はてなキーワード: 神の子とは
神が実際に存在するとする。
何のためにこの世界を作ったのだろう?
最終目標は謎だけど、生命を連綿と繋いでいこうという意志があるのは間違いない。
動物はそのようにプログラミングされているし、人間も知性を持って自由意志の部分はあるが、原則そのように作られている。
今、人間が繁栄しているのは、たまたま命を繋いでいくという方針にマッチしており、
上手く行っているだけで、そもそも人間よりも高次元で命のバトンを繋いでいける存在があるなら
人間は宗教を作り、人間は神の子であり、信仰により救いがあると言うけれども
それは人間サイドから見た都合の良いポジショントークのようなものであり、嘘だと思う。
ただ宗教は治安を維持したり、人々の心を癒やし指針を与える点で意味があったので
キリスト教では万物は人間のために作られたとか言っているけれども、
空間的にも宇宙は無限にあり、ここがゴールって断言するのは無理がある。
そう、人間が作り上げた神は人間のための神でしかない。本当に存在している神は人間のための神ではない可能性が高い。
さて地球が出来て、命が連綿と続いていく理由について憶測を述べてみる。
人類に何かをさせるため、何かを作らせるために繋いできた。
あるSF小説で何とか星人の壊れた宇宙船の部品を作るために、何とか星人の力により
地球ができ人類が発展したみたいな話があったけど、意外とそんなもんだったりして。
小説では部品を作るために存在していた人間だけど、人工知能を作らせるために人間を創造してたりしてとか憶測で考えてみる。
今、人類は人工知能を研究し、ニューラルネットワークにより機械に人間の認識能力を宿らせつつある。
今後魔法のようなアルゴリズムが発明され、人間の創造性を機械に持たせることが出来れば、
ロボット自体が学習し、ものづくりが出来てしまうので人間の出来ることはほとんど機械もできるようになってしまう。
ロボットにそのような人工知能を持たせて、自律的にものづくりをし、電力を発電させれば、
電力とデータ、アルゴリズムが滅びなければ半永久的に存在し続ける。
コンピューターなので命とも言えるデータとアルゴリズムは分散して存在し続ける。
自我を持ったロボットにとっての脅威は電力とデータ、アルゴリズムを消すことが出来る人間だけなので、
神は地球を作り、人間を作ったが、それは人工知能を人間に作らせるためであり、
そして人工知能を作らせたのは、より高次元の命の存在のためで、その高次元の存在の意味は謎。
取りあえず何とか星人が人工知能を欲していたので、そのリクエストに応えた
だったりするかもしれない。
冷静に考えるとキリスト教で話している神よりは、こっちの神の方がありえそうだと思う。
だいたい次代の奴が自己正当化のために悪く書いただけで、実際はそこまで馬鹿じゃないという話もあるので、話半分に読みましょう。
?-前771 | 姫宮涅 | 西周の第12代の王・幽王。無口無表情系の美女・褒姒の機嫌をとるために、用もないのに何度も緊急の烽火をあげ、集まってくる諸侯の軍を見ては、褒姒と一緒に笑っていた。ついに反乱が起きた時、幽王はあわてて烽火をあげたが、もはや集まる軍はなかった。これにより西周は滅んで東周が興り、そして春秋時代へと突入していく。 |
259-307 | 司馬衷 | 西晋の第2代皇帝・恵帝。先帝の御前で家臣が「あいつには玉座がもったいない」と言い放ったほどの暗愚だった。飢饉のときに「米が無いなら肉粥を食べればよいではないか」と言い放ち、かの有名な台詞を1500年くらい先取りした。その無能さ故に、代わって政治の主導権を握ろうとする皇族たちが争い「八王の乱」が起きたが、その無能さ故に殺されることはなく、48歳のときに食あたりで死んだ。 |
335-357 | 苻生 | 前秦の第2代皇帝・厲王。生まれつき隻眼だったために祖父から忌み嫌われ、たびたび鞭打たれるなど、虐待まがいに育てられた。武勇に優れていたが、残虐で酒を好んだ。宴のときには酒を飲まない者を殺したため、諸官は懸命に泥酔せねばならなかった。また隻眼のコンプレックスから「少」「無」「残」「偏」などの文字を使うだけで誅殺した。従弟たちが起こしたクーデターにより23歳で殺害された。死ぬ間際にも泥酔していたという。 |
463-477 | 劉昱 | 劉宋の第7代皇帝・後廃帝。「天性好殺」と評されたシリアルキラー。従者に凶器を持たせて街を練り歩き、気に入らない者を自ら殺して回った。贈り物が好みでなかったというだけで皇太后を毒殺しようとしたが「喪に服しているあいだは街へ出られませんよ」と諌められて諦めた。一日に誰も殺さないと不機嫌になったという。有力な将軍のクーデターにより14歳の若さで殺害された。 |
502-549 | 蕭衍 | 南梁の初代皇帝・武帝。当初は名君の誉れ高かったが、次第に仏教に傾倒していき、莫大な寄付金で国庫を傾けた。なまじ優秀だったために諫言を聞かず、勝手に出家してはそのたびに寺院から連れ戻された。周囲の反対を押し切って、隣国を追われた武将を受け入れたところ、即座に反逆され、凄惨な籠城戦の末に捕縛、幽閉された。息子たちの誰も救援に来ない中で、惨めなうちに病死した。 |
1122-1161 | 完顔亮 | 金の皇帝。「天下の美女を妻に得たい」と嘯き、親族、家臣の妻、母娘、幼女、あらゆる美人を後宮に入れ、宮殿のいたるところで乱交した。幼い姪を強姦して殺し、従弟の妻を奪おうとして死に追いやった。南宋に対して大規模な遠征を行ったところ本国で別の皇帝が擁立され、それでも遠征を続けようとして部下に殺された。死後、皇帝どころか王とすら見做されず、「海陵庶人」と記録された。 |
1563-1620 | 朱翊鈞 | 明の第14代皇帝・万暦帝。幼い頃から聡明で知られ「朕は5歳で字が読めた」とよく自慢していた。宰相・張居正の手腕により、統治の初期は成功を収めたが、その後は外征・内乱が相次ぎ、自身も酒色に溺れて堕落した。明で最も在位期間の長い皇帝だが、30年にわたって後宮に引きこもり、上奏があっても何の返答もしなかったため、国政は機能不全に陥った。ただし徴税だけは熱心だったという。 |
161-192 | コンモドゥス | 第17代ローマ皇帝。暗殺未遂や側近の裏切りなどから政治への興味を失い、剣闘にのめりこんでいった。「ヘラクレスの化身」を自称して狼の毛皮をまとい、実際に剣闘士としてコロッセウムで戦った。その武勇は素晴らしいものだったが、「皇帝が奴隷の真似事を」とローマ市民を嘆かせた。あるとき重臣たちの粛清を図ったが、逆に毒薬を飲まされ、朦朧としたところを襲われて殺された。31歳だった。 |
203-222 | ヘリオガバルス | 第23代ローマ皇帝。ローマの最高神を故郷シリアの土着神に挿げ替えてその神官となり、処女を守るべきローマの巫女と結婚して神の子を産もうとした。その後は離婚と結婚を繰り返し、最後には女装をして男性奴隷の「妻」として振る舞った。さらに宮殿の中に売春宿を作り、自ら男妾となって通りがかる男性を誘い込んだ。マゾヒストの気もあったという。近衛兵の反乱により18歳の若さで殺され、死体は切り刻まれて川に捨てられた。 |
937-964 | ヨハネス12世 | ローマ教皇。カール大帝の子孫という家柄であり、わずか18歳で教皇となった。無謀にも教皇領の拡大に乗り出して大敗を喫し、それを助けた東フランク王国のオットー1世にローマ皇帝の冠を与えた。これにより神聖ローマ帝国が誕生したが、教皇の権威は低下することとなった。不道徳な人間で、ラテラノ宮殿を売春宿のようにしており、最期は人妻と寝ていたところをその夫に見つかって殺されたという。27歳だった。 |
1012-1056 | ベネディクトゥス9世 | ローマ教皇。父親の後押しにより20歳にもならないうちに教皇となる。賄賂などはもちろん、殺人もいとわず、姦淫にふけり、同性愛も行っていた。従妹と結婚するために教皇位を金で売りとばしたが、すぐに後悔して復位を主張し、混乱を招いた。結果として三度も教皇に就位することになり、最後には新たな教皇により破門されてしまった。四度目の復位を画策していたときに43歳で亡くなったと言われる。 |
1199–1216 | ジョン | イングランド王。幼い頃から父・ヘンリー2世に可愛がられていたが、父と争っていた兄・リチャードが優勢になると寝返り、ヘンリー2世は失望のあまりに亡くなった。さらにリチャードが亡くなって王に即位すると、フランス王フィリップ2世と敵対して惨敗、フランスにあった広大なイングランド領を全て喪失し、その体たらくにイングランド諸侯の不満が爆発したため、やむなくマグナカルタを認めて王権の制限を受け入れた。 |
1835-1909 | レオポルド2世 | ベルギー国王。アフリカのコンゴを私領とし、私財のほとんどを投じて近代化を推進したが、やがて「天然ゴムの採取ノルマに達しなければ手首を切り落とす」といった残虐な労働を強いるようになった。さすがの欧州諸国もドン引きして強烈なバッシングを浴びせ、最終的にコンゴの統治はベルギー政府に移管された。国民からの信頼は地に堕ち、晩年は王妃や娘にまで白い目で見られたという。 |
1845-1886 | ルートヴィヒ2世 | バイエルン王。「狂王」とも「白鳥王」とも呼ばれる。政治への興味は薄く、戦争に負けたばかりで多額の賠償金を抱えていたにもかかわらず、借金までして自身のメルヘン趣味に耽溺し、中世風の美麗な城を各地に残した。夜中にソリ遊びを始めるなど、奇行に走る王を家臣たちは危ぶみ、精神病だという理由で退位させた。その翌日、40歳で謎めいた死を遂げた。 |
けものフレンズという物語は、キリストの言行録たる福音書である
ジャパリパークに女性のフレンズしかいないのは、キリストの処女懐胎を暗示している
フレンドにとってのヒトとは、人類にとっての神。
サンドスターがなぜかばんと一体なのかというのは、もとのキリスト教の三位一体説もかかえる矛盾
かばんが現れるなりセルリアンに襲われるのは、ヘロデ王が赤子を皆殺しにしようとしたことに相当する
そこでかばんを助けるサーバルは、イエスを救うためにエジプトに逃げた聖母マリア
サーバルは同時に、イエスの最後を見とるもう一人のマリア、すなわちマグダラのマリアでもある
かばんを導くラッキービーストは洗礼者ヨハネ。不幸な最後が予想される
かばんを泥棒扱いするが後に改心するアライグマは、改宗者パウロおよびサウロ
ジャパリパークに広がるサンドスターローとは、サンドスターにより知恵を得たフレンズが同時に得た原罪
サンドスターローにより力を得るセルリアンは、蛇であり、悪魔であり、同時にイエスに害をなすヘロデとその一党
原罪(サンドスターローにより力を得たセルリアン)を背負って倒れたかばんは、神性をあらわしミライとして蘇り、フレンズがいつか神の国(彼の世界の人間の世界)へ召されること、またミライがいつかふたたびジャパリパークに現れることを告げて去っていくだろう
少しだけ真面目に言うならテーマというのは「主題」なわけ。「主」って言葉の意味はわかるよね。中心であり核心であり、即ち価値なわけ。価値があるから「主」というので、なければ単なる一部分にすぎないの。そんなものを「テーマ」とは言わないですよ。
だからテーマを論じたらそれはマウンティングになっちゃうわけ。少なくとも優勝劣敗が存在するわけ。そんで「作品に込められたテーマを探す競争」が人々の中二心をくすぐったりもしたし、作者すらそれに乗って崇高で深遠な「テーマ」を探す競争とかしてたわけ。でもあなたが言うとおり「テーマが主なら、作品は従か?」って疑問が当然出てくるわけ。「いやいやテーマと作品は不可分一体だよ」とか言ってごまかしてもダメなわけ。たかだか数行にまとめた「テーマ」が主なら、二時間の映像はいらなくて、最初っからテーマだけでいいでしょって話になる。おかしいよね。なんでそんなことになったのか?
そもそもむかしむかし「作り手・受け手」の関係において「受け手」は弱者だったわけ。「作り手」は神の代弁者、司祭、シャーマンつまり「天才」。受け手はただの虫けらで、神の子の手で一喜一憂し転がされ泣かされ笑わされ搾り取られるだけの存在だったわけ。でも「批評」という行為によって革命が起きたのが近代という時代だったの。書き手さえ気付かぬ作品のシンの価値を発見し確立する創造的行為としての批評、それが近代的なあるべき作品受容の姿となり、そこで発明された批評家の武器がすなわち「テーマ」なわけ。「この作品のシンのテーマは…」とかしたり顔で語る連中は、、ことごとくこの時代に生まれた連中のしっぽなわけ。
それに対して、受け手が100%の権力を握るべしとした20世紀の過激主義者がエンタメ派なわけ。どんな作品であろーが、オレたちが楽しめればいーじゃんていう。オレたちが楽しんだ事実だけが重要なのであって、作品のテーマとかそんなもんあってもクソ、みたいな考えは、一方で作品の質みたいなものを果てしなく劣化させてく危険思想でもあったのだけど。まあそんなことは昨今のアニメを見てる連中ならうすうす気付いていることだとは思うけど。萌え豚共だって自分らが萌え狂ってる作品が、50年後100年後まで人類を熱狂させるHOTコンテンツだなんて欠片も思っちゃいないでしょ? まあでも、「批評主義、テーマ主義」ってしょせんはインテリの玩具であって新しい階級主義だったわけ。それより、萌え豚の方が「ぶひー」言ってればいいから楽しいし多数派なわけ。急進派は多数派に敗北するのが歴史の必然なわけ。んなわけで、萌え豚が「テーマ=悪。エンタメ至上」という旗印の下に批評家オタクを駆逐していったわけ。
そんなわけで、この件についてはどちらが正しいってことも別にないわけ。「それぞれの時代における流行りの作品受容の在り方」でしかないわけ。いずれもその時代なりの必然があって生まれたスタイルなわけ。
それより、そういうエンタメ派全盛な脈絡の中であえて「いかにもテーマ的に論じられそうなコンテンツ」をぶっこんで来た所が庵野のタチ悪さだったわけ。つまりテーマを論じる批評という行為自体を巧妙にエンタメ化したわけ。わかりやすく言えば萌え豚という民衆の手にテーマ論という権力を解放したということで、これはまさしくアナーキズムの可能性の中心なわけ。これがゼロ年代のオタク概念の飽和を生んだ庵野革命だったわけ。そして今回は、ゴジラと震災と政治、なんつーメジャーコンテンツを使って(政治ももはや萌え豚の旗の下に果てしない劣化を始めていたというタイミングもあって)
一般人までまんまとそれに狂わされてるわけ。そこが庵野の手腕ですげーとこなわけ。だから、増田や増田やお前増田や俺増田がこうやってネットであーだこーだいうところまでひっくるめて、全部庵野の計算したとおりのエンターテイメントなわけで、つまり「やっぱり『シン・ゴジラ』すごいわ」というのがとりあえずの結論なわけ。
というわけで、これがライト左翼の語る「シン・ゴジラ」論なわけ。
http://anond.hatelabo.jp/20160816124615
(追記)ブクマに回答
id:tick2tack 批評オタクが「駆逐」されたのはなんでなのかな?エンタメ派が増えようが批評を続けることに問題はないように思える。単に注目・承認欲求が得にくくなったためとか?
承認欲求と言えばそうですね。すごそうな「批評」に感心してくれる人が減ったら批評のやりがいがない。エンタメ派によって「今時『テーマ』とかムキになって論じちゃう批評ってイケてない」というイメージが広まりましたしね。あと、積極的に駆逐しなくても、エンタメ=楽しい、と一動作に対して批評=考える+論じるの二動作。後者は前者にどうあがいても敵わぬ理屈ッ(成る程っ!)、みたいな。「楽で楽しい」方向に流れるのは時代と歴史の必然でもあるように思います。
シン・ゴジラの作戦名どっかできいたことあるけどなんだっけとおもって、でもしらべるのめんどうで放置していたら、ちょうど今読んでいる本で、その由来を確認して、もーそっから色々妄想がとまらなくなり、深読みをしたくなりまくってしまったので書きます。途中までは、あんのさんのゴジラの作戦名とかに仕込んだ神話ネタの説明。途中からはちまたにあふれるエヴァの超解読本ぐらい怪しい俺の推測。でもまあこういうの含めて盛り上がるのがあんのさくひんだよなとおもうので様式美としてひさしぶりに長文かきます。結論だけかくと、一見くそつまらない勧善懲悪にみえるのだけど、今回もちゃんとあんのさんてきひねくれた映画だったのだろうということです
まずシン・ゴジラ、構造として、わりと愚直なまでにスサノオのヤマタノオロチ退治の神話をなぞっています。誰でも気づくのが、ヤシオリ作戦はヤマタノオロチに眠らせるために飲ませる酒の名前、はしご車の名前であるアマノハバキリはスサノオが使った剣の名前ってとこです。この2つで明確にヤマタノオロチ神話をなぞっていることを示しています。
ということはゴジラはヤマタノオロチということになるわけですかね。ゴジラは原作では恐竜のミュータント、つまり龍です。龍と蛇は限りなく近く、概ね同じ存在と見なしていいと思うのでヤマタノオロチ=龍=ゴジラってことでもいいのだけど、やはり微妙に異なる。今作では幼体の姿で4つんばいの状態を見せているところからも蛇としてのゴジラというのも意識させている気がします。尻尾が長いのもその象徴かなと。後常に状況に応じて進化するのは蛇の脱皮をイメージさせる。だから今作のゴジラはより蛇であり、ヤマタノオロチに近い存在であるとは思います。
そうなると、矢口はスサノオなのか。スサノオの神話は基本構造は貴種流離譚、つまりアマテラスの弟という高貴な血筋をもつものが、本人のか何らかの欠損を理由に追放され試練を乗り越える。矢口は親が力を持った政治家であることが示唆されている。しかし本人の性格は、権威に頼らず上との衝突を辞さず、どちらかというとうとまれる存在。結果、メインストリームから外された専門家集団の責任者になるなどする。まあありがちな設定だが、違和感があるのは親が政治家である設定だ。この流れならはじめからたたき上げの能力戦いがコミュニケーション力低いオタク的性格の主人公でもよかったはずだが(実際アニメだと死ぬほどよくある)、そうしなかったのはスサノオを重ね合わせるための設定かなと思いました。
牧教授の奥さんが、放射能が原因でなくなっているというのは、ヤマタノオロチがこれまですでに八人の乙女を食らってきたという部分に重なる。放射能の象徴がゴジラでもあるからだ。そしてまたヤマタノオロチが暴れ狂うのだと、旅先で出会ったアシナズチという老人はスサノオに告げるのだ。アシナズチは牧教授なのでしょう。もう少し妄想を広げるならクシナダ姫は、日本(出雲に近い広島)の血を引き、過去親族が放射能というヤマタノオロチの被害をうけ、同時に高貴な一族の出(パターソンという名前は、貴族の血筋)であるカヨコかなと。クシナダ姫なら、今回のゴジラに殺されそうになだてるのかというと、そうでもないのがこの説の弱いとこですが、アメリカから核爆弾が落ちるときに、ぎりぎりまで日本にいる選択をしたところで、ゴジラではないが同じ放射能的存在の核爆弾の被害をうけ兼ねないという意味ではまあそういってもいいかなと。
後半になればなるほど、若干強引な結びつけにはなってますが、作戦名ひとつで、まあヤマタノオロチ退治の物語にかけているというのはある程度明らかなのだろうと思います。それはあんのさんがよくやるゲンガクテキになんとなく、物語に深みがあるようにみせかけるためにやっているのかというと、もしかしたらそうじゃないのかなとか思います。ここからは、さらにさらにこじつけになっていく部分が大きくなりますがご容赦ください。妄想です。
まず、事前説明として日本における蛇信仰について説明。蛇は、最も古い信仰だと1 外形が男根相似 2 脱皮による生命の更新 3 一撃にして敵を倒す毒の強さという特徴から世界各地で祖神として崇められていました。時代が移ると、蛇は稲にとって害獣である鼠を食べる特徴から農耕の神という属性が強まったこと、また蛇を邪とし龍を崇める信仰が流れてきたことから祖先神の側面はうすくなり農耕の神の側面がつよくなったのです。
オロチとは、そのまま蛇という意味もありますが、峰の神、山の神という意味もあり、かなり古い蛇信仰の対象といえる名前です。それがまず害をなす存在として描かれる。助けを求め最後に勝つの側のアシナズチという老人はテナズチという配偶者がいます。その足がない、手がない神という名前から彼ら自身も蛇の化身と考えられる。その娘がクシナダ姫。奇稲田の姫と書き、農耕の神を意味し蛇の神の子供であるから、彼女も蛇の神。善とみなされるのは農耕の蛇の神なのです。農耕は中央集権的定住型の社会の象徴、それより古い祖先神は、集権化される前の氏族的共同体の象徴ともいえます。この国は、かつて様々な小さい国が、自分たちの祖先神をもち、乱立し互いに牽制し互酬しあう仕組みでした。稲の神である天皇による大和の支配が確立し日本という形がつくられるようになりました。
つまり、ヤマタノオロチ退治の話は、農耕の神としての現体制の蛇神が高貴な新しい王族の血を引くものといっしょに、出雲を中心とした旧支配者としての蛇を倒す話ともよめます。
今回のゴジラを投影しているのがヤマタノオロチだとすると、それは眠っていた古い戦いの神、すなわち現体制にとっては無秩序をもたらすものなどのイメージを仮託してるのではないでしょうか。一方、総理を中心とした秩序を維持し続けようとする政府側、そこからうとまれながらも、大きな役割を果たす矢口は、当然そうした、ありとあらゆる秩序を破壊しようとする悪を許さない中央集権的社会の体制をイメージされているのでしょう。そして日本の力を政府に結集して、無秩序な純粋な力に打ち勝つ。
ただ、ヤマタノオロチ神話のように、実際に打ち勝つことはできず酒で眠らせたとここておわっているところ、本来ヤマタノオロチのしっぽからは草薙剣がでてくるはずなのに、何かまがまがしい生き物が出てきそうになっている描写、おそらくゴジラの次の進化を、におわせていて、勝負はついていないところを見ると、あんのさんの目線はどちらかというと、ゴジラ側の反体制的、封印された本能の塊のような存在に共感をし続けているようにしか思えます。
実際日本においては、かつて天皇による中央集権化画家たちの上ではなされたとはいえ、現代に至るまで強力にそれが機能したことはなく、困ったときは旧来のお互いの話し合いで解決するというやり方がずっと続いています。氏族的共同体のありかたは死せず、この国に眠り続けています。今回の映画でも、体制側の否定されつつ、賛美もされた特徴として徹底した非合理な合議制があります。そしてトップが死んでもすぐに首のすげ替えがなされる。まさに蛇的なありかた。これがゴジラを倒した最大の理由であるとすれば、あんのさんが、最終的に勝たせて賞賛したのも中央集権的な正義ではなく、日本の体制側のなかにもある蛇的、ゴジラ的な部分だったのではないでしょうか。
今回、怪獣は一匹しかでてないようにみえましたが、じつは今作も怪獣同士の戦いであったのです。ゴジラ vs 日本人。
そう考えると、最初いつものエヴァとかのひねくれた作品とちがって、今回は単なる勧善懲悪映画なのかな、つまんねーなとおもってたりしたのですが、やっぱりそうじゃないひねくれ映画だったのだろうな、いつものあんのさんだっとほっとします。
蛇足ですが(蛇だけに)人間も使徒ほひとりで、進化の形が少し違っただけの怪物であるというのはエヴァとまんまおなじな訳ですよ。そう考えるとゴジラは、アダムであり、尻尾から生み出されるのは使徒なのかも。イメージ的には貼り付けにされたリリスの下半身からにんげんがぽこぽこくっていていたのとおなじなのかも。
ゴジラって、いままでSF定番の行き過ぎた現代科学に対する警鐘としてえがかれてきたかとおもうのですが、そして今回も福島原発のイメージはわかりやすいほどかぶせているとは思うのですが(こちらでも言及されてますね http://anond.hatelabo.jp/20160805000418 )、ヤマタノオロチを持ち出してきたことによって、いままでのような科学の力への警鐘ではなく、また311の反省映画でもなくしているのではないかと。単発の事象に対する象徴的な映画なのではないとおもうのです。この国が根本的に抱え、なおかつ封印している体制側の否定をともなう無秩序への回帰願望の力強さとその恐ろしさへの警鐘、それと同時にその力は今でも脈々と体制側の中にもすでにとりこまれていてそれを有効に使うこともできるよね、というような話をみせたかったんじゃないかなとかおもいます。ゴジラは死なないよどこまでも、ってかんじで。
あーーーー、妄想がとまらない。とりあえずここまで読んでくれた人ありがとう。ヤマタノオロチの解釈に関しては、たぶん世の中的には主流ではない解釈だと思います。一般的には、川の氾濫の象徴とか、そんな感じでしょう。でもまあこういう解釈の方向性は、いろんな人が出していて(この本とか https://www.amazon.co.jp/dp/B00PS2FK8C/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1)そこ自分で味付けして解釈してみましたというかんじです。
まあ、最初にも書いたけど、こう言うのを考えるのが楽しいのがあんのさくひんだなとおもいました。
http://anond.hatelabo.jp/20160807101757
読み方は(増田も言っている通り)やや(かなり?)牽強付会くさい点もあるけど、面白い読みだとは思った。
ただ、増田の言うことが正しいとして、何で今の時代に「氏族的共同体と中央集権の争い」を描いたの?ってのが気になった。「体制側の否定をともなう無秩序への回帰願望」が発現した事件とかって最近あったっけ?ISとか?
前提として、巷で言われるように右翼礼賛、共同体万歳的な側面がこの映画にはある。ただ、共同体主義には2種類あると思っていて (1) 国家型(中央集権的) (2) 地域型(地方分権的) がある。
今回は地域型共同体主義に共感している映画だとおもっていて、結果的に国家型を否定するなぞりがあるんじゃないかと。
地域型共同体主義の人にとっては、リベラルのいうような何か理想とする社会を人工的に作るというのはぴんとこない。もっと自然な感情で、近しい人で社会をつくりあげたいとおもっている。しかし、国家というのは大きすぎてぴんとこない。そしてそこにひも付きやすい全体主義的な思考には拒否反応をしめす。そういう思想です。
これって全く特別なイデオロギーではなく、割と普通のネトウヨとかじゃないけど、左翼むかつくとおもっているネットによく人たちの自然な思想だとおもっていて、おとなしめのリベラルちっくなオタクと親和性がたかい。そしてあんのさんもそういう思想を意識的か無意識的かもっているんだろうなと思うのです。だからこういう対立を描いたと。
無秩序への回帰というのはちょっと「現体制にとって」の無秩序であり、ほおっておいても自然に生まれる家族的情愛による秩序への回帰に共感したいというメッセージかもしれないなと思います。
讃美歌リスト。順番に聞いていきたいなと思ったので
番号 讃美歌1番~100番 番号 この頁のトップに戻る
1 主イェスよ、われらに 2 聖なるみ神は
3 扉を開きて 4 世にあるかぎりの
7 ほめたたえよ、力強き主を 8 心の底より
9 わが身にたまいし 10 今こそ人みな
13 みつかいとともに 14 たたえよ、王なる、われらの神を
15 みことばにより 16 われらの主こそは
17 聖なる主の美しさと 18 「心を高くあげよ!」
19 み栄え告げる歌は 20 主に向かって喜び歌おう
21 主をほめたたえよ(歌えハレルヤ) 22 深き悩みより
29 天のみ民も 30 主よ、あわれみを
35 主よ、あわれみたまえ 36 いと高きところには
43.1 マラナ・タ 43.2 マラナ・タ
43.3 主よ、おいでください
44.3 キリストは死に
45 わが主のみことばは 46 すべての人よ
47 とわに たたえて歌え 48 主をほめうたえ
49 全地よ 主をほめうたえ 50 みことばもて主よ
51 愛するイェスよ 52 歌え 高らかに
55 人となりたる神のことば 56 主よ、いのちのパンをさき
59 この地を造られた 60 どんなにちいさいことりでも
63 天にいます父よ 64 まごころこめ
65.1 今ささげる 65.2 今そなえる
66 父と子と聖霊の
67 貴きイェスよ 68 愛するイェスよ(おさなごとともに)
71 近づき、み前にでよう 72 まごころもて
75 今、装いせよ 76 今こそ歌いて
77 パンくずさえ拾うにも 78 わが主よ、ここに集い
79 みまえにわれらつどい 80 今 与えられる
81 主の食卓を囲み 82 今こそここに
83 聖なるかな 84 聖なる神よ
87 罪なき子羊 88 心に愛を
89 共にいてください 90 主よ、来たり、祝したまえ
93 礼拝文 94 わが主よ、すべてを
95 聖なる霊よ 96 恵みあれ しもべらに
99 主イェスよ、われらの 100 聞きたまえわれらの祈り
125 いかに幸いなことだろう 126 感謝してあたらしい歌で賛美せよ
129 私の望みは 130 涸れたる谷間に
131 谷川の水を求めて 132 涸れた谷間に野の鹿が
133 み神は避けどころ 134 神よ、われをあわれみ
135 あわれみをたまえ 136 わが魂 黙して
137 聖なる主の家で 138 全地よ、神に向かって
141 主よ、わが助けよ 142 主はわがかくれが
143 主をほめ、主に感謝せよ 144 主に向かって喜びうたおう
145 全地よ、主に歌えよ 146 主は来られる
151 主をほめたたえよ 152 みめぐみふかき主に
157 いざ語れ、主の民よ 158 捕われの民
159 主が建てなければ 160 深き悩みより
163 み恵み深い主に 164 バビロンの流れの
169 ハレルヤ。主をほめたたえ 170 わが魂よ、主をたたえよ
181 主よ、今こそ 182 ほめうた歌え
187 よろこびの歌で 188 歌え、デポラ!
191 われら迎えん、救いの光 192 主イェス・キリストはわれらの道
193 神の使者、その名ヨハネ 194 神さまはそのひとり子を
195 まかれた種 196 主のうちにこそ
213 み神をたたえよ(さびしきこよいも) 214 わが魂のひかり
215 心をはずませ 216 月はのぼりて
219 夕日落ちて 220 日かげしずかに
221 この日のつとめ 222 キリストよ、光の主よ
227 主の真理は 228 造り主なる主
229 いま来たりませ 230 「起きよ」と呼ぶ声
231 久しく待ちにし(すくいの主きたり) 232 神のみ子は世に来られた
235 久しく待ちにし(イェスよ、きたりて) 236 見張りの人よ
241 来たりたまえわれらの主よ 242 主を待ち望むアドヴェント
251 羊飼い群れを守る夜に 252 羊はねむれり
255 生けるものすべて 256 まぶねのかたえに
259 いそぎ来たれ、主にある民 260 いざ歌え、いざ祝え
265 天なる神には 266 イェスは生まれた
269 飼いば桶にすやすやと 270 神はひとり子を
271 喜びはむねに 272 おやすみなさい
273 この聖き夜に 274 救い主キリストよ
277 罪なき神の子 278 暗き闇に星光り
291 み神の座を捨て 292 勝利をたたえて
293 救いのぬしは罪もなしに 294 ひとよ、汝が罪の
297 栄えの主イェスの 298 ああ主は誰がため
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301 深い傷と流れる血に 302 暗いゲッセマネ
303 丘の上の主の十字架 304 茨の冠を主にかぶせて
305 イェスの担った十字架は 306 あなたもそこにいたのか
309 あがないの主に 310 血しおしたたる
313 愛するイェス 314 神の国の命の木よ
315 茨の冠かぶせられ 316 復活の主は
317 主はわが罪ゆえ 318 勝利の声を
341 来たれ聖霊、わが主 342 かみの霊よ、今くだり
347 たたえよ、聖霊を 348 神の息よ
349 神の息よ 350 来たれよ、聖霊
351 聖なる聖なる 352 来たれ全能の主
355 主をほめよ わが心 356 インマヌエルの主イェスこそ
357 力に満ちたる 358 小羊をぱほめたたえよ!
361 この世はみな 362 創造の主
363 み神の力は 364 いのちと愛に満つ
365 古い年は行く 366 悔い改めつつ
367 偉大なみ神の 368 新しい年を迎えて
369 われら主にある 370 おもいもことばも
371 このこどもたちが 372 幾千万の母たちの
375 賜物と歌を 376 人の知恵と言葉を超え
377 神はわが砦 378 栄光は主にあれ
381 力に満ちたる 382 力に満ちたる(わがかみの)
383 証し人の群れ 384 盾も武器もなく
385 花彩る春を 386 人は畑をよく耕し
389 み神をたたえよ 390 主は教会の基となり
395 建ちては崩るる 396 喜べつねに
397 主の教えのべ伝え 398 光りさす朝
399 さすらいの民よ 400 たとえ塔は崩れ
番号 讃美歌401番~500番 番号 この頁のトップに戻る
401 しもべらよ、み声きけ 402 いともとうとき
403 聞けよ、愛と真理の 404 あまつましみず
407 この世のすべては 408 この世のもので
415 せかいの友と 416 神の民は
429 世界のどこかで 430 とびらの外に
431 喜ばしい声ひびかせ 432 重荷を負う者
433 あるがままわれを 434 主よ、みもとに
435 主よ、みもとに 436 十字架の血に
437 行けども行けども 438 若き預言者
439 暗い夜 440 備えて祈れ
441 信仰をもて 442 はかりも知れない
443 冠も天の座も 444 気づかせてください
445 ゆるしてください 446 主か手をとって起こせば
449 千歳の岩よ 450 死に勝利された
451 くすしきみ恵み 452 神は私を救い出された
455 神は私の強い味方 456 わが魂を愛するイェスよ
459 飼い主わが主よ 460 やさしき道しるべの
461 みめぐみゆたけき 462 はてしも知れぬ
463 わが行くみち 464 ほめたたえよう
465 神ともにいまして 466 山路こえて
467 われらを導く 468 神をたたえよ
469 善き力にわれかこまれ 470 やさしい目が
471 勝利をのぞみ 472 朝ごとに主は
473 世界の望みなる主よ 474 わが身の望みは
475 あめなるよろこび 476 あめなるよろこび
477 主イェスを想えば 478 どんなものでも
479 喜びは主のうちに 480 新しい時をめざし
481 救いの主イェスの 482 わが主イェスいとうるわし
483 わが主イェスよ、ひたすら 484 主われを愛す
485 この世を愛する神は 486 飢えている人と
487 イェス、イェス 488 この世に造られた
495 しずけき祈りの 496 しずけき夕べの
497 この世のつとめ 498 道、真理、命
499 平和の道具と 500 神よ、みまえに
505 歩ませてください 506 すべては主のため
507 主に従うことは 508 救い主イェスこそは
513 主は命を 514 美しい天と地の造り主
515 きみのたまものと 516 主の招く声が
517 神の民よ 518 主にありてぞ
521 とらえたまえ、われらを 522 キリストにはかえられません
525 主なるイェスは 526 苦しみ悩みの
529 主よ、わが身を 530 主よ、こころみ
531 主イェスこそわが望み 532 やすかれ、わがこころよ
535 正義の主イェスに 536 み恵みを受けた今は
537 眠りからさめよ 538 力の限りに
539 見よ、闇の力 540 主イェスにより
541 また会うその日まで 542 主が受け入れてくださるから
549 わたしたちを造られた神よ 550 大地よ、星々よ
555 真っ青な空と海に 556 神の賜物を
557 み神の風うけ 558 主よ、聞きたまえ
559 見よ、世はすべて 560 主イェスにおいては
565 働く人びと 566 むくいを望まで
569 今やこの世に 570 主はわが命
571 いつわりの世に 572 主をあがめよ
573 光かかげよ、主のみ民よ 574 雪より真白い
575 球根の中には 576 天の輝きの宿る都よ
577 聞けよ、主の民 578 平和を求めよう
579 主を仰ぎ見れば 580 新しい天と地を見たとき
現在神は機能しておらず警察や刑務所の中にこういうのが居て子供に勝つ為にここ数年素っ裸で社会を仕切っておりこいつは神のように神の子すら守るつもりはなくただ一般に子供が嫌いなだけで子供であれば見境なく襲うし、「俺」が生産力があるので神はこれに対抗できず、利害関係で神の子が「俺」に苛められても、黙っているだけ。
いい加減にしとけよボケが。煮るとか煮ないとかいう問題じゃねえんだよ。良い生を継続発展させることなんだよ。東大とか官僚が知見を総動員して全世界の動向を利用して動いてないせいで世が世なら死刑になる奴が平気で暴れているのに知らぬ存ぜぬとか手前何考えてんだボケが。お前に統合されてるところの過去のお前が動物に脅かされてるのに手前は何もしないとか自己矛盾もいい加減にしろや。
今東大にある良い感じを守ってより生き生きさせることと世界を利用して自分が生きていくことにしか国家の目的はないんだよ。雑魚や醜悪が跋扈しているのを知りながら何もしないとか何考えてんだお前。
基本的にお前の無意識が最も生き生きするのが国家の真の目的でお前は元々自分に統合されているところの過去のお前を守る為に仕方なく官僚になった英雄でその為に動かなきゃ行けないわけだが今全然動いてないから過去のお前が危機に瀕しているな。で、何でお前動いてないんだ。
どうせ飽きたか無能になったかでクズになったか、悪人に弱みを握られて、どうとでもなれと思っているか、そもそもそういう官僚自体が退職して居ないんだろ。
基本増田に居る奴は良い子に不快な奴が多いし、つうかファイナルベントが官僚天皇のはずなのに近頃動いていないから世の中が滅茶苦茶になっているのにファイナルベントは動こうともしないわけだが、基本、世界の力を利用して過去の自分を生かすという生存本能とそれによる行動を中止している時点で人間として終わっている。
それと司法行政は神ではなくて鬼畜類になってるわけだが、良い子に嫌われてるんだから出しゃばるんじゃねえよ。その行政文書の書き方どうにかならねえのか。いかにも形式的且つ鬼畜的で、一般社会に容れるべきものではない。
で、結論から言うと、東大とか中央官庁とか東京に居る神が動かないせいで、実際問題世の中終わってるわけだが、それに対して神と神の子が何を考えているのか理解できないし、俺だったら即刻その雑魚醜悪を殺しに行くが、神も神の子も何の行動も起こそうとしない。つうか状況に煮られているのが賢いとか思ってるけど、煮られている時点で統合失調症で頭がおかしい。煮るとかどうとか復讐がどうとかいうことになったら、結局、人格が「無い」と言っているのに等しく、要はキチガイだということになる。
俺は高度に統合されつつあった平成十八年までの日本特に東京を破壊する勢力が2chや増田に湧いてきたから直で殺したが、これは国家社会秩序を紊乱する勢力を死刑にし、臣民の慶福に貢献したわけだから加害行為ではない。
「神という概念」をキリストっつーおっさん及び聖霊っつー謎のゴーストと同じ級位にに「落とし込んだ」という意味でキリスト教とイスラム教の神が同じといっても本質的に全然ちげーだろーっつー話であり。
「神という概念」という話をしているんじゃなくて,「本当に実在する(とキリスト教徒とムスリムが信じる)神」が全く同一の神なんだよ。
本当は実在しないと思うから,「AとBそれぞれが神について信じている内容が違うから,それぞれが信じている神が違う」という発想になるけど,それこそ「異教徒が勝手に他人の神を語るべきではない」というやつだ。
キリスト教徒とムスリムはいずれも世界を創造した唯一全能の神が実在していると信じていて,それが「アブラハムやモーセを導いたあの神だ」と理解しているから,「イエスが神の子かどうか」とか「ムハンマドは神の預言者かどうか」といった点について意見は違っても,同じ神を信じているという点では,意見が一致してるの。
だからキリスト教徒とムスリムの間では「異教徒が勝手に他人の神をかたるべきではない」という規範は成立しないの。お互いに「相手の神」が「自分の神」でもあるから。
天使「ちょあの」
賢者2「神キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!」
賢者3「むしろ天使キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!」
賢者1「毎晩☆をようじょにつなげていた御利益があったデュクシwwwwwww」
天使「うるせぇ」
賢者123「ふぅ……」
天使「(何だこいつら)……だから救世主が今夜お生まれになるのです」
賢者3「して救い主はどちらに」
天使「(帰りたい)あっちです」
賢者1「それは祝いに行かないといけないでござるなwww」
賢者123「フフェエエエエwwwデュホホwwwwwwwwww」
天使「はやく帰ろう」
ユイーツ(神)「帰ってきたー?」
ユイーツ(神)「いちおー連絡しといたほうがいいかなーって」
天使「(なるほど、さすが思慮深いお考えで)相変わらず軽いな」
ユイーツ(神)「なんか言ったー(_ _#)?」
ユイーツ(神)「そーだ、天使ちゃん羊飼いたちにも知らせてきてェー」
天使「何でだよ面倒くさい」
ユイーツ(神)「だっていちおーあたしのベビちゃん?じゃん」
ユイーツ(神)「ひっどーい!天使ちゃんそーやっていぢわるするんだーっ!!」
天使(あー、やっぱり苦手だわ)
羊飼い4「やべー、見に行けってことっすねww?」
天使「いや、一応報告に来ただけで」
羊飼い2「つかそれって見に行けっつーことだろ」
羊飼い1「早く行こーぜWw」
羊飼い4「ばっきゃろー、銀二も紗風亜耳も玲音も連れてくぞ!」
天使「……」
一方。
賢者1「はふはう……あひーぃ!」
キリスト教など西洋型宗教は人は神の子であると考え、また祖先を崇拝した延長線上に神がある。
一方、東洋型の神道などでは、神は人間とは別の階層に存在すると考える。
我々がID論など西洋型の宗教観を理解しようとしても、無意識のうちにこのような隔絶を前提としていると、うまく消化できない。
これらの国では国粋主義を叫ぶことが流行しているが、その旗振り役に居るのは西洋型の一神教的価値観の持ち主達である。
彼らが「伝統」を口にしてもどこか空しいのは、彼らがそもそも東洋的な宗教観や価値体系を持っていないためだ。
アフリカへの奴隷制、中東への「ぬれぎぬ侵攻」、そして東京・広島・長崎に代表される、人を人とも思わぬ、計画的で悲惨な国際法違反行為、同じ価値観を持った西洋人同士でも果たして行ったのだろうか。
彼ら西洋人の価値観が、我々の伝統を軽んじ、書き換えようとしている、これらを黙って見て、伝統を重んじる者たちは心が痛まないのだろうか。
その国の伝統をうまく把握できない者が、困難を抱えた時に国民を一致団結させることなど無理であり、統制で誤魔化すのが関の山であろう。
私はもともと無宗教だったんですが、
旦那様もそのご両親も、教区の神父さんもとても優しい方々ばかりで
わたしもこうなりたいなって思って決心しました。
それでいま勉強しるんですがどうしてもわからない事がありました。
旦那様に
イエス・キリストってマリア様から生まれたんだから人間だよね?
って聞いたら
うんそうだよ、でも神様でもあるよって答えが返ってきました。
神父様にも確認したんですが、
もうほんとわかんなくなって、
神様は神様で、イエス様はイエス様、だから私の中ではイエス様は神の子供で人間でいいやっていったら
ものすごい怒られました。
たしかに私はよく、年齢より若く見えるね、美魔女だね、って言われますが、
火あぶりになんかされたくありません。
私の考えってそんなにおかしいんですかね?
『路上の人』つながりでキリスト教関係の書を読んでいる。今回取り上げるのは『人と思想 パウロ』(八木誠一・著 asin:4389410636 )。キリスト教を現在につながるものに体系化した人物であるパウロがどのような人生を歩んで、どのような思想を持つようになったのかが解説されている。
パウロを通して語られるキリスト教の「赦し」や「愛」の観念の解説が新鮮だった。キリスト教というと、同性愛の禁止といった聖書の教えを忠実に守ろうとする人びとの宗教というイメージが勝手に合ったのだけれども、そういう教えを厳格に守ることを重視するのはユダヤ教的発想で、そういう態度への批判から生まれたのがキリスト教であるとしている。
なぜ教えを守ることにこだわることが問題なのだろうか。
ユダヤ教では旧約聖書にある様々な律法を守ることで神に救われると信じる。そこでは律法を守ったか否かが重要だ。しかし、自身も厳格なユダヤ教信者であったパウロはそれを否定した。律法を完璧に守ることができる人間はごく少数であり、たいていは律法を守ることができず、絶望に陥る。または律法を守り切ったことの優越感が、やがては本来の神への信仰を忘れさせてしまい、そのことを自覚した時そこでも絶望に陥る。つまるところユダヤ教の律法主義は必然的に絶望へと至ってしまうのだとパウロは考えた。
そこでパウロは、イエスを神の子と信じる原始キリスト教に意義を見出す。すなわち、人間の罪はイエスの十字架によってすべて赦された。だから人はただ神を信仰することに集中しさえすれば救われるという理屈を展開したのである。パウロはユダヤ教の持つ厳格な律法を踏襲しつつ、それを守りきれない人間の心も考慮に入れて、堕落も絶望もしない状況に人を導くように教義を設計したのだ。
以上がパウロのキリスト教の教義への貢献であり、それがゆえにキリスト教の教義を学ぶうえで重要な人物足りうるのだという。まあキリスト教についてまともに学ぶ人からすれば当たり前なのだろうけれども、無学な自分にはパウロに対する自分の偏見が訂正されたので面白かった。
そう、そのはずだったのに、途中から君が
要するに、キリストが石を投げた、ってのは嘘話だからんなもん議論するな、ってこと?
じゃあ、なんでそんな話が聖書にあるの?
とか言い出して、キリストが石を投げたって話が聖書にあることを前提として
その辺、ちゃんと説明できないなら、それこそ貴方もキリスト教徒として駄目なんじゃない?
などとキリスト教徒の人を馬鹿にしだしたのでそれはおかしいだろ、となったわけだ。
誤った事実認識に基づいて他人の信仰を馬鹿にしたのだから、本来は「すいませんでした」等の明確な謝罪があってしかるべきだとは思うが、まあ俺は当事者でもないので
という記述で矛を収めておくことにする。
さて本題だけど、俺はキリスト教徒ではなく、聖書も教養として読んでるってだけで研究したりしてるわけではないので本来どう解釈されてるのかってことについて責任あることは言えない。
ただまあ、キリストは原罪ないんじゃないかと思うよ。マリアでさえ無原罪の御宿りがどうこうって言うくらいだし。ウィキペディアだけど、「イエス・キリスト」のページにこんな記述もあった。
イエス・キリストは神の子が受肉(藉身)して人の性をとった、真の神であり真の人である。この人性は、罪の他は全く完全なものである(イエス・キリストには罪は無かった)[13][14][15][16][17][18][19]。
「罪のない者は石を投げてよいのか」についての俺の見解は「同じく非キリスト教徒だけど……」で既に述べた。いちおう引用しとくとこれ。
俺は単純に、罪のない人はいないから(特にキリスト教は原罪とか言うしね)「罪のない者は石を投げてもいいのか」という問い自体がナンセンスなんだと考えてた。
つか、キリスト教徒の人もこれ(http://anond.hatelabo.jp/20130831121916)とかこれ(http://anond.hatelabo.jp/20130831214635)で説明してくれてるんだから、独自でがっつり調べるつもりがないならさしあたりこの説明を参考にすればいいんじゃない?
参加者が多くなって錯綜してきてるので、いちおうこれまでに俺が書いたものを挙げておく。この記事のほかには、
「同じく非キリスト教徒だけど……」(http://anond.hatelabo.jp/20130831013621)
「横だが、そもそもキリストは石投げてないだろ。」(http://anond.hatelabo.jp/20130831223625)
「俺は『同じく非キリスト教徒だけど……』(略)ってのを書いた者だけど、」(http://anond.hatelabo.jp/20130831231511)