はてなキーワード: 個人の感想とは
出産という命の危険がある大仕事を終え、育児に入ると家庭内の夫婦のパワーバランスは一気に崩れる
出産、昼夜を問わない育児、産休育休で家にいるため家事をこなす妻
夫が育児家事をやっても、昨今のやって当然という風潮のせいでポイントはほとんど加算されない。
それどころか、毎日やっている妻よりクオリティが落ちるため、減点すらされる
個人の感想だが、妻は授乳以外は何もしなくていいくらいにする気概で臨まないと満足されないのではとすら思える
今や父親になった男にとって、毎日の仕事も家事も育児もやって当然なのだ
やらないことを非難されることはあっても褒めれらることは少ない。
そして妻は、育児家事の疲労や寝不足、ホルモンバランスの乱れによるイライラを夫にぶつける
なぜなら、その時期の妻たちはほぼすべての言動を正当化できる無敵期間だからだ
産後にホルモンバランス乱れで不機嫌になって家庭内が険悪になって離婚とか、理不尽じゃないかとすら思える
そして、夫がどれだけ必死に頑張っても、妻が気に入らなければ無駄なのだ。
妻が、白といったら白になる。
これを読んだ夫たちよ
>売れてるから正義!ダサいと感じる方がおかしい!ってうざすぎる。
これは何よりも許しがたい。
お前いっつもこれ言うけど、俺がもともと「売れてるものが正義であり、売れてるものを良いと思えない少数派に人権は無い」とするサブカルファシズムが許せなくて許せなくてたまらない人間だとわかっててわざとこういうイヤミ言うよな?
俺は常に正しいがゆえにこの間違った世の中においてはずっとマイノリティだった
マイノリティであるがゆえに、正しい側なのにもかかわらず、物の価値がわからないダセエ一般大衆から「お前のほうがダセエ(理由は少数派だから)」として迫害されてきた
だから多数派のダセえセンスを批判するさいには必ずそれを良いと思わない自分はマイノリティなんだという自覚を忘れないんだよ
どちらが正しいか間違ってるかでいえば俺が正しい
しかしどちらが多数派で少数派かというと間違ってる一般人が多数派で正しい俺が少数派だ
もちろん少数派の側が常に正しいとも言ってない。
少数派が間違ってる場合もある。テロとかやる過激派なんかは少数派かつ間違ってる奴ら。
多数派の問題は、間違ってても数の論理で「正しい」とゴリ押しされること。
少数派だったらテロでもなんでも正しいとして擁護する某えもん界隈のような極左も悪だし
多数派だったら少数派の存在なんか無視して数の力でイキり散らしていいとする一般社会も悪だ。
少数派の過激派からは権力側のネトウヨのヘイターと決めつけられ、多数派からはリベサヨのポリコレと決めつけられ、その両方をどんだけ憎んでるか全くわかってもらえない。
しかし、少数派だろうが多数派だろうが正しいものは正しいし間違っているものは間違っているんだよ。
正しいか間違っているかを基準にするならば、数が多いか少ないかはどうでもいい。
ただ逆に言うと数が多いか少ないかを基準にしたら正しいか間違ってるかがどうでもよくなるのは当たり前。
世の中は正しさよりも数が基準にされがちなのを忘れてはいけない。
そこで4℃叩きの奴らだけど、あれは4℃をダサいとする自分の感性が「多数派」である前提で、4℃を良いと思う「ダサい少数派」を攻撃してるんだからな。
実際には小山らの言うように4℃はめちゃくちゃ売れててあれをダサいと思うほうが少数派だったとしても
本人は「ダサいと思う自分は多数派なんだから、良いと思う少数派の気持ちなんか踏みにじってかまわない」と思ってるわけだから、
例えば民族差別とかの本当に自分らが多数派に属する問題の場面では、普通に差別する多数派の側に立つ可能性が高いわけだよ。
そのくせ批判されると「個人の感想を言っただけでちゅう~」などと被害者ヅラしやがるからムカつくんだよ。
「個人」ではなく「多数派の代表」としての立場で主張してたくせに。
そのうえでさらに、小山らの「実は4℃は独り勝ちレベルで売れてるブランドであり、4℃叩きなんかツイッターの中年くらいしかしてない」という調査結果が間違いないとすれば
これは「実際は少数派のくせに多数派気取りでイキッてた」という非常にイタい実態だった事になる。
それでも、常にマイノリティとして多数派のファシズムに抗ってきた俺みたいに、自分はマイノリティだと自覚したうえで「多数派は一般大衆だからセンスがダサい」と言ってるならまだわかるんだよ。
小山に共感するタイプの面々は逆に俺みたいなのこそが嫌いだろうと思うけどな。
4℃叩きの奴らの、俺が何よりも許せないのは、
「私は4℃はダサいと思う。よって、私がダサいと思う4℃が売れてるわけがない」として、自分の個人的な主観と客観的な現実の区別がつかないところ。
4℃叩きとキモヲタは敵対しがちだが、キモヲタも4℃叩きも、こういう甘えた精神は共通してるよ。
僕チン達が好きなもの(萌え絵)はみんなも好きにきまってるでちゅう。
ほらみろ完全に一致した。
科学的なエビデンスによって「4℃は売れてる」と証明されたとみるや次は奴らは「あれはセンスない男が一方的なプレゼント目的で買ってるから売れてるのであり、女はダサいと思ってるはずだ」と主張するのだが
<
イケてる若者が集まるTikTokでは、普通に彼氏に貰って喜んでるのは5万7000いいねされ、ツイッターなら大ウケしそうな「メルカリで売ったわ」はたかだか4000いいね、
文字通り桁が違うわけだが、どっちが真の世論なのか議論の余地すらないだろこんなの。
それなのにあいつら「ツイッターで毎年炎上してるのに」とかなんとか、5万7000の健全の若者よりもたった4000人の自分らヒネクレ老害の方が社会的に影響力が強いとナチュラルに思い上がってるんだよ?
自分が少数派だと自覚したうえでセンスねー多数派を叩くんならわかるの。
俺がいつもやってることだから。
自分の周りの狭い界隈を世界全体よりも大きいという更なる勘違いがカルトじみててヤバいから怒ってるんだよ俺は。
小山らは怒ってなくて笑ってる。
にっくき天敵ツイフェミの実態が思ったより弱者だっから余裕で勝てると笑いが止まらないのだろう。
俺は大の大人がこういう幼稚なマインドで生きてて、しかもそのくせ威張り散らしてる事実には、怒りを感じるな。笑い事にはできない。
すなわち、身体男性、性自認も男性、ビジュアルは女性、性愛の対象は元のゲームの中では違うのかもしらんが二次エロ創作ではいつも男とヤってたからたぶん男、
まあゲスな言い方すれば「女装ホモ」なんだろうけどたぶんもっとポリコレ的に正しい名称があると思うけど
そういうものとして描かれていたキャラがポリコレとTRAの圧力によって無理矢理「トランス女性」だった事にされてしまった。
これでまたファンがこの無理矢理なキャラ改変にブチキレて、それをポリコレTRA勢が「トランス差別だ!トランス差別だ!」と騒ぐいつものお決まりのパターン。
これで俺がちょっと前の黒人エルフや黒人人魚の時も(実際は何十年も前からだが)指摘してきたとおり、「人種」も「ジェンダー」も同じポリコレ権力の勢力が棒にして振り回してるのだが、
いつもポリコレ権力と対峙してるのがフェミの天敵でもある表自ミソウヨキモヲタである事もあって、なおかつ今回のブリジットは国内のキモヲタ界の話だから更にそうなるんだけど、
「敵の敵は味方」と勘違いしたのか、いつもならTRAを激しく批判してるツイフェミの人々が、もうひとつの天敵であるはずのTRAと一緒になってポリコレ棒を振り回してオタク叩きしてるのがアホらしくてたまらない。
差別じゃないものを勝手に差別だと決めつけて、何を言っても聞く耳持たない手口とか、完全に一致してるのだが。
エルフや人魚の時は人種問題だったからポリコレとTRAは別ものかのように誤魔化せたかもしれないがブリジットはがっつりトランスジェンダリズムのゴリ押し直球なんだから
まさかいいかげん気づいたものだと思いたい所なのだが。エルフや人魚の時は、誰も「黒人がエルフや人魚の役をやるのは許さない」なんて一言も言ってなく、黒人が主人公の新作を作ればいいのに既存の作品をわざわざ改変する事しか考えてないからポリコレは嫌なんだと言ってるんだよ。
つまり、「ポリコレのゴリ押しに反対してる」のを「黒人を差別してる」と決めつけてレイシスト呼ばわりしてくるのがポリコレ主義者なんだ。
TRAも、誰もトランス女性そのものを拒絶なんかしておらず、性自認だけでOKになったらトランスじゃない男が便乗してきたりとかで女性の安全がヤバいし、つまり「トランスジェンダリズムに反対してる」のを「トランス女性を差別してる」と決めつけてくるんだよ。
完全に一致してんだわ。
あと表自キモヲタが何かゴチャゴチャ言ってたけど、ツイフェミもたいていオタクなんだし、「オタク的な表現を規制せよ」とは誰も言っておらず、公共の場にはふさわしくないとか、あと、単にセクハラとかの描写がヤダという個人の感想にすぎないのに、
表自キモヲタは自分らが日頃フェミに対してやってるのと同じ事をポリコレからやられてるんだという構図にさっさと気づけよな。
さらについでに言うと、ツイフェミもまた、格差社会を批判してるだけの非モテ弱者男性の俺らを「女をあてがえと言った!」などと言ってもいない事を勝手に言ったと決めつけて攻撃してくるんだが
これも自分らがTRAや表自キモヲタからやられてるのと同じ事を俺ら非モテ弱者男性にやってるんだが、どうせ一生気づかないだろうな。
ブリジットを無理矢理「トランス女性」に改変された事件はまた、これも俺がずっと指摘し続けてきたとおり、
ポリコレとかTRAとかの偽善者インテリエリートリベサヨの皆様は、本人達の自認では自分らが最先端の革新的な思想の持ち主だと思ってちょうしこんでるのだが、
「性の多様性」という観点からすれば、「身体男性、性自認男性、ビジュアルは女性、性愛の対象は(二次エロ創作だけかもしらんが)男性」というブリジットは本来めっちゃ「性の多様性」を象徴する存在たりえたはずなのだが
ポリコレTRAの権威はそれを「多様性」とは認めてくださらないわけ。
あくまで「トランス女性」と限定しなければ「多様性」じゃないって、多様性が無いのはどっちだよ。
女みたいな格好してる男はそれだけでもう「男」じゃなくて「女」だ、なんてのは、古臭い男尊女卑の家父長制のホモソのマッチョイズムなのだが。
昭和の時代は例えば青とピンクから選べと言われたら男の子なら青、女の子ならピンクを選ばなければならず、男のくせにピンクを選ぶなんてのは「オカマ」呼ばわりされ、「お前は男らしくないから女だ」と決めつけられ、「女扱いされる」ということはすなわち「人間扱いされない」ということを意味した。
何重にも差別なんだよ。女性もセクシャルマイノリティも、そういうの抜きにしても単に趣味がマイナーだったりちょっと個性が強かったりするだけの個人も、全てまとめて差別されるんだよ。
それが平成の世になり、ほんの少しずつだが、「ピンクが好きな男の子がいてもいい、女の子が青を選んでもおかしくない」という風潮になりつつあった。
昭和の時代に「男なら野球とバイクが好きじゃなきゃならない」とかいう風潮があってもそういう「男らしい趣味」には全く馴染めなかったから、「オカマ、女、すなわち人間扱いしなくていい存在」とされ、徹底的に差別され虐待された昭和世代の俺としては
これからの世の中は俺らの頃と違って「多様性」が尊重される良い世の中になるんだなと思ってちょっと嬉しかったのだが、そんな甘い期待はすぐ裏切られた。
昨今騒がれてる某宗教と某政党のアレによって意地でも昭和のマッチョ主義に逆行させたろうという非常にウヨい保守的な思想に基づいた陰謀が進行していたからでもあるんだが
そんな平成のバックラッシュは令和のより強力なバックラッシュと比べれば、今思うと牧歌的なもんだった。
しかもあの強大な某政党と某宗教のタッグによる陰謀すらも長閑に見える令和の大バックラッシュは、ウヨじゃなくリベサヨが主導してるのがまた救いがたく恐ろしい。
平成よりも、いや昭和よりも強力な勢いで、「男らしくない男はすなわち女だ」とされてしまう。
ほんとに、かつてのブリジットのような人物は存在することが許されない、そんな男か女かわからない奴なんか完全に「女」としなきゃ存在することを許さない、
つまり「性の多様性」など存在せずこの世には「男」と「女」の二種類しかいない、とするのがトランスジェンダリズムの思想なのだ。
よって「性に多様性なんかない、男と女しか存在しない」などというトランスジェンダリズムと一致する主張をもって「トランスジェンダリズムを論破したった」つもりになってるような保守派からの批判は的はずれすぎてスベってる。
「性の多様性」は間違っていない。
口では「性の多様性ガー」とか言っておきながら、やってる事は「性の多様性の否定」という矛盾だらけだからTRAを批判してるんだよ。
俺の場合はな。
っていうか「性の多様性」の前にまず「個の多様性」なんだけどな。
インテリはデカイ視点でしかものを考えない癖がついてるから、「個」というものを無視しがちなんだよ。
だからウヨとかサヨとTRAとかの極端な思想にすぐ捕らわれて思考が硬直化するんだよ。そんでまた、俺はブリジットもブリジットが出てくるゲームも何も知らないんだけど、
今回の騒ぎのまとめを見たら、ブリジットは故郷の村の迷信のせいで子供の頃から女装させられてたのだが、故郷の迷信が間違ってる事を証明したがってた?
てな背景があるらしいじゃんよ。
それを「実はもともとトランス女性だったから結果オーライ」って事にしたら、故郷の村の迷信もべつに間違ってなかった事になってしまわないか?
このへんが皮肉にも、「自分たちは先進的なつもりで実態は古臭い男尊女卑の因習に逆戻りしてるだけ」というTRAの現実の姿と一致してしまっているな。
アホくさ。
ブリジットの女性自認を、日本かぶれの差別主義キモオタどもへの9.11だと喜ぶトランス支持の外人さんたち
https://togetter.com/li/1946396
『GUILTY GEAR -STRIVE-』ブリジットの性別についての公式発表を喜ぶ反応まとめ
https://togetter.com/li/1945899
俺はあくまで、TRAとポリコレのゴリ押し戦略に反発してるだけで、奴らのやり方が気に入らないからといって、キモヲタ界隈における「男の娘」の扱われ方が正しかったと言いたいわけではない。
逆に言うとキモヲタが正しくなかったとしても、だからといってポリコレTRAが正しい事にはならないわけだし、
キモヲタが間違ってるとするならばポリコレTRAはもっと間違ってるというだけの話だ。
俺はあくまでも監視して通報する目的でキモヲタの二次元エロをいろいろチェックしているわけだが
あくまでも監視目的で某シブで誇張抜きで万くらいのエロ絵師をフォローしてたりするので、元ネタのゲームや漫画やアニメは知らなくてもそれをネタにした二次エロ創作だけは知ってたりするから、
アイマスのアイドルとかもデレステにハマる前に思ってたイメージとずいぶん違うなと思ってよく思い出してみたらそのイメージはだいたい二次エロ創作で歪められたイメージだったりするのだが
そういう事があるから通報目的で監視するのを怠ってはならないのだが
ブリジットとかの「男の娘」の流行り始めの頃とか考えてみると、だいたいが「男」が「男の娘」のア◯ルを岡したりしまくって「メス落ち」させるとかのマッチョな内容ばかりで、
「男の娘」のそのチ◯コは何のために付いてんだよ?と疑問に思っていた。
要するにキモヲタもまた、「男らしくない男」はすなわち「女扱い」するべきであり、「女扱いする」という事はすなわち「人間扱いしない」という事を意味するという、男尊女卑マッチョ思想だったというわけだ。
ただ最近の「男の娘」キャラは、やはり何のゲームのキャラなのかは知らないんだけど、アストルフォだとかポイズンだとかが出てきて、
こいつらたいてい自分のほうから男を「掘」ったりしてるから、最近はけっこう流れが変わってきたのかなと思う。
それともマゾが増えただけか。
それはとりあえずどうでもいいとして、
初期の「男の娘」ブームにおいて「男の娘」は「女のかわり」でしかなく、「女のかわり」に「女扱い」すなわち「非人間的な扱い」をしてもいい存在と位置付けられていた「男の娘」はやはりキモヲタ文化が女性差別的である証拠でしかないけれども
そうだとしても「男の娘ではなくトランス女性である」というふうに改変したからといって女性差別じゃなくなるわけではないのだから、
ヘルメットの改造は非常に危険で、ヘルメットメーカー各社が、取扱説明書に「改造しないでください」と明記しています。ヘルメットの改造はその性能を損ない、重大な怪我や死につながる恐れがある行為です。
ヘルメットの改造を行う動画を紹介しますが、絶対に真似しないように。
(1)『OGK,WINS,ARAI,SHOEI(敬称略)みなさま「絶対にヘルメットが脱げないあごひもand後付けできる装置」を発案したので採用してください!』-(https://www.youtube.com/watch?v=5u-4_Kscj_E)
(2)『ヘルメットのあごひもをギチギチに締めて脱いでみます。脱げます普通に。』-(https://www.youtube.com/watch?v=VKjfLuHVvsk)
(3)『事故でヘルメット脱げないようにする!アライもあったので検証』-(https://www.youtube.com/watch?v=8PwuxLvmJOQ)
(4)『ていうか出来ました。ヘルメット絶対脱げなくなるアタッチメントです』-(https://www.youtube.com/watch?v=5DCdfY-_6MQ)
動画の要約は、以下の通り
①ヘルメットのあご紐は、どんなにきつく締めても、前方に力を加えるとズレて顎から外れてしまう。
②それを防ぐため、ヘルメット後部または頸部と、あご紐を接続するアタッチメントを使うことが有効である。
動画投稿者は、あご紐に前方向の力を加えることで、顎からはずれてしまうことを指摘している。実際、私がArai製のフルフェイスヘルメットで検証した所、強い力を前方に加えることで、あご紐は顎から外れてしまった。
しかし、事故に遭ってヘルメットに衝撃が加わる時に、あご紐を前方にずらすような力が加わるのかについて考える必要がある。
JIS規格(JIS T 8133:2015)では、あご紐の強度やヘルメットが脱げないか試験する内容がある。あごひもの強さをテストする「保持装置の強さ試験(あごひも試験)」、ヘルメットが脱げ落ちないか試験するものは「ロールオフ試験」とよばれる。日本のヘルメットメーカーであるSHOEIが、自社サイトに試験の内容が紹介しているので、よかったら見てほしい。(参考文献[1])(ちなみに、投稿主は(3)の動画6:21のあたりで、「JIS規格は防耐の所だけだったと思う」と発言しているが、これは誤りである。)
また、メーカーに問い合わせた所、あご紐についても適切に試験を行い、合格しているとのことである(備考1)。
メーカーや安全規格を定める機関は、あご紐が適切に役割を果たす事を考えている。よって、あご紐に強い力が前方に加わることはないし、適切なサイズのヘルメットで正しくあご紐を閉めていれば、あご紐が外れてヘルメットが脱げてしまうことは無いと言えるだろう。
前述したが、そもそも、ヘルメットの改造は、全てのメーカーが取扱説明書などで禁止している。ヘルメットの改造は、ヘルメットの性能を損ない、重大な怪我や死につながる恐れがある行為である。
投稿者が紹介したアタッチメントは安全性に関する検証が全く行われていないため、安全性が担保される補償はない。動画(1)で紹介されたものであれば、「アタッチメントが頸動脈を切りそう」といった内容のコメントが、動画(4)の場合、首の後側にアタッチメントをかける構造のため、頚椎への負荷を心配するコメントが寄せられていた。
ヘルメットメーカーに見解を聞いてみました。なお、原文ママではなく、要約になっています。
また、ネットに掲載する許可をとっていないため、メーカー名は伏せます。
安全上、ヘルメットのあご紐に加工をするのはやめてほしい。取扱説明書にも、改造などは行わないで下さいと書いている。
JISの試験内容の中にあご紐の試験があり、それを通しているため、適切にあご紐を締めた場合の安全性は確保されている。
一般的な顎の形状であれば、適切なあご紐の取り付けを行っていれば、ヘルメットが脱げることはない。ただし、世の中絶対ということはなく、想定外な状況になる可能性もわずかながらあるため、断言はできない。(少なくとも電話に出てくれた担当者さんは)業界で、適切に取り付けられたあご紐が外れたという事例は、聞いたことがない。また、試験機械を使い、ヘルメットが脱げないような試験も行っている。
なお、改造は危険なのでやめてほしい。想定していない力の加わり方をして、悲惨な事故につながる恐れがある。
ヘルメットは一定の評価を得られるよう試験を行っている。そのため、「動画の項目」で紹介されたような個人の見解については、解答できない。また、ヘルメットの加工については推奨しない。
思う所は沢山あるものの、安全に関する内容を強い発信力でもって軽率に発信することはやめてほしいと思った。
[1]SHOEIヘルメット Passive Safety─ ライダーを守る性能と安全規格 ─(https://www.shoei.com/quality/passive_safety.html)
いつからこんなにみんな使うようになったんだろう?
それ、わざわざ“関係性”って言わなくても、“関係”で良くね?ってところでも“関係性”って言ってる。
トーク番組でゲストにゆかりがある人とかサプライズで出てきたときに、“お二人の関係性は?”とかさ。
今朝だったかもテレビで“自民党と統一教会の関係性”とか言ってたけど、べつに“関係”でよくね?という文脈に思えた(個人の感想)。
すでにNHKの報道とかでも使ってるので、もう単なる流行とか、新しい言い方みたいな段階は超えつつあるのだろうが、以前はあんまり使ってなかったよね?
ささいなことかもしれないが、気にしだすと、いちいち気になってしょうがない。
自分一人気にしてイラつくのもつまらないので、これ読んで一人でも同じ感情になる人いないかと思って書いてみた。←嫌がらせかよ。
#拾われた男 (アメリカ編) 8話の、タケシが子役に怒鳴るこのシーンですが、3歳の子役に心的ストレスを与えないよう「口パク」で撮影されています。しかも「お兄ちゃんが変な顔をするから、そしたら驚いた反応をしてね」という「お芝居ゲーム」として演出されています。これが2022年の日本の演出です。
👆の #拾われた男 の「子役にストレスを与えない撮影方法」は、お芝居が大好きな子役が、万が一にも撮影で怒鳴られ泣かされたことで、お芝居が嫌いになってしまわないように…というNHKの制作陣の配慮の結果です。日本の他のテレビ局や映画スタジオも、このような子役への精神的配慮を見習って下さい。
Cherry🍒@sakurako_haruna
ダメです。「変な顔をするから、驚いた反応をしてね」じゃなく、怒鳴られたつもりでお芝居してねと言わないと…
それっぽく見えれば良いからと1人だけ脚本と違う内容を伝えられて、その演技を一生映像に残されたら大人でも嫌じゃないですか?子供でも解釈違いは嫌がります。騙して撮るのはやめて😖
うちの子が2歳の時も監督は子供にも分かるようにどういう場面なのか説明して下さいましたし、子供も幼いながら理解して真剣に取り組んでました。アメリカではどうか知りませんが、どんなに小さくても一人前の俳優として扱い敬意を表すのが日本の映画界です。私は子供を預けて良かったと思っています。
そもそもゲームと称して撮影しなければならないような子供をなぜ使うんでしょう…
映像は一生消えません
きちんと役柄と状況を理解して演じられる子役だけで撮影すべきです。
崔洋一監督は2歳の娘にも一切手を抜かず、真剣に指導してくださいました。暴力シーンもありましたがその子は芝居を嫌いになってないですし、今も役者続けてます。子供に取って、意外と対等に向き合ってくれる大人の存在は嬉しいものです…
Yuki Matsuzaki 松崎悠希@Yuki_Mats@Yuki_Mats
それは「あなた」一個人の感想であり、実際にセットで暴力や暴言を受けてトラウマを植え付けられた子役の気持ちではありません。それとも、あなたは3歳の子役さんですか?
Cherry🍒@sakurako_haruna
そういう場面を撮影するのに「実際に暴力や暴言を受けてトラウマを植え付け」る必要はないですが、「あなたはプロとして、暴力や暴言を受けている芝居をします」と言う設定を役者本人に理解させる必要はあります。
子役なら理解出来ます。「変な顔をするから驚いて」などの嘘をつく必要はないです。
Yuki Matsuzaki 松崎悠希@Yuki_Mats@Yuki_Mats
>「あなたはプロとして、暴力や暴言を受けている芝居をします」と言う設定を役者本人に理解させる必要はあります。
それは「あなた一個人」の哲学であり、その哲学を子役に強制する行為そのものが間違っています。大人の考える「正しい俳優論」を子役に押し付けるからセットで虐待が発生するのです。
Cherry🍒@sakurako_haruna
その程度の芝居が出来ないとお思いで?
Yuki Matsuzaki 松崎悠希@Yuki_Mats@Yuki_Mats
あなたのその「プロ根性の強制」が子役への虐待を生む、と言っているのですが、もしやご理解されてない?
Cherry🍒@sakurako_haruna
そもそも論として
これだけ達者な子役がいる国で
わざわざ騙して撮影しないといけないような素人を使う必要はありません。
その程度の設定が理解出来ないような子供を起用する枠も余ってないです。
Yuki Matsuzaki 松崎悠希@Yuki_Mats@Yuki_Mats
それは「大人」であるあなたが勝手に「子役はそう思っているに違いない」と決めた、ただの思い込みですよね。その根拠の無い思い込みをベースに子役に「俳優根性」を強制するのは止めて下さい。それは虐待です。
Cherry🍒@sakurako_haruna
「大人に楽しいゲームだと騙されて撮影されて、後から編集で聞いてもないセリフをつけられて、勝手に全世界に公開される」デジタルタトゥー
https://anond.hatelabo.jp/20220804004638
これを読んでいてふとそんなことを考えた
自分はチェンソーマンを読んでいるのでこの人が言うニュアンスは理解できる
ただ、指摘されたキャラクターが心がないように映る!っていうのは、作劇上キャラクターとして、そもそも人間ではない等々共感し得ないタイプのキャラなので、これに関しては藤本タツキが「あえてわざと」そうしている、という話ではある
だから、そう読めたというのは読み方として正しいし、作者の意図は感じられている状態になる。つまりこの人は漫画を読めていないわけじゃない
では、それを踏まえた上で、「なぜそれが不快なのか」というところになる
いや、そもそもこれ実はとても真っ当な感想で、だって藤本タツキはわざと不快になり違和感を持つようにそのキャラを作っている部分があるから、という理由になるからだ。
つまりこの疑問というのは、『じゃあ、なんで、わざわざこういう共感できないキャラを主人公として、さらに味方側にも配置したのか』というのが本質にある
この疑問にに関しては、藤本タツキはいろんなインタビューで語っているのだが、この作者の作品というものは基本的に世の中に対しての「怒り」駆動で出来ており、チェンソーマンはその「怒り」の原因に対してのヒーローだからだ。
ここで重要なのは「怒り」という感情を人間はどういう時に抱くかという問題で、それは大抵の場合は「理不尽」なのである
道理の通らない自分ではどうしようもない不幸や絶望的な状況、助けられない何かを見た時に人はそれに対して「怒り」を持つ。これが基本的な怒りの発露だ。
なので、ヒーローというものを私たちが想定した時にヒーローとはこの理不尽を打破してくれる存在になる
さて、ここで任意のヒーローを思い浮かべてほしいのだが、ヒーローというのは大抵においてある種の神的パワーを持つ存在として描かれる。これは前段の話を考えれば当たり前で「理不尽」に対抗するには理から外れた存在、「別の理不尽」で対抗するしかない
この場合「別の理不尽」というものは人間の理や感情に沿わないものなので、物語がインフレすればするほど、どんどんと理解の範疇外になっていき、共感がしづらくなっていく
ドラゴンボールで悟空に共感できる人間、ワンピースでルフィに共感できる人間というのは部分的に理解や共感はできても、おそらくその思想丸ごと受け入れられる人は少ないだろう。これはワンパンマンとかだとより顕著になる。
つまり、ヒーローの文脈において僕らはヒーローそれ自体に「心や理がある」から共感しているわけではないのだ。そいつらが世の中のどうしようもない「理不尽」をぶったおしてくれるところに、スカッとしたくて見る部分がある
だから、この人の言説に乗るのであれば「ヒーローの心は基本フィクションだし、その敵もまたフィクションだよ」ということになる
これ自体はおかしなことでもなんでもなく、悟空に対してこいつやべえよなって思っている人はいっぱいいるし、ルフィに対して引いている人間はわりといる。多分Twitterで検索したらそこそこ出てくるくらいには。
なので、増田の不快感というのはわりと一般的なものだと思うし、そこに共感できないのは当たり前で、物語の優先度が違うから面白く思えないのはしょうがねえよなあってところだ。
ただ、もし、この増田がこれらのヒーローものを読んでいたとして、チェンソーマンより不快感を持たなかったのだとしたら、その差異はどこにあるのだろうか?というのは気になる
これに関しては、仮説というかおそらく「共感できる人の少なさ」と「読者が共感できそうになった人から死んでいく」というチェンソーマン特有の作劇の問題かもなあ
チェンソーマンの主題は前述した通り「世の中に対しての理不尽(恐怖)に対しての怒り」であり、その恐怖っていうものを前提として見せなければならない
だから共感できる理の側の人間は文字通り理不尽に殺されなければならない。そうしないと、理不尽がキャラとして出せないからだ
だから、そういった意味で「心がノンフィクションのキャラ(もしくは、ノンフィクションになったキャラ)は確実に死んでいく」ので、後に残るのは理不尽な奴しかいない
この共感キャラがドラゴンボールだと生き返るし(クリリンとかヤムチャとかブルマとか)、ワンピースでもわりと生き残ったり報われたりするので、不快感は少なくなる。また生き返らせる、生き残らせることができるのはこれらの作品がファンタジーだからだ。つまり、この場合「作品世界はフィクションで、生き残るキャラたちはノンフィクション(心がある)」になる
でも、藤本タツキは理が理不尽に侵されるというものに対しての怒り駆動なので前提として侵される瞬間をまっすぐに描くし、それを取り返しのつかないものとして描く
だって、理不尽に奪われたものは取返しつかないでしょ?リアルだと
藤本タツキの書くものはそういった意味で「作品世界はノンフィクション、生き残るキャラたちはフィクション」となるので、この違いが大きいのかなと思う
まあ、いずれにせよ増田の感じ方はもっともで個人の感想としては至極真っ当に合わなかったんだなあというのがあるので、問題ないと思うよ
この記事を読んであまりにもわかり味が出てしまったので、個人の感想だけど書いておく。
この時犯人は30手前。おそらく、人生を立て直す最後のチャンスと思ったんじゃないかな。
ところがそれは母親の手によりあえなく潰える。
多分その時は耐えたと思うんだけど、35、40と年を重ねるにつれ自分の人生の先が見えてくる。
派遣はそれを求人の減少として四六時中突き付けられ続けるんだからつらいよね。
そして、あの時の金があれば、という思いは強まる。
ここで母親。本人が全く露出しないのでわからないけど、その行動からしてガチの狂信者。
多分直接母親に復讐したところで、本人は殉教者気取りで天国行きを確信しながら幸せに死ぬだろう。
それに対し、母親の大事な宗教の幹部や擁護者を殺したとしたら。
だいたいの場合において、至極真っ当な意見を言ってるように思う。
コロナ対応については頓珍漢な文句を言ってたが、専門外だろうし。
こと、経済についてはまさに慧眼って感じがする。
なんで叩かれてるのかわからん。
恨まれてるのは理解できるし、彼の立案した政策で彼が得してるのは事実だが、そうはいっても経済についてはだいたいまっとうなこと言ってない?
えー、この備忘録の主目的はコンカフェに初めて一人で行った女について備忘録を残し、何かの役に立ててもらうことです。
今回東京都秋葉原に自分がファンであるゆゆうたさんプロデュースのコンセプトカフェ&バー「Melt Tune」が開店したと聞いて仕事のついでに寄ってみたいと考えたのが話の発端になります。
まず、コンカフェとは何か。
グーグル先生に伺ったところ、メイド喫茶のようなコンセプトのあるカフェをコンカフェと呼ぶようですね。
正直なところ自分からの認識としては、そのコンセプトがメイドでも執事でもなんでもいいですが、飲食ではなくコンセプトに沿った歓待が主目的の店という認識ですね。
つまり、ファンの聖地巡礼の一種として店に行く自分のような、可愛い女性による歓待にあんま興味ない人間って一般の客層ではないんでしょう。
さて、自分が店の客層じゃないかもって諦めてたら話は進まないので、コンカフェには行く。そのうえでできる限り楽しみたい。
というのを目標に何を備えればコンカフェを楽しめるか考察及び実践についての備忘録が以下になります。
ということでようやく主題です。
① コンカフェの楽しみかたとは
② コミュニケーションについて
……会話を備える
③ 飲食について
……現地での楽しみ方と準備
④ まとめ
①コンカフェの楽しみかたとは
まず、コンカフェの楽しみ方を自分なりに考察するんですが、やっぱり主題としては女の子と会話ってのが楽しめるのが魅力だと思うんですよね。
メニュー表がないバーとかには行くぐらい酒は好きですが、コンカフェって酒とか食べ物だけで過ごすってイメージはあまりないので。
つまり、初めてなりにコンカフェを楽しむならやっぱコミュニケーションを重視するのがいいと思う。
②コミュニケーションについて
というわけで、コミュニケーションをしたいわけだがここで問題がある。
しかしまあ経験則からしてコミュニケーションというのは備えられるものである。
説明しよう。
話題を先に準備すればいい。
喋ることが思いつかないからテンパって無言になったり、よくわかんねぇこと喋り出したりするので、本番前に何を会話するか決めておけばいいわけである。
こんな考え方はいいのかわからないが、向こうも金をもらっているので、会話の練習にはいい相手であるという意識で行こう。
ちなみに話題を準備する際に意識したほうがいい事を挙げると、話が続けやすい話題かどうか。
〇季節柄の話
→連日暑くてしんどいこと
→節電のために少し工夫したとか、諦めてエアコンに頼っているとか
〇地域の話
やっぱ、季節柄と地元話なんかは鉄板なので話題カードとして準備しておくといいですよね。
ただ「暑い」だけだと話が終わってしまうので、追加で「節電で~」とか「アイスでおいしいのがあって~」とか追加要素も踏まえての準備が重要だと思います。
コミュニケーションが下手でも座学で、コミュニケーションは取れるようになるわけです。多分。
あとは相手の言葉を聞いて相槌をすれば、自分から話す時間が減って話題が尽きて困ることもないわけです。
そんなことを考えながら、実際に会話もしてみましたが、実践の中で少し良かったところが、女の子側数人が交代で相手になるので同じ話題を擦ることもできたことですね。
ちなみにやはり「初めてコンカフェに来た」という話が1番盛り上がったというか、そこでみんなに親切にしてもらったので初めてコンカフェに行く人はオススメです。この話題1枚でで鉄獣ぐらい展開できます。
ちなみにそんなこと(同じことを何度も話)して楽しいのか?と疑問に思う人の為に答えるのですが、人によって返答してくれる言葉が違うので普通に同じ話題はいくらでも擦っていいわけですよ。
それに相手はその話を初めて聞くので、自分が初コンカフェであるという状況説明も兼ねていてお互いやりやすくなるという点でも良いんじゃないんでしょうか。
あと話は合う合わないがあるので、その過程で話が合うキャストが見つかって話題が盛り上がればヨシ。見つからないこともある。
というか普通に聞き上手だし、話上手だったので有難かったです。
③飲食について
この項目を書くかは少し悩んだんですが、まあ気になる人もいるので飲食面で気を使ったことも少し。
メニューについては2500円/1時間の飲み放題と、1000円/1時間で飲み物1品+注文2品のような内容がありましたね。
これは自分の感想ですがマスターがいるタイプのバーでだいたい一杯1000円近くなので、単純に換算して1時間で3杯酒が飲めればざっくり飲み放題のほうが安くて、そうじゃないなら1000円のほうでチェキなり軽食(オムライスやおつまみが置いてあった)を頼んだほうがいいのかな。って感じです。
これを高く感じるかは人の自由ですが、こんなんは食材とかの材料費じゃなくてコンカフェで流れる時間を買うお金なのでこんなもんなんじゃないでしょうか。
これについては少しもったいない気はしますが、ノンアルもあるので飲み放題ノンアルタイムもできます。
④まとめ
というかコンカフェに限らずですけど、なにかの店とかに行ってみたいけど一人ではちょっとっていう
時は友人とかと二人で行くのが1番正解だと思いますよ。
会話も楽に繋げますし、アルコールで酔うのが怖い人もカバーを期待できます。
まぁそれが出来ない人もいるのでこんな文章書きながら一人で行ったわけですが。
主目的が少し違ったとはいえ、なんやかんや楽しい時間を過ごさせて貰ったのでコンカフェ行ってよかったです。ありがとうキャストの皆さん。
せっかくなので宣伝しておくと、何故かGoogleでの住所に書かれているビル名と違うビル名の中にある「Melt Tune」をよろしくお願いします。
住所は「恵光ビル」なんですが実際のビルに「千住ビル」って書かれていて混乱を極めました。
(拳銃を手に取る。)
(パァン─────)
これさー。エビデンスゼロのお前の感想だろって蹴りたいところなんだけど
俺も似たような感触持ってるんだよな。バレなきゃOKみたいな倫理観の欠如が、一般の人に浸透し始めてる感じがする
それとももともと日本人はそういう性質だったところに、格差拡大とか貧困の影響で顕在化しているみたいなこともあるのかな
なんにしても正確ではないから、こての議論は空中戦にしかならなさそう
どっかに、そういうのの研究結果とかあるのだろうか。俺も気になります
個人的な妄想だと、自民党政治が嘘とか汚職まみれでやったものがちみたいなことを散々やってきたので、国民もそれの影響をうけてるのかな〜って感じはするかな
ここまで来ると個人の感想ってより妄想に近いけど、自民党政治の影響を受けてゲスい思考に取り憑かれてる人って少なくはないと思うんだよな〜
新着を見ていて https://anond.hatelabo.jp/20220626093727 があったので、こんなブコメを書き込んだ。
「ペドっぽい」ファンアートはまとめの中に実際にあるし、「そういう表現をするのは悪いことではないよね」「気持ち悪く思うのも悪いことではないけど個人の感想で規制に繋げてはいけないよね」という話をすべき
本当はもう少し長く書いたのだけど、100文字に収まるよう細部を削って書き込んだ。
その後、ブクマ数が少ないうちに書き込んだこともあっただろうが40を超えるスターが付けられてトップブコメになっていた。通知を見ながら気を良くしていたのは確かだ。
いや、ねーよ!
何言ってんだお前…
「そういう表現をするのは悪いことではないよね」「気持ち悪く思うのも悪いことではないけど個人の感想で規制に繋げてはいけないよね」という話をすべき
あー怖い怖い
これって誘導尋問じゃん
手前の勝手な前提で話を進めないでください!
これに対して、反論、というか私の持論を述べたいと思う。
一旦その前に、自分語りというやつをさせてほしい。
(正直なところを言うと、書きながら色々迷っている。本当にこの文章は書く価値のあるものだろうか。何のために書くのだろうか。
単にレスバに勝ちたいという気持ちで書いているなら無益だからやめておけ、と自分の一部は言う。
それに対して、いやこの文章は元増田に対してだけの物ではない。元増田に届かなかったとしても他の人に届けばいいのだ、と言う自分もいる。
でもやっぱりそれはただの言い訳なのでは?お前はただのレスバジャンキーなのでは?と言われると否と答える自信がない)
私はあまりネット上で自己開示をするたちではない。特にこうして名前を晒して(いや、実名ではないのだが)内心を晒すことはしてこなかった、と思う。
いや、うーん、政治の話ははてブではけっこうしたし、自分の内心を晒すこともした、かもしれない。
今からするのは性的な話である。つまり、自分の性的嗜好の開示である。
このkazatsuyuというIDはリアルの知り合いにも知っている人がいるし、そういう人の目に留まるのはだいぶ恥ずかしいので、もし見つけても見なかったことにしていただきたい。
いや、リアルの知り合いじゃなくてもTwitterのフォロワーとかはやっぱり恥ずかしいので、フォロワーも見なかったことにしてほしい。
この文章は確実に黒歴史になるので、もしかしたら羞恥に耐えられなくなったら消すかもしれない。まあ、魚拓だけなら残っていても検索には引っかからないと思うからいいかな……。
端的に言えば、私はロリコンである。好きな成年漫画家は岡田コウ、好きな同人エロゲサークルは夜のひつじ。
ケモロリは性的嗜好の範疇なのだが、ケモナーかと問われると自分では疑問。そこまでディープではないとは思うが、まあ他人と性的嗜好を比べあったこともないし。
基本的に、絵師や同好の士とのコミュニティに参加したりはしていない。普段TwitterではITエンジニアのクラスタに住んでいる。
コミュニティに参加している訳ではないので、界隈の代表面をできるような立場ではないし、できるだけの知識も多分ないだろう。だからこれは個人の意見だ。
こう書いたのは、つまり https://togetter.com/li/1906645 のまとめを見たロリコンでありケモを多少摂取している私個人が「ふーんエッチじゃん」と思った絵がいくつかあった、ということだ。
元増田は、
手前の勝手な前提で話を進めないでください!
と言っていたが、まあ、確かにこれは個人の感想であって、私の勝手な前提と言えるのかもしれない。
ただ、それを言うなら、
はっきり言わせてもらえば、私はまとめの中にある作品の中に(全てではないよ、もちろん)性的な意図、それも(もちろん虚構の)小さな子供に対するものを表現したものが「ある」と確信している。
証拠はない。いや、探せばあるかもしれないが、基本的には私のロリコン的な感性が「そうだ」と確信したものなので、証拠を探しても後付けの理由でしかない。
(「ながもはショタじゃないか?」と言われそうな気もするので一応、はい、ショタも範囲内です。ケモショタはギリいける。ケモロリの方が好きだが)
ところで、ながもに当てはめて良いものかは分からないが、ケモナー界隈には「ケモセーフ」という概念がある。(医療器具ではない)
https://dic.pixiv.net/a/%E3%82%B1%E3%83%A2%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%83%95
要するに、ケモノは動物なのだから裸でも問題ないとか、毛皮で隠れているのだから大丈夫、という言い訳できわどい恰好をさせることができるという話だ。
そういう概念を持った上で、ながもを見てみる。帽子とマントは着用しているのに、あとは全裸である。
キャラクターの作者の意図までは読み取れないが、鑑賞者としてはエッチな気持ちが揺さぶられても不思議ではないと思うのだ。
その気持ちをそのまま二次創作にぶつけた絵師は「いる」と私は見た。それが元増田につけたブコメの前提だ。
で、本当に話したいのはここからのことだ。
元増田は私とは前提を共有していないようなので、ここまで読んでも勝手なことを言ってと怒っているかもしれない。
なので、なるべく一般論として話す。
そもそもの話として、エロい表現には「確実に規制されるライン」と「そこまでではない表現」というものが存在する。
当然、確実に規制されるラインは性器が描画されているとか、セックスをしているとか、そういうものである。(この規制ラインの妥当性は今は話さない)
規制されない表現には広いグラデーションがある。下着のラインがきわどいとかスカートの中が前張りであるとかそういう割と直接的だけどギリギリ引っかからないものから、表情が見ようによってはエロいといったものまで、多種多様である。
私は、そういった表現があるのは良いことだと思うし、それを見てエロいと感じることも良いことだと思っている。
つまり、作者が表現に仕込んだ意図を、ちゃんと読み取れたのが良いことだと思う。
読み取れなかったら悪いという訳ではない。多分、私自身作品を鑑賞する時に誤読していることはよくあるし、自分では誤読に気づけることは稀なので。
それこそ、「ながも」にケモセーフの意図が織り込まれていると私は読み取ってしまったが、これは作者の意図と照らせば間違いである可能性も十分にある。
問題は、作品に織り込まれた意図を読み取ったにも関わらず、「そうではない」と言う行為だ。
エロい表現物というのは常に攻撃に晒されてきた。だから守りの体勢に入ってしまうことは理解しているつもりだ。
だが、「これはエロい!駄目だ!」と言われた時に、「エロくない!」「エロさを読み取るお前がおかしい!」と返すのは、多くの場合、それこそが間違っていると私には見える。
鑑賞は人それぞれなので、本当にエロくないと思ったならエロくないと言ってもいい。だから、私のこの意見は完全に見当外れで、私がただ勝手にエロい意図を読み取ってしまっただけなのかもしれない。
けど、私は表現を擁護する側で「エロくない」と言っている人の一部は(一部、と言ったが主観ではほとんど、だと思っている)エロいと思ったのにエロくないと言っているように見える。
月曜日のたわわはエロい。スカートの股間のしわはエロい。宇崎ちゃんは……私にはあまりエロスを感じ取れないのだが。
「エロい!駄目だ!」と言われた時に、攻撃の理由をなくそうとして「エロくない」と言ってしまう気持ちは分かる。
でも、「エロい!駄目だ!」に対する答えは「エロくても駄目じゃない!」であるべきだと思うのだ。
世の中には確実にエロい意図を仕込んだ健全(非規制の)作品がある。その作品に対する誠実な鑑賞態度は、「これはエロいなあ」と感じることだと思うのだ。
元増田は完全にエロくないと思って、その心のままに増田を書いたのかもしれない。もしそうなら、この文章は私の独り相撲だ。
けれど、もし仮に、私の意見に思い当たる節があるのなら、「エロい」と感じた心に蓋をして「エロくない」と言っているのだとしたら、そのままの態度では良くないと私は思う。
ここまで書いてきて思ったのだが、「エロい」と「ペドい」は一般的にはまた別の問題かもしれない。私にとってエロはロリペドと割と強く結びついているので、少し混同して書いてしまったきらいがある。
元増田がペドの意図を読み取らなかったとしても、それは多分健全なのだと思う。無理に読み取る必要はない。
同時に、元増田の言及先であり、元増田のブコメでも晒されていたコメント(idは書かないでおこう、多分向こうにとって私は絡みたい相手ではないだろうから)がペドの意図を読み取ったのも悪いことではない。
悪くないはずだ。誰か私にも悪くないと言ってほしい。
元ブコメの人は気持ち悪いと受け取ったが、私は良いと受け取った。だからきっと分かり合えないと思うが、気持ち悪いという感覚もきっと悪いことではない。
悪いことではないと思うから、悪いことではないよ、と言った。これは誘導尋問ではなく、元ブコメの人のように感じる人へ言ったつもりだ。
その上でどうするか。個々の感想として好悪があったとしても、それを表現規制に結び付けてはならないと思った。だからそう言った。
これはやっぱり大事なことだから、書いておかないといけないと思ったのでがんばって100文字の中に詰め込んだ。
元増田には表現を守りたい気持ちがあるはずだ。私もそこにはある程度共感できていると思う(完璧にとは言えない)
けれど、私は表現を守る運動を見ていて、表現に接する態度に関して違和感を持っていた部分があったので、それを書かせてもらった。
そこの部分で元増田と私はあまり折り合えない気がする。もしかしたら私のような意見は「利敵行為」になるのかもしれない。