「創作物」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 創作物とは

2016-12-29

二次創作やってるやつらは全員死んじまえ

以下独りよがり感情的ポエムからそれが嫌なら回れ右しろ

ここで言う二次創作とは著作権を持っている第三者がいるような原作もののことであり

正式に許諾・監修(不要ならなくて良い)・ロイヤリティの支払い(不要ならなくて良い)をしているものは除く

お前らファン活動の一環としてコミケとかで二次創作物を配ってるよな?それはい

その二次創作物を配るときに対価を受け取ってるよな?死ね

ファン活動とか大義名分を言ってるけどお前らが作品を衰退させてるってわかってやってるか?

言い過ぎか

衰退させる一端を担ってるに訂正しておく

俺も昔はコンテンツの発信者だったんだよ

といっても個人ではなく企業所属してやってただけなんだけどな

そこに就職してすぐのうちは情熱燃えキャラクタに入れ込んで

入れ込んで入れ込んで入れ込んで

我が子のようなって比喩があるけどさ

比喩どころか自分が育て上げた我が子そのものなんだよ

それが二次創作物で汚された

それ自体はい

何も問題ない

そういうファンがいることは知ってる

でもな

我が子を汚して金とってんじゃねぇよ

その当時の俺の心境といえば

拉致監禁の上ドラッグ漬けにされそいつらの思い通りに動かされている我が子を

観てることしかできない親の心境?

子供持ったことないけど

まぁ、そいつらを訴えたところでたかが知れてるどころか赤字出し

ましてや会社しかその権利がないかクリエイタとしては泣き寝入りするしかないわな

同人誌作りましたーって送られてきたもの原作レイプだったりさ

新作を出すとき自分の本と設定が違うので設定を変えてくださいって苦情の電話かけてきたりさ

本当にこういうのあるんだぜ?信じられるか?

もちろん真っ当な本当に原作が好きなんだなっていう二次創作がないとは言わない

だけどよ、設定が勝手に足されていたりさ、喋らないはずの言葉を喋っていたりさ、

R18のやつなんか文字通り汚されていたりしてさ、

それ、我が子である必要あったのか?

別にオリキャラでも成立してたんじゃないのか?

って答えの出ない自問自答してたりしてな

売れてる原作者出版元に片っ端から電話して

許諾・監修・ロイヤリティの有無を一覧にしてやろうって何度考えたことか

認めないのオンパレードでお前らが活動できなくなるだろざまあみろってな

まぁそんなことをやったらスーパーハッカー()に住所バラされて

その住所に基地外が刺しに来そうだから諦めたけど

それが何度も何度も何度も何度も何度も繰り返されてさ

そのうち自分の作るキャラクタ思い入れをしなくなった

思い入れさえしなければ汚されても何の感慨もないしな

でもそれは自分情熱がなくなることと同義

俺はクリエイタではなくなった

この件だけが原因じゃないけどな

情熱がなくなった分他の問題我慢できなくなったんだ

から俺は二次創作が大嫌いだ

魅力的なキャラクタを作れないからって

魅力的な設定を作れないからって

人の思い入れのあるものを使って金とってんじゃねぇよ

どうせお前ら手頃なキャラたまたまそこにいたから使っただけなんだろ?

どうせお前ら有名な作品から売れるといって使っただけなんだろ?

どうせお前ら有り物を使わないと何も作れないんだけなんだろ?

どうせお前ら俺みたいなクリエイタの情熱を金に変えているだけって自覚はないんだろ?

本当に作品キャラクタが好きなら無償ファンアート描いてろよ

汚されようが何しようがそれはお前の権利だよ

だがな、お前らに何の権利があって金取ってんだよ

紙代がー印刷代がー輸送費がーって知るか

今の時代ネットで公開とかたやすくできるだろ

なんでわざわざ金とってやってんだよ

どうせファン活動隠れ蓑に儲けるためだけなんだろ

許諾の確認を取ったら認めないって言うしかないんだから聞くな

訴えてこない以上黙認してるんだ

って主張するやつは何を履き違えてんだ?

お前らを訴えても赤字になるから訴えられないってだけなんだよ

黙認なんてしてねぇよふざけんな

我が子をレイプされて怒らないわけないだろ

でも現実問題としてできないんだよ

本当に好きで、ファン活動したいっていうなら

その原作を作り出した人なり会社なりに還元したいと思わないのか?

魅力的な作品の続きを創ってほしいと思わないのか?

次の魅力的な作品を生み出してほしいと思わないのか?

お前らのやってることはファン活動じゃなくて

作品を食いつぶしてるだけなんだって理解しろ

ちゃんと許諾を取って、監修してもらって、ロイヤリティも納めて、

そうさどうせ企業なんてものは許諾を出さないさ

でもそれは仕組みがないからで

ファン活動をしたいって思いがあるんなら全部やってくれるような何かを作ってくれよ

俺はお前らの金を生み出すために我が子を創り上げたんじゃないからさ

ちゃんと監修させてくれよ

企業だって営利団体なんだから

ちゃんとロイヤリティが入るなら監修だってさせてくれるはずなんだよ

それができてない以上、二次創作やってるやつらは全員死んじまえ

俺が少数派だってことは自分でもわかってるから

お前らに従えよって言う権利がないのはわかってる

からこうやって愚痴を吐くくらいの権利くらい認めてくれよな

======

追記

トラバに反応するけど、赤字が云々じゃなく

1円も金取るんじゃねぇって言ってんだよ

人の創作物を使って勝手に金取ってんじゃねぇって

2016-12-27

リアルでやってはいけないことは創作物でもやってはいけない。

そういう価値観があっても良いと思う。

エロ漫画は愛し合った人同士のエッチばかりになって微笑ましいし、

アニメ作品も突然第三話で誰かが死ぬみたいな話がなくなって、安心して観ていられる。

とても幸せ社会生活が送れそうな気がする。

http://anond.hatelabo.jp/20161227100548

男性天国である男性顧客とするコンテンツが多い)こととモラルの有無は関係ないと思います

では何故男性向けコンテンツには女性を性の道具として扱うようなモラルの無い物が多いのでしょうね。

女性向けの類の物も無いことはないでしょうが、圧倒的に男性向けの方が数が多いですよね?

男性の多くは女性を悪辣に扱うコンテンツのせいで傷ついている人が居るとは考えないのでしょうか。

また居たとしても何の問題も無いと感じるのでしょうか。

殺人禁止されているのに、何故漫画の中でキャラが殺される描写が許されるのか。」

私は殺人描写に関してもある程度の規制必要だと考えています

特に弱い立場の人々が無下に殺されるような描写は、戦争が如何に悪であるかを描く等の理由がない限り許されるべきではないかと。

現実違法な状況を非実在世界の中でつくることはどうして人権侵害なのか。

それを観た人はどう感じると思いますか?

例えば女性子供が、男性快楽目的強姦される描写を目の当たりにした時、確実にある程度の人は心に傷を負うでしょう。

感覚麻痺してなんとも思わないという人が居ようと、そういった描写のせいで傷つけられる人々が居るなら規制を行うべきです。

その線引は現実違法である行為か否かで行うのが最も無難であると思われます

コンテンツを楽しんでいた側の人権はどうなるのか、と思われるかもしれませんが、

喫煙行為が周囲の人に害を与える為に喫煙所が縮小されているように、悪辣な表現も傷つく人がいる限り縮小されるべきです。

あなたも汚れた楽しみを得ながら

少なくとも私は悪辣なポルノ犯罪表現に楽しみは感じませんし怒りを覚えます

ゾーニングされても何の間違いで触れるかわからないのですから現実犯罪行為で有るか否かを線引に規制を行い、コンテンツ健全にするべきです。

自分以外が欠落していると考えるのは重大な邪見です。

自分以外が欠落しているとは一言も言っていませんが。

私も自分完璧だとは欠片も思いませんよ。ですがより良くしようとする努力必要ですよね?

現実の異性と向き合わず創作物で歪んだ欲望を吐き散らすのは明らかに異常ですし、

カウンセリングによって異性と適切な関係を持てるように改善することは本人のためにもなると思います

2016-12-21

自分創作物タイトルに ~ in the dark を付けるのは半分敗北だが通らなければならぬ宿命

闇を振るう力を行使するためには絶対必要

自分創作物タイトルに ~ 世界 を付けるのは1/3敗北で1/3の純情な感情支配されているが、

この先生き残るのは難しい。

自分創作物タイトルを ~ ワールドにすると2/6の不純な節分で歳の数だけ豆を食べるはめになる。

ユーリ面白いね!

 ユーリ面白くて数時間後に迫った最終回が楽しみすぎるので思ってること書くよ!

 私は好きなものや気になったものについて、よく検索かけて他の人がどう言ってるのかを見たりする。勝手同意したり反論したりして楽しむ。まあこの習慣のせいで最近しんどい思いをすることも多くなってきたのでやめたほうがいいのかなとも思うんだけど。

 ユーリももにょ案件結構あった。ユーリにかこつけて実在のスケーターの画像BL的に消費して楽しむファンとか、最初面白かったのにホモ気持ち悪いとかトレパクとか。

 

 実在人物のそういうアレで大騒ぎするのは小学生が「AくんとBちゃんが付き合ってまーす!」って騒いでるみたいで品がないなあと思う。ああやって騒ぐタイプの人とは仲良くできないな。それこそいわゆる生物案件なんだから腐女子が得意な検索避けで楽しむべきなんじゃないの..あとユーリに限らずクソコラやめてほしいな〜〜〜〜楽しいのはわかるけど失礼じゃないかな...

 ホモ気持ち悪い、あるいはホモじゃないか尊い、みたいなゲイフォビア発言大手を振ってまかり通る日本はまだまだ遅れていて悲しいなあ。わかる、わかるよ、私も昔はどっちかってとBLに対し否定的だった。例の水泳アニメを見てうわあ...って思ったりもした。

 でも、今から思うと多分「普通じゃないこと」に対しびっくりしちゃっただけだったんだよね。「これまで自分の中で培われてきた常識から外れている」「衝撃的」な絵面に対する拒絶反応最近は考え方が変わって、どういう性別だろうと親愛の情を抱くことは当たり前のことだと思うようになったかユーリもなんの違和感なく見ている。キスたからって恋愛とは限らないし逆も然りじゃない?いろんな解釈があっていいと思う。全部当たり前で普通だよ。

 ここから個人的見解だけど勇利とヴィクトル関係師弟から始まってはいるけどいろんな愛情が混ざり合って結婚して当然だしセックスしててもおかしくないかなってくらいには発展してるとおもう...ただGPF終わったら離婚しそう(ごめん)っていうか、なんか一種青春みたいだよねっていうか、最後のGPFという刹那っていうか、まあこの辺は日本語得意な人に任せた!

 そしてトレパクはまあ専門外なので論ぜぬ。黒だったら残念って感じ。「検証画像フォトショ」みたいな反応も見かけたし個人的には白を信じたいけどな〜〜〜〜。

 あとまたこれは別の問題だけど、「ホモ気持ち悪いという感想をおおっぴらに言えないために鬱憤の溜まった人たちで構成された集団が好機とばかりに卵アイコンで叩いている」という印象が拭えないので、なんかもう、地獄だな、と。大勢好きだ、面白い肯定するもののよさが自分だけちっともわからないみたいときマジョリティに対する腹立たしさ、圧迫感みたいな気持ちめちゃくちゃよくわかるんだよ...それで鬱憤溜まるのも叩きたくなるのもわかるんだよ...地獄... 

 私とある漫画とあるマイナーキャラが大好きだったんだけど、その子理不尽に殺されて、でも殺した方のキャラが人気で、私は許せないのに殺した方のキャラ擁護する声の方が大きくて、あまつさえ「彼こそ主人公」みたいなコメントがたくさんあって、重要キャラから公式でもどんどん優遇されて、一方私の好きな彼はグッズやサブコンテンツでもハブられ続けて...そんな風潮を見て悔しくて悲しくて腹が立って、眠れない夜とかあったくらいなんですよ...だから気持ちはよーーーーーーーくわかる。しんどいよね。そのうちエネルギーが怒りに向かうんだ。 違う話だって?そう思うならごめん。でも私は一緒だと思う。

 あとはあれだ、「本格的じゃなかった」みたいな批判。まあそれはわかる。スポ根を期待して見たらスポーツを題材にした少女漫画だったのでがっかりした、という人がいてもおかしくはないかな。私は少女漫画も好きなのでこれはこれで、といった風に楽しんでるけれど。あと演技中の心理描写は本格的を謳うのにふさわしく緻密だと思うよ!きっと修行パートが足りないんだな。ユーリに12話は短いよ!!!!!

 個人的見解もういっちょ。ユーリ作品としてLGBT問題とくくりつけるのは賛同にせよ批判にせよお門違いだと思うよ!!!!!そんなにウェイト大きくないよ!!!理想の世界ではあるけど!!!まあユーリみたいな雰囲気創作物が増えたらいいなあとは思うかな。

 さて、こういう話はもういいかな!ここからJJの話させて!私はJJが大好きです!!!

 あーJJ!!!!!!!大好き!!!!!!!初登場回の初演技で、あのずっとこちらと目が合ったままの謎スピン一目惚れしました。アニメに限らず、スケートにも限らず、私ああいう根っからエンターテイナーな選手が大好きなんです!!!

 パフォーマーには二種類いると思ってる。一つは己の内面を見つめ己を表現するアーティスト型。もう一つはお客さんを感動させることを目的とするエンターテイナー型。両者の違いは端的に言えば内向的か外向的かってところなんだろうと思う。ユウリカツキなんかは典型的な前者だよね。そして私の解釈ではJJことジャン・ジャック・ルロワは絶対後者スケートどころか、氷上に限らず彼の生き方のものエンターテイナー。あー好き!!!!!!!!

 JJ彼女も大好き。イザベラちゃんっていうらしいねJJってたくさんのJJガールズに愛想振りまいて、EDでは左右に女侍らせてたりもして、それでもイザベラちゃんは全く意に介してないどころかJJガールズの存在を自慢にまでしていている。多分左右に女侍らすJJを見ても「さすが私のJJね!」って肯定してくれそうだし、イザベラちゃんはジャンジャックルロワの「JJ」という理想生き方をまるごと肯定してくれる女性なんだなって思った。JJみたいなタイプの極めて外向的なパーソナリティを支えるには最高のパートナーだと思う。

 どーも最近コンテンツでは「飾らない自分を愛してくれる」みたいな、たとえ世界中否定されてもたった一人に肯定してもらえればそれでいい的なことを信奉しがちな気がするけど、JJはそんなこと求めてないんだと思う多分。たった一人に肯定されるだけじゃ足りないからどこまでもどこまでもストイックに上を向く、立ち止まらない、立ち止まれない状況に自らを追い込む。そんなJJに向かって「あなたの良さは私が知ってるから十分でしょ」みたいなこと言うタイプパートナーは窮屈だろうなと思うよ。今のところは。

 オーケー、優勝を逃し婚約がおじゃんになって、イザベラちゃんの前でどういう顔をしたらいいのかわからない19歳のただのジャンの前で、エンゲージリングをはめたままの薬指を愛おしそうに握り込めて「楽しみだわ、JJ」ってイザベラちゃんが微笑んでくれるところまで妄想した。さあ来い最終回!!!!!!

 (さっき今のところは、って言ったんだけど、私はもともとオタクとして闇属性なのでどうしてもこのGPFまでがJJ選手としての絶頂だったとしたらって事態想像してしまう。大会に出ても成績が振るわず、どんどん優勝が退いていくJJに対してイザベラちゃんがどう反応するのかってのは...まあ...気になる...)

 否!!!!!!!!!!!!!!!!一人のJJガールズとして宣言しま!!!!!!!!!私はJJの大逆転優勝を信じてる!!!!!!!!!!頑張れJJ!!!!!!!頑張れイザベラちゃん!!!!!!!!!!!!!ジャン・ジャック・ルロワをどうかよろしく!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!最終回楽しみ!!!!!!!!!

2016-12-16

オタベックアルティンにかこつけて話をしたい

ユーリ!!! on ICE 、見てる?

オタベックアルティン、どう?

カザフ英雄」っていう字面を見て以来、ソワソワしていたものが、ユーリ・プリセキー友達になったあの瞬間に全てが弾けた。

カザフスタンを含む中央ユーラシア・テュルク系諸民族が持つ「民族英雄」の姿をはっきりと感じ取ったからだ。

カザフスタンは、歴史的にテュルク系諸民族が多く暮らしてきた土地である

遊牧騎馬民族繁栄した土地であり、彼らはテュルク系の言語と、それに基づく言語文化を持つ。

彼らの文化信仰あるいは歴史は、口承文芸によって伝承された経緯があり、口承文芸のうちの一大ジャンルとして数えられるのが「英雄叙事詩」と呼ばれる物語形態だ。

カザフに限らずテュルク系諸民族の中で広く伝播した『アルパムス・バトゥル』や、キルギス英雄叙事詩マナス』は邦訳出版されており、母語によって英雄叙事詩世界観に触れることができる。中央アジアを題材とした創作物でおそらく現在もっとも有名なのは森薫の『乙嫁語り』だろうが、作中に登場する馬などの名は、先述の英雄叙事詩にて確認できる。アルパムスやマナスとは叙事詩中での主人公にあたる英雄名前であり、英雄たちは作中でもっとも強く、激しく、時に美しい。

英雄叙事詩」の歴史形態などについては省略するが、重要なのはカザフの地に育まれ文化には「英雄」の存在を待望し、受容する姿があるということである

彼らは街や、施設などに英雄叙事詩中に見られる名付けをし、また街中では英雄の像を見ることもできる。余談ではあるが、キルギス首都ビシュケクに立つ騎馬マナス像の馬には、立派なちんちんがついている。あと動物園の馬もなかなかのブツをボロンしてる時がある。

さて、その英雄についてである

英雄叙事詩の主なテーマの一つに「外敵との戦い」がある。英雄が戦う相手は「異民族」や「異教徒であることが多い。たまに超自然的な怪物と戦うこともある。

敵対する異民族や異教徒を、英雄苛烈に打ち倒していくわけだが、全ての異民族や異教徒が敵となるわけではない。

英雄は、時に異民族友達になる。

英雄(オタベック)は、異民族(ユーリ)と友達になるのだ。

盟友となった異民族とともに、英雄さらなる敵を打ち倒していくのである

(英雄叙事詩中に現れる異民族は大抵がモンゴル系の遊牧騎馬民族な訳だが、細かいことはいいんだよ)

敵についても、少し話をしたい。

英雄異民族敵対し、彼らを倒して強さを示す。異民族の長との一騎打ちはしばしば物語クライマックスとなり、もっとも盛り上がるシーンであると言っても良い。

敵の王との一騎打ちである

YOIにおける王といえば、J.J.ルロワに他ならない。

11話でオタベックアルティン対峙したJJの姿は各位の記憶に新しいことと思うが、ここでもオタベックアルティンが持つ英雄性を感じ取ることができる。

そうして「勝利」を得た英雄は、やがて自集団を束ねる長となり、後世へと名を残す偉大な存在となるのだ。

英雄叙事詩はその他様々なエピソードによって構成されているので、興味を持った皆さんには是非読んでいただきたい。

ここまでの参考文献は以下の通りである

 坂井弘紀2002『中央アジア英雄叙事詩:語り伝わる歴史東洋書店

 坂井弘紀訳2015『アルパムス・バトゥル:テュルク諸民族英雄叙事詩平凡社

 若松寛訳2001『マナ少年篇:キルギス英雄叙事詩平凡社

 若松寛訳2003『マナ青年篇:キルギス英雄叙事詩平凡社

 若松寛訳2005『マナ壮年篇:キルギス英雄叙事詩平凡社

我々は幸運にも日本語でテュルク系英雄叙事詩に触れる機会を持った。最大の感謝をここに表す。

以下、蛇足

オタベックアルティンサマーキャンプを経てバレエからは離れたようだけど、彼はその後どこに行ったのだろう?

個人的に、例の演技終了時のポージングからコサックダンス(ホパーク)の匂いを感じた。

12話で明らかになるのだろうか、期待は大きい。

あと、「サマルカンド序曲」っていうタイトルも気になる。

2016-12-09

心の傷はカウンセリングで癒せるけど体の傷は一生残る

ここを勘違いしてる創作物出会うとイライラする。

どんなに割り切っても肉体機能の欠損を誤魔化すことは不可能であり本当の辛さはそこに宿るというのに。

2016-12-04

無神経な人間ひとりごと

人の創作物キャラクター勝手恋愛関係にした妄想をしたりそういう創作をすることの是非と、ホモ百合創作物が責められるのはまた別問題だと思うし、後者は実際のところただのマイノリティーの否定ではないかと思っているんだけど、ごっちゃにされがちじゃないだろうか。



私はオタクだし自分マイノリティーの要素があるのは自覚しているけれどマイノリティであることを人に責められたくないし、人のマイノリティーを責めたくもないし、そして責められるべきではないと思っている。


こう言ってはなんだけども、むしろマイノリティーを責める理屈が解らない。

自分がなんでこうなったのか解らないけど、私は同性愛や、男性女性以外の性別について、全く抵抗を感じない。当たり前に、そりゃああるでしょう、という感じ。

同性愛の人が身近にいたわけでもないし、同性愛ものを人より多く読んで育ったということも特段ないと思う。

なんでこうなったのか解らないけれど、そういう愛の形や、心の在り方に関して、抵抗がない。抵抗を感じる心持ちが解らないほどに、抵抗がない。

前に同性の友達に「実は同性愛者だ」と言われたことがあるけれど、「そうなんだ」で終わった。

たとえばおなじように男女のカップルが2組いたところで、その二人の間にある関係性や愛情が同じなんてこともないだろう。

男女だろうが男男だろうが女女だろうが同じ人間人間の間にある関係性のひとつで、それ以外の性別だって人間で、性別なんてものは、一人の人間が持つ単なる要素のひとつしかない。

単なる、とはいえ、その要素を持つからこそその人が成り立つのから大ごと。

でも本人にとっても、周囲の人にとっても、その重視する度合いは変わる。


こんな風な考えだからなのかわからないけれど、私にはマイノリティーを責める理屈がわからない。

たとえば宗教上駄目というのもあるんだろうけど、そういうのを自分以外の他者にも適用するのは簡単じゃないし、戦争して力で捻じ伏せたところで他者の心にも自分の考えをインプットできるかっていうとそうでもなくて、じゃあ延々話し合えばできるかっていうとそうでもないし、戦争と話し合いとスキンシップ敬遠嫌厭で許容できるだけの距離をはかりあって付き合うしかない。


私はただの恋愛ものが大好きで、すてきなふたりがお互いを好きであるなら、「一生添い遂げてしまえ」、と思うし、同性愛や男女以外の性別の人たちにも、そうであることについての葛藤とか苦しみとか悲しみとかを感じずに済んで欲しいなあと思うし、そんなものを除いた、同性愛や男女以外の性別の人たちの恋愛ものだってもっと読みたい。

もっと現実の世の中に溢れて欲しい。



最初に書いた文の、前者の「キャラクター勝手恋愛関係にした妄想をしたりそういう創作をすることの是非」については……これに関しても発表されている創作物に対して自由感想を持つことは責められるべきじゃないし、同じような感想を持つファンファンでそれを共有することが責められる意味もよくわからない。

ただそれで発表されている創作物自体が損害を被るのは問題だし、そうなる可能性のある行動を軽軽に傍若無人に取るべきではない、とは思う。

あ、性的ものを堂々と多くの人の目に触れる場所に掲げるのも問題というか、普通に迷惑だと思います



本当に純粋にこう思うのだけど、オタクがこれを言ったら、ただの自己正当化屁理屈のように取られるのかなあ。

創作現実はごっちゃにすべきでない、そりゃそうだけど、別に現実だって普通にあるでしょ、そんなこと。それ自体が私の勘違いだろうか?いいやそんなはずない。

ちなみに私自身は異性に目がいく傾向があるけれど、たぶん同性の人にも恋に落ちるときは落ちるだろうなあ、という気がする。どうも私にとっての性別は、人を好きになるとき、そんなに重要視する要素じゃなさそう。


たぶんわたし、無神経なのかもしれないなあとも思う。

だけどみんなも私みたいな感覚になれば、楽しいしみんなが生きやすそうなのになあと思う。

戦争をする気はないので、なんとなくこんなところで、ひとりで零します。

2016-11-26

検索避けのれん

検索避け
アクセス制限とか「けlんlさlくlよlけ」とか
のれん
レンタルビデオ屋なんかでアダルト向けとかを隔離するアレ

非公式二次創作について検索避け部外者から強要されて従ういわれはない。ナマモノについては、わたし(筆者)のメインジャンルではないうえ、少々ややこしくなるので、保留とする。

配慮

配慮」という言葉が、「検索避け」の強要理由として使われているように思う。アダルトエログロや、原作にない性愛関係などを描いた二次創作物を見たくない「だれか」への配慮だ。

なるほど確かに、見たくない人もいるだろうな。ウンウン。そうかそうか、不快な思いをさせてしまうのか。

いや、待て待て。つまりそれはアレか? 「だれかが不快な思いをするから検索避けをしてくれ」と言うのか? 「だれかに不快な思いをさせたくないか検索避けをしてくれ」?

冗談じゃない。キリがない。万人に受け入れられるものはない(そんなものがあるなら教えてほしい)。これがまかり通るとき検索しうるあらゆるもの検索避けをさせられているわけだ。

刀剣乱舞」知ってる? 略してとうらぶ伝説刀剣やらが付喪神になって(擬人化して)男性の姿をとって、刀剣男士となったんだ。わたし実在したものを題材にしている作品二次創作から云々」と検索避けを押しつけるのを山ほど目にしてきたけれど、それなら、そもそも「刀剣乱舞自体検索避けをさせるべきじゃない? 「加l州l清l光」って。もちろん、DMMブラウザゲームのページにはアクセス制限もさせてさ。だって刀剣勝手擬人化して、あんなことやこんなことを言わせて、あまつさえ戦わせている! 不快な思いをするひと、いると思うんだけどな。

家庭教師ヒットマンREBORN!」は? ごく普通中学生だった沢田綱吉ことツナの前に殺し屋リボーンが現われて「おまえはマフィアの十代目だ」なんていう。かれに家光という父親がいることからわかるように、名前元ネタ徳川家なんだ。どう? 徳川綱吉のことを調べようとしたのに、沢田綱吉ばかりが出てくる! なんていうことを不快に思うひとは、絶対にいないの? 名前を変えさせるべきじゃない? あの主人公

いやいやいや。キリがないよね。田中鈴木佐藤。(申しわけないが)このありきたりな姓の持ち主はありふれていて、創作物に登場することも、ままある。一郎、太郎、幸子。いるぞ。

言っとくけど、違わないからな。これは「アダルトエログロや、原作にない性愛関係などを描いた二次創作物を見たくない」のと違わないんだぞ。根底には「不快感」があるんだ。この配慮の点で検索避けを求めるということは、「嫌な思いをするだれかのために検索避けしろ」ということと、違わないからな。

この「配慮」の面から検索避け強要するひとたちは、世界のあらゆる人の不快感を解消するため、あらゆるところへ検索避けを呼びかけてくれ。ぜひに。

トランプを探しているの。カードゲームよ。でも、あら、なんということかしら。わたしの大嫌いなドナルド・トランプばっかり出てくるわ! 嫌だわ。不快だわ。

ほらほら。(わたし別にドナルド・トランプは嫌いじゃない)

著作権

二次創作は実質違法行為なので、公式に見咎められないよう隠れて活動しなければならない」というアレ。

著作権二次創作とのことで、TPPとともに話題になった。TPPに参加すると、著作権親告罪がどうのこうのというあれそれ。まあ今のところ、公式が突きつけるまで、それは罪ではないということになっている(はずである)。

公式が、それ(二次創作)が犯罪かどうかを決める。

はい終了。

違法かどうかは公式判断することである

公式に見咎められないように……そうだね。公式利益を損なうのはよくない。

でも、判断するのは公式だ。「見咎められないよう隠れて」など、まるでやましいところがあるようではないか

公式の指示に速やかに従う。これだけでよいだろう。

のれん

ところで、アダルトとの境目にはのれんがある。物理的なフィルタだ。わたしたちは、物理フィルタのないところに、フィルタを見ることはできない。

まだ、その技術は普及していない。ARを目にし続ける将来は訪れるかもしれない。そうしたら、見たくないものを見なくてよくなるかもしれない。たとえば、露出度の高い女性水着広告だとかなんだとか。

でも、今はない。だから店側が物理的なフィルタとしてのれんを設け、年齢と覚悟を問うわけだ。おそらく。

検索避けのれん

で、検索避け強要する舞台がどこかというと、インターネットだ。あなたコンピュータだ。フィルタがかけられる。お互いに。けれど、あえて「不快に思うかもしれないだれか」のために、作者がのれんを用意する必要はない。どうしても見たくないものなら、それは見たくないひとが、見ないために努力をするはずだからコンピュータは、見たくないものを見ないことができない舞台ではない。

法的に年齢制限をかけるべきあれそれに検索避けを求めるのは、わかる。だが、それについては、検索避けより直接的な手段をとるべきだと思う。ここではおいておく。

そして、それ以外の「見たくない」ものについても(コンピュータでは)、検索避けより直接的な手段をとるべきだ。検索の仕方を工夫する(not検索とか)とか 、NGワードを設定するとか。やり方は、ぜひ自分検索してほしい。「ウェブブラウザ ngワード」とか。で、そうする手段がまだ用意されていないと思うなら、自ら開発するか、おとなしく待つといい。それすら我慢できないなら、もうやめたほうがいいと思う。インターネットが向いていないかもしれない。

世界の、なにかを不快に思うだれかのために、調べたやり方を共有すれば、より具体的に不快感を減らせるだろう。

(そのために、わざわざ嫌なものを一度は見なくてはならないのかとか文句を言うひとは、「食わず嫌い」の意味を調べてくれ)

もちろん、公式からなんらかの対処を求められたときは、それに速やかに従いますよ。でも、それまでは、なんら疚しいところのないわたしは、堂々と二次創作をする。公式原作)への感謝も忘れずに。いつもいつも原作を、たのしませてくださって、ありがとうございます

2016-11-19

生きる意味への反論

http://anond.hatelabo.jp/20161119215613

最終的にキリスト教様様に持っていきたい方のご意見と思い反論をさせていただきます

黒澤明『生きる』を観る。

結論子供に生きる意味見出してる人が多いけど間違い。とにかく楽しく生きることに意味を見出すのも違う。生きる意味は、何かを作り出すことにある。

⇒疑問:何も作り出せない人はどうすんの?

作り出すもの商売になる創作物だけではありません。実際、生前は優れた創作を作りながらも全く評価されなかった芸術家も数多くいます自分が作ったもの評価されるかどうかは後世の人の価値観によるものです。

宮崎駿もののけ姫庵野秀明新世紀エヴァンゲリオン』を観る。

結論:生きるのはめちゃくちゃ辛いけど、とにかく生きなきゃダメ

⇒疑問:いや、理由は?

まあ、今時の若者に対しての「死ぬんじゃねーよ。俺たちの老後が困るだろー」っていうプロパガンダ的に優秀な作品ですよね。

◇イニャリトゥ『バードマン』を観る。

結論:生きる意味成功や名声にあるのではない。やりたいことをやることにある。

⇒疑問:やりたいことをやれない人はどうすんの?

やればよくない?

やれないなら、やれるところから自分のやりたいことを探すこともできるはず。

カフカ『城』『変身』を読む。

結論個人の生きる意味社会に占める地位職業、父)を通してしか存在しないよ。

⇒疑問:そんなん辛すぎて死ぬわ。

悲観論に引きずらるのは、悲観論正論としたい気持ちがあるからでしょ。カフカ命中とは全然社会状況違うし。

ニヒリズムナルシシズム同類だよ。

ニーチェ『悦ばしき知識』を読む。

結論:群体としての人類ならともかく、個体としての人間には生きる意味なんかないよ。

⇒疑問:・・・。

ああ、いかに感嘆しても感嘆しきれぬものは、天上の星の輝きと、わが心の内なる道徳律



~~この辺で上記の映画・本が前提していた無神論(=キリスト教でないこと)に疑問を持ち始める~~

ドストエフスキーカラマーゾフの兄弟』を読む。

結論個人個人高潔さが人類全体の罪を贖うんだよ。そこに生きる意味があるんだよ。

⇒おお・・・

内村鑑三『後世への最大遺物』を読む。

結論:金儲けや教育や物書きの才能がある人はそれで後世に遺産を残せる(そこに生きる意味がある)けど、そうでない人も、高潔な生涯を送ればそれ自体が後世への遺産になるんだよ。

⇒(泣)

◇『聖書』を読む。

結論人間は、信仰を通じて高潔な生涯を送り、神との関係回復することに(この世を)生きる意味があるんだよ。

例えば自分自殺しようとする時に、「どうせなら他に死にたいと思ってる人を救うっぽいことして死んだらカッコよくない」くらいの感じじゃないすかね。

自分死ぬときには、死ぬことを他の人のせいにしないで自分自分意志死ぬという挟持を持てるようにする方がよくない?

2016-11-18

マンガ実写映画化が嫌な人も、その映画に貢献してる

先に言っておくと、すごく普通のことを書く。

最近マンガ実写映画化で話題になっているものと言えば、銀魂ハガレンジョジョくらいしか今思いつかないけど、さらに毎度毎度話題に上るのが、

原作を汚すな」

出演者全然キャラに合ってない」

などの反対派の声。



自分実写化と聞いて、「もう漫画で完成されているので、実写化必要なし」と思う作品もあれば、実写化されたものを見て「その漫画もっと好きになった」と思う作品もあり、作品それぞれ思うことは違う。

ちなみに実写化さらに好きになったのは、のだめカンタービレ重版出来だ。素晴らしい実写化があるのも事実ではあると思う。


しか最近実写化企画が乱立しているように感じる。ここまで多いと、もはや金の匂いしかしない。

漫画の内容に関係なく、人気だけで儲けるために実写化をしていると思われても仕方がなく、作品を汚していると、とてもネガティブな印象を持つ。


しかし、そういう世間の反応が、実は実写化にいい影響を与えてしまっていると思う。

今回のトランプ勝利でもあったように、「悪名無名に勝る」。

企画側は、とにかく悪い印象でも、いい印象でも「話題になること」が大事なのだ

これだけ話題になれば、確実に映画を見る人はいる。

「思ってたより面白かった」

マジでつまんなかった」

「見てないけど、そこまで言うほどなのか?どんな風につまんなかったor面白かったんだろう?気になる」

観なくても気になって貰える。

これだけ創作物にありふれた世界で、人々に何の影響も及ぼさず、誰の目にも止められず、忘れられる作品死ぬほどある。

映画漫画も同じだ。

漫画なんて毎日大量にTwitterで流れてきては、一瞬で読まれて数日後には読んだことも忘れられている。

作者がどんなに死ぬ気で書いたとしても、10年、20年かかって描いたとしても目にも留まらなきゃ、描かなかったのと同じだ。

誰かの目に留めて貰えたら、幸せである


叩かれようが何だろうが、漫画家にとって作品自分の生きた証。

まれない、忘れられることが何よりも一番怖い。

まれなきゃ、何も感じてもらえない。

情報社会の中で波の中で生きていくには、辛いけれどもこれしか今はないのだと思う。


そういったことを考えると、作者が実写化OKしてしまうのも無理はない。


実際作者には「ハナクソみたいな」金額しか入ってこない、と銀魂の作者空知先生証言している。単行本の方が全然儲かる。しかし、そんな金よりも自分作品をみんなの心に届けたい、という気持ち実写化に協力していると、単行本質問コーナーで答えている。



じゃあ、実写化反対のファン気持ちはどうすればいいのか。

本当に心の底から嫌なのであれば「一切反応しない」のが一番ではある。しか話題に上がらないのは作者の方がかわいそうなので、オススメはしない。


作者や映画製作者は、十分にファンを思いやる必要があるし、

実写化してほしい漫画」、「どの女優俳優キャラを演じてほしいか」などアンケートをとるなり、意見を聞いてるという意思表示必要だと思う。実現は難しいとしても、そういう努力が見えたら好感が上がる。

ファンは好きな作品企画に携わることがもちろん好きだし、一緒に作品を作り上げたような気分にさせてあげれば、今よりももっと好意的実写化に対して反応する人が増えるのではないかと思う。

多くの会社みたく勝手に色々と決めて、「もう何言ったて、しょうがない。決まってしまったことなんだから…」と諦めさせるのはやめて欲しい。ただでさえ日常絶望を感じているのに。



最後に、

逃げ恥面白いよね。

2016-11-10

創作物への感性の変化に対する疑問

創作物を楽しむタイプ趣味――要するに小説漫画アニメゲーム映画とか――を続けていると、感性がその創作物を楽しむように特化してくる。

で、今まで楽しめてた創作物パターンを感じて飽きてしまったり、逆に何が面白いのかわからなかったもの面白さがわかるようになる。

この感性の変化って成長なのか?それとも単なる変化なのか?寧ろ退化なのか?

特定パターンに「飽き」の感情を抱くというのは、当時そのパターンで感じていた驚きや感動といった感情が失われているということだ。

また、安易パターンに当て嵌めてしまうことで違ってるものも同じに見えてしまう、なんてこともあるのではないか

面白さがわからないもの面白くなった」というのも、感性が歪んだ結果、本来何も面白くないもの面白い勘違いしてるだけなのではないか

趣味を長い間続けて「昔と感性が変わったなぁ」と思う時、こういうことを考えてしまう。

楽しければ良いとは言っても、長い時間を掛けた結果として好きな物への感性劣化していると考えたらあまりに悲しいじゃないですか。

2016-11-03

http://anond.hatelabo.jp/20161102211759

実際にあるから創作物に出てくるんだよ。

中出ししただけのくせに

その結果産まれただけの子に対して偉そうなやつ…

2016-10-31

http://anond.hatelabo.jp/20161031003240

議論を噛み合わせようとしない輩を創作(と言うか半ば例題)にて説明してるが、ここで創作のものの質について意見してるあたりがメタになってて草が生えざるを得ない。その上情報齟齬に話を置き換える始末。アホかこいつ。



一応ブコメしたけど100字じゃ足りないのでトラバでも。

もしかして、僕がブクマしている元増田自体の質を意見しているように読まれました?

だとしたら、ごめんなさい、誤解させてしまいましたね。

僕が議論が噛み合わないと感じる創作を読むとイライラする、という話で、元増田の質には何も感じていません。

例を挙げるとカドが立ちそうなので挙げませんが「作者が意図せず」噛み合わない議論を続ける作品が苦手という意味です。

作中で「議論が噛み合わないおかしな奴」が登場するのは、イライラしないのですが、

作中で筋の通った議論のように、元増田の紹介しているピントのずれた議論が行われるような創作物があって、それが苦手なのです。

情報齟齬の話は、僕が勝手に僕の中でよくある例としてカテゴライズしてしまっただけで、間違いですね、申し訳ないです。

2016-10-27

素人創作物へのネガティブ評価について

素人趣味でやってるだけのものケチを付けるなんて失礼」という空気があり、安易に「つまらない」と言えないことがある。

ネガティブ評価をして叩かれること自体覚悟してるけど、

商業作品にこういうことを言っても別に叩かれたりはしないよなぁとも思ってしまう。

「何かを世に出した以上ネガティブ評価も受け入れろ!」とは言わない。

そういう姿勢趣味創作やってる人間全員に求めるのは無理だと思うし。

でも同時にアマチュアの場の楽しくやることを強要する空気気持ち悪くも感じる。肯定しか認められない場所なんて息苦しいだけ。

恋愛要素を勝手に生やす風潮がしんどい

"漫画アニメ小説映画に触れた人が、そこに登場する「家族、友人、同僚、ライバル相棒、知り合い、他人等々」の関係として描かれてるキャラ同士、あるいは片方から片方に、「恋愛感情がある」という設定を捏造した妄想をするのは当然"みたいな空気が流れてるのがとてもしんどい

"(前略)「恋愛感情がある」という設定を捏造した妄想をするのは当然"ということが前提にある発言を見るのがとてもしんどい

漫画誌の最新号やアニメの最新話の感想で「この二人やっぱり付き合ってる」とか「早く結婚して」とか見るのがとてもしんどい

pixiv作品検索するときマイナス検索文字数が元のワードの5倍くらいになるのがとてもしんどい

ていうかマイナス検索しないと避けられないのがとてもしんどい




恋愛対象というそ人物人生に深く関わるような重大な設定を改変する行為は「人々に広く受け入れられ肯定されるべきもの」だとは到底思えない

もしそれが許されたら六法全書著作権存在する意味がないか

ノーガードの人の目に触れるファンアート原作イメージを損なわないものになってほしい、と思うのはわがままなのか?

こういう世の中であり続ける限り私はプロとしてストーリー性のある創作物を作る側にはなれない。苦痛すぎる。

2016-10-20

http://anond.hatelabo.jp/20161020104017

水着の女とかがバーン広告に載るのは問題なくて、例の絵が問題なのは何故かっていう話かな

女の写真をそのまま載せるのは、それ自体エロなわけじゃないか問題ない

創作物には書き手意図があって、エロい雰囲気を出す技法を使った絵は問題がある

と言ってる気がする

2016-10-19

どこに幸せがあったのか

昨日起きた浦安連続通り魔事件、その加害者Twitterブログ適当に読んでた。

https://twitter.com/yorU_Ri

http://nazonoy.blog.fc2.com/blog-entry-571.html



精神科に通っていたが担当医との折り合いが合わず、その憤りから犯行に及んだように思われる。(だが根底医者や薬への絶対的な不信感があるように窺える。本人は否定しているが破壊衝動もあったのだろう)

精神が病んでいたのは間違いないだろうが、文章を読む限り、それほど突飛な思考をしているわけでもなく、犯罪猟奇的な趣向があったわけでもない。感性的には常人範囲内だと思う。

この程度のヘイトネット上にあまりにも多すぎるから麻痺しているだけかもしれないが……(twitterはそういった本来隠された感情を剥き出しにさせる性質があると思うが、それはさておき)



稼いでくれて守ってくれる夫がいて、趣味時間を費やせる余裕があり、交友関係もしっかりある。絵もうまい。恵まれている環境と言っても差し支えないだろう。だが本人はそれでも生きづらかった。

この人が通り魔を起こさずに、幸せになるルートはどこにあったのかなぁっと思う次第。医者との問題、だけなのだろうか。

ニート童貞だけど好きな創作物に接してオナニーして、家族の嫌味を聞き流しつつ美味しいご飯だけはしっかり頂く、毎日ハッピー自分との差が気になる。

宮崎駿のジブリ映画を3D化したら感動的過ぎてヤバい件 - SHARE POCKET

これ見た

職場だったか音無しで見たけど、全然感動しなかった

やっぱ音の有無ってでかいなあ

あと動画だけだとただの他人創作物にのっかったツギハギじゃんって鼻で笑うデキだったし

別に名シーンってわけじゃなくて適当動画に都合のいいシーンもってきてるだけだし

元の動画も紹介してる記事の内容もしょぼすぎて○○○レベルだわ

http://anond.hatelabo.jp/20161018220841

いや、それほとんど箇条書きマジックだよね

そこまで一部だけを抜粋したあらすじで表現して『おもしろい』かどうか判断するなら

実写デビルマンだって

正義の心を持つ若者悪魔の体と人間の心をもつデビルマンとなり、苦悩しながらも太古の眠りから目を覚ましたデーモンから人間を守るために黙示録的戦いへ身を投じていく」

ぐらいには面白そうにかけるわけで

 

 

実際にはいふりがどうだったかというと、実写デビルマンボロボロだったようにあらすじ以外の部分がボロボロだった

具体的にいえばワンクールの尺の半分以上がネズミと、ゾンビごっこと、赤道祭と、「さすミケ」と、「さすミケ」のための無能大人たちだ

(まあ字面でわかるとは思うけど、「さすミケ」というのは作者補正を味方につけた艦長が好き放題行動して周りからそれを全肯定される状態のことだ)

導入の時点で、少女たちがトラブルに巻き込まれるためだけに

『最終的に実弾をつかったガチ戦闘行為を行うような軍事組織で』『反乱されたら被害なしに止めることもできないような軍艦無為無策のまま未熟な少女たちだけで航行させる』というトチ狂いぶり

インストリーにおいては事実上まったく成長していない艦長の成長譚に尺の大部分が使われているせいで、ほかのクルーはろくに描写もされていない

艦長サイコパスな上に船に乗り込むところからスタートでまるで関係性を書いてないから、

ぶっちゃけ艦長感情移入できないのと同レベルで『ストーリーの最終目標武蔵艦長救出』って言われても困る

あんなポット出ヒロインが最終目標ですといわれてもネズミハザード完全放置ボロボロブルマー組織体制が気になって仕方がない

 

 あと意図的に触れてないみたいだけど、5話以降毎週存在していたツッコミどころには同意してくれたと考えていいのかな?

起源から結末までおかしネズミまわり、本職でも救助にスキッパー使用(ブルマー軍艦使う大義名分どこいった)、整合性と尺を犠牲にしてぶち込まれ劣化ハイスクールオブザデッド等々

これだけでもネット上でバカアニメとして語り草になるには十分だが、本筋も面白くなかったので駄作扱いされてるというだけの話

 

ネットの住人は不出来で痛々しい創作物が大好きだから

妄想ノートみたいに設定垂れ流しばかり多いわりにストーリーとの破綻が多数発生していて、

美少女動物園艦長というメアリースーをぶちこんだ二次創作のような「ハイスクール・フリート」はクリティカルヒットだった訳

2016-10-11

感動ポルノ」って変な言葉じゃね?

感動ストーリーっていいことじゃん

感動ポルノInspiration porn)の「ポルノ」っていうのは「出演者がまるでポルノ女優のようだ」って言いたいんだろうけど

じゃあもうちょい言い方あるんじゃないのかな

障害者の」ってニュアンスが完全に落ちてしまっていて

この用語はまるで「感動=ポルノ」と言っているようだ

 

日本語にはもっといい言葉がある

それが「見世物小屋」だ

こっちの方が端的だろう

 

創作物感動ポルノという言葉を使うのは、二次元児童ポルノという用語を使うのと似ている

もっと押し付けがましい」とか「非現実的」とか色んな言葉があるはずだ

2016-10-10

例えば俺が女性向けの妄想垂れ流しのクッソ気持ち悪いこんな男いる訳ねぇだろボケみたいな

しょうもない創作物を間違ってCMとかなんかで目撃したところで

気持ち悪いなって思うし

気持ち悪いなって言うけど

存在するなとは言わないし、「そもそもそんなこと要求する権利がない」んだけど

フェミもどきは言っちゃうんだよな

2016-10-08

山本弘シンゴ感想シンジ君の罪

http://hirorin.otaden.jp/e437747.html

庵野総監督はこの映画を、右にも左にも偏向しないように配慮して作っている。露骨イデオロギーなんか入れたら作品がつまらなくなると分かっているからだ。

なのに、何でわざわざ偏向した意味をつけ加えなきゃいかんのだ。

つーか、怪獣映画をそんな観方して面白いの?

シンゴジ公開当初からよくこういう意見が聞こえるけどさあ、

3.11を模写した時点でそういう観方で見られるのは当然でしょ?としか思えない。

まして消費者目線でそんな意見聞きたくないというのはまだいいんだけど、創作者がそれを言うのはあまり無責任じゃないか

「作者の意図」のとおりに作品を読み取ることを観客に強要するのってただの怠慢じゃん。

大体「怪獣

これは自分作品づくりに関わる人間の端くれだから切に感じるけど「作品」ってのは「作者そのもの」じゃなくて「作者の子供」。

親の意図を超えて勝手にいろんなことを語りだしてしまう。

それを分かったうえで「好きに」作品を作ったのだから、それを見てどう思われても、それは受け止めなくちゃいけない。

ヱヴァQシンジ君の罪っていうのはまさにそういう性質のもので、

そんなつもりは全くなくても自分作品(=エヴァ)で世界を滅ぼしかけてしまったら、それはやっぱりどうしようもない自分の罪。

現実には世界を滅ぼすようなことはないか勝手な勘ぐりをされる程度なわけだけども。

それは辛いことかもしれないけれど、それでも残したい意志があるから作品を作るわけだし、

一方で意図しない希望見出してくれる人だっているかもしれないわけじゃないですか。

俺は庵野が実際どう思っていようが、旧エヴァから強い勇気をもらっているし、富野がどう思ってようとVガンは面白いと思うわけで、

それが創作物可能性ってやつであり、作品を作ることの社会的意義でしょう。

結局怪獣映画として楽しむためだけに作られたものだというのも一つの観方にしか過ぎないし、

そこでイデオロギー的な観方をする意見だけを否定するのは創作者の姿勢としては懐が狭いと言わざるを得ないよ。

2016-10-05

新種の快楽が欲しい

エロ食べ物コミュニケーション、名声、金、ギャンブルお笑い創作物、酒、ドラッグ、愛、ペット

 

こういうのいっぱいあるけど

もう一個なんか新しいのほしい

VRとか使ってなんかできないか

2016-09-28

http://anond.hatelabo.jp/20160928053429

別に読者は努力する主人公が嫌いなわけじゃない。

主人公が下手な負け方する」のが嫌なんだ。

努力する主人公」というのは、必然的に苦戦する事も負ける事もある。

苦戦も負けもしないのなら、何のために努力してるか判らんからね。

ジャンル的に、努力する主人公は負けもする物なのだ

しかし、当たり前だが主人公が敗れるというのは割と読者的にはキツい展開だ。

別に自己投影してなかったとしても、

贔屓のチームがライバルチームに惜敗したりボロ負けしたりしたらアンチクショウって感じがするだろう。

主人公が負けてなお、読者にストレスを溜めないというのは非常に高い手腕が要求される。

多くの作品はここでしくじって、読者(の一部)にフルボッコにされる。

スポーツなら相手チームの悪口を言えばいいが、創作物主人公が負けたら戦犯は作者だからだ。

アンチ大量発生させる失敗パターンとしては、ぱっと思いつく代表的ものとして

・「同格または格下(に見える相手)に負ける」

・「性格の悪い嫌味な敵キャラに負ける」

・「長々と戦った末に負ける」

・「一度勝った相手に負ける」

・「再戦してまた負ける」

・「滅茶苦茶強くなったはずなのに新キャラに負ける」

・「普通に戦えば勝てる相手なのに、何か無理矢理な展開で負ける」

・「負けたついでに主人公がド凹みする」

・「負けて周囲の評価も下がる」

といった物がある。

この辺やっちゃうと、感想欄とかAmazonの星とか見るも無残だね。

その点、H×Hとか北斗の拳とかは上手いね

基本的に格上にしか負けないし、戦闘が短いから「延々じらされた挙句に負ける」というストレスフルな事にならない。

しかも、負ける前に一矢報いて相手や観客を驚かせるのも忘れない。

スパっと負けて、すぐ立ち直る。

こういう、負ける時の作法をちゃんと守ってれば、努力修行が読者に嫌われる事もない。

ドラゴンボール天下一武道会天津飯に負ける所とか、凄く上手かった。

試合としては負けだけど、実質的には勝ってたと言ってもいいし、相手もそれを認めてる」という状態を上手く作って読者のストレスを逃している。

そして、修行した後は圧倒的に強くなっていて、それまでの強敵簡単に屠りさっている。

※そうなると次に「ストレスなく苦戦する」ためには圧倒的に強い相手自然に登場させる必要がある。

フリーザまではそれが上手く回っていたのだが、

宇宙最強」であるはずのフリーザの後に「実はもっと強いやつが地球にいた」という無理矢理な展開を持ってきてしまったため、割と叩かれる事になったのは避けようがなかったとも言える。

だってフリーザより弱いやつ今更出して苦戦するわけに行かんだろ・・・

まあ要するに、「努力する主人公を書きたいなら、苦戦や負けをよっぽど上手くやれ」って話よ。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん