おかげさまで母子ともに健康。待望の子供で夫婦や互いの家族も祝福ムードに覆われている。
子供が産まれて改めて分かったのが、様々な人が物理的な祝福をしてくれること。
それ自体も純粋に嬉しい。半返しという日本の慣習もそんなに悪いことだとも思わずに楽しくお返しを考えていたりする。
だが、一つだけ納得のいってないことがある。
やや遠めの親族からも祝福を頂いたことがキッカケで、この親族へのお礼をするようにと私の家族(具体的には両親・兄弟)から事細かな指示をされているのだ。
半返しについては検討し、対応することを伝えていたがそれだけでは足りないらしい。
最低でも感謝の電話が必要で、電話の中でもいくつかの細かな要件があった。
細かく紹介は出来ないが、「”希望のものじゃなかった”とか言わないこと」といったものである。(言われなくても分かっている)
ここで一つ前提がある。
電話というものは不意に私の時間を奪っていく。こちらは必要としない情報を無理やりプッシュしてくる。
こちから電話をする場合においても”始まりと終わりの定型句”が存在しているが、それらを唱えるのも嫌いである。(どうも朝早くから・・夜遅くに・・・xxと申します。〜中略〜改めてありがとうございます。失礼致します。 というやつだ)
仕事でしか使わないような言葉をリラックスしている日常において使うことに対する嫌悪感なのかと認識している。
それが私にとって必要なイベントであるならばこれまでも受け入れてきたが、今回は(家族にとって大切なのかもしれないが)私にとっては必要なイベントだと思っていない。
半返しで感謝を表現できればそれでよいと思っている。(実際に感謝をしているからこそ、そのようにする)
私の家族は気遣いの鬼という程に気を遣う人たちで、あらゆる人達と友好関係を築いている。その点ではリスペクトしている。
だが私には私の生き方もある。
話が通じないわけでもないので、なかば怒りに任せた形ではあったが純粋に「嫌だ」という気持ちを伝えると、家族から感謝を代弁してくれる形で事なきをえた。
実際のところ、このように「強要された感謝」をされて人は嬉しいものなのだろうか。不思議に思っているので残しておく。