はてなキーワード: あやしいとは
なんて言っても広い。
なんと2kmくらい、視線の先の人が米粒に見えるほどの直線だ。
クラーク像を右手に、古河記念講堂やら工学部やらを眺めながら長い長い並木を歩けば、つきあたりまで30分かかる。
ここで終わりかと思ったら甘い。つきあたったその道の向こう側は獣医学部。そう、まだまだずっと北大の敷地だ。
ぐるっと回ると7km~8kmほどあると思う。
北大にきたらクラーク像やら植物園やらポプラ並木まで見ようって思うだろ?
同じ敷地にあるなら徒歩数分でたどり着けると思ったら大間違いなんだぜ?
さて、疲れても頑張って今度は南に歩いて行こう。
一日目は徒歩で市内な。
時計台と、赤レンガ庁舎、大通公園と、見るものはいくらでもある。
初日、なんだかんだで15kmくらい徒歩な。
疲れても頑張れ。
それは正しい。
1万円でセックスできるという破格の安さ。
合法風俗が低価格高品質すぎるため非合法売春婦がそんざいしないという。
すすきのでいうキャバクラとは、東京で言うところのお触りオッケーなセクキャバだという。
美味い飯も食える。
ミシュランガイド北海道特別編で三ツ星を獲得した「鮨 田なべ」も所在地はすすきのだ。
銀座と歌舞伎町と吉原を混ぜこぜして、クリーンにしたような歓楽街、それがすすきの。
ここで性欲も食欲も満たして一泊な。
南へ南へ。
道中に寄り道出来るなら、藻岩山の夜景がすばらしいので寄るのもいいだろう。。
函館山から臨む海に挟まれた夜景も素晴らしいが、突如として札幌の街が現れる藻岩山の夜景も負けてはいない。
しかし、個人的には昼から温泉、昼から酒、朝までグダグダをオススメする。
でも、定山渓温泉はつい最近わいたお台場大江戸温泉物語みたいなもんじゃない。
歴史があるっていうか、うん、一言で言えば、昭和の温泉街という感じだ。
なんていうか、ザ・昭和。
廃墟となった潰れた旅館と、潰れそうな旅館が交互に並んでいて、やってくるのは社員旅行のバスばかり。
この時代にまだ社員旅行客なんてあてにしてるから廃れるんだと思うんだが(笑
河童押しらしい。
萌えキャラ全盛の今、定山渓の河童がどんなか、グーグル画像検索をしてほしい。
繰り返すぞ。
ここで昼から温泉、昼からビール、そのままグダグダして、ここで一泊な。
広大な敷地で、美術館だけじゃなく、野外ステージ、工房、芸術三昧。
1日遊べるんだが、それをこらえて、そこから東へ。
目指すはクラーク像。
目指すべきはスープカレー。
ほんとにほんとにほんとにほんとにスープカレー。
少しだけ札幌のとなり町にはいったあたりで、野幌森林公園っていう巨大な森林公園があってな、ざっと東京ドーム430個分の広さでな。
そのなかに、開拓の村っていうこれまた広い野外博物館があってさ、開拓当時の建物が移築されててけっこう楽しいわけ。
北海道来たなぁって気持ちになれるわけ。
夕食はサッポロビール園だ。
ちょうどよく帰り道にあるはずだ。
サッポロビール園、キリンビール園、アサヒビール園とあるんだが、雰囲気を味わうならサッポロビール園だ。
北海道において、ビール園で食べるものといったらジンギスカンなんだ。
「ビール園に行こう!」を翻訳すると、「ジンギスカンでビールを飲もう!」だ。
で、三泊目の宿。
俺ならJRタワーに泊まるね。
ワイングラス傾けながら叫んでやるね。
「見ろ!ユリア。視界に映る全てが俺のものだ!俺の街サザンクロス!」
一日目の女の子の味が忘れられないなら、すすきのに泊まるのもいいぜ。
すすきのに泊まるなら、サッポロビール園じゃなくキリンビール園なら歩いて行けるよ。
札幌にいてもまだまだ見どころはあると思うけど。
帰りの空港も新千歳空港にするなら、富良野美瑛コースか、小樽余市コースだな。
それ以上離れると、移動時間がきつい。
それより遠くに行くと、東京を拠点に箱根観光に行くようなもんだ。
知名度でいうなら富良野美瑛だが、風景以外とくになにもないから、ある意味人を選ぶ。
小樽余市コースなら、おすすめはニッカウイスキー工場見学かな。
旅の疲れピークでも運転が平気ってなら、神威岬までは行ってもいい。
4日目にもなると、美味いものもくいあきたろうから、運転しながら、月寒あんぱんとかわかさいもとかをガラナで胃袋に流し込むくらいでいいだろ。
ジンギスカンキャラメルとか、ネタでもやめろ。
石屋製菓の白い恋人は不味くはないが大半の人間は食べ飽きてると思う。
壺屋のき花は白い恋人の上位互換だが、旭川空港ならとにかく千歳空港には売ってないだろう。
一昔前なら生チョコ、ポテトチップスチョコレートが喜ばれたが、一周した感じがする。
六花亭の菓子は意外性があるわりにハズレも少なく、しかも包装が洒落ていて女性にウケる。
お気に入りの女の子には、職場用の詰め合わせとは別になにか買ってってあげるといいだろう。
重たくていいなら、北海道限定のサッポロクラシックが喜ばれる。(土産物屋じゃなくてそのへんのスーパーで買うと安い)
まあ、全部妄想ですけど。
これ、実名で書くのなんだかこわかったので、こちらで。
どうやら片山氏が送った可能性が高い・・いや、もはやたぶんそうだろうという報道がされています。
技術的なこととか、裁判での証言とかその辺のことは実はよくわからないんですが。
でも、弁護士曰く「裁判が有利に進んでいるこの状況で、こういうことをやる動機がない」
たしかにそのとおり。
まあ、全てがすべて
かたやまゆうちゃんが普通ではない、変な人だったら・・それまでのことなんですけど。
こうやって自由の身になった時点で
幼稚な考えで。
みたいなものって、ちょっとこの事件の犯人として想像される人に
あてはまりすぎてるなーと。
え〜〜??さすがにそんなことしないんじゃない???
というのがまず疑問。
普通は予想するよねぇ・・
これが2〜3年経ったあとならわかりますけど。
で、結局
というところから、そこを掘り返してみたら、あらら!
そこも・・どうなのよ・・
そんな安易なことやるかな・・
あまりにやり方が簡単すぎる気が・・
さらに疑問は。
今、連絡が取れなくなっている、どこにいるかわからない、という話。
そこからは知らなーい
なんてことないはず。
まあ、保釈取り消し!っていうのが出たら
最悪のこととして・・
と感じてしまう。。
ドラマの中だけの話じゃないし。
国家権力にたてつくと・・
消される・・
消される理由もないわけなんですが。
ただ、あのまま裁判が進んでたら
無罪となった可能性もけっこうあると聞きました。
埋めてるところの写真を捜査員がとったとかいうならわかりますが・・
警察は全く歯がたたないと。
そうなっては困るので・・
やっぱり犯人として逮捕した人には犯人になってもらう必要がある。
さらに、最終的に
与えられた罰を終えたあとにでも
その人がたとえばあとからでも
「ぼくは犯人じゃない!」とか言い出したら困る。
ということは・・
犯人には・・消えてもらった方が・・良いと。
そういう可能性もあるんだよなー
と思って、それをちゃんとした文章でブログに投稿しようとしたけど
まあ、片山祐輔氏が本当に変な
みんなが想像する、その手の人で、やっぱり犯人である可能性もあるんだけど。
このあと片山氏がちゃんと出てこられるかどうかが・・
同じ研究者(生物ではない)として、そう感じてしまう。彼女が犯したミス(?)はそれほどに初歩的だ。
しかしこのSTAP細胞の一件で最も不自然なのはそれほど初歩的な事も知らない人物が一方でNATUREの査読をすりぬけるほど論文の「書き方」に精通している、という事だ。
職業柄、他人の論文はよく読むのだが、素養のなさ、能力のなさは論文執筆に際して隠しきれるものではない。素養のない人が書いた論文を読むと、論証に致命的なミスがあったり、研究方針がそもそもおかしかったり、論文を書く上での基本的な作法(論理展開や用語)がなってなかったり、成果云々以前の所ですでにあやしいものが多い。論文を書く、という行為はそれ相応に修行を必要とするものなのだ。
しかし彼女の論文がNATUREに通ったという事は、こうした基本的事項には一切問題がないとNATUREの査読者達が判断したという事だ。
問題のない研究方針を立てられ、非の打ちどころのない論証ができ、まとも論文作法を身につけるほど修行をつんだ人が、なぜか超初歩的な一部の知識だけ欠落しているという事がありうるだろうか?
まぁ、研究計画や論理展開のような難解なところは共著者が行っていて、小保方氏が行ったのはいわば下働きのみであるとすれば一応は説明がつくが、これだとなぜ小保方氏が論文の主著者になったのかが説明できない。
なお、彼女が一切嘘をついていないとしても、彼女の実験結果は信用できないと私は思っている。
彼女の成果が信用できないのは、ハンドのルールを知らない人が「私シュートを1000本きめたんだ」と主張しても全く信用できないのと同じだ。
初歩的な事を知らない人が出した成果なのだから、「それって一試合あたりなの?」とか「ゴールポストのサイズはルール通りなの?」とか「それ以前にボールってどんなものか知ってる?」とかそういった初歩的なところで間違いを犯している可能性が大なのだ。
夫の新婚当初の浮気が原因で子無し夫婦を選択したが(最初はピル飲んでたが今は二人共パイプカットと卵管縛った)母親にも義理母にも責められることなく共働き生活をしている。
最初の浮気以来あやしいこともなく(バレないようにうまくやってるのかもしれないが、もう気にしないことにした。)割と平穏で、他人には仲の良い夫婦としてやっている。
傍目には「子宝に恵まれなくてかわいそう」って思われてるんだろうけど。
大抵この手の生活を選ぶと親がうるさく言ってくるものだが、旦那の両親は「馬鹿息子が悪いので嫁は責めない」
私の両親は「心の狭い娘が悪いので夫は責めない」となっているからか世の中によくある小梅ババアにはなっていない。
それは直接言われたことはないけど、まぁ、雰囲気として察してる。
ただ田舎育ちの親戚もいたりするので、その人たちからは口汚いことを言われたりもする。
両親は不妊手術してるの知っているけど、親戚は知らないので。
じーちゃんの葬式の時にそんなめんどくさい親戚の一人(私の父親の弟)が私に絡んできた。
まぁ三年子無しは去れとかいうそういうたぐいのことなんだが、私はいつものことだなぁと聞き流していた。
が、絡み酒でめんどくさいなぁと思っていたら母がついにキレた。
反論してくれるのも嬉しかったけど、そのあとの言葉もありがたかった。
母は大学院にも行き、修士号までとっていた人だったが、色々あって研究に断念したところで父親と出会いそのまま結婚してしまった人だった。
本人も「今となっては逃げだった」と認めていた。
同級生は働いてそれなりに社会的地位がある人もいるらしく、やはり後悔したこともあったそうだ。
それでも家庭でしっかりお母さんをやっていた母親を尊敬しているし、そんな母親から私のような勉強しか能がないクズが生まれてしまったことが申し訳なかったころもある。
母親はこう続けていた。
「娘はわけあって子供を産まないけど、その分私が諦めた社会人としての道をしっかり進んでくれている。
子供を持つことは素晴らしいことだけど、それど同時に失うものもたくさんある。場合によっては子供から得られることより失うもののほうが大きい。
私はそれを体感した時期もあったし、今でも後悔することはある。
だから娘は私の分まで社会で働いて頑張ってくれてると思ってる。
娘に私は同じような喪失感を味合わせたくない。だから娘が望まないなら生んてほしくなんてないし、
それよりあなたの娘(私にとってはイトコ)は彼氏ができても長続きできず婚期逃しそうじゃない、
娘と違って学もなくて専業主婦にでもならないと生きていけそうにないのにどうするの?」
そしたら案の定おじは、
「口の立つ女だな!余計なお世話だ!」
返していた。
母親はそれ見たことか、という表情で
「あなたが言ったことはそのまま同じことよ。不快さと自分の愚かさがわかった?」
と言い放ち、おじを黙らせていた。
駄目だと言ってるのは親だけじゃん。
それとも親=世の中なのか?
というかその親は増田が何やったって評価なんてしないよ。
定職についても給料やボーナスが低いやら休みが少ないやら拘束時間が長いやら福利厚生が少ないやら文句を言い、
ものすごく高給取りになっても「どうせ悪い事してるんだろう。でないとそんなに稼げるわけない。」
美人で完璧な嫁をもらっても「あやしい。絶対余所に男がいる。あんた騙されてるよ。」と言い掛かりをつけるだろうね。
親から評価されるのはもう諦めろよ。
【スペック】
31歳
先週、2ヶ月勤めた求人広告のコピーライター(契約社員)、契約更新に至らず、現在無職。┗(^o^ )┓
「ADHDはただの努力不足論」と「脳の特性やからうまく付き合っていくんやで理論」のはざまで揺れ動いている。
【経歴】
今までの職場では、「まわりが当たり前にできることができない。」ことばかりだった。
・「ひとつの仕事に集中しすぎて、他の仕事の締め切りに遅れる」
・「人が40分でできる仕事を一ヶ月半たっても90分かかっている」
・「人から自分の仕事について聞かれるも、把握してないのでその場で即答できない、ニュアンスを違えて把握している」
など。
自分でもあやしいと思い、ADHDを疑い始め関連の本、2chのまとめ、はてなでの投稿などを読みあさる。
病院での診断は受けていないが、ADHDの自己テストではナイス高得点を叩き出してた。
ジョブカフェで適性診断を受けると
営業・事務職系→E適性
クリエイター系→A適性
との診断。
自分自身、アイデアを考えたり、人を笑わせる事は昔から好きで、
人から評価されることといえばユーモアのセンスと企画作りくらいしかマジで覚えがない。
(学生時代、ビジネス立案コンペに応募するとすんなり入賞した。)
それまでに機械問屋、居酒屋、タクシーのコールセンター、パチ屋店員と職を転々としてきたが
そこで「好きを仕事にしてみよかー」と思い、某有名講座を受講、
以前から興味があったことと自分の適性が活かせそうなコピーライターの仕事を探し始めた。
「クリエイティブ系の仕事は専門の学校出た人だけがなる」と思い込んでいたので
講座の課題を集めたものや、コンペに応募した作品をまとめ製作会社に片っ端から応募する。
そして講座受講から17ヶ月目、
念願かなって今年の1月、契約社員で、求人広告製作会社のコピーライター職になる。
「やっとアイデアを活かせる仕事や!ADHD気味のワイのちからを発揮できるんや!」
と意気揚々入社する。
しかし先週、2ヶ月目で契約を更新に至らず、今は無職┗(^o^ )┛
理由は2点。
②「言われたこと、やろうとしてたことをすぐ忘れてしまう。途中で何かがあると、やろうとしてたことを忘れる。」
→優先準備を組み立てられない。差し込みで入った緊急度の高い案件に集中しすぎて他の仕事の締め切りを覚えていない。
ほかにも、「人の話が本当に聞こえない、言ってることがわからない」「すぐ焦る、パニックになる」など。
付箋を色分けしてタイムスケジュールをとる、メモしながら話を聞く、など工夫したが
振り返ってみて自分の努力不足や仕事の取り組み方が悪かったように思える。
求人広告作りはアイデア云々よりも製作スピードが重視される業界。
アイデアで勝負したかったんだから首は気にしない、とは考えられない。
どんな仕事でもつきまとう、
「締め切りを守ること」等の必要不可欠なことができなかったことに
「他の仕事でもやっていけるのか」と将来にビビる。┗(^o^ )┛
【思うこと】
同級生の友達は第二子が生まれたり、都内で新築高層マンションの一室を買ったりしている。
「ADHDだからと」どこかで諦め、成長しない自分に不安感と諦めを感じている。
ADHDの人は仕事ができない自分に絶望を感じて鬱になりやすい傾向があるらしい。
アドラーの勇気づけや事実を受け入れる心がけでなんとか前向きにやっているが。
┏(^o^ )┓
一方、ADHD気質でも、自分の特性を理解し、うまく社会に適応しているひともいる、はず。
NLPとか引き寄せの法則を使って、自己暗示や失敗を繰り返すパターンからの脱却を
身に付ける必要がある。
同じADHDの人の稼ぎ方として個人でアフィリエイト等で稼いでる人のまとめをよくみる。
【これからの身の振り方】
バイトで食いつなぎながら、企画系のコンペに応募したり、Webの勉強、今持っているWEBサービスのアイデアを個人で作ってみる。
個人でやっていくか、作品集を作って就職するか両方の可能性を探りつづける。
最悪「もう無理ポ」となったら、、、そん時考えよう┗(^o^)┓┏(^o^)┛┗(^o^)┛┏(^o^)┓
◆ADHD
【参考書籍】
それって、大人のADHDかもしれません (アスコムBOOKS) 星野仁彦
大人のADHDの認知行動療法<本人のためのワークブック> S・A・サフレン、 坂野雄二 (2011/12/1)
めざせ!ポジティブADHD あーさ、 山下 裕史朗/水間 宗幸
ササッとわかる最新「ADHD」対処法 (図解 大安心シリーズ) 榊原 洋一
発達障害に気づかない大人たち (祥伝社新書 190) 星野仁彦 (2010/1/30)
おっちょこちょいにつけるクスリ―ADHDなど発達障害のある子の本当の支援
脳を鍛えるには運動しかない!―最新科学でわかった脳細胞の増やし方 ジョン J. レイティ、
さあ、どうやってお金を稼ごう?―LD、ADHDの人のための将来設計ガイド 就職活動編
他10冊位
KAMONのたとえ話シリーズ 発達障碍編 ~ADHDって、脳みそのどこが動かないの? 車に例えて考える。
◆セルフヘルプ系
◆NLP系
苫米地英人の本
想定してるのはブッコフで100円で買えるようなの。
もちろん手元にあればそれで。
どこでやってもできあがるものは同じだし、場所が確保しやすいだろうから。
とりあえず表示できるファイルが出来たら電子書籍として100円で売ります。
この時点ではスキャンしただけなので検索できるかどうかとかあやしい感じでもOK。
わざわざ削ったりもしない、カメラでいうと「撮って出し」ってやつ?
1冊のスキャンにどのぐらい時間がかかるかにもよるけど、人件費がペイするには
20冊ぐらい売れればだいじょうぶ?
で、さらに売れるようだと思えばファイルをアップグレードしていきます。
画面のゴミを取ったり検索用のテキストを修正したり電子書籍に最適化したりとか。
最初に100円で買ってくれた人はもちろん強制上書きで最新ファイルに書き換えます。
ウエディングプランナー代行業者?っていうの?そういうのが絡んでて、ゲームで勝った人には立派なお返し。その他の人にはしょぼいお返しみたいなのがあって引いたなぁ…そういうのも、経費節約策というか、少ない予算で豪華っぽくみせようとしてるんだけろうが。外れた大部分の人には感じ悪いだけだった。
おまけに、仕組まれてたのか何か知らないが、新郎の会社関係とか、新婦の親友とか紹介されたヤツらにばっかり当たってて、超あやしい感じだった。
なんだったんだあれ?
ヒトの肉体や遺伝子には、他の生物に感染した形跡や、取り込んだ形跡が残っているそうだ。
腸内がとりわけ知られているが、腸だけではなく、肉体の表面には様々な細菌が棲んでいる。
私たちは他の生物を殺して食べているという意味でも生態系の一部だが、肉体のあちこちに細菌が棲んでいるという意味でも生態系をつくっている。
最近は、「傷を消毒するな」と勧める本すら出ているそうだ。細菌叢の観点からみた美容法の本も出ているそうだ。それは米澤円のブログ記事で紹介されていた(笑)。
生物を殺して食べるという現実を直視するとグロテスクに思えるし、あるいは自分の身体のあちこちに細菌が棲んでいるという現実を直視するのが嫌な人もおそらく多いのだろう。だが、生物と共生している(時に殺しあう)ことで健康でいられるという現実から逃げようとすると、不健康になると思う。
そもそも、例えば乳酸菌にしても、昔の日本人はヨーグルトをほぼ食べていなかったはずなのになぜ生きてこられたのか。それはおそらく、植物に乳酸菌が棲んでいて、野菜などを食べたら一緒に乳酸菌を摂っていたからだろう。江戸時代には糠漬けが流行り、ますます、乳酸菌をたくさん摂るようになっていた。
いま売られている野菜はむしろ、清潔すぎて、乳酸菌がどれほど棲んでいるのかわからない。同時に、肥料や農薬をやっているので、その野菜が健康なのかはあやしい。
イライラするというとすぐカルシウムの話になりがちだ。だが、肉の食べ過ぎと、乳酸菌不足が、かなり大きな原因なのではないかという気が、私にはする。
「肉を食うな」ということすらもマスコミでは必ずしも言わないくらいなのに、「いまの野菜は異常だ」などという話はおよそマスコミにはほとんど流れない。不都合な真実なのだろうと思う。遺伝子組み換え以前に、野菜にしてもコメにしても肉にしても卵にしても(以下略)、時間と労力を削減し、廉価に数量を確保するために、通常ではありえない人工物が広まっている。
以前、ラグナロクオンライン(RO)を日がな一日やっている奴が大学の職場の同僚にいたのですが、楽しいだとか遊んでいるだとかいうよりもきっと、必死なのでしょうし、居場所を求めているのでしょうね。いまだってソーシャルゲームで日がな一日やっていて必死な人間がたくさんいますし。
パチンコ屋に行ったら、カネさえ切らさなければ朝から晩まで居座れるようになっているし、「無制限」だとかいうのならなおさらに、玉がある限り打ち続けるようなシステムになっています。一日中居続けられるシステムになっています。競艇場や競輪場や、たぶん地方競馬もそうでしょうが、平日からやっていますし、そこで日がな一日居座っている人もたくさんいるでしょう。なかには生活保護でやっているのもいるかもしれないし、年金でやっているのなんかならばいくらでもいるでしょう。それで「経済効果」はあるのでしょうけれども、なんだか虚しいものではあります。経済効果っつっても、その収益がどこに流れているのかっていうと、それもまた役に立っているのか疑わしいものですが。競艇だとかたとえ公益団体に流れていたとしたって、貧困者や精神障害者から取ったカネで公益事業をやって、障害者が障害者を支援している構造になっていて、なんだかバカバカしくもあります。
居場所がないのでしょうね。受け入れられていない。仕事に打ち込みまくるのも、実際にはそんなことしたって地球のためになっているかあやしいものばかりだし、それどころか社会のためにもなっているかあやしいものもあります。けれども、仕事にハマっていたら居場所があるのでしょうね。
家庭があって配偶者や我が子がいたら、居場所があって労働する理由になるのかもしれない。けれど同時に、必死に労働して稼いで、悩みを抱え込んで、悩みを吐き出す先がなくて死んでしまう人もたくさん出ています。
居場所がないんでしょうね。孤独なんでしょう。ヒトは、生態系の一部でもあり、社会的生物でもあるのに、他の生物からもわざと孤立して都会の人工環境で暮らして、そしてさらにはヒト同士も孤立して。
ヒトは元来居場所を求めるものなのでしょうし、だから「夢」だとかももつのでしょうしね。学習もし、社会に適応しようともしますし。本能的に。
電王戦以前にも、将棋に興味はあった。 子供の頃は親となんどか指したし、高校の頃も何十戦か友達と将棋を指した。
だが、定石を覚えるのが面倒だし、強い人相手だと同じ戦法で延々ボコされたりとつまらなかった。
漫画では、ハチワンダイバーは面白いなあと見ていたし、ハチワンダイバーを理解するために、『最強将棋 激指スペシャル2』という、基本的な定跡をだいたい網羅していて、将棋ソフトまでついてくる本を買って、一応戦法の種類はだいたい把握した。
その程度の知識だった。
電王戦が始まる1年前に、『人間に勝つコンピュータ将棋の作り方』というのを読んでいた。 どうやら、10年後にはコンピューターにプロ棋士は勝てなくなるぞ。的な内容だった。 正直、うさんくさかったw 内容も、どうやったらアルゴリズムがよくなるか?について書いてあったが、『そんなんで勝てるの?』というのが正直な感想だった。
確かに、将棋24で勝ちまくるのは可能だろうけど、プロって本当かよという印象。
だが、電王戦で、「はじめてプロ棋士が負けた!」 → 「おいおい、速効次もかよ!」 → 「え???塚田プロって昔すげえ強かったんじゃ、、、ひきわけ?」 → 「はぁ????A級がボコられた??? A級って一番強いんじゃなかった????」
と、ものすごくびっくりした。
正直、その時は、A級の三浦ってだれ? 塚田ってどのくらいの人なの? 橋本より強いのって出てるの? 船江って人はどのくらい強いの? とまったく理解していなかった。
理解していなかったが、ツイッターや2chでおもしろ半分で煽りまくっていたw
『プロは雑魚w』 『あと数年でスマホにもかてねえゴミどもw』 『プロ削減しろ、終わったんだよ』 『どーでもいいから、三浦とかわけわかんねーやつより羽生とか渡辺だせよ、はあ?森内???だれだよそれ、しらねーよ、そんな聞いたことも無いゴミ』
みたいな。
いやもちろん、ネタなんだけど。
そういうレスであふれかえっていたので、なんとなく便乗した。 とにかく、「真剣にやってて、ガチ天才と言われてる奴らが惨めに負けていくのが凄く楽しい」というルサンチマンだった。 「所詮人間の天才なんて、こういうアルゴリズムの数量押しの凄く低い段階なんだよw」という感じで溜飲を下げていたのだと思う。
その後、A級、B1,B2棋士をだいたい覚え。 それぞれの将棋の戦法もある程度覚え、狙いも覚えた。 将棋の歴史や、戦法の趨勢も、まあまあ把握した。
で、ハム将棋にはほぼどんな戦法でも完勝するくらいにはなった。
将棋講座なり買って読むし、NHK杯も見るようになった。 棋譜を漁って見ることも覚えた。
なんというか、普通に面白い。 人間がコンピューターに負けたとか関係無く、すげえ面白い。
てか、コンピューターに人間が勝てないってのは、当たり前というか。
まあ、人間はプロ同士でも、「詰みを逃した」とか、「終盤よく分からない」とか普通にあるけど、ソフトは演算で全部読むから、そりゃミスらない。 下手したら、30手くらい読むわけで、将棋がせいぜい100手~200手で終了するゲームだということを考えると、そりゃ終盤は勝てない。
じゃあ、中盤はどうだろう?
中盤ってのは、プロの腕の見せ所だけど。 プロ同士でも、「ミスの少ない手」を選び続けるということが多い。 そう、ミスをしない手を選び続けるわけだ。 コンピューターの場合「ミスをしない」のは当たり前だし、「ミスを全部潰した上で、画期的な手も読むことができる」というアドバンテージがある。
そうなんですね、プロ同士では、お互い人間だから、「ミスをしない手を選び続ける」ことがそのまま優位性につながるけど。 vsコンピューターだと、相手はミスをしないのに、こちらはミスをしないことに気を遣うだけでなく、相手に良い手を指させない事まで考えないといけない。 vs人間にくらべて、読む量や精度が格段に求められてしまうんですね。 人間相手だとあり得ない精度をやってくるわけで。 中盤は、コンピュータが強いというよりは、「人間にとって不利すぎる相手」になってしまう。
じゃあ、序盤は? そう、序盤こそ勝ちうると思います。 コンピューターは、所詮序盤は人間の人まね段階です。 ここで、「新構想」とかで勝ちうるってのはあると思います。 ですが、「新構想」ということは、「研究が整備されていない」ということです。 研究が整備されていないものをミスなくさせるでしょうか? あやしいですね。 ですから、新構想でコンピューターに勝つというのは、厳しい。 さらに、新構想なんてあるなら、vs人間でのタイトル戦に温存するわけですよねw
さらに、時間。 人間同士で4時間持ちなら、 お互い4時間めいいっぱい使って、8時間だけど。 コンピューターは4時間も使わないわけで。 結局人間にとって不利。
結局、コンピューターと人間がやるにするには、あまりにもコンピューターが有利すぎる。
ってことで、ハード貸し出しとか、当たり前だと思いますよさすがにw 人間は見えないところでハンディあるわけですから。
①序盤の構想 → かなり新構想とかが出るわけです、何がでるかな? 相手の研究を外すためにどんな戦法を出してくるのか? 鍛えてきたのか? なんというか、カードゲームで、『どんなデッキ構成で挑むか?』というメタゲーム的なおもしろさがあります。
②中盤の勝負 → 中盤では、ミスをしないこと+終盤への構想や形作り がなされます。 パワプロで言えば、選手選びに近い感覚でしょうか? 投手の控えやバッターの並びなどで試合結果が変わるので、ここでの考えが大事です。 守備と攻め、両方を考えてメンバーを組むみたいな。 また、ここでも新手ってのが頻繁に登場するので、そういうワクワクがあります。
③終盤の勝負 → 実は、ここが面白い。 終盤って、格闘技に似てるんですよ。 『相手を責め続ける』&『自分も致命傷を受けないようにかわす』これがギリギリまで続きます。 約30手ほど、ギリギリの攻防が続きます。 攻めがキレたらホボ負けますから、攻めを切らしてはいけないので、駒を得ながら切りながら攻めまくります。 また、相手が攻めてきたら相手の攻めを切らすまで受けます。 ボクシング的なおもしろさです。
④漫画のようなおもしろさ。 いやーホント、序盤中盤終盤、全部面白いのが将棋。 マジで漫画か小説で、ものすごい傑作を読んでいるようなおもしろさです。 ホント漫画みたいなドキドキワクワクの場面、行き詰まる戦闘シーン。 そういう感じです。
コンピュータが強いとか関係無く、普通に面白い。 でも、コンピューターが指しても面白いんですけどねw確かに。
⑤人間同士の戦略 → メタゲームがホント凄いゲームなんですよ、将棋って。 「相手はあの戦法しかしてこないから、この戦法」とか、「あの人には勝率悪いから、研究で研ぎ澄ませたこの手を打って困らせよう」とか、「自分にとっての大一番以外の対局では磨いた研究を使わず、自分にとっての大一番だけ研究を放出しよう」とか。 そういうのがホント面白い。 その場だけの勝負じゃなく、研究段階で、カードゲームのデッキ構成があるんですよ。 ただ強いデッキを用意するんでなく、『相手によって対応を変える』というメタゲームがあるんです。 これは、コンピューター将棋にはなかなか見られない。
まずは、負債の返済計画を立てましょう。
次に、買い物したもので、購入時よりも価格が下がらず処分できるもの(未開封とか未使用のもの)を売って、債務の返済に充てましょう
そして、収入(毎月の給料)と支出(生活費)の計算をして、どういう計画で返済をしていったらよいかきちんと計算しましょう。
買いたい衝動が来たら、まず1分我慢してみましょう、1分我慢できたら5分我慢しましょう。5分我慢できたら10分我慢してみましょう。
そうやって少しずつ我慢するのをつづけて、衝動を抑えられるようにしましょう。
自身のメンタルに不安があるなら精神科受診やカウンセリングを受けましょう。
くれぐれも闇金や変な貸金業者に手を出したり、簡単に高収入が稼げますなんていうあやしい仕事につられないようにしてください。
わかるよ。大人になると確かに幸福感が変わる。子供の頃目指していた大人になれていないし。
子供の幸福感の正体ってなにかな?自由に夢を描いたり、欲しいものが手に入ることなんじゃないかな?
だけど大人になると、根拠がない幸せには不安が芽生えてきてしまう。
これは、棚ボタの幸せに一喜一憂することのバカらしさを学んだからじゃないでしょうか?
“何のために”欲しい物を手に入れるのか、手に入れて何ができるのかを考えだした。それは決してネガティブではないと思います。
例えば、子供は「うんこ」とかのリアクションで笑える。ハラハラドキドキの、ワンパターンな映画でも素直に楽しめる。意味やテーマを咀嚼せず、反応しているだけだから。
でも大人になるにつれて(頭が良くなるにつれて)「うんこの何がおもしろいの?」「あの映画と同じテーマだよね」って気づきはじめる。裏側の意味を楽しむようになる。
ワンランク上がるって言い方は語弊を招くかもしれないけど、意味のないものに楽しさや幸せを見いだせなくなった。ただそれだけじゃないかな?
そして、それを受け入れてみるのはどうでしょう。
と言うのは、幸せになろうとするんじゃなくて
ってこと。
大人の幸せは「今の自分を肯定すること」だと思います。今の自分が未来に繋がってるから。今の自分にしっくりきてないのに、バラ色の未来を描くのは難しい。
あなたはそれがわかっているから、バラ色の未来が描けないでいる。頭がいいんだよ。根拠もなくハッピーな未来を夢見るのは、子供だからできること。
だけど不幸だとは思っていない。自己実現はともかく、ある程度の欲求は満ちている。
可もなく不可もなく幸せです。
とか、そこらへんの考え方の根本的な部分が知りたいのかもです。
「諦め」って言葉はネガティブに使われがちだけど、元来は「明らかにする」って意味だし、悟り。明らかなうえで受け入れる。
妥協は受け入れないで、擦り合わせること。
自分の場合は、暗→明のほうへ人生が180度変わる出来事があった。とは言っても、精神的な変化だから、きっかけらしいきっかけはないけど。
ただ、それ以前が底辺すぎたから平穏を手に入れて嬉しいと感じた。
「幸せって精神的なものなんだ」って気づくと同時に欲が消えた。煩悩が消えた感じ?冒頭の例のように、奥行きが必要になってしまった。
あ、欲がなくなったと言っても食欲と睡眠欲はあるよ。性欲はなくても困らない。
時々「鬱なのかな?」って心配にはなるけど、死のうとは思ってないから大丈夫なんだと思う。
で、気とかオーラとか占いとかスピリチュアルとか、なぜか周囲にそういう人たちが増えて、一般的にあやしいと思われている分野へ足を突っ込んだ。
最初は、あなたと同じで疑り深くて苦手でした。今でも信じてないです。
でも「なぜそう言えるのか?」を調べていくのは楽しい。いずれも元を辿ると西洋哲学や東洋思想にたどり着く。
すると、人が人であるがゆえの悩みは普遍的で、それを整理する方法も大昔から研究され尽くしていて、それなのに未だに人は悩み多き生き物なんだってわかった。
ハードは進化してるけどソフトはあまり進化していないって。だから生きてるんだなって思えました。考える葦なんです。
前者は「内なる子供」で、後者は「高次の自分」と訳されるけど、適当にアレンジして「子供性」と「大人性」で解釈するとわかりやすいかな?
そのバランスを意識しなきゃいけない時期に差し掛かっているのかもしれませんね。
二十歳になったら成人式やって法的に大人になるけど、本当に大人になる瞬間は、経験によって人それぞれにバラバラで、
あなたが今置かれている状態は通過儀礼ではないかと思います。自分は20~24歳までモラトリアムになって、24の時に脱皮した。
大人性というのは、いつも自分を律したり、自分に指図している自分。
一方の子供性は、ありのままでいようとする自分そのもの。子供は「快・不快」に敏感。
ハイヤーセルフは、自分をあるべき姿へと導いている。だけどインナーチャイルドが時々「私って幸せなの?」と問いかけてくる。
心をないがしろにして自分を律しすぎている時には「素直に泣いてもいいよ」って子供が出てきていて、
ウダウダが長く続けば「あんた、ヤバイんじゃないの?」って大人が出てくる。
ややスピった考えを言いますが、
と考えてみてはいかがでしょう?律している自分も必要だし、駄々っ子の自分も必要。
「よくわからないけど、幸せじゃない。おかしいな」って感じている。今、そういう状態だよね?
今は心の中にいる子供がグズグズしている。そう考えると、啓発より癒やしかなぁと思います。
自分だって考えたら自分を上手く癒せないけど、自分の子供だって考えたら少し優しくなれませんか?
子供だと思ったら「泣くな、元気出せ」って言えないでしょ?
「無邪気に幸せを感じていた子供の自分」を否定しちゃうと辛いです。
それはそれ、仕切り直しの気持ちで「子供の頃はこうだったけど、今の自分はこう」って考える。
今が充たされないと、未来は見えないです。
あちこちのサイトを見るとわかると思いますが、インナーチャイルドとかハイヤーセルフが出てくるサイトには
天使やら偉大なるマスターやら、神秘的に説明されていて、知性面から捉えると「あやしい」ですw
でも、
これも持論だけど、啓発って「気づき」を得ることだから、人に教えてもらうもんじゃないと思います。
啓発本は「こうしたらイケてる奴になれるぜ」ってやつだから、すでに前向きな意志が持てて、契機づけたい時にのみ有効。
「教えやがれ!この野郎」って思える時に読むのがおすすめで、やる気が落ちている時にはあまり意味がない。
啓発本には啓蒙的なものが多すぎるし、意識だけやたら高くなっても、肉体がついていかないと使えないです。
スピ用語を使わずに伝えるにはどうしたらいいかな?と思っているうちに、長文になっちゃいました。
上手くまとめられていないと思うので、わかりにくいところはまた質問ください。参考になれば幸いです。
「吉牛の玉ねぎは中国で生産してカットして日本にもってくるらしい」って聞いた。ほんとかどうかしらないけど。
そういえばコンビニのカット野菜も中国産だ。カットして詰めまくったら、輸送コストも下がるだろうし、どうせ中国産の野菜つかうならそのほうが理に叶ってる。
輸送コストと生産コストのバランスが取れてる限り、すべての商品は国外で安く作られるようになるってわけだ。石膏ボードは原価が安価で殆ど輸送コストだから、日本の各地に工場があって消費地近くで作るらしい。似たようなのは飲み物とか生鮮食料品か?でも生鮮食料品も保存技術あがれば日本の外で作ってもってくるようになるよね。
ってなると次に下げられるのは輸送コストってことになるのか。でも輸送という仕事は当分国内でもなくならないだろうな。海外で作っても日本で消費するかぎり運ばないといけないし。
地方に住んでる事自体が日本に不利益だ、みたいな地方を批判する人最近目につく。自分自身地方に住んでるからこの手の言い分はあんま気持よく聞いていられないんだけど、本気で東京以外に住むやつは損しか生んでないって言う奴いるからなー、うちも自治体収支ワースト側だしおもいっきり反論はできないんだけど人の住む所ってそういう理由だけでどうにかできないだろ。
自分はプログラマなんだけど、この仕事も国外にでていってるわけで、いずれは国内に仕事なくなるんだろうなーって思ってぼんやり考えてる。
デザインなんかも変わりがきかないほどのデザイナーじゃないかぎり国外になっていくんだろうな。漫画家や小説家みたいな製造ではなく創造をする仕事は代わりがきかないから国内の人がやるだろう。でもアニメを作る下の現場は国外に既になってる。デザインも同じ事か。製造か創造かという。
直接人とかかわる仕事はなくなりそもうないけど、販売はあやしい、Amazon や他の通販に吸われてるし。ってなると、殆どすべての仕事が日本からなくなっても日本に人が済んでいたら存在してる仕事って、創造をする代わりのきかない仕事、公務員、道路水道ガスのインフラ系、建築とか、直接なにか提供するサービス業、運輸旅客、それらの仕事のための管理と創造をする仕事、うーん…報道、広告は無くなりそうでなくならないと思う。
って考えてたら友人のこと思い出した。
そいつは、高校卒業して運送会社に務めて遠距離トラックで頑張りながら貯金して自分のトラック持って、結婚して、子供二人いるんだけど最近すごく勝ち組に見えてる。自分普段あまり勝ち組負け組って考えないし、そういう言い方好きでもないんだけど他にいい言葉が見つからない。劣等感じゃなくてなんか単純に、みんな老人になったころに一番幸せそうなのはあいつなんじゃないかなーって。まだ 19 の頃、何度かトラックに一緒に乗せてもらったけど、ものを届けること、ライフラインに関わってることの大事さをすごく自信もって話してくれた。あのころは、そんな泥臭い仕事って馬鹿にする人もいたけど、今思うとあれはつえーなーって感じ。
なんか話変わっちゃった。
結局さ、自分のやってる仕事が世界の何かを幸せにすると思えないと限界のところで気が続かないんだよね。俺かっこいいーってならない。やっぱさー俺かっこいーこの仕事してる俺かっこいーって思えないと、なんかスカスカになってく。自分なにやってんだろって。
そしたら多分自信もって、自分にこそ出来る仕事だから自分に仕事くれって高い金要求しながら胸張って言えるようになると思う。そらー集団で何か作るには突出した能力だけでどうにかなるものじゃないけど、そういうんじゃなくってさ、誰かと仕事するからって、仕事の質落として、平均的な "ライン製造" に貶める必要はない。
プログラマだって本質的には創造をする代わりのきかない仕事でもあるはずで、でも仕事でそう思えるにはきっとどっかのミスを喜んで隙間から吸い取るような考えの社長の元でしょうもない当て逃げの企画をやってるよりは、世界の何かを幸せにするような胸はっていえるものにかかわったほうが、胸はって金くれ俺だからやるって言えるよなって。
モヤモヤ考えてた。
そろそろ転職かなー