はてなキーワード: 優等生とは
小中と、私は優等生だった
しかし、筋の通ってない・納得出来ないことには出来る限り論理的に反論できた。
毎日7時間程勉強して成績も常にトップ圏内、毎回とは言わないけど1位になったこともある。
友達は少ないけどちゃんと居て、スポーツは苦手だけど勉強は好きだったので気にならなかった。
とんでもなく自惚れてた
最初は良かったのに一握りの成績優秀者が入れる進学クラス(他クラスに比べ人数が少ない)に私は入れなかった
普通の進学者が集められるクラスには入れたけどそんな進路希望の内容で集められただけのクラスじゃ納得出来なかった
テストの成績も常に良かったが、担任の先生曰く「男女比の関係じゃないかな」とのことだけど実際の理由は不明
今思えばたったそれだけのことで、全てがどうでも良くなって欠かさず続けていた勉強を辞めた
私は天才じゃなかったから、努力を止めた途端成績はどんどん落ちていった
こんなことならそこそこの学校で優等生続けていたかったと何度も思ったけど今更遅い
親がうるさいので一応国立大学に入ったけど熱は戻らず
特別可愛い自覚はないけど、痩せ型の割に胸が大きいのでセフレには最高だと言われたことがある
成人した辺りから知り合いとヤるのに飽きてしまい、今じゃ小汚いオジサン捕まえてタダでエッチしてる
それも最近では飽きてきて勉強を少し頑張るようになったけどもう遅かった
ばらまいた連絡先からひっきりなしに連絡が来る
どんなに嫌いな相手でも拒まないことにしてるので今日もサボって昼から嫌いな男とデートしてくる
痴女って良かったのは昔に比べて比較できないくらい美人になった点かなぁ
imageの発音は/ˈɪmɪdʒ/ カタカナで書くならイミッジといった辺りだ
できないが,それにしたって/ˈɪmɪdʒ/をイメージは乖離しすぎだ
このイメージ問題は,「lrがどっちもラ行」や「thがサ行になっちゃう」とは根本的に異なる部分がある
lrやthは純粋に発音の問題だ 原因は日本語にはそういう音がないからだ
にもかかわらず「イメージ」になったのはimageという綴りが原因だろう
-ageという語尾はいかにも/eɪdʒ/(エイジ/エージ)と読みそうだが,実際そうなるのは1音節のage,stage,page等々とengageぐらいで,多くは/ɪdʒ/になる
ただでさえ例外的なうえにaを/ɪ/(イ)と読むのはかなり「不自然」なのでエージが定着したのだろう
-ageで終わる単語は多いので,イメージ問題も広範囲に波及する
ランゲージ,メッセージ,ダメージ,パッケージ,アベレージ,コテージ,アドバンテージ,ストレージ,マネージャー,……
特筆すべきはガベージコレクションのガベージ(garbage)だ
発音/ˈɡɑrbɪdʒ/から考えるとむしろガの方を伸ばすべきだが,ガーベージだとおさまりが悪いからかこのようになっている
一方-age語尾の(私の思想に基づく)「優等生」はキャリッジ(carriage)とマリッジ(marriage)だ
直前のiに引っ張られた結果と思うが,「キャリエージ」「マリエージ」となってもよさそうなのにイッジに落ち着いている
中間的なものとしてビレッジ(village),レバレッジ(leverage)というパターンもある
ガレージ(garage)はまた別の話でむしろマッサージの仲間だったりする
繰り返しになるが英語の発音をカタカナで正確に表すことはできないわけで,イミッジも十分/ˈɪmɪdʒ/からは「かけ離れて」いる
小中まで一応先生の前では優等生判定受けるほど真面目にしてたのに、高校入ってから病気なって単位制高校に転校した。
1度は死ぬかもと言われたけど、AO入試のお陰で大学には通えてる。
あまり深い友達付き合いをしないから結婚なんて夢のまた夢と思っていたけど、
まあ就活がどうなるか分かんないし、彼氏だって今の時代確約された存在じゃないのは分かってるよ。
高校が順調に卒業できれば入学したはずの大学よりは偏差値かなり低いしね。
でも、どん底になるかと思えた高1の頃、想像してた未来よりかなりいい人生送れてる。
もっといい人生とか後悔がなくて、今の人生結構満足してるんだな。
何とかなるもんだなあ。
邦画みてて演技だめだわと思うのは気持ちを示そうとしたり自然な行動をするはずのところが
絵に映って舞台に上った時お客さんからみてどういうことがしたいかわかりやすいように演技してるように見えるところ
気持ちを伝えたい相手に手を伸ばすとかあったとして肩からはいってつま先でたつような伸ばし方とか
ふつうつかむためとか届くために伸ばす手ってつかんだり届いたときに次の動作をするための体をなして
手をのばしてるはずなのにただ手がのびている表現を演劇の教科書通りにしているとことか
どんびきって軽く顎をひいてだまりこむ とかできないものだから「どんびきだよ」と大声で前のめりに
目をむいて相手をみるとかされても困る
いちいち言葉でとなえて動作をふりつけて状況説明するのが演技ってところからはなれて
外国語で演技するとおなかすいたをおなかおさえて肩を落とすとかではその国でつたわるのかどうか
というところからも伝えるテンプレ動作より「伝わるという日常を演じる」のが上手にみえるかもなっていうところは感じる
邦画がダメっておもうのは舞台で演技をわかりやすくするために演劇の教本通りにする優等生がやってるところとかとあいまって
髪を染めたスカジャンのワルがよわそうにイキがるキャラがなぜか悪役側をしめすためにいる脚本とか
途中経過や風景を流しながら哲学かたるシーンを重要視したりするとか
つくってる側みんながお客をみて お金を払って身に来てくれるんだからそれだけの特別でスペシャルな造形物をみせてやろうとしてるとこだとおもう
海外の映画はどっちかっていうと「日常にこういう無茶があったらおもしろいんじゃない?」ということを
金と時間をかけて「あるはずがないことがある日常」みたいな方向でつくってるとこが好き
個人差なんだろうけどとりあえず自分は映画や劇が「映画とか劇」だということはわかっているので
説明とかパントマイムはいらないんで自然にそっちの世界でそっちの一般市民を演じてほしい
朝に弱過ぎる私の半生について語りたい。
幼稚園時代
朝に弱い傾向は覚えてないが、この頃から超面倒臭がり屋。
確か、年長くらいまで母に着替えさせてもらっていたと思う。
母に、「こんな年になってお母さんに着替えさせてもらってるのなんてあなたくらいよ」と言われるけど、平均的な園児の平均的な着替えのスピードなどは分からない。
小学校時代
基本的に間に合わない、起きれない。
小学1年生頃くらいまではまだちゃんと登校班に間に合うように行っていた気がするが、学校が好きではない事もあり、徐々に「登校」に燃え尽きていく。小学6年生になる頃には、半分以上登校班に間に合わなかった。そういう時は、1人で走って学校へ行った。夏休みの朝のラジオ体操は、2回くらいしか行ったことがない。毎日行っていたという人がいるが、私とは全く別の種の人間だと思う。
中学校時代
ギリギリ登校。遅刻をする人がクラスメイトから悪口言われているのを見て、頑張って登校するが、やはりギリギリ。早く起きれないから、女子で仲良く登校しているグループに入れなかった。
無理やり身体を起こして、半分寝ぼけたような顔で学校に来るから、よく笑われた。髪とかも、ボサボサでみっともない事が多かったと思う。体力がなくて部活は辞めてしまった。夏休み、冬休みの部活の練習も、行く気になれなかった。中3になり、受験で塾に行くが、せっかく授業料払っているのに疲れて寝てしまう。勉強したいのに、身体がついていかない。ここら辺から、学校に行けないことが増えて行く。遅刻も増える。このあたりでうつ病っぽくなってしまった。志望校には受かったものの、おそらくこの時期に大きく心と身体を損ねてしまったと思う。
高校時代
眠い。授業に全く集中できなくなった。登校は、良くてギリギリでほぼ毎日遅刻。遅刻する自分が嫌で、遅刻する事に何か言われるのも嫌で、自己嫌悪もひどくなっていくし、登校日数すら危うい。学校生活に支障を来していたので、この頃から心療内科に通う。夜眠れる薬をもらったが、効きすぎて翌日さらに眠かったり、元気を出す薬も効きすぎて躁転したりした。本で発達障害のことを読んで、私はADHDではないかと医者に言ってみたら、やはりADHDだった。しかし、当時はリタリンが規制されてしまった時期で、ADHDの私の症状に処方する薬はなかった。
死にそうになりながら、受験シーズンがきて、やはり塾に通う。先延ばし傾向の強い自分は、塾に行かなければ勉強しないと思った。しかし、やはり言われたことをできない。夏期講習も、参加して勉強したいのに、起きれない。勉強のできる男子が、私のことを批判して、本当に辛かった。詳しくは書かないが、彼の言動は何年もトラウマになり、私を苦しめた。結局学校自体の成績も悪く、偏差値も伸びず、私は浪人してしまった。
浪人時代
再び、眠い。勉強しようにも、様々なトラウマが蘇る。しかし、週2で予備校に通っていたものの、週5回毎朝起きて、学校に通うという習慣がなくなったのは良かった。予備校は夕方だったから。元々面倒くさがりな私が浪人で勉強するわけもなく、よくネットをやっていたので、家族からも批判された。しかし、座ることさえ苦痛になった私が、せめて熱中できるのが、ネットと本だった。
英語の音読はとりあえずやっていたが、私が早稲田や慶応、マーチにも受からないことは明らかだった。そもそも、この状態では社会人にとしてやっていけるかさえ危うい。「社会人になったら大変だよ」「社会に出たらそんな事は許されない」みんな言う。今でさえ大変なのに、これからもっと大変なのか。私は、本を読んだり、知識を頭に入れることが好きだ。だから、大学には行きたい。しかし、その先、働いたとしても、上手くいかないのではないか。
いつでもベットと本があった浪人生活。こんな風に、生きていけたらなあ。
昔は大学を卒業して無職で家にいる女性は「家事手伝い」と呼ばれ、それなりにいたらしいが、今の世の中だとそれでは「ニート」だし、聞こえも悪い。家族も私の将来を心配するだろう。
もう一つ、大学卒業後「家でゆっくりする」生活を手に入れるとしたら、それは専業主婦になることだ。そして当時、婚活、という言葉が流行り始めた。結婚できない女性が増えているらしい。そして、奥さんが専業主婦できるくらいの年収の男性も減っているらしい。ならば、早いうちに準備しなければ。稼げて、かつ、生涯を共にしてもいいと思えるほど愛せる人など、きっと何年かに一度しか会えない。私は、こんな私をバカにし、理解しない家族や、嫌な思い出のつまった家を早く出たい。新しい家族が欲しい。幸い、私はまだ若く、容姿も良い。私の最大の武器。
志望校は、早稲田や慶応も受けたが、もちろん撃沈し、あとは男ウケの良さそうな女子大を受けて、その中の一つに合格する。この頃から婚活を意識して志望校を選んでいた。(本当は高学歴の学校に受かるのが一番良い。優秀な男にたくさん出会えるから。)
受かった女子大は家から遠く、やはり朝がキツかった。2限より前の授業に遅刻せずにいけたことなんて、数えるほどしかないと思う。お嬢様で育ちの良い女子大生たちは、ほとんど授業をサボらず、皆真面目だった。服も髪もメイクも、本当にみんな綺麗。その中で遅刻しがちで、寝ぼけた顔で大学に行くのが嫌だった。相変わらず、どうしようもなく朝が苦手だった。もう、遅刻することとか、何か色々言われるのが嫌で、大学ではほとんど友達を作らなかった。
サークルには入った。音楽が好きなので、軽音サークルでボーカルとギターをやった。先輩になってくると、バンドを組んで、バンドリーダーという立場にもなった。歌とギターが上手くなりたくて色々頑張ったこと、人前で大きな声で歌ったこと、ギターソロができるようになったことは自分の中で大きなプラスの経験になった。ここで、念願の優秀な彼氏もできた。男子校育ちでモサかったので、そこは私が磨いた。彼氏にもメンタル的に支えてもらい、いろんな事に挑戦するようになった。飲食店のバイト。ギターを習う。ボランティア。読書会。浪人してしまったが、やはり大学には行って本当に良かったと思った。
就活
大学3年生の終わり、就活の時期がやってくる。ここでまた、私の朝の弱さと先延ばし傾向が炸裂した。
まず、ESが書けない。面倒くさい。要領の良い人は、「一応受けとく」レベルの会社でも、さーっと書いてさっと出す。私は、書けない。やりたくない。夜、書こうと思ってPC開いたは良いものの、書きたくなさすぎて朝になる。会社説明会は4割くらい遅刻。自己嫌悪で自信がなくなり、また受からなくなる、できなくなる。
結婚の話もちょくちょく出ていた彼氏は、やはり私が就職しない、というのは嫌らしい。旦那の親から見ても、優秀な息子の彼女が就職できず無職というのは、今の時代恥ずかしいのではないか。優秀な彼氏にふさわしい妻になる彼女として、どうしてもどこかに内定をもらい、就職しなくてはいけない。
自分が、社会に対して何ができるのか。今まで、私が褒められた事を思い出す。私は容姿が良く、友達は少ないものの、コミュ力には問題ない。元気で礼儀正しいと言われたこともある。ブラック低賃金と名高いが、販売職で明るく物を売ることならばできるのではないか。椅子に座ることが苦手だから、事務職は視野に入れなかった。
確かに、彼氏もこの世の中、彼女が一度も社会人経験なく専業主婦になる、というのも不安だろう。ある程度社会を知ってから結婚した方が良さそうだ。
最後の方は一ヶ月に一回、会社を受けるというペースで、私はなんとか販売職に内定をもらった。
販売職時代
数年前炎上したブログに、「社会の底辺の人とは関わってはいけません」https://ameblo.jp/akky-0829/entry-12188216276.htmlというのがあったけど、販売職はまさにこういう世界だった。いや、このブログはさすがに極端すぎるけど、残念ながら、大方賛同できてしまう。私はここで、巷で噂される「若くて可愛い子に嫉妬して悪口を言うおばさん」を初めてみた。一日中、イライラしている大人を初めて見た。それでも、人が足りないからと言う理由で彼らは雇われているのである。私は遅番が多く、昼から出勤が多かったから、朝の弱さは軽減された。しかし、基本的にギリギリ出勤ではあった。基本、先輩よりも遅く来た。出勤が昼とはいえ、30分も早く売り場にいることが生理的に無理だった。ある日、私の評価をつける人が、「店の準備」の評価項目にCをつけた。毎日商品の埃を払ってフロスなどを熱心にかけているのに、なぜここがCなのか。上司に聞いてみると、ギリギリ出勤だからだと言う。おいおい、そういう準備も、規定の就業時間の中に入っているんじゃないのか。ギリギリでも、時間内に来てるんだから、せめてBでしょ。会社に、強く不審感を抱いた。
一方で、私は働く楽しさも感じていた。私は、よく売れる販売員となったからだ。それは、私の容姿や愛嬌、コミュ力のおかげだ。また、商品提案のための勉強も進んでした。そして、若い私は男性社員からも気に入られた。しかしそこがまた、先輩から気に入られなかった要因でもあった。いじりとしても、先輩からのキツイ言動が増えた。その頃からまた、私は心療内科に通うようになった。当初の予定通り、専業主婦になって辞めればよかったが、人手不足の中、辞めて良いものかわからなくなっていた。まだ若い私は、色々なことが経験不足で、判断がつかなかった。
色々あって、ああ、もう、キツイなと思った時、退職を考えた。このころあたりに、結婚した。職場に行くのもキツくなったときに、休職し、傷病手当をもらって辞めた。旦那に養われながら、傷病手当をもらいながら、ゆっくり休むことにした。この頃、ストレスでガリガリになっていたが、念願の専業主婦になる夢がやっと叶った。
専業主婦時代
本を読む。RPGのゲームをする。ジムに行って、身体を鍛える。ギターを弾く。散歩する。
ささやかな、やりたいことを色々やった。この頃あった友人に、「なんか綺麗になったね」と言われた。
しかし、念願の専業主婦になったにも関わらず、私の中にはある思いがあった。
「このまま、20代半ばにして専業主婦で過ごしていて良いものか」
他の同年代はみんな働いている。そして、私はどうも、仕事ができない方じゃない。子供を産んだら、子育て中心の人生だ。それで良いのか。私は、働けばお金になるのに。
そこで、転職活動を始めた。しかし、職歴販売職のみ20代半ば既婚、いつ妊娠するか分からない私はなかなか良い職に受からない。しかもここでまた朝弱いが発動、面接もしばしば遅刻してしまう。
やっぱり私はダメなのかな。
そう思った矢先、親戚の保険のおばちゃんに声を掛けられた。正直、保険の営業に良いイメージはなかったので断った。しかし、給料も販売よりずっとよく、女性が働きやすい環境で、福利厚生もしっかりしているという。とりあえず、面接だけは受けてみないか。そう言われ、とりあえずで受けに行くと、トントン拍子で面接が進み、あっさり合格。保険の営業には抵抗があったが、他に受けた企業よりは条件が非常によかったため、挑戦してみることにした。
保険屋時代
最初は、毎日16時帰りで研修をした。保険についての授業を受ける。保険を売るための試験に受かったら(みんな受かる)いよいよ営業活動である。
相変わらずのギリギリ出勤だが、このころ、やっと安定して朝9時の出勤時間に間に合うようになる。20代も後半に差し掛かり、やっと。
しかし、本格的に営業が始まると、やはり体力的にキツかった。荷物も重い。大抵の保険屋の女の人は、バッグを二つ持っている。一つは財布やポーチなどを入れるバッグ、一つは資料やお客様の提案書など、書類を入れるバッグだ。自分が保険屋になると、他の保険屋が分かるようになる。保険屋さんって、いっぱいいるんだなあ。
1週間のうち1日は、出勤だけして、疲れて何もできない日があった。そう言う時は、カフェや図書館で時間を潰して、適当に報告書を書いて一日が終わった。情けないけど、この一日があったから、私は今まで続けられたと思っている。
数字の方だが、私は順調な方であった。しかし、その順調な数字も、多少無理して働いた結果であった。週1日は休む日を作っているとはいえ、疲労でキツイ日も多かった。それでも、1年は続けようと思った。保険営業でやっていけたら、他のこと何でもできるような気がした。自信がつくと思った。確かに1年は、私は頑張った。しかし、段々とまた、身体が弱っていった。風邪を引きやすくなったり、頭痛や腹痛も増えた。
私は愛嬌で保険を売っていたと思う。愛嬌で近づき、仲良くなり、アポをとり、上司が提案する。しかし保険の知識があるかと言われると、あんまりだ。形が見えない商品は、イメージがしづらく、正直あんまり興味が持てない。飛び込みも、営業先の企業で知らない人を呼び止め名前と生年月日聞くのもキツくなってきた。
この仕事を続けて2年。同じ時期に入った同僚が半分以下になる中、私はよく頑張ったと思う。
最近は会社も休みがちになってしまい、今日も会社を休んでこの増田を書いていた。
私が今、会社を休みがちになってしまったのは、朝弱いにも関わらず、無理矢理にでも9時に出勤し続ける生活をして、また壊れかけてしまったのだろうなと思っている。
私はいつだって、他の人とは違うと言うコンプレックスに苛まされていた。普通になりたい、普通になりたいともがき続けた。一日中、寝っ転がって本を読むような生活だってしたかった。でも、誰かの役にも立ちたかった。いろんな思いがグルグル回って、色々やり続けた。
私は今、27歳。昔よりは色々落ち着いて、大人になった。自分のこともよく分かった。
ひとつ、これはもう辞めようと思ったことがある。それは、週5のフルタイム労働だ。体力的にキツイし、学校でも、会社でも、週5で何かして良い結果を残したものはない。幸い、旦那が高収入だから、基本的には週5でフルタイムで働くことはなさそうだ。しかし、人生何があるか分からないから、お金を稼ぐ手段は手に入れたいと思っている。
いや、それにしても、私は生きてきた。思うに、色々やっていれば、人の能力は年々高まって行くものらしい。朝9時出勤も、ずいぶんできるようになったし、寝つきの悪さもかなり改善した。仕事終わりにササっと美味しい手料理を作り上げた日など、旦那からはあまりの変わりように「お前は誰だ」と言われたものだ。
欠点があっても何とか色々頑張ろうとがむしゃらに生きた結果、今があるのだと思う。
誰がこの増田を読んでいるか分からないけど、読んでくれた人、ありがとう。
【追記】
書いた当初、自分としては力作に関わらずあんまり反応がなかったので、残念な気持ちになっていたのですが、昨日夜見たら色々反応があって嬉しかったです。
反応をいただくのは何でも嬉しいですが、「読んでよかった」「人の半生は面白い」「頑張ったね」などの言葉は特に嬉しかったです。
ありがとうございます。普通の人が普通にやっている事が私にはとても辛く、例えできたとしても世間では「当たり前」ですから、自分が頑張っていることが認められていない気がしていたのです。本当に、ありがとうございます。
・元増田が能力が高い、勝ち組、若くて容姿の良い女はイージーモードだと言う声について
まずは、ご意見ありがとうございます。
あの記事は、また会社を休みがちになってしまい内面的にもグダグダになり、誰かに自分がADHDであり、朝が弱く、辛い人生を送ってきたと言うことを誰かに急に吐き出したくなり、衝動的に書いてしまったものです。
匿名ダイアリーだからこそ、自分は実は発達障害で〜などと秘密にしていることも話せるように、「私は若くて容姿が良い」など、現実世界ではちょっと言えないようなことも吐き出すことができます。普段人に言えないようなことがかけるからこそ、魂の叫びのような記事を読めるのも、増田の醍醐味だと思います。
知り合いには誰にも見せない日記だから、私の良いところも、悪いところも正直に書きました。日本は謙遜する文化だから、はっきりと「私は容姿が良い」などかくと、自慢に聞こえてしまったかもしれませんが、私の人生を語る上で、これは重要なファクターでした。
正直、私は発達障害者にしては恵まれている方だと思います。しかし、これはあくまで「発達障害の中では」と言う話であり、やはり人一倍辛い人生を送ってきました。
この記事のコメントにも死にたい、とありましたが、死にたい、と思って死ねる人なんてほぼいないと思うのです。私は小学校低学年の時から死にたかったですが、結局、人間苦しくてもよっぽどのことがあっても死ねないのです。死ねなかったら、生きるしかないじゃないですか。それも、なるべく苦しくないように。
だから、私は自分が持っているものを、最大限使おうと思いました。その事実を書きました。
自慢したかったのではなくて、「そうやって生きてきた」と言いたかったのです。
あと、ちなみにイージーモードではありません。
それに、遅刻はするわ色々ミスするわなのに、「可愛いから」もしくは「イケメンだから」という理由でモテてたり、かわいがられる同性の同僚がいたら、ちょっと嫌じゃないですか?なんか悪口言いたくなりませんか?私だって、そんな人が周りにいたら、少し黒い感情が湧きます。容姿の良さが仇となることもあるのです。
血圧は十代のころから低めでしたが、目立って低い訳ではありませんでした。
大人になって、疲れやすいと言うことで甲状腺の病気を疑い、検査したりしたのですが、結果は到って健康でした。正直、体のどこも悪くないのです。
むしろ今の会社の上司が、女性の営業職10年と言うことでかなりバリバリ働く人なのですが、健康診断の数値で低血圧で引っかかっています。しかし、普通にバリバリ働いています。本人曰く「気合い」だそうです。体の色々な数値よりも、結局「気」と言いますか、生命エネルギーのようなものの方が大事そうです。私には、それが足りないようにも思います。
起立性調節障害については確かに、十代の頃、親が調べてくれればよかったな。。。肝心の母は私が朝全然起きれないことを母の母(つまりおばあちゃん)に愚痴ってた。。。私が発達障害な事もあんまり認められない感じだったし。父母共に優等生だった故か。もう過ぎた事だけど、書いてて悲しくなってきたわ。もうフルタイムでは働かないって決めたから、もう治療する気もないけど、子供の時に親がもっと色々やってくれればと言う思いは確かにある。学校が辛くても、せめて家庭だけでも私を受け入れてくれたら。子供の時の記憶は、悲しい事ばかりです。
・朝の時間を守ることを以上に重要視するせいで道を踏み外す人が結構いると思う
私もそう思います。そもそも人には色々リズムがある訳で、全員朝9時出勤と言うのも無理があると言うのも同意です。遅刻する人に対する嫌悪も、「自分は周りに合わせてこの時間に来ているのにお前はゆっくりしやがって」という嫉妬なのかもしれません。
あと、大学の授業でやったのですが、日本人はとても均等性を重視するのだそうです。なので、その観点からも、遅刻をする人は「均等を乱す」ため、好かれないのもしれません。
・朝起きれないのは自己肯定感の低さが原因だった
自己肯定感が低いと、全てにおいてレベルが下がりますよね・・・私も、旦那と暮らしてから急速に成長したように思います。これから私はしばらく子供も作らず好きに生きる予定ですが、それは自分の自己肯定感を上げるために、必要な期間であるように思います。
・小規模な会社なら増田の働けるところがあるかも
そうですね・・しかし、周りの人たちに聞きますと、大企業より中小企業の方がブラックなところが多いようで、就職先として探すのは尻込みしてしまいます。コメントをくれた方は人を雇う立場なんてすごいですね。何かのご縁があり、あなたのように寛容な人の元で何かしら活躍できればそれはとても素晴らしいことだと思います。
弱者を蔑ろにする強者の理屈を展開する人の言葉の方が好きだ。逆に弱者を救い上げるよう言説の方がうんざりする。
なんでかって言うとシンプルに嘘だから。生きてきて強者の理屈の通りの人の行動は何度も見てきたけど、弱者を救い上げるような行動は見たことないし接したことない。
お前らも弱者擁護側の人間だと思うんだけど、単なる嘘つきだろ。
弱者擁護の言葉を人から評価してもらいたいから言ってるだけで、実際にそういう行動とってないだろ?
小学校の頃、よく先生の前でだけはせかせかと動いて優等生な振りするけど、影では弱者をガンガン虐めてるやつがいた。
そういうタイプのやつだろ。人から評価される場面では良い子ぶってるけど、実際はそんなタイプの人間じゃないんだろ。
じゃないとこれだけ、不平不満の溢れる社会であるはずないじゃん。本当そういう嘘にまみれた言葉が気持ち悪くて仕方ない。
俺だけ?
私は小さい頃より人付き合いが苦手だった。
正義感が強く、向上心も向学心もあり、みんなで助け合えば世界は少しずつ良くなるはず。
本人がどんな気持ちかも大切だが、それ以上に再発防止や真実を明らかにすることの方が重要だと思っていた。
甘い言葉よりも苦いアドバイスの方が、その先友人のためになるならと、後者を与えていた。
しかし、それをやると「人のことを考えていない」、「人はモノじゃない」だなんて言われる。
目先の雰囲気や厄介ごとや嫌われ者になることを回避するために、おざなりの対応をすることの方が人をモノとして見ているじゃないか。
嫌われても、今後友人が被る災難を1つでも減らすことが思いやりだと思っていた。
……どうやらこのやり方は間違っているのかもしれない。
試行錯誤して、人生に疲れて来た頃、なにもかもめんどくさくなって、前者の対応を取るようにした。
その人のためにならなくても、表層的な、場当たり的な求めている答えや対応をするようにした。
私の中では人をモノのように扱っていると思った振る舞いが、なぜか逆に人に好かれ始めた。
思いやりがある、優しい、一緒にいたい、信頼できる。
そんな言葉をたくさんの人からもらい、なんだか他人がゲームの中のキャラクターのような、
良さそうな言葉を選択すれば簡単に好感度が上がる、単純なプログラムやロボットのように思えてきてしまった。
今でもその考えは変わっていないし、一部の友人にしか「思いやりのある対応」はしない。
それで喜ぶ人・慕ってくれる人・私を好きになる人に関してはそういう見方が拭えない。
皮肉なものだが、「他人をモノ扱いするな」というのは一般的に良い人間の心得なのだろうが、現実は理想とは違うもので、逆の行いをした方が個人としては行きやすいものなのかもしれない。
今でも私は罪悪感を感じつつ、たくさんの人をモノ扱いをしている。
人間なんて、その場その場の自分の欲求を肯定するものと、まるで自分の人生を100%自分で選択したという実感だけを求めている、単純なプログラムや、もしくは家畜や虫となんら変わりないんだと思う。
追記
とりあえず、改行を指摘されたので修正しました。(ご指摘ありがとうございます!)
ブコメから想像するに、思ったことをズバズバ言うだけの人物を想像されていると思いますが、そうではありません。
また、自分と他者の好みや幸せの形は違うと言うこととはある程度理解はしているつもりで、
子供を私立に入れるとか公立に入れるとかはそれぞれの好みですし、
世帯収入はいくらであっても幸せの感じ方は違うので、収入を上げた方がいいなどのアドバイスはしません。
いくつか具体例を挙げたいと思います。
当時暴力を振るわれており、明らかに金づる扱いされていた友人に、カウンセリングを紹介したりアドバイスをしました。
もちろん、ただ別れなと伝えても好きという感情は複雑なので、客観的に見れるように、彼氏のいい面と悪い面を並べて、
表にまとめたりして説明。すると「私は機械じゃない」と言われ絶縁。数年後に別れたようですが、
その子は今では実家に引きこもっており、時々私に対し「おまえのせいだ」という連絡が届きます。
会社の明らかな不備を指摘
以前働いていたベンチャーの社長がいいかげんで、税務署がきたら明らかに突かれるような不備を指摘。
すると、不機嫌になり、「人の気持ちを考えろ」と言われ、私は不遇な立場におかれたのですぐに辞職。
その次に働いた会社でも同じような不備があったのですが(性格も経営者の人はみんな似ているのか1社目と同じようなタイプ)、
社長をとにかく気に入られる振る舞いをし続けると、それを処理するできるポジションに置かれるように。
ちなみに1社目は何があったかはわかりませんが、今では怪しげな健康グッズを扱う会社に変わったようです。
みなさんが私の立場ならどう振る舞っていたでしょうか。
私も指摘されればその場は少しマイナスの感情が湧くものの、結果的に自分のためになることであれば、最終的には感謝をします。
多分、あいつは生意気だとか、女のくせにとか、わたしより〜〜なくせにとか、その類の感情が先行するんだと思います。
世の中をうまく渡っていくには、数年先のトータルのメリットよりも、数秒後のメリットを追求した方がいいのかなあと。
そんな相手とのコミュニケーションは、さながら機械と対話している感覚なのです。
正解です。
ニコラですごく人気だったよね。
彼女の頑張って二重にした切れ長の目は、かっこいいんだけどどうしても好きになれなくて。
日南響音が大好きだった。奇しくも二人は音楽が好きで、音楽活動をやってるね。や、最近は知らないんだけど。
西内まりやはとってもいいこで、大人の期待に応えようとしてた。
ヘアアレンジの動画をたくさん上げて視聴者の女の子たちの目線で親切なコメントと、サービス精神いっぱいの笑顔を振り撒いてた。
とても真面目な人なんだと思ったけど、真面目すぎてつまらなかった。
スタイルもいいし、魅せ方もうまいけど、いいこちゃんすぎて親しみというか魅力を感じなかった。
対して日南響子は大好きだった。
実際彼女は奔放だったようで、大人が期待するような道は歩んでくれなかったし、いろいろ苦労したようだなと思う。
でも、残念な面もあるけど、自由に生きたといえるんじゃないかな。
真面目に、大人を信じて、大人の期待に応えながら自分の夢を目指した西内まりやと、
自分に正直に、そして自分を大切にせずに、でも恵まれた環境にあるとはいえる日南響子。
彼女たちは絶対お互いのことを意識してこれまで生きてこざるを得なかったんじゃないかな。
モデルとしては西内が圧倒的。でもほんとうにやりたかった音楽活動では珠麟こと日南が先にデビュー。
やがて華々しい音楽生活を西内もスタート。彼女歌上手いね、びっくりした。
結果としては二人とも泣かずとばずでいいのかな。日南がどーなってるかは知らないんです。
(今ちょっと調べてきた。なかね、FlowerFlower的幸福がありそう
あと、やっぱりめちゃくちゃきれいだった。
前はもう少しむちむちしてたけど、今はスレンダーだった)
安室ちゃんにも上手いね、でも魅力を感じないんだよね、と思う私は、西内ももっと売れてもいいのにねって思う。でも安室ちゃんは可愛いけど西内は魅力が足りないんだよね。
まず女性らしさというのかな、セクシーじゃない。健康的なんだけど、運動もできるんだけど、陸上女子のようなセクシーさはあるんだけど、全然だめ。剛力は好き!かわいいと思う。
たぶんね、口が小さくて、感情をあまり感じない、あとほうれい線が目立つ。これはおおきいね。
対して日南は大きすぎるくらいに口が大きくて、余るほどの唇を持ってるよね。とても良い。グッとくる。
あと、真面目で優等生なんだろうなっていうのが何しても伝わってきて、つまらない。今回ビンタしたってのでちょっと魅力がついた。
でも情緒不安定で、見た目もおばさんぽくなってきて劣化してきたからもうどうやってもだめなんじゃないかな。
ロビンはほんとうに、かっこいいし中身があると思うからさっさと破局してほしい。
どうしてなんだろう。
どうして西内は絶対に好きになれないんだろう。
って思ってたモデル時代だったけど、彼女を売り出そうとした近年ほんとに彼女が売れなくて、ゴリゴリしてるだけなのをみて、
あぁ、モデル界でだけ輝ける人っているんだなって思った。
http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20171114/p1
得意なことはの見つけ方は、「自分では頑張ってないと思ったのに、褒められたこと」を探すこと。
ただ、学校教育では、頑張って出来たことの方が尊いの価値観に強すぎて、
「頑張って出来たこと=得意なこと」で育ってしまうのが、呪いの始まり。
それだけでは本当に得意なことは見つけられない。
「体が大きいから、将来はお相撲さんだね」は極めてまっとうな、サジェスト。
そんな当たり前のプロセスを踏むだけいいのに。
最近、資格とか取ろうと思って専門学校のパンフレットを取り寄せたんだけど、この人達めちゃくちゃ勉強してるじゃん。
一応大学(文系)に進学したはいいけど、ほとんど何も得るものもなくただ卒業しようとしてしまっている自分の身を恥じるわ。
なんか世間では大卒者のほうが専門学校卒とかより上みたいな風潮あるけど、ちゃんと勉強して、資格とって、将来のこと考えて‥‥とかよっぽどこっちのほうが立派じゃん。
すごいわ‥‥
あー大学なんて等速直線運動みたいな惰性の感じで来るんじゃなかったなぁ
周りがみんな進学するから自分も進学決めたけど。なんも身に付いてないし。
こんなんで無償化とかしてどうするの?意味わかんない。金のムダでしょ。
"そこそこ勉強できる高校生”へ。(特に文系)今からでも遅くないから、大学進学という選択肢についてよく考えてほしい。
我が家と似てるなあ。
ずっと成績が良かった。
でも、コミュ障。
弟は、勉強はイマイチだけど家族に好かれ、そして友達にも恵まれるタイプ。
弟は、もともとはバカだと思うけど(原付の免許に落ちるようなやつだ)俺に負けるのが悔しくて、あらゆることで挑んできた。
勉強もそこそこできるようになった。
例えば、ある年の1学期の数学の試験が俺が85点、弟は90点、引き分け。
「やった!お兄ちゃんに勝った!」
弟は喜んだ。
両親も弟をよく褒めた。
俺からしたら、普通の公立中学の数学の試験と、高校でしかも進学校の数学の試験とじゃ、難易度が違うのだから、俺のほうがむしろ褒められるべき、と思ったりしていた。
その一方で、やっぱり弟が好きだった。
兄弟喧嘩をしても体格差でコテンパン、学力でもコテンパン、それでも突っかかってくる弟が愛おしかった。
勉強は出来ても要領が悪く失敗したり叱られたりばかり俺は、社会人に出てからは損してる。
その点、弟のほうが、うまくやれている。
弟は結婚もしてる。
でも、弟は、昔も今も、俺の才能を信じてくれている。
毎日が日曜日の無職、誰にも咎められない一人暮らし、なまじある貯金、腐る要因のなかで、腐らずに資格の勉強ができたのは、誇れる兄でいたいという想いがあったからだと思う。
弟が好きだ。
なあ、どっちが良いと思う?
もちろん「昔は良かった」なんて説教臭いことをいうつもりもない。
ただ、単純にどっちが良かったかなって思うんだ。
紛れもなく、前者だろう。
「どっちもどっち?」
しかしながら、どっともどっちだとして次悪を選択し、次善に変え、最善にひっくり返すのが我々左翼の使命ではないだろうか?
一見メジャーと思えるものに逃走のラインを見出し、その線を増幅させ、相転移を願うのが我々左翼のやりかたではないだろうか?
なるほど、たしかに「共産趣味」とかいう田舎の優等生が頑張ってシャツの第一ボタン外しましたみたいな趣味の流行からも伺えるように、
その種のパフォーマンスは「保守」に簒奪されてしまったといえよう。
しかし、であればその手法を再び我が物にすること、お望み通りの古い言葉を使うならば再領土化することが肝要なのではないか?
以上。まだ見ぬ同志の研鑽に期待する。
初めて匿名ダイアリーを使って自分用メモ。これは推奨する記事じゃないです。
自宅のある駅から少し離れた都市へ行き、マクドのポテト(大好き)を食べながら会員制出会い系サイトの掲示板に内容と場所、何時頃までいるかを書き込み募集をかける。
ガンガンくるメールを見て、条件の良く今から会える人をピックアップし返信、約束を取り付ける。
サイトの掲示板を見る限りたくさんお金をもらって体を売ってる同年代の子もいるみたいだけど、自分は手コキまで。
で、わかりやすい駅やランドマークを拠点に周辺でちんこ握らせてくれる男の人をはしごする。
疲れたら帰る。
相場はよく分からないけどだいたい3〜5千円くらいでやってる。まあ10代で黒髪なんで高校の時の本物の制服を着て行くこともできるから、色つけてくれる人もいる。
車の中や多目的トイレを指定されることもあれば、ラブホでやる人もいる。ホテルは若いおにーさんに多いかも。
「人肌が恋しい」と言ってキスして自分を抱きしめて自分はホテルの映画見てるだけで1万円くれた人もいた。変わった人だなと思った。
コツは自分のキャラをちゃんと決めること。SかMかはもう演技力がダイコンすぎて変えられないと自分は思ってるので、上京したばかりで怖いですう〜とか言ってた田舎っ子なのにちんこ握ったら超ドSとか、黒髪ボブの大人しそうな優等生なのにオラオラ系とか、なんかギャップがあるといいかもしれない。普段の自分とは全く違うキャラだと色々傷つかない。
気をつけてるのは世間話に色々聞かれてもフェイク入れられるように架空のプロフィールを考えておくこと、携帯は身につけとくこと。
自分は大学の専攻が割と特殊な学問なんで「文学部です」とか、世間話程度ならごまかせる程度に知識のあるどこにでもある学部を言っとく。実際、司☻遼太郎が好きすぎて死にそうだった時期があるのでだいたい大丈夫。坂の上の雲とか燃えよ剣とかベタだけど最高だよね!携帯は普通に危ない時使うと思うし、金取られても携帯あれば通報できるから。まだないけど。あってたまるか。
どうでもいい自分の話でなんでプチやってるかっていうと、自分は金遣いが荒い。というか、管理がうまくできない。(どうでもいいがこれはADHDってのもあるかもしれない)
しかも多趣味だから金がガンガンなくなるんだけど、それを賄う為に始めた。接客バイトの給料が入るまでのつなぎに、月数日って感じ
将来どうなるかわかんないけど自分レズでちんことかまっっっっったく興奮しないしおっさんがイく為に乳首いじらせてとかほんと不快すぎて2万くらい吹っかけで断られたら帰るくらいだし、ちんこ握って食って行く気はさらさらないんで大学のうちにやめると思う。お金の管理ができるように訓練してるけど、なかなかうまくいかない。
なんで発達障害の話になったんだろう。以上です。
良い子は真似しないでね。悪い子もできたらやめた方が賢明だよ。
まず何も知らない人に簡潔に書くと、『アイドルマスター シンデレラガールズ U149』(以下適当に略す)とは『アイドルマスター シンデレラガールズ』(以下適略)というゲームのコミカライズ作品の一つである。
コミカライズとしては原作に対して忠実さ・リスペクトのある作品で一定以上の品質もあるのでファンアイテムとしてはそれなりに良いものだ。一方で、原作を知らない人にとっては取るに足らない凡庸な漫画のひとつに過ぎないという、よくあるコミカライズ作品である。
Web漫画としてサイコミで連載されていて今なら最初から全部読めるので興味がある方は読んでみてもいい。
https://cycomi.com/title.php?title_id=46
こういう前置きをしている私は上記に当てはまらない、アイドルマスターシンデレラガールズの既存のファンである。それを前提にして本題に入る。以降の話は関連作品も含めてネタバレを有することを注意しておきたい。
コミカライズとしては及第点以上を取れていると思う。漫画に限ったことではないが、世の中には自己主張控え目な毒キノコのように見る者を誑かし食することで生命を脅かすように読んだ者の精神の健康を害する作品があることを思えばよっぽど良い。そういうものに金を払った経験はいっそ高度な文明的行いのようだった。
さて、それでも私の周りで似たような意見を聞くのでそれを取りまとめておきたい。
作品の問題に対する指摘はいくつかあるが、ここでは一つだけ取り上げる。
それは物語が繰り返しに過ぎないということ。
ただし、この言葉には二つの意味がある。既存のファンでなくても気付く点、既存のファンにだけ感じられる点の二点において、この物語は繰り返しである。前者を単調であるといい、後者を焼き直しと呼ぶ。この二点において少しだけ掘り下げる。
今ならタイトルページに全ての話が並んでいるのでそれを眺めれば、この漫画や原作のことを知らない方でも各話のタイトルにはより小さな物語の主題とその話の順の数字が割り振られていることに気付くし、そのすぐ後には最初を除いた全てがキャラクターの名前であり、各話がそのキャラクターに焦点を合わせた内容であることを理解する。
これは単調な物語という問題が、表出しているのである。この作品はより小さな物語の3話毎の繰り返しであるのだ。
この9人のプレティーンが自己の存在意義をかけて衝突したり複雑な人間模様を描くということはない。主題になっているアイドル以外は添え物で誰でもいい場合が多い。もちろん例外もあるが、せいぜい一対一の関係だ。ここにプロデューサーという『アイドルマスター』シリーズで要となる役目を持つキャラクターを加えても何も変わらないことは一読すればわかるということも付け足しておこう。
このように個人に根差した問題の解決を3話毎に繰り返している。この個人に根差した問題という指摘は後にも関係しているので覚えておいてほしい。
さて、3話というイテレーションが、序破急が、問題提起・確認・解決という流れが、如何なる読者にも理解できるのはある切実な悪影響を産む。読者の誰もが次の話を更新を待たなくてもどうなるのか、結末は果たして何処へ行こうとしているのか容易に想像できるし、その想像を超えてくることは絶対にない。個人に完結する問題でバリエーションに変化を付けるのは難しい。特にこの作品は主要なキャラクターをプレティーンと限定しているのでそれが顕著に表れる。また、解決の手法に目を惹くものがなくむしろただの会話で済んだりするので盛り上がりや起伏、それによる興奮がない。
読者の期待を煽ることは決してなく、要するにただただ単調なのだ。
どのようなWeb漫画サイトも同様に、序文に書かれるあらすじを読めば誰でも物語全体の概要を理解できるだろう。ここで同作品の最後の文を引用する。
しかし、既存ファンにとってこれは新しいシンデレラストーリーでは無かった。
前項で個人に根差した問題という指摘を行った。これがなぜこの作品が既存のファンの心象に退屈さを塩傷口よろしく塗り込まれる現象となる理由は、それは原作のゲームがもう何年も更新され続けているゲームであり、かつアイドルとそのプロデューサーとして一対一の関係を描いているゲームだからである。
直截的に言えば、そのキャラクターの個人の悩みなど従来のファンには既知の事柄であるし、改めて描かれても新鮮味が無いのだ。
また新鮮味という話であれば、最初の橘ありすの「宣材写真の撮影」に纏わる話は、『シンデレラガールズ』のアニメでもやってるし派生元でも別の派生先でもやってる定番である。その中で言えば解決方法も極めて平凡なのもファンの期待に応えているようで一層下回る。
この作品の最大の特長といえばこれまでフォーカスされなかったプレティーンのキャラクターやそれに見合う矮人族のプロデューサーがいることだ。しかし、如何せんどいつもこいつも真面目に波乱起こす気が無く、二度目になるが盛り上がらない。波乱があればいいとは言わない。しかし波乱が起きないということは、キャラクターという個性を持ち得ないのも同じではないか。ただ低身長の皮を被った誰かの物語に置き換えられる。ただ真摯で優等生でソロプレイでしか活躍できないキャラクターであるのなら、彼らは彼らである必要がなく、他の誰だっていいのだ。皮だけ派手にしたところで、平凡な物語は平凡だ。なぜ狂言回しと呼ばれるキャラクターが生まれるのか、我々は反面教師を以て理解してしまう。
物語は単調な起伏を繰り返すだけ。計画し尽くされた行程は作り手にとっては満足するものだが、受け手にとっては必ずしもそうとは限らない。我儘な顧客であることを承知で言えば、我々は見たことがないものが見たいのだ。アニメもゲームも各々アイドルの成長を描く先駆者だったが故に満足した。そうではない点ももちろんあったが、概ね次の展開を予想できないものだった。しかし本作品はその後追いに過ぎなかった。
我々はこの物語を知っている。恐らく作者よりも。
あまり深く内容に触れずともこの作品が読者を退屈にさせてきたことは説明できただろう。
現時点で19話。イテレーションは5回目で4人目の物語の解決の途中である。連載10か月。プレティーンは全員で9人いるのでまだ残り半分残っている事実に戦慄しよう。
私は最新話の作者コメントが第一話と同じだったことに慄いたが、今見たら差し替わっていたので深掘りしない。その第一話のコメントを引用すると、
お待たせしました!いよいよ「U149」始まります!アイドル達の新たな一面をどんどん見せられればなと思ってますので、よろしくお願いいたします!
新たな一面など無かったということはさんざ書いた。
実のところ、我々が期待していたこのハードルを超える作品では無かったと思う。それでもコミカライズという点では良評価を当たられる。新規の読者にとってはこれも新たな一面になるのだから。
最新19話は良かった。賑やかしでも他のアイドルが出てくるのは良いことだ。ここで出てくるのは誰でもいいが上の主張とは誓って矛盾しない。賑やかしだけでもいいじゃん、という主張はよく見るがこうなると容易に首肯する。なけなしの起伏だって要らねえや。冗談だが一考する余地はある。
しかし最後の見開き、見れば見るほど最終回みたい画だ。つづくって文字が誰かの悪い冗談としか思えない。
ありがとうって言う時、ほんの少し「もっとこうだったら良かった」って気持ちを飲み込む。
学校の卒業式がそうだった。授業で今まで育ててくれた両親へ感謝の気持ちを込めた手紙を書く。
皆思い思いにハートマークを散りばめて、可愛い手紙を書いた。自分はなかなか筆が進まなかった。当時我が家は家庭崩壊状態で、深夜まで喧嘩の声が絶えないような状況だった。団欒とは程遠く、その言葉を考える度に胸が苦しくなった。だけど先生はそんな状況など知る由も無い。田舎の学校だ。変な噂が知れ渡るのを恐れて家庭の状況をひた隠しにしていた。紙の表面に「ありがとう」と書き付けながら、「もう少し人並に幸せだったら、もっと素直に感謝を述べられたかも知れない」と思う。実際、感謝の言葉を上手く表現出来ない生徒もいた。そういうところで自ずと漏れてしまうのだろう。