はてなキーワード: リクルートワークス研究所とは
日経新聞の「職場がホワイトすぎて辞めたい 若手、成長できず失望」の記事が話題になっている。
記事:https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD2865W0Y2A121C2000000/
はてブ:https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.nikkei.com/article/DGXZQOUD2865W0Y2A121C2000000/
これの元になるデータは、リクルートワークス研究所の古屋星斗氏が書いたものと思われる。
記事:https://www.works-i.com/project/youth/solution/detail001.html
日経新聞さんの図がちょっとわかりにくいので正確なやつを出します。お納めください。「すぐにでも退職」「2・3年は」=5年以上その会社で働くことをイメージできない、です。
ツイート:https://twitter.com/FuruyaShoto/status/1603254108890501120
である。
そしてなぜこの「ゆるい職場」の宣伝になるような記事をわざわざ書いたのか?
やっと終電に余裕を残して帰れるようになってきた。
業界の中ではまあまあ中堅どころで、面接官をしている。5月で集まりきらずに、こんな時期までやっていた。
優秀な人はこういう状況でも内定辞退をしてくる。(まあ、上にいけるならそれにこしたことはないだろう)
しかし最後まで基準を下げずに募集を続けたので、来年から頑張ってくれそうな人ばかり集まった。
素直に喜ばしい。しかし、そうでない人も大量にやってきた。
もうびっくりするレベルの人たち。
ああ、こりゃ「無い内定」にはなるわなーと思った。
最初は、愚痴も交えて「こうすればまだ間に合う秋内定への5つのポイント」とかまとめようとしたけど、
どう考えてもまず前提である「なぜ無い内定なのか」をきちんと示さないとどうせ話を聞かないな、と思った
(○○とは言うが、そうじゃないヤツも内定をとれてる/××という理由で内定でてた、などが無意味という説明)
ので、ざくざく解説していく。
リクルートワークス研究所が毎年出してる報告書を見なくても、中小以上はそこそこ堅調、中小未満もまあまあとっている状況だ。
その事実をまずは(納得できなくても)頭に入れた上で話を進めよう。
とはいうものの、まずは隠れ無い内定と、除外無い内定と、真の無い内定との3つの分類から入る。
まず、「隠れ無い内定」だ。
これは「内定はあるが、ブラック、もしくは希望しない職種・業界」という人だ。
彼ら彼女らは同情されて良い。この不況が悪い。その魂のために祈っても良い。
恐らくは3年以内離職者予備軍であり、羨んだり妬んだりは本人にとっては負担にすらなる。
次に、「除外無い内定」だ。
これは「内定を得る実力はあるが、敢えてしない……ということになっている」という人だ。
彼ら彼女らの未来に幸あれ。まあ本当に起業家として成功する可能性もあるし、お金に不安のない人も世の中にはいる。
忘れてならないのは、身一つでリスクを一心に引き受けている少数派と言うことだ。
これは「内定を得ようと努力しているが、未だ一つの内定も無い」という人だ。
もちろん運が悪いだけの人もいるだろう、しかし大多数はそうではない。
そう、おまいらのことだ。なぜ無い内定かという指摘は、この「真の無い内定」を対象にする。
1つめが、「受ける数が少なすぎる」だ。
10社以下のヤツはやる気以前の問題で、30社程度なら運の問題で、50社ではじめて就職活動していると言える。
そこまで行って一社もなければ、それは運ではなくどこかに問題があるからだ。
2つめが、「相手のルールに合わせる気がない」だ。
指定した時間に行かない、指定した書式を守らない、履歴書に修正液を用いる、写真の裏に名前を書いてから貼らない、洗濯したYシャツを着ない、電話に出ない、質問に答えない、時間を守らない。
それぞれ本当に些細なことだ。それが出来ない。
はっきり言おう、どうせおまいらは十把一絡げだ。一山幾らだ。
有名私立を出ようが国立の工学部だろうがFランだろうが、この時点で無い内定な時点で、駄目なんだ。
結果がはっきりと示している。努力しているなら方向性が違う。
余り言いたくはないが、日本の大学で「実力を身につける」だとか「専門性がつく」だとか「他にないウリができる」なんてのはごくごく少数だ。
大多数の大学生は、漫然と講義を受け、バイトに精を出し、サークル活動に現を抜かし、恋愛沙汰だの飲み会だので忙しい。
(おまいらなら、2chにネトゲにニコニコにゲームに年に2回のお祭りだろう)
本来であれば学士様だとかマスターだとかに「アルバイトで人とふれあって」とか話して欲しくないのだ。
大学には勉学をしに行け。
しかし現実はそうではない。それは認めよう。良くわかってる。
だからこそ学歴(というか、どの大学に入学する能力があったのか)を重視するのだ。
いや、せっかくだからはっきり言おう。
自分を持っておらず人の言うことを聞き、他人とは違う人生を歩むのを嫌がり、難しい大学に入る能力がある、そんな人を欲している。
だからもう履歴書を手書きで書かないとか問題外なわけだ。
どうせノビしろとか将来性とかそんなもんは殆ど無いんだ。(いや、言い過ぎた。あるけどそれは人並みって事だ)
熱意とか従順さとか、「あ、こいつなら一緒に働いても良さそう」と思わせて欲しいのだ。
仕事なんぞ最初は出来なくて当然だ。ちゃんと会社色に染まってくれないと困るのだ。
たとえば志望動機をきちんと考えてこない。
もちろん、聞く方だってそれが建前だってのは判ってる。
でも、本音と建て前は違うとは言っても、それは建前をちゃんとしてからの話だ。
社長の名前を調べてこいとは言わない。せめてどんな業界で何をしているのか位は見てきてくれ。
そして、ここまでやって丁寧に熱意を見せて求職して初めてやっと、その企業の面接官はおまいらを見てくれる。
その後はまあ確率の問題だ。
1%しかないと思うのなら、50社も受ければ一カ所ぐらいは内定が出るだろう。
相手のルールに従い、50社以上は受けろ。エントリーとかじゃなくて、筆記・1次面接で50社だ。
それが最も単純で強力な、無い内定から脱出する方法だ。
健闘を祈る。
「機能しない成果主義と高卒技術者の失望」では、学歴主義の壁に苦しむ高卒技術者、島田潔氏(仮名)の現状を紹介した。彼の職場は、学歴にかかわらず高卒、大学院卒者も、実質的に同じ内容の仕事でキャリアを始めるホワイトカラー職場だ。けれども昇進を決めるのは学歴主義に依った評価である。大学院卒の後輩が3年後には彼の上司となる現実がある。
「確かに大学院卒の人には、理論立てて物事を考える力はあるかな、と思う。けれどもそれが直接現場で役立つ場面は少ないし、社会人経験6年間の差に値するとは自分には思えないです」。インタビューで島田氏はこう話していた。
大学や大学院で身につける「物の考え方」は業務遂行の上で役に立つ。それを業績の一つとして評価する考え方が学歴主義だ。多くの日本企業はこの考えに則って人材を採用している。
ただし問題は、人事評価においてつける差の大きさが「妥当」であるかどうか。元財閥系メーカー勤務、K.K.氏が寄せた読者コメントでは、企業内部の非妥当性が生々しく明らかにされている。
「実力で部長職までいった製造部長が、大学を出ていないというただその一点で役員にはなれない。部下の査定の際も、よっぽどばかな大卒でないかぎり高卒と成績を逆転してはならない。製造現場にもかかわらず、高卒によい評価をつけないために、英語の検定試験結果やプレゼン能力を査定に入れたり。管理職をやっている本人が自己嫌悪に陥るような暗黙の了解が多々ありました」。
厳然と残る賃金格差
学歴主義は古くて新しい問題だ。身分や世襲を基にした社会では、親の職業からいやでも離れられなかった。けれども学歴の取得は、制度上はだれにでもチャンスが開かれている。学歴主義が評価されるのは、その民主的な側面に目を向けた場合である。
いっぽう、マクロな視点で戦後の数十年を眺めれば、別の構図が浮上する。学歴の取得には父親の職業が影響するという調査結果(例えば農家の子息より企業の管理職の子息の方が大卒である率が高い)からは、学歴取得は制度上平等でも、社会の現実はそう動いていないと分かる。そして就職後は学歴による明らかな賃金格差が待っている。
社会学者が1955年から10年ごとに調査している「社会階層と社会移動全国調査」のデータを見ると、1995年における50代大卒男性と高卒男性の平均年収の格差は約1.5倍。中卒男性との差は2.1倍だ(「社会階層 豊かさの中の不平等」(原純輔・盛山和夫著、東京大学出版会、1999年刊)。
就く仕事にも格差がある。大きく分ければ大卒男子は企業の総合職、高卒男子は製造現場。登場人物・島田氏のような、高卒男子のホワイトカラー職への就職もなくはない。しかし、現実には極めて少ない。「学校基本調査報告書」(文科省)を見ると、1950年代には30%を超えていたホワイトカラー職(事務職、専門・技術職)における高卒男子の割合は、2004年には7%まで落ちた。
このように、就く仕事や賃金、昇進における学歴格差は、戦後数十年のあいだ存在してきた。しかし格差の問題が、「勝ち組」や「負け組」といった流行語を生むほど一般の関心を集め始めたのは、最近の現象だ。それはなぜなのか。
社会階層研究を専門とする盛山和夫・東大教授によると、企業活動が拡大した1960年代??70年代の高度成長期に、学歴による賃金格差や昇進の格差はそれ以前の時代より縮小した。高卒者や、場合によっては中卒者であっても大組織に入り、相対的に出世ができた。ホワイトカラーとブルーカラーの賃金格差も縮まった。
しかし1990年代の低成長期に入ると企業の人事政策は、より強く市場原理を取り入れたものとなった。「賃金格差は拡大する傾向にあり、今後もその流れは続くだろう」と盛山教授は見る。
さらに別の要因が、高卒者の就職状況を悪化させた。「団塊ジュニア」世代の大学入学に備えた大学・学部増設政策による、大学生の急増だ。かつての高卒職場は大卒者に置き換えられた。そしてすでに就職していた高卒者は企業内で「学歴マイノリティー」と化し、働く意欲や動機を持ちにくくなるという問題が浮上した。
「高卒者にとっての、成功のモデルケースがなくなった」と指摘するのは、豊田義博リクルートワークス研究所主任研究員だ。
かつての成功モデルはこうだった。正社員採用で就職して製造現場で働き、安定した職業人生を歩む。あるいは企業の知名度が低くて大卒者が集まらないサービス業種(居酒屋チェーンなど)で、現場経験を積んだ後に店長になる。
ところが製造現場は海外移転し、国内の工場労働者は正社員よりパートやアルバイト、有期雇用者の採用が増えた。店長コースの方は、大学生の増加で新興チェーンにも大卒者が就職するようになり、「店長は大卒、店員はアルバイトという流れになっている」(豊田氏)。
議論すべき社会の仕組み
では学歴マイノリティーと化した高卒者はどうすればよいのか。島田氏の事例に対する読者のコメントには、学歴主義を気にするより努力で克服してはとのアドバイスが目立った。一つは、「闘う土俵を変えよ」というもの。「高卒で悩んでいる方々はぜひ旧態依然とした企業から、しがらみのない若い会社に移るべき」(前出の元財閥系メーカー勤務、K.K.氏)。
もう一つは、「闘う以上は同じ土俵に乗れ」というもの。「夜間の大学に通い、学位を取得するのも、本当に実力で勝負しようと言うのであれば、一つの選択肢」(竹田雅信氏)。
さらに議論を進めれば、学歴格差の問題はもはや高卒者に限ったことではない。盛山教授は「かつては中卒・高卒・大卒の学歴格差が問題だった。今後はそれが高卒・大卒・大学院卒の学歴格差に移行するだろう」と言う。
大卒・大学院卒者の増加による「学歴インフレーション」(高学歴取得者の職業的地位の下落)や、出身大学の偏差値による大卒者内の格差の進行も、すでに調査で明らかになっている。
ただし、盛山教授は、最近の流行である「勝ち組」や「負け組」といった単純な二極化論や、欧米並みの階層化が日本企業で進行し希望を失う若者が増えて社会問題になる、といった「格差恐怖論」のような見方を否定する。
盛山教授はこう話す。
「みんなが収入や地位を上昇させてきた今の50代以上とは違い、20代、30代の大半の人にとって学歴を問わず、収入や地位を向上させるのが難しい時代になったのは事実です。けれども高度成長期以前には、学歴格差は今よりもっと大きかったことを多くの人は忘れている。勝ち組と負け組について実証的に示したデータなどないが…。若い人が高収入を得るにはどうすればいいか、それを可能にするのはどんな産業かといった具体的な議論が必要なのです」。