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はてなキーワード: 学者とは

2024-05-03

もう「自浄作用」とか「これだから○○は」とか止めにしない?

「まーたフェミニスト/社会学者か」とか「フェミニスト/社会学者は自浄作用がない」みたいな雑なカテゴライズをして叩く、こんなの不毛でしょ。

で、それを指摘する人の中にももしかしたら「男」「女」「フェミニスト」「オタク」「地方「東京」公立」「レズビアン」「ゲイ」「バイ」「トランス」「ロリコン」「リベラル」「ネトウヨ」に対しては同じ事をしてるかもしれない。

あなた自分が属する属性に対して自浄作用を果たした事が有るんですか?それはどの程度の効果を上げて、その成果でその属性はどの程度今綺麗なんですか?

自浄作用の有る集団なんてほぼ無いでしょ、元々そんな義務無いんだから

もう止めにしません?他の集団に自浄作用を求めたり、属性カテゴライズして叩いたりするの、不毛だし、自分がされる側に成ったら批判するでしょ、矛盾してる。

「男」「女」「フェミニスト」「オタク」「地方「東京」公立」「レズビアン」「ゲイ」「バイ」「トランス」「ロリコン」「リベラル」「ネトウヨエトセトラエトセトラ属性で叩くの、止めましょう?

 

これはどの党派性にも依らない、平等提案の筈。「男」でも「女」でも、その他どの対立するグループにもどちらか一方に味方してる訳じゃなくて、どちらにも利益の有る話をしている。

勿論例えば「男」で一括りに出来なくなればフェミニズムの一部は困難になる、でもそれは飽くまで一部だし、元々論理的に正しくなかった不当な部分を排除するだけだ。

「男」と一括りに言っても様々な人が居る、強者も居れば弱者も居る、その特権にしても一様では無い、男女間の経済的格差にしても男性側の恩恵に与れない人も当然居る。

それを「男」で一括りにするのは単純に誤っているし、そんな事をしなくてもマクロ統計的データを見て男女間の格差議論する事は出来る。

上はフェミニズムを例にしたけど、反フェミとか反リベラルとか反社学者とかも同じだ。属性で括ると、元々多様なその集団を不当に単純化して、論理的に間違った結論を出してしまう。

自浄作用にしたって、同じ属性だろうと所詮他人なんだから、そんな義務無いんだよ。

 

取引みたいな物だと思って貰えば良い。

おかしな主張をしているフェミニスト社会学者が居たとして、それを「他のフェミニスト社会学者批判するべきだ」と思ったとしても我慢する、それは苦しいかもしれないけど、

逆に差別的男性オタクが居た時に、他の男性オタクはそれを無視しても構わない。「他の男性批判すべき」とか「オタクとして批判すべき」とか言われる必要は無い。

逆も同様、

差別的男性オタクが居た時に、他の男性オタクがそれに反応しない事をあなた卑怯だと思うかもしれないが、そうではない。

代わりに差別的女性フェミニスト等が居た時に、あなたもそれに反応しなくても済む。

それで良くないか?これはどっちにとっても有利な部分も不利な部分もある、イーブンな取引で、元々論理的に考えれば正しい選択でも有る。

逆に、自分は自浄作用を発揮するつもりがないのに他人に求めるのは、代金を払わず商品を受け取ろうとする様なものだ。

 

勿論「自分は自浄作用を発揮するから他人にも求めるつもりだ」と言っても良い。でも冷静になって考えてみて、あなたは一体どの位属性を持ってると思ってるの?

その全部の属性について責任をもって自浄作用を発揮するつもり?出来ると思ってるなら「馬鹿」の集団にも自浄作用を発揮しないといけなくなるからもっと大変になるよ。飯食ってる暇も無い。

元々無理なんだよ。

「自浄作用を発揮するべき集団と、しなくてもいい集団が有る」と言い張るかもしれないが、それを分ける基準を本当に論理的に明確に出来る?

その基準が(例えば「男」と「女」のどちらかだけ義務が有るような)あなたにとって都合が良い基準に取れると思ってるなら甘すぎる、結局どこかで自分にとって都合の良くない部分を呑まざるを得ない。

この程度の簡単な話を中学生位で通過していないなら、元々あなたは考える事にそれほど向いていないし、他人に何かを求める前に自分の事を考えてみるべきだ、考え損なってる事が大量にある筈だし、それを考えずに他人に何かを求めるのは倫理的おかしな事でもある筈だから

2024-05-02

anond:20240502124706

日本共産党自称しておかしなことになった

ついでに日本共産党自民党をまとめて保守扱いしてさらおかしなことになった

面白いのは声の大きいバカに右に習えで学者マスコミも流されていることなんだよ

特に学者は流されちゃいけないだろと思うけど

2024-05-01

anond:20240501205745

なんで彼らの言説は主流派から無視されるのか

https://note.com/stairlimit/n/nbf959f27b718

まあこんなタイトルつけたのは経済学を見越しての話だけど、情報収集してみるとたいていのまともそうな学問は同じ問題を抱えてるみたいねぶっちゃけ日本経済学会論文審査がまともに機能してる経済学はまだマシっていうレベル基準がぶっ壊れてるところもあるっぽいし……

さておき。最初これ、「なんで経済学は数式を使うのか」という話で収めようと思ってたんだよね。

でも実のところ、数式を使う必要があるわけではないし、ルーカス批判だって本質は数式じゃないところで語られてるわけで。

アローとかドブリューみたいな数学から出てきた経済学だって思想面の方に特筆すべきシャープさがあるし、本当に数式しかいじってなかった有名な人ってナッシュぐらいじゃね。そしてナッシュって経済学者じゃねえよな。とか思って、これを引っ込めた。

代わりにポパー反証主義の話をしようとしたんだが、これすらなんか違う感がしたので、いまのタイトルに至る。つまるところ、学問にはそれぞれ固有の「ルール」があって、そのルールは主流派が決めてて、それに従わないと無視される構造になってるのはなぜか、という話だ。

あ、主流派なるものが一部の既得権益者みたいに思ってる人にいまのうちに言っておくと、主流派って言われる人たちはすごい速度で入れ替わってるからね。でも上の「ルール」が根本的に変わることはほぼない。だから自分たちは主流派から不当に排斥されている!」という主張はおかしい。排斥されていない新しい人が山ほどいる状況でそれはないよ。

で、なんで固有の「ルール」があるか、という話だけど、これすごい簡単なんだよね。

無駄議論を省くため。これだけ。

数式を使った理論モデルの展開で思い描いた通りの結論を言うのがどれだけ難しいか、やったことある人はだいたいわかってる。

定性的議論でその種のごまかしをやる文献にはたいてい、結論仮定しているような荒唐無稽仮定がどっかにはさまっている。

データと照らし合わせる場合データが再アクセス可能であることが大半の場合求められるし、それが無理(実験データなど)な場合にはデータ取得の方法の明示が求められる。

つまるところデータ分析の追試験を誰でも行えるようにすることが求められるのだ。

経済学だとポパー主義がよく取り沙汰されるけど、ことは経済学に限ったことでも、ポパー主義に限ったことでもなく、上のような議論で最も重要視されているのは、「自分研究攻撃したい人間攻撃やすいように発表形式を整えること」である

その要件クリアしているからこそ、攻撃に耐えて残った理論には信頼性が認められて、学問の一部としての地位を得ることができるのだ。

から、もし「誰か」の理論が主流派から無視されているとしたら、それは「攻撃やす形式で発表する」という、最低限のルールを守っていないからだ。

もちろん、その「形式」が具体的になんなのかについては、学問ごとに少しずつ違う。

けど、「ルール」の目指すところ自体はたいていの学問で同じで、「ごまかしている場合ごまかしていることが発覚するように」発表することが求められる。

このルールがないと、無駄議論間延びし、時には間違っている方が勝利した体裁になることすらあるということを、学者たちは経験的に知っているから、ルールを破っている言説には厳しいし、それが認められることはないのだ。


で、ツイッター一部の人が、「学会の連中は学会外の議論もっと聞くべきだ!」とか気炎を上げてるのを見るけど、ルール守ってください。以上。

だって時間無駄じゃん君たち。攻撃しにくいように言い逃れ余地作って仲間同士でつるんでる馬鹿どもに構ってる暇なんてあるか。

tag: MMT

anond:20240501102856

そこはただの感想文やんけ。MMTの間違いについて何の説明にもなっとらんぞ。

というかクルーグマンの話してたのにクルーグマンはどこ行ってん。

途中で書いたとおり、そもそもの話はMMTの話ほぼ入っとらんからな。

自国通貨が発行可能供給力もあまり問題なくインフレ率も低い国では増税不要財政拡大が可能、っていう主流派でもまともな学者なら賛同するであろう内容の話しかしとらんからな。


あとさっきから引用ばっかしてるがお前の意見はないんか。

anond:20240501193754

https://note.com/stairlimit/n/nb76f64b326bd

現状、MMTという理論肯定的議論しているグループは二グループに分かれている。片方は学問的なグループであり、もう片方は政治的グループ

政治的グループは極めて悪質で、彼らが「MMTである」と主張する出典不明学説から荒唐無稽しか言いようのない結論自由に引き出し、それを用いて政治的対立者を罵倒している

いずれにせよこのグループは、上で挙げた学問的なグループ自身らのグループを都合よく使い分けており、普段学問的なMMT権威を用いて自説を展開するが、

都合が悪くなると「それは誤解であって、MMTはそう主張していない」「論敵はMMT勉強が足りていない」と言って反撃する傾向がある

したがって、MMT政治的グループについては、大半のまともな経済学者は数年前の時点で「議論にならないため、無視すべき」という結論に達している。

一方で学問的なグループは、それほど支持を集めているとは言えないものの、書籍出版される程度には活動実績がある経済学の一部分である。ただ、それはたいして肯定的評価ではない

学問的なMMT」は実のところ「有力な学説」とすら現状ではまだ言えないので、大抵の学者はまだ様子見しているところである

様子見というのは「正しいかどうかをもう少し考えよう」ではなく、「勉強する価値があるかどうかをもう少し考えよう」という意味だ。

まりMMTは多くの学者にとって勉強すらされていない。

Krugman described MMT devotees as engaging in "calvinball" – a game from the comic strip Calvin and Hobbes in which the players change the rules at whim.

この部分、かなり無視できない点で、つまりクルーグマン感想が正しければ、MMT論者は「理論検証できない状態」を意図的に作り出しているんじゃないかという疑いがあるのだ。

経済学では、サミュエルソンが強調して以後、ポパー型の反証主義がかなり重視される傾向にある。

僕はこれについて、必ずしも反証主義絶対だとは思わないものの、MMTのような新興理論にとっては重要だと思っている。

まりMMTだと起こり、それ以外の理論だと起こらない現象はあるのか。逆にMMTだと起こらず、それ以外の理論だと起こる現象はあるのか。それらは現実だと起こっているのか、起こっていないのか。

この検証結果次第では、MMT重要理論になり得る。

まとめると、MMT学問的には、現状では勉強するに値する魅力的な理論とすら思われていないので、まずは状況証拠を集めて、最低限勉強するに足るだけの魅力があるということを立証するところから始めるべきではないかということです。

そして現状はそれができているようには見えず、さら政策に無理やりねじ込もうとするグループが悪目立ちしすぎるので、僕は少なくとも距離を取っている。

             判例六法有斐閣平成27年度版~はゴミ    それ以前、 年月日不詳

            出来上がっていて実体がない。            最大判令和4年12月3日民集65巻10号233頁

   判例通説     出来上がっていてほとんど実体がないような気がする。   最(三)決令和5年12月25日民集65巻10号987頁  判例変更

         学者    ポール=乙黒=エルデシュ    出来上がっていてベランダ側の人が安倍警察リモコンで見せているだけで建造物内部に住んでいる司法関係者ほとんど

                             無能で何も出来ないような状態である。 (通説、多数説)

                 バヒスバラン薫        刑事行政はともかく民事はやっているのではないか

                高橋和之             もう終わっている   (少数説)   批判    終わってねーよ、死ね

                内田貴、江頭憲治郎、他         わろた            批判    うるせえ、寝ろ

                橋原佳祐等、 裁判所事務官        糞            批判     糞じゃねえだろ

                 斎藤秀司説           関数大人しい部分では成立しているが、無限遠点で非常に悪い分岐をしている (多数説)

                 三枝洋一説           少なくとも、法科大学院は止めた。

                 鬼束ちひろ説(検察事務官法務局事務員)   求めることは出来ないのを覚えた。

                 宮地昌彦説                 qが3/2より小さいところでは成立しているが、定義域が、3/2<q<∞のところでは、暴れる関数

                                      突然走り出す関数、リプシッツ連続ではない。

anond:20240430211551

フィクションにたとえたことはサーセン」とか普通に下劣かつ馬鹿丸出しだと思うが

そんなんでもヌルっと逃げおおせてしまう…

なんかアンフェが普段から必死こいてろくでもない攻撃してるから被害者ヅラムーブ一定正当性供給されちゃってんのよ。

「それはさすがに学者看板的にどうなんだ」っていうツッコミも「いつものアンフェの口撃」に十把ひとからげにされてしまう。

まさに無能な働き者

ティアキン 感想

もうすぐ発売から1年経つ。ブレワイは発売日でこそなかったがSwitchと同時購入して、それはもうとんでもなく面白くて3歳からずっとゲームをし続けてきた俺の、人生面白かったゲームランキングをぶっちぎりで更新した。

当然ティアキンはめちゃくちゃ期待してて、PVが出るたびにコマ送りで確認するくらいだった。発売日は仕事休みにしてもらって0時からやった。今確認したら発売日は16時間ティアキンしてたらしい。我ながら頭おかしい。

基本的攻略サイトは見ずに手探りでプレイしていた。ティアキンを遊び尽くしてやるぞ!という気持ちだったので常にコログのお面を被り、センサーを宝箱にセットしてマップを隅々まで探索していた。

逆に祠や洞窟ミニチャレンジなどはノーヒントだったので普通より時間がかかっていたと思う。祠コンプしたのはコログ900超えたあとだったし。

Twitterエアロバイクが流れてきたところからウルトラハンド工作にハマり、5chのウルハンスレに入り浸ったりHyperWikiのフィールドオブジェクトを眺めたりして色々研究したりもしてた。ちなみにゾナウギア重ねバグと"柵"を発見したのと、Quantum Link日本に広めたのは俺。

完璧に真っ直ぐ進める3輪エアロバイクQuantum Linkを使って高速移動と登坂性能を両立した車を作ってウルハン工作欲は一旦満足した(これだけでも1ヶ月くらいは遊べた)ので、その後はストーリーを進めつつコログ集めつつ防具強化素材を集めつつみたいな感じだった。

で、発売から2ヶ月くらいでコログ900個(完全自力)、防具強化だいたい9割くらい、マヨイや井戸など残りの要素は完全コンプリートという状態までいって熱が冷めた。その後ちょくちょくコログを集めて今950個くらい。

ここから本題の感想

結構辛辣な部分も多いので信者はここで退散してくれ。

まずストーリーに関しては正直どうでもいい。そもそも俺はゲームにおいてストーリーを重視するタイプではないからだ。ティアキンのストーリー評価賛否両論で、感動したって人もいればタイムトラベル関連で矛盾があるとか、ゼルダゴリ推しが目に余るとかい意見もある。まあ確かに言われてみれば確かに設定が甘いとかはあるが、やってる最中はそこまで気にならなかった。

あとブレワイとの繋がりがことごとく消されてるというのは残念だった。ユン坊がダルケルの護りを一切使わないの意味不明だし、ウルボザなんか影も形もない。

UIはブレワイよりはマシになったとはいえまだ全然ダメ特にスクラビルド関連はゴミすぎるし、ホイールメニュー微妙。俺は賢者を常にOFFにしてたか体感してなかったけど、賢者関連のUIゴミらしいね

次は能力に関して。

まずウルトラハンドはめちゃくちゃ面白い。「物を動かしてくっつける」これだけで1本のゲームとして成り立つくらい最強の能力オープンワールドでこれやったのはヤバイよ。実際俺はこれだけで1ヶ月くらい溶かしたし。

スクラビルドは、うーんって感じ。まずそもそもやってることはウルトラハンドと同じく「物と物をくっつける」なんだから能力として分ける必要はないのではと思った。ウルトラハンド武器適用たらこうなりますよ、的な。あとスクラビルドを作ったせいで武器を朽ちさせる必要がある→見た目が悪くなるというのは結構残念だった。

トールーフはこれのおかげで洞窟井戸を作れたと考えるとまあアリ。モドレコはあんまり使わなかったかぶっちゃけ要らなくね?とにかく4つの能力の中でウルトラハンドけが突出していてバランスが悪いなと思った。

また賢者能力がブレワイの英傑の加護に比べて弱くて、むしろ使わないほうが邪魔にならなくていいとさえ思った。

ゾナウギアに関して。

まずエアロバイク(とロケット盾)が強すぎるせいで、移動関連は全てこれでよくなってしまうのがこれまたバランスが悪い。戦闘ギアに関してもまともにダメージを出すには相当ゾナニウムが必要で、普段使いできないので結局自分武器振るったほうが速いとなりがち。

これもよく言われていることだが、ブループリントお気に入り欄が8枠しかないのは少なすぎるのと、オンライン設計図を交換できたら良かったのにと思う。

俺が一ヶ月かけて作った車も実際スピードが出て楽しい楽しいが、楽しいだけで便利ではない。だってエアロバイクでいいもん。

あとアップデート面白バグが根こそぎ修正されていったのも残念。これとDLCないです発言で今以上に面白くなることはない、と思ってしまったので熱が冷めたと言っても過言ではない。

ボリュームに関して。

多すぎる。ブレワイでも牛丼特盛+デザートパフェって感じだったのに、ティアキンではキング牛丼2個にパフェパンケーキお茶2リットルって感じ。盛ればいいってもんじゃない。

それでいてブレワイからやることが大きく変わったわけじゃないので飽きる。ウルハン工作洞窟探索はブレワイにはなかったので結構楽しめたけど、チャレンジ系やコログ、祠は正直惰性でやってた。

あとやっぱりマップ使いまわしはダメ。地上はマジで既視感凄かった。空島も6割は同じ構造の島だし、地下は景色が全く代わり映えしない。空島と地下はクリアしたら行く意味がないので、結局最後は地上にばかりいて、でも地上は遺跡片が突き刺さってたり深穴があって汚いので、純粋景色を楽しむことができない。

ブレワイは何度も最初からやってその都度色々な冒険を楽しめたけど、ティアキンは1週目コンプすらできずにお腹いっぱいです。

最後誘導に関して。

最初にブレワイはめちゃくちゃ面白かったと書いたが、その理由は今までのゲームになかった圧倒的な自由度にある。

まずゲームを始めてすぐ、何のムービー誘導もなく、手探りでOPまで進むことになる。そして塔を起動するまでも一度姫さまの声が聞こえるだけ。極めつけに1つ目の祠をクリアしたあとは「残りは全部自力でやってね。じゃ!」と言われる。最高だろ?始まり台地マップは全て繋がっていて、エリア間移動もすぐできるので、どこから探索しても構わない。

対してティアキンの始まりの空島ではまずマップ構造ラウル誘導からして反時計回りに進むことが前提となっている。ウコウホ〜インイサまでは多少広いけど、それ以降はほぼ一本道。実際初見プレイときゲームの方から「次はこっちに行ってね」と言われているように感じた。ワープも使えないから後戻りもしづらい。

また「これをしないとストーリーを先に進められない」という、謎解きの形をしたおつかいが多々見られる。

例えばブレワイのゾーラのストーリー

・ゾーラの街にたどり着く

・ゾーラの街で会話を進める

電気の矢を20本集める(すでに持っていたらスキップ可能)

・ルッタに乗り込む

・ルッタで謎解きをする

こんな感じである

対してティアキンのゾーラのストーリー

・ゾーラの街にたどり着く

・像のヘドロを取り除く

・ゾーラの鎧を貰っておく

シドに会いにいく

学者に会いにいく

・街の子供の話を聞く

・ドレファン王に会いにいく

特定の空島に行く

シドに会いにいき魔物を倒す

・貯水湖の渦に入り、謎解きをする(長い)

神殿までの道のりを進む(長い)

神殿で謎解きをする

やることが多いよ!ロックマンエグゼ2のフリーズマンシナリオかよ!

とにかくブレワイに比べて自分の好きなように進めるというのがやりづらくなったと感じた。

総評として「ウルトラハンドが500点。それ以外40点で平均して約120点」みたいなゲームだと思った。正直言ってウルトラハンドとほんの少しだけ改善されたUI(と多すぎるボリューム)以外ブレワイに勝ってるところないです。

実際ウルハンで謎解きや工作してるときは本当に面白かったんだけどね…。それ以外の要素もコンプしようとしてしまったのが悪かったと思う。

anond:20240430215219


https://note.com/stairlimit/n/nb76f64b326bd

現状、MMTという理論肯定的議論しているグループは二グループに分かれている。片方は学問的なグループであり、もう片方は政治的グループ

政治的グループは極めて悪質で、彼らが「MMTである」と主張する出典不明学説から荒唐無稽しか言いようのない結論自由に引き出し、それを用いて政治的対立者を罵倒している

いずれにせよこのグループは、上で挙げた学問的なグループ自身らのグループを都合よく使い分けており、普段学問的なMMT権威を用いて自説を展開するが、

都合が悪くなると「それは誤解であって、MMTはそう主張していない」「論敵はMMT勉強が足りていない」と言って反撃する傾向がある

したがって、MMT政治的グループについては、大半のまともな経済学者は数年前の時点で「議論にならないため、無視すべき」という結論に達している。

一方で学問的なグループは、それほど支持を集めているとは言えないものの、書籍出版される程度には活動実績がある経済学の一部分である。ただ、それはたいして肯定的評価ではない

学問的なMMT」は実のところ「有力な学説」とすら現状ではまだ言えないので、大抵の学者はまだ様子見しているところである

様子見というのは「正しいかどうかをもう少し考えよう」ではなく、「勉強する価値があるかどうかをもう少し考えよう」という意味だ。

まりMMTは多くの学者にとって勉強すらされていない。

Krugman described MMT devotees as engaging in "calvinball" – a game from the comic strip Calvin and Hobbes in which the players change the rules at whim.

この部分、かなり無視できない点で、つまりクルーグマン感想が正しければ、MMT論者は「理論検証できない状態」を意図的に作り出しているんじゃないかという疑いがあるのだ。

経済学では、サミュエルソンが強調して以後、ポパー型の反証主義がかなり重視される傾向にある。

僕はこれについて、必ずしも反証主義絶対だとは思わないものの、MMTのような新興理論にとっては重要だと思っている。

まりMMTだと起こり、それ以外の理論だと起こらない現象はあるのか。逆にMMTだと起こらず、それ以外の理論だと起こる現象はあるのか。それらは現実だと起こっているのか、起こっていないのか。

この検証結果次第では、MMT重要理論になり得る。

まとめると、MMT学問的には、現状では勉強するに値する魅力的な理論とすら思われていないので、まずは状況証拠を集めて、最低限勉強するに足るだけの魅力があるということを立証するところから始めるべきではないかということです。

そして現状はそれができているようには見えず、さら政策に無理やりねじ込もうとするグループが悪目立ちしすぎるので、僕は少なくとも距離を取っている。

2024-04-29

anond:20240429174711

栄養学者ちゃんとしないせいで

マーケティング疑似科学食品が支持拡大してるよね

アホな食事布教してる奴ら懲役9年くらい行ってほしい

2024-04-28

  むかしむかし法学部に、何人かの刑法学者民法学者と行政法学者憲法学者がいました

    刑法学者のうち、西田先生たばこの吸い過ぎで肺がんで、平成25年6月13日に死去しました。

     もう一人は、知能指数事務処理能力の高い先生でしたが人格破綻して、可愛い稚児になって刑法が分からなくなりました。

   高橋和之スクランブルをして失踪しました。憲法ドラマティーであると言っていた憲法第1部の先生は氏名不詳で消えました。

    民法は、 技であり魂であり、型であり、なんじゃという5つくらいの必殺技名前を書いた参考書を出していた、森田宏樹も、発見できなくなりました。

  神戸大学から東大法の教授になったとして不可を連発していた行政法学者も消えました。 英米法学者の寺尾美子は学部生に脅迫されました。政治学者加藤淳子も

    脅迫されました。平成20年頃。住んでいた江古田人格崩壊して、えごたになりました。

anond:20240426070102

そろそろ「ググる力」とかい妄言は根絶した方がいい

従来プログラミング業界においては、やれ「ググる力が重要」だの、やれ「分からないことはググればいい」だのと言われてきたわけだが、もうそろそろこういう妄言は根絶されるべきだ。

そもそも、専門知識の要る分野でそれなりの水準の仕事をしようと思えば、ググって済むようなことはほとんどない。

実際、プログラミング以外のあらゆる分野で「ググればいい」なんて言われることはほぼ無い。その分野の仕事必要な基礎知識を身につける方が圧倒的にウェイトが高いからだ。

ググる力」とか言ってるアホは、じゃあためしに俺の手元に、タネンバウムの「コンピュータネットワーク」第6版があったから、これと同等の知識を、コーディング時の調べ物だけで身につけてみてくれないか

こんな知識業務必要ない?そりゃお前がその程度の仕事しかしてないってだけだろ(笑)

ネットサンプルコードコピペするしか能のないIT土方コンピュータサイエンス数学コンプレックス持ってる低学歴は、さっさとエンジニアやめろ。少なくとも、他人(とくにプログラミング学者)を自分と同じ水準に貶めるな。

色々的外れだなあと思ったことを書き散らかす


まず挙げられるのが、何でもかんでも言わなきゃやらない指示待ち無能への揶揄である、ということ

オブラートを剥ぐと、その程度のこと自力でやれカスが、であるがそんなこと言うと社会人として終わってるのでオブラートに包むのである



つぎにそこまでは無能ではないが初心者アドバイスとして述べられるパターン

こちらは単純、元増田にも触れられてるが専門知識で調べても出てこない部分はどうしても出てきてしま

ただしここで重要になるのは直面したその問題が、調べてできることなのか調べてもどうしようもないことなのか、の見当がすばやくつけられるかどうかである

このセンスを鍛えるのに欠かせないのがいわゆる「ググる力」であるのでやってみろと言われるわけなのだ


つぎにある程度のシニアマネージャー層としての視点

IT業界はよく言われるが技術進歩が目覚ましい

数年ですぐに新しいものが出て古いものが消えていく

その最新にある程度追従していかなければならないのは宿命となっている

優秀な人材はその辺のアンテナ感度が高く苦もなくやってのける

優秀でなくともある程度マシな人材に育てるにはその感度を鍛えてやる必要がある

ここで重要になるのは「自分から調べる」と言う行為は当たり前であり苦にならないような状態にする必要があると言うこと

結局いわゆる「ググる力」に戻ってくるわけである

もちろん当然であるググる比喩であり本当にググるだけでなく書籍勉強会など必要もの必要なだけ自分で手に入れる能力である

つらつら思いついたことはこんなところかなあ

チー牛は愛されるがDQN顔は迫害される

いわゆるチー牛、眼鏡で横顔がEラインではなく鼻が低く口が突き出した顔

あれは馬鹿にされるが、「あいつチー牛」「俺もチー牛」と自称者や身の回りにいるという者がわらわらいる、単に日本人によくいる顔だ

イケメンではなくぬぼーと生気がない感じというのが主な批判点だろうが、真面目そうで大人しそう賢そうともいえる

学者や士業など頭脳職の人はチー牛が多い

一方、DQN顔というもの存在する

大阪によくいる顔」などと称される

チー牛がぼんやりして丸みがある印象なのに対し、DQN顔は目力がありごつごつしている

旭川夫婦殺傷事件で亡くなった被害者はまさにDQN顔と言えよう

彼の小学生の娘が近隣の無職ハゲ男性の家にいたずら→ハゲ女児を怒鳴りつけ、女児カバンを蹴りつけ、氏名と住所を書かせ帰らせる→被害者ハゲ宅を訪問ハゲ被害者を滅多刺しにし死なせる

被害者20所以上刺されて死亡したにも関わらず、DQN顔だからネット上では叩かれまくっている

「どうせこいつが逆ギレしたんだろう、刺されなければハゲの方が殺されていたかもしれない、ハゲ正当防衛だ、ハゲ無罪しろ

こんな調子である

被害者がチー牛だったらそんなこと言わなかったよね

真面目で優しそうなお父さんだったのに可哀想、ってなってたよね

ネット上だけでなく、ハゲ自身も「被害者風貌などからくる恐怖感」から正当防衛をしただけだと主張している

被害者がチー牛だったら殺さなかったんだね

「雇われたヤクザチンピラだと思った」とも証言

被害者がチー牛だったらそうは思わなかったんだね

被害者別に金髪にしてるわけでもピアスジャラジャラなわけでもない

普通黒髪別に華美でもない、ただ顔つきがDQNっぽいだけ

それだけで殺人正当化される

チー牛だったら殺してもしょうがないなんて言ったら大炎上だろ

でもDQN顔だったらTwitterでも叩きがバズる

被害者20箇所刺され、妻は途中でハゲに体当りして止めようとして、それで妻も10箇所刺され、一部始終は小学生の娘の前で行われた

娘は「みんな殺してやる」と言われたと証言

隣人がハゲを羽交い締めにして止めなかったら娘も刺されてたかもしれない

こんな状況でも顔が気に食わなかったら正当防衛だって

文学研究てなんなん

新潮文庫芥川龍之介地獄変・偸盗』を読んで表題のようなことを思ったのでちょっと書いてみる


この本は解説吉田精一という人が書いている

どうやら偉い学者のようだが、「何言ってんだこいつ」と思えるところがある


この人によると収録されている『六の宮の姫君』は出典元の今昔物語集と筋はほぼ同じで、あとは若干の創作が付け加えられているだけだそうだ

評価する者もいるが大したことない作品らしい


芥川龍之介が話の筋を重要視してないのは素人自分でも知っている

谷崎潤一郎議論があったのも知っている

話の筋は、芥川作品において読み解くべき優先順位は低いだろう


この人は「わずかに潤色をほどこしているにすぎない」と芥川創作部分を評価してないようだが、

出典元と読み比べてみると、むしろ筋以外はほとんどが芥川創作で、描写される景色人物言葉今昔物語集には存在しない

芥川が生み出したところに目を向けず、筋だけを取り上げて大したことない作品貶めるとは、こういうのが文学研究なのかと、いったい何をしているのかと思う


『六の宮の姫君』は芥川自殺する5年前に書かれた作品だが、自分には作中の死にゆく姫君の言葉は将来の芥川自死を予感させるもののように読めた

こんな素人ぽい分かりやすい読みを超えた、専門家らしいもっと深く鋭い解説を読みたかったが、それともこれこそが専門家らしい読み方なのだろうか


あと、「極楽地獄も知らぬ、不甲斐ない女の魂」を芥川の姫君に対する批評としているけど、これは作中人物のセリフである

中人物のセリフをそのまま作者の思想とみなすのはどういう根拠があってのことなのか

2024-04-27

anond:20240427035910

メスの頂点はルッキズムで金を得る人だよ

容姿審査なしで就ける仕事ゴミなので

中小企業診断士ブサイク学者よりキラキラスタバ店員のほうが上とみなされるのが女の世界

anond:20240426234848

1.未成年選挙権

 私は著書「統計データおもしろい! -相関図でわかる経済文化・世相・社会情勢のウラ側- 」(2010年10月技術評論社刊)の中で、この図録を含む上記つの図録にもとづき、「少子化公的支出で防げるか?」という表題の1章を構成したが、「政治奇跡」へ向けての具体策として以下のように提言した。

「私は、究極の普通選挙として、選挙権未成年にも与え、親にその代理投票権を許すという新制度について真面目に検討してもよいのではとさえ思っています世界史上はじめてこうした制度をつくるとしたら、高齢化スピードが最もはやく、高齢化に伴う社会保障制度のゆがみが最も深刻な日本においてではないでしょうか。」(p.121)

 これは、一般には、なかなか受け入れがたい考えかなと思っていたら、同じことを考えている人は、予想以上に多いようだ。

 経済学者大竹文雄氏は2008年10月20日(月)発売の『週刊東洋経済 』に「子供の数だけ親に投票権を」というコラム掲載している。

 大竹文雄氏のブログでは、他にも同じ提案をしている例として「北海道大学大学院文学研究科金子勇教授がお書きになった『少子化する高齢化社会』(NHKブックス2006年2月刊)の148ページから149ページに記述があります。そこには、2004年4月富士通総研鳴戸道郎会長が「少子化コンファランス」でこのような提案をされたと記載されています。」とある

 さらに、東京新聞では、「ゼロ歳児から選挙権を」という見出しで、スウェーデンで「赤ちゃんを含めた将来世代選挙権を広げよと提唱し、」同国で反響引き起こしたイエーテボリ大学のボー・ロースタイ教授へのインタビュー記事2011年2月20日)を掲載している。

「昨年9月スウェーデン総選挙では与野党年金所得への減税について優遇策を競い合った。高齢化した有権者層の受けを狙った、投票を金で買うような行為によって政策をゆがめた」「いっそゼロ歳児から国民選挙権を獲得すれば、スウェーデン政党は新たに誕生した約200万人の有権者の獲得を目指すことになる。この大きな一撃は政策優先順位必然的に変える。もちろん選挙関連法の改革必要で、実際には保護者子ども代弁者として投票する仕組みが考えられるだろう

夢物語では。

もともとは10年ほど前にスウェーデン小児科医らの協会が考えたアイデアだった。彼等は経済的困窮に陥った子供たちを多く見る立場なので発想できたのだろう。私は当初『とんでもない考えだ』と否定的にとらえたが、学者としての調査過去30年間、西欧社会子供貧困精神不適応が驚くほど拡大したことを実感しており、人的資源子供)に投資しない政治社会をもはや見逃せなくなった」

 こうした投票制度は「ドメイン投票制度」としても知られているようだ。

 親権者子供の数だけ投票権を与えることで、間接的に未成年者にも投票権を与えようというアイディアは、「ドメイン投票方式」と呼ばれ、人口統計学者ポールドメインPaul Demeny)によって1986年に考案されたとされる。「ドイツでは2003年ドメイン投票方式を導入について議会議論されたが、実現には至らなかった。そして2008年に再び議論されている。なお、ドイツでは ドメイン投票方式子供投票権(Kinderwahlrecht)の名で知られている。」(ウィキペディアドメイン投票方式」2013.4.30)

 提唱者のドメイン教授を招いた「ドメイン投票制度」についての討論会2011年3月に催されている(NIRA該当サイト)。ここで、ドメイン教授は、ドイツ議会での議論のほか、シンガポールリークワンユー元首相が同様の提案を口にしたこと、またハンガリーの新憲法草案として「子どももつ母親に1票を付加給付」という考え方が示されたことを紹介している。

https://honkawa2.sakura.ne.jp/1587.html 

2024-04-26

0歳児に参政権

という某さんの発言に対して、政治学者法律学者などは割とまともにとりあっているのか?

あるひとの投稿では被成年後見人にも選挙権があることと比較していっていた。

しかしそれは違うだろうと思う。”成人”であればいくら後見人がいたとしても”成人”だ。

しかし0歳児は成人ではない。

もし0歳児に選挙権を認めるのであれば義務教育の中での公民教育はどういう意味を持つというのだろう?

学者にとっては公民教育なんてアリバイみたいなもの無意味といいたいのだろうか?

一応日本では”義務教育”で公民教育をやることになっていて、たとえば義務教育を終えていれば新聞なども読めて、

日本国憲法の大枠も理解して、政治的意思を表すことをできるようになって”成人”ということだ。

河野某や大屋某などにとっては、自分たちのような高度な知識をもって初めて政治を語れるのであり、

それ以外は0歳児も同じようなものってことか?

そろそろ「ググる力」とかい妄言は根絶した方がいい

従来プログラミング業界においては、やれ「ググる力が重要」だの、やれ「分からないことはググればいい」だのと言われてきたわけだが、もうそろそろこういう妄言は根絶されるべきだ。

そもそも、専門知識の要る分野でそれなりの水準の仕事をしようと思えば、ググって済むようなことはほとんどない。

実際、プログラミング以外のあらゆる分野で「ググればいい」なんて言われることはほぼ無い。その分野の仕事必要な基礎知識を身につける方が圧倒的にウェイトが高いからだ。

ググる力」とか言ってるアホは、じゃあためしに俺の手元に、タネンバウムの「コンピュータネットワーク」第6版があったから、これと同等の知識を、コーディング時の調べ物だけで身につけてみてくれないか

こんな知識業務必要ない?そりゃお前がその程度の仕事しかしてないってだけだろ(笑)

ネットサンプルコードコピペするしか能のないIT土方コンピュータサイエンス数学コンプレックス持ってる低学歴は、さっさとエンジニアやめろ。少なくとも、他人(とくにプログラミング学者)を自分と同じ水準に貶めるな。

刑法立法上の技術』 (任介辰哉、吉崎佳弥、共著  有斐閣 令和6年  7800円)

   刑法は全てで253条まであり、その立法技術に該当する。しかし、一般法学部では、その技術の程度や内容について何も教えていない。そこで本書では

  刑法がどのような技術立法されているかを解き明かし、初学者でも、刑法技術が分かり、その構造全体が分かりやすいようにし、刑法がどのような技術によって出来ている

  ものであるかを解説したい。 (序説より)

anond:20240426011751

そういう面も否定はしないけど、その可視化されただけの病人に、簡単に世の中の普通の人が影響されたでしょう。

老若男女あんまりわずテレビも、なんなら学者みたいなのまで、ネット言葉かいをそのまま真似するようなのがかなりいる。

俺は日本メディアエリートみたいなのが、今まで建前を守ってきたのが、そういうルール意識してるとか内面化してるとかでなくて、本当にただ「他の人が言ってるかどうか」だけで決めてたなんていう事実に心底驚いたわけです。

そんなの建前ですらねえ。

2024-04-24

anond:20240424121417

保身や利益のために他国の依頼で自国自国民の不利になることしたら売国やね

ロシアから金品もらって北方領土差し出すように政府に働きかける政治家とか、中国からの指示で日米同盟否定的意見を述べる学者とか

2024-04-23

   整数論をひたすら研究すると、 自然数素数はこの世界で別なセットであり、 お互いに関係していない。 だから自然数素数の間に関係を見出すのはないだろうと言われていた。

    しかし、 自然数素数は、整数論世界で、基本的な真理であり、これだけいたるところに出て来るのであれば、何かあるべえではないか?と思われていたところに、普通にありました

  というのが、  a^p-1 ≡ 1 mod p であり、

    俗本では、 素数の現れ方に規則性はなく、 云々と書いているが、 その素数と互いに素な自然数 a であれば、上のような関係存在する。

  なお

     互いに素などと言われるといかにも酷いように思われるが、  p以下の、1からp-1までの自然数は、pと互いに素であるので、 自然数素数と言う一見無関係ものの間には

  このような美しい定理がある。しかし、 小中学生世界では、 この定理は、フェルマー発見時代驚愕されたもので、今の整数論世界ではあって当たり前だから別に美しいとは思われていない。

   初学者は美しいと思うだろうが、ハイレベル者にとってはあって当たり前なので、陳腐化している。

anond:20240423194315

教養倫理社会規範(法律マナー、慣習)は含まれます

 

 

教養があるとされる著名な学者政治家社会活動家は、パワハラセクハラをしないのか?不適切ジョークを好まないのか?

 

 

その高名な方々は教養不足なのか?

 

 

倫理法律マナーに携わる人や、それらを勉強した人は、パワハラセクハラをしないのか?不適切ジョークを好まないのか?

 

 

お前ら教養あるの?

  • 他者配慮しよう・思いやろうって心づもりはあるが、いわゆる『常識』に限らず、興味ない事は全般に知らんやで

anond:20240423032021

いや「有害な男らしさ」を見て「男らしさ=有害」と読むやつがいたらそれは国語力のないバカでしょ

常識文脈考慮すればそんな解釈には至らない

英文法の初学者ありがちな英語文法だけできっちり文意特定できるが日本語文法曖昧文脈依拠せざるを得ないからクソ」みたいな思考に陥ってるのか知らんが、英語だって文脈次第でいくらでも文法解釈は変わってくる

Context is kingとはよく言ったもの

それにそもそも英語からの直訳をもとにあーだこーだ言うのもおかし

日本語由来の表現ではないので自然じゃなかったりニュアンス等がズレることはある

だがそれは翻訳問題であって日本語固有の問題ではないし、日本語から英語翻訳した際にも同様に起きうる事象

2024-04-22

歴史的な収蔵物の保存と、若者文化の発展はバーターだということを忘れてはいけない

収蔵物が博物館キャパティを超えて保存され、その扱いに困っているという新聞社Web記事を見ていて、改めてそう思った。

昔、「正しい日本語」という概念流行り、それが何なのかという議論が多数交わされたが、それらは結局のところ、世代対立に過ぎなかった。

そして、この収蔵物もそうなのだと思う。

若者でない世代が、自分たち大事だと感じる資料を、「歴史的」というあたか価値のありそうな形容詞で装飾して、

キャパティ無視してでも、それに親しむものよりは若者だろう管理者に、たくさん押しつけようとした結果に見える。

どちらかいえば老人世代に近い自分だが、個人的には、キャパティを超えた分はすっぱりと処分すべきに思う。

若者もきっと、歴史的呼称した老人世代の未練に興味はないのだ。私たち世代のもの私たち世代で諦めるしかない。

そもそも、収蔵物の保存にはコストがかかるので、若者文化の発展はその分遅れてしまうし、

歴史的事物の保存という行為自体も、若者文化の発展には抑圧的に働くので、収蔵物の保存というのは若者たちに本質的に好まれない。

そして、誰も明言しないが、歴史的資料は「古いものは尊ぶべきだ」という価値観を無言で内包している。

歴史的資料は「文化『財』」という名称で、あたか自然財産然としているが、その実は若者にとってコストというか、若者文化を発露する際の重荷でしかない。

そして、歴史的資料は「歴史」という教科となって、あたかも覚えるべき知識であるかのように振る舞い、若者キャパティまで削ってしまう。

個人的には、若者認知未来に向かって注がれるべきと思われ、合理的でも道徳的でもない偶然の連なりである歴史」などに充てられるべきではないように感じる。

そもそもなんで、偶然でしかない、未来に決して通用することもない老人たちの教訓を、若者たちに記憶させないといけないのか。

そういった保守的歴史のがんじがらめが、地元流れる人間関係の重さと相まって、若者たちを都心部に押し出す格好になっている気がする。

すると文化財は、その費用からもその思想からも、若者たちを都市部に押し出すのを助けてしまっているとさえ思えてしまう。

掘れば遺跡が出てしまい、その保存で開発が全く進まない「文化財」だらけの地方自治体に、どんな若者が残り続けたいと思うのか。

思春期の子供が両親に反抗するように、若者たちはきっと、古い文化象徴である歴史的資料など捨てたい、

その保存コストを、古い文化の代わりに自分たち享受したいと思っているはずなのだ

まりは、歴史的資料は非明示的ながら、そしておそらく無意図的ながら、古い者たちの権力となってしまっていると思うのだ。

から一部の人たちにとっては無意識的に、歴史的資料コストをかけてでも博物館占有していないといけないのだろう。

でも、歴史的資料をとるか、若者主体文化としていくかは択一であり、どちらが本当に重要かってことを、今一度考えてほしいと、この老いぼれはひそかに思う。

偉い学者が、日本人口回復のためには、面倒みるべき親を早く捨てろと言ったらしく、それは耳が痛いことでもあるが、

同様に、若者文化の隆盛のためには、キャパティを越えてまでも保存され続ける「歴史」は捨てるべきではないのかと、

老いたる人々には若者未来のために考えてほしいと思う。若者迷惑をかけないでおきたく思う。

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