2020-10-04

感謝って強要の末にされてうれしいものですか?

最近子供が産まれました。

おかげさまで母子ともに健康。待望の子供で夫婦や互いの家族祝福ムードに覆われている。

私も純粋に嬉しい気持ちでいます

子供が産まれて改めて分かったのが、様々な人が物理的な祝福をしてくれること。

それ自体純粋に嬉しい。半返しという日本の慣習もそんなに悪いことだとも思わずに楽しくお返しを考えていたりする。

だが、一つだけ納得のいってないことがある。

やや遠めの親族からも祝福を頂いたことがキッカケで、この親族へのお礼をするようにと私の家族(具体的には両親・兄弟から事細かな指示をされているのだ。

半返しについては検討し、対応することを伝えていたがそれだけでは足りないらしい。

最低でも感謝電話必要で、電話の中でもいくつかの細かな要件があった。

細かく紹介は出来ないが、「”希望のものじゃなかった”とか言わないこと」といったものである。(言われなくても分かっている)


ここで一つ前提がある。

私は電話死ぬほど嫌いなのだ

電話というものは不意に私の時間を奪っていく。こちらは必要としない情報を無理やりプッシュしてくる。

こちから電話をする場合においても”始まりと終わりの定型句”が存在しているが、それらを唱えるのも嫌いである。(どうも朝早くから・・夜遅く・・・xxと申します。〜中略〜改めてありがとうございます。失礼致します。 というやつだ)

仕事しか使わないような言葉リラックスしている日常において使うことに対する嫌悪感なのかと認識している。


それが私にとって必要イベントであるならばこれまでも受け入れてきたが、今回は(家族にとって大切なのかもしれないが)私にとっては必要イベントだと思っていない。

半返し感謝表現できればそれでよいと思っている。(実際に感謝をしているからこそ、そのようにする)


私の家族気遣いの鬼という程に気を遣う人たちで、あらゆる人達と友好関係を築いている。その点ではリスペクトしている。

だが私には私の生き方もある。

話が通じないわけでもないので、なかば怒りに任せた形ではあったが純粋に「嫌だ」という気持ちを伝えると、家族から感謝を代弁してくれる形で事なきをえた。


実際のところ、このように「強要された感謝」をされて人は嬉しいものなのだろうか。不思議に思っているので残しておく。

(もちろん強要された感謝かどうかは判断つかないだろうが)

ちなみに、この遠めの親族半返しが届くと電話感謝を伝えてくれる。(過去にもあった)

その入電を受けること自体はそれほど嫌悪感なく対応できるが、出来ることなテキストで伝えてほしい。

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