はてなキーワード: ファゴットとは
クラシックやジャズに興味がないという人も少なくはないでしょう。かなり初歩的な内容になりますが、編成について少しだけでも知れば解像度が上がるかもしれません。音楽は調和の芸術ですが、個々の音に分解して耳を傾けてみるのも楽しいのではないかと思います。
バッハやベートーヴェンなど、いわゆるクラシック音楽などの編成。映画音楽もこれが多いですね。弦、金管、木管、打楽器が編成の基本。
弦は小さい方からバイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス。
打楽器は……まあ、色々です。スネア、ティンパニ、シロフォン(木琴1)、マリンバ(木琴2)、グロッケン(鉄琴1)、ビブラフォン(鉄琴2)、…etc
ここぞという時に使う持ち替えの楽器というものもあります。フルートの人がピッコロ、トランペットの人がピッコロトランペット、オーボエの人がイングリッシュホルン、他にも色々。
小さい楽器ほど高い音が鳴り主旋律を担当し、大きくなるほど低い音になりリズム隊の担当になります。中間の楽器はそれぞれの橋渡しと言った所でしょう。
弦楽器は和音も出せますが、基本的にオーケストラで使う楽器は単音しか出せません。調和の音楽たる所以でしょう。
楽曲によってはハープやピアノ、その他おもしろ楽器(打楽器による担当が多い気がする)が入ったりもします。サックスは基本入らないのですが、新しめの曲だと使われる事もあります。
楽器ごとに1st、2st、3rd(、4th…)と担当が分かれます。部活などでは、基本上の学年(か実力者)ほど若い数字のパートを担当。ソロは基本1st、曲により2ndが担当。
数字が若いほど高い音を担当し、パート全体で和音を構成します。
ソロパートなど目立てる箇所もありますが、個は埋もれがちかもしれませんね。指揮者に束ねられ、各々が細かく決められた役割のもと調和を目指す編成なのでしょう。
余談ですが、指揮者ってただ棒を振り回しているだけではなくて、コンサート本番に向けて楽団の練習を仕上げる監督の役割も大きいんですよ。
・室内楽
「クラシック」で一括りにされがちですが、オーケストラ以外にも少人数の編成があります。オーケストラが大衆向けの音楽だとしたら、室内楽は音楽が貴族のものだった頃の編成と言えるでしょう。音楽家に演奏させたり、自分らで演奏したり。バッハやモーツァルトが得意とする所ですね。
二人ならデュオ、三人ならトリオ、四人ならカルテット、五人ならクインテット……
編成は色々です。
弦楽四重奏のパッヘルベルのカノンなんかは極めて有名ですね。エヴァの旧劇場版のエンディングで流れた時、感動しました。木管五重奏では、なぜか金管のホルンが入ったりもます。
少人数で個が立つ編成の分、ジャズにも近い側面があるかもしれませんね。
・ジャズ
現代のポップスやロックの原点である、偉大なブラック・ミュージック。
ルーツについては色々言われているようです。その一つに、スコット・ジョプリンに代表されるラグタイムというピアノの曲のジャンルがあります。彼の"The Entertainer"は誰しも一度は聴いたことがあるでしょう。"Bethena"もベンジャミン・バトンで重要なテーマ曲になっていました。
彼の曲を「クラシック」ではなく「ラグタイム」と言えると、ちょっとかっこいいかもしれませんね。
さて、ジャズの編成について。
トリオやカルテットなど、少人数でのセッションとビッグバンドに大別されます。
ドラムス、ウッドベース(オーケストラで使うコントラバスと同じものです。弓は使わずピッチカートだけで弾く場合が多いですね)、エレキベースなどのリズム楽器、トランペット、トロンボーン、アルトサックス、テナーサックスなどのメロディー楽器。あるいはボーカルも。ピアノとエレキギターは万能です。
それぞれから一つずつ以上選ぶのが基本です。ベーシックな編成としては、ドラムス、ベース、ピアノ/管楽器/ボーカルのトリオでしょうか。
しかしジャズは自由な音楽です。リズム隊のベースやドラムにもよくソロが与えられますし、何ならメロディを丸ごと担当する事だってあります。
変わり種でフルートやバスクラリネットという楽器なんかも使われたりします。
大きなクラリネットにサックスみたいなウツボカズラがついててかっこいいんですよこの楽器。ジャズの奏者ではエリック・ドルフィーが有名です。
色々な編成を聴いてジャズという音楽の懐の深さを感じるのもまた一興でしょう。
そして、ビッグバンドについて。ビッグバンドといえばグレン・ミラー。youtubeで色々聴けると思います。どれか一つくらいは耳に覚えがあるでしょう。『茶色の小瓶』や『アメリカン・パトロール』なんかが特に有名ですね。
編成としては、ブラスバンドに近いかもしれません。金管はトランペット、トロンボーン、木管はクラリネットとバリトン〜アルトサックス、リズム隊にピアノ、ベース、ドラムス。オーケストラ同様に、1st、2ndが割り振られます。
少人数でのセッションのライブ感に対して、比較的まとまりのあるサウンドと言いましょうか。予定調和的ではあるかもしれませんが、足並み揃った音の厚みや迫力はまた魅力的なものです。
偏見ですが、中高の吹奏楽部員上がりはビッグバンドかオーケストラに入りがちな気がします。
ジャズの魅力の一つに、キンキンと鳴り響く金管のハイトーンがあります。メイナードファーガソンや、エリック宮城なんかが有名どころでしょうか。「すごい!かっこいいなあ…」となるものですが、こればっかりは実際に自分で楽器をやってみないと凄さが中々分からないものでしょう。
余談ですが、ビッグバンドのトランペットは2ndがソロを吹く事も少なくありません。1stもハイノートで疲れているんでしょうかね。
ジャズにはフュージョンというジャンルもあり、T-SQUAREやウェザー・リポートなどが代表的でしょうか。今はあまり流行りではありませんでしたが、EWIやリリコンという電子管楽器が使われていました。ジャズがスノッブで肩肘張った音楽ジャンルに思われるかもしれませんが、案外ミーハーな所もあるかもしれませんよ。
・吹奏楽
日本の部活ではこれ。たまに間違えられますが、「ブラスバンド」はサックス+金管楽器(+パーカッション)の編成なので、実は異なるものです。サックスも金管楽器なんじゃないか?と思われるかもしれませんが、楽器の素材ではなく音の出し方による分類のため、木管楽器になります。
ブラスバンドにはスーザフォンやコルネット(ほぼトランペットです)、バリトンやアルトホルンなどマイナーな楽器が使われたりもます。
さて、本題の吹奏楽。
基本的にはオーケストラから弦楽器が丸ごと抜け落ち、管楽器にユーフォニアムとサックスが入ります。「吹奏」楽たる所以ですね。
管弦楽曲の吹奏楽編曲では、弦楽器が担っていた主旋律をクラリネットが代わりに担当している印象があります。しかし、弦と管ではやはり表現が異なります。特にピッチカートという弦を弾く演奏法は、管楽器でいくらスタッカートを強調した所で別なものです。にもかかわらず、指揮者に「ピッチカートっぽく弾いて」なんて無茶振りをされる光景はままあるような気がします。
中高生の部活で弦楽器を扱うのが難しい(幼い頃からやっていないと人前で演奏するレベルになるのは難しいという風潮?傾向?があります)という事情のもと、部活では管弦楽ではなく吹奏楽が多く採用されているのではないかと思います。
しかし、吹奏楽独自の編成を活かした曲があまり書かれておらず、オーケストラやジャズ、ポップスの吹奏楽版編曲が多く演奏されがちな気がします。それって別に吹奏楽編成でやる必要なくない?となってしまうので、吹奏楽らしさを活かした快活で明るいサウンドにしようとの苦心が見られますが、どうにもダサい方に転んでしまう印象を受けます。
悪口のようになってしまいましたが、吹奏楽にも独自の良さはあるはずです。コンクールでもよく使われる曲を作っている樽屋雅徳という方は、吹奏楽編成のための曲を書いているので、興味があればぜひ。
人気の高い楽器を演奏する人は、演奏させてくれる楽団を探すのが大変である。一方、上達のための情報も選べるパーツも多い。私は体格に恵まれず昔から競争を避ける習慣がついたので体格に恵まれないにも関わらずバリトンサックスを選び20年以上演奏させて頂いている。フルート、アルトサックス、クラリネット、トランペットなどメロディーを担う楽器の奏者はそのポジション数と比較して演奏人口が多いため
等の必要に迫られる。ロックバンドのエレキギターリストも似たような状況である。一方、低音管楽器奏者はどちらかというと頼まれて楽団をヘルプする形で演奏に参加する。ロックバンドではドラマーがそのような位置づけである。日本の吹奏楽文化がアマチュア管楽器奏者を大量生産しているの対し弦楽器奏者は少ないのでアマチュアオーケストラの弦楽器パートは常に人数不足という話も良く聞く。
低音管楽器。おいしい様に思えるが色々困難もある。
平均年齢高めのはてな諸兄なら、なんとなく覚えている人も結構いると思うが、今ほどシンセサイザーが発達する前の昭和の歌番組は、伴奏やジングルのためにお抱えのミュージシャンが多数出演するという、現在では考えられないほど贅沢な造りだった。
なおかつ演奏者の調達の都合(まとめて声掛けできる)からか、それが歌番独特のサウンドを生んでいた。
そのサウンドを自分の耳で聴いた感じや、当時の関係者が昔どこかのサイトに書き残していた情報によると、どうやら楽器編成は以下の通りのようである。
さて、「自分の耳で」と書いたが、これは別にyoutubeに上がっている昭和の歌番組のアーカイブだけが頼りではない。
というのも、このサウンドは平成を通じて令和の現在に至るまで、着実にアップデートしつつ受け継がれているからだ。
個人的には主にアニメやゲームとかの2次元コンテンツ関係で見る機会が多いので、以下全てそっち系から、古い順に曲紹介である。
昔と違って予算の関係もあるのか、曲によっては弦やリズムセクションが打ち込みだったり、更にはブラス隊まで打ち込みになってそうなのもあるにはある。
ただ最近のシンセ音源はかなり高品質なようで、そこそこ「生っぽい」感じ。
ともかく、いずれの曲も華やかなトランペット、印象的な旋律を奏でるヴァイオリンがとても魅力で、上手いアレンジだとピアノの立体感、サックスの艶、トロンボーンの直線的で力強い咆哮、ヴィオラ・チェロの全体を包み込むような響きも楽しめる。
聴き慣れてくると癖になるサウンドだし、何よりバンドやユニット以上に「プロミュージシャンが集まって奏でている」迫力がひしひし伝わってくるのも良い。
なので、今は色々厳しい話も多いと思うけど、細々でもいいから無くなってほしくないサウンドだ。
あと、個人的に当時の昭和の歌番のサウンドが途方もなかったと思うのは、予算や人の都合からか、レコード(CDすらない時代)の原曲と同じかそれに近い楽器編成を実現できない場合でも、番組ではレコードと同じに聞こえた点。
少なくとも素人の視聴者には違和感ない程度に一緒に聞こえるというのは、個々のミュージシャンがちゃんと歌手の個性とか歌の性質を理解し、音に仕上げていたことを意味するわけで、これこそプロの技だよなあと感心してしまう。
楽器の方でなんとかしてくれよ
← できるものならとっくにやってるよ。フルートはベームが実現したおかげで今のベーム式フルートは音程が安定している上に音量は出るし音質も割と均質だ。(そこがつまらない点だとも言えるが)
この点ではオーボエもクラリネットも結構頑張ってるけど、ファゴットでは同じアプローチが全く上手くいかなかったそうだ。ベーム式ファゴットを作ってはみたものの、音色が貧弱で全く使い物にならなかったとか。ファゴットの最大の魅力はあの複雑な響きのする音色なのにそれが殺されちゃったら如何にフィンガリングが合理的であろうと音程が安定していようと意味が無いもんね。ホルンもこっちなんじゃないの? (対照的なのがトロンボーンかな)
(Ǝ)ɐsıɥıɥso⅄ ouɐɓnS:韓国は徴兵制ほったらかして欧米型のフェミニズムやってたらかまあそうなるだろな……。そもそも徴兵制自体が現代にはそぐわないわけだがねえ / “韓国、女性徴兵に29万人賛同 男性の不満反映か | 共同通信”
SEAHAL:北朝鮮がいる韓国にそれを言うのは酷すぎる。仮に統一しても、ロシアと中国がいるので、彼の地では徴兵制を廃止は無理でしょう。 twitter.com/koshian/status…
(Ǝ)ɐsıɥıɥso⅄ ouɐɓnS:軍備が30〜40年前のまんまならそうだろうけど現代戦争の本質は「爆発物を敵陣に運ぶこと」なので、ミサイルやら無人機やら発達した現代戦にそんな大量の陸軍兵士はいらんのですよ
SEAHAL:もっというと「専門性が高い兵士が欲しい」のですよね それらの兵器を扱う事が出来る 戦う術を知っている兵士 動員された兵ではなく 精鋭が大量に欲しいのですよねぇ
(Ǝ)ɐsıɥıɥso⅄ ouɐɓnS:教育コスト爆増なので兵士が使い捨てにできなくなってる……
ナード・ファゴット:銀英伝厨ほど「そんなわけあるか」と強弁しがち。 医師の徴用を含め「軍による優秀な人材の横取りガー」という風刺を過剰に崇拝している。
(Ǝ)ɐsıɥıɥso⅄ ouɐɓnS:いや逆に「優秀な人材」は軍と民間でとりあうことになるんじゃないのかな 昔みたいに爆発物を「線路を敷いて列車で運んだり、人海戦術で運び込む」ということをしなくてもよくなったというだけなのでなー
ナード・ファゴット:それってつまり、大人数を必要としたのは歩兵という名の戦う人じゃなく荷物を運ぶ人という事ですか?(極論ですみません)
(Ǝ)ɐsıɥıɥso⅄ ouɐɓnS:極論をいうとわりとそうです。ローマの時代から戦争とは道を作ってものを運ぶことだったので。近代になるとそれが線路になったわけですね 現代は航空機やミサイルが運んでくれるので人手があまりかからなくなった
飽くまで極論である。極論なのですが……
ひたすらローマを賛美する様な人に合わせると「戦闘だけじゃなく建築にも優れている」という設定にしないといけないのでしょうが、塹壕堀りをやらされる現代歩兵だけでは飽き足らず、装填手がいなくなったせいで戦車手入れ(整備兵じゃなくても出来る様なごく簡単な作業)の時間が長くなった戦車兵という悲しい話も知っちゃっているんですよ、私は。
ポリコレOO7に狂喜乱舞しながらガールズアンドパンツァーを目の仇にするのは仕方がないとしても隙あらば空腹実現党ほど左寄りのミリオタを貶める気満々のど左翼が信用出来ないだけで大概視野が広いのですよ、私は。
・どういう人?
フランス生まれ(1835-1921。七月王政~第一次大戦後)。小さいころは神童で、ピアノもオルガンも超一流で教養もあったすごい人。旅行も好きだった。オペラ、バレエ、合唱曲、あとは超絶技巧ものみたいな総合芸術が流行ってたフランスで、交響曲とかソナタみたいな堅苦しいジャンルをフランス人が書くならどうすればいいか模範を見せた。意識的に「フランス音楽」を作り上げた功績は大きいけど、長生きしすぎた(あと口が悪かった)せいで晩年は時代遅れ扱いを受けた。
・普通に有名な5曲
ザ代表作。交響曲とかいうドイツ語圏名産の重苦しい形式を、華、明快、節度が大事なフランス流の美学で仕立て直した金字塔。近いコンセプトのピアノ協奏曲第4番、ヴァイオリンソナタ第1番を聴いてみると、編成に合わせてどう曲想を変えてるかも楽しめる。
www.youtube.com/watch?v=eTsbgDBC4_k
サン=サーンスといえば協奏曲。ヴァイオリン協奏曲第3番とかチェロ協奏曲第1番も名作だけど、この曲は重厚な第1楽章、軽くて無邪気な第2楽章、情熱的な第3楽章とそれぞれ対照的な雰囲気が一度に楽しめる。
https://www.youtube.com/watch?v=tk_eqKUjDXE&list=OLAK5uy_kFlhz7yMPIyXhc1pQ-5NDDtQL0XezyFz8
若いころのサン=サーンスは「現代音楽家」で、古典を大事にもするけれど、形式の堅苦しさからは脱出しようとした。交響詩は当時最新鋭のジャンルで、死神のヴァイオリンとか、ガイコツを描写する木琴とか、ちょっと品のない表現もたくさん使って悪夢的な情景を表現しようとした意欲作。「オンファールの糸車」「アルジェリア組曲」もおすすめ。
www.youtube.com/watch?v=k1s28gmLicc
本人は発表を嫌がったっていうのもわかるけど、言いたいことを短く言い切る発想力と技術、やっぱりサン=サーンスだからこそ書けた作品だと思う。神秘的な「水族館」と馬鹿騒ぎの「化石」が個人的ハイライト。
www.youtube.com/watch?v=7SjagpXeNhM
サン=サーンスの堅いところと砕けたところが両方いい感じに出たオペラ。全部聴くと長い(でもオペラとしては短め)から、オリエントっぽさ満点の「バッカナール」が入ってて最後も派手な第3幕をとりあえず聴くといいと思う。異国趣味だとピアノ協奏曲第5番「エジプト風」の第2楽章とか、本人なりになんとか日本っぽさを出そうとがんばった「黄色の王女」も面白い。
www.youtube.com/watch?v=GNa8HOMcDvk
・そんなに有名じゃない(好きな人はたぶん知ってる)5曲
20代半ば、1860年ぐらいはサン=サーンスが最初に輝きはじめた時期だと思う。自分はこの曲が一番好きだけど、序奏とロンド・カプリチオーソ、ピアノ協奏曲第1番、交響曲第2番、チェロとピアノのための組曲 作品16、冒険心と若々しい覇気を感じる秀作ばかり。
https://www.youtube.com/watch?v=J34_SiyzsUw&list=OLAK5uy_nfoGOwtSlxkICv6SpIOPGmTsLh7soAVnU
ドイツっぽいド根性(ベートーヴェンとかブラームスとかワーグナーとかそういうやつ)はサン=サーンスの持ち味とは違うけど、この曲は珍しくベートーヴェンっぽい激しさ、硬質なかっこよさが味わえる。普仏戦争でドイツに負けて、自分たちのとこでも交響曲とかソナタとか作ってやろうと奮起した時期の曲だからだろうか。いわゆる「精神性」「深み」みたいなのは、「糸杉」作品156とかクラリネットソナタの第3楽章とかにある。
https://www.youtube.com/watch?v=AU2Eq1jKJGE&list=OLAK5uy_najeRAiKZJwnS2_n9wzLaYdgzMiOZ1RtY
ピアノの名人だったからピアノソロの曲もたくさんあるけど、楽器が身近すぎたからか良くも悪くも一瞬のひらめきで書いてて、波長が合わないといまいちアガらない。むしろ2台ピアノのほうが頭を悩ませながら作ったみたいな感じがあって工夫を楽しめる曲が揃ってる。この曲は優雅なワルツが軸なんだけど、ちょっと気を抜くと不穏な世界があるみたいな前衛的なシュールさもあって面白い。
www.youtube.com/watch?v=wNc7UNFcPMA
「オルガン付」で一度総決算して一息ついたあとの60代(20世紀に入る前後)は完成した作曲技術をつぎこんだ、地味だけど傑作の森だと思う。ヴァイオリンソナタ第2番、チェロ協奏曲第2番、弦楽四重奏曲第1番とかを経てこの曲はヴァイオリンとチェロの二重協奏曲。どこをとってもいい音楽を聴いてるなあと思う。
www.youtube.com/watch?v=wDT21gGt9FQ
そして死んだその年の曲。年をとって無邪気になるというか、どっか遠いとこを見るようになる作曲家はいろいろいるけど、86の爺さんはやっぱり格が違う。もう思い残すことはなさそうな感じ。クラリネットソナタとファゴットソナタと合わせて三部作だからそっちもぜひ聴いてほしい。
最近映画やってるということで、仲のいいオタクがこれを機に全部見ろと言ってくれて、今更全部履修しました。
映画も行きました。最高だった。
で、なにか楽器をやってみたい。
そう思い立って、近所の一般吹奏楽バンドがいくつかあるので、見学に行ってみた。
いろんな楽器を吹かせてもらった。楽しかった。どうだったかは以下に。
フルート 鳴らない。どんだけ吹いても鳴らない。スコー!!!っていうだけ。のぞみが好きだったのでつらかった。のぞみすごい。
クラリネット ドレミファソラシドはできた。指覚えられる気がしない。
アルト?サックス ドレミファソラシドはできた。思ってたよりでかいし重い!
ファゴット 鳴りはした。
コンバス やらなかった
トランペット ドレミファソラシドはできた。れいなみたいな綺麗な音とか高い音だすのどんだけ大変なの?
トロンボーン 鳴はした。スライドむずいし腕が短いから遠くキツイ。
ユーフォ ドレミファソラシドはできた。思ったよりでかいし重い。
チューバ ドレミファソラシドはできた。はづきちゃん毎日こんなの吹いてんの?マウスピースでかすぎてびっくり。
とにかく楽器吹くのって見てるよりずっと大変なんだね。なんつーか、リコーダーみたいに吹けば鳴るってもんではない!
やっぱ何年も吹いてる人と今初めて楽器触った!って人との音色の差が歴然すぎる。
響け!みたいに美しい音楽をするのはすんごく大変なんだなあ。
やっぱり学生時代に部活動でやってないとキツいなあ。この年で始めるのしんどいかもしれない。
ヤマハ大人のレッスン教室とかあるけど…。ああいうのの利用者で実際に楽器演奏をモノにした人ってどのくらいいるんだろう。そういう統計とか見てみたい。
教科書として手頃とはずいぶん失礼な話だな。
実際に取り組んでいて、過去の遺物として仕舞われるどころか、今でも歴史的価値に恥じない凄さがあるから人気を保ってるのだと思うけど。
てか、そんな見解が許されるのなら、近現代の楽曲はそれこそラーメンで言ったら二郎みたいなもんじゃん。
そんで下に書いたように、見方によっちゃゲテモノ嗜好な代物を無闇矢鱈に押し付けてくる手合が本当に多い。
音大受験ではほとんどの管楽器が古典派の楽曲を吹かされる(例えばトランペットはハイドン、オーボエやファゴットはモーツァルトとか)ことからして、プロが古典の曲をまともに吹けないのはダメだろう。
一方でアマは遊びでやってるんだから好きなのやれっていうのは正論だが、現実に大抵のアマオケでは管楽器の近現代嗜好ばっかり優先されるじゃん。
そうしたくなかったら、管楽器の人数を極端に絞って、かつトロンボーンとチューバは必要に応じてトラ呼ぶような「室内管弦楽団」にでもしないと無理なわけ。
ハッキリ言ってウザい。
全員が全員、近現代やドビュッシーシベリウスをやりたいわけじゃないのに、どういうわけかそういうのばっかり取り上げられる。
でもオケの中核である弦の人間で、近現代ばっかりやりたい奴なんて変わり者扱いだから。
そういう「弦の縄張り」であるはずのオケを、好き勝手に蹂躙するのが管楽器という認識なんだよね。
せめて「(美味しいところがたくさんある)オケの曲を吹きたい」じゃなく「(豊かな響きを作る)弦と一緒に吹きたい」くらいの意識で来てくれれば、少しは違うんだろうけど。
そんなの、
で解決するじゃん。
そしたら、日曜だってのに皆で集まって、朝っぱらから日が暮れるまでコンクールに向けて延々練習して擦り切れる…なんてバカげたことは起こらなくなるよ。
最初からプロに習い、レッスンで言われたことを信じて励めば、コンクール至上主義なんてアホな価値観に染まりようがないから。
てか、そんな朝から晩まで合わせる練習したからって、合奏が上手くなるなんて思ってもらっちゃ困る。そんなに音楽は甘くない。
もちろん努力は嘘をつかないが、努力した時間が多ければいいってもんじゃない。
あと、大してレベルの違わない先輩にいじくり回され、潰されるなんてリスクも回避できる。
そんで、見込みのある子はレッスンの先生が音大受験を勧めればいい。まあレアケースだろうけど。
そもそもレッスンで何を習い、何を目指すかだけど、基本的にはクラシックの協奏曲かジャズのいずれか、もしくは両方でソロを吹けるレベルを目指すべき。
そうした個人競技ベースの技量がないのに、合奏のイロハなんて教えても時間の無駄。
だって、音に芯のないフルート、ピッチの狂ったオーボエ、濁った音のクラリネット、音に品がないサックス、いつも苦しそうな音のファゴット、高音が出ないトランペット、毎度のように音を外すホルン、間抜けで汚い音のトロンボーン、存在感ゼロのユーフォニアム、やけに音が細いチューバとか、そんな下手くそが集まっても、足の引っ張り合いにしかならないし。
楽器を買うべきなのは、楽器の手入れだって演奏の一部だし、ピアノみたいな例外を除いて、どこに行っても自分の楽器で演奏するのが基本という観点による。
ちなみに安物(ただしゴミでないことが条件)でいいのは、そもそも管楽器は消耗品=買い替え前提なので、最初の楽器が壊れるレベルで使い込むくらいじゃないと、どのみち上達しないから。
ららマジというコンテンツがある。「キミと奏でる、音と魔法の学園RPG。」だそうだ。こんなこと言ってる時点でもう丸わかりだが、完全なる未プレイのままこれを書いている
そして自己紹介をすると、クラシックオタである。オタクと言ってもどれくらいかという話だが、バッハからギリギリウェーベルンまでと言った感じである
(ルネサンスの完全ポリフォニー音楽は正直よくわからんし、ウェーベルンで十二音音楽がギリギリって程度で、ベルクとか分からんし、セリエル音楽とか完全にダメである)
まあ要はクラシックオタとしては及第点ぐらいなのではないかという感じだ。自分で思っているだけだが、流石に新ウィーン楽派必修はキツすぎるしこんなもんだろう
そして、ららマジの存在は知っているのだが、それ故に全く手を付ける気になれない
要はミリヲタが艦これに文句つけてるアレである。知ってるとどうしたってアラが見えてしまうのだ
というわけで以降アラをあげつらう。ただ、最初に書いておくが、クラシックを題材に据えてくれたことそれ自体には感謝したい。大概な過疎界隈なので…
まず最初に引っかかったのがこれである。ワグナーチューバ専がいたのだ。おそらく人類初のワグナーチューバ専の演奏者ではないか?
どういうことか説明する。ワグナーチューバとかその名の通りリヒャルト・ワグナーが導入した楽器である
問題はその役割である。ワグナーチューバというのは、端的に言うとホルン奏者が持ち替えで吹くチューバ、要は補助楽器なのである
まず楽曲に登場する際もその様な管弦合奏の中での役割しか無い。無論ワグナーチューバの独奏曲なるものも地上には殆ど存在していないと思われる
ワグナーチューバ専の彼女が何の為に生きているか深刻に謎なのだ。もっと彼女の存在意義を明らかにして欲しい
単にワグナーチューバがちょっと奇を衒ったチョイスだと思ってこんなことをしたのなら…正直それは最もオタクが憎むところである
さっきの発想を拡大していけば自然とこういう結論が導き出されるのだ
まず編成が滅茶苦茶である。ワグナーチューバは勿論だが、なぜか胡弓がいる。譚盾でもやるのか?
ピッコロ・フルート奏者と、ファゴット・コントラファゴット奏者とそれぞれ別々ににいるし、オーボエもいないのになぜかイングリッシュホルンがいる
というか弦楽合奏の縁の下の力持ち、ヴィオラがいない。クラシックやる気ねえだろお前
まず、各楽器一人づつしかいないのが致命的におかしい。これで合奏なんかできるわけないじゃないか
一応確認してみたが、弦楽合奏はヴィオラが居ないのでまずどの編成も無理だし、金管五重奏をやるにはチューバがいないし
オーボエも居ないので木管五重奏も出来ない(イングリッシュホルンの奴を強制的にオーボエに持ち替えさせればイケなくはないが)
率直に言ってこの部活、端から演奏活動をする気があるとは思えないのである。演奏活動をしない音楽部ってなんだ?
まだ楽器弾けないクラシックオタが放課後に集まって一緒にクラシック聞く方がよほど真面目に部活動してると言えそうである
まず何のチューナーなのかが全く聞こえてこない。そこ、いちばん重要な情報である
…が、状況を見れば十中八九ピアノの調律師であろう。そうすると次の問題が出てきて、器楽部なんかで遊ばずにピアノ調律師の専門学校へ行けということだ
ピアノの「チューニング」自体は、実は器具さえあればクソ簡単である。あれは打弦楽器であり、本質的にギターのチューニングと同じなんだから当然だ
ピアノ「調律」のミソはピアノ全体の調整、とりわけハンマーの調整である。逆にここは素人が立ち入れるところでは全く無い
というかピアノ調律師は国家資格なのである。苟もこんな場所で遊んでいる暇などないはずなのだ
(ただ、ピアノ調律師なのではないかという推測は、チューナーくんがあれほどモテモテな事実への一つの根拠となる気がしている
ピアノ調律師はピアノ全体の調整をやらなきゃいけない都合上、一定程度のピアノ演奏の腕を持っていると考えていい
…そうピアノ奏者である。室内楽をやりたい器楽部に致命的に欠けていたピアノ奏者がここにいるのだ
ピアノとの二重奏による室内楽ソナタというのは各楽器に果てしなくあり、というかほぼその楽器の独奏曲レパートリーと言っていい
ピアノ演奏ができる、そして部員としてそれぐらいしかすることのないチューナーくんは引っ張りだこになること請け合いなのである)
ここまではららマジの方に100%非があることだと思っているが、これはららマジの方の非が50%、この増田の方の非が50%ぐらいだと思う
その前置きをした上で言うが、ららマジの曲チョイスはクラシックへの愛が欠片も感じられず、はっきり言って嫌悪感がするのである
Act 1「いばら姫」:バレエ音楽「眠れる森の美女」(チャイコフスキー)
Act 3「どうにもとまらない」:「どうにもとまらない」(山本リンダ)
Act 4「マイフェアレディ」:ミュージカル「マイ・フェア・レディ」(フレデリック・ロウ)
Act 5「ある晴れた日に」:歌劇「蝶々夫人」(プッチーニ)
Act 7「マランドリーノ」:喜歌劇「怪盗団/山賊の仕業」(スッペ)
Act 9「美しく蒼きドナウ」:「美しく青きドナウ」(ヨハン・シュトラウス2世)
Act 11「ハッピーアンバースデイソング」:映画「ふしぎの国のアリス」(オリバー・ウォレス)
Act 12「カノホナピリカイ」:フラソング「カノホナピリカイ」(ケアリィ・レイシェル編曲)
クラシック好きと言うのはガチの選民思想的なところがあり、こういう事をされると相当カチンと来るのである
そんなPOPなチョイスしたいなら吉松隆でも選べばいいじゃないか
数少ないクラシックのチョイスにしても、スッペの怪盗団を選んだ所以外全く評価できるところがない
24の前奏曲から第15番を選び、更にそれに「雨だれ」の題名を冠するのとか最悪である
今どきベト5を「運命が扉を叩く音」と言い出すぐらい古臭い最低なセンスである
音楽を、ただ音楽それ自体を聴いてくれ。エピソードはそれをやったもののみが語るべき要素である
ネタバレ有なのでそれでも構わない方のみご覧下さい。
昨日レイトショーに駆け込んで観てきました。
まず初めに、私は吹奏楽におおよそ10年青春を捧げた男です。担当楽器はユーフォニアムとトロンボーンでした。
久しぶりにパンフレットを買いました。
吹奏楽部出身者として映画を観ながら思ったことを書いてみたいと思います。
まず、冒頭のシーンからずっと希美さんとみぞれさんは少しずつ演奏がズレています。
二人で吹いていればそれとなく寄せて合わせていこうとするのが普通です。
冒頭の演奏ではそういった様子が2人からは感じられませんでしたし、
音からだけでも2人は、ほんの少しだけずれた
平行線を辿っているような、
そんな印象を受けました。
吹奏楽部において人間関係の不和が音に影響する、というのは良くあることでして、
ある程度歳を重ねると人間関係を音楽に持ち込まない、ということが出来るようになったりもするのですが、
高校生というのはその辺りむき出しです。
良い演奏を聴いて耳が肥えてきても
お世辞にも上手とは言えない高校生の演奏に胸を打たれることがあるのは
その子たちがどういった高校生活を送って来たのか、それが演奏から透けて見えるような気がするからです。
冒頭のシーンを見たときに、
オーボエやファゴットなどのダブルリードという楽器はアンブシュア(吹く際の口の形)がやや特殊でどう頑張っても横顔が若干不細工になってしまうんですよね
3年生の、しかもフルートという花形の楽器の中心人物で、コンクールの自由曲でソロがあるような子の名前をトレーナーの先生がうろ覚えだということは、まずあり得ません。
希美さんの挫折感を更に煽る結果になったとも言えるかもしれません。
あそこまでの状況はないにせよ、
他人の才能に嫉妬する瞬間、というのは吹奏楽をやっていると感じたことがある人は多い気がします。
この人には敵わないなと思わされた経験は
その後、諦めず努力して、上手くなってやろうという気持ちはとても大事ですし、
高校生であれば追いつき、追い抜くということも不可能ではないでしょう
しかし、高3のコンクール、これで最後だというタイミングでそれを見せつけられることは
絶望です。
希美さんの心情を考えると胸がしめつけられるような気持ちにはなりましたが、
あのシーンはただ、ただ素晴らしかった。
アニメにさほど詳しい訳ではありませんが、
後世に残る映像なのではないでしょうか。
京アニの楽器演奏シーンというとやはり思い出すのは涼宮ハルヒの憂鬱のGod knows…のギターソロですが、あれから10年が経ち、ここまで表現は進化したのかと、圧倒されました。
被写体深度が次々と移り変わり、映像がボヤけ、直接希美さんの視界を映している訳ではないのにまるで泣いているかのような表現、
そして涙を堪え切れなくなった希美さんのフルートが息絶え絶えになってしまって音がかすれ、抜けてしまう表現、
そして何より、あのオーボエ。
上手なオーボエは、
音が飛ぶんです。浮くんです。
それこそまるで鳥が飛び立ち、自由に空を舞っているような、本当にそんな音がします。
あのシーンはそれまでのみぞれさんの音にはなかったオーボエの独特な浮遊感が表現されていました。
名演としか言いようがないです。
音響の良い映画館であればオーボエの音が上から降って来るような感覚に襲われた人もいるかもしれません。正直、あの演奏を聴くだけでも映画館に行く価値があると思います。
あのシーンを見たとき、
「音だけで、こんなにも繊細にものを語ることが出来るんだ」と、
そう思いました。
エンドロールに奏者の名前がありませんでしたが、あれはどなたが吹かれたものなんでしょうか。
あの演奏は、音で、芝居をしていました。演技をしていました。ブラボーと言わせて下さい。
最後に、
劇場版のけいおん!!が公開された後に、宇多丸さんがラジオで評論していたのを思い出しました。
宇多丸さんは映画を観るにあたってTV版も全て視聴されたらしいです。
概ね絶賛されていましたが、一つだけ、
軽音部の面々が同じ大学に進学するという選択をしたことに苦言を呈していました。
というのも、軽音部は本来高校だけの期間限定、終わりがあるからこそ、儚いのだと
まぁそんなようなことをおっしゃっていたような気がします。(記憶が曖昧なので大分脚色が入ってる気がします)
私も当時その通りだと思いました。
だからこそ楽しくて仕方ない一瞬一瞬が
一種の切なさを纏うのだと。
リズと青い鳥の終盤、希美さんとみぞれさんは各々別の進路選択をします。
そのことがハッピーエンドなのかどうなのかというのは微妙なところだと思いますが、
この選択によって
リズと青い鳥という映画の切なさ、儚さ、美しさ、そういったものは際立ったのではないかなと
また、平行線だった2人が別々の方向を向くことで、コンクールに向けて1つに交わることが出来たんじゃないかな、と、そう思いました。
以上です。
とにかく、映画館で観ることが出来て良かった。機会があればもう一回観たい。
幼少から楽器を習っているので、楽器全般に興味津々であり、もちろん楽器に貴賤も優劣もないと思っているのだが…どうしても受け付けない楽器がある。
トロンボーンのことだ。
すなわち、自分は直線的に飛んでくる低音が大変苦手で、必要以上にうるさく聞こえてしまう。
正直耳を塞ぎたくなるくらいやかましい上に、他の楽器の高次倍音が聞こえにくくなって、サウンド全体の魅力が半減するとか、勘弁して欲しい(音の魅力や微妙なニュアンスは高次倍音にあるので)。
一方、トロンボーンと似たような音域の楽器でも、音がダイレクトに耳に来ないチェロ、ファゴット、ユーフォニアムは全然平気どころか、それぞれに魅力的だと思えるのだが。
ちなみにトロンボーンの音と言っても楽曲のジャンルにより様々だが、ブラームスの交響曲第1番のコラールのように綺麗で澄んだ音色で吹いているものは、一応大丈夫である。
しかしご存知の通り、トロンボーンの綺麗で澄んだ音は、この楽器の一側面でしかない。
むしろメインは、時に荒々しい効果も要求される、低くビシバシした音である。これが自分は全く受け付けない。
特にキツいのは、音を遠くに飛ばすことしか考えていないような演奏をする、吹奏楽のトロンボーンである。
申し訳ないが、音楽を奏でているように聞こえないというか、ぶっちゃけ騒音に聞こえることすらある。
楽器ジョークで「トロンボーンのダイナミクスはオン/オフしかない」というのがあるが、これ以上ない皮肉として笑わせてもらった。
また他のジョークに「ホルンでトロンボーンのような音を出すには、ベルから手を出してバタバタ吹く」というのもあるが、ホルンを低い音で荒々しく吹かれるのも苦手だったりする。
もっともホルンのメインは甘く柔らかい音なので、トロンボーンほど気にはならないが(むしろプロであっても常時音程を外すほうが気になる)。
といっても「響け!ユーフォニアム」で再確認したという話ではない。
いや、確かに上述のアニメでユーフォに興味を持ったのだが、本当にこの楽器の魅力を知ったのはオケでの起用だったりする。
「この楽器の最高の音はこれ!」
という、ある種の予定調和ありきの起用という点にある。
なので、オケでの使われ方だけを見て、その楽器の全てを知った気になるのは早計である。
しかし、オケでの使われ方を把握することで、「楽器の一番美味しい所」を再認識するにはもってこいなのである。
さて、今回聴いたのはユーフォ登場曲ではド定番と言われる、ホルスト作曲の組曲「惑星」から「火星」である。
組曲中、最も有名な「木星」に次ぐ知名度を持つ、「心太が食べたい」のリズムがキャッチーな曲だ。
例の有名なソロは、確かにユーフォの持つ暖かでまろやかな音色を良く活かしている。
これこそ、他の楽器では代わりがいない音だ。
そして曲が進むとトランペットと掛け合いを演じるのだが、向こうがフォルテシモのペット2本で来るのに対し、こちらはフォルテかつユーフォ1本で受ける。
これは鋭いけど細身の音のペットに対し、柔らかく太い音のユーフォでバランスを取った結果だろう。
これまたユーフォの音の特徴を良く勘案したオーケストレーションだと思う。
(動画→https://www.youtube.com/watch?v=L0bcRCCg01I 奏者の自撮りによるダイジェスト→https://www.youtube.com/watch?v=RERBcMwHi34)
「今後更にこの楽器の魅力をオケで光らせるのは、正直相当厳しいかも」
と。
なぜなら、ユーフォの担当する中低音域は、絵に描いたようなレッドオーシャンだからである。
さっきオケの楽器の使われ方は予定調和と書いたが、言い換えるならオケの歴史というのは、作曲者が新しいサウンドを求めて新たな楽器を試し、執拗に篩いにかけてきた歴史でもある。
即ち現在頻繁にオケで見かける楽器は、そうした淘汰をくぐり抜けてきた、いわば選りすぐりなのだ。
そしてユーフォの音域を既に担っている楽器には、金管だけでもホルン、トロンボーンという強力なライバルがいる。
ホルンはオケ草創期からのレギュラーメンバーだし、トロンボーンはレギュラーこそ逃したものの、ベートーヴェンの時代から頻繁に起用されてきた、いわば準レギュラーである。
更に金管以外でもチェロ、ファゴット、バスクラリネットといった楽器が控えている。どれもこれも、数多の名曲で不動の実績を築いてきたメンツだ。
そんな彼らに割って入ってポジションを獲得できる個性がユーフォにあるか…という話である。
同様の話は、サックスにも当てはまる(こちらはオーボエ、コーラングレ、クラリネット、ホルン、トロンボーン、ヴィオラ、チェロ等とカブる)。
一方、ユーフォやサックスと同年代に発明されたチューバは、登場するやいなやオケに起用され始め、今では準レギュラーの地位を勝ち取っている。
「登場した年代が新しい楽器」どうしでハッキリ明暗が分かれた形だが、これはチューバが担う、オケの最低音域にはコントラバスとコントラファゴットしか存在せず、ブルーオーシャン戦略で行けたということだ。
やはりユーフォの活躍する舞台は軍楽隊と英国式金管バンド辺りという結論になるのだろうか。
自分がユーフォという楽器を初めて耳にしたのはEテレの小学生向け音楽番組で、でもオケにいないし「なぜそんな楽器が?」と思ったものだが、あれも金管バンド~吹奏楽の流れがあるからだろう。
作曲者の創意工夫に期待したい。
長尺を使って描かれた関西大会における北宇治の演奏。凄すぎて凄い以外の語彙を失ってしまった感はあるのだが、いくつか思ったこともあるのでそれを書きつけておく。
そしてそれは府大会と関西大会の演奏の違いであり、結論を先述べしておくと、
の二つが論点になる。
端的にいえばみぞれと希美の確執および和解にまつわるエトセトラがそれ、ということになるのだが、最も説明しやすいのが麗奈のソロパートなのでそこに触れる。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm29961964
上記は府大会と関西大会の演奏シーンを並べた動画だ。見てもらえれば判る通り府大会では香織の表情を映してるのに対し、関西大会ではトランペットのソロを下支えする久美子と彼女が幻視した大吉山でのシーンが描かれている。
府大会は直前にトランペットのソロを麗奈が吹くか香織が吹くかで揉め、再オーディションをする事態にまで発展した。「三年間やってきたんだもん、最後は吹きたい」という香織の想い。彼女を慕う優子の想い。しかし麗奈はそれらを音でねじ伏せ、ソロパートの奏者となった。コンクールにおける当該シーンでは、その音を聞きながら最初はうつむき、そして最後には“納得”したように微笑む香織が描かれる。つまり麗奈のソロパートは、香織の心の決着の場でもあった。
関西大会はそうじゃない。今度は麗奈の音に久美子の回想が乗る。なぜ久美子かというと演奏の直前に「私も久美子のために吹こうかな」と麗奈が言い出したことによる。「みぞれ、ソロがんばってね」「わたし希美のために吹く」というみぞれと希美のやりとりを見てそう口走ったのだ。
『ユーフォ2』#1-4は言うまでもなくみぞれと希美のお話がメインだった。その中のひとつの切り口に、誰のために何のために吹くのかというのがあった。みぞれは「楽器だけがあたしと希美をつなぐもの」だから吹いていた。片や麗奈は「考えたことない。……強いて言うなら自分のため、かな」と答える。そんな麗奈も、みぞれ希美のコンテクストを受けて、「久美子のために吹」くという形でソロパートに臨んだ。
ここでとても面白いのは、麗奈のソロパートを下支えしてるのはユーフォニアムという点だ。府大会ではシーンに登場したファゴットがここでは描写されず、それによって久美子の下支えが、その低音が強調されている。そうして絡み合い一体化していくふたつの音。それは大吉山での“愛の告白”の回想へとつながっていく。あまりに、あまりに美しい光景だ。
正直いちばんうなったのはこれ。音による裏打ち。
ぜひ府大会と関西大会の演奏の音を聴き比べてほしい。みんな本当に上手くなっているので。……と言いつつ、当方の耳は非常にボンクラ(部長の声を「はやみん? いや……能登かわいいよ能登?」などと言って周りに白い目で見られてしまうレベル)で、合奏はその違いがよく判らなかった。なので麗奈のソロパートを聴き比べてみた。ここはその差が如実に判った。それぐらい違った。
たとえばソロパートの始まりの「ぷぁー」という音。府大会は出だしのこれが鈍重かつか細いのだ。例えるなら冬の海。冷たく重い海水から頭を浮かすことができず潜ることを余儀なくされたような、重力を含んだ音。メロディの終わりも唐突で、次の音も焦ったように早く始まって伸びや豊穣さが感じられない。対する関西大会はどうだろうか。こちらは非常に伸びやかで、春の海のような、その上を軽やかに滑るような明るさがあるのだ。音の終わりもビブラートを利かせて情感がたっぷりこめられており、次の音への繋がりもとても心地よい。聴き比べてみると驚くほど違いがあったのだ(これは大げさでもなんでもなく、実際そうなのでぜひ聴き比べてみてほしい)。
続く「ぱーらりらりらー」も関西大会では楽しげに舞い上がるような音になっている。まるで夏の夜、意中の相手との初めてのデートに浮足立つ少女を想わせるような。その(久美子を想って吹かれた)つやっぽい音色を聴いて、久美子が大吉山での出来事を思い出すのは無理ないことというか、音それ自体が、その時のことを語りだすかのようですらある(府大会の当該シーンに、そういった抑揚はない)。
これは、臨時講師の橋本が言っていた「君たちの演奏は(中略)表現力が足りない」というコンテクストにも乗っている。みぞれのオーボエに対して「もっと感情だせない?」という話から始まったこれは、どんどん上手くなっている北宇治に大きく欠けているものだった。みんな練習や、みぞれに関しては希美との和解によって「表現力」を獲得していくが、麗奈のそれは、半ば冗談めかして言った「私も久美子のために吹こうかな」により久美子が夏の大吉山を思い出すような艶めかしい表現につながっていき、そして何より音がしっかりとそれを裏打ちしていた。『ユーフォ』は本っっっっっっ当に芸が細かい。
傘木希美は現在フルートパートを担当する三年を凌ぐ実力の持ち主で、南中では吹部の部長を務めていた。南中での最後の府大会でまさかの銀賞と涙を呑み、高校に入ったら絶対に金賞を取ろうとみぞれたちと誓い合っていた。しかし今は卒業してしまった去年の三年との確執によって退部を余儀なくされてしまう。みぞれとの和解を経てサポートメンバーとして部に復帰し、じっさい献身的にみぞれやAメンバーを支えている。
しかし、だ。希美はもともと辞めたくて部を辞めたわけじゃない。フルートが好きで、金賞を取りたいという目標もあった。フルートパートを担当する奏者は自分より明らかに劣っている。おくびにも出さないけど、奏者として吹けないことが悔しくてたまらなかったはずである。
それが、「わたし希美のために吹く」というみぞれのオーボエソロのときに初めて顔に出る。
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舞台から、みぞれのオーボエソロから背を向け、笑みを浮かべず、中空を見つめる希美。
府大会のオーボエソロには「きゅーん!」となったにも関わらず、希美への感情が乗って表現力の増した関西大会のそれにはそうならないのだ。
ここから一貫してみぞれは舞台に対して背を向け続ける。サポートメンバーはみな舞台を覗き込んだりしながらAメンバーたちの演奏が無事に終わることを祈っている。しかし希美がその輪に加わることはない。
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それぞれ演奏終了直前、全国大会進出が決まった直後の表情。特に最後の表情は、周りと違って手放しで喜んでいる様子はない。良かったとは思っている、でも自分がそこに居ないのは悔しい。
少ないカット、一瞬の表情。しかしそうやって希美の感情がフィルムに乗ることで、関西大会の演奏がより豊かになる。そして希美の悔しさは、来年のコンクールにつながっていくことだろう。コンテクストがまたひとつ積み上げられ、『ユーフォ』の世界が豊穣になっていく。
関西大会を終えた今になって一期の#13、府大会の演奏直前のあすかと久美子のやりとりを見返すと、あすかの曰く言い難い表情に、その胸の裡の複雑さを思わせられる。
「なんか、ちょっとさみしくない? あんなに楽しかった時間が終わっちゃうんだよ? ずっとこのまま夏が続けばいいのに」
「なに言ってるんですか。今日が最後じゃないですよ。わたしたちは全国に行くんですから」
「そうだったね。そういえば、それが目標だった」
久美子のまっすぐな瞳から虚をつかれたように視線を外すあすか。そして眉尻をわずかに下げ、とても複雑な笑みを浮かべるのだ。
これは関西大会直前の「私はここで負けたくない。関西に来られて良かった、で終わりにしたくない。ここまで来た以上、なんとしてでも次に進んで北宇治の音を全国に響かせたい」と部員たちの前で宣言するあすかにつながってくる。
あすかは、あるいは部の誰よりコンクールにかける想いを持っているのかもしれない。これからそれは明らかになっていくことだろう。そのあすかのコンテクスを踏まえた全国大会の映像、それが今から楽しみでならない。
4年の男の先輩はクラオタではあるものの、子供の頃ピアノをやっていた程度で、それまで弦楽器も管楽器も触ってこなかったので、楽器選びで色々触った結果、ファゴットに落ち着いた。
3年の女の先輩は中高とバリサクを吹き、大学で念願のファゴットを手にした。
そして、全員ファゴットがめちゃめちゃ上手かった。
幼少からヴァイオリンをやっていたけどちっとも上手くなかった俺にとって、このエピソードは衝撃的であり、多分一生忘れない。
簡単な楽器なんて一つとしてないはずなのに凄いというか、なんて器用なんだと。
結局俺は今でもヴァイオリンしか弾けず、数年前からレッスンを再開し、今度こそ本当に上手くなろう(最低でも音大入れるレベルを目指す)と、かなり本気で取り組んでいるけど、仮にそのエネルギーを他の楽器に向けたとして、大学時代の彼らのようにメキメキ上達するなんて思えない。
例えばギターとか、初心者の壁と言われるセーハ以前に、簡単なコード演奏のレベルで挫折しそうだし。
一応、ヴァイオリン以外の楽器ではオーボエかベースギターはやってみたいと常々思っているけど、上述の躊躇に加えて、大人から始めても合奏の需要がなさそう=発表の場がなさそうということで保留状態だったり。
元増田です。
課題曲程度だと、教育的配慮が優先されるから減らすべきところも減らさずユニゾンつけまくったり、
ただでさえ分厚すぎる中音域と薄すぎる低音域のバランスが滅茶苦茶で聞くに堪えない。
オケだと中音域の厚みを担うのはホルンとヴィオラくらいしかいないので、プロはともかくアマチュアの手にかかると往々にして「ダシの効いていない」演奏になりがちだから、中音域が充実している吹奏楽は恵まれていると思っていた。
でも実際聴き込んでみると「過ぎたるは~」な気がしてきた。なんというか、中音が厚過ぎると着膨れしたような、輪郭のぼやけた、大味でいささかクドいサウンドになる感じだろうか。
吹奏楽の低音はユーフォ・チューバ・コンバス・トロンボーン・ファゴット・バスクラ・バリサクと一見充実しているように見えるけど、フルート・オーボエを除く残りの楽器がほぼ全て中音だと考えたらやはり足りないってことか。
でもクラと立ち位置を交換するとなると、音域の問題から2声あるアルトのうちの1つをソプラノに変えるってことだよね?
サクソフォンオーケストラを見る限り、ソプラノはピーピー・キーキーにならない「旨味のある」音を出すのが難しそうで、結構ハードル高いんじゃないだろうか。
今どきモツだベトだ言って聞いてくれる人もお年寄りが増えた。
個人的にも、現代音楽の聴きやすいモノのほうが若い感性には応えられると思う。
その間口を全部吹奏楽が持ってっちゃってるってのはそのとおりかな。
クラシックは一生かかっても演奏しきれないくらい沢山の名曲があって、一度好きになれば死ぬまで病みつきになれるのが魅力だと思う。
反面、その全てが職業演奏家によるパフォーマンスを前提にしていて、尚且つオケに慣れ親しんでいる人達がそういう曲だけで満足しちゃっているのが問題なんだよ。
それがオケの敷居を高くし、特に若い人の間口を大いに狭めているという意味で。同じことはカルテットのような弦楽合奏にも言える。
とはいえ、アマチュア演奏家や若い音楽ファンでも気軽に楽しめる新曲なんて、なまじ過去の名曲があるせいで単純に見劣りするだけというのはある。
でも大河ドラマのOPとか、ああいうののもう少し簡単な曲なら結構いい線行きそうな気はするけど。
まあ長い年月の淘汰を生き残って愛聴されてきたというのが名曲の名曲たる所以であり、そういう逸品がゴロゴロしているのは、他のジャンルから見たら羨ましいのかも知れないが、現実はそんな喜ばしいことばかりじゃないというか。