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2021-03-26

anond:20210326172218

会社ってより社長ヤバい巣に紛れ込んでしまった感じ。

狐に化かされたって恨む対象がいない良い概念だと思ったりした。

忘れられなくても、そこで起こったことは現実じゃないし、もう起こらないかまれ体験であると思いたい。年をとって、昔はこんなこともあったんじゃよ、って話にしたい。現代ではまだたまにあるけれど。

人間として認識しなければ恨む対象にはならない。時代狭間たまたま生きていただけの、妖怪かなんか。変なものに会っちゃったねえ、書き捨てて厄払いになったらいいね

2021-03-19

彼氏の圧が強い

彼氏の影響でダーツを始めた。

ほぼダーツなんて投げたことはなく、はるか昔に会社飲み会二次会で1ゲームほどしたのが最後記憶だ。

共通友達ダーツが好きだということもあり、私1人だけド下手なのがなんとも悔しく、早々にマイダーツを購入した。

ほぼ共通点がない彼氏と共有できる趣味ができたということもあったが、何よりも自分自身負けず嫌いな傾向があることが大きかった。

週末ダーツバーで投げていたが、マイダーツを買ったところでダーツ歴1ヶ月にも満たない上に相当な運動音痴で投擲スポーツ全般おそろしくセンスのない私はド下手のままだった。

DARTSLIVEレーティングは驚きの1。

これは誰に言っても「どうやったらそんなレーティング出るの」と聞かれるが、出るもんは出るんだからしゃーなし。

そもそも的に当たらないのだ。たった2.5m程度の距離ですら狙えないなんて、ある種の人間には想像もつかないだろう。

とはいえやはりボコボコにされるのは悔しい。

まぐれのブルは全く嬉しくない。

なので、ダーツボードを購入した。

ダーツ歴1ヶ月で自宅にダーツボード買うなんて我ながらアホだと思うが、週に1回のダーツでは歴6年の彼氏や、少なくとも2-3年はやってる友人らに並べるのは遠い未来のことになるだろう。

ダーツボードを購入し、投げ方を改めたところ、レーティングはなんとか3まであがった。

01は狙ってスタッツ60台も出せるようになったがいかんせんクリケがクソすぎて、やはり自分はド下手だなと感じる。

そんな折、彼氏から「1日50ブル入れてみなよ」とアドバイスを受けた。

ほほう、それはいいかもと思ったが、これがなかなかどうして難しい。

どうやら本番に強いタイプらしく、家だと店ほどの結果は出せない。投げ方を試行錯誤している最中ということもあり、50ブル入れるのに3時間以上かかることもある。

当然社会人として働いているのでそんな暇などない日もある。

が、ここの所毎日夜になると彼氏から「50ブル入れた?」と連絡が来るようになった。

最近仕事が忙しく、ヘトヘトに疲れて投げる気すら起こらない日もあるが、それでも進捗確認が来る。

こうなると少し嫌になってくるのが人間の性だと思う。

今日も客先と揉めて精神をすり減らし、自宅に戻ってから悶々と考えて、風呂で頭をリフレッシュさせたところに「50ブル入れた?」とメッセージが。

辟易した。そりゃ負ければとても悔しいが、なにも明日にでもみんなに追いつきたい訳では無い。

しろ驚きのレーティング1を数週間で3まであげたこと、なんならスタッツ20-30だったのを45-65まであげたことを褒めて欲しいぐらいだ。

少し言い訳をするなら、仕事タイピングすることが多いので腱鞘炎狭間にいるというのに、腕ぐらい休ませてくれとすら思い始めている。

更に最近要求があがり、クリケの練習として各点数の箇所に10回ずつ入れる練習もしなよと言われた。

私の目指すところは、ダーツバーで友人らにボコボコにされないレベルであって、多種ある趣味の一環なのだ

50ブル云々のメッセージ無視している。

お前、負けず嫌いだって言ったじゃんと突っ込まれそうだが、毎日圧掛けられるのは嫌だ。

2021-03-07

いくつか参考になりそうな文献があったので貼っておく

多くの人が運転中に感情ストレスを覚えるらしいので「運転という環境下では誰しもストレスがかかり、感情的になりやすい」と考えたほうがいい

しかあなた父親には問題があるが、それは運転という状況下によるもので、本人の人格はあえて切り離して対処法を考えたほうがいいか

日本アンガーマネジメント協会安藤俊介代表理事は、イライラした場合でも、6秒、間を置くことで多くの人は冷静になることができるので、その間に言葉に出して気持ちを落ち着かせるのが望ましいと言います

その際に有効なのが、イライラする場合を想定して、自分自身にかける言葉をあらかじめ用意しておくことで、「大丈夫」とか「たいしたことない」といった、前向きな言葉を言い聞かせることが大切だといいます。また、温度計イメージして、自分がどれくらい怒っているのかを客観的に考えることで、怒りを行動に移すのを避けることができると指摘します。

運転中になぜキレやすい? | NHK生活情報ブログ:NHK

https://www.nhk.or.jp/seikatsu-blog/283055.html


職業ドライバーアンケートを取って聞いた対処法の具体例がいくつか載っている

ドライバー感情特性運転行動への影響 - 国際交通安全学会

https://www.iatss.or.jp/common/pdf/research/h076.pdf

対処法としては

運転前に、身体状態をチェックする。

運転前に軽い体操をし、身体をほぐす習慣をつける。

変だなと感じたら、運転を控える。

無理のない計画を立て、適切な休憩を取る。

正しい運転姿勢を習慣づける。

などがあります

一般高齢者の皆さんは、

安全を守ろうとする強い気持ち

自分コントロールできる

豊富経験

高い遵法意識

などの長所をお持ちです。それらの長所いかすとともに、自分自身の心身機能状態自覚し、安全運転を心がけましょう。

安全運転講座/高齢者身体心理的特性

http://www.anzen-unten.com/home/a2/b3/drive023.html

原因の一つは、車という場所プライベート空間公共の場狭間位置するからです。「車に乗っていると、どこか匿名になったように感じるのです」と語るのは、ヴィラノーヴァ大学社会心理学であるErica Slotter氏。「匿名感覚により責任を負わなくてはならないという感覚希薄になってしまうため、時に普段は取らないような行動を取ってしまうのです。」

自制心には限界があり、運転という行為自分を律する能力負担がかかりますフロリダ州立大学の心理学者、Roy Baumeister氏は自制心をガソリンに例えました。それを使って衝動感情コントロールしますが、いつかは使い切って空になってしまうということです。

そして自制心が空になると私たちは「判断疲れ」を起こし、自分抑制する能力が低下します。判断疲れが起きると、乱暴な行動を起こそうとする衝動を抑えにくくなるのです。

心理学者Mark Muraven氏は、自制心が疲弊した人でも、その行いが他人の為になると伝えられると、自制が必要作業をうまく行えるということを発見しました。ということは、「落ち着いて親切な運転を行えば同乗者や他の車を危険に晒さなくて済む」と運転中に言い聞かせることで自制心を強くすることができるというわけです。

運転中に乱暴になってしまうのは何故なのか?

https://www.gizmodo.jp/2016/01/aggressive_driver.html

anond:20210306160755

2021-03-04

自分の異常性が浮き彫りになるからTwitterがつらい

誰もこんなに感情ジェットコースターみたいになってないし、承認創作欲の狭間で溺れて苦しんでない。みんな楽なんだという苦しみがTwitterには溢れてて無理だ。

無理だろ。

なんで普通のことができないんだいつも。

2021-02-24

anond:20210223235037

まるで自分ことみたいで、かつタイムリーだったので反応。

自分語りする相手もいないし、ちょっと聞いてよ。

特定いから具体的なこと書けなくてごめんね。

 

ついさっき、PMごっこみたいな現職に退職届を出してきた。

新卒入社して5年。情報工学の院卒。

発注検収いたちごっこみたいな仕事に嫌気が差して、入社して2年目からちびちびと転職活動をしていた。

  

入社して2年目は転職サイトとか転職エージェントとかを使って、もっと手を動かす仕事が良い!みたいな希望活動した。

何社か応募したけど、採用どころか面接にすら全然届かない。経験も実績もないから、仕様無いと今になっては思う。

でも数少ない面談した企業の方からは「小さくてもいいかWebサービスを作ってみるといい」とか「うちはRails使うことが多いから、Railsわかる人だと嬉しい」みたいな具体的なアドバイスはもらえた。

具体的にフィードバックを貰えると、勉強のやる気も出る。

ちなみにどことは言わないけど、転職エージェントは「年収が下がっていいならすぐに見つかります!」「正社員じゃなくて派遣から始めるのはどうでしょう!?」とか不穏な誘いが多くてすぐに使うのを辞めた。

  

3年目はもらったアドバイスに従って、仕事の合間に小さなWebサービスを作ることにした。(Railsは使わなかったけど)

流行りのフロントエンドフレームワークを使って、PaaSで公開。テストも書いて、CI/CDちゃんと整備した。

フレームワーク言語学習も含めると半年以上かかったけれど、納得のいくものが出来た。

  

4年目。業務転換があり、ベンダ要件狭間ストレス絶頂になった。

この環境から逃げたい、というひどく後ろ向きな理由転職活動を再開した。

幸い3年目の成果物がある。Twitter転職タグとかを使って成果物URLを貼り付けたりすると、5社くらい話を聞いてくれることになった。

いたことに、エンジニア業界では有名な会社とかも声をかけてくれたりして、ちょっと有頂天になったりした。

しかしながら結果は惨敗オンラインコーディング試験技術面接に歯が立たず、ほぼ全てがお祈りとなった。

ある企業面談では、「希望年収の半分くらいなら」と言われたこともあった。この日のことは、未だに忘れられない。

  

4年目の惨敗を受けて、5年目はしょぼくれていた。

面接で出来なかった問題こそAtCoderなりアルゴリズム本なりで勉強していたものの、「こんなに勉強しないといけないなら、もう現職でいいかな」という思いが大半を占めていた。

なんとなくはてブ技術エントリを読んだり、Qiitaとか面白そうなチュートリアルを手慰みにして時間を潰していた。

 

そしてそんな折に、知人経由で大手ITを受けてみないかと声をかけられた。

いやいや無茶でしょう、というような有名企業で、自信を喪失していた自分には恐れ多いとしか言いようがない。

とは言え、落ちるだろうから受けない、というのもあまりに後ろ向きな話。

なので、受けるだけ受けることにした。知人の顔を立てる、というくらいのモチベーションである

 

コロナ渦だったので面接リモート技術面接

内容の詳細は秘密保持関係から記載できないけど、3年目のサービス開発で学んだ知識と、惰性で技術エントリを読んでいた経験が活きた。

それなりに回答できて、手応えはあった(現職で得た知識とかももちろんあるけど)

結果は通過。そこからあれよあれよと面接ラッシュで、すったもんだありながらも最後内定

待遇も満点ではないけど十分な内容で、迷う余地がなかった。強いて言うなら、休みが減るのがちょっとネックかな。

 

元増田に言いたいのは、一回動くと何かが変わるよってこと。

私が結果としていい転職ができたのは2年目の活動の際に「Webサービスとか作ってみるといい」ってアドバイスをもらえたのがきっかけだし。

ベンチャー企業の人から声をかけてもらえたりするくらい頑張ってるなら、胸を借りるくらいの気持ちで話をしてきたらいいんじゃないかな。

人生の分かれ道は意外なところに落ちていたりするよ

  

ちなみに私が内定もらったところは、選考中は年齢(と性別)について一切聞かれなかった

から、急いで奮起する必要はないと思う。もうちょっと暖かくなったら考えてみたら?

30歳になる頃には

30歳になる頃には見た目も中身もそれなりに成熟しているものだと思った。

生活が安定しているとか老いることに対して何も不安がない訳ではなかったけど

30代は何もないものだと思っていた。想像すらできない世界のようにも感じていた。

それを何かしら変えてしまったのは予定に入れたこともなかった結婚出産人生を大きく変えた。

はいわゆる、社会不適合者であり精神科にも数年前から通っている。規則正しい生活をすることも

周りの人たちと同じように生活をするのが難しい事にも子供のころから気付いていた。

から結婚をする気がなかった。恋人がいるのは遊ぶ相手の延長線上なだけ。

一人でする食事も好きだし、誰かに連れて行ってもらう知らないお店を好きになったりするのもよかった。

きっとこういう風に適当に遊んで死んでいくと思っていたのに妊娠が分かった時に何故か、私の分身であって

私とは別個人お腹にいていつか自分の足で歩いていくのかと思ったら出産したくなった。

人生学校で習うよりずっと不公平が横行し、大人は偉い人ほど後手後手で平気で嘘をつく。

誰かを救う人より救われたいとしか考えない人の方が圧倒的に多い。こんな世界に新しい命を、と

考えると躊躇する気持ちも何度も沸いた。だけど母体保護法であったり色々な結果、臨月まで決意の狭間にいた。

妊娠出産もいろんな人が書いているのと同じように辛く不安な日々と壮絶な痛みだった。

だけど産まれたと安堵した時に溢れた涙も「大事に育てていこう」という気持ち自然と抱いたもの

それは今も一貫して変わらない。今も子供が笑いかけてくれると何故か嬉しい。喜んでいると私も嬉しい。

だけど私は今、とても離婚がしたい。

それは私の問題であって夫に不満は多少あっても離婚に至るほどの事ではない。

私自身の問題で私が自分を許せないから夫を自由にしたい、解放したいという気持ちなのだ

親権は当然に夫に行くだろう。

実家のない私、家族や親戚と言ったものに縁がなかった私としては

当たり前にある正月の集まりや親戚という存在、従兄弟かい兄弟とは違う

年齢の近い他人との関わりを「普通に持ってる」あり触れた環境下で育って欲しいと思うから

それでも構わない。面会が無理なら写真だけでも定期的に、と自分勝手は暴走する。

夫には何度も離婚を願い出た。全て有耶無耶に終わった。

今はもう生きてるのも辛い。ただただ死にたい

でも育児ノイローゼだったとか言われるかもしれないと思ったら死ぬ死ねない。

自殺のコストという本がある。持ち家にしても賃貸にしてもそこで死ねば大きなお金が動く。

それは子供のためのお金から差し引かれるだろう。

どうして無慈悲事件事故ニュースに出るのに私は今日も何もなく生きているんだろう。

30歳になる頃、それはもう今年の春の頃。私は未だに自傷癖も抜けていない。

夫にアームカットがバレて怒られた時、刃物を全部隠されたり壊されてた。

その度に何度でも目を盗んで購入し切って気持ちの整理をつけている。

精神成熟は日々の努力の賜物だとしたら私は何処で間違ってしまったのだろう。

近所の顔見知りの店員さんに子供歩いてるところを声をかけられた。

「あれ?兄弟?」

「あ、私の子供ですよ」

「え?学生さんだと思ってた」

こんなことがあった。成熟は?

私が他者と決定的に違う部分で何処だろう。

いつ気付ける?やり直せる?

離婚はどうなる?一人になりたい。

2021-01-30

男も女も、本当に互いに「糞だな」って思った瞬間、相手を許せるよね

「女はクソ」だとか「男はクソ」って言う言葉、実際はそんな事思ってなくて

「女はクソじゃないといいな」「男はクソじゃないといいな」っていう理想現実狭間に出てくる怨嗟なんだよね

実際付き合ったり深く関わると、「あ、女ってクソなんだな」「あ、男ってクソなんだな」って理解して

「女はクソ」とか「男はクソ」とか、今までの文脈で使わなくなる

2021-01-25

ワクチンWindowsアップデートは似ている

急いでやらないと脆弱性を突かれて取り返しがつかないことになるかも知れない

焦ってやれば副作用に巻き込まれて取り返しがつかないことになるかも知れない

橋を渡りたいのは人柱が渡ってから

逃げきりたいから追いつかれる前に

その狭間で、それぞれのタイミングを測っている

ワクチンWindowsアップデートは似ている

安全を求める心は人柱の報告を待ちわびている

そして私達は知っている

このタイミングで変な民間療法流行ると取り返しがつかなくなることを

さあ、私達は今までどうやってアプデ前後のガセの蔓延と戦ってきた?

今一度思い出そう

私達の知ってる歴史の中に教訓がある

既に通った道の上にあるヒントまで見逃している余裕なんて今の私達にはない

2021-01-11

浜崎あゆみが好き

ただし1998年2000年に限る

最近浜崎あゆみと言えば、年下のダンサー熱愛報道が出たり、インスタにバリバリ加工した写真を載せたり、よくわかんないけどシングルマザーになったりとあまり良いイメージはないと思う。だがしかし、いやだからこそと言うべきか、最近のこの有り様(あえてハッキリと言うが、醜態晒している)すら、浜崎あゆみデビュー当時と比べればその輝かしさを引き立たせるための背景に過ぎない。

当時、彼女はまさに天才だった。彼女に学はなかったし、何なら多分頭も悪かったと思う。当時書いた彼女歌詞はいずれも誰にでもわかる平易な言葉だけで構成されていて、言っていることだって特に深いわけではない。ただ、そこには確かな感情があったし、人々はその感情に心を震わせていた。そういうものを求めている時代だったのだ。彼女はきっと90年代初頭にデビューしてもヒットしなかっただろうし、2000年代後半でもきっと遅すぎたと思う。20世紀21世紀という小さな時代狭間で、クラブで拾われた育ちの悪い女の子はその才能を狂ったように全て咲かせ、散っていったのだ。

花は枯れるからこそ美しい。失われたものけが持っている輝きを浜崎あゆみは持っている。

2021-01-10

オンラインデートするセックスってなんだよ

天才字書きを殺した

色々と歪んだ界隈にいた時の話。

そこは絵描きも字書きも皆入り交じっていて、アットホームな界隈だった。私はその中で生粋絵描きとして活動していて、字書きさんとも割と交流があり、楽しくやっていた。

ある日その界隈に隕石みたいにある字書きが舞い降りた。

名前適当にAとおく。Aは優しい人だった。明るくて面白くて、適度に頭がおかしい、いつも快活な人。そんなイメージ

そして何より、Aの書く小説は本当に面白かった。ストーリーもちろんのこと、幼さを感じさせないし、独特の比喩から台詞使いまで唯一無二だった。感情の取り上げ方、描き方がうますぎて、残す後味からから何まで、天才だった。

二次創作の字書きなんてたかが知れてる、なんて思う人もいるのかもしれないけど、そういう人は一度でもAの小説を読んで欲しい。本当にすごいから。

Aの小説には主に三種類くらいあって、

①痛快なハッピーエンド、ドエロ小説

②多大な苦しみと切なさを残すバッドエンド

③胸糞しか残らないバッドエンド、グロ小説

に大体分類された。

Aの小説の9割くらいは②か③で、ハッピーエンド作品は限りなくゼロに近かった。①も去ることながら素晴らしいんだけど、Aのファンほとんどは②か③目当てにしてたんだと思う。

ただでさえ二次創作小説でバッドエンドなんて少ないのに、Aの小説クオリティはとてつもないから、皆独特なAの小説を好きだった。

普段はバッドエンドが苦手な人でも、Aの小説だけは読む、って人も多かった。Aのはバドエンが濃厚すぎるけど、あまりに良すぎてバドエンがバドエンで片付けられなくなるみたいな。Aの小説バドエンとかハピエンとかそういう垣根を超えた先で輝いてた。語彙力がなくて申し訳ないけど、とにかくすげえんだAの小説は。

Aが小説をあげる度にTLは湧いた。TLが全てAへの感想リプで埋まるのをよく見ていたし、Aの小説ファンアートをつける絵描きもいた。そういう私もよくAの小説セリフに絵をつけたり、なんてことをしていたんだけど、その度Aはおかしいくらい喜んでくれた。1枚絵を描いただけなのに、毎度長文の感想をくれた。

それで隕石みたいに現れたAが、この界隈で名を馳せ始めた時、チラホラAに対して不穏なツイートをする字書きが見られるようになった。

「あの人は感想を貰っているのに私は〜」だとかそういうの。Aの名前を直にだす人はいなかったけど、まあAに向けているんだろうなと思った。Aへの悪口とかじゃなくて、Aの小説への称賛からくる自虐ネタみたいなもの

最初の頃は可愛いもんだった。Aの周りの字書きの言うことも理解出来たし。実際私も、Aの小説を読み終わってAの名前で溢れるTLをみていると、他の字書きはたまったもんじゃないだろうなと思っていた。

私は色んな字書きの愚痴垢でも繋がっていたりしていた。その愚痴垢の中で呟かれるいわゆるAへの妬み僻みをみていると、たまに病的だなあと思う時もあった。Aの小説が上がったタイミングで「うわまた書いてる」みたいなツイートを見ると、流石に気分が悪かった。

履き違えて欲しくないんだけど、Aの小説へのアンチは一人もいなかった。Aの小説を苦手な人はいても、Aの小説を嫌いな人は多分居なかった。素晴らしすぎるから

表垢ではAの小説を絶賛し、愚痴垢ではAの小説への嫉妬をぶちまける。そういう字書きを4人ほどみた。

その中でも一人はエグいのがいた。ほとんど病気のようにAへの嫉妬を露わにしていた。その人はAの小説が大好きだっただけに、苦しそうだった。その人はAのバドエン小説のせいで、バドエン字書きに変わった人だったんだけど、何よりこの界隈でバドエン字書きとして大成するにはAが圧倒的すぎた。失礼ながら、Aの小説の前で嫉妬とAの小説が好きな気持ち狭間で苦しむ彼女勝手に同情していた。これも失礼だけど、絵描きで良かったと少し思った。

Aの小説はこの界隈の字書きたちの間の関係を歪にした。

Aの栄光は凄くて、小説を書きあげる度に出来はどんどん凄くなっていた。Aへのいいねが飛び交い、Aへの感想も溢れる。

Aは感想を貰う度に丁寧にコメントを返していた。「感想ありがとう」「嬉しい」「幸せだ」。そういう幸せそうなAをみていると、こんなに柔らかな人があん地獄みたいな小説を書きあげているのだと思って、不思議な気分になった。そしてこんなに優しい人が周りの字書きを多大に苦しめているんだなあと思った。

そんな中、Aのマシュマロに一通のマシュマロが届いた。いわゆる焼きマシュマロ。「お前の小説が嫌いだ」「素人のくせにイキっている」「つまらない」そういう感じの言葉レシートマシュマロの中に並んでいた。

Aは分かりやすく傷ついていた。Aはそれらの言葉に歯向かうようなことをせず、ただ「不快にさせて申し訳ない」「自分でもこのような小説不謹慎でないかと感じていた」のようにツラツラと謝罪文を並べていた。

でも私は直感した。この焼きマシュマロアンチからではなく、Aの熱烈なファンからだということを。Aに対するその文句は、Aの小説を全て読んでいないと書けないものばかりだった。過去のAのセリフ表現を指摘したり、その後でそれを痛烈に批判したりとかしていたから。

私の頭には、Aの小説へ手酷く嫉妬していた字書きのアイコンが浮かんだ。良くも悪くも閉鎖空間じみた界隈だったから。絶対あの中の誰かだろうと思ったけれど、そのメンバーが一人残らず「あんなの気にしないで」「そんなマシュマロ届いたAが可哀想」と励ましていたので、何も言わなかった。

それ以降、筆の早いAの小説更新ピタと止まって、ネタツイとかも明らかに減った。はしゃいでいたAが静かになった。あのマシュマロ主に気を使って、ではなく、Aはただショックで何も書けないんだろうなあと思った。

けど1ヶ月後くらいにAが小説を出した。TLは「久しぶりのAの小説だ」みたいなウキウキ文言で埋まっていた。そのAの小説は当たり前素晴らしくて、私も感想空リプした。Aが得意とする胸糞悪い小説だった。

するとまたAのマシュマロアンチ(に扮したファン)が来た。「なんだあの小説は」「前のマシュマロを参考にしていないのか」とかうんぬんかんぬん。私はとんだ言いがかりだと思っていたけど、Aは今までと比にならないくらい消沈していて、また謝罪会見を開いていた。

傷ついたAが全ての小説を削除しようとしていたから、他の相互がみんな慌てて止めていた。私も「あんマシュマロ気にしないで」と言ったけど、届いたかは分からない。

Aはそれらのマシュマロ嫉妬から来るものだとは、全く気づいていない様子だった。Aは相互に「元気づけてくれてありがとう」「でもあんなのを書く私が悪いんだ」みたいなツイートをしていた。Aはそれに対する擁護が欲しい訳じゃなく、本心から謝ってるんだとヒシヒシ思った。痛々しかった。

それからしばらくAは静かにしていたんだけど、2ヶ月後くらいにまた小説をあげた。そしたらまた焼きマシュマロがきて、Aは「私が面白小説を書けないから悪い。力量不足でした」のような返信をしていた。

そしたら追い焼きマシュマロが来た。「あんなに評価されておいて、力量不足の小説とは一体何なのか。いいねを押している人に失礼じゃないのか」みたいなマシュマロ。今までにきていた三通のマシュマロとは毛食が違った。というか悪口でもなく、単なる言いがかりだったし、なんなら嫉妬しかなかった。

けれどAはしばらくして、字書きを引退した。アッサリ「垢消しますねー」と言っていなくなった。あれらのマシュマロのせいだとは一言も書いていなかったけど、絶対あれが原因だと思う。元々はあんなに楽しそうにツイートをしていたAが、普通にいなくなるとは思っていなくて、TLはAの引退を悲しむと同時に困惑していた。

AのいなくなったTLは寂しかった。作品倉庫は残しておいてくれたけど、いつ無くなるか分からいから全部読み返した。胸糞悪い中にちゃんキャラへの愛が覗いていて、私たちはとんでもないことをしでかしたんじゃないかと思った。まさに惜しい人を亡くした、って感じだった。

嫉妬マロを止めることは出来なくてももうちょい何か声をかけていればよかった。そもそもマシュマロ募集することを止めさせていればよかった。

まあ今後悔しても遅いんだけど。

愚痴垢でAへの嫉妬をこぼしていた4人くらいの字書きの嫉妬ツイートは、Aの失踪を機にピタリと止んだ。しかしその4人の字書きから、Aの小説が読めなくなった寂しさにプラスして、清々しさが漂っているように思えた。偏見しかないけど、いつか垢で「せいせいした」のようなツイートがされるんじゃないかと思ってた。そういう歪な空気感が字書きの間には漂っていた。

私は字書きの嫉妬天才字書きを殺す瞬間を見てしまった。

いつかAがこの界隈に帰ってきたらいいなと思っているが、きっともうない気がする。隕石みたいにAは二度と降ってこないと思う。Aの新しい小説を読むことはもうないような気がする。Aがここでの苦い経験を、次の胸糞小説にでも繋げてくれたらいいなとだけ思っている。

Aの小説がまた読みたい。

2021-01-09

anond:20210108050250

原作厨っぽいけど、ちょこちょこ擁護はいってて原作厨になりきれない感じ

一番大きいのはホラー解釈違いっぽいな

洋画てきなのと邦画てきなの

初期バイオと後期バイオみたいな

世界現実(との狭間)でホラーの質を変えても良かったのでは?とは思った

(これはこれで原作とは解釈違いを起こすだろうけど)

あとはアニメ的なわかりやすさ優先かなぁで片付けられなくもない印象


カラーにすると裏世界のカラっとした清々しい雰囲気和製ホラー的な雰囲気マッチしにくいよね

後々のさら異世界ってシーンでは別の演出があるのかな?

個人的に一番の……は花守ゆみりが……なこと

前期のシグルドリーヴァといい一時期の小倉唯みたいな……

そしてプッシュされるほど(ry

花守ゆみり好きなんだよなぁ

2021-01-06

とは何だったのか。母とは何だったのか

知らない番号から着信があり、調べたら保険会社だったので、すわ母が死んだのかと色めきたって折り返したらば、間違い電話だった。なーんだ。母が死んだら、保険金がたくさん下りると聞いている。それをいま払っているのは祖母である。正直祖母が今生きているのかはわからないのだけど、亡くなっていたらいたで、おそらく母の彼氏他人の夫)が払っているだろうので、まあそんなことはどうでもいいのだけども。

そのあとネットニュースを見た。母親にいいところでの食事写真を送るとかなんだとかのほっこりニュースへぇーと感じた。発想が優しくてカワイイ。その人の母親もそれを喜ぶんだろう、発想が優しくてカワイイな。発想が優しくてカワイイ母が育てたからそんな子になったのか、子の発想が優しくてカワイイから母が喜ぶのか、どちらが先だろうか。

母が死んでもどうも思わない。保険金がもらえるらしいのでそれは嬉しい。母は家におらず、また父も家にはいなかった。見かねた祖父母私たちきょうだいを育てて、美味しいご飯がたくさん食べられるのが嬉しかったが過干渉が酷すぎた。放任と過干渉狭間で15歳で精神がブッ壊れ、以来10年ほど精神科に世話になった。閉鎖病棟入院もした。最終的に診断名の病ではないということで、看護師やワーカーが病院から逃がしてくれた。そのあとはすべてから逃げて東京に出た。よくある話だ。

数年前まで祖母とだけは連絡を取っていたので、保険金の話や弟が結婚したことなどを教えてもらっていた。相変わらず母は家を空け年に数回ふらりと戻ってくるらしい。買ってきた食事を食べ少し眠りまた消える。弟が父親に会いに行ったという話も。何をしに行ったのかは聞いていないから知らない。自己破産しなきゃいけないくらいふんだくってやればよかったのになどと考えた。

こういう考え方が仲良し家族で生きてきた人を傷つけほとんどの人間理解されないことはこれまでの人生ですっかりわかってしまっていて、人が這いずりながら生きてきた軌跡で傷つくなんて天上人様かよと思わないでもないけれど、私もたまによそ様のご家庭のお話で傷ついたりもするからトントンかなと思い、匿名場所しか話をすることはなくなった。

死んでたらよかったのにお母さん。

死んでたらよかったのに。

早く死んでくれ。お金をちょうだい。

誰にもわかってもらえなくていい、この気持ちは私だけのもので、誰にも渡さない。母への思い、祖父母への思い、家族への思い、これだけは私のものだ。誰のものでもなく、誰にも侵せない。ざまあみろ。早く死ね。早く死んでくれ。最期くらい、私を満足させてくれ。

2021-01-04

友人(女)がだんだんリベラリズムに染まってる

元がガチガチ村社会出身だったけど

進学で上京して、そのまま就職するうちにジワジワリベラルに染まっていっていて面白い

既存価値観と(友人にとって)新しい魅力的な価値観狭間で揺れ、葛藤している

2020-12-17

追記あり人生の先が見えない

深夜の勢いで書き散らかすので長文乱文に目を瞑って欲しい。

日記を書くのも初めてなので粗相があってもご容赦願いたい。

——

もう30代も後半。結婚適齢期はとうに過ぎた。

付き合うと長続きするタイプだったので10代の後半から20代のうちは常に恋人がいる状態だった。

でも付き合う人付き合う人、みな暴君と化した。原因は多分私。

所謂機能不全家庭で育った。父親からの日々の暴力母親は見て見ぬふりしつつ父親への愚痴とも悪口もつかない黒い感情を私に注ぎ続けた。

母は父の従順な所有物だったので後から降って湧いた私には幼少期から家庭に居場所がなかった。

何故生まれてきてしまったのか、小学校低学年の頃から漠然死にたいと思いながら育った為、自己肯定感バイタリティも皆無な人間に育った。メンタルを病んだ時期もある。多分今でもどこかおかしいんだと思う。

それが影響しているのかは分からないが他人に興味が持てない。他人様のことを知ってもどうせ惨めな気持ちになるだけだし、増して自分理解してもらいたいなんぞ烏滸がましいと思っている。それだけでなく、単純に「知りたい」という気持ちが湧かない。

から、好きだと言ってくれる人を好きになった。私みたいな人間を好きだと言ってくれる人を大切にしなければと思った。大切にされる為には相手要求を満たせる「いい子」で、従順であらねばならないと思った。

みな最初は優しかった。しかし私が従順であればある程、全てを受け入れようとすればする程、彼らの要求は大きくなり、期待値は高まり、それを満たせなかった際の落胆ぶりは激しくなっていった。そして落胆は怒りに変わり精神的・肉体的暴力で私にぶつけるようになっていった。

そういう状態に陥ると、私の中に私を責めるヤツが出てくる。彼を落胆させ怒らせるような事をするお前が悪いと。生きる価値のないお前を大切に(冷静になれば全く大切にはされていないのだけれど)してくれる人を失っていいのか、お前の努力が足りない、忍耐力が足りない、と。

相手の顔色を伺い、精神的にボロボロになりながらも、恋愛初期のような優しい彼を取り戻す為の苦行だと思って耐えた。この先に何があるか分からないけれど、耐えた先にはきっと輝かしい何かがあると。だからどうにか耐え忍ばなければならないと。最終的には耐えられなくなって別れを告げるのだけれど。

別れを告げると殆どの人が泣きながら去らないでくれと懇願した。自殺を仄めかして引き止める人もいた。情にほだされて撤回することもあったが、結果全員と別れてきたので今がある。

30そこそこの時に最後の恋人と別れて初めてゆっくりフリー」というものを味わった。

最初は一人でいることが不安だったが、自分時間を全て自分の好きに使っていいこと、誰かに何かを強制されず自分意思で好きなことが出来ること、顔色を伺うことや他人呪縛から解放されて生まれて初めて「自由」を味わった。新鮮だった、楽しかった、いや、過去形でなく毎日自由楽しい、好きなことをしていていいってなんて幸せなんだろう。ここに来て仕事も上手く行き始めた。出来の悪い私はまだまだ「平均」には遠く及ばないだろうけど。

でも心のどこかで結婚して子を持たねばならないとも思っている。家庭を持ちたい気持ちもある。家庭を持った周囲を羨ましく思う自分もいる。

ただ、気持ちが追いつかない。婚活だの恋活だの、今の世の中溢れているけれど、他人に興味を持てない私にはメッセージのやりとりですら、相手の反応や見えない顔色を伺ってばかりで接待のように感じられ何も楽しくない。無理矢理会ってみても自分から好きになる感覚が全く分からない。ただただ面倒で、今の幸せを壊されそうで、また同じようになるのではと少し怖くて、すぐ音信不通にしてしまう。

どうしてこうなってしまったんだろう、どこまで戻ればまともになれるんだろう。

どうしたら私は「みんな」と同じようになれるんだろう。

もう、どうしたらいいかからない。

もう、どうしようもないのかもしれない。

もう、なにもかも、とっくに手遅れな気がしてならない。

私は私を救ってやれない。何故ならこの気持ちをどうしたらいいのか皆目検討がつかないからだ。自死して迷惑を掛ける勇気もない。誰か私を助けてくれないか、それが無理ならいっそ殺してくれないか

自由を楽しむ反面、仄暗い気持ちが常にまとわりついてきて、毎日気持ちがぐちゃぐちゃだ。

——

追記

独り言のつもりで吐き出したら存外に反応があって驚いています

暖かい言葉を投げかけてくれた方、ありがとう

同じような境遇の方もいて同じように苦しんでいると知って私だけではないと少しほっとしました。難しいよね。「俺が正しい、君が間違っている」定型文で笑いました。あと「何故俺の言うことが聞けないの?」もあるあるな気がする。

私みたいな状態から抜け出した方もいたみたいで、私もそうなれたらいいな。

どうしたら人から好かれるのか、愛されるのか、という点で悩んでいる訳ではないんです。正直そこはもうどうでもいい。

恋愛に縋る気もなくて、というより恋愛はもう懲り懲りだし、生まれて初めて親や恋人から呪縛から解放されて、一人で居ることが楽しくて満たされていて、この幸せ自分から取り上げたくないのだけど、まさに規範意識に囚われていて結婚せねばならないと考えてしま自分との狭間で苦しんでいます

義務感で無理矢理相手を探しても興味が持てなかったり恋愛に対する嫌悪感や面倒臭さや先立ってしまい、にっちもさっちもいかないこの状況に困っています

親が死んで完全に一人になったら辛いだろうとは思うけど、結婚したら死ぬ時は一人じゃないなんて保証はどこにもないし、歪んだ家庭で育ったので良好な家庭を築く自信も正直あまりない。私みたいな思いをするのは私だけで十分とも思ってる。

でも、それでも、「普通」に対する強い憧憬の念が払拭出来ない。私にとって30代の「普通」というのが、結婚して子を持っているマジョリティの方々にあたるんです。

幸い仕事楽しい年収もまあまあ貰っているのでこのまま一人で生きていくこと自体は出来ると思う。

先述の通り、自分の中でも色々な気持ちが入り混ざり矛盾しまくっていて、取り止めもなく綴ってしまったけれど、私は自由を楽しんでいる私をもう少し認める努力をしようと思う。出来るかどうかは分からないし、こう書いている間にもそれを否定する自分を殺せずにいるけれど。

クソみたいな長文にお付き合いいただきありがとうございました。

2020-12-16

お気持ち代弁

お猫様の動画を好きでよく見るのだが、一つだけ気になることがある

それは投稿者がお猫様の鳴き声に合わせて字幕を付けていることだ

自分はしょせん他人なので、そのお猫様の感情を慮ることは難しいのだが

たまーにどう見てもその字幕は違うだろって字幕が付いてるのを見るとすごいモヤモヤする

明らかに嫌がっているのに、字幕では喜んでるような台詞を当てている場面を見た時はなんともいえない気持ちに駆られる


しか駐車場でごろんごろんしてるから、手招きしてみたら自分から寄ってきてくれて

30分以上触っても嫌がるどころかご機嫌になってくれるお猫様にも実際に遭遇したことがあるので

一概に動画字幕は間違っていると断定するのも難しいので、モヤモヤモヤモヤ狭間モヤモヤしながら動画を視聴しているのが私だ

anond:20201216163431

子供としてのかわいさが抜けて人間としての美しさになってく過程だよね

知人はその狭間くらいの青年の姿がめちゃツボって言ってた(男の話になっちゃうけど)

私は、同じ人なら、どんなにかつて美女美男子だったとしても、その頃より今のほうがよく思えるタイプなので、根っからの老け専かもしれん

2020-12-10

最低のグッドトリップをした

最高に頭が混乱し、最低のグッドトリップをした経験を、忠実に、正確に、有意に脚色を加えて書き残す。実に珍しいことだと感じたので。

12月9日午後12時35分、就寝。男は一晩中寝ていなかったらしい。漫画を読み、充足感と不足感のままに乱暴に寝た。夢は見なかったそうだ。

12月9日午後6時18分、起床。外は暗い。男は電気を点け、あまりの明るさに愕然とする。どうせやることもないし、このままもう一度寝てしまおうか、とも考えたが、蛍光灯ブルーライトにやられた目と脳は閉じることを拒んでいた。

男はなにも考えていなかった。なにも考えられなかった。夢と現実狭間に迷い込んだかのようだった。外の暗さと部屋の明るさに、矛盾した鬱憤をかかえながら、ただ時間を過ごしていた。とりとめもない文章を連ね、他人に送りつけたりしていた。46億の人々の生活を消費し続けたりしていた。孤立していた。

12月9日午後7時24分、男は世界が一つではないと気づいた。その瞬間、目に映る文章天井ライト、部屋の景観、今までのすべてが、文章となって脳になだれ込んだ。あまりにも煩かった。慄いた。これまでの自分にあった全てを悔い、取り消そうとした。しかし気づいている男は、そんなことができないことにも気づいているのだ。どうしようもなく時間は早く進む。不可解な理解から逃げ出したかった男は、もう一度布団にくるまった。

12月9日午後7時48分、逃げ出した男は、なにかに縋った。とにかく狭間に帰るべきだと考え、今の自分いかなるものかを他人に伝えた。まるでそれらが自分ではないように。なにもない狭間になにかを忘れてきたかのように。男にとってそこは、唯の狭間ではなかった。すべてを満たす無に安堵を覚えていた。凪の水面に落とされた水滴、もとい大雨は、大きな波紋を広げ、自己を顕示する力を生んだのだ。

12月9日午後7時57分、男は気がついた。ここにはなんの変化もない。

12月9日午後7時57分、私は気がついた。ここにはなんの変化もない。

何も起きていなかった。安堵した。凪の水面は存在しなかったのだ。あわやヒトという環に取り込まれそうになった私は、なんの問題もなく生活を取り戻した。システマティックに組み込まれたひとは、再び運動を始め、するすると抜け落ちた狭間快楽に気づくこともなく回り続けている。

男達は偽物だったと思うことにした。

2020-12-06

anond:20201206124933

>よく「相手を見下してるから避けない」という言説を見るが、「ぶつかってくる女」は違うと思う。自分は大柄で一重まぶたで眉が薄く、髭も生やしている。

勘違いだと思う人もいるだろうが、力を込めた肘とそうじゃない肘の違いはわかる。人体が偶然ぶつかったのとは違う、異物がぶつけられた痛みだ。筋肉狭間にあたると、かなり痛い。

ヒョロガリ男だけど、肘鉄されたことはないな。

相手は「図体でかいんだからお前がどけ」という思いからの行動かもね。

>目が合っても、避ける素振りすら見せない。進路も変えず、体もそらさず、歩調も緩めずにそのまま突っ込んでくる。

これは悪手。

目を合わせると「相手こちらを認識しているため、相手が避ける」という思考になる。

またスピードを落とすのも悪手。これも同じ理由

こちらは相手存在認識していない感じで、0.5人幅移動するのがよい。

元増田が言っているとおり、「ぶつかってくる女」は仮説3の「避けない女」なんだよ。

彼女らはぶつかることに対して何も考えていないよ。そういう生き物だから

ぶつかってくる女

追記

気付かないでぶつかるのはしょうがないし、お互いに一言すみませんで済む。多くの人もそうだと思う。

これはそれとは別の話です。

追記終わり

追記

ブコメを読んだが、避けずに「停止する」は人混み避け界隈では常識すぎるテクニックです。

ただ、人の流れが一定化している場合は後ろの人がぶつかってくる事があるのであくまで「初歩」でしかありません。あまり混んでいない状況でしか使えないです。自分が避けた結果別のぶつかりを発生させるのでは本末転倒です。

正直、こちらの避けテクを舐めないで欲しい。

あと「ぶつかってくる女」はこちらが停止してもそのまま直進してきて、目の前で迷惑そうな顔をしてから方向転換します。

追記終わり

この増田に関して。

https://anond.hatelabo.jp/20201205155542

初めに書いておくが、女性叩きが主眼ではない。

正直、女性叩きに利用されるようなことも書きたくない。

しかし、道を避けないでぶつかってくる女性は本当に多い。多すぎる。

長年この問題イラつき、またそのイライラを周囲に漏らしてもなかなか共感されなかったため、ここに書きます

ちなみに自分男性である。大柄な方である

今では徹底的に避けるが、それ以前のぶつかられ頻度は、こちらがそれなりに避けていても二週に1回はあった。大半が「ぶつかってくる女」である

元増田では「仮説3: 女性は避ける気がない/避けるという選択肢をハナから持っていない」という仮の結論が示されている。

これはその通りだと思う。真実と言っていい。

ありがちな空間認識」や「スマホ歩き」を却下している点も、ちゃんと見て考えている人だと信用できる。

もし女性空間認識他人を避けることもできない程度なら、女性が集まる空間事故だらけのはずである

追記

よく「相手を見下してるから避けない」という言説を見るが、「ぶつかってくる女」は違うと思う。自分は大柄で一重まぶたで眉が薄く、髭も生やしている。

この場で思いついたことを言えば、「避けない」「ぶつかる」のはある種の甘えが生む行動なので、「大柄」な相手にも構わずぶつかるのではないだろうか。

傍目にも明らかに自分より強い相手からこそ反撃はあり得ないと打算しているというか。

繰り返し断っておくが、一部の女性の話であり、全ての女性が甘えているという話ではない。

追記終わり。

ブコメでは「身長が低くて周りがよく見えないから」という話も出ていたが、正直、人混みエアプなんかと思ってしまう。

避けない女性(すべての女性じゃないぞ)は、遮る物のない正面同士で行き違う時でも、避けようとしないのだ。身長関係しようがない。

目が合っても、避ける素振りすら見せない。進路も変えず、体もそらさず、歩調も緩めずにそのまま突っ込んでくる。

まさに「相手が避けて当然」という態度なのである

ギャグ漫画なら「俺に気があるのかな?」となるくらいにまっすぐこちらへ向かってくるのだ。

この現象を目の当たりにした経験がないと想像ができず、「自分がうっかりぶつかってしまった」時のイメージしか持てないのかもしれない。全然違うものなんです。

普通に相手を避ける人々にとっては信じられないだろうが、相手目視確認しつつ、一切避けようとしないのが「ぶつかってくる女」なのだ

絶妙迷惑存在である

ただ、これなどはまだいい方である。(どう考えてもよくないが)

元増田には書いていなかったが、かなりの確率で「わざとぶつかってくる女」が存在するのだ。

といってもニュースになったような、「女性を狙ってぶつかる男」的な異常者よりの人間とは少し違う。

「わざとぶつかってくる女」は人混みですれ違わざるを得ない状況になったときこちらが「0.7よけ」すると、「1.0よけ」でないことが不満なのか、そのまま直進してきて肘などをぶつけてくるのだ。

勘違いだと思う人もいるだろうが、力を込めた肘とそうじゃない肘の違いはわかる。人体が偶然ぶつかったのとは違う、異物がぶつけられた痛みだ。筋肉狭間にあたると、かなり痛い。

最初自分も戸惑ったが、何度か経験するうちにわざとやっているのだと把握した。

しかしそのときはまだ意図理解できなかった(揉めたら力負けするのは女性だ)ので、ぶつかられた時にあえて自分から謝って反応をうかがってみることにした。

ちなみにこれだと、こちから当たりにいったように受け取る人間がいるだろうが、もちろんそれは違う。ぶつかられるのが嫌で普段は「1.0よけ」していた所を「0.7よけ」にしてみただけである

(無論、ちゃんと避けてくれた女性大勢いたことは書いておく。そちらが多数派である)

すると反応は大きく三つのパターンがあった。

一瞬罪悪感の表情を浮かべる奴と、知らん顔で無視する奴、あとは白々しく大声で(決まって大声なのだ)「ごめんなさ~い」という奴だった。

軽い罪悪感の表情からは、おそらくこちらが「1.0よけ」して差し上げなかったことに対する瞬間的なムカつきをその場の肘鉄で晴らしてるんだろうと察した。

知らん顔の表情からは、そもそも揉め事にならないと思っている」「なっても被害者ぶれるようにしている」のだろうと察した。この表情は本当にムカついた。

大声で「ごめんなさ~い」という奴は、もう救いようがないなと色んな意味で察した。

いずれにしてもろくな人間じゃないな、と思った。むなしかった。

こういう風にパターン化できる程度には、「わざとぶつかってくる女」に遭遇しているのだ。(どれだけ多いんだよ)

元増田には「問題にする意味を感じない」などというコメントもあったが、「わざと」だけでも自分がこんなに体験しているのだから意味は大ありだと思う。

あと、「自分が避ければいいだけ」とか言うやつ、こっちは普段から避けてるからな。

うそんな嫌な思いをしたくないから「2.0」、なんなら「3.0」よけてるから。それでも障害物や他の人の流れなど、どうしても避けられない状況はあるのだ。

そういう時でも「ぶつかってくる女」は平気でぶつかってくる。

女性相手ではその場で怒ることもできない。

こちらのイラつきも理解していただきたい。

※「ぶつかるお前の方にも問題がある」と言ってくる人もいるでしょうが、元々「人とぶつからないように気にかけて歩いている」のだ。人の流れを乱さず中高年や老人を避けるのはお手の物だし、花火大会などよほどの人混みでない限り男性とはぶつからない。問題があるならこちらが知りたいくらいである。

理由はわからないが、ぶつかりに来る奴を寄せ付ける雰囲気というものがあるのだと思う。ちなみに体格は大柄な方である

※「話に夢中で気づかないでぶつかる」人は、ぶつかった瞬間に「あっ」という反応をするのでわかります。本当に不意の衝撃で発声が飛んだり、黙ったり、一瞬遅れて文句を呟いたりします。

瞬時に痛そうな表情をするのは、「事前にぶつかることが分かっていた人」です。

元増田には男女の体重差の話がありますが、0.7よけの状態で肘をぶつける場合、角度を調整して掠る、擦るように当てれば相手質量を受け流せるので、体重差はそこまで問題にならないのだと思います。ただ、やられたこちらは十分に痛いです。

2020-12-05

黛冬優子に「世界一可愛いよ」って言いたい

fancy baby doll」という曲はご存知だろうか。

田村ゆかりさんという声優さん代表曲で、ライブで必ず歌われるらしい。

この曲はサビの部分(正確には"2番の"サビらしい)「世界一かわいいよ!!」とオタクが叫ぶようにコールすることで有名で、

ネットオタク(と言ってもある程度年齢が高い方々)は恐らく一度は聞いたことがあるはず。ゆかり姫祭り上げてる王国民たちの情熱は一周して清々しいまである

この曲の歌詞を読むと、この歌詞主人公は「自分を『世界一可愛い』と思っている」のではなく、「『世界一可愛い子に生まれたかった』と思っている」女性であることがわかる。

王国民はこの歌詞理解し、この歌詞を歌う女性に向かって2番の「世界一可愛いって今日も言ってね」にかぶせるように「世界一かわいいよ」と心の底から叫んでいると、古の増田にも書いてあった。

ファンは夢を見せてくれる勇気ある戦士であり、美しい姫である田村ゆかりさんに愛と尊敬感謝を込めて、

田村ゆかりさんの夢を叶えるため、全力で「世界一可愛いよ」と伝える。

自分には誰も言ってくれないであろう、世界一可愛いよという言葉を、

言って欲しかった気持ちの分だけ、大きな声で伝えるのだ。

https://anond.hatelabo.jp/20131011143156

王国民ではないのでこの増田が正しいかどうか分からないが、あのコールが単に「世界一かわいいよ」と声をかけているだけでなく、コールを通じて「世界一可愛い子に生まれたかった」という想いを持った存在肯定されているのは間違いないだろう。

自分男性であり「可愛い子に生まれたかった」と思ったことはないが、「人気ものになりたかった」という思いを持っていた時期があった。

小学生の頃に顔も良くはないし根暗陰湿な僕はその真逆を行くちょっと浮いた子だった。でも(だからこそ?)承認欲求人一倍強かった。幸いにもイジメに遭うことこそなかったが、目立つようなことをすればするほど人から避けられるようになっていた。

その時の影響か「自分普通にしていても人気者にはなれない」と思っている。だから年齢を重ねるごとに「どうやったらウケるかを考えて実践しなければならない」という自覚が強くなり、いつもトークイニシアチブを取れるよう必死になっていった。

もちろん普通の人はそんなに必死ではないので、完全に様子のおかしな人として扱われる事が多いものの、「必死にさえなればある程度の笑いを稼ぐことができる」というのは己の承認欲求を心地よく満たしてくれた。


そんな人と会話することで承認欲求を満たしていた自分が、コロナ禍で人と会わなくなった。

出社もしないし買い物もしない。生活徒歩圏内で完結し通信量も1ヶ月1GBも使わなくなってきている。

身の回りでもゴタゴタがあり結局のところ承認欲求が満たされてなかったのだろうが、一時期「何かを為したわけでもなく自分よりもチヤホヤされる職場の同僚の姿」(と認識してしまうくらい余裕がなかった)を見て焦燥感劣等感と、それを覚える自分への自己嫌悪に日々辛くなっていった。

そんなとき出会ったのが「黛 冬優子 (まゆずみ ふゆこ)」 というアイドルマスターシャイニーカラーズ(シャニマス)のアイドルだ。

冬優子は二次元アイドルなので顔が可愛い。そういうふうに作られているからというのもあるが、作中の世界でも顔の作りが良いことは何度も言及されている。

でもそんな彼女は「自然と振る舞ってるとどんどん人が離れていく」ようなアイドル真逆人生を送ってきたことがセリフの端々から分かる。

そんな人生を送る中で幼少の頃に見たアイドルアニメの影響で心のなかにアイドルへの憧れを抱えて生きてきたのだ。

からよそ行きの自分を作って、完璧仮面かぶった状態で人前に出ていくし、アイドルになったからにはその仮面を磨き上げることに余念がない。

からこそ、彼女とき理想現実狭間彼女の心が揺れて傷つくし、そこから這い上がる強さも見せてくれる。

自分アイドルに向いてない」 けど 「アイドルへの憧れを止められない」 から自分の中の理想アイドルを作り上げる」 そんな姿をユーザに見せてくれる。

シャニマスに限らずアイマス世界ではたびたび「ナチュラルボーンアイドル」がもてはやされる。

はじめは「私にアイドルなんて無理!」みたいなこと言ってるキャラも"人間的成長"を経て自然体のままアイドルになっていく描写がなされ、

一見とっつきづらいタイプアイドルも気づけば「いやあの子はいい子なんスよ…」みたいな評判になっていることが多い。

まれアイドルでなくても、トップアイドルを目指す過程で気づけば内面から理想アイドル」になっている。

アイドルになるべき女の子が、アイドルとして輝く世界アイドルマスター世界だった。

そんな中現れた黛冬優子のことを、他人事だとは思えなかった。

自分には誰も言ってくれないであろう、世界一可愛いよという言葉を、

言って欲しかった気持ちの分だけ、大きな声で伝えるのだ。」

今となってはこの文章意味が、痛いほどに分かる。

世界一可愛いよ。

----

[2020/12/24 19:30ごろ] 書いたときの勢いを殺さな範囲で、読みづらかった箇所を一部修正しました。また、冬優子の新規pSSRは無事に引けました。世界一可愛いよ。

2020-11-19

かにハマると一気買いしてしまう。

今ハマっているものは一個5000円ぐらいする物でもう既に3個も買ってしまった。

安いじゃないかと思う人もいるかと思うがそんな事を何回も何回も繰り返しているから、財布に優しくはない。

いつかは絶対に飽きると知っているのに、今の自分が好きだから集めているという肯定感、お金は使うためにあるのだという言い訳、そして本当は承認欲求も満たしたいからだろ?という心の声の狭間今日もつい購入ボタンを押してしまうのだ。

2020-11-17

木漏れ日

公園や森の中を歩いていて、高い木々狭間から朝の少し眩しい木漏れ日差し込み、目の前が間歇的にちらちらと明るむ瞬間はとても心地よい。

2020-10-12

山岳遭難ドキュメントが好き

悪趣味かも知れんが、大好き

羽根田治さんの書いたシリーズはめちゃくちゃ面白い

つの判断の誤りから、どんどん死の淵に足を踏み入れていく。

ドキュメント 気象遭難」は、ほかの作品に比べて、ものすごく人が亡くなる。

山はとても危険ものだと思い出させてくれる。

吾妻連山の楽しい仲間たちでの中高年の登山から、道迷い、天気の悪化、体力がないことにより、一人また一人と欠けていく。

すごく怖い。

絶対山には登らないぞと思う

トムラウシツアーによる大量遭難が有名だけれど、その前にほぼ同じ場所類似気象遭難事故があったことも知る。

普段ならそういった判断はしなかった。

悪天候なのによろよろと山頂を目指したのはどういう気持ちなんだろう。

間近で友人が絶命するとはどういった状況だろう。

こわい、絶対山には登らない

山岳部所属する高校生が、近所の山で遭難する、「空と山のあいだ」も恐ろしい。慣れ親しんだはずの山が、突然牙をむく。

フィクションではあるが八甲田山死の彷徨もこわい。

年末年始剱岳に挑戦し帰ってこなかった3人のメンバーを、同じ登山会の人が目撃証言を辿って、行動を推測し、遺体場所特定する「いまだ下山せず」も面白い

証言性格から足跡を辿って答えに至る様は、ミステリのようでもある

ヒマラヤ登山ものでは、「空へ」や「K2 非情の頂」が面白い

後者は、高度8000メートルを超える、その場所にいればいるほど死に近づくデスゾーンで、ほかの仲間のサポートをしていた、若い男性登山家が力尽きてしま

いい人でなかったら、その人は生還してたのではないか

不謹慎ながらも、人が生と死の狭間にいるとき、どう考えるのか

その人が生き残ったのは、何がよかったのか、逆にそういう苦境に陥ったのは何が悪かったのか、が知りたいのかな、と思う。

何度も思い出してしまうのは、羽根田治「ドキュメント 道迷い遭難」にあった、遭難者が行き合った、犬を連れたおじいさんの話だ。

遭難者は不安になりながらも、「こちらだとおもう」と進んでいた。

そこでおじいさんに出会い、話す。

「この道で合っているか?」と尋ねられ、遭難者は「合っているとおもう」と返した。おじいさんは犬を連れて道を進んでいく。

その後、遭難者は迷っていたことに気が付き、生還することができた(自力下山までできていたと記憶している)。

しかし、そのあと犬だけが戻ってきて、おじいさんの姿を見た人はいない。

そのエピソードがずっと胸に残って忘れられない

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