はてなキーワード: 球技とは
スポーツに政治を持ち込むなってのは建前で、心の中では容認むしろ歓迎しているんじゃないか。
一度そういう目で見てしまうと、サッカーのJリーグが地方別の戦(つまり戦国時代)のように見えてしまう。
球技、武道、陸上競技は国別の対抗戦のイメージが強く、政治色を感じやすい。
採点競技についても同様。知識のない人が見るとどういうルールや基準で採点されるのか不透明で、不信に思うことも多々ある。
一方、eスポーツではあまり感じない。発展途上というのもあるだろうが、年配者が少なく若者が多いからだろうか。純粋にプレーヤーも観客も競技を楽しんでいるように思う。
今後どうなるかわからないが。
サッカー。11人ずつ2つのチームに分かれて互いのゴールにボールを入れ合う。ただし手を使ってはいけない。90分のあいだにより多くのゴールを決めたチームの勝ち。
バスケ。5人ずつ2つのチームに分かれて互いのゴールにボールを入れ合う。ただしボールを運ぶときは地面にバウンドさせ続けなければいけない。普通にゴールを決めると2得点、離れた位置からゴールを決めると3得点。40分のあいだにより多くの得点を決めたチームの勝ち。
テニス。ネットを挟んでラケットでボールを打ち合い、ボールが二回バウンドするあいだに打ち返せなければ相手にポイントが入る。4ポイントを取り、相手と2ポイント以上の差があれば、1ゲームを取ったことになる。6ゲームを取り、相手と2ゲーム以上の差があれば、1セットを取ったことになる。先に3セットを取った方が勝ち。
ゴルフ。それぞれに形状の異なるコースの端からクラブを使ってボールを打ち出し、それを繰り返して反対側の端にある穴にボールを入れる。複数のコースを回って最終的にボールを打った数が最も少なかった選手の勝ち。
野球。9人ずつ2つのチームに分かれ、攻撃側のチームは一人だけがバッターとしてバットを持って特定位置に立ち、守備側のチームは全員でそれぞれが特定位置に立って守る。守備側のうち一人の選手がピッチャーとして、バッターに向かってボールを投げる。ピッチャーの投げたボールが特定エリアに入れば「ストライク」、外れれば「ボール」。ボールがストライクに入り、バッターがそれを打ち返せなければ1ストライクとなり、3ストライクで1アウトとなる。打ち返せても、ボールがバウンドする前に守備側の選手が取れば1アウト。3アウトで攻撃と守備を交代する。バッターがボールを打ち返してフィールド上でバウンドした場合、バッターはランナーとなって走りだし、ボールが返球されてくるまでのあいだに、フィールド上にある4つのベースを順繰りに踏んでいく。一人のランナーが4つのベースをすべて踏めば1得点。ランナーが走っているときに、守備側がボールをランナーに触れさせれば1アウト。ただしランナーがベースに触れているときはアウトにならない。ランナーがベースを回り切らないうちにボールが返ってくれば、ランナーはベース上で待機することになる。バッターが打ったボールが観客席の特定領域に飛び込めばホームランとして、そのときベース上にいるランナーすべてが無条件で得点となる。27アウトまでのあいだにより多くの得点を獲得したチームの勝ち。
やっぱ野球ってクソだわ。
焚き火で炙った骨付き肉を口元でナイフで切って直にかぶりつくことです!!!
キャンプは面倒くさいけど、
そう!キャンプファイアーだけはしてみたいわって思う時があるのよ。
ブラッと行ってブラッと焚き火が出来る所とかあったら
なんか流行りそうな気がするけど。
たまにやってるじゃない、
よくフェイスブックで見るわよ。
だからさ、
まあ春先焚き火したい人なんて少ないと思うけどね。
でもさ、
公園の注意書きによくある、
もうこの公園なんなのかしら?って感じ。
一体こういう公園で何したらいいのかしらって思うわ。
うふふ。
今思ったんだけど、
ゆで玉子を具にしたおにぎりとかって未だかつて見たことないんだけど
誰か作ってみて!
苺の香りがとてもいいし
試してみてね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
最近というほど最近でもないけど、3D映画とか3DSとか、とにかく3Dをウリにしたものが巷には溢れている。
タイトルの通り、自分は生まれつきの斜視なので3D全般が認識できない。
斜視は人口の3%というからそれほど珍しい病気じゃない。の割に、「黒目の位置がおかしい人」くらいの認識しかないように思う。少なくとも自分は今までそういう風に言われた。
斜視は重大な病気じゃない。でも、日常の絶妙なところで不便なのだ。ということを今日は書きたいと思う。
まんまだ。
内斜視とか外斜視とか色々種類はあるけど自分は外斜視。昔はロンパリって言ってたらしい。
見たい対象に焦点を合わせようとすると、どちらかの黒目が外側に流れていく。そっちの目は使っていないことになる。
二回手術をした。小学生の時に全身麻酔をかけて一回、中学生の時に局部麻酔で一回。
目の中の筋肉を切って縫い、正しい位置に黒目を調整する手術だ。全身麻酔の時は覚えてないから良かった(でも尿カテーテルがショックで暴れた)けど、局部麻酔の時は意識があって、目が見えてるのに、目の中にハサミだのメスだの針だの入れられる。ブツってなんか切れてる感覚もぼんやりわかる。めちゃくちゃ怖い。人造人間にされてる気分だった。
そんな怖い手術をしても、見た目は完治しなかった。普段は普通の目だけど、疲れてくると斜視が出る。あと手術との相関性はわからないけど、術後目が悪くなった。特に乱視がひどいので、コンタクトが合わなくてずっと眼鏡をかけてる。
これ。
目が悪くなるのも見た目がキモいのもまあ別にいい。問題はこれだ。
前述の通り、斜視の人は片方の目でしかものを見ることができない。対して、立体的にものを見る時は、両目から得た映像を脳が組み合わせて、奥行きや距離感を認識させるのだ。
小学生の頃、保健室に「立体的に見える絵本」がなかっただろうか。上の方に黒い点が二つ付いてるやつ。あれも同じ原理で、脳の錯覚で3D空間を認識させている、らしい。当然それができたことはない。
そしてこの立体視能力は、生後〜幼年時にのみ獲得できるそうだ。その機を逃すと、後から立体視できるようになるのは難しい。訓練することはできる。実際したけど、やっぱりダメだった。
あんなおそろしい手術をしても、この根本的なところは全く治らないのだ。
立体視できないと何が不便か。
階段の段差が飛び出して見えない。飛び出して見えるとか奥行きがあるとかがまずどういうことかわからないけど、とにかくのっぺりとした一枚の絵みたいに見えている。全国の階段はふちにラインが引いてあるタイプに今すぐ切り替えてほしい。
球技ができない。
ボールのサイズで「あ、このくらいの距離だな」とはわかるけど、正確な感覚がわからない。テニスとか野球とか、球が小さいと余計に無理だ。まあこれは自分が運動できないからかもしれないけど。
3Dが見れない。
黒っぽい眼鏡をかけて見るやつは、ちゃんと普通の映像には見える。でも、飛び出すとか広がるって感覚がそもそもないから、本当に普通の映画と一緒なのだ。
青と赤のセロハン?みたいなので見る簡易的なやつは、右目と左目でバラバラに見えるだけで一つに結びつかない。赤と青の世界が変わりばんこに点滅する感じだ。
3Dナントカは所詮娯楽なのでいいけど、下り階段は本気で困っている。
同じ悩みを持つ人がいたら是非斜視あるあるしたい。逆に、治ったよという人がいたら話を聞きたい。
もう一回手術するかって聞かれたけど絶対嫌だ。
たとえば、上位20%のことが3つできるとしたら。
0.2×0.2×0.2=0.008
その3つのことが上位20%でこなせる人は、0.8%ということになる。
労働市場に限らず、価格とは希少性によって決まるから、人口の0.8%というのは結構希少性が高く、人材としての価格は上がりやすいかも。
20代なら、今持っているもので、それなりに頑張って、できるだけ上位に入るような分野を作ったらいい。
まぁ、それはそれとして。
こういう議論になったときいつも気になるのが、価値と価格の混同だ。
繰り返しになるけれど、価格は市場で決まる。需要と供給のバランスで決まってくる。
自分が価値が高い思えば、どんな評価を受けてもやっぱりいいものはいいっていう風になる。
球技下手とか、歌下手とか、小説下手とか、書いてあるけれど、実際やっているときはどうだったか。
弱所チームだろうが、強くなろうと無心に練習して、試一生懸命プレイして、その時は、別に下手とかなんとか関係なかっただろう?単に一言、「楽しかった」とか「よかった」とか、そういう言葉で表現しきらない、なにか、体験として残る何かがあると思う。
歌だって、小説だって、好きでやるなら、価値は自分で決めるもんなんだ。
それを商売にしようと思ったら、結構きつい。価格は他人の評価であって、自分が好きだから上がるものではないから。
好きなことを仕事にできれば幸運かもしれないけれど、好きじゃなくなっちゃうリスクもある。
まぁ頑張れ。
お前、もうすぐ大学出て就職だけどさ、才能とかセンスとか、独特の感性とかさ。そんなもん自分にあるとまだ思ってるの?ないよ。あるわけないじゃん。自分にしかない何かがあるとかさ、マンガの読み過ぎなんだって。思い出してみてよ、子供の頃とか。何かで他人に褒められた事、ある?ないよね?でしょ?やっぱり。
昔からそうなんだよ。運動だって何にも出来なかったし、勉強だって頑張らないとできなかったし、頑張っても結局数学とか全然わかんなかったし、結局入ったのはその辺の私立文系大学だよ。頭が悪いの、地頭が。
勉強だけじゃないよ、本とか読んだり何か意見を求められた時に内容が全然理解できなかったりさ、ゲームだって下手だったでしょ?格闘ゲームとか思い出してみ?友達と対戦して、友達だって別に上位ランカーとかでも全然ないのにすぐ対応されてさ、でもこっちは何十回、何百回対戦しても相手の効果的な対策とかひとつも思い浮かばないの。なんで?バカだからでしょ。
運動部入ってたよね?球技やってさ、ヘタクソだし身体能力は低いし頭も悪いからなんにも上手くならないし、試合出ても使えないし、というか練習にもついてけてないじゃん。もはや練習の邪魔だったじゃん。基礎練習のひとつもこなせなかったじゃん。中学から始めて、引退するまで。永遠のベンチ、てかベンチにも入れてなかったよね?地区大会一回戦負け常連チームで。しかも弱小地区なのに。ありえねーわ。センスねーなお前マジで。
歌とか好きだったじゃん?ちっさい頃から家とか風呂とかでよく歌ってたじゃん?中学の頃はちょっとだけ合唱とかやってたじゃん?高校からは1人でカラオケとかも行くようになったじゃん?歌い方の本とかも読んでるじゃん?
なのに録音したやつ聞いてみ?ヘタクソ。シンプルに、ヘタクソ。それ以上の感想無いつて。無理だもん、感じる所がない。残念だったね。声にも魅力とか全然ないから。
音楽の授業、クラスで歌ってる時にも別にクラスメイトに褒められたりとかなかったろ。
小説とか書き始めたじゃん?結構頑張ってさ、色々考えて、どんなメッセージを込めようか、どんな想いを込めるか、どんな感情を表現したいか、ずっと悩んでたじゃん。何作も書いてさ、創作系のサークルに入ってて、定期的に機関誌を発行してたからさ、それに寄稿してたじゃん。それでその機関誌の感想とか言い合う、割と真面目な会に出るじゃん。「雰囲気だけだね」って言われたね。それも一回だけじゃなく、ずっと。最後まで。なんとなくの雰囲気作れるだけなんだってさ、お前の感性の限界は。
二次創作とかやるようになっても、全然見て貰えてないじゃんね?その程度だよお前。
ていうか人間関係も下手だよな?話しかけるのダメ、話しかけられてもダメ、ちょっと仲良くなっても関係を維持できない。今、友達何人?「遊びに行こうぜ」とかってラインに気軽に個人トーク飛ばせる人って何人いる?いても1人とかだろ?20年も生きて?何考えてんの?
本当に誰にも評価されてねえのな、悲しいなお前。
でもさ、1番ショボいのはさ、結局お前なんにもチャレンジしてこなかったよな。努力してこなかったよな。
勉強、どれだけやった?毎日何時間もやってたか?ノート1ヶ月に何冊も無くなるくらいやってたか?違うだろ。
スポーツ、毎日練習してたか?どうやったら上手くなれるか考えて、人に聞きまくってたか?誰かつかまえて一緒に練習とかしてたか?違うだろ。
歌ならレッスンとか受けさせて貰えばよかったじゃねぇか。親に頼んでさ。何駅か電車に乗ればそういう場所もあったろ?自業自得じゃん。
小説、賞に応募とかした?え、してない?ウソウソ、え?ウソでしょ?論外。
うるせえよ、そうだよ。でも言い訳くらいさせてくれよ、怖かったんだよ。俺は俺なりに頑張ってたんだよ、でも全然なにもできるようにならなかったんだよ。確かに勉強量とか練習量とか全然話にならないくらいしかやってなかったよ。でもやってはいたんだよ。でもセンスないから上手くならなかったし、頭悪いから全然飲み込めなかったんだよ。そりゃやって能力上がるならもっとやってたよ、でも全然上がらなかったんだよ。最初はやってて楽しかったことも、結局ちょっと経ったら周りと凄い差がついてんだよ。周りの奴らも別に凄いやつらじゃないのに凄い差がつくんだよ。ふざけんなよマジで。
レッスンとか賞とか、もし通ってみて応募してみて、才能ナシ扱いされたらどうすんだよ。薄々わかってはいるんだけど、それ言われたらもうおしまいだろ?そういう感性とかに「自分らしさ」とか「独創性」があるって、評価はされないけどあるんだって、思ってたいんだよ。否定されたくないんだよ。怖いんだよ。
こんな文章だって、他に何人、何十、何百、何千、何万人も同じ様なことを書いてる奴がいるって、全然独創的なんかじゃないって事わかってるよ。
結局俺は今まで、何者にもなれなかったし、なろうともしなかった。認めるしかない、「なろうともしなかった」。客観的にはそうなんだよ。どう見ても。
実はこれさっき考えながら「自分に生きてる価値あるのかなぁ、全部終わらせようかな」って本気で考えたよ 、本気で死ぬ事考えたよ。何にも価値あるものが生み出せない自分が嫌すぎた。
でもやっぱり、俺は自分の事全部は嫌いになれなかったよ。才能もセンスもないし頭も悪かったけど、何の努力もしてこなかったけど、自分の感性は嫌いになれなかったよ。
20年生きてきた、誰にも評価されなかった、何者にもなれなかった。でもたったそれだけだよ、早熟とか大器晩成ってあるだろ?才能もセンスもないお前が20そこそこで評価されるわけないだろ自惚れるなよ。
俺には才能もセンスもない、頭も悪いし経験値も全然無い。でも、たったそれだけの事だ。
「自分には何かある、それは何か探すんだ」って考えるからダメなんだよ、もうわかってるだろ、俺には何もないんだ。ない。それでいい。
でも多分、「自分にしかできないわけじゃ全然ないけど、誰でもできるけど、でも自分にできること」ってあるだろ。どんだけショボくてもあるだろ。例えば「人を褒める」とかあるだろ。そこでさ、ほんの少しでいいから、褒められた時により喜ばれる様な言葉の使い方とか考える位ならできるだろ。どんだけバカでもそんくらいはできるはずだ。
そういう事をやってけばいいんだよきっと。いやわかんねえよ、それでどうなれるかは全然わかんないけどやろうよ。できるにはできると思うから。
後はさ、怖くてもチャレンジしてこうよ。才能とかセンスとかはさ、からっきしなのはわかってるからさ、否定されても大丈夫だよ。当たり前の事、わかりきってる事なんだからさ。今更でしょ?
そうやってちょっとずつできそうな事だけ頑張っていってさ、10年後、いや20年後。今の俺には才能もセンスも何も無いんだからさ、評価されるわけはないよ。たださ、20年、いやもっと先かもしれないけどさ、それだけ経ったら、もしかしたら何かで世界一になってさ、誰もが知ってる人間になれるかもしれないじゃん。20代で評価される天才と比べんなよ、意味ないよ。
多分、みんなそうやって生きてるんだよきっと。だからさ、ちょっとずつだけできそうな事を頑張ってさ、できるだけチャレンジしてみようよ。
後はさ、実は友達とかにほんのちょっとだけ言われた褒め言葉とかさ、あるんじゃないか?「お前の歌うあの歌聴きたいなぁ」とか無かったか?小説、「好き」って1人にでも言われた事無かったか?確かにただの世辞かもしれないよ、俺才能ないもん。でも、もしかしたら本心かもしれないだろ?そういうのも大切にしてこうよ。もしそういうのが無かったとしても、まぁ才能ないから当たり前だよ。気にすんな。
少なくとも今は何者にもなれないけど、才能もセンスも経験値もないから当たり前。一年や二年頑張ればどうこうって話でもねえよ。甘えんな。
そうやっていって、20年後、20年後だ。20年経ったら絶対勝ってやろうぜ。「積み重ねは天才を超える」って、もう人生20年経っちゃってからの、ほぼゼロ積み重ねだけどさ、やってってさ。絶対勝ってやろうぜ。才能もセンスも頭の良さも無いけど、経験値だけはたくさん積んでいって、見てろよ、世界、20年後に俺は勝ってやるぞ。絶対だ。もし20年後でダメならまたその20年後だ。また経験値積み直すだけだ。その経験値だけで俺は頂点に立ってやる。見てろよ。
(追記):吐瀉物みたいな文章を書いてしまったし、読んだ人には無駄な時間を過ごさせてしまったんじゃないかと思う。
もうこんなクソみたいな文章は二度と書かないよ。善く生きるよ。
正直、「勝つ」とか「世界一」とか自分でも書いてて一切意味わかんないし具体的にどうなりたいか、どうなれるか全然わかんないけど、とりあえずそれがこんな文章を書く事なんじゃないというか、こういうのがやりたい事じゃないのはわかった。とにかく善く生きて、生きて、生きて、生きて……。もう何が何だかわかんないや。
善く生きる、キーワードは「誰かの為、自分の為」だと思った。気持ち悪がるなよ。それが一番良いと思うんだよ。
ホント書いてる事しっちゃかめっちゃかだな、流れとか一切ないわ。もう終わり。
とりあえず、善く生きようぜ。以上。
今思うと、
左右の目で大きく視力が違い、黒板の字がぶれて見えるレベルだったのにずっと眼鏡をかけず過ごしてきたこと
扁桃腺が風邪でもないのに常に腫れていて喉がふさがっていること
とにかく運動音痴で小中高大と体育は何をやっても駄目だった
特に球技が無理。バレーもバスケも卓球も全部無理。目のピントが合うのにタイムラグがあるのでボールの正確な現在地が分からない
陸上だって誰よりもゼエゼエ言ってるのに足が遅いせいでクラスメイトからは白い目で見られ
時には「ずるをしている」などと言われた。本当に地獄だった
しかし、アメトーークの運動神経悪い芸人、めちゃイケ運動会、リンカーン大運動会などは好きで何度も見たことがある。今もアメトーークを見ている
自分は非コミュでアニヲタではあるがお笑い番組も好きで、お笑い芸人に好意を持っているので
(と言っても島田紳助は苦手でテレビからいなくなった時はほっとしたし、今炎上中のニューヨークはフォローのしようがないしフォローしたくもない)
アメトーークでは弄る側も弄られる側もスタッフも仲がよいであろうことを知っているし
あれは自分にとって、例えば子犬がポテポテ歩いていたら転んで隣の子犬とぶつかるとか、
猫が着地に失敗してつるっと滑ってしまうとかその手のほのぼの映像の延長であり
自分と違って「お前ほんっと運動神経悪いなwww」「いやぁ~www」と仲間同士で明るくネタにして笑い合えることへの憧れも感じる
あれはけして嘲笑ではない。学生時代、体育の時間に自分に向けられた冷たい視線とはまったく異なるものだ
自分のように学生時代体育で辛い思いをした人たちがあの番組を批判しているのを見るたびに
なんとも言えない気持ちになる
ジーコとは
なぜジーコなのか
SFC時代、ジーコサッカーという非常に売れなかったゲームがあった。(後年、本人は関わっていなかったと供述している模様)
ジーコサッカーはワゴンの常連と化し極めて安価にカードリッジの入手が可能であったため任天堂非公認ゲームであるSM調教師瞳のカートリッジとして流用されたのはよく知られている。
時は流れて陽射しの中のリアルという伝説的な同人ゲームが登場し、18禁のおさわりゲーム、ひいては18禁同人ゲームの代名詞ともなった。
そしてネットの掲示板でおすすめの18禁同人ゲームを挙げる際にネタとしてジーコサッカーを挙げる風習と混じり陽射しの中のリアルは陽射しの中のジーコと呼ばれるようになった。
そこからあらゆる用語がサッカー用語と置き換えられ、現在に至る。
本格的にサッカー用語が使われるようになったのは猫狼娘のエリスとアルテミス(現在はテキスト盗用問題により販売停止)の以下のあらすじコピペがはじめだとする説もある。
悪魔アルシンドをその身に宿され、屈強な男たちの住む牢へと投獄される
一方ジーコのよきライバルであったペレはオシムの行動に疑問を抱き
ジーコ用語一覧
18禁同人ゲーム配信大手のDLSiteのこと。最近はにじよめちゃんでも有名。
FIFAランキングというとDLSiteの売り上げランキングのことを指す。
もう一つの大手でありDLSiteのライバルのDMMのことはデンマークなどと呼ばれることがある。
キャラクターのこと。特に女性キャラクターのことを指すことが多い。
まともなゲームならたいてい体験版がある。(まともじゃないゲームでもある)
ジーコ業界では練習試合とCG数がほぼ変わらないような粗悪なゲームもあり、売り逃げとサークル名の変更・サークルの買収を繰り返すヨガチカのような邪悪な監督も存在するため練習試合でそれらを見定める必要がある。
例外的にプリンセスティアーズやVHゲームはジーコ扱いされることがある。
なお、多数の派生バリエーションが存在するeraはジーコともフットサルともされず「era」というジャンルであるとされる。
通常のゲームシーンのこと。エロければよいのかといえばそうではなく、通常のゲームの方もそれなりに重視される。サキュバスラプソディアのようにドリブルの冗長さによって評価を落としてしまうジーコも少なくない。
射精、そこから転じてHシーンのこと。Hシーンの場合はシュートシーンなどとすることが多い。
作品や監督のファンのこと。発売の延期が続くとサポーターがフーリガンとなることもある。
ゲームの隠語例と簡易紹介
ジーコの金字塔の一つ。清純な神官であるユナ選手が身体を駆使して冒険するゲーム。
冒険に慣れたユナ選手は金貸しから借りた金を(たとえ返せる状態であっても)絶対に返さず、必ず身体で返す。
ジーコの金字塔の一つであり有料で販売されていたが、現在は無料配布されている。
誰かれ構わず孕み場所を選ばず産みまくる主人公のミカミ選手は地母神として有名。
食った量によってはその場で即脱糞する刃牙以上の超人的な消化力を持つお嬢様が実家までの交通費を稼ぐために田舎で廃品回収や住居侵入、警察署の襲撃などを行うゲーム。
お嬢様は最終的に熊を棒で殴り殺す野人となる。
東方の全年齢向け同人ゲームを頒布しているコココソフトとは一切関係ない冥魅亭の処女作。
選手の地雷率の高さに定評があり、特に引っ込み思案な薬草売りの少女であったコレット選手が邪悪な淫魔となっていく様に恐怖を覚える者も少なくない。
ゲームそのものはクリアまでに30~50時間はかかるハクスラゲーである。アペンド版も発売予定。
奴隷ジーコ、奴隷→奴隷との生活 -TeachingFeeling-
虐待を受け閉ざしてしまった少女シルヴィの心を(主に撫でまくって)開き、その後は淫魔と化したシルヴィちゃんとひたすら爛れた性活を送り続けるだけのゲームだが、不幸な少女を愛でるというコンセプトが受けたのか爆発的なヒット(14万本以上)となった。現在でも不定期にバージョンアップが行われている。
また、サンドイッチを食うと死ぬバグ(修正済み)、イングランド(淫乱度)が際限なく上がってしまう仕様(現在は緩和策あり)などネタにも事欠かない。
韓国では違法に配布された挙句違法な児童ポルノゲームとして当局に規制された。
プリンセスジーコ→プリンセスサクリファイス~供犠姫フィーナの冒険~、プリンセスティアーズ
先頭に「プリンセス」がつくため同じ隠語となってしまっているがそれぞれ別のゲームである。
前者はタイトルから「球技姫FIFAの冒険」とも呼ばれる。供犠姫となってしまったフィーナ選手が絶頂しつつ闇王に支配された世界を救うゲーム。
戦闘中に犯されることがあるため選んだ職業によっては絶頂(1ターン休み)→体力回復→犯される→絶頂→体力回復という無限ループめいた状態が発生することがあるため少し心配になる。
後者はフリーゲームだが、そのリビドーの充満した内容から前述したとおりジーコ扱いされることも少なくない。
主人公のエルシー選手は賞金を稼ぐために闘技場に参加しているのだが、シュートシーンで「イヤーッ!ダメーッ!」を連呼するためニンジャである可能性があり専らエルシー=サンと呼ばれる。
そのほか隠語
追記
外に持ち出せば怒られてしまうことは承知していますが、いい加減どこかに残しておかないといよいよ経緯や隠語がわからなくなるものがあったので(特にジーコとアルシンドの本名)増田に書きました。
偉大なる元増田様(お隠れ済) https://anond.hatelabo.jp/20170916083417
ジーコとは
なぜジーコなのか
SFC時代、ジーコサッカーという非常に売れなかったゲームがあった。(後年、本人は関わっていなかったと供述している模様)
ジーコサッカーはワゴンの常連と化し極めて安価にカードリッジの入手が可能であったため任天堂非公認ゲームであるSM調教師瞳のカートリッジとして流用されたのはよく知られている。
時は流れて陽射しの中のリアルという伝説的な同人ゲームが登場し、18禁のおさわりゲーム、ひいては18禁同人ゲームの代名詞ともなった。
そしてネットの掲示板でおすすめの18禁同人ゲームを挙げる際にネタとしてジーコサッカーを挙げる風習と混じり陽射しの中のリアルは陽射しの中のジーコと呼ばれるようになった。
そこからあらゆる用語がサッカー用語と置き換えられ、現在に至る。
本格的にサッカー用語が使われるようになったのは猫狼娘のエリスとアルテミス(現在はテキスト盗用問題により販売停止)の以下のあらすじコピペがはじめだとする説もある。
悪魔アルシンドをその身に宿され、屈強な男たちの住む牢へと投獄される
一方ジーコのよきライバルであったペレはオシムの行動に疑問を抱き
18禁同人ゲーム配信大手のDLSiteのこと。最近はにじよめちゃんでも有名。
FIFAランキングというとDLSiteの売り上げランキングのことを指す。
もう一つの大手でありDLSiteのライバルのDMMのことはデンマークなどと呼ばれることがある。
キャラクターのこと。特に女性キャラクターのことを指すことが多い。
まともなゲームならたいてい体験版がある。(まともじゃないゲームでもある)
ジーコ業界では練習試合とCG数がほぼ変わらないような粗悪なゲームもあり、売り逃げとサークル名の変更・サークルの買収を繰り返すヨガチカのような邪悪な監督も存在するため練習試合でそれらを見定める必要がある。
例外的にプリンセスティアーズやVHゲームはジーコ扱いされることがある。
なお、多数の派生バリエーションが存在するeraはジーコともフットサルともされず「era」というジャンルであるとされる。
通常のゲームシーンのこと。エロければよいのかといえばそうではなく、通常のゲームの方もそれなりに重視される。サキュバスラプソディアのようにドリブルの冗長さによって評価を落としてしまうジーコも少なくない。
射精、そこから転じてHシーンのこと。Hシーンの場合はシュートシーンなどとすることが多い。
作品や監督のファンのこと。発売の延期が続くとサポーターがフーリガンとなることもある。
ジーコの金字塔の一つ。清純な神官であるユナ選手が身体を駆使して冒険するゲーム。
冒険に慣れたユナ選手は金貸しから借りた金を(たとえ返せる状態であっても)絶対に返さず、必ず身体で返す。
ジーコの金字塔の一つであり有料で販売されていたが、現在は無料配布されている。
誰かれ構わず孕み場所を選ばず産みまくる主人公のミカミ選手は地母神として有名。
食った量によってはその場で即脱糞する刃牙以上の超人的な消化力を持つお嬢様が実家までの交通費を稼ぐために田舎で廃品回収や住居侵入、警察署の襲撃などを行うゲーム。
お嬢様は最終的に熊を棒で殴り殺す野人となる。
東方の全年齢向け同人ゲームを頒布しているコココソフトとは一切関係ない冥魅亭の処女作。
選手の地雷率の高さに定評があり、特に引っ込み思案な薬草売りの少女であったコレット選手が邪悪な淫魔となっていく様に恐怖を覚える者も少なくない。
ゲームそのものはクリアまでに30~50時間はかかるハクスラゲーである。アペンド版も発売予定。
奴隷ジーコ、奴隷→奴隷との生活 -TeachingFeeling-
虐待を受け閉ざしてしまった少女シルヴィの心を(主に撫でまくって)開き、その後は淫魔と化したシルヴィちゃんとひたすら爛れた性活を送り続けるだけのゲームだが、不幸な少女を愛でるというコンセプトが受けたのか爆発的なヒット(14万本以上)となった。現在でも不定期にバージョンアップが行われている。
また、サンドイッチを食うと死ぬバグ(修正済み)、イングランド(淫乱度)が際限なく上がってしまう仕様(現在は緩和策あり)などネタにも事欠かない。
韓国では違法に配布された挙句違法な児童ポルノゲームとして当局に規制された。
プリンセスジーコ→プリンセスサクリファイス~供犠姫フィーナの冒険~、プリンセスティアーズ
先頭に「プリンセス」がつくため同じ隠語となってしまっているがそれぞれ別のゲームである。
前者はタイトルから「球技姫FIFAの冒険」とも呼ばれる。供犠姫となってしまったフィーナ選手が絶頂しつつ闇王に支配された世界を救うゲーム。
戦闘中に犯されることがあるため選んだ職業によっては絶頂(1ターン休み)→体力回復→犯される→絶頂→体力回復という無限ループめいた状態が発生することがあるため少し心配になる。
後者はフリーゲームだが、そのリビドーの充満した内容から前述したとおりジーコ扱いされることも少なくない。
主人公のエルシー選手は賞金を稼ぐために闘技場に参加しているのだが、シュートシーンで「イヤーッ!ダメーッ!」を連呼するためニンジャである可能性があり専らエルシー=サンと呼ばれる。
そのほか隠語
追記
外に持ち出せば怒られてしまうことは承知していますが、いい加減どこかに残しておかないといよいよ経緯や隠語がわからなくなるものがあったので(特にジーコとアルシンドの本名)増田に書きました。
http://www.music-an.com/entry/composition/major
http://www.music-an.com/entry/composition/diatonic-chord
http://www.music-an.com/entry/chord-progression
上のような記事がブクマを集めていて喜ばしい一方で、少し心配になることもあったので書いときます。
こういった音楽理論の手ほどきは、小説で言えば「字の書き方や原稿用紙の使い方」、絵で言えば「画材の使い方や絵の具の特性」を教えているだけで、これを読んだだけで即座に楽曲をクリエイトできるようになるかというと、そうではない、と私は思っています。
したがって、もしこれ「だけ」を読んで曲を作れなかったとしても、あなたに才能がないとかあなたが作曲に向いてないということには必ずしもならないので安心してください。
辞書にはたくさんの言葉が載っていますが、それを全部丸暗記したとしても小説は書けません。本をたくさん読んで、いろいろな言葉の実践的な使い方と効果を知り、生きたものとして操れるようにならないと文学表現とは言えません。
絵だって、どんなに豪華な画材を揃えても、どんなに高機能なソフトを買っても、気が遠くなるほどのデッサンや模写や習作を通じて表現技術を自家薬籠中のものとしないと「うまい」と言われる絵はきっと描けないと思います。
作曲にもこの読書、デッサン、模写に相当する実践的な訓練プロセスが不可欠だと私は思っています。
もちろんそれなしでも作曲はできるでしょうが、1曲作るのにやたら時間がかかるわりにちっとも説得力のない、どこか不自然な素人っぽいものしかできないと思います。それでハッとするようなものができちゃうのはきっと一部の天才だけで、ふつうは語彙の足りない子供が書いた文章のように幼稚で深みのないものになってしまうでしょう。
具体的には「耳コピ」です。100冊の理論書を読むよりも1曲の全パートを耳で完コピするほうがずっと力になります。
もちろん、音楽理論の知識があるとないとでは耳コピの効率が段違いなので、できれば上の連載は頭に入れておいたほうがよいでしょう。上の連載がどのくらいまで続くかわかりませんが、たぶん四和音はやると思いますし、調と四和音までわかっていれば世の中の軽音楽の大半はおおむねコード進行を把握できます。
ただしジャズはいろいろ複雑なのでいきなり耳コピに挑戦しちゃだめです。「JPOPだけどジャズっぽくてステキなやつ」もだめです。ふつう「ジャズっぽくてステキな要素=複雑なコード進行」だからです。コードを複雑化させずにジャズっぽさを醸し出すことはできません。ここでは一般的なJPOPやアニソンを想定しています。
さて、コード進行を学ぶとっかかりとして、まずは好きなアーチストのアルバムまるまるひとつの「ベースラインだけ」を耳コピしてみましょう。ベースラインは基本的にはコード進行のルート(根音)の移り変わりをそのままなぞっています。コード名の頭の字のところだけ(Cm7であればCつまりド)を弾いているのです。「コードの動き方」をおぼえるには最適ですし、ベースという役割の楽しさも感じることができます。
中には忙しいベースラインもあると思いますが、そういうのはカッチリとコピーする必要はありません。こまごまとフレージングされているベースでも、ひとつのコードの「中」で動いている場合と、コード進行に「合わせて」動いている場合があります。前者の場合、たいていは小節の頭で弾いている音がルート音なので最低そこだけとれていればよいです。
何曲も何曲もベースラインを拾っていると、ベースラインの動きって意外と単純で、しかもおぼろげながら法則性のようなものがあることに気づくでしょう。もともと鍵盤などの素養がある人なら、そのうち「次はこう来るかな」とベースラインの先読みすらできるようになっていき、やがてふだん好きでよく聴いているような曲ならぶっつけでいきなりベースパートを弾けるかもしれません(ベーシスト諸氏、わかるよね笑)。
鼻歌まじりにベースラインをコピーできるようになったら、そこでコードに挑戦です。一般的な軽音楽の曲で使われているコードは、大部分がトライアド(三和音)か四和音です。上の記事で概要をつかんでおいてください。上の記事に出てこないような凝った和音は曲中に出てきてもせいぜい1、2箇所です。乱暴ですが、ベースがCを弾いていたら、「C」「Cm」「C7」「CM7」「Cm7」のどれかがまず当てはまります。曲に合わせて当てずっぽうで和音を弾いてみて違和感がないのが当たりです。
調(キー)を理解していると、当てずっぽうの精度が飛躍的に向上します。曲の調とルート(ベース)が決まると、和音はなかば自動的に決定されるからです。キーがCメジャーの曲でベースがAを弾いてたら、コードはふつうAmです。なぜなら、A(メジャーコード)の構成音であるC#はCメジャーというキーの曲には出てこないからです(たまに使うけど)。あとは7th(ソ)を足してみてしっくりきたらAm7だよね、というふうにコード名を絞り込んでいきます。話が難しくなってきたかな?
コードもベースのときと同じで、数をこなしているうちに法則やお約束、パターンが見えてくるでしょう。定石とでも申しますか。そうなればしめたものです。このとき、上の三番目の記事で説明しているⅠ、Ⅳ、Ⅴなどを意識しながらコピーしていると「違う調でも同じ動き」が見つけられるので、パターンに気づきやすくなります。たとえばキーがCの時のAm→Dm→G7→Cと、キーがFの時のDm→Gm→C7→Fは同じコード進行なのです。大丈夫ですか? ついてきてますか? まあこのへんは上の連載が説明してくれる/くれているでしょう。
こうやって、様々なタイプのたくさんの曲をコピーすればするほど、あなたの「コード進行の引き出し」は増えていき、もっとも適切なタイミングでもっとも効果的なコード進行をメロディに与えられるようになります。
どのくらいの経験を積めば満足にそれができるようになるかは、あなたが目指している音楽のタイプにもよりますし、あなたが今までに積んできた音楽の経験にもよります。エレクトーン習ってた人なんかはアッという間だろうし、クラシック畑の人はちょっと苦労するだろうし、「未経験。今カシオトーン買ってきた」みたいな人は地道に取り組んでください。
あ、上に書いたようなことができるようになるまで作曲するなと言っているわけではありません。球技でも、グラウンドに出てボールを使ってする練習だけじゃなくて、走り込みや筋トレもやるでしょ? そのノリで。
全人口に対するネットユーザーの比率はビックリするほど増えた割に
ネットでメジャーになる思想の極端さもまたビックリするほど顕著である
はたまた時代による考え方の移り変わりなのか
自分の回りには自分とともに年を重ねた人間しかいないので今ひとつ分からない
中庸とはかけ離れたある種の怨讐じみた極論が支持を得がちである
個人的に特に分からないのが、運動音痴な連中による体育への怨嗟である
単に体育嫌いが分からないという話では、もちろんない
体育会系の「ノリ」も大嫌いで、徹底してそういう連中とは距離を取って来た
分からないのは、これらの怨嗟がことに目の敵にする「ポイント」の微妙なズレである
ネットの「声」曰く、ドッジボールは「暴力的」で「特定の個人を集団でいたぶる」ことができ、「いじめに繋がる」そうなのだが
寡聞にしてドッジボールがそんな風に受け止められているところをこれらの人々の書き込み以外で見たことがない
ドッジボールは標準的なルールに則れば「顔面セーフ」「一回当たったら外野」「敵は全員平等に倒さないと勝てない」はずなのだが
一体どういう風なローカルルールを作り上げれば「いじめられっこが集中的に狙われる」事態などが起こりうるのだろうか?
ドッジボールと「称して」ボールをぶつける暴力行為の存在は容易に想像出来る
しかしそんな事を言い出したら「野球と称して」棒切れで叩くいじめもあれば
「サッカーと称して」集団で足蹴にするいじめもあることも普通は知っているはずだ
なぜドッジボール「だけ」にこの何か特殊な怨讐は狙いを定めてしまったのか?
ドッジボールに対しては、自分の知る限りでは他の球技に比べより平等な楽しみ方ができる中庸なものという捉え方が多く見られる
「逃げ回ってれば良い/人に隠れてれば良い」から運動音痴でも楽しめたという声は数知れず
とあるノスタルジー系の漫画でも「女子と男子が交じって遊べる」球技として言及されていたし、
「アメリカではドッジボールは実際禁止のところもー」なんて怨嗟連は言うのだが、明らかにオタク系のアメリカ人も
HxHのドッジボール編の感想で「ドッジボール好きなんだよねー」と漏らす始末
もちろんドッジボールにいやな思い出がある人間の存在を否定するものではないが
どう考えてもそういう経験、考え方の方が特殊事例であるように見えることは否めず
どうしてここまで「ひた隠しにされていた真実」といった感じの風を吹かせているのかただただ理解に苦しむ
ことがたかがドッジボールだから大げさに聞こえるかも知れないが、非現実性で言えば「ムー」ともタメを張っている
何のこととは言わないが「ネットの声」というものはおおむね他の事例もこのような極端さを持っている
一、極端な思想は極端な声の大きさを持つ
いわゆる反知性主義という奴か、ドッジボールのような「味方も多い」ものこそ噛み付きたいのかも知れない
コンビニなどで商品への要望を客に聞くと、必ず健康的な商品などが上げられるのだが、実際出しても売れないのだそうだ
自分はこれを「アンケートに答えるような奴は賢しらにアドバイスがしたいだけで本当の要望なんて本人にも分かってない」からだと思っている
有り体に言うと「言ってみただけ」
とにかく何か槍玉に挙げてみたかったからマイナーな攻めどころを探しただけなのだ
青鬼、と呼ばれた男がいた。
奴さんは我が私立中学の最古参の体育教師で、それはほぼ公式と化した渾名であった。渾名がついていることから察せられる通り名物男であり、一説には自衛隊教官であったとも刑事であったとも、オリンピアンであったともいわれていた。(母校にはなぜかもう一人オリンピアンがおり、そっちは物理教師で種目は射撃。流体と落下に縁があったのであろう)
体育教師のわりにえらくチビ-中学生とほぼ同等の上背である-で、顔色は渾名の通り常に悪かったが、ふるまいは明るいおっさんという体でご陽気なものだ。授業自体もそう他と変わらない。シーズンごとに球技と陸上、格技を学期ごと2種目ぐらい最終的には競技になる程度に教え込むのである。なお、1学期を通してずっとラジオ体操をやるなどというカリキュラムもあった。あれはあれで細部にこだわると奥が深いものである。
青鬼には妙な信念があり、軟派な校風の中、真面目であることに非常なる重点を置いていた。その発露の一例が、とにかく早く着替えて予鈴前に集合した生徒は、10点満点の評定の内一回に付き1/3点を加算するという、大変太っ腹なシステムである(ただし2点のキャップがある)。陰湿になりがちな体育教師にあって、逆の場合の減点をしないのが青鬼の陽性な気質のもう一面の発露だ。今にして思えば、私を含めた運動音痴連の為の、まあ救済だったんだろう。なにせ中学なのに赤点で即落第というそこだけはシビアな私学の事情もある。
ある学期のことである。その時の球技はバレーで、3種類のサーブの打ち方とレシーブ・トス・アタックを一通り練習したらもう試合だ。だが、こちらは前述の加点で辛うじて体育落第を防ぐ程度の生徒である。サーブすら敵陣に入らない有様だ。それを見ていた青鬼が私を呼びつける。
「増田よ、お前のフォームは悪い。だが、ボールは少なくとも飛んではいる。だから軸足のつま先を、きちんと飛ばしたい方向に向けろ。そのうえでネットを超えるような高さで打てば、必ずサーブは入るようになる」という。
まさかそんな単純な事でと思ったが、言われたとおりにすれば、成程ボールはある程度ちゃんと敵陣のライン内に飛んでゆく。理屈はわからないが、これはさすがに感心した。ひょっと青鬼が伝えたかったのは、その先にある例えば体幹の使い方などの深いモノであったのかもしれない。だが、あいにくの運動音痴である。そこまで会得できるわけがない。
しかし、お陰様で傍から見ると異様なフォームだが、その後も幾度か機会のあったバレーボールで、少なくともサーブだけは何とか入れることができた。余りの奇天烈なフォームに幻惑されるあまり凡球だが受けにくいと、過分の評まであった程である。あの歳で身に着けたことだ、多分いまだに入れることができるはずだ。
なぜこんなことをいまだに憶えているのかといえば、その後の(前の連中もそうだが)体育教師の一人としてこのレベルの具体的な指導というものがなかったからだ。連中は自分ができるあまりか、何か根本的な他の原因によるものか、できないものに対する改善策というものを全く示すことができなかったのである。そりゃルールや所作を教えるのも重要だ。だが学生生徒に何らかの前進をもたらしたのは一人青鬼だけであった。
たまたまそういう巡り合わせだったのか、それとも青鬼だけが特に秀でていたのかは謎だ。だが、体育教師と指導の問題が話題になるにつけ、私は青鬼と、己の奇妙なフォームのサーブと、それを身に着けた古い体育館を思い出すのである。
小さい頃から、どこか周りから浮いている、人をイラつかせてしまう子供だった。
大人たちに、「変わっている」とか「ちょっとおかしい」と言われてきた。
人と話すのも、頓珍漢だったり幼かったり、独りよがりな受け答えをしていたようだった。
なぜだかわからないけれど、バカにされていじめられることが多かった。
今になって思うと、あの子と遊んじゃいけませんと言われるタイプだったと思う。
学校に行くようになっても変わらなかった。
同級生たちからはからかわれ、先生には妙に嫌われたり目をつけられて、スケープゴートのように大勢の前で説教されることが多かった。
たまにこんな自分でも一緒にいてくれて、バカにするのではなく面白がってくれる人たちがいて、そういう奇特な人たちと仲よくなったけど、環境が変わると、その人たちとの距離感がわからなくなり、疎遠になる、ということを繰り返していた。
体育は大の苦手で、球技は特にダメだった。ドッジボールで最後まで残り、恐怖で逃げ惑う姿を笑われながらボールを投げつけられた。
でも数学や物理は、概念が全然わからなくて雲をつかむようだった。
だから、苦手な数学や物理は、たくさんたくさん問題を解いて、解法をたくさん記憶して、なんとか受験を乗り切った。
大学でも人とは仲よくなれなかった。大学受験で燃え尽きてしまったのもあり、人と仲よくするパワーも残っていなくて、家賃と生活費のためになんとかバイトして、あとは引きこもっていた。
就活はもちろんうまく行かなかった。一次面接でどの会社でも落とされた。面接では大人たちが自分の顔や受け答えを見て、渋い顔をしたり、首をひねったりしていた。
そろそろ、社会から必要とされないダメな存在だということに気づき始めていた。
自分の何がダメだかわからないけれど、自分は何かが他の人たちと違う。自分の判断はいつも間違っている。自分は宇宙人のようだった。
けれど、本当にラッキーなことに、一社だけ縁があった会社があって、宇宙人である自分は、なんとかそこに職を得ることができた。
その会社の中で、優しい人たちに見守られながら、それでも必死に、「普通の人らしい振る舞い」「常識」を身につけた。
あからさまに自分をからかったりいじめる人はいなくなった。眉をひそめられることも減った。
自分はおかしいんだな、と最も実感する時は、会話の中で妙な空気になった時だ。
自分は、会話で何を話したらいいかわからず、例文を読み上げるように会話をする。
自分の心に浮かんだことは基本的には話さない。膨大な例文集の中から、今自分がいるシチュエーションに合っていそうな会話文を持ってくるのだ。
どうやらそれを間違えたらしい、と気づいた時、いつも絶望する。
また失敗した。
こんな、言葉も習慣もわからないままの宇宙人の状態で、周りに合わせて生きていくことをまだまだ続けなければならないのか。
でも、型にはまるふりをしなければ終わりだ。
変わった、頭のおかしいやつ、として、また、いじめられるのかもしれない。
一人では生きられない。
宇宙人でも、一人では生きられない。
生まれて初めてラグビー観戦に行ったら、全然楽しくなかったのでもう二度と行かないだろうと思った話。
http://naoya160.blog.jp/archives/1060803764.html
上記ブログ主と全然違う場所と対戦カードで観たら、凄く楽しかったので、
「ラグビー観戦は楽しいよ(ただし条件が揃えば)」というレポを。
自分が観たのは、ジャパンラグビートップリーグ 第4節 於:秩父宮ラグビー場 サントリー×パナソニック。
試合は、今期に4連覇をかけるパナソニックを、捲土重来を期すサントリーが圧倒、
トライラッシュで45―15と、サントリーがパナソニックを降した。
ポイント1:観戦料が安い
秩父宮の観戦料金はS席4,000円〜自由席1,800円まで(ペアなら一人1,500円)。
しかし、席の値段がそのまま見やすさや楽しさに反映しているかというと、秩父宮においてはそうでもなく、
試合が一番動くハーフウェーラインの比較的近くも1,800で観られる。
むしろ、スタンドの高さがフィールドに近いので、展開によってはプレーを間近に観られるくらいだ。
さらに、この入場料金は「1日」なので、1日2試合行われるとそのまま観る事が出来る。
映画1本の料金で2試合観られるのはなかなかコスパが高いと言えるのではないだろうか。
バックススタンド側は、双方の応援団が陣取る事が多く、これがなかなか楽しい。
自分が観戦した試合の前には、実は 豊田自動織機×NEC というシブい試合も行われており、
しかし、自動織機はNECのディフェンスの前にわりとなす術無しといった感じで、
隣りの、会社から動員されたと観られる織機の帽子を被ったおっさん応援団が愚痴るわ愚痴るわ。
一転、お目当ての サントリー×パナソニック は、人気チーム同士と言ったこともあり、
また、サントリーは多分、動員された社員以外に、純粋なファンが相当数いて、「優勝狙おうってチームは違うな」などと感じたり。
良いプレーには大盛り上がり、トライが決まれば、サントリーサンゴリアスタオルをバナーのように掲げるファン、おい見えねーよ、そして大漁旗が踊る。
それが「プレーのスピード感」だ。
ラグビーは「ボールを持った選手が抱えて走る事が出来る」数少ない球技だ。
複雑なコントロールをしてない分、ボール周りのトップスピードは他のスポーツと比較にならないくらい速い。
グラウンドで観ると、このスプリントの凄まじい速さを実感できる。
現地で観ると「はやいはやいはやい」と口から工夫のない感想が飛び出してくるほどだ。
ギュウギュウ押さえつけられた肉体が、一瞬のほころびから爆発的なスピードを開放する。
(まあしかし、ここら辺は自分が観たサントリー、パナソニックの双方とも鋭いスプリントで一気にインゴールを陥れるチームなので、観た試合が恵まれたのかもしれない)
ブログ主には同情する。
秩父宮なら、スタンドの外には売店や屋台が出ているので、ポテトやドリンクを買って、
だらだら食いながら観る事が出来る。
ポイント5:時々、現地でしか分からない変な盛り上がりポイントがある(秩父宮限定)
ラグビーには、サッカー等と違い、微妙な判定の際にビデオ判定を利用できる。
このTMO、月寒のようなビジョンのない競技場では退屈な時間だが、
秩父宮では現地で観る事が出来る。
このとき、テレビでは分からないが、現地では盛り上がっている。
なぜか。
TMOの提供が、ベッドの世界的メーカー、マニフレックスであるからだ。
TMOが起こるたびに、ラガーマンがボールを抱えてマニフレックスのマットレスにダイブする提供タイトルが流れる。
これが繰り返されると癖になってくる。
秩父宮では「ベッドキター!」と変な盛り上がりを見せていて、こういうのはスタンドに行かないと分からないものだ。
テレビ越しでは分かり辛いが、現地にいくと、選手の肉体の圧が半端ない。
あのフィールドにいる選手はだいたい180以上の大男で、腕なんか、自分の太ももくらいある。
試合後に、スタンド前に一列にならんで挨拶に来る選手を観れば、
まあつーわけで、観戦する場所が秩父宮であるならば、ラグビー観戦はかなり楽しいものであると感じた。
観客席もまあまあピースな感じで、そんなに感じ悪くもない。
都内近郊であるなら、是非一度、秩父宮に足を運んでみてはいかがだろう。
やっぱ一番客を呼びやすい秩父宮に常時1万人以上入っていたら、もっと全体も盛り上がるし、
観戦も楽しいと思うんだよなー。