はてなキーワード: カリとは
犯罪・権利侵害・転売・同調圧力・エロ至上主義・無産叩き・不潔オタクとかも嫌いなんですよ。
究極言っていいっすか?
コミケってつまるところ、「他人の著作権を侵害している人、エロがいちばん大事な人、不潔なオタク、そういった連中が自分たちの楽園を作るために同調圧力に酔って形成した異空間」じゃないですか。
ムシコロリとかのパッケージにかかれてる害虫を集めて作った闇鍋と同じぐらい汚らわしいんですね。
まあコミケが単なるイベントならいいですけど、いつの間にかオタクの最高峰とか聖地とかになってんじゃないですか。
マジでうぜーんですよ。
たとえばラーメンオタク極めたら次郎好きになるとか車オタクはGT-R乗るものだとかそういう風潮があったら(ていうか一部にはあるんすけど実際)マジでゴミでしょ?
そのゴミが界隈を我が物顔で吹き荒れてるのがマジでうぜーっていうか、尊敬してるクリエイターまで「コミケまじ最高です!才能のある人はみんなここから始まりました!」みたいな感じのこと言うのがほんまガッカリやなって。
共産党がコミケぶっ壊すと聞いて私ちょっと心が揺らいだんですよね。
まあ表現規制のやり方がゴミオブカスなんでぜってーありえねーんですけどそれでも揺らいだんですよ。
それぐらいコミケが嫌いなんですよね。
せめて準備会とかいうお友達カルト状態の安倍ファミリーチックな集団が本気で自浄作用働かせてくれるならまだしもアイツらマジで身内に優しくすることしか頭にない頭アベなんで。
オタクに都合がいいけどコミケにだけ都合が悪い政治家がマジで欲しいんですよ。
なんでかっていうとコミケと戦ってくれるけどオタクごと滅ぼすやつと、オタクを守るけどむしろコミケこそを守ろうとするために他のものをバーターで捧げかねない奴ら、その2択しかないからですね。
私はコミケが嫌いなオタクなんで、コミケを滅ぼしてくれるオタクの味方が欲しいんですよ。
まあ当たり前のこと言ってますね。
そうですね。
岸田で議席減らして結果的に安倍麻生の影響力がまた強くなってしまうくらいなら、今回はいっそ自民に入れよかとも思ったけど、カルト教団って…
ネオリベのゴミクズは竹中平蔵のケツ穴舐めて下痢便啜って「やっぱりトリクルダウンはありましたぁ!」とか言ってりゃいいので論外中の論外やし、
そんじゃあ野党かと思うと、共産党。まあええよ俺ずっと共産党投票してた時期あったよ。
でも…候補者は髪型でジェンダーフリー感出してきてるレインボーウーマン。いや俺も性的マイノリティ差別はアカンと思うよ、でもそこ推しで来られてもさ。だいたいレインボー消費とか言って無い需要をあるかのように言ういつもの電通のやり口に共産党が乗っかってどうすんの、っていうか。まぁあと共産党のダブスタ露呈にはガッカリしたってのがあるわな実際。
昔からありとあらゆる場所で定期的に言われてるけど「裏切られたのではなく自分が期待しすぎただけ」という価値観を持ったら本当に人生が楽になった。
離婚の原因は「自分も元パートナーも相手に期待しすぎていた」ことだと思う。
元々価値観が合わないのもあったが、お互いに相手が変わってくれることを期待していた。
そんなんだから「自分は頑張ってる、我慢しているのに相手はそれを認めてくれない」と言い合って喧嘩ばかりしていた。
離婚後に「相手には期待をしない」が根付いているパートナーと出会い、紆余曲折あったがその人と過ごすことでいかに自分が相手に対して勝手に期待していたかを気付かされた。
割と尽くしたり世話を焼く方で、あれこれとパートナーにしていたが相手はそれに見合うだけのものを返してくれなかった。
それに不満が溜まってぶつけたところ「自分はなにかしてくれと頼んだことは無い」とすげなく返された。
その時「たしかに」とめちゃくちゃ腹落ちした。
自分は相手に好かれたい、愛情を返して欲しいと見返りを求めて奉仕していたのだと痛感した。
ましてや見返りがないことに不満を抱くなど。
それからは更に尽くすようになったが見返りが欲しいとは思わなくなった。
自分がしたいようにしていることを受け止めてくれているパートナーをありがたいとすら思うようになった。
それに期待をしていない分なにか見返りがあるととても嬉しく思う。
相手が自分に対して何かしたいと思ってしてくれたのだと前よりも深く思うようになった。
恋愛に限らず仕事や友人に対しても期待するのを止めたところしょうもないトラブルや誰かを憎む気持ちが一切合切消えた。
フラットな気持ちで接すると、一般的にガッカリすると言われるようなことが起きてもなんとも思わない。
感情や価値観を全て自分起因にすると相手から影響を受けないのでメンタルもかなり安定する。
ドライだと思われているかもしれないが、被害者意識を捨てたことでむしろ以前より他人のことが好きになった。
とっくに引退したから今更って感じだけど、どこにも書けないのに自分の中には残っててモヤモヤするから書き散らす。
TLで盛り上がってたからちょっとやってみようかな、程度。別にDオタでもイラスト原案先生のファンでもない。
ただ単にストーリーが深い!みたいな考察をちらっと見ただけ。確か2章の話だったと思う。
で、ゲーム内容を自分でもちょっと検索して、サバナのレ推しになった。
むしろ、この頃本命は教師陣だった。でも攻略対象というか、カードにはならないというのは分かってたので、別の推しを探した。
リズムゲームは苦手で、それがネックだったけど、そこはあまり重要じゃないしやり込む必要はないと聞いたので安心してた。
1章と2章、3章が配信されたのでもうその時はウキウキしながら読んでた。
この時点では、自分の理解としては「Dヴィランの行いが『正しいもの』として描かれている世界」と認識してた。
ヴィランのヴィランたる、他者を蹴落としたり出し抜いたり、狡猾さや陰険さが『正しい』とされる世界なんだろうな、と。
各寮でグレートセブン、と擁するぐらいだし。
むしろ「顔のいい男による、腹黒い嫌味や皮肉合戦」を期待してた。寮対抗で蹴落とし合って成績を競うとか、悪役同士の腹の探り合いとかそういうの。
でもふたを開けてみれば、ただ男子高校生がわちゃわちゃしてるだけで、
「努力しないで成果を望むなんて浅はか」
とか勧善懲悪もいいところで、どこが悪役のストーリーなんだ?と。
2章はまだ楽しかった、と思う。でもそれも一時的な周囲との盛り上がりによるものだったんだろうな、と。
3章で、「オクタ寮そんな悪いか?」「むしろ悪いのはグリムとかでは?」「アズール可哀そうでは?」とキャラクターやストーリーに共感しづらくなってた。
2章をふと振り返り、「裏工作は罰したのに、試合に出れなくするために大けがさせた罪は不問?」とかいろいろモヤりだす。
ゲーム内では、傲慢なルールを強いたリドルが心を入れ替えさせられ、後輩を使ってズルい手で試合に勝とうとしたレオナが罰され、合意の上で契約して労働させていたアズールが出し抜かれて、と悪役を懲らしめて終わってる。
つまりはそういった行いは駄目、ということ。
それってグレートセブンとして掲げてる各寮の精神や理想、ヴィランらしさを否定、ということでは?と、いろいろわからなくなってしまった。
推しに選んだからには、多少は注視してストーリーを追ってたレオナも、「実力はあるがそれを隠し、周囲にはあまり関心を持たないが、いざという時には頼りになる」的なポジションかと思いきや、
「王家の次男に生まれながらその立場を疎い、親や兄への嫌がらせの為に留年して好き勝手してる怠け者」でしかなくがっかりした。
(個人的な話、サボりからの留年で反省ナシは地雷でこの時点でもう推せなくなってた)
加えて2章終了時の甥に慕われてる設定でもう駄目だった。
本人は実家を疎いながらも家族は温かく見守ってる、とか、不遜で周囲からは怖がられてるけど本人は甥からおじたんとか呼ばれてるかわいい一面もある、とかそんなん要らん。
悪役は徹頭徹尾、悪役であってほしかった(でもここは自分の先入観が多く入っているので、共感は得られないとわかってる)
本編を読み終えてしばらくは浸ってたけど、4章のスカラビア寮の話が全く理解できなかった。
楽天的な主人とそれを疎ましく思う従者、しかし互いへの理解がおかしい、という相互理解のずれを言いたいのは分かった。
自分を主人としていながらも相手を従者としてではなく友人といい、でも扱いは従者のそれ、っていう歪なカリムと、変えられない立場を理解していながらも主人に対して反旗を翻したジャミル。
この関係、完全に終わってる。詰んでる。なのにまだ学生生活続ける?主人を砂漠へ飛ばしておいて?
ジャミルの心境や境遇何かしらを理解して受け入れたカリムの優しさで、ジャミルの親や兄弟が生かさてるのにそれに胡坐かいて「お前は友達じゃない」とかよく言えるな。
各キャラの設定がゲームのストーリーとか描写でひっくり返されたりねじられたりして、何が正しいのかわからなくなってきた。
フェアリーガラはまだ楽しく見れてた。
でもゴスマリと星イベ、この二つはムリだった。さらっと流してイベント配布だけ回収はした。内容はあんまり覚えてない。
バースデーが実装されて、「何もない期間にバースデーカードを実装することにより課金回収」っていう運営の意図が透けて見えて萎えた。
その後の長すぎるスケモンとか5章6章を、TLに流れてくる感想とか考察で把握して、ああ私には合わないな、と思いアンストした。
悪役の設定やガワを借りただけの、「イケメンによるキラキラほのぼのハイスクールライフ!」なら初めからそういってほしかった。
もう何年前のことなのか、何でそれを見ていたのか、まったく覚えていない。
なのにいまだに、そのあまりのくだらなさに忘れることができないでいる話がある。
テレビを見ていた。
噺家の誰か(有名な人だったような気がするけど誰か忘れた)が、ハワイ公演をするドキュメンタリーだった。
日本文化の高座が外国で通用するのか、苦悩しつつも万端の準備を整えるというような、そんなストーリーだった。
いざハワイ公演本番。
全 員 在 住 日 本 人 だ っ た
高座はバカ受け。
そりゃそうだ。
普通にしてればいいんだもん。
ちなみに、そのときの噺は以下の通り。
「へぇ」
「ほぅ それで?」
「そしたら店員、なぜだか皿を持ってきた」
「ええ? どうしてだい?」
「『ティッシュ』が『ディッシュ(dish:皿)』に聞こえたんだとさ」
「(客 席 爆 笑)」
一応海外によせた内容を考えたんだろうけどさ。
あー くだらね。
積み立てNISAだし、枠を使い切ってないんで、額としては推して知るべし、ハッキリ言って生活に影響を及ぼすほど儲けてないけど、ただ貯金してるより全然いい。
通常の相場でインデックス投信やってても、こんなパフォーマンスは出ないけど、これに関しては「運良く」コロナで相場が一度クラッシュしてからの戻りと、全世界株高に助けられた形になった。
なんで、多分今から始めても、このパフォーマンスに再現性はないと思う。
このハズレ値のパフォーマンスは本当に運。
皇室絡みの結婚報道とか、ここでは毎度お馴染みのジェンダーの大騒ぎとか、そういう「感情を上げ下げするだけのアルコールみたいな情報」は個人的に距離を置けていて、いまあったら見ちゃうニュースはアメリカと欧州の金融緩和の縮小。
日本の金融政策も、チラッとは見るけど、運用の80%が米国株だから、あんま興味ないかな。
今年の残りと来年は、金融緩和の縮小と利上げで、パフォーマンスは下がるんだろうなーとは思ってるけど、元本割れのボーダーはもう軽く超越してるので、そこはあんまり心配無し。
結論から言うと、
「すげえいい水使ってるよね!美味しい水だと思うよ!でも水の味しかしないよ?水増ししすぎじゃない?俺はスープが飲みたかったんだけど」って感じ。
なにしろ、単行本のオマケページでやるような内容
(煉獄さんなんであんなに大量の弁当持って無限列車乗ってたの?→鬼の被害で閑古鳥が鳴いてた売店の駅弁を全部買ったから)
を水増しして1話にしていて、鬼は雑魚で過去回想もしなければ特殊な能力も持ってない。鬼に困らされている人たちの物語も薄味。
飯作画アクション作画等々は素晴らしかったけど……
そもそも、話の構成上無限列車に乗る前の話(作中の時系列ではなく話の順番)で煉獄さんを掘り下げるわけにはいかんのよね。
というのも、鬼滅の刃で柱達が人気が出た大きな理由に、「初登場時からのギャップ」を非常に上手く使った作劇があると思うのだけれど、
煉獄さんの場合は、これが非常に短距離かつ劇的。
1.柱合会議での「悪人じゃないんだけどなんだこの変人」感
↓
2.無限列車で炭治郎の前に登場したときの「イマイチ話聞いてない感がすごいけど、天然っぽいな」感
↓
3.無限列車戦での頼りになる感。炭治郎への適切な指導「あれ?マジで頼れる兄貴なの?」感
↓
4.かーらーの絶望的な戦い、過去回想、「煉獄さあああああああああああああああああん」
↓
と、初対面で印象が悪かったのに、だんだん印象が変わり最終的に読者に好感をいだかせるという流れが上手い
(だけどキャラが変わった、というわけじゃないというところが吾峠呼先生のキャラ描写の上手いところだと思う)。
1と2の間に余計な煉獄さんの描写入れると、この初登場時の印象から急激に印象が変わる流れが止まっちゃうんだよね。
だから、あんまり煉獄さんの濃い話をここでやるわけにもいかなかったのだと思う。
でも、ならなんで、オリジナルエピソードやるの無限列車編本編の後にしなかったんだろう。
それなら弟君からの伝聞の形でいくらでも過去の濃い話入れられたろうし、
無限列車編終了の時点で視聴者の煉獄さんへの好感度はMAXなんだから、
よっぽど酷い話でなければ多くの人がダダ泣きしたと思うんだけど。
仮にも日本映画の興行成績を塗り替えたような作品に対して、なんでこんな水増ししまくっただけの話を入れたのか……
なんなら吾峠先生に新規ネーム原作描きおろしてもらう手もあったろうに……
この後が面白いのは劇場で見て分かっているだけに、だからこそすごく残念だ。
制作陣には罰として、最終決戦編で語られる猗窩座の過去話において、作者が単行本オマケで長文ブッコんでた内容の映像化を求める。
知らない人に説明すると、ナナブンノニジュウニ(22/7)通称ナナニジとは、秋元康さんがプロデュースする11人組のデジタル声優アイドルグループ。リアルのアイドルと、キャラクターのアクターの両方を演じるグループってところが特徴的だと思います。
そこで今何が起きてるかというと、2月末にリーダーの人が卒業して、先月も同時に3人の卒業が発表されて、もうTwitterとか大騒ぎ。
増田は「22/7計算中」という3Dアバターのキャラクターがバラエティをやる番組のシーズン2期からグループの事を知って、まあ日の浅いにわかファンなんですが、人生で初めてアイドルグループってやつに興味を持ったんですよ。その計算中でも先の4人はほぼ中心メンバーってくらい目立つ人たちだったので、非常にガッカリ。
で、何が書きたかったかというと、積もりに積もったプロデューサーや運営への愚痴。メンバーたちは活動やセルフプロモーションからほんと頑張っていて何一つ不満ないんだけれど運営が酷すぎて、もう言いたいことがたくさんあった。卒業自体は前向きに受け止めたい気持ちもあるけれど、静かに崩壊していく様を見るとやっぱりもっと何か出来ただろうという思いが強い。何ヶ月も前からずっと書きたくてやっと言語化してみた。※ちなみに2月末に卒業されたリーダーの帆風千春さん(愛美さんの妹)は響から「千春」さんとして声優としてソロで再デビューしました。ホントめでたい。
で、増田が思うナナニジの残念なところ列挙。
コロナ禍になってからはオンライントーク会になったけれど、AKB商法とか言われて批判されてる事を未だにやっている。無駄にCD買わせて小銭を稼ぎつつオリコン何位ランキングってのをアルバム発売毎に繰り返して、資源を大量に無駄にして彼女たちの土日も毎終日潰れてる。秋元氏や運営はいつまで経ってもこんなやり方しか知らないのかと。ファンとの交流は必要だと思うけれど、例えばYouTubeでライブ配信でファンサービスやってスパチャ送ってもらうとかの方が遥かに健全ではないかな。
声優アイドルという触れ込みでオーディションしただけあって、メンバーのほとんどがアニメやゲームが好きな子が多い。多いのに、アニメ関連の仕事がほとんど無い。ライブで聴いた時は涙腺緩んだくらい良曲の持ち曲沢山あるし、歌唱力も悪くないと思う(歌唱力高い人が卒業してしまいそうだけど)。なのに、アニソンとしての曲の提供は0。少なくともA応Pみたいな立ち回りはできるはず。乃木坂でさえ「心が叫びたがってるんだ」の曲歌ってたのにねえ。どうしてあんなに営業力が低いのか。アニメ業界での存在感皆無ですよ。仕事の幅が減るわけだよ。
声の仕事と言ったら、せいぜいアニプレックス関連のイベントでインタビューするとかその程度がほとんど。あとはラジオに出たりとか。声優としての仕事も少女Aとか、よくてチョイ役の脇役があるくらい。アニメの声優の仕事はもちろん高いハードルがあるのは知ってるしオーディションも何度も挑戦しないと役は取れないだろうけれど、数年間の活動で準主役級の役一つ無いというのは事務所としてやる気がなかったのだろうなと。要するに握手会やライブで全員揃ってないと困るので、定期の収録が必要な仕事は事務所として嫌がられたんじゃ無いかと邪推。
元リーダーの帆風千春さんを始めとして、何人かはオーディションを受け続ければレギュラー取れるだけの実力はあったと思う。インタビューとかで今後の抱負を聞かれて「声の仕事をもっとやってみたい」という人が何人もいたよ。脱退の理由の一つでもあると思う。泣けてくる。※ちなみに帰国子女の天城サリーさんは貪欲に声の仕事を拾ってて偉い。実力も高い。アイドル活動やりながら大変だと思う。
グレーな話だけれど、今年の初め頃だったか、ナナニジファンのアカウントからYouTubeにアップされていたShowroomやインスタライブ、ラジオ配信とかの動画が一斉に消え始めた。削除要請があったのかは実際のところわからないし、そもそも違法アップロードを削除要請したとしても当然の権利というのは踏まえた上であえて書く。Showroomやネット配信はアーカイブ機能がないので、見逃した配信を追いかけたり、自分がグループを知る前の配信とかを少しずつ消化していたので非常に困った。それでもできる限りライブで見るように頑張っていたけど、今年になってShowroomで3人同時配信とか意味のわからない事をやり始めて完全に詰んだ。物理的に視聴できない、アーカイブはアップされない。なんでわざわざファンの心を折ってくるのかと…。テンションが下がる一方だった。
さすがにテレビ番組の計算中は予算かけてプロが何人も関わってるだけあってクオリティが高いのだけど、それを低予算でやる技術力が全くないみたいで、実験的にやった配信とかも非常に残念なクオリティだった。そのショボイ配信さえスタジオで専門機材使ってやってたみたい。PCとWebカメラとちょっと良いマイクがあればLive2D使って個人勢でもVTuber活動ができる出来る今の時代にだよ。ノウハウが無いなら、外部に支援を頼もうと思えばいくらでも頼めたでしょ。結局3Dアバターのキャラクターは計算中でしか見ることがない存在になってしまった。可能性がたくさんあったはずなのに勿体無い。
メンバーの1人が舞台をやってそれが成功したら、他のメンバーも続々と舞台をやり始める。ニコ生の有料チャンネルを始めて、それが成功したら他のメンバーも続々と以下略。成功体験のバリエーションが少なすぎでは。
5chに連投コピペで貼られてたんだけど、ググっても元の文章が出てこない。
・すぎやまこういち(1931年東京都生。作曲家。日本バックギャモン協会会長)
・植松伸夫(1959年高知県生。神奈川大学外国語学部英語科を卒業後、TVCM等フリーで活躍し、1986年スクウェア入社)
(要約)
すきやま:
だんだんドラクエ関連のスケジュールだけで1年終わっちゃうみたいな有様になってきちゃって、
あんまり他のことができなくなってきてるんだよね。困ったもんだよ。
ドラクエやると、やれCDブックだアニメだときて、レコードもブラスバージョンやエレクトーンバージョンやピアノバージョンが出て、
そうなると色んな出版社がピアノ譜やエレクトーン譜を出す。そんなことやってるから1年潰れちゃうもんね。
植松:
すきやま:
どうしても大変だと思いながら、「このゲームが好きだなあ」ってことになるとついね。
植松:
まさか本当にやって頂けるとはね。言ってみるもんだなとつくづく思いましたよ(笑)
すきやま:
でも楽しかったね、あれは。FFVも大変だったね。やっと僕も上がったんですけどね。
植松君は働き者だなとつくづく思いましたよ。何曲あるの、あれ?
植松:
60近くはあるかもしれないですね。
すぎやま:
60曲あのゲームの中にあるということは、実際作った曲はその裏にもっとあるでしょう。何曲ぐらい?
植松:
1コーラス作ったという感じで言ったら100曲ぐらいいってるかもしれないですね。
すぎやま:
働き者だなあ(笑)
植松:
曲数が多いというのも一既にいいとは言えないとも思ってるんですよね。
すぎやま:
植松:
そんなでもないんですけどね、それでも10曲ぐらいは少ないかな?
すぎやま:
そうでしょ。やってる時はこの曲面白いなと思うんだけど、終わったあと覚えてる数が少ない感じがしたね。
その原因は何だろうと思ったんだけど、多すぎるというのがあるのかもしれないな。
でもやっぱりどんどん意欲が湧いて、ここはこういう曲にしちゃおう、ここはこうしようっていうのが出てきちゃうものだよね。
植松:
作ってる方としてはまだ足りないんじゃないかという気もするんですよね。完成したあとに自分でやってみますよね。
そうすると、こことここの音楽変わってないやっていうところがいくつかあるんですよ。
だから作った本人は全部曲覚えてるから別に問題ないんですけど、
自分以外の一般の人にとっては多いかなとは思ってるんですけどね。
30曲に抑えようとしたんですよ。IVのときもちょっと多いと思ったんです。
今回は絞り込んでやろうと思ってたんですけど、欲が出てしまいますね。
すぎやま:
僕も曲を絞り込むときは断腸の思いでね。切る作業が大変ですよ。
前にも言ったと思うんだけど、むこうのミュージカルなんかを見ると本当に曲数少ないんだよね。
でも植松さんのやり方でいいなと思うのは、1つの曲をシーンに応じてアレンジを変えて出すケースが多いでしょう。
植松:
すきやま:
働き者なんだよ。FFVの曲は植松さんの趣味趣向がはっきり出てるから、
それがある意味でいい個性になってていいなというのがありますね。
スコットランド民謡をはじめとして、民族音楽への傾斜というのがあるでしょ。
植松:
今回そのアイルランドのリールっぽい曲を入れたのって初めてなんですけど、あれを入れますと
ユーザーの意見なんかのハガキに「アイルランド行ってきて帰ってきたらもうこれだ」というのがあるんですよ(笑)
別にアイルランドから帰ってきて、その影響受けてやってるわけじゃないんですけど。
以前から凄く民族音楽に興味がありまして、入れたかったんですけどファミコンのときとかって難しいじゃないですか。
すぎやま:
ちょっとやりにくいよね。
植松:
いつかやってやろうと思ってたんですけど、あんまり興味本位で民族音楽好きだから
入れるというのも安っぽく見えてイヤかなと思ったんですけどね。
先日、すぎやま先生がうちの職場にいらした時にお話ししたんですけど、今トルコ音楽を習いに行ってまして、
すぎやま:
植松:
日本人だったら日本の音楽ルーツとして民謡とかがあるはずだと思ってるんですよ。
日本に昔からある音楽が自分の血の中にあるはずだって自分では思ってるんですけど、
一度「雅楽(古来の宮廷音楽の総称)」の“ひちりき”(雅楽用の竹製の管楽器)を習いに行ったことがあるんです。
そうすると自分の中に流れている血というよりも、逆にそれがすごく新しい、
ブライアン・イーノのシンセサイザーの音楽に近い印象があったんですよね。
すぎやま:
笙(雅楽用の管楽器)のハーモニーなんかは音の響きが非常にシンセサイザー的な新しさがあるよね。
植松:
そうなんですよ。だからこれはものすごく面白いけど、自分にとっての血ではない気がしたんですよ。
雅楽は朝鮮からのものですけどね、そういうルーツみたいなものを考えていったら、
逆にヨーロッパの民族音楽がすごく自分にピンとくるものがあったんです。
自分にとってピンとくるものを追っかけていく方が面白いんじゃないだろうかと思って、
最近は自分が日本人だから日本古来の音楽をどうのこうのという考えはなくなってきてるんですよね。
すぎやま:
僕ら日本人で日本の文化の中で暮らしていると、いつかは三味線音楽や琴の音楽が耳に触れてるわけ。
和風喫茶やレストラン、エアラインなんかでもいつの間にか聞こえてくる。
アメリカで生まれ住んでるとそれは耳に触れないで大人になっちゃうでしょう。
僕らは耳に触れてるから、知らない間にそういう音感は身についてると思うの。
町の音楽「ミーファー」ってメロディがいくときに、もう1つの声部が「ミーミー」とそのまま引っ張って、
ミとファが平気でガチャーンと使ってるのがあるでしょう(トゥールの村などの音楽)。
植松:
バッテンなんですよね。
すぎやま:
植松さんはあれにある種の美しさを感じるからやってるわけでしょう。
で、僕も日本人だから聞いて「あ、ここいいな」と思ったんですよ。
「ソーミーファー」というのと「ソーミーミー」というところでミとファがぶつかっているのは、
西洋音楽のエフメジャーセブンの中のミとファのぶつかりの意味とは全然違う意味のミとファでしょ。
それは江戸時代の三味線や琴の音楽でしょっちゅうやってることなんだよな。
「ラファミミファミミファファミ」といってるときに、1は「ミミミ」といってミとファがぶつかってるという、
そういうテンションに美しさを感じるという江戸時代の音楽家らの伝統みたいな感覚の流れがあるんだよね。
あの部分を聞いて植松伸夫もやっぱり日本人だと思ったんですよ。
で、僕もアレをイヤだと思わずに、あぁこれいいなと感じて、僕も日本人だなと再確認したんです。
植松:
ミとファの半音でメロディと伴奏が平気でぶつかることがしばしばあるんですよね。
自分でもああぶつかってるな、クラシックの音楽のテストなら絶対にバツだなと思っても、
その響き欲しいしと思ってそのまま残すこともあるんですよ。
すぎやま:
それが間違いか間違いじゃないかというのは、感覚的にそのぶつかりが許せるかどうかなのよ。
いいと思うかどうかなのね。だから西洋音楽なんかも近代音楽以降はガンガンぷつかるでしょう。
それが前後の関係や音楽全体の姿からいって、感覚的にこれが美しいと思えるものはマルなのね。
ミとファのぶつかりあいが美しいと思える感受性があってやったものであれば間違いじゃないんだよ。
ただそれが自分一人でいいと思ってるだけで、世の中全員が気持ち悪いと思ったら
植松:
難しいですよね。音楽を学問にした人というのは、かなり強引だと思ってるんですよ。
どうやって音楽の点つけるんだろうって未だに僕思ってるんですよね。
小中学校を通して音楽というものを学校の教育に取り入れて100点取った人は偉い、
大人になって楽器を手にしなくなっちゃう人が多いんじゃないでしょうかね。
すぎやま:
音楽教育というのがどうあるべきかというものは、これはもっと考えなくてはいけない問題で、
植松:
すぎやま:
笛を吹いたことについて点数つけることよりも、笛吹く楽しさをわからせるのが大事だよね。
だからファイナルファンタジーとかドラゴンクエストの音楽というのは大事なんですよ。
植松:
ドラゴンクエストの音楽が好きになってコンサート行きますよね。
すぎやま先生なんかのコンサートはフルオーケストラでやってらっしゃるでしょう。
それはものすごい影響力だと思うんですよね。
子供がオーケストラを生で聞くチャンスが普段あるかというと、少なくとも僕は子供の頃そんな経験はしてないんですよ。
そうすると、ある意味ですごく羨ましいんですよね。小学校2-3年という頃に、N響の音が年に1回、生で聞けるわけでしょう。
すぎやま:
他のオケなんかのコンサート数えると、20-30回やってるよ。全部ドラクエじゃないにしても、1コーナーとかね。
だから、あちこちに頼まれて棒振りに行く仕事もやってます。それは大事なことだからね。
植松:
すぎやま:
しかし、いつもゲームの音楽作るときに、昔の大作曲家の作品聞くじゃない。
とてもかなわないなと思うことが多いね。
植松:
すぎやまさんがそんなこと言ったらこちらの立場はどうなるんですか(笑)
すぎやま:
昨日久しぶりにバレエ見ようと思って神奈川県民ホールに「くるみ割り人形」見に行ったの。
チャイコフスキーのド天才めって感じだよ(笑)。とんでもない天才だね。
植松:
チャイコフスキーは僕もすごく好きですね。音楽は誰が好きなんですかなんてインタビューとかであるじゃないですか。
すぎやま:
とんでもない大天才だよね、あの人は。
あの時代で20世紀の音楽家が考えて書くようなヴォイシングやってたりするわけよ。オーケストレーションのうまいこと。
植松:
この前、西田敏行がロシアに行ってチャイコフスキーの足跡を辿るという番組をテレビでやってたんですよ。
僕もチャイコフスキー好きだから見てたんですけど、チャイコフスキーはホモであるというのを聞いて、
「ああ良かった」と思ったんですよね(笑)
すきやま:
その良かったというのはどういう意味なの?
植松:
チャイコフスキーも人間だったんだなというね。ま、噂なんですけどね。
すきやま:
モーツァルトなんか完全にいってるよね。大天才でも大欠点があるという。
植松:
チャイコフスキーにしろモーツァルトにしろ、メロディが非常にわかりやすいんですよね。
クラシックって難しいから嫌いという人が多いですけど、そんなことないと思うんですよ。
すきやま:
ベートーベンとかブラームスあたりはみんなそうだよ。いいメロディもってるよ。
植松:
すぎやま:
植松:
だからドラクエなんかはオーケストラでやっても子供が聞けるんですよ。
すぎやま:
ドラクエにしてもFFにしてもメロディ大事にしてるからそこに強みがあるでしょう。
他にもFFでは民族音楽的なのがありましたな。デデンッデデンッ…てやつ(笑)
植松:
すきやま:
だからそのうちトルコも出てくるぞ(笑) FFでは吟遊詩人というジョブがあるじゃない。
吟遊詩人がマップの中のトルコやアイルランドみたいなところへ行ったりするとそこの音楽を覚えて、
それを戦闘中に唄うと何かが起こるみたいなことがあれば面白いんじゃない。
植松:
すぎやま:
増えるね(笑) でも吟遊詩人というジョブがあるから使えそうな気もするね。
植松:
一度何かに絡めてやってやろうと思ってるんですけどね。
どうしても容量がそういう余分なところまで回らないんですよ。
すぎやま:
植松:
すぎやま:
ダンジョンも違う?そんな気もしたんだけど。
植松:
いや、ダンジョンという曲は1曲しか用意してないんですよね。他で使ってるのを使いまわしてるんです。
すぎやま:
でもなんかすごく多い気がしたな。
植松:
実際多いんですよね。飛空艇は1曲ですし、チョコボは2曲だし。
すぎやま:
チョコボはまた面白いね。あの音楽と動きを見事にシンクロさせてて良かった。
植松:
あそこらへんはプログラマなんかと楽しんで作ってましたよ。
すぎやま:
植松:
ヘタクソなやつが最後はコンサートピアニストぐらいにしてくれと言われたんで、
最初はメトロノームにも合わせられないようなところから始めて、最後はドビュッシーまで弾けちゃうんですけど、
あのドビュッシーの曲(月の光)をみんなあんまり知らないんで、ガッカリしちゃったんです。
すぎやま:
グリークとかチャイコフスキーのピアノコンチェルトみたいな方がコンサートピアニストみたいな気がするからね。
植松:
そうですよね。最後のが弱かったのが残念だったな。
すぎやま:
植松:
息抜きというやつですね。でも結構一生懸命やっちゃうんで、息抜きできなくなっちゃうんですけど。
すぎやま:
作ってる本人はいいんだよ。遊ぶ方は息抜きできるんだから。植松さんはドラクエは上がったの?
植松:
実は最後のダンジョンの手前でFFVのアレンジCDの仕事に入っちゃいまして、まだなんですよ。
すぎやま:
上がってないの!?
植松:
今日までに終わらせるつもりだったんですけど。
すぎやま:
僕は対談頼まれたときに、12月中だと聞いてそれまでにFFVを終わらせる自信ないって言ってたんだけど、
元祖プロゲーマーを称してるからには面目にかけても上がろうと、しゃにむにやって上がりましたよ。
途中でやんなっちゃうゲームだと上がれないけど、やってて楽しかったから相当寝不足になりましたよ。
植松:
今回はアマチュアの勝利ですかね。スクウェアのメンツって、単独で独立して音楽で食っていけるか、
絵で食っていけるか、企画で食っていけるかという連中がまだ1人もいないんですよね。
すぎやま:
植松:
いえいえ。平均年齢がまだFFチームでいうと25ぐらいなんですよね。
すぎやま:
ドラクエチームもそうですよ。皆さん若い。僕1人だけ飛び抜けてるんだ。
植松:
結局若い、何かやってやろうという奴らが集まってるんですよね。
そいつらが泥まみれになって一緒くたになって限度知らずの頑張りをするんですよね。
全てのプロの人がそうというわけじゃないんですけど、中にはお金と割り切って仕事をする方もいらっしゃいますよね。
そうするとある程度から先の気力とか頑張りを越すというのは難しいというのがたまにあるじゃないですか。
そういうことが5のチームには無かったんですよ。
とにかく最後の最後まで、〆切のマスターを任天堂に送る朝まで、どこまでできるかということをみんながやったので、
そこらへんの適当なプロの人を集めて作っても、ああいう気合いの入った作品は出来なかったんじゃないかなと思うんですよ。
今になってやってみると、あそこをこうした方がいいというのはうのはいっぱいあるんですけど、
終わった時点ではもうこれ以上はできない、とみんなが思ってるんですよね。僕もあのときはそうでしたしね。
すぎやま:
結局世の中を見てると、FFにしてもドラクエにしてもそうだけど、
好きで好きでとことんまで頑張るという人が集まってるところのゲームがヒットしてるんだよね。
植松:
100文字以下の一言コメントだったから、ブコメで書いたらスターもらえたかな?でもブコメでやればよかったなどと後悔はしていない。
そのトラバは増田の投稿からほんの1時間後にしたから、元増田から反応もらいたくてトラバしたんだけど反応は未だに無い。代わりにトラバ後すぐに謎の無言ブクマをされて、今では注目エントリに入っている。
スターを何百個ともらうブコメを書くよりも、元増田とバトルする方が楽しいから最近はブコメで書くようなこともトラバでやっている。最近のブコメは熊のAAで水増しした醜くてつまらない物であふれているからな。
ツリーが伸びまくってifやforでネストしまくったクソコードみたいになるのは面白い。元増田と思わしき人物だけではなく割り込んだ横増田も混じり合いカオスを形成していくのは楽しい。時には元増田に成り済ましてわざと論破されたり、横増田の振りして公平なジャッジを装って元増田をこき下ろしたりもする。
元増田が追記して、恥の上塗りを見るのも愉快だ。追記でトラバには反応せず、ブコメだけの反応だとガッカリするけど。
だが、何より最高に気持ちいいのは、元増田が削除したのを見つけた時だ。この瞬間は勝利の快感で脳が昂ぶる。匿名でIDの表示すらないのだから論破されようと現実世界での影響はほぼゼロのはずなのに、自ら世界中に公表した文章を削除するなんてよほど恥ずかしかったり悔しかったりしたんだろうなと想像するのが愉悦である。
子供の頃、宝物のビックリマンシールそっちのけで貪った『コウくんのお母さんの水餃子』を死ぬ前にもう一度食べたい - Togetterとブコメを読んで、いろいろ思うことがあったのでつらつら書く。旧満州出身のアラサー日本永住者です。
中国のご家庭では手作りが多いが、テイクアウトもある。ただし我が家では「外の水餃子は何が入っているかわからないから」という理由で一度もテイクアウトしたことがない。
作る頻度が高い割にご家庭ごとの味にもばらつきがあり、私の母などはいまもこれ!という領域にたどりつかないらしく、YouTubeを見て餡を研究している。
また、日本のように、キャベツor白菜と豚肉、というフォーマットは決まっておらず、セロリやピーマン、ズッキーニ、小松菜等々、汁気のない野菜ならなんでも入る(試したことはないが、トマトを入れる餡もあるとか)。私のお気に入りは、ニラ・炒り卵・春雨・干しエビの餡。もちろんにんにくは入れない。
件の記事ではお母さんが作っていたが、我が家では餃子といえば家族総出で作るもの。小学生のころまでは餡を父、皮の生地を母、皮作りは私、包むのは父母、と分担されていた。水餃子はしっかり包まないと、茹でる際に餡が流れ出てしまうので、包むことができるようになったのは中学生以降だった。
で、一度に作る量も多い。餃子のサイズにもよるが、大人ひとり頭20個ほど食べ、残りは冷凍するか、茹でて食べ切れなかったぶんを翌日焼餃子にする(これが日本の焼餃子とはまた違って、もちもちした皮がカリっとしておいしいのだ)ので、3人家族なら50〜60個は作る。皮を寝かせる時間をカウントしなければ、餡を作り始めてから茹で終わるまで30分弱で済む。
祖父が餃子大臣だった母方の実家では、餃子を作るとなると必ず子や孫を電話で呼び寄せるため、一度に100個以上作ることもめずらしくなかったと思う(餃子以外のおかずも出る)。
先程母方実家の例を挙げたが、中国人にとって、餃子といえば、大勢人を集めて食べるもの。日常的にも食べるが、中国人に「いつ餃子を食べますか?」と聞けば、返ってくる答えは八割方、「旧正月」だと思う。
旧正月といえば、家族が全員集まり、大勢でにぎやかに食事をするイメージである。一度、餃子を作る、となれば、たくさん作って、大勢で食べて、何ならお客さんにおみやげとしてタッパーで持たせて……なんてイメージが、餃子にはつきまとう。
父を筆頭にコミュ障が3人寄り集まった我が家も例外ではなく、父と母は兎角、他人を家に呼んで、餃子を食べさせたがる。人生のほとんどを日本で過ごしている私は、流石に客好きのマインドは受け継がなかったが、それでも、父母のお客様が家に上がるのも、餃子をたくさん作るのも大好きだ。
ところで、知り合いの、90過ぎた日本人男性から、ある日こんなエピソードを聞いた。
曰く、「壮年の頃に、30代の中国人夫婦と知り合った。二人は日本への国費留学生で、夫と私はともに書が趣味ということもあり、友人としてよく親しみ、年賀状のやりとりをした。夫妻は、何度も、晩御飯を食べていってください、と私を家に招いた」。
「それで?」
そのおじいちゃまに、なぜ、と聞く気は起こらなかった。聞けばよかったのだと思う(なお、ご老人は勿論ご存命である)が、聞く勇気が湧かなかった。ただ、心がすこしひんやりした。日本人って、やっぱりすこし冷たいのかもしれない。
だからコウくんのお母さんは、たくさんの小学生男子たちが美味しそうに餃子を食べてくれてうれしかったのだと思う。ほんとうに。