フト思ったんだが。
「男は1点だけで評価」
「女は複合的に評価」
なんじゃないか?
って思った。
男は、っていうか、俺がそうなんだけど。
俺は、「この人はどういう人だ」っていうのを見るときに。「その人が一番できること」でキャラを見ている。
たとえば、100メートル走が早いなら、それで。数学が得意なら、その能力がどの程度か。
そういうところでキャラを見ている。
だってさ。他の部分の個性とか、キャラってのは、あくまでその人の人生の主なる目標に寄与するためのサブ的なものであって、すべてはメインのキャラに収束されるって思うわけよ。
ネットの女が口にする評価基準は、「いくつかの要素の組み合わせ」でキャラを見ているっぽい。
たとえば、「100メートルの選手×身長180センチ×料理好き×群馬県出身×B型」みたいな。いくつかの評価軸の『組み合わせの妙』をみているみたいだ。
1つ1つは、特段語ることはなくても、そのすべてを兼ね備えてるのはその目の前の人だけだから、その人との付き合いはスペシャルなものになるよね?みたいな。
この違いってのは、確かに合理的に思える。インテリジェント・デザインみたいな言い方でちょっと違和感あるけど、説明させてくれ。
つまりさ。
男の場合、狩りするときに、やっぱ、1つの能力磨くじゃん。罠作るなら罠、ランサーならランサー、プログラムならプログラム。アル一点を磨いて磨いて、それで勝負するわけだ。で、突出した専門分野が生き残りに必須なわけだ。
一方女の場合、仲間とうまくやったり、夫とうまくやることが大事で。そうすると、空気を読むためには複合的に評価する。
人間性とか言うときに、俺は、一点評価の、文学とか、哲学とか、そういうレベルでの人間性の話を考えてしまうんだけど。
女が人間性って言うときは、「花屋×身長165センチ×バスケやってた×MT免許×マイメロが好き」っていう組み合わせを、どうやって調和させているのか?っていうそういう部分の物語性とかキャラの造形とかを楽しんでるっぽい。
俺は、それがまあ、わからないこともないんだけど、そういう風に考え出すと、「確かにそれぞれの人間の腸内細菌は100兆匹、100種類くらいだから、組み合わせは無限だよね」とか、わけのわからないことで判断しだしてしまう。
女のいう、人間性とか、あるいは感受性、やさしさ。ってのは、ある種の社会生活っていう規範の中での、「プロトコール(論理的に決まるルールではなく、現在の社会を安定させるためのデファクトスタンダードな理屈より実用性でのルール)」を語ってたわけだ。
って思った。