はてなキーワード: 恩送りとは
極端なほどに港区女子を嫌う男性がいる理由、何となく分かったかも。
彼女たち、どんだけ良いパーティに呼んでもらっても、どんだけ素晴らしい料理や酒を味わわせてもらっても、将来そういう経験を自分の後輩や部下などにさせてあげようとはしないじゃん。だから、見てて腹立つんじゃない?
ホモソでは「自分が若い頃、人から施された良いことは、その後自分自身が次世代の子たちに体験させてあげる」という、いわば“恩送り”の文化が当たり前にあるもんね。
女性はそれをやる人・やらない人がハッキリ分かれてるし、残念ながら、やらない人の方が多数なんよ。
まあ、港区女子をよく呼ぶような男性からしたら、彼女たちに「良い経験をさせてあげてる」なんて感覚はなくて、ただ華やかさや賑やかしの要員として扱ってるだけなんだけどね。
人間の成長ってそういうもんなのかもしれないなってふと思った。
昔教職を取るときに習った発達心理学か何かでは子供はまずお母さんべったりからスタートする。
その後、お父さんなどほかの家族を探索する。
その次に親が見ている前でほかの子供と遊ぶというフェーズが来る。
そのうち親から離れて遊び、ちょっと不安なことがあると親元に戻ってくるというのを繰り返すとなるらしい。
結局は探索する距離が大きくなり、離れていられる時間が長くなるだけで人間はこれを繰り返しているのかもしれないなと増田の投稿を読んで思った。
第2政党が立憲民主党だから。別に立憲民主党の政策がいいわけではないし、政治が目に見えて良くなるわけではない。
それでもこのまま自民党が第1政党になり続けると「コロナで酷い目に遭ってもまだ支持してくれる」「おい、まだいけるぞ」という誤ったメッセージを与え続けることになる。
もともと投票していない人が白票では、自民党に対する攻撃力は「1/全投票数」しかない。
「1/全投票数」を立憲民主党にわたすことで、自民党に対する攻撃力は「2/全投票数」で2倍になる。
ただ必ず白票がダメというわけではない。あくまで自民党に対する攻撃力の問題。
別に立憲民主党がどうしても無理な場合は他の党に入れるのもアリ。ただし分散されると野党はまとまらない。
衆議院第3政党が公明党(29人)、第4政党が共産党(12人)で、パワーとして弱い。
正直、自分1人の投票自体はそうで、自分の投票そのものに力はほとんどない。
けど、「投票行ってきたよ」と言ったり「期日前してきた」と言う情報は周りに刺激を与える。
これはコロナの感染のメカニズムと同じになる。すごく変えたい人は自らがスーパースプレッダーになればいい。
仮に「投票行ってきたよ」と伝えた相手が投票に行かなかったとしても、その相手が「なんか最近投票行くムーブメント大きくなってきたな」と感じれば、相手の政治関連の言動の発生率が高くなる。それが周りめぐって他の人の投票を促すことにつながる。ネットミーム・恩送り・ネズミ講ビジネスなどのメカニズムとも同じ。
それから、1人でも地元の年代別投票率にはかなり影響する。年代別と地域に分ければ、割合はある程度高くなる。0.1%ほど上がるかもしれない。そしてその0.1%の違いが政治家の選挙戦略や政治戦略の決断を変えるかもしれないというのがある。もちろん変わらない可能性も全然ある。むしろ1人ごときでは大きく変わらない可能性の方が高い
無党派層の本質的な理由はこれだと思う。実際マジで投票はめんどくさい。
わざわざ自分の自由な休日などを割いたり、わざわざ期日前に役所に行きたくないというのが大半かなと思う。なぜなら自分に直接的なメリットがあることは保証されていないのに、デメリットだけは明らかだから。
いろいろみんな語ってはいるけど、投票の本質はこの「日曜日に家から出て近所の投票所まで行き、立候補者の名前か政党を書く」という労力が「自分の生活」にどのくらいの価値をもたらしてくれるかという部分だと思う。それでほとんどの場合「行く価値なし」とみなされているんじゃないかと思う。
そこで「散歩や買い物のついでに投票でも行くか」と考えてはどうだろうか。投票はあくまでオマケで、買い物に行くついでに立ち寄ると考えるとそれほど大変な作業にはならないと思う。
自民党へのヘイトが溜まっている飲食店の自営業の方ならそういうのに乗じて「選挙の封筒を持ってきた人には5%OFF!」みたいなことをすれば、格段に投票率アップに貢献できる。
それはハッキリ言ってそう。わざわざ日本に固執する必要はないと思う。
ただ別にその考えは「政治と関わる/関わらない」とか「投票に行く/行かない」と直接的な関連はしていなくて「そんな投票みたいなことをする労力があれば他のことに労力を使う方がいい」という考えから生じているものだと思う。自分はもうマジで無理ならとっとと海外に定住するつもりで準備しているので「投票に行けー!」と言っているつもりはなくて、日曜に家を出るかその前に役所に行く労力を払って政治が微妙に変化する可能性にワンチャン賭けるのは、それほど分の悪い賭けではないのかなと思っている。
というか自分も15年ほど無党派層でめんどくさがってて投票に行かなかったけど、さすがに次は投票しにいくことにした。ここまで酷いと思ってなかった
追記)
私は自己肯定感が低いので、自分なんかのために生きても良いか、不安でたまらない。
完璧主義だから、自分のために何かしても満足するハードルが高すぎる。
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他人が喜んでくれることで、低い自己肯定感が爆上げされるからだよ。
「ママ~(パパー)!大好き!!大好き!!」って胸に飛び込んで来てごらんよ。もうたまらんよ。
しかも、他人のために何かすれば思わぬタイミングで何か帰ってきたりするボーナスもついてる。
自分の領域内で収まる規模は知れてるけど、他人を巻き込めばすごいことになる。
ジジババになったときにかわいい孫に会えるかもしれないし、娘が外国人の彼を連れてきたり、
親には理解できないファッションに走り出して新しい発見をするかもしれないし、
自分一人では出会えない、面白いエピソードが自分の人生に追加されるかもしれない。
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もちろん、自分を育ててくれた親や、自分が子供の時に何かを一生懸命してくれた大人のように
お世話になった昔の上司が「恩返しはしなくていいから、恩送りをしなさい」と言ったのが大きい。
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年を重ねると、自分自身のためだけに生きるのってつまらなくなってくるんだよね。
ひとそれぞれだけど。