はてなキーワード: テレビ番組とは
社会にでても似たようなもんだよー。
卒業しても就職しても結婚しても子供できても周りの目を気にして、もやもやを抱えて、早く死にたいと思いながら死ぬまで生きる。
好きな人や食べ物や音楽やテレビ番組なんかの些細な楽しみもあるし、死んだら迷惑かけるんだろうなーと思うから自分はまだ死んでない。
貧乏性の父親から買い与えられたD5300が手狭になったわけではない。
そもそもD5300で何か撮ったかというとほとんど何も撮っていないわけである。
恐らく、レンズやフルサイズのカメラは買っても使わないだろう。
最近、父親の会社の就活サイトのページに自分が会社のミラーレスで撮った写真が掲載された。
ひどく下手な写真だった。
美人でない女を撮るのはなんともなかった。
自分はD5300で京都で美人を撮る機会は愛のあるセックスをする機会よりはまだチャンスはあるかもしれない。
見てないが、相手を太らせ、容姿を劣らせることにより、洗脳される側の立場が弱くなり、洗脳する側は有利になるそうだ。
つまり、平常時はナチュラルに容姿が悪いものが立場が弱いということだ。
ひどいすがたの自分は一人の美人を撮るのに苦労するかもしれないけど、美人は向こうからは大量のオファーがあるはずである。
共感を得に来た。
近頃のオリンピック騒動を見ていたら、論議があさっての方向ばかり向いている。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/takayukifukatsu/20150907-00049112/
やれパクリだの、やれパクリじゃないだの、正直そんなことが重要なわけではないと私は思っている。ってことで各論者たちにツッコミを入れに来た。まぁ見ていってほしい。
あのな、このロゴはな、タイポグラフィーを主としたデフォルメ系のロゴデザインなんだよ?どれも似通って当たり前だろ!目を覚ませ!
何が裁判だ提訴だ。こんな曖昧なもの法廷に持ち込んでどうするんだ!?結果が出ると思ってんのか?てかそれ誰が得するの?
法廷が正義だとか思ってるの?法廷なんて政治ゲームだろ。こんなもん裁判に持ち込んだら、適当なパワーゲームになってうだうだやるだけじゃねぇか!それで結局三面記事の良いネタになってコンテンツ力を失うんだよ!
世はフラットデザイン全盛なんだよ!似通ったロゴなんていくらでもあるだろ!全部訴えろってか?
あのさぁ、言いたいことはわかるけどな、これは芸術じゃないの。クライアントが存在するデザイン業なの。わかる?わかるよね。それが仕事だもんね。
ってことでさ、デザイナが独りよがりで作ったってどうにもならないよね。
ホントはさ、リリースする前に一般人的客観的感覚で、アウトプットを精査すべきだったんじゃないかな?一般人から「これパクリじゃね?」とか「これ○○に似てるよね?」とか意見が出るの目に見えてたよね。それってまずいよね。
そういう精査をしなかったじゃん?だから叩かれてるの。クライアントの感覚置き去りでデザインが世に出ちゃったからさ。
え?「クライアントは国であって、国民の事は知るか」って?それは横暴だよ。国家的イベントであるオリンピックのロゴ制作だよ?一生名前が残るよ?すごい大仕事だよ?それはすごーーーく丁寧にやらないとダメじゃない?
ホントはさ、国民は佐野さんに唯一無二でズバッとした有無を言わさぬデザインを生み出して欲しかったんだよ。たぶん。
ここにほかの人を引き合いに出すのは良くないとは思うけどさ、岡本太郎とかすごいじゃん。唯一無二感半端無いよね。きっと国民はそういう仕事を期待してたのだと思うよ。きっとね。
みんな頭を冷やせ!冷静になれ!
お前たちの戦う相手はそいつじゃない!
ここまで燃えたんだから、みんな悪者が欲しいに決まってる。あいつが悪いって言いたいんだろ?
ってことでとっておきの敵を提供してやる。それは広告代理店だ。
そもそもロゴなんてものはシンボルだ。そいつをみたら「あぁ東京オリンピックだな」と思えるものがシンボルだ。
だからな、乱暴な言い方をするとデザインなんてどうでもいいんだよ!要は決めるプロセスが重要なんだよ!
適当なストーリーと適当な理念と演出で、B層共が適当に納得するように仕向けるプロセスが重要なんだよ!
電通だか博報堂だか知らないけど、ちゃんと仕事しろ!ネゴシエーションしろ!CM打て!適当に民放で「2020年東京五輪 期待!開催までの道のり ~本邦初公開ロゴ誕生秘話~」とか言うタイトルでそれっぽい薄っぺらいストーリーなテレビ番組作っとけ!
広告代理店が無理なら国が仕事しろ!もっと上手くやれ!旗振り役が不在なんだよ!
基本的にオリンピックってのは成功することが前提で出来てるから、成功しても成功したことに対する利益が得られねえんだよ!モチベーションが高まらないんだよ!
用意してください。
用意してください!お願いします。
割と東京オリンピックで古いインフラをリニューアルして、更に東京は住み良い街になると信じてます。なので成功させてくださいお願いします。
世の中には有象無象のネット記事や本やテレビ番組やその他諸々がある。そういった物から「正しい情報」を引き出す能力を磨くためにも皆人生で一度だけ「のばそうと思って」ブログを書くべきだと思う。
人生で一度だけでいい。それも2週間もやれば十分だろう。それ以上はいくらやってもアフィリエイト収入がガッポガッポでもなければ人生において大して得にはならない。
「のばそうと思って」ブログを書くと本やテレビを作る人間の心の中にある汚い面が自分の中に生まれてくるのが分かる。
自分の作ったものが素晴らしい物であるかのように見せたい。その為なら受け手を騙す事も厭わない。適度に炎上するぐらいの方が注目を集められて得な気がする。誰かを叩くことで共感を得よう。何となく得をしたという気分で帰らせるために悪い所は書かないでおこう。だけど他の大手が既に悪い所を隠した記事を書いていたら自分は悪い所を曝け出しまくった記事を書こう。よく分からない所は曖昧にごまかして受け手が想像で補って凄いと勘違いしてくれることに期待しよう。受け手が自分に都合が悪い解釈をしたらソイツの頭が悪いせいだ俺は悪くない。
こういった自分の作った物で衆目を集めたい人間の持つ卑しい部分が、「のばそうと思って」ブログを書く経験をするとはっきりと見えるようになる。
すると今度からは本や記事を読んで「なるほど、この辺りはよく分からないから誤魔化したな」「ふむふむインパクトのある記事タイトルが釣りであるとバレるのをギリギリまで引き延ばしたいようだ」と言った事を今までよりもハッキリと深く正確に考えられるようになる。
それは大きな財産となるはずだ。
皆、人生で一度だけでいい「のばそうと思って」ブログを書いてみて欲しい。
あ、それと一度がっつりブログを書こうとすると自分の文章力のなさにも気づけるぞ。現代人は何故かこの文章力って奴に関しては自惚れやすいようだな。
罵詈雑言を飛ばしてくる人は罵詈雑言を飛ばすこと自体が目的なので、説得しようとするのは完全に時間の無駄だと思ってる。— 深爪 (@fukazume_taro) 2015, 9月 2
「謝まったら死ぬ病」の人って確かに多いしやっかいな症状だと思うけど、それって大前提として大多数の「気にくわないという理由で謝らせてそれでも許さない病」な人がいるせいだ、ということを、「謝まったら死ぬ病」という言葉を使う人は考慮していないように見える。— たられば (@tarareba722) 2015, 9月 2
ネットで自分の考え方を開陳してるんだから、それを見た人の中で「この人、気持ち悪い」と言う人がいるのは仕方ないし、まあ実際その人にとって自分は気持ち悪い人間だろうなとは思うけど、そういう人とはなるべく距離をとって生きていきたいし、うん、悪いけど私もあなたのこと気持ち悪いと思うよ。— たられば (@tarareba722) 2015, 9月 2
ネット越しの付き合いだと「嫌われる」とか「バカだと思われる」よりも「誤解されること」のほうがどうも始末が悪くて、つい「もう少し説明すれば分かってくれるのでは」と思って話しかけてしまうんですよね。個人的にはその点「気持ち悪い」という評価はあまり気にならないかな。誤解の余地がないし。— たられば (@tarareba722) 2015, 9月 2
「この人やたらRTされてくるけどどこが面白いのかわからない」とURL引用で言われることがちょくちょくあるんだけど、自分の見えている世界を少しでも自分好みに変えたいなら、流れてくるテレビ番組に文句を垂れ流すより部屋の掃除をしたほうがよいですよ。そんなわけでミュートかブロック推奨。— たられば (@tarareba722) 2015, 9月 1
何度か似たことを書いているけれど、ツイッターは趣味でやっているし、趣味の遊び相手くらい自分で選びますよ。— たられば (@tarareba722) 2015, 9月 2
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それはブログやTogeter、まとめサイト、果てはニュースサイトでもよく見られる表現である「文章内で唐突にある一文のフォントサイズを大きくして表現を強調する時」である。
だが、これが真面目な内容だとその限りではない。むしろ読みやすいと感謝されるくらいだ。
センスが問われるのは一文を強調することでウケを狙っている時なのである。
フォントサイズを大きくして特定の一文を強調するのは諸刃の剣だ。
あからさますぎると読者は引いて白けてしまう上に、むしろ思い通りに読者が笑ってくれることの方が少ない、ということが分かっていない人が多い。
まとめサイトはさすが群雄割拠なだけあってこの事がよく分かっているようで、大手になるとむやみやたらにはウケを狙った場面では文字を強調することはない。色はバカみたいに変えているが。
(ちなみにニュースサイトの場合、フォントサイズを強調してるようなところは十中八九つまらない。)
しかしブログやTogetterはまだまだ洗練されておらず、この手法を多用している人が多い。
多分、自分が面白いなと思ったところを素直にフォントサイズなりカラーなりを変えて強調しているのだろう。
そういう場合は得てして、文章の流れをぶった切ってしまってメリハリがなくなっていたり、唐突過ぎて読者が置いてきぼりになっているためフォントサイズを変えることに何のメリットも発生していない。
唐突にフォントサイズがでかくて赤で強調された一文なんかを見た時には、どんなに元が面白い文章だろうと読者はやっぱりちょっと引いてしまうのだ。
テレビ番組がよく用いる「さあ、ここが笑いどころですよ」というエフェクトもネットではよく批判されているが、これも同様に相当エフェクトを使うセンスがないと逆効果となりやはり視聴者の心は離れてしまう。
つまり「この一文が笑いどころです!」なんてのはよっぽどそれまでの文章の流れを上手くしたり、タイミングを見計らって自然に見せないと効果はないし、多くの場合は逆効果になってしまう。
これは何もネットに限ったことではなく、現実社会の「面白い奴」「面白くない奴」と同じで人としての重要なセンスが問われる瞬間だ。
「普通に話せば面白い話なのに余計なリアクションや茶々を挟む人」や「あいつがこんな面白いこと言ってたんだけど、と話し始める人」になるくらいなら、普通に淡々と話したほうが何倍もマシなのである。
理想の結婚相手はどんな人かということに思いを巡らせてみると、結局は「素敵なおばあさんになる人」という所に行き着く。目先のことだけを考えると、恋愛対象として魅力的なのは、若くて可愛くてスタイルが良い、端的に言うと性欲を刺激する女性なのだと思う。でも結婚生活というのは、順調に行けば、自分がおっさんになって、相手がおばさんになってからの方がめちゃくちゃ長いのだ。
終わり良ければ全て良し、というではないか。俺は、老後を幸せに送りたい。
子供や孫は居たほうが賑やかで楽しいだろう。でも、子供が居なくたって、長年連れ添ったパートナーが、しわくちゃな顔で笑いながら隣に居てくれればそれで十分だ。弱ってきた足腰で、ゆっくりと近所を散歩しながら二人で昔話がしたい。一緒に昔の映画やテレビ番組を観て、懐かしさに浸りたい。たまには新しいものにチャレンジしようとか言って、若者の文化を二人で覗いてみたい。結婚記念日には、二人で旅行に出掛けたい。いつまで経っても君は変わらず綺麗だ、なんてことをつい口走ってしまいたい。
こういう老後を一緒に送ってくれる素敵な女性はおられないでしょうか。不相応な贅沢をしなければ、普通に生活していけるだけの収入はあります (26歳童貞)。
この文章はすごく長いです。ひまな時に読んでください。
わたしの小さい頃はインターネットなんてありませんでした。なので私は漫画を読んだりゲームをしたりして遊んでいました。それに比べて今の子供はとても幸せだなと思います。漫画やゲームに加えて、LINEで友達と会話し放題、ホームページは見放題、とてもうらやましいです。私がインターネットにはじめてつないだのは15歳の頃です。その頃は電話をかけてインターネットにつなげるため、接続している時間の分お金がかかりました。電話代を払う親に申し訳なくて、Yahooを開いただけですぐにやめました。インターネットで友だちと話すなんて当然できませんでした。繰り返しますが現代の子供がうらやましいです。
こんな便利なインターネットですが危険なこともあります。ミスをして、犯罪に巻き込まれたり、他人にけなされたり、恥ずかしい思いをしたり……私はそのような人を多く見てきました。こんなインターネットの世界ですが、所詮は人間が作った社会です。気をつけてほしいことはたくさんありますが、それらはあなたのお父さん、お母さん、先生から習うこととほとんど変わりありません。
外を出歩ければ交通事故にあうからといって、家にずっと引きこもっているのは間違いです。インターネットには悪い人がたくさんいますが、それは現実社会でも同じです。安全なインターネット生活を送るため、私はこれら6つのことを皆さんに伝えたいと思います。
いかがでしょうか。たった6つです。それでは始めます。
あなたも友達とけんかして、「ばか」だの「デブ」だの悪口をいうこともあるでしょう。それらは周りに誰もいなければ、誰にもわかりません。「○○君が、『バカ』って言った!!」と声を荒げても、ICレコーダーやスマートフォンで記録していない限り証拠はありません。
しかしインターネットは違います。あなたのメール、facebookやLINEに書き込んだ内容、ダウンロードした音楽など全て記録されています。携帯電話でもパソコンでも一緒です。
普通の人はその記録をみることはできませんが、警察は犯罪の疑いのある場合、見ることができます。また、ネット上の悪い人はその記録を見ようとして一生懸命になっています。インターネット業界の人は記録を見られないように必死で頑張っていますが、それでも悪い人に見られる場合があります。絶対に安全とはいえないのです。
あなたはLINEやFacebook, Twitterで悪口を書いたりしていないでしょうか。変なソフトをダウンロードしてないでしょうか。それらは全て記録されています。悪口をかいた記事を消しても無駄です。書いた記録は残りますし、消されたブログを見る方法があります。これはだれでも使えますし、別に犯罪ではありません。もしくは誰かが保存しているかもしれません。
学校やお家でネットしている時、i-フィルターというのを見たことがありますか?これは有名なソフトでみなさんに有害なソフトを見せないようにしています。このソフトを使えばお父さん、お母さん、先生がみなさんのネット利用状況を把握できます。Twitter, LINEであれば暗号化しているので書き込み内容は見られませんが、それでも何時間見たかとかは分かります。裏サイト、Yahooの検索など暗号化していない場合は何を書いたのか分かるかもしれません。
どうせ記録に残るなら、悪口ではなくもっと価値のある発言をしようとは思いませんか?
本当のことだからみんなに伝えたいと思うかもしれません。しかし社会には通用しません。本当のことでも名誉毀損罪(めいよきそん、他の人をばかにすること)は適用されます。もしみんなに伝えたいと思うならば、罪に問われるのを覚悟して伝えなければいけないのです。罪に問われなかったとしても、誰かを傷つけたりするかもしれません。送信ボタンを押す前に一度深呼吸して、内容を確認した方がいいです。
警察は人のものを盗んだり、人を傷つけたりした人を捕まえています。そして裁判を経て、場合によっては牢屋に入れたりします。そうやって世の中に悪いことをするひとを減らそうと努力しています。しかし警察も「悪いことをした人」を捕まえることはできても、「悪いことをしそうな人」を捕まえることができません。それは「悪いことをしそうな人」は別に何も悪くないからです。
パソコン、あるいはスマートフォンにはウイルスバスター、ノートンなどさまざまなウイルス対策ソフトが入っています。人によってはこのソフトを入れているから何をしても大丈夫だという人もいます。危険なことをどんどんしてもいいと考える人がいます。
大間違いです。警察の例で言うならば、ウイルス対策ソフトは「被害にあった人」のデータを集めて、「悪いことをした人」への対策をします。つまり、ウイルス対策ソフトは「最初に被害にあう人」を守ることはできません。また、「悪いことをしそうな人」へは何もすることができません。
あなたがその「最初に被害にあう人」になるかどうかは誰にもわかりません。世の中には交通事故に絶対合わない方法はありません。道路を渡るときにどんなに気をつけていても、車が自分に突っ込んでくればどうしようもないからです。だからといってあなたが信号無視をしてももっと危なくなるだけです。危険だと「分かっているなら」それはしないほうがいいのです。
大人は言います。「世の中にうまい話はあるわけがない」と。私はちょっと違う意見です。私は「世の中にうまい話はある、それは話をする人にいいことがあるからだ。」と考えています。
有料で売られているソフトを無料で配っている人があります。あるいはテレビ番組をYouTubeでみんなに見てもらいたいという人がいます。その人たちはどうしてそのようなことをするのでしょうか。
それはお金のためです。売っているものをただでくれるとなれば、だれでもよろこんで飛びつくに決まっています。彼らはそのようにして人を集めて、ウェブサイトに貼ってある広告でお金を稼いでいます。YouTubeでも再生数に応じてお金をもらうことが可能になりました。ヒカキンはそのようにしてお金を稼いでいます。
勘違いしないで欲しいのは、決まりさえ守れば無料のソフトを配ることには問題ないということです。有料のソフトを無料で配るのが良くないのです。また、悪い人はコンピュータウイルスを仕込むかもしれません。それはウイルス対策ソフトで防げないかもしれないのは2で説明したとおりです。
また、インターネットでお金を稼ぐことがけして悪いわけではありません。テレビ局に許可を得ず、勝手にYouTubeにアップするからダメなのです。ヒカキンは自分で作った動画を自分でアップしているので何の問題もありません。
テレビは無料で放送しているから、YouTubeでみんなに見てもらおうとするのは問題ないと思うかもしれません。しかし、それを決める権利はあなたにはありません。それは番組を制作したテレビ局が決めることです。
テレビ局はテレビ番組中にCMを入れることで、他の会社からお金をもらっています。最近はテレビ以外にも楽しいことがあるので、みんなはテレビを見なくなりました。なのでテレビ局がお金を稼ぐことは、昔と比べて難しくなりました。YouTubeに番組をアップしてお金を稼げるならばテレビ局はとっくにそうしています。彼らはいろいろお金の計算をして、アップしない判断をしているのです。テレビ番組はテレビ局のものであなたに番組をどうするか判断する権利はないのです。
ここまで読んでくれてありがとうございます。いくつか悪いことを紹介したましたが、それでもあなたはその悪いことを続けるかもしれません。
それはどうしようもありません。あなたとわたしは結局他人です。教えることはできても、悪いことをできないようにすることはできません。あなたを牢屋に一生閉じ込めればできることですが、そのようなことは私もあなたの父母も望んでいません。
深夜車がまったく通らない道路で信号無視することは法律違反です。しかし、実際に信号無視をするかどうかは個人が判断することです。誰もみんながやっているから、車が通らないからというのは言いわけであって、してもいい理由にはなりません。
重要なのは信号無視にしてもネットの悪口にしても「悪いと理解した上で」やって欲しいということです。知らなかったでは済まされないですし、遅いのです。大人ですら「悪いと理解した上で」やってる人は少ないです。
これまで散々「〜するな」と「危ない」とか言い続けてきまし。でもみなさんがネット上で何かするのが間違っているのではないか、とビビってしまうのは私の望むところではありません。
ニコニコ動画、Youtubeなどでどこからかとってきた音楽をそのまま使って動画をつくりアップするのはダメですが、自分で演奏した動画、その演奏に歌をつけた動画、初音ミクに曲を歌わせた動画は問題ありません。
学校の授業で動画などをつくることもあるでしょう。著作権法には教育目的であれば必要な分だけコピーすることができるとされています。有料ソフトをコピーするとかはダメです。例えば音楽を使いたいのであれば「誰の何という曲」という項目をきちんと表示してください。
ちなみに誰にもみせなければ漫画、映画、アニメ、音楽を好きに使って動画を作ることが出来ます。これは犯罪ではありません………誰にもみせなければですよ。
あなたは今お父さんやお母さんと一緒に暮らしていることでしょう。時にはケンカもするかもしれません。「お父さんはどうして僕の気持ちが分かってくれないんだろう。」と恨むこともあると思います。「お母さんは考え方が古い」とバカにすることもあるでしょう。
世の中の常識は時代が進むにつれて変わります。つまり今悪いと思われていることが、悪くなるかもしれません。5で「演奏した動画は問題ない」と書きましたが、これは「現時点」の話です。いろんな大人が話し合ってこのようなところに落ち着きました。
現代はあまりに世の中には著作権法その他の決まり事を無視しています。それは誰にも止められません。しかし、それは「今は」悪いことであるとまず認識して欲しいと思います。そしてみなさんがおとなになった時に法律や常識を変えるよう運動すべきです。インターネットは特別な世界ではありません。人間社会のうえに成り立っている社会です。ただ情報の共有コストがほぼ0なのです。
未来においては、今の常識は通用しないかもしれません。いままで気をつけたほうがいいことを書いて来ましたが、それでもどうなるか分かりません。一般、有名人問わず過去にやった犯罪をネットに書き込み、「炎上」するのはよくありますが、アメリカの大統領だってそのくらいの告白はします。このような欲求は人類共通のようです。
常識が変わるかどうかは未来になってみないとわかりません。それでも大人は変わらないもののために、今あなた方にいろんなことを教えているのです。
この文章はわたしの友達があまりにインターネットで危険なことをしているため、それを諌めるために書きました。世の中には初心者向けにインターネットセキュリティについて書かれた文章が山ほどあります。しかし、それらのほとんどすべてが技術論に偏っていました。しかし著作権だのフィッシングだのと言う前にもっと大切なことがあるのでは無いでしょうか。
インターネットの世界も技術の進歩が早く、いろんなことがどんどん変わっています。CDに入っている歌を無料でダウンロードして聞くことが、かならずしも著作権法違反であるとは言えない世の中です。何がだめで、何がよいのかというのも徐々に変わっています。信頼出来るドメインはどう判定するのか、2chまとめサイトは著作権法違法なのか、画像の転載はいいのか、短縮URLサービスは信じられるのか、
世の中は人を信じなければ渡っていけません。しかしどのような人、どのようなことを信じるのかは我々先達の教育にかかっています。そして結果どのようにするかは個人の判断に任されています。結果的に教えは間違っているかもしれません、しかしだからといって教えるのを放棄したのでは傷つく人が増えるだけです。教師か反面教師かは時代が決めることではないでしょうか。
小学校高学年程度にわかる文章のつもりで書きました。そのため「転び公妨」とか「ハッカーとクラッカーの違い」とか「ウイルス対策ソフトのヒューリスティック機能」とかいうツッコミはなしでお願いします。
他にも児童ポルノの問題など書ききれませんが、とりあえず6つだけで終わります。
辞書でひいたら書いてあること聞いてたの?
ここで話していること ってのは どういうものかって…
説明というか そんなことまで話すのは無意味だよね
その辞書って どういう存在でどこが発行してなにが辞書だと定義しているもので
ひくっていうのはどういうことなのか それはだれがおこなってわたしは何の動作をおこなえばいいのか
そしてその情報を元に定義どおりの文言をふくめて話題や文章を構成しないといけない理由は何なのかは
わたしはまだ気づいてないのだけれども
すくなくともあなたひとりのためにはなるのね
わたしには 辞書を読んだ限り 辞書という物体を引きずる人がでてきやしないか心配になっちゃうけど
密接というのを例にするけど
夫婦間でも ろくに会話しない状態を密接でないとして 婚姻関係を維持するに困難であるため審判離婚の事案対象になる としたら 婚姻関係という状態にある二人は「密接でない」ことになる?
夫婦とは密接な関係だけど人間としては密接でないとか 言い得る? 言い得たとしたら相関の関係にある夫婦と人間二人という関係は どう表現するの?
密接だ と明示していないから密接でない または密接だと言っているそれは 誰かから密接だとはいいきれないと判断される可能性はない?
そういう言葉のあやとりで実際の話題である婚姻関係と離婚問題を先送りにする価値がそこにはある?
「辞書的には」で済む? 済むなら法廷には六法全書と辞書が完備で辞書にない表現をすると法的に無効とされたりする?
テレビでみかけたかわいいアイドルとわたしの関係性が 熱狂的であっても密接でないこととか それは密接とするとか そういう定義は辞書でみつかるのかしら
わたしは 密接の定義とか 密接の度合いについてとか 密接であることを明示的にする必要が話題にあるとは思ってなかったんだけど
あなたは 辞書を用いて それを必要とすべきと 判断したわけね
変化についてもおなじ 時間経過が存在するといえば変化とか明確に表現する必要はないと思うんだけど
それを議題にもってくる意図はなに?
学者の定義や学者として定義づける機関やその存在規模やそれらの価値認識なんかを話題にするつもりもなかったんだけど
そこですこしだけ話を戻したいのだけど 相対関係だってことにもどるのでいいの?
もうそれ相対でいいよ
テレビのむこうの学者と自分が なのか 学者とコメンティエーターが なのかわかんないけどさ
テレビ局が お迎えした学者の って紹介するのをみて テレビ局はその人を学者と認識して呼称していて
学者も テレビ局には学者として呼ばれてるって認識されてて その姿をみての感想だから
テレビ番組と視聴者は密接でもないしテレビ情報で人は変化したりしない とか
所詮出演者とテレビ局なんて密接なんかじゃないしお互いなんの変化もない ということをふくめて相対としたいとか
あったのかしら
密接でも変化でもない というのは文中にふくまれていないことから考察される って言ってもいいものね
わたしは テレビに学者ってよばれてる人をみて この人が学者って価値があるの?とかなり高い評価基準を持って見ている感情移入の大きい人を
一方的に密接度が テレビをみていない みても大して関心がない 関心はあるけど気にしない という人よりも上であることは
話題にするつもりもなかったし前提としてあるものだとおもっていたけど 明示的に表記されていないからそんなの伝わらない
他の表現も辞書を片手にこれ違うって 足りてないって 意図が読み取れないって 思われてるんだろうね
しょうがないや
好きにとってもらったらいいよ
そのとおりだもん
それもたぶん辞書に定義されてるんだよね どこ開けばいいのかわかんないけど
いつのまにか辞書に定義されている内容に即して明確に表現に盛り込んだ作文しようって話題になってたの気付かなかったのわたしだし
小学生の頃、SFが大好きだった。スタートレックやサンダーバード、スターウォーズ、ギャラクティカはいうまでもなく、
スパイ大作戦、猿の惑星、ミクロの決死圏、アトランティスから来た男、600万ドルの男、バイオニックジェミー、
キャプテンフューチャー、未来少年コナン、銀河鉄道999、宇宙戦艦ヤマト。ちょっと後になってスペースコブラ
テレビを見たいために(ビデオがなかったので)他の生活の時間をやりくりして放映時間に合わせて、忘我の境地で見た。
筒井康隆、小松左京、星進一、アイザック・アシモフ、ロバート・ハインライン、P.K.ディック、アーサー・C・クラークとか
手当たり次第に読んでいた。萩尾望都なんかも。まだ広告が少なくて薄かった工学社のI/Oや同人誌の匂いの残るASCIIとか
隅々まで繰り返し読んだ。Z80の機械語ダンプを手打ちした。(あれは辛かったが16進数に耐性がついたのは後々役に立った。)
いま30歳代より若い後輩たちはコナン、999、ヤマト以外ほとんど何もしらない。
仕事で忙しかったというのもあるが、自分もこの20年位そんな本にもテレビ番組にも出会っていないような気がする。
本の実物も引っ越しなどでほとんど処分してしまったので自分がSF好きであるということを知っているのは自分だけで、
万が一本棚を覗いた誰かに気づいてもらえることもない。
少し寂しい。
毎月1000人程度の行列を従業員4~5人で捌いてたコツを書くよ。
行列の理由:新台のオープンと、あとはなんでかしらないけど毎月ある特定の日に行列ができた。(諸般の事情により理由は答えられません。)
パチンコ屋さんが整理券を配る理由は、開店時間前後に行列をつくると隣接店舗の入り口を塞いでしまうという問題を回避したいとう目的が一番にあります。
そのため、隣接店舗がオープンする前に整理券を配布して、行列を捌いてしまおうとしているのです。
はじめのうちは早朝から並び始める程度だった行列は、加熱していくことで徹夜組を生み出します。
なかには前日の21時、お店が閉店する前から並び始める人もいました。
話題性目的で容認していたものの、ある日おまわりさんからお叱りを受けます。
ピンとくると人も多いと思うのだけど、数年前に突然行列の深夜組に対する指導が厳しくなった時期がありました。
「深夜に起こりえる事故の責任を徹夜を容認している店舗側に求めますよ。罰せられたくなければ徹夜を禁止にしてね。」といった内容です。
遠回しに言ってるけど、深夜にトラブルがあって呼ばれるのは警察なんだから余計な手間かけさせるようなことはしないでねってことですね。
おまわりさんは他にも守らなくてはいけないものが沢山あるので、問題の原因を作るようなことは愚の骨頂。ぐぅの音も出ない正論です。
ちなみに某駅100周年の時に行列を解散させざるを得なかった理由もおそらくこれ。
「行列管理できてないけど、警察に警備でもさせるつもり?責任とれるの?」の一言で駅長のHPはゼロになったものと思われます。
この辺の指導が厳しくなることで警備員の人件費なんて用意できない中小店舗は先着順の行列が実質不可能となります。
それ以外にも、この業界特有の「なんでこんなに人が並んでるの?理由説明して?」っていう別角度からのつっこみもありましたがこれは割愛します。
それでもユーザーはある特定の日に大挙として押し寄せて来てしまいます。
なのに徹夜を容認することはもうできません。
そのため、多くのパチンコ屋さんは整理券配布を抽選という手段にシフトしていきました。
某テレビ番組で徹夜組の後ろに店舗スタッフが並んで、それ以降から整理券配布をするというスカッとする解決策が提示されていましたが行列規模が100人を超える程度になるとこの手段はまず不可能です。
想像してみてください。徹夜で100人並んでる後ろにスタッフがついて、これより前の人は無効ですとされた状況を。
もし自分がその中にいたらあらゆる理由を見つけて自分を正当化するはずです。
店側のスタッフは数名しかいません。その状況で数の暴力に立ち向かうことはまず不可能と思ってください。
結果として数に押し切られた店舗側の人間は、相手のルール違反を容認した上で、さらに自分たちの不備さえ認めさせられる事態に陥ります。最悪の場合、ルールを守った人間すら敵に回してしまいます。
しかしながら、行列管理のポイントはこの正義=量的要因にあるのも事実です。
ここで熱中症患者を量産した某ソーシャルゲームのイベントを思い返してみましょう。
あのイベントが失敗した一番の要因は、限定遥かに上回る人数が押し寄せてくることを想定できなかったため、限定数を上回る参加者に対する準備を怠っていたことにあると言えます。
運営陣は、限定を2~3割上回る人間が来て、間に合わなくてくやしー!くらいで終わるつもりだったはずです。
ところが限定数と同等、もしくはそれ以上の人数が集まってしまったことでまず行列管理が崩壊しました。
その上で、もらえなかった人間が一斉に運営側の準備不足を声高に叫び始めたことでルールと正義が逆転します。
さらに状況を悪化させた点は、本来限定だった特典をユーザー全員に配布してしまうという判断でした。
これによって先着のために払った多くの参加者の労力を無駄にしてしまったからです。
つまりは高いお金を払って準備したイベントなのに、参加者全てを敵に回す結果になってしまったというわけです。
これついて某駅100周年イベントでも同様のミスが見られました。
徹夜を禁止していたにもかかわらず、徹夜で並んだ人間達から優先してしかも時間を繰上げてまで販売を開始してしまったのです。
当然ルールを守った人間からは不満が噴出。その数があまりにも圧倒的だったため現場はパニック状態となり、そこに加えて警察からの中止命令。
結果的に後日希望者全員に販売となったわけですが、高い交通費をかけて現地に赴いたファンはがっかりしたはずです。
さらに豪華な装丁を施したあのカードがもたらした全体の赤字は考えるだけでぞっとしてしまいます。
圧倒的な参加者を前に、少数の従業員でルールを正義するにはどうしたらいいのでしょうか。
方法は単純です。ルールを守った人間が正義になればいいのです。
そうすれば、ルールを守った側の人間が従業員側の味方についてくれることになり、ルールを破った少数派に打ち勝つことが出来ます。
「行列管理やイベントで最も重要なことは、単純でわかりやすいルールを視覚的に内容的にも明確に発信すること」です。
イベントにおける失敗の大半の要因は、ルールがわかりづらい、もしくは視覚的に明確にされていないという点といっても過言ではありません。
逆を返せば、いくら完成度の高いルールでも参加者が理解できない、もしくは参加者同士で共有できていなければ何の意味もなさないのです。
そのために必要なことは、ルールの完成度よりもわかりやすさを追い求めることにほかなりません。
このことは、自分自身、店舗新規オープンの時に1000もの人間を整理券配布のために3時間近く拘束してしまったという実体験によって身を持って知ることになりました。
くわしくは割愛しますが、公平性を厳密に守るために手順が煩雑になりすぎたとでも言っておきましょう。
整理券を配布すると同時に投げかけられた1000もの罵倒は今でもそのときのまま夢に出てきます。
徹夜組に対して言えば、徹夜が禁止であることが参加者全員にわかりやすく伝わること、それにくわえてルール違反に対するペナルティが明確であることが求められます。
その点を曖昧にしておくことによって、徹夜組は自分たちの正当性を理論武装し始めます。そうしていつのまにか同士が集まった時点でモラルハザードが発生してしまうわけです。
ただ、昨今の状況において期待参加者2~300を超えるようなイベントで先着を行なったとして、徹夜を禁止することは弊害が多すぎるため不可能と考えたほうがいいかもしれません。
抽選にシフトするか、容認して警備を強化するためにコストを投入する以外手段はないと言えるでしょう。
某ソーシャルゲームイベントに関して言えば、どこまでが先着に間に合ったかを明確にする必要がありました。それによって、人数がオーバーした上で並ぶか並ばないかの判断が自己責任へと変ることができるからです。
ただし、詳しく調べていませんが徹夜組に対する禁止・容認の流れなどがあったとすればそんな単純な話ではなかったかもしれません。
さて、手前味噌な話に戻りますが1000人の行列をどのように4~5人で管理していたかの話に戻ります。
尚、徹夜が禁止になってしまったため、整理券の配布は抽選で行なっています。
・まずは列の先頭に一人が待機します。
・行列ができはじめると同時に、ナンバリングがされた抽選引換券を配布しながら列の最後尾へと移動し続けます。
・その時点での抽選引換券のナンバリングを確認し、抽選マシンに母数を入力。
・抽選開始時間に間に合わなかった参加者には、特例として配布した番号以降の整理券を配布しています。
この方法を取ることによって、行列に対する割り込み管理を行う必要がなくなります。
そして大事なことは、こうした抽選方法だということをルールとして明確に提示しておくことです。
・抽選開始時間までに来店できなかった場合は、それ以降の整理券を配布します。(ただし、これも5分程度で打ち切ります)
これらを抽選場所と列最後尾に並ぶ人間とにプラカードで持たせることで参加者に明確に伝えています。
この段階であれば、3人程度で捌くことが出来ます。
抽選に間に合わなかったユーザーは、先着順の列に誘導します。ただ、この列も経験上開店30分前で50人を超えるようなことはありませんでした。
つぎに実際の入場です。
・入場開始時間
・整列のための列が100番刻みでできていること
そして店頭には、100番刻みで番号が書かれたプラカードと、そこから伸びる並ぶ場所を示したテープが歩道にはられています。
これによって列は100人までしか伸びず、また整列開始時間が記載されているために、店舗前に行列ができる時間を最低限に抑えることが出来ます。
次にその10分間に集まってくる整理券を持った人間を、該当する番号の列におおよそ誘導します。
この時、全員を綺麗に番号順に並べる必要はありません。前後10人程度なら入場の時に整理し直せるからです。
そうすれば4~5人で1000人を捌くこともそれほど大変ではありません。
人間の心理的にも順番をシビアに守りたいのは100番程度までということが経験でわかりました。
その為、はじめの100人は一人ずつ番号を呼び入場させますが、それ以降は「110番までの方」「120番までの方」とある程度の括りで入場させます。
この時、できるだけ大きな声で番号を叫ぶのがコツです。
面白いことに、そうなると自分たちの番号を参加者同士が確認し始めるのです。
その分、順番をしっかりと整列させる労力を割愛することができました。
それに多少前後してしまったとしても、そのことについてクレームを受けたことは一度もありません。どこかに確認できなかった自分の責任を感じているのかもしれません。
抽選が厳密に行われることがわかれば、徹夜をしようとする人間は居ません。
徹夜組に対する対応の答えにはならないかもしれませんが、SNSで話題が一挙に広がり参加者が大挙して訪れる可能性のある今の世の中では、徹夜禁止の上で先着順というのははっきりいって不可能だと思っています。
コミケの徹夜問題が叫ばれていますが、いっそのこと抽選配布にシフトしてみてはいかがでしょうか。
抽選引換券と、抽選開始時間、入場と整列開始時間、自分たちが並ぶべき列が明確になっていれば、それほどの労力を必要とせずとも数千人を対処できるかと思います。
少しでも早く入場したい人は抽選に参加するはずです。
あとは抽選に間に合わなかったユーザーを先着で並べるための列管理が必要になりますが、それこそそれ以降は先着順の整理券でも配布すれば列管理の労力を入場直前に集中させることができるものと思われます。
えっちなものを青少年には見せないようにしましょう、という動きがあちこちにあるみたいだけど、
昔はテレビでおっぱい丸出しの番組とかをゴールデンタイムに放送していたじゃん。
あと殺人事件ものの2時間ドラマとか(湯けむりなんちゃらとか、強姦の場面をわりと具体的に描写したりとか)を夕方に再放送してたり。(自分は関東圏)
深夜にもおとなのえほんみたいなのがあったりとか。
えっちな番組が放送されてた地域と、あんまり放送してなかった地域と、あるはずでしょ。
そういうテレビ番組の有無と、たとえば性犯罪の発生件数とかとの相関関係みたいなのを調べれば、
もしかしたら、牽強付会であっても、それなりに説得力がありそうなデータが出てくるんじゃないかと、天才的な思いつきをしたのだけど、
そのくらいのことは既に調べてる人がいるんだろうなー。
ゲームやテレビ番組について調べるとすぐ耳目に触れる言葉に「つまらない。これからもつまらないんだろうか不安だ」がある。
「つまらない。だから俺はもう辞めろ」なら分かるんだが、なんで「つまらない」と言ってるのにこれから先の事を気にしてその上まだまだそれを見たりやったりし続けるつもりなのか全く理解できない。
正直「嫌なら辞めろ」「嫌なら見るな」以上でも以下でもないんだがそれを言ってる連中からしたらその反論は不適切らしい。
どう不適切なのかをそいつらがちゃんと納得の行く説明をしているのを見たことはない。
要約すると大体いつも「客が減ったら困るだろ?だから俺たちの意見を聞いて引き止めやがれ!」と言っているのだが、正直「そんな事言ってないでここから立ち去ればいいんじゃない?」としか思えないので全く反論にはなっていない。
さて今回のお題は『どうして彼らは文句を言いながら居座るのか』である。
彼らが新しいことに挑戦するためのコスト(精神的な物を含む。というかそっちがメイン)が大きいため、古い習慣を文句を言いながら続投している方がお手軽だからだ。
『たとえば君がスプラトゥーンを遊んでいるとする』
そこで君に与えられた選択肢は2つだ。
「スプラトゥーンを辞めて別のことをする」「飽き飽きしながらスプラトゥーンを続ける」
この2つ。
傍から見ると前者を選んどきゃいいじゃんなんだけど実際本人からするとそうでもない。
まず「習慣を打ち破る」という行為自体に精神的なエネルギーを必要とする。
人間の行動は習慣で大部分出来ている。女の子がお砂糖で出来ている度合いなんて目じゃないぐらいに。
次に「新しく始める何かを探す」という行為に恐ろしいほどのエネルギーを使う。
選択には大きなエネルギーが必要だし、現代は物に溢れているため真剣にやり出したら無尽蔵にエネルギーが漏れだしてしまう。
更にそこには「わざわざスプラトゥーンを辞めるのだからそれよりも面白い物でなければ」という余計な考えまで混じってくる。
そうしてお眼鏡にかなうゲームなりドラマなり資格の勉強なりを選び出すのに必要なパワーと来たらもう。
対して「飽き飽きしながらスプラトゥーンを続ける」、こっちは簡単だ。
飽き飽きした行為を続けるというのは自己矛盾でエネルギーを少しずつ消費こそすれ新しく何かを始めるのに比べたらずっとたやすい。
毎月5万のローンを払うのと一括で50万現金払いするのとじゃ財布に与えるインパクトが全く違うのと一緒だ。
少しずつ消耗する方が心には優しい。
だから心に余裕が無いとどうしてもこっちを選んでしまいそうになる。
そして少しずつフラストレーションを貯めこみ、自己矛盾を貯めこみ最後にはよく分からないことを口走るようになる。
じゃあどうすればいいか。
それは新しいことに挑戦するコストを下げればいいのだ。
まず新しいことを特別なことだと思わないようにすること。
何かを始めて駄目だったらそれを切り上げて次に行けばいい。
前にやっていたことより素晴らしい物である必要があるなんて考えも捨ててしまえ。
会社や女性と別れる時はそりゃちゃんと考えてから行動すべきだけど個人的な事ならまたそっちに戻ってくればいいだけだ。
……
何か長くなっちまったし最後教訓めいた事語っちゃってるけど俺が言いたかったのは、「つまらないけど俺はこれを続ける。でもつまらないから文句を垂れるぞ」なんて言ってる奴は精神エネルギーを失いきった可愛そうなゾンビ野郎だから厳しい言葉をかけずにそっと無視しておきましょうって事だ。
奴らは気が狂ってる、言ってることを耳に入れる必要はない。
逆に言えば「つまらない。だから俺は去る」と言ってる奴の言うことは参考にすべきだ。
そう言っておいて戻ってきた時は……まぁフットワークと口先の軽い奴だと思っておけばいい。
特技というか、べつに本当に歩けるわけじゃなくて感覚をだますという感じ。
自分が歩いているのは今天井で世の中全てが上下逆さまなんだって思うと、本当にそういう風に感じることができる。
きっかけは、あるテレビ番組で左右が逆さまに見えるメガネを掛けて生活するっていう実験をやっているのを見た時。
最初は当然右も左も反対に動こうとしてしっちゃかめっちゃかなのだが、1日もするとずいぶん慣れてきて、そのうち自然に生活できるようになるというものだった。
メガネを外した後に正常に戻るまでが大変また大変だって話なんだけど、人間の感覚って曖昧なんだなぁと思ったんだ。
その実験をみて感じたのはとくに視覚情報が曖昧だってことで、視覚のもつ方向感覚と身体の持つ方向感覚っていうのが一致してなくてもいいんだっていうのはなかなかに衝撃的な内容だった。
本気本気と狂気じみた連呼で宣伝したわりには、本気を茶化す場面が多々見られた
もちろん本気で「面白くする」という意味だろうから筋は通ってるんだろうけど
それで面白くなっていたかというと、下手するといつもの番組よりつまらなかったよ
結果的に面白くなかったのはこの際しかたないとして、フジが提示するテレビの面白さに興味はあった
示されたのは、単なる懐古だった
岡村さんの本気コラボ企画をまとめてみたり、懐かしソングを本気で歌わせてみたり
別に「本気の面白さとはなんぞや?」を過去から学んでみるのはかまわないよ
でも過去の映像を垂れ流したり、過去のコンテンツを大人の技術で本気でやったり……そうじゃないよね?
そこからテレビの面白さを分析して、再構築して、新しく提供するのが望ましい形だった
結局作り手自身、何がテレビの面白さなのかなんてわかってないから、過去のコンテンツに頼るしかなかったんだよね
それならそれでいいよ、「面白いね」って言われてた時期の素材を垂れ流せば、まあまあの満足感を視聴者は得られるんだから
一見ふざけたノリで本気出すよって言って「どうせ本気出さないんでしょ?」って思わせておいて本気出すかっこいいフジテレビを見せたかったんでしょ?
そしたら本当に本気出せなかったとか、そこが笑いどころでいいのか
俺が子供のころに比べてどれだけ社会が変わったか思いつくままに列挙しようと思う。
・ウォークマン(カセットテープ)が発売されたのが中学のときだったからまだ携帯音楽機はなかった→スマホ
・テレビのリモコンはなかった。金持ちの友達の家にはあった。赤外線でなくて超音波(?)だった→リモコン無しなんてありえない
・ビデオゲームは任天堂からブロック崩しがでていた→なんかいろいろある
・携帯ゲーム機はゲームウォッチ(モノクロ液晶で単純なゲームが一種類だけ)だった→スマホとなんかいろいろある
・ウォシュレットはクラスで一番金持ちの家にだけあって、クラスで「あいつの家にある」と話題になってた→あって当たり前
・買い物袋が現役。レジ袋は紙製→レジ袋はビニール。買い物袋はエコバッグとして復活しつつある?
・スーパーは19時ごろには閉まってた→21時や22時は当たり前。24時間もある。コンビニもある。
・自動車の車体→大型化。軽でも当時の普通車並みの広さ。未来的デザイン。昔はライトは汎用部品の丸いやつだった
・自動車の燃費→子供の頃は燃費なんて考えたこともなかったから知らない。でもこの10年でもびっくりするくらいよくなってる。
・自動車のエアコンは家の車にはなかった→エアコンのないクルマはありえない
・自動車の窓は家の車は手動→業務用の車とか軽トラ以外はまず自動
・都市部では銭湯がまだまだ使われていた→風呂なしはアパートでもありえない
・銭湯通いの家庭は毎日は風呂に入らない→毎日風呂に入らないなんてありえない
・洗髪→中学ころに「毎日髪を洗うのは常識です」と中森明菜のシャンプーのCM攻勢で毎日洗うのが常識になったけどそれ以前は毎日ではなかった
・朝シャンなんてない。俺の家にはシャワーがなかった→朝シャンも楽勝で、シャワーはあって当たり前
・風呂桶が半畳くらいの立方体→棺桶みたいに横長になって足を伸ばして浸かれる
・天日でお湯を沸かすやつ。粗悪品が横行して衰退→太陽電池
・エアコンは贅沢品→あって当たり前。無しでは夜は眠れない
・近所のスーパーは駐車場がなくて客は違法駐車。違法駐車におおらか→駐車場はぜったいある
・小学生のころはPCはない。中学の時に友達が買ってもらってた。高価だったはず→3万で買える
・海外旅行は多分俺の周囲では行ったことのある奴はいなかった→格安海外旅行とかある
・本→電子化
・時計の時間合わせ 117やテレビの時報→電波時計でいつでも正確な時間
・ビデオはなし→レンタルビデオを通り越してネットのオンデマンドに。映画だけでなくてテレビ番組も見れる
・猫や犬のエサは残飯→キャットフードやドッグフードが当たり前
・猫の外飼い(事故などで帰ってこなくなったり病気をうつされたり)→室内飼いの普及
・猫の砂は本物の砂で汚れたら手洗い→使い捨て
・缶飲料100円→130円(値上がりしているが物価の上昇から考えたらかなり安くなってる)
・缶は250cc→200mlや350ml、500mlなどチョイスできる
・飲料はコーラやファンタやコーヒーだけ→日本茶やブラックコーヒーなどなどがチョイスできる。とういうか全体的に種類が増えてた
「自分と違う意見はとにかく許さない。社会全体がすべからく自分に味方すべき」という、いつからこんな偏狭な人物が恥ずかしげもなく横行する社会になったのだろう?(庶民の味方のていをしたテレビ番組がその旗を振っているのだろうか)
金銭財物が絶対的な善の価値(お金を支払われたら逆らってはいけない、つまりお金持ちは事実上絶対善)をもつ社会への一種の抵抗なのかな...と少し同情してやれなくはないけど。
あとは、考えや行動の個別の中身ではなくて、人物個体や所属で判断するクセが、この国では未だに抜けていないということだな。すなわち差別社会。
どこの政党だのどこのテレビ番組だのは言わないけれど、「安倍政権を許さない」とか個人の名前を書くのはいただけないと思う。
イカンのは政策であって、人物や性格ではない。しかし、名前を書くことによって個人を攻撃するかのように見える。
あと、議員や政権を選択できるのは国民しかいない。国民しか議員や政権を選ぶことはできない。
それなのに、さもある政権やある議員一つに責任があるかのように糾弾する。デモをやっている市民団体然り、議場で抗議・抗弁する某議員然りだ。
責任は、国民にある。というか、真に責任を追うべきは国民であるというべきか。議員や政権を選択したのは国民なのだ。
多数派であろうと、少数派であろうとそれは変わらない。