はてなキーワード: デファクトスタンダードとは
もう最後らへんは「そんなん思いつかんわ」ってのばっかだった気がしたから自分で考えるの諦めて攻略見た
それでも日向がカムクライズルだって想像があたってたのはちょっと嬉しかったけど
全体的になんか1に比べたらやたら誤植が目立ったなあ
あとシモネタも多かった(俺はうれしいけど、女性ファンはちょっと引く部分多かったのでは
結局最後のどんでん返しはメタネタでもうそれ使っちゃったら3とか作れなさそうって感じのやつだった
終わり方もよかったよかったではあるけど、いまいちうおおおおおおおすげええええとはならなかった
1はみんなそれぞれ動機あって殺してたけど、2はみんなしぶしぶ殺してたっつうか
あと作中でも触れられてたけど1の焼き直し的なのが多かったのもマンネリだったな
裁判までに推理材料が全部提示されないのも1同様もやもやするし
ただの推理ゲーじゃなくていろいろぶっこんできてた試みは評価するけど、マシンガンのやつは1から引きつぎでワンパターンにボタンぽちぽちするだけだから相変わらずつまらん
ミクゲーみたいにセリフの場所にボタンマークが出てくるとかにすりゃよかったのに
間違ってたら落ちるから、クリアするためには無理矢理正しいことを知らされるし
反論ぶった斬りはタッチパネルの反応悪くて結局十字キーのほうがいいやってなった
あと切ってるのが主人公的にどういうことをやっている状態なのかがいまいちわかんなくて微妙
全部切っても駄目だし
ひよこちゃんとカメラマンがかわいかったのくらいかよかったのは
でもメタネタ周りとかは、ever17とか臭作とかやったことないキッズにとってはうおおおおおおってなるのかな・・・そうなってくれてたらいいな・・・
古参のエロギャルゲーマーにとってはそこまで新しいものはなくて感動できなかった
ただタッチでメッセージ送りできたのを画面がめっちゃきれいだったのは、タッチパネル搭載アドベンチャーゲームのデファクトスタンダードにしてもいいよなと思う
1で戦刃むくろが串刺しにならずに味方になってたら、その日に終わってたねという話
一文ずつ最初読んでたけどくどすぎて途中からバツボタンでページごと表示してどんどんめくっていった
いやーゲームした後だと成田良悟というかラノベ文体のくどさがめちゃくちゃひどいと思える
めちゃくちゃくどい
428のきのこシナリオに、読みヅラさという意味では負けず劣らずだと思う
扱ってるテーマはきのこほどぶっとんでなくて作中のものに沿ってるから、ある程度許容できるけど
タッチで読み進められなかったのもうざかったし
まだプレイ中
いちいちシナリオをやりなおさなくてもキャラクリできますよっていうありがたいシステム
1はPSPでやったけどキャラクリ気になるけどわざわざシナリオやりなおすめんどくさすぎるしなあと思ってた俺にとっては神システム
退職から一年が経過し、新しい職場(WEBベンチャー企業)での仕事に慣れたこと、
また、富士通の同期入社の友人から頻繁に転職の相談を受けるようになったこともあり、本エントリを執筆する。
はじめに、筆者の退職理由を簡単に述べると、富士通という会社に未来を感じなかったことと、やりたい仕事はできないだろうと判断したためである。
参考までに、筆者は公共機関向けのシステム開発部門に所属していた。
担当していた業務は様々で、小規模なシステム開発や、子会社・下請企業の管理であった。
富士通には、人材キャリアフレームワークという社員評価制度があり、現場には、入社何年目はこのレベルの仕事、といった暗黙の了解がある。
本人の能力や意欲とは全く無関係に、入社後の経過年数で、仕事の裁量の幅が大きく制限される。
このことはいわば、学習指導要領ならぬ、業務指導要領があるようなものだ。
このような枠組みや暗黙の了解が存在すること自体が問題なのではなく、その枠組から逸脱した人材を想定しない・評価しないことが問題なのである。
筆者がお世話になった優秀な先輩方は、この業務指導要領の要件を満たして手に余った人、
いわば天井にぶつかった人から先に、より大きな仕事がしたいという理由で辞めていった。
筆者もその一人である。
既存産業の大きな成長が望めなく、社員個々の多様性が重要視される昨今の経済情勢において、
高度成長期における横並び思想をもとの作られたやり方が未だに社内を謳歌しているのは時代錯誤というほかない。
富士通への提言として、これからの時代は、年齢も在籍年数も関係ない人材評価制度を作っていくべきである。
そして重要なのは、会社の既存事業でいかに利益を上げたかについての評価ウェイトを下げ、
いかに新しい発想で新しい事業を提案したか・実現したかという評価項目を設立するべきである。
なお、富士通には社内ベンチャー制度があるが、これはうまくいかない可能性が高い。
なぜなら、社内ベンチャーを承認するのは旧式の人材の典型例である高齢な経営層であるからだ。
いままで数十の社内ベンチャーの審査結果を見てきたが、彼ら経営層に事業の将来性を判断する能力はないと痛感した。
また、他の理由としては、富士通の既存事業と衝突すると社内ベンチャーが潰されるということがある。
将来性のない既存事業を残して、将来を託すべき社内ベンチャーを潰すという企業風土なのだ。
富士通という会社には多数の既得権益集団がいる。そして、社内のルールは彼らが決して不利にならないように作られている。
なぜなら、ルールを作る権限は、先頭を走る集団、1980年代に大成功を収めた既得権益層がガッチリ握っているからだ。
いわば、前を走る人を抜かしてはいけないレースのようなものだ。
このような出来レースで若手社員のモチベーションが続くはずはないことは明らかだ。
筆者は、決して年功序列主義を批判したいのではない。
既得権益層が年功序列を悪用して、部下の手柄を自分の手柄にし、部下の失敗を部下に押し付けている実態に対する批判である。
ノブレスオブリージュ、権利を有するものには義務がある、という思想がある。
富士通の既得権益集団には会社の技術力や社員を率先することで、企業としての地位を向上させていく義務がある。
実態は、社内の後進に抜かされることを恐れるあまり、後進の他社に抜かされている。
ちなみに、この既得権益集団に有利なルールが生み出した現状については、
同じく富士通OBである城繁幸氏の著書「若者はなぜ3年で辞めるのか?」(光文社新書)が詳しい。
経営学において「ヴィジョナリーカンパニー」という名著がある。
この本によると、会社が永続的に成長・発展していくためには企業理念(ビジョン)を社員ひとりひとりが持つことが必要不可欠であると指摘している。
富士通の企業理念は、変革に挑戦し続ける姿勢や、よりよいICT社会づくりに貢献することを掲げている。
しかし、富士通という会社の現状として、このヴィジョンを失っている社員、とくに管理職がとても多い。
30代を過ぎて会社に定住することを決めた社員に変革に挑戦しようという熱意ある人物はひとりもいなかった、
そういう人々にとってICTで社会づくりなどどうでもいいのだ。
ただ顧客の要求を聞いて、それを子会社や下請けに作らせて予算や利益を達成することにしか興味がない管理職が大半であった。
元GEのCEOであるジャック・ウェルチ氏は、たとえ成果を出していようと企業ビジョンを共有しないものはクビにしろと自著で語っている。
このポリシーを導入したら、富士通の管理職の80%はクビになるであろう。そのくらいに富士通の管理職は夢や熱意のない人物ばかりであった。
そのような人材が将来的に会社を破壊する、というウェルチ氏の指摘の正当性を、富士通という会社の惨状が示しているのは皮肉という他ない。
富士通への提言として、ウェルチ氏のやり方を実行すればよいのだ。
成果によって管理職のクビを決めるのではなく、ヴィジョンを共有できているかでクビを決めるのだ。
このやり方を実行すると既得権益を握って離さない経営層や管理職が一掃される。
既得権益にしがみつくだけの人物こそ、ヴィジョンを持たない人物である割合がとても多かったことを付け加えておく。
経営コンサルタントの大前研一氏は、日本の生産性がアメリカの半分しかなく、もはや発展途上国にすら負けていると指摘している。
その原因について、日本では業務標準化が全く進んでいないためであると述べている。
自分の住む自治体と異なる自治体のマイナンバーのITシステムを比較してみてほしい。
ここで、自治体が異なればITシステムも異なることに気づくはずである。
はたして自治体ごとに個別のマイナンバーシステムを作る必要があるのだろうか?
答えはもちろんノーである。全国どこでも一律の業務であるべきであり、同じITシステムを導入するべきである。
自治体ごとに業務フローが異なるために、別のITシステムを使用した時に業務がこなせないという事態が発生する。
そのため各自治体が個別にITシステムをITベンダーに発注することになる。
そこでITベンダーは各自治体ごとに個別のITシステムを作ることになる。
ITベンダー側からすると一度作ったことがあるものをカスタマイズして、業務の順番を入れ替えたり、扱うデータを多少変更するだけで済む。
それなのに膨大な金額を請求するわけだ、ITベンダーとしてはボロ儲けである。
(なお、主要ITベンダー決算書を見ていただくとわかるが、ITベンダーの利益率が高いわけではない)
特に自治体のITシステムは国民の税金で作られているわけである。
各自治体は、このような現状を放置していて、国民に申し訳ないと思わないのであろうか?
このことは、決してITベンダーにのみ責任があるわけではない。
総務省が陣頭指揮をとって各自治体の業務標準化・統一化を進めなくてはいけないのに、それが全くなされていないのは監督官庁としての責任放棄である。
このように業務標準化が全く進んでいない現状は自治体に限らず、民間企業においても同様である。
会計パッケージにおいて、世界のデファクトスタンダードになりつつあるSAP導入に失敗する事例を数多く見てきた。
失敗する理由は、個々の企業の業務に合わせてSAPをカスタマイズしており、そのカスタマイズでは対応できない業務フローが存在するからである。
問題なのは、そのような業務フローは、決して必然的な業務ではなく、過去の慣習から存在しているだけであることがとても多い。
ここにおいて、ITシステムが業務に合わせるのではなく、ITシステムに合わせて業務の方を変えていかなくてはいけないのだ。
このことは、サービス・流通業の顧客からSAPのカスタマイズで無理難題があがってくることが特に多いことと無関係ではないであろう。
富士通は、既存顧客の業務標準化およびデファクト・スタンダードとなるITシステムの開発の陣頭指揮をとる役割を果たすべきだが、その望みは期待できない。
なぜなら関係が深い企業において、業務が効率化すると大量の社内失業者を出すことになるからだ。
そのような"顧客との良い関係"を崩すようなことはやらない会社である。
日本という国のあるべき姿を長期的に考えた際に必然的なことであるにもかかわらずである。
富士通の企業理念である、よりよい社会づくりに貢献するとは、まさにこの業務標準化を推し進めることなのではないのか。
富士通には外国籍の社員が相当数在籍している。しかし、彼らに求められる日本人への"帰化圧力"がとても強い。
同期入社の中国籍の友人は、対外発表会のために完璧な日本語の発音の練習をさせられていた。
完璧な日本語の発音は日本人に任せるべきで、中国に精通しているというメリットを活かせる部署に配置転換するべきである。
なお、残った外国籍社員をみると、小学生から日本にいるなど、生まれたのが海外というだけのほぼ日本人だったりする。
外国籍社員の離職率が高いことに対して、本部長が提示した対策が、
長く働きたい会社とはどのような会社か、というテーマで外国籍社員を集めランチタイムにディスカッションさせるというものだった。
この席で「無能な人が本部長にならない会社で長く働きたい」という大喜利でもすればいいのだろうか。
富士通はグローバル企業を表明しているが、このような組織で海外進出などできるはずもない。
なぜならば富士通の利益構造では、海外において利益を上げられないからだ。
このカラクリの解説は大前研一氏が詳解されているので、参考にしていただきたい。※1
6.富士通の良いところ
ここまで富士通に対する批判と改善の提言を述べてきたが、富士通の良いところについても触れておきたい。
まず、個々の社員の仕事力や組織力といった点では、他の大企業と比較して遜色ない。ただし、富士通の主要グループ企業に限るが。
数十を超える大企業および中小企業と仕事をしたが、やはり大企業は個々の社員のレベルが高く、組織力も高い傾向にある。
顧客として他社と仕事を進めていくうえで、大企業の方が優秀な担当者に遭遇することが多く、仕事がとても進みやすかった。
この理由について、大企業の社員育成能力が高いことはもちろん、社内チェック体制が整っているからではないかと思う。
社内で質の悪いものは弾いており、社外に出さないようにしているのだろう。
また、富士通は顧客主義がきちんと徹底されている会社であると感じた。
筆者と富士通の顧客主義が異なっていた点はあるものの、顧客起点に立つという考え方は大事なことである。
柔らかい人が多く、職場の雰囲気はとても良かった。お世話になった直属の上司や先輩方は、優しく丁寧なご指導をいただいたことに感謝している。
7.おわりに
最後に、立花隆氏の著書「東大生はバカになったか」(文春文庫)から名文を引用したい。※2
「いま、この辞めたい気持ちを逃したら、この会社に骨を埋めて、あそこにいる連中と同じになってしまうと思った。」
結局、筆者の退職理由は、偉そうな顔をしているがロクなビジョンも打ち出せない富士通の上層部のような人間になりたくなかったからである。
富士通という会社に必要なのは、優秀な若手の育成などではなく、無用な老害の排除である。
筆者には、富士通という会社は、沈みゆく泥船にしか思えなかった。
※1「産業突然死」の時代の人生論、第44回 談合をなくす二つの妙案-"便利なゼネコン"はいじめの温床
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/a/46/
(この記事のゼネコンをITゼネコン(ITベンダー)に置き換えていただきたい。)
※2 引用にあたり、語尾を改めた。
補足1.城繁幸氏の著書「内側から見た富士通」(光文社)についてのコメント
この本は富士通が先んじて導入した成果主義が、名ばかりで社員のやる気を奪う結果に終わったという実態を告発した本である。
この本について、いくつか述べたい。
まず、本題である、成果主義が経営層のご都合で導入されて、社員のモチベーションを奪うという最悪の結果に終わったという指摘はまさにその通りである。
また、この本が出版されてから10年以上経つが、実態は改善されていないし、する気もないのだろう。
(そもそも経営者のご都合成果主義の導入を失敗だと気づく能力が欠如しているのかも知れない)
管理職の仕事は、部下の成果を評価することではなく、予算内におさまるように部下の評価を調整することであった。
なお、成果主義の導入を評価している現場社員は誰もいなかった。
(成果主義を批判する幹部社員はいなかった。おそらく批判すると何らかのペナルティがあるのではないかと邪推している。)
補足2.転職について
筆者の転職について、考慮したことをいくつか述べる。
まず、次の会社・仕事の選び方および交渉の進め方については、山崎元氏の著書「会社は二年で辞めていい」(幻冬舎新書)を大いに参考にした。
転職は考えていなくとも、今の時代を働く考え方、人材価値のセルフマネジメントなどは一読の価値がある。
富士通という大手を辞めたはいいが、次の会社で苦労している人が多いという意見についてコメントしたい。
筆者に言わせれば、それは転職のツメが甘いのだ。
現職のどこに不満を持っていて、そのうち、どこが改善の余地があり、妥協するべきであり、次の職で改善を期待するのか、についての思慮が浅い。
社会のルールをわかっていないで転職したとしか思えないケースもある。
そもそも富士通という会社に勤めているにもかかわらずITゼネコンの生態系を理解していない社員がとても多い。
下請け企業にいけばもっとやりがいのある仕事ができる、などという浅い考えで転職する人はいる。
ITゼネコンの下請けを生業とする会社の社長は、中間管理職と何一つ違いはない。
上の指示(元請けの発注)を受けて下に伝達するだけであって、自身で新しい事業を生み出す能力のない企業である。
新しい会社は、自社で新しい事業を生み出す能力があり、きちんと利益を上げている。
転職において改善したかったこと、専門的な業務ができること、自分のアイディアを事業に活かすことができること、それらがすべて達成できた。
あこがれの英字キーボードを手に入れたから早速会社のパソコンに接続してみた。会社のパソコンは Windows 7。解像度もメモリも CPU も悲劇的な支給パソコンをなんとか使えるレベルで動かしてくれる頼もしいやつ。
「カシュカシュカシュ」
う〜ん、シングルクォーテーションとダブルクォーテーションがうちやすい! あとアットマークをシフトを押しながら入力するのは新鮮かな。
「コトコトコト」
スペースキーが広い! 打ちやすい! ついつい連打しちゃう。キー配列になれるのは時間がかかりそうだけどハッカーみたいでかっこいい。だけどちょっと、ううん、かなりストレスフルなことが一点あって、日本語を入力しようとしたらキー配列がJIS配列になっちゃうんだ。いちおう英字配列にはキーコンビネーションで切り替えられるんだけど、キートップの印字とちがうじゃない。ほら '*' が '(' だったりさ。
今思えば英語入力にわりきって使えば良かったって思うよ。でも往々にしてわりきるのって無理でしょ。
こまったときのグーグル頼み。グーグルさんに日本語キーボードのパソコンで外付け英字キーボードを上手く使う方法はないのって聞いてみた。そうしたらいろいろおすすめしてくれたから、まあ、このくらいの苦労はしないと英字キーボードを買った意味はないよねって、というかこっちから苦労を買ってやろうって、ふふんと思いながらいろんなページを確認したの。業務中だったけど。
それで、レジストリを書き換えてやればいいって書いてあるページを見つけた(http://blog.heiichi.com/?eid=792239)。書き換えるのは
パス : HKEY_LOCAL_MACHINE/SYSTEM/CurrentControlSet/Services/i8042prt/Parameters キー : LayerDriver JPN, OverrideKeyboardIdentifier, OverrideKeyboardSubtype
か。でもレジストリエディタってなんか使いづらいし、怖いなあ。おっとそういえば業務のデファクトスタンダードアプリ Excel で、拡張コンテキストメニューから「読み込み専用で開く」ためにレジストリを書き換える PowerShell スクリプトを作ったんだっけ。マイクロソフトオフィスがアップデートするたびにレジストリ書き換えられるもんだから、あたまにきて作ったんだっけ……。
New-ItemProperty -Force -Path 'Registry::HKEY_CLASSES_ROOT/Excel.Sheet.12/shell/OpenAsReadOnly' -Name ddeexec -PropertyType String -Value "[open("%1",,1,,,,,,,,,,,,1,,1)]"
よっし、エンジニアならコンポーネントの再利用だな、ってスクリプトをコピーしてぺたぺた(スクリプトは超危険なので割愛!)。パスをかえて、値はこれで、そうそう現在の設定を確認して英字配列と日本語配列を自動で切り替えるようにしたいな、むふふ、なんてつなげたばかりの英字キーボードですくりぷとすくりぷと書いていたの。
そんで実行。エラーか。ふむふむああええおお、パスまちがえちゃった。
こんどこそ実行。エラーなく終わって、ちゃんとキーの名前と値が入っている。さてさてそれでは再起動しましょう。
「ブイーン」
これ面倒なんだよなー。ハードディスクの暗号化解除っと。あれ、起動画面に移らないなあ。メモリチェックが走っているのか。ふーん。
……おわらないんだけど………………………………………………。おそるおそる画面をみたら、
「Windowsが起動できませんでした。システム管理者に連絡してください。」
うっわーーー。ブルースクリーンだーーー。はじめて見たーーー。本当にブルースクリーンででるんだなあ。
正直このときはラピュタをみつけたパズーの気分だったかも。ぼくの場合はこの先にはわくわくなんてなかったけどさ。だんだん、やべー、これやべー、これやべーや、これすごくやばいよね、って正気にもどった。そんで隣のお仲間にバレる前に強制終了。ふう。多分再起動中だっておもってくれたよね。
だいじょうぶだ Windows は軍用にも使われる堅牢性の高い OS だ。これくらいのエラーは普通再起動したらいつもと同じように退屈な起動プロンプトがでるはず。そうやって自分をまず信じる。それが一番大事。
まずは軽い深呼吸。そして電源オン。
「ブイーン」
ハードディスクの暗号化解除は BIOS レベルだから変わらないのか。Windows は予期されない終了をしたって? そのとおり! 気にせずに君はいつものように平常心で起動してくれたまえ。
あかんわ。これ完全にあかんわ。二回起動して二回だめって、これなんかいやってもダメなパターンはいったよね。エンジニアのはしっくれだけどそれくらいはわかる。
とりあえず電源を落として、気持ちを落ち着かせるために散歩しよう。ああ、今日は雲がきれいだなあ。風もふいていてはるだなあ。どうしよ。ぼくも答えはわかっていたんだけどね。管理部にごめなさいしてリカバリ DVD をかりてくればいいんだよね。でもさ、ただの箱になったパソコンはお客様のものっていう派遣の立場だしさ、絶対に原因追求でレジストリいじったことを告白させられるしさ、ああなんか春と秋ってにてるよね。
あとさブルースクリーンになった原因もわかったの。ふいにあああれだなって思い浮かんだんだけどさ、スクリプトつかいまわしちゃったせいで OverrideKeyboardSubtype キーの型を DWORD じゃなくて String にしてたのよ。ぜったいにこれで起動シーケンスで致命的エラーはいてんだろうなって。
そんな風に思いながら、自席に戻って、もう一回電源起動。もう一回よく画面を確認する。……むむ自動修復だと。よかろう最後の望みだ。かなえてやろうじゃないか。へー最後に記録した正常状態にシステムを復元するのか。なんか説明書きに「最近インストールしたプログラムとか消えるかもね。ハハッ。」て書いてあるけど、しばらくインストールなんてしていないし、初期状態に戻んなかったらまあいいよって感じ。ポチッとな。
そんでもって三十分から一時間経ったかなあ。あまりにも時間がかかるからトイレの個室で頭をかかえてたの。自席に戻るとパソコンの電源が落ちているわけ。さてとこれはラストチャンスだ。なんのチャンスかわかんないけどラストであることはあきらかだよね。そして電源をいれた。
この時ばかりは神様に祈ったね。だって計算機はプログラムしたようにしか動かないから、お祈りなんてしても意味ないもんね。だから神様にお祈りしたの、どうかおねがいします、今後はこれにこりてレジストリなんてぜったいにいじりませんので、この計算機が正しく動くことを祈ってくださいって。
結局、無事復旧できた。なにひとつ異常なく Windows 7 は立ち上がって来て、みなれた壁紙がでてきた。おそるおそるレジストリを確認したら、ちゃんとぼくがいじくるまえにもどっていた。ありがとう Windows! ありがとう自動修復機能! いちおうありがとう神様!
それでも外付け英字キーボードで日本語入力したいんだーて人はここらへんを見たら幸せになれるよ。
USB英語キーボード付けた。(英語、日本語キーボードの共存、KeyboardTypeOverride) 202122 (http://202122.iku4.com/%E3%83%91%E3%82%BD%E3%82%B3%E3%83%B3/%EF%BD%95%EF%BD%93%EF%BD%82%E8%8B%B1%E8%AA%9E%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%89%E4%BB%98%E3%81%91%E3%81%9F%E3%80%82%EF%BC%88%E8%8B%B1%E8%AA%9E%E3%80%81%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%89)
USBポートに対しての設定だからブートで失敗することはないと思うよ(ブルースクリーンを発生させたもののことば)。
いちおうこれを書くにあたって、自宅のパソコン Windows Vista で再現できないかためしてみた。検証内容は以下の二つ。
結論としては両方とも大成功! ちゃんとレジストリエディタから編集したら、英字キーボードで日本語入力が快適にできるようになったし、 DWORD を String に変更したらブルースクリーンがでるようになったし! Vista だと会社の Windows 7 ではできた自動修復ができないし! なんかブートセクションとデータセクションが分けられるようになったのって Windows 7 かららしいし!
だけどここは会社じゃなくて自宅だから、メイン OS の Ubuntu で Windows 領域をマウントして華麗に chntpw を叩いてレジストリを修復できる。そう Linux ならね。
Twitterが140文字制限を撤廃するという話が広まっている。Twitterに1万字も投稿できるようになると、タイムラインの魅力は減じるのは免れないであろう。140文字に制限されているからこその創造性が失われる。一方で、Twitterに長文を投稿したいというユーザが現在不便を感じているのも間違いないだろう。
サービス提供者の理念の元、あえて何かをさせない/何かを強制することにより、サービスに特有の文化が生まれる、というのは当然あることだろう。問題はそのサービスが広まってしまい、人がいることこそが価値になったとき、元の理念とは相容れない利用法をしたくなる人が現れるということだ。
ユーザからすれば「人がたくさんいる」から使い始めるし、運営会社からすれば「人がたくさんいる」ことを強みにして、弱小のときとは異なる戦略がとれるようになる。そのとき、元の理念を強固に維持してユーザに不便を強いるか、あらゆるユーザの用途に合うようにして中心がぼやけたサービスにするか、難しい話だ。
この前pixivでイラストにコメントしてほしくないという人がいたが、それも似たような話であろう。「イラストによるコミュニケーションのサイト」という、ある種偏った理念を持っているpixivが「イラスト投稿サイト」としてのデファクトスタンダードになってしまったがための悲しみがある。
もしかして「デファクトスタンダードに従ってる奴は法律違反」って主張してた人?
手持ちのプログラムをちょっと手を加えれば作れそうだったので作ってみた(総工数0.5MH)。最下位2つが404になってたおかげでちょっと変なことになってるけど、だいたいこんなもんかな。いわゆるホッテントリーに上がる記事を大雑把に分けると、
に分かれる(勿論ミックスもあるけど)。諸君が『くだらねー』と思っている、エクセルだの英語だの簿記だのは後者だな。ただ、はてブはSNSとして機能している側面もあるけど、SBMが本来の目的である以上、インフォメーション系の記事も当然上位に上がってくる。まあ、ブコメが盛り上がっている何か?を表示出来るようにしたいんだったら、日曜プログラミングでちょろっと書けば?と思う今日このごろ。
ブログに書くほどの話じゃないので、スペースお借りしますm(_ _)m
俺の場合は、
っていうのを基準にしている。
これらの基準は、誰が見ても公平なものだし、論理的っていうとこれ以上は今のところ無い。つまりデファクトスタンダード。
実際、この基準からずれたら、大学入試ならバツ、論文ならリジェクト、教科書なら訂正が入る。
しかし、ネット上では、どーも。「俺の意見が分からない奴は馬鹿」という向きが多い。
あとは、誤字脱字かな。
「俺の意見が分からない奴は馬鹿」と思う奴の意見を聞いてみると、学歴厨としては、「お前が勉強してないだけの勘違いやん」ってのから出発している。
で、その出発点がミスってるのを、なんとか認めたくない、感情的にののしって勝ちたい、という感情のままに、「相手が俺のことを理解していない」という風にしたいらしい。
これって、もうその時点で、「馬鹿」を使う権利ないやろ。馬鹿はお前やん。
と俺は思ってしまう。
フト思ったんだが。
「男は1点だけで評価」
「女は複合的に評価」
なんじゃないか?
って思った。
男は、っていうか、俺がそうなんだけど。
俺は、「この人はどういう人だ」っていうのを見るときに。「その人が一番できること」でキャラを見ている。
たとえば、100メートル走が早いなら、それで。数学が得意なら、その能力がどの程度か。
そういうところでキャラを見ている。
だってさ。他の部分の個性とか、キャラってのは、あくまでその人の人生の主なる目標に寄与するためのサブ的なものであって、すべてはメインのキャラに収束されるって思うわけよ。
ネットの女が口にする評価基準は、「いくつかの要素の組み合わせ」でキャラを見ているっぽい。
たとえば、「100メートルの選手×身長180センチ×料理好き×群馬県出身×B型」みたいな。いくつかの評価軸の『組み合わせの妙』をみているみたいだ。
1つ1つは、特段語ることはなくても、そのすべてを兼ね備えてるのはその目の前の人だけだから、その人との付き合いはスペシャルなものになるよね?みたいな。
この違いってのは、確かに合理的に思える。インテリジェント・デザインみたいな言い方でちょっと違和感あるけど、説明させてくれ。
つまりさ。
男の場合、狩りするときに、やっぱ、1つの能力磨くじゃん。罠作るなら罠、ランサーならランサー、プログラムならプログラム。アル一点を磨いて磨いて、それで勝負するわけだ。で、突出した専門分野が生き残りに必須なわけだ。
一方女の場合、仲間とうまくやったり、夫とうまくやることが大事で。そうすると、空気を読むためには複合的に評価する。
人間性とか言うときに、俺は、一点評価の、文学とか、哲学とか、そういうレベルでの人間性の話を考えてしまうんだけど。
女が人間性って言うときは、「花屋×身長165センチ×バスケやってた×MT免許×マイメロが好き」っていう組み合わせを、どうやって調和させているのか?っていうそういう部分の物語性とかキャラの造形とかを楽しんでるっぽい。
俺は、それがまあ、わからないこともないんだけど、そういう風に考え出すと、「確かにそれぞれの人間の腸内細菌は100兆匹、100種類くらいだから、組み合わせは無限だよね」とか、わけのわからないことで判断しだしてしまう。
女のいう、人間性とか、あるいは感受性、やさしさ。ってのは、ある種の社会生活っていう規範の中での、「プロトコール(論理的に決まるルールではなく、現在の社会を安定させるためのデファクトスタンダードな理屈より実用性でのルール)」を語ってたわけだ。
って思った。
> だとすれば広告非表示の有料アプリのデファクトスタンダードが成立して、その収益を、サイト閲覧回数に従ってコンテンツ側に支払うモデルっていうのが一番良いだろう。
最初のリプライで、なぜか「その収益を広告主に払う」とあったので「あれ?」と思ってたけど、おおまかな認識(コンテンツ提供側に戻す)はあってそう。
「うざい」から「コンテンツ提供者に(広告を見るという形での)対価を支払わずにコンテンツを受け取ってもよい」という流れが加速すると、
そのうち、世の中DRMのかかった有料コンテンツ配信になっていくのか、それともコンテンツ提供自体がしぼんでいくのか、、、
どうなるんだろう?
ああ、すまん。もうすこしちゃんと書く。
まず着目したのが「なぜ広告を消すのか?」という消費者型の心理なんだけど「お金を払いたくないから」ってのは偽だよね。だって消費者は広告見るだけでお金を払ってるわけじゃないから。じゃあなぜかっていうと「うざいから」とか短絡表現されるんだけど、感情的な部分をより分けて整理していくと「コンテンツの可視性が下がるから」「利便性が下がるから」じゃないかと推測したわけ。
今度は逆に「コンテンツ1に対して広告10くらいのサイト」を考えてみたんだけど、このサイトは著しく可視性が悪くておそらく敬遠される。広告が障壁になってる状況だよね。
理想的な話でいうのならば、すべてのケース3サイト(広告収入モデル)において「広告を見る」と「有料で広告を非表示」の選択肢があればいいと思うんだけど、それって開発費が大変だ。
だとすれば広告非表示の有料アプリのデファクトスタンダードが成立して、その収益を、サイト閲覧回数に従ってコンテンツ側に支払うモデルっていうのが一番良いだろう。
そんな話。
多くの人が価値を感じているし、歳をとってから価値が最大化する。
歳をとってから欲しいと思っても手に入らない。産むリスクは上がるし、産めなくなる。
手に入れてもランニングコストが高くつく。主に体力がついていかない。
あえて物として語るならそれは既製品でオーダーメイドじゃない。
少なくとも、子育てには永遠に終わらない社会的価値のあるプロジェクトという側面がある。
そこから得られる充実感や満足感はなかなか代替のきくものではない。
継続して運営するコミュニティーとしての側面もある。気に入ったメンバーで快適に過ごせるコミュニティーには価値がある。
でも事業の永続性は疑わしい。また多くの人は事業なんてやってない。
その人が後になって子供を作れば良かったと思うのではないか、
http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/wp/2015/07/02/qwerty1/
読んでる。このようにデファクトスタンダードが現れることが終ぞなく流されたままになった歴史は大好きだ。
流行を勉強しないやつとは仕事したくない
最低限下記は知っててほしい
プロマネならアジャイルサムライとかチケット駆動開発とかリーン・スタートアップとか読んどけ。頼むから。
頼むからこれぐらいは知っといてくれ。確かに流行り廃りがあって、追っていたものが崩壊したときツラいのはわかる。
しかし、上記はもはや流行りでも枯れてきてデファクトスタンダードになっているものばかりだ。
設定ファイルはバージョン管理しちゃうとまずいだろとか、本番とは違うからローカルは自分で手作業で変えろとか、何言ってんだおまえは。オーケストレーションツール使え。
クライアントが困ってるのに、オマエの環境で再現しねーとかあたりまえだろ。自分で環境かえてんだから。同じにしろ。
リリース対応に20時間かかるとか何馬鹿なこと言ってんだ。10人体制で20時間とか1リリースで予算300万超えかよ。本気かよ。
細かくリリースしろ。まとめんな。だから不具合もでかくなる。文言修正だけで3ヶ月待たせるな。機能の追加と軽微な修正は別だ。
あとエクセルやめろ。最初はいいけどメンテがつらすぎる。バグ管理やテストや設計図なんかはもはやそれ用のオンラインツールあるやろ。それ使え。
もう少し最新のヤツは勝手に追え。
俺はそれらがデファクトスタンダードになるかコケるかは責任もてん。
ほんと、クソOS、商品だった。VISTAみたいな、自機が悪かったから売れなかったんじゃなくって、ほんとに、ひたすら使いにくく、OSの動作が怪しい商品だった。タブレットにフォーカスするならもっとも注意しないといけない無線LANまわりのドライバがとにかく動作が怪しい。切れる、おそいなんてのは日常茶飯事で、起動したらつながらない(ほかの機械はつながっているのに)なんて単なる電気を食う板にしてしまう事態が多かった。サーフェスはデザインがとてもいいのだけれど、OSが使用に耐えないというだけで選択肢から外してしかるべきだ。
ほんとに何ひとつ革新的な要素がなく、後続のソフトウェア製品に対して反面教師としてのみ存在が許されるような製品だった。
新バージョンは確信をおこさなければならない、なんて信じ込んでいたんだろう。確信はアプリが起こすべきであってOSがインターフェイスの確信を起こしてどうする。あとドライバ回り。アホか。デザインした連中は第2のビルゲイツでも夢見たんだろう。少少クソOSでも販売部門がゴリおして、普及させるだろう、デファクトスタンダードになるだろう、なんて甘い夢を見たんじゃないだろうか。
いまから10が待ち遠しく、それは、今使っているこのOSもどきから離れられる喜びに他ならない。作った奴全員、毎週小さいレゴを足の端で踏む呪いにかかれー。もしくは金返せー。
「敷居が高い」という言葉を見るたびに、「どちらの意味だろう?あぁこれは正しくないとされてる方だな、しかし自然言語というのはデファクトスタンダードがうんたら」と思う。
「的を得る」という言葉を見るたびに、「得るってなんだよって、あぁあぁああこの前それも正しいってニュースあったんだったあごめんなさいいいい」と思う。
「壁ドン」という言葉を見るたびに、「壁ドンは本来隣の住人に向けて壁叩くことだ!っていまだに叫んでる奴マジ柔軟性ないわー、ボールド使えよボールド」と思う。
「ゆう」という言葉を見るたびに、「おっさんって言うをゆうって言うとマジギレしてウザいよなー、俺は使わねーけど傍から見てて逆にそのおっさんにムカつくわーボールドだわー」と思う。
ほんと見るたびにイチイチ脳みその回転が揺れて文章に集中出来なくなってしまった。
知らなくて良いことってあるもんだね。
例えば高等裁判所を高裁と略さずに、いちいち高等裁判所と言っていたら、逆に「略せカス」と言われることだろう。
だが略称として頭だけとって高等と言うようにしたら、混乱の極みだろう。
というわけで、増田一のハイセンスな俺が混乱のない略称を考えてやったぞ。
GitHub → Gib(ギブ)
JavaScript → Jast(ジャスト)
デファクトスタンダード → 俗標準
http://anond.hatelabo.jp/20150129231744
今からでも遅くはないわけだが、大学出ておけば良かったなと思うことがたまにある。単純に就職や転職で「大学卒」という肩書が効いてくる場面が多いということがその主な理由だ。俺は今でこそ職能を身に付けることができたから困ることは無いが、選択肢は狭まる。もちろん応募できるだけで採用は保証されないけど、「応募できるだけ」の価値は高い。日本の大学進学率が10%あたりに下がれば大卒の価値は変わってくるかも知れない。ただ、今の進学率では大卒というのはデファクトスタンダードとして機能してるのでその有用性は充分だ。現状では大卒かどうかで生涯賃金の差がかなりあるんだから、数百万程度で大卒の資格を買うというのは妥当性があるし、「貧しい家庭の子供は大学進学率が低い。親の貧困が教育格差を通して連鎖する!」という主張は正しい。ちきりんの糞記事は何故か大学で得た経験を現在の職場で活かせていない個々人を責めるような言い方になってるけど、大卒という資格を得ることで初めて就職までのレールに乗った人がほとんどな訳だから、別に大学で得たものが現在の仕事と関係なくても別に構わないだろ。「みんな行かないから行かない」という状況に変えるために攻撃するべきは大卒という資格を採用の基準にする企業側であって、実際にその資格を利用して就職した人に矛先を向けているのは馬鹿としか言いようがない。ふるい落とされる側が大卒という資格の価値を変えられるわけない。
「貧しい家庭の子供は大学進学率が低い。親の貧困が教育格差を通して連鎖する!」って主張してる人に「で、あなたが大学で学んだことで、今、いちばん役立っていることは何ですか?」って聞いて、何をしたかったんだろう。貧困は連鎖しないとでも言ってみたかったのかな?明らかに連鎖する訳だけど。それとも高すぎる進学率に文句が言いたかったのかな?読んでる人はほとんどが大学卒業した人なのに?読者の子どもに大学じゃなくてベンチャー企業に行けって言いたかったのかな?だとしたら議論が稚拙すぎるよね。説得力がない。当然、ちきりんは本当は大学で得たものが現在役に立っているかどうかとか、大学へ進む人が少なくなればいいとかはどうでも良くて、単純に炎上しそうな話題を炎上しそうな形で提示したかっただけなんだよね。本当に胸クソ悪い。