はてなキーワード: 歌手とは
こういうコメント書く人頭悪いのかなって思ってる。
まずおしゃれかどうかに生産年は関係ないのは当たり前だろ。例えば現代に、古代のアクセサリーとか復元したらオシャレだろ。明治時代の建物とかさ。だから生産年を引き合いにおしゃれとかそうじゃないとか紐付けてる事自体そもそも言ってることおかしいんだよね。「すごい!この国、日本じゃないのに四季あるんだ!」みたいなこと言ってるようなもんだおz。
あと、「(感覚的に)古くない」ってこと言いたいんだろうけど、感覚的にっていう接頭辞をつけるならばなんでもありになるんだよね。崇めたい対象はいつまでも永遠に心を打ち続けるんだろうから、古く(たぶん価値落ちのことを言いたいんだろうけど)ならないだろ。
あとそもそも分化はブームが入れ代わり立ち代わりサイクルのように回るのが多いから、数十年前のものがまた現代で使わて新しい扱いされるのも普通なんだよね。「○○年前なのに」とかむしろ「○○年前だからこそ今もてはやされてるんだろ」って感じだわ。
逆に言えばそういうこと言う人達って5年前の音楽を古く感じるだろ。でもう15年経ったら新しく感じるんだろどうせ。その曲自体が新しい古いじゃなく、いい感じに神格化されるまで時がたってきたかどうかってことだろ。頭悪い人ばっかだよ
そしてそもそもJPOPって90年代後半をピークに普通に質的に退化してんだよね。楽器数も減ってる、予算も減ってる、歌手も減ってる、売上も減ってる、ライブも減ってる、コード進行も3パターンくらいになってる、だから過去がよく見えるんだけど普通に過去のほうがいいんだよね。「今聴いてもおしゃれ」なんじゃなくてむしろ「今の曲がしょぼい」んだよね。
ハロオタからつんくがクリエイターとして信仰されている理由がピンとこない。
ハロープロジェクトの象徴的な存在としてなら、わかる。始祖として、崇めるなら分かる。
ずば抜けてるのか?
全然起き上がれない〜のなんだよバカ子ちゃんって。マツコミジメックスのいとこか?
人生Bluesだって、スルメ曲って言われてるけど 初見じゃクソつまらんってことだよ?
オタクは、次のモーニング娘のニューシングルがつんく曲であることに歓喜しているが、純エビの意味のわからなさ。
普通アイドルが歌う「純情」って言ったら、邪な心なしに相手を思う恋心だと思うだろ。
ライナーノーツを読んだら、
この歌詞に出てくる「純情」とは「新鮮味」「ピュアな心」という意味でもあって。
無心にモーニング娘。に入りたい!
歌手になりたい!
有名になりたい!
というような気持ちで飛び込んできたあの気持ち、つまり「純情」は今も持っているわという宣言なのです。
信じられないならどうぞ、検証してみてください。
とこういうことを叫んでいます。
いやいやいやー、それを歌われてもなぁ、、、
その辺は歌でつんくの言葉を使うんじゃなくて、インタビューとかパフォーマンスとか、メンバーの言葉で聞きたかったじゃん?それに、その辺りを知らずに聴いた人、置いてけぼりだよね?
「五線譜のたすき」なんて、受け継いでいきます♡みたいな歌を児玉雨子作詞でリリースさせておきながら、『あんなん過去のもんだから』みたいな歌詞をお前が書くんか!!!!
過去に縛られるなと言いたいのかもしれないが、もっと言いようがあったんじゃないのか。
泡沫サタデーナイトからのファンだがセトリを知るためにも過去曲は聴くし、否応にも 作詞作曲が誰かを知ることになる。
恋ならはじまってるって、「当時のアンジュルム」の曲か?? ※スマイレージからのメンバーである田村の卒業シングルなので、餞としてスマイレージらしさがあるという解釈もある。
うーん。わかりますけど、増田でキツイ事ばかり書いてらした方のことは
上から目線で、いけてないひとをあざ笑うものでした。残念ながら。
35歳前後で、これまでは良好だった彼氏と、上手くいかなくなっちゃった女性も多いだろうなって感じたけど
ふとそれ思い出しましたよ。
なんで下手なの?
アイドルだろうがお笑い芸人だろうが役者だろうが、滑舌と発声の基礎訓練はやってるはず。
歌手は上手い人が結構いたと思うけど、アイドルは歌ってても打率は低い印象がある。
アニメの声優に限らず、吹き替えやバラエティのナレーションなどでも芸能人を起用することがあるけど、やっぱり滑舌が死んでることが多々ある。
下手なままで本人も周りもファンも気にしてないように観察される。
解せない。
(演技が未熟でも周りが上手ければ影響されるし、メインの演技に周りが合わせることもできる。素人が芸能人があてた声に違和感を強く覚えるのは、感情表現としての演技というよりは滑舌や発声の技術のほうだ)
(アイドルがどういう発声をしてるのかは、AKB0048や22/7をみるといい。多数が未熟だと全体として整って感じるかというと、そんなことはない。)
(滑舌がいまいちでも発声がよければなんとか耐えられなくもないというサンプルとしてスポーツ選手がゲスト声優として参加してるのを見ると良い)
君がダサいと思っているのは多分「長文タイトル」じゃない気がするんだ|clock96|note
https://note.com/you96/n/ncc262b326f82
上記noteでは『アマチュア──悪い言い方をすれば趣味の素人──たちが、みんながみんな「売る」ためのことをやっていると思うのは、少し早計過ぎないだろうか?』と疑問を呈している。
答えは否だ。投稿者、特に日間ランキングへの掲載を狙う人たちの多くは『ただの趣味で終わらせたくない人』であり、少しでも有利になるようSEO対策に余念がない。よく話題になる長文タイトルも『当たり判定を最大化』『スマホの画面を占有する』『あらすじを読まない人に内容をアピールする』といったなろうの不出来なUIに最適化した結果である。
5chの作者向けスレッドでは需要のある要素やテーマ、更新時間、一話の長さ、タイトルやタグの付けかた等々、ちょっとでもポイントを稼ぐための長々としたアドバイスでテンプレが埋まっている。
これらの作品の面白さとは無関係な小技は、少々姑息ではあるもののルールの中に収まった正々堂々としたテクニックと言える。しかし皆がやってる努力だけではライバルを出し抜くのは難しい。
そこでチートである。ここでの意味はなろう小説に登場するチートスキルと違ってただの規約違反のことだ。以下で紹介するのは先人たちの間違った努力の歴史である。
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当初は「やってるやつもいるだろう」くらいの認識だったが、今では突然人気ランカーがアカウントBANされ消滅するのが風物詩である。バレると一発BANなため唐突に強制退会された作者は複アカ使いだったと見て間違いない。この場合作者ページには規約違反のため退会と表示される。
とある作者A氏は書籍化の企画も進行しそろそろ発売日が発表かというタイミングでBANされ話題となった。有志がキャッシュなどから調べたところ『ほぼ同じ期間に作られ一斉に同作品にポイントを入れ、それ以降活動実態がないアカウント』が三十数個見つかり、当時は異例の規模だったことから「プロの業者かよw」「必死すぎる」などと揶揄された。
その後A氏は別サイトに活動の場を移し元気に連載を続けている、もちろん書籍化はしていない。
王道である、はてなではおなじみのアレである。当初は都市伝説めいていたが、加入を誘うメールや参加者の暴露が相次ぎ実在が確認された。
行為としては互助会参加者達がメンバーの新作に一斉にポイントを入れる。複アカもそうだが短時間で大量のポイントが入ると日間ランキングに載る可能性が高く、非常に有利になる。
本人達は人目にさえつけば正当な評価が得られると思っているらしい。
最近は露骨な勧誘は減り、なろう投稿者のTwitterへ「作家同士で繋がらないか?」「お互い作品を批評して高め合おう!」など、具体的に言わないけど察してくれ的な誘い方に変化している。評価依頼は口に出さなければ規約違反ではないという理屈だ。
一昔前の5chのなろう系スレッドでは自作を晒して感想を求めるのが盛んだった。投稿しても埋もれてしまい感想ゼロなんてのはあたりまえなので、同じ投稿者に見せてアドバイスをもらうのは理にかなっている。自分じゃ悪いとこはわからないものである。
とある作者向けスレッドで自晒しされた作品が、スレッド住民から非常に高評価された。普段と比べればちょっと不自然なくらいだったが、まあ有望な新人が出るのは良いことだ。
しかしスレの中盤になって「スレ序盤に晒したやつ、持ち上げ方おかしくない?」と疑問を持つものが出る。よく書き込みを見ると『褒めつつも文章が固い』と指摘するレスとそれに反論するレスが同一IDだった。
最終的には『絶賛し評価ポイントを入れたと主張』『ブックマークを促す』『他のなろう系スレッドで、今〇〇で晒してる作品がすごいと宣伝』『有名作者を匂わせ褒める』『懐疑を表明する者に、実力が伴わないと自作自演の効果などないから問題ないと反論する』等々の大量の書き込みが、おそらく同一人物と断定された。
ところどころIDチェンジに失敗してたり、書き込みに共通する癖が明確だったのだ。指摘されて以降IDコロコロ君はプツリと消え去り、散々宣伝した作品はランキングに載ったもののじきに削除された。
当時スレッドで自晒しした作品がその影響でポイントを稼ぐことが多かったので徹底的に自作自演してみたのだろう。
作品の発掘を5chに頼っている層が意外と多いことを証明した(今はすっかり下火だが)。
感想爆撃
感想や評価なんて一個もつかないような作品に好意的な感想を書きポイントを入れたと宣言する、お返しでポイントをくれるのに期待する定置網漁のような戦法。
これをやったやつは物量がすごかった、たった数日で2千件以上である。当然感想はコピペだ!
感想をもらった方は大抵反応に飢えた無邪気な素人である。深く考えずお返しする人も多く一瞬でランキングに登り、数日後に規約違反でBANされた。バカバカしいくらいの規模だったからあっさり消されたが、お礼目当ての感想(作者アピールやポイント入れました宣言は必須)は有効であることが証明された。
爆撃して駆け抜けた作者B氏はコピペの中で元プロを名乗っていたので、感想をもらった方はよけい自尊心をくすぐられたのだろう。
B氏のいうプロとは、メールゲームの運営に参加してプレイヤーへの返信用テキストを書いた経験のことだ。
彼は小説家として成功し、アニメ化し、その伝で声優やアニソン歌手になることを夢見て動画サイトなどに下手な歌をアップしていた。
運営するHPは当初創作のことやメールゲームの経験が語られていた。しかし、しだいに怪しげなビジネスを語るようになる。
しばらくすると突然旅行代理店の社員募集を始める、なにやら少人数の社員で運営する画期的な格安代理店らしい。募集形態やHPの内容から、おそらく実態は存在しないだろうことが察せられた。
またしばらくすると過去の動画やHPにSNS、色々なサイトに投稿していた創作物などが一斉に削除された。ペンネームで検索するとフリマサイトの出品記録が見つかる。各種オタクグッツを売っており、コメントを見ると詐欺にあい生活費が底をついた、などと書かれていた。
出品記録も消えたころ同サイトでブログを発見する。詐欺の被害にあった経験を執筆しサイトで有料配信したいという内容だ。第一回の配信後すぐに『廃刊』表示で購読不能となり、以後B氏はネットから消え足取りは追えなくなった。
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まあそんなわけで、小説家になろうでは日夜ランキングに載るための仁義なき戦いが繰り広げられているのである。
みんなも読もう! 小説家になろう!!
かくいう自分も歌うまは正義というフレーズを使ったこともあるけども。だいきほのFNSを見た人が実観劇してみたいと言ったときに使った。
あ、ショー。ショーだと、歌うまは確かに正義かもしれん。(でもそうだとしても歌うまは正義って言葉は原理主義みたいで最近抵抗感出てきた。)
RENT。出てくる登場人物みんなこんな歌がうまいって実生活で有りうるか?歌手やパフォーマーと弁護士や大学教授が同じぐらい歌うまいけど(最高だ)
ひかりふる路は気にならなかったかな。凱旋門とファントムはひとまず置いといて、壬生とワンス。もう、吉村貫一郎もヌードルスも、歌で身を立てちゃえばいいじゃん、て思ってしまう。ギャングなんてやめてデボラと一緒にショービジネスの世界に飛び込んじゃえばいいじゃん、って思ってしまううまさ笑。源太もか。
ファントムみたいな、歌がうまいという役柄であればありがとう😊
棒歌唱じゃなく、逃げてなく、気持ちが入ってる歌。歌を歌ってるんじゃなくて、魂が漏れてるような。轟さんの凱旋門はそう思った。あー、ラヴィックはええ男やしお医者さまだし、でもお歌はあまり得意じゃなかったのね、という説得力。
とは言え、井上芳雄はうまい〜て思って満足だったし、小曽根さんの音楽も素敵だった。凱旋門も、ボリスとジョアンありがとう😊だしなー。塩梅はむずかしい
例示してるのもなんかイマイチなんだよな。
ブログを生業にしてなくてもブログを継続的に書いてたら充分ブロガーだし、VTuberの類似概念として挙げるなら絵を描く人はイラストレーターではなく絵師とすべきだし、歌う人も歌手ではなく歌い手とすべき。
それくらい広い概念の、悪く言えばバズワード的な認識がなされてるのがVTuberという概念だよ。
でもそういう広さはいいことだ。発生して広がっていこうとする段階ではそういう境界線のあやふやさが多様性を生み、爆発力になる。
「ただの生主を皮一枚かぶせただけでvチューバーになる」という認識が誤っている
vチューバーを配信の収益(投げ銭、広告、企業案件)とグッズ販売やイベントなどだけで生計を立てている人という定義にするが
(そうじゃないとブログを書いただけでブロガー、絵を描いただけでイラストレーター、小説あげただけで小説家、歌ってみたあげただけで歌手、ゲーム動画あげただけでプロゲーマー、料理動画あげただけで料理人になってしまう)
ほとんどの皮を被っただけの生主はv活動だけでは食べていけずに他に仕事をしている
vチューバーとして活動しているのが生主出身者が多いというだけで、一時期ニコ動出身のミュージシャンが多かったのと同じで、配信者としての才能がある人が以前は生主として活動していたがvチューバーに移っただけ
『BADDAY』『星逢一夜』『金色の砂漠』と進んできたけどなんかしっくりこなかった因数分解したい。
『金色の砂漠』は最初花乃さんが明日海さんに(もうそれぞれの役名忘れた)死罪を言い渡すのがしっくりきてなくて、友人に話すうちにしっくり答えが見つかって、ああやっぱすごいなあと思ったから。
それから、『fff』に向けてという意味もある。上田久美子氏のクラシック音楽に材をとったものは、もしかして自分受け付けないんじゃないか、いやいやいや、せっかくだから受け付けるようにしておきたい、みたいな?
『金色の砂漠』を見たあとに、改めて上田久美子氏についてグーグル先生に尋ねたところ、宝塚への見方(昭和なことしててすごい、この文化は途絶えさせてはいけない)、東京と労働への考え(東京砂漠という表現と稼いで使ってという燃費の悪さ)が自分と同じで驚いた。そして単純計算して、自分の1つ年下か、ということも弾き出した。出身大学もまあ、親戚みたいなもんだ(言い過ぎか)。
ブラームスのイメージは、昔友人が言っていた「俺らの大学の気質に合ってるんだよ、クララにひそかに恋しちゃったりしてじとじとしてるところが。あと真面目。交響曲こだわりすぎて4曲しか作れなかった。」「交響曲第4番ほんともうスコアの見た目からして美しい(確か。ベートーヴェンの5番と共にこの2曲を挙げてた)」。
それから、ビジュアルイメージも完全に髭面のそれだった。若いときのやつあんまり記憶になかった。
自分の携帯に入ってる唯一の交響曲が、ヴァントのブラームス交響曲3番だった(あ、最近幻想交響曲入れたんだった)(ヴァントにこだわりがあるわけではない。Kugouの中で選んだ)。交響曲1番、4番はメジャーすぎ(というか主張が強いのかな、メロディラインというか)、2番は自分にとって手垢が付きすぎているため。
あ、あと、暗くてじとじと、とはいえ、交響曲1番1楽章とか激しい。
まあとにかく、やっぱ気質なのか、あとはミュールフェルトのおかげか、自分にとっては1馬身出てる作曲家。
シューマンは、交響曲4番(のVnソロ笑)。あと『子供の情景』の<知らない国々>だ。自分の体験としては夢々しい、というイメージ。だけど、これも別の友人が言っていた、シューマンを聞きだしたら、闇落ちしていることに気がつく、と。
ヨハネス・ブラームス、クララ・シューマン、ロベルト・シューマン、ヨーゼフ・ヨアヒム
知ってる人らだからと油断していたら名前わからなくなった罠。ヨハネス、クララ、ロベルト、ヨーゼフ。
ヨーゼフは、フランツ・ヨーゼフ1世と混ざる…。
【】翼ある人びと
1838年:『子供の情景 Op.15』『クライスレリアーナ Op.16』
1841年:シューマン『交響曲第1番 Op.38』。シューマン交響曲第4番初演するもイマイチ(メンデルスゾーン体調不良によりフェルティナンド・ダーヴィトが指揮)、出版されず。
1846年:長男エミール誕生【秋音光】。シューマン『交響曲第2番 Op.61』
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1853年(ブラームス20歳、クララ34歳、シューマン45歳、ヨアヒム22歳、リスト42歳、ワーグナー40歳、フランツ・ヨーゼフ1世23歳)
10月:いっぱい滞在。初旬にシューマンが『ヴァイオリン協奏曲 d』を作曲するもヨアヒムが封印(21世紀に入り、ワーグナーを先取りしたような斬新な和声の使用などの先見性が評価されるようになった)。
秋頃(それ以前という説もあり):『ヴァイオリンソナタ』シューマンは出版を提案するもブラームスの判断で破棄
11月:シューマンのもとに『ピアノソナタ3番 Op.5』の譜面が送られている
12月17日:『ピアノソナタ第1番 Op.1』初演@ライプツィヒゲヴァントハウス。シューマンの紹介でブライトコプフから出版、ヨーゼフ・ヨアヒムへ献呈。シューマンは当初別の作品を作品1として出版することを提案していた。
12月30日:シューマン『交響曲第4番(改訂版)Op.120』初演(現在一般的に演奏されるのはこれ。翌年出版はするがあまりハネなかった模様)
2月27日:シューマン投身、エンデニヒの精神病院へ。ブラームスデュッセルドルフへ駆けつけ、シューマン家を助ける。クララとの距離近づく。
春?:『ハンガリー民謡の主題による14の変奏曲 Op.21-2』
6月:四男(末子)フェリックス誕生【次男、花菱りず】。ブラームスが名付け親。ブラームスの子供説あり。ロベルトによく似ていてクララもとても可愛がる。
夏:『4つのバラード Op.10』この曲集の作曲とほぼ同時期にクララへの生涯にわたる愛が始まっている。
1855年:クララを手紙の中で「君」と表現。『2つのガヴォット』『2つのジーグ』『2つのサラバンド』『ベートーヴェンピアコン4番のカデンツァ』『格言(この欺瞞の世界で)』。交響曲第1番着想(シューマンの『マンフレッド序曲』を聞いて)。
1856年『フーガ』『前奏曲とフーガ a』『モーツァルトピアコン20番のカデンツァ』『キリエ』『ミサ・カノニカ』
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1857年:『前奏曲とフーガ g』『子供のための14の民謡』『モーツァルトピアコン17番のカデンツァ(着手)』
1858年:25歳の時、友人の家で知り合ったアガーテ・フォン・ジーボルトと婚約。『セレナード第1番 Op.11』
1859年:結婚生活が音楽活動の制約となることを恐れて婚約破棄
1861年:『シューマンの主題による変奏曲 Op.23』ユーリエへ献呈。
1863年:エリザベート・フォン・シュトックハウゼンがブラームスに弟子として受け入れるも、ユリウス・エプシュタインに送り返している(彼女のまれにみる美貌と才能のため必要以上に惹かれてしまうことを恐れてか、エプシュタインへの配慮か)。
1867年:オーストリア=ハンガリー二重帝国誕生。戴冠式@マーチャーシュ協会のミサ曲はリストが作曲。
1869年:36歳の時、ユーリエに心を寄せるも内気ゆえいつもの癖で気持ちを打ち明けられずにいるうちにクララがイタリアのラディカーディ・ディ・マルモリートからのユーリエへの求婚を容れて婚約させてしまい、ブラームスは怒りをもって『アルト・ラプソディ(ゲーテの「冬のハルツの旅」からの断章)Op.53』を作曲(別のサイトの表現では、プロポーズを承諾したときににわかに不機嫌に。『アルト・ラプソディ』はユーリエへの嘆きの歌)。
1876年:『交響曲第1番 Op.68』21年の歳月をかけ完成。
1876or7年 *43歳:「結婚すればよかったと思うこともある。……しかし適齢期のころには地位はなく、いまでは遅すぎる」と友人に語った
1879年:フェリックス病没。悲しみにくれるクララを慰めるため、ブラームスは『ヴァイオリン・ソナタ第1番<雨の歌>Op.78』を作曲。クララ「この曲を天国に持って帰りたい」。また同時期にフェリックスの詩に付曲(Op.86-5)。
1883or4年 *50歳:コントラアルト歌手ヘルミーネ・シュピース(23歳年下)に出会い歌唱力の素晴らしさと女性としての魅力に惹かれるが結婚にまでは踏み切れず。
1889年:フランツ・ヨーゼフ1世から「芸術と科学のための金の大勲章」を授かる。暮れに謁見。シューマン交響曲第4番初稿版を再演(クララは改訂版派だった)
1890or1年 *57歳:コントラアルト歌手バルビと出会って音楽家としての魅力に惹かれる。
1891年:『クラリネットクインテット Op.115』@バート・イシュル夏。シューマン交響曲第4番ブラームスヴェルナー校訂版出版、世に知られるようになる。
1893年:『シューマン全集』刊行(ブラームスとクララで編纂)
5月07日:『4つの厳粛な歌 Op.121』完成。辞世の作品とみなされている。
5月20日:クララ没(76歳)。埋葬式のあと体が衰弱し、肝臓癌であることがわかる。
6月:『11のコラール前奏曲 Op.122』@イシュル。第11曲「おお、この世よ、われ去らねばならず」。作品を書き終えたブラームスの健康は日に日に衰えていく。医者の治療を受けても病状は一向によくならず。
1937年:シューマンの『ヴァイオリン協奏曲 d』がヨアヒムの蔵書から発見される
※出典:ウィキペディアとか奇特な方のブログとかブラームスインスティテュートとか、、余力があれば追記…。
あと書籍類もぼちぼち読んでいきたい
あと映画も
(2020/12/29 16:02追記 274曲聞いた 更新終了)
※歌配信やその切り抜きは除外
敬称略、各枠内での並びは順不同
https://www.youtube.com/playlist?list=PL7zJKCZCIu37pRAs1IQxUto2mld6-oyq9
書くまでもないことは省略します。オタクは自分の感性が全てです。
食の趣味なんかもあって、何度か食事をした後、話の流れでカラオケにいこうという話になった。
私はあまり乗り気でなかったが、彼はカラオケが好きらしく、手を引かれて恵比寿のカラオケ屋に行った。
デンモクを楽しそうに見る彼の伏した目はやはり綺麗だし、歌が始まるまではとても好きだった。
しょっぱなからこの選曲かと思いつつ始まった歌は、微妙に音痴だった。
しかもなんか歌い方ボーカルに寄せてるのかもったりした発声でよくわからないけど私が恥ずかしくなって逃げたくなった。
あのボーカルはあの声質だから成立しているのであって、そうじゃない人があの歌い方するとなんかもったりして微妙なんだ。
それから2時間、8割型彼が歌い続けて、部屋を出るころにはすっかり彼への気持ちは冷めていた。
完全に盛り上げ役に徹してたらなんとも思わなかったかもしれないけれど、
変にひとりで盛り上がって、歌手に歌い方寄せてしかもそれが微妙に音痴となるとどうしても冷めてしまう。
最近って色んなモノの検索エンジンが流行ってて、はてなでも宣伝してる人いるじゃん。
なら要望があるんだけどさ、編曲者で検索できる音楽系の検索エンジン作ってくれね?
検索したらspotifyとかTUBEの公式に飛べるような感じで。
理想だとそれらのサイト使って自動的にプレイリスト生成してくれて1時間ぐらいその編曲者の曲が聞けるといいかなあ。
編曲者って結構大事だと思うんだけど、微妙に軽視されてるよね。
ある人がいつもとちょっと違う作風でいきなりブレイクした曲って実は編曲者が裏で頑張ってその人の強みを世間向けに加工してたりするんだけどな。