はてなキーワード: 憂鬱とは
Intelはドローンによるライトショーをパッケージで請け負っており、例えば200台のCLASSIC DRONEによるショーであれば価格は9万9000ドル(約1100万円)だ。ドローン群で動きのある立体感を実現するカスタムソフトウェアの開発、航空承認や安全性の確認、プロジェクト管理、セットアップなどが含まれる。
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2107/24/news021.html
よかった探しをするなら小山田圭吾氏にはみんな同じ見解を持って上級ソシオパスを辞任に追い込むことができたのはよかった
けど、ラーメンズの件は、人種差別やナチ関連のことはリアルで身近に感じられないことから、
(外資に勤めていてもナチの被害にあったみたいな話は聞かない。海外で生活してないと常識として知識はあっても
急にみんなの関心が薄れ、『B層なんて言葉で片付けられない深淵なる者』の声がデカくなり、非常に憂鬱な気分になった
当然、国際常識に沿って解任はされたけど、そういう問題じゃねぇだろって思う
でもネトウヨもこんなん国辱でしょ降ろせって動いてたのが見れたのはよかったかな
そして、日本のハイカルチャーをガン無視で開会式で流された ドラクエ と NieR
すぎやんを流すのはアカンでしょとネトウヨも思うも『南京虐殺』『慰安婦』『LGBT』については、
すぎやんの思想に同調するところもあるので、とにかく、すぎやん・ドラクエには触れない
『B層なんて言葉で片付けられない深淵なる者』たちはゲーム音楽が流れただけでキャッキャ
日本にはマンガレベルの『上級ソシオパス』が巣食っていることが判明したし
この『上級ソシオパス』は利権とか関係無しに暴走することが判明したし(開会式・閉会式関連)
この国は『B層なんて言葉じゃ片付けられない深淵の者たち』が巣食っていることが判明したし
この様子見てたら糖質が関連妄想起こして陰謀論で具合悪くなるのも当然
まぁリアルでくらしてると『上級ソシオパス』も『B層なんて言葉じゃ片付けられない深淵の者たち』も
圧倒マイノリティだってわかるんだけど日常の方が優先度高いからヤベー奴放置だからな
今回の開会式だってめっちゃヤバかったのに誰に顔色伺ってるのか海外の方がまともな報道してる
過激すぎる発言かもしれないけどさ、もうそのくらいしていいんじゃないかなって思うくらい人間にさえなれないナマモノが車運転してんだよね。
ドラレコが付いてるのが標準的になってる時代なのに、学ばないであおり運転する奴は人間でもなんでもないでしょ。
脳みそがあるのかもわからないし。そんな奴を社会に放置しておくのは日本にとってリスクにしかならないでしょ。
軽々しく命を奪う行為を口にするなと、良識ある増田には言われそうだけどさ、毎日のように現れるあおり運転バカのニュースと自分もあおり運転くらった事がある苛立ちがどうにもね…。
最初に言うが、まだ読んでない。
まだ、と言ったが読む予定も今のところない。
最初に見かけたのは大絶賛だった。
素晴らしかった、面白かった、絶対読むべき!というよくある賛辞の嵐だった。
ここまでは、ふーん、面白いのか、気になるなと思って見ていた。この時点では読んでみる気でいた。
次に炎上しているのを見た。
不快だ、京アニと結びつけて考えてどうたら、精神疾患にたいする配慮がうんたら。
この時点で読む気を無くした。マンガの善し悪しというより、ここまで意見が二分されたものを読むのが怖いと思ったのでやめた。
自分がそれを面白いと思おうが、不快だと思おうがその先に議論が広がっていると思うとそれが憂鬱だからだ。
もし面白いと思ったら、私は精神疾患を軽んじているってことなのだろうか。
もし不快だと感じたら、それは面白いと言う意見を否定しにかかっているように見えるのだろうか。
嫌だなと思って、とりあえず読まないことにした。
表現において、どちらの意見も存在するのは分かりきったことなんだけど、あからさまに目に付いているとなんとなく心が萎んでしまうんだなあ。やるせない。
<リロード連打前提>
・グラブルはレイド戦(多数のプレイヤーが一つのボス戦に同期して参加するクエスト)があるのに、演出が無駄に長い。
→表示を簡易表示が推奨。またwifiより光有線接続が有利。さらに簡易表示の演出を飛ばすのに「アタック」ボタンをおした直後にリロードするのが常態化
→運営は奥義チェイン発動したら2~3秒ほどリロードされてもキャラが動かなくなるリロードペナルティを設けて対応した
→リロードなしで連打できる通常攻撃の二連撃・三連撃・クリティカルなどの戦法が人気になった
→素人では「なにもしなくても秒で敵が溶ける。HPバーがまだあるとおもっても実質もうない。なにをしていいかわからない。ろくにあそべないゲーム」になった。
→古戦場道場で初心者向けに奥義編成を手ほどきするコンテンツを公式が出した
→でもどこまでいっても「アタックボタン押したらキャラが動くようになるまでリロードしてサーバーに負担をかけたほうがいいです。さもないとあなたは絶対に古戦場を勝てません」などという前提の前提は口が裂けても言えない。これ4歳以上がプレイできるゲームでしたっけ?4歳にその忖度は無理やろな~。
日中働いている人や学生も多いゲームで平日の昼時間帯、しかもブラウザーで動くゲーム。
会社で小指で古戦場画面を裏でたちあげてアタックボタンポチって古戦場走るやつの話をきいたことがある。
圧倒的多数で、反省している人間を、みんなで寄ってたかってボコボコにするのは、何がねらいなの?
被害者のメンタルに大きなダメージを与え、 その後の人生に多大な悪影響を及ぼす。
多くの被害者は対人恐怖症となり、 社会生活に支障をきたすし、 運良く社会復帰した被害者もささいな切っ掛けでフラッシュバックを起こし苦しんでいる。
社会的制裁は、まさにこれを目指してるのではないか。ターゲットのメンタルに大きなダメージを与えて対人恐怖症にさせ、社会生活に支障をきたさせ、万が一復帰してきたとしても小さなきっかけで事件の記憶がフラッシュバックする、強制的な反省のループに落ち入らせる。
「かんだあとのティッシュをポケットに入れてるのが気に入らなかった」
成人式で顔を合わせたいじめっ子本人が謝罪の言葉と共にそう語った。鼻声で喋るのがイライラした、らしい。幼いころはアレルギー性鼻炎がひどくて、ポケットティッシュを常に持ち歩いていた。校庭を走りまわるのにランドセルを背負うわけにもいかないから、ゴミはポケットに入れるしかなかった。いじめは、ガキ大将ポジションと取り巻きの2、3人から始まって、年度の終わりには教師を含めてクラス全員にみんなで一緒に笑えるエンターテイメントをもたらした。
いま思うと、彼らも俺を「更生」させようとしていたのかもしれない。俺の気色悪さの「被害」を受けてるクラス全員が「当事者」だ。部外者じゃないので「批判する」権利がある。だからみんなで寄ってたかってプレッシャーをかけたんだ。
“おまえ、キモいよ”
何度でも、同時に何人でも、同じ言葉が繰り返された。人間を追い込むのには、効率がいい方法だ。
俺が俺自身の醜態を、いつでも思い出せるように。いつでも強制的な反省のループに入れるように。
このたびの社会的制裁は、一向に終わる気配を見せない。
反省を本人が表明しろ → (謝罪) → 謝罪は被害者じゃなく自分のためだろ → 当時炎上して謝罪してればよかった…
謝罪の記事は注目を集め、事件を知らなかった層にもリーチし、様々な場所で炎上は続いていく。ゴールポストは後退し続ける。擁護した人はことごとく工作員扱いされた。それどころか最新の人気コメントによると、社会的制裁に参加しなければ「いじめに加担してる」ことになるそうだ。ひどく憂鬱な気分だよ。だってさ、あの時クラスに流れていた空気と、何ひとつ変わらないじゃないか。
自殺未遂をした去年の今頃。
はてなでそのことを綴ったら社会人はもっと辛くなるぞと言われていたのを知った昨日。
希望していた職種と全く別の所へ応募しまくり落ちまくるという奇行を繰り返した結果、就活へのエネルギーは完全に消えた。
滑り止めのような、そう出ないような企業がひとつあるが、そこのエントリーシートをまだ書いていない。
就活をしたくない、テストをしたくない、試験に出たくない、社会人になんてなりたくない、早く死にたい、誰もこの気持ちをわかってくれない。
毎日そんなことを考えながら、56分発の電車に乗り込んで扉が閉まるのを見守っている。
先生も先生なりに苦労をしてきた人なのだろうけど、どうも馬が合わないというやつなのだろうか。
心から尊敬できることはあっても、一年経った今も終ぞ人間として好きになれることは無かった。
なぜ先生を好きになれないかという理由を思いつく限りあげてみた。
・私に去年「もうやめろお前、向いてないよ」と言ってきたから
・肩を殴られたから
・妻子持ちだから
・私のことを何も知らないくせに就活の相談中「生きづらいよな」とか突然言ってきたから
・私が祖父をなくしたり、大好きな先生と会えなくなって悲しんでいることを突いてくるから
大卒とか妻子持ちはまぁもう嫉妬だが、特に最後の2つがでかいんじゃないかと思う。
時期的にも記憶に新しいし。
私の気持ちを知れる人はいない。なぜなら人間は全員自分のことで精一杯だから。
私は昔暇だった時期に人の気持ちを分かろうとして不眠症に至るまで憂鬱になったことがある。
そうなって欲しくないから人は私の気持ちをわからなくていいのだ。
だがわかったふりをしないでほしい。
「お前の気持ちはわからない、世間はお前の気持ちなんてどうでもいいんだから」の方がまだマシである。
なぜわかったふりをしないでほしいのか。
私の気持ちを理解しているといったくせに私の気持ちを少しでも考慮したらナンセンスになるであろう行いや言動をしてくるから。
結局わかるなんて嘘だから。
そしてそれに騙されてしまう自分と、理解を示そうとする人間に勝手に乗っかろうとする自分を見てしまうから。
人はよく自分を認めましょう、認めないから鬱になるのですとか言うけど認めたくないに決まっている。
騙される可哀想な私、わかってくれたくせにと暴れる私は気持ち悪くて仕方ない。
これも学生の戯言なので、もう「社会人はもっと辛くなるぞ」とかは言っていただかなくて結構です。
数年前癌になって治療して寛解して、以来3ヶ月に1度ほど病院で精密検査受けて再発がないかチェックしていた…のだけど、この度妊娠したので当分は癌に関しては最低限の検査しか受けないことになった。
夫は癌になる前からずっと付き合っていて治療中も当時籍は入れてなかったけど同棲はしていた。
治療中は仕事を大幅に減らしていたけれど、過干渉箱入り娘なのでその分親が生活費を支援してくれていた。
「人には病気の事を言うな」と親には念を押されていたので、生活費を支援して頂いている手前なるべく人には言わないようにしていた。
そのおかげで民間療法だの宗教だの、病気につけ込んで変なものを勧められる体験はしていない。
それはそれで良かったと思うんだけど、思うんだけど、
薬の副作用で辛くても愚痴る相手もあまり居なかったし彼氏(現夫)は元々他人の辛さにやや鈍感なタイプなのでしんどくてもデートに連れ回され(まぁ体調はともかく私も折角だからと割り切って楽しんだのは事実だけど)
元々私が具合悪くてもパッと見ケロッとして見えるタイプな事や私がいい歳して他人への甘え方を分かっていない事により色んな事にモヤモヤしながらもなんやかんやで寛解。
いや本当寛解して良かった。良かったけど親族やごく一部の病気を知る知人から「大した事無くて良かったね〜」みたいなノリで言われるのがマジで納得いかない。
投薬の影響で起こった神経痛や血管痛が辛くて夜な夜なシクシク泣いてたのは何だったのか。
さて今妊娠しているのはその後ちゃんと籍を入れた現夫が子供は早い方がいいと強く主張したからなのだが、私がまだ癌の予後を見てる状態なの分かってる!?
「それ言い出したら今後だってずっと再発リスク自体はある訳だし、だったら体力的にも早い方が良いのでは?」という夫の主張、
まぁそれはそうだ。私だって分かっている。
はぁ、私はそれでも「精密検査できない期間に再発したら死ぬかも」とか色々考えずには居られない。自分の命にかかわる事なんだから当然でしょ。
子供を作る作らないの話をした時に私は夫にそういう話もしたけど今の態度を見た感じだと多分忘れている。
お腹もだんだん大きくなり、手は尽くしたが妊娠線も増えてきてしまい日々自分の身体が不可逆な変化をしている事を目の当たりにする。仕方ないのは分かるが憂鬱な気分になる。
今まで割と細身の身体で人生を送ってきたので太ってきた事がそもそもストレス。太いの嫌だ。
でもね夫は私に働いて欲しいんだってさ。
財政が厳しいので。
身体つらいのに…再発云々で無意味に悩んだり、妊娠による身体の変化にストレス感じたりしてるのに…
なんやかんや書いたけど夫は不貞も働かないし私の家事にちゃんと感謝してくれて、喧嘩をしても冷静に話し合ってお互いの落とし所を探せる人です。
だから好きです。
ここまで読んで私がクソみてーな甘ちゃん女だと思った人もそれなりに居ると思います。
こんなのが母親になるとか大丈夫?とか思われそう。まぁどう思われても良いけど
あ〜〜〜〜〜〜しんど!!!!
あーーーーーーやれやれ。
結局1人でモヤモヤするなら最初から病気の事大々的に公表してこれ見よがしに体調悪いパフォーマンスすれば良かった!!!!!!!
なんつって 愚痴終わり
教員免許更新制廃止に関して、過去に免許更新をした事例を記す。
臨時で数年公立高校に勤務したあと、結婚のため引越し、子供が生まれて現在まで無職。
将来復職したかったので免許の期限を機会に通信で免許更新をすることに。
シラバスとテキストが届く。テキストを読んでレポートを書き、試験日に試験を受けて単位を貰う方式。
シラバスに誤字が多い。テキストのページ数が間違ってる。ついでに試験会場の地図に書かれてた目印の建物が更地になっててたどり着きにくかった。
教育原理は教員免許を取得する過程でどこでも履修する科目。それをテキストでもう一度読む。
初心に帰るという意味ではいいのかもしれないけど、運転免許の更新で学科試験をもう1回するような感じであまりいい気分ではない。
更にテキストの最後にはなんとなく教育と関係ありそうなエッセイがついていた。エッセイ自体は悪くないんだけど、PHPの雑誌に書いてありそうだなと思った。
選択科目はそれなりに専門の話が多かったので、改めて勉強できてよかった。
レポートはメールで提出し、試験当日に会場へ。冬だったので寒かった。
試験自体はテキストを熟読していれば難しいものではないが、テキストを読んでいないと難しかったかもしれない。
試験後、「我思う故に我ありって言ったの誰だっけ、あれ難しくない?」という会話が聞こえてくる。
試験後しばらくして単位認定の書類が届く。それから教育委員会のHPから書式をダウンロードして必要書類をまとめる。以下は教員免許更新制度とはあまり関係ないが、一連の事務作業で嫌だったことを書いていく。
結婚して引っ越しているので氏名住所変更のため戸籍抄本が必要になる。しかし本籍地が遠方のため、戸籍抄本取得に一週間ほどかかる。切手代(返信用含む)と戸籍抄本代が馬鹿にならない。
何故戸籍抄本でないといけないのか、氏名住所変更で強制的に1000円近く徴収される意味がわからない。せめて住民票ではなぜダメなのか。マイナンバーとは何なのか。無理に夫婦別姓にしなくてもいいのでこの辺の手続きの柔軟性を何とかして欲しい。マイナンバーとは何なのか。
戸籍抄本も届いたので必要書類を教育委員会に提出に行く。1歳の子供を連れて行ったのだが、受付していたのが古いビルの3階で、エレベーターなし。もしベビーカーで行っていたら詰んでいた。
何とか受付にたどり着いたところ、「別の建物で証紙を買って来てください」とのアナウンス。ベビーカーで行っていたら詰んでいた。
それから数百メートル離れた建物で証紙を購入し、また古いビルの3階まで戻る。バリアフリーとは何か。
手続きが終了し、後日正式な「更新修了確認書」という紙が届く。これであと10年の免許が保証されるらしい。
ここまでは通信で行う個人の更新事例だけど、実際に講習を受ける人の中には開催される大学に通ったり宿泊が必要なこともあるが、その交通費や宿泊費も自費と言っていた。宿泊して多額の交通費をかけて行うのが「教育原理」だ。それなら自分で必要な研修を受けたい。
個人的に意義のある免許更新にするならば、もっと革新的な講座にしてほしい。発達障害のある子供への対応法や不登校の解消の実践例、最新のクラス経営法や指導要領の読み直しから学ぶことなど、実践できる研修がいい。森有礼とか今更覚え直すことでもないだろう。10年後も森有礼のテストをするのかと思ったら憂鬱になる。実際に受講した感じだと免許更新のためのアップデートというより免許更新のアリバイ作りのような気がしてならない。
また大学に任せるのではなく、各教育委員会で開催できれば交通費や宿泊費が減らせるのではないかと思う。免許更新センターみたいなのを作って、そこに行くのは出張扱いになればいいと思う。
中国原作のソシャゲをやっていて、そこそこお金も突っ込んでいる。
そんなソシャゲで、担当声優が靖国参拝したことを理由に大陸版でボイス全削除と言う騒動が起きた。そしてまた別の声優が2020年に靖国に遊びに行っていた写真をSNSにアップしていたことが発掘されて騒動の種がまた巻かれた形となった。
個人的には保守的な志向である。靖国を参拝するのも、そこに祀られている先祖に手を合わすのも日本人に当然認められるべき権利だと考えている。
一方で靖国参拝で燃え上がる中国の気持ちも分からないでもない。例えば、原爆投下や大都市への大空襲を「早期終戦の為の正義の行為だった」と言われればカチンと来る。
「太平洋戦争はアジア解放のための正義の戦争だった」と言われれば、「原爆投下が正義だった」と言われれば自分がカチンと来るように、中国人にとってはカチンと来るのは容易に想像できる。その観点からは、炎上するのも、声優降板騒ぎとなるのも仕方ないとは思う。
しかし中国人の視点に立ってセンシティブな問題に安易に触れられたくないと言うのも理解できる。
勿論、靖国参拝については、譲歩に譲歩を重ねてきた歴代政治家と、それを良いことに歴史問題カード化して来た中国側と言う構図がある以上、もっと複雑で、それは自分のような低学歴に扱える問題ではないことは分かっている。
例えば、国産のソシャゲで、主題歌を原爆投下を揶揄したTシャツを着たことで日本の保守層から突き上げを食らった韓国のグループが担当したらどうだろうか。
当然ある程度以上の層の離反を受けて売上にも影響が出るだろう。
該当のゲームは中国での売上が、日本国内での売上の倍以上にも達する。売上規模を見ても企業としてどちらを重視すべきかは言うまでもない。歴史問題と言う敏感な問題に拡大しなくても、ボイス削除と言う判断が極めて現実的な利益追求にも繋がることも理解できる。
中国人の心情も、企業の当たり前のリスク管理としても、事情は理解はできる。
しかし感情としては、靖国参拝は日本人の信仰の問題で、歴史問題として外圧として利用される筋合いはないと思う。
一応、両方の顔を立てる手段がない訳ではない。ある中国原作のゲームでは、原爆に関連したキャラクターが、日本版ではぼかされ、関連するゲーム内グッズも削除されている。開発は違えど、日本版の運営は同じ会社だ。同じような対応は可能だろう。
日本人が過度な自虐史観から抜けてきたこと、現在の中国の脅威に対する反応として、保守的で強い日本の幻想にすがる人間は増えてくると思う。今後も同じような問題は次々と起こると思う。
あるいは時間をかけていけば、馴染んでいく問題かも知れないが、何十年もかけて両国の政治家がこじらせてきた問題だけに、解決もまた何十年も掛かることだろう。少なくとももう中年を超えた自分が生きている間には、きれいな解決は望めない。
考えれば考える程憂鬱になる。しかし思考を停止してどちらか一方だけの主張だけを聞けばいい問題ではない。だから考え続けている。
あるいは、もっと聡明な人間であれば、双方の感情と事情を鑑みて、きれいな落とし所を提案できるのだろうか。自分にはできないがあるいは誰かなら。
引っ越す。だから光回線の契約を持ち越しか解約かすることになった。
いざ解約しようとすると、どうしていいのかわからん。散々ググって、必要なIDは最初に届いた用紙に書いてあるだけだと分かった。
プロバイダ・NTTともユーザーページもあるようだが、ログインするにはその紙のIDが必要。プロバイダのログインは手が込んでいて、ネットにつなぐID・パスワードではだめで、プロバイダ発行のメールアドレス・パスワードが必要らしい。
つまり、必要な情報は徹底して紙に限定してる。デジタルな話のはずだが、メールを漁っても手掛かりはなく、ログイン情報の復旧はweb上ではできず。紙をなくしたら、コールセンターに電話するしかない。明日朝電話するつもりだが、そこでも電話が繋がるまで15分くらいは待たされるだろう。そこからまた無意味に不条理にたらい回しされるんだろう。と被害妄想は膨らむばかりだ。
解約しづらいスキームを組むのは、日本のビジネスマンの悪癖だよな。目先の利益を、ユーザーの不利益と交換する。Amazonだのが「顧客満足最優先だ!」といって伸びてきた現代はまるで目に入らないかのように、どうしたら嫌がられようとも売上を作れるか。
「解約率を下げろ」というニンジンを与えたら、なんでもいいから下げる。「そうだ、解約ボタンを奥の方に置けばいい!」とクソみたいに閃く。ざっくりいってすべての商売は「なにがしか世の役割を担って金もらうよ」という成り立ちをしている。だがそんな本筋はどうでもよくなり、解約率を下げる手段に気付けばそいつはエースだ。
後ろめたいような手段であるほど、「仕事は真剣」「遊びじゃない」「大人の世界は甘くない」といった、割り切り=カッコイイ図式の中で謎に正当化される。「あれ、世の役に立つというか、妨げてない?」みたいな現象は、見えていないし、そんなのは「大人の外側の甘っちょろい話」となる。(便利さを全面に押し出して大成功を収めている、Amazon, Netfix, Tiktokなどの成功譚のお陰で、ジャパンを覆う謎の「オトナ・シゴト・カッコイイ幻想」は滑稽この上ない形に仕上がった)
戦闘機に出撃させても戦果が上がらず、しかも帰還も望めないような状況があったとしよう。
それは既にどうしようもない状況なのだが、そこでマジメなやつが「そうだ閃いた!駄目で元々なのだから、体当たりした方がマシだ!もとより悪くなることはない!これだ!」と考える。そして目を覆う地獄が展開する。
現場の担当者、部分的な責任者の仕事なんざ、その程度のことなんだよな。「そもそも無理な状況だな。講和だな」などといった考察は任されていない。
だが「駄目でした」と言えばいいところで、無駄に一生懸命に、無茶苦茶なソリューションを閃きやがる。「これに掛けてみよう」なんて空気になる。それが精神的に抵抗感のある、一見コスパが悪く見える、自己犠牲的なモノであった場合、なにか免罪のような効果を持つ。むしろカッコイイ。「それができるやつ、さすが」なんて話で盛り上がる。涙する。そのとき誰も、戦果も全体的な勝利も見据えようとしていない。結果、「無理そうな情勢ですよ」というリアルな報告は上層まで届かず、地獄は地獄のまま放置される。報告は「みんなこの上なく頑張っているのですが、、」などと言い添えたそうな口調だ。涙だ。戦局分析ではなく、涙だ。止めたくなるほど知る者は「それは自分の仕事ではない。職掌を犯すなどあり得ない。自分の持ち場で全力を出せたか?俺は全力でやれたのか?」という点のみに腐心して努力そのものだけを完遂しようとし、止めるべき者が止めるべきであることに気付く日はこない。クソだ。
とことん俯瞰して考えることができないんだろうな。んでよくわからん「努力至上主義=頑張ってる感じな他はどうでもいい主義」が蔓延する。
今朝、自分で間借りしている事務所に出社するため歩いていたところ、ふとパチスロをやっていた昔のことを思い出した。
今はもうパチスロは打たないが、自分が投資を始める上で必要だった100万円ほどの資金は、パチスロから生み出した。
しかし今でも自分は、ギャンブルや投資に不向きな性格であることを自覚している。
自分がパチスロをやっていたのは15年も前のことなので、今は少し仕様も変わっているかもしれないが、人生を変えたいと願うすべての人に、何らかのヒントを与えられればと思い、当時の攻略法を書いてみることにする。
損益はトントンか、やや負けていて、7年間のトータルで見れば間違いなく負け組に位置していた。
投資の元手となった100万円をパチスロで生み出した。と言っても、トータルではパチンコ屋に吸われていたお金の一部を取り戻しただけに過ぎないのかもしれない。
合理的・論理的な人はギャンブルの確率論を忠実に実行し、パチスロでも安定して勝ち続ける。
しかし自分はどこにでもいる「普通の人」だったので、合理的・論理的な立ち振る舞いの出来ない負け組だった。
18時という時間はサラリーマンがパチスロで勝つ上ではとても適した時間だ。
夕方ごろになると、朝からパチスロを打ち、ある程度のメダルを獲得した人が、疲労や用事などの理由で席を空けはじめる。18時ごろから打ち始める自分は、「その日ある程度の実績を出した台」にすんなり座ることができるのだ。
1.ある程度回転している台(半日くらい誰かが打っていたと思われる台)
2.REGの回数が多いなど、当たり回数と総回転数を割り算して高設定が見込まれるもの
3.シマ(同じ台が並ぶ1列)の中で、1番目か2番目にBIGやREGの回数が多い台
※2.について、事前に機種ごとの機械割(出玉率)を把握しておく必要がある。高設定台はREGボーナスを引きやすいスペックになっていることが多い。機械割はパチスロメーカーの公式サイトで公表されている。
狙う機種は何でも良いというか、限定しないようにしていた。
地味な機種も、派手な新台もすべて、設定が高そうかどうか?で打つ、打たないの判断をしていた。
負け組だった頃の自分は、休日の朝イチからパチスロを打つのが好きだった。しかし、朝イチから打つよりも、既にある程度回転し、実績のある台を18時から打つ方が成績が良いことに気づいたのは大きかった。
1日の仕事を終えて、クタクタの状態でパチンコ屋に行き、仕事のストレスを発散する。
勝てばスカーッとするし、負ければ憂鬱な気持ちで帰宅し、次の日も朝から仕事に向かうことになる。
パチスロで負けている多くの人がこのような生活を続けているのではないだろうか。
自分が勝てるようになった要素の2つめは、打てる台がないときは勇気を持って帰宅するということだ。
仕事でクタクタの状態でパチンコ屋に入り、豪快なサウンドと積み上がったメダルを見れば、打たずにはいられない。
そうした気持ちを抑え、一度パチンコ屋に足を踏み入れ、打てる台がないかを冷静に確認し、条件に見合う台がなければ何もせず、そのまま退店するのである。
※打てる台とは、先ほど①に挙げた「1.ある程度回転している台(半日くらい誰かが打っていたと思われる台)」、「2.REGの回数が多いなど、当たり回数と総回転数を割り算して高設定が見込まれるもの」、「3.シマ(同じ台が並ぶ1列)の中で、1番目か2番目にBIGやREGの回数が多い台」の3つの条件を満たす台だ。
しかし、自分のようなごく普通のパチスロの負け組にとっては、入店後、何もせずに帰るなどという行動はとてもつらいことなのだ。
でも、これができるようになることが、勝ち組への大きな一歩につながるのである。
当時の自分がテリトリーとしていた、「出玉が期待できて上手く立ち回れば勝てる店」は3店舗あった。
まず最初に自宅から一番遠い店に足を運び、打てる台がなければ次の店に行く。
2番目の店でも打てる台がなければ、最後に自宅から一番近い店に行く。このようにして、少しずつ自宅に近づいていくようにしていた。
そうでもしなければ、もし3店舗まわって打てる台がなかったとき、帰宅途中にあった第4の店、第5の店にフラッと入ってしまうかもしれないからだ。
自宅から一番近い3番目の店でも打てる台がなければ、「帰ってテレビでも見るか。」と、寄り道せず家に帰るのだ。
打たずに家に帰っても、もんもんとしてしまうのがギャンブル中毒の症状だ。しかし当時は、「良い台がなかったのだから打たずに帰って正解。」と、何もせず自宅に帰った自分を誇らしく思うようにしていた。
パチスロを打たずに家に帰れば当然、勝つことはできない。が、負けることもない。
そして負けることがなければ、気持ちは穏やかだ。
店を3件はしごして、打てる台が1つもないということもたまにはある。
そのようなときには、無駄な資金を投じることなくまっすぐ家に帰る勇気を持とう。
当時、1日の軍資金は2万円としていた。
今はどうかわからないが、当時は2万円あれば大抵、一度は当たりが引けた。
2万円というのはその程度の資金量だ。
ここからは、パチスロの勝ち組からすれば非合理的・非論理的なやり方になる。
しかし、自分のような普通の人の性格には、このやり方がとても良い結果につながった。
ポイントは、「その日、気分良く家に帰る。」ことを第一の目標にしていたということ。
言い換えると、「負けなければ、おのずと勝ちになる。」ことを大切にしたということだ。
高設定と思える台を確保したら、1日の軍資金2万円を使ってパチスロを打ち始める。
何も当たりが引けずに2万円が溶けたら、ため息を吐いて帰路につくだけだ。
ただ、決して追い銭はしない。これは徹底した。つまり、1日の最大損失額を2万円に抑えるようにした。
次に、軍資金の2万円以内で当たりが引けて、その後も順調に当たりを重ねたときは、当然閉店まで粘る。閉店まで出玉が止まらず、18時から打っても5万円以上のプラスになることもたまにはあるはずだ。
しかし、最も多いシチュエーションは、何度か当たりを引いても、その後、途中で当たりが引けなくなり、手元のメダルが減り始めることだろう。
このとき、自分が徹底した行動が「投資額を回収することを最優先にする。」ということだ。
ここが、勝ち組にとっては理解できない非合理的・非論理的な部分である。
例えば、2,000円で当たりを引き、ある程度メダルを積み上げたは良いものの、その後当たりがピタッと止んで大ハマリした場合。このような時は、今のメダルを換金すればいくらになるか?を計算し、投資額である2,000円分のメダルを残したところで、負けを認め、2,000円分のメダルを換金するようにしていた。
パチスロ経験者からすれば、2,000円分の少量のメダルを換金するなど、アホらしい行為だと思えるだろう。
「換金するぐらいなら、全部飲まれてから止めるわ。」という意見が大半だと思う。
しかし自分からすると、メダルを換金せず最後まで打ち続けて飲まれたら、その日は2,000円の負け。気分悪く帰宅することが確定する。最悪の場合、心理的に追い込まれて全部飲まれてから追い銭をやってしまいかねない。
逆に、負けないことを最優先にし、2,000円分でもメダルを換金すれば、その日は1円も負けることなく気分良く帰宅することができる。
この違いはとても大きかった。
別のシチュエーションについても述べておく。
仮に初期投資15,000円で当たりを引いて、6,000円相当のメダルを獲得したものの、その後それが全部飲まれたら、追い銭はせずに退店する。「今日は15,000円の負けで済んだ。5,000円手元に残って良かった。」と考える。
仮に初期投資15,000円で当たりを引いて、その後2~3度当たりが続き、2万円分のメダルを獲得したとしよう。このようなときは、これまでの出目から「この台は高設定ではない。」と判断した場合は、5,000円の勝ちで勝ち逃げ。「今日は5,000円も儲かった。これで十分。」
まだ設定の判別がつかない場合や、ある程度の高設定が期待できる場合は、獲得した2万円分のメダルのうち、5,000円分だけゲームを続け、メダルが残り15,000円分になった時点で換金してプラマイゼロで退店。「初期投資がかさんだが、プラマイゼロで逃げ切れてよかった。またチャンスはあるはずだ。」
座った台が例え設定6っぽかったとしても、負けないことを最優先に考えて立ち回った。
そして、ときに2,000円程度の少額で当たりを引き、その後も連鎖的に当たりが続いたときに、大勝し、収支が大きく上向くという流れで利益を積み上げていった。
もちろん、一度席を立ったら他の台にははしごせず、退店する。
18時を大きく過ぎてからのゲームは、閉店時間を考えると不利になるからである。
「引き寄せの法則」というものがあるが、常に自分を気分の良い状態に置いておくことが、運を引き寄せるのだ。
引き寄せだ。運だ。というと論理性に欠けるので、現実に置き換えて説明するとこうだ。
心理的に追い詰められることなく、心理的な余裕を保つ行動をとることで、次回以降のゲームにおいて冷静な判断を続けることができるようになる。
ファイナルファンタジーでいう「バーサク状態」のようなものである。
冷静ではない彼らはいつも、足元をすくわれてカモにされる。
今、自分は個人投資家として生計を立てているが、ギャンブル・投資のどちらも「冷静でない人間から冷静な人間への富の移転」によって成り立っていると思っている。もしかするとこれは、日常生活やビジネスシーンなど、あらゆる局面で共通することかもしれない。
だからこそ、すぐに冷静さを失ってしまう自分のような人間は、たとえ非合理的・非論理的と言われようとも、心理的な優位を保つことを第一に考えるべきなのである。
ギャンブル中毒者は冷静でないからこそバカのように見えるだけであって、冷静であればどこにでもいる普通の人なのである。逆に言うと、どこにでもいる普通の人は、冷静さを失えば誰でもバカになってしまうのである。
最後に3つほど、パチスロで勝つ上で基本的な内容を補足しておく。
1.不人気店で打たない
当時の自分はコミュ障だったので、客の少ない、がら空きのお店でパチスロを打つことに居心地の良さを感じていた。
しかし大抵、客が飛んでいる店は「出さない店」なので、そうしたお店で打つ価値はどこにもない。
勝つためには、上手く立ち回れば間違いなく勝てるだろうという人気店だけを厳選すべきだ。
2.回転数の低い台で打たない
18時からパチスロを打つ場合、回転数の低い台を狙ってしまう。これも負け組の発想である。
言い換えると、処女の方が魅力的に見える。まだふたが開いてない箱の方が、何かすごいものが入っているのではないかとワクワクする。この考えは捨てよう。
パチスロで勝つためには、ある程度回転していて、実績が出ている台を狙う方が確実だ。
負け組だったときの自分は、回転数の低い台が持つ「隠れた魅力」に惑わされ、積極的にそうした台を選んでいた。
しかし、当たり回数が多く、総回転数が多く、当たり確率が高い台を18時から打つようになり、勝率が飛躍的に上がったのである。これは合理的に考えれば当然の話だが。
3.収支管理の徹底
就職活動も、趣味の音楽も、人間関係もとにかく全部に疲れた。苦しい現状を嘆くことすら面倒くさい。
自分の生きている人生そのものにうんざりしている。一念発起したところで自分は自分で、いつまでも救えない愚かな怠け者で、わかっているくせに克己心のかけらも芽生えないあたり本当に救えない人間なんだと思う。
何が悲しいのかすらよく理解していない。自分が嫌いなのか、知人が嫌いなのか、労働が嫌いなのか、社会が嫌いなのか、人間が嫌いなのか。あらゆる全てがなんとなく嫌いだ。誰のことも許せない。狭量な自分のことが一番許せない。
環境に恵まれていたって結局自分は自分で、もし心身ともに豊かに育つことができていたって、今と同じどうしようもなく情けない自分になっていたと確信している。だって今の自分より苦しい過去を背負っていても、今頑張って幸せに生きている人がたくさんいるんだから、じゃあ現状の自分の不幸は自分以外の誰のせいと言えるだろう。
つらいことから逃げれば勝手に幸せになれると思ってた。待っているのは虚しさだけだった。就活のストレスから逃げても、大学を卒業して単位の心配から解放されても、心はずっとなんとなく憂鬱だった。その憂鬱すら怠惰を正当化するための言い訳に違いない。落ち込んでいれば頑張らなくたって許されると思っているから、だから周りの人に励まされるとイライラするんだ。
人並みに生きている真っ当な人たちへの嫉妬が抑えられない。頑張って生きてるからそのご褒美として彼らは幸せを得ているのに、ずるいと思ってしまう。親の脛かじって生き延びている俺の方がずっとずるい。わかっている。
行動しなきゃなにも得られないのは当たり前のことで、だから手を動かそうとしているのに、その手を自分で止めている。どうせ報われないさ、そんなことやって何になる、と、また無気力を正当化する。
従兄は20歳専門学生男。父親はおらず、母親、祖父母とともに暮らしている。
従兄とその彼女の間に子供ができたらしい。彼女のことはよく知らないが働いているらしい。
従兄は専門学校で資格を取る勉強をしつつ、私の父の会社で修行を兼ねてたまに手伝いをしている。
私の母のもとに連絡があったようで、母も父もはじめは戸惑っていたが、なんだかんだ「良かったね」と言っていた。
私はというとドン引きした。ええ?学生で学費も何もかも祖父母に出してもらってて学生デキ婚することの何がめでたいの?と。
従兄は昔から勉強は苦手ではあったが、将来やりたいことのために努力していたし、資格のために深夜まで勉強を続けたりしていて、私も素直に応援していた。いっちゃ悪いが、こんな馬鹿なことをするとは思わなかった。
とは言ってももう20歳、学校やめて働いて奥さんになる人と生まれてくる子供養います。というわけでもなく、学校には通い続けるらしい。
まったく祝福する気持ちになれない。だいたい、20歳にもなれば何をしたらどうなるかっていうのが分かるじゃないか。
私も学生の身分であるが青春や色恋とは無縁の人生を送ってきたので、誰が好きだから結婚したいとか、誰の子供が欲しいといった気持ちがまったく分からないが、それを差し置いても何かおかしな感じがするのは気のせいか。
私の母は「まだ学生の従兄と右も左も分からない彼女さんのためにできることをしなくちゃね」とやる気満々で、下手したら子供を家で預かって見るなんてことが起きそうで憂鬱である。
従兄の結婚に対する気持ちとか関係なく、私は子供が大嫌いである。
結婚式にも出たくない。祝福するつもりのない人間が式に出ても失礼だし、イトコなんて出席しなくても大して問題ないだろうから、向こうには課外授業があるとか言って欠席したい。
まあ、私は子供産む気も結婚する気もないし、私も従兄もひとりっ子なので、元気なうちにひ孫の顔を見られる祖父母に対しては「良かったね」と思う。
友人に会い稽古をした
コロナの宣言等で最近稽古が出来ていなかったので良い運動となった
出掛ける前は面倒だし中止してもらおうかと考えたが土壇場過ぎたので諦めて出掛けた
稽古すればそれまで憂鬱だった気持ちもどこかへ行きアクティブな気持ちへとかわったのでやはり運動するのはいい
2年前もそれを話していたしこれも夢物語になるのだろうと思い、カメラの購入、アカウントの有無、動画制作工程を確認していく
分かったことは
・カメラはこれから買う。スタビライザー3軸ジャイロをまだ買ってないから撮影をしていない理由だった
→なのでiPhoneでの撮影を提案。スタビライザーはひとまず無しで撮影してみて手振れが酷ければ購入検討としてみては?と提案
→なのでアカウント作成手順が書いてあるサイトを紹介。解散後アカウント作るように伝えた。
→どれぐらいの動画を作るのか分からないのでひとまず撮影してみて、と伝えた。
自分はオンボロノーパソでaviultで編集して投稿していたのでiPhoneでの動画作成はよく分かってないので今度会うまでにエアプにならないように調べておかなければ。iPhoneだけで動画撮影、編集、投稿まで一台で完結出来るそうだがよく分かっていない。
友人が収益化通ったら飯奢ってもらう予定で色々教えていく予定。
自分のスペックは動画投稿はしてて、とあるジャンルのチャンネルで登録者270人程と自分のゲームの録画を保存目的で投稿する登録者0人のチャンネルの二つを持っているからある程度の投稿までは教えられるがバズるのは無理なので友人のコンテンツ力に期待するしかない。