はてなキーワード: 自分たちとは
石丸に投票すんじゃなかったみたいな増田があったから、逆に石丸に投票して良かったと思ってる話もしたい
俺が石丸に投票して良かったと思ってるのは、既存の政党勢力の対立構造や馬鹿なマスメディアを叩いてくれるからだ
今のところ全てやって欲しいことを全部やってくれてる
都知事選で2位になる人物を過小評価して、取り扱ってこなかったんだから、まずはそこを叩く必要がある
もっと得票できた可能性を潰したのはこいつらだよってのを明確にしたわけ
そもそも、選挙後の話を聞くのに3流インテリタレントと元アイドルを使ってる時点でメディアは選挙を馬鹿にしてるんだけど、そんなところにも気付けてない奴らは相当痛いぞ
んで、その言動も素が出てるわけじゃない
バズる鉄則だが、まず目立つ場面では一言物申したくなるような言動をするんだよ
ブコメでもそうだろ?
実際、ぽっと出の田舎市長をお前らはどれだけ拡散きてるんだよって話
お前らにとっては印象悪いんだろうけど、それはお前らが既存体制側だからなんだよ
ウヨサヨ関係なく偉そうに選挙行けとか、政治的正しさとかで説教してる、キモいおっさんおばさん高齢者達を説教してるのが石丸って構図になってることをお前らは分かってない
石丸がパワハラ気質なんじゃなくて、パワハラ気質なお前らにカウンターしてるって立場なんだよ
これが見えてない時点でお前らはもう古い脳みそだってことを自覚してほしい
普段敵を悪魔化して叩いてる側が今度は自分たちがが悪魔だと突きつけられる気持ちはどうだ?
ちなみに石丸を叩けば叩くほど、支持者たちの結束は強くなるぞ
そもそもが「トランス女性(または心が女性だ)と言えば女子トイレに入ろうが女湯に入ろうが無罪になる」と言っていた人たちがいて、
で、今回(だけでなく過去にもあったけど)、「心は女性なんです」と言って身体的に見て男性であろうという人が女湯に来たから通報されて逮捕されたんだけど、
これはつまり「トランス女性(または心が女性だ)と言えば女子トイレに入ろうが女湯に入ろうが無罪になる」がデマだったことが証明されたので、この発言をしていた人たちは訂正すべきなのではないか。または間違いだとわかったので安心すれば良いのではないか。
「ほ〜ら女だと名乗る男が女湯にきちゃいましたよ〜?どうするんですか〜??」
という感じのことを言ってる人がいるのはとても不思議というか、自分たちの発言が誤りだったことが証明されたのにどうして挑発できると思っているのかよく分からない…。
なんだったら今回女湯に入ったという男は「トランス女性(または心が女性だ)と言えば女子トイレに入ろうが女湯に入ろうが無罪になる」を真に受けて犯行に及んだ可能性も否定できないとすると、むしろ自分たちが産んだ犯罪者である可能性に恐怖するところではないかと思うんだよね。
これは介助犬OKの店をつくると自分のペットを介助犬だと言い張って店に連れてきて関係ない客が噛みつかれる可能性がある、みたいな話だと思うんだけど。
介助犬であろうがなかろうが人に噛みついたら問題だし、トランス女性かどうか関係なくそもそも女湯という場所が身体性に基づいてる場所だから男体を認識したら通報可能なことは言うまでもないし、実際それが行われた結果だと思うし、この前の裁判結果も同様のことが言われてたと思うのだけど……。
わからねえ〜〜〜〜
自分は20代前半だが、今までの人生で心が壊れそうになって、間一髪免れたことが何度もある。
母はもちろん、親戚たちが自分のことを助けてくれたおかげでなんとか健康に育てたが、愛着障害の破片が未だ心に刺さっている。
母の弱音を受け止める役目は今も変わっていない。
いじめのターゲットは別の人間だったものの、当時の同級生と会う気にはならない。
勉強ができたので高校以降はなんとかなったが、本来自分は弱い人間であるという意識は心の底にへばりついて取れない。
その歪みは、おとなになってからはそうそう取れないものだということもわかった。
大人の活動というのは、殆ど全てが子供時代のコンプレックスの裏返しではないかとすら思う。
子供を持とうとする人は、自分たちなら子供を歪ませないで成長させられるという自信があるのだろうか。
この世に生まれてきてよかったと心の底から信じられるような境遇で育った人ばかりなんだろうか。
そもそも元来子供というのは、家族や地域社会の維持のために設ける側面が強かったのではないか。
地域社会が実質的に解体されて、人もモノも情報も世界規模で飛び交うこの時代で、なぜあえて自分が子供を作ろうと思うのだろう。
(片山さつきをフォローしてるような)右派が反対なのは当たり前で、それは昔からの価値観を支持する立場だから
ターフが異常なのは自分たちは進歩的な価値観であると自負し、多様性を擁護するべきだと言いながらMtFトランスにだけ攻撃的なこと
一日中SNSに張り付いては「海外では〜」だの「絵師の権利が〜」だのご高説を垂れ、AIとAI利用者に対して呪詛を吐く。
それで社会が変わると本気で思ってるのか?
本気で規制したいのならスマホポチポチしてないで現実社会で行動を起こせ。
法律や技術の専門家を交えて、オープンな形で具体的な規制案を練れ。SNSで仲間内で議論してても何も始まらねえだろ。
ブログやメディアから始めてセミナーや講演会を開催し、地道に一般人に啓蒙活動しろ。社会のメインストリームは真っ当な仕事に就いて汗水垂らして働いてる人たちなんだから、きちんとその層に生成AIのデメリットについて教え込め。
不買運動をやるなら覚悟を持ってやれ。「○○はもう使いません」発言や自分のイラストを、無断学習でAI開発してるX社のSNSで投稿するな。AI推進してる企業の製品を何か一つでも使わないと決めたならGoogle,Apple,Microsoft,Meta,Androidの製品も同様に使うな。行動に一貫性を持たせろ。
自分たちで団体を立ち上げて、政府にロビー活動しろ。LUUPだって業界団体の設立から公道での実証実験に至るまで何年も地道にロビー活動して、ようやく道路交通法改正にこぎつけたのに、SNSでピーピー喚くだけで規制できると思ってるお前らの頭が心配だ。
声をあげてれば誰かが何とかしてくれると思ったか?政府や企業、そして世間はお前らのお母さんじゃねーんだよ。自分たちは正しいのだから待ってればいつか手に入るなんてただの幻想だ。欲しいものがあるなら自分たちで掴み取れ。社会を変えるのはいつだって目的を持って一歩一歩行動した人間だ。今すぐXを閉じて、自分には何ができるのかよく考えろ。これだけ言っても何も響かねえのならAIに淘汰された方が人間社会のためになる。
普段はROM専で、SNSでリアルタイムに反応をもらうことに不慣れでつい舞い上がってしまい、更新ボタンを押す手が止まらなくなってしまった。
また、フェイクは入れまくっていたけれど、身バレするのがホッテントリに入って注目されるようになってから怖くなった。
自分の精神衛生の悪化を感じたので、勢いで消した。私にはSNS上でオープンな発信者になるのは早かったみたいだ。
だけど、どうしてもお礼を言いたくてのこのことまた出てきてしまった。
6月11日現在における今年度の寄付総額は約130万円、寄付件数は79件。
7月13日現在では総額305万3千円、件数は149件! 倍増! すごい!!
自分の投稿がどれだけ貢献したかはわからないけれど、寄付してくれた方々に対して厚く御礼を申し上げます。本当にありがとう。
https://utf.u-tokyo.ac.jp/project/pjt83?pg=400&page=1
読んでみると、過去に授業料免除を受けていたという人が恩返しとして寄付しているのが結構多いのが分かる。
https://utf.u-tokyo.ac.jp/project/pjt83?pg=400&page=1#project-tab03
あとは3つおまけ。
まず大学側の要因として挙げられるのが次の2つ。
私も今回調べるまで、自分の研究科以外の寄付基金の存在を知らなかった。修学支援基金も含めて。自分もお世話になってたのにね……。
OB・OG向けにたまに郵送するニュースレターという形でOB・OGへのアウトリーチする基盤はある。
現役の学生からお金を搾り取ろうとする前に、OB・OGへの寄付の働きかけを強化する手段はあるんじゃないのかな。
関連して第2に、学部・研究科ごとの独立性が高くて、「東京大学」としての寄付の呼びかけに失敗している。
夫は別の学部・研究科の出身なので、ニュースレターを私の出身のところと比較できるのだが、どちらも自分たちのところの研究のための基金の情報しか載っていない。
ふるさと納税における各自治体みたいに、寄付金を巡って本部と各研究科が競争しているような状態なのかもしれない。
あるいは、授業料免除のような学生全体に関わる経済的困難層向けの修学支援は東京大学の本部としての活動になる一方で、OB・OG向けのアラムナイ活動は学部・研究科の所管になっているように見えるから、そこで齟齬があるのかもしれない。
他方で、卒業生側に目を向けると、卒業生には寄付をするインセンティブがない。
寄付をすることに対して、アイデンティティ上の満足や実利など自分のためになる何かがなければならない。
多くの東大生OB・OGには、寄付に対するそうした対価は存在しないと思う。
アメリカの有名大学には寄付による入学枠がある。寄付することが、そのまま自分の子どもの利益に繋がる。
賛否はあると思うけど、その寄付金を使って貧乏人の子どもが入れるようになるならば、うまくできた制度設計だと思う。
でも、これは私立大学だからできることだろうし、東大でそんな制度が採用されるとはとても思えない。
※補足:ハーバード大学やスタンフォード大学などのアメリカの有名大学のほとんどは私立大学。
でも、はてなーは公共心が高くて、公共性への貢献からアイデンティティ上の満足を得られるであろうから、皆さんからの寄付には勝手に期待している。
②なぜ親と折り合いの悪い層にこだわるのか
これは、実際にそういう人を知っているから。金銭面で決定的に仲違いしたから。その人は大学からも去ってしまったから。
大学院に行きたいと言っていたけれど、結局コンサルに就職した。私が知っている中でもかなり天才と呼んでよいほどの頭の人だったのに、ものすごくおもしろい研究をしたはずだったのに、本当にもったいない。
セクシャルマイノリティーの立場から授業料値上げについて書いていた学生のnoteを読む限り、最近でもこの問題が解決してなさそうで非常に残念だ。
私の場合、分かりやすい経済的困難層だったことと、進学には反対したけどなぜか書類の準備には協力的だった親がいたことはすごく運がよかった。
親との折り合いが悪くて授業料免除制度からこぼれ落ちてしまうような学生をどう救うかの問題が解決しない限り、いくら支援制度の充実を掲げたとしても、学生の自助努力の水準を上げる授業料の値上げは行うべきではない。
③最後に。自分のこれまでを褒めてもらえたことはうれしかった。その一方で、危うさも感じた。
やっぱりみんな学力によるメリトクラシー(能力主義)にとらわれすぎだと思う。
特定の能力を持っている人はそれにふさわしい場所に行けるべきという考え、あるいはそれが実現された社会は、最終的にはその能力を持たない人を苦しめることにもなりうる。
学力という一つの能力のみによる純粋な選別装置として大学を機能させることと、社会全体の平等は別の話。
能力によって個人レベルでの格差を乗り越えることができたとしても、社会全体の格差は残り続ける。
世代間の社会的流動性が高ければそれはそれで問題ないのかもしれないけれど、それでもやっぱりいま・この世代において個人レベルで「負ける」人は発生する。
特定の能力による勝ち負けの発生自体をなくさないと東大ヘイトも負け組ヘイトもなくならないんじゃないか。
もちろん個々の能力ごとに勝ち負けが発生するのは避けられないけど、いろんな人のいろんな能力が尊厳をもって扱われて、トータルでみたら引き分けだとみんなが感じられるような社会になってほしいと心から思う。
だから繰り返しの主張になるけど、大学生への経済的支援だけではなく、若者向けの支援も、かつて若者だった人たち向けの支援もやるべきというのが私の立場。
「東大生は社会的に有用だから他を差し置いて特に支援されるべき」ではない。
個々人が寄付という形でその思いを表明するのは、個人の善の構想の中にある自由な選択。
でも、公的に税金を使ってやるべきような正義の話なのかは分からない。
それに、社会的に有用になることを東大生に押し付けることも適当ではないと思う。
社会貢献のためにみんな働いているのか? ジョブズは社会貢献のためにiPhoneを作ったのか?
そうではないだろう。
人々が自由にその能力を発揮して、自分の何らかの価値のために働いて、それが結果的に社会の役に立つ。それが一番健全。
最初から社会のためになんて言ってるやつはうさんくさい。個人の感想だけど。
この投稿以降は再び社会の片隅でひっそりこっそり生きる生活に戻ります。
誤字脱字は直すけど、それは何卒ご容赦を。
方言がきついと炎上した「Still Wakes the Deep」
https://store.steampowered.com/app/1622910/Still_Wakes_the_Deep/
公式公認の翻訳なのに文句言ってるsteam民。もうこんなの文化弾圧でしょ。
先に結論を言っておくと、こいつらゴミが言いたいことはゴールデンカムイあたりで有名になったアイヌは同じ日本として認めるけど、
マイナーな九州弁なんか知りたくもねーから同じ日本語ではない、の言い換えでしかない。
これを理解しない人間によって今後も乱用され続けると、その内”多様性”という言葉そのものが傲慢な思想の押し付けと同義にされ、それ自体が排斥の対象になりかねない事を理解できないのだろうか。
本来多様性とは個々の性や感性を認めようという寛容を示すものであって、主張し認めない人間を悪と断じる踏み絵ではない。
最初に言っておきますがこのゲームはグラフィックや音楽そして演者共に高いクオリティであり
これによりゲームの雰囲気がぶち壊され没入感が大きく損なわれています。
翻訳者は方言の多様性を訴えてるがこっちはそんなもの求めていない
自分の独善性とエゴは許されると思ってるバカ。押し付けないでください。
日本語の翻訳家は方言での日本語化は多様性といっているが選択肢を与えないホラーゲームとしての雰囲気をぶち壊しにするこの一方的な字幕は多様性とは言わない。ただの押し付け。選択肢を用意してからそのように発言して欲しい。
方言のせいで内容が入ってこない。
自分の無知さを盾にしてるクズ。選択肢がない?オリジナルでプレイしてろ。節穴かよ。
前置きしておくと、私は本作を購入後プレイの前に方言翻訳の問題とその翻訳担当の不遜な態度を先に目にしました。その上で、結論ありきとはならないよう心がけたつもりですが、内容は予想以上に酷かった。主に人物表現とローカライズに関して酷評します。クソ長いです。最後の段落だけ読めば足ります。
...(省略)
独善的な正しさの押しつけ
Steamプラットフォームの対応言語「日本語」の表示に期待されるのは、標準語または標準語でスムーズに理解できる言語のことです。そんなことはいちいち指摘するまでもない。この標準語を期待するユーザーに対し方言を強制すること、そしてその押し付けを受け入れないユーザーは正しさに背く者であるかのように翻訳担当自らがネットでチクチクと後追い示唆を続けるのは、端的に言って独善的で幼稚です。
ここまで示した通り、人物表現でのリアリティの追求、他の方言に翻訳する際の配慮、押し付けではなく丁寧な手段を講じること、検討すべき内容は他にいくつもある。にもかかわらず、それらをなおざりにしたまま方言翻訳で注目を浴び「多様性で御座い」と偉ぶるのはお笑いという他ないのです。最後にハッキリ言っておきますが、こんな目障りな実装なら方言による主張など無い方がマシだった。標準語でも文脈くらいは読み取れますよ。馬鹿にしないでほしい。
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この目で確かめるためとはいえ、正しさごっこに付き合わされた時間は苦痛でした。主張するのならもう少し見識と覚悟と気配りを持つべきというのが私からの評価です。まぁパブリッシャー自身も正しさに浸って気持ち良くなっておられるようなので、少なくとも今は何も耳に入らなさそう。逆にこんなチャチな仕掛けで「わぁ方言翻訳だって!すごぉい進歩的!」などと文化人ポイント稼ぎに乗っかってみせるのも私には難しいですね。恥ずかしくて。
ゲーム部分は歩きとインタラクトの繰り返しで進む、よく言えば雰囲気を味わう、悪く言えば抑揚を欠いた一本道のホラー小説。プレイした範囲では探索も謎解きも勝手に進むので迷うこともなかった。物語もありがちな展開で特にこの先を見たいとも思いませんし、一週間程度様子を見て返金申請します。
自分の弾圧行為を正当化したい糞長レビュー。”Steamプラットフォームの対応言語「日本語」の表示に期待されるのは、標準語または標準語でスムーズに理解できる言語のことです。”>インチキ解釈乙。そもそもオリジナルが標準英語ではない上での翻訳なのを理解してないアホ(そもそも標準英語ってなんだ?って話でもあるが)。アプデで翻訳が追いつかない未翻訳を見つけただけで全否定してきそうなゴミ。多様性や文化を何も理解してない。
①市議会で決定なされたものを市政が実現するという構図であるはずなのに、市長が議員議会を軽蔑するようになった点が意味わかんない。こういうの珍しくないけど、議員軽蔑したのは驚き。仮に、自身の政策に議会がガンとして動かないのであれば、民主主義である観点からそれは否定されるべき事案。それをまして議員軽蔑という手段(SNSで貶める)はダメでしょうよ。
②議員は市民の代弁者なんだから、議員さんの顔ぶれを見ても、やっぱり安芸高田市の代弁者なんだろうなと感じる。が、石丸さん切り抜き動画を見た人は過激な議員軽蔑をする。市民を否定したいの?仮に批判するとしても、地域課題について、代弁者としての責務が果たせていないという批判ならまだわかる。
発言の辿々しさを批判するのは違うでしょうよ。居眠りぐらいで声荒げんなよ。そういうところじゃないでしょ。なんで人格否定してんの?言い方伝え方を考えようね。わかってくれる子は小学生でわかってくれるんだけどね。
③石丸さんならびに支援者の方々から感じる、民衆(なぜかそこに自分たちは含まれない)はバカだからエリートである俺が全て正しい。という空気。民衆の代弁者をバカにする人だから当然なのかもなと。エリート選民思想、民主主義をぶっ壊したいという空気を感じる。でもきっとこの国が民主主義じゃなかったとしても、石丸さんは選ばれないだろうな。石丸構文と翌朝の取材での弁明がスーパーかっこ悪いし。ダサい。
④ルールを否定してゲームしちゃいかんでしょうよ。代弁者たる議員が議会で決定したものを、市政が実現する。市長に求められるのは執行能力と議会と市政の調整能力でしょう。石丸さんは代弁者ではなく執行能力として市民に選ばれたんじゃないの?(選挙ではここまで調整能力のない、議員を軽蔑する人とは見抜けなかったのが残念。でも見抜くなんてぶっちゃけ無理だよね。)
⑤(あんまり使いたくない言葉だが、エリート信奉者の方へ)真に優秀な人は、これらのルールに則りながら大岩を動かせる人であって、単にお勉強ができるなどと言うレベルの低い尺度で、政(まつりごと)を任せられる人の要件にはならんのよ。しかも京大から銀行行った程度の人って世間にゴロゴロいるからお勉強も別に大したことないんだよ。
以上から、石丸さんは政治家としては非常にレベルが低い方なのに、なぜか優秀扱いされて持ち上げられていることや、持ち上げてる人たちにもずーっと違和感感じてる。ポスター代は払わねーし。SNSで恫喝するし。
もう吐き出したから、この瞬間から石丸さんのことは忘れて、地道に生きていきます。ソーセージエッグマフィンのセットを食べる。いつ何度食べてもテンション上がるから好き。
そのへんの民俗資料館で無造作に置かれてる資料を捨てる話について
どこの郷土資料館に行っても置いてあって、個人的にもあんまり見分けつかないので
農機具なんか自分の家で置いとくのが邪魔になって押し付けたんだろぐらいの気分になるのはわからないではないのだが
(自分は江戸や明治まではじっくり見ても昭和のコーナーは早歩きですっとばす)
それはだいぶ贅沢な話で、歴史資料に乏しい国は自国の存在証明のために必死で証拠をかき集めてるんだよな
なにか見つけては旧約聖書に書かれたのはこの遺跡だと主張するのに余念がないし
それにくらべると日本の自称保守は甘いというかユルいというか危機意識に欠けるというか
たとえば維新系みたいのが対馬で勢力を得て郷土資料を処分した日には
それこそ対馬は半島系の人たちの文化圏だったのだ、みたいな主張に反論するための証拠(日本文化圏の民俗が継続的に存在していた)を失うわけだが、
グローバルな人的移動が当り前の昨今、本州内陸だって今から100年もしたら「1000年前からここはXX民族の土地」みたいな話は出てくるだろうになあ
俺もだいぶ年齢を経て保守的な態度になったので、YASUKEはすごい侍大将だったのだ、みたいなのは
そこに文句を言えるのはYASUKE以外の同時代の日本人についての記述や資料がそこそこ残ってる
(信長配下の武将たちの名前や事績が直接間接の証拠を積み上げてきちんと記載されてきていて、それら数十名数百名の名前に比してYASUKEの資料はないので比較的な意味で可能性は極めて薄いと主張できる)から言えることで、
それすら、まだまだ調べきれてない資料はいくらでもあるのに、今、日本各地で中身も見ずにシュレッダーにかけられたら
”SAMURAI COMMANDER YASUKE"にも反論できなくなっていくのだなと思うと、残念
現在ある様々な資料の全部の保存ができるとは思わないし、今を生きてくのに過去だけ見ててもしかたない(歴クラみたいな態度で歴史でキャッキャするのは嫌)のだが、せめて自分たちが手慰みに弄ぶ日本スゴイなるものの拠って立つ根拠がどこにあるかぐらいは意識しておいて欲しいよな…
http://blog.tatsuru.com/2024/07/12_0846.html 民主政の終わり
これを見た感想なんだけど、
”投票する人たちは「自分たちに利益をもたらす政策を実現してくれる人」を選ぶのではなく、「自分と同じ部族の属する人」に投票しているように私には見えた。”
これがなんか、政治には正解があってそれに近い政策の人を選ぶことが正しい選挙って思っているように聞こえる。
だけど、「自分と同じ部族の属する人」はその部族の支持を集めることが近道なんだから、「自分たちに利益をもたらす政策を実現してくれる人」になるんだと思う。
例えば女性の政治家なら女性のための政治を掲げるし、エンジニアならデジタル化を推進するし、若い候補者なら若者のための政治を掲げると思う。「私はあなたの困っていることをわかっています」っていうのはやはり投票したくなる魅力だと思う。
石丸氏も「今までの高齢者福祉や古い政治を新しい若者のための政治にしたい」と考える若者には「自分たちに利益をもたらす政策を実現してくれる人」に見えているはず。
いろんな人にいろんな生活があって誰かにとっていい政策でも誰かにとって不利益な政策になってしまうから、自分と同じ部族に属する人は自分たちの利益を実現してくれる人になると思う。
そういう政策をとらないとその政治家は裏切り者として支持者から見限られるから。
だから自分たちと同じ部族の人に投票するってのは、幼稚なことじゃなくて自分たちの気持ちを代弁して自分たちの困っていることを解消してくれる人を選ぶ民主主義として真っ当なことなんじゃないかと思う。
"自分が幼児的で、利己的で、偏狭で、攻撃的な人間だと思ったら、かつてならそれは「成熟」へのインセンティブになった。"
っていうのもなんか浮世離れした、生活に困ってない人のいうことなんじゃないかなとおもう。20代の時はそう思っていたかもしれないけど40代になると生活って自分と家族の周りのことなんだなと世界が狭くなった。
自分の努力で何とかできるのってその範囲だもの。たまに国家天下のことを話してもやっぱり自分の身の回りのことを考えることに戻ってしまう。変わったのは自分と違う人たちもその人たちの生活があると実感したことだけ。
自分の手に余るもの手の届かないものをあきらめて自分の手に届くものに注力していると、若者には利己的で偏狭なつまらない大人に映るんじゃないかと思う。
目の前の大人たちに「自分たちの生活だけじゃなくて社会全体のことも考えよう」と思わなくなった。代わりに「あなたたちにはあなたたちの生活がある」と言えるようになった。
自分たちのことで精いっぱいの人たちが、自分たちと同じ属性の人を選挙で選んで、自分たちの気持ちを代弁してくれる政治を期待すること、そしていろんな人たちの相反する利益を調整できるのが民主主義なんじゃないかと思う。
認められないんじゃなくて、違法行為がどれだけ世間一般から忌避されているか理解できないんだよ
「厳密に言えば違法行為だろうけど、訴えられないので問題ない。そのくらいみんなやってるよね?」
が、アウトローの考え方
「法で決められてる以上、守る。当然のこと」
nippon.com版の方が先に書かれたので、nippon.com版→内田ブログ版の順に掲載。
適宜改行等を加えた。
nippon.com版
https://www.nippon.com/ja/in-depth/d01018/
http://blog.tatsuru.com/2024/07/12_0846.html
(01)
nippon.com版
今回の都知事選では、「選挙は民主主義の根幹をなす営みである」という認識が崩れてしまったという印象を受けた。選挙というのは有権者が自分たちの立場を代表する公人を、法を制定する場に送り込む貴重な機会であるという基本的な認識が今の日本からは失われつつあるようだ。
今回の都知事選では、選挙は民主主義の根幹を為す営みであるという認識がかなり深刻な崩れ方をしているという印象を受けた。選挙というのは有権者が自分たちの立場を代表する代議員を選ぶ貴重な機会であるという認識が日本からは失われつつあるようだ。
(02)
nippon.com版
知事選の当選者は1人に限られるのに「NHKから国民を守る党(NHK党)」が関連団体を含め24人の候補を擁立した。そして24人分の掲示板の枠に同一のポスターを貼るなど“掲示板ジャック”をした。NHK党は、一定額を寄付した人にポスターを張る権利を譲渡する行為にも及んだ。掲示板には選挙と関係ない人物や動物の写真、サイトに誘導する2次元バーコードなども張り出された。NHK党以外の候補も「表現の自由への規制はやめろ」と書いたわいせつな写真入りポスターを張り出すなど、目を疑うような行為があった。政見放送も含め、注目を集めて動画サイトなどのフォロワーにつなげるなど、選挙を単なる売名や金もうけに利用しようとする候補者が多数登場した。
(無し)
(03)
nippon.com版
(無し)
投票する人たちは「自分たちに利益をもたらす政策を実現してくれる人」を選ぶのではなく、「自分と同じ部族の属する人」に投票しているように私には見えた。自分と「ケミストリー」が似ている人間であるなら、その幼児性や性格の歪みも「込み」で受け入れようとしている。だから、仮に投票の結果、自分の生活が苦しくなっても、世の中がより住みにくくなっても、それは「自分の属する部族」が政治権力を行使したことの帰結だから、別に文句はない。
自分自身にとってこの社会がより住みよくなることよりも「自分のような人間たちから成る部族」が権力や財貨を得ることの方が優先する。これが「アイデンティティー・ポリティクス」の実態である。
自分が幼児的で、利己的で、偏狭で、攻撃的な人間だと思ったら、かつてならそれは「成熟」へのインセンティブになった。「もっとちゃんとした大人になろう」と思った。でも、今は違う。今は「そういう自分がけっこう好き」だとカミングアウトすることの方が人間的で、端的に「よいこと」だとされる時代なのだ。
正直言って、私には意味がわからない。この人たちはそんなに自分が好きなのか。そんなに同じ自分のままでいたいのか。私は同じ人間のままでいるなんてまっぴらである。息苦しいし、不自由だし、何より退屈で仕方がない。「自分自身に釘付けにされていること」をエマニュエル・レヴィナスは考えられる限り最も苦痛な体験だと書いていた。私もまったくそうだと思う。そもそも「自分が自分でしかあり得ないことの不快」を推力として、生物はここまで進化してきたのではないのだろうか。単細胞生物が単細胞生物であることに自足していたら話はそこで「おしまい」である。だから、アイデンティティーに固執する人たちを見ていると、私は奇妙な生き物を見ているような気になる。なぜ「そんなに自分自身でいたい」のか。自分であることにうんざりすることがないのだろうか?いや、ほんとに。率直にそう訊きたいのだ。
選挙の話をしているところだった。
今回の都知事選では、選挙を単なる売名や金儲けに利用しようとする候補者が多数登場した。
(04)
nippon.com版
公職選挙法に限らず、私たちの社会の制度の多くは「性善説」あるいは「市民は総じて常識的に振る舞うはずだ」という仮定の下に設計・運営されている。でも、「性善説」の制度は隙間だらけである。その隙を「ハック」すれば、簡単に自己利益を確保できる。候補者にさまざまな特権が保証されている選挙という機会を利用しても、私利私欲を追求したり、代議制民主主義そのものを嘲弄(ちょうろう)したりすることは可能である。そのことを今回の選挙は明らかにした。もう「性善説」は立ち行かなくなったらしい。
公選法に限らず、私たちの社会の制度の多くは「性善説」あるいは「市民は総じて常識的にふるまうはずだ」という仮定のもとに設計・運営されている。でも、「性善説」の制度は隙間だらけである。その隙を「ハック」すれば、目端のきいた人間なら誰でも簡単に自己利益を確保できる。候補者にさまざまな特権が保証されている選挙という機会を利用しても、私利私欲を追求したり、代議制民主主義そのものを嘲弄することは可能である。そのことを今回の選挙は明らかにした。もう「性善説」は立ち行かなくなったらしい。
(05)
nippon.com版
だが、選挙がこれだけ軽視されるに至ったのは2012年以後の安倍晋三氏、菅義偉氏、岸田文雄氏の3代の首相による自民党政権の立法府軽視が原因であると私は考えている。
だが、選挙がこれだけ軽視されるに至ったのは2012年以後の安倍、菅、岸田三代の自民党政権の立法府軽視が一因だと私は考えている。
(06)
nippon.com版
日本国憲法では立法府が「国権の最高機関」とされているが、安倍政権以来、自民党政権は行政府を立法府より上位に置くことにひとかたならぬ努力をしてきた。その結果、国政の根幹にかかわる重要な事案がしばしば国会審議を経ずに閣議だけで決定され、野党が激しく反対する法案は強行採決された。国会審議は実質的には意味を持たない「形式的なセレモニー」であるように見せかけることに自民党政権は極めて熱心だった。
日本国憲法では立法府が「国権の最高機関」とされているが、安倍政権以来、行政府を立法府より上位に置くことに自民党政権はひとかたならぬ努力をしてきた。その結果、国政の根幹にかかわる重要な事案がしばしば国会審議を経ずに閣議だけで決定され、野党がはげしく反対する法案は強行採決された。国会審議は実質的には意味を持たない「形式的なセレモニー」であるように見せかけることに自民党政権はきわめて熱心だった。
(07)
nippon.com版
安倍元首相は「私は立法府の長である」という言い間違いを繰り返し口にした。これはおそらく「議席の過半数を占める政党の総裁は自由に立法ができる」という彼自身の実感を洩(も)らしたものであろう。だが、法律を制定する立法府の長が、法律を執行する行政府の長を兼ねる政体のことを「独裁制」と呼ぶのである。つまり、彼は「私は独裁者だ」という民主主義の精神を全否定する言明を繰り返していたことになる。
安倍元首相は「私は立法府の長である」という言い間違いを繰り返し口にした。これはおそらく「議席の過半数を占める政党の総裁は自由に立法ができる」という彼自身の実感を洩らしたものであろう。だが、法律を制定する立法府の長が、法律を執行する行政府の長を兼ねる政体のことを「独裁制」と呼ぶのである。つまり、彼は「私は独裁者だ」という民主主義の精神を全否定する言明を繰り返していたことになる。
(08)
nippon.com版
現行憲法下で独裁制を実現するために、差し当たり最も有効なのは「立法府の威信を低下させること」である。有権者の多くが「国会は機能していない」「国会審議は無内容なセレモニーにすぎない」「国会議員は選良ではなく、私利私欲を優先する人間だ」という印象を抱けば、民主政は事実上終わる。
現行憲法下で独裁制を実現するために、さしあたり最も有効なのは「立法府の威信を低下させること」である。有権者の多くが「国会は機能していない」「国会審議は無内容なセレモニーに過ぎない」「国会議員は選良ではなく、私利私欲を優先する人間だ」という印象を抱けば、民主政は事実上終わる。
(09)
nippon.com版
だからこそ、自民党はこの12年間、国会議員は(自党の議員を含めて)知性的にも倫理的にも「普通の市民以下かも知れない」という印象を扶植することに並々ならぬ努力をしてきたのである。そして、それに成功した。知性においても徳性においても「平均以下」の議員たちを大量に生み出すことで、自民党は政党としては使い物にならなくなったが、その代償に立法府の威信を踏みにじることには見事な成功を収めた。
だからこそ、自民党はこの12年間、国会議員は(自党の議員を含めて)知性的にも倫理的にも「ふつうの市民以下かも知れない」という印象を扶植することになみなみならぬ努力をしてきたのである。そして、それに成功した。知性においても徳性においても「平均以下」の議員たちを大量に生み出すことで、自民党は政党としては使い物にならなくなったが、その代償に立法府の威信を踏みにじることにはみごとな成功を収めた。
(10)
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その帰結が、「代議制民主主義を嘲弄する」人々が選挙に立候補し、彼らに投票する多くの有権者が少なからず存在するという今の選挙の現実である。
その帰結が、「代議制民主主義を嘲弄する」人々が選挙に立候補し、彼らに投票する多くの有権者が少なからず存在するという今の選挙の現実である。
(11)
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NHK党は、暴露系ユーチューバーで有罪判決を受けたガーシー(本名・東谷義和)元参院議員を国会に送り込むなど、国会の威信、国会議員の権威を下げることにきわめて熱心であったが、これは彼らの独創ではない。自民党が始めたゲームを加速しただけである。
(無し)
(12)
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今回の都知事選で2位につけた石丸伸二氏も前職の広島県安芸高田市長時代に市議会と繰り返し対決し、市議会が機能していないことを訴え続けてネット上の注目を集めた。これも「立法者」と「行政者」は対立関係にあり、「行政者」が上位にあるべきだという、安倍元首相が体現してきた「独裁志向」路線を忠実に踏まえている。
今回の都知事選で二位につけた石丸伸二候補は安芸高田市長時代に市議会と繰り返し対決し、市議会が機能していないことを訴え続けてネット上の注目を集めた。「立法者」と「行政者」は対立関係にあり、「行政者」が上位にあるべきだという、安倍元首相が体現してきた「独裁志向」路線を彼は忠実に踏まえている。
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日本維新の会も「独裁志向」では変わらない。「議員の数を減らせ」という提言は「無駄なコストをカットする」合理的な政策のように聞こえるが、実際には「さまざまな政治的立場の代表者が議会で議論するのは時間の無駄だ。首長に全権委任しろ」という意味でしかない。
維新の会も「独裁志向」では変わらない。「議員の数を減らせ」という提言は「無駄なコストをカットする」合理的な政策のように聞こえるが、実際には「さまざまな政治的立場の代表者が議会で議論するのは時間の無駄だ。首長に全権委任しろ」という意味でしかない。
(14)
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自民党派閥の裏金問題は、国会議員たちがその地位を利用して平然と法律を破っている事実を白日の下にさらした。この事件は「国会議員はろくな人間ではない」という民主主義を空洞化するメッセージと、「政権に近い議員であれば、法律を犯しても処罰されない」という法の支配を空洞化するメッセージを二つ同時に発信していた。
自民党の裏金問題は、国会議員たちがその地位を利用して平然と法律を破っている事実を白日の下にさらした。この事件は「国会議員はろくな人間ではない」という民主主義を空洞化するメッセージと、「政権に近い議員であれば、法律を犯しても処罰されない」という法の支配を空洞化するメッセージを二つ同時に発信していた。
(15)
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このメッセージを「警告」として受けとった人は「今のままではいけない」と思って政治改革を目指すだろうが、このメッセージを「現状報告」として受けとった人は「民主政は終わった」という虚無感に蝕(むしば)まれてへたり込んでしまうだろう。そして、どうやら日本人の相当数は、この事件のニュースを「世の中とはそういうものだ」という諦念と共に受け止めたように見える。
このメッセージを「警告」として受けとった人は「今のままではいけない」と思って政治改革をめざすだろうが、このメッセージを「現状報告」として受けとった人は「民主政は終わった」という虚無感に蝕まれるだけだろう。そして、日本人の相当数は、このニュースを「世の中とはそういうものだ」という諦念と共に受け止めたように私には見える。
(16)
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英国の首相チャーチルはかつて「民主政は最悪の政治形態だ。ただし、過去の他のすべての政治形態を除いては」と語った。なぜ民主政は「最悪」なのか。それは運用が極めて困難な政体だからである。民主政は「合理的に思考する市民」が多く存在することを前提にした制度である。有権者の多数が「まともな大人」でないと、民主政は簡単に衆愚政に堕す。だから、民主政は人々に向かって「お願いだから大人になってくれ」と懇請する。市民に向かって政治的成熟を求める政体は民主政の他にはない。
英国の首相チャーチルはかつて「民主政は最悪の政治形態だ。ただし、過去の他のすべての政治形態を除いては」と語った。なぜ民主政は「最悪」なのか。それは運用がきわめて困難な政体だからである。民主政は「合理的に思考する市民」が多く存在することを前提にした制度である。 Permalink | 記事への反応(1) | 18:42
今回の東京都知事選では、蓮舫候補者とその陣営の行動は、民主主義の根幹を揺るがすものだったと感じざるを得ません。事前運動を行い、戸別訪問を繰り返し、違法なビラを都内に大量に撒くなど、公職選挙法を無視した行為が目立ちました。
そもそも選挙というのは、有権者が自分たちの代表を選び、政治に対して責任を持つ貴重な機会です。しかし、蓮舫候補者とその陣営はその機会を私利私欲のために利用しようとしました。このような行動は、民主主義そのものを嘲弄し、有権者の信頼を大きく損なうものです。
蓮舫候補者が行った行為は、民主主義の本質を理解していないことの表れです。選挙は公平で透明な手続きによって行われるべきであり、違法行為によって結果を左右しようとすることは許されません。こうした行為が横行すると、選挙の意味が失われ、政治への信頼が低下します。
さらに、私たちの社会制度は「性善説」に基づいて設計されていますが、蓮舫候補者の行動はその隙間を「ハック」しようとするものです。彼らの行動は、制度の脆弱性を露呈させ、私たちがどれだけ容易に自己利益を追求できるかを示しました。これにより、民主主義の本質が問われる事態となっています。
このような行動を見過ごすことはできません。私たちは、選挙の重要性を再認識し、公正で透明な選挙が行われるように努める必要があります。民主主義は市民の成熟を前提とする政体です。市民一人一人が自らの責任を果たし、政治に対して真摯に向き合うことが求められます。
選挙の話に戻りますが、今回の都知事選における蓮舫候補者の行動は、民主主義の原則に反するものであり、深く憂慮すべき事態です。民主主義は、理性的な市民が多く存在することを前提としています。蓮舫候補者とその陣営の行動は、その前提を覆し、民主主義の未来に対して大きな挑戦を投げかけています。私たちは、この挑戦に対して断固として立ち向かい、民主主義の原則を守り抜く必要があります。