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国立大受験、共通テストにプログラミング…25年から「情報」追加で6教科8科目に
https://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/kyoiku/daigakunyushi/20220128-OYT1T50158/
https://www.asahi.com/articles/ASQ1X7S36Q1SUTIL01M.html
国立大協会、共通テストに「情報」追加 25年以降、6教科8科目に
https://mainichi.jp/articles/20220128/k00/00m/040/332000c
2022年4月に高校に入学した生徒を対象にした大学入学共通テストから教科情報の試験が追加されることはもう決まっていたのだが「そんなのわざわざ受けるやついるの?」とならないように、文科省と入試センターが布石をうった結果としての国立大学の入試での必須化だと思う。
これについては、私立大学には強制できるスキームがない(補助金をちらつかせればできるかもしれないが)のと、地方の高校などにその衝撃波が届くように、だと個人的に思っている。
ぶっちゃけ首都圏などは、高校の情報教員は余ってはいないが足りてはいるが、地方では情報教員の採用をまだ実施していない県もあれば、ようやく始めてまだ数名しかいないという県もある。
そんな情報教員の採用に消極的な地方での、高校のKPIの一つに国公立大学への合格者人数というものがある。教育委員会によっては、特定の進学校に助成金みたいなのを出して、進学実績をさらに上げさせようとしている県もあると思う。そんななか情報をきちんと教えられる教員がいないと、国立大学に不利になるよ、というのは地方の高校や教員区委員会への圧力になるのである。
「急すぎるじゃないか」とお怒りの校長とかもいるだろうけど、受験には関係ないからという言い訳で、教育委員会が教員も採用してこなかったり、未履修問題のように高校が勝手に情報をやらずに他教科に置き換えて授業を潰していたりしたことが、結果としてスマホしか使えない大学生を大量生産してきたのではないだろうか?
高校の情報という授業は実は2003年に高校に入学した生徒から必修科目となっている(正確には必履修科目)。ということで教科が出来てからもう20年近くになる。
商業高校や工業高校は別として、全ての普通科で必修の教科が「ドーン」と爆誕したのがその年だったのだが、文科省の失政を今の今まで引きずっていたのだった。
それまでにない教科(情報処理に類する科目は無かったわけじゃないが)が誕生するということは、教える人が新たに必要となるということである。
それが全国何千校の普通科の高校で急に始まるのである。まあ、時代で必要だったのでそれはしょうがないと思うが。
大学の教員養成課程で、一気に何千人も情報科教員を輩出できるわけではないので、現職の教員に講習を行って新たな免許を持たせることにした。
まずは意識高い教員に、現職講習の講師役となるための研修を行い、育成された講師たちが各都道府県で現職教員にたった15日間の講習で「教科情報をもう教えられるよ」ということにした。
しかも希望した受講者だけ目標ノルマ人数にとても足りず(講習を受けられる教科に縛りを付けた失策があり、そもそも希望しているのに受けられなかった教員もいる)、各学校で肩たたきのように希望しなくても免許を取りに活かされた数学や理科、家庭科の教員が多数いるというわけである。
これを時限的な教員免許とすれば、大学で情報の教員免許をとった新しい教員がどんどん入ってきたのだが、いかんせん恒久的な免許だったのだ。
あと教員免許更新があるじゃないかと思われるかもしれないが、免許更新はどの教科で更新するとかはなくて、文科省が認めている免許更新の講座だったら何の教科の内容でもいいし、生徒指導でもレクリエーション論でも何でもアリなのだ。一気に全部の免許の有効期限が延びる仕組みである。
情報処理学会は、教科情報の内容で更新講習をやってはいるが、知名度は高くないようである。
そんな石器時代のような人たちが令和の時代に、「情報とは」と教えている現状があるから、それを刷新したいという文科省の意図もあったような気がする。
恒久免許をいまから取り上げるわけにもいかないし、全て定年退職するまで待っていたら日本が沈没するのが加速するだけである。
学習指導要領という教科で教える内容が決められる教育界の法律みたいなものがあって、だいたい10年に1度のペースで改訂される。
最初の情報は、情報A、B、Cという科目があり、いわゆる町のパソコン教室的な内容でも教科の内容をけっこう満たしてしまうものであった。
とはいえ、TCP/IPやWWW、DNSの概略や、アルゴリズム、知財などの法規は当時から教科書に載っていたのであるよ。
その次の世代の学習指導要領で、「社会と情報」「情報の科学」の2つに再編され、今の高校1年生の代まではこれを勉強している。2年後に高3で始めて習う生徒もいるかもしれないが。
今度の4月からの入学生では、情報1に一本化されて、全ての高校生が共通の範囲を勉強している(これが大事)はずなので入試に出しても良いよね、と出来たわけである。
それまではどれかだけ勉強したら卒業はOKという扱いで複数科目あったので。
今年の1年生が浪人して1個下の代と一緒に国立大学を受けると、他教科の試験は移行措置で現行科目の試験が用意されるのだが、情報は今の科目での出題がないからどうするの?という問いかけが国立大学協会からあった。さっきの複数科目の問題があって浪人生に強要できるのかよーという問題だったのだが、文科省&入試センターは強気に「社会と情報か情報の科学か、どっちかだけでもやっていれば100点分になる問題をその年だけ新たに設置するので、無問題」という回答により、国立大学の入試必須化が正式に決まった。
情報1にはプログラミングだけではなく、問題解決の考え方、情報デザインとコミュニケーション、データサイエンスの基礎などが入っている。
ちなみに、情報2という科目もできて、数学みたいに1をやったあとでなければ2を勉強できない、より高度な内容になっている。物理基礎に対する物理みたいな。
データサイエンスといえば聞こえがよいが、それよりちゃんとした統計を学ばせるのが先じゃね?と思う人も多いと思う。
実は数学1で統計の内容が必須化して10年経つのだが、10個や20個の整数を手計算で計算して、分散・標準偏差・偏差値を出してたり、相関係数と散布図くらいしか届かない、「紙の上で鉛筆でやる意味があるのか?」という内容である。センター試験や共通テストでは奇をてらうことが難しい分野だったが、今年の共通テストはやらかした。
次の学習指導要領では数学教育者と統計教育者のバトルなどがあって、それも興味深いのだが、それはまた別のお話。
劇薬ではあるが、かわいい生徒たちの志望大学進学という、餌をつるされた教員たちの良心で今まできちんとした情報教育を受けることができなかったかもしれない地方の高校生が報われるようになるといいと思っている。
あ、あと入試改革すると、企業が儲けるために結託しているんじゃないかと思う方もいるかと思うが、情報1にからめてうちは底辺校と呼ばれる学校なのだが、プログラミング教材とかの売り込みはかなり来るし、ベネッセはすでに高校情報1のオンライン教材の売り込みをガンガンやっている。東進ハイスクールも情報の講師を確保しているようである。
なので「教える教員がいない、地方を見捨てるのか!」となった場合は、ベネッセやら東進の高校向け教材でもやらせてお金で解決してください。
国立大受験、共通テストにプログラミング…25年から「情報」追加で6教科8科目に
https://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/kyoiku/daigakunyushi/20220128-OYT1T50158/
https://www.asahi.com/articles/ASQ1X7S36Q1SUTIL01M.html
国立大協会、共通テストに「情報」追加 25年以降、6教科8科目に
https://mainichi.jp/articles/20220128/k00/00m/040/332000c
2022年4月に高校に入学した生徒を対象にした大学入学共通テストから教科情報の試験が追加されることはもう決まっていたのだが「そんなのわざわざ受けるやついるの?」とならないように、文科省と入試センターが布石をうった結果としての国立大学の入試での必須化だと思う。
これについては、私立大学には強制できるスキームがない(補助金をちらつかせればできるかもしれないが)のと、地方の高校などにその衝撃波が届くように、だと個人的に思っている。
ぶっちゃけ首都圏などは、高校の情報教員は余ってはいないが足りてはいるが、地方では情報教員の採用をまだ実施していない県もあれば、ようやく始めてまだ数名しかいないという県もある。
そんな情報教員の採用に消極的な地方での、高校のKPIの一つに国公立大学への合格者人数というものがある。教育委員会によっては、特定の進学校に助成金みたいなのを出して、進学実績をさらに上げさせようとしている県もあると思う。そんななか情報をきちんと教えられる教員がいないと、国立大学に不利になるよ、というのは地方の高校や教員区委員会への圧力になるのである。
「急すぎるじゃないか」とお怒りの校長とかもいるだろうけど、受験には関係ないからという言い訳で、教育委員会が教員も採用してこなかったり、未履修問題のように高校が勝手に情報をやらずに他教科に置き換えて授業を潰していたりしたことが、結果としてスマホしか使えない大学生を大量生産してきたのではないだろうか?
高校の情報という授業は実は2003年に高校に入学した生徒から必修科目となっている(正確には必履修科目)。ということで教科が出来てからもう20年近くになる。
商業高校や工業高校は別として、全ての普通科で必修の教科が「ドーン」と爆誕したのがその年だったのだが、文科省の失政を今の今まで引きずっていたのだった。
それまでにない教科(情報処理に類する科目は無かったわけじゃないが)が誕生するということは、教える人が新たに必要となるということである。
それが全国何千校の普通科の高校で急に始まるのである。まあ、時代で必要だったのでそれはしょうがないと思うが。
大学の教員養成課程で、一気に何千人も情報科教員を輩出できるわけではないので、現職の教員に講習を行って新たな免許を持たせることにした。
まずは意識高い教員に、現職講習の講師役となるための研修を行い、育成された講師たちが各都道府県で現職教員にたった15日間の講習で「教科情報をもう教えられるよ」ということにした。
しかも希望した受講者だけ目標ノルマ人数にとても足りず(講習を受けられる教科に縛りを付けた失策があり、そもそも希望しているのに受けられなかった教員もいる)、各学校で肩たたきのように希望しなくても免許を取りに活かされた数学や理科、家庭科の教員が多数いるというわけである。
これを時限的な教員免許とすれば、大学で情報の教員免許をとった新しい教員がどんどん入ってきたのだが、いかんせん恒久的な免許だったのだ。
あと教員免許更新があるじゃないかと思われるかもしれないが、免許更新はどの教科で更新するとかはなくて、文科省が認めている免許更新の講座だったら何の教科の内容でもいいし、生徒指導でもレクリエーション論でも何でもアリなのだ。一気に全部の免許の有効期限が延びる仕組みである。
情報処理学会は、教科情報の内容で更新講習をやってはいるが、知名度は高くないようである。
そんな石器時代のような人たちが令和の時代に、「情報とは」と教えている現状があるから、それを刷新したいという文科省の意図もあったような気がする。
恒久免許をいまから取り上げるわけにもいかないし、全て定年退職するまで待っていたら日本が沈没するのが加速するだけである。
学習指導要領という教科で教える内容が決められる教育界の法律みたいなものがあって、だいたい10年に1度のペースで改訂される。
最初の情報は、情報A、B、Cという科目があり、いわゆる町のパソコン教室的な内容でも教科の内容をけっこう満たしてしまうものであった。
とはいえ、TCP/IPやWWW、DNSの概略や、アルゴリズム、知財などの法規は当時から教科書に載っていたのであるよ。
その次の世代の学習指導要領で、「社会と情報」「情報の科学」の2つに再編され、今の高校1年生の代まではこれを勉強している。2年後に高3で始めて習う生徒もいるかもしれないが。
今度の4月からの入学生では、情報1に一本化されて、全ての高校生が共通の範囲を勉強している(これが大事)はずなので入試に出しても良いよね、と出来たわけである。
それまではどれかだけ勉強したら卒業はOKという扱いで複数科目あったので。
今年の1年生が浪人して1個下の代と一緒に国立大学を受けると、他教科の試験は移行措置で現行科目の試験が用意されるのだが、情報は今の科目での出題がないからどうするの?という問いかけが国立大学協会からあった。さっきの複数科目の問題があって浪人生に強要できるのかよーという問題だったのだが、文科省&入試センターは強気に「社会と情報か情報の科学か、どっちかだけでもやっていれば100点分になる問題をその年だけ新たに設置するので、無問題」という回答により、国立大学の入試必須化が正式に決まった。
情報1にはプログラミングだけではなく、問題解決の考え方、情報デザインとコミュニケーション、データサイエンスの基礎などが入っている。
ちなみに、情報2という科目もできて、数学みたいに1をやったあとでなければ2を勉強できない、より高度な内容になっている。物理基礎に対する物理みたいな。
データサイエンスといえば聞こえがよいが、それよりちゃんとした統計を学ばせるのが先じゃね?と思う人も多いと思う。
実は数学1で統計の内容が必須化して10年経つのだが、10個や20個の整数を手計算で計算して、分散・標準偏差・偏差値を出してたり、相関係数と散布図くらいしか届かない、「紙の上で鉛筆でやる意味があるのか?」という内容である。センター試験や共通テストでは奇をてらうことが難しい分野だったが、今年の共通テストはやらかした。
次の学習指導要領では数学教育者と統計教育者のバトルなどがあって、それも興味深いのだが、それはまた別のお話。
劇薬ではあるが、かわいい生徒たちの志望大学進学という、餌をつるされた教員たちの良心で今まできちんとした情報教育を受けることができなかったかもしれない地方の高校生が報われるようになるといいと思っている。
あ、あと入試改革すると、企業が儲けるために結託しているんじゃないかと思う方もいるかと思うが、情報1にからめてうちは底辺校と呼ばれる学校なのだが、プログラミング教材とかの売り込みはかなり来るし、ベネッセはすでに高校情報1のオンライン教材の売り込みをガンガンやっている。東進ハイスクールも情報の講師を確保しているようである。
なので「教える教員がいない、地方を見捨てるのか!」となった場合は、ベネッセやら東進の高校向け教材でもやらせてお金で解決してください。
※コロナはポジショントークになりがちなので、とりあえず俺のポジションということです。
オミクロンに置き換わって以来ずっと不思議に思っていることがある。
コロナは当初、武漢肺炎と言われたこともあり、肺炎を引き起こす風邪ということで対策とKPIが設定されていた。
実際は肺炎は合併症の一つであり、最も多く発生しているから肺炎症状をもとに数字を集めて対策されていったと思う。
例えば
といった具合である。
オミクロンが肺に興味がない株ということはわかっているわけであるが、それじゃあ肺炎基準でKPIをとっている以上、全員軽症だよね。
現在コロナでICUに入っている人が東京で200人以上いる(いわゆる国基準の重傷者数)わけだが、その中で人工呼吸器つけているのが3人だから東京都基準では3人という発表なわけです。
で、死者数が増えるだけっていう話だよね。
それ大丈夫なん?
コロナで血栓症発生してしんでも、軽症者が死亡したことになるわけでしょ。
サイトカインでどうのこうのってなっても軽症者が死亡したことにあんるわけでしょ。
でまぁ、問題になってくるのは、肺炎以外の合併症は基礎疾患を多数持っていて基礎体力が落ちている高齢者が中心ということですよね(多分
加えていうならば、それだけ多数の陽性者が出ているならば、もちろん保健所では見きれないし、容態が悪くなったら自力で病院に行かなくちゃいけなくなるわけだよね。
独居老人の多い首都圏でじーさんばーさんが自分で救急車を呼ぶわけだ。
で、軽症者が救急車を呼んで現場を逼迫させているとかいい出すわけでしょ。まぁそれはいいか。
話がそれてきたのでこの辺で切るけどさ。
なんていうか5類だとかなんとか言ってる人たちって、敵国の軍艦ばかり気にしていて潜水艦の接近に全く気づいていないでのんきに酒盛りしているように見えるんだよね。
例えばドメイン更新設定(更新料支払い)画面に間違えて飛んじゃってナビゲーションから別ページに戻ろうとすると
「更新忘れてませんか?本当に移動していいんですか?」ってポップアップが出てきて邪魔してくるし、
ドメインを購入・更新みたいな手続きをしようとすると「メルマガを有効にする」のチェックボックス(デフォルト有効)があって
ふと油断するとメルマガ配信機能が有効になってしまうトラップが至るところに仕掛けられている。
んでメルマガ解除の手順もややこしかったりとか内容も空き枠を調べたことある文字列の類似ドメインの販促メールが大量に送られてきたり、こういうのが本当多いんだよなぁ。
多分だけど、『○○画面での離脱率』とか『メルマガ配信数』とか『○○ページへの流入数』みたいな要素が重要なKPIとして社内で設定されてて、
「これらを向上(ときに低下)させるにはどうすればいいか?」ってアイディアを社員で集まって出し合ってユーザーの使い勝手とかUXとか度外視でどんどん詰め込んだでいった結果こんなクソダサいもんができあがったんだろうなぁって。
「更新ページから移動するユーザーにクソうざいポップアップを出す/出さない」でABテストをやったらきっと出すパターンの方が目に見えるくらい離脱率は下がるんだろうよ。
ドメイン管理サービスなんてメインの客層は法人だろうし、Appleの公式サイトみたいに皆が憧れるイケてるものを目指す必要なんてない。
今はきっとこのKPIの達成率によって部署の評価や社員のボーナス額は決まっていって、社員が頑張る程にサービスはどんどんダサくなっていく、多分そんな状態。
お名前ドットコムは例として上げたけど、こんな状況になってるサービス山程あるよね?
俺は仕事上使わざるを得ないんだけど、日本のサービスのこういうところがとことん嫌い。俺はこんなクソダサいもの作んなきゃいけない仕事なんてゴメンだね。
うぇっぶ系企業で働いているエンジニアで、たまに技術ブログを書いたりしている。やっぱりWeb系の技術ブログははてなブックマークの拡散力がまだまだ強くて、広報のKPIにブクマ数が設定されている。
ゲスな話題で盛り上がったり炎上の話題で揉めてたりするはてブも俺は別に嫌いじゃないんだけど、広報の人とか女性のエンジニアとかと一緒に仕事する中で、やっぱはてブのアルゴリズムってクソだなと思った。業務のMTGではてブトップ開いた時に、こういう記事が総合トップの誰でも目に入るところに上がって来てるのは異常だろ。仮にもITエンジニアに一番使われてるブログサービスです!とかはてブ数を広報のKPIにとか言ってるんなら、運営はアダルトな投稿は総合トップにあげるな。おもしろとかの人気の記事に上がってるのは全然問題じゃない。総合トップはフィルタリングしろ。業務で使える〜とかダブスタは迷惑なんだよ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/tamokuteki.hatenablog.com/entry/2020/09/24/193324
我が社のクライアントの一つに、おじさんおばさんばかりで、DXはもちろんITってなに?Windows10は怖くてアップデートできないよ?みたいな中小企業があります。
そこに、肝煎の新人が入りました。
彼は20代前半で若く、趣味で月に10万アクセスあるというブログを運営しているそうです。
この会社も本格的に変わるかな、と思ってみていました。
しばらくして、ウェブやIT関係は「その新人が言うことが全て」になってしまいました。
これまでついていたコンサルや我が社が伝えていたことは忘れてしまい、その新人が言うことに突き進みます。
致命的だったのは、彼が間違った知識ばかり覚えているということです。
外部から意見を伝えても、ほとんど無視されてしまう状態が続きました。
せっかく良い感じで運営ができていたウェブサイトも、今は本当に見る影もありません。
ブランドイメージなんてどこふく風、訳がわからないコンテンツばかりになり、アクセス数や問い合わせ数も激減してしまいました。
我が社は契約期限の前に、残りを返金して、契約を終了させるつもりでいます。
専門家も間違えることはありますが、相手のことを思って、「悪いようにはしないから」と、意見をいう人がほとんどだと思います。
1人の新入社員の成長と、10人の新入社員の定着率と、どっちが大切ですか? 1人のITにもともと詳しい新入社員のレベルに合わせるために、10人がITに苦手意識を持って、退職してしまったらどうするんですか? どっちが人事部の評価につながりますか?
こういうの、大企業の新人研修でとても良くあるんだよね。結果として、技術的な前提があって、見込みのある新入社員は応用的な質問すら許されず、すでに知っていることを9時17時聞き続けなければならなくて、実習の時間なども講師が設定した課題以外は行ってはならず、(レベルの低い) 「同期をサポートしてあげなさい」とか、無駄な作業を押し付けられる。
という意味で、旭川の教頭だけが異常なわけではなく、「人が大過なく手を離れること」をKPIとする職業では、割とよくある感覚なのかもしれない。
どっかの弁護士が大手電気通信会社の子会社が出稿してるWeb広告にケチつけてる。
これに対して、会社のルールに即してるの?とか原則として、水着女性の画像を使うのは、 水着の広告だけにしろ
とかトンチンカンなこといってる。バッカじゃねーの、世間知らずが。
まず子会社(とはいえ、ある程度規模大きい)と親会社とでルールが同じわけではない。事業体も違うわけだし。
その子会社が代理店を通じてweb広告を出稿するわけだけど、基本的にクリエイティブも丸投げ。運用も。
そりゃざっと目は通すけど「会社のルールガー」とか思わない。時間の無駄。
クリエイティブの良し悪しでKPIにヒットするんだから、まず試しに出稿し、引きがよければ継続だしだめなら変更。それだけ。
たかがweb広告に目くじら立てる弁護士サン、マジで滑稽。バカ丸出しすぎ。
つまり努力の先がなければ努力できる先を自ら探し出し努力をしろという意味であり、米国民の高い生産性はこの精神によって支えられている。
例えば日本の労働者の一部には「KPI」という言葉へアレルギー反応を起こす者は少なくないと察するが、このKPIをよく考えてみれば自己研鑽、努力教の臭いを感じないだろうか?
日本のリベラリストへ強い影響を持つ米国西海岸のリベラリズム。
これが一体どういうものか?と日本のリベラリストへ問うと答えられる人はひと握りだろう。
ただ、答えられないことに恥を感じる必要はない。何故なら当の米国西海岸へ住むリベラリストですらリベラル史を背景に系統立って説明できる人は少ないからだ。
これは当然と言えば当然で、思想系の専門教育を受けていない一般人が答えられるわけがないだろう。
だから恥ずべきことは何もないのだ。
しかし、説明できなくとも米国西海岸に住む左派政策を支持する人は口々に自身の政治思想の寄りをリベラルと称するし、一般人には一般人なりに理解したリベラルの姿が存在する。
このエントリではそんな北米西海岸の一般人が理解するリベラルを大雑把に知るためのエントリだ。
米国西海岸のリベラリストは総じて3つの決まりごとを高く評価し、そしてこれをベースにモノを考える傾向がある。その決まりごととは以下の通りだ。
日本のリベラリストにも理解しやすいお題目だ。
読んで字のごとく個人個人の選択を尊重し、その選択を極力妨害しないようにしようというもの。
米国西海岸のリベラリストの1派としてカテゴライズされがちな米国西海岸のフェミニズムへも強く影響しており、日本のフェミニズムも同様に強く影響し、これを失えばリベラルと名乗れ無くなるほど重要なものだ。
最も日本人が理解しにくい部分、それが米国西海岸というよりかは米国全体が共有する自己研鑽の奨励という文化だ。
自己研鑽については右も左も関係がなく、何なら米国内の共産主義者だろうがカルト宗教信者だろうが陰謀論者だろうが自己研鑽の奨励については絶賛する。
日本は「恥の文化」などと称されるが、それに並び立て比較できるほど米国は「自己研鑽の文化」なのである。
この「自己研鑽の奨励」という文化を理解しなければ米国発の文化的思想は何1つ理解できないと言って良いレベルのものと言って過言ではない。
最近の日本では「努力教」などと言って不合理な努力をしたり、努力を社会的圧力により強制されたりすることを嘲笑する向きがあるだろう。
意味がなく不合理な努力を続けるなんて非生産的であるし、私もまた同じ様に感じる。
しかし、米国は自己研鑽の努力をすることへ対して歩みを止めてはならない文化なのだ。
つまり努力の先がなければ努力できる先を自ら探し出し努力をしろという意味であり、米国民の高い生産性はこの精神によって支えられている。
例えば日本の労働者の一部には「KPI」という言葉へアレルギー反応を起こす者は少なくないと察するが、このKPIをよく考えてみれば自己研鑽、努力教の臭いを感じないだろうか?
ステレオタイプな米国人のイメージにあるマッチョイズムも結局はこの自己研鑽の奨励という米国文化が元になっているのだ。
つまり米国には右派のマッチョイズムや左派のマッチョイズム、共産主義者のマッチョイズム、カルト宗教信者のマッチョイズム、陰謀論者のマッチョイズム、様々な思想に合わせたマッチョイズムがあって自己研鑽をしないという選択肢がない。
もし米国内で自己研鑽を辞めてしまった場合どうなるか?
それはつまり米国社会からドロップアウトしたものとして理解されてしまう。
日本国内で恥を捨てた者が問答無用に迷惑がられるように、米国国内では自己研鑽を捨てた者は迷惑で厄介な存在と問答無用に評価される。
様々な方面から米国西海岸のホームレスについての情報へ触れることがあるだろう。
そして決まってこのような表現が出現する。
これは事実だ。ただし付け加えるのであれば金持ちがではなくホームレスではない下層民を含めた米国西海岸住民のほぼ全てがホームレスを無視していると言って良い。
ここまで説明を読めば、この言葉だけで納得してもらえるはずだ。
ホームレスが自己研鑽を辞めた者だからと言っても、ホームレスにだって子供は居るだろうし将来を担う子供を親の事情に巻き込むなんて米国だけでなく人間社会としておかしいだろう!
こういう指摘へ対し米国西海岸のリベラリズムでは「環境により自己研鑽という行為が不可能な者には自己研鑽可能な環境を用意する」という方法を解決手段として選択している。
例えば「米国では入学試験の点数が良いアジア人よりも白人黒人を優遇して白人黒人を合格にしている」と聞いたことはないだろうか?
これが自己研鑽のための環境を用意する米国西海岸のリベラリズムの影響を受けた公正的な入学試験システムなのだ。
私自身も少々理解に窮するが白人黒人はアジア人よりも試験の点数を獲得できる環境に恵まれなかったという判定らしい。
意味不明だ、良い点数を獲得したアジア人の自己研鑽の評価は何処へ行った?と完全に理解できない日本人も多いだろうが、米国では上記のような解釈になっているので文句を言っても仕方がない。
ホームレスの子供へも同様に米国西海岸のリベラリズムは自己研鑽するための環境、例えば学費の無償化やフードチケット(食料配給券)の配布などが貧困家庭の子供の権利として提唱されている(保障されているかどうかは州法・州制度による)。
貧困家庭の子供はこれらの制度を利用して生活に自己研鑽するための時間を獲得することが望まれているのだ。
ちなみに一応言っておくが、自己研鑽できない者が自己研鑽をしないという選択肢は米国西海岸のリベラリズムには用意されていない。
個人の選択の尊重と言いつつも自己研鑽については自己研鑽して当たり前だし、個人の選択として自己研鑽しないような者に与えられるものは米国西海岸のリベラリズムには何もない。
米国西海岸の社会保障政策は総じて自己研鑽するための環境を用意するという価値観で行われていることが多い。
例えばベーシックインカムなんかもこの部類の政策と解釈されていて、プライベート時間が増えることで自己研鑽するための時間が増えて収入も上がり生活が向上すると米国人はマジで考えている。
根底にあるのが自己研鑽なので、もし自己研鑽しないものが居ればそれは制度へのフリーライドだと非難を浴びる結果となるだろう。
欧米のリスペクトでベーシックインカムを望んでいる人は米国西海岸方式だとプライベートの時間も走り続けることが前提にあることを認識した方が良い。
これまでの説明を前提にすると犯罪者の釈放や$950以下は微罪扱い、死刑廃止なども理解できてくるだろう。
そして日本人の感覚では自己研鑽のための環境構築という政策のチキンレースが始まってしまっていることも理解できるのではないか。
https://anond.hatelabo.jp/20210610184501
文面からおそらく弊社の、しかも関わりのある事業部なのだろうと想像した。そういう意味ではまずは今までご苦労様。
まず自己紹介からしよう。私は主に公共向けのSEをしている部長相当職(社内ではある固有名詞で呼ばれている)だ。社内の製品は一通り把握している自負はあるので、よっぽどマイナーなものでなければおそらく君のところの製品も触ったのではないだろうか。
開発に必要があるなら申請を出せば普通に入手できるし、Gitも普通に使っている。正直なことを言おう。そんな小さいことで辞めたのか?と思ってしまった。35歳で主任(これもある固有名詞で呼ばれてたんじゃないか?)ということはそもそも開発者なんてフェーズはとっくに過ぎてマネージメントを任される頃のはず。これはたとえ製品開発の事業部だったとしてもそんなに変わらない。それなのにその視座の低さがとても気になったよ。概して若いコーダーは顧客のメリットが0であるような単なる自己満足としてGithubの利用やDockerを使いたがるが、悪いけどそのまま大人になってしまった感じを受けた。開発環境の優劣というのはそんな低レベルな話ではなく、上流工程での品質の作り込みがしっかり行われているかとか、品質管理のKPIがしっかりされており、そのKPIに対するPDCAが回っているかとか、人月単価を適正に管理し競争力のある製品を作る予算管理ができているかといったことのほうがよっぽど重要。
弊社はあくまでも「ものづくり」「エンジニアリング」の会社であって、「コーダー」の会社ではない。そのためDockerだのGithubだのMavenだのといった要素技術に対してそんなに価値を認めてないんだよね。もちろんそういった技術で儲けようとしているWeb系の企業がたくさんあるけれど、年収を比べてみれば結局どっちの市場評価が高いのか、よくわかるんじゃないかな。「ものづくり」で大事なのはあくまでも顧客の要求を満たすことで、それはDockerだのGithubだのMavenだのを使うことととは次元の違う話だし、市場価値が高いところにコミットしてそうでないところを適正に管理しているからこそその年収が出せるものだと思ったほうがいい。今の年収と同じ水準でモダン 笑な環境に転職したじゃないかと反論されそうだが、転職市場は前職の年収ベースになるので結局君の実力ではなく弊社の実力が評価されただけなんだよね。そこは謙虚になったほうがいいと思う。
まずシステム開発は「ものづくり」ということが見えていない。「ものづくり」というのは単にコードを書くというだけでない(君はそこにフォーカスしすぎて、その環境の悪さだけが目についたように見えた)。市場の要求に対して適切に答えてるのが命題であり、技術は単なる手段ということを忘れてはいけない。プログラミングというのは手段である技術のたった一要素に過ぎない。そういう徹底的な顧客志向を日本のメーカーは長いことやってきており、高い生産性を実現してきたし、社員にもその精神を学んでほしいという一心でビジネスを動かしている。だが、最近のIT系企業は「ものづくり」ではなく技術を目的にしているところが多いよね。MacやGithubとか言ってる層は特にその気が強いと思うのだが、君は結局そこに行ってしまったようだ。
以上を踏まえておじさんから一つだけアドバイス。今のWeb系がやっていることは所詮大昔の技術を再発明しているだけであり、本質的に価値が薄いということ自覚した上で本当に顧客が欲しい物を作るということを忘れないでほしい。例えばDockerなんて大昔からLinuxが持っている機能の寄せ集めだし、Gihubなんて本質的にはファイル名に日付を管理するのと変わらない。弊社に関して言うと、AWSなんていってるけど所詮VMだし、弊社はハードウェアレベルでより高い技術を持っている。AI企業は専用AIを個別案件ごとに作っているが、弊社は汎用AIを世界で初めて開発した。でもそれらを積極的に宣伝はしていない。なぜか?それらは単なる手段だから。むしろお客様へのソリューションという形で宣伝していて、結局顧客のビジネスにフォーカスしているんだよね。だからこそ利益が出せ、年収も高いというわけ。なので、再度いうが、本当に顧客が欲しい物を作るということを忘れないでほしい。
自分はモバイルゲームの大手開発会社に勤めているが、退職者が後を絶たない状況だ。
いわゆるソーシャルゲームの今と昔の状況の違いが顕著になってきている。
ソーシャルゲームの運営で良く用いられるのがKPIというデータを用いた運営開発手法だ。
これはソシャゲが登場した当初の頃から始まり現在のネイティブアプリに関しても有効性が高いとして多くの会社で取り入れている戦略だと思う。
これについては、自分もあながち間違った手法だとは思わないが、
最近見ているところが大きく変わってきたのに気がついた。
その変化というのは、以前は、継続率を重視しつつも課金への誘導に注力していたが、
これはソシャゲの全盛期は、無料をうたいガチャを無料で配布したりすることで人が簡単に集まるため
途切れることのない流入に対し、どのくらいのユーザーを残せて、かつ課金に誘導できるか、がビジネスのポイントだった。
現在は、ソシャゲに対し興味を持っている層が初期流入で入ってきたあと、以降無料をアピールしても流入はぱったりと途絶えてしまう。
いやゆる一般のユーザー層が取れない状態というのが多い(一部、取れているゲームは成功しているが)
そうなってくると、シンプルな話だが少ない流入をどうキープして取り込んでいくのかが重要となってくる。
これは至極まっとうな論拠だとは自分も思う。
だが、これを実現するための思考が、「ストレスをなくすことで残る率が上がる」という論拠となることに問題があるように思える。
どういうことかというと、ゲームを分からない、知らない、興味のない人が始めたとしても、何の障害もなくゲームを続けられるゲームデザインを経営陣から求められるのだ。
ゲームを作る上で興味のない人を対象にした設計の議論に話が終始し、結果面白いゲームというゲーム本来の話からは思考が逸脱してしまう。
難易度設計など含むレベルデザインがほぼ皆無なのも、こういったロジックが根幹に問題があると思う。
そしてソシャゲに一定の興味を持った層すらいなくなってしまい、負のスパイラルになってしまっているということなのだと思う。
サービスが終了するか継続するかの大きな分かれ目となっているのは、
上で述べた通り、初期流入以降の獲得ができない状態だと、ゲームデザインを度外視したクソみたいな簡単親切設計に注力するため
改善することは望めないまま、ほぼほぼ終了していく流れとなることだろう。
少年ジャンプ+で人気連載中(日間ランキングで1位取ってるし人気でいいよね)の「ボーダレスネーム」、かつてマンガ家の夢を捨てたアラサー女性が、再びマンガ家になる夢を見つけ歩み始めるというマンガです。
主人公女性の現在の仕事は広告代理店のアートディレクター(AD)で、イケメンだけどぶっきらぼうな上司や、物腰柔らかなマンガ編集者などに取り巻かれながら、仕事や将来の夢に向けて悩みながら、成長するという、この20年くらいの青年誌お仕事マンガのフォーマットにある程度乗っかっていると言えるでしょう。(それがジャンプ+で連載されるというのは面白いです)
1話目を読んだときは、ああ、これで広告会社やめてマンガ家修行始めるんだろうな、で、編集と二人三脚してるうちに恋が芽生えたり、イケメン上司からちょっかい受けたりしつつ、マンガ家として成長するんだろうなと思っていたんですが、あれ? 2話目で女性コピーライターが出てきたよ、しかもまだまだ広告会社の話が続くみたいだよとなって、僕は正直、困惑しています。
というのは、広告会社の描写がかなりおかしい。こんな広告会社はありえない(正確に言えば、なくはないがこの規模の会社だと考えられない)のに、広告会社のお仕事マンガとして進んでいるので、やばいんです。このマンガ読んで、広告会社をdisられても困るし、逆に広告会社に入りたくなってもやばい。描写がおかしいのにちょくちょくお仕事の専門用語解説が入る(そこはいちおう内容はあっている)ので、ものすごくもやもやする。というのを立て続けに見せられてるんです。
なので、2話までの中でのおかしいポイントを列挙して、何にもやっと来るのかを指摘してこのもやもやを業界がわからない人と共有したいと思いました。
1話: https://shonenjumpplus.com/episode/3269632237331072609
・P5 何人か指摘してますが、31歳で入社10年目って、この人何歳から働いてるんだろ? 総合代理店のAD職で美術短大や専門学校卒で働くとなると、主人公は学生時代、相当優秀な方だったんでしょうね。賞でも取ってたんでしょうか。
・P8 34歳のイケメンCD(34歳でCDも相当若いですが、まあ優秀だったんでしょう。岸勇希みたいな人なのでしょうか)が、オリエンに連れていきます。まあ、クライアント名を出さずにつれていくのはいいでしょう。そういうやり方の人もいます。でも、そんな雑な今から時間あるでオリエン連れてくな。急に入ったオリエンなら、まずはお前ひとりで聞いてこい(いや、CD一人で行くのもちょっと違うが、それは後述) 広告会社のADなんて死ぬほど忙しいんだ。そんな今から連れてくみたいなやり方でスタッフィングされたら他案件との調整が地獄になるわ。あと、肩たたいて声かけるな、現実で今どき、それやったらパワハラ案件になるぞ。
・P9~12 この回、最大のツッコミどころ。大手出版社の看板雑誌の60周年広告を競合でなく指名で発注。しかも、担当者は広報2人に若手編集1人。それありえる?? そのキャンペーン、ひいき目に見ても出版社も全社総がかりでやる規模の案件だぞ。編集長どころか担当役員が出てくる案件だぞ。少なくとも競合で6社は呼ばれて、納期とバジェット提示されて年間キャンペーンで総合プレゼンさせられる案件だぞ。この会社、出版社のハウスエージェンシーかなんか? そして、何よりこの広告会社、営業いないの? CDが一人で直接話を聞きに行くなんて、怖くてさせられないよ。せめて、一人CP(クリエイティブプロデューサー、ざっくりいうと広告の予算やスケジュール管理をする人)くらい連れて来いよ。CDにそこまでさせたら、普通の会社だったらパンクするぞ。出版社も出版社だ。こんなでかい案件で、オリエンペーパーも作らないのか。予算がいくらとかキャンペーンスケジュールがいつなのかとか、KPI、KGIとか広告で達成したいこととか、現状の雑誌のコンディションとか、ADが「どんな広告がいいですか」とかふわっとした質問をして、編集が「見た人に夢を与えられるものですかね」とかふわっと答えて、それでGOするなよ。主人公も苦手なオーダーだとか思ってるけど、誰だってそんなふわっとしたオーダー苦手だよ。そして、イケメンCD、こんなでかい案件、一人のADに丸投げするな。俺がCDだったら社内で3チームは立てるわ。まあ、社内競合とか文化がない会社なのかなと思ったら、2話目で社内競合かけられてるし、2話目の案件より、こっちのほうが規模ははるかにでかそうだぞ。
・P16 主人公、他人の案件、勝手に引き取るな。せめて上長に手伝ってもいいですかと聞いて一緒にやれ。というか、上司が丁寧にディレクションしてるのに勝手に引き取るな。このモブの後輩もありがとうって面するな。ちなみにこの付箋を見ると、マーケ部云々書かれてるので、マーケいるの? というか、マーケの企画書にCDが赤入れてるの? そんなことされたら、戦争はじまるぞ。
・P17 やっぱり社内競合ですらないし、営業もいない。続きを読むとこれ、プレゼン前日だよね。プレゼン前日の打合せに営業いないし、紙だけで社内打合せするな。誰もノートPCすら持ってないのか。それともこれは2019年ですらなくて、2012年くらいの話か?
・P46 途中の徹夜で作業するところとかはまあいいけど、この人、ADメインの人だよね。コピーから企画から全部ひとりでやるのは、あまりにも抱えすぎじゃないか。それと上司、直前打合せで追加案なんて出したら、それこそメンバーから大ヒンシュク買うし、ADは心折れるぞ。そういうのは面倒見がいいとは言わない。ただ、こういうのをやってくる人、たまにいる。某佐々●宏とか。でも、逆に言うとそれくらいの人じゃないとそういうことはやらない。あんなふわっとしたアドバイスじゃなくて、ちゃんと前日打合せの場か、そのあとにADを呼び出して、ちゃんと伝える。その方針で1つ追加できないかと聞く。
・P49 やっぱり営業がいない。ほんとにいないでいいのか。この会社はCDが営業もマーケもやるのか。というか、出版社サイドもそんな即決していいのか。60周年だよね。
・P66 「営業やマーケティングなどいろいろな分野の人たちが案件ごとにチームを組んで広告制作を行います」!!!??? この会社にもいるの? なんでプレゼンに営業来ないの??
まあ、1000倍ひいき目に見て、必要ない登場人物は省略したとしよう。しかし、この省略はお仕事マンガとしてあり得ないレベルで省略してると言わざるを得ません。
ゲーム会社でいえば、バンナムやスクエニ規模のゲーム会社がプログラマー一人でゲームの企画案を作って、自分でコーディングしてゲームを開発して、自分で納品してるみたいな感じ。
IT企業でいえば、基幹システムの開発を一人でスケジュールもなしに作ってる感じ。
2話: https://shonenjumpplus.com/episode/3269754496293826525
P3 これはいじわるかもしれないが、この編集さん、プレゼンのあとは作業から外れたのかな? まあ忙しいもんね。でも、せめてこういう感じ始めますってのは、広報から編集部に事前に共有されるよね。メールアドレス知ってたら、せめてその時点でメールするよね。まあ、忙しくて忘れてただけにしておこう。
P16 いくらなんでもこんなに面倒見が悪いトレーナーだったら外れもいいところ。というか、この会社、全体的に人を育てる感じがないよね。
P21 トレーナーになんで自分がこの人を見るのかの周辺事情はちゃんと伝えるのが会社というものです。そうじゃないとこうやって、自分を見放した上司と競合する仕事をしないといけなくなります。あと、今時、広告会社なんて(特にCR分野なんて)オタクだらけです。キラキラ女子みたいなほうがよっぽどレアです。だって、アニメやゲーム、マンガなどのコンテンツは重要な情報源なんですから。そもそもアニメやゲームじゃなくてもオタクじゃないとCRの引き出しは枯渇します。
P23~24 ここがいちばん問題。CRの打合せなんて100本ノック、1000本ノックなんて当たり前。まして、この子、コピーライターでしょ。コピーを無限に書き続けるのが仕事みたいなもんだよ。一万歩ゆずって、プレゼン前なので、そろそろ方向性を絞れって話なら、主人公が打合せ前にディレクションしないといけない。つまり、この子が怒られる筋合いは一ミリもない。
P32 上司、そこにいるなら、主人公の相談にのってやれ。社内競合で負けたらお前の評価にも影響するんだよ。ほんと、この上司、何にもしねーな。主人公は早々に見切って、全スルーして上と直接話するようになったほうがいい。
2話目はこのコピーライターの子がとにかく不憫。転職してきたばっかりでこんな目にあったら、俺だったらすぐに転職サイトを開く。
で、うすうす気づいたが、このマンガの広告会社って、主人公の成長のための舞台設定だけなんだよね。早くコピーライターの子と一緒に仕事辞めてマンガ家になれ。どうせそういう話にするつもりなんでしょ。で、ここまで書いて気づいたけど、この2話目の案件も社内競合なだけで、コンペじゃないんだよね。広告会社マンガで成長を描くためにコンペを使わないのって、相当奇妙なんだけど、そこに何か理由があるのだろうか。というか、社内競合のライバルをこんなに嫌な人に描写してるの、社内の摩擦がすごそうで嫌な会社だなあってなるんだけどいいのだろうか。