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はてなキーワード: タイムリーとは

2020-11-17

anond:20201115162830

最近ワイもこの増田と似たようなこと考えて実行してたかタイムリー投稿だわ

使い勝手いいのはやっぱスマホアラームアプリだね

無料ダウンロードできるアラームアプリを三つ入れてる

一つは目覚まし用

2つ目はプライベート用で20時にアラームが鳴り「毎日やることリストメモ」の内容を全てやる

3つ目は職場用で決まった時間にする定時業務時間を全てアラームにセットして仕事前にアラームONにする。これで定時業務をする10分前ぐらいに「もうすぐこの時間にこの業務やらなければ」とそわそわする必要が無くなる。アラームが鳴ればやればいいだけだから覚えておく必要がなくなり、脳の使用容量が少し増やせる

2020-11-07

ネットも役に立たず、書籍は滅びかけで知識ってどうやって保存するんだ

ネット検索が役に立たない。

1,2日で炎上していることを調べるといった、タイムリーな状況を知りたいといったのは、役に立っているし、

プログラミングの一部については調べれば出る。

だが、「バ美肉おじさんがボイスチェンジャーで声を変えようとした場合、音の高さを合わせても機械音がするのは、物理的な事象の何に差があるのか」

という疑問を解決できない。

そもそも日本語の声について、情報がありそうでない。

フォルマントピッチを変更しても、思ったようにならないバ美肉オジサンは多かったことだろう。


ネットを調べれば、色んなソフトを試した結果は手に入るわけだが、どれも失敗している。

書籍に関しては声に関していくつか書籍があり、買ってみたが解決には至らなかった。

出版社不況で出せてないのだろうか。


このような体験からネット以前はできていた書籍による知識の保存はできてるのか気になった。

2020-10-28

子ども〉のための哲学永井均)を読んだ感想 前半

理解」をどう考えているか、これについての私の根幹(基礎)はオートポイエーシスに準じている。

オートポイエーシスの詳しい説明は省くが、神経細胞情報伝達を行う際、シナプス行為理解しない。ひとつ作業を行うのみであり、結果のための行為連想しない。シナプスにとっては、「物質を伝達する」という行為目的であり結果となり、それらが組み合わさって何が起こるかを理解しない。

まり、最終的に現れるもの(たとえば人体の中で起こりうる結果反応など)はすべて、「行為副産物」としてしか存在し得ないということ。これは非常に重要事実である

本来理解」というものもそのように行われるべきである。一番重要なことは「わからない」ことである。わからない、を通過しない限り、「理解(と呼びたくなるようなもの、それに準ずる、付随する周辺のものもの)」を得ることはできない。

これについては同授業を受け持っていた河本英雄の「飽きる力」なんかを読めば少しわかると思う。

この文を書き始めた当初は、この前提を元に本文を整理していこうと最初は考えていたのだが、結局本文に「哲学哲学をしている瞬間にしか浮上しない」とはっきり銘打たれていた。だからもはや、一文を取り上げて「ここの箇所は〜」などと言語化することは意味を持たない。それ(ここでは〈哲学〉とする)が"それ"たらしめるやり方でのみ、発見できることであるならば、そう(そのやり方で)やる他ないと思うので、それに倣おう。

あとあちこちに書くのも煩わしいので、一度に留めるが、わたしが書いている内容について読み違えや相当しない批判(等)があれば、気づいた場合指摘してほしい。(それこそがきっと哲学なのだろうし。)

はじめに(5p)、から問いの合間に(125p)までを読んで

・〈哲学〉(「哲学」ではない)について

本文にあるようなやり方の〈哲学〉については実感がある。実感はあるが、しかしそれは子どもの時からすでに最初から青年の」〈哲学〉であったように思う。少なくとも、目の前に与えられた課題は年端のいかない子どもには大きすぎたし、それについて、しかし取り組む以外の選択肢を(子どもながらの純粋性ゆえに)持つことができなかった。だから最初から、なぜ〈他者〉がいるのか、という疑問は生じずに、〈他者〉と対峙するにはどうすべきか、をひたすら〈哲学〉し続ける時間が幼少期〜思春期であった。

からなるほど、やはり「疑念」が問いを生むのであり、疑念を持たないものは問いに遭遇しない。よく感じる違和感は、「問いを持たない人間」と(「問いを持つもの」と)の世界の断絶である世界には大きな断絶があるということを改めて実感したのだった。(断絶の是非はここでは問わない)

・〈ぼく〉という特別さの有無について

さて、書いたようにわたしは「なぜ〈ぼく〉が存在するのか」という疑念を持たなかったのでその問いに衝突していないし、そして付随する「〈ぼく〉という存在特別さとはいかなるものか」という問いにも当たっていない。しかし読み進めていくと、「特別さ」を論じれば論じるほどそれは「一般性」に落とし込められていくという矛盾が現れ、結局「言語での言い換えを繰り返すよりほかない」という結論(?)に達している。とりあえず本文の結論についてはさておき、わたし感想を書いておく。結果から述べると永井均認識論的傾向(95p)とは真逆であり、非存在論的(本文に即して使う)立場にいると言わざるを得ない。

まず78pに自分が二人に分裂した際に、もう片方をどう「認識」するかという問題。少なくとも、それが「〈ぼく〉であるか、でないかは、ワカラナイ」というのがわたし意見である。つまり意識としての〈ぼく〉が2地点に存在して、それぞれの思考でそれぞれを〈ぼく〉としない、という前提にどうしても立つことができない。

特別さの証明からは少し離れるが、「攻殻機動隊」という作品はこの独我論観点なしには見ることができない。登場人物たちは車を買い換えるようにボディ(身体)を換えることができ、脳(アニメ内では脳核と呼ぶ)に宿った意識アニメ内ではゴースト)はそのままで、新しい肉体を得る。しかしそれは本当に連続性を伴った自己なのか?確認するすべはない。

まあ結局、「確認認識)できるとしたら」という前提で論じている内容において、反駁することはない(できない)。なので、真逆認識論にたった時に、どのようにしてその「特別さ」を得るかというのを考えてみるとこうである他者認識できている限り、その「特別さ」を論じることはできない。理由はなんでもいいのだが、例えば「論理他者に向かって開かれている」ことは明白である。少なくとも、本書のように、本は他者が読むことを前提として書かれている。おそらく永井均としては「普遍化できない偶然性の問題」を「論理」立てることこそが〈哲学である、ということを言いたいのではないか、と思う。しかし、わたしの知る範囲ではそれは矛盾する。であればやはり(今の所は)前提を変えてみるしかないのである

ないことの確認はできない。つまりそれを鑑賞する他者がいないことを確認できない位置に移動して、ようやく「特別さ」が浮上するのではないか。そしてそれはすなわち、99pで引用されているウィトゲンシュタインの一節に他ならない。結局は「理解されない」ということを目指さなければ、少なくとも「特別さ」を論じることにはならない、ということだろう。

(余談だが99p9lの永井解説についてはまだ理解が追いついていない。いずれ何度か読み直してみよう)

言語言語性について

ウィトゲンシュタインの本を読んだことはないが、ウィトゲンシュタイン友達をつくらず、本当に人里を離れてたった一人で暮らしていたという逸話を知っていて、勝手に親近感を寄せているのであるが、それはともかく彼の主題命題)に「言語」があったというのは興味深い。

わたしは〈哲学〉についての興味をある時点である程度(完全にではないが)喪失した。それはそもそもわたし最初に向き合った命題が「他者」であり、自己ではなかったことなんかも関係していると思う。そして、「他者」を自分なりに〈哲学〉して18年くらいたったころに、自分なりの「納得」(102p)に到達してしまった。本来、〈哲学〉のみならず、人生だとか生きるだとかいうことは「満足」を永遠に避けることだと考えている。「得て」しまったらそこはゴールなのだ。ゴールっていうのは何にもない場所だ。しかし、「他者」に限っては、(とにかくわたしがそれを生きる上で最も苦手としているがゆえになおさら結論を得てしまった。そしてわたしは〈哲学〉する目的(あるいは理由)を喪失したのだ。

しか言語に関する関心が残った(に関する関心は重言だろうか)。本文でも「読み換えが無限になされる場所(98p)」について書かれているが、この点に関してわたしは非常に興味がある。物事表現が、「言語分野」に大きく偏っている人間社会面白いことに動物社会とは全く異なるらしい)において、その役割は異常なほどである言語をどのように理解し、駆使するか(論理思考など)、これを〈哲学〉とどう関連づけるか、というのも面白い命題である。例えば思考についていうと言語以外の役割が大きい。つまり「頭の中で考えたことを文章にする」というのは、その時点で「考えたこと」から抽出が起きているのである。おそらく永井のいう〈哲学〉は「考えたことまで全部」を含むはずであるから抽出された、アウトプットされた結果のみを受け入れる(ざるを得ない)という現状には実は即していなかったりするのではないかわたしは今の本業言語ちょっとだけ"学")なのであるが、こういった観点を与えられるのは、やはり読書(時には他者自分の内側に入れてみること)もいいなあと思った。

・世の人が平均的に上げ底を見ようとする世界は遠い

なんにしても、とにかく、「無駄」が必要である(115~116p)という、それこそが本質であるという点にはその通りなのでその通りとしか言いようがないし、やはりそうであった、という安心を再び得る。結局資本主義的な世界にいると、いつ何時も、寝ても覚めても視界に入ったものから、耳に入ったものから、全てにおいてから常に四六時中見張られ、「資本主義的な価値観に即して生きているか」を刷り込みをされ続ける(そしてこれはきっと死ぬまで終わらない)。おそらく、これは想像しかないが、哲学をやろうとアカデミーなかに駆け込んで、その中で安息を得たとしても、その「刷り込みから逃れることはできないのではないか。(数学者望月先生のように「数学を生きる」ことができるレベルまで達せられていればもしかしたら、刷り込みから逃れられているのかもしれないが、これもまた憶測の域を出ない)

〈ぼく〉という特別さの有無を求めるより圧倒的に明快で単純で本質的なこと(無駄を生きるということは)なのに、たまたま、悲しいことに、全くもって信じられないほどの不運な状況であるがゆえに、それが通用しない(しづらい)世界にいるのだ。それを嘆くことは10年くらいやって飽きたが、時折(残念なことに恒常的な機会を得ていない)こうして「本質」に触れることで「正気」を取り戻すというのは大事作業である

さて本文の(前半部分の)感想は異常であるが、2点反駁したい箇所があるのでそれも書いておく。

1箇所目(17p,9l)

あっさりと「哲学し続ける内的必然性をなくした」などと書いてあるから吃驚仰天である。内的必然性と引き換えに得ることができるものほど「瑣末な」ものはない。これでは魂を売ったのと同義ではないか。何度か他の場所でも書いているが、「価値観他者に阿るのは心臓他者に預けているのと同じことだ」とわたしは思う。他者自己存在理由にはなり得ない。少し引用を用いるが「心の哲学まとめWiki」より、一文。「〈私〉とは世界を開闢する場であり、そこから世界が開けている唯一の原点である」と考える(『〈魂〉に対する態度』p.123,p.187) 。

その原点である自己をなぜ切り売りできるのだろう?「欠陥を売り物にする方法で得た救い」なんていうチンケなものはさっさと捨てるべきである世界とつながる唯一の原点=〈私〉をもっと大事にしなさい。

2箇所目(111p,11l)

この人は政治政治議論をなんだと考えているのだろう。そもそも、少なくとも望むと望まざると関わらずに(生まれた時からすでに資本主義社会に生きているように)、法治国家に生まれしまったのだから、その国家の参画者である限り「政治を避けて」は生きれない。自ら国籍を捨て(例えばスノーデンのような)、亡命を図るなどの意図画策があれば別であるが、生きていれば必ず住民税がかかり、ものを買えば必ず消費税を払っているのと同様に、政治をせずに生きることはできない。酸素をなくして呼吸ができないのと同義だ。なのにこの人はまるで自分政治、または政治議論したことがないかのように宣う。しかし指摘したいのはそのアティテュードではなく、政治議論方法についてである

自分と同じ主張を別の論拠から擁護してくれる人は、最もたのもしい協力者だろう」とは一体、どうしたらこんな思想にたどり着けるのだろうか。圧倒的に間違っている。(これだから日本左派は無様なんだ)

はっきり言っておくが、政治議論はその主張の是非ではなく、その論拠にある。だから全く異なる人間政治家)を支持していても、その論拠次第によっては戦友となりうるし、同様に全く同じ政治家を支持していても論拠によっては一線を画する必要があるのだ。当たり前の話であるタイムリー話題したことだが、「マスクをつけないということは、マスクをつけたくないという人間擁護する態度を含意しない」。これは明白で、結果(マスクをつけない)が同じだからと言って論拠が異なる場合、それは全くもって「たのもしい協力者」なんかではあり得ない。

5000字も書いてしまった。後半は気が向いたらかく。

2020-09-27

anond:20200927165009

ジョーカーリアル社会背景込みでの評価だろ

フランス黄色ベスト運動アメリカウォールストリートデモのように、

一部の富裕層とそれ以外の経済格差は開く一方の社会で、

暴動テロなどの危険性が高まって、社会の分断が目に見えて大きくなってきている

こういう背景の中で、バットマンを題材に取りつつリアル社会問題とも完全にシンクロさせた手腕がお見事っていう話

アメリカ映画界にはまだまだタイムリーかつ巨大な社会問題を題材に取りつつエンタメとして昇華できる力量があるのが凄い。

日本人は作る方も時代の遅れのバカサヨと、頭からっぽのテレビ屋で、

見てる方も爆発とアイドル見せときゃ喜ぶアホしかいないので、ジョーカーのような映画は作れない

日本映画予算もショボければ映画作りの技術もしょぼい、アメリカ映画界との絶望的なまでの実力差を改めて見せつけられる映画、それがジョーカー

2020-09-13

「お願いなら承ります」とはどういう意味

タイムリーに似たようなキチガイとやり合ったので書く。

そいつも「俺は診断済みのアスペだ」「俺は理性的人間だ」「合理的文章なら分かる」「平易に説明しろ」と主張していた。

実際はちょっと煽られるとすぐキレてスレ荒らし始め、落ち度を指摘されると「その指摘はいくらなんでも無理筋だ」「お前ら(※個と集団区別できていない)の指示を俺が聞けばお前らの独裁制だ。俺には自由がある」「理解ができないことを言うな。説明しろ」「書き込みに中身が無い。意味のあることを書け」とか逆ギレしていた。

指摘側は無理筋でも支離滅裂でも無かった。ただそいつにとって都合が悪いことを言っただけだった(連投すんなとか、ちゃんと読めとか、お前の言ってることはおかしいとか、阿呆は帰れとか、寝言は寝て言えとか)。

そして論理代数における「逆・裏・対偶」が理解できず、「逆は真」「真でないものは全て偽」という仮定を使って頭の中でどんどん命題を短縮し、何でもかんでも都合が悪ければ「嘘」と呼んで否定していた。ミミックの鳴き声としか思えなかった。理性的でも何でもない、魂が欠落した何かだった。

例の旅レポ記事を見て「お願いなら承ります」という表現に強烈な既視感を覚えた。同じだ。こいつは「他人が発する声は、全て俺への『参考情報』であり、命令としての意味は無い」と思っているのだ。

こいつの「承る」というのは「俺の気に触らない限り、戯れにやってみるのも一興だとは思うぞ」という意味だ。「お茶を一杯飲んでくれませんか」と言われて、その時に喉が乾いていれば「そんなことをしてほしいんですかあ? 飲んでやりましょう」と「承る」程度の意味だ。「お互いの健康のためにマスクの着用を」と言われて「仕方ねえなあ」と着けるという意味では決してない。

結局のところ、あれは自閉症の症状なんだろう。ある種の高度な論理を扱う機能や、世界を多数の主体存在する空間として捉える機能の発達が遅れて/止まって/失われていて、日本語は解するものの、言語コミュニケーションコミュニティでの共同作業が行える状態にないのだ。

そういう奴はどう扱えば良いんだろうな。規則強制力をセットで与えれば、それが「環境」だと認識して従おうとするが、常に機会を伺っていて、ひね曲がった自分理屈曲解した規則が噛み合う所を探してゴネたり他人に牙を剥いたり、強制力が緩んだ時に規則を破ったりするんだよなぁ。

フランス革命の頃なら焼き殺せば済んだんだろうが…

2020-09-08

ドコモ口座事件菅義偉の正しさが証明されてしまった。地方滅亡しろ

次期総理大臣菅義偉が「地銀は再編すべき」って言ってる矢先に

ドコモ口座の不正用事件が起きてタイムリーすぎる

田舎者どもは「地銀地方のために絶対必要!」「地銀けが地方の味方!」などとイキっていたが

あんセキュリティガバガバ銀行どもは何の役にも勃たねーんだよ土民どもが!ペッペッ!

クズすぎる地銀のおかげで菅の正しさが証明されてしまったし

菅の支持率もアップ間違いなしだし、自民党の優位も確定してしまった

俺たちはこれから本気の地方衰退を目の当たりにするのだ

地方滅亡の分水嶺としてドコモ口座事件歴史に残ると思う

いなかっぺ大将ども、震えて眠れ

2020-09-06

ウンコを食べたら人生が上向いた

注意! この文章の内容は万人に勧めることを目的としたものではない。

よって、この文章で書いてある食糞行為だとか、それに対する健康効果は全て個人の感想であり、君に当てはまるとは限らない。自己責任食糞するように。

ーーー

俺がスカトロ性癖に目覚めたのは小学生の時だった。

スカトロというと異常者の性癖だと思われがちだが、そのきっかけはありふれたものだった。

当時好きだった女の子教室脱糞したのだ。俺はその光景を目に焼き付け、匂いが脳に刻み込んだ。

家に帰ったからもあの光景女の子が泣いているところが忘れられず(こう書くとこの女の子にはかなり申し訳なくなる)、まだ自慰という概念を覚える前から興奮したのを覚えている。

だが中学高校と上るうちに俺はその性癖を理性で押しとどめるようになった。ウンコなんて気持ち悪い、ウンコなんて気持ち悪い、そう言い聞かせて生きてきたのだ。今思えば自分に嘘をついてきたのだ。

やがて大学で知り合った女の子結婚し、普通企業で働くようになった。しかし、だ。俺は今年に入って解雇されることになってしまう。まさにタイムリーで笑えるが、コロナ流行による人員整理ということだ。

俺は鬱病統合失調症を発病した。もともと母親がそういう気質なだけあって、俺だけはそうはならないと思っていたのだが、いざなってみると地獄の日々だった。

妻はおかしくなってベッドで寝る俺のそばに座ると、夜な夜な声を殺して泣いていた。それを見た俺はさら申し訳なくなり俺も泣きまくった。本当に辛かった。

そんな折、俺はウンコを食ってみたいと思った。

失業手当が出ているので相当期間は自由ではあるし、もはやそういった性癖を押しとどめている理性は限界寸前だった。もう、ウンコを食べたくて仕方がなかったんだ。

俺は土下座して妻に頼み込んだ。

「頼む、ウンコを食べさせてくれ。できれば目の前でしてくれ」

こう言った。妻は??????という顔をしていたが、俺が新聞紙を広げてここでしてくれという具体的な話に当たると冗談ではないと分かったようだった。

拒否られて離婚を切り出されることすら覚悟していたが、妻は意外にも乗り気で「それで興奮するなら、いいよ」とのことだった。本当に嬉しかったし、この子結婚して良かったと心から思った。

それからペット用のトイレシート(新聞紙漏れた)のまえで脱糞してもらい、それを食べるのが朝の日課になった。いっておくが、ウンコの味は本当にひどい。ネチャネチャと歯に絡みつくし、後味は数時間続く。だがそれ以上に興奮した。これを書いてる今も興奮している。

不思議なことに食糞を始めてからは持病であるアトピーも驚くほど良くなり始め、精神状態も今まで一番良いぐらいな具合に回復した。職も親父の会社になんとか入れてもらうことでどうにかなりそうで、本当に良かった。

こう書いてみると、食糞とは愛ではないのかと思う。そう、ウンコは愛なのだ。なぜ日本もっと食糞流行らないのか不思議でならない。本当に妻とウンコには感謝している。ありがとう。みんな、これからよろしくな。

2020-08-12

知性と民意をいい感じにするにはどうしたらいいか

書いた増田を見返してて思ったけど、自分は頭がいいんですよ。

IQって正確にはかるテストあるんだろうか、それ受けてみたほうがええのかな。よくいる、IQ高めだけどEQ低めタイプなんじゃないかと思うけど。ミギーとかきゅうべぇみたいなタイプ

anond:20200811104559

自分より頭がよくない人と仲良くやっていくにはどうしたらいいかからない程度には頭が悪いんですよ(無知の知かも知れないですが)。

それって簡単に言えば「社会性が低い」ですよ。だって多くの人は頭が悪そうに見える→多くの人と仲良くやっていけない→社会性が低い。わけですから

もし全知全能な存在であれば、「ものを知らない人間のことをも知っている」はずですよね。ものを知らない人間考察対象にならないのはなぜ?それは思考停止では?知的怠慢では?

自分で思っているより、あなたは頭が良いことを示す13のサイン|BUSINESS INSIDER

https://www.businessinsider.jp/post-172091

頭が良すぎることの6つのデメリット|BUSINESS INSIDER

https://www.businessinsider.jp/post-194722



性差によるDiscommunication.

IQ20違うと話が通じない、みたいな言われがあるやつ。

わかりやすタイムリーな事例が、大阪府知事を支持するのが民意で、イソジン問題を指弾するのが頭いい層なんですよ。

もし頭いい側が民主的勝利をしていたら、そもそもイソジン問題を起こすような人間知事にしていないですよね。因果律的・逆説的に。だから民主的に敗北している少数派なんです。

頭がいい層が考えることというのは「国民全員がその知的レベルになれば可能」なことなんですよ。それ、絵空事っていいます

「なるほど完璧作戦っスねーーっ 不可能だという点に目をつぶればよぉ~~」



anond:20200811221908

インテリ」っていうと多義ニュアンスを含んでしまますが、ここでは知性だけの話をします。権威の話ではないです。

知性について、上下とか卑しいとか、勉強なんてしてないで畑耕せとか、そういうの排除してフラットに考えてほしい。

知性主義でも、反知性主義でも、衆愚でもない、なんかいい感じのやつにするにはどうしたらいいんだろうね。リスクコミュニケーションとか。

山手線クラスターデモとか見てて思う。

2020-07-26

anond:20200724163613

なんとタイムリー話題か。

私も常々同じようなことを考えている。

その悩みが満たされることな40代を迎えてしまい、いよいよ絶望を感じている。

2020-07-17

anond:20200717042238

おー、俺も建売中古を買ったかタイムリー

ウチの会社通勤する意味あんのか?っていう問題提起からリモート中心に変わりつつある

そうなると自宅での開発環境の向上と同時に、それに合わせた住みやす環境構築が必要になって

先週、契約を結んできたばかりだよ

楽しみで仕方ない

2020-07-04

おけけパワー中島さんの件で死にたくなった底辺字書きの話

これは先日話題となった「同人女感情漫画」に出てくる「おけパ中島さん」の話題を見て、おけパ中島さんと綾城さんが混在したような人物に触れたばかりである今の自分感情タイムリー過ぎて発狂しかけた、底辺字書きのしょうもない話である

最初に言っておくが、自分はこのはてなブログを利用するのが初めてなので、色々と大目に見てほしい。

自分は、文字を書き始めてから五年の、たいして人気もない底辺字書きだ。底辺ながらに細々と支部などに投稿して、偶に反応がもらえればラッキーくらいに思う程度のものだった。それがおかしくなったのは、今ハマっている新規ジャンルに手を出し始めたこからである

そのジャンルではそこそこメジャーCPにハマり、母数がかなり多いおかげか、そこで投稿した小説はそこそこ見てもらえ、ツイッターにあげれば少しは反応がもらえるような状態だった。今までのジャンルではそんなことはなかったし、嬉しかった。

からといってツイッターフォロワーが増えるわけではなかったが、でもまあ字書きなんてそんなもんだろうと思っていた。一部のベテラン神字書き以外は、そんなものだと。

そう思いながらも、なまじ少し反応が貰えただけに、欲が出てきていた。知らない字書きが書いた自分よりブックマークが多い作品は見られなかったし、絵師さん方が「この小説おすすめ!」というように紹介していると、どうしても羨ましいと思ってしまう。

もちろんそれが悪いとかそういう話しでは全く無い。小説には見向きもされないようなジャンルいたこともあるので、この界隈の風潮はとてもいいものだと思っている。

しかし、どうしても嫉妬を覚えてしまうのだ。なぜ自分は人気が出ないのか、なぜ見てもらえないのか。悶々とするその気持ちを、「そもそもこの界隈には人も多く、その分神字書きが多いからだ。自分と同じくらいの人間のほうが多い」と無理やり納得させていた。

自分尊敬する神字書きさん(綾城さんのような存在)もこの界隈にはいて、その方はトップを走ってる。だからなんとなく、「しょうがない。勝てるわけがない」と思えていた。

それが崩されたのは、この界隈にある字書きが参入してきた時だった。

ここからは少しフェイクを入れて話すが、その字書きは元々あまり腐向けには興味があった人間ではなく、全く違う畑で創作していたタイプの字書きだった。

とはいえそちらもそれほど作品数があるわけでもない。この界隈に興味を最近持ったらしいが、ツイッターも字書き垢でもなく、このジャンルのためにつくったようなものだった。(恐らく)

それが、いきなり、躍り出てきたのである

朝起きたら、自分が大好きな神絵師と神字書きがその作品のことをツイートしていた。両者ともにそこまで小説を紹介するようなアカウントではなかったので、すこし驚いて、いつも通り少し仄暗い感情を抱いた。最初は、見るつもりもなかった。嫉妬ながら見たところでその作品にも失礼であるし、自分精神にも悪いかである

しかし、その作品は何度もTLに流れてきた。小説がここまでいろんな人に取り上げられているのを見るのは、自分の大好きな神字書きさんの作品以来だった。仕事中だったので、それを見て見ぬふりをして過ごし、家に帰って覚悟を決めて支部を開いた。たった一日でその作品は、自分十倍以上のブクマを獲得していた。読んだ。もう、読むしかないと思った。

特定を避けるために中身はぼかすが、最初は、語彙力に溢れているわけでもないし、確かにさらっと読めはするが、巧拙文章ではないなと思いながら読んでいた。いったい何がそこまで、と。これだったら自分の方がとさえ思っていた。

しかし、最後まで読んだときに、気づいたら自分ボロボロと泣いてた。その話の内容と、「勝てない」という思いに打ちのめされて。悔しいが、自分には書けないような話だった。稚拙だと思っていた文章に、いつの間にか引き込まれていた。なぜあそこまで皆が勧めるかが分かった。本当に、面白いと思ったのだ。そのときはまだ嫉妬より素直な感心のほうが強かった。すごい人が入ってきた、と。

けれど、そこで支部作品欄を見て、この界隈に来るまでそもそも腐向けを書いたことがないことを知った。正直「は?」と思った。見ないほうがいいとわかっていながらも、ツイッターにとんだ。そこで自分が見たのは、自分の大好きな神字書きと「フォローありがとうございます!」とおけパ中島テンションで話してるその字書きの姿だった。

自分いくら書いても見向きもされなかったのに、その新人字書きは神字書きにフォローをもらっていたのだ。しかも、(これは大変理不尽言い草だとわかっているが)名前さえもおけパ中島に近いものを感じ取るようなものだった。

そして、その作品きっかけに神絵師とも繋がっていた。「死ぬほど泣きました」などと、自分が貰ったことのない称賛を山ほど浴びていた。それを見た瞬間、反射的に、負の感情が沸いた。

分かっている。その字書きは何も悪くない。悪くはないのだが、自分が今まで「しょうがない」と目をそらしていたものを、一気に覆していく気がした。

神字書きや神絵師と話してるのを見て、「本当に作品ちゃんと見たのか!?」という、完全に七瀬の気持ちになっていた。そこで自分がしたのは、最低最悪の行為である「粗探し」だった。字書きというのは、傾向として高尚ツイをしがちである個人的に思っている。しかし、その字書きのツイは、毒気を抜かれるようなものばかりだった。テンションがおけパ中島。本当に。これいくつだ?と思ってみていたら、おそらく想像していたよりかなり若いと思われるツイートがあった。それを見て、また死んだ。

そんな折に、「自分も字書きですが才能が有って凄いです。羨望します」みたいなマロ自分ではない)が送られているのに対し「このマロだけでも日本語が綺麗なのが分かります!いつか作品見てみたいです……!」というような回答をその字書きがしているのを見た。TLでは自分おすすめ小説を紹介するし、どんどん神字書きや神絵師と繋がっていく。人のことも良く褒める。

あ、なんか合わねえなと心から思った。

十割嫉妬だと分かってはいるが。しばらくすると、その字書きの小説支部リンクのツイは三桁にいっていた。自分は二桁もいったことがないのに。自分は、面白いと思ったはずのそれをリツイートすることはできなかった。

その字書きは私にとって、綾城さんでもあり、おけパ中島でもある存在となった。

からと言って、自分が七瀬や友川になれるのか?なりたいとは思うが、あれから自分創作の手は止まってしまった。自分いくら必死に書いても、ぽんと出てきた人間が、簡単に追い越していくという事実に打ちのめされてしまったのだ。ここまで見てもらった方は分かると思うが、自分文章が下手なのである。なのに、書きたいものを書けばいい、そう分かっていてもどうしても評価を求めてしまう。

そして、自分はきっとあの字書きには勝てないし、神字書きに認識もしてもらえない。その字書きのことはフォローできていないが、神字書きや神絵師のTLに時々出てくる。そのテンションが腰の低いおけパ中島なのだ。それを見るたびに、嫉妬かられる。フォローしてないのに、ついつい見に行ってしまう。

自分よりかなり若い相手に何をしているんだと思うが、どうしようもないのである。定期的に見に行って、その作品名でツイッター検索し、たくさんの人が紹介しているのを見てまた死ぬ。やらなきゃいいとわかっていても、ついやってしまうのだ。

このどうしようもない感情を持て余しているときに「同人女感情漫画」で、おけパ中島存在を知った。それに対するツイッターの流れを見て、現在進行形で身に覚えがありすぎて死にたくなった。そして、その字書きはおけパ中島話題を明るい感じで出していたのを見て「だろうな」と思い、また落ち込んだ。

が、おけパ中島のような存在にどうしようもない感情を抱いてしまう人が一定数いるのだと知り、少しだけ気持ちが楽になった。


いつか、自分がその字書きのブクマ数を超えるか、その字書きが自分小説を紹介したりするまで、きっとこの気持ちは晴れないのだろう。あの漫画を見て、七瀬や友川のようになりたいと思った。

そのためには、書くしかないのだ。書いて書いて、書くしかないのだろう。このはてなブログを書いたのは、だれにも言えない今の気持ちを吐き出し、再び書き始めるためである

これを投稿したら、まず書きかけの小説をまた書き始めようと思う。

そして、いつか、その視界に入ってやると信じて、書くしか自分に残された道はないのだ。

2020-06-15

推しがサ終する:ダンキラ!!!編

https://anond.hatelabo.jp/20200605021641

わたしはこの記事の一行目に挙げられている作品ひとつアプリゲームダンキラ!!!-Boys,be DANCING!-」のプレイヤーをしている。タイムリー記事だと感じたので、ダンキラサ終が決定して自分経験したことを記録として残しておく。

ダンキラはい現在サービス終了へのロードマップの真っただ中にある。オフライン版が実装予定なので、比較円満な部類に入るのだろうが、「ならよかった」とは簡単には思えないのが本音だ。後述するが、新規ガチャ実装されるものの、なぜか有償ダイヤガチャをするとき使用するアイテム)は購入窓口は閉まっている、という奇妙な状況も未だ続いている。結局のところ、プレイヤーが納得するしないに関わらず終わるときは終わる。なんとなく事情は透けて見えるものの、はっきりとしたことはきっと永遠にからない。親とアプリゲーは生きているうちに大事にするに限る。という言葉に尽きるのだろうけれど。

 

ダンキラとは?

2019年5月21日にKONAMIよりリリースされた3Dモデルリズムゲームで、いわゆるデレステみたいな感じ。キャラクターダンスバトルをする中高生で、楽曲ヒップホップバレエジャズインド歌謡曲など多岐にわたる点が特色だ。白泉社コラボしており、泉ジュン子らベテラン作家による短期集中コミカライズが行なわれた(単行本全3巻発売中)。現在月刊LaLaにて番外編を連載中、だった。

  

5月20日18時、定例メンテナンス明けのアナウンスにおいて、ダンキラサービス終了が告知された。8月5日をもってオフライン版へと移行するとのことだった。

売上的にも遅かれ早かれ……という印象だったが、いくつか違和感が残る告知だった。それは以下のような点である

① 時期……リリース一周年前日のサ終告知

課金……有償ダイヤの即日販売終了、にも関わらずガチャは続行

コンテンツ……新規楽曲新規ガチャ新規ウェアの予定が八月まで緻密に組まれている

④ そのほか……アニバーサリー関連グッズのアニメイト特設予約販売が何の気もなしに始まる、LaLa連載版番外編が6月号時点での次号予告では続きそうだった(が内容を急きょ変更し7月号で打ち切り

 

何はさておき、課金窓口を閉めるのはおかしい。サ終するならするで、八月までパァーーーッとプレイヤーガチャを回させて儲ければいいのに(そしてプレイヤーもそれを望んでいる)それをしないのだ。にもかかわらず新規コンテンツの追加は八月までこれまで通り行うのだという。お陰でプレイヤー一同はみみっちい無課金プレイを強いられている。一周年を祝うおめでたいアニバーサリーガチャなのに、ある重課金者は泣く泣くミッション石をかき集め、ある廃課金者はカドスト見たさに副垢リセマラを繰り返す。なんなんだ?これは。

 

というか、コンテンツ、まだまだいっぱいあるじゃんと思う。ウェアの3Dモデルはもう作ってるんだろうし、キラトリック必殺技モーション)も結構作ってあるっぽいし、10~12章のフルボイス本編もおそらく収録済。向こう一年キャラクターバースデーボイスもたぶん収録済で、でもそれをなぜかゲーム内で売るんじゃなくてツイッター動画公開するんだなあ、これが。その辺のコンテンツを全部売りつくして、半年くらい地味~に復刻イベントでジワ稼ぎして、それからサ終でいいじゃない。なんでそんなに急に死ぬのか。

印象としては、「サ終自体はいずれするつもりではあったが、なんらかの外部的要因でその時期を早めざるを得なかった」「なんらかの事情課金窓口継続が困難になった」といったところか。ダンキラ母体はKONAMIであり、KONAMIと言えば今回の新型コロナウイルスによってコナミスポーツジムが大打撃を受けている。そのしわ寄せがゲーム部門にもやってきたのではないかとなんとなく推測する。全ては推測だ。そして真実永遠に明らかになることはない。ただこれだけは確かだ。ダンキラ世界は今閉じようとしてる。

 

オフライン版で個人的に悲しいのは、コンテンツ新規追加が見込めないことだけではない。

たとえば、ログインボイスがないこと。当番(艦これで言う遠征みたいな、放置クエスト)もないこと。オフライン版は時が止まっており、そこには時間は流れない。

たとえば、課金ができないこと。現実いくら稼いでも、それが推しの新しい声や顔や衣装に生まれ変わることは決してない。

現実世界で嫌なことがあっても、ダンキラログインすればそれを忘れられた。ダンキラホーム画面を開けばキャラクターが話しかけてくれた。ほとんど毎日顔を見て声を聴いて、推しというか家族に近いものだったような気さえする。オフライン版であろうとオンライン版であろうとそれが画面の向こうの存在であることに変わりはない、けれど、コンテンツが終了してしまえば、きっといずれ、わたしは彼らに魂を感じられなくなるだろう。

あーあ、と思う。バレンタインランキングイベント推しの生誕ガチャ。楽しかったなあ。合わせてそれなりの額を課金したけど、こんなことなもっとじゃぶじゃぶ課金すればよかった。恒常☆5はいま3凸で、4凸にならないとカドストの後編が読めない。ずっと課金し続けていればいつか読めると思っていたけれど、こんなことなもっとじゃぶじゃぶ課金すればよかった(二度目)。いまやっているイベントスコアアタックランキングなんだけど、現在課金の封鎖された状態過去課金額を競う悲しいイベントと化している。ガチャなんて所詮ギャンブルだけど、課金要素有キャラクターゲームにおける課金とは現実通貨によってキャラクター世界に介入することであり、少なくともそれは、わたしにとっては愛に近いなにかだった。でもそれができないんだっていうね。

 

ホーム画面を開くたびに余命数か月の家族に面会している気分になってしまって(自分にとっては紛れもない事実だ)、最近は会うのもつらい。そんな自分を薄情に感じる。

こんなにハマるつもりなんてなかったし、ダンキラ以外にも面白いゲームなんて山ほどある。ブルゾンちえみじゃないけれど男は三十五億いるしスッパリ辞めりゃいいのだ。でもわたし推しおもしろユカイな華の紅鶴学園生活は、この世でただひとつわたしiPadの中にしかないんだよなあ……

2020-06-09

anond:20200609150434

わかったことがある。

ジャニーズ事務所時間とか空間とかを考えると、タイムリーぷする。

オタク時間とか空間とかを考えると、無視する。

    [例:漫画本1冊買うために前日から徹夜]

           あと厚みとかもわりと無視されがち

                   思いは時間空間を越えられるんだ!!!(熱)  

                   は?なにそれ?おいしいの?(オタク

                                                    ただし巨乳を除く

2020-05-28

anond:20200528155056

うっそ。納豆が鍵だったんだね。

それ欧米タイムリーパーにも教えてあげなよ。

2020-05-06

PCR検査数は正確な数がわからタイムリーではないとNHK報道

耳を疑ったけどnews9でアナウンサーがしれっといっててクラクラした。

2020-04-23

anond:20200423032649

江戸川乱歩小学生でもいけるかな?

しかに、いま『美食探偵』やってるからタイムリーかも。

江戸川乱歩がいけるなら、

ミステリー本格派にも視野が広がるから嬉しいね

『Dr. Stone』 そうか、理科に目覚めるきっかけになるかもね。

これは有力候補だ!

ロウソク科学』よりも教育的かも。

中古書店で安く買えるかな?

ヘビーユーザーなんだけど、図書館相談する発想はなかった。。。

これは正攻法で聞いてみるよ、ありがとう

カイジ』は、地頭力というか、駆け引きの力も養えると思うんだよね。

限定ジャンケン」 「地獄チンチロ」 「17歩」は、

社会に出てからも役立つような。

椋鳩十は、教科書に載ってた「大造じいさんとガン」くらいしか知らなかった。

これ、図書館で聞いてみるよ、ありがとう

迅速な反応ありがとう

2020-04-16

藤原啓治さん、ありがとう

人類おなじ気持ちだよね。

どうも、主語クソデカ女です。

大好きな声優さんがご逝去されました。

55歳。あまり若い

藤原啓治さん、大好きでした。

野原ひろしの声、というところからはいり、FF7レノうたわれるものサイコパス、語り出すと止まらない。

いまタイムリーなことにFF7Rプレイ中なの。やっとレノが出てきて大はしゃぎしていたところ。

ずっとずっと闘病されていることは知っていました。

クレヨンしんちゃんが大好きで、森川さんに代役がきまったときに受け入れるのにずいぶんと時間がかかりました。

大好きなヘンダーランド(世代がバレますね)を見て、先日号泣したところでした。

森川さんのひろしももちろん大好きです。

でも、でもやっぱりわたしのなかでのひろしは藤原啓治さんでした。

めちゃくちゃ、めちゃくちゃ寂しい。

勝手にすぐに戻ってきてくれると思っていました。でもそれは本当に思い込みしかすぎませんね。絶対なんて絶対にない。

冥福をお祈りいたします。

たくさんの素敵な思い出をありがとうございました。

2020-04-02

詭弁だぞ?常識で考えて欲しい

非常事態宣言はするが何もしませんって

ただイラズラに市場不安に陥れるだけかよ、

いったいなんのために非常事態宣言作ったの?

非常事態宣言ロックダウンだよ

非常事態宣言したうえでまだウイルスは夜間と祝日特定場所だけで活動するとは言わんやろ

単純に経済責任を取りたく無いだけだと市場世界判断するぞ

これに対し、首相は3日の参院本会議で「個別の損失を直接補償することは困難だ」との認識を示した。

https://www.google.co.jp/amp/s/www.jiji.com/amp/article%3fk=2020040301114&g=pol

米国大使館「日本にいる米国市民帰国しなさい」(4/3)

https://jp.usembassy.gov/health-alert-us-embassy-tokyo-april3-2020/


「COVID-19症例の大幅な増加により、今後数週間でシステムがどのように機能するかを予測することが困難になると考えています

症例が急増した場合既存の病状を持つ米国市民は、COVID-19パンデミックの前に日本で慣れ親しんだ医療を受けられない可能性があります

4月3日の時点で、日本から米国へのCOVID-19以前の飛行能力11%のみが稼働しています

次に何が起こるかを予測することはできませんが、日本入国規制により、中長期的には空席がさらに減少すると想定して差し支えありません。

現在危機の憂慮すべき現実の1つは、米国へのフライトの減少は、

家族緊急事態のためにタイムリー米国に戻ることをより困難にしたり、不可能にさえしたりすることを意味するかもしれないということです」


※なお、デーブ・スペクター氏は日本に残る模様

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2020-04-01

civilization 6、春の雪ドラゴンフルーツ

三月二十八日(土)

普段テレビニュースを除いてほとんど見ていないのだが、金曜日にはたまたま放送していたぴったんこカンカンというバラエティ番組に、エヴァンゲリオンで有名な鷺巣詩郎が出演していたのでぼんやりと眺めていた。放送された内容によれば、鷺巣氏はふとした気まぐれで欧州日本の別邸を移動する生活をしており、しかも移動すると決めるのが当日になってからで、おかげで妻はほとんど私物が持てず、生活必需品は七か所の自宅にそれぞれ置いているそうであるしかも、音響に対するこだわりから生活のこまごました面まで徹底して管理されているらしい。トイレを流すときにも許可がいるとのこと。これだけだと鷺巣氏がただの暴君のようだが、妻のほうも夫がきちんと入浴していないと怒ったりするそうなので(どうやらインスピレーションがおりているとそれどころではなくなるらしい)、妙なところでバランスが取れているのだろう。人様の家庭の事情とは斯様にわかりにくい。

さて、土曜日は午前中にうとうとしていたが、午後から雨が降るとのことだったので、えいやと気合を入れてジョギングをした。本当は先に筋トレをして走るつもりだったのだが、いつ降り始めるか予測がつかなかったし、なんだったら日曜日筋トレをしたってかまわないではないか、と考えたのだ。無酸素運動の跡に有酸素運動を行うのが一番効果的だというけれど、まったくやらないよりはましだろうと考えたのである

だが、帰宅してから久しぶりにcivilization 6をプレイしたのがまずかった。結局、十七時半から二十六時半まで、食事を除いてぶっ通してプレイしてしまった。いつも日付が変わる前には就寝することを徹底している自分が、そのルールを破ってしまうほどに中毒性が高いゲームであり、こういうコロナウイルスで出かけられないときには重宝するのだが、事態収束したらまた封印しなければいけないゲームな気がする。

この日の夕飯は、妹が一時間以上かけてソースを作ったお手製パスタティータイムは妹のお手製ベーグル

三月二十九日(日)

civilization 6の話の続きをしよう。

結局この日は起床した九時から十五時半までプレイしてしまった。一ゲームに十五時間以上かかっており、しかもそれが主観的にはあっという間なのだから始末が悪い。なんでこんなに時間がかかったのかといえば、一つには久しぶりにプレイしたのがあり、もう一つには自分ゲーム下手だからというのがあるのだが、さらには普段は六人プレイでやっているのに今回は八人でやってしまったのも原因だ。この手のゲームで実際の地形を模したマップでやるのはある種のロマンがあるのだが、そのマップ選択したときデフォルトで八人プレイになることを知らなかったのだ。

プレイしたのはアキテーヌ女公アリエノールで、特殊能力芸術の力によって相手都市を離反させて自分のものとすることで、要するにある種のチートであるしかも、ヨーロッパマッププレイしたのだが、AIと違ってこっちは地図の概略を知っているので、これもまたチートだ。それなりに苦労はしたものの、広大な空白地があると予測されるところにポコポコ入植していくのは楽しかった。おかげで敵の領土挟み撃ちする形にできた。

延々プレイしていたのは、日曜日が朝からずっと雪だったからというのもあるのだが、ちょうどプレイが終わった頃に晴れてきたので、散歩がてら外に出ることにした。家にこもってゲームばかりしていると頭が痛くなるし、新鮮な空気も欲しくなる。ついでに、梅や桜に雪が積もっているところも撮りたかった。写真ツイッターに載せた。

夜はすることがなくなったので「デカメロン」の第九日目を読んだ。別にコロナウイルスペストを重ねていたわけではない。ただ、何となく読みたくなっただけであるボッカッチョダンテ意識して創作したと聞いたので、「神曲」が好きな自分としてはどんなものなのかを知りたかったのも理由だ。しかし、読んでいるうちにコロナはどんどん大ごとになってきて、結果的タイムリー読書になってしまった。ちなみにカミュの「ペスト」は大学生の頃に読んだきりだ。

結局、筋トレはさぼってしまった。civ6中毒のせいだが、これをやっているとソープランドに行く気がなくなるのでいい。というか、歓楽街が封鎖されては行きようがない。

三月三十日(月)

身体障害があるので自宅で業務をしていた人が退職するとのことで、この大変な時期なのにわざわざ車いすオフィスまであいさつに来てくれた。しかも、世田谷のおいしいクッキーまで用意してくれていた。自分も、仕事の合間に少しだけ世間話をした。おかしかったのが、身体障害のある人が、はじめのうちこちらのことを文章の癖から女性だと思い込んでいたことだ。

小説執筆というか、手入れを再開した。

三月三十一日(火)

最近スリッパ臭い。冬用に買ったモコモコスリッパなのだが、仕事から帰ってきた靴下のままはいていたので、そのにおいが移ってしまったらしい。蒸れてくるとにおいが漂ってくる気がする。もっと暖かくなってきたら洗濯するべきだろう。洗剤につけておけば大丈夫だろうか。

この日、普段行くカレー屋さんがラッシーを切らしていたのだろうか、ランチセットを頼んだらドラゴンフルーツジュースを出してきた。味はベリーともバナナもつかない独特の甘さがあり、個人的には好きだった。

そういえば、この店にマスクを忘れて行ったら職場のあるビルまでわざわざ追いかけに来てくれた。なんて親切な店だろう。関係ないが、この店に一時期一週間に三度も通っていた時期があり、おそらく顔は覚えられてしまっている。

四月一日(水)

今日タイ料理を食べに行ったのだが、そこでもマスクを忘れてしまって、結局帰りの電車ではマスクなしだった。別に非難しているわけではない。気づかないのが普通だ。で、そのタイ料理屋に行く途中に新しい別のカレー屋さんができていて、暑苦しい青年たちが呼び込みを行っていた。あまり好きな雰囲気ではないが、味が好みかもしれないので、レビューを見てから行くかどうか判断したい。

そういえば今日は異動があり、かつての部長係長になった。これは何か問題があっての降格ではなく、一定年齢を超えると部長からは退くことが社内のルールになっているからだそうである

今朝のパンもまた妹の手作りテレワークが続いているので気分転換必要からだろうか?

関係ないけれど、はてなキーワードでは「四月」はないが「4月」はあるらしい。日記をここに書き続けるとしたら、4月2日、と書くことにするかもしれない。

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