はてなキーワード: 救急車とは
Twitterで「柔軟剤等で体調が悪くなった人で商品名がわかる人は書いて!!」
近所の人がこぼしちゃったらしくて、台所の換気口から臭いが入ってきました。
呼吸困難を起こして、床に倒れました。
喘息の持病はありませんが、喘息患者さんの発作と同じような症状だったそうで、
搬送中に血中の酸素濃度が低下して、命の危険があったそうです。
意識が薄れて、真っ暗な闇に落ち込んでいく感じで、
遠くで必死に呼びかける救急隊員さんの声が聞こえていたのを覚えています。
母も私も、これにやられると寝込みます。
体中がとにかく痛くなります。
立っていられないほど。
これらの症状が出た頃は、まだまだ香害なんて言葉もなくて、
周りからは「敏感だ」とか「大げさ」とか言われましたが、
今はそう言っていた人達に同じ症状の人が増えたので言われなくなりました。
相変わらず行政は放置だし(消費者庁の人々がこぞって柔軟剤使ってる時点で…)
NHKもクローズアップ現代+で放送する兆しが見られないし、
まだアレルギーならいいけど、中枢神経やられる成分が入っているから
それよりも、空気の汚れが海外の基準値はるかに上回ってる状態で
海外の人はこの現状って知ってるのかな…。
昔、真夏にアルバイトで工事現場で働いてた時、昼間は割と大丈夫だったんだけど、
家帰って夜になってから熱中症の症状が出て、筋肉が痙攣し始めた。
めちゃくちゃダルくて息苦しくて、怖いし焦って119した。
救急隊員が入ってきたんだけど、俺が一見普通に受け答え出来てるから
やたら態度悪かった救急隊員のこと今でも思い出す。
結局、そういう奴が多いからなんだろう。
何年も鬱病で苦しんだ。
数年前にそれが行き着くところまで行って、まあ初めてではなかったけれども、自殺未遂、救急車で運ばれて気が付けば集中治療室、その後入院、と、散々迷惑をかけ心配をかけ。
退院はなんとなくヌルッと決まったような感覚だった記憶があって、その後どうなるんだ自分の人生、と思ったけれども、失業給付やアルバイトで食いつないでいる間にたまたま決まった仕事が妙に性に合ったようで、働き始めて二年を待たずに服薬が必要なくなるところまで回復した。病院に通わなくなったのは十年以上ぶりのことだった。とてもラッキーだったと思う。
もともと創作活動が好きだったのだけれども、鬱病が酷い時には創作どころではなかったので、何年も遠ざかったままだった。でも回復するにつれ自然に創作に向かうエネルギーも湧いてきて、たまたま外的なタイミングも合って、創作活動を再開し細々と行うようになった。
才能が無いなんてことはとうの昔に痛感していたので飽くまで趣味としてではあるけれども、趣味なりに本気で何かを創る感覚は久しぶりで、刺激的で、仕事やプライベートでうまくいかないことがあっても、創作が自分の支えになりつつあった。
評価は全然されなかった。自分の力では無理も無いと思う。年齢的な面もあって、年甲斐もなく何をやっているんだと思われていた節もある。でも本当に近しい人たちには、自分にとって創作が如何に大事なものかはわかってもらえていると思っていたし、そのうち少し良い作品ができたら、それなりに喜んでもらえるんじゃないか、なんて甘い考えを抱いていたりした。
とある賞で、予選を通過した。それなりの規模で行われている賞で、そういった機会で選ばれた経験が自分には無かったので、予選通過者なんて他にたくさんいたのだが、それでも嬉しかった。励みになった。それなりに浮かれてしまって、今となってはとても恥ずかしい。
そんなに盛り上がるなんてことを思っていたわけでもないけれど、七転八倒していた自分を知っている古い友人、近しい人々は、喜んでくれるんじゃないかと思っていた。でも甘かったらしい。
何の反応もなかった。何も。無理もないか、予選を通っただけだものね。作品のクオリティや方向性だって、まるで誉められたものじゃなかったのかもしれない、こんな自分の創ったものだから。
それでも、そうかここまでちゃんと形にできるところまで回復したんだね、今はやりたいことをやれてるのか良かったね、って喜んでくれる人もいるかと思っていたんだ。作品はまだまだ全然だけど、創れるようになったってことは本当良かったよ、なんて言ってもらえるんじゃないかって、思っていたんだ。
創る側の人間からしたら、ネガティブな評価もそれは勿論怖いけれど、評価が無いこと、誰からも無視されることがどれだけ恐ろしいか、身に染みてわかるんじゃないかと思う。それをわかっているはずの友人たちも、何のフィードバックもくれなかった。
コメントすることも憚られるほど作品が酷かったのか、気を遣って労いの言葉をかけることも煩わしいほど自分が嫌われていたのか、それともその両方なのか。何にしろとてもショックだった。とても。
他にすることも大してなかったんだけど、でもそれなりに色々なことを諦めたり犠牲にしたりしてなんとか形にした作品が、手元にある。でも結局誰にも届かないんだろうな。酷評にも値しない作品。
それでも自分が今死んだら、友人たちは葬いとして一応は作品に触れてはくれるだろうか?それなりに美化して、通り一遍でも褒めてくれるだろうか?
そんなことばかり考えている。作品が認められないこと、無視されることの苦しみに耐えることが出来ないなら、創作なんてする資格も無いのだろうけれどもね。そもそもちゃんと力があって、評価に値する作品が創れるならこんなことにはならない訳で、文句を言う筋合なんてない、こんなことは言ってはいけないんだろうなってこともわかっています。だから自分は駄目なんだ。趣味でこんなに消耗するなんて、バカだなあ。本当にバカだ。人生にはもっともっと大切なことがたくさんあるはずなのに。でもバカだから、もう死んでやろうかという気持ちになる。バカだなあ。
救急車や警察なんて呼んだことないって人の方が多かった。俺たぶん救急車は人生で10回くらい呼んでるわ。主に他人の病気やケガで。交通事故のヤツとかさ
って書いてあった。
こういうのって悪学習だと思う。
相手が悪くなくても、明らかにこちらが悪い事を認識していても、とにかく相手を頭ごなしに怒鳴りつける事で良い目にあってきたという学習をしちゃった人みたいなもんで、それで失った物や信頼には目が行かないんだろう。
救急車にかけてるのがお前でしょ?
鏡見れないのか
俺は正しいジャッジができると思い込んでるやつには
何を言っても無駄だな
相談してる間に死ぬかもしれないというリスクを大多数が取ってくれてるおかげで
救急車が絶望的に足りなくなるという状況を回避できることが理解できない
お前の気軽な通報とやってることはなんら変わらないわけだが
小骨が喉に刺さったやつは生命の危機だと判断して通報したんでしょ
その場に居なくて「それは呼ぶほどのことじゃないよ」とアドバイスできないお前が
そんなことで救急車を呼ぶな、なんてことは到底言える権利なんてないんだが
小骨が刺さったせいで死ぬかもしれないと危惧して救急車呼んだんだから
お前の言ってることは出来の悪いダブスタ
Aさんが煙で洗濯物が臭いと苦情を言ったようで、老害は洗剤を渡したがAさんは突き返した。
Bさんは市役所に匿名で通報電話をかけたら、市役所の方も老害ゴミ燃やしの事を知ってたらしい。cさん、公害で病気になると言ってたり、
Dさんは野焼きの現場写真を証拠に残していたり、うちは隣なので近所の人のなんならかのアクションに任せている。
離婚して独り暮らしで身内には見離され気にかけてるのは友達らしき人物で諭している会話が時々聞こえる。
以前は施設に入居していたが脱走して戻ってきてしまった。ライフラインは通っておらず、夜はロウソクつけたり、人の家の灯りで暮らしてるから物音がすると電気を消し必要以上に電気はつけない。
市役所に匿名で通報した翌日市役所の人が来たが老害は出掛けて居なかった。警察も見回りに来ているが老害は察知してるのか出掛けている。
荷台に空き缶の入ったポリ袋がくくられてる自転車が倒れていたからおそらくホームレスなのだろう。
おっさんは倒れて立ち上がれないようだが頭は働いているようで、
「酔ってますか?救急車呼びますか?」と声をかけた若い男性に呂律の回っていない声で「いらないいらない」と反応していた。
とりあえず立たせてくれとのことだったので私と声をかけていた男性が肩を貸したが、
フラフラしていてとても歩けそうもなかったので、また道に寝かせた。
仕方がないので救急に電話し(この時何故か私は周囲の人にやっぱ呼んだほうがいいですよね?などと賛同を求めていた)、
ほぼ同じタイミングで人だかりも雲散した。
周囲に人がいた方が行動を起こしにくくなるなあと思いました。
25歳位から6年付き合って結婚した彼女と、6年の結婚期間の末に離婚した。子供は一人いる。親権は元妻側。
面会交流は月一程度で会えるようになった。まるで会えない時期が一年ほどあったので子供と会えるのは嬉しい限りだ。
子供はパパと(も一緒に)住みたいと言う。これが辛い。
元妻はいわゆるボーダーというやつで、機嫌が悪くなった時の俺に対する攻撃性は尋常じゃなかった。自分が無くしたものを子育てに忙しいことにかこつけて探せよ!と叫んだり、俺が口答えしてしまうと、泣き叫びながらあんたのせいであんたのせいで!と叩いてくるのを繰り返した。極め付けは子供がいるのにも関わらず、睡眠薬を大量に飲んで半自殺行為をした。救急車を何回か呼んだ。子供は何が起きてるのか分かっておらず不安そうだった。もちろん元妻は浮気もしていた。浮気相手に電話して警告したりして、俺は何をしているのか分からなくなり、あの頃は俺自体が深刻なうつ状態に陥っていた気がする。マインドフルネスや仏道にはまって、諸行無常であったり一切皆苦であることを受け入れようとした。相手の男は俺と同じ会社(元妻も)で別の部署だったが会社を辞めた。いづらくなったのだろう。それは俺も変わらない。俺も色々ありすぎた会社にいるのがしんどくて辞めて転職した。表向きはステップアップで給料も二百万くらい上がったが、本当は現実逃避だった気がする。
一切皆苦であることを受け入れることはできなかった。人生がこうやって妻の激情にビクビクしながら生き、そんな妻をなんとかお茶を濁すが如くに喜ばすことだけが俺の人生なのかと思い悲しかった。それが何年も続いていた。どうにかしてこの終わりゆく世界から出られるだろうか考えた。世界は終わっていた。恐怖の中で奴隷のように生きる世界とはこのようなものなのか。隣の芝生は青いというが、私には現実に青かった。夫婦はお互い正直な気持ちを話し合えるのに、私は正直な気持ちは置いてけぼりだった。正直な気持ちで話すと私のことをあなたは絶対理解しない!!と激怒されるだけだった。その割には腹を割って話したいと言われていた。腹を割って話すと激怒された。冗談でもなく、もうイヤァァァ!!!離婚するーー!!!と大声で叫ばれた。マンションなので恥ずかしかった。エヴァンゲリオンで言えばアスカみたいなものだった。そして一週間以上何も話してくれない、ということが何回もあった。
自殺することは実際にはないだろうと思っていたが、半自殺にかこつけて妻実家に頼ることにした。少し距離を作る必要があると思った。
ある日仕事が終わって夜遅くに家に帰ると泣いていて、理由を聞いても何も言わず、子供には強く当たってしまうと言っていた。これはもう実家に頼るしかないと判断し、義母に電話し事情を説明し「強制送還」した。強制送還された妻は激怒した。私のことをなんだと思ってる!!と言っていた。精神不安定だよ、心の中でつぶやいた。そして帰ってこなくなった。夫婦カウンセリングを受けた。カウンセラーも妻の圧力に困っていた。私のことを理解しない!そんなことでは結婚生活を続けられない!という主張から一歩も譲歩がなく話にならなかった。カウンセリングは妻側から突然打ち切りになった。
義母の様子もおかしくなってきた。明らかに私を攻撃しまくってきた。あんたのせいで娘はうつ病になった。あんたが根暗だからこんなことになった。離婚しろ!と言ってきた。
離婚については子供のことを考えてするとは思っていなかった。でも心の奥では離婚したかったとは思う。幸せはここにはないと悟っていた。子供が生まれて子供からはたくさんの幸せがあった。お世話は大変だったけど一通り一人でなんでもできる。寝かしつけとかたくさん抱っこしてたからか分からないが子供は俺のことが大好きであるのは手に取るように分かる。
離婚すべきかは分からなかった。そして離婚調停が開始された。数ヶ月立って決心はついていた。だが中々離婚させてくれなかった。面会交流させないというめちゃくちゃなことを言ってきた。調停委員も奥さんが落ち着くまでは子供と会わないのも選択肢として良い、と言ってきた。全く許せない。完全に他人事だった。なぜ親子愛のうちにいる俺たちが、妻の精神不安定で会ってはいけない事になるのか。馬鹿げている。ずっと争った。普通は二、三回で終わるところが10回以上続いた。最終的には月に一度会えることになった。回数が少ないのが私には許し難いので、一年後に見直しとなった。
それからは元妻と三人で面会交流することになった。子供がいるとかであるのと月一ということもあり、妻の激情は発露せず、一見普通の親子三人のようになった。ただ面会交流の日時を決めるやりとりなどでは激情に駆られたメッセージが書かれており、俺をコントロールする意思をビンビン感じるので、実態は何も変わってないのだろう。そして今に至る。
一人暮らしして2年になった。妻と争っていた時はそればかり考えていたから寂しくはなかった。だがこうやって落ち着いてきて思うのは寂しいということだ。もしまたなんとかなるなら三人で暮らしたい。そんなことも思ってしまう。なんともならないと分かっているのに。子供には申し訳ない。一生つきまとう悲しみを与えてしまった。苦しい。だが俺が死ぬわけにもいかにい。
俺はこの先どうやって暮らしていけばいいんだろう。友人やお世話になっている人は自分を優先して自分の人生を生きろという。でも子供を置いてけぼりにしてるようでそんなことできない。俺はどうすればいいんだろうか。子供を言い訳にして現実を変えることを拒んでいるのだろうか。そんなことはない。仮に俺が新たな家庭を見つけてもしも幸せになったら、子供はどう思うだろうか。辛い。
仕事中、確か2時ぐらいだったか、トイレに行こうと椅子から立ち上がった瞬間睾丸から尋常じゃない痛みが感じられた。はっきり言って、今までで一番痛い痛みだった。
急いでトイレに行って確認するとなんで今まで気づかなかったのかわからないくらい、具体的には握りこぶしぐらいに腫れていた。
その時点でこれはヤバイと思い救急車を呼んだが、救急隊員への説明や会社への説明が「下半身の傷み」という風に説明したことから金玉捻じれ男なる愛称をつけられることは幸いにもなかった。
病院に行きレントゲンを取ると即「睾丸捻転症」と診断され、すぐに手術が必要だと言われた。
睾丸捻転症は文字通り金玉の紐が何回転かし、捻れてしまう病気らしい。俺の右の金玉の紐は4回転していたようで、俺の右の金玉はもう壊死してしまっていたようだ。つまり手術では壊死した睾丸を取り出すという手術だった。
今まで一回も実践に使っていなかったものではあるがなくなるとなると寂しい。
今となっては左の玉しかないが、あるだけ幸いってもんだ。
現時点で、本人が参加を辞退している以上、もう掘り起こさなくても良いんじゃないかとも思うけど、今回の件で色々と考えさせられたので、自分の中のもやもやを整理するためにこの日記を書いています。
なので、自分と違う価値観の方には全然落ちてこない内容かもしれない。そして私は、コミケや同人誌即売会というイベントにサークル参加した経験はないが、一般参加は何度もした事があり、友人に同人サークル活動をしている人もいて売り子で協力した事があります。このため、出来る限り中立的な目線を持ちたいですが、所謂コミケ参加者側の"オタク"の価値観に寄った意見になる事をご容赦ください。
ただ、自分にも真剣に応援している推し俳優がいるので、今回の一連の騒動はなんだか他人事とは思えなかったので。
まず、問題は一つではなく複数あり、複数の問題が複合的に重なった結果、今回の騒動が起きてしまったんだと思う。混ぜて話すと分かりにくくなるので、1個ずつ取り上げてみることにする。
また、「真木よう子にコミケ参戦を促した黒幕が別にいるから彼女には何も落ち度はない」という意見もあるかもしれませんが、ここでは論点が少しずれるので詳細には言及しないこととします。
まず問題なかった点というか、これは是非とも賛同したいなと思えた点から。
「オタクは普段から表現の自由を訴えている癖に、彼女の表現する機会や表現する自由を奪った」という記事や意見を多数見かけたが、コミケ参戦反対派のオタク(以降、便宜上「オタク」と略す)の中で「写真集を作成する」という行為自体を否定している人はほぼいなかったと思う。写真集を作成し、彼女が写真やエッセイ等で自分自身を表現すること自体はとても素敵で素晴らしいことだ。今回は残念ながらプロジェクトが頓挫してしまったが、今後また別の機会があれば是非とも再挑戦してほしい。
ただしその時は、その作品を発表・発売するのに一番適切な環境や手法について熟慮して頂くことを心から願いたい。
これは既に多くの記事でも言われている通り「クラウドファンディング」自体は資金集めの手段としては画期的であるし、彼女を応援するファンが支援できる、という事は全く悪いことではないと思う。ただ、「クラウドファンディング」というビジネスモデルに頼って「多額の出資金」で作成された「プロライクな作品」を「コミケのアマチュアサークルとして頒布する」となると、やはり違和感が拭えない。
正式にルール化されていなくても、アマチュアサークルで作品を作り頒布する人のほとんどは、例外を除き自費制作が主流。これは、出す作品が同人誌でも写真集でも雑貨でもCDや映像作品でも一緒だと思う。当然、自費制作なので多額の資金を準備するのは大変だし、制作数にも限りがある。そういう制約の中で最大限の努力をして、自分の作品を出す。コミケというのはこういうDIY精神がベースに根付いているし、そういう人達の活力で出来ている。
「クラウドファンディング」の「制作したいものがあっても資金がないので、パトロンを募って出資してもらおう」という精神は今の時代の風潮に合う素晴らしいものかもしれないが、「コミケ」の中の主流である「自分達の制作・頒布するものは基本的に自分達の資金力・能力の範囲内で準備する」という精神とはやっぱり相容れない部分が大きい気がする。
多くのオタクが拒否反応を示したのはこの部分のはずなので、同じことを別の人がやってもやっぱり叩かれていたと思うが、真木さんほどの有名人がやろうとしてしまったことが大炎上に繋がったのだろう。
コミケの企業ブースであれば、出展料金はアマチュア向けブースよりもかなり高くつくものの、そもそもが商用のスペースなので、企業ブースに出展する企業とコラボレーションして参加するという話であれば、もしかしたら成功していたかもしれない。(企業ブースには声優等の有名人が登場することもある)
何故コミケに参加したいのかという質問に対し、真木さんは「ファンの方と交流したい」という回答をされているのを拝見した。コミケは、確かに作品の頒布者とそのファンが交流できる場でもある。ただそれは、あくまで作品を頒布する際に生まれる「副産物」であって、そもそもファンとの交流に適した場所ではまったくもって無い。
コミケは、毎年ニュースになるほどの人混みになる。アマチュア向けサークルのブースは基本的に長机を半分で1サークルが使い、サークル側の1ブース内に入れる人数は2人程。大手サークルでも2スペースで長机一つ分。一般参加者が歩き回れる通路もとても広いとは言えず、移動したくても身動きが取れなくなってその場で立往生するなんてことは当たり前に発生する。人混みではない場所でもブースの周りにずっと人だかりが出来ていたら、近隣のサークルに迷惑がかかる。そもそも、入場するまでの待機列から目的の場所に辿り着くまでに3~4時間以上経っている…なんてことも当たり前に起き得る。夏コミなら炎天下の灼熱地獄の中で長時間外で並ぶことになるし、冬コミなら早朝の凍え死にそうな寒さの中で長時間並ぶことになる。
そんな場所で、所謂有名人である彼女が参加することで起きるであろうリスクを考えるのは簡単だろう。コミケ参加者・彼女のファンを問わず、真木よう子というネームバリューがあれば大量の人達がそのブースに押し掛ける。コミケ参加に不慣れな彼女のファンとコミケ常連客との間でトラブルが起きるかもしれない。それによって、近隣のブースで作品を頒布するサークルに迷惑行為や被害が及ぶかもしれない。コミケに不慣れなファンが長時間外で並ぶことで体調不良者が続出したり、救急車が出動することもあるかもしれない。
こういった可能性に対するリスクマネジメントをきちんと行い、徹底的に対策することまで考慮されていたのかは定かではないが、少なくとも頒布する場所がコミケではなく、個別に専用の会場を抑えてファンミーティング・握手会等といったイベントを開催した方がよっぽどリスクが軽減されるはずである。それに、彼女程の女優であればそのようなイベントを開催することも可能なはずだ。つまり、芸能人とファンとの交流に重きを置いているのであれば、コミケという場は正直不適切としか言いようがない。
これは、自分の推し俳優に当て嵌めて考えても、やはりコミケに出たいと言われたら絶対に全力で反対するだろうし、専用の会場を抑えてファンイベントを開催してくれた方が正直何百倍もありがたい。というか、あんな過酷な空間に推しを放り出すのはファンとしてとてつもなく心配である。
あとこれは、個人的な意思が多分に含まれるが、コミケというのはそもそも芸能人とファン交流の場ではないので、それを正々堂々と「ファン交流のためにコミケに参加したい」と芸能人が言ってしまうのはコミケを私物化したいと言っているようにも捉えられかねないと思う。やはり、ファン交流が目的ならば別の会場をブッキングするべきである。
もちろん、今年の夏コミでの叶姉妹のように上記リスクを全て懸念の上、事前のリサーチと対策を徹底的に行い、かつ準備を入念にしているというのをアナウンスをしてくれれば「そこまでしてでも参加したいのであれば…」と参加を応援する声が増えていたかもしれない。コミケに来るオタクの一部は、とてもトラブルに敏感である。そして「有名人が参加する」という事はそれだけでアマチュアサークルの何倍ものトラブル勃発の可能性を内包している。有名人とアマチュアサークルのコミケ参加にはそれくらいの差があることを、彼女のファンの方々にも是非知って頂きたい。
これは想定の話になってしまうが、発表時点で「クラウドファンディングで写真集を作成をする」という事だけが公表されていて、「コミケ参加」は当選が確定した後に発表されていれば、ここまで批判する者はいなかったように思える。もちろん、コミケ参加を発表する際には、先述のリスクに関する対策案も同時に発表しなければ結局炎上していた可能性はあるが。
毎年多数のアマチュアサークルからの応募があるが、その分落選するサークルだっている。そういった背景があるにも関わらず、確定前に「コミケに参加する」という発表をするのは「芸能人だからたぶん当選するだろう」という驕りにも見えるし、「コミケ」というキーワードを使えば話題性も高まるのでクラウドファンディングで資金集めをするネタにしようとしていたようにも見える。この辺も、オタクからの反論を買うことになってしまった要因の一つだと思う。
この辺は所属事務所の規定にも関わってくると思うが、本人のみで完全に非公式プライベートでコミケに参加するというのであれば、会社員をやりながらコミケに参加するアマチュアサークルと形式は一緒な気がするが、クラウドファンディングというのは一つのビジネスであり、実際の必要経費よりはかなり少ない額とはいえ800万円もの資金を所属事務所を通さず、大々的に公表して集めて、事務所側から何も文句は言われないのか?というところも疑問である。
コミケという場を借りててっとり早く本を出すよりも、少し時間はかかるかもしれないが、事務所と相談するなり、事務所を移籍するなりして、事務所側に彼女自身が望む企画を理解してもらえるように働きかけるべきだったのではないかと思う。
今となっては、あの発表内容に書かれていた文章が、本人による言葉なのかどうかは分からないが、ファンから集めたお金を使う以上、沢山のファンやコミケに関わる全ての人が閲覧できる場所で、あの内容を「本人の言葉」として発表する事を許容してしまったのは、一端の大人であり、女優という注目されやすい仕事をしている社会人として、あまりにも配慮が足らなかったと言えると思う。
これは、かなり個人的な意見になるが、Twitterにて批判を受けた際に、数あるリプライの中から、特に暴力的なツイートを引用して、謝罪文を投稿した事は正直ドン引きだった。彼女の元に来ていたリプライを見ていた人なら分かると思うが、その中には暴言だけでなく、建設的な助言や意見が多数寄せられていた。にも関わらず、謝罪ツイートにそれらの意見を引用するならまだしも、敢えて特別ひどい暴言を引用した意図が全く意味不明だった。
正直、自分のファンに「こんな酷い暴言を受けても謝罪しているアタシって可哀想」というアピールをしているように見えても仕方ないやり方だった。事実、その後Twitterでの論争は更に広がり、彼女の擁護派対オタクでの言い争いが巻き起こっている。こういった状況を誘発する事すら想像できなかったのだろうか。
世間には何も考えずに心無い暴言を吐く人間が山程いる。特にTwitterをやっている有名人というのは、そういう人間には格好の餌食だ。そういうのを真に受ける必要はどこにもないし、逆に相手にすることによって、相手の負の感情を助長してしまう事もあるので、そういう相手へのスルースキルを持つべきである。
逆に、彼女のことを親身に考えてアドバイスをしていたオタクやファンも沢山いたのだから、そういう意見を尊重し引用すべきだったのではないだろうか。そうすることで、擁護派の人もオタクの意見に寄り添えたかもしれないし、オタク側の理解者も増えていたと思う。少なくとも、今よりもう少し、平和な状況になってたと思う。
このTwitterでの一連のやり取りから感じた彼女への印象は、SNSの煽り耐性の無い人なんだなぁ、という印象である。仮にも34歳の立派な大人なのだから、SNSで発言すること、インターネットという世界中に開かれた場所で情報を発信する意味を、もっときちんと考えるべきだと思う。
最近この騒動を受けてか、Twitterアカウントを削除されたようだが、一旦彼女自身がSNSとの距離感を考える良い機会になってくれたら良いなぁと思う。
…以上が、一連の真木さんのコミケ参入に関する一連の騒動への所感です。素人意見なので、色々と間違っているところもあるかもしれないですが、自分なりに整理してみました。
いつか真木さんご自身が、これらの問題をすべてクリアにして作品を発表できる事になったら、その時は快く応援させて頂きたいですね…!
その日が来ることをお待ちしております。
高1の夏の定期考査前日の夜
中間テストで数Ⅰで15/100点(クラス最低点)とって死にたくなったし、長い通学時間や見知らぬ人間たちが多すぎて疲れすぎていた
僕も定期テスト初日で姉が徹夜する勢いで勉強していたから実行したのは午前4時くらい
家中の風邪薬頭痛薬、花粉症の頓服薬とか全部ひっくり返してリビングで飲んで
麻痺した両足で階段登って自室のベッドでこれで眠れば死ねると目を閉じたけど全然眠れずに数分後「これは吐くぞ」と直感してトイレに向かったが間に合わず階段で吐きながらトイレに向かって残りをトイレで吐いた
吐き終わったあと何故か賢者モード突入して、吐いたところ全部掃除して、自分の顔面蒼白を洗面所の鏡で確認して祖父母が起きてきたのでとりあえず報告
父母も起きてきて父の会社の病院に電話したが空いておらず結局救急車呼んで搬送
病院で点滴打たれて帰されて(車で帰ったらしいが全く記憶がない)朝食のあと精神科行かされてわかったようなわからないようなこと父母と精神科医が言い合って結局薬もらって帰った
重度ではないんだけど、少し走ったり、朝早くに活動したり気候が悪いと症状が出ちゃったり…などの中程度な喘息の人はどう健常者に混じって生きていけばいいのかわからないなぁ、と思う。
どちらかというと、どうしたら健常者と同等の社会生活が送れるのか?ということ(大げさかもしれないけど)
中程度というのは、発作が起きても、頓服を飲んだり自宅で気管支拡張剤のネブライザ吸入したり、病院で処置とかしたらその日のうちにおさまるレベルの人の想定。
自分も含め周りの喘息患者から聞いた中で、体を動かさない仕事でも労働に支障が出る一例として書いてみようと思う。
まず、中程度となると本当に体が悪い人のような社会的に手厚い保障は受けられない。
梅雨とか冬場にはどうしても発作が起きるから遅刻することが頻繁になってしまう。
発作で息苦しくて薬吸って電車の乗り降りを繰り返しているうちに落ち着いてきて、デスクに着く時間にはチアノーゼも治って見た目が健常者だから(ちょっと顔が白いくらい?)周りに仮病だと思われてしまう。
俗に言う自治体のぜんそく認定が認められる企業というのは聞いたことがない。
発作が起きてしまうと午前中は薬で手が震えて頭はぼーっとして眠気があって、の状態で使い物にならない。
頻繁に休むからもちろん上司に嫌われ評価が下がって賞与も下がる。
喘息ってストレスの蓄積で自律神経が乱れて大きい発作が起きるので、仕事が過度に忙しいことはもちろん、上にあげた例による精神的な重圧で余計に体調が悪くなる。
実際、自分も発作が起きて遅刻するのが怖くなり眠れなくなったことと、自律神経の乱れのおかげか知らないけど軽い鬱になった。同じような人は多いと勝手に思っている。
それでも自分は救急車で運ばれても経過観察とかでその日のうちに帰れるレベル。幼少期は入退院ばかりで、人生の全てを喘息と生きている。体が大きくなるにつれて今の具合に好転してきた。それでも自己管理できるほど軽くはならない。
主治医からはこの歳できちんと治らないのだから付き合っていくことを考えよ、とのこと。幼少期に喘息患者向けキャンプみたいなもので知り合って未だに親同士の付き合いのある友人も同じことを言っている。
多くの方々に見ていただきありがとうございます!
友人の医師の働き方が異常で見ていてつらい。
もちろん教員やSEや一部の公務員などほかにもひどい業界もあるけれど、特に、人の命を預かる仕事で、これほどひどい状態なのは、将来患者になりうる自分やほかの人々のためにも看過できない)。
※ 本文は2017年の、西日本地方都市のそれぞれ異なる自治体で働く3人のアラサー医師の聞き書きです。
自分が聞いた時点である程度脚色されているだろうし、きわめて一部のものでしかないことはご留意ください。
まず、病院によって大きく違うだろうけれど、待機や当直について。
自分の友人は月に3-4回、当直がある。
これは、最初は夜出勤して翌朝帰るシフトのことかなあ、生活リズム狂ってたいへんだなあ、と思っていたけれど、聞いてみると、1日8時半から働いて、そのまま当直で病院に残り、なにもなければ宿直室で眠れるけれどそんなことはなくて何度もたたき起こされて診察・処置する。
そのまま朝を迎えて、ふつうにカンファレンス(ほかの業界で朝会・朝礼に該当するものらしい)があって、そのまま日中勤務して、夜帰る。もちろんトラブルと遅くなる。
ただ、別の大学病院に勤めている友人のところでは、当直翌日は、半休とりやすい(もちろん有給)とかもあるけれど、それは恵まれている、という口ぶりであった。
待機というものもある。これは月に5-6回ほど、夜間や土日のオンコール体制のこと。
土日のオンコール体制は24時間。土曜の朝から日曜の朝までとか。お酒も飲めないしすぐ出勤できる場所にいないといけない。
そして、呼ばれなければ、勤務時間とはみなされないので給料は出ない。
これの呼ばれる頻度は5回に2回ほど?
日直は、土日にふつうに働きに出ること。これは月2回ほど。代休はない。
一週間にどれくらい働いているんだろう・・・。
そして、普段の勤務は、平和であれば早く帰れる日もあるけれど、患者さんの数や救急車や急患の状況によってはかんたんに22時を超えるし、時間だけでなく自分で計画をたてにくい。
ちなみに、看護師さんもまたたいへんで尊敬する仕事ではあるけれど、かれら(注:某文化により、平仮名のかれらは男女を含む)はシフトが組まれているので超過勤務が続くことは医師ほどではないと思う。
勤務時間が長く、かつ裁量の少ない仕事は高いストレスがあるとは聞く。
こういう過労・睡眠不足になりやすい状態で適切な判断ができるだろうか。
ぼくら一般市民の患者のためにも、医師の労働環境改善は必要だと思う。
時間だけではない。
人の命を救う聖職者とみなされており、暗黙の裡に自己犠牲が求められ、また称賛される。そこでは医師の健康や生活を守るという当たり前のことも自分勝手、ととられやすい。
有給はとりにくく、退職時にまとめてとると、ずっと陰口を言われる。
医局人事での転勤も多い。医局から抜けると、この地域で働けると思うなよ、と言われる(とはいえ、こう言われたけれど実際には働き口を見つけた友人はいるとのこと。日陰になるけれど)。
また、上司が資格取得のプロセスに関わっているため、明示的にも暗黙的にも要求を断りにくくパワハラがおきやすい(これは大学などのアカハラと似ている部分はある?)。
患者さんも、命がかかっていることもあり感情的だったり、反発的なひとも珍しくはなく、コミュニケーションコストが大きい。
年齢を重ねての多浪や再受験が多いほどに憧れの職業であり、また、患者さんからも先生はたくさんもらっているんでしょ、と思われるというのもある。
これはなにが原因でどう解決されるべきだろう?
これは、転勤の多さや、労働者と経営者のあいだの連続性があり対立しにくいというのはあるかもしれない。
(機会があれば応援したいし手伝いたい)
きつい状況にある医師のみなさまはうまく使ってほしい、と外野ながら思う。
ほか、職種別にタテワリな組織、IT投資への無理解やITリテラシーの低さからなる非効率さはありそう。こういうところに入るコンサルティングやシステムベンダー、たいへんそうだけれど期待。。プラクティスとか知見、知りたい。
こういう状況をみていると、医療崩壊もそら起こるし、夜間に救急車も受け入れられないのもわかる。
お金がなくて増員が見込めない現在、どうやったらいいんだろ。夜間は診療報酬めっちゃあげるとか?
東大卒の女医さんが自殺でもしないと変わらないのかもしれないけれど(現代社会への皮肉)、そうなるまえになんとかしたい。ひとまず、こういう現状を知ってほしく書いてみた次第です。
もちろん冒頭に書いたように、ほかの業界、ほかの職種にはもっともっと低い報酬、社会的地位で劣悪な労働環境のもとにいる日とも多くいるとは思うし、それらも併せて改善されてほしいし、応援しています。
( 勝手に尊敬しているmedtoolz先生がご見解を書いていただけないかな・・・)
主語が大きくて、「医師」ではなく「勤務医」についてでは、とのことでほんとそのとおりだと思う。ただ、指摘があったことを残すためタイトルは訂正しません。
辞めればいいじゃん、というコメントは、ミクロで見れば正しいのですが、医師個人の問題だけではなく、ぼくら一般市民が受けることができる医療にも影響があるので本質的な解決にはつながっていません。
また、するどい指摘としては、これを医療政策学者の津川友介氏など制度設計で解決を試みる案もあるとのこと。
少子高齢化が進み経済的にもうまくいっていない現代日本では、医療費増加で医師を増やして解決することは難しいと思う。
保守的な業界団体などからは反対されるかもしれないけれど、医療費を抑制するためにもすすめてほしい・・・。一般市民はなにができるだろうか?
ポジティブに医療費抑制を狙う政治家を応援したい(誰かいたら教えてほしい)
https://anond.hatelabo.jp/20170822181512
https://anond.hatelabo.jp/20180630150652
読みました。真剣に自分の人生と職業倫理を考えていることをすごいと思います。
自分が増田を書いて1年ほど経ちましたが、まわりで一番疲弊していた医師の友人はメンタルを病みかけて現場をはなれています。国がお金をかけて教育してきたのにこれはもったいない。
ブコメでは医者を増やせばいい、という意見もあるけれど、ますます増える社会保障費の負担を増やすわけにもいかないと思います。80歳の高齢者の寿命を1年延ばすのに若者の給与から天引きされる社会保険料はいくらなら妥当なのでしょうか。
これからは、主治医の廃止や医師以外の看護師や在宅医療の家族にもできることを増やしていく規制緩和などはありつつも、戦線を計画的に縮小していく必要があると思います。
救急は集約してお金をとる・診療の予約数を制限する・処置は通常の勤務時間内にスケジュールする・ベッドを減らす・医者が体調不良なら休んで当日は受診休むなどなど(もっとよいアイデアはありそうでしょうか?開業医と勤務医の差問題はよくわからない)。
目の前の患者の命よりも労働者の健全な労働環境を優先するといってもよいです。そしてこれによって長期的には健全に働ける人が増えることで救われる患者は増えるのではないか、とも(これは建前かもしれません)。
具体的な医療者の行動としては、消極的なサボタージュ。使命感よりも自分の体調を重視して管理職をつかったり、休んだり勤務状況を変えていく、上記労組に相談するなどよいのでは、と思います。
https://anond.hatelabo.jp/20170816125019
の増田なんだけど、現状把握とメンタルを落ち着けるために、今日までの経緯を書き残しておきたいと思う。
まず前提として、増田は統合失調症である。発症した時と比べてすごく良くなっているが、再発防止のためにセロクエルを主剤としてその他いくつかの薬を飲んでいる。そして、81kgの肥満でもある。
で、妊娠した。そうしたら5wくらいからつわりが結構ひどくて、水を飲んでも吐くような日もあり点滴をしてもらうなどしてきた。けれども食べることがちょっと辛くて、妊娠前81kgあった体重が13wの今は74kg台にまで減っている。いい感じにダイエットに成功していると思いたい数字だけど、ちょっとばかり不安。
また、メンタルを患っており肥満でもあるハイリスクは自分でもわかっているので、産科は精神科もある大きな総合病院の産婦人科にお世話になることにした。
そして、11wの検診の血液検査で血糖値が引っかかり、12wの時点で血糖値の推移の検査もしたところ、妊娠糖尿病だと診断された。糖尿の専門医による詳しい診察は二週間後。そんなに大きく基準をオーバーした値ではないので、それまでは食事制限をせず、つわりでも食べられるものを食べてくれ、との話だった。
そのことをメンタルの方の主治医に話すと、困ったなあという反応。聞いてみたら、セロクエルは糖尿病の人には禁忌の薬らしい。でも、セロクエルにたどり着くまで相当色々試行錯誤した経緯と、血糖値が基準値をそう大きくオーバーしているわけではないと言うことで、まだしばらくセロクエルを使うことにした。
それに加えて、血糖値の推移の検査をした日辺りから喉が痛む風邪をひいた。でも産科でお世話になっている総合病院に連絡したら風邪くらいなら他で受けてくれ、と言われたので、地元の内科の先生に診てもらって、トラネキサム酸を処方してもらった。一時は良くなったのだけれどぶり返してしまい、それからはトラネキサム酸が効かない。風邪を引き始めてから5日経っても治らない。夜中になっても喉の痛みと咳でろくに寝られない上に、私の咳で夫も寝られず寝不足。自分だけじゃなくて夫にも迷惑をかけてしまい辛い。多分風邪が長引いているのは、つわりでろくにものが食べられなくて体力が落ちてるからだと思う。
だからまた内科にかかろうとしたが、今週いっぱいその内科がお盆休み。仕方がないので再び総合病院に連絡し、今週の月曜日に産婦人科の先生に風邪を見てもらえることになった。そうしたらPLなんとかという粉薬と咳止めをもらい、木曜日になっても治らなかったらまた連絡してくれ、と言われた。
が、今日になって赤い糸みたいなものが模様のように入った痰が出て、咳をしてもお腹や胸が痛むようになってきて、これはまずいのではと午前中に総合病院に連絡。そうしたらなんとか明日呼吸器内科に予約を入れてもらえたが、それでも喉が痛いままなのは当然変わらないので辛い。この時点で上の増田を書いた。
辛いので横になっていたのだけれど、午後になってから左腕がピリピリと痺れ始める。ナニコレと思いつつ様子を見てたら右腕も痺れ始め、怖いので総合病院に連絡したいが今でも相当横紙破りな診察をしてもらっているのにまた迷惑をかけるのも気が引けて、まずは#7119に連絡することにした。
電話で問診を受け、妊婦であることも統合失調症があることも妊娠糖尿病であることも話し、そうしたらなるべく早く病院にかかれ、もし足まで痺れてきたら救急車を呼んでもいい、と言われた。
なのでその結果を持って再びかかりつけの産科のある総合病院に連絡。そうしたら、産科の先生に診てもらえることになり病院に向かった。向かっている途中、足まで痺れてきて本格的に不安になる。
産科の先生に今までの経緯を話し、最初に痺れ始めた左腕は手首にとても違和感を感じるくらいになっているということや、足も痺れてきて、特に右足首の痺れが強いことを伝える。
だが、痺れは息のしすぎで出ているものではないだろうか?と言われ、喉については明日の呼吸器内科で詳しく診てもらってくれ、という話で、この二つの症状については処置も検査も特に何もなしだった。でも、お腹の赤ちゃんについてはちゃんと診てくれて、心拍もはっきりしているし元気だと言われ、そして帰された。
で、今また部屋で安静にしているのだが、手足の痺れは相変わらず、今こうしてキーボードを打っていても違和感は拭えない。
夫には会社から早めに帰ってきてもらったが、夫は手足の痺れについても、医者が何もしなかったのなら大丈夫なのだろう、というように鷹揚に構えている。
だって喉が痛いのは変わらないし咳だって出るしなぜか手足は痺れている。病院でもあまりちゃんと診てもらえなかった。後から調べたら糖尿で手足が痺れるとあるのに産科の先生はその点にすら言及しなかったし。
なので不安で不安定で泣き出したりし始めているが夫は持ち帰りの仕事で忙しく話を聞いてもらいづらいので、最初にも書いたが自分を落ち着かせるためにこの増田を書いた。
書いているうちに涙は止まったが、やはり不安は尽きない。
こんな状況でも元気でいてくれる赤ちゃんに励まされるが、しかしこうやって書き連ねてみると本当に大丈夫なのか色々と心配になるレベル。