はてなキーワード: 日経とは
ふと思ったのだけど、席を譲るとか落し物をその場で拾う時に相手を呼称するにはどうするのがいいのかをふと考えたので、もし普段こうしてるってのがあれば教えて欲しい。
「おじいさん、席おかけになりますか?」
こういうやつって「俺はまだそんな歳じゃない!」ってパターンがあるじゃん?
女性の時は私は必ず「お姉さん」と呼ぶようにしてて、これに嫌な顔する人は今のところ会ったことがない。
「お姉さん荷物多いので、よかったら座りませんか?」
こういう言い方する。大抵は「あらどうも」か「やあねえ、もうおばさん(おばあちゃん)よぉ〜」って感じで終わるんだよね。
でも男性ってどう呼ぶといいのかなって。
そりゃ見た目10〜30代くらいならお兄さんって呼ぶけども。
私が歌舞伎町にいそうなあんちゃんなら「アニキ、落し物っす!」くらい軽快にいくんだけどさあ。
けどかといって紳士とか殿方とは言わんだろと思うし。ダウントンアビーとか大奥みたいよな。
そんなわけで普段こんな言い方してるよ〜便利だよ〜っていうのあったら教えてください。
ちなみに私の見た目は黒髪で目つきの悪いチビアラサー女なので、それでも使えそうな言い回しだとぜひ知りたい。
【追記】
増田って1日経つと急にコメント増えてるとかあってびっくりするわ。
「おじさま」たしかにマイルドに聞こえるね!けど「お兄さん」でいいパターンが多そうね。反応くれた人たちありがとう。
社長や先生は飲み屋勤務の時は言ってたけど通勤中に使うのは難しそう。笑
セクに関しては基本見てくれで呼んでいて、女性服着てたら「お姉さん」って呼ぶよ。通りがかりの人のセクは流石に知らないし…。
とはいえ「夫をご主人様って呼ぶのは奥さんを下に見てるんじゃないのか!?」みたいなのと近い問題になって来てるのかなあ。
「あの」「すいません」でいいじゃんって人は、あんまり無視されないか声を掛けないタイプ?
私は「あの」だと気づいてもらえないけど、席譲るのも落し物拾って追いかけるのもよくやるタイプ。
良い呼び方あんのかな?ってふと思っただけだからそんな白熱しないでええんやで。
あと「お姉さん」で嫌な顔されないのは私がアラサーの女だからだと思うよ。
たしかにHeyYouでいいもんなー。日本語の便利ワードって知らないな。ほんとはあるのかね?
>「そこの〇〇の方」
口に出して「お兄さん」よりはちょっと長いなと感じた。まぁでも服装で呼べば気付いてくれそうだから最適解かも。
>「あのー」でいいんだって
やはりここに戻ってくるのかー。私の場合気づいてもらいにくいし警戒される。「あのー」で「道わかんないから!」って被せられたこともあって良くないのかと思ってたけど、これは言い方じゃなくて目つきのせいだったかもしれんね。
>無言で立ち去るといいって美輪明宏が言ってた
そもそも上手く働けるのか分からず不安な中で、内見をしてきた。内見中は慣れない土地のせいで動悸が止まらなかった。
部屋が決まったので大量の契約書類が送られてきた。これを月末までに何とかして、契約金を振り込まないといけない。書類を書くのがしんどい。金がなくなることも憂鬱だ。
引越しに伴う行政上の手続きみたいなのも色々あるっぽい。ちょっと調べたが字面を見ただけで死にたくなったので一旦考えるのをやめた。
部屋に置く家具も調べている。金はないので安くしたいが、オシャレな部屋に住むのが夢なので諦めたくない。図面を引いて検討中。
そして卒論ができていない。細々と締切があるのでカレンダーが締切で埋まる。窮屈なカレンダーを見ると心の余裕がなくなる。
個人で請け負ってる依頼がある。金を貰っているので投げ出せない。まだ締切前とはいえ、相手を1ヶ月以上は待たせている。申し訳なくて余計に手をつけられない。
近々新しいバイトを始める。4月から世話になる会社でのバイトなので油断できない。失敗したら入社前から見限られるんじゃないかと不安になっている。
入社してからとにかく嫌われたくないので人生で初めて自己啓発本を買って読んでいる。その本も読みきれず放置していて、読まなければいけないと焦っている。
そもそもやりたいこともある。最近だと原神。アニメも途中まで見て放置してるのがある。けどそういうの楽しむ前に、やるべきことがある。締切あるくせに遊ぶとか駄目だろと自己嫌悪するので手をつけられない。
あとは英語の勉強もしたい。新卒の採用面接で英語を話せるようになります!と豪語したけど、なってない。罪滅ぼしに今から多少の勉強はしたい。けど毎日何かをこつこつやるのは苦手だ。それに、数日経ったら英単語とか忘れてる自分に絶望するから勉強はそもそも嫌いだ。
予定を詰め込んだ自分が悪い。先延ばししてる自分が悪い。やりきれない自分が悪い。分かってんだけどどうにもならん。訳も分からず泣いている。
ひとつづつ片付ければ良いし、何事も完璧にやりきろうとしすぎない方が良いんだよな。認知がえげつなく歪んでるんだと思う。だから行動認知療法の本を読んでみたりしたが、そもそも読むのも辛くてやめてしまった。どうしたらいいんだ。自分以外にもこういう人間っているんだろうか。
徹底して詰めとけ
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暇空の住民監査請求が通る
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Colabo、本紙で扱ったのは産経だけ、朝毎読はいずれも都内版、日経、東京は記事なし、各社ともそのレベルのニュースだという判断で一致している(キリッ
判決はまだ数年先の糞しょぼい名誉棄損訴訟をウキウキで記事にして
投稿直後の動きは悪かったので、あまり訴求力のない意見なのかなと思っていたところ、一日経って案外の反響となって若干驚いている。
ザッと見る感じ、同意・理解・わかる系の意見が割と散見されたので、
やはり特段政治クラスタというではない、それなりに一般市民的な肌感覚の内包されたエントリにはなったのかなと。
あとは、元々共産党は…的なご高説意見、そこは是々非々だろう的な純無党派意見も散見され、興味深く読んだ。
ヘンテコな言いがかりコメントがあって、希少なので、ほうほう他にどんな意見が?と思い、IDから掘ってみると、
どの方も、色んな関連エントリに暇アノン連呼してはレッテル貼りブコメに勤しんでる類の、botみたいなIDで時間の無駄だった。
一度「陰謀論」の本でも読んでみてはどうだろうか。
まあ古今東西、原理主義者というか党派性に忠実というか、そういう人は心行くまで活動してほしい(私は私なので自由に投票先変えますが)
これまで某団体そのものへの批判・擁護は連日ホットエントリに挙がっているが、
それが現実世界に及ぼす影響のひとつとして、有権者の投票行動の変化への言及を、あまり目にしなかったというのがある。
すなわち、元々の党派性ベースのポジショナル意見が多いように私には見えていた。
(例えば暇空氏にしても元々反共産党だったのだろうし、それで言うと彼が揶揄する「共産党と強い繋がりのある」というフレーズは
私にとっては別に誹謗中傷とは感じなかった(だって常時ではないにしてもそれなりに投票先に選んでいたぐらいだったのだから)。
また逆に、徹底擁護派はやはり元来共産党支持っぽかった。例外もあるだろうけども)
でもそれだけなのかな?と。そうした強固な支持/不支持層だけの話ではなく、
元々無党派層で、共産党への投票経験もあった人(=潜在的支持者というか薄い支持者?)が、
今回の騒動により
②より一層共産党を支持する(いるのかな?あまりいなさそうだが)
のうち、①がどれぐらいいるのかという、いわゆる支持者離れについての一観測気球にはなったのかもしれない(同意系コメに集まったスター数も相当あったし、n=1では全然なかった)。
(補記すると、根っからの共産党支持者/与党支持者と思しき方の「曲げない」ご意見もブコメで頂戴したが、申し訳ないがここではどうでもよかった。
きのこたけのこ、元来どちらかしか食べてこなかった人の意見は大抵極論に過ぎず、党派性的こだわりを持たない自分には響かないから。これ本人は自覚ないのだろうな。)
あとは、そうは言っても投票先のマシな政党がないという系の意見はそりゃ同感で、
そこは結局のところ、我が国の国民のレベルの投影なのだろう(制度的構造的な原因だってあれど)。
ちゃんとした二大政党制を羨む時期もあったが、与党と代替可能で持続的な野党を延々成立させられないのは、国民の諸々のレベルの結果なのではないか。
立候補者の質(とは言っても大抵の代議士さんは私よりは立派で有能だと思いますよ。多分)、低い投票率の有権者、
結局我々の知能や人格、政治参加意識(歴史の積み重ねの結果による諦念がそうさせるのだと思う)等の平均が、その程度なのだろうと思う。当然私含め。
一方で、そうは言っても、そんな理想的で高級な民主主義で回っている国もないのではなかろうか。無謬な人間がいないように。
そんな中で投票先を決めるのも大変ですが。
それで繰り返しになりますが、私としては今回の件で共産党に投票することはなくなったな、ということですね。
もちろん件の、ラディカルフェミニズム代表に対して絶縁してもらえるなら、私としては共産党へ再びの投票もありえるとは思っています
(氏にとっても、共産党ではなく社民党の方に接近・併合して、新生極論フェミニズム党としてがんばられた方が、皆さんの投票行動の検討が大変し易くなるのではなかろうか)。
そしてその辺りの点は、当たり前になりますが、個々人の考えであり、他人がとやかく指示・誘導するものではないかなと。
まあDappiに端を発するサイレント世論形成も旺盛なので、情報の取捨選択も大変ですが。
追記は以上。
一応、講談社は「この度の広告は新たな読者開拓のため新刊発売に合わせて出稿いたしました。いただいたご意見については真摯に受け止め、今後の宣伝展開に関して十全の配慮をしていきたいと思います」とコメントしている。それと、日経は「社内で色々な人の目を通して検討したが、広告を問題だと認識しなかった」とUN Womenにオンライン会議を通じて説明している。
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_624f8d37e4b066ecde03f5b7
これが結構な諸悪の根源。まず寒い。今年は温暖なほうだが、1桁気温の中で観戦し続けるのは結構気力と体力を使う。他にもいろんな弊害を招いているが後述する。
冬休み期間中に決勝まで進めるための策ではあるが、大会開催日数が7日しかない(今年は12/28,29,31,1/2,1/4,1/7,1/9)。そのため「積み上げ感」がない。
また野球のように同じ会場で毎日4試合も出来るわけではないため、会場をバラバラにせざるを得ない。その結果、会場に聖地感が薄い。
夏の甲子園を甲子園、京セラドーム、ほっともっと神戸、花園公園、皇子山、わかさスタジアムで分散開催していたらどうなっていたか。今のような会場のプレミア感はないはずだ。
1.の弊害の1つ。決勝戦が終わるころにはJリーグの各クラブの編成はだいたい終わってしまう。大学サッカーも推薦入学者は決まっている。そのため高校サッカー選手権で活躍してもその後のキャリアに繋がらない。以前はわずかに高校サッカー選手権の活躍が評価されてプロ入りする事例もあったが近年は聞かない。頑張るのはだいたい選手権を最後に引退する選手である。
逆に、選手権の前にプロ入りや大学進学が決まっている人は、そちらのステージの方で頭角を出すことが優先度が高くなるため、選手権は「怪我しなければ良い」となりがち。
古くは、韮崎高校時代の中田英寿がそうだった。選手権の時点でベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)への入団が決まっていたため、選手権では手を抜いていた。そしてさっさと敗退した。
他にも当時オランダ行きが決まっていた宮市亮、ジュビロ行きが決まっていた小川航基、セレッソ行きが決まっていた西川潤など、選手権で8割の力にとどめたプレーに終始し、その結果チームが早期敗退した事例は数えきれない。
全力を出して「大迫半端ないって」状態になるほうがレアなのだ。
諸悪の根源の大半が「冬開催」なので、時期を秋にするのはどうだろう。
夏開催はあまり現実的ではない。サッカーの場合炎天下だとパフォーマンスが落ちるし、何より熱中症のリスクがある。
日程をどうするんだと言う問題があるが、平日夕方と土日を活用して、1か月くらいの大会にしてみてはどうだろうか。
そうすれば積み上げ感も出てくる。
なぜ3日経ってからブクマが増えるのか。いくつかのコメントに反応する。
単純に天然芝のグラウンドが耐えられないため。1日2試合が限界だし、それを何日も続けることも難しい。土のグラウンドが良しとされる野球との違いはここにある。サッカー場の稼働率を上げられなかったり、たまに大きなスタジアムでコンサートするとサッカーファンが文句言う理由もこれ。
一昔前は確かにそうで「プリンスリーグにも入れないチームが日本一になってしまう」とも揶揄された。
しかし近年は高校サッカー側がかなり盛り返している。来年度の高円宮杯プレミアリーグで高体連チームの数がクラブユースチーム数より多くなったのが象徴的。むしろクラブユースは指導者がコロコロ変わって質も良くない(監督経験のないクラブOBに経験を積ませるような)ケースが多いとかの問題もあり空洞化してきている。明確にクラブユース側が優位なのはJクラブユース3チームがプレミアに居て、高体連チームは全て県リーグ以下という神奈川県くらいしかない。
・pivot
https://www.youtube.com/@pivot8935/videos
・シラス
https://www.youtube.com/@keizailabo
https://www.youtube.com/@NewsPicks/videos
多分これだけじゃないと思うけど。
どこのコンテンツも(方向性とか右派左派の違いはあれど)テレビの頸木から外れて時間無制限でテーマと出演者を絞って特定テーマを深堀するみたいなスタイルでやってる。
成田悠輔と東浩紀がなぜ言論界隈は90年代以降衰退したのか?新しいタイプの【知識人】が出てこなくなったのか?(東より年下の著名な知識人がいない)、アニメなどのポップカルチャーと違って大衆にリーチできないのか?
といった話をしてたが、これ10年続けたらかなりの規模になる気がする。
https://anond.hatelabo.jp/20130525032845
あれから9年たって、性懲りもなく、先物取引をしている。昨日は日銀の政策変更時に、たまたま日経先物を売り建てしていて、300万ほど利益が出た。本当は600万くらいでてたけど、一気に1000円さがったり、500円あがったりで、一瞬で100万円単位のお金が無くなったり増えたりして、心底震えてしまった。9年前の気持ちを思い出して、怖くなり、慌てて決済してしまった。本当は3月末まで持つつもりだった。今もそのまま持ってたら、540万の利益になったはずだが、無理だった。
9年前は損失だったし、値幅も昨日の2倍以上あったので、比較にならないほどの恐怖だった。心に深く残っている。
もう、株はやらないと言っていたのに、今では先物mini60枚とか張っていて、本当に脳がやられている。
でも、今日は9年前の気持ちを思い出すことができたのは、良かったのかもしれない。今年は暴落が全然なかったから、忘れていたけれど、日経平均は、ちょっとしたことでマイナス2000円とか暴落することができるリスク資産だと思い出すことができた。
9年経って、資産はかなり増えた。後は、真面目に働いて、身の回りの人を大切にして、生きていければ、しあわせに暮らせるのではないかと思う。
ただ、働くというのは本当に大変で、いつも株に手を出してしまう。
働かなくてもすむレベルまで、株で稼ぐというのは容易ではないし、9年前の様に破産寸前まで追いつめられる未来の方が容易く想像できる。
実際のところ、仮にそれだけ儲ける事ができても、仕事を止めてしまったら、職場というコミュニティや、会社員の福利厚生などのセーフティネット、自分ができる社会貢献などの機会が失われてしまうし、金銭感覚が壊れてしまうように思う。
私の金銭感覚というのは、貯金が全然なく、何とか日々暮らしていける家に生まれて培われたもので、貧しいのは嫌だ、お金持ちになりたい、生活費に困らないように節約しないといけない、といった普通のもの。
貧乏で嫌だったけど、生活のために働くことや、生活を工夫したり、庶民的な感覚といったものは、コミュニティの中で生きる人間にとって、共感できる大切なもののように思う。
ずっと好きな感覚ではなかったが、先物mini60枚を張っていると、当然、金銭感覚がぶっ壊れてくる。
最初は自分がすごい大きな取引をしているという感じでハイになっていたが、ふと落ち着いて考えてみると、もしかしたら、本当に大切な感覚を失いつつある、恐ろしいことのように思うようになってしまった。
自分の中に生まれ育った金銭感覚というのは、本当に大切なものなので、そこから離れて、傲慢になったり、ずれていくと、自分の身の回りの大切な人たちとも、すれ違うようになってしまう。
やはり株を止めて、地に足をつけた、丁寧な暮らしをしていきたいと思う。
こんな愉快な記事がったんだが
コンパクトシティー阻む「縦割り行政」 見えぬ成功例:日本経済新聞
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE248CG0U2A121C2000000/
これが全く住民の目線が無くて嗤える。そりゃ失敗するに決まってんじゃん。
本文よりコメントプラスのほうがより分かりやすくて、例えば斎藤氏(日経論説委員)
市街地を広げないことが地価を維持
(…)
大切なのは人口が減る中で地価を保てる地域をどう残し、そこが生む利益(…)車を手放したお年寄りが移り住んで地価が下げ止まる
とかコメントを出している。つまり、彼らの目的は地下を下げず、不動産収入を維持するという事なんだよな。
敢えて言おう。知ったことか!
下々の者はお殿様が開いた都に高くても住むべし、みたいな江戸時代の身分制度をそのまんま持ってきているようなイメージすらある。
元気な老人も含まれるんだが、若い人ににとっては土地の価格が下がることはよいことなんだよ。
移住してくる人が何を望んで地方に来るかというと、多くは自然であったり、広い家にすめるとか、周りに何も無い広々とした住まいとか、そういうことを求めてやってくる。
彼らにとって、土地の値段が値崩れ起こしてタダ同然になることに何の問題がある?安けりゃ安いほどいいだろう。
人口減少が起きたら困るという人もいるが、裏返せば一人あたりが占有できる土地面積が広くなると言うこと。
これは移住までいなかくても、田舎で幸せに暮らすマイルドヤンキーだって同じこと。まぁマイルドヤンキーは旨いこと大企業の地方工場にでも入り込まない限り低賃金労働者なので、土地が安くないとそもそも家が建てられないという事情もある。
裏を返してコンパクトシティ。
ちょっと郊外に出ればだだっ広い土地が広がっているような土地であっても、そこの昔からある市街地、とても土地の価格に似合うだけの利益を上げそうにも無いような価格が未だに付いている。と言うか、そこに住んでいる人が頑なにこの価格で無いと売らないとがんばていると言い換えてもよい。
そんな所に何故か金を出して高層マンションを建てるディペロッパーがいたりする。よくよく話を聞くと御上の政策でコンパクトシティだからと助成金をもらって計画し、その低層階に市役所を入れたりなんかしている。
だが、だからと言って便利な交通機関があるわけでも、時刻表を見ずにふらっと駅に行っても電車にすぐ乗れるような環境があるわけでもないので、通勤通学には車が必須だ。
結果として、ディペロッパーが建てた都会水準の高額物件にぎゅうぎゅう詰め込まれつつも、働くには車がいるから最大の時には一家で駐車場を4台借りてその費用がかさむ。
こんなの、都会と田舎の悪いところを足したような住まいじゃないか。なんでこんな所に住まなければいけないの? え?地価の下落を防ぐため? 冗談櫻井よしこさんやぞ。
これを全部同じ言葉ですまそうとするなと思う。
インフラ維持が無理になってくる限界集落の住人を、中心市街地の狭っ苦しいアパート住まいにしようなんて事はできないし、都会に無いものを求めてやってきた若い人を東京の劣化版のような所に押し込めたって嫌気がさすだけだ。
日経の記事では、イオンなどの大資本を入れて、大規模な郊外型ショッピングモールを開発すると言う事がコンパクトシティに反する事例として扱われているが、実際には逆だろう。
郊外型ショッピングモールを中心として、安い土地に宅地を開発し、そこを新たな中心街とすればよい。そうしていけば旧市街はだんだんと人がいなくなって土地の値段が安くなる。だんだんと間引かれてくるから、そこで再開発をすればいいんだよ。
日経新聞の「職場がホワイトすぎて辞めたい 若手、成長できず失望」の記事が話題になっている。
記事:https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD2865W0Y2A121C2000000/
はてブ:https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.nikkei.com/article/DGXZQOUD2865W0Y2A121C2000000/
これの元になるデータは、リクルートワークス研究所の古屋星斗氏が書いたものと思われる。
記事:https://www.works-i.com/project/youth/solution/detail001.html
日経新聞さんの図がちょっとわかりにくいので正確なやつを出します。お納めください。「すぐにでも退職」「2・3年は」=5年以上その会社で働くことをイメージできない、です。
ツイート:https://twitter.com/FuruyaShoto/status/1603254108890501120
である。
そしてなぜこの「ゆるい職場」の宣伝になるような記事をわざわざ書いたのか?
これは自分のはてなブログの「問い合わせ」から、はてな運営に向けてメールしたやり取りの、全文コピー晒し文である。
はてな運営との話し合いが噛み合わないので「どーゆーこっちゃ!」の疑念を世間に問いたい。
なお増田として書くのは初めてなので設定云々が解らず、こーゆーフォーマットで書いておく。
では、メール開始
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はてなブログではなく、はてなブックマークの方についてのメールを送信します。
最近、自分のコメントにスターが幾つか付いても人気コメに登場しなくなりました。
以前はスター100個越え、人気コメで1位だった事もありました。
しかし最近は、文字数が少ない時も目一杯まで書いた時も、内容が過剰気味の時もキチンとためになる情報を論理的に書いた時も、人気コメントにはスターが付いてても上がって来ません。
誰かの嫌がらせ通報でBANされたのですか?なぜ人気コメに登場しなくなったのですか?
少なからず人気コメに上がるのは、はてブをやるモチベーションになっているので、以前の様に幾つかスターが付いたら登場する様に戻して下さい。
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人気コメントの選出は、以前のようにスターの数のみでなく、より建設的なコメントが表示されるよう弊社内のアルゴリズムにもとづいて選出しています。
これは、ついたスターに対する重み付けなども含めてユーザー行動全体に基づく評価となります。
スターのついた順の表示では、作為的なスターの付け合いといった不正行為を防ぐことが難しく、また、特に耳目を引く過剰な表現が人気コメントになりやすいという問題もありますため
コメント表示方法を制御しています。ご希望のようにスターの数順の表示に戻すことはありません。ご了承ください。
コメントの内容が過剰気味であるとご自身でも自認されている場合、そのような表現は行わないようにしてください。
特に、他者からのスターを獲得し人気コメントに掲載するために過剰な表現を行われている場合、そのような行為は控えてください。
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数日経ちましたが「真面目に書いたコメント」も人気コメに登場しません。自分のidごと排除するアルゴリズムなのですか?一度排除されたら永遠に排除のままなのですか?
過剰な表現についても「殺害予告の様なコメントは一度も書いてません」が議論が白熱して周囲も十分過剰気味な中、なぜ自分は排除されてるのですか?コレがダメと具体的な指摘はありますか?
後、はてなではよく表現の自由が議論されてますが、運営側の主観で表現に規制を掛けようとするのは本末転倒なのでは?ツイッターの旧運営がキュレーションの名の下に、担当者が恣意的に一般評価が低いにも関わらず人気欄に記事投入してたケースと同じに見えます。はてな運営にはなるべく干渉せずに殺害予告とかだけ規制に留めてもらいたいです。
人気コメというランキング形式において公正な人気獲りレースをせず運営が恣意的に順位操作をするのは納得がいきません。公正にやらないのなら、人気コメ自体を廃止すべきです。新しく「はてな運営オススメコメント集」とかの名称に変えてランキング形式ではないと明確に。
あなたの判断では解りかねるなら上の人と相談して対応して下さい。とりあえず早急に人気コメへの復活をよろしくお願いします。
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人気コメントへの表示アルゴリズムは、個別の表現を確認して掲載するか否かのフィルタリングを行うものなく、ユーザー行動全体に基づく評価が加味されています。
従いまして、ご自身では問題がないとお考えの表現であっても、掲載されないことは起こりえます。
人気コメントは、以前はスターの数に基づくランキングに類するものでしたが、現時点では異なることを明示しています。
一方、人気コメントのタブ以外では投稿順にコメントの閲覧が可能であり、特に表現の自由を侵害するものではありません。
この改善につきましては下記告知にも記載いたしました通りです。
■ はてなブックマーク開発ブログ
https://bookmark.hatenastaff.com/entry/2021/06/03/172336
今後も、アルゴリズム自体の改善については継続的に行う予定ですが、従来のスターの数に基づくランキングに戻すことはありません。
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"ユーザー行動全体に基づく評価が加味されています"→これってつまり「個々のコメントに関係なく、ユーザー名でブラックリスト認識されてる」って事ですよね。人気コメにもう一度掲載されるのはムリそうですね。
1つ誤解されてる様ですが「従来に戻して欲しいとは一度も求めていません」。新しいルールでいきなり排除されたので「新しいルールに適応するにはどーしたらいいか」を探りたかっただけです。
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ユーザー行動全体に基づく評価は、いわゆるブラックリストという運用とは異なり、コメント投稿者の行動のみを評価するものではなく、つけられたスターの正当性など、さまざまな要因を含みます。
また、はてなブックマークのコメントは本来人気獲りレースといったものではなく、記事に対するご自身の意見や感想を、ご自身のために投稿することが望ましいと考えています。
情報を悪用してのチート行為を防ぐため、詳細な掲載アルゴリズムについては公開いたしかねます。どうぞよろしくお願いいたします。
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"いわゆるブラックリストという運用とは異なり、コメント投稿者の行動のみを評価するものではなく、つけられたスターの正当性など、さまざまな要因を含みます。"
→「つけられたスターの正当性など」とは、どーいう事ですか?自分にスター付けてる人間は、こっちが知りもしない赤の他人なんですけど。自分が何らかの方法で、不正スター得ていると?散々メールでやり取りした後で「スターの正当性」書きますか。バカにしてんのか!
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人気コメントの表示は、スターを一つの表示指標として利用しておりますので、そのスターの正当性についても加味して評価されます。
スターの不正利用にかぎらず、指標としての信頼性が低いスター(相互でのスターのつけあい、機械的につけているスターなど)もありますので、必ずしもスターの数に応じた表示にすることが適切とは言えません。
このように、人気コメントへの表示については、さまざまな要素が組み合わさった評価にもとづいています。
スター数が他より多いにもかかわらずコメントが表示されないという状況は、恒久的に人気コメントに表示されないブラックリストに入ったということを意味するものではありません。
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だから既に規制されてるオレは「お前は不正してコメを得ているからダメ」と運営が認識してるからだろ?
不正なんかしてないのに勝手にいちゃもん付けられてる状況で埒が明かない。
なのではてな外のツイッターとかに「いままでのメールを晒します」。
以前上の人と相談してみてと書いたのははてな内で処理したかったからだけど「仕方ないので、はてな運営の実態とかのテーマで世間の目に晒す」わ。
仕方ないから
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ご自身がブラックリスト形式によって規制されているという前提でご質問いただいておりますが、スター数が他より多いにもかかわらずコメントが表示されないという状況は、恒久的に人気コメントに表示されないブラックリストに入ったということを意味するものではありませんので、質問の前提自体が異なっております。
また、個別の投稿者、コメントについて、人気コメント掲載にあたりどのような評価になっているかについてはご回答ができません。
これまでの回答は、あくまで一般的な評価指標についてお答えしているものであり、 id:○○○○○ 様が、ご自身の意図したように人気コメントに掲載されない理由を個別にお答えするものではありません。
メールを公開されることについては、告知やFAQなどに記載している内容と同様のものとなりますので、特段の問題はございません。
掲載順位は単一の指標ではなく、複数の指標を複合したアルゴリズムにより決定されており、また、具体的な評価指標については逆用してのチート行為を防ぐために開示できません。
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本文
最後の運営からのメールに書いてある3つの文章の締めが「前提自体が異なっております。」「お答えするものではありません。」「開示できません。」と3つとも否定なのが酷い。
はてなでよく見る、コミュニケーションとかビジネス文の書き方とかの記事で「まず相手を否定しない事」って散々書いてあるだろ?自社で扱ってる記事読んでないのか?
書いてる内容が過剰かどーかの話題でやり取りしてるのかと思ってたら、いきなり話題が変わって「お前には不正スター集めてる疑惑があるとでっち上げ」するはてな運営。
最後のブラックリストの説明も「何言ってるのか解らん!」レベル。
なんとかしてくれ
露骨なエロ目線のオッサンに女子中学生のガワだけ被せたようなキャラたちがお互いを脱がせ合うみたいな展開ばっかだった
フェミに見つかったら炎上すると思ってたけど、人気なかったからか日経に載らなかったからか最後まで燃えなかった
作者自身に描きたいものはさほどなくて、媒体の読者層を見極めてツボを押すのが上手い、マーケター気質の描き手というイメージ
絵やセリフ回しはかわいいけど効率よく萌えさせるためにキャラを動かしてる感じがしてあんまり信用できない
普段は意識高めなフェミたちが軒並み肯定的な評価なのがほんと不思議
追記: 1日経ってスマートフォンで読み直してみたら非常に読みにくい文章(1文1文が長く、文脈を掴みにくい)になっていたため、可能ならPCで読んでもらえるとありがたいです。また、節もつけて多少読みやすくしました。文章自体は改めていません。簡単に趣旨を要約すると「騒音問題での近隣トラブルは戦争になることもあり、それは自分が直面する可能性もある(※騒音問題のトラブルが必ず戦争になるというわけではない)」です。
長野市の遊園地の問題で近隣トラブルになっていて、どうやらじいさんがクレーマーだとして叩かれているらしい。
自分は長野市の住民でもなんでもないが、昔の激怒していた自分を思い出して体中が震えだしてしまったのでここに吐露して発散していく。長野市の件については、その裏にある事情は知らないので、自分はそれが良いとも悪いとも見当もつかないが、外野が好き勝手に述べてじいさんを罵倒したり「クソ自治体」みたいな発言をしているのがとにかく気に食わないのでここで色々と述べていこうと思う。また、自分はじいさんの擁護者ではない。
まず子どもが集う施設というのは、NIMBY(我が家の裏には御免)というカテゴリに属する施設である。これは誰がなんと言おうが、子どもが集う施設というのはもうそういうものである。NIMBYとは、社会全体には利益を与えるが、その近隣住民には損害を与える施設のことだ。こういうものはたくさんある。基本的には「社会全体のためにお前が我慢しろ」という施設になっている。また、補償がないことも多い。子どもが集う施設に関する補償は特になにもない。「子どもの声」を「損害」扱いという部分で怒りを抑えられなくなる人もいるだろうが、いったんそういう考え方の人がいると思って飲み込んでほしい。「騒ぐ子どもの声量は大きい」と「大きい音に耐えられない人もいる」という2点については、誰しもそれぞれ同意できるはずであり、「世の中には、騒ぐ子どもの声量に耐えられない人もいて、そういう人は損害だと感じていそうだ」というふうに、客観的な視点で読み進めてほしい。実際そういう人は存在している。
話がややそれてしまったが、なぜ騒音問題に子どもがつくと大きなトラブルになるかというと、「子どものためにお前が我慢するべきだ」という強制が働くからだ。こういう考え方を「子どものことを考えろ主義」といい、詭弁の一種である。
子どもを抜きで考えた場合、騒音問題は「騒音に悩まされて可哀想に」という話から始まる。ここでは明らかに「騒音を我慢するべきだ!」というようなことは言えないだろう。しかしそこに子どもが入った途端、「子どものためだからね。めでたしめでたし」という概念で上書きされる。しかし、騒音問題自体はなくならない。「騒音問題の話はどこに消えた?」である。
子どもは当然守られるべき存在だが、「子どものことを考えろ主義」をその親が使ってくると非常に厄介である。簡単に例えよう。
あなたが限定品が欲しくて、あるお店でその限定品のために並んでいたとする。あなたは限定品を無事手に入れることができたが、その後ろに並んでいた親が急に「それはうちの子どもが手にするべきものだ」「お前が大人のくせに限定品を得ようとしたために、子どもはひどい目に遭う。子どもが可哀想だ。全部お前のせいだ」と強硬に主張してくる状態のようなものである。(あくまで例えであって、騒音問題と同等の主張であると言いたいわけではない)
別の例で例えると、ベビーカーで子どもを載せて電車に乗る行為は問題ないが、ベビーカーを振り回して席取りをしようとしている親だったり、「ベビーカーを持っているのでそこに座らせてもらっていいですか?」というように尋ね、断ると「子どもがいるんですけど……非常識ですね……」と言ってくるような、子どもを使って権利を主張してくる大人たちがいるということだ。彼ら彼女らは「我々は少子化に対抗する戦士であり、それに抵抗する存在は邪悪である」という信念を持っている。
こういう行動を起こす人々は「子持ちの人」というカテゴリで括られるべき存在ではない。彼らは容易に「子持ち全体に対する挑戦をされた」というように論理をすげ替えようとする。そして「子どもがいるのに酷い」「こうやって少子化が広がっていくんだ」という論理を使っていく。ミサンドリストがフェミニストと名乗るようなものである。普段は人を攻撃するが、都合が悪いと子供を盾にして自らを守り被害者になろうとするという、文字通り子どもを盾にするのである。彼らにとっては、子どもとは、自分に利益をもたらす便利なツール・グッズ・免罪符でしかない。
誤って解釈してほしくないが、子どもは大切なものである。「子どもを排除せよ」と言っているわけではない。容易に論理を捻じ曲げられるので注意しなければならない。小さい子どもに罪などは一切ない。子どもではなく、その親と戦っているのだ。
そして、実は「子どもの出す騒音」それ自体は、それほど大きな問題ではない。子どもの騒音は確かに問題であって長期間続けば耐えられなくなりノイローゼになりかねないという状態になり、たいへんきついものだ。ただし、事をより大きくするのはそれに対する適切な対応が全くなされないことにある。『「子どもが出している騒音」にクレームを出すクレーマー vs (可哀想な子ども+それを守る善良な大人たち)』という構図そのものが、騒音を出している側のロジックによる考え方であり、これがこの構造のまま大衆化されると、非常にテキトーな扱いになる。「子どもの騒音に端を発する問題」という形で、その周辺の問題も含めて、すべての問題の焦点が「子ども」になっていく。しかし、子どもが悪いわけではない。子どもが悪いわけではないというのは、何度でも言っておく。その親が悪いのだ。ここは間違えてほしくない。本当に簡単にすり替えてくるからだ。
実際の問題は、子どもの出す騒音について「なんら対策をしない」「対策をしようともしない」「それを指摘する側に問題があり『異常』だと周りに噂を流す」だったり、わざと嫌がらせをするだったりである。長野市で言えば多くの車の長時間のアイドリングや、盆栽の踏み荒らしなども発生していたらしい。こうなってくると、もはや子どもの騒音というのは問題ではなく、大人 vs 大人の、れっきとした権力闘争の構図であると思う。(※注意: 長野市の問題については自分は意見を持たず、どちらの側にも立たない。じーさん側に問題がないとは言っていないし、子どもが可哀想であるのはそのとおりだと思う)
子どもを盾にする人側のロジックでは、「キチガイがまた『大したことでもないこと』でクレームを入れてきた」という観念を抱えているため、対話は不可能である。そもそも最初は当然対話をしようとしている。(また、クレーマー側でも意味不明なクレームを入れている場合も多くあるはずであり、自分は常にクレーマーを擁護したいわけでもない)
「子どもを育ててるだけなのに、クレームを入れてきて迷惑だ」vs「ふつうに暮らしているだけなのに、騒音を解決しようともせず、当然のように我慢を強いてきて迷惑だ」という状態になってしまうと大変面倒なことになる。どちらも正義だと思っている。これは戦争である。
これについて、刑事でも民事でも事件化はできず、自治体も警察も非常に難しい対応を迫られる。「対応」とはいうが、実質何もできないのである。ただ「犯罪がないかどうか」「合法かどうか」しか見れないのだ。よって、合法下での自力救済しかない。法はあなたを守ってくれはしない。誰もあなたを守ってくれはしない。あなた自身の力か、金の力しかない。日本では、騒音問題は「それは運が悪かったですね。我慢してください。それが法ですから」ということになっている。社会とはそういうものだ。
「そんなところを選んだお前が悪い」「引っ越せ」という、思慮に欠けた意見も散見される。当然そういう場合もあるだろう。ただし、こういうのは事前にわかるものではないし、引っ越すには尋常ではないお金がかかる。持ち家であれば尚更で、下手すると数千万円単位で金が変わってくる。つまり、人生の中でもかなりの上位に上がってくる最強最悪のトラブルである。嫌いなやつのためだけに数千万円は普通は払えない。数千万円は言い過ぎかもしれないが、ただ引っ越すだけでも、引っ越しというものは50万円だったり100万円かかるものだ。月に2万ずつ貯めていたとしよう。4年の努力を捧げることになる。嫌いなやつのために。普通は我慢ならないだろう。
そして、トラブルが悪化すると、人生で最も嫌いな存在が自分のすぐ近くに住んでいるという状態になる。「考えないようにする」ということができなくなる。騒音で存在をすぐに思い出し、精神が持っていかれる。「殺す」か「殺さない」か、そういう考え方が頭にのぼってくる。これはジョークや笑い事ではない。精神が奥深くまでやられる。絶えず戦闘モードになる。戦時下という気持ちだ。あとはもうやるかやられるかだ。どちらも異常になる。人はいとも簡単に狂う。自分だけではない。相手が『「自分が死んでくれればいい」と思っている』と思うようになる。
「死ね!!!!」と絶えず言い合っているのに離れられない関係というのは、歪んだ親子か、近隣住民以外には人生においてそれほどない。会社なら簡単ではなくても辞められる。家は簡単には辞められないのだ。
もし少子化対策のためというならば、社会全体でなんとかしなければいけない。「ミクロな個人単位の我慢で解決すべき」という結論は誤っている。それは子育てする側からみてもそうであると思う。ここでは、「子育て側の方が悪」のように見えてしまう論理展開をしているが、子育てしている親は窮屈な思いを抱えているはずであり、れっきとした社会問題であると捉えるべきだと思う。しかし、現実的には、社会はそう簡単に変われるものではないため、個々で見れば自衛するしかない。
「近隣トラブルが戦争」というのが理解できない人や、「結局子育てする側が我慢しろってこと?」という理解になってしまう人は、せめて平和に家で暮らすことができているという幸運を噛みしめるべきであり、自分の子どもの周りでそういった話を聞かないという場合は、人知れずして我慢している人がいるのかもしれないことを知っておくべきだと思う。「静寂」「平和」は贅沢品である。いい人は、同じ目にあっても「まあ子どもだからしょうがないですよ」「いやいや!子どもは騒ぐのが仕事ですよ」と言えるのだろう。それはたいへん立派なことだと思う。ただしそれは余裕があっての論理や、他人事であるからそう言えるだけであることを忘れてはいけないし、強制できるものではない。全員が聖人君子になれるわけではない。
これはアンモラルがどうのとかそういう話ではない。あなたもそうなればわかるかもしれない。
ただ、そうなってから気付いても遅いのだ。「そんなところを選んだお前が悪い」のだから。
そして残念ながら、今の社会に解決できるほどの余力はない。ただ「そんなところを選んだお前が悪い」のだ。
でももしそうなったとしたら、自分もあなたと同じように苦しんだことを覚えておいてほしい。身の周りの誰もがあなたを理解してくれなかったとしても、世界にはそういうことをわかってくれる人はたくさんいることを覚えておいてほしい。それだけで心の荒みはやや緩和されるだろう。
ただこの話は、伝えたい人には伝わらない話でもあると思う。この話を見て「自分や自分の子どもが他人にそんな思いをさせてるかもしれない……大丈夫かな」とすぐに心を痛めた人に心を痛めてほしいわけではない。そういう人たちには、ただ「子育てを頑張ってください」とだけ伝えたい。この話は「はあ?身勝手。黙ってろ。うるせえな」と、気にもとめない「子盾の親」たちに伝えたい話である。伝わらないだろうけど。
つまり、運が悪ければ、そういう人と戦争することになる、ということだ。そしてそういう人たちもまた、「我々」と戦争することになる。