はてなキーワード: 試行錯誤とは
増えてない?
いま、多くの人がやってることって、ググれば大抵のことはヒットする
ゲームの攻略法、カードゲームのデッキの組み方、儲かる転売商材、もう何でも
でもさー、本当は考えてそこに到達するのが楽しいんじゃん?
ゲームクリアできない、なんでだ?どこだ?ここか?こうすればいいのか?あっうまくいった!ってのがいいのでは?
最初から正解見て、その通りやって、俺は失敗しませんでした、って威張るの、時間の無駄じゃない?
いや、対戦ゲームとかで全国優勝とか目指してるなら常に最先端に身を置くのもいいと思うけどさ
友人との対戦とか、田舎のカードショップでの野良試合で、全国大会優勝者と同じもの使うってのは、それ楽しいのか?
しかし、最近は借りてきた戦略でプレイすることすら億劫で、なんなら、人が遊んでるところ見るだけで自分も遊んで自分も勝った気になれる人が増えてるよね
まじで何が楽しいんだろう
1.習得
男性は、何かを習得することが好きです。その対象は、重要なものや役立つものである必要はありません。そこに挑戦があれば十分です。
これに対し女性は、習得することで有意義な効果が得られる場合に興味を持ちます。
2.競争
男性は、自分が最高だと証明するために他人と競争することを心から楽しみます。
一方、女性は、ゲームに負ける(または別のプレイヤーを負けさせる)ことからくる悪い感情が、ゲームに勝つことからくる肯定的感情を上回ります。
3.破壊
男性は破壊することを好みます。大好きです。男の子がブロックで遊ぶとき、最もワクワクするのはタワーの組み立てではなく、出来上がったタワーをぶち壊すことです。
デジタルゲームはこの手のゲームプレイに適しています。仮想世界では、現実世界よりもはるかに大きな規模で破壊を行えるからです。
4.立体パズル
一般的に男性の方が女性よりも空間的な推理に優れていると示した研究が、いくつもあります。数値上の根拠はなくても、多くの人が、経験からこれに合意しています。
したがって通常、3D空間の操作を伴うパズルは男性の興味を強く引きますが、女性にとってはイライラさせるものになります。
5.試行錯誤
男性は取扱説明書を読むのが大嫌いだと、女性はよく冗談を言います。あながち間違いでもありません。男性には、試行錯誤して物事を学びたがる傾向があります。
ある意味、男性向けのインターフェースデザインは女性向けよりも容易です。なぜなら、男性は試さないと理解できないインターフェースを好むからです。これは習得の楽しみにも関係しています。
女性は現実世界と有意義な関連性のある娯楽を好みます。少女や少年の遊びを観察すると、少女のほうが、現実世界に強く結びついたゲーム(ままごと遊びやお医者さんごっこ、着せ替えごっこなど)で遊ぶ頻度が高いことが分かります。
これに対して、少年の方が空想上のキャラクターを演じる頻度が高いことが分かります。この傾向は、成人期も続きます。
7.肉体
女性は人間の感情の豊かさを探求する体験を好みます。男性にとって、感情は体験を構成する興味深い一要素ですが、それ自体が目的になることはまずありません。
恋愛表現の一方の端にあるのは恋愛小説です。これは恋愛の感情的側面に焦点を当てていて、購入するのは、ほぼ女性です。
もう一方の端にあるのは、エロ本です。これは主に恋愛の肉体的側面に焦点を当てていて、購入するのはほぼ男性です。
Steamで買った『Recursed』というゲームを全ステージクリアしたので、記念に感想を書く。
Steam:Recursed
https://store.steampowered.com/app/497780/Recursed/?l=japanese
一見すると『Recursed』は2Dのレトロな雰囲気のアクションゲームである。操作はシンプルで、方向キーで左右に移動し、アクションはジャンプと物をつかむ/投げるだけだからだ。部屋の中を移動してブロックをつかんで足場を作ったり、鍵をつかんで扉を開錠したりしてゴールへと到着(crystalを獲得)すればステージクリアだ。
ステージの始めはチュートリアルの様に簡単だが、ステージを経るごとに難しくなり、そのうち何度も試行錯誤したり難しさのあまり何十分も頭を抱えたりもした。
この複雑さを生み出す要因は箱(ゲーム中表記ではChest)である。このゲームでは箱の中へジャンプすることで部屋の内に入れるが、一度箱の外にでると箱の内部状態はリセットされてしまうのだ。よって箱の中にブロックや鍵などのオブジェクトを持ち込んでも保存することはできないし、ブロックの位置もリセットされるし、開錠した扉もまた施錠されてしまうことになる。
さらに大きな特徴として、箱を持ち歩いて移動することができるのだ。それにより、箱を持ったまま別の箱に入ったり箱を持って箱の外にでることもできる。
そして、ステージを経ると箱の中の部屋は箱の外と同じ部屋という場面に出くわす。Recursedは『再帰呼び出し』という意味らしいが、まさにこのゲームのタイトル通りの現象が起こるのだ。そして、以降のステージでは再帰を交えることでパズルの複雑さはより深まっていく。
再帰は数学的帰納法やアルゴリズムでは定番の概念だが、それがパズルとなってプレイヤーの思考回路を奪ってくる。私はかつて社畜プログラマとしてJavaプログラミングを経験していたので、箱に入ることはメソッドを呼び出すことの様に感じた。オブジェクトを持って箱に入ることは引数を使ってメソッドを実行することであり、オブジェクトを持って箱の外に出ることはreturn文でメソッドを終わらせることであった。
「ゴール前の段差が大きくブロックが必要だから、ブロック生成メソッドを呼び出してブロックオブジェクトを返り値として渡さなくてはいけないけど、そうすると鍵オブジェクトをゴールメソッドの引数として渡すことができなくて……、いっそのこと、ブロックメソッド内からゴールメソッドを呼び出すべきか……、メソッドの返り値は一つだけだが何度も呼び出せばいけるか? この緑色のオーラはなんだ? Staticを意味するのか? Staticなオブジェクトの位置情報をあらかじめ変更しておけば、ゴールメソッドで引数渡しをする必要がなくなるのか?」
こんなことを一つのステージをクリアするだけのために何十分も考えていたのだ。念のために書いておくが、ゲーム内には数学用語やプログラミング用語は一切出てこない。ただ単に、私にJavaプログラミングの経験があるからその用語でパズルを考えていただけだ。ゲーム内で箱から出入りしたりオブジェクトを箱の中から出し入れするとどうなるかを、Eclipseでステップ実行するように想起していた。ちなみに、ゲーム内で存在しない部屋や壁の中に移動しようとするとparadoxが発生して強制的に特殊な部屋へ移動されるが、私はその度にステップ実行でExceptionに遷移されたことの様に感じた。他の言語に精通するプログラマだったり数学畑の人ならば、私とは異なる概念でパズルを思考をするのだろうか。
プログラマを辞めて何年もプログラミング的思考をしてこなかった私でも全ステージクリアすることができたのだから、学校でプログラムを学んでいたり現役でプログラミングをしてきた人ならばこのゲーム『Recursed』をクリアすることは可能だろう。いっそのこと、『Recursed』のクリアすらできない人にプログラミングができるのか? と煽ってみたいくらいだ。
ちなみに、もし私が社畜プログラマ時代にこのゲームをやったらブチ切れていただろう。なんで仕事でプログラミングで脳を酷使した上に自宅のゲームでも同じようなプログラム的な思考をしなければならないんだよと。プログラミングから何年も離れていた今の私にとって『Recursed』は、プログラミングや単体テストが無事成功した時の快楽を思い出させるものだった。
『Recursed』はパズルとしての難易度は非常に高いが、理不尽な解法を求められることはない。理不尽な解法のクイズやパズルには怒りが湧いてくる。ひと昔前のクイズ番組を見たことのある人なら『モヤッとボール』を投げつけたくなる、と言えばその感情が伝わるだろう。『Recursed』はどんなに難しいステージでも、ただただ開発者のパズル作成能力に感嘆するだけで怒りは湧いてこない。
似たようなアクション風パズルゲームとして有名なのは『The Witness』であろう。『The Witness』も私が好きなパズルゲームであり、ゲームとして高い評価を得ていることに間違いはないのだが、しばしば理不尽な解法を求められるパズルがありその度に私は怒りが湧いてきたものだ。そう考えると、『Recursed』はパズルとしての洗練さだけなら『The Witness』を超えるものだと私は思う。
具体的にパズルを解説するととただのネタバレになってしまうので(もっとも、文字だけでパズルの解法を説明できないのだが)、『Recursed』で私が好きなステージを述べる。順番は攻略順に並べた。
チュートリアルの様に簡単だったこれまでのステージから突如再帰の概念を見せつけられることで、このゲームのタイトル名の意味を理解することになった。
鍵を手に入れたら扉に到達できず、先に扉に到達したら鍵が手に入らずで、まさにインターロックの名前に相応しいステージだった。
一画面だけのオブジェクトが少ないシンプルなステージだが、氷の壁に阻まれてゴールできず苦戦した。試行錯誤の繰り返しの末クリアできたが、何故クリアできたのかがわからない。
The Voidのステージはどれもこれまでの集大成という感じでやりごたえあったが、中でも頭をひねらせたのがこれ。ゴールの部屋を水没させたり水の無い状態で入ったりして鍵を運搬するのに苦労した。
箱を左右へ投げて移動を繰り返して、高い位置にあるゴールを目指すのがまさにEscalateというステージ名そのものだった。paradoxを発生した後のパターンが複雑だったのが印象に残っている。paradoxを発生させたらcrystal獲得(通常のクリア)できないのかよ……という落胆は大きかった。しかし、それだけにcrystal獲得とdiamond獲得(paradox発生によるクリア)のどちらも大きな達成感を得られた。
簡単そうに見えて難しく、唯一ステージを飛ばして次のステージへと進んだので印象に残っている。後に複数日に及ぶ数時間の試行錯誤で改めてこのステージをクリアができて、クリアにかかった時間が最も長くなったステージでもある。しかしながら、おそらく開発者の想定外の方法でのクリアであり。初期画面から右の方へ一切行かずにOobleckさえ使用しないというクリア方法にスッキリしなかった。といっても、開発者の想定を無視するゴリ押し的なクリアを見つけたのはこのステージだけだった。
The Void/Escalateと似たコンセプトのステージだが、釜(JavaにおけるThread?)のギミックを利用したより複雑な構成となっている。高い位置にあるゴールを目指すのは、やはりFlightというステージ名そのものだった。
この記事を投稿する前にエンディングを見れていないことに気づいた。
全ステージクリア(全てのCrystal取得)したからと、この記事を執筆するためにネタバレを気にせず攻略情報を調べていたけど、エンディングなんてわかる訳ねえよ。The Void/Trilemmaの最後にCrystal取得とは関係ない意味深なオブジェクトがあることには気づいていたけど……。ちなみに、私のSteam実績によるとdiamondとrubieの全取得はできてないけれども、もう取得する気力はない。パズルゲームガチ勢にとっては、実績全解除を目指さない私は軟弱者に映るのだろうか? 攻略を調べずに実績全解除できる人は、高い論理的思考能力を有しているに違いない。
だから「勉強頑張りました」じゃなくて「こんな勉強は辛かったけどこうやって乗り越えたよ。だから困難な仕事が来ても諦めず頑張れるよ」「興味ない分野だったけど自分をこうやって奮い立たせてこんなことできたよ。たとえ苦手でもいろんな事を前向きに努力するよ」みたいに言えばいい。
よく「バイトリーダーでほにゃほにゃがんばってみんなを取りまとめました!」「サークルで環境改善に努めました!」などとあるけど、こっちからしたら学生の実績なんぞ社会の評価にならない。まして確認しようもない自己申告だしね。
よって文学部行こうが高卒だろうが試行錯誤しながら何かに取り組んでたら問題ないよ。
読む限りあなたは勉強を頑張ってきたんだから、きっと日々考えて努力してきたでしょう。だからゴミじゃないよ。そこに思い至らず、親や周りが言ってくれなかった!などと言い自分を責めていることは浅はかだと思った。
言いたくなる気持ちはわかるわ
自分は別のタイプのクリエイターに指示出すマンだけど気持ちはよくわかる
ポケモン対戦ってやったことある?勝てる人って上手い人の構築とかプレイングを勉強して真似て理解して上手い人の戦略を何度も学んで、プロの技法をすぐ理解なんてできなくても努力を積み重ねて試行錯誤して少しずつ知って分かってダメなところを見つけて改善してを繰り返して自分の戦略を組むんだよね
下手なやつって上手い人のプレイは知ってて勉強した気になってるけど理解が全く浅いし、でもマイオナ自分の戦略で勝ちたいプライドは高いし、基礎ができてないから永遠に勝てない
簡単に魔法みたいに一言二言アドバイスされた程度ですぐ上手くなる方法勝てる方法なんてないから、でも道を踏み外さない一番の近道として上手い人の勉強しなさいと教えてあげてるのに、下手なやつってすぐ上手くなれると思ってるんだろうね
私もタスク消化できなくて今までtodoリスト使いこなせてこれなかったので落ち着いてほしい!
自分の甘やかしかもしれないけど、「できたことを認めて、できなかったことを責めない」のが一番だと思う。
私の記事についたブコメにもあったけど、ToDoリストって「ToDoリストをすること自体が目的化してそちらに時間と集中力を取られる」になりがちなので、
「todoリストをつかってやることを自分の行動パターンを視認し習慣づける」のが目的だから、とにかく癖づけをしていきたいのが目的です。(「ざっくりした自分の感覚を頼るのをやめる」という練習をアプリを使って、っていうのはこのことです)目的を間違えないことが大事。
それを楽しくやりたいからゲーム感覚で飽きないようにやりたい、なるべく使いやすいアプリをいろいろ探した、でおすすめだったのが紹介したアプリね。(あれも本来はゲーム感覚でToDoしよう!みたいなアプリじゃないです)
通知機能はリマインダーってことなので、ToDoをかいて終わりにならないところがありがたいなって使ってるよ。
おすすめしたアプリの分類わけをたとえば重要度高・中・小とかにして
高は絶対タップする(=項目を増やしすぎない)、中と小はタスクが消化できずに一日終わってもいい、みたいなルールにして、はじめはもうハードル超低めにしておいてもOK
それがそのうち小にあった分類を中ランクにしてみたり、高はもうToDoリスト化しなくても自然にできる、くらいのレベルアップにいつかなれたら最高だなって思いながら自分もいろいろ試行錯誤してる。
私も毎日のプチ学習とかはサボる日もあるし、お恥ずかしながら「毎日夜お風呂にはいる」なんてリストもある。(ベッドで寝落ちして朝いそいで入って仕事に行く習慣を治したくて…)
ToDoがあわなかったら他の方法もあるかもしれないし、いろいろチャレンジしてほしいなと思います。
がんばろ~
あるわけねえだろ。
もう切ったって書いてあるだろ。
すべて無駄だったんだよ。
非モテ男性と結婚したら家事も育児も教えても小学生以下レベルで出来ない・やる気もない。
やらない口実逆ギレで誤魔化すための情報収集をネットでしてポイントずれたところの耳年増なくせに、どストレートな事実の指摘には感情的な奴の言うことは聞かないと抜かす。幼稚園児なみにしか日常の動作が出来ないとかなかなか思わないし、失敗してこちらに怒るとかこっちがはあ?だわ。
蝶結びも出来ない奴が自分は普通の器用さだと言い張って難しいことをやらせるなと怒りまくる。不器用だから代わってくれとか可愛くお願いするくらいの処世術を身につけて媚びるくらいはしろ。お前の器用度の数値の正確な把握なんか出来るわけねえだろ。幼児のママじゃねえんだぞ。お前は!成人してもう久しいおっさんなんだよ!!
性生活といえば前戯ないしする気も自分がするものだとも思ってないから爪も汚いし指摘されても切らない。やり方を教えても出来ないしすぐふてくされる。AVも害あるけどアニメ漫画の感度も快感もインフレしてるやつもな…作品を好んでそれが理想なのは踏み込むとこじゃないから自由だが、セックスには相手がいるんだよな。いい思いしたいしさせたいと試行錯誤出来る奴ならいいが、コミュニケーションして色々試すのが面倒なら生身の生き物に関わらないでいただきたい。
体力ないから遊びに行っても介護みたいに体調を気遣わざるを得ないのに相手に気遣いはしない出来ないそれをやるなんて女尊男卑と思っている。クズだな。
だから下方婚なんて体力気力仕事力有り余った女性じゃないと日常の生活が平穏に回らないし、余暇も準備から移動も帰宅して後片付けしつつ疲れた男様を労る介護状態でリフレッシュなんてしないから金まで全部出すとしたら必ず病むよね。
一日は24時間しかないから必ず一定以上時間も作業工程も肉体への負荷もかかるケア労働担うと仕事してケア労働はもの凄い負担。せめて金くらいは持ってなきゃ無理って感覚はおかしいか?
楽しいのは描画系とか、操作とか、シューティングだと色んな装備実装したりとか、そういうのは楽しい
敵の行動あたりから雲行きが怪しくなる
要はパックマンとかスーパーマリオの延長線がなんだかんだ多いのではないか
シューティングなんか、同じ動作パターンの繰り返しであり、それが幾重にも積み重なる、
例えば、同じ画面内に様々な敵が登場するが、それぞれの敵の行動パターンは非常に単純であるが、
それがミックスされたり、自機に向かってどんな感じで弾を撃つとか、自機と無関係にレーザーを放つとか、
結局は凝ったイライラ棒みたいなもんで、意外性がないというか面白くない
敵が、生きてるのではないか?と思うぐらいちゃんと考えてるように見せるというのは難しい
例えば監視の兵士がいるとして、兵士は巡回ルートを回りつつ、ときどき他の監視員とだべって、
しかし、プレイヤーが誰かに見つかると半数がプレイヤーの位置に急行する、
みたいなことをいちいち裏で計算してしまうと破綻してしまうし、
といっても、近接戦闘になって、目の前の敵が2Dシューティングのような動作をされても非常に機械的というか、
まあ、それでも初代doomみたいなのでも面白いっちゃあ面白いんだけど、
敵が単純動作するという前提があって、それで敵を利用したり、ロードランナーみたいなところがある
でも、今の時代にちょっとしたニューラルネットとか使わないとつまらん気もするんだよなぁ
その落とし所というか、どうやったら面白くなるのか、が未だに分からない
そう、ゲームみたいなものを作るのは誰でもできるんだけど、どうやったら面白くなるのか、を実現するのは非常に難しい
レトロゲーでも、最初考えたルールを実装したが面白くないのでルールを足した、
ルールを足したが矛盾が生じたので、最初のルールの一部を削った、みたいな試行錯誤が見えることがある
その結果としてできたゲームは面白い、ちゃんと新しいルールが成立している
特にレトロゲーは、ゲーム=新しいルールの発明、みたいなところがあった
最近はそういう感じではなく、FPSならFPSを突き詰めていく方向になっている気がする
面白ければなんでもいいということでもある
ゲームを作るのは楽しいが、完成させるまでは非常に苦痛だ、困難な茨の道だ
一方でプロゲーマーとかゲーム実況というのは、他人の作った手の上で踊るだけではあるが、
昨今の世の中は、そういういかに楽な立場でカネを得るかという方向に向かってるので、
何が言いたいのか分からなくなってきたが、
まあ、プログラムなんて書かない方がいいと思うんだよね
それよりもプロゲーマー教育とかYouTuber教育の方が、特にDQNヤンキー系の親の子供とかは喜ぶと思うし、
くどいほど多い
章とか節、ひとつひとつの終わりに必ずくどいぐらいの練習問題がある
あと、巻末とか別冊で大量の練習問題がある
原因が前者だけの人は単なる誤解や偏見なので損するわけだよ。
だって、受験勉強とか、スポーツで言うなら野球とかで特待生になるのと同じで、
社会に出て仕事で受験勉強や野球が役立たないとしても、社会的評価にはつながるわけで、
いわゆる学校の勉強、受験勉強も朝練があって、自主練があって、ひたすら身体にしみこむまで練習する、
練習すれば比例して勉強もスポーツも成績が上がり、社会的に評価されるんだから、
できない原因が後者の場合もあるけど、それはやってみないと分からないわけで、
逆に言えば、スポーツも勉強もできない、という人は理解できる気がする
それはどちらか一方が本質的に向いてないから、もう片方もできない
つまり、守破離の守の段階で、こんなことやって何になるの?と疑問を持ってしまう、投げ出してしまうとか、
あと、思い返すと、これが根本的に誤解を生む原因のひとつなんだと思うんだけど、
いわゆる「学校の教師」という人たちが、このことを理解できてない
というか、スポーツの方はスパルタというか、叩き込むべきだとは思ってる
しかし、学校の教師は、いわゆる学校の勉強、受験勉強も最初は叩き込むべきだと思ってない
誤解しないでほしいんだけど、必要な人が気兼ねなくとれるものになってほしいと思っている。
企業側やキャリア的な理由で気軽にとれないのは問題だけど男性子育て参加の空気だけが一人歩きして何も考えず気軽にとる人が増えるのは少し心配。
女性の育児休暇とは訳が違って、男性もとにかくとれば良いってわけではない。男性の育児休暇取得率upが必ずママの負担減に繋がるかは?だ。取得率upすれば誰もが気兼ねなくとれる雰囲気になるというのも一理あるが取得率ありきではなく、本当に子育てやる気と根気がある人がとってほしい。(みんなやる気をだしてほしい)
パパも育児参加することでママの負担を減らしそれが子どもの健やかな成長に繋がりよりよい社会の実現に還元されていくようなことが目的なはずだ。
(義務化がとりたくない人に取らせるものはないことはわかっている)
仕事を休んで子育て研修に参加するくらいの意識ならとってほしくない。(子育てに高い意識をもって育児休暇をとってほしい)
子育て研修に参加するくらいの意識というのは具体的に言うと自覚の有無関係なしに「都合のいい時にだけ見える仕事ややりたい仕事だけをすること。」
たとえば、頼まれたことをすぐしない、ミルクはあげるけど、準備や片付けはしない、抱っこはするけど、夜中や朝方の寝かしつけはしない、とかだ。
個人の感想だが、男性の育児休暇は本人のための休暇であってほしくない。
間違っても育休中に副業、資格取得、自己啓発をやりださないでほしい。
育児は大変だった!子どもと触れ合えたし育児休暇とってよかったと思うのはもちろんいいことだが、一番重要なのはとってもらって本当に助かったと言ってもらえることではないのか。
自己満足ではなく、出産したパートナーを大いに助けるためにとってほしい。
そういう意味で、育児休暇をとるなら覚悟して臨んでほしいというのが趣旨だ。
初の育児は毎日戦場みたいな感じだからそのフィールドに自分も立つ気がないなら正直言い方悪いけど目障り。今まで通り働いていただき、私の見えない所でエンジョイしてほしい。
育児を母親と同レベルでできるかできないかじゃなくて、共にやろうとする誠意がある(感じられる)か。
これから初めて妊娠出産に臨む女性は夫を戦力として過信しすぎないように気をつけて。
夫が育児休暇をとってくれるらしいから里帰りしないでいいかと安易に決めると自分だけ地獄を見るかもしれない。
もし可能なら、可能な限り子育て経験のある親や女兄弟を頼ったほうが楽だと思う。
泣き止まない理由がわからなくても子育て経験があると勘所を抑えた試行錯誤ができて早く問題が解決できる。泣き止まない時間が長いと病む。
男性みんなが頼りにならないわけではない。ダメなのは産後のことや子育てに理解がない意識が軽いやつだ。よく気が利いて甥や姪の面倒を見ていた経験があるような方などは心強い。
自分の夫が戦力になりうるかどうか見極めてどうか自衛してほしい。
赤ちゃんのために準備したものの使い方や使うタイミング全てわかっているか。
イエスでないなら、危ない。
産後はメンタルも死ぬし、自分は赤ちゃんに体力気力全投入なので夫の機嫌を損ねないよう彼是と不出来を指摘するのは不可能。
たとえばだけどじぶんが入社7日目くらいの新入社員なのに毎日キャパオーバーの仕事が山積みで全部期限が今日中なのでほぼ徹夜で過ごしている。
おまけにすごく体調が悪い。
なのに今日きた新入りまで後輩としてつけられている。
そして仕事なんもわかってない。見てない間にトンチンカンなことをして仕事が増えたとかなったら、もう優しくできない。
断然後輩も後輩なりに頑張ったのに激しく怒られたので心を閉ざし、和解まで時間をかけることになる。
あー考えただけでストレス…。
産後はほんとにつらいんだ。一番に!ママの心を守ってくれ。煩わせないで〜
こういうこと育児休暇とるまえに男性に本気で教えてくれる人いる?
市役所とかで渡される冊子とか読んでる…?
読んでないのに育児休暇とりゅ人とかどうやったら撲滅できる…?
FF、ドラクエの古き良き「思い出」を超えろ――絶滅危機を乗り越え、再注目されるドット絵
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任天堂の家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ」の誕生から38年。16×16の四角形の集合体にすぎないドット絵の「マリオ」は世界の人々をとりこにした。ゲームは進化して実際の映像に近づく中で、衰退したはずのドット絵が復興し、若い世代にも広がっている。その魅力とは。(取材・文:河村鳴紘/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
今年5月、「ドラゴンクエスト3」のリメイク(対応ハード未定)が発表された。公開されたティザームービーにはキラキラと光を反射する水面や、住人の息づかいが感じられる町の灯りと影の世界が描写されている。
こうした臨場感あふれる表現を可能にしたのが「HD-2D」だ。四角い点を枡目状に並べて表現するレトロなドット絵に3DCGを融合させる手法で、懐かしさと新しさが同居する不思議な魅力がある。
「ドットに関しては『今の時代にこれか』というユーザーの声ももちろんあるんです」
そう語るのは株式会社スクウェア・エニックスのプロデューサー・高橋真志さん。
高橋さんの制作チームでは「狭くともちゃんとユーザーに刺さるものを作ろう」というコンセプトのもと、ドット絵ベースのゲーム制作を開始した。
初めて「HD-2D」を採用したタイトルは、2018年にリリースした「オクトパストラベラー」だ。同作では試行錯誤の末に「HD-2D」というアプローチを見いだした。
「『ファイナルファンタジー5』や『6』のようなドット絵を目指そうとやって……できた試作版の感想が、いい意味でいうと “懐かしいね”、悪い意味でいうと“古臭い”というものでした」
明らかに試作版の方が昔のものよりきれいな絵なのに、なぜか「劣る」ように思えてしまったのだ。
「それは過去の思い出が美化されてしまう『思い出補正』のせいでした。私は初めてスーパーファミコンでプレーしたのが『ファイナルファンタジー5』なのですが、当時の体験とともにドット絵が原風景として強く残っているんです。ユーザーさんも同様に感じ取ってしまうはずだから、その分の下駄を何で履かせるか考えた先に3Dに行き着きました」
FF、ドラクエの古き良き「思い出」を超えろ――絶滅危機を乗り越え、再注目されるドット絵
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任天堂の家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ」の誕生から38年。16×16の四角形の集合体にすぎないドット絵の「マリオ」は世界の人々をとりこにした。ゲームは進化して実際の映像に近づく中で、衰退したはずのドット絵が復興し、若い世代にも広がっている。その魅力とは。(取材・文:河村鳴紘/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
今年5月、「ドラゴンクエスト3」のリメイク(対応ハード未定)が発表された。公開されたティザームービーにはキラキラと光を反射する水面や、住人の息づかいが感じられる町の灯りと影の世界が描写されている。
こうした臨場感あふれる表現を可能にしたのが「HD-2D」だ。四角い点を枡目状に並べて表現するレトロなドット絵に3DCGを融合させる手法で、懐かしさと新しさが同居する不思議な魅力がある。
「ドットに関しては『今の時代にこれか』というユーザーの声ももちろんあるんです」
そう語るのは株式会社スクウェア・エニックスのプロデューサー・高橋真志さん。
高橋さんの制作チームでは「狭くともちゃんとユーザーに刺さるものを作ろう」というコンセプトのもと、ドット絵ベースのゲーム制作を開始した。
初めて「HD-2D」を採用したタイトルは、2018年にリリースした「オクトパストラベラー」だ。同作では試行錯誤の末に「HD-2D」というアプローチを見いだした。
「『ファイナルファンタジー5』や『6』のようなドット絵を目指そうとやって……できた試作版の感想が、いい意味でいうと “懐かしいね”、悪い意味でいうと“古臭い”というものでした」
明らかに試作版の方が昔のものよりきれいな絵なのに、なぜか「劣る」ように思えてしまったのだ。
「それは過去の思い出が美化されてしまう『思い出補正』のせいでした。私は初めてスーパーファミコンでプレーしたのが『ファイナルファンタジー5』なのですが、当時の体験とともにドット絵が原風景として強く残っているんです。ユーザーさんも同様に感じ取ってしまうはずだから、その分の下駄を何で履かせるか考えた先に3Dに行き着きました」
再び活況を取り戻したドット絵ゲームだが、2006年ごろになると、モバイルゲームのトレンドはMobageやGREEなどのプラットフォームが提供する「美麗カードゲーム」へと移っていく。小林さんも現場から退きディレクター職に軸足を置いていた。またもドット離れの時代の到来か……。そんな諦念を払拭したのが、2013年にエイリムから出たスマートフォンアプリゲーム「ブレイブ フロンティア」だ。ドット絵ベースRPGにスマートフォンのタップ操作を掛け合わせたゲーム性が90年代のゲームファンを魅了。全世界で合計3800万ダウンロードを記録する大ヒットとなった。
勢いに乗るエイリムにいた元同僚から声がかかり、小林さんも再びドッターとして腕を振るうこととなった。現場では、ユーザーのダイレクトな反応にも触れることができた。
「『やっぱりドット絵好きです』っていう声が、具体的に上がるようになったんです。過去の産物とかではなく、ドット絵はドット絵でいいよね、って認識できました」
さらに大きなうねりをもたらしたのは海外のインディーズゲームだった。
2011年に正式リリースされた「マインクラフト」はドットテイストの3Dブロックによって自由に世界を構築するゲーム。複雑な造形物を描くにはドット絵の素養が必然的に要求される。さまざまなプラットフォームに配信され2億本以上売り上げるなど、一大ブームを巻き起こした。
(Christian Petersen/Getty Images News/ゲッティイメージズ)
完全ドットベースのインディーズゲームでは2015年リリースの「Undertale」もその代表格だ。アメリカのゲームクリエイターであるトビー・フォックス氏の個人開発で、100万本以上の売り上げを誇る。モンスターのすむ地底世界を舞台に、子どもが地上に戻るための冒険をする……という内容だ。ゲーム好きをうならせるストーリーと個人開発とは思えぬほどの異常な細部へのこだわりが熱狂的なファンを獲得し、口コミで広がっていった。
CGに比べて制作コストの低いドット絵はインディーズゲームクリエイターに好まれた。しかし、あくまでクリエイターの趣味の領域にとどまり、それ以上の広がりにはつながりにくい一面もあった。そこにSteam等のゲーム配信プラットフォームや、Twitter、YouTubeといったSNSの普及もあいまって多くの人の目に触れ、ドット絵の灯が紡がれたといえる。特にマインクラフトに関してはティーン層にも広くリーチし、新たなドット絵ユーザーの拡大に大きく寄与している。
テレビゲームからモバイルゲームへと、時代に応じて活躍の場を広げてきたドット絵。
近年はゲームの世界だけでなく、「ピクセルアート」のように、ドット絵をゲーム以外の文脈と接続しながら新たな魅力を発信する試みもある。
シブヤピクセルアート プロデューサー 小野氏(左)・代表 坂口氏(右)
東京・渋谷で2017年から毎年展開されるアートイベント「SHIBUYA PIXEL ART」。
「近年、街がDX化される中で、文化的なものを組み込みたいと考えた」
「ゲーム文脈から拡張されたピクセルアートを、多様な形で展開できる場所として渋谷を選んだ」
現在は50人以上のクリエイターが国内外から参加し、大手企業による協賛やアーティスト・ゆずとのコラボレーションなど盛り上がりを見せている。
参加クリエイターのうち、3割が10~20代と若い。彼らにはドット絵のシンプルな技法が新鮮に映るという。また、四角形の集合体で構成するドット絵に対して縦横ではなく「斜め」の線を使い物議を醸すなど、“常識”に挑む斬新なアプローチが光る。
バウエル・ジゼル・愛華さん
「SHIBUYA PIXEL ART 2021」で優秀賞を受賞した高校生モデルのバウエル・ジゼル・愛華さんもその一人。ドット絵をプログラムで動かすYouTubeの企画がきっかけで、ドット絵を描くようになった。「少ないピクセルの中でどれだけきれいに描けるか、というのが楽しい」と話す。下書きもせず何となくテーマを決め、タブレットとペンでバランス良くモノを配置しながら作りあげてしまう。
「SHIBUYA PIXEL ART 2021」で優秀賞を受賞したバウエルさんの作品
「粗いドットのデジタルの雰囲気が逆に新しい」とバウエルさん。ドット絵は新たなファン・クリエイターを取り込みながら、活躍の場を広げている。
新世代も取り込みながら進化を続けるドット絵。制作中の「ドラゴンクエスト3 HD-2D リメイク」にも、新たな可能性を示す仕上がりを期待したい。
エンタメや芸能で本当に好きな人だけ見れる場でやる、一切表に出ない、をやってしまうと2つの問題が発生する。
1. 市場として先細る
好きな奴だけしか残らないということは、新しいお客さんの流入を既存客のコミュ力に大きく依存する形になる。
いわゆる口コミとか布教ってやつだけど、それがマスコミや大規模なPRに勝る流入をたたき出すことはほとんどない(ブームの起爆する起点にはなるけども)。
ということは演者に落ちる金がどんどん無くなっていくので必然的に自由度が無くなる。
もっとも、1人あたりの客の支払う金額が多くなっていけばこの問題は辛うじて回避できるが、
2. 表現が先鋭化しすぎる
表現者も所詮売り手に過ぎないので客の反応は常に気にする。客を気にせず独自路線を突っ走れる人間なんてほんのわずかだ。
すると今居る客に最適化した形にどんどん表現を変えていく。楽屋オチだったり身内ネタだったり過激すぎるネタだったりそれは様々。
最適化しすぎると今居る客以外、まったく訳の分からず楽しくもないものがひたすら生産され続ける。
すなわち新規客が入らなくなるので既存客の死とともにジャンルも死ぬ。
解説を流してくれるガイダンス装置を貸し出したり、ボカロやアニメなどの現代文化を取り入れた新作を作ってみたり試行錯誤して
何とか新しい客を呼び込もうとしている。
十歳の時に弟とセットで発達障害診断されたまだギリアラサー女性の増田です。
昨今の発達障害系エッセイマンガ読んでるともやもやするので文章にする。
かれこれ二十年ほど前、弟がいかにもなアスペ(今はASDか)だったので、母が大きい病院に連れて行ったら、何となくついていった私も
「お姉ちゃんのほうもガチめのアスペっぽいんで検査してください」
みたいなこと言われて検査したらバリバリ文句なしのアスペだった。
しかも「この先普通に進学できると思わないでください」とか言われるレベルだった。
だったけど、私は幸いというべきか
・感覚過敏じゃなくて感覚鈍麻(過敏の方がフォーカスされがちだけど鈍麻も少なからずいる)
・とにかくぼーっとしてる方のアスペ(注意力散漫)だったので、多動がなかった
・私の世代が比較的穏やかかつオタク(陰キャ)多めだったのでいじめにあわず、コミュニケーションの問題があまり目立たなかった
そのため、検査されてから二十年間、何の支援もなしにほったらかしにされていた(笑)
一方弟は、ガチガチの典型アスペでとにかく難ありだったため、母も弟にかかりきりだった。
そんな背景の中で、私は家庭でも学校でも何の支援も受けずに、小中高大と就職まで駆け抜けてしまった。
と言うと、「一般社会にうまく溶け込めたアスペ」という感じだけど、誰にも何もサポートしてくれなかったから、自分で全部やるしかなかった。
小学生の時は感覚鈍麻すぎて帰り道で漏らすから、自分でトイレのスケジュール立てるとか、
コミュ力も実地訓練と試行錯誤の繰り返しで何とか一般人ぽく振る舞う術を覚えたり、
注意力散漫も手にメモ書きまくったりで何度も何度も自分で対策した。
発達障害って言うと犯罪者予備軍だと思われるから外で言わないことって母に言われたから、学校の先生も誰も私がアスペだってこと知らなかった。
血のにじむような努力、とは言えないが、はっきり言って何の支援もなしによくここまでこれたなって思う。
それゆえに昨今の乱立する発達障害系エッセイに何だかもやもやしてしまう。
もちろん、その人の困っていることや苦しみを否定する気は毛頭ないし、私も少なからず当事者だから「あーわかる」となる部分も多い。
でも、
「職場でもどこでも障害をオープンにして理解してもらってます!」
「理解ある彼君に支えてもらってなんとかやってまーすw」
特に、タイトルはあげないけど妻が発達障害で~のマンガは、奥さんの方が
みたいなこと言っててこれには流石に「はあああああ??」となってしまった。
自分の不出来なところを赤の他人に押し付けるような厚かましさ、あれは自分には無理だ。
私は今まで誰にも言わないで誰からの助けももらわずに、健常者より頑張って今の生活を手に入れたのに。
何かあっても「アスペだから」なんて考えたこともなかった。それに甘えるのはいけないことだって母に言われていた。
少しでも周りとうまくやれるように自分の不出来な部分を必死に取り繕って生きてきた。
それなのに、このマンガ書いている人たちは発達障害を免罪符にしてできないことを許されているようで何なんだろうって思う。
発達障害みんなが私のような努力をすべきとは思わないけど、発達障害を免罪符に不出来な部分を治そうともせず理解してくれない健常者への愚痴をマンガにしてるのはどうなん?とは思う。
「私アスペなんで迷惑かけたり不愉快にさせてもゴメンね。障碍者手帳でお得に生活してます。自分一人ではやってけないんで、理解ある旦那と暮らしてまーす」