はてなキーワード: 裏付けとは
今ジャニオタは何してんだろと思って
「国連なんか信用できない!」
「被害届が一件も出てない!」
の大合唱だった。
まあオタクの常として鍵かけた愚痴垢とかにこもってるんだろうし
被害届が一件も出てないについてはほんとか〜???とかなり疑わしく思う。
出てたとしても男性から男性では、古い法律では性被害としてカウントされていなかった可能性が高いしなあ。
で、何より「なんで被害届出さなかった!」と吠える人たちについては
「いや………ならジャニーズ事務所こそ名誉毀損や業務妨害で被害届出せば????」
としか思えない。
だって君らの論によれば、性被害を裏付ける証拠は一つもないんでしょ?
そんで社長が謝罪させられたりきみらのだいじなだいじな推しだか担当だかが危険にさらされたり仕事に支障が出てるんでしょ?
それらは、何十年前の被害とかではなくて、今まさに起こってることなんでしょ???
小学生男女27人にわいせつ疑い、知的障害の23歳男逮捕 大阪府警
https://news.livedoor.com/article/detail/24734993/
小学生にわいせつ行為を繰り返したとして、大阪府警捜査1課は3日、強制性交や強制わいせつなどの疑いで、府内在住の作業員の男(23)=強制性交などの罪で起訴=を逮捕、追送検したと発表した。
男には中度の知的障害があるといい、「小学校の男子と女子どちらにも興味がある。体を触ったり、触ってもらったりすると興奮した」と供述。府警は計27人分の被害を裏付け、捜査を終えた。
重度の障害で訳も分からず犯行に至ってしまったケースと違って、責任能力だけは残されているということなんだろうが・・・
なんかさ、どう考えても無敵の人っぽい発言がすごく目立つんだよな
他人への加害欲求が激しすぎて一部の属性や発言だけですべてを断罪してもて遊んだあげく、自分の発言に対する責任は一切ないと思っているし、社会がどう転ぼうがしったこっちゃないんだよな
転売ヤーとか夏の甲子園とか差別発言を罵倒しても、それは罵倒しやすいからなだけで理由があるわけじゃない
何の知識や経験の裏付けもない発言に、ただ流行りに乗っててるだけの目先の狭さに、一切の利害性関係を感じないあたりが、社会人からしたらちょっとよくわからないんだ
あんなにいろんな分野に嚙みついているのに全部的外れってことは、どんな狭い世界でしか生きてないの?ってなる
ちょうど隣の机に再任用で一日暇を持て余しているおじさんがいるんだが、そういう人や学生やニートくらいしかブクマカやってないんじゃないかと思ってるんだが
まあ言ってることの大半が「主語がでかい」くらいなので、犬にキーボード触らせてもかけそうな内容だから、もしかしたら犬なのかもしれない
ブクマカやってて利益がでるならわかるけど、無償であんなに生産性もなく、他人から蔑まれるだけの場所で発言するなんて信じられないんだ
追記: うあ、こんなのにブクマして自分の正当性アピールとか、どんだけ感性が退化しているの?
真面目に言い訳するほど、君等が誰よりも惨めで愚かだと口外しているんだが?
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB098BF0Z01C22A2000000/
君の人生を困難にしているのは、
学習障害があって文章の意図が読みにくいか、言語化能力が弱すぎるから調べ物が出来ないこと
知的な困難があるならゆっくりペースで成長してるんだな、自分の独自の世界の話をしているんだなって思うけど、どうなん?
戦時中において、一部の個人が特殊な手段を使って兵役を回避しようとしたという報道や記録が存在します。その中には醤油を飲んで「貧血状態」を装い、兵役を回避しようとしたという報告もあるようです。
当時の日本では、戦争による兵力不足から徴兵が厳しく実施されていました。兵役を回避するためには、健康上の問題を装ったり、裕福な家庭であればお金を使って兵役を免除されることもあったとされています。これらの行為は違法であり、社会的にも非難される行為であることは言及しておきます。
戦時中の日本において、一部の支配階級や裕福な人々が軽井沢などのリゾート地でパーティーをしていたという記録や報道があります。当時、日本は太平洋戦争を戦っており、国内は厳しい経済状況や食料不足、空襲などの戦争の影響を受けていましたが、一部の富裕層はそれらの影響を比較的受けにくい状況にあったため、リゾート地での贅沢な生活を楽しむことがあったとされています。
軽井沢は、夏涼しく過ごしやすい気候と美しい自然があり、戦前から日本の上流階級や外交官、外国人などが避暑地や保養地として訪れることが多かった場所です。戦争が進行していた時期でも、一部の特権階級の人々は軽井沢での生活を続けていたという記録があります。
これらの情報は歴史的な資料や回想録、報道などによって裏付けられていますが、一部の特権階級の行動が全体の状況を反映しているわけではありません。当時の社会は戦争の厳しい状況により多くの人々が苦しんでいたため、特権階級がリゾート地での贅沢な生活を楽しんでいたことは一般の市民にとっては不平等や不公平な状況として捉えられることもあるでしょう。
白洲次郎(しらす じろう)は、日本の外交官であり、戦後には評論家としても知られる人物です。彼は戦時中、外務省の要職にあったが、病気を装って徴兵逃れをしたとされる代表的な例の一つです。
白洲次郎は、日本が太平洋戦争に突入した時点で、外務省の官僚として国内の情勢や国際的な状況をよく理解していました。しかし、自らが体験した第一次世界大戦の戦場での経験や戦争の悲惨さを胸に抱え、戦争への反対や人道的な理由から徴兵逃れを試みたとされています。
白洲次郎は、病気を装って入院したり、療養の名目で兵役を免除されるように働きかけたりしたと言われています。彼はその後、戦後の日本の外交政策に大きな影響を与える存在となりました。
徴兵制について。昭和2年(1927)までは、お金を払って兵役期間を短縮できる制度がありました。もっと前は兵役免除となる時期もありました。こちらは入営中の経費を負担することで2年の兵役を1年にする一年志願兵への申請書類と選考結果。現在の長野県塩尻市の方です。
信州戦争資料センター
太平洋戦争ですが、私の知ってる金持ちは、誰も戦争に行ってませんが、何か方法があったのですか?
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10158993500
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うちの父も、自らの口で語ってますが「軍部にお金を積んだ」そうです。
最初は、暗号解読とか、通訳の口を狙っていましたが、御殿場の練兵場で終戦です。
食べ物も、ウラから手に入れ、飢えた思いをしたことはないそうです。
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それだけで本が書けるほど。
結果として単純に徴兵に応じたのは
①何も知らない人
②親にカネがなかった
④みんな仲間だからと、抜け駆けはできない人
など。
詳細は省きますが、ウチの親の場合、満洲の炭鉱の課長なので「徴用」扱いで最後まで赤紙は来ませんでした。
叔父は馬の専門家で「軍医」として戦地には赴きましたが、ずっと後方です。
親戚には陸大を卒業し、陸軍中枢の参謀本部勤務のまま終戦を迎えた人もいます。
知人は臨床検査技師で、衛生兵を希望し、最後はシベリア経由で帰ってきました。
著名な作家の多くは、結核の既往歴で徴兵免除になったか、さもなければ報道班の「徴用」で南方に行っただけ。
勉強し過ぎの学徒上がりは、視力不足では鉄砲が打てないと大幅に順位を下げられ、
診断書に手心を加えてもらった金持ちの子弟、自傷して障碍者になった者、わざわざ犯罪を犯して自首したもの(懲役以上の受刑者は徴兵の対象外)、良心的兵役拒否で最後まで出頭に応じなかった、等やり方は無数にあります。
私は高校生の時から、今徴兵が来たらどうするか、そればかり考えて行動していたのでやたら詳しくなりましたが、今後のお勧めは、コンピューターの腕を磨いて、資格をとって、徴兵されても後方勤務になるよう工作するのが一番簡単でしょうね。
kudoku こども家庭庁の年間予算5兆円、対して児童手当は年間2兆円。つまり、こども家庭庁を無くせば児童手当を今の倍額払える。これこそ異次元の子育て支援だろ。
ztlzpd 子供家庭庁の予算5兆円/1年あたりの出生数80万人=625万円。毎年5兆円を出生者で割って手当にした方がまだマシ。居なくて良いどころか居ない方が良い組織だよ。
各省庁にわかれていたこども関連の行政分野を一元化するために作られたのがこども家庭庁であり
こども家庭庁の予算というのは児童手当も含めそれまで各省庁で行われていたのを集約化したものというのはちょっと考えたらわかることですね
まるでフリーハンドな5兆円の予算を持ってるかのように思ってるバカさは酷いと思いませんか?
むしろ異次元の子育て支援とかぶち上げて省庁を発足させたものの予算面の裏付けは乏しく
新規に大きな施策をうてるほどの予算を貰えてないのが現状であり
金のかからない「協力のお願い」みたいなことでお茶を濁すしかないことの現れだと考えるべきでしょう
どこが異次元の子育て政策だよって批判はもっともだとしても5兆円ガー利権ガーとか言ってるのは的外れなバカだと思いませんか?
誤った根拠や歪んだ先入観に基づいて行われた判決に対して反論する際には、以下の方法を考慮することが有効です。
証拠やデータの提供: 誤った根拠に基づいて判決が下された場合、正確な情報や信頼性の高い証拠、統計データなどを提供することが重要です。これにより、真実を明らかにし、判決の誤りを指摘することができます。
専門家の意見: 特定の専門知識や専門家の意見を引用することで、判決の誤りを示すことができます。専門家の証言や専門的な報告書を提出することで、判決が不正確であることを裏付けることができます。
論理的な議論: 判決に対して論理的な反論を行うことも重要です。論理的な思考や推論を用いて、判決の根拠が妥当でないことや、先入観に基づいていることを明確に示すことができます。論理的な論点を整理し、明確な論拠を提示することが大切です。
法的手続きを利用する: 判決に対して異議申し立てや控訴などの法的手続きを利用することも考慮してください。法的なプロセスに従い、適切な手続きを踏むことで、誤った判決を修正する可能性があります。
公正な審議を求める: 判決に不服がある場合、公正な審議を求めるための手続きを進めることが重要です。適切な手続きを踏んで、公正な審議や再審査を要求することで、誤った判決に対する再評価を促すことができます。
ただし、具体的な状況や法的な体制によって適切な反論方法は異なる場合があります。重要なのは、法的な助言を受けたり、専門家の指導を得たりすることです。
この文章の論理的な整合性を評価するとき、以下の観点が主に問題となるでしょう。
この一文において、地域住民の反対の理由が「子供がいない場所で喚き声が聞こえないこと」であると主張されていますが、その前提は根拠を持って証明されていません。これは論理的な欠陥、すなわち無根拠の仮定を含んでいます。
この解決策が効果的であるとの根拠が示されていないため、それが必ずしも論理的とは言えません。なぜ子供の声が全体的に聞こえる状態にすることで反対運動が止まると言えるのか、その理由や証拠が示されていません。
この部分では、法律で子供の声を騒音と定義しないようにすることで問題が解決すると述べています。しかしこの主張も論理的な証拠や根拠が欠けており、騒音に対する人々の認識や感じ方が法律によって必ずしも変わるとは限りません。
最後の主張もまた論理的な裏付けがありません。子供の声を常に聞くことでどのように少子化対策に貢献するのか明確に説明されていません。
まあ今の子育て世代と、その親世代では価値観が違うってのはある。
0歳1歳から保育園に預けるのも、18時まで預けるのも本気でかわいそうで、
母乳で育てたら体重がすんなり落ちるとか、そういうどこに裏付けがあるのかわからない神話を押し付けてくる。
はちみつやこんにゃくゼリーをあげたらダメとか、そういうよくテレビでやるような情報だけは更新されているので、
それで「今の子育てにもそれなりに対応できている」と思っている節もある。
増して自分と価値観が違っているのであればストレスになるのもわかる。
でも、目いっぱい世話になっているんだから、そこは仕方ないんじゃないのか。
絶対に嫌な部分があるのであればそれは嫌だと伝えればいいと思うし、
id:kiku-chanです。
追記:増田記事もtyoshiki氏の記事も対応して頂きました。
ttps://anond.hatelabo.jp/20230609194858
および、tyoshiki氏が以下の記事で人のコメントを事実誤認扱いしているので訂正してほしい
ttps://www.tyoshiki.com/entry/2023/06/10/142238
※リンク張りすぎてスパム判定されたのか投稿できなかったので取り急ぎアドレス冒頭の"h"を削っています。
指摘事項
①「非常に丁寧な記事」とコメントしたのは「一つ目の記事の内容が事実としても正しいと認識してたから」だと思うのですが違うのですか?kiku-chanさんは事実関係はどうでもよくて共産党の申し入れが撮影会の直接の原因ではないことだけが明らかになっただけで満足してそれが事実だと納得したということですか?(それだけで「吹き上がっていた人たちはどうやって拳を下ろすんでしょうねえ」という吹きあがったコメントを書いたんですか?)
回答:
J-CASTニュースの記事はデイリー新潮の徳重龍徳氏の記事が公開された後の現在でも信頼性の高い記事だと考えています。特に埼玉県公園緑地協会と埼玉県公園スタジアム課の両者に取材を行い撮影会の中止の直接の原因が共産党の申し入れによるものではないことを明らかにしています。現時点でもこのことを覆す報道は出ておらず、むしろ裏付ける報道が出ています。
後述のデイリー新潮の記事でもそれは明らかですし、ENCOUNTの取材に対しても埼玉県公園緑地協会の担当者が次のように回答しています。
”中止に至った経緯として「共産党県議団の申し入れ以前の5月末に一般県民の方からメールで『モデルの中に18歳未満や中学生がいる』『過激なポーズを取っている』という問い合わせがあり、参加者の方の特定をしておりました。その中で、モデル本人のSNS投稿から中学生ということが判明し、撮影許可に抵触していること、主催者側にもコントロールが難しいということから、中止を検討しておりました」”
ttps://encount.press/archives/469271/
したがって、「非常に丁寧な記事」とのコメントを訂正する必要は無いと考えています。
もし訂正が必要であるというのであればJ-CASTニュースの記事の信頼性が低いという根拠を明確に提示して下さい。
元増田はデイリー新潮の記事から、J-CASTニュースの記事が雑であると断定しているが、少なくとも共産党が問題視した6月24・25日の近代麻雀水着祭は4月に開催がアナウンスされており「過激な衣装やポーズを禁止するルールは今年1月に決まり」の後に申し込み手続きがなされたと考えるのが妥当であると思います。
—-以下、メモ-------
6月8日19:14にフレッシュ撮影会の中止がtwitterの公式アカウントからアナウンスされ、共産党の申し入れが直接の原因であるとの言説が主流となり(しかもデイリー新潮の記事を書いた徳重龍徳氏が裏も取らずにそういう発言をしている)、9日朝の段階で三本のtegetterまとめが、はてブのホットエントリーにランクイン。
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2163459
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2163530
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2163676
そんな中、埼玉県公園緑地協会と埼玉県公園スタジアム課に取材をして共産党の申し入れが中止の原因でないことを明らかにしたJ-CASTニュースの記事が配信されたのは、9日の16:05(17:42に修正)で、中学生の参加が問題視された近代麻雀水着祭の中止が発表された18時より前。
そもそもJ-CASTニュースでは近代麻雀水着祭に対しての記述はない。
ttps://www.j-cast.com/2023/06/09463068.html?p=all
デイリー新潮の徳重龍徳氏の記事が投稿された時間は明確で無いが、徳重氏がTwitterで記事を紹介したのは18:14で近代麻雀水着祭の中止発表より後。
ttps://twitter.com/tatsunoritoku/status/1667097895835926530?t=90QULtdPBWEItc6JE3FgAw&s=19
デイリー新潮の記事のタイトルには「共産党の申し入れで「水着撮影会」が中止に」とあるが、記事中でその様な事実関係の裏が取れていない。
しかも記事中には以下の記載があり、共産党の申し入れがイベント中止の要因でないことが見て取れる。
「6月24、25日に行われる近代麻雀水着祭において、6月頭に県民からメールで指摘があり、主催者の告知やネット上の過去の開催の画像を確認したところ、18歳未満の女性を出演させたことが確認できたほか、成人女性であっても過激な衣装やポーズが見受けられた。公序良俗に反するものと判断し、施設の使用を許可しないとした。ルールを守っている水着撮影会もあったが、個々での判断ではなく、水着撮影は一律お断りするとなった」
「近代麻雀水着祭が①に抵触すると思われる画像はネット上で見つかる一方で、近代麻雀水着祭は6月頭には開催されていない。つまり近代麻雀水着祭が過去に未成年を出演させていたとしても、その時点ではルールを破ってはおらず、そこを問題視するのは後出しじゃんけん、ゴールポストを動かしていることになる。」
というのも近代麻雀学院のアカウントが中学生モデルの参加を事前に告知している。
ttps://twitter.com/rimirinarisa/status/1667636455894843392?t=s1sRrMvGSH_dPybAHQi1Ew&s=19
ttps://twitter.com/sunny9ufa/status/1667053071543992320?t=9OkWIAyYlGjBXkTW7xGZIA&s=19
しかも上記の文中にあるように近代麻雀水着祭は「(1)の過激な衣装やポーズを禁止するルールは今年1月に決まり」という過去に決まったルールに抵触している。
これはJ-CASTニュースの記載と整合する
「共産党の要望があったから対応したのではなく、ここ数日の間、貸し出しの許可条件に反する事例があったという報告があがったためです」
過激な衣装やポーズを禁止するルールに抵触している上に中学生モデルの参加を告知していることも問題視されたということではないだろうか。
なお、近代麻雀水着祭は4月29日と30日に開催されており、6月の追加開催日程はTwitterの公式アカウントから4月7日にアナウンスされている。近代麻雀水着祭に対する「過激な衣装やポーズを禁止するルール」が開催申し込みの後に適用されたものであることは考えにくい。1月のルール制定の前に開催申し込み手続きを行い、4月になってアナウンスするものだろうか?
ttps://twitter.com/GakuinKinma/status/1644185381297082373
tyoshiki氏から次の応答があったので返信
------
次に、私は共産党うんぬんは割とどうでもいいです。私は最初から
・はてブでは反撃されないと思って
・その後事実の不確かさを指摘された後も、過激なコメントについて「ちょっとこの段階では言い過ぎだった」などと修正することはせずに現時点でも保持している
ということに対して「ダサイ」と指摘しています。なので、2行目や3行目の部分について反論がなければ「ダサイ」という指摘は取り下げるつもりはないです。
------
1行目については、コメントする際に反撃を受けることは常に覚悟している。
2行目については、J-CASTニュースは埼玉県公園緑地協会と埼玉県公園スタジアム課からコメントを取っている以上「まだ未確認の段階」ではない。
3行目については「その後事実の不確かさを指摘された後も」とあるが、その「事実の不確かさの指摘」自体が不確かである。近代麻雀水着祭はルールを知った上で、ルールを遵守していない。未成年のルールが6月に決まったというのは大勢に影響を与えていないと思う。ルールが無くとも中学生モデルの水着撮影が4月に行われており、6月の参加も告知されていた。ルールに無くとも公序良俗の観点でアウトだろう。
楢山節考は二度映画化されていずれも劣らぬ名作だったことから原作も
文学関係者のみならず一般にひときわ高く評価されることになったんだとは思うんだけど、
小説の元ネタになってる棄老伝説ってあくまで伝説であって史実の裏付けが何も見つかってないんだよね。
リアリティにこだわった今村昌平版の映画しか見てないとなおさら本当にあった話にみたいに思えるけれど、
具体的な史料に基づいたのではなく、想像で書いたと深沢七郎も言っている。
史実に基づかないことはノンフィクションを標榜していない小説にとって何の欠点でもありはしないが、
さも実際にあったことのように扱って日本社会もまた姥捨山があったような時代に逆戻りしてまうなどと論じることに意味があるとは思えない。
死んだように寝た。
渡辺明が敗れて、私は死んだように寝た。
第81期名人戦七番勝負第5局。18時53分、藤井聡太竜王が決め手となる一手を放つと、名人・渡辺明はすぐさま頭を下げ、駒を投じた。この瞬間、名人戦七番勝負が決着。藤井は名人位を奪取し、史上最年少名人、そして七冠を達成した。一方の渡辺は、唯一のタイトルだった名人を失冠。2004年以来、約18年半ぶりに無冠へと転落した。
重苦しい沈黙が対局室を支配した後、対局者へのインタビューが行われた。まずは勝者の藤井。いつもどおり、慎重に、丁寧に言葉が紡がれていく。一方、座して待つのは渡辺。藤井へのインタビューがひとしきり終わった後、ようやくマイクは向けられた。この将棋のこと、名人失冠のこと、そして無冠のこと。待ち続けた後に投げかけられる問いは、どこまでも厳しく、容赦がない。それでも渡辺は、こちらもいつもどおり、きっぱりと、はっきりと言葉を発していた。
対局後の儀式を、半ば虚空を見つめるように眺めていた私だが、しばらくしてニュースに現れた「渡辺九段」の文字に心は決壊した。体と心の全部がそれを拒絶した。到底受け入れられないと思った。あらゆる思考を強制的に断ち切りたいと思った。布団をかぶって、枕に顔をうずめた。そのまま、死んだように寝た。渡辺明が敗れて、私は死んだように寝た。
翌朝になって、渡辺のツイッターを見た。なんと渡辺は、終局直後にツイートをしていた。しかもそれは、私を含む将棋ファンへの言葉だった。「長い間、タイトル保持者として充実した時間を過ごすことができたのは、将棋ファンのみなさまのおかげです。ありがとうございました」。
どうして、終局直後に当人がこれだけの発信をできるのだろうか。無冠になった夜に。ただの一ファンがショックで不貞寝していた夜に。その胆力に打ち震え、「あなたのファンでよかった」と思うとともに、無冠への転落もまた現実であることを同時に突き付けられるのだった。
2004年に、弱冠20歳で初タイトルとなる竜王を獲得した渡辺。以降現在まで、一度も無冠となることなくタイトルを守り続けてきた。渡辺の同世代に、渡辺ほど突出した棋士はいない。若き頃は、最強と呼ばれる羽生世代相手にまさしく孤軍奮闘、その剣を振るった。2015年になって、ようやく年下の棋士とタイトル戦を戦うようになるが、ここも譲らない。奪取や防衛を重ね、後輩の棋士を寄せ付けなかった。渡辺は、「たった一人」を除いて、年下の棋士にタイトル戦で敗れたことがない。竜王9連覇、棋王10連覇。圧倒的な戦績で、2つの永世称号資格を獲得。通算タイトル獲得数は31で、歴代4位を誇る。
これだけの戦績を残す渡辺だが、早い段階から、自らの立ち位置を冷静に見つめていた。「羽生と藤井の間」。つまり、時代を築く絶対王者の系譜に自らはいないということを公言して憚らなかった。時代のいわば谷間で、孤独に闘い続けた。残酷な言い方をすれば、「次の時代の到来を待っていた」そういうことになるのかもしれない。
渡辺の言葉を裏付けるように、その「たった一人」がタイトル戦の舞台に現れたのは2020年の夏だった。それから今日まで、思い返せば一瞬のように過ぎた。「すごい人が出てきた」の棋聖戦。自身初のストレート負けで散った翌年のリターンマッチ。2日制七番勝負、王将戦で並んだ4つの黒星。「冬将軍」と呼ばれ、10連覇の強さを誇った棋王の失冠。そして名人戦。この間、ただ座して死を待っていた渡辺ではない。研究を深め、自らの将棋をアップデートさせてきた。悲願の名人位を獲得し、3連覇を達成。「第二の全盛期」とも呼べるような充実ぶりだったが、たった一人、藤井がそれをあっという間に塗り替えていった。
藤井20勝、渡辺4勝。気付けば、圧倒的な星の差が付いていた。藤井と渡辺の対戦には、星の差が信じられないような名局が多い。中盤から終盤にかけての、白熱の競り合いと斬り合い。しかしそれらは、渡辺の敗局となっていった。星の差は、勝負の運で生まれたものでないこと。紙一重の差は、とてつもなく大きなものであること。不思議の勝ちはあっても、不思議の負けはないこと。そのことは、渡辺自身が一番よく分かっているはずで、だから渡辺は言い訳をしなかった。「実力不足」そうきっぱりと言い残して、名人戦の舞台を去った。
今回の名人戦、渡辺が唯一勝利した第3局が忘れられない。終盤、渡辺が勝ちの局面になり、決め手となる一手が生まれた。その手自体は一瞬で見えていた渡辺だが、なかなか盤上に手が伸びない。勝利の一手を決断するまで、実に93分を要した。これは渡辺の勝局だが、ファンにとってはまるで負けを味わわされているような、非常に重たく、苦しい時間だった。藤井という圧倒的な存在。目の前にいる「時代」。そこに一矢でも報いるのはこれ程までに過酷なことなのかと、勝利したことで逆に思い知らされる一局となった。
壮絶な戦いを終え、無冠となってしまった渡辺に、今どんな言葉がかけられるというのだろう。自分では、なかなか言葉を見つけることができなかった。しかし、しっくりくる言葉があった。今回、藤井に最年少名人の記録を破られた谷川浩司十七世名人の言葉だ。
将棋とは、対局者二人で創り上げるものである。そして、藤井に真の力を引き出させることができるのは、渡辺を含むほんの一部のトップ棋士しかいない。トップ棋士が諦めたとき、藤井は盤上で孤独になる。七冠達成とは、類まれなる偉業であり、それと同時に、プロの将棋にとって存亡の機でもあるのではないだろうか。
しっくりくる言葉とは言ったが、よく考えてみれば、こんなに残酷な言葉はなかったかもしれない。なぜなら、これまで孤独に闘い続けてきた渡辺に、これからは「藤井さんを孤独にさせてはいけない」と言っているのだから。どれだけ過酷なものを背負わせようとしているのだろうか。残酷な響きに後ろめたさを覚えつつ、それでもなお、私はこの言葉を選ぶ。「無冠になったことで将棋への向き合い方が変わるわけではない」。失冠の日、こう言い残した渡辺にすがる。
何が好きかと問われれば、その将棋の質、それに人柄と振る舞いだ。理路整然とした勝ちへの道筋。細い攻めをつなげ、厚い攻めをさらに分厚くしていく技術。「将棋は仕事」とドライに割り切りながらも、その仕事できっちりと結果を出す仕事人ぶり。本質を包み隠すことのないきっぱりとした物言い。画面の向こうにいる将棋ファンのために行われる明朗快活な感想戦やツイート。そこにある第一人者としての責任感。弱さも含めて自分をさらけ出す強さ。それらの全てだ。
将来、将棋の歴史がどう定義付けられようと構わない。渡辺明は、私にとっての「時代」だ。過去形にはしない。今はただ、渡辺の次の一手が見たい。
単に英語力と思慮、注意力の欠落です。
Introducing ChatGPT
We’ve trained a model called ChatGPT which interacts in a conversational way. The dialogue format makes it possible for ChatGPT to answer followup questions, admit its mistakes, challenge incorrect premises, and reject inappropriate requests.
英語話者であればこれを斜め読みしただけでアトム的な質問回答機としては使わない、
ページ翻訳ではニュアンスが伝わりにくいんだよね、普段から英文で仕事してたり慣れてる人間じゃないとこの説明文で言わんとする所はピンと来ないだろう。
かつ、まともな思慮と注意力がある人間なら、GPTてなんじゃ?ってところは使う前に調べる、
グレート?ジェネレート?プロ?プレ?プロフェッショナル?プロダクト?テキスト?トランザクション?
まぁ頭の中でなんか思い浮かべながら(この段階でもブランディング誘導は始まってる、日本人にはこれが効かない)
で、横線ページをスクロールさせる、SAMPLEだのMethodsだのまぁこれ日本人の大半は読んでないんだろう。
ここまで英語話者が読んだらよもやChatGPTを検索タスクとして使おうとは思わんよ。
で、Generative Pre-trained Transformerを見つける、はいはいと
トランスフォマーだよ、車がロボットに変形したり、電柱の上にぶら下がってるやつ、アメリカだと路上だが
ともかく、変換器ねと理解し解釈して使い出すんだからそりゃ検索タスクには使わん。
で、と、増田はChatGPTを生成AIだと言うてる、世間一般でもそのように呼称されてはいるのだけど
OpenAI社のドキュメント類、ChatGPTの説明文を調べてご覧、このプロダクトを人工知能だとはどこにも書いてない。
ドキュメントコントロールの部署が検閲し注意深く表現に配慮している様子が伺える
これは重要な点で
同社の画像AIのダル(DALL·E 2)は明瞭にAIと標榜しているのと対象的
AIの国際的な規格は無い、どういう基準でAIを名乗れるか、法的なしばりは無い、冷蔵庫だってAI内蔵を名乗りたけりゃ名乗れる、技術要素の裏付けは不要
だがOpenAI社はあえてChatGPTをAIだと呼ばない。
1、AI規制の世論、方向性を見極めてからでも遅くない(ユーザーやメディアは勝手にAIとブランディングしてくれるし)
説明する、
AI法規制議論真っ只中、どっちに転ぶかわからん、最悪ガチガチ規制もありえる、できたばかりの法や規制に対してノーアクションレターは通りにくい
何れにせよ商売はやりにくくなる
関係者は頻繁に公聴会やらに呼ばれている状況、ここら温度感は日本はまたまた周回遅れなんだが
企業戦略としてChatGPTをAIと自らは名乗らないのは正解なの、AIの法的定義すらない段階で、先々AI指定を回避する一つのキーになりかねない
訴訟になったときに「え?ワイらそもそもChatGPTをAIだと言うたことはありませんが?」これが主張できる
自分から「これはグレートなAIでっせ」と標榜していたらもはや逃れられない。
ともかく、笑えるくらい慎重に彼らはChatGPTを人工知能だとは宣伝しない、生成AIではないんです。
そもそも、技術ドキュメントを読んでも古典的なAIの技術は使われてない。
所謂ニューラルネットワーク、パーセプトロン、脳機能の模倣をどのような手法や計算で再現するか
Pre-trainedの部分では使ってるが、応答エンジンの部分では実装されてない、たぶん、しらんけど
で、ChatGPTが嘘デタラメを混ぜるのは故意です、俺は確信してる
いろんなプロンプト、少しずつ字句を変えたり、応答の考察をしたんだけど、わざと信頼精度を下げてるとしか思えない。
これパラメーターの調整でいかようにもできるはずなんだが、かなり意図的に嘘捏造が混ざるようにチューニングされてる。
ようはこれもAI議論の方向性を誘導するための戦略だろう「しょせんこの程度っすよ」と
・少子化対策に関して、発言力のある層が既婚・子持ちばかりで、子育て支援=自分への利益最大化ばかり主張している
アニメ化された頃には作品に冷めてるということがよくあるんだけど、推しの子久々にアプリでまだ読んでなかったところ読んだら、インターネットで全てを分かった気になる人みたいで萎えた
一応自分の言ってることは実体験の裏付けがあるようにしてるんだけど、それがあるのか疑わしい推しの子
三田紀房作品にも、ひろゆきや落合陽一にも通じることなんだけど
「ざっくりとでいいからズバッと言って欲しい」
「分かった気にさせてくれるコンテンツが好き」
推しの子からそういうにおいがプンプンして全然好きになれない。今も昔も
僕の言ってることとか考えてることはそれはそれで偏ってるので、ご指摘やお叱りも受けるのですが…実体験かデータもしくはその両方がある上で言うようにしてるから、推しの子は「さもありなん。されど偏見多し」みたいに見えるのよ
嘘だったとしても本当だったとしても推しの子の、85から89話ぐらいは読むのしんどいわ。
何て言えばいいの?
作者の偏見か、もしくはブラック企業に勤めた人の愚痴か、インターネットでよく書いてあるマスコミの悪口?
そういうのをひたすら聞かされてる気分になって不快
単行本半分ぐらいの尺なのに
テレビが面白くなくなってるのは、コンプライアンスのせいだみたいなことを言ってる現場関係者って本当にいるのかね?
なんならコンプライアンスをテレビが守ってると本当に思ってんのかな?
推しの子がインターネットに書いてあるテレビへの偏見を集めて作ってるようにしか見えない。(90話感想)
テレビが面白くなくなった分岐点は2006年の結婚できない男を見ればすぐにわかります。
2006年の深夜アニメってめちゃくちゃ面白かったんだけど、テレビドラマは80年代90年代から価値観がアップデートできてないままずっと来てる。
テレビが面白くなくなった。理由はつまり、テレビ自身が変化できなかったからです。
その結果、テレビが栄えた年代やテレビに出演する人の階級、そういうものを描くことしかできなくなっちゃって「おじさんがおじいさんおばあさんのために、芸をするとこ」
になっちゃったの。
アニメや漫画は常に子供のために解放している。部分と大人のために上に積み上がっていく部分と両方はある。
でもテレビって子供の頃にNHK とか朝のアニメ見た後に10代20代に見る番組って深夜アニメ以外なんだよって話になってくる
なんかテレビ番組内で原因の究明とかディレクターの謝罪とか、そういうのを企画としてやれば面白いんじゃないか?みたいなネタなんだけど…まずテレビが1億パーセントやらんやろ
子供も騙されない。
マスコミ様、そんな聞き分け良くないよ
マスコミの取材のヤバさで有名な話っていっぱいあるけど、噴火の取材をしていて非難している民家を漁ったり、マスコミから町を守るために立ち上がった消防団の人達まで後に発生する噴火事故に巻き込まれたりそういう事件があったんですよ
リングとか岩井俊二とかが流行るのがわかるほど暗い社会だったし、
ウシジマくんの世界に転げ落ちそうな危なっかしい人たくさん居た。
97-99年ごろとか、流行ってた洋服、イケてる人ほど黒・白・グレー!だった。
静かに暗かった。もしくは薬でラリってた。おっさんの自己中さとモラハラ加減がすごかった。
多分俺今のあのおっさんよりも遥かに給料もらってるけど、それ知ったらどんな顔するかな。
世の中に出てる情報が少なすぎて雑誌と噂話ベースがメイン。科学的裏付けがなくて誰も信じないようなものもすぐに持て囃されてた。今表に出てるものはアングラの情報レベルだった。
そんな世界だから悲しくなっちゃったり街を彷徨っちゃったりする若者多数。
そして100円ショップなんてほぼないから今100円で売ってるようなものに1000円とか5000円とか払いながら手に入れてた。情報と金がなければ自由もなくてただただ檻の中にいるような時代だった。