はてなキーワード: 人ごととは
「大丈夫になりたいって願ったら(不思議な力で)都内に実家があって大きな駐車場が手に入って大丈夫になった」って話で。
あ?都内に実家があって(別に大きくないけど)駐車場があってもメンタル病んで引きこもってて全然大丈夫じゃないんだが?
数年前からこの手の「都内に実家があるだけで余裕だろw」みたいな言説はあったから、これは別に作者特有の考えじゃない。
この漫画がたまたまクソメンタル状態の私にぶつかっただけでタイミングが悪かった。それは申し訳ない。
この漫画に限らず、そういうの見かけても実家都民は我慢して流すしかないのが本当腹立つ。
というか実家都内にない人ってわかんないけど多分日本だと1億人以上いるじゃん?
1億人の共感を生む可能性がある時点で実家都民に比べて圧倒的強者なんだよな。
1億人の立場から少数民族の実家都民に石投げてる状態だってことは本当自覚してほしい。
私自身は手取り少ない今の年収にあわせた暮らしをしなきゃいけないと思っている。
節約話に興味あるから、職場の人に生活の知恵とか安売り情報を教えてもらったらすごく嬉しい。
外側は立派だけど正直掃除もぜんぜんできてないし、できてなくて当たり前みたいなうちだったから。
例えばだけど、「ミートソースを食べ終わった後新聞紙で拭いてから洗う」って話を聞いた時、すごく感動した(それ聞くまではミートソースをすぐにスポンジで拭いてて真っ赤にして使ってた。)
でもそういう話をいろいろ教えてもらう時、根底ではだましているような罪悪感を感じる。
これ見てたぶん自虐風自慢とか嫌な気持ちになった人もいるかもしれない。
そんな感じで本音を共有するのにも気をつかう。SNSはやめて見る専。
他者から見たら恵まれてるはずなのにうまくいかなかった自分をせめることが多い。
今までの人生でこういう愚痴が分かり合える層とうまくコミュニケーションできてればよかったよなとコミュ力のない自分をせめてる。
犯人が生活保護受給したかったのにアパートがあって受けられなかったって話も、正直人ごととは思えない。
こういうの「そんな私にもパートナーが」と同じで、本来だったらそれぞれに地獄があるんだけど
ぶったたかれてる対象がマイノリティであればあるほど同情のコメントが全然ない。(最近のはてブだとインボイスの話とかね…)
というか同じような状況の人って実際みんな社会的に成功してるから気にもとめないのかもしれない。
(性加害の話を含みます)
兄が病死した。私にとって消えて欲しい存在でしかなかった兄が本当に消えてくれた。涙はない。
小さな頃はごく普通の兄妹の関係だった。7つ離れているから一緒に遊んだ記憶はあまりないけれど、優しかったし、何でも譲ってくれた。私が小学生になると、宿題を手伝ってくれたり、漫画やCDを貸してくれたり。高学年になると、おかしなことが起こるようになった。お風呂あがりで裸の私がいる洗面所の扉を「間違えて」開けることが何度かあった。おかしいな、と思い始めた頃、ソファでうとうとしていた私の上にいきなり覆い被さって、私のスカートの中に手を入れてきた。混乱したが、それが、兄が私に対していやらしいことを企んでいると決定的に理解した瞬間だった。私は、ふざけんな、気持ち悪い!くらいの強い言葉を言ったと思う。気の弱い兄は、それ以上何もしなかったし、それからは直接触れてくることはなくなった。
ところが今度は親の目の届かないところで自慰行為を見せつけてくるようになった。ちょっとこっち来て、と呼ばれて兄の部屋に行くと、おもむろにズボンを下ろしそれは始まる。私はバカじゃないの、といいながら去るのだけど、何度か射精するところまで見届けた。私は兄のやっている行為を愚かしいと思いながらも、私の体に直接の被害はないので、まぁいいかと思ってへらへらしながら数分間眺めてたのだ。そんなことが3年くらい続いたが、私が高校生になると、さすがに明確に拒絶するようになった。というか、それなりに女子高生という雰囲気をまとって世の中怖いものなし、という風情を醸し出してきた私と、大学を留年しまくってくすぶってた地味で冴えない兄の立場が逆転し始め、兄の方が私に近寄らなくなってきたのだ。
もともと大人しく社交的ではなかった兄は、大学生活で人間関係やら何やらにつまづいたらしい。数年留年しやっと卒業したが就職もせず引きこもりを始めた。毎日兄が家にいてうっとおしかった。兄が私に何かをしてくることはもうなかったが、私の中ではもはや兄は気持ち悪い人でしかなかった。一緒の食卓に座るのも嫌だし、話しかけられるのも見つめられるのも嫌、兄の入った湯船につかるのが嫌で真冬でもシャワーだけだったし、自分の洗濯物は自分で洗って自室で干した。家に二人きりでいると何が起こるか怖くて、38度の高熱を出してもフラフラしながら図書館で時間潰してた。私は大学生になると、実家を出たくてその資金のためにキャバクラでバイトを始めた。それが親にバレて、お堅い父が激怒。半ば飛び出す形で実家を出て、それ以来自活。父も母も兄に甘かった。就職しないで引きこもる兄に3食を用意し、毎月のお小遣いを与えて、息子は繊細だからゆっくり時期を待ちたいと尻を叩くことはなかった。そう、親にとって、兄は「繊細」な息子で、私は「ふしだら」な娘ということらしい。その状況がいらだたしく、何度か兄がしてきたことを暴露してやろうかと思ったこともある。だが、それはしなかった。
大学を卒業し、社会人になり、私は自分の人生を生きることに一生懸命だった。私だって器用な方ではないからこの社会に馴染むには人一倍時間を要する。失敗したり落ち込んだり遠回りしながら生きてきた。30歳を過ぎた頃、私の中にあるいわゆる「生きづらさ」というのは家庭環境や兄のことがあるのだろうと、心理カウンセリングを受けてみた。でも言語化すればするほど何だか虚しくなり、数回通っただけで行かなくなった。兄や実家と向き合うのはしんどい。物理的にも精神的にも可能な限り距離をおく、ということで適当にやりこなして生きてきた。気づけば私も30代後半。
兄が末期のガンだとの知らせが届いたのは半年前。会社勤めではない兄は当然ながら職場の定期健康診断もなく、区の健康診断やガン検診にも寄り付かず、発見が遅れたらしい。両親は自分たちの老後のために実家をバリアフリーに改装していたので、兄は訪問看護を受けながら在宅で看取ることになった。
電車で20分という距離に住んでいながら、2〜3年に一度くらいしか実家に顔を出さなかった私。久々に対面した兄は、痩せてだいぶ老け込んでいたが、何の世間の垢もついていないつるんとした肌と、感性が20代前半くらいで止まってるかんじは相変わらずで、当たり前のように父母の手厚いケアを受けていた。私は兄にはごく一般的な見舞いの言葉を、両親には私が手伝えることがあれば可能な限り協力するが、自分は看護や介護の知識がないからその類の行為はプロに任せたいと明確に伝えた。指一本、兄の体に触れたくなかったからだ。父母は私の事務的な態度をどう思ったかわからないが、既に私は家族の一員として「諦められている」存在だったので、たまには顔を出しなさいよと言われただけで、何かを頼られることはなかった。その後、遠方からおじおばが見舞いに来るというので、その場に立ち会ったくらいで、積極的に兄を見舞うことはしなかった。
兄が死ぬことについては何の悲しみもなかった。むしろ、私にとって恥ずかしい存在がいなくなる、せいせいした、というのが嘘偽らざる気持ちだ。実家を離れたとはいえ、引きこもりかつ性犯罪予備軍のような兄の存在は私にとって長年の恥でしかなかった。もともと結婚願望は薄かったが、結婚は完全に諦めた。普段から「お兄さんは何をなさっているの?」といった他人からの無邪気な質問も怖かった。子どもを狙った性犯罪のニュースを見るといつか兄もやるんじゃないかと戦々恐々としてた。引きこもりの中年男性が世を恨んで無差別に人を傷つけるニュースも全く人ごとではなかった。兄がいなくなることで、これらの心配が無くなるのであれば、この先の私の人生は心穏やかに過ごせる。
クリスマスを前にして、兄は父母に見守られ四十数年の人生を終えた。静かな最期だったらしい。朝方に死去の連絡を受けたが、私はその日も普通に仕事に行った。何の心の動揺もなくいくつかの打ち合わせと事務処理を済ませた後、家庭の用事でとだけ伝えて、昼過ぎに早退をした。色々事情を聞かれるのが嫌で忌引きでなく普通の有給をとることにした。1日だけ。
兄はたぶん安らかな顔をしていた。あんまり見ていない。父母も最後まで自分たちで世話をしたのだから、まぁすっきりした表情だ。一度も社会に出なかった息子を困ったといいつつも、可愛がっていたのだろう。兄は引きこもりではあったが、家庭内暴力などはなく、父母やごく近しい親戚とは普通にコミュニケーションをとっていたし、親の買い出しに付き合って車を出したり重い荷物を運んだりと家の事には協力的であったらしい。家族想いで優しかったが、優しすぎて一般社会には適応できなかった、というのが父母からみた兄だ。
それもまた事実であろう。私だってあの出来事がなければ、兄をそう捉えたかもしれない。でも私は兄がした行為を許すことはしない。許すことはしないが、もう遠い過去となった。あの時の記憶は消えないが、あれから私は自分の人生を生きて別の体験をたくさんすることで、あの記憶を隅へ隅へと追いやった。それが正しい対処方法なのかはわからない。もっと周りに助けを求めたり、自分の心のケアを第一に考えることもできたかもしれない。或いは正面から向き合って本人に謝罪を求めても良かったかもしれない。でももういい。私にとって兄は消えて欲しい存在で、そして今やっとその通りとなった。それだけのことだ。兄の愚かな行為を今後も父母に話すつもりはない。それは兄のためでも父母のためでもない。私がエネルギーを使いたくないから。
補足)
これは愚かな兄をもった、愚かな妹の駄文です。もしこれを読んでいて、今現在家族の問題で苦しんでいる未成年の方がいたら、どうか信頼できる大人に相談してください。私は自分一人でなんとか対処してしまったように書きましたが、それは20〜30年前の当時はスクールカウンセラーも普及しておらずインターネットも浸透してなかった状況で、子どもに対する権利擁護の情報にアクセスしづらかったという事情によります。今は適切な機関や支援があります。あなたの心を守りながら、一緒に考えてくれる大人はきっといます。
境遇がほぼ一緒です。増田の悩んでること、気持ちもぜーんっぶ分かる!!!!!ほんとそれな!!!!
私も20代の頃は同人に明け暮れ、原稿で忙しく、男に興味ももてないまま。あなたのようにとりあえず恋人はいた方がいいのかな、と好きでもない男とデートをして、でも全然面白くないし原稿忙しいし放置して。
今思うと相手は悪くないのだが、連絡もほとんどしなくて、酷いことをしたと思う
何人付き合っても、好きな人は出来なかった。恋人という物に興味が持てなかったし、好きと思う人も現れなかった。同じく男性と深い仲になる前に別れるので処女だった。裸体見せたくないの分かりすぎる気持ち悪かった。
同じく実家住まいで、親は愛情深い。一人暮らしを検討するが、金もないし、楽だし、で甘えていた。同人で原稿書いてるならなおさらじゃないですか?
年代的に周囲が固まり始め、なんとなく焦るが子供も欲しくない、結婚も特に興味ない…自分の20年前と思考も環境も同じで人ごととは思えない
それから20年経ってこんな私にも素敵な旦那様が…ってなってりゃいいんだが、結論としては今もこどおばでアラフィフです。同人もまったりながらやっている。
ただ出来るなら「普通」に好きな人が出来て「普通」に結婚して子供を作るのが、生きやすく幸せなのかもしれないと思う。増田みたいに私も「普通」になれればよかったとは、今も思う。
もしその道を選ぶ気力があるのなら、20年前に戻れたら私はこうする
・家は出る。どんなに金がなくても出る。
親に行き先とかを言わなければいけない、親に気を遣う生活はやっぱり恋愛の妨げになる。増田が彼氏のことを何でも家族に話せるならいいが、私の親は詮索好きだったので、彼氏のことを言いたくもないし、泊まりもできないし
それでますます彼氏作るのが嫌になった。一人は自由。一人暮らしだと、もっと恋愛も積極的にやってみた気がする。そして出るなら若い方がいい。年を取れば取るほど、家は出にくくなる
アラフィフの私がまだ実家住まいなのは、アラフォーの時に祖父母が倒れ、介護の手伝いなどで家を出ることが出来なくなった。祖父母が死んだ後は両親はもう足腰弱っていて、置いていけず残っている
まあブラックならともかく増田の環境はそう悪くもないように思える。正社員事務土日休みで、昇給があるのならば昇給額にもあるがアラフォーになるくらいにはそこそこに貰えるから頑張って勤めて。一人暮らしにも独身にも金は必須
・友達を作ろう
これは、増田がどうしたいかによる。ぶっちゃけてしまえば独身の友人ばかりが周囲にいると、独身でも特に困らず周囲も環境一緒で楽しいので結婚の意味がますます見いだせなくなる
周囲が婚活等に励む一般的な女子の場合、話もそんな方向になるので感化されて彼氏紹介されたりとかあれこれある
なお私はアラサーの時に一般女子の友達ともつきあっていたから男何人も紹介されたが、興味なくて結局別れた。
独身で行くなら孤独を埋めるのは独身女子の友人である。私はアラフィフだが、独身同人友達と今も仲良く喋っているので孤独を感じたことはない。そしてオタクは引退してもオタクなので、同人活動やめてもアニメとか見てる子は
多く、話はできる。そしてこれらの友人はアラサー時代にできたものだ。同人はアラフォーまではいるがアラフィフはがくっと減る。年齢的にもだし、イベント会場におばちゃんだから行きにくくなる。出会いが減るので友人も出来にくい
独身のまま突っ走りそうな友達は、独身の未来を抱いているなら今のうちに作って置いた方がいい、っていうか今を逃すと友達どんどん作りにくいので。
しかし同人独身友達に囲まれると、婚活してるとかは言いにくくなり、結婚するとかももっと言いにくくなりますので、普段から婚活とかしてるんだけどさ~みたいにさらっと喋って結婚願望がある振りしといた方が、なんかあったときには
処女を拗らせるときの思考回路も同じで私は40代まで処女でした。しかも相手も「なんか唐突にセックス経験してみたくなったぞあんなに嫌だったのに!」という謎の心境変化でセフレを募って捨てさせて貰った。
しかし男性に対する無興味は何も変わらないままだった。処女かどうかは些細なことだと思うけど、コンプレックスではあったのと、やってみるとそんなビビるもんでもなかったなと言う感じです。増田の性格なら「好きな人に処女を捧げたい」って思いそうにないので、その気があったら適当に男に抱いて貰っていいと思うけど、どうしても嫌なら私みたいになんか唐突にやってみよう!って時が来るかもしれないんでそれまでほっといていいかも
処女なくなったらコンプレックス一つ減るので私は捨ててよかった
こういう増田が出ると、そんな私にも彼君が、って言い出す人たくさんいる。実際オタクで同人やってても結婚する人たくさんいる。
でもねえ、一定数いるのよ、そういうことに興味持てない輩って。
私もどーしてもダメだった。BLは楽しく読めるのに、彼氏とのデートに何も興味を持てず、同人生活で限界になると家事をしてくれる親の存在がありがたく、金も貯まるため家を出る気にもなれなかった
何人もつきあって、親にも結婚相談所に突っ込まれ、たくさん会ったけど、無理だった。周囲には「別に好きじゃないけどまあ結婚していいか」レベルで結婚できる女子がたくさんいるのも衝撃だった。
いるんだよ、結婚と子供が目的だと、見合いで会った人とあっさり結婚してしまう。別に好きでもないけど、まあこの人ならうまくいくだろう、程度の気持ちで。それが出来ればおそらく結婚は出来るんだ。私は無理だったけど。
増田はこのまま行くと私の様なアラフィフになりそうだ。金、仕事の安定、独身の友達。この3点セットが揃っていれば年を取ってもそれなりに楽しいと言っておく
だが、結婚、出産、子育て…のコンプでぐるぐるしているなら、そっちの世界に挑んでみてもいいとは思う
私はたくさんの人と会って、結婚直前まで行ったりして、何とか頑張って「普通」になろうとして、それでも心がどうしても拒絶してしまい、いろいろあり周囲に迷惑を掛け、人を傷つけた
私を好きと言ってくれる相手の男性にこれ以上失礼なこと出来ないし、何度繰り返しても私は相手を愛せないので、愛情をくれる相手の時間を奪うだけで申し訳ない。そして自分は愛情なくとも結婚出産なんていうのはできないと悟ったのが38の時だった。
吹っ切ったら楽になった。親は孫が見られないので暴れたし、罪悪感もあるがしょうがない。
婚活は辛くて嫌だった。会いたくもない男性とのデートも苦痛だった。それらから解放されてすごく楽しかった。ただこの道を選ぶと一生コンプレックスは残る。多分。
私の様にあがくだけあがいて、「私には無理!」ってところまで頑張ってみると、なんというか諦めは、つくよ…私の場合、家を出ておけばよかったな、とは本当に思った。
統合失調症の症状として「監視されてると思い込む」ってあるじゃん。
あれ人ごとだと思ってた。「すげー怖い思い込みだなー大変だなー」って。
でもさ、よくよく考えたら私もそういう思い込みしてるかもしれない。
◯隣室から物音がすると動けなくなる。
私が動くとその音も隣室に聞こえるはずだから、私が何してるのか隣人にバレる。
◯私の増田を知り合いが読んでると思ってる。
増田には私の知り合いがいて、私の書いた増田をそいつが読むと「これ絶対あいつじゃん」とバレてる。
私の増田に嫌な書き込みをしてくる奴の半分は私の知り合いの誰か。
◯知り合いじゃなくても私の日記を誰かが観察している。
文章の癖から「あ、またこいつの日記だ」と私の日記を分かる人がいる。
「こいつこの前はこんなこと書いてたのに」「毎日同じようなこと言って成長がないな」とか思われてる。
だから私はいつも一人称や文体を変えて日記を書いている。(それでもバレてる)
それとも、この程度なら誰でも一度は考えることなんだろうか。
デザイナーやプレゼン資料が得意な人が手直ししたりしたのがSNSでバズる。
Web界隈の人もおそらくイケてないと指摘している。
もう見慣れたフォーマットというのが大きいが・・・。一度、書いている人がどこ注目して欲しいか理解できたら、どれも同じなので読めると思うのだが。
フォーマットが決まっていて内容に集中できる。省庁や人ごとに見せ方が変わると、そちらに目が奪われてしまって内容が二の次になる。
すべての資料をデザイナーが手直しして修正するわけでもないし、イケてるが数字が読めないグラフなんて議論ができない。
口頭でプレゼンを聞くことができないので、そこそこ文字で説明してもらわないとWebで配布されてもよくわからない。
個人的には全部やめたほうがよかったとは思うけど、オリパラと甲子園フジロックで問題の質は違って、オリパラのほうが圧倒的に問題が大きいと思う。理由は政府・東京都が主催的立場だから。(政府は主催者じゃない?担当閣僚まで置いて、そんな表面的な言い訳は通用しません)
こうした大規模イベントの問題はその場の感染リスクだけではなく、世の中へのメッセージ効果も無視できない。そして、これまでの経緯から明らかなように、十分な割合の市民が同期して行動抑制をしないと流行の波は制御できない。政府は立法措置をしての強制的手段やお金で釣ってのコントロールはどうしてもやりたくないようなので、市民に納得して一斉に行動抑制をしてもらうためには政府・自治体がどのようなメッセージを出すかは非常に重要、というかそれしか方法がない。
よく聞く主張の「自分の身は自分で守れ、政府がどんなメッセージを出してるかは関係ない」というのは一面では正しいが、流行の波がおさまらない限り自衛している市民はいつまでも家から出られない。人ごとじゃないんですよ。
にも関わらず我々は五輪にまつわるどうしようもない矛盾を見せられてきた。いちいち列挙はしない、したくもない。政府・東京都による、「下々は我慢しろ、ただ為政者がやることは例外な」と言わんばかりの明らかなダブルスタンダードは感染抑制に大きな悪影響を与えている。緊急事態宣言というブレーキが今や完全に壊れていることからもそれは明らかだ。立法措置やお金でなく、お願いベースで人に大きな我慢をさせようとするなら自分も誠意を示せというのは当然のことだ。
結論。甲子園やフジロックが政府や自治体主催なら同じように全力で批判するけど、民間でやってる間は反対だが大きな声は上げない。直接の感染リスクが問題の全てではなく、公がやることにはより大きな責任があるから。なので、オリパラ反対者に対しての「なぜ甲子園フジロックについては何も言わないのか?」というwhataboutism的批判は的を外している。
https://anond.hatelabo.jp/20210727115929
”事前販売” と言ってるからにはその期間は流通に流れないのだろうが、流通から総スカン食らっておしまいである。
転売対象になりやすいものの多くは販売開始直後が収益が大きく、時間が経てばリスクやコストが大きくなるであろうからこのような販売方法の商品は取り扱われないだろう。
転売の問題は「利益を得るため社会を非効率化する」ことである。
そういう意味では「嫌がらせを受けたくなければみかじめ料払え」というヤクザや総会屋などと同じである。
本来なら不要なはずのコストを払わされる消費者はもとより、消費者の購買力の理不尽な低下はメーカーや流通にとっても大打撃である。
社会活動は相互に依存しあってるわけで、メーカー流通にとっては売上は一緒だから問題ないということにはならない。
また、転売屋対策という本来なら不要なはずのコストがメーカーや流通、消費者にかかってしまう。
これも同じく、メーカーや流通にかかるコストは最終的に消費価格へと影響する。
他にもマスクのように緊急時の物資の入手が困難になるなどの問題がある。
オークションは確定した値付けの方法が無いものを扱うのに向いている。
一般の商品は生産や流通にかかるコストに常識的な利益を乗せることで定価という形で価格が決定してる。
オークションで扱われるものはそのような値付けの仕方に向いてない物が多く、そういうものへの価値決定システムとして働く。
似たものとして株式市場なんかも売買を繰り返すことで企業の価値が定まっていくシステムとなっている。
その商品に対し価値決定システムの必要性がどれだけあるかが、オークションを使うかどうかの判断となる。
オークションはすでにあるひとつひとつのモノを可能な限り高い値で売りたい場合には向いている。
しかし値付けのコントロールができないため、メーカーや流通が何かの理由で価格帯を決めたいときには使えない。
例えば家庭用ゲーム機のようにハードを安く売ってソフトで儲けるなど。
価格設定を踏まえた長期的な戦略による全体の効率化ということがやりにくいのである。
そういうわけでそもそも一般的な商品の流通としてはオークションは非効率な手法と言える。
例えば若者向けアーティストのライブチケットや商品を購入できるのが中高年ばかりになってしまうなど。
若いファンを長期的に育てたいという戦略を取るのが難しいのである。
時間経過とともに供給量が増えるからそのうち買えるようになるという話もあるが、ランダムなくじでの決定と違い資金差によって購入時期が必ず後回しになることがわかっているなら、そのジャンルにとどまりたいと思う人は少ないだろう。
経済学では「一番高い値を付けた人がその商品・サービスを一番欲している」と定義することがあるが実際には人ごとに資金の差が存在し、金がある人は「たいして必要だと思ってないがとりあえずキープする」などの行動が取れてしまう。
このような「必要としてる人」と「購入できる人」のギャップは至るところで発生しうる。
それ以前のはなしとして単純に、オークションは日常的な購買行為としてはかなりめんどくさい手法だと思う。
オープン価格ですら嫌われることが多いのに、一般の人にとって妥当な値段を決めなければいけないというのはかなり苦痛ではないか。
あとオークションは「多くの人に人気だから価値が高まる」ようなものの販売には向いてない気がする。
値付けが投機的?で難しく一般の人にとってリスクが高くなりすぎるかもしれない。
そもそも在庫が潤沢にあれば問題ない、という話があるがそれはメーカーや流通が今よりもリスクを負うということであり、結局消費者価格へと跳ね返ることになる。
というか十分な在庫がないものというのは在庫を持つリスクが高いものであることが多いわけで。
もしくは簡単に生産量を増やせない、そのための投資に大きなリスクが伴うということもあるかもしれない。
古物商許可を必要とさせろ、という話があるが古物営業法は盗品売買を防ぐための法律なので、法の目的外である転売対策に使用するのは好ましくない。
など。
完全でないもののカジュアルな転売を一定割合無くす方法が開発され広まっていく、というのが今の状況かなと。
転売が何故問題なのかが広く共有されれば、消費者の理解を得てるということでメーカーや流通ももっと大胆な手を取れるようになるかもしれない。
転売屋をなくすことが目的というより、社会の効率が妨げられないようにすることが目的。
例えば「供給を十分に増やす」か「需要が減少する」場合に転売屋はいなくなるが、大体の場合は供給を増やすのがそもそも難しいというのが前提にあるし、では需要を減少させればいいのかといえば当然それは誰も得しないやり方でしか無い。
需給がマッチするまで価格を上げるというのはこの需要を減らすというやり方に他ならない。
転売屋をなくす、ということばかりに注目すると別の大きな非効率を創り出すことに気づかないかもしれない。
対策を考える場合にはメーカー、流通、消費者それぞれにとって、その場だけでなく長期的にどうなのかを考える必要がある。
それぞれにとって(転売屋も居るがいくらかの対策もされてる)現在の状況と比べてどうなのか、その対策した流通方法の商品のほうが消費者に選ばれると思うのか。
そこが大事ではないだろうか。
先日、自分のいる地域で一番人気の売人Aから大麻を購入することにした。
Aは売買サイトで現在400件超の評価を得ており、評価も5段階で平均4.5という人気ぶりである。
その人気のせいで逆におとりかと思い躊躇していたのだが、ここ最近どこも値上がりしたり(Q当たり2000円上げくらい?)、推し売人が母国に帰ってしまった事もあって、思い切ってAから買ってみることにした。
メッセージを送ると5分で返信が来る。早い。
経験的に、大麻の売人というのはやる気のない学生がほとんどで、すっぽかされる事もある(そういう奴は複垢使ってマイナス評価を入れまくる)ので第一印象は最高だ。
いつでも会えると言われたのでダメ元で今日でも良いかと聞いたら良いと言われる。
マジか。メッセージ送ったの夜7時なのに。
こんなやる気ある売人は初めてだ。
普通は売人ごとにお気に入りの売買スポットを持ち、その場所で会うものだ。
流石にやや警戒したが、少量の大麻を買って捕まったなんて話は無いので、とりあえず話を進める。
Aは時間に車でやってきた。
これにも驚いた。
車にはナンバーが付いてるし、逮捕リスクにならないのだろうか。
助手席の窓越しに簡単な挨拶を交わしながら金と大麻入りのポリ袋を交換し、その一見真面目そうな黒髪の好青年の車を見送った。
品質は見た目オーガニックっぽく、吸った感じも品種通りという感じで良し。
翌日Aから売買サイトで評価してくれという旨の丁寧なメッセージが来た。
全くと言っていいほど、宮城県のオリンピック有観客について話題にも上がらない。
復興オリンピックとか言いながら東京だけでどんちゃん騒ぎするんだろ、どうせ。
と思ったのが東京五輪が決まった頃でしたが、
まさかあれよあれよという間に宮城県だけ取り残されるオリンピックになるとは夢にも思いませんでした。
Yahooニュースを見ても、宮城県に観客が入る話をしている人はほとんどいませんし、
Twitterで"宮城県"で検索しても、オリンピックの話と地元の話が1対1くらいで、さほど話題にはなっていませんでした。
このまま行くと、宮城県は最大1万人の観客を入れて試合をするでしょう。
この観客自体がクラスターになると思っているわけではありません。
でも、恐らくこの様子を取材するために、東京からたくさんのマスコミが来るでしょう。
街も浮かれた空気になるでしょう。
東京の人たちはもうすでに無観客を勝ち取ったためか、
全くこの状況に関心がなさそうです。
全くと言っていいほど、宮城県のオリンピック有観客について話題にも上がらない。
復興オリンピックとか言いながら東京だけでどんちゃん騒ぎするんだろ、どうせ。
と思ったのが東京五輪が決まった頃でしたが、
まさかあれよあれよという間に宮城県だけ取り残されるオリンピックになるとは夢にも思いませんでした。
Yahooニュースを見ても、宮城県に観客が入る話をしている人はほとんどいませんし、
Twitterで"宮城県"で検索しても、オリンピックの話と地元の話が1対1くらいで、さほど話題にはなっていませんでした。
このまま行くと、宮城県は最大1万人の観客を入れて試合をするでしょう。
この観客自体がクラスターになると思っているわけではありません。
でも、恐らくこの様子を取材するために、東京からたくさんのマスコミが来るでしょう。
街も浮かれた空気になるでしょう。
東京の人たちはもうすでに無観客を勝ち取ったためか、
全くこの状況に関心がなさそうです。
「宮城県で観客入れたらどれだけ感染が広がるか、実験の結果が見たい」
的なことを書いている人がいて、心底悲しくなってこれを書きました。
御堂筋くんがイキることで初動時ちょっと話題になったサッカー漫画、ブルーロック。
あんまり興味なかったしあのシーンが煽りにしても漫画的好印象を受けなかったのでスルーしてたが、
内容も面白いらしいと再度耳に入るようになってきて読んでみた。
当然好感度は最低ラインから読み始めたから批判的に読み進めちゃうことは前提として覆す面白さを期待した。
ストーリーは御堂筋くんこと勉強小僧こと絵心(えご)コーチが18歳以下のFW300人を集めてなんやかんやするってやつ。
んで、300人は可視化されたランキングをつけられて(主人公は299位)多分12人ごとに班分けされて密室に入れられる。
なるほど監獄。
絵心コーチは備え付けのディスプレイで映像付きで課題を出していき…
と、まあ、FW至上主義は鼻につくけどエゴイストテーマとしては読めなくもなさそうなスタート。
絵心は大量のディスプレイ(おそらく各班の室内カメラか)がある部屋でひとりごちたりするわけですよ。
最初の課題は入寮テストと称して136秒間の「ボール鬼」。終了時のオニが失格で残り11人が班のイレブンだーって展開なんですが…
テスト内容はまあまあまあ。協調か逃げ切りか挑戦か蹴落としかと、濃い内容の136秒でよかったです。
今後の脱落者は一生日本代表入りの権利を失うという超絶後出しじゃんけんにもまあ目を瞑ろう。
絵心ちゃんご本人が(ディスプレイから)直接労ってくれるのです。
ついでに失格者も名指しで出て行けと。…ん?
失格者はチームを捨ててやってきたのに136秒で一生代表の権利を奪われて帰れと言われて当然ご立腹。
ディスプレイに猛抗議。
それに対して絵心ちゃんが懇切丁寧に試験の意図を説明してくれるのです。
途中の反論にもテスト中の動きに言及しつつ応じ、およそ20ページほどのエゴトークが続くのです。
高圧的で煽り気味だけど懇切丁寧に説明してくれて絵心ちゃん…しゅき…
はー。密着指導かよはー。
え?リアルタイムで見て?シメのおしゃべりを毎回するの?これから?毎回!?
1班12人なら300人で25班。絵心ちゃんこれから残り24回ボール鬼の監督すんの?(描写的に主人公の入室直後のスタートだし時間差を作った感はない)
20ページのおしゃべりは置いておくとしてもだよ?
約2分のテストだけでも最後の班がテストを受けるまで50分近く放置されるんですけど???
来て2分で帰宅も悲惨だけど来て50分放置かリアルタイムで見る必要ない能力検査とかして待たされて入寮できません帰れもかわいそうだよね。
てか本当に名指しするまで映像は録画だと思ってたんすよ。
だって300人見るんだぜ?
でも絵心ちゃんしかでなかったってことは、ルール説明も事後解説も事前録画しておいて、内容も録画しておいて、
失格者(オニの判定)だけは謎システムで出来てるから一斉にテストして今晩絵心ちゃんが寝ずに録画見て内容精査すると思うじゃん?
いやいや説明は録画としても内容はあのたくさんディスプレイがある部屋で絵心ちゃんの超人的な視野で25画面同時チェックしてるのかも…
って見てるの1部屋だけかーい!あのディスプレイ部屋ミスリードかーい!
そしてあの気合の入った事後解説。煽り、説明、顔芸にボディランゲージ。俺ならあのテンションを24回も保つことはできない…
3回目ぐらいで「君失格。お疲れ」まで簡略化したくなる。単純に重労働。
あ、試験官はたくさん居るけど主人公チームの担当が絵心ちゃんだったって可能性もあるけど、わざわざ全権責任者が最下位班を担当するってのもよほどの裏がある計画的行動でなければ不自然なのでナシで。
つーわけで、頭がよさそうな男がお送りする超絶非効率なお・も・て・な・しにわずか2話で俺様ノックダウン。
ストライカーとしてのエゴイズムがテーマなことは承知しておりますが、大勢の人の時間を空費させるだけのエゴイストは申し訳ありませんが容認できませんでした。
リアリティラインっていうの?違うかもだが。演出のためだとわかるけれども大人数の中の一部と一々おしゃべりするトップってのがフィクションでも受け入れられなかった。せいぜい10班120人ぐらいが限度か?
だから、この話はここでお終いなんだ。
もちろん、自分の分担が少ないこと自体は好都合なことではあるんだが、以後の業務でその復讐を食らうはめになる
(あいつはあのときにろくに手伝わなかった!)んじゃないかと思って、職場に居ずらい気持ちになるのが嫌なのだ。
そうやって借りを作ると返すのが面倒臭い。いつまでそのことに引け目を感じないといけないのか…というか。
そして、今日もそういうことがあって、職場を飛び出すように帰ってしまう。
十分に手伝えなかったことに対して「思い出しアー」にならないよう、頭を片手で抑えながら帰ってきたのだった。
作業でラクをした上に、一人でウツな気分になっているのだから、職場の人間から見たら意味不明な行動だろうとは思う。
いや、作業分担が一人ごとにきちんと明示されていればそういうことはないんだ。
ただ、先勝ちで業務を取っていったり、またはグループ的に割り当てられたりすると、その内部分担がわからなくなってしまう。
誰かが作業を始めてしまうと、その作業にどこまで介在していいのかわからなくなる。
作業を途中で取り返すようなことをするのはダメなんじゃないかと思い始め、
一応作業をサブとして手伝う旨は申し出るものの、そもそも作業をやりたいわけでもないので、
向こうが何も言ってこないとついつい放置して、いつの間にか終わってたりしてしまう。
また、「あれとあれやらないと~」みたいな手伝ってほしいだろうフリを聞いても、
その仕事の分担がはっきりしないことに面倒臭さを感じ(やりたくないものを、
わざわざ取り返すように「やります!」と言う気になれない)、やっぱり放置してしまう。
つまり、私の場合、「これとこれやって!」と言われないと動けない指示待ち族。
共同作業ではたいていの場合、そんな明快な指示が飛んでこないので、なんとなく誰かがやってしまい、
第2政党が立憲民主党だから。別に立憲民主党の政策がいいわけではないし、政治が目に見えて良くなるわけではない。
それでもこのまま自民党が第1政党になり続けると「コロナで酷い目に遭ってもまだ支持してくれる」「おい、まだいけるぞ」という誤ったメッセージを与え続けることになる。
もともと投票していない人が白票では、自民党に対する攻撃力は「1/全投票数」しかない。
「1/全投票数」を立憲民主党にわたすことで、自民党に対する攻撃力は「2/全投票数」で2倍になる。
ただ必ず白票がダメというわけではない。あくまで自民党に対する攻撃力の問題。
別に立憲民主党がどうしても無理な場合は他の党に入れるのもアリ。ただし分散されると野党はまとまらない。
衆議院第3政党が公明党(29人)、第4政党が共産党(12人)で、パワーとして弱い。
正直、自分1人の投票自体はそうで、自分の投票そのものに力はほとんどない。
けど、「投票行ってきたよ」と言ったり「期日前してきた」と言う情報は周りに刺激を与える。
これはコロナの感染のメカニズムと同じになる。すごく変えたい人は自らがスーパースプレッダーになればいい。
仮に「投票行ってきたよ」と伝えた相手が投票に行かなかったとしても、その相手が「なんか最近投票行くムーブメント大きくなってきたな」と感じれば、相手の政治関連の言動の発生率が高くなる。それが周りめぐって他の人の投票を促すことにつながる。ネットミーム・恩送り・ネズミ講ビジネスなどのメカニズムとも同じ。
それから、1人でも地元の年代別投票率にはかなり影響する。年代別と地域に分ければ、割合はある程度高くなる。0.1%ほど上がるかもしれない。そしてその0.1%の違いが政治家の選挙戦略や政治戦略の決断を変えるかもしれないというのがある。もちろん変わらない可能性も全然ある。むしろ1人ごときでは大きく変わらない可能性の方が高い
無党派層の本質的な理由はこれだと思う。実際マジで投票はめんどくさい。
わざわざ自分の自由な休日などを割いたり、わざわざ期日前に役所に行きたくないというのが大半かなと思う。なぜなら自分に直接的なメリットがあることは保証されていないのに、デメリットだけは明らかだから。
いろいろみんな語ってはいるけど、投票の本質はこの「日曜日に家から出て近所の投票所まで行き、立候補者の名前か政党を書く」という労力が「自分の生活」にどのくらいの価値をもたらしてくれるかという部分だと思う。それでほとんどの場合「行く価値なし」とみなされているんじゃないかと思う。
そこで「散歩や買い物のついでに投票でも行くか」と考えてはどうだろうか。投票はあくまでオマケで、買い物に行くついでに立ち寄ると考えるとそれほど大変な作業にはならないと思う。
自民党へのヘイトが溜まっている飲食店の自営業の方ならそういうのに乗じて「選挙の封筒を持ってきた人には5%OFF!」みたいなことをすれば、格段に投票率アップに貢献できる。
それはハッキリ言ってそう。わざわざ日本に固執する必要はないと思う。
ただ別にその考えは「政治と関わる/関わらない」とか「投票に行く/行かない」と直接的な関連はしていなくて「そんな投票みたいなことをする労力があれば他のことに労力を使う方がいい」という考えから生じているものだと思う。自分はもうマジで無理ならとっとと海外に定住するつもりで準備しているので「投票に行けー!」と言っているつもりはなくて、日曜に家を出るかその前に役所に行く労力を払って政治が微妙に変化する可能性にワンチャン賭けるのは、それほど分の悪い賭けではないのかなと思っている。
というか自分も15年ほど無党派層でめんどくさがってて投票に行かなかったけど、さすがに次は投票しにいくことにした。ここまで酷いと思ってなかった
今年もコロナ対応であちこちの音楽コンクールが「録音審査」になりそうだ。
去年は吹奏楽、管弦楽、合唱、アンサンブルなどありとあらゆるコンクールが録音審査になったが、その影響で録音・編集特需が起き、コロナで大打撃を受けた音楽業界の貴重な食い扶持として機能した。
具体的にはパートや人ごとに単独で録音し、それらを繋ぎ合わせ、細かい音程や音量や音質をレコーディングエンジニア側で調整し、あたかも1つの録音作品として作ることだ。
各コンクールには審査規定で「一発録りで、無編集なこと」というのがあるが、機能していない。何千何百とあるコンクール参加団体全ての録音に立ち入ることは物理的に無理だからだ。
そのため、金がある学校や団体は、そのツテをたどって芸能事務所や音楽会社にコンクール対応を依頼する。もちろん箝口令は全方位的に敷いている。