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はてなキーワード: テキストとは

2020-10-26

anond:20201026003439

地方はそれなりにの件だけどさ。

お前が突然変異として扱われたのは身に覚えがあるだろう、地方に金をかけるコストと有能な人材期待値が吊り合わないんだよ。

遺伝的に優れた個体東京で同じような個体と何代も交配してきたんだ。たまにお前みたいな東京に来た変異体を入れたりしながらな。

俺は東京大卒夫婦の家に生まれ適当に遊び暮らしながら育って早慶上智の下位学部を出た。確かに有名予備校テキストは良い代物だ。俺は先輩のお下がりで受講はしてなかったけど、校内テストで下から2番目のバカ偏差値60まで押し上げるには充分な武器だった。

学費格安だったからかお前みたいな奴はわんさかいたよ。でも誰一人として地方教育発展を推進する方向になんか進まなかった。みんな当時の流行りの浮ついた業界に行って東京結婚もせず未だに浮ついてる。何というか、あいつらには文化的素養と志がないんだ。

もしお前が地方自分みたいな突然変異体を救いたいならどうぞ文科省なり何処なりで活動してくれ。

日本から捨てられた土地で生まれ

この話をフィクションと思われてもいい。嘘松認定されてもいい。誰かの目に触れるだけで嬉しいから。

私は北国の相当の田舎で生まれた。コンビニも車がなければ行けない場所にあるようなところだ。当然電車なんて走っていない。ファミレスもないし、地方都市象徴と言われているイオンなんてものはない。地方都市とも言えない部類の地域だった。

私は小さい頃から勉強ができた。少なくても幼稚園の頃にはひらがなはかけたし、繰り上がりの足し算も誰にも教えられずにできた。漢字は一度見たらすぐに覚えた。だから読んでいた物語に出てくるような高学年向けの漢字も2、3年生の頃には書くことはできた。周りがなぜ同じようにできなかったか理解できなかった。

そんな私を親も当然理解できなかった。周りの大人は中卒と高卒しかいなかった。学校を出れば男は工場だの大工だの漁師だの農家だのになるもの、女はさっさと結婚して子供を2、3人は生むのが当たり前で、勉強なんてする必要のないものだった。スーツを着る仕事といえば役場の人か車のセールスマンぐらいだった。親も親戚も半分高卒もう半分は中卒という環境だったから、私は突然変異のなにかだったのだろう。私が勉強ができることを何か嫌な目で見ていた。私は親から勉強をしているところを見られるのが嫌で家で勉強をすることが全くできなかった。

家にはパソコンが無かった。インターネットも当然なかった。私の情報手段テレビ新聞学校図書室だけだった。町には本屋もなかった。

私は決して学校勉強から遅れることはなかった。地元中学校から高校に進学するにあたっては、地元に一つある高校ではあまり偏差値が違いすぎたため、バス電車を乗り継いだ地方都市にある校区の最上位高に進学することになった。通学時間は片道2時間以上かかる場所にあった。私の中学校からそこに進学する生徒は数年ぶりだったらしい。交通費がそれなりに掛かる場所にあったが、親は文句一つ言わずお金を出してくれた。ものすごく感謝している。

あと、高校進学とともにスマートフォンが手に入った。ただ、当時スマートフォンを使っている人など一人としていなかった。都会では当たり前だったけど、田舎にはそんなものがなかった。私はインターネットをするためにどうしても必要だった。ガラケーでいいと主張する親をどうにかなだめて、スマートフォンを買ってもらった。iPhoneなどではなく、Androidポンコツだったが、インターネットにつながるというだけで私には十分すぎるものだった。町の中で完結していた私の世界が急に広がった。Twitterを初めてオバマ大統領アカウントフォローした時には、テレビ新聞世界を飛び出した自分が誇らしい気持ちになった。ただ、Twitterでは痛い発言をして、炎上というほどではないクソリプをもらって恥ずかしくなってアカウントを消すという10代の恥ずかしいことも経験した。

同時に高校では人間関係も様変わりした。周りの子たちはよく勉強をよくやっていた。そこで初めて予習復習の必要性を知った。教科書にかかれていることだけやっていては不十分だということだった。大学受験ではそれ以上の問題が出てくるという。私は教科書は一度読めば覚えるものだったので、まともに勉強したことがなく、それだけでは点数が取れない、という経験を初めてやった。参考書も初めて買った。高校があった街は私の住んでいたところよりは何十倍も都会と呼べるところだが、いわゆる地方都市の一つで本屋さんはショッピングモールに一つあるだけだった。私は午後6時にはその街をでないと家に帰れないので、学校が終わっての僅かな時間本屋に向かい、そこで少ないお金で買える参考書立ち読みしながら一つ選んで繰り返し繰り返し勉強した。何冊も買う余裕はなかったし、予備校に通うような時間もなかった。また私は乗り物酔いをしやすいので電車ではともかくバスでは本を読めず、スマートフォン参考書自分朗読した音声を吹き込んでそれを聞いて覚えるようにした。

その後私は大学受験をする。私の地元にはそんなことをする人は誰もいない。私の親は大学受験することは認めたが国公立大学限定した。仕送り必要だし、お金がないからだ。奨学金だって借りる必要がある。私はどうしても東京に行きたかった。東京じゃなくても東京に近い横浜でも千葉でも埼玉でもどこでも良かったが、とにかく都会に住みたかった。田舎の何もなさにうんざりしていた。私は映画が好きだったが、映画というのはテレビしか見れないものだった。運良く私の家はBS契約してくれていたのでNHK BSでやっている昔の名作などを録画しては見ることができたが、面白そうな新作映画テレビYoutube予告編しか見れないものだった。アカデミー賞カンヌを取るような映画は大抵東京最初にやって、その後に地方に回ってくるが、それも大都市限定される。私の住んでいたところはツタヤもなかったのでレンタルすらできなかった。私の憧れは渋谷ミニシアターヨーロッパのどこかの映画を公開初日に見に行くことだった。今思えばそんなつまらない理由だったが、東京に住むという強いモチベーションになった。また、東京には私のような地方から出てきた学生優遇してくれる寮もあった。一人暮らしなんて贅沢はとても言えなかった。

私はどうにか大学受験をして東京とある国立大学に進学することができた。親は私の入学式に出るために人生で2度目の東京の土を踏んだ。私がそんな都会で暮らすことに不安を覚えたらしいが、進む大学も住むところも何もかもすべてを一人で決めてきた私に言えることなど何もなかった。私は親の手には負えない存在だった。

初めての東京に私は圧倒されることになる。一番驚いたのは電車だった。SUICAや本数のことではない。広告の多さだった。駅も電車内も外も広告で満たされている。歩いているだけで色んな情報が入ってくる。私が子供ときに見ていた日曜日昼の番組中吊り大賞などというのがあって週刊誌記事を色々取り上げていたけど、中吊りというものが何だったのかを恥ずかしながらそこで初めて知ったのだった。とき週刊誌卑猥コピー小学生の頭の上で揺れているのにも衝撃を受けた。電車で立っているだけで世の中のことについて情報が入ってくる。それが東京最初に印象に残ったことだ。

私はよくありがちな大学生としてサークル活動も始める。そのサークルインカレでいろんな大学の人とつながることになった。私の出身地のことを話しても誰も知らなかったので、自己紹介では東京から私の町までどうやって行くのかを話すのがつかみとして大いに受けた。

そこである東大慶応学生たちと出会たことが、私の人生そして性格にも極めて大きな影響を与えることになった。お互いの情報交換をするなかで家庭の話になった。私の父は町の工場で働いていた。トヨタなどの大企業ではなく、ただの町工場従業員として何十年も変わらない仕事をしていた。それを話す私のことを動物園の珍しい爬虫類を眺めるような、そんな目でみんなは見ていた。そんな人は誰一人としていなかったからだ。ある男の親は商社マンだった。私が「商社ってなんですか?」と聞いたら何言ってるんだこいつ?って明らかに馬鹿にされたような顔をされた。私は三菱商事三井物産を知らなかった。三菱といえば車か銀行だった。三井遊園地だった。またある女の親はファンドマネージャーで、別の女の親は広告代理店、ある男は外資系企業渡り歩いているらしかった。全員都内実家があった。

私は、自分と彼らの家庭環境のあまり格差の違いを見せつけられる事になった。最大の違いは勉強する目的だった。何を勉強するとどのような仕事につくことができるのか、そのためにはどんな資格を取る必要があるのか、その仕事につけばどれぐらいの年収が得られて、どこでどんな生活ができるのか、それらを彼らは親や親族仕事から知っていたのだ。私はテストで点を取る以上の目的がなかった。テストで点数を取れればこれぐらいの高校大学に行ける、それ以上の意味がなかった。さっき書いたが親兄弟を含めて全員中卒か高卒なので勉強をすること仕事というのはほとんど無関係と言ってよかった。せいぜい工業高校で乙4を取れば、ガソリンスタンド仕事ができるぐらいの意味しかなかった。私は大学に入って、彼らと知り合うことで、大学によってその後の人生が大きく変わることを知ったのだ。

他にもある。勉強する環境だった。彼らは小学校から塾に通って勉強をして私立中高校の一貫校に行っていた。私は中学受験というものも知らなかった。そして中高一貫校では高校1年生などで高校カリキュラムを終え、その後の2年間で大学受験勉強をひたすらにするということも知らなかった。更に学校帰りには予備校に行き、夜遅くまで勉強をするのだという。私は興味があって、知り合った一人から予備校テキストを見せてもらった。そのテキストは私が受験勉強で解けなかった問題を非常にわかやす説明していた。こんなテキストは私の手に届く場所にあった本屋にもなかった。そのテキストを読んだときに私は涙をこぼしてしまった。彼は動揺していた。私は気づいてしまったのだ。

私は東京に生まれて彼らと同じ環境にいれば東大合格できた。

私にとって東大というのは雲の上で超天才がいく学校という印象だった。東大過去問を一度やってみたことがあるが、ほとんど解けなかった。それは私が頭が悪いからだとずっと思っていた。まあ、国公立大学に入れるぐらいなんだからそれでいいよね、というのが私の自分への評価だった。でも違ったのだ。私は勉強をするにはあまりに彼らと環境が違いすぎていた。勉強する友人にも小学校のうちからまれていた。誰も勉強ができることをバカにしたりはしない。親も勉強への投資を惜しまない。彼らが望まなくても英語勉強のために夏休みカナダ語学留学をさせて、ネイティブ発音などを身に着けさせていた。私は英語勉強が好きだったが、流暢な発音馬鹿にされるものであり、英語などは隠れて勉強していた。小さな声でMP3ダウンロードした英語スピーチを繰り返していた私とは違った。彼らは圧倒的重課金と、息をするだけで情報が入ってくる恵まれ環境により、私よりも進んでいただけだった。私が布の服と木の棒で戦っている間に彼らはトマホークミサイルを連発して、敵を木っ端微塵にしていたのだ。

私は自分人生を激しく呪うことになる。生まれ場所が違うだけで、家庭が違うだけでなぜここまでの差をつけられなければいけないのか。彼らは別に頭がいいわけじゃないが、環境だけで私よりもずっと高い学歴を獲得していた。それが悔しくて仕方なかった。私が入った大学別に悪い大学ではない。学歴としては十分に評価されるところだ。でも私は環境さえよければもっと上に行けたのだと。

私はショックだったが、私が住んでいたのは寮だったので部屋に一人で閉じこもって泣き崩れることもできない。私は一人でどんどん悪い考えに蝕まれていった。そして一つの結論に達する。私の住んでいた町は日本から捨てられた土地なのだと。

私が出会った家庭環境に恵まれた彼らは手に入れた学歴武器にこの後は一流企業就職したり官僚になったりするだろう。日本というのは東京大阪に住む一部の裕福な家庭から出てくる人たちで回せるのだと。私のようなど田舎に住んでいる人間そもそもいらないのだと。だから勉強する環境手段も与えられることはない。だから黙って地元で油にまみれて仕事をするか、子供をぽこぽこ産めと。

私が大学卒業した後の話だが、昨年文部科学大臣大学試験について「地方学生はそれなりに」といった発言をして相当問題になった。あれは政府本質なのだと思う。東京に住んでいる人間だけで日本は十分なのだ地方土地以上の価値はないのだ。今地方はどんどん衰退していっている。政府は口先では地方創生などと口走るが、実際はただただ衰退しているだけである高齢化が進む町にだって子供はいる。彼らを救う手段を国が与えたことがあっただろうか。

また、インターネットがあればどこにいたって勉強ができるという発言もよく聞く。あれは戯言だ。東京で使うインターネット地方で使うインターネットはまるで別物であるインターネットを使いこなすためにはまず存在をしらなくてはいけない。例えばPCプログラミングというもの存在を私の田舎認識することは極めて困難である。ただ、都会に住んでいれば、今となっては子供プログラミング教室などに通って小さいころからそういうもの存在を知ることができる。あるいはさっき書いた駅の中吊り広告だっていい。色んな情報が目に入るのだ。田舎では色んな情報存在を知る事もできない。そのような情報格差がある状態インターネットを使ったところで、格差が開く一方なのは容易に想像がつく。インターネットがあれば壁を超えられるというのは、何もわかっていない持っている立場人間発言に過ぎない。孫正義が優秀な子供奨学金を与えたりしているけど、田舎の子供は目立つ手段も知らなければ、そういう行動も取ることができない。結局ああいうので評価されるのは都会で恵まれた親からまれ子供だけである田舎の頭がいいだけで何も知らない子供はただだた埋もれていくだけだ。

話が脱線してしまったのでもとに戻す。

私は田舎を飛び出して東京まで来てしまった。田舎に私を受け入れる場所はどこにも残ってはいない。そして東京にも私が必要とされている場所はない。私のような田舎もの必要とする会社があるのだろうか。私は結婚をすることができるのだろうか。私は鬱々とした気持ちを抱えながらも、彼らに負けたくないと勉強に励むことに大学時代を費やした。奨学金も借りたしバイトもした。得たお金で高い専門書を買って、もとを取るように読みまくった。英語勉強も授業以上に独学でやった。ただ、海外に行ったのは一人でいった卒業旅行の一回だけで、そのときは非英語圏を選んだ。英語は今のところ仕事では役に立たないけど、日常生活での情報収集には役立っている。

とにかく必死だった。帰る場所必要とされる場所もないのであれば、自分で作るしかないのだと。そうがんばれたことが私にとって一番幸運だったということが今ならわかる。あのとき挫折して、引きこもりになっていたかもしれない。もしかしてテロリストのようになっていたかもしれない。あるいは当選の見込みがない政治家を目指そうとしてたかもしれない。そのどれにもならず、今私は社会人としてそれなりのお金を貰えるようになった。ただ、そのお金奨学金の返済を行っている。東京に生まれた人々は奨学金を返す必要もなく入ったお金自由に使って遊んでいるのだろう。私はまだ過去日本が課した呪縛から逃れられていない。

こんな意味のない文章を長々と書いてしまった。ここまで書いてしまったので誰かにまれたらいいと思うけど、おそらく増田の早いタイムラインの中で埋もれてしまう。私が日本が見捨てた小さな田舎で誰にも気づかれることもなく勉強をしていたときのように消えていく運命だと思う。でも書かずにはいられなかったし、誰かの目に止まって嘘松認定いいねの一つでもしてもらえたら、田舎でもがいていた中学生だった頃の私の自尊心が少しでも満たされるかもしれない。

追記1

めでたく嘘認定されたので、ちょっと補足しますね。今は業務休憩中。

高校には社長の息子とか医者ゴロゴロいたでしょって話について。

同級生にいたのは板金塗装屋の社長の子はいたよ。社長はそれぐらい。医者はいなかった。そういうお金持ちの子もっと都会の私立学校にいくのでは?うちは公立だったし。東京と違って地方公立の方がレベルが高いので。

同級生でいい家って言えば市役所の人。これは間違いない。あと警察官とか? 大手企業で働くお家とか? そういえば市議会議員の子もいたのを思い出した。つながり殆どなかったけど。

友達床屋さんの子どもとか、どっかの工場で働く人とかが多かったです。

でもみんなよく勉強してました。

同級生殆ど地元を出たはず。みんなどうしているんだろう。繋がりが切れてしまったので分からないので、あまりわかりませんが、facebook検索したときインターネット系の大手で働いている人はいました。

追記2

追記を書きました。

https://anond.hatelabo.jp/20201027203138

2020-10-24

anond:20201024084333

関係データベースの厳密な定義を考えるなら、キーバリュDBは主キーキーバリューが主キー以外のデータに相当する関係データベースに当たる

厳密に「無関係データベース」を定義するなら「バリューのリストで主キー存在しないもの」になるはず

身近なものでは、プレーンテキストリストとして扱えば、無関係データベースと言える (厳密にはこれも「行番号は主キーではないか?」という見方はできる)

2020-10-23

https://twitter.com/HiromitsuTakagi/status/1318549065626517504

パスワードに余計な制限いらないってことなんかね


自分が作ったものは空文字以外なら何でもOKにしてるわ

「a」だけでも通るけどそんなパスワード設定した側が悪いってことだし

一応POSTの制限デフォの 1mb は超えれないけど、数十kb なら問題ないし、適当ファイルをinputに投げ込めばファイルの中身がテキストとして送れるからファイル認証みたいなこともできる

2020-10-22

anond:20201022130009

アニメ映画他人創作したビジュアルイメージ(実写含む)に頼らず、小説、詩などテキスト作品のみ楽しむようにしたらいいんじゃないのか?

テキスト作品の中でも、モテ非モテは明瞭に残酷に断絶すると思うけどね

anond:20201020160713

自分国内より海外一人旅が好きなんだけど、旅行するたびにちょっとずつハードル上げていってるかな。

 英語無理ムリ、送り迎え付き台湾

→ 送り迎えなし香港国境越え中国

→ 初の東南アジアベトナム

韓国長距離バスを使って2都市周遊

→ 初のイスラム国家マレーシアマレー半島縦断シンガポール入国

で旅の間、結構キドキしてるので、あんまり退屈しない。

あと記録好きなんで、その時のことは1時間おきくらいにテキストしてるし、写真も撮ってる。

あと事前に超調べるんだよね。

から答え合わせ旅行みたいな楽しみ方してる。

他は食やコンビニの品揃えからみえ生活かな、「あれ、カップラーメンの味が違う」とか、「ほー、ベトナムではタイ商品結構幅きかせてるんだな」とか、「なんでも2本買ったらもう一本ついてくるな」とか。

2020-10-21

よく使うLinuxとかのコマンドどうやって管理してる?

Linuxはそんな普段使わないけど、AWS CLIコマンドとかはよく使う。

毎回テキストファイルを開いて、サンプルとして置いてるパラメータ編集するのがちょっと面倒なので、何かあれば知りたい。

2020-10-20

はてなダイアリーとは?

はてなダイアリーとは?

自分勝手イメージ

 ・お気持ち

 ・愚痴

 ・ポエム

 ・創作

これら全てを受け入れてくれる懐の深い場所

まり良識範囲で好きにテキストコンテンツをぶち込んでいったら良いはずだ。

良文・駄文の玉石混合、思想の坩堝がはてなダイアリーだ。

Twitterや5ちゃんねると同じ、ちょっとガラの悪い下町の遊び場。

で、実際はどうなんやろなw

2020-10-16

anond:20201016084503

自分学校試験は苦手だった。勉強方法がよくわからなかったのだ。ただ勉強しなくてもなぜか点は取れる得意科目というのがあって、それはそこそこできたので、トータルではそこそこだった。でも勉強ができない…というよりか自習ができないタイプだった。

社会人になって興味がなくても資格必要になったが、まだ会社ではあまり資格とってる人がいなくて、誰も教えてくれない状況で、ようやく自分なりの試験勉強のコツみたいなのがわかった。

アウトプットを先にして、それから必要情報にとりかかる。具体的にはテキストを読む前に例題から始める。

もちろん最初はほぼ0点だ。それから、回答を読み、この例題に答えるにはこういう情報必要…という関連のさせ方だとそこそこ暗記できることがわかった。繰り返すうちに例題間の相関みたいなものまでマップが出来てくるとさらに覚えられるようになった。テキストを読むのは最後最後ぐらいだ。これでようやく「興味がないことに強制的に興味を出させる(と言っていいのかどうかよくわからないが)」ような流れをつかめた気がする。

記憶力のアンバランスさについて

30代男性。昔からある種の記憶力のアンバランスで苦労してるのだが、あまり理解される事がないのでこの場に書いてみる。

アンバランスっていうのは短期記憶と長期記憶の極端な差とでもいうか。あ、でもちょっと違うか?

例をあげてみる。俺は地方出身関東引っ越してきて10年経つのだけど、テレビ局チャンネル対応が覚えられていない。NHK=2chというのは辛うじてわかるのだが、TBS, テレ朝, 日テレ, フジ, テレ東チャンネル対応を未だに覚えていない。うろ覚えだとそれぞれ4, 6, 8, 10, 5なんだけど多分どこか間違っている。

そんなクソ記憶力の俺だが、世間一般で暗記科目と言われているセンター試験世界史は98点だった。だけど世間でよく行われているような勉強法、例えば山川一問一答丸暗記みたいな事は一切していなかった。もともと高校進学前に全30巻くらいある世界歴史漫画を読み込んでいたので、最初から無勉でセンター過去問6割くらい解けた。で過去問10年分ほどを周回してたら自然に解けるようになった感じで、特に丸暗記はしていないのだ。

他にも学校勉強で言うと、小テストで課される英単語の丸暗記が全然ダメだった。定期試験の成績は赤点スレスレ。だけど語彙力自体テキスト読むうちに頻出語句勝手に身につくので模擬試験では高得点。そんなもんで、学校先生には俺の授業で手を抜いていると勝手因縁をつけられ評定平均は5段階で2。だけどセンター試験では180点取れて、高校卒業から10年以上経って受けたTOEICも800越え。知識長期間にわたって定着してるんだけど、短期的に丸暗記のような事をする適性が壊滅的という感じ。

で、こんな特性抱えたまま社会人になって10年ほど経って困っている事が2つ。1つは資格試験との相性の悪さ。なんていうか理論を問う問題記述式の部分はスラスラ行ける。だけど会社の同僚が「楽勝」という法規知識を問うパート全然できない。法律文言言い回しの違いの正誤を問うような問題全然頭に入らなくて、業務必要資格取得の労力が異様にかかってしまうのだ。

もう1つは上司との相性なんだけど、業務指示や進捗確認の細かいマイクロマネジメント型と非常に相性が悪い。多分上は良かれと思っているのだろうけど、仕事タスクをを1から10まで事細かに指示してくるタイプがいるじゃん。その指示された手順が全く覚えられない。メールベースで指示してくれるタイプならまだマシで、口頭指示を好むタイプとの相性は最悪だった。逆に1週間後までに〇〇をやっといて的な感じで、大まかなゴールまと納期だけ指定してくる放任型の上司とはすごく相性が良いのだ。で、もうじき俺は異動するみたいなんだけど次の上司はおそらく几帳面マネジメントかましてくるタイプ。今の段階で評価が低くなる事は覚悟している。

そんなこんなで長々と書いてしまったが、俺のような記憶力の特性ってあまりいないようで全然共感されないのだ。一時期はアスペルガーとか近いかなとかも考えたのだけど、よくわからん。似た境遇の人、増田には何人かいらっしゃいますかね?

2020-10-14

悟りとか涅槃とかそういうの

 年明けから少し経った頃に悟りました。

 とは言え、悟りとか涅槃とかそういうのについてあんまり期待をし過ぎるのもよくないかもしれない。知人に数年前に知り合った六十代の男性がいて、その人は真言密教への造詣がメチャクチャ深くて、僕は以前その人に「悟りっていうのは一体何なんですかね」という意味質問したことがあったんですね。

 更に続けて「やはり平穏というもの根本にはあるんでしょうか」と。

 その知人の男性は少しばかり考えた後で、「例えば自分の命を捨てないと、ある子どもの命が助からないとするじゃないですか」、

「たとえば、そういう時になって自分の命をちゃんと捨てられるのが悟りなんですよね。だから、時にそれは平穏矛盾していて、平穏を捨てる選択をしなければならないんですよ」と答えてくれたのでした。


 この世には本当の苦しみというものがある。例えば、人間拷問を受ければ簡単にぶっ壊れる。僕は、昔の中国のある女官が受けた拷問の話を、中学生の頃から心の中に時折反復するのが癖になっていて、その拷問の話は、「ああ、苦しみというものはこういうものなんだな」という素朴な考えを当時の僕の心に刻み込んだ結構辛い話なので、ここでは省かせて頂くんですが。ともかく、人の心というのは凄く脆いので、原理的には悟ろうが悟らまいが外部からの刺激によって簡単にぶっ壊れてしまう、そういうものであることは間違いないと思われます

 そんなこんなで、悟りっていうのははっきり言えば、現実的には全く役に立たない。しかも、基本的にそれを伝えることはとても難しいことなので、誰かにこうやって言葉にしようとしたところで、「ハアあなたは何を言っているのかね」と言われるくらいが関の山なのであって、正直なところ僕は今このテキストを書きながら途方に暮れているのです。けれども、それでもなお伝えたいんだけれど、それは結局「愛情を持つことによって、自分自分から離れる」ということになるんじゃないかと思う。

 上手く伝わってくれると良いんだけれど、それが悟りなのだと。


 勿論僕には個人的問題というものが未だに幾つか残っていて、そういう問題というのは、悟ろうが悟らまいが打ち波のように押し寄せる。ひとしなみに、僕にもまだ問題というものが幾つか残っていて、そういうものから完全に解放されたというわけじゃない。例えば洗濯物が溜まっているのを何とかしなくてはいけない。

 いずれにせよ、そういう個人的問題を、個人的方法によって解決する際に得た教訓のことを、僕は便宜的に悟りと呼んでいるのです。

 僕の得た教訓というものは、全くもって一般論的な教訓に結びつかないかもしれない。何故ってそれはとても個人的問題解決だったからで、つまり僕の得た教訓や問題解決手段はあまりにも個別的過ぎて普遍性を獲得し得たかどうか定かでない、ということなのです。

 それでも、やはり人は同じような結論に辿り着くんじゃないかなと。

 個々の抱えている問題の種類や、あるいはその個々の問題に対する解決アプローチ千差万別であったとしても、最終的な結論というものは大差なく、「愛情を持って自分自分から離れる」ということに落ち着く気がするのです。


 勿論、原理的には救いなどは存在しないのかもしれないし、僕が一時的に抱いた安堵は人生のどこかしらの時点で打ち砕かれるのかもしれない。

 そんなことは僕にも分かっていて、今更取り沙汰する気にもなれない。

 でも、結論から言えば僕の輪は一度はきちんと閉じたのだから、仮にもう一度輪が綻びたとしても、またいずれ気まぐれに、その輪が閉じる瞬間は訪れるのではないかと。そんなことを思うのです。


ボイスロイド日本語を喋らせようとすると難しすぎるんだが

ボイスロイドテキスト入力したら音声で読み上げてくれるソフトだ。

日本語日常的に話しているが、日本語の音声について勉強したことはない。

英語発音記号は見たことがあるが、日本語の音素は馴染みがない。

モーラってなんだ、となる。


実際しゃべらせてみると違和感が多い。

そして、どう調整したらいいかがわからない。

手当たり次第にパラメータを触っても違和感が残る。

Undo機能や、ちょっと良さそうなパラメータを保存機能がないので、段々どれがいいのかわからなくなる。


完全に自動なら違和感があっても仕方ないなと思うが、

人の手で修正しようとしても直すのが難しい。

2020-10-13

マークアップ言語プログミング言語

マークアップ言語には、markdown, html, wikiなどがあげられると思う。

また、xml, jsonなどのデータマークアップ言語と言ってよいだろう。

プログミング言語よりは、簡単だし、ファイルも軽量だし。

かといって、資格必要な訳ではなく、簡単だ。

もっとテキスト世界が拡がって欲しい。

単にツールだ。

しかし、プログミング言語を記録するのはマークアップ言語なのだ

マークアップ言語プログミング言語ノートになっている。

マークアップ言語が出来るようになる一番の近道は、マークアップ言語恋人とやり取りすることだ。

マークアップ言語を使うと画像を組み込むことが出来る。

絵文字は使えないが、効果的な顔文字を使うことは出来るはずだ。

  

さて、texマークアップ言語なのか、プログミング言語なのかどっちだろうか。。

  

まずは、マークアップ言語から勉強するのだ。

  

ペンタブレット無線機から覗いていたのか

ゴミクズ

ペンタブ無線USBディスプレイスクリーンショット盗撮

無線マウスと同じ手法

回線がおそすぎる環境だとデータ盗むとこまで行けない

多分せいぜいテキストまりだろ

2020-10-11

追記あり音楽情報の共有サービスを作ったので使ってみてほしい

表題の通り、WebサービスiOSアプリ)を作ったので、使ってみて感想を聞かせてほしい、というのが投稿目的だ。

ただ、せっかく増田投稿するのだから制作物の宣伝に終始するのではなく、開発していて考えたことや制作背景を書き添えたいと思う。ここにはエンジニアデザイナー、また技術職でなくてもWebサービスに携わる人、インターネットを使って遊ぶことが好きな人が多いはず。そんな人たちの向けの四方山話として、思考一助となれば幸いだ。

サービスについて

Chooningという音楽情報の共有サービスを作った。

https://chooning.app/ja/


機能を一覧してもらうと分かる通り、Spotify APIによって支えられている。後述する課題認識があってもやもやしていたところに、あるキッカケでAPI Referenceを目にし、それを読んでいるうちに上記機能実装が思い浮かんだ。

Web API Reference | Spotify

https://developer.spotify.com/documentation/web-api/reference/

(けっこういろいろ公開されていて、コンソールから叩いているだけでも楽しい。)

今後追加しようとしている機能

他にこんな機能があったらもっと楽しめそう、というアイデアがあれば教えてほしい。

開発していて考えたこ

こんなサービスをつくるのだから当然だが、ぼくは音楽が大好きだ。いま、このサービスには毎日何かしらの投稿がされる。DBウォッチしていて、投稿があるとその曲を聴き、アーティストについて調べ、MVを見る。ローンチして3週間が過ぎ、数千件の投稿がされているが、全ての投稿をきちんと読み、そこで語られる音楽や界隈の文化について調べている。これがたまらなく楽しくて、気づくと一日が終わっている。

“一日が終わっている”はさすがに比喩で、サービスデザインを作ったり追加機能設計を考えたりユーザー増加施策を講じたりとしているが、集まってくる投稿を読んでいると時間が溶けてくし、その体験を更に充実させるためにと機能改善・追加機能アイデア自然と出てくる。

こういった熱中・没頭状態は、大学時代学祭や、自社サービスをやっていたベンチャー企業に飛び込んで昼夜開発に勤しんでいた日々にもあった。好きな分野でものづくりをしていると陥る状態で、経験者も多いと思う。

長いことスタートアップ界隈には「流行りそうなWebサービスを作ってバイアウトして一攫千金!」みたいな夢があって、ここ何年かはそれ自体エンジニアリングやデザインを学ぶとき目的と化している人の割合も増えてきた。ぼく自身がそういったモチベーション新人の育成にあたったこともある。自分にはそういった風潮が合わず、うまくやってこれなかったという引け目がある。興味のない分野でも攻略していくこと自体が得意で、淡々技術を学べる人は凄いと思うが、もし自分と同じようにそれが苦手だと感じた人は、諦める前に「好きなもの、作りたいもの」を見つけることをやってみてほしいと思う。

プログラミングスクールに通うにしても、作りたいものがあるとないとでは大きく違う。もちろん、どうしたら何が作れるのかという知識がなければイメージもわかないかもしれないが、その場合は何かを解決したいとか便利にしたいという思いを持っているだけでもいい。特に学生時代は具体的な技術習得よりもそういった見聞を広めることが、何より開発を楽しいと思える素地になると思う。

開発背景(このプロダクトをつくった理由

ぼくはSpotifyを利用しており、本当に膨大な音楽聴くことができるようになったが、その反面、CDを買って(レンタルして)きていた時代と比べると、楽曲アルバムに対して深い感情を抱くことがなくなってしまったなあと感じるようになっていた。部屋で聴いている音楽が、データという存在の域を出ず、自分の部屋に入ってきてくれない。音楽を聴いているが、素早く消費しているだけのような気がして、曲と自分の間の関係希薄になりつつある気がしている。これはストリーミングサービスの利用によるものなのか、加齢による感受性の低下なのか判断がつかないが、前者が理由仮定して作ってみたのが今作だ。

ストリーミングで聴いた音楽について、自分の思いや感想を書き起こす時間を設けること。投稿自身タイムラインコレクションされていく様子は、高校時代に部屋の棚にCDを飾っていたときを思い出す。Spotifyを「たくさんの音楽出会空間」とするならば、Chooningは「出会った音楽の中から気に入った音楽を連れてきて、改めて向き合う空間」と位置付けることができる。この二つの営みは共存し、互いに影響し合うことで人間音楽関係を良好にしていくはずだと考えている。

最後

法人主体がないとプレスリリースに制約が発生することを知らなかった(会社で使っているようなプレスリリースサービスを利用しようとしたら、法人格がないと無理だった)。仕方なく幾つかのメディアに直接プレスリリースメールで送ってみたけれど、当然のごとく梨のつぶてだ。つまり現状は利用者が友人の友人くらいの域を出ず、その状況を打破したくて増田投稿してみたという次第だ。この文章音楽好きの人たちに届くことを願っている。

追記(2020/10/11 23:22)

コメントトラバありがとうございました。レスに関してnote公開しましたm(_ _)m

https://note.com/chooning/n/n60a8c345dda7

2020-10-10

Excelで出来そうで出来ない機能




文字を四角で囲む(図形やテキストボックス使うとかじゃないよ)




他にある?

2020-10-07

今すぐプログラミングをやめろ

お前にゃ無理だ。

なんでテキストファイルの保存の仕方も分からない奴がプログラミングしたがるんだ?

プログラミングって何だか分かる?コンピュータ操作自動化することだよ?何でコンピュータ操作知らないのにプログラミングをしたがるのか、本当に意味からない。お前のやろうとしてるのは、電車に乗る気ないのに切符の買い方勉強してるようなもの

要するに、お前は本当はプログラミングがしたいんじゃなくて、単に「プログラミング」って言葉流行っているからそれに飛びついてるだけなんだよ。お前、子供の時からずっとそうだったろ?サッカー流行ればサッカーしようするし、テニス流行ればテニスをしようとするけど結局長続きしなかっただろ。

何かを深く考えるわけでもなく、何かに真剣に打ち込むわけでもなく、ただ誰かに言われたことを中途半端にこなしてその場をやり過ごすだけ。お前はこれからもそうやって生きていくんだよ。

anond:20201007100345

これはある。

昔のネトゲだとテキストだけだからまず女を見分けるのも難しい環境だったが、今はボイスチャットスタンダード

性格終わってなきゃ結構イケる。

2020-10-04

感謝って強要の末にされてうれしいものですか?

最近子供が産まれました。

おかげさまで母子ともに健康。待望の子供で夫婦や互いの家族祝福ムードに覆われている。

私も純粋に嬉しい気持ちでいます

子供が産まれて改めて分かったのが、様々な人が物理的な祝福をしてくれること。

それ自体純粋に嬉しい。半返しという日本の慣習もそんなに悪いことだとも思わずに楽しくお返しを考えていたりする。

だが、一つだけ納得のいってないことがある。

やや遠めの親族からも祝福を頂いたことがキッカケで、この親族へのお礼をするようにと私の家族(具体的には両親・兄弟から事細かな指示をされているのだ。

半返しについては検討し、対応することを伝えていたがそれだけでは足りないらしい。

最低でも感謝電話必要で、電話の中でもいくつかの細かな要件があった。

細かく紹介は出来ないが、「”希望のものじゃなかった”とか言わないこと」といったものである。(言われなくても分かっている)


ここで一つ前提がある。

私は電話死ぬほど嫌いなのだ

電話というものは不意に私の時間を奪っていく。こちらは必要としない情報を無理やりプッシュしてくる。

こちから電話をする場合においても”始まりと終わりの定型句”が存在しているが、それらを唱えるのも嫌いである。(どうも朝早くから・・夜遅く・・・xxと申します。〜中略〜改めてありがとうございます。失礼致します。 というやつだ)

仕事しか使わないような言葉リラックスしている日常において使うことに対する嫌悪感なのかと認識している。


それが私にとって必要イベントであるならばこれまでも受け入れてきたが、今回は(家族にとって大切なのかもしれないが)私にとっては必要イベントだと思っていない。

半返し感謝表現できればそれでよいと思っている。(実際に感謝をしているからこそ、そのようにする)


私の家族気遣いの鬼という程に気を遣う人たちで、あらゆる人達と友好関係を築いている。その点ではリスペクトしている。

だが私には私の生き方もある。

話が通じないわけでもないので、なかば怒りに任せた形ではあったが純粋に「嫌だ」という気持ちを伝えると、家族から感謝を代弁してくれる形で事なきをえた。


実際のところ、このように「強要された感謝」をされて人は嬉しいものなのだろうか。不思議に思っているので残しておく。

(もちろん強要された感謝かどうかは判断つかないだろうが)

ちなみに、この遠めの親族半返しが届くと電話感謝を伝えてくれる。(過去にもあった)

その入電を受けること自体はそれほど嫌悪感なく対応できるが、出来ることなテキストで伝えてほしい。

2020-10-02

ネット議論の質の向上、場作り・進行について

白熱レスバトル教室

日本人議論が苦手だ、とは長年言われてきた。実際どうだかは知らない。比べるほど世界を知らないかである日本では西欧に比べて議論が好まれない、と主張する文化論がある。これは実体験として概ね正しいと思える。実際にそうかはわからないが。

ともかく日本人議論もしないし苦手と言われているにも関わらず、ネット上では議論が盛んだ。ネット上で議論するようなレスオタク野郎にはリアルの居場所がないからかもしれない、が、ともかく日本人ネットでは活発に議論している様が観察できるのである

議論破綻

しかし、ここで憂慮すべき事態は、ネット上の議論ほとんど噛み合わないということである。例えばTwitter、例えば増田、5ちゃんでもYouTubeコメント欄でもいい、少しページをめくれば簡単議論ダイアログは見つかるが、見つかるものはどれも頭が痛くなるような破綻した議論である。このような破綻した議論の多くが

論点がはっきりしない、ずれている

・主張の根拠が示されていない

主観客観区別がない

複数の論がある場合反論しにくいものスルーされる

相手発言を認めない

・最終的に相手批判して終わる

のような特徴を持つ。多くの場合人がネット議論を始める動機

相手矛盾をつきたい

自分正当性を示したい

というものではないかと思う。その欲求に従って議論すると上記のような実のない議論になりやすいのだろう。また、テキストによる議論では相手の反応が窺えないためすれ違いが生じやすいと言うのも理由の一つだろう。更に、インターネットには知識の量・方向性が異なる様々なか人間がおり、背景知識の共有がなされていないというのも大きな問題の一つである

議論の場を作ること

りある議論を行うにあたって重要なことの一つが議論の場を作ることだ。議論目的を設定し、事前配布資料を用意し、進行をおき、書記をおき、発表者をおき、聴衆をおく。各々の役割分担をはっきりさせ、進行役に従って議論を続けることが望ましいだろう。

石川氏vs青識氏

インターネット上で果てしない議論を生んだ案件の一つに石川優実氏発端のkutooがある。

ジェンダーという誰にでも参加しやす議論

差別というセンセーショナル話題

・本人からレスポンスが貰いやす

と、レスバトルを発展させやすい格好の材料だったと認識している。この案件の特徴的な点は「進行役を設定してルールを決めて討論会」を開いた点である。発達バズりアカウント借金玉氏主導で、彼の友人でありネット論客自称するアカウントせいしきあろん氏(変換がめんどくさい)と石川氏がプレゼンテーターとして聴衆を招いての討論会を行った。これは今までのネット議論ではなかった画期的な試みである自分はこれに大変期待した。現地には赴かなかったものの、有志のメモツイート殆どに目を通した。

特に最終的にアジテーションに終わったと言う点から(また他の様々な理由で)この討論会には失望しかなかったが、それはともかくとして、あの討論を開こうとしたこと自体は素晴らしい行為だったと思う。最近では、ネットレスバトルをしていたもの同士がツイキャスで公開討論を行うこともあり、レスバトルに時代の風を感じる今日この頃である

ネット議論の場の現状

ネット上の議論ホットスポットといえばTwitterだろう。Twitter議論の場としては最悪である

話者にとって

・140字という制限

・横やりが入りやす

・ツリー分化議論が散漫になりやす

聴衆にとって

発言を追いにくい

・後から見返すことが難しい

という絶大なデメリットを抱えている。また、基本的議論は2者の間でしか行えない。グループ議論すること(討論)は出来ないのである。これは大きな制約である

ネット議論の場作り

インターネットで質の高いレスバトルを繰り広げるための案を考えてみた。

①進行役を設定すること

②議題を絞ること

議論目的を設定すること

議事録をつけること

⑤外部ツールを用いること

である。無論こんなに意識の高い議論などなかなか成立させられるものではないだろう。だが、少しずつなら可能だろう。クソリプがついたらすかさず「②〇〇についてわたしはこう、あなたはそう思うんですね。③あなた意見理解したいのでもう少し話してもらえませんか?××についてはどうお考えでしょうか?」と畳み掛け、議論の場に引き摺り出すのである。④はTogetterなどによって実現可能だ。①については難しいが、ツイキャス討論会を開くのと同じ程度の労力だろう。

先ほどからリプが続いておりますがこのままでは水掛け論です。進行役に@unchiburivurigogogoさんを招いて議論しましょう

とかなんとか書けば済む話である

⑤は、Twitterよりも議論に向いたSNSレスバすることだが彼に関しては適切なものを見つけられていない。Wikipedia議論のページのようにテキストでの議論のために設計されたもの必要だ。さらに、匿名アカウント開設が簡単スマホで見やすいことが最低条件だろう。さらにそこに、議長AIなどがいれば完璧である。例えるなら白熱教室マイケルサンディルのように(例えが適切か自信がないが)、話者発言趣旨を汲み出しながら議論を進めるAIがそのうちきっといつか開発される筈だ。

さいごに

ここまで書いていて思ったが、wikiの討論ページならオープンソースで誰でも開設できるじゃないか少子化、働き方、移民表現の自由、とか、その辺のセンセーショナル話題掲示板感覚ひとつ開いてみれば良いのかもしれない。

ノートに何を書けばいいのかがわからない

Fラン大卒なのだが、独学の時に何をノートに書けばいいかからない。

学生時代は板書や先生が言っていたことを書けばいいと思いそれだけを書いていた。

社会人になり独学で色々勉強し出してからノートを買えど何を書いていいかからず、

とりあえず講義動画を見て、テキスト赤線を引くくらいしかできない。

ノートに何か書こうと思うと、完璧ノートにしなくちゃいけない、

みたいなクソみたいな自意識が出てきて結局何もかけずに終わる。

ノートには何を書けばいいんだ。

というかどうやって使うものなんだ。

もう32にもなるのに遅すぎる悩みかもしれないが…

追記

めっちゃ伸びてて焦った。

トラバブコメも一通り読みました。

皆さんのコメント等参考にさせて頂きます

皆さん本当にありがとう

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