2013-11-04

[][]『人と思想 パウロ

路上の人』つながりでキリスト教関係の書を読んでいる。今回取り上げるのは『人と思想 パウロ』(八木誠一・著 asin:4389410636 )。キリスト教現在につながるものに体系化した人物であるパウロがどのような人生を歩んで、どのような思想を持つようになったのかが解説されている。

パウロを通して語られるキリスト教の「赦し」や「愛」の観念の解説が新鮮だった。キリスト教というと、同性愛の禁止といった聖書の教えを忠実に守ろうとする人びとの宗教というイメージ勝手に合ったのだけれども、そういう教えを厳格に守ることを重視するのはユダヤ教的発想で、そういう態度への批判から生まれたのがキリスト教であるとしている。

なぜ教えを守ることにこだわることが問題なのだろうか。

ユダヤ教では旧約聖書にある様々な律法を守ることで神に救われると信じる。そこでは律法を守ったか否かが重要だ。しかし、自身も厳格なユダヤ教信者であったパウロはそれを否定した。律法完璧に守ることができる人間はごく少数であり、たいていは律法を守ることができず、絶望に陥る。または律法を守り切ったことの優越感が、やがては本来の神への信仰を忘れさせてしまい、そのことを自覚した時そこでも絶望に陥る。つまるところユダヤ教律法主義は必然的絶望へと至ってしまうのだとパウロは考えた。

そこでパウロは、イエス神の子と信じる原始キリスト教に意義を見出す。すなわち、人間の罪はイエス十字架によってすべて赦された。だから人はただ神を信仰することに集中しさえすれば救われるという理屈を展開したのであるパウロユダヤ教の持つ厳格な律法踏襲しつつ、それを守りきれない人間の心も考慮に入れて、堕落絶望もしない状況に人を導くように教義設計したのだ。

以上がパウロキリスト教教義への貢献であり、それがゆえにキリスト教教義を学ぶうえで重要な人物足りうるのだという。まあキリスト教についてまともに学ぶからすれば当たり前なのだろうけれども、無学な自分にはパウロに対する自分偏見が訂正されたので面白かった。

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