就職活動も、趣味の音楽も、人間関係もとにかく全部に疲れた。苦しい現状を嘆くことすら面倒くさい。
自分の生きている人生そのものにうんざりしている。一念発起したところで自分は自分で、いつまでも救えない愚かな怠け者で、わかっているくせに克己心のかけらも芽生えないあたり本当に救えない人間なんだと思う。
何が悲しいのかすらよく理解していない。自分が嫌いなのか、知人が嫌いなのか、労働が嫌いなのか、社会が嫌いなのか、人間が嫌いなのか。あらゆる全てがなんとなく嫌いだ。誰のことも許せない。狭量な自分のことが一番許せない。
環境に恵まれていたって結局自分は自分で、もし心身ともに豊かに育つことができていたって、今と同じどうしようもなく情けない自分になっていたと確信している。だって今の自分より苦しい過去を背負っていても、今頑張って幸せに生きている人がたくさんいるんだから、じゃあ現状の自分の不幸は自分以外の誰のせいと言えるだろう。
つらいことから逃げれば勝手に幸せになれると思ってた。待っているのは虚しさだけだった。就活のストレスから逃げても、大学を卒業して単位の心配から解放されても、心はずっとなんとなく憂鬱だった。その憂鬱すら怠惰を正当化するための言い訳に違いない。落ち込んでいれば頑張らなくたって許されると思っているから、だから周りの人に励まされるとイライラするんだ。
人並みに生きている真っ当な人たちへの嫉妬が抑えられない。頑張って生きてるからそのご褒美として彼らは幸せを得ているのに、ずるいと思ってしまう。親の脛かじって生き延びている俺の方がずっとずるい。わかっている。
行動しなきゃなにも得られないのは当たり前のことで、だから手を動かそうとしているのに、その手を自分で止めている。どうせ報われないさ、そんなことやって何になる、と、また無気力を正当化する。
翼を授けてもらいなさい、赤べこに。