人の創作物のキャラクターを勝手に恋愛関係にした妄想をしたりそういう創作をすることの是非と、ホモ百合の創作物が責められるのはまた別問題だと思うし、後者は実際のところただのマイノリティーの否定ではないかと思っているんだけど、ごっちゃにされがちじゃないだろうか。
私はオタクだし自分にマイノリティーの要素があるのは自覚しているけれどマイノリティーであることを人に責められたくないし、人のマイノリティーを責めたくもないし、そして責められるべきではないと思っている。
こう言ってはなんだけども、むしろ、マイノリティーを責める理屈が解らない。
自分がなんでこうなったのか解らないけど、私は同性愛や、男性女性以外の性別について、全く抵抗を感じない。当たり前に、そりゃああるでしょう、という感じ。
同性愛の人が身近にいたわけでもないし、同性愛ものを人より多く読んで育ったということも特段ないと思う。
なんでこうなったのか解らないけれど、そういう愛の形や、心の在り方に関して、抵抗がない。抵抗を感じる心持ちが解らないほどに、抵抗がない。
前に同性の友達に「実は同性愛者だ」と言われたことがあるけれど、「そうなんだ」で終わった。
たとえばおなじように男女のカップルが2組いたところで、その二人の間にある関係性や愛情が同じなんてこともないだろう。
男女だろうが男男だろうが女女だろうが同じ人間と人間の間にある関係性のひとつで、それ以外の性別だって人間で、性別なんてものは、一人の人間が持つ単なる要素のひとつでしかない。
単なる、とはいえ、その要素を持つからこそその人が成り立つのだから大ごと。
でも本人にとっても、周囲の人にとっても、その重視する度合いは変わる。
こんな風な考えだからなのかわからないけれど、私にはマイノリティーを責める理屈がわからない。
たとえば宗教上駄目というのもあるんだろうけど、そういうのを自分以外の他者にも適用するのは簡単じゃないし、戦争して力で捻じ伏せたところで他者の心にも自分の考えをインプットできるかっていうとそうでもなくて、じゃあ延々話し合えばできるかっていうとそうでもないし、戦争と話し合いとスキンシップと敬遠と嫌厭で許容できるだけの距離をはかりあって付き合うしかない。
私はただの恋愛ものが大好きで、すてきなふたりがお互いを好きであるなら、「一生添い遂げてしまえ」、と思うし、同性愛や男女以外の性別の人たちにも、そうであることについての葛藤とか苦しみとか悲しみとかを感じずに済んで欲しいなあと思うし、そんなものを除いた、同性愛や男女以外の性別の人たちの恋愛ものだって、もっと読みたい。
最初に書いた文の、前者の「キャラクターを勝手に恋愛関係にした妄想をしたりそういう創作をすることの是非」については……これに関しても発表されている創作物に対して自由な感想を持つことは責められるべきじゃないし、同じような感想を持つファンとファンでそれを共有することが責められる意味もよくわからない。
ただそれで発表されている創作物自体が損害を被るのは問題だし、そうなる可能性のある行動を軽軽に傍若無人に取るべきではない、とは思う。
あ、性的なものを堂々と多くの人の目に触れる場所に掲げるのも問題というか、普通に迷惑だと思います。
本当に純粋にこう思うのだけど、オタクがこれを言ったら、ただの自己正当化の屁理屈のように取られるのかなあ。
創作と現実はごっちゃにすべきでない、そりゃそうだけど、別に現実にだって普通にあるでしょ、そんなこと。それ自体が私の勘違いだろうか?いいやそんなはずない。
ちなみに私自身は異性に目がいく傾向があるけれど、たぶん同性の人にも恋に落ちるときは落ちるだろうなあ、という気がする。どうも私にとっての性別は、人を好きになるとき、そんなに重要視する要素じゃなさそう。
たぶんわたし、無神経なのかもしれないなあとも思う。