それはブログやTogeter、まとめサイト、果てはニュースサイトでもよく見られる表現である「文章内で唐突にある一文のフォントサイズを大きくして表現を強調する時」である。
だが、これが真面目な内容だとその限りではない。むしろ読みやすいと感謝されるくらいだ。
センスが問われるのは一文を強調することでウケを狙っている時なのである。
フォントサイズを大きくして特定の一文を強調するのは諸刃の剣だ。
あからさますぎると読者は引いて白けてしまう上に、むしろ思い通りに読者が笑ってくれることの方が少ない、ということが分かっていない人が多い。
まとめサイトはさすが群雄割拠なだけあってこの事がよく分かっているようで、大手になるとむやみやたらにはウケを狙った場面では文字を強調することはない。色はバカみたいに変えているが。
(ちなみにニュースサイトの場合、フォントサイズを強調してるようなところは十中八九つまらない。)
しかしブログやTogetterはまだまだ洗練されておらず、この手法を多用している人が多い。
多分、自分が面白いなと思ったところを素直にフォントサイズなりカラーなりを変えて強調しているのだろう。
そういう場合は得てして、文章の流れをぶった切ってしまってメリハリがなくなっていたり、唐突過ぎて読者が置いてきぼりになっているためフォントサイズを変えることに何のメリットも発生していない。
唐突にフォントサイズがでかくて赤で強調された一文なんかを見た時には、どんなに元が面白い文章だろうと読者はやっぱりちょっと引いてしまうのだ。
テレビ番組がよく用いる「さあ、ここが笑いどころですよ」というエフェクトもネットではよく批判されているが、これも同様に相当エフェクトを使うセンスがないと逆効果となりやはり視聴者の心は離れてしまう。
つまり「この一文が笑いどころです!」なんてのはよっぽどそれまでの文章の流れを上手くしたり、タイミングを見計らって自然に見せないと効果はないし、多くの場合は逆効果になってしまう。
これは何もネットに限ったことではなく、現実社会の「面白い奴」「面白くない奴」と同じで人としての重要なセンスが問われる瞬間だ。
「普通に話せば面白い話なのに余計なリアクションや茶々を挟む人」や「あいつがこんな面白いこと言ってたんだけど、と話し始める人」になるくらいなら、普通に淡々と話したほうが何倍もマシなのである。