はてなキーワード: ありがちなとは
ネットワークビジネスをしているNBC(ネットビジネスカレッジ)という所が
法律で禁止されている「無限連鎖講」にあたるんではないかという話があるのだけれど、
数字の話をしてる人がいなかったようなので、
会員の人のページ(2016.01.28 15:30公開)なんかを参考に
※そうした点を踏まえてお読み下さい。
ネットワークビジネスにありがちなんだけれども
大まかにわけると、
■紹介料(一人一万円)
という形。
(普通のマルチ商法は、ねずみ講と差別化するために定期購入やらを組み合わせたりしている)
でも、ふつうの人は「バイナリー」やら「ユニレベル」って言われても
「バイナリー」というのは
配下に二人ずつ配置していく形で
このバイナリーの特徴というのが、
他の人が3人4人と勧誘する事で
一人当たり1500円のベースコミッションが発生するとしている。
自動的に配置される形を取っているので、
で、NBCは約4000人の会員がいるそうなので(2016年3月ぐらいの話)
01階層 1人
02階層 2人
03階層 4人
04階層 8人
05階層 16人
06階層 32人
07階層 64人
09階層 256人
トータル4095人
この場合、
この人数の部分に1500円をかけたものが、会員数が4095人の時点の
(1倍を超えている第8階層って、結構あるように勘違いしてしまうかもしれないが、
数でみだら、255/4096だから上位6%ぐらいにはいらないとダメって話)
※ちなみにNBCはベースコミッションの上限を500万円と置いている。
ここから各階層で発生する支払いの合計を階層にいる人数から計算する
01階層 3070500円
02階層 3069000円
03階層 3066000円
04階層 3060000円
05階層 3048000円
07階層 2976000円
09階層 2688000円
トータル 30,721,500円
また、これと並行する形で、
直接紹介を五人した人は、
小さいほうの報酬額が15000円を超えるまでは、
もう少し支払う報酬が増えることがあるかもしれない。
(月謝が15000円(税別)なので、4000人たど
育成コミッションは「ユニレベル」で支払われる形になっている。
このユニレベルというのは、
という形で枝だが伸ばせて、それにあわせて報酬が出る。
それだけではなくて、
紹介報酬 子 孫 ひ孫 玄孫 来孫
1人紹介 5%
2人紹介 10% 5%
3人紹介 15% 10% 5%
らしい。
(NBCの説明は、どっかのネットワークビジネスの仕組みを
何も考えずにそのまま持ってきたらしく色々ずれてて判りにくいんだが)
とにかく1人を勧誘することで、
(これが無理な勧誘の引き金になってたり)
他にも直接紹介を10人以上だすと、
NBCの規模が大きくなればなるほど報酬額も上がるという怪しい話。
もしかすると、
なんか色々と報酬があって「儲かりそう」だと
既に800人の会員がいたという事だから、
これから参加しようとすると、
すぐに判ると思うけれども、
(もしかすると人を引きずり込んで、
紹介料で稼げるような人もいるかもしれないが、NBCは率が悪いよ)
やめといた方が良い。(後述)
何よりも上位会員に利益が集中しすぎる仕組みなので、
「ねずみ講」としてもかなり「酷い」と思う。
(信じきっている下部の会員には、
役に立たないネットビジネス(笑)を、一生懸命やらせていたり)
商品としてあるらしいけれども、
ベースコミッションの分配だけで、集めた月謝の約半分が消えていくっていうのは、
ふつに考えてもおかしい。
認定される可能性が高いと思われる。
※なんでもトータルで還元率が70%に設定してあるのだとか
カタログ記載商品の売り上げと広告費で利益を得るビジネスモデルだとして、
「今は業務拡大の為に連鎖販売の形を取っている」って勧誘したけれど、
NBCもこのアースウオーカーとの類似点が指摘出来るとおもう。
(まぁNBCの場合、他にも別の切り口で色々と酷いみたいだけれども)
NBCは入会金6万円に、月謝15000円という形で、
騙されたと思っても被害届が出しにくい低料金になっている。
NBCは「副業をして稼ぐ」ってのを前面に押し出して勧誘しているので、
嘘の説明で騙されて入会した人とかは、きちんと救済されるべきかもしれん。
「いわゆるネズミ講により利益を受けた者に対する破産管財人の返還請求」
http://www.kokusen.go.jp/hanrei/data/201506_1.html
NBCの場合は、NBC合同会社というのが主催しているのだけれども、
実質的には代表者が経営している別の株式会社が運営しているもよう。
まぁ。税金とかは、どうなっているんだろう?ってな疑問もあるんだけれども、
早めに名乗り出てる方が良いかもしれない。
※NBCは三月に率とかの変更をしたも様。
※でもそれまでの段階はこんな感じの運営だったと予想される。
※当然、その時の被害者もいるはず。
今更ながらアナと雪の女王について。
『FROZEN』は好きな部分もあるけれど、それでもやはりアンデルセンの雪の女王の映画化としてはとても残念と言わざるを得ない。作品としては好きですよ、でも残念。
タイトルが『雪の女王』ではない、オリジナルな『アナとエルサ』ならまだよかったのに。ポニョと人魚姫以上に掛け離れているんですから。
人魚姫がハッピーエンドになったくらいの改変ならいいけれど、これはそれとは違って話の設定から何から違うもの。ラプンツェルも設定改変はあったけれど「高い塔に閉じ込められた長い髪の少女」という根本は変わらない。
雪の女王という作品の根本は何かというと「幼なじみの少年を探して旅する少女」の構図なんですよ。男の子を助ける女の子の話。よくある物語の逆パターンです。これはフェミニズム視点で見ても意味あるものだと思うだけに、どうしてそのまま使ってくれなかったのかと思うと残念。異性愛中心だからだめなの?でも革新的な設定だと思うんだけどなー。
そしてタイトルである雪の女王はけして悪役ではない。厳しくも美しい冬の象徴であり、カイを見守る女神とも言える存在。ありがちな、ヒステリックで意地悪な女ではないのです。少女と大人の女は異なる存在ではないと示す意味で、ゲルダと雪の女王のオリジナルなやり取りを入れてくれたりしたら、フェミニズム的にも面白いと思います。ゲルダと雪の女王は一人の女性の二面性と見る事もできますしね。
もともとは字書きなんですが、以前に数年ほどDTMにハマっておりました
15曲ほど作ってみたのち、「ああ、向いてないんだな」と実感しましてやめたのですが、そのときに歌詞を考えた経験がちょっと懐かしいです
最近になって、歌詞に困るDTMerさんの話を耳にしまして、歌詞の書き方くらい検索したら出てくるんじゃないかと思って検索したら本当に山ほど出てきたので、順番に読んでみて納得したりこいつなに言ってんだと思ったり技巧派に感心したりして大変楽しかったのですが、なんか気になるところもありました
テーマとか世界観とか押韻とか破擦音とか基本的なところはいろんなサイトさんを見てください
あと、たぶん有料の書籍などでは普通に書かれているんじゃないかと思いますので過剰な期待はしないでください
単なる個人的まとめです
・メロとイントネーションをあわせる
ありがちなのが、歌詞では「好きなの?」と疑問形なのに、耳にすると「好きなの」と告白してるようにしか聞こえないといったパターン
メロが音階上がるところはイントネーションも上がる言葉、下がるところは下がる言葉を使ってください
わざと逆にもっていって強調する術もありますが、多用は禁物です
・同音異義語に注意する
「疾走」「失踪」とかです
「夜の闇にシッソウ」など、どちらでも通ります
間違えられることは少ないと思うのですが、とくに体言止めの場合には注意が必要です
・撥音に気をつける
「ん」です
一音として数えないほうがいいことも多いですしテンポもよくなります
もともと発音しにくく、強調する場所で使われると歌いにくくなりますし、補正するのも大変だと思います
ボーカルさんが上手ならそれほど気にすることはありませんし、歌うときにしゃくることが前提で強調させるのは逆にいいと思います
・促音は一音として扱うか
「っ」です
一音として扱わないほうがいいことが多いのですが、フレーズごと強調したいときだけは数えるのもありでしょう
長音「ー」として扱うことで強制的にしゃくらせることも可という感じでしょうか
ずっと真面目に一音一字はだるいので、二番のAやBをわざとすこしあわない字数にして変化をつけるのもありです
四分音符を八分音符ふたつに刻んだりですね
わりとよくあります
メロやオケとの兼ね合いで考えてください
「夢」を「希望」に置き換えたとすると、夢は曖昧に憧れるものに対し、希望は明確に求めるものの意味合いが強くなります
前者は夢見る乙女もしくは玉の輿狙いでしょうが、後者は王子様その人にすでに心当たりがあるようです
・耳慣れない言葉は浮く
かっこいい言葉や気を惹く言葉を探すより、よく使う言葉のかっこいい言い回し、気を惹くフレーズを考えたほうが失敗しません
「漆黒の夜に君とふたりで」より「暗い部屋で朝を待つ僕ら」のほうがマシです
さすがに「漆黒」とか使う方はもういなさそうですが
などとまあ長々と書いてみたのですが、実際に歌詞の書き方なんてものを全部きっちり守っていたらたいがいつまらないものしかできないでしょうね、というのが実感です
ありがちな今期のアニメランキングエントリがホッテントリ入りしてた
でも他のブログと違うのは、冒頭に目次という形でランキングを先に見せてくれること
他のブログは、自分の記事を無理矢理読ませたいのはわかるけど、あまりにもだらだらしすぎで、てめーの御託よりもランキングだけが知りたいんだよこっちはと思う自分にとっては、スクロールが面倒なだけでしかなかったから、すごくよかった
感想自体は1行でアニメのスクリーンショットが占める割合の方が大きかったのと、そのスクリーンショットの選定が微妙なことを除けば、感想が簡潔って事自体は評価できるポイント
いろいろ突っ込まれることを前提でエントリをぶちまけるので、忌憚ない意見が聞けたら良いなとおもっている。
さることの昨年九月、とある財閥企業グループの子会社に転職をした。
親会社にくっついたエンジニアリング会社といえば聞こえは良いが、要するに工事会社だ。親会社が不採算で利益率の低い部門を分社化しただけのことだ。
この企業に転職して数ヶ月、起こったこととそれに対する意見をぶちまける。異論、反論、大募集だ。ただし討論に興味はない。
思ったことをぶちまける代わりに、それに対して思ったことが返ってくることを期待する。
サマリーはおおまかにいって以下にまとめることができる。
①工事会社としての技術力とは一体なんなのか、それは情報漏えいを恐れるようなレベルのものなのか
②内部の人間同士で『人間性』に言及し始めるようなら、その組織は終わってる
③ドメスティックタイプの企業における『コミュニケーション能力』という名の限界
会社に入ってきて思うのだが、いわゆる施工規準や施工方法に関するデータの流出を上層部が過度に恐れているように思える。
しかもそれは本質的な『情報漏えい』に関する健全な怖れというよりは、子会社にありがちな親会社や風評被害を怖れての脊髄反射に見える。
PCをシンクライアントにするのは良いが、いくつかのクラウドサービスをアクセス禁止にするのはいかがなものか。はてはフラッシュメモリからフリーソフトのダウンロードまで規制されている。
顧客情報流出を怖れるのは良いとして、施工規準や施工方法に関する教育データぐらいある程度コピーして弊害があるか?
原価見積りに関するデータが流出することで、利益源泉が素っ裸になってしまうリスクは分かるが、正直言って建設業関係で中小のエンジニアリング会社に、セキュリティをかけてまで守る技術などない。
とてつもない機械をどっかから買ってきて、数値を入力して、資金力にものを言わせて人を雇って、膨大な工期を費やして建築物を完成させるというだけのことだ。
だいたいエンジニアリング会社なんて、自社の技術なんてなにも持っちゃいない。
太陽光発電事業者なんかがよく自らをEPC(エンジと調達と構築をワンストップで行う事業モデル)とか言っちゃってるわけだが
要するに知識と人員と情報収集力&編集力はあるから、必要なもんは金かけて集めてきて設計して作ってやんよ、っていうだけの話だったりする。
だからエンジニアリング会社がプラントに持ってく装置や設備のほとんどは、実は盤屋に筐体だけ作らせて中身は中小メーカーやどこぞの電子メーカー製品の寄せ集めだったりする。
ぶっちゃけ施工会社としてのエンジニアリング会社はエンジニアリングっつーよりはむしろ商社に近い。投資事業モデルを使ってないだけ。
客先常駐型の派遣モデルで収益を上げているが、結局設備そのものの校正やサービスはメーカーの技術者を呼ぶわけで、ビジネスの形が顧客との利益相反になってる。
これが例えばプロパティマネジメントのように、顧客の一部となって設備投資利益の最大化を目指す形ならばいざ知らず、結局は政府の公共工事に縋る建設コンサルタント業界とほとんど変わらない。
相手がメーカーに切り替わっただけの話で、二年三年単位で作られる景気を見越した設備投資計画によって投入された予算に従うだけ&なるべくその予算を多く取るために張り切るだけのビジネスだ。
現代における技術力の意味合いはどちらかといえばもっとサイエンスであったりコンピューティングなものだと思う。
少なくとも、いくら工事会社が『我々の技術力を守る』だのと言っても、そこに書かれていることのほとんどは日本の電気事業法だの高圧ガス保安法だのに則ったものを超えられないし、そこから幾らでもリバースエンジニアリングが可能なものでしかないと思う。
つまりなにが言いたいのかというと、会社のPC持ち帰れないんだから教育資料ぐらいクラウドサーバーにアップして家でテスト受けることを許可しろ。
職場で仕事の成果物に対する評価を下すならまだしも、従業員の人間性に言及が終始するような職場は終わってる。それは単なる噂話や陰口の温床だ。上司が部下の人間性に口を出す組織も終わってる。
コミュ障やアスペ、発達障害やうつ病についての言及をするような職場、とりわけそれを「脱落者」「人として未熟」という組織も同様だ。まず間違いなく組織として終わっている。
仕事をするにしても各自に割り振られたタスクそのものがなく、社内営業や油売りによって仕事を獲得するような組織だ。
指示系統にせよ、組織でありながら組織化が徹底されてない証拠だ。
誤解を怖れずにはっきり言うが、そもそも『人間性』に着目しはじめたとき、その組織もあるいはその人間関係もある意味で終わってる。
多くのビジネス書では地図よりコンパスの方が重要だとよく言われるが、はっきり言ってそれは嘘だ。
コンパスはたしかに重要だが、それよりも地図を手に入れることの方が先決だ。
コンパスは主観だが、地図は自分がいる位置を相対化して知る事ができる唯一のツールだ。GPSがあっても上空からの映像がなければ何の役にもたたない。
人間性を期待するべき側とそうでない側がTPOで変化する。また人間性の定義もTPOで変化するし、人間性を評価する人間もまたTPOで変化する。
そして多くの場合、人間の語る評価はポジショントークで、現代人は一個人でありながら日常生活の中でさまざまなポジションに立つ(親であり上司であり母であり父であり弟であり..)から、人間性の評価軸そのものが普遍ではない。
人間関係は一元的なものではない。人は誰と対面しているかによってコロコロと相を切り替えるので、ある人間から見た印象が必ずしも別の人間から見た印象と一致するわけではない。
しかもそれは個々の人間が持つ評価軸に連動しており、その評価軸は各々の視野・視座によって変化する視点であり、複雑系で曖昧だ。
『評判』そのものに実は信頼性などなく、『何故その人はそのような評価を下したのか』に着眼し、評価を下した人間の立場や背景にまで目を広げなければ、客観的な『結論』を得ることは難しい。
facebookの『いいね』の個数は重要ではない。『どこの誰が〝いいね〟を押しているのか』が重要で、さらに言えば〝何故いいねを押したか〟の方がもっと重要だ。
その理由の如何によっては、『いいね』そのものをデータの指標として無視するという選択すら十分ありうる。
ビジネスの現場において、始末書や反省文に人間性に対する言及があってはならない。
それはなんら解決にはならない。根本的な問題が仮に人間性にあるとしても、それを逆手に取って上手に外的要因に沿って問題に取り組んでいく以外に道はない。
上司がパワハラであるからといって、我々は生計を立てることを諦めるわけにはいかないし、部下や従業員が怠惰や傲慢であるからといって、具体的な目標を立てずにビジネスが進展することはありえない。
結論を言えば、『人間性』に言及し始めることは、ビジネスにおいて必須たる〝コト〟に向かう姿勢を歪める。
それが蔓延する組織は、組織化が上手くいっていないか、もしくはそのビジネスが限界を迎えているかのどちらかだ。
(※ 筆者の場合、所属しているのは子会社タイプの工事会社なので、ビジネスそのものが危うく、社内が内向きになっているのだと考えている)
阿吽の呼吸のことを『コミュニケーション能力』と呼ぶ時代はとうに終わっている。
すべては文脈と宣言型言語によって語られ、記述と構造化が優位に立つ時代になるはずだ。
曖昧さは削られていく。
世界全体で大きなストーリーが崩壊した今、ドメスティック企業において求められていた『コミュニケーション能力』を担保にした『仕事が出来るヤツ』『仕事が出来ないヤツ』の評価軸は揺らぐだろう。
なにが言いたいのかというと、現場ごとに施工ごとに異なる大同小異の部分で小さく競い合うのは不毛だし醜くてむしろ哀しくなってくるから辞めろ。
たかだが一つの装置の細かい機能に過ぎない部分で知識自慢と知恵比べをするのは不毛だから辞めろ。
文脈レベルでの競い合いなんざ無意味だ、職人同士の張り合いは趣味でやれ。ささやかな自慢なら良いが、無駄にプライドを持つと逆に扱いづらくで邪魔だ。
YouTuberとして「好きなことで、生きていく」なんて現実的な夢ではないという話はまぁあるとして、それより、既に食えている(と思われる)トップクラスのYouTuberたちが、果たして「好きなこと」で食ってるのかってのが気になる。
なんか、佐々木あさひとかバイリンガールとかは、まだネタが一貫してるから分かるんだよね。
よくわからないのが、瀬戸弘司とかKAZUとかはじめしゃちょーとか、まあ他にも色々いるけど、総じて「昔はすごく個性的で面白いチャンネルだったのに、気付いたらみんなマイクラとスプラトゥーンの実況で再生数稼ぎをやってる」みたいなのがすごい残念に思える。
シバターも、以前は「YouTuberってのはしょうもない存在で、結局みんな商品レビューやってるだけ」みたいな冷水を浴びせる役をやってたわけだけど、結局お前もパズドラ実況とかやっとるやんけ。
彼らが彼らなりに商売で成功しているとすれば、それはそれで凄いと思うし、逆にイマイチ儲かって無かったとしても「じつは大して儲かってなくて安定もしてなくてヤバイらしいぜざまぁwww」みたな気持ちにもならない(そういうのを言いたくなる人も多いみたいなので一応断っておく)。
俺は単に、チャンネルから個性が失われて行ってるのをみて、なんか寂しいなぁと思うだけ。
「知る人ぞ知る、ネット上の有名人」みたいな人が、無償または小遣い稼ぎ程度でネットに上げているコンテンツに魅了されるという経験は、90年代の終りからずっとあった。
昔(YouTubeとか出てくるよりも前)はネット上のコンテンツに広告収益が流れる仕組みとかあまりなかったから、長続きするわけでもすごく有名になるわけでもなく、しばらくすると忘れられるって感じだった。それが最近は、カネが流れる仕組みが確立されてきた結果だと思うけど、忘れられるというよりは「ある程度以上有名になって、みんな同じことをやるようになる」というパターンになったんだなと実感した。
俺が初めて「YouTube内有名人」みたいな人がけっこういることを知ったのは2012年ぐらいかなと思う。あまり正確に覚えてないけど、遅いほうだろうな。それまではYouTubeってもっとカオスな場所だと思ってたんだけど、企業や有名人のチャンネル以外にも「みんなが見てる有名なチャンネル」ってのがあるのを知って、へぇ〜と思った。
その頃俺が面白いなと思って見てた動画も、結局は「デジカメとかパソコンの商品レビュー」が多くて(上に挙げた人たち以外では、例えばジェットダイスケとか秋葉仁とかな)、これもまぁ、海外の人気YouTuberたちが確立した「手軽に稼げる、パターン化したコンテンツ」ではあったんだけど、それでも今よりは面白かったんだよね。
瀬戸とかKazuとかも、昔の動画はけっこうガジェオタっぽくて良かったんだよ。それが「商品レビュー」というお手軽パターン化の一種であったとしても、ある程度のヲタ臭があることがギリギリ、面白さを支えていた。
それがマイクラ実況とかやりだすとね、なんかもう、「いやお前らべつにそれそんなに興味ないっしょ?」感がハンパない。
スプラトゥーン実況とか流されても「お前らぜんぜん上手くねーし」って感じで、存在意義がない。
ちなみにHIKAKINは、俺がその存在を知った頃にはすでに小学生向けの今の路線だったので、最初から面白いと思ったことがなく、変化はあまり分からない。
そういう意味では、なんだかんだでHIKAKINが「手軽に稼げる、パターン化した動画」の日本におけるパイオニアで、他のYouTuberが追随したって感じなのかな?でもHIKAKINだってもともとは、ヒューマンビートボックス動画で有名になった人だよね。それらいつのまにやら、お菓子を食べた感想とかゲームのプレイ映像で食う人になってるわけだ。
あ、そういえばビートボックスで思い出したけど、HIKAKINと違ってビートボックス動画を一途に継続していて好感を持っていたdaichiも、いつの間にかゲーム実況チャンネルを開設して、マイクラとスプラの実況やってたわ。なんなんだよほんとに・・・。
とにかく最近のYouTuberの活動をみてると、「ヲタがヲタじゃなくなっていく」過程でしかなく、それって「好きなことで生きていく」とは真逆なのではないのかと。
以下追記。
ブコメの論評がけっこう面白いので、みなさんあわせて読んでみてね。「文句あるなら見るな」みたいな不毛なコメはなく、みんなけっこうネット上の草の根コンテンツを愛しているんだなということが分かってよかった。
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20160410104626
>ニコ生みればいいじゃん
http://b.hatena.ne.jp/entry/284732020/comment/algot
それ真理。
>固有名詞が全然分からない。そんなにみんなyoutuber見てんのか。
http://b.hatena.ne.jp/entry/284732020/comment/aoi_tomoyuki
実際そんなにみてないと思う。俺は社会人だけど、ビジネスマンでYouTuberの名前出して分かる人ってほとんどいないわ。
渋谷に看板出したりテレビCMもやったりしてる割には、「YouTuber」という人種は世間一般にはまだ知られておらず、そういう意味では「知る人ぞ知るネット上の有名人」みたいな位置づけは変わってないとも言える。
ただ、UUUM所属のYouTuberが典型だけど、ここ2年ぐらいで急激にチャンネル登録者数が伸びてはいるね。あと、ゲーム実況者に関しては、小学生はけっこう知ってたりするな。子供はけっこう、親のスマホをいじったりニンテンドー3DSとかWii UとかでYouTubeみてるので。
>テキストサイトの管理人がライターになれた時代があったように、ああいうのって先にパイを占有できた人たちの早い者勝ちなところあるよな。
http://b.hatena.ne.jp/entry/284732020/comment/natu3kan
>先行者利益で食える一部の層がいるにすぎないからなぁ。そういう意味では最初に飛び込んだ人らは動画作成が趣味みたいな人々だったのだろうから好きな事で生きていくってのはあながち間違いではなさそう。
http://b.hatena.ne.jp/entry/284732020/comment/kirifuu
俺の印象では、2010年以前のYouTubeって、テレビなどの著作物の無断アップロード動画を探すときが典型だけど、話題で検索してひっかかった動画をみていくってのが基本だったと思うんだよね。そういう時代から、自分が登場する企画動画(昔は「ビデオブログ」なんていい方もされてた)を定期的に撮り続けて自分のチャンネルを育て、登録者を増やしてきたのは立派なことだと思う。
あと、成長したチャンネルをみてて一様に言えるのは、とにかく継続力が凄いってこと。毎日とか週に数本アップし続けるのって、やっぱ大変だと思うんだけど、それがないと登録者数は伸びない。
>テレビが辿った道そのままなんだな。深夜で尖ったことして人気出てゴールデンでつまらなくなるアレ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/284732020/comment/htnmiki
まさにそれ。
>瀬戸弘司は「動画撮って編集してみんなに見てもらうこと」が好きな人だと思うので、ゲーム実況も分かるかな。Kazuは視聴回数が上がりそうなことを試行錯誤してるんだろう。
http://b.hatena.ne.jp/entry/284732020/comment/Desperado
瀬戸の編集はすごいよね。あれがあるから、まだ職人芸的な見どころを感じる。
ゲーム実況をdisるようなことを書いたけど、瀬戸のマイクラ実況は演出がきいてて(劇団員だしな)、面白い部類であると認めざるをえない。子供がよく見てるから俺もたまにみてる。
http://b.hatena.ne.jp/entry/284732020/comment/kasanova10
ワロタwしかしセイキンもいまやチャンネル登録者160万人だぜ。
バイリンガールがあのクオリティで登録者50万人しかおらず、セイキンはあのクオリティで160万人もいる。これが今のYouTubeだ。
>PDRさんを見なさいPDRさんはシバターみたいに毒舌だけじゃないし編集凝ってるし一人コント面白いし英語の勉強にもなるしイケメンだし面白いしアンチuuumだからみんなPDRさんを見なさいPDRさんを見なさい(洗脳)
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20160410104626
PDRさんはPDSとも違って、クオリティにこだわりあるし、時流に媚びない姿勢がよい。
しかしなんというか、ネタがあまり個人的に興味ない感じのが多いから、頻繁にチェックはしてないな。
去年ぐらいにあった、「バイリンガールが教えてくれない英語」みたいなタイトルでFuck!の言い方を何通りも紹介してたやつとかは、10回ぐらい再生した。
>この人はyoutuberが好きなんだな
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20160410104626
ええ、好きですね。
>youtuberさん は好きなことで生きて行ってないかもしれないけど エンジニアさんは好きなことで生きていけてる人が多い印象
http://b.hatena.ne.jp/entry/284732020/comment/kuxumarin
悪いがそれは幻想だ。
成長スピードがすごい。1000万人に1人の才能とか言っちゃう。
攻撃力やスピードにステ全振りしてる設定のわりに、攻撃を受けても大して支障はない。「あばらが何本かやられた」りはする。
不殺主義。主人公が殺さなくても、主人公に負けた相手は非情な敵のボスに一瞬で殺されたりする。
やたら凝っててかっこいい能力名。百腕巨人(ヘカトンケイル)の門番とか一瞬のうちに自分で考えたの?
敵に殺されかけても都合良く邪魔が入ったり、止めをさすまでもないとか言われて殺されはしない。のちに修行や覚醒してリベンジ。
ちょうど自分の実力と同じかやや格上くらいの敵と順に戦う。全部敵ボスの仕組んだことでしたーっていう展開を2回もやられても困るけれども。
敵の乱射する攻撃はあたらない
応用がきくか成長要素がある能力
勉強に限らず努力をすることが自分を不幸にしてると思い込む人って世の中に一定数いるとは思う。
そういう人にありがちな思考法が、「努力した→自分の財産になった」ではなくて「努力した→誰かと競争して負けた」ということばかりを気にしていることだと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20160406142930
この人とか、幸せの実感は周囲が与えてくれるもんだとごく自然に思い込んでるみたいだから
一生かかっても自分が努力をして何かを得たという幸福感を感じることはないと思う。
勉強してもしなくても。
たそがれ清兵衛とか観た方がいんじゃね?と思ったけどそもそも感性がルーチンワークこそが幸せと持ってる虫レベルの人は違った解釈をしそうなのでおすすめしない。
http://anond.hatelabo.jp/20160321120853
トラバで1期2期本放送当時の空気や、それ以前のにこの扱いについてツッコミをいただいたが、これについては今以て反論のエビデンスが見つからないので、ここでは否定しないことにします。
今回また筆を執ったのは、それでもなお熱心なファンが、先日のファイナルでドームを埋め尽くすほどのマスを何故獲得したか、思うところがあったからだ。
きっかけは、元のエントリを書いてからいよいよ続きが待ち遠しくなって、程なくしてDVDレンタルで2期をチェックし、その勢いで劇場版も再チェックしたところ、久しぶりに心動かされるインプレッションに直面したことである。
元エントリで、自分は「あれだけの人気が出たのが不思議で仕方がない」と書いたが、これは撤回せざるを得ない。
我ながらこんなふざけた掌返しは、いわば「北風と太陽」を味わってしまったからである。
それくらい、2期のクライマックス(9話以降)から劇場版に至るまでの盛り上がりは熱く、そして眩しかったのだ。
今までこんなにやる気・前向きの熱気に溢れ、眩しすぎるくらい眩しい作品があっただろうか。
そりゃ話の筋書きだけ見たら全くパーフェクトではない。
てか2期だって、8話までは基本ほぼ早送りで見てもいいくらい退屈だった。
それこそ「1期でヘマやらかして批判を受け、制作側が必要以上に萎縮した結果、2期は美少女動物園」という、ありがちな体たらくじゃん・・・正直ゲンナリしていた。
でも話が終わりに近づいた所で大きな軌道修正が入ったのだろうか、そこからが本当に凄かった。
上に書いたようなツッコミや、その他シニカルな見方(例えば「ずっと一緒にいると、お互いの考え分かっちゃうんだよね」とかホントか?と思わなくはなかったり)を軽く吹き飛ばすくらいの、超ポジティブ展開で畳み掛けてきやがったと。
勿論「この1期があったからこそ、2期があった」と思わせるようなニクい演出もキッチリ作ってきてたし。あと神田明神が痛絵馬だらけになる事まで見越した話も挟むとかもヤバい。
そして、その勢い冷めやらぬまま突入していく劇場版は、2期まで見た後だと全く違って見えた。
まさに一面パーッと花が咲いた感じというのだろうか、目を見開かされたのは間違いない。
そして、この目の回るような展開が、少なからぬ視聴者の心を捉えて離さなかった結果の大ブレイクだったのだと、確信した次第である。
「皆が一生懸命頑張って頑張って、そしたらどこまでも飛べる、そして花は咲き続ける」
という、素晴らしく力強く、明快直截で、そして純粋なものだった。
そもそも「どこまでも飛べる」と何か1つでいいから思えるメンタリティこそが青春なので、ある意味では青春の輝きを体現したアニメなのかも。
しかしそれにしても、中高生以上がコアターゲットのアニメで、こういうメッセージをここまで最前面に打ち出し、押し通した作品を自分は他に知らない。
もしかしたら、こういうラブライブ!のような直球勝負な作風がブームになるレベルでウケるくらい、アニメがカジュアル化したということだろうか。
てか、もしそれを見越して本企画を思いついたのなら、考えた奴は神だと思う。
「アニキャラでアイドルユニット作ってPVもどきの形でアニメにして、アニメと全く同じパフォーマンスを中の人がライブで披露する」
と、要するに
ことがオリジナリティの核という、とんでもないイロモノ企画だったわけで、実際
と当時は思ったものだ。
それがこんな化物コンテンツに成長したのだ。
恐ろしい。
超生物は、今度は地球を吹き飛ばすと言う一方で、あるクラスの担任を自分にやらせて、クラスの生徒が自分を殺せればそれはOKという条件を出してくる。
あらすじ知らない人のほうが今や少なさそうだけど一応。
原作読んでなかったけどそれなりに楽しめた。
ただ原作を大事にするあまり(?)、原作のぶつ切り短編のつぎはぎっぽくなってて、一本の映画としてはちょっと微妙かなという感じもした
ただTV放映版、てめーはだめだ
マンガだとひっぱってひっぱってすごいサプライズだったであろうところがあっさりバラされてるのもちょっとどうかと思った
ひどすぎ
俳優とかタレントにありがちな棒読みじゃなくて、おおげさで抑揚のきいた声優的な演技がすごくうまかった
マジで驚いた
これ見たあとにスーパー行ったら、子供が殺せんせーの笑い方真似して「ヌルッフッフッフッフ」って連呼しててめっちゃ微笑ましかった
洒落っ気のない理系学生はヤバい性癖もってそうだというイメージ抱いた人がちょっとは増えたんじゃないの
昔「ずっとあなたが好きだった」というドラマが人気になって
それに似たインパクトはすくなからず今回あったような感じするわ
あの数式が羅列された卒業文集やハライチのボケの方みたいな写真見て、
いつもチェックのネルシャツをきているメガネ面の東工大生あたりを
洋画で頭脳派サイコパスを紹介するシーンでありがちな小道具そのままで、
心象の悪さに拍車をかけている。
あれを見て、「留学までして飛行機に執着するなんてハイジャックしそうで怖い」なんていう
馬鹿な女も多いんではないか?
としか女は思わないだろう。