はてなキーワード: モラルとは
容疑者を実名で報じると、今の日本では容疑者や家族に嫌がらせをする人が少なからずいる。
実名報道のメリットより二次被害のほうが大きく感じられ、個人的には実名を出すべきでないと思っている。
しかし、公的な情報として誰もが検証でき、公権力を監視できるため、などの理由で実名報道がなくてはならないと主張するのもわからなくはない。
だから思うんだけど、本当に必要なのは加害者やその周囲に嫌がらせをする人たちをきちんと犯罪として訴え、彼らも実名で報じることじゃない?
そこの抑止力が全く欠けていて、だからモラルがない状態に陥っているんじゃないかと思う。
知り合いの警察(地方の副署長とか)と話していると、彼らは報いを受けさせる意味で「捕まえて実名で新聞に載せてやりたい」みたいなことを言う。
怒りも憤りもわかる。
下記箇所について、補足。
多少横道に逸れるけど、前近代の家族観の認識のずれの方が気になった。
今となってはそれが極論に過ぎないという批判も多い
お手数だけどこれの根拠があれば紹介請う。
引用いただいた「今となっては『それ』が極論に過ぎない」という部分の「それ」は、直前の、いわゆる「近代の見直し」が盛んだった時代の論、を受けているのね。自分は家族論や社会学の専門家とかではないけど、たとえば20年ほど前にはF・アリエスの「子供の誕生」について、次のような言い方で「近代以前に〈子供〉はいなかった!」的な紹介がされ、多くの人に影響を与えたわけだけれど、
子供は長い歴史の流れのなかで、独自のモラル・固有の感情をもつ実在として見られたことはなかった。〈子供〉の発見は近代の出来事であり、新しい家族の感情は、そこから芽生えた。(みすず書房:https://www.msz.co.jp/book/detail/01832.html)
実際問題としてこれは「(我々が思うような近代的)子供(観)」が誕生したのは近代の出来事に過ぎない、というだけの話に過ぎないわけだということは、今となっては説明するまでもないことだよね。親子像、子供像が「今とは(多少)違う」のは事実としても、親子や子供が過去の文献に登場しないということはない。自分が言いたかったのはそういうことです。そして、増田が引いてくれた極東ブログが引用している元論文も、原文では次のように書いてるよね。
これを、極東ブログさんは「日本に家族なんてものはなかったし、結婚もなかったんですよ」というタイトルで紹介するわけだけれど、この図式は上に挙げたアリエスの事例とそっくりだというのは分かってもらえるのではないかなあ。つまりもともと「(近世に誕生した近世的)家族は近世以前にはなかった」というだけの話しかしてないのに、それをセンセーショナルに取り上げて過剰に敷衍した意味づけをしている、という構図。いかがでしょうか? 本当は、近世以前にも、たとえば古代的、中世的な形で家族はあったし、古代的、中世的な姿で「子供」も社会的に存在した、ということです(たとえば「子供」を人間以前の存在として大人とは別なる名を与え、一定以上の年齢になると新たに人間としての名を与える「元服」という風習とかがそう。)。
さらに、今私たちが思う「子供」観の全てが「近代に作られた子供像」で説明できるのかと言えば、それもまた違うのではないだろうか。単純に同じと言えないことはもちろん前提なのだけれど、1300年前に山上憶良が「銀も金も玉も何せむに優れる宝子にしかめやも」と歌ったその親子観、あるいは800年前ごろに、合戦中に年配の熊谷直実が、組み伏せた若武者が十六、七と我が子のような年の若者であるのを見て思わず刀を止めるシーンを描いた平家物語に見られる「年少者に配慮する心境」のようなものが、現代の私たちの「子供」観と全く不連続であると言い切るとそれも相当無理があると思うのですよ。もちろん、1300年前、800年前の人々と私たちは、政治制度も世界観、死生観、何もかもを共有していないと言っていい。だから、本当のところ彼らが何を感じていたかなんて分からない。(まあそれを言うならそもそも現代を生きている私たち同士だって、何をどれほど共有しているかは保証されないけどね。)それより、そうして「ことば」に載せるべきことは何か、すなわち彼らが「想定した公共」が何かという点に着目してみるなら、彼らと我々の間に一定の何かを架橋することは十分可能だと言えるのではないか。それを安易に「親子像、家族像の根本」であるとか結論付けるのはそりゃ止めた方がいいと思うけど、そこに「引き継いでいる何かがある」ことは認めた上で話を展開するのは、それは十分建設的なことだと思うんだよ。
※コノハナサクヤヒメの話を書くスペースが無くなったんだけど、一言だけ言うとあれは一般的な婚姻の姿をイメージしたお話とは言いがたいのではないかなあ。「姉妹を同じ人のもとに嫁がせる」のは、あの話では天孫降臨した人間の祖に対して山の神が繁栄を授ける、という文脈だよね。それは、たとえば地域を訪れた新しい権力者に対して地元の豪族が取り入る、みたいな図をベースに作り上げた物語なんじゃなかろうか?
つい今しがたまで軟禁されてたので、あった事を書いてく。色々ありすぎてどう報告していいかわからなくてぐちゃぐちゃで読みづらいと思うけど許して。なお全部本当の話です。嘘松でこんな状況になるなら嘘松であって欲しいレベル。
普段から自宅作業してるんだけど、昼飯食べてからコンビニで飲み物買い込みに行った時に近くの駐車場でパンツ丸見えのネグリジェの女性が本を読んでたの。
文句言われたらやだからなるべく見ないようにしようと無視してコンビニでさっさと買い物を済ませた所、まだ読書してた。
帰り道もなるべく見ない様にしてたんだけど、「お兄さん、パソコン詳しい?」って声掛けられて応えてしまったのが運の尽き。
だってパンツ丸見えだったのでワンチャンいい事あるかもとかスケベ心で股間勃起させてしまうじゃない?
状況を聞いたら、何をしたいのか全く要領を得ない。
そんで目の前にある一軒家に上がって見てくれと。
いやいや普通そんな事しないでしょ。こわっ。と思ったので家の前でならと言うと、ボロッボロのWindowsXPのノートPCとUSBメモリと無線LANの中継機の箱を持ってきた訳よ。
ただその気持ちは直ぐに上書きされてしまう。何故なら玄関に置いたPCを持ち上げる時に女の子のネグリジェも持ち上がりパンツが後ろから丸見えで何なら股間も少し透けてた訳よ。なんなのこの状況。下心が止まらないんですけど。勃起。
まあそんなで、その子がPCを起動してUSBメモリを挿してたんだけど何も出て来ない。
USBのポートを変えさせたところ認識したのだが、やはりどう見てもただのUSBメモリぽい。そして中身はどうやら空っぽ。
でよーく話を噛み砕いて聞いてみると、やはりインターネット繋いで案件である事は間違いなさそう。
ただ、そのUSBメモリがなんなのかは分から無い。ドライバーでも入ってるのかと思ったけど空っぽだし。
本人はジョーシン?の店員に聞いたのだからこれでインターネット繋がらないのはおかしいって言い張る。
そもそもノートPCにWiFiモジュールついて無い奴(デバイス一覧で確認した)で、インターネットには繋がらないよといくら説得しても理解出来そうにない。
いつ買ったのと聞いたら中学生の頃だと。え、あんたいくつなの?未成年じゃないよね?タバコ吸ってるし。
そんなやり取りをしてたら
158G(多分128GBと言いたいのだと思う)のUSBだから絶対に繋がるはず!だってインターネットもGでしょ?と。
どうやら"ギガ"と言うのはネットに関するキーワードだと勘違いしてるご様子。
「秋葉のソフマック(多分ソフマップ)でも聞いたのだから間違いない!」とご立腹。
そもそも、無線LANの中継機だけではなくてモデムが無いとダメなんだけどと言うと、そんな物は無いと。なんとかなるっしょと。
この時点で情弱に適当な対応と適当な商品を売りつけたソフマップとジョーシンにキレそうになってるんだけど、その間も股間はずっと勃起してた。
後この時点でコンビニで買ったアイス2個が溶けそうだったので1個上げて、自分も食べながら作業した。マジ勘弁。
でもそうする事で股間も少しは収まった。
埒があかなくなってきて困っていた所若いお兄さん?彼氏?旦那さんが帰ってきたの。
ああこれ美人局ってやつか?と思ったら何も言わずにそのまま家に入っていった。
まあ家の前だし何もしてないからね。
家の中でやらなくて良かった。変な気を起さなくて良かった。
そう考えていた時期が私にもありました。
とにかく中継機の方だけでもなんかするかとセットアップ開始。ノートPCは繋がらないので手持ちのスマホで中継機に繋いでセットアップ。
家はボロい感じの2階建て一軒家だけど、どうせどっかの無線LANにタダ乗りしてんだろうと。今はモラルを説いてる場合じゃな
いし、仕事あるからさっさと終わらせよって思ったので、普段どれに繋げてた?って聞いてそのSSIDとパスワードを設定、繋がった!と思ったらセットアップが完了しただけで、無線LANから先に繋がってなかった。こりゃそもそもタダ乗りすら怪しいレベルだわ。
でも女の子は、そんなスマホの状況をみてネットに繋がったと勘違いしており、
真似して自分の携帯に設定してネットに繋がらないと癇癪起こしてた。
そしてこの時点で勃起は完全に収まった。よし、必要な物だけメモさせて帰ろう!と決心する事が出来た。
そんな折、先程の男性が家から出てきて「暑いんだから家の中でやって見てもらいな」とか言うので話がおかしくなった。
女の子は言う「あれは父だ」と。
普通さ、親ならなんか言わね!?そこらで捕まえた知らん男性と娘を家に2人きりにするか?
そう思った瞬間に股間が復活してた。アホか俺。
玄関まで入ってしまったけど、良心と下心のバトルが続いており。それでも最低限の事だけ伝えて帰ろうとしたら再び癇癪を起こして誰かに電話。
だが彼女のスマホはネットには繋がっておらず俺のスマホを取り上げて電話を始めたのだ。しかも誰にかけてんの!?
元々ノートPCにはWiFiモジュールが刺さっていたぽいのだが「もう使わねーよな?」と兄に持ってかれてしまったのだ。
話を聞くと兄はエンジニアで少しは話が通じそうな感じがした。
なので電話が終わった後で、話通じそうだから俺が直接状況を説明しようと言った瞬間にまた癇癪起こして泣きはじめたのだ。
兄への説明も「USB(メモリ)のぐるっと回る所が光るから絶対に繋がるはずなのよ。プラスチックなやつ」などと聞いてる方は意味不明な事を連呼していて、それでも兄はなんとか型番を聞こうとしてる様子で、「タイムって書いてある(チラッとしか見えなかったけどteamて書いてある様に見える)、128GB/USB3.0とも書いてある。」
ただ彼女だけは異様に前向きで、事態はほぼ収束したと。癇癪起こしてたのに立ち直りはえーなこやつ。などと間抜けな事を考えていたら話は更に変な方向に。
「母親が5時に帰って来たら一緒に機材買いに行ったり設定するから車出して欲しい。それとは別に30分くらいで良いから上がってコーヒーでも飲んで行きなよ。暇だし。」
車出さねーよ?
「君は(パンツ丸見えで)魅力はあるけど、ごめんね。30分でも2人きりにはなれないよ。」
そう告げると、「どうして!?どうしてこうなるの!?インターネット繋ぎたいだけなのに。彼氏にもデータ消されて捨てられるし!」と今までで最高レベルの癇癪とカミングアウトを発動した。
だが効いた。なんか可哀想になってきちゃって。見た目も可愛い感じだし。30分お茶するだけなら良いかなと。
そしてなんかスケベももしかしたら出来そうかもとか思ってしまったのだ。
この時きっぱり帰ればよかったのだが、なんか家の中で女性が泣いてる状況てヤバくね?みたいなのもあって油断したのだ。
で家に上がる事になった。
狭い階段を上がると全く洗ってなくてガビガビの黒猫ちゃんが居た。
ここまでで半分くらいです。
長いので2回に分けます。
つまり丸山穂高は「こういうカードを切ったら、相手はこう返してくるな、だからこれは温存してこういう風に動こう、これがベストだ」っていう、2手先3手先を読んでよりよい振る舞い方を選択する能力が無いという事。
「○○するしかないんじゃないか」は「○○するぞ!」でもなければ「○○しろ!」でもないってことを分かってない?
そしてこの国の他の議員や国民が忘れてるカード、切れないと思ってるカードを提示するのは悪いことだとは思わない。
だから本件は「戦争とか言って、モラル的にどーなの?」っていう話に留まらず、国会議員として必要な能力を持っているかどうかを疑問視されている。
保育園児らが遊んでいた砂場に車が突っ込んだ事故を、NHKニュース7の冒頭で見てそう思った。死人は無し、被害規模や状況などで全国ニュースの冒頭で報じるほどの特殊性も無い。せいぜい地域ニュースレベルだ。十数人もの死傷者を出した大津園児事故があったからこそ、便乗してニュースになったのだろう。類似事件を連続的に報道して世論を作るのがマスメディアの仕事とはいえ、報じる価値のない事件をニュースにすることもないだろう。
私が自動車免許を取得した時は、交通事故による死者は年間で約一万人だと教えられた。死者数は年々減少していて、2018年を調べてみたら3532人であった。交通事故死者数の減少にともない、ニュースでの報道も少なくなったかというとそうではない。個人的な感覚だが、交通事故の報道は増えている。
ニュース解説者の池上彰氏はかつてNHKの記者をやっていたが、新人の頃に殺人事件の取材をしていたら上司に叱られたという。その程度の事件はニュースにならないから取材しても無駄だと。今から五十年ほど前は、ただの殺人事件は珍しくなくて、ニュースにならなかったそうだ。何の番組か忘れてしまったが、氏がそう発言したのを覚えている。事件がニュースになるか否かに明確な基準はなく、マスメディア関係者が珍しいと思うか否かで主観的に決めているそうだ。
日本が平和であり続けて五十年もたったら、今では珍しくもないことが大きな事件としてニュースになっているだろう。「歓楽街で酔っ払いが嘔吐。進行するモラルの低下」、「スーパーで万引き犯を現行犯逮捕。犯人はレジレス決済と勘違いしたと主張」
NTTの退職エントリに多い本社系やエンジニアの業務でなくもっと最前線のカスタマーと日々関わる営業系の会社に四年ほど勤めて退社しました。
非常に待遇の良い時期から必要なくなった人材や場所に対するNTTの非常に合理的な排除と、なぜか守られる年配社員とのギャップに嫌気がさして転職をしました。ただ誤解がないように言っておくと一般的なモラルのない人は多かったけど、全体的な中の人の人柄は良かったです。モラルがないというのは課長以下の非正規社員に対する権限が過大なため、パワハラやセクハラ、中でも不倫が本当に多かった。退職後に離婚して不倫相手と再婚した上司も1人2人ではなく、不倫は少なくともNTT内部では黙認されている文化でした。
前職を辞めて転職活動期間の場つなぎ的なつもりでNTT系の営業会社に入社、いわゆるコールセンター業務で既存のカスタマーとの対応がメインの職種でした。
約一ヶ月の研修を経て現場に着台すると女の人だらけの職場の為、上司との縦関係の人間関係とは別に誰が力を持っていて、誰と誰が仲が悪いかなど人間関係でかにするべき要素が色々ありました。幸い、最初についた上司がセンター内で力を持っているタイプの上司でいろいろな仕事を教わりましたが、その中にはパワハラ的な指導も多く自分より後に入った2人の後輩はメンタルをやられて休職となりました。(自分は男、上司は女性です)
前職で何も物を売らずにお金だけもらう仕事をしていた為、アクセスラインやサービスを提供して金銭の授受を受ける仕事には当初やりがいを感じており顧客対応のスキルも良好で一年目から全国のセンターでも上位の成績を抑えてインセンティブを大量にもらうことができました。
当時のNは固定回線市場もおおかた開拓し尽くされ、ケーブルテレビやその他固定回線とシェアを取り合っている状態で新規回線の獲得や辞めようとしている人をあの手この手で引き止めることで給与とは別に報酬が発生していました。基本給だけではワープアレベルの契約社員が、このインセンティブをもらうことで年代別の年収平均くらいまではもらうことができました。(基本年収給240万+インセンティブ160-240万)
その中で自分はプレイヤーとして全国でランキングに載る程度の成績をキープし、いろんなホテルでの表彰式や船上パーティーなどにも参加することができました。(2010年代の話です。)
そしてその後、NTTのアクセスライン設備を他社に利用させることで営業は他社に任せて設備だけ維持しておけば金が入る夢のシステムをビジネスデザインの偉い人たちが考え、場所における需要がなくなるとインセンティブは十分の一に縮小されると共にそれまで馬の前に吊るされた人参的に契約社員のモチベーションとなっていた正社員登用もセンターで年に1人程度から全国で2-3人と大幅に縮小してきました。
当時自分はプレイヤーとしては成果を残してチームのマネージメントを契約社員として担当しておりましたが、給与は最盛期の半分程度にもかかわらず、客先に出向き謝罪をしたり法的なリスクのある案件をハンドリング、正社員として入社した社員の指導などを担当していました。
スキル的な意味では非常にタメになった期間だったのですが、いかんせん報酬と仕事が見合っておらず転職を検討し出しました。幸いここまでの仕事で培ったスキルには業界的な需要があり、早々に外資のカスタマーサポートの内定が決まり上司に報告をして退社の運びとなりました。
上記の通り契約社員は正しく雇用の調整弁として扱われ必要な時は持ち上げ、不必要になると変動できる給与を残しておきそちらをバッサリいくのは合理的だなと思いましたが、同時に古くからNの正社員採用をされてほとんどまともな仕事ができず、社内のお手紙を運ぶだけの仕事を毎日している人たちが自分の給料の倍以上もらっている環境はメンタル的にしんどかったです。
契約社員も労働組合に強制加入となって毎月5000円弱の組合費を取られるのですが、組合が役に立ったことは一度もなかったです。(Nの組合は文字通り御用組合で非正規雇用に対して動くことはありませんでした。)
繰り返しになりますがNTTの中の人の人柄はいいのですが、モラルが薄く内部では不道徳が横行しております。不倫やパワハラもそうですが、一般のお客様に対して不要な黒電話の料金を取り続けたり、引っ越しや新設の際に不要なオプションを無責任に山盛り付けたりが平気で行われていました。皆さんも自身の契約しっかり見直して、不思議な内容がないか確認してくださいね。その上でコールセンタに電話する時はできれば冷静に怒らず、契約の見直しを伝えてください。電話に出ているのは不利な待遇の中で働いている契約社員か派遣社員のオペレーターばかりです。
「話は聞かせて貰いましたわ!」
「じ、じょ、ジョウ? なぜここに? 話を聞いていたって、どこで、どうやって……」
フォンさんは娘の電撃来店に慌てふためく。
この場に居合わせているだけのタケモトさんやマスターは尚さら事態が飲み込めない。
「あー、えーっと、ですね……」
「お父様、ワタクシはここ最近、不思議でしたの。お父様の『キュークール』に対する、病的なまでの活動。ただハマったというだけで納得するには、あまりにも異常でしたもの」
センセイが順を追って説明しようとしているのに、ジョウ先輩はそれを遮って一方的に語り始めた。
自分の述懐を優先させるところはフォンさんと似ていて、やっぱり親子って感じだ。
「あそこまで執着していたのは……ワタクシのためでしたのね、お父様」
だが俺たちにはまるで理解できない。
「な、なんのこっちゃ……誰か、誰か説明してくれよー!」
タケモトさんの悲痛な叫びが店内に木霊した。
それから語られる、ジョウ先輩の断片的な思い出話。
それを俺なりに組み立てると、こんな感じだ。
自分の考えを表に出さず、行動も控えめで周りに言われたことしかやらない。
口調も普通だ。
それは親に対してもほぼ同じだった。
フォンさんは仕事で忙しく、家にほとんどいなかったため娘と会話すらマトモにできなかったんだ。
年頃の親子とは思えないほど、二人の関係には距離ができていた。
しかし、そんな状態を『キュアキュア』とかいう、当時やっていたアニメが救う。
ジョウ先輩はその映像に魅了され、時に親の忠告を無視するほど熱中することもあった。
しかし、そんな困った状況をフォンさんは逆に喜んだ。
だから、その心を育むため、フォンさんは娘の趣味を咎めなかった。
娘が好きなものを好きなように愛せるよう、怖気づかせないように、その姿を見せ続けた。
何となくだが、ようやっと話が見えてきた。
フォンさんの『キュークール』に対する愛情表現は、その頃の“クセ”ってことか。
子供の趣味を、子供のように大人が楽しむには、多少の羞恥心は気にしてられない。
ひとまず、どっかそこらへんに置いておく必要がある。
多少やりすぎでも、娘がそれで自信を持ってくれれば、と。
だけど、フォンさんは置きっぱなしにしてしまった。
どこに置いておいたのか忘れてしまったんだ。
5人男がいて全員モラハラって、自分のモラルを疑った方がいいんでない?
すぐ親を毒親扱いするのに似てる
人生でモテ期が来て5人から付き合わない?って言われたことがあるんだよね。浮かれるじゃん?もう二度とないと思って慎重に返事しようと思うじゃん?
5人ともモラハラだったんだよね。なにこの選んだらほとんどBAD ENDになるゲーム。弟切草?— トイアンナ (@10anj10) 2019年5月9日
最近Twitter上で小説の表紙を描きたい・描いて欲しい系のタグが流行っているのを生温い目で見守っている。
私は、いわゆる「字書き」といわれる二次創作者が苦手だ。
だが、もともとそうだった訳ではない。
人をカテゴライズすることを失礼だとは思いつつも、そうせざるを得ないくらい「字書き」には苦い思い出しかない。
長文乱文につきご注意ください。
私は絵描きなのだが、ありがたいことに相互フォローの字書きから小説本の表紙イラストの依頼が来たことがある。
誰かに寄稿を頼まれたこと自体が初めてだったのでジャンル別とはいえ、本当に嬉しかった。
数あるフォロワーの中から私に依頼が!と舞い上がっていたと思う。
表紙のデザインの打合せをして、「ああしたい」、「こういうのもいいよね」、なんて言い合いながら遂に表紙は完成。タイトルデザインも私。
気合を入れて制作したのが功を奏したのか、相手も気に入ってくれていたみたいだった。
賞賛の言葉を頂いて、「ああ、頑張った甲斐があったな」と充実感を得ていた。
イベント直前、字書きは新刊の宣伝をしていたので私自身の本ではないとはいえ、わくわくしながらチェックした。
…ん?私の名前は?
Twitterやpixivにも表紙画像付きであげているのに、紹介文に私の名前はどこにも無かった。
その後のツイートでも私に触れられることは無い。
通常「表紙は□□さんに描いて頂きました」とか書いてあるものだと思っていたけど、
この界隈はそんなものなのかな?と少しモヤモヤしたままその場は何も言わずにスルーしていた。
そんな気持ちのまま、イベント終了後に「表紙ありがとう」と書かれた旨の手紙と共に本が届いた。
字書きの名前は勿論、Twitterやpixiv IDまでしっかり記載されているというのに、だ。
え?なんで?と頭に衝撃が走って、真っ白になったのを覚えている。
もしも表紙イラストを気に入って私に興味を持ってくれた人が…、なんて淡い期待を思い切り打ち砕かれた。
でかでかと表紙イラストを飾っているにも関わらず、この本に「私」は存在しないのだ。
普通、ライトノベルでも文学作品でも表紙デザインの作者名は載っているもではないか。
あんなに打合せしたのに。装丁の相談だって受けたのに。睡眠時間を削って描いたのに。
全てがショックで心が張り裂けそうだった。
普通の人なら「奥付に名前の記載が無いんだけど!」と抗議しそうだが生来、人の顔色を窺って生きてきた私にとっては困難だった。
この一件で嫌われたらどうしよう…。
噂を広められて活動できなくなったらどうしよう…。
そんな考えが頭を巡って、結局どうすることもできなかった。あたしって、ほんとバカ。
聞いた話によると、この本の売り上げが字書きにとって過去最高の頒布数だったそうだ。
クソが。
残念なことにまだまだ続く。
上記の件もあり、すっかり疑心暗鬼になった私は表紙依頼を受ける時は、奥付に必ず私の名前を明記することを約束したうえで引き受けることにした。
今度は同ジャンルの字書きから、新刊の表紙イラストの依頼があった。
奥付の件も納得してもらえたので、表紙イラスト~タイトルデザインを制作。
問題なく入稿し、相手もイベントを楽しんでいたようで本当に良かったと思った。
イベントも終わって落ち着いた頃に、新刊を送りたい旨の連絡があったので私は快く承諾。
すると字書きは
「本代○○円 送料○○円 合計○○円です。」
は?????????????????????????????????
目玉が飛び出るかと思った。新手の押し売りかよ。
今まで表紙を手掛けてイベントに不参加の場合には、献本という形で送ってもらっていたので本当に驚いた。
一万歩譲って「私が表紙を描きたいと字書きにお願いした」のなら、上記の内容も分かる。
しかし、「字書きが私に表紙を描いて欲しいとお願いした」のにこの有様。
字書きは更に「振込はこちらにお願いします」と続けた。どうやら振込手数料も私持ちらしい。
印刷費厳しいのかな?と思い込むことで怒りを抑えて、支払った。
ええ、支払いましたよ。あたしって、ほんとバカ。
その後、奥付だけ確認して読まずに捨てた。高い勉強代だと思った。
クソが。
そんなことがありつつも、中には好きな字書きもいた。
支部で作品を読んで、その精巧な話の組み立て方、キャラクターの心情表現の緻密さに魅了された。
本職なのでは?と疑うくらいに、作品のクオリティが桁違いだったと思う。
Twitterで作品を紹介させて頂いたところ、ちょうどTwitterを開設したばかりの字書きの目に留まり相互フォローになって仲良くなっていった。
本当に好きだった。崇拝していた。
前述したとおり、私は絵描きなのでTwitterにイラストを投稿する。
字書きもそれに反応して、よく感想をくれていた。
しかし、徐々に感想は私のイラストとは関係ない字書きの宣伝にすり替わっていった。
イラストを投稿すれば「イラスト素敵ですね!そういえば、支部に作品を投稿しました。(支部のURL)○○が××する話なのですが、△△も出てきます」という具合に。
最初こそわざわざ教えてくれてありがたいな、と思っていたが8割方宣伝ツイート、
感想はおまけ程度、感想クレクレが滲み出た会話内容にだんだん疲れてきた。
字書きにも徐々にフォロワーが増えていき、私に構うことも減ってたまに会話する程度になった。それはそれで楽だった。
ある時、字書きは「○○はこんなこと言わないw」とツイートした。
私の新刊の内容であることは明らかでそれに派生して界隈を巻き込むプチ論争になっていたようだったが、私も納得する部分があるため傍観していた。
しかし、字書きの
「私の○○はこう!誰にも批判させない!」
この発言を、私は許せなかった。
撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ、とどこかの皇帝も言っている通り批判したからには批判される覚悟を持たなければならないだろうと私は考える。
しかし字書きは、批判はするけど私のことは批判しないでね☆彡ときたものだ。
もう許せなかった。その思想が。神経が。
今まで積もり積もった鬱憤もあり、全てをブロックした。全てを。字書きの作品が目に入る全てを。
愛情の裏返しとは凄いもので、今まで敬愛していた作品も全部汚物のように思えてブクマを外した。
ぶっちゃけ最後は字書き関係ないけど、上記の以外にもいろいろあって字書きが苦手だ。
あと、字書きって聞いてもいないのに何で自分語りばかりするの?承認欲求の塊なの?
○○さんに私の作品が好きって言われました!××さんに新刊渡せた!とか、わざわざDMで送ってくる。聞いちゃいねぇ。
最近も、頼んでもいないのに字書きに新刊の紹介をされて押し売りされた。
イラスト等と一緒で絵柄の好みがあるように、小説だって文体の好みってものがある。
あと、ある字書きは奥付の記載には自分の名前とTwitter、pixiv IDや連絡先を載せてるのに、表紙担当の私は名前だけなのは何故なの?Twitterの宣伝でも頑なに私のID載せないけどなんなの?そういうものなの?これが普通なの?絵描きの情報開示したら死んでしまう病気にでも罹っているの?頼む治療してくれ。
絵描きだってアレな奴居るじゃん!と思われる方がいるだろうが、少なくとも私は絵描きに今までそういったことを受けたことはない。
中には良識的で素敵な作品を書き上げる字書きが居ることも知っている。
しかし、それさえも掻き消してしまうような特殊な字書き共が私の周りには多すぎた。
いや、苦手という言葉では生温い。
私は「モラルと常識が無い字書き」が嫌いだ。大嫌いだ。消えてしまえばいい。
当初述べた表紙タグで良心的な絵描きが、私のような目に遭わないことを切に祈る。
私は今請け負っている表紙イラストで小説本のお手伝いは今後一切もうやめる。
まだやってんのかよ!、と思われた方もいるだろうが断れない性格って本当に損するので今から矯正できる人は矯正した方が絶対にいい。
あたしって、ほんとバカ。
もう疲れた。
全てフィクションです。
https://anond.hatelabo.jp/20190503141220
元ブログ主の態度を諌めるだけでなんの提案もない。元ブログ主は性的なコンテンツ(女性を扱ったもの全般)について批判する傾向にあるが、それに対する反論が「お前の嫌いなものを論うだけでは社会が窮屈する」では何も考えていないのと同じ。同様の理屈の議論で「煙草の次は酒が規制か?」というテーマがあるが、健康被害と社会的な影響を量化して語らないと結論が出ない話に対して「酒の規制された社会は他人にとって地獄かもしれないと認識するモラルを持て」と言って何が解決するのか。元ブログ主に問題点として突きつけるのならば「あなたは性的コンテンツが社会に与える影響を定量化できますか?」であって、その裏のプロパガンダに「気に食わん」と文句を言ってもどうにもならない。元ブログ主の態度が変われば社会がよくなるか?元ブログ主の言うことをうるさいなって思う人々の溜飲を下げる程度には、よくなるかもしれない。
http://lty.hatenablog.com/entry/2019/05/02/135439
一言で言えば創作物に対して現実の社会規範をもって批判していること。作品の巧拙にはまったく関係がないし、ポリコレ的にアウトだから「描いて、そのおかしさに気づいてほしかった」「描いて、修正すべき表現を見つけてほしかった」とか言い出すのは表現の自由の侵害につながる。
くだんのブログはよく創作物を批判しているが、そういった規範批評の対象になっているのは性的な要素を含んだ作品だけだ。世には犯罪者を主人公に据えたロマン・ノワールなど現実的には許されない行為を華々しく描くものが存在するものの、そういった作品は批判の対象になっていない。けっきょくのところブログ主が性嫌悪者であり、自分の気に入らないものを叩いて回っているのが実際のところだろう。
最も問題なのは、そういったいわばオナニーにすぎないものを「一人の大人として、社会をより良いものにしていきたい」とか「社会の構成員として子供が安心して安全に暮らせる社会を目指」すことに資すると考えている点にある。
(すでに消されているのでスクショ:https://i.gyazo.com/d67c7963d6021fb51b56279d0aba7b95.png)
この手の自分の嫌いなものをただ叩いているだけにも関わらずそれを正義と思い込んでいる人間がいちばん始末に負えない。
作品の是非を倫理や道徳で問うならブログ主の考える良い社会は他者にとっての地獄になりうる、というモラルぐらい持ってほしい。
なんか上記を「作品批判=表現の自由の侵害! という主張」と誤読してる(あるいはそういう主張をしてるようにしたい?)人がいるんだけどそんなことは一言も書いてないよ。
>ポリコレ的にアウトだから「描いて、そのおかしさに気づいてほしかった」「描いて、修正すべき表現を見つけてほしかった」とか言い出すのは表現の自由の侵害につながる。
って書いてるんだよね(誰かがとった魚拓:https://archive.is/af9dJ)。
元ブログには「ポリコレを目指すことで様々なコンテンツの面白さが損なわれていくとは思ってません」という文章もあって、ポリコレ的にアウトな作品は無くせという主張と地続きになってることを危惧してる。なんか言うなら最低限そこは理解してからにしてくれ。
あと、
書いた人です。好き嫌いの話じゃないんだなー。君は例えばクジラックスの作品がコロコロに載ってても問題ないと思う?抗日ドラマを流す国をどう思う?俺は創作物の「扱われ方」とその社会の在り方に関係があると思っ
http://b.hatena.ne.jp/entry/4668195090215590242/comment/lightly
いやいやいやいやゾーニングの話は全然してなかったよね!?!?!?
ポリコレ的にアウトだからそこ直せって主張だったよね!?!?!?
そこまったく違う話なんだけど自分で何いってるかわからんくなってんの?
ちなみに俺は抗日ドラマを流す国のことはなんとも思わない。フィクションだし。日本で流してもぜんぜんいいと思う。ただ俺は見ないだけ。
クジラックスの作品(ここでは『がいがぁかうんたぁ』を想定)がコロコロ(ここでは『月刊コロコロコミック』を想定)に載るのはまずいでしょ。18禁マークをつけて売り場をわけてる意味とそれによって守られているものはあるわけで、それは支持する派。
まだ手続き自体はしていないのだがまずはそこに至るまでの経緯を
学年があがる毎にテストを意識すると机に向かう時間だけが延びて頭には何も入ってこない残らないようになっていった
今までは気合いで乗り越えたり気晴らししたりでなんとかやり過ごしてきたが今回は日頃の生活や趣味に至るまで何にも気力が湧かずいわゆる鬱の状態になってしまった
留年になって休学して実家にいるが戻って同じ内容をまたやろうなんて気持ちにはさらさらなれない
学問だけでもそんな感じなのだが職業としても医者をやっていける気がしない
先輩に将来の話を聞く度に嫌になった
勉強勉強勉強、労働労働労働の毎日とてもじゃないがやっていけそうもない
たいした志もなく、やりたいこともなく、ただ高校までの勉強がそれなりに出来て周りの期待に調子にのった結果がこれだ
なんなんだよあいつら
なんであんな量を覚えられるんだよ
それでいてサークルも趣味も異性との時間もちゃんととっててまじですげぇよ
周りには人間ができすぎてるのが1割、普通なのが3割、どっかしら頭おかしいやつが6割なんだが留年するのは学年の多くて1割2割
なんでこんな人の気持ちを考えられない、寄り添えないやつらが自分よりも優秀な医学生なんだろうって胸くそ悪くなってしまった
でも当たり前だ
患者からすればいくら性格が終わっていようが勤勉で優秀な先生の方がいいだろうし、いくら性格がよかろうとスタートラインに立てないならクソの役にも立たない
ただ問題なのは自分の能力というものに全くの自信がなくなってしまったことだ
それでも卒業して大学に進めたのは好き嫌いとは別に向いていただけだったのではないか
自分が嫌だやりたくない向いていないと思ったことでも必要となればやり遂げる、そういったことへの耐性が他者より著しく低いのではないか
それはつまりこの社会で生きていくことに向いていないということではないだろうか
少し回復してきて元々の趣味であった歌がまた楽しめるようになり、そういった好きなことで生きていく道もあるんじゃないかと考える一方で、どんな道でもやりたくないこと向いていないことはあるだろうしそれらを乗り越えていく自信がない
実家が太ければそのハードルは低くなるんだろうが現実はそう甘くない
こんなつらいことを続けるなら死んだ方がましだ、という逃げが幸いにも親の庇護下では許してもらえる
しかしまた同じような状況になったとしたらまた逃げてしまうのではないか
そのたびに思い悩んで苦しむような自分にとってマイナスの大きい人生に意味はあるのだろうかと
そう思ってしまう
ちょっと話がそれるが恋人のような人がいれば愚痴を聞いてもらおうとかその人のために生きようとか考えられるかもしれない
でもそういった存在を求めること自体に反吐が出る冷めた自分がいる
これまで出来た恋人は始まり方こそ様々だがいつも自分が振られて終わった
デートも何もしていないのに、いや何もしなかったからなのだろう
勉強や部活を言い訳にして、ほとんど恋人らしいことをせずに関係が終わる
自分の中での相手への愛情は本物であるはずだが、だから何かをしたいとはならなかった
たまに会って話してお互いが好きであることが確認できれば良かった
振られて大きく引きずって、でも同じ失敗をして次第に自分は彼女がいるというステータスが欲しかっただけなのではないかと思ってしまった
本当に相手を人として必要とするのではなく、自分を必要としてくれるものが欲しかっただけなのではないかと
他人を慮ろうとする気持ちは人一倍あると自負があるが、一方で他人の気持ちなんて分かりっこないし自分への好意なんて誰にもないのではないかと疑ってしまう
そう考えている自分も嫌いで異性に恋愛感情を持つことがなくなってしまった
今自分が生きているのは一度自殺未遂をして、生きて帰ってしまって家族の悲しむ姿を見て、死を選ぶことは何があってもダメだと諭されたからである
20歳超えてこんなところまで親の意見に縋っている自分が本当に惨めだ
小難しいことばかり考えて、生きることから目をそらしてばかりの毎日で、カウンセラーや医者に診てもらっているがこんな考え方の根本から変わる気がしない
自分語りをしまくったが結局、今この世の中で自分の意志で生きている人々はすべからくすごい人たちであり、その意味で本当は底辺であるのに変なプライドを持ってしまった自分は生きていく意味と手段を見つけられるだろうかという不安に苛まれ続けている