はてなキーワード: 科学論とは
日本学術会議の話でほとんど議論に上がってないけど、日本学術会議の英語名は"Science Council of Japan"。
日本語では「学術」になっているけど、英語では、はっきりとScience(科学)と書いてある。
Councilというのは、日本語では普通は「評議会」と訳される。スターウォーズシリーズのジェダイ評議会は英語だと"Jedi Council"だ。
日本語の名称がなぜ「日本学術会議」になったのか知らないが、英語名から適切に訳すなら、「日本科学評議会」と訳すのが適当だろう。少なくとも、海外からはそう見えている。
だから、NatureとかScienceとかの一流科学論文誌が、こぞって「菅首相 v.s. 日本科学評議会」を記事にして「日本は科学をつぶすのか!」と批判しているわけだ。
日本学術会議の役割とか今回の菅総理の任命拒否に対する意見はともかく、海外からどう見えるかという情報は正確に把握しておいた方がいいと思う。
2020/06/10
2020年6月9日、当社元取締役が業務上横領の容疑で逮捕されました。
このような事態に至ったことを大変重く受け止め、関係の皆様に多大なご迷惑をおかけしましたことを、まずは深くお詫び申し上げます。
当社は、元取締役による不正行為が発覚後、直ちに捜査当局に相談の上で刑事告訴を行い、全面的に捜査協力してまいりました。一日も早い信頼回復に向けて、引き続き、管理体制の強化や法令順守の徹底に努めてまいります。
1.1
当社元取締役(2019年12月27日付で解任)が、2017年4月から2019年1月まで、会社資金を元取締役個人名義の銀行預金口座に多数回にわたって振込送金し、横領していました。被害額は、約33億5000万円となっております。ただし、そのうち約5億9500万円については、横領行為の発覚前に元取締役が当社口座に返還しております。
1.2
本横領行為の発覚を免れるため、元取締役は該当する振込送金が記帳された当社銀行預金口座の預金通帳写しを改ざんしていました。
1.3
社内調査において任意提出された元取締役の個人預金口座通帳(写し)の一部及びFX取引(外国為替証拠金取引)の取引残高報告書により、主な費消先がFX取引であることを確認しております。
2. 当社の対応
2019年12月20日、警視庁本富士警察署への相談を開始し、2020年1月20日、刑事告訴状が受理されております。
2020年5月27日、本件により当社が被った損害について、元取締役に対し、賠償請求訴訟を提起いたしました。
2020年1月17日、以下3名の社外有資格者による特別調査委員会を設置し、2020年2月末までに、本調査委による本件の事実関係及び損害額の解明、原因分析、再発防止提言を受けております。
3. 再発防止に向けて
特別調査委員会による提言を受け、経営陣はもとより会社全体として、コーポレート・ガバナンス及び内部統制の体制を構築するとともに、コンプライアンスに対する意識を高め、徹底してまいります。特に、業務権限の集中、預金及び印章管理体制、内部及び外部監査の実施状況等を踏まえ、以下に取り組んでおります。
経理規程や印章管理規程を策定し、業務権限が集中しないよう実務者と管理者の職務分掌の見直しをいたしました。また、2020年3月1日付で内部監査室を設置し、定められた手続き通りに業務が行われているか業務監査を実施しております。
新たに常勤監査役1名を増員し経営監視体制の強化を図るとともに、当社の会計処理や計算書類作成が適切に実施されているかについて、前期決算より会計監査法人に財務調査を依頼しております。
4. 今後の経営について
経営執行体制の強化に向け、代表取締役を2名体制といたしました。
2020年5月、当社はCYBERDYNE株式会社ほかを引受先とする第三者割当増資及び新株予約権付社債の発行により、総額約10億円の資金調達を実施しました。今回の資金調達によって、これまで当社が取り組んできたAI画像診断支援技術「EIRL(エイル)」、研究者を対象としたAIを活用したクラウド型画像解析プラットフォーム「IMACEL(イマセル)」、科学論文の不正画像自動検出システム 「ImaChek(イマチェック)」の各事業を推し進め、ライフサイエンスと画像情報処理技術の両方に強みを持つ我々にしかできない挑戦を続けることで社会に貢献してまいります。
▼参加ベンチャーキャピタル他
・TomyK Ltd.
以上
業務内容:研究及び研究者支援事業/インターネット関連事業/ソフトウェアの企画,研究,設計,開発製造及び販売/前各号に付帯又は関連する一切の事業
資格等:医療機器製造業(登録番号 13BZ201223)/第二種医療機器製造販売業(許可番号 13B2X10317)
【お問い合わせ】
他の犯罪統計をエビデンスとしてる科学論文を例に出して反論してるブクマカに噛み付いてたか?
本来殺人になるはずだったものが自殺に加算されてるって反論には、実際そういう事例がどれくらいあるのか、統計として覆るくらいなのかは気になるって皮肉を言いながらも、実際に統計的にどうかという話には頭から否定してないよね。
【懐疑的】だったブクマカは体感治安とかいう全く当てにならない指標にもならない物を出す(しかも「海外のどこに住んでたときと比べて」などの比較すら無い)か暗数とか言い出す陰謀ガイジばっかりだったろw
馬鹿の懐疑ってのは「馬鹿だからわかんないから違うと思う」って馬鹿丸出しなんだからそこは批判されるべきだろ、馬鹿を甘やかすな。
てか統計って統計することが目的じゃないからな。そんな統計学だったら必要ない。算数でもしてろよ。
なーんかあの「日本は安全だと困る人がいるのはなんでだ!」ってヒスってる奴見てると手段(統計結果)の目的化を感じて気持ち悪いんだよな。
「日本の治安がいいことを認めたくない人々」の元増田が統計をツールとして使って手段の目的化なんかしてないのは批判の内容が統計の無理解に集まってることから明確だよね。
君が「手段(統計結果)の目的化を感じて気持ち悪い」のは君の目的(日本の犯罪率が低いことを否定したい)に対して彼の手段(統計)が覆し難いからじゃないか?
・追記
とても勉強になるまとめをみつけたのでお知らせしたい。
どういうわけかうまくリンクを貼れないが、ここ→ www.green.gifu-u.ac.jp/~bhdlab/?p=1391
以下、増田の駄文。大変不勉強で、特定の方々をディスったりして申し訳なかった。こんなものをみる無駄な時間を節約してほしい。
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実は、恥ずかしながら、治水のことなど今まではっきり考えたことはなかった。
休日で暇だったのが幸いして文献を読みまくることができた。
一部、ツイッターなどでは事実上、運転を開始した八ッ場ダムが2日間で満水にしたことで
何が税金の無駄だ…台風19号 「八ッ場ダム」賞賛の声が相次いでいる – ジャストニュース
ガンダムになぞらえるなど、まるでヒーローのような扱いだ。へー、ダムってすごいんだな、と思った。
それに対して、冷静な反論も多く見られた。いわれてみれば、
利根川水系の治水対策は、八ッ場ダムだけが頼みの綱だったわけではないし、むしろ未完成の現在では既存の利根川流域の治水計画の範囲外のはずだ。
台風接近中、いろいろ文献を読んでみた。日本の治水というのは、思ったより興味深いものだった。
数々のツイッターが注意しているように、今回の台風19号の八ッ場ダムの治水効果は技術的な検証を待ってから、というのはその通りだと思う。満水したからといって大騒ぎするのは早計。
とかね。
百歩譲って、流域全体に均一に雨が降るという前提なら成り立つんかね??定量的って、、、、全く。
そのなかでも、ちょっと気になったのは、以前より長い間、八ッ場ダムの反対運動をしてきていると思しき人たちのツイッターやブログの書きぶり。
あしたの会とかそんなやつ。以下、「彼ら」。
ひとことでいうと、彼ら、存在しない夢の総合治水像ですべての物事を語っている印象だ。しかも上記のツイッターと同レベルで科学を装っているから始末にわるい。
具体的にもっとも違和感を覚えたのは、堤防管理では越水耐性を強化すべきとしている点。
堤防で水際の越水対策をきちんとやっていればダムなど必要ないというわけだ。
一方、国交省は、堤防の耐越水技術は確立されていないとして、導入にすら消極的だ。
それに対して、彼らは、いやそれはダム偏重の治水だケシカラン!安価で確実なものができるはずだ!ダム派の陰謀だ!と主張。
おおむね、こんな感じ。
応答する論理がぶっ飛んでしまって、彼らは自分だけ左翼っぽい政治闘争のレールに勝手に乗っかってしゃべっていて、
話がかみ合わなくなっている印象だ。
ダム反対派ってこういう感じなのか、、と実感した。今後はそっ閉じかな、と。
少し時間をさかのぼって、昨日の未明のことを話す。読売新聞が、「利根川決壊の恐れ」とのニュースを報道した。
国土交通省関東地方整備局によると、埼玉県久喜市栗橋の利根川で氾濫危険水位を超え、13日午前3時以降、同県加須市の利根川と渡良瀬川の合流点で越水し、堤防が決壊する恐れもあるという。このため、両市は防災行政無線などで近隣住民の避難を呼びかけている。
すでに、昨日の時点で、いろいろ文献をあさってて、関東平野の治水にちょっとは詳しくなった気になっていたころだった。
決壊すれば、近隣住民の避難どころの話ではなく、下流域の春日部市から江戸川区に至るまで広範囲に水没し、カスリーン台風の二の舞になる恐れがある、ということがとっさに分かった。
水位情報を確認すると、確かに、栗橋の観測地点において、氾濫危険水位を超えてじわじわ水位上昇中だった。堤頂から2mくらい下まで水位が来ており、台風の強風によるうねりを考慮すると、越水が気が気でない状況。
そこで同地点の洪水対策をググってみたら、彼らのウェブサイトがヒットした。
NHKが報道した利根川の決壊を想定した浸水のシミュレーション | 八ッ場(やんば)あしたの会
彼らは、2017年当時、NHKが報道した利根川の決壊を想定した浸水のシミュレーションを批判し、次のように主張する。
今回のシミュレーションは、利根川の栗橋付近(埼玉県久喜市)の決壊で溢れた洪水が、中川(農業用水の排水河川)を通して東京都内まで短時間で到達するとしたものです。利根川の氾濫洪水が流下するバイパスに中川がなることはあり得ることだとは思いますが、そもそも、利根川の栗橋付近の堤防が決壊する危険性がどの程度あるかが問題です。
栗橋付近から上流の利根川中流部右岸および江戸川上流部右岸では、土地を買収して堤防の裾を大きく拡げる首都圏氾濫区域堤防強化対策事業が国交省関東地方整備局によって進められています。
へー、そうなんだ!やるじゃん、国交省!と安心したのが、彼らの主張を見た最初だった。
ところが、このページの締めくくりに書いてあった文章に違和感を覚えた。次のように彼らは締めている。
この事業は浸透に対する堤防の安全性を確保することを目的とし、国交省は超過洪水対策ではないとしていますが、これだけの堤防強化が行われれば、決壊する危険性がほとんどなくなることは明らかです。その点で、今回のシミュレーションは前提が現実と遊離した仮想計算といえます。
NHKの報道は、利根川の栗橋付近で行われてきた首都圏氾濫区域堤防強化対策事業や堤防の現況などには触れませんでした。洪水への備えは必要ですが、利根川決壊の恐怖を必要以上に強調する報道は、果たして防災の役に立つのでしょうか。
まず第一に引っ掛かったのは、国交省が同地点で実施した堤防強化事業を"超過洪水対策”ではない、としている点。
超過洪水対策?なんのことを指しているのかわからなかったので、検索してみたら、例の耐越水堤防をめぐるダム反対派と国交省のやり取りがヒットしたというわけだ。
次に疑問を持ったのは、
と結論づけていることだ。国交省が超過洪水対策じゃないっていってるじゃん??根拠がわからない。
しかも、この記事を読んだのは、国交省がまさに台風19号により栗橋付近での決壊の恐れを警告したニュースをみているときだ。
つまり、彼らは国交省の堤防強化事業について、越水対策の下駄を勝手に履かせて、その効果を信じているが、国交省は昨日時点で、すでに堤防強化された箇所において、なおも越水の危険を警告した、という構図。
現実と遊離しているのは一体どちらなのか??
さらに、たった今気が付いたのだけど、
http://www.ktr.mlit.go.jp/tonejo/tonejo00552.html
によれば、栗橋付近の工事、まだ終わってないか、ほぼ終わったばかりじゃねーか!
2017年に終わってるとか嘘じゃねーか、騙されたぜ。
もうひとつ違和感が残った彼らの主張に、カスリーン台風の評価がある。
カスリーン台風襲来時、たまたま運よく吾妻川流域の降雨が少なかったというのが俺の理解だ。
それに対して彼らは、国交省はカスリーン台風同程度の台風が来たら被害が大きくなるというが、それは妄想だ、カスリーン台風時でも吾妻川流域は持ちこたえたんだよ、と主張。おおまかにいうと。
これもさっきのツイッターと似て、彼らのお花畑では、流域全体に常に均一に雨が降ってんだろう。
それにしても、彼らは、なぜ、それほどまでに堤防事業を全力で信頼しているのか。その答えは、彼らの思い描く理想の総合治水像にあった。詳細は彼らのサイト。
大まかにいうと、ダムに過度に依存せず河川改修やソフト対策を中心とした総合治水モデル。へー、脱ダムの主張ってこんな感じなんだと感心。
確かに、流域によっては、河川改修の方が費用は少ないという試算を出せる場合もあるだろう。雨水対策や遊水地効果を狙って水を河道から逃がす発想も大切だ。
従来の治水の思想は、「貯めて、流す」という言葉で表現されるように、「水を河道に封じ込めて人間が流量をコントロールする」というもの。
近年は、彼らになびいたわけではないだろうけれど、ダムを大きな治水の柱としつつも、特に首都圏では雨水対策はかなり充実してきているように思える。
しかし、問題は、近年の気象現象の変化によって増大する大規模水害。この発想でどこまでいけるのか?
一体、どこまでのハザードを国や広域自治体(県)が想定すべきかどうかにも関わってくる。
財政的な現実性を踏まえれば、100年確率で検討するよりも、50年、30年確率で検討したほうが安価だ。
人命を守ることを優先し、床上浸水は阻むが、場合によっては、床下浸水は我慢してもらうといった発想だ。
例えば、2010年に当時の橋下大阪府知事が決定した槙尾川ダム建設中止はそうした費用対効果の分析に基づいている。
流域を個別にみていけば、最適解はそれぞれ異なるだろう。
比較的規模の小さな流域では、高いコストでダムを作って「貯める」中心の治水を行うよりも、むしろ頻度の高い少々の洪水には我慢してもらう、という発想はありうるかもしれない。
なんでもかんでも山河をコンクリートで固める時代は確かに終わったと思う。
だからこそ土砂災害防止法が2001年制定され、避難などのソフト対策へのシフトも謳われた(土砂災害はちょっと別ジャンルだが)。
しかし、政治的意思決定は、自治体の財政的なインセンティブに左右されてしまう可能性もあるかもしれない、というのが当時の橋下府政に関する文献をみた印象だった。
そうすると、広域自治体によっては、経済的に安価なよりコンパクトな治水事業が知らず知らずに選択されかねない。
住民の目からすれば「ちょっと床下浸水くらい我慢してね、あとは自助だよ、自助、逃げろ走れ、だよ」と広域自治体から言われ、
基礎自治体からは、市町村合併して公務員縮小してるところなんで、避難体制整備まで人回せません。。みたいな、ね。
正直、日本の中山間地域含む地方は、そんな風に途上国化してもやむを得ない状況だと思っている。
しかし、首都圏を洪水から守るという発想は正直、次元が違うというのが、ここ二日間、暇に任せて学んだ印象だ。
総合治水の在り方は、守るべき価値の大きさとのバランスだと思う。栗橋付近決壊で、東京ダウンタウン住民数百万人に、一斉に逃げろ、みたいな構図は、正直ありえない、あってはならない。
国のシナリオでは100兆円34兆円(*訂正)をこえる被害想定も算出されている。
百歩譲って、首都圏を守るための治水事業においても、脱ダムして、河川改修を中心とした対策にシフトすべきだ、としても
彼らのように、現実にありもしない堤防の越水対策などを謳って独自の想定シナリオを提案し、脱ダムの必要性を訴えるのは、行政サイドからは話がズレているとしか思われず、空回りするだけだろうと思われた。
河川改修の重要性、これに異論があるわけではない。例えば新潟三条を流れる五十嵐川とか、拡幅工事がなかったら終わってたわけだし。だけどダムを否定する論理にはならない。
しかし、議論するなら説得力は相当に必要だ。相手にされなかったときに、やっぱりダム利権が絡んでいるからだ!と政治闘争路線に走るのも彼らのお決まりのコースなのが残念なところ。
ドラえもんの道具を謳いたいなら、それは科学論文で証明してもらわないと。
科学技術的な論文で勝負してもらいたい話を政治の話にすり替えるのは卑怯だし、見苦しい。
そんなことを思いながら、貴重な休日が終盤に差し掛かりつつある。。
+++++
追記その1訂正
首都圏大規模水害の被害想定は34兆円が正解。土木学会が取りまとめた高潮被害と混同してました。。
追記その2
長くなりすぎるので割愛したけど、調べている途中で見つけた新潟県及び三条市の過去15年年にわたる五十嵐川の治水の取り組み、見附市の刈谷田川の田んぼダム、ソフト・ハードの絶妙な組み合わせ。素晴らしいものがあると思った。
市町村合併云々のくだりは倉敷市真備町の事例を参考にした。雨水対策は、中堅都市では岡崎市の住民参加型の取り組みも興味深く拝見した。
本来このような話を本文で書くべきだったのかもしれないがあしからず。
追記その3
「彼ら」含めた原告団が最高裁まで争って敗訴決定したのは2015年こと。住民の疑問点は一顧だにされなかったと憤慨されている記事もある。しかし、そのあとにも引き続き、いろいろと従前の主張を繰り返しご発言なさってるという状況は留意しておいてもいいことだと思ってる。治水の話かと思いきや、左翼レッテル張りの記事に見える(個人の感想です - fn7のコメント / はてなブックマークに対するコメントとして。→ええ、そうだよ、思いっきりディスってるよ。
負けたなら黙れっていってるわけじゃないが、高裁判決に対してろくに反論もしてない時点で、キャッチボールになってないんだよ。そういうものを無視して同じ主張を繰り返すくらいなら、主戦場を変えたら?って思う。
国家資格をとって、一生くいっぱぐれない。
というか、そもそも、親がそこそこ金持ちなので、一生働かなくてもいい。
好きなことを勉強するのが趣味で、数学とか物理を勉強していて、最先端の科学論文も読んでる。
研究も少ししていたことがある。論文を筆頭著者で書いたことはないが、共著で少しそれっぽい雑用はしたことある。
例えば、まとめサイトは作ったことがある、小説を作ったり、簡単なゲームや、アドベンチャーゲームを作ったことはある。
しかし、価値がある創造をしたことがない。起業もしたことがない。
絵を書いたりして知ってる知識を教育したいな〜とか思ったりするが、それもできていない。
本業の修行があったり。と言い訳してるが、多分、才能がないのかなあ。
なんか、YouTubeで、普通に30才以下で、いい感じのビジネスしてる人が出ていた。
カッケーなあ。って思った。
親はまあ、一応、開業しているけど。それを継ぐって感じなのかなあ僕の人生は。
なんか、プロダクトを作れてないんだよなあ。
クリストッフェル記号を計算するサイトとか、なんだろ、新しい事を生み出せていないんだよなあ。
ユーザー参加型のコミュニティー系サイトってrailsとか勉強すればできるのかなあ。
IOTもちょっと作ってみたけど、ハッキングに弱いって聞いて、プロダクト化は厳しいかーと萎えた。
本当に、なんもできないなあ。
他人とやると、だいたいイジメられる発達っぽい感じだから、ダメやし。
ハァ〜あ。
本業の専門知識を生かして、なんかプロダクト作れたりしないかなーとか思ってる。
そういう系のサークルみたいなやつには入ってるけど、どうも微妙っぽいな。僕は、一人でプロダクトを作ったりするのが向いてるらしく、他人と合わせて何かやるのが厳しいっぽい。
すげえショボい奴でもいいから、新しい何かを作りたいんだけど、実績ゼロ。
あ〜。こうやって、お酒に酔って、増田にぶちまけるしかできないのかあ。弱者。
勉強だけやっててもなあ。
有給消化のために休みとれたんで久々にネットみまくった、そんでおもったことかいた。
文章うまくないすまん。
英語の勉強もできないんだろうなあ 英語しゃべれなくてもここ日本だしwwと思ってそうだけど中学程度の英語力ないとできないことは多いのにな
わかんないことあったらぐぐればいい、計算は電卓でいいじゃんって発想に彼はなっているけどそれが理解できないのは私が義務教育を受けたありがたみをしってるからなのか・・・
かなりびっくりしてるんだよ あの子の状況に。
義務教育を終えた年齢になると義務教育はうけれないだろ。個人的に勉強に開眼し、いつか学べるようになるといいけど、そういうのがとてもあの子の今の状況から期待できそうにない。
糞教師はどこでもいてるけどさ、文字の読み書き、生活習慣、人と会話するってこと、道徳の時間、集会で聞かされる話、いじめの理不尽さとかいろいろ考える機会がいっぱい義務教育にはあるんだよ
経験するのとしないのでは雲泥の差。
自分は某宇宙飛行士が小学校の時に、集会のゲストで来てくれてその時聞いた話にすごく感動したんだ。
そして今、理系のそれ関係の部品製造にまつわる仕事(ほそぼそしてるとこだし、もちろん自分は宇宙飛行士にはなれなかったけどね)についてる。
やっぱり子供のころの夢みた世界の片隅でもいいから関わっていたくておっかけてる。
私は賢くはなかったので完全な夢を実現なんてできなかったけど、憧れを与えてくれるイベントが子供のころにあったんだよな。小学校や中学校ってそんなきっかけに満ち溢れてるんだと思うんだよ・・・
親が教育熱心で家庭で学校行かなくていいレベルの教育を与えれるんなら行かんでもいいけどあの親ってお察しのアレだろ。
期待できそうにない。
電卓はツールの一つにすぎなくてわからないものを追求する思考過程を構築するのって楽しいのになあ。
電卓なかったらかけざんもひきざんもどうすんだろう
災害で電気文明なくなったらまずネットつながらなくなって、食糧調達する数とか人数分とかどうすんだろう。
一日何個食べれば1か月で何個なくなるとかも地面に書いて計算できないってなるだろ
仮定の話にすぎないけどね。
100個あったりんごを避難住民10人で分けあう、でも数日後に途中からまた避難者ふえたから再計算する。そのとき電卓が手元にない。予測できない。計算できない。文字書けない。メモを残して連絡する手段を使えない。
きりがないんだよなこういう仮定。
誰かが書いた言ったもん勝ちのような内容が訂正も検証もされないままのっていたらそれを信じ込むリスクあったりとかは?。なんて言っても届くわけないよね
ググればいいっていうのもネットの情報がすべて信頼できてネットの内容が絶対の真実って前提なのだろうか
大学行ってた時、ネットの情報がすべてではない、ネット万能だと思うなって言ってた教授いたけどあの気持ちわかるわ
うちのパソコン使えない高卒の親、ネット万能って思いこんでるし。あんなかんじなんだろうか。
科学論文とか審査されて掲載されてるデータベースはまあ調べまくっていいとは思うがなんでもかんでもネットっていうのもなあ
すまんーくだらんこと書いたわ
誰が、というと人間や組織に限定されてしまうが、科学とか宗教とか観念的なものも含めて、
未来のことは本来わからないのにも関わらず、科学的な予測や天気予報のことを信用するのはなぜか。
論理的に正しいからとかではない。いやそれももちろんあるが、一番重要なことは、
信頼に足る実績があるからだ。
一々世間に影響を与える全ての科学論文を事細かに検証してる人などほぼ0人だろう。
にも関わらずそういった理論やデータをもとに巨万の富や多くの人材が動かされるのは、
そこに実績に対する信頼があるからだ。
あの人が、あの専門家が、あの組織が、あの理論が、あの国が、あの科学が、あの宗教が言ってるなら、
きっと今度も正しいだろう。
自分では確かめてないが、あの人が合ってたというなら合っているのだろう。
それが信頼というものであり、