はてなキーワード: テクニカルとは
PS2ぐらいまで日本の独占市場だったゲーム業界は今や落ちぶれてしまった
俺は「やりこみ要素」こそが衰退の要因だと思う
おそらく90年代に数パーセントの人が長くゲームを楽しめるようにか、本編と関連性の薄い多くは単調な作業が実を結ぶような
「やりこみ要素」に開発予算や多くの人員を割いてそれ自体がもはやゲームの評価要素になった
責任はごく数パーセントの声の大きいコアゲーマーによると事も大きい
彼らがそれが無いと不満に思ったからだ
でもなやりこみ要素なんて普通にゲーム楽しみたい人はほとんどだれもやっていないんだよな
FF15やったけどまだわかってねーーー!!と思った。
あの大量で、異様にグラフィックが綺麗な、3Dのテント食はなんだ。
ゲーム終わるまで3種類くらいしか使わなかったぞ。おそらく見たのも30秒ぐらい。
あの労力でスカスカの本編のストーリーを今少し語れなかったのか?
2000年代になってから洋ゲーの方が面白くなって、今や日本のゲーム会社はローカライズ専門の会社のようになった。
ゲームがテクニカルな達成感に加えて、演出やシナリオが主軸に移っていった時も
そして演出やシナリオにリソースを絞って投入した洋ゲーに駆逐されてしまった。
「やりこみ要素」的なる物は実はゲームだけでなく、日本の産業自体も衰退させている
家電製品には数パーセントの人がしかもほとんど使わないような機能がてんこ盛りになっている
シンプルに機能を絞ってちゃんと動く安い家電が日本製品を駆逐している。
おそらく、日本の企業の意思決定手段が複雑で、ボトムアップ型の製品開発で様々な上司の
これにだれも気付かないのだろうか?
流行語大賞の選考委員の人たちが一番気になっているということは、
いつもこんな流行語聞いたことないじゃん!ってなるわけじゃない。
生姜みたいな名前の人って言われてなるほどねーって思うところよね。
なんかそういう話が出てくると、
もうさ、
お店とかでもクリスマスソング流れてちゃってて、
さすがにそれは早くない?って思うし、
みかんの花咲く丘公園前の商店街のレコード屋さんもお正月に向け角松敏生フェアのコーナーが充実するのは
先取ってまだ年も明けてないのに、
でさ、
そのカレーのアラジンのランプみたいにルーが盛られてくる器あるじゃない!
あなたも器の小さい男ねって一度は言われんばかりの、
ぜんぜん男前にならないんだけど。
まさに金魚すくいのすくうやつの名前を知りえた初めての人類のようよ。
行き当たりばったりに
久しぶりに会うからって手土産で瓶に入ったクリオネちゃん渡されても世話できないわよ!って話よ。
まあそんな、
クリスマスの曲はこの時期に流してもよしとする風潮はあるのに、
年明けない内でのお琴のお正月の曲を流すのは反則!って風潮はいかがなものかと思うわ。
何書かれてるんですか?ライターさんですか?って余計なお世話よ。
とりあえず、
もう自分でも全然文字が読めない感覚で打ち込んでる感じがテクニカルよね。
降り損ねて仙台に行かないようにだけは気をつけるわ。
うふふ。
システマチックに焼かれた、
堅焼き!ってオーダーも聞いてくれなさそうな、
朝一番で暇そうかと思いきや、
ピチカートファイヴの19時をも遥かに凌ぐ以前あったレストランはもうないわねって。
とりあえず、
新幹線速くて嬉しいんだけど、
それが一番困るところね。
常温ウォーラーと麦茶ウォーラーは買ってカバンの中に忍ばせておいてるわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
去る9月29日に 株式会社ラフィネ さん主催の南アフリカワインイベントに参加してきました。
ラフィネさんは南アフリカの生産者のワインを多く扱う都内のワインインポーターです。今秋、日本でRugby World Cup 2019が開催されることから大会観戦を兼ねて南アフリカの8生産者に来日していただき、日本各地でイベントが開催されました。このうち6生産者に今回限定のスペシャルワインを造っていただき、RWC(Raffine Wine Collection)として6本セットで販売、今回はその記念イベントでした。各ワイナリーがスペシャルワイン1種+通常のキュヴェ1種を出典、もちろん生産者ご本人とお話しでき、またお料理や素敵な記念品もついてくるという大変豪華なイベントでした。
バーデンホーストのアディさんのYuuuuupppppaaaaaa!!!で乾杯!からスタート。
ラフィネさんのFacebookにテクニカルの詳細が載っていますので詳しくは是非そちらもご覧ください。
A.A.Badenhorst (Swartland)
・Raffine Wine Collection by A.A.Badenhorst
パールドバーグのエイトケイクという単一畑からのシラーズ100%を全房率100%で醸したキュヴェ、無濾過無清澄。シラーズ100%のキュヴェを造るのは初めてとのことでした。イメージとしてはイエローラベルのシラーズ単一品種版でしょうか。果実味がピンと張ったエネルギーに満ち溢れている液体ですがあからさまに濃厚!というわけではなく、非常にクリーンでエレガント。言葉尻からの印象ですがシラーズ!というよりはエレガント系シラーの美質を存分に感じさせてくれました。他の単一シリーズもそうなのですが、ご本人からは豪快な印象を受けるのにとても繊細に造られているなーと思います。
・Ramnasgras Cinsault 2017 (double magnum bottle)
先日のワインショップでの試飲会でもいただいたキュヴェですがこちらはなんと3Lのダブルマグナム、軽々と持ち上げてらっしゃったのがすごい!前回同様にハーブ、スパイスの香りとジューシーな果実味、土のニュアンスがバランス良く融合した素晴らしいワインでした。
Alheit Vineyards (Hermanus)
・Raffine Wine Collection by Alheit Vineyards
2015年ヴィンテージからリリースしているLa Collineと同じ畑からのセミヨン(+セミヨン・グリ)100%、通常版との違いは最上部の区画からのみ造られていること。全房率100%。La Collineがリリースされる前はセミヨン・グリ主体でスキンコンタクトをしたAllow Heartというキュヴェでリリースされており、Allow Heartの再現としてスペシャルワインが出てくるかなーなどと勝手に妄想しておりましたがLa Collineのスペシャル版として造ったとのことでした。La CollineはAlheitの上位レンジであるシングルヴィンヤードシリーズ唯一のセミヨン単一(他は全てシュナン・ブラン)ということもありふくよかさが印象的なのですが、今回のRWC版は区画を上部に限定することで酸やミネラルに伴う骨格をより強く感じることができる大変気品にあふれたキュヴェとなっていました。
・Cartology 2017
アルヘイトと言ったらカルトロジー、ヴィンテージは昨年リリースされた2017年です。冷涼系グレートヴィンテージということもありリリース当初は酸とミネラルがぎっちり詰まった印象でしたが、それらが徐々にほぐれつつも非常に美しい味わいでした。
Sadie Family Wines (Swartland)
・Raffine Wine Collection by Sadie Family Wines
南アフリカワイン界の大御所です。白のブレンドで公式からの引用ではシュナン・ブラン26%、ルーサンヌ16%、ヴェルデーリョ15%、コロンバール9%、セミヨン9%、パロミノ9%、グルナッシュ・ブラン8%、ヴィオニエ4%、クレレット・ブランシュ4%と多数の品種がブレンドされています。土地の表現と古木に拘りのある生産者ですが、樹齢5年程度の若木のイタリア・ギリシャ系品種が入っている、ワイナリーとしても極めて試験的なキュヴェのようです。酔っぱらいながらのメモですがアサンティコ、カタラット、フィアーノ、グレロ(グレーラ?) が入っているとのこと。公式記載品種のシノニムとかでしたらすいません…。これらの品種が古木になった時にワイナリーの新しいページを刻んだら素敵ですね。ベビー・パラディウスのイメージとのことですが、よりスパイシーでビビットな印象を受けました。若木のブドウが使われていることからの先入観もありそうですが。もちろん暴れるようなことは無く、非常に綺麗な造りで熟成した姿が非常に楽しみです。
・Columella 2017 (double magnum bottle)
赤のブレンドのフラッグシップであるColumellaの最新ヴィンテージ、しかもダブルマグナムです。エレガントながらも濃厚な果実味に浸れる素晴らしい造りです。ワインだけで満足できる度の高い一杯。
・Raffine Wine Collection by Crystallum
クリスタルムのピノ・ノワール上位レンジであるマバレル、キュヴェ・シネマ、ボナファイドを1/3ずつブレンドしたスペシャルキュヴェ。この字面だけでも心が躍ります。全房率はマバレル10%、キュヴェ・シネマ50%、ボナファイド60%とのことですのでシネマはホール・バンチ版ではなく通常版由来と思われます。1/3ずつというブレンド比率ですが、色々と試した上でこの比率が一番しっくりきたとのことで個人的には偶然の神秘性のようなものを感じてしまいました。おそらくマバレル由来の透明感のあるアタックから充実した果実味、コクと旨味からの満足感、美しい余韻への一連の流れが一切の継ぎ目・ストレス・違和感なく展開される完璧なバランスでした。
・The Agnes Chardonnay 2018
シャルドネの2種あるうちの下位レンジ、先日入荷したばかりの最新ヴィンテージです。乾燥した2018年の性格を反映した凝縮感のある味わいです。酸や骨格は2017年の方が豊かである印象ですが優劣というよりは性格の違いを楽しむ、あるいは各個人の好みによる程度の違いと考えます。上位版であるクレイ・シェルスは今年の分をまだ飲めていないのでどんな感じになっているか気になります…。
・Raffine Wine Collection by Rall Wines
ピケニルスクルーフの単一畑のグルナッシュ100%。全房率50%、無濾過無清澄とのことです。このメンバーの中からグルナッシュ100%で思い出すのはサディのソルダート、ピノ・ノワールと間違うほどの繊細でエレガントな造りですが、こちらはもう少し果実の充実感に寄っておりグルナッシュのイメージにより近い印象でした。一方、けして派手ではない綺麗な造りで、静かな波打ち際の漣のように寄せては返す旨味がじわじわと長く続く静謐な美味しさ。Rall AVA Grenache noirと勝手に名づけたくなりました。
・Rall Red 2016
こちらはおなじみのバランスのとれたローヌ系品種のブレンド赤(シラー70%、サンソー15%、グルナッシュ8%、カリニャン7%)で、よりしっかりと力強さを感じされる明朗な美味しさが印象的でした。
◎ソーン・ドーターズ(ボット・リヴァー)
Thorne&Daughters (Bot River)
・Raffine Wine Collection by Thorne&Daughters
スワートランドにあるパールドバーグ(現地の言葉で馬の山という意味らしい)の畑のシュナン・ブラン、セミヨン、セミヨン・グリのブレンド。公式情報だとセミヨン66%、シュナン・ブラン34%とあります。セミヨンとセミヨン・グリの比率も聞いておけば良かったと反省。パールドバーグは風化した花崗岩質の土壌で、良い古木のブドウ畑が沢山あるとのことです。馬と聞くと今回も出ていたRocking Horseが思い起こされますがこちらは使い古しの樽で娘さんのために作った木馬が由来でありたまたまとのこと。一条の光がすっと通るがごとくまっすぐと背筋が通った味わい、もちろん単調ではなく果実味や複雑さも備えていてそれらを酸がぐっと引き締めている感じでした。フォーカスが絞られ、はっきりとした輪郭が掴める!
・Rocking Horse Cape White 2017
ワイナリーの看板的な銘柄でステレンボッシュのルーサンヌ&クレレット・ブランシュ&シャルドネ、パールドバーグのシュナン・ブラン、フランシュックのセミヨンと南アフリカ各地からのブドウをブレンド。もとの造りに加えて2017年というヴィンテージもあり酸がしっかりした綺麗な味わい。
お料理は鮨3軒、天ぷら1軒、焼鳥1軒、焼肉1軒、肉レストランのカレーをケータリングとこちらも豪華。スペシャルワインを一通り味見した後にあまり考えずにケータリングスペースに入ってしまい初手で〆カレーを選ぶことをしでかしつつ大変堪能しました。
・バーデンホーストでgrilled beefに合わせるならばシラーとサンソーのどちらが良いかお聞きしたところ割と悩んだ後でサンソーとのお返事。
・サディ・ファミリーでColumellaにgrilled beefはどうか?とお聞きすると肉はいらない。ワインだけでOK!!と言われました。確かに…!
・白身主体の鮨を片手にRocking Horseもらいに行ったところvery nice for SUSHI!!と言われました。
・カレーがスパイス感あるのにワインを全く邪魔しない…。じっくり煮込まれた肉カレーの旨味とRallのRWCスペシャルのしみじみとした旨味を堪能しました。
・マグロとCrystallumのRWCスペシャルの組み合わせが完璧。
・天ぷらとAlheitのRWCスペシャルの組み合わせが完璧。
生産者の方々との交流、ワイン・料理の美味しさ、大変貴重な経験ができた素晴らしいイベントでした。
生産者の皆様、料理人の皆様、運営のラフィネの皆様への最大限の感謝を!!
そして一週間たった今もそれぞれの味わいを思い出しつつセットの追加購入をどうするか悩む日々です…。。。
たしかに無能かどうかはわからないが議員立法も国会での質問もゼロという国会議員は珍しい
非公開の委員会のチェアマンとかやってるらしいから全く仕事してないというわけではないのかもしれないが, 国民が評価可能な仕事をしないのは不可解ではある
仕事をしないのと仕事ができない(無能)なのは異なるが, 成果という点ではやはり謎の多い人物である
国会で発言しない国会議員もなにかテクニカルな理由で必要なのかもしれないから業績の薄さをもって無能だと断言はできないという点では同意する
余談だがかつて小泉純一郎は国会図書館利用数ランキングの全議員中で一位だったというほど勉強家であるらしい
その小泉純一郎をして大変よく勉強している, 自分よりも勉強していると言わしめるのだからやはり小泉進次郎も大変な勉強家らしい
行動主義はJ.B.Watsonが最初に提唱した心理学の哲学だ。この哲学は、現代では下火のように見なされてたり、あるいは棄却すべき対立仮説のように扱われることが多い。
しかし、実際には認知心理学者、あるいは認知科学者が槍玉にあげる行動主義は、誤解に基づくものか、そうでなくても「その行動主義を自称している行動主義者は現代にはいないよ」と言わざるをえないような藁人形論法であることが少なくない。
そこで、行動主義の誕生から現代的な展開までの歴史について、ごくごく簡単にまとめてみようと思う。
Watson の基本的な主張は、ご存知の通り「心理学の対象を客観的に観察可能な行動に限る」というものだ。
当時の心理学は Wundt の提唱した「内観法」を用いて人間の持つ「観念連合」を記述する、というものであった (余談だが、内観法は単なる主観報告ではない。これもよくある誤解である。Wundt の提案した心理学は、繰り返しの刺激に対し、同じように報告するよう徹底的に訓練することにより、人間の持つ感覚の組み合わせについて首尾一貫とした反応を得ようという研究方針である)。
Watson が反対したのは、Wundt の方法論である「人間の自己報告」を科学データとすることである。それに代わって、刺激と反応という共に客観的に観察可能な事象の関係を研究の対象とすべきであると主張した。Watson は Pavlov の条件反射の概念を用いれば刺激–反応の連関を分析可能であるし、人間の持つ複雑で知的な行動も刺激–反応の連鎖に分解できると考えた。
また、情動や愛のような内的出来事は、身体の抹消 (内臓や筋肉) の微細運動から考察された。Watson の心理学が「筋肉ピクピク心理学」と揶揄される所以であるが、現代の身体性を重視する心理学・認知科学を考えると、(そのまま受け入れることはできないにせよ) あながちバカにできない部分もあるような気がする。
さて、認知心理学者、認知科学者が批判するのは多くの場合 Watson の行動主義である。場合によっては、次に登場する Skinner と Watson を混同して批判する。
注意しなければいけないのは、Watson の行動主義の立場を取っている行動主義者は、この地球上にはもはや存在しないという点である。従って、Watson 批判は歴史的な批判以上の何物でもなく、現代の科学の議論ではない。
では、行動主義を自認する現代の研究者が寄って立つ立脚点は何なのか? その鍵になるのが、Skinner の徹底的行動主義である。
Skinnerは、Pavlov の条件反射を「レスポンデント条件づけ (いわゆる古典的条件づけ)」、Thorndike の試行錯誤学習を「オペラント条件づけ」として区別し、概念、および実験上の手続きを整備した。そのためあってか、Skinner は20世紀で最も影響力のある心理学者 1 位の座についている。
Skinner は、科学の目的を「予測 (prediction)」と「制御 (control)」とした。ここでは説明しないが、そのためにの強力な武器として概念としては「随伴性 (contingency)」、方法論として「単一事例研究」などを導入した。 彼の心理学は他の心理学とは大きく異なる用語法、研究方法を持つため、「行動分析学」と呼ばれる。
徹底的行動主義では、Watson が扱ったような客観的に観察可能な「公的事象」に対し、「私的事象 (ようは「意識」のこと)」もまた、同様の行動原理によって説明できると主張した。つまり、内的出来事も「行動」として捉えられる、ということだ。文字通り「徹底的」に行動主義なのである。実際に、Skinner の著書の中には「知覚」「感じること」「思考すること」といった、内的な事象についての考察も多く、それらは行動分析学の重要な対象であるとはっきりと述べている。
逆に Skinner が反対したのは、「心理主義的な説明」である。心的な活動は実在するし、それ自体研究の対象ではあるが、「心的な活動によって行動が駆動される」という因果的な心理主義に対しては、Skinner は反対であった。つまり、「原因としての心的概念」の導入に反対したのだ。この点を間違えると、Skinner を完全に誤解してしまう。
ただし個人な見解としては、行動分析学はほとんど顕在的な行動以外実際には扱っていないし、扱うための具体的な方法論を発展させてもいない。そこに関しては批判を免れないとは思う。
行動分析学の他に重要な特徴として以下の 3 つが挙げられる。
なお、帰納主義については「え?でも科学って演繹と帰納の両輪で回ってるんじゃないの?」と考える人もいるかもしれない。
Skinner は「行動について我々は知っているようでまるで知らない。そのような若い科学にはまず、具体的なデータが必要なのだ」と考えた。そのため、Skinner は環境 (刺激) と反応の間の関数関係のデータの蓄積を重視した。
つまり、あくまで当時の知的状況を鑑みての方針だったということは重要な点だ。
ちなみに、Skinner は自身の徹底的行動主義と区別するため、Watson の行動主義を「方法論的行動主義 (methodological behaviorism)」と呼んでいる。
また、次に述べる Skinner の同時代の行動主義も、同様に方法論的行動主義とまとめられることが多い。
Watson のアイデアを発展的に継承したのは Skinner だけではない。
ただし、Skinner 以外の新行動主義に与している研究者は、現代には皆無なので、あくまで歴史的な展開として捉えるべきである。
Guthrie は刺激と反応の間にできる連合は「時間的接近」によって生じることを述べた。また、Hull や Tolman と異なり、心理学の研究対象は客観的に観察できる行動に限定すべきであるという姿勢は堅持した。
Skinner と大きく異なる点として、Hull は「仮説構成体による演繹」を重視した。「習慣強度」という潜在変数を導入したモデルを考案し、その潜在変数の挙動の変化により行動の予測に挑戦した。
Hull の研究の問題点は、いたずらに潜在変数をいくらでも増やせてしまい、理論が肥大化する危険をはらんでいるためである。特に Hull や Skinner の時代は、行動に関するデータがまだまだ少なく、行動研究には強固な地盤がなかったのである。Skinner は「理論は必要か?」という論文で理論研究を批判していているのだが、Skinner が批判したかったのは Hull の心理学だったのである。
Tolman は刺激と反応の間に「仲介変数」を導入した心理学者だ。いわゆる S-O-R の枠組みである。彼は「潜在学習」の研究によって、「学習」と「成績」は必ずしも一致しないことを見出した。そのことから、刺激と反応の間には、それを仲介する隠れた変数がある、と考えた。
Tolman からすると、「感情」「期待」といった内的な出来事も、刺激と反応の間に存在する仲介変数である。
現代の視点で見ると、認知心理学の下地になるアイデアを提出したのが Tolmanだ。
ところで、Tolmanと地続きである認知心理学もまた、徹底的行動主義の立場からすると方法論的行動主義に立脚した心理学である。そう、私たち現代心理学徒のほとんどは、意識せずとも方法論的行動主義者なのだ!
なぜか?認知心理学でも、公的事象と内的事象を分ける。内的事象には直接アクセスできないので、公的事象の「操作」と計測を通じて内的事象の研究をする。公的事象の操作 (実験条件) を通じて、内的事象の定義を行う。これは、Stevens-Boringの「操作主義」と呼ばれる。操作主義では、操作と計測の対象は公的事象であり、内的事象については「研究者間での合意」に基づいて議論される。つまり、例えば「この条件によって反応時間に変化があったら、作業記憶に影響があったということにしようね」というのが、研究者集団によって暗に共有されている、ということだ。これが、認知心理学が「方法論的行動主義」と呼ばれる所以である。
1980年代以降、Skinner の弟子筋の研究者たちの間で、Skinner 以降の行動主義を巡って、研究方針が多様化しつつある。その中でも最も影響力のある 3 つについて、簡単に紹介したい。
Skinner の行動分析学はプラグマティックな科学であると言われているが、実は Skinner 自身は表立ってプラグマティズムに述べていたわけではない。例えば、近い時代を生きたパース、ジェームズ、デューイを直接引用して主張を行なっていたわけではない。一方、Heyes の機能的文脈主義の特徴は、Skinner の徹底的行動主義の持つプラグマティズムをより明示的に推し進めた点にある。
Skinner は心的概念を導入することを否定した。私的出来事 (内的過程) は外的な行動の原因ではなく、それ自体独立した行動として捉えるべきだと考えたためだ。また、心的概念による説明は、行動分析学の目的である予測と制御に寄与しないと考えたことも一因である。
Heyes の場合、そのような概念でも、予測と変容 (influence) に寄与する場合は、十分に有用であると考える。
具体的には、「態度」を測る質問紙研究が好例だ。質問紙で測る「態度」は Skinner であれば「質問紙に回答行動」として見なされる。しかし、Heyes の場合「そのような研究の問題点は、測ったところで、実際の行動を変容させるための操作変数が同定できないことだが、最終的に行動の予測と変容を目指すという目的がぶれない限り、足がかりとしては有用である」と主張する。
このような、伝統的な行動主義と比較してある意味で軟化した態度を、Heyes は「行動主義心理学の自由主義化」であると述べている。
少し脇道に逸れるが、Heyes は行動の「制御 (control)」とは言わず、「変容 (influence)」と表現する。これは、「制御」だと決定論的に操作できる印象を受けるが、実際の行動には確率的な変動性が必ずついてまわるため、表現を柔らかくする意図である。
また、機能的文脈主義では、研究の真偽の真理基準にも明示的にプラグマティズムを導入している。
行動主義の科学には必ず目的がある (多くの場合、それは現実の問題解決と結びついているが、そうでないものもある)。Heyes の標榜するプラグマティズムは、目的にかなうかどうかが、研究の真偽を決める、ということだ。
これは、「うまくいけばなんでもok」という主観主義ではない。問題解決としての科学として、発見というよりは創造のプロセスで知見が生まれるということだ。ただし、解決されるべき「目的」の方はどうしても恣意的にはなってしまう、と Heyes は述べている。
巨視的行動主義の特徴は以下の 2 つにまとめられる。
(1) 分析単位として「随伴性」ではなく「相関性 (correlation)」
Skinner はレスポンデント条件づけは刺激−反応という 2 項随伴性、オペラント条件づけは刺激–反応–刺激という 3 項随伴性によって定式化し、随伴性こそが考察されるべき基本単位であると考えた。
巨視的行動主義は、そうは考えず、よりマクロな「強化子–反応率」の相関性が行動主義心理学の分析単位であると主張している。
つまり、ミクロな刺激と反応の関係を捉えるよりも、マクロな環境と行動の関係を捉えることを重視しているのが、巨視的行動主義である。
行動主義心理学の目的を予測と制御に置くならば、結局はマクロな記述で十分であり、その方が有用であるというのが彼らの主張だ。
Skinner は外的な行動とは別に内的な出来事もまた行動として捉えられると考えた。巨視的行動主義ではそうは考えない。
彼らは、内的な出来事を「潜在的な行動 (covert behavior)」と呼んでいるが、心理学はそれを直接対象とする必要がないと論じている。なぜなら、潜在的な行動が実際に効力を持つならば、最終的には顕在的な行動 (overt behavior) として表出されるためである。
このことを彼らは「時間スケールを長くとる (temporally extended)」と表現している。瞬間瞬間に我々には豊かな精神活動 (mental life) があるが、それを相手取らなくても、長い時間観察すれば、観察可能な行動として現れる、ということである。
Staddon の主張は、他の行動主義と大きく異なる。彼の場合は、心的概念の導入を許容する。そして、それを用いた「理論」こそが心理学に必要であると考えた。その点は、実験結果から法則を抽出する帰納を重視した Skinner の立場とは異なる。また、「心的概念による説明」は Skinner の反対した「原因としての内的過程」でもあり、それを採用する点も Staddon の特徴である。
行動主義心理学の目的は、予測と制御だけではなく「説明」にもあると彼は主張した。Staddon の言う「説明」とは、概念同士の関係によって、現象を記述することである。わかる人にとっては、David Marr の「アルゴリズムと表現」の位置に心理学を位置づけている、と考えればすっきり理解できるように思う。
Staddon はやや言葉遣いが独特で、概念連関による記述を「メカニズム」と呼んでいる。そのメカニズムは必ずしも生理学的基盤を前提しないで、あくまで心理学的レベルでの記述である。
ようは、行動のアルゴリズム的な理解なのであるが、事実 Staddon は「私の言うメカニズムとは、アルゴリズムのことである」とも述べている。
Skinner は反応率 (時間あたりの反応数) を分析の基本単位としたが、Staddon はより多元的である。ただし、なにを分析の単位とするかは、それ自体が研究の立脚点を示しているものである。それを Staddon は「The model is the behavior」という言葉で表現している。
それでは認知心理学となにが違うのか?と思われるかもしれない。Staddon いわく、行動主義心理学が伝統的に堅持してきた「強化履歴」は理論的行動主義でも重要であるというのが大きな違いらしい。つまり、行動や内的状態は、それまでの環境との相互作用に基づいている歴史性を有しているとういうのだ。当たり前といえば当たり前なのだが、その点を強調するか否かである。
また、Staddon は「動的過程 (dynamics)」を重視した点も特徴である。他の行動主義は、基本的には刻一刻と変化するような過程というよりは、安定した反応の推移を対象としてきた。ややテクニカルな議論ではあるが、現代では複雑な時系列データを扱う方法もたくさん用意されているので、動的な過程を取り上げるのは科学として自然な展開であると思う。
一方、認知心理学では「コンピュータアナロジー」のように、入力–出力関係を固定して考えることが多い。動的に内的状態は推移していることを重視した点も、Staddon の理論的行動主義と認知心理学を分ける特徴の 1 つである。しかし、個人的にはこの差異は徐々に埋まっていくのではないかという期待もある。
色々なアイデアはあるものの、基本的に現在「行動主義」を標榜している人がいれば、Skinner の徹底的行動主義である。Watson、Hull、Guthrie、Tolman に依拠している者はいない。従って、歴史批判ではなく、科学の議論として行動主義を批判したければ、Skinner を相手にするべきである。
行動主義はとにかく誤解されがちである。それは行動主義心理学者サイドにも問題があるにはあるのだが、科学において、無理解の責任は基本的には不勉強側に帰せられるべきだろう。
個人的には、アンチは信者より詳しくあってほしい。認知心理学者も、自分たちが寄って立つフレームワークの出自はどこにあって、なにに対するアンチテーゼだったのかをきちんと理解してみたら、何か発見があるかもしれない。
自民党は民主主義を唄っているが、民主主義ではない。江戸時代から引き継がれる世襲、権力関係ズブズブで、帝国主義の真骨頂。
それが完全に悪いとは言い切れない。この世は結局金とコネ、行ってしまえば江戸時代から続くコネや人間関係によって、自然災害その他諸々への早急な対応
規律の取れた行動が(他国よりかは)とれる。日本という国の特殊な所が、権力が腐っても腐りきらないところ。ブラジルやメキシコみたいにならず、
上に全部任せておけば、それなりの倫理観とそれなりの行動力で近代化も全部お上がしてくれた。フランスが成し遂げられなかった事を日本は簡単にやった。
民主主義と言えるのは、民主党くらいだった。まぁそこも世襲と華族の残りカスが沢山いたけど、少なくとも国民の味方ではあった。
全部上に任せていた国民らしく、政治を知らず夢を語り、あっけなく、なにも出来ず砕け散った。まぁでも少なくとも、国民が初めて選んだ党だったわけだ。
今自民党が権力を得ているのは、自民党を選んだのではなく、民主党がダメだったからだ。消去法だ。
自民党もその間に成長した。テクニカル的な不景気時代を民主党に任せ、後は中国に学びコネと権力を使い、相場操縦をし始めた。
中国ほどの強権性は無くても、コネを使って機関投資家の情報操作をある程度防げた。民主主義ではない、独裁に近いけれど、昔と同じく独裁でそこそこの政治が出来た。
一方民主党は何をしたか。ネットを操るのではなくネットに飲まれたという方が正しい。
閉鎖的で先鋭化しがちな意見しか見ず、常識はずれの言説を世の中にまき散らし、ドン引きされるようになった。
これは凄い事だ。10数年前までは自民党応援してます、何て言ったら「右翼や」なんて言われたものだけど、今は民主党応援してると「左翼だ」とドン引かれる。
なんか海外サービスからのSMSが届いてないことに気づいた。以前使ってたdocomoはデフォルトで勝手に拒否設定になってるクズだったので、同じようなことになっていないかとSMS拒否設定を確認することにした。
なんとOCNのSMS拒否設定はダイヤルからしかできないらしい。 https://www.ntt.com/personal/services/mobile/one/voice/option/07.html ダイヤルしたら「ネットワーク暗証番号」を求められた。そんなものは設定した覚えはないが、とりあえず心当たりがある番号を数回入力したが駄目だった。
ググると https://support.ntt.com/mobile-one/faq/detail/pid23000005ik が出てきて「ネットワーク暗証番号の初期値はOCNマイページにてご確認いただけます。」とのこと。リンク先を開くとOCNマイページに飛ばされが、「ネットワーク暗証番号」という文字列は何処にも無い。というかこのご時世に画像の文字やボタンがゴロゴロしてる。OCNの技術は20年前で止まっているようだ。いろんな画面を開いて閉じてして、やっと何処に書いているのかわかった。「ご契約のSIMカード/端末」のリストの下に※の注釈として「※音声対応SIMをご利用のお客さまは「ネットワーク暗証番号」が設定されています。初期値は「****」になります。」と書かれていた。そんな重要な情報が注釈書き???OCN頭大丈夫?
なにはともあれネットワーク暗証番号がわかった。SMS拒否設定の解除をしよう。改めてダイヤルしてネットワーク暗証番号を入力する。するとこういうメッセージが流れた「ネットワーク暗証番号がロックされています」。数回しか試してないのにロックされたようだ。KSG。というか一発でこれ通せる人間いるのか?そもそも https://www.ntt.com/personal/services/mobile/one/voice/option/07.html にはロックされるなんて一言も書いてないぞ。
ロックされたものは仕方がないので解除しよう。解除の方法は電話しか無いらしい。さすが日本最大のインフラのグループ会社だ。ゴミすぎる。電話を書けると自動音声のガイダンスが流れた、が、ネットワーク暗証番号がどれなのかわからない。仕方がないので「その他」を選ぶ。
オペレータに繋がり事情を説明した。ここでOCNの長ったらしいお客様番号を口頭で伝える。なぜ手前の自動音声のタイミングで入力させないのか?わざわざ言い間違えや聞き間違えの発生する口頭で伝えさせるのか?頭が悪いにも程がある。オペレーターが担当部署に繋ぎますと、違う部署へと繋がれた。まぁ、順当だ。
別のオペレーターに繋がった。何やら様子がおかしい。「SIMのロック」とか「ロック画面」というフレーズがオペレーターの口から出てくる。今回の対象はダイヤルによって変更するSMS拒否設定のはずだ。SIMのロックやロック画面などスマホが介在する仕様など一切ないはずだ。このオペレーターは何もわかっていない。仕方なく事象と状況とサービスの仕様をこちらが説明する。どちらがオペレーターかわかったものではない。何度もスマホの機能だと誤解するオペレーターを抑えつつ、なんとか理解させることに成功した。自社のサービスの仕様くらい自分たちで理解しておいて欲しい。結局このオペレーターでは対応できないので別の部署に繋ぐとのこと。さすが分業が進んだ図体だけでかい組織、対応できない部署の仕事を失わせないために客である私に無駄足を踏まさせたわけだ。
やっとテクニカルサポートの部署に繋がった。最初からそうして欲しい。「状況の確認をさせてください」と宣いつつ、先のオペレーターに説明したことを繰り返し伝える。さすがOCNだ。最高の情報連携システムを使っているようだ。一通りの話が済み。やっとロックを解除できることになった。オペレーターは言った「解除まで2営業日かかります」と。
は?
なんで2日も掛かるの?OCNの部署間はモールス信号でも使ってるの?いやいやモールス信号は古いとはいえ近代の無線を使った通信方式だ。そんな遅いわけがない。きっと伝書鳩を使っているんだ。今からオペレーターが手紙を書き、担当部署宛の鳩を確保し、飛ばすのだろう。7payの問題も起こった昨今だ。きっとサイバー犯罪対策にアナログにしているのだろう。
そもそも禄にドキュメントにも書かれていない「ネットワーク暗証番号」なるものが数回間違った程度でロックされてしまうこと、検索してもヒットしないこと、サイトのリンクが不親切極まりないこと、その程度の操作に何日も掛かること、オペレーターがサービスを禄に理解してないこと、諸々のクレームを入れた。そうするとオペレーターが謝罪をしてきたので「謝罪はいらないので上申してちゃんと組織として直させろ」と伝えた。俺って優しい。
ん~?本当に言ってないのかあ?
言ってないぞ?
読み違えてるぞ。
出来ないぞ。
仮に痴漢が一件もなくても、成功した冤罪があれば「痴漢」としてカウントされる。
性犯罪者は悪だが、「憎む」というほどエネルギー使う必要は感じないな。
なら男性差別にならない、無辜の男性を一切巻き込まないやり方でやってどうぞ。
証拠もない自称「訴え」を、お門違いのソーシャルに叩きつけて男を虐めるより先に警察に行け。
冤罪が明確なら当然名誉回復はなされてるんだよな?じゃあいいじゃん、とは言えないけど、やってないことが証明されてるならいくらでもやりようはあるだろ。
起こってからでは何もかも遅い。
何も返ってこない。
痴漢の物証だけど、微物検査を否定したら事実上物証なんて残らんだろ。唾液や精液等の体液を相手に付着させるケースならともかく。
どうやって犯人と断定したの?
ちゃんと、無罪かもしれない相手として礼を持って依頼しろよ。もちろん、誤認なら補償って条件付きで。
微物検査の有効性を弁護士が否定してるって件だけど、本人が否認しているならその弁護士だしそのくらい言うだろ。テクニカルな話は知らないけどさ。
本来微物検査は電車内のような多対多の接触検査には向かない、とね。
「無関係の男性も協力しなきゃ痴漢の同類」とかそういうの。女性専用車両も法にないね。
痴漢車両の件に関して言えば、大半の男は痴漢車両を運用している鉄道会社に金を払った上で痴漢車両を避けて乗車しているという点で追認と書いた。
女性差別の件に関しては無いと言い切れるのも凄いが、例えば土俵の上に女は上がれないが、相撲協会に金を落として相撲観戦している女がいる以上女も同罪と言えるな。
あとはケースにも依るかな。
無実無関係で何の謂れもない男性は脅されて女性専用車両への協力を強要されてる。土俵?娯楽と一緒になるか。
おっ、偉いな。
ならねーよ
言うだけすらしないのが、女。
ん~?本当に言ってないのかあ?
っていうか痴漢見かけたら通報するんだ…。ちょっと見直したわ。
痴漢が1人ブタ箱送りになればそれだけ痴漢被害が減る=痴漢冤罪も減る。と考えることも出来る。
少なくとも「性犯罪者を悪と認め憎む」なら協力は必須ではないかと思うわけです。
うんうん、認知の歪みですね。
私は男性差別をやめろと言ってるだけ。
被害を訴えているだけ。それを『男性差別』と糾弾することは被害の訴えを躊躇わせ、遠廻しに痴漢加害を助長することになる。
冤罪が明確なら当然名誉回復はなされてるんだよな?じゃあいいじゃん、とは言えないけど、やってないことが証明されてるならいくらでもやりようはあるだろ。
痴漢の物証だけど、微物検査を否定したら事実上物証なんて残らんだろ。唾液や精液等の体液を相手に付着させるケースならともかく。
微物検査の有効性を弁護士が否定してるって件だけど、本人が否認しているならその弁護士だしそのくらい言うだろ。テクニカルな話は知らないけどさ。
法がすべてなら、女の言ってることも大抵無効化されるねー。
法に書いてないよね^^
逆だぞ。法に触れなければ有効の可能性が高いぞ。←何についての話か実はよく分かっていない
これが通るなら、世に遍くと言われている「女性差別」は全部女も同罪だな。
実際にはそんなもんないが、もしあっても何も言う資格がない。同罪だし。
痴漢車両の件に関して言えば、大半の男は痴漢車両を運用している鉄道会社に金を払った上で痴漢車両を避けて乗車しているという点で追認と書いた。
女性差別の件に関しては無いと言い切れるのも凄いが、例えば土俵の上に女は上がれないが、相撲協会に金を落として相撲観戦している女がいる以上女も同罪と言えるな。
あとはケースにも依るかな。
乗ってるよ。
おっ、偉いな。
心情としては全面的に同意するけど、論としては少しズレていると思う。
そもそもの問題は「オタク」という言葉の指す範囲が広すぎかつ大雑把すぎることにあるのでは。
「オタク差別」なる差別問題を存在するとして扱うのは弊害が大きいと思う。というよりも、「名前のない無数のマイノリティ」が「オタク」という一つの言葉に内包されていて、その各々のマイノリティに対する差別問題が「オタク差別」という言葉に置き換えられて語られているのだと考えた方が都合はいい。
つまりは現状の社会学の「手落ち」部分であり、言語化を待たれる部分であり、それ故に論理的でも理論的にでもなく、独りよがりな自分語りに終始しがちな部分である。でもそれはある程度仕方ない。それらは論としては支持することはできないとしても、寄り添うことはできる。
テクニカルな話をすると、「オタク差別」は存在しないとしても、何らかの「名前のないマイノリティ」を「オタク」と蔑んだ瞬間にそれは「差別」になる。故に例えば"「オタク」という語は差別語である"のような言説は成り立つと思う。
【追記】
上の記事みたいに、「名前のない無数のマイノリティ」を包括する用語として「オタク」を採用しよう、という戦略はアリだと思う。ただし、それをやるならまずは大々的な"宣戦布告"から始める必要があるだろう。
とりあえず両方の用例を引用する。
英語圏ではBBQ(cueがQに置き換わる)やB.B.Q.、Bar-B-Cue、Bar-B-Qと略されることがある。
(バーベキュー - Wikipediaより。A→B)
しかし、日本では河原や湿地、池沼などでは外来種が侵入し、在来種に置き換わる例が少なくない。
(帰化植物 - Wikipediaより。B→A)
軽くググった感じでは前者(A→B)が多いようである。
ニュアンスとしては「AがBに変化する」「AがBに移り変わる」に近い。
また「AをBに置き換える」はほぼ確実にA→Bであり,ここでは「Bに」が変化後を示すことからも「自然」と言えるかもしれない。
一方の後者(B→A)だが,硬めの文章に多い印象があったのでWikipediaで用例を探そうともくろんだものの,WikipediaにおいてもA→Bが圧倒的であった。
B→Aは「AがBに取って代わる」「AがBに成り代わる」に近いニュアンスが感じられる。
興味深い例はBMW・M54エンジン - Wikipediaである。
BMW M54 エンジンは「ストレート6」 、「シルキー6」と呼ばれるBMWの当時の主力エンジンであり、M52エンジンに置き換わる形で 2000年-2006年まで生産された。テクニカルアップデート (TU) 版のM54エンジンは無く、 M54エンジンは7年間にわたり同じ形式で生産された。BMW N52 エンジンが2004年に開発され、M54エンジンは徐々に後継機種に置き換わっていった。
1文目で「M54はM52に置き換わった」,3文目で「M54は後継機種に置き換わった」と言っているが,置き換わりの順序はM52→M54→後継機種であり,1文目はB→A,3文目はA→Bになっている。
この「置き換わる問題」はあまり話題にはなっていないものの,同じ疑問を感じる人もいるようである。
「AがBに置き換わる」は2つの意味にとれませんか? - 授業で、骨の発生に... - Yahoo!知恵袋
今ある仕事の半分がAIに置き換わるなどと言われていますが,むしろ人がAIに置き換わってやるんだという気持ちで頑張りましょう。
フィギュアスケートけっこう好きでたま見るんだけど、ぜんぜんジャンプの見分けがつかない。
スケオタの人たちはジャンプとかどうやって見分けられるようになったの?
怖いもの見たさでツイッター覗くと、スケオタの人たちがすっげーテクニカルな話で盛り上がってる。
「ユーリ!!!(アニメ)がきっかけでフィギュアにはまりました」とかプロフに書いてあるってことは、
ご自身はスケート経験者じゃなくて、観戦してるだけなんだよね?
なのに、ジャンプもスピンも技の名前だけじゃなくて、エッジがインだアウトだって、ぜんぶ見分けられてんだよね。
まじですごい。どうやって覚えてるの?
それと同じ感じ?