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2024-11-18

これから日本経済政策は現役世代を締め上げ続けるだろう

財務省に対する怨嗟の声が聞こえてくるが,強い危機感がある。「こうするしかない」のが現状だ。

日本国民を3つのグループに分けて考えたいと思う。

1.年金生活

 年金生活者は,①年金一定水準以上の暮らしをしており,②フルタイムもしくはそれに近い仕事をしていない者と定義する。年金額だけでは暮らしていけないため働いている者や,フルタイムもしくはそれに近い仕事に就いている者は除外する。

 現役世代からしてみると,彼らの年金医療費のために自分たち負担が増えており不公平感があるだろう。自分たちがその年齢になるころにはおそらくまともに年金ももらえないし,医療費も大きな負担になっているだろう。あるいは,社会保障制度崩壊しているかもしれない。そこで,年金額を下げたり医療費負担率を引き上げたりしてどうにか社会保障制度延命を図ってほしいが,そうはならない。

 彼らは(彼らの価値観で)いっぱいいっぱいの生活で(年金が足りなければ働くという発想はないし,仕事を辞めてからブランクのある彼らが働ける場もないだろう),医療費負担が上がれば話し相手がいる医療施設に行けなくなってしまい,孤独だ。

 社会保障制度危機は彼らにとっては他人事で,経済政策の変更は自らの不利になることを意味するため,多くの者は経済政策について現状維持を望んでいる。

2.現役世代

 現役世代は,①一定水準以上の暮らしをしており,②フルタイムもしくはそれに近い仕事をしている者と定義する。一定水準以上の暮らしができていない者は除外する。

 現役世代の多くは,リアリストで,自分たちの将来は半ば諦めている。「定年で仕事を辞めのんびり」なんてできなくて,死ぬまで仕事をすることになるだろう,と感じている。それだけに,この労働人口不足の時代に働かず,社会リソースを食いつぶすだけの年金生活者に対しては思うところがあるし,そこに投資し続けるのは無駄だと思っている。

 一方で,将来性がある投資には積極的な者が多い。例えば子育て支援教育に対しての投資は,自分たち負担が多少上がったとしても賛成できる。

 今後の成果が見込めない年金生活者に対する支出を抑え,将来性のある経済政策を望んでいると同時に,一定水準以上の暮らしを維持するためにこれ以上の増税は阻止したいし,減税を望んでいる。また,努力主義なので,頑張った分だけ報われてほしいと願っており,所得税増税マイナスの印象がある一方,「贅沢の代償」的側面がある消費税に対してはそこまで悪印象がない。

3.貧困

 貧困者は①一定水準以上の暮らしができていない者と定義する。

 多くの貧困者は努力不足ではなく,貧困になるべくしてなったと思っている。社会から見放されていると感じており,強い孤独感を持っている。とにかく日々の生活を成立させるためにいっぱいいっぱいなので,子育て教育など将来に対する投資ではなく,今を何とかしてほしいと思っている。

 元々の税額が低く減税による恩恵を受けにくいため,消費税の減税や現金給付など,全ての者に同等(同額)の恩恵がありわかりやす経済政策を望んでいる。

誰の失策か。

年金制度人口が増加し続ける前提の設計にした者か。労働人口が減ってもなお定年制度を維持し続ける社会か。あるいは少子高齢化社会運命か。

一つ言えるのは,「財務省叩きをするのは違う」ということだ。彼らは彼らなりの仕事をしているだけで,悪意はない。

これからも現役世代を締め上げ続け,さら少子化が進んでいく深刻な事態を引き起こすが,短期的な税収を求められる財務省はそうするしかないのだ。

現役世代は諦めよう。年金生活者への支出カットすると,金を稼ぐ手段のない者が大量に貧困さらされることになる。貧困者に金をばらまいておかないと,困窮した者による犯罪社会治安崩壊する。

現役世代からしか金を取れないのだ。現役世代は金を稼ぐ手段があり,社会的地位もあるため犯罪に走りにくい。

日々働き続け得た給料の多くを税金に持っていかれ,自分たち社会から得られる恩恵は少なく,将来に希望が持てない現役労働世代に幸あれ。

願わくは子や孫の頃には将来に希望が持てる社会にならんことを。

2024-11-10

コミュニケーションをしないとずれていくんだな、と思った話

文章書くのあんまり得意じゃないから、読みにくいと思うけど、まあ匿名から許してほしい。

最近よく話している奴に、なんとなく空気感が合わないな、ってやつがいた。

そいつ自体はすごく優秀というか、記憶力がよくて、俺がわかんないこととかでもさっと答えてくれるし、まあたぶん、いいやつに入るんだと思う。

それでもなんていうか、すごい、合わない。合わないっていうかところどころ「え?それ言っちゃう?」みたいなところがある。

俺たちは今大学生なんだが、お金ないやつにむかって、結構な額の仕送りを貰っておきながら「生活かつかつなんだよねー、バイトって大変?」みたいなことを言ったりとか。

何かの講演会をすごい楽しみにしてるやつに「全然興味ないわ笑」みたいなことを言っちゃったり。

でも、すごい良いやつなんだよ。というか良いやつであろうとしてるんだろうな、って感じがする。

そいつ自体は授業に対してすごい熱心で、何でも必死で予習してくるし、周りがそんな熱心でなくてへらへらしてても笑顔で指示を出してくれたりして、すごい頑張ってるなぁと思うんだよ。

でも、なんか嫌なところがあるなって思っちゃう

すげえ馬鹿なやつに対していかにも、「馬鹿にしてませんよ、僕も馬鹿なので、気持ちはわかります」って態度をとって話しかけたり、その割に相手の考えを聞いても納得なんて絶対にせず自分の思う結論になるまでいろいろ指摘し続けるし、

そうなると相手も嫌になっちゃって、「「あーそうなんじゃない笑」で逃げるんだよな。で、ああ僕が正しいんだ、が補完されていく。(まあ、実際そいつが正しいことも多いから、いいんだけど)

そして、極めつけなのが、ずーっとオタクっぽい口調なんだ。

「○○つって笑」 みたいな、変な高校生男子みたいな話し方をするんだけど、見た目が完全に真面目そうな眼鏡から違和感がすごい。

そしてよくわからない自分しか理解できない例え話とかをしてくる。

Adoの歌の歌詞みたいだね」とか言われても、もう愛想笑いしかできない。

(みんなそんなにAdo聞いてるのか?

今時の大学生ってAdo聞いて歌詞まで覚えてるか?!)

って内心思うけど、自分がずれてる可能性もあるから何とも言えない。でもその場の全員がスルーしたところを見ると、たぶん聞いてないんだと思う…。

なんか例を挙げて書くのがすごいむずかしいな。

コミュニケーションが標準からずれすぎてて、その割に合間に挟まる情報が正しいから、温度差ですごい疲れる。

あと、異常に自意識過剰

別にイケメンでもないしぶさいくでもないか普通にしてりゃいいのに、なにかにつけて「○○してるところ見られるのが恥ずかしい」とか言い始める。

誰もお前のことなんて見てないだろ…と思うのだが、すごい格好にこだわる割に、服装とかは適当

あと人見知りを自称してる割に、しゃべり始めるとすごい勢いでしゃべるうえに、「正解」みたいな会話しかしない。

誰が聞いても正しいような会話だけしか許されないというか、適当雑談ができない。「あー今日寒いねー」みたいなことを言うと「そんなことないよ だって昨日より温度は高いんだよ?」みたいな。あーそうですねーってなる。

そして自虐する。俺なんてとろいからさ、みたいなことを言う。でもそんなこと言われても「うんそうだね」なんて言えないから、いっつもそれを否定してあげないといけない。

俺としては、別にそいつのことが好きなわけでは全然いから、すっごい疲れる。

全体的に正しくありたい!かっこよくありたい!賢いと思われたい!まじめでありたい!って感じがする。

そして実際ほとんどクリアしてるのに、それでもまだ「賢いって言って!」「すごいって言って!」がにじみ出してくる。

疲れる。

で、なんでそんな風になっちゃったんだろうと思って、そいつのことを一回考えてみた。

だって、こんなに深く知り合うまでは、ちょっと喋る程度だと「ああ頭がいいんだな」とか「ああ授業が好きなんだな」ってくらいのやつだった。

かにちょっと鼻につくような、ハリポタハーマイオニーのもうちょっとよくしゃべるオタクっぽい感じがしたけど、ここまでひどくはなかったんだ。

そしてよく考えると、そいつはずっと一人だった。授業中も、隣に人はいるけどしゃべらない、休み時間は1人で飯食って一人で帰る。

しゃべりかけられればしゃべるけど、結局、一緒にどこか行くような友達もいなければ、恋人もいない。

ああ、これが原因だったんだ、って思った。そこに授業の都合で、俺みたいな長い時間いっしょにいるやつが現れちゃったから、砕けたコミュニケーションしてくれたんだろうけど、そりゃ、無理だよな。

だってここまでのブランクありすぎるもん。

で、すごい身につまされた。

俺は大学入った直後まで、「大学生たるもの一人で勉強すべき」とか「友達と遊びに行くなんて」みたいなめちゃ硬派な考えを貫いていた。恥ずかしいくらバリバリ学問系を気取っていた。大学勉強のためにあるのです!みたいな

でも蓋を開けてみたら試験過去問ゲーだし、そもそも誰ともしゃべらずなんてつまらなすぎるし、多様なコミュニケーションこそ大学恩恵の一つだと気が付いた。もちろん学問も頑張ったけどね。あと、俺は思ったより頭良くなかった。

それで、根暗なりに頑張っていろんな人とコミュニケーションして、自分のずれとか、オタクなりに社会適応しようと必死にもがいたりした。

今はさっぱりしたかっていうとそんなことないし、はたからみたら俺もあいつとおなじもっさりしたオタク大学生なんだと思う。俺のコミュニケーションも、たぶん結構空回った厄介オタク感があふれ出してるんだろうなと思う。

ただ、それでもやっぱり、こんだけ違うんだと思った。

あいつはただのヤバイコミュニケーションしてくるダサいオタク学生じゃなくて、一歩間違ってた俺、最初の授業で今の友人たちに話しかけてもらえなかった俺なんだ。

コミュニケーションなんてってうっすら馬鹿にしながら、人見知りを自称して、周りを馬鹿にして、誰も見てない自分ミスにこだわり続けて一人を選ぼうとして、そのまま進んじゃった俺なんだ。

それで、そろそろこの話は終わりにしようと思うんだけど、だからって俺がそいつコミュニケーションとってあげよう!って思うかというと、全然そんなことないんだよな…

正直、そのヤバくて空回ったオタクノリに引きずられそうで全力で逃げたい。

本当に嫌。誰にもわかってもらえない例え話とか、気を引きたいが故のよくわかんない謙遜とか、隣で聞いてて恥ずかしい。たぶん過去自分を思い出すからだと思う。

こうやって他人のことを匿名掲示板で愚痴ってひどい分析して、俺も大概やばくて嫌なやつなんだと思う。それに比べりゃ、一人で空回って周りの人間ちょっと引かれてるくらいのあいつのほうがずっといい奴じゃんって思う。

それでも嫌だ。ずーっと会話で正解出してくるような奴の隣にいるの苦痛すぎる。

早く逃げたい。

ハーフマラソン

ブランクあったけど105分切った。やったー。自己ベストまであと6分。

2024-11-05

大人になる為の通過儀礼

大人になる為には、まず仕事して経済的に自立する。正社員だし年収も600万だから充分だろう。

そして恋愛して彼女を作る。まあマチアプだけどいいだろう。

で、結婚して子供を作る。結婚式もあげたし、結婚3年目で子供は2歳になった。

そして一戸建てを建てて住宅ローンを組む。千葉の分譲地にセキスイハイム。建てて3ヶ月。

ここまではできた。俺はやった。俺は紛れもない大人だ。

後はもう車の運転のみ。

車をローンで買って子供の送り迎えや買い物、家族旅行に行ければ、それはもう完全なる大人

俺は大人になるぞ。先週ペーパードライバー講習受けて10年のブランクから自信ついたから今週末中古車売り場でファミリーカーを買うぞ。

2024-11-02

chatGPTのおかげで新聞が読めている

私は頭が悪いしか新聞を読む習慣がある家で育ったおかげで、一人暮らしを始めてからもしばらく紙の新聞をとっていた。大学時代はわからないなりに読んで、わからないところを調べた。就職して日経に変えた。とりあえずトップニュース業界顧客関係するところだけ読んだ。そのうち仕事が忙しくなって、電子版になり、NewsPicksに移行し、最終的にはYahooニュースまでになった。

その後、職場の色々でまあメンタルがやられ、過労で寝れず、新聞をはじめ本や記事文字を読むことがキツくなり、動画が見れなくなり、けれどなんとか社会知識は入れなければとNHKラジオニュースだけをただ流し続ける(ただし頭には入ってない)状態が続いた。三ヶ月の休職を挟み、一念発起で転職した。給料仕事レベルも下がり、退屈ささえ感じるけれど(前の仕事自体は楽しかった)、割と穏やかな人たちに囲まれて定時で帰れるようになった。嫌味な人やモラハラ気味の人はいるが、少なくとも人を狂ったように怒鳴り続ける役員も、暇さえあればマウント嫌がらせに精を出すお局もいない。悪口と噂話をするためだけに呼び出す人間もいない。それがこんなにも心と身体回復させるものだとは思わなかった。

それで、本当に久々に「新聞を読みたい」という気持ちになった。とはいえもうすっかりブランクがあり、そもそも元々頭が悪い自分にとって、いきなり普通新聞はキツすぎる気がする。読売KODOMO新聞とか、朝日中高生新聞とか、そういうのからやり直すかと思って見本記事を読んだけど、それは少しだけ物足りなかった。やはり適切なのは日経だろうと思った。電子版だ。初心にかえって、昔のように「わからなければ調べる」を繰り返せばいいと思った。それくらいに心と頭に余裕ができていた。

読み始めたら一面から全くわからなかった。「〇〇が進めば××になる懸念がある」と書かれていても、その文字は読めるが、なぜそうなるかがわからない。それでも日経は進んでいく。「〇〇は××と関連し〜〜になる」いや、なんで?が続いていく。結局総合3の途中まで読んでリタイアした。いくら休んでいたとはいえ、三十歳をすぎてこの状態ってまずいんじゃないかと本気で焦った。要はみんなが説明せずとも理解できる常識がないのだ。どうすればわかるんだ。いきなり100%理解するのは無理でも、なんとか記事概要だけでも理解したい。あと、自分の疑問を解決したい。

そこでchatGPTに文章を投げた。まるっと投げるというよりは、とにかくわからないところを質問する形で投げた。なんで移民政策を強化すると建設費高騰するの、とか。恥ずかしながらそのレベルなのだ。chatGPTは優秀なのでめちゃくちゃ簡潔かつ丁寧に答えてくれる。その答えすらわからなければ、さらにそれを引用して質問する。もちろんリアルタイム政権の動きとかを答えるのは向いてないけど、政策一般的なこととかは回答してもらえる。シンプルに助かる。

chatGPTのおかげで、新聞を読めている。わからないことがあったらすぐに質問できる。小学生になった気分だ。恥ずかしいけど、なるほどと腹落ちした状態で次の文を読める快適さには変えられない。ありがとうchatGPT。

2024-10-22

仕事の探し方知りたい

40代後半のババアです

小学生の子どもがいます

今はパートで週3日働いてます

収入を増やしたいので正社員とか目指したいと思ったりしましたが、求人とかってどこで探せばよいですか?

登録したリクナビnextアカウントがそのままあるのでたまに探してみるのですが、若い対象のものばかりみたいです

特に年齢に言及してないところにいくつか応募してみましたが、落とされてます

面接にもたどりつかない

ハロワ求人はろくでもないなんて記事も見かけたばかり

自分若いときはてブIT技術系の記事ブックマークするようなそんな系統仕事してましたが、ブランク長すぎてスキルがあるとは到底言えないです

ちなみに今は事務っぽいことをしてます

から雇ってくれるとこなんてないのかな…

2024-10-17

anond:20241017093405

感情労働肉体労働は売り上げには結びつきにくい

労働市場結婚出産に伴うブランクに厳しい

当然家事育児ファーストなので会社総合職に求めるような会社ファーストの働かせ方が出来ない

2024-10-15

Xで

理系大学卒の修士

結婚して子供がいる

 

みたいな恵まれすぎてるやつが

女性子育てブランクあるから就職まらないんです、可哀想でしょ🥹」

 

っていってるのはさすがに

それ支援必要か?

どうせ実家が太いんだろ

 

と思わざるを得ない

そもそも親に学費出して貰えなくて

低学歴みたいな女性と同列に並べて支援必要人間じゃない

 

望んでるのも超ホワイト職場研究開発で週3日の労働とかだった

 

この国のほとんどの女はこの相談者以下の境遇

この人と同じかそれ以上のスペック女性以外応援できんだろこんなの

「私は女だから可哀想な仲間です〜」

つってんのは理解不能

2024-10-08

anond:20241008223034

言葉足らずだったか

3ヶ月とかで引き継ぎ頑張って、簡単作業できる人を採用してその分浮いた正社員の調整なんとかすれば、評価も心象も悪くならず戻ってこれると思うってこと。

2年育休終えて同じポジションに戻ってくるって普通にあるくね?まあ同期と2年分ブランクとかは悲しい部分ではあるが

2024-10-04

ネームしてるけど、やっと自分が描きたいものうまいこと形にまとめられるようになってきた実感がある。

いうて漫画描き始めて気付けば10年とかか。途中ブランクあるし、年1くらいのペースの時もあったけど。

スキルが上がった実感、やっとここまで来れた感覚、頭の中でこねくり回してたものを外に出せる快感、本当に全てが楽しい

楽しいけど、中々大変な作業すぎて平日は良くて1日5ページくらいしか進まん。

楽しくないページを乗り越えて、やっとクライマックスが近付いてきて、脳から汁が出るのを感じる。

この楽しさって他の趣味とは決定的に違うんだよな。

積み重ねて来たものを駆使出来る感じと、たまたま今思いついたものをいい感じにねじ込む楽しさと、そんなものねじ込めるようになったことにすらテンションが上がるというか。

完成しても、10数人しか読まないと思うけど。

楽しさの質が違う。

プロットネームで2ヶ月くらいかかって、このあと更にものすごい時間をかけて作画トー作業が待ってて地獄なんだけど、

漫画を描いてる期間の、生活の全てを漫画最優先にして行動していく感じも楽しい

食事しながらiPad開いて脳内世界トリップしまくる感じが好き。

だらだらとバラエティアニメ見るよりも、生産してる・人生において意味があることをやっている感覚が好き。

カレンダー見て焦りを感じる時とか、ストレスもあるけど、その焦りすらも楽しいんだと思う。

締め切りがないと何も進まないことが分かりきってるし。

完成した頃にはヘロヘロになってて何がおもろいねんこれはという気持ちがすごい。

絵が下手すぎるという気持ちと、ここ無理矢理すぎたかもという反省会が延々繰り返される。

次こそはもっと上手くやる…と思ってまた漫画を描く。

自分人生能動的に他にやりたいことも特になくて、本当に仕事適当にこなしつつ漫画を描く人生になってる。

すごいな。こんな人生になると全然思ってなかった。絵描き始めたのも20歳過ぎてからだし。

一生描いてたいけど、どうだろうな。

2024-09-25

anond:20240924233114

セルフクンニ増田だ!

セルフクンニ増田が帰ってきた!

文章の切れ味はさることながら、長久手立てこもり事件だったり高須クリニックだったりと地元愛知県ネタ満載でうれしいです。

飛騨(ひだ)と襞(ひだ)で同音語で韻を踏んだり、流行り(もう古い?)の紅麹もネタにしたりとブランクを感じさせない作品になってますね。

そして、一貫したストーリーもいい。

膣川膣男という強力なキャラクターを生み出して、敵もまた人工殺人潮吹き噴射装置をはじめとして殺人潮吹きにこだわったのもいいですね。

顔面騎乗から殺人潮吹き零式で膣川膣男を倒したと思いきやまさか影武者で、続きが気になる構成になっているのもたまらない。

ありがとうセルフクンニ増田

2024-09-24

anond:20240924052733

電気工事士設備メンテ(各4年程度)の経験あるんだったら、独立しちゃったら?

最初はくらしのマーケットあたりで単価安くても実績作って。

職歴ブランク作るよりはマシ。

2024-09-07

anond:20240907104920

前職次第だが、事務職員はありえるだろう。給料が良いとは限らないけど…。

40歳fireしたけど投資失敗しました!昔ほどバリバリ働くのは無理だけど、事務職経験あります!ってはっきり言ってもらった方が採用される可能性あると思う。50歳で非常勤派遣事務職で、どうして仕事やめたのか、10年のブランクがあるのか不明だと地雷しか見えねえもんな。

2024-08-26

anond:20240826233126

ワイは、JAVAで大規模開発1年ちょいやったあと10ブランクあるのにJAVA経験年数10年になってしまったで。

アサインされたら死ぬ

2024-08-22

面白かった頃のITを書いてみる

「ハーイ!ジョージ!」の頃はまだ良かったんだ

俺もピエロ🤡に扮して「ハーイ!女児ぃ!」とか言たいだけの人生だった

でも、ラストで巨大な蜘蛛が出てきた時点で興醒めですわ、どんなサメですわ

ウソです

田舎MSXに搭載されていたマシン語モニター機能とか使ってマシン語書いてた頃ですかね

文字をレンガ🧱とかに変えて、ロードランナーみたいなの作ってました

ウソです

中学校の私はマシン語理解する脳がありませんでした

MSX1以降、大学に入るまで、私はほとんどパソコンを使っていないブランク期間があります

ブランクの間、主にやってたことは絵とか漫画とか描いてました

パステルとかアクリル絵の具とか楽しかったですね

大学に入って、物置からMSX発見して、当時購入したマシン語入門的な本とか、

MSXカートリッジ機能を使って電子工作やる本を買ったりとかして、

MSXカートリッジの形状をしたユニバーサル基盤を秋葉原に買いに行ったこから、そこから毎週毎日秋葉原に行くようになります

まだ、オタク系のアニメとか漫画とかフィギュア模型の店とか、メイド喫茶とか、まったくない時代でした

MSXZ80マシン語を一通り理解して、MSXカートリッジユニバーサル基盤刺して、自分で組んだ電子回路MSX制御したりして遊んでました

あと、大学入学祝いPC-9801だったので、それをいじったりもしてました

Microsoft Quick CとかTurbo Cでプログラムを書いたり、Cマガジン定期購入するようになり、TeX最初に動かしたのもPC-9801だったと思います

そのあと、米国から輸入したPC/AT互換機を当時のドスパラだったかな?で購入して、私は運が悪いのか、ちょっと色々と酷いのが届いたのですが、

それを騙し騙し使うことにして、Laser 5が販売していたSlackwareLinuxインストールしたり、DOS/V海外ゲームやったり、なんだかんだ楽しかったのかもな

あと、まだアルファ版?だったかんのJavaを、えらい長い時間かけてダウンロードして、それのサンプルをひたすら眺めて勉強したりしてました

CとJavaソケット使ってネットワーク系のプログラム書いたりとか、簡単チャットみたいなのとか、JavaだとAWTGUIまで作れちゃいますから便利になりましたよね

JavaからSmalltalk勉強したりもしたなぁ

そういえば、前のバージョンScratchソースコードをなんか読んだ記憶がある

ただ、自分はBIO100%みたいにもなれなかったし、X68使ってる人たちみたいにもなれなかったし、Lightwave使ってる人たち、新海誠みたいにもなれなかったし、

なんか色々仕事したり、賞をもらったり、色々あった記憶はあるのだけど、何者にもなれなかったし、今も何者にもなれてないままですね、心に刻んでおくよ

2024-08-19

anond:20240818233531

コミュ力(人気者になる力じゃなく、集団の独特なルールを受け入れ、適切な言動で無事に世の中を渡る能力

20代の中で勉強ができる頭と精神力がある

・体が強い

ADHD/ASD傾向がないか、あってもごく弱い

 

ならGO

地域によるけど、20ブランクある50代でも特に老健とかなら引く手数多世界

ジジババは増えてんのに若い子が少ないか

 

男性看護師精神科〜って言われるけど、整形外科にも多い

乳腺外科みたいな、ほぼ女性みたいな科にも複数いる(女性患者の傷跡は女性看護師が診るので訴訟リスク回避

 

女性看護師性的暴力したり態度悪いジジババの担当を買って出るべし

男だと見るや大人しくなり恭しく態度変えるから

2024-07-31

anond:20240731215105

復帰後のこと考えると、ブランクあるのに他と同じ期待値でかかられるほうが困るで。

休職中は職務キャリア止まるほうがお互い楽ちゃう

それでも奥さん子供と一緒に居られるならトータル得やん。

子供の世話はどんどん難しくなるから最初に深く関与しないとヤムチャ化するし、ここ休まないと奥さんとか親戚に死ぬまでチクチク言われるで。

部長や休まない奴はそこのリスク感じて無いんやな〜でええんちゃう

多様性ってやつやろ。

2024-07-30

anond:20240730182457

育児中も働けないし、子が巣立ってもキャリア中断したんで働けないし、ブランクが長くて働けないもんな

子どもを生んだら一生養う責任がある

2024-07-24

[]

高校同窓会

でも途中参加しかできなかった

ほんとは昼からはじまっててみんなボウリングとかしててすでに時間ブランクこえて楽しそうにしてたけど、

自分は夜から参加でごはん食べる会とかもなくてそのまま寝るみたいな感じだったか全然同窓会って感じしなくて誰ともしゃべんなかったしこなきゃよかったと思ってた

2024-06-30

anond:20240630183154

年収男と高年収女が結婚するメリット

 

さんざん煽り合って屁理屈捏ねくり回したり、男の不遇を嘆いたりしたけど、結局メリット特に無さそうだね

残念だよ

 

ただでさえ男女による収入差(性差から来る能力差や妊娠出産によるブランク、これの良し悪しは語らない)と、女に求められる役割家事育児偏重)があるうえでさら年収すら男の方が低い場合、女に特にメリットがないんだよね

そういうことでしょ?

 

それでも愛情でゴールインした数少ない下方婚カップルもいるけど、わざわざそうはしないよねってお話

2024-06-25

anond:20240625175256

まず実績

その後アピール

価値のある人間であることを名実ともに示せばOK

ブランクのある奴はどうしても「自分自分評価について物申せる立場ではない」と思ったり、そもそも自己評価って自分で言っていいんだ」ということを知らなかったりするが、

お前自身こそが、「俺を正社員にしたら得するぜ」と推薦できる1番近い人間であると心得るべし

2024-06-19

結婚したくない独身女性におまえのわがまま少子化ガーっていう人たちさ

百歩千歩譲って経産婦の女性ならわかるのよ

でも男には絶対に言われたくない

股についた弄ると気持ちよくなっちゃう棒で気持ちよくなってピュッすればいい奴らとこっちは違うんだ

腕力じゃ抵抗できない野郎に伸し掛かられて、AV見てレイプや異常性癖スタンダードだと思い込んでるクソ野郎

汚物病原菌がついてるかもしれない臭いソーセージ内臓に突っ込まれるこっちの身にもなれ

無理に突っ込まれれば膣だって裂けて大手術になるケースだってある

行為経験があるだけでどれだけ子宮頸がんリスクが上がるか

相手選んだつもりの行為性病に罹るリスクがどれだけあるか 

いざ妊娠したらしたで職は失いかねないし、休職で済んでも産休育休で数年のブランクができるのはキャリア的にかなり厳しい

妊産婦10万人のうち2500人は出産前後死ぬし(2021年時点の妊産婦死亡率2.5%)

それを乗り越えて出産するときだって「痛いのは避けたい」っていうだけでこの大バッシング社会で産まなきゃいけないし

その後は産後の大ダメージ受けた要安静の状態睡眠すらろくにとれない新生児育児が始まる

それまで生きてきた人生20年~とほぼ同等の時間を子に割いて「お母さん」として生きることになる

それだけ人生をささげても、子育てがうまくいくとは限らない

心の底から惚れ抜いた男か、このデメリット全部に目を瞑れるくらいの極上の優良物件な男が相手でもなきゃ、

こんなデメリットばかりの人生独身でも生きていけるこの時代でだれが選ぶんだよ

わたし自分を育てるために「お母さん」になった人の生き方見て、心底そう思ってるよ

2024-06-18

発達障害水泳平成不況リーマンショック、30代

・これは何か

私の半生を占める水泳と、それがその後の人生に及ぼした影響について整理するために書いた記録である

なお、当時は強いストレス下に置かれていたため、詳細を思い出せなくてぼんやりしている部分もある。

・なぜこれを書いているか

私は現在休職状態にあり、ADHDの診断を受けたところである

精神科に通いつつ、投薬とカウンセリング治療をおこなっている。

そしてカウンセリングを受けつつある今、自分がいまこうなっていることの底にはあまりに苦しかった水泳記憶があり、それを直視することは避けては通れない道ではないかと思ったからだ。

(先生に直接「直視しろ」と言われたわけではない。ただ、「あなた言葉あなた感情をひとことも説明しませんでしたね」、と言われ、その原因を自分で考えていたら、勝手にそこに行き着いたという話である)

正直に言えばそこに目を向けるのはめちゃくちゃ嫌で、前回のカウンセリングを受けてから2週間くらいメソメソメソメソメスティーソ泣いていたのだが、友達と遊んで少し息抜きをしたらちょっとした気づきと癒やしがあり、なんとか気力を振り絞れそうなので書いてみた。

水泳のこと

3歳から高校2年まで水泳をやっていた。

早いうちに才能を見出され、小学校1年か2年くらいでヘッドハンティングのような形で選手育成クラスに移った。

当時、肉体にすごく負荷を掛ける練習方法流行っていた時代だったから、シンプルに肉体的につらかった。スパルタが主流で、体罰は当たり前だった。

楽をしようものならコーチにも怒鳴られ叩かれ全員の前で吊し上げられた。そこまでは周りのみんなと条件は変わらないのだが、私の場合母親ほとんど毎日練習を見にきていて(それほどに熱心な親は他にはいなかった)、仮にコーチに怒られなくても、母親の目から見て私のパフォーマンスが悪ければ、そのことを帰りの車の中で詰められる日々だった。

行き帰りは車で母親に送迎してもらっていたが、車の助手席に乗り込むと母親の「今日練習について」の裁判が始まるので、毎日まるで犯罪を犯して法廷に立たされるみたいだった。キツい負荷の練習をこなしてやっと家に帰れるのに、すこしも安らいだ気分になれなかった。

でも、私は無理にでもやらせればやらせただけ、負荷をかければかけただけ、結果が出せてしまタイプ人間だった。

父親も叔母もスポーツ学生時代成功した経験があって、家系としても肉体的に優秀だったのだと思う。

それが母親成功体験になってしまい、尻を叩けば叩いただけ結果が出るという思い込みを強化したふしがおそらくあるんじゃないかと思う。

長期休みに入るたび、朝夕2回の練習では足りないと別のプールに連れて行かれ泳がされた。この習慣は我が家では「こそ練」と呼ばれていた。

ただでさえキツい練習をしてるので嫌だったが、嫌がれば母親から「速くなりたくないの?」と頷くまで詰められる。

こうやって追い込めば追い込むほど結果が出たので、母はどんどんエスカレートしていった。

極め付けはようやく出来始めた友人関係破壊されたことだった。

中学に上がると、小学生選手育成クラスから中学クラスに上がって、ここがジュニア女子選手としては一番上のクラスだった。その上に、高校生の男子さらにその上澄みだけが入る、一番練習ハードクラスがあった。

いま振り返ってみると、私はかなり発達障害的な特性のはっきり出た子どもであり、周りと関わるのがかなり下手だった。だから、キツい練習を何年も毎日一緒にこなしてきたというのにチームメイト連帯感を育めなくて、ずっと浮いていた。浮いているのに才能だけあったから、周りからすると目障りな子どもだっただろうと思う。選手育成クラスというだけあってそこそこ実力主義ではあるので、幸運にもいじめられこそしなかったが(あるいは特性上あまり他人に興味がなく嫌がらせに鈍感だっただけかもしれない)、やっぱり浮いていた。私は人生を通してずっと普通になりたい、と漠然と願ってきたが、その願いはこういう環境のなかで醸成されてきたように思う。

(ちなみに、当時どのくらい浮いていたかというと、なんか男子たちが私に話しかけるのを何かの罰ゲーム一種として扱っているな、と気づいたことがある程度には浮いていた)

けれど、ここで話の合う友達ができたことで、この一瞬だけ練習に行くのが楽しかった時期があった。

私はもともと才能があったので、中学生のクラスを受け持っていたコーチにも期待されていたし、たくさん話を聞いてもらえて、私自身もコーチのことを頼れる大人だと思っていたし、期待に応えたいと思っていた。信頼関係を築ける大人との出会いがここであった。だから、このクラスちゃんと私の記録は伸びていた。

だけど母はその伸びでは満足できなかった。

母にはいわゆる白雪姫の母コンプレックスみたいなものがあって、私が楽しそうにしていると不安になる性質だった。不安を感じやすく、その解消のために誰をどれだけ振り回しても良いと考える傾向があった。

私が楽しんで練習に行き始めた時、母は不満だった。私が苦しんでいないから、きっと負荷が足りないのだと考え、「娘の才能が無駄に消費されている!」と強く不安を感じたのだろうと思う。これでは速くなれない、と母は考えた。

そして、「上のクラスに上がりたいと言いなさい」と母は私に強要した。

私はかなり嫌がった。もともとジュニア女子が入れる中で一番上のクラスではあったし、せっかく話の合う友達ができたのに、その子たちと話せなくなってしまうことも嫌だった。先生の期待を裏切ってしまうことにもなる。すごく抵抗があったことは覚えている。

母は私に、「あん肥溜めみたいなクラスにいたら、あなたダメになってしまう」と言った。

嫌だった。泣いて抵抗した気がする。あまり覚えていない。でも、最終的には「上がりたい」と言わされた。コーチはショックを受けていたと思う。でも最終的には上のクラスコーチに頼んでくれて、私の(母の)要求は通った。

中学1年の女子高校生の男子クラスに入れられて泳ぐことになった。毎日階段をまともに降りられないくらいの筋肉痛になった。まわりはひと回り年の違う高校生の男子しかいないので、友達と話せる機会は減った。肉体の負荷は上がるのに、心の支えは何もなくなり、ただ苦しかったしつらかった。

私が苦しんだので、母の不安は解消された。

そして、精神とはうらはらに、私の肉体はそれに応えた。

実際に大幅に記録が伸びた。一緒に泳いでいた高校生の男子より私は上のタイムを叩き出し、彼らにもよく頑張ったと認められた。中2のころにはジュニアオリンピックで決勝に残り、関東中学で優勝し、全国でも10本の指には入った。国体にも県代表で選出された。県で私より速い選手はいなくて、私がベストを出せばその度に大会新記録、県の新記録だった。母はこのことについて、自分が尻を叩かなければ結果が出せなかったはずなので、自分の手柄だと考えた。

注意して欲しいのは、これらの成果を私自身もまた喜んでいたこである。才能や能力があると見做されることは、特性持ちの人間にとっては他人から受けるマイナス感情を弾く盾にもなる。母の手柄は、私を絞り上げ、苦しめて作り上げられたものであるが、同時に私を守るものでもあった。

あなたは結果で他人を黙らせなさい」というのが、母の持論だった。母は私のために、心を鬼にして私を苦しめていたはずである。叩けば結果が出ることがわかっていたのだから

この頃から試合合宿遠征先に行くと、夜中にこっそり抜け出して、当て所もなく歩き回るようになった。特に裏道や暗い道を選んで歩いた。いま考えると、間接的な自傷だったと思う。酷い目に遭いたかった。私という価値が一気になくなってしまうくらい、誰かに酷い目に遭わされたかった。母が守る『私』という価値と、それに伴う苦しみが分かちがたく結びついていたために、母の目の届かないところで地味な自傷行為に走っていたのだと思う。

体に傷を残すようなことはできなかった。そんなことをした日に母を襲う衝撃と、その衝撃の余波を受ける自分のことを考えたら、とてもではないが無理だった。

しかし、こういう無理は続かないものである。ほどなくして精神的に破綻して、泳げなくなった。中3の秋ごろだったように思う。喘息悪化させ、負荷のキツい練習から逃げ、最後は何か喚き散らして家に帰り、そこからしばらく練習に行けなくなったように思う。詳細は覚えていない。

だけど、そこで辞めるには水泳は私の人生で大き過ぎた。人生の大半を占める一大事業に等しかった。だからそこから高校2年の夏まで、通うスクールを変えて足掻きブランクを取り戻し、記録は少し伸びたし、インターハイにも出た。

ただ、大学受験に切り替えるならこの辺りがタイムリミットだった。結局、わたしはここで引退して受験に切り替えた。水泳のために自分学力よりかなり下の高校に行ったので、辞めてから予備校漬けになった。

受験勉強は圧倒的に楽だった。体の負荷も消えたし、学業自分特性から見ても結果の出しやすい分野だった。あまりにも結果が出やすくて、母も不安にはならなかった。躓きや苦しみも多少はあったが、水泳で受けたそれとは比べ物にならなかった。この時期、私と家族はかなり明るく過ごした。

大学には簡単合格した。願書を出した大学ほぼ全てに受かった。

とにかく家を出たかったので、その名目が立つ大学を選び進学した。

ここから水泳を辞めた後の話に入る。

友達が作れない、学業に身が入らない問題が出る大学1年目

ひとり暮らしをはじめて、やっと手に入れた自由を楽しんだ。でも1年目、ぜんぜん他人との関わり方がわからず、友達が作れなかった。小中高と水泳にかまけていて、相変わらず発達特性的な部分で学校でも浮いていたし、そもそも自分偏差値より随分下の学校に行った(水泳にはリレーメンバーの都合がある)ため、頭の程度が均されている環境でほかの人間と接して友達になる機会がまったくなかったのだ。県大会で何度も優勝し、実家に腐るほどトロフィーがあっても、友達の作り方がわからなかった。この時点で、私の能力は社交性に比して随分歪だったと言えると思う。

ひたすら学校と家を行き来して、家ではゲームばかりやっていた。

1年の後半の方になってようやく所謂オタクサークルに入って、対人能力に似たような問題を抱えた人たちに出会い、それでやっと少し友達ができた。ここから就職活動が始まるまでは、楽しく過ごせていたと思う。彼氏もできた。

とはいえ、あまり成績は良くなかった。勉強したいと思って進学したはずなのに勉強に向かう気力が湧かなかった。どころか、水泳を辞めたことが傷になっていて、「どうせ最後には全部台無しにする、水泳だってあれほどつらい思いをして人生を捧げてきたのにそうやってダメにした」と囁く声が頭から離れなくて、あまり集中できなかった。

漠然と、卒業したら死のうかな、と思っていた。

就活ができない問題が出る大学3年生

学業もそんな感じだったので、いざ3年になってもぜんぜん就職活動を進められなかった。というか授業もギリギリラインだった。

振り返ると、つらい思いをして思春期を生き延びた先に、ようやく手に入れたご褒美としての『自由』がたった4年で終わることに全然納得が行っていなかったんだという気がする。他の人たちは将来を考える精神の準備ができていたのに、私には何もできていなかった。こんな人生の先に、また何十年も続く苦痛が待っていると思って、絶望感があった。

就職留年

このあたりのことはぼんやりしているが、就職活動が出来なさすぎて就職留年した。ちょうどリーマンショック東日本大震災の影響があった時期で、特に女子就活は周りを見渡しても厳しかった。なので就職留年という言い訳は通った。

でも、留年したのに就活全然ちゃんとできていなくて、とうとう親が乗り込んできた。希望する企業の傾向は決まっていたので、母親マイナビリクナビエントリーする企業を選んでくれて、エントリーシートや履歴書に書く志望動機などの文章としてこちらで考えたら、それを母が手書きで代筆してくれたりして、こんな大学生はおそらく他にいないなと思うほど過剰にサポートしてもらった結果、なんとか書類選考が通るようになり、面接を受けたりと就職活動らしいものを進めることができた。

面接が苦手すぎて苦戦はしたが、なんとか内定をもらった。たた、周りがちゃんとこなせていることも自分にはろくすっぽできないとわかって情けなかった。

卒論が出せなくて2度目の留年

このあたりもぼんやりしている。夏くらいに内定が決まって、そこからしか全然ゼミに行かなかった。いや、たぶん特性的に並行してふたつのことができないので、就活中はゼミにも授業にも行けていなかった気がする。内定が決まった後、バイトしろと言われてしていて、必要な授業の出席とバイトくらいはしていたが、ゼミに出てないので卒論が当たり前に書けなかった。英米文学専攻なので卒論英語で書く必要があった。ぼんやり決めたテーマがあるくらいしかなくて、そのまま冬になった。ちょっと書こうとしたけれど当たり前に書けなくて、でもそれを就活を熱心にサポートしてくれた親には言えなくて、卒論提出の日に失踪した。1〜2週間家に戻らず、銀行口座の金が尽きたら死のうかなくらいの気持ちでいた。漠然と死のうと思っていたし、その時が来たのかと思っていた。

結局親に口座の金を引き上げられて、無様にも死ねずに戻った。怒られ、殴られ、彼氏にも心配をかけまくり、色々あったとは思うのだが、この辺りの記憶ぼんやりしている。

ひとり暮らしの家を引き払い、実家カンヅメになって母親監視のもと卒論を書いた。足りない単位のための授業とバイト以外の外出はさせないくらいの感じだったと思う。

ひとり暮らしの家を引き払った時、この時も家がゴミ屋敷になっていたので、ゲーム依存病気だと親に疑われたが、ゲームは単なる逃避行動で、やれない環境であればあっさり辞められた。振り返ってみれば、何らかの支援の網に引っ掛かっておくタイミングがここだったような気がする。ただ、スポーツで結果を出し、世間的には良い大学に行ったような人間が、ゲーム依存なんかで病院に罹るのは外聞が悪い、という意識がなんとなく家族全員にあったのか、結局ここでは必要だったであろう支援とつながることはできなかった。

この環境でなんとか卒論を書いて卒業した。就職は結局バイト先に拾ってもらうかたちになった。

新社会人として

もう一度実家を出てひとり暮らしをはじめた。

働き始めるととにかく眠かった。ひたすら眠かったことを覚えている。仕事でも会議でも寝てしまい、怒られて、怒られたあとは体が一時的闘争反応というか覚醒状態になるので、それで過集中を起こし仕事を進めてなんとか巻き返す、みたいな感じだったと思う。昼に寝てしまうので夜は眠れなかった。その悪循環で昼にまた意識を失った。

本当は病院に行くべきだったと思うが、家に帰るとその気力もなかった。家の電球が切れて、ほとんど暗闇だったのにも関わらずその家を引っ越すまで電球を変えられなかった。1年以上真っ暗闇で生活した。歯が折れて激痛でも病院に行けなかった。ぎっくり腰でも行かなかった。ゴミ屋敷はここでも生産された。

この時期私は相当な困難を抱えていた気がするけれど、同時にどこか安心しているような部分があった。自分価値がこうやって毀損されていくことに対する「ざまーみろ」という気持ちがあった。ちょうどこの頃、母親と完全に連絡を遮断して、実家と絶縁状態になった。直接のきっかけはなんだったか覚えていない。ただ、自分価値ボロボロと溢れ落ち、人生ダメになっていくことについて、母親への不健全復讐欲求が満たされるように感じていたのは覚えている。

この状態を5年くらい続けて、3つくらいの現場経験した。就職先は人売りのSESだった。

コロナ禍でリモートワークが開始する

これは自分にとって大きな転換点だった。寝ているところを他人に見られないのでストレスが大幅に減り、なんとか自分が起きていられる時間帯に仕事を進め、眠りたい時は寝ていることができた。とても褒められた就業態度とは言えないが、それほど能力的なハードルが高い客先でなかった幸運もあって、なんとか巻き返しが効いた。この時期が一番平穏だったように思う。この現場自分にとって一番長く続いたし、終わり方も案件ごと終了ということで円満だった。

この現場が4年くらいで終わり、本社に戻ることになる。

本社に戻る。眠気の問題ふたたび

リモートワークが終わり片道40分くらいの通勤生活が数年ぶりにスタートする。10年近く戻っていなかった本社に知った顔はほとんどなく、コミュニケーションが得意そうな子たちの若い顔が並ぶ。すでにこの時点でうまくやっていけるか不安ではあった。

自社開発の案件アサインされるも、やはり眠気の問題が復活し、怒られる。仕事客先常駐とは違い、粒度の粗い仕事を上手いことやっておいてというような感じで振られるため、勝手全然からず、先の見通しが立たない。作業をうまくこなせず、進捗が出せない。学歴スポーツの成績だけ見れば能力はあるはずだと思われているので、サボっていると見做される。寝てるよね?なんでコミット全然出ないの?

年次だけは無駄に高いので直属の上司もおらず、まともな相談先もなく、周りの子たちは若くてこんなことを相談できる相手ではなく、結果誰にもうまく頼れずにひたすら信頼を失い続け、頼みの綱だった週1回のリモートワークも許可を取り消される。

社長から新卒みたいなことを注意させないでくれる?」と言われる。怒られて、闘争反応になった勢いで、なんとかメンタルクリニックの予約を取った。

そうやって通院治療を開始したのが、2023年10月ごろ。

日中の眠気、夜の不眠、集中困難、ゴミ屋敷などの問題が主訴。

これらの問題は通院治療を開始したところでたちどころに解消するようなものでもないので、年末年始休みを挟んだ後、ボツボツ休みが増え、雪崩れ込むように職場に行けなくなって休職開始。

心理検査(WAIS-Ⅳ)の結果、言語理解ワーキングメモリ・処理速度の間で有意差50を超えた。言語理解・知覚推理凸、ワーキングメモリ・処理速度凹のタイプだった。

この結果と、現在社会生活が送れていない実態をもって、5月ごろにADHDと診断された。

現在は、投薬治療カウンセリングを受けている。

・総括

概観してみると、今の私を状態説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。

特性を持って生まれ子どもが、いわゆる体育会系世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援 Permalink | 記事への反応(21) | 22:15

2024-06-12

anond:20240611193838

一般に初めて恋愛する年齢がだいたい18歳として恋愛技能12ものブランクのある人間がいまさらマッチングアプリ恋人を作れる確率って0.1%にも満たないよ、残念ながら

2024-06-11

信越化学工業株式会社(しんえつかがくこうぎょう、英: Shin-Etsu Chemical Co., Ltd.[3])は、東京都千代田区丸の内本社を置く大手化学メーカー

国内化学メーカーとして最大の時価総額および営業利益を誇る。

日経平均株価およびTOPIX Core30、JPX日経インデックス400構成銘柄の一つ[4][5][6]。

東証プライム化学クタ企業において唯一Core30に組み込まれている。

以下の5つの事業セグメントを展開し、各分野の製品において世界的に高いシェアを有する。

塩ビ・化成品事業塩化ビニル樹脂(世界シェア首位

半導体シリコン事業シリコンウェハー(世界シェア首位

シリコーン事業シリコーン樹脂(世界シェア4位、国内首位

電子機能材料事業:合成石英世界シェア首位)、フォトマスクブランクス(世界シェア首位)、フォトレジスト世界シェア2位)

機能化学事業:合成性フェロモン世界シェア首位)、メチルセルロース世界シェア2位)

塩ビ樹脂やシリコーン樹脂といった汎用化学品と、レアアース製品などの先端材料バランス良く事業ポートフォリオとして備えることで、市況や需給環境の変化に強い経営基盤を生み出している。

日本経済新聞により毎年元日に発表される「経営者が選ぶ有望銘柄」において、国内企業で唯一2009年より14年連続で上位3社に名を連ねている。

へぇ

日本すごいじゃん

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