

つては、国家公務員法第七九条により職員の同意をうることなく本人の意に反して

も任命権者はこれを行いうることからみても明らかである

 それゆえ、就業場所に関する事項が労働基準法にいう労働条件明示事項であつた

としても、林野庁職員の個別的、具体的な配置換命令は、職員と任命権者との間の

合意によつて定めるのでなく、国家公務員法適用によつて任命権者の権限によつ

て行われるものである。したがつてこのような行為は、同意をうるための労働契約

上の労働条件の変更を求める私法上の意思表示ではなく、公権力による一方的行為

であり、行政処分といわなければならない。

(二) なお債権者らのあげる地方公営企業職員の解雇に関する裁判例は本件事案

に適切でない。すなわち地方公営企業職員と公労法の適用される五現業職員との間

には、その性質に関し法律上明確な差異がある。

 その一例をあげれば、地方公営企業職員については、政治的行為制限もなく

地方公営企業法第三九条第二項による地方公務員法第三六条適用除外)また、

行政不服審査法適用もない(地方公営企業法第三九条第一項による地方公務員法

第四九条および行政不服審査法適用除外)。

 したがつて、地方公務員法による処分に対して人事委員会または公平委員会に対

する不服の申立をすることができず、これらに対する審査請求は一般私企業と同様

裁判所あるいは労働委員会へすることが許されるにすぎない。これに対し五現業

職員については、すでに述べたように政治的行為制限国家公務員法第一〇二

条)があり、また不服申立に関する規定(同法第九〇条ないし第九二条の二)もそ

のまゝ適用され、不利益処分としての審査請求は、国家公務員法所定の要件を備

え、公労法第四○条所定の範囲内で人事院に対し申立てることができるのである

このことは五現業職員の勤務関係公法関係であり、これにもとづいてなされる任

命権者の措置行政処分であることと切離して考えることはできないのである

五、以上の次第で、本件配置換命令行政庁処分にあたり、民事訴訟法による仮

処分をすることは許されないから債権者らの本件仮処分申請は不適法として却下

るべきものである

第五、申請の理由に対する答弁

一、申請の理由一、の事実は認める。および二、の事実中(一)の事実は認める。

二、(二)の事実債権者a・bが組合分会執行委員であつた事実組合青年婦人

部が債権者ら主張のとおりの役割を果すべきものとされていること、債権者aが債

権者ら主張のとおり採用され勤務していたこと、債権者bの学歴および勤務歴は認

めるが、債務者債権者らの組合活動嫌悪して不利益な人事移動を行い支配介入

したこと、および債権者らに転任できない事情存在することは否認する。その余

事実は知らない。

 申請の理由(三)・(1)の事実中、農林技官e・f・m・i・j・kがそれぞ

れ主張のとおり配置換えになつたこと、農林技官gが債権者ら主張の事務所に配置

換えになつたこと、は認めるが、右fが当時執行委員であつたこと、および右gの

配置換えになつた日は否認する。その余の事実は知らない。右gが配置換えになつ

た曰は昭和四〇年三月二五日である

 申請の理由(三)・(2)の事実中、配置換を行うに際し、昭和三六年以降ほゞ

隔年職員調書をとり、これに転勤希望一の有無を記載させていることは認めるが、

その余の事実否認する。

 同(3)の事実中、債権者ら主張の会議において、主張のような討議事項が提出

されたことは認めるがその余の事実否認する。右討議事項は一署長が提出したも

のにすぎず、当該会議においてもその後の会議においても全く討議の対象とはされ

なかつた。討議事項については、署長側から提出された討議事項は、そのまま会議

資料にのせ、これを配付する方針であるために討議事項として登載され配付したま

でのことであるしかも、右討議事項には債権者ら主張のような事項が含まれてい

たにも拘らず、これを秘密文書として取扱うことさえしなかつたことは、債務者

してこれを全く歯牙にかけず、まともに問題としようとする意思のなかつたことを

裏付けものである。また、実際においても、その後の配置換において、学習運動

考慮された事実は全くないのみならず、すでに二年以前の出来事で本件とはなん

らの関連もない。

 申請の理由三、(一)・(二)の事実中、総務部長会見および署長会見の席上に

おいて債権者ら主張のような発言があつた事実は認める。債権者ら主張の大会の準

運営債権者らが不可欠の存在であること、および事務引継ができないことは否

認する。その余の事実は知らない。

 同(三)・(四)の事実中、債務者債権者らの希望があれば組合青年婦人部大

会において新役員が改選されるまで赴任を延期してもよいと言明したこと、および

本件配置換命令債権者らの家庭生活破壊するものであることは否認する。その

余の主張は争う。

二、本件仮処分申請ば必要性を欠き、却下を免がれない。

 すなわち、債権者c・bは昭和四二年四月一七日、債権者aは同月一九曰それぞ

れ新任地に赴任し業務についている。

 従つて本件は本案訴訟において争えば足りるのですでに仮処分必要性は消滅し

ている。

 債権者らは、新任地への赴任が臨時的ものであることを保全必要性の要素で

あるかのように主張するが、保全必要性は、本件配置換命令効果として形成

れた権利関係によつて結果的に生ずる不利益、すなわち、著しき損害等が生ずる場

合に認められるもので赴任の異状性は仮処分必要性の要素とはなり得ない。

 また、債権者らは、本件配置換命令の結果組合活動自由が阻害される旨主張す

るが、組合活動は新任地においても行いうるものであるし、債権者らが主張する前

任地における組合活動に関する整理等の残務は、もともと債権者らとは別人格の組

前橋地方本部福島営林署分会および白河営林署分会に関する事情であつて、債権

者らについての仮処分必要性判断するための要素とはなり得ない。

 仮りに右残務整理に関する主張が、債権者らについての仮処分必要性に関する

ものとして可能であるとしても、本来組合活動は勤務時間外に行わるべきものであ

り、とりわけ残務ということであれば限られた業務であるから、新任地においても

時間外に処理することは可能であるしか組合執行機関は数名の執行委員をも

つて構成されその業務も特殊専門的業務でなく、共通性を有するものであるから

執行委員一名が欠けたゝめ余人をもつて代え難い業務が残存するとは考えられな

い。よつて他の執行委員に残務を引継ぐことは任期中途で異動した場合通常行われ

ていることであり、本件のみそれが不可能であるとする理由は見当らない。

 右の理は組合青年婦人部の役員についても、また妥当するところである。加えて

以上によるもなお債権者らが組合残務を処理しなければならないという特殊事情

あるとしても、必要最少限の日時について業務上支障のない範囲で新任所属長の許

可をうけて休暇によりその事務を整理することも可能であるから右主張もまた主張

自体失当である

第六、疎明関係(省略)

昭和四三年三月一二福島地方裁判所判決

2015-05-31

http://anond.hatelabo.jp/20150531005533

その個別的・細分化された対応は結局、

「どうしてそうしなくちゃならないの?」

という簡単な質問に答えられないのよ。

※追記

現にフェミニズムは答えられない

2014-08-17

http://anond.hatelabo.jp/20140817103233

実は、最初記述した状況が、(2)の反例になっているか疑問に思えてきた。理由は、

(3)「そこに含まれるすべての人間積極的全否定する行為

という表現に、個別的行為があてはまるか否かを判断することが難しいからだ。

また、そのような行為であるような「自殺」を思い浮かべることも難しい。

なので、(1)、(2)を併せた主張に反例を上げるためには、

(3)を単純なものに分解し、具体例を思い浮かべて、具体例がその単純な表現に当てはまるか否かを考え、

しづつ複雑な表現にして似たようなことをするといいかもしれない。

「いいかもしれない」って何やねん。何でアドバイスみたいなまとめになってんの?

俺は別に反例なんて要らないんですけど。何故なら俺は自分意見について、絶対とは思ってないにしろある程度までは正しいこととして通る話をしていると思っているからだ。

反例を挙げるのはそっちなんだから「そのためにこうすればいいと思います」みたいな意見はお門違い。

「そのためにこう」してみるのがいいと思うなら、実際にそうして出来上がったものを出してみろよ。

具体的に

たとえば、「ある人間部分的否定する行為」、その積極的場合とそうでない場合

「ある人間全否定する行為」、その積極的場合とそうでない場合

「そこに含まれるすべての人間否定する行為」、その積極的場合とそうでない場合など。

場合分けに従って例を出してみろってんだよ。

ぶっちゃけ莫大な個例を検討するハメになった挙げ句、「結局反例として機能するようなのは見つかりませんでした」ってオチになるのは目に見えてるが、まあお前が自分で「こうするといいかもしれない」と判断したんだからな。骨折り損の草臥れ儲けとしても自業自得、その悪い頭を呪っとけってやつだ。

円い四角や空間を占めない色は概念的に不可能存在だ。

黄金の山は概念的に不可能ではないし現実不可能存在ではないが現在のところ発見されていないようだ。

でっていう

「円い四角や空間を占めない色彩が概念的に不可能存在であり、黄金の山が概念的には不可能でなくまた現実には不可能存在でないが実在確認されていない」ということが、

「具体的でもなく現実に生じたことでもない事象について、『現実不可能な状況ではない』と判断できる」ことの根拠としてどう関係あるんだよ。

円い四角や空間を占めない色彩が概念的に不可能だとしたらそれは現実にも不可能からだし、黄金の山は実在していないにしても十二分に具体的から現実に可能な存在だと考えられるだけだろうが。

まるで意味の無い例えだ。自分が何を言っているのかわかっていないんじゃないか?

最初の後半に挙げた状況や、その後に示した具体的な状況は、

対象はすべての人間ではないが、かなり大規模な仕方で起こっていた状況らしい。

集約的畜産に反対する人が反対するために示した描写なので誇張はあるかもしれない。

人間がそのようなことをするのだから人間より優れたものがより大規模にそのようにするというのはもっともらしい。

集約的畜産に反対する人間が挙げた例がどうして自殺を云々する主張に使用できると考えたの?

元の話を見失いすぎだろ。そういう状況が実現し得るか否かはあくまでも「そういう状況で自殺正当化され得るか」を考えるための材料に具体性を持たせて説得力をつけるために検討することですよ?そこんとこわかってる?

人間より優れたものがより大規模にそのようにしたとして、そこで「自殺」はどのようなかたちになるか、それが「そこに含まれるすべての人間積極的全否定する行為」となるか、なるとしてそれは正当化されるかどうかを考えるってのがお前の立場でやるべきことだからね?

あと一応ツッコんでおくが、人間より「優れた」もの人間より優れた倫理及びその倫理を実現する技術をもっていて然るべきなので(「人間」の範疇の中に集約的畜産に反対する人間が含まれるんだから、それより「優れた」存在は集約的畜産問題点を論じるのみならず解決できていなくてはならない)、そのようにするのはむしろ自然でありもっともらしさなど砂一粒もないという主張も成立しちゃうんだからね?

いやめんどくさいから「優れているとは何か」みたいな定義にはタッチしなくていいんだけど。お前どうせ自分に都合のいい「優れたもの」像しか想定しないんだから

http://anond.hatelabo.jp/20140817070301

実は、最初記述した状況が、(2)の反例になっているか疑問に思えてきた。理由は、

(3)「そこに含まれるすべての人間積極的全否定する行為

という表現に、個別的行為があてはまるか否かを判断することが難しいからだ。

また、そのような行為であるような「自殺」を思い浮かべることも難しい。

なので、(1)、(2)を併せた主張に反例を上げるためには、

(3)を単純なものに分解し、具体例を思い浮かべて、具体例がその単純な表現に当てはまるか否かを考え、

しづつ複雑な表現にして似たようなことをするといいかもしれない。

たとえば、「ある人間部分的否定する行為」、その積極的場合とそうでない場合

「ある人間全否定する行為」、その積極的場合とそうでない場合

「そこに含まれるすべての人間否定する行為」、その積極的場合とそうでない場合など。

具体的でもなく現実に生じたことでもない事象について、何を根拠に「現実不可能な状況ではない」と判断できると思うの?

円い四角や空間を占めない色は概念的に不可能存在だ。

黄金の山は概念的に不可能ではないし現実不可能存在ではないが現在のところ発見されていないようだ。

最初の後半に挙げた状況や、その後に示した具体的な状況は、

対象はすべての人間ではないが、かなり大規模な仕方で起こっていた状況らしい。

集約的畜産に反対する人が反対するために示した描写なので誇張はあるかもしれない。

人間がそのようなことをするのだから人間より優れたものがより大規模にそのようにするというのはもっともらしい。

2014-08-13

精神病典型的な症状の記述によくある、

テレビコメンテーター自分の考えがテレパシーみたいなので伝わってて、それについて彼は語っているみたいな感じは、

観念奔逸の根っこにある傾向も要因かも。

思い浮かんだ自動思考(あるいは考え・思想)だかを検討しない傾向。

ふつうの状態なら少なくとも潜在的には次のように思っているから、上のような精神病的考えは思い浮かばないか、浮かんだとしても否定される。

コメンテーターは多くの人の考えそうなことだと思ったか自分の考えに似ていることについて話しているのであって、

自分特有の(個別的な心的出来事としての)思考が彼に伝わっているわけではない。

精神病的状態ってのは半分眠って夢見ている状態みたいなもんって場合もあるかも。

睡眠中の夢において、脈絡なく思い浮かんだことが、夢の中での「現実性」を帯びるような感じで、

思い浮かんだことがよく検討されずに現実であるとされてしまう。

躁的な色彩がある場合自分の思考が間違っているとは感じにくくなっている。

言い換えれば、躁的な状態が自分の考えがそのまま現実であると感じることを助長する場合がある。

2014-07-20

http://anond.hatelabo.jp/20140720105354

ひとつひとつの具体物に対して個別的適用されるルールなら新しく生まれたものには適用できないが、

抽象的で包括的適用されるルールならルールより後に誕生したモノや概念に対しても適用できておかしくないよね

2014-05-29

http://anond.hatelabo.jp/20140528231624

その文はつまらない内容なのでわざわざ説明するほどではないとも思ったが、なんか気になるのでスッキリするために一応。

まあ俺が文を書くのが下手なんだろう。

個別的な(修辞的)表現 → 「お前自身が望んだ」、「望んでなった姿」という表現

個別的な(修辞的)表現における「望み(欲求)」 → 上の表現にある「望んだ」とか「望んで」から抽象された「望み(欲求)」という一般的なこと

殺人の例 → http://anond.hatelabo.jp/20140528205000 の三行目以降の例

問題の文全体で「お前自身が望んだ」、「望んでなった姿」という表現殺人の例は「望み(欲求)」という一般的なことを含むという点で関連している、くらい。

問題の文より強くはっきり言えば、殺人の例は、「お前自身が望んだ」、「望んでなった姿」という表現での、

「望み(欲求)」の使い方のまずいと感じたところを浮き彫りにするための例だってこと。

問題の文はほんとうにつまらないことしか言ってないな。強くはっきり言ったほうがまだわかりやすかっただろう。

2014-05-28

http://anond.hatelabo.jp/20140528220548

まあトータルな内容に関しては適切な例ではなかったな。

ただその個別的な(修辞的)表現における「望み(欲求)」に関しては殺人の例のようなことも関連するように思えた。

もちろんより適切な例もあるだろうとは思うけど。

2014-04-05

あしフェチ覚書

私の性的嗜好「あしフェチ」について書きます。なお、足も脚も好きなので「あし」と表記いたします。

無論個別的に話をする場合漢字表記する場合もあります

私について

性別:男

年齢:30

彼女過去に2人

職業人文科学研究者


初めての性的衝動

小学5年生のころ、友達のお姉さん(中1だったと思います)が浴衣を着ていて歩いているのを後ろから目撃しました。

その時に女性の足の裏が見え隠れするのにひどく興奮しました。

これが私の今に至るあしを廻る旅路(グレートジャーニー)の始まりとは思いもよりませんでした。

すごくドキドキしてしまい、しかもその感情が何であるかわからない小学生の私は、この一件以降しばらく友達の家に遊びに行けませんでした。

お姉さんに会って足を見てしまったら私はどうなってしまうのか。

この時期にあっては、興奮よりも不安のほうが、まだはるかに高かったのです。

急に家に遊びに行かなくなり、友達からは怪訝な顔をされましたが、理由も言えるはずなく。


オナニーのころ

何に興奮したか

小学校高学年になるとオナニーを識る年になります小学生から中学生にかけて「本当は何か悪いことをしているのでは?」というわずかな疑念を持ちながらも、私もオナニーに耽溺していました。

ネタは紙媒体においてありきたりなコンテンツだったと思いますインターネット黎明期でした。

オナニーをする際に、現実にいる人や事象想像して事をいたす場合があります。私の場合バレー部の格好にドキドキしてしまいました。

ふとももですね。ふともも。

ふともも、それぞれ個性があるわけです。色や太さ、肌の感じはもちろんですが、同じ太さでも筋肉の付き方や骨太かどうかでも変わってきますし、なにより身長の度合いで全体から見た印象も大きく変わってきます

ここであまりお胸に目がいかなかったことが、私の嗜好進路を大きく変えたと思っています

ふとももに行ってしまったわけですね。胸なんて、初めて彼女の胸を揉んでからその有難さに気付いたくらいです。

オナニー自分で致すわけですから、その精神性(スピリッツ)や理念重要になってきます。そこでは今に至るまであしが趨勢を占めています


どういう構造に興奮するか

バレー部女子たちのふとももは、鍛えているだけあって基本的に締まっておりいいものでした。

建設会社社長の娘がバレー部におりまして、彼女もふとももを晒しているわけです。

普段は上品な格好・立ち居振る舞いをしていてふとももなんて部分は露出しないのに、部活においてはそれが正しい恰好となるわけです。

その錯綜感に興奮し、気が狂いそうになりました。

全体の理念と関わる話ですが、女性のあしってのは本来はあまり見える部分ではないものであると思っています

勿論これは前時代的な考えで、現代女性はあしに限らずいろいろな部分の肌を露出しているのでこの限りではないことは解っています

でも小学校の時女性の足の裏を初めて見て興奮したのを何故だろうかと考えた時、やはりこの本来見えない部分が見えてしまったという要因が性的衝動に繋がったと思っています

そういう本来隠される部分が顕になるとき、人は性的興奮を覚えるのではないでしょうか?

ありきたりな意見ですがそう思います

バレー部社長の娘さんは普段おしとやかで成績もよく…といった感じを地で行くそれなりの美少女だったのです。

そんな彼女の太ももは本来隠される部分であるにもかかわらず、今ここに顕になり、スパイクを打つ際には筋肉の躍動をはっきり目視できるほどに眼前にある。

私のあしフェチ根底に流れる理念にはこういうものがあるのだと今でも感じています

端的にいえば、ギャップですかね。倒錯というか。

ではなぜ脇フェチや歯ぐきフェチにならなかったのか。

特にフェチはあしふぇちの親戚である勝手ながら思っています

これは難しい問題です。この文章を書きながら嗜好を整理する中で解るかもしれません。

何故バスケ部ではあまり興奮しなかったのか

バレー部に興奮した私は、もちろんその隣で練習するバスケ部にも目を光らせていたのでした。

でもそんなに興奮しませんでした。

今その理由を顧みると、多分ですがバスケ部がゆったりといたユニフォームを着ており、全体の(あし全体のという意味と、身体全体から見たあしという意味の2重の意味において)バランスを捉えにくい恰好であったためと想像されます

その点バレー部ふくらはぎもソックスをはいていて全体像をイメージやすい恰好だったわけですね。バスケ部は太もも部分においてこれができない。ここに違いがあります

あとバスケ部にそんなかわいい子がいなかった、という現世利益的理由もありましたが、ちょっとこれはこの文章の本旨とは離れますね。

ともあれ、私のフェティシズムは、パーツだけで完結しないことを言いたいのです。ですから私の性的嗜好フェティシズムというのは、もしかしたら間違いなのも知れません。

とにかく、あしが全体からみてどう構成要素となっているのか。私にとってこれが重要なのです。

先ほどバレー部のところで書いたように、それぞれのあしの個性がそのひとの全体から見てどうなのか。

身体という物理的な意味においてもそうです。

そして、建設会社お嬢さんのところで触れたように、その人の身分役割立場を踏まえたうえであしを見る。

こういうその人の持つ背景的意味でもその人自身とあしが関係性を持ちます

あしがその人全体からみてどうなのか、とはこういうことです。

なんだか抽象的なことばかり書いてしまいましたが、私の理念を先に書いておいた方が解りやすいと思ったためです。

疲れたので、これ以降は次回に書きますが、次回以降はもっと具体的にあしのどこが好きか、どんな感じのあしが好きか、どんどん話していこうと思っています

2013-12-07

女性共感を求める生き物である

こういうと、いかにも私が本当に聡明な女性にあったことがない不幸な男であるとという風に曲解して、私に同情を寄せてくる女性がきっと現れる。

こればかりは断言してもいい。

しかしそういう女性が、つまり一般論に対する個別的例外幻想にいつも生きている女が、実は馬鹿な女の代表なのである

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