はてなキーワード: うつ状態とは
自律神経に不安を感じたら鉄不足や貧血の自覚あろうとなかろうと、
とりあえず鉄とっとくといいよ
https://kagurazaka-clinic.com/depression/
内科的疾患(甲状腺機能低下症、鉄欠乏性貧血、薬物性の疾患など)によって、表向きのうつ状態を引き起こすこともあり、適切な診断と治療が必要です。最近では、「鉄不足」がうつ状態やパニックを呈することがある事がわかってきました。この場合は、向精神薬よりも鉄剤を処方するほうが効果的です。
https://www.mdpi.com/2072-6643/10/11/1707
https://www.bibliomed.org/?mno=36434
[四季報 ONLINE] ヤクルトが大幅反発、「乳酸飲料がうつ病予防・治療に有効」と (2016/06/10)
ヤクルト本社(2267)が大幅反発した。11時02分現在、前日比220円(4.14%)高の5530円と東証1部の値上がり率上位20位以内に食い込んだ。
9日に国立精神・神経医療研究センター神経研究所との共同研究で、腸内の善玉菌が少ないとうつ病リスクが高くなることを世界で初めて明らかにしたと発表し、好感された。そのうえで、乳酸菌飲料やヨーグルトなどのプロバイオティクスの摂取がうつ病の予防や治療に有効な可能性があるとしている。
43人のうつ病性障害患者と57人の健常者の腸内細菌について、善玉菌のビフィズス菌と乳酸かん菌の菌数を比較したところ、うつ病患者がビフィズス菌、乳酸かん菌がともに一定以下であることが判明したという。
日本の精神科医ってものすごくレベル低そう・世界からクソ遅れてそうって偏見持っているけど
日本にはヤクルトがあるし食品メーカー(健康食品)も強いので研究費が降りるのだろう
脳腸相関が科学的に説明できるようになってきています
○ 脳腸相関とは?
機能性消化管疾患の患者さんを診療していて気づくのですが、おなかの症状だけでなく、眠れない、落ち着かない、頭痛、食欲がない、意欲がない、などの精神神経症状を訴えられる患者さんがたくさんおられます。
腸のせいで脳に影響しているのか、脳のせいで腸に影響しているのか難しい悪循環になっているように思えます。「脳腸相関」として医学的には以前からよく知られた現象として有名です。
これまで、便が軟らかくなりやすい下痢型の過敏性腸症候群の患者さんに対しては、「ストレスが原因ですから、生活などのライフスタイルを見直すことが重要です」といった説明をすることが治療の出発だったわけです。ところが、最近の研究によりこのような脳腸相関をある程度科学的に説明することが出来るようになってきました。
過敏性腸症候群の病態においては、腸内フローラの異常、短鎖脂肪酸などの腸内環境の異常により、腸から脳への信号伝達に異常が生じているようです。
消化管内腔の粘膜細胞に刺激が加わると、この信号は迷走神経下神経節を介して延髄孤束核へ、また、脊髄後根神経節を介して視床、皮質へ伝えられると考えられています。これが内臓知覚といわれるものです。この内臓知覚には消化管壁内に存在している内在性知覚ニューロンからの信号も関係していると考えられています。
特に、この内在性知覚ニューロンの情報伝達にはセロトニン3受容体(5-HT3受容体)が関与していると考えられており、過敏性腸症候群の下痢型の治療薬として5-HT3受容体の拮抗薬が著効することが証明され、臨床応用されています。腸内細菌のなかで神経伝達物資であるγアミノ酸(GABA)を産生する菌があることも確認されています。
この菌が少ない子どもは、行動異常、自閉症などになりやすいとされています。自閉症の子どもに対して腸内環境の改善による治療が試みられています。
ストレスの実験モデルとしてラットの脳室内にCRFを注入するモデルがあります。ストレス下で脳から腸へのシグナルの最初は視床下部の室傍核から分泌される副腎皮質刺激ホルモン放出因子(CRF)です。このCRFは、下垂体前葉の副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)分泌を刺激し、ACTHは副腎皮質からの糖質コルチコイド分泌を刺激し、ストレスに対して適応する様々な生体反応を起こします。いわゆる視床下部-下垂体-副腎軸(HPA軸)といわれるストレス応答です。さらにCRFは下部消化管(結腸)の運動亢進を起すとされ下痢型過敏性腸症候群のモデルとして使用されています。
こういったCRF投与によるストレス負荷を受けた腸管では、平滑筋刺激による運動亢進だけでなく、腸内の細菌叢にも変化が生じるようです。脳内のストレスが腸管に何らかのシグナルを送り、細菌叢に働きかけているようです。ラットの実験ですが、CRFを注入する前にラットに水溶性食物繊維を前もって投与しておくと、この腸管運動亢進が抑制されることも見いだしています。つまり、様々なストレスに対して腸管内からのアプローチが可能になってきているのです。
私たちが脳で幸せを感じるもとになる「幸せ物質」のひとつがセロトニンなのです。このセロトニンが脳内で正常に作用すると、ヒトは前向きな気持ちを保ち、幸せを実感し、健康ですごせるとされています。
セロトニンが不足すると、怒りやすく、時間が経過してもそれを抑えられなくなり、キレやすくなるようです。
実は、このセロトニンは腸管で作られているのです。さらに、このセロトニンの生成に特定の腸内フローラが関与することが明らかになりました。
無菌マウスの血中セロトニン濃度が通常環境で飼育されているマウスに比較して低濃度であり、無菌マウスは落ちつきがなくなるようです。
このようなマウスを普通の環境に戻したり、乳酸菌などを投与すると、マウスは落ちつきを取りもどします。子どもの脳の発達には腸内細菌の働きが大変重要であるようです。
腸内細菌にはカラダにとってよい作用をする有用菌(善玉菌)と悪い作用をする悪用菌(悪玉菌)が競り合ってすんでいます。この種類の多くは7歳ぐらいまでの生活で決定されるようですが、その後も腸内細菌の種類、量は多くの因子の影響を受けています。図を見てください。現状で私が考えている重要な因子を並べてみました。
有用菌を増加させるために最も重要なものが食物繊維です。特に水溶性の食物繊維が大事です。
大便の80%は水分で、残りの20%は剥がれた腸粘膜細胞、食べ物のカス、腸内フローラです。「バナナ便」と言われるような健康な大便のためにはいろんな対策が必要です。
重要なポイントは、大腸で「発酵」といわれる反応を上手く導き出すことで、この発酵反応には、材料としての食物繊維と主役の有用菌の存在が必須なのです。ところが困ったことに、日本人の食物繊維の摂取量は年々減少して、最近の調査によると、成人の1日当たりの食物繊維の摂取量は男女ともに15gほどに低下しています。
10代、20代では10g前後と極めて少なくなっています。食物繊維を多く含む食材としては、野菜、芋類、キノコ類、海藻類、豆類などがありますが、洋食の普及と共にこういった野菜の摂取が減少しています。
玄米から精白米にする過程で食物繊維は6分の1程度に減少してしまいます。現在の日本人は平均で5〜10gの食物繊維不足と考えられます。発酵食品は世界各地で昔から食卓に並んできました。
日本でおなじみの納豆、酢、みそ、しょうゆ、日本酒、漬け物、ヨーグルトはすべて発酵食品です。これらの発酵食品の製造には、カビ、酵母、細菌などの微生物、いわゆる発酵菌の働きが必要です。
もっとも重要な作用は、このような発酵菌が腸内フローラを有用菌に変化させることと考えられています。ポリフェノールにより腸内細菌の有用菌が増加することも分かってきました。
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私は34歳・男性・独身・地方都市で一人暮らしをしている。なんだか最近、何もする気が起こらない。1年前のちょうど今ごろは転職活動にエネルギーを注いでいて、おそらくそのせいで体調を崩した。医者に診てもらったら「病気ではないが」との注釈つきで薬を処方され、今も飲んでいる。転職を考えたのは端的にいって待遇が良いとは言えず、先が見えなかったからだ。
私は大学を卒業する直前、就活の波に乗れず、今思えば視野が狭かったと思うが「経済至上主義の社会に入っていくのは嫌だ」みたいなことを心の中で叫びながらふらふらしていて、とある業界の小さな個人事務所に出入りするようになり、そこに拾ってもらった。当時はその業界の仕事がやりたいと思い込んでいたが、今思えばその事業所のボスに憧れていたのだと思う。「人とは違う道」を選んだような、優越感に似た感情もあった。おれはみんなとは違う。月給も一般的な大卒初任給よりもべらぼうに安く、健康保険も自分で払わないといけなかったが、当時は気にならなかった。それよりも「自分のやりたい道を選んだ自分」に酔っていた。しかしいざ勤め始めてみると、色々と問題があった。有給で働くスタッフが極端に少ない環境で、ボスとは基本的に2人で仕事をすることになる。学生時代に面倒を見てもらっていたので最初のうちこそ「先輩-後輩」という関係性に近かったが、やはりそこは「仕事」としてやる以上「上司-部下」という関係性に変化していく。色々なことの積み重ねでボスと私の関係はどんどんこじれていき、最終的には雑談をするのも苦痛な状態になっていた。受診はしなかったがうつ状態に近かったと思う。もう限界だと感じて、数年でそこは辞めた。辞めた時点で次のあてはなく、とりあえずしばらくふらふらと過ごした。転職活動もしてみたがどうにも乗り切れず、とりあえずしばらく休むことにした。
しばらくして、知り合いから仕事を紹介してもらい、そこそこの規模の会社で働くことになった。ただし雇用形態は非正規。以前勤めていた業種での経験を買われた専門職という立ち位置だったが、有期雇用だ。賞与も出るには出るが、正規職員とは待遇が全然ちがう。それでも最初に勤めたところと比べれば条件は良かったし、なんなら当時は「お試し」で組織で働く、という感覚もあって有期雇用というのは気楽だった。最初の数年はよかった。新卒時代とは違って「組織に守られている感じ」がある。健康保険も半分払ってくれるし残業代もちゃんと出る。安い部屋を借りて一人暮らしも始めて、生活コストを抑えながら、わりと楽しくやっていた。
けれど任期満了の年が近くにつれて「この先どうするのか」という考えが頭をもたげるようになる。この頃には「安定した職に就きたい」という欲求が出てくるようになっていた。いちおう専門職という立場だったが、その「専門性」は公的な資格などによって担保されたものではなかった。所属する組織がその「専門性」を本当に必要としているのであれば、もっと優遇されてもいいはずだという憤りも感じ始めていた。そして何より自分自身がその「専門性」で食っていこうという気持ちになれなかった。むしろ、そういうところから離れて、いわゆる「正社員」というマジョリティが歩んでいる道に乗っかりたい、そんな思いを抱くようになっていった。
そんな経緯があって去年、転職した。以前と業界は同じだが、まったく異業種。専門職ではなく、総合職型の正社員だ。内定が決まった頃は嬉しかった。これでマジョリティの道に乗っかることができる。乗っかってみて合わなければまた考え直せばいい。そんな風に思っていた。勤め始めて1年弱が経つが、「正社員になった」からといって根本的な問題が解決したという感じがしない。もちろん収入面では以前よりもよくはなった。けれど新卒で今の組織に勤めている同世代と比べればかなり差があるだろうと思う。加えて、「キャリアプラン」みたいなもののイメージがわかない。人事部が提示する「キャリアプラン」によれば、新卒から複数の部署を経験して自分に合った分野を見つけて、ゆくゆくは管理職を〜みたいなことが書かれているが、自分はもう30を過ぎた平社員である。同年代の人間はたいてい役職つきになっていたりして、なんというか「キャリアプラン」と言われてもピンとこない。このまま働いていて大丈夫だろうかみたいな不安もある。同じ部署の定年間近のおっさん達はいわゆる「逃げ切り組」なのだろう。今の心境では「定年まで勤め上げて〜」みたいな感覚になかなかなれない。定年はどんどん引き上げられるし、年金支給額は目減りしていくし、あと30年以上も続けるのか…?今の仕事を…?となる。同世代のみんなはこのへんどう折り合いをつけながら働いているんだろうか。いや、同世代なら多くの人はもう部下がいたりそれなりの立場になったりしていて、仕事をめぐるメンタリティもずいぶん私が書いているようなものとは違うものを持っているのだろう。では自分のように、マジョリティのルートに乗ってきたわけでもなく、それでいてマジョリティのルートに適合しようと動いてみたもののあまりしっくり来ず、うっすらとした不調を薬の力を借りながらごまかしつつ働くような人間は、今後どんな見通しをもって働いていけばいいのか、と思う。
ちなみに、よく「毎日決まった時間に同じ場所に行くのは苦痛」とか「私は組織でやっていけない人間」という人がいるが、私はどちらかというとそういうタイプではないと思う。毎日同じ時間に起きるのは生活リズムが安定するし、周囲の人間とうまくやっていくのは苦手ではないほうだと思う。ただ、少し前からよく耳にする「HSP傾向」があると思うので、周囲に気を遣いすぎて疲れる傾向にはあると思う。コロナ禍で在宅勤務になったときは心底気楽でよかった。できることなら家で仕事したい。そしてできることなら労働時間を少なくしたい。
なんだかエアポケットに嵌ってしまっているような感覚がずっとある。35を超えると転職が難しいとか聞くけれど、たとえば今から転職したとしてもまた根本的には同じような不全感というか「しっくりこない感じ」を抱えていくのだろうという気がする。少し前は過去に使っていた「専門性」を補強するような資格を取りなりなんなりして、こっそり副業でもしながらゆくゆくは独立など…と想像して情報を集めたりしていたが、情報を集めるのも学ぶのにも時間と体力がいると痛感している。金にもならない好きなことをしてストレス解消したり心身の健康を保つことも重要で、そうなると「何もする気が起きない」みたいな状態になる。どう生きていきましょうかね。
anond:20210402183101 の続き。
心療内科は、もう別の医者を探す気力がなかったので引き続き通っている。すごく良くもないがヤバい医者ではなさそうと感じ。他に行ったことがないので比較しようがないが。
カウンセリングに毎週通いだしてもう2ヶ月以上経つ。といっても大学のカウンセリングルームだけど。
話を聞いてくれるのは、自分の場合50代くらいの優しそうな男性(50代くらい)だ。
他のカウンセラーとか、他の大学のカウンセリングとか、大学以外のカウンセリングに行ったことがないので比較できないが、
自分の場合、カウンセリングに通ってからものすごく精神的に楽になった。
実は、自分は最初からカウンセリングを継続して受けようと思っていたわけではなかった。というかそういうシステムがあることを知らず、1回きりの相談だと思っていた。
一度、大学の学生相談のページのメールフォームで「こういう悩みのせいで辛い、鬱状態である(診断済)」と書いて送ったら、
カウンセラーの人から都合のいい日を聞かれて、電話で1時間くらい泣きながら話して
(この時は結構色々聞かれた。心療内科の初診と似ていた。家族や交友関係なども細かく聞かれる)、電話が終わるときに
と聞かれて、今のがそうだったのではないのか?と思いながらとりあえず悩みが何も解決してないため、お願いしますと言ったら
いつの間にかカウンセリングを継続して受けることになっていた。
だから、受けたいと思った人はまず自分の大学の学生相談のページを見てみると良いと思う。悩みを訴えることのできるフォームがあるはずだから。
カウンセリングは、電話か対面で約30分間受ける(初回は1時間)。
(心療内科では先生と5分くらいしか話さないのだが、カウンセリングに行っているからあまり不満がないのかもしれない)
現状はどうなったとか、悩んでいることとか、辛いことをぽつぽつと話す。
カウンセラーさん(といっても、心理とか教育学の研究者の先生のようだが)は主に傾聴している。
自分は、過去に教職課程を取っていて、傾聴の仕方を学んでいるので、「あっ今傾聴されてるな〜」と思う。
自分は「○○で辛い」「××がショックだった」「〜をやりたくない」と言えば、
「○○が辛かったんですね」「××がショックだったんだね」「〜をやりたくないと思ってるんですね」などと言う。
文字で書くと、おうむ返しのように思うし、実際おうむ返しなんだけど、
本業のカウンセラーに傾聴されると、自分の悩みをあたたかく受け止めてもらっているように感じて気持ちが軽くなる。スゲェ〜
おうむ返し以外の傾聴としては、自分のまとまりのない話を、整理して「〜ということかな?」と聞いてくれたりもする。
ただ、普通のカウンセリングと違う?のが、タスクを抱えすぎてパニックになっていたり、ガチでどうしたら良いかわからない悩みがあったりすると、「〜するのはどう?」とアドバイスをしてくれることだ。
自分は今うつ状態で、セロトニンを出す抗うつ剤を上限いっぱいまで処方されているが、まだ集中力とかやる気とかが回復していないし、頭がうまく回っていないなという感じがある。そのような状況なので、アドバイスがすごく助かっている。
以上の盛りだくさんのカウンセリングが、ただ大学に所属しているというだけで無料で受けることができる。
とりあえずこんな感じだ。
鬱状態というのは、まあたぶん、山あり谷ありのなかの一時点での状態を表すのだろうが、本人のリアルタイムでは、それが生まれてこの方、そして一生続くような体感で「うつっぽい」。
なので、仕事がうまくいかない、人間関係もうまくいかない、私自身価値がない、仕事自体もうやめたい、というか誰にも会いたくない、家から一歩も出たくない、なんなら人生おしまいにしたい、自らそうする勇気はないが…と思っている。
実はちょっとしたくだらない些末なきっかけで鬱状態に陥ってるだけではないかと思っている。
なので、本気で鬱状態を脱するために、取り組んでいることを記録。
①寝不足説
平均5~6時間くらいだったが、7時間30分睡眠を目指す。11時半就寝、7時起床が目標だが、今の所、6時間しか達成できていない。原因はベッドに入るのが遅いと見て、今日は11時には入っていようと思う。
・炭水化物多すぎ
低炭水化物の食事を2年ほど続けている為、これにあてはまらないと考える。
・鉄や亜鉛不足
うつ状態になる前から亜鉛はサプリで補給している。鉄は意識していなかったので補給を試みたい。
・ビタミン
VD、B群、葉酸が不足するとうつ状態に。肉、魚介、大豆製品を順繰りに食して行けば摂取できそうだが、そんな食欲はない。これもサプリか?面倒くさい。
③運動不足説
以前はジョギングを週2~3回していたが、しなくなっていた。試みたいが、いかんせん全くやる気が出ないので難しい気がする。
なるほど。文章にしてみると、なんとなくつかめる。運動不足?活動不足?→眠くならない→眠れない→食欲減退→ミネラル不足→うつ症状、か。
とにかく眠れさえすれば、サイクルが逆回転できそうな気がする。
原因は私の家庭問題とか、大学で上手く行かなかったことも多くあるけれど、結婚期間ふくめて8年の付き合いだった元夫も原因の一つだったように思う。
彼は私と一体になりたい気持ちが強かったように思う。
付き合い始めて3ヶ月目くらいの、喧嘩したときに、図をかいて説明してみたことがあった。私はホワイトボードの中心に点線を描いた。そしてその線をぐにゃぐにゃとはみ出してる図を描いた。
「私が言いたいのはこういうこと」
私がそう言うと彼は、「○○が俺に、はみ出てきてるってこと?」と言った。
彼に逆の解釈をされて少し驚いたが、いずれにせよ、お互いの領域を超え出るのは良くないという話をした。
「○○は根がない根無し草だから、俺がグラウンドになってあげるよ」と彼は私に告白するときに言った。
私は彼をかっこいいと思っていたので、「試用期間1ヶ月くれるなら」と言って付き合い始めた。
彼は、私のことを深く愛してくれていたように思う。彼の愛情表現がどうだったものであれ。
ただ、私は彼によく「私はあなたのお人形じゃない」とよく訴えていたように思う。彼の愛し方は人形を愛するようだったように私は感じた。
彼は、私の身の回りのなんでもしてくれた。彼は私にとても優しかった。私がうつ状態でうごけないときは彼が掃除をして食器を洗って。私の髪の毛を乾かしてくれたこともあった。
ひどい喧嘩がよくあった。私と彼の間では価値観が大きく違っていた。私は、「私は私、あなたはあなた」という考えが強い。一方で彼は彼が元カノと共有していた価値観、「苦しみもはんぶんこ、楽しみは2倍」。私は彼からしたら冷淡な人間だったのだろう。私は冷淡な価値観しか持てていなかったので、彼の価値観に惹かれた。そういう価値観を持ってみたかった。
彼がインターンシップで私と2週間ほど疎遠になることがあった。私は夜の大学の帰り道彼と電話していて、そのときに知り合いの男子留学生とすれ違った。そのときに彼は私が電話で喋ってると気づかずに話しかけてきたので「I'm talking with a friend」と言った。ボーイフレンドという言葉に小恥ずかしさを感じてそう言ったのだった。そしたら電話越しにそれを聞いていた彼は怒り始めた。怒っていたというより、泣いていた。私は大学から家までの帰り道に彼と電話で喋りながら歩いていたが、彼をなだめなければいけないと思い、何時間も外で彼と電話した。その日家に帰れたのは深夜の2時を過ぎていたと思う。
その日くらいから、私は自分は冷酷な人間なのかもしれない。もうすこし彼のいうような関係を目指そう、と思って自分を変えていった。
試用期間1ヶ月も待たずに大きな喧嘩をした。が、むしろその喧嘩は癒着を強くした。私達はこの後8年間付き合うことになる。
しかし、なんだか付き合い始めてから3ヶ月もすると、うつ状態がひどくなった。毎日泣いたり、大喧嘩したり。楽しいときはとても楽しいのだけれど、次第にうつ状態の日々が多くなった。
象徴的に思うのは、彼が私に鳥を撮った写真を見せてきた際に、「まあ、いいとおもうよ」みたいな態度をとってしまったときのこと。彼は私を喜ばせるために写真を撮ったようだったが、私が喜ばなかったので怒った。というか不機嫌になったあと怒って、泣いていた。「俺はこんなに○○のことを思っているのに、どうして」とよく喧嘩の時に言っていた。一方で私は「私の思考までなぜ彼の思う通りじゃなきゃいけないのか」という苦悩の中にいた。私が悲しかったのは、彼に同意しないと悪意や敵意にしか受け取られないこと。彼は「いつも周りに認められないのだから、せめて私には認めて欲しい」と言ってきた。最初は「私はあなたのお人形じゃない」と言って反抗していたけれど、そうすると彼が大荒れするのが目に見えるようになったので、笑顔で彼を受け入れるようになっていった。
私の部屋がいつの間にか血まみれになっていたことがある。喧嘩して、私が外に出ている間に彼がコップを割って、手を怪我したようだった。壁に血が散っていた。今思うと、大した怪我ではないし、私が先日ざっくり怪我をしたときのほうがひどかったと思うのだが、私は当時、動揺してしまった。しかし、動揺してる様をみせるのは良くないと思い、冷淡な態度を装って一緒に病院に行ってあげ、問診票など私が代筆した。彼は「病院で処置してくれた男の人にかわいい彼女さんですねと言われて俺にはもったいないですよ、と答えたよ…」と言った。私はそんなヒロイックな彼があまり好きではなかった。
あと、私は彼が彼が不安になったり不機嫌になると壁や床に何回も頭を打ち付けるのが怖かった。たとえ夜中でも「ごめんなさい!ごめんなさい!」と泣きながら頭を打ち付ける姿をみて、彼が不機嫌になったり不安になるのが怖かった。
今思い返せば、時間が進むほどに、彼と私の関係はだんだん歪んでいった。
GPSを常に共有していることもおかしかったと思う。これは彼が提案してきて、彼も共有するから私のも共有してということだった。また、結婚する2、3年前に大学で喧嘩したときに、ささいなことで喧嘩して、「もう別れるさようなら」と立ち去ろうとしたら、首を締めてきて、叫ぼうとしたら口を塞いできたこと。
結局あのあと自殺未遂した。で、自殺未遂のあと結局どうなったかというと、今は学部時代以来に久々に止まっていた時間が動き出したかのようになった。
自殺未遂以前の状態は最悪だった。自殺未遂する以前の数年間は今思っても哀れ以外のなにものでもない。
通っていた病院の先生の治療方針は、身体的な問題に対するうつ状態へのアプローチだった。睡眠不足・睡眠の質が原因、野菜を食べること、運動すること…
私は、謎の原因で毎日毎日つらかった。まず朝起きたくない。起きたら一日が始まってしまうから。さて、起きたらどんな一日が始まるか。自分の出来なさに対する懺悔、今日こそは打破するという決心、しかし動かなくなってしまった身体。いや、正確には謎の夢から醒めるところから。夢の典型パターンとしては、謎の義務やルールが存在していて、それを私が知らないうちに破ってしまうこと。そして、私には次の仕事があること。朝、目が覚めると、「私はまだあの仕事が終わっていない。起きてはいけない。戻らなきゃいけない‥でも夢なのか。あれは夢なのだから、現実のやらなきゃいけないことをやらないと‥」と毎朝朦朧とした意識のなかで目が覚める。目が醒めてもベッドから起きない。かろうじてくだらないまとめサイトには指と脳が動く。そのうちに睡眠欲が私の頭を殴ってきていつの間にか寝てしまう。そしてまた夢を見る。これを3回くらい繰り返すと14時とか15時になっていて、流石に大学に足に運ぶ。日が少しずつ傾き始めている通学路を歩く。コンクリートの匂いと鳥の声と木のざわめきがする坂を歩いていく。火照ったからだを冷やすため、あるいは冷えたからだをあたためるために売店で飲み物を買う。そして、研究室に向かう。少しでも運動量を増やそうと思ってひんやりとした研究棟の階段を登る。けれど、なんだか貧血がしてくる。階段の踊り場で壁によりかかる。そしてまた、動く決心をして研究室の扉を開く。そして笑顔で研究室の仲間に挨拶する。おどけて笑って、研究室の後輩にフランクに話しかけたり、留学生の生活上の困ってることを相談されたら、そんなの私がかわりに電話してあげるよ、と言う。そして、まったく働かない頭をデスク前に置いて時間を過ごしていく。そんなイツモドオリの日々。
もう6、7年もこんな生活だ。もうさすがに破綻だろう。だから、1ヶ月まるまる実家でなにもせず過ごしてみたりした。医師の言うことをやってみせた。毎週2、3日は大学の温水プールで泳ぐか、ランニングをした。緑黄色野菜も食べた。睡眠も不足にならないように8時間はかならずキープした。でもよくならない。
だれもいない更衣室、塩素の匂い、誰かのシャワーの音。どこか遠い場所でのことみたいだった。100メートルも泳げなかった私は1キロメートル泳げるようになっていたころにもそれらの感覚は鈍いままだった。
ランニングするのは嫌いじゃなかったけれど、走っていると思考が自分を責めていく。このままではいけない。けれど、そう焦っている事自体がだめだ。リラックスするべきだ。次の計画はどうしよう。まずは健康が先決だ。うつ状態の人はセロトニンが分泌されていないらしい…
学生の間ずっとお金がないので自炊は得意だった。かぼちゃ、ほうれん草、トマト、キャベツ、ブロッコリー、牛肉、豚肉、鶏肉、鮭、納豆、豆腐、ヨーグルト。こういったものをよく食べた。家で作ったご飯を大学に持っていって食べたりしていた。
でも、もうネットサーフィンくらいしかできないくらいになってしまった。研究はしていたけれど研究風のなにかであって、先生に、もはやタスクレベルに分解してもらって、それをようやくとりかかるもこなすことができない。
普段イツモドオリの私だけれど仲のいい先生たちには徐々に私のくらさを露呈していくようになる。
けれど先生たちはそんな私にも良くしてくれた。どこかイベントに誘ってくれたり、意味のない雑談を何時間もしてくれたり。けれど、良くしようと思ってくれればくれるほどただ苦しいだけだった。
暖かい日差しのもとで、木々の木漏れ日が湖畔を彩っていた。そんな素晴らしい風景も、たしかにきれいなのだけど、きれいなものを見ても心動かされない自分の状況の衰退が際立たせられているだけに思えた。
鈍っていく自分の感覚、自分の感覚がどんどん信じられなくなっていく。
リストカットなどをしたら痕が残ってしまう。だから、痕にならない針を腕にさして苦痛を感じた。「こんな私でも痛いときちんと思えるんだ」という安堵があった。
きっかけは母親が「空気を読む脳」を買ってきたことだった。以前からこの人の主張はおかしいと思っていて耐えられなくなりこの人の他の本も読み、言動についても調べた
酷い。矛盾だらけ、エビデンスにならない動物実験ソース、人を見た目で判断することは科学的に正しいという主張、本人の言っていることとも矛盾した倫理観。
彼女がいつも言う「日本人はセロトニントランスポーターが少ないから不安に駆られやすい」という理論、まずこれが怪しい。SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)について知っている人なら奇妙に感じるだろう。この薬は、セロトニントランスポーターの機能をあえて弱めることでシナプス中のセロトニン濃度を増やし不安を和らげる薬だとされている。つまり、彼女の理論とSSRIの作用機序についての理論は正反対なのだ。モノアミン仮説にもやや怪しい部分はあるが、正反対の解釈というのは流石におかしい。神経科学の専門家はどう思っているのだろうか。
「空気を読む脳」で日本人はサイコパシーの傾向が強い人が「どちらかといえば」少ないから内側前頭前皮質が発達していて倫理や美醜の観念に厳しくそれが変わりやすいのだと書いていた。当たり前だがサイコパスの人の数を正確に見積もるのは難しいのであってそういった数字は単なる誤差か診断基準の違いによるものである可能性の方がずっと高い。仮にサイコパスの人が少なかったとしても内側前頭前皮質が発達している人が多いことを意味するわけではない。サイコパスとは行動や心理をもってそう判断されるものであって実際に内側前頭前皮質の機能が弱いとは限らない。内側前頭前皮質の機能が強い人も弱い人も共に少ないということもあり得る。
ついでに「不倫」では日本人は保守的で変化を好まない民族だとも言っていた。それなのに倫理観が変わりやすいらしい。数年前には問題でなかったことが問題になるのは日本に限ったことではないし「日本人の脳」に原因を求めるのは無理がある。
「戦国武将の精神分析」では汚い手も使って勝った徳川家康が今でも日本人の理想のモデルとして存在しているとも宣っていた。日本人は美しい敗者を好むのではなかったのだろうか。美醜の観念が変わりやすいのではなかったか。
美醜の観念が変わりやすいのに何百年にも渡って義経のような「美しい敗者」が理想化されているらしい。
「不倫」でもこういった飛躍がある。たかだか寝かしつけの習慣があるからといって日本人はオキシトシン受容体が多いのだということにしていた。もちろん実際に日本人の脳を調べたわけではなし。スキンシップの総量が他の国と比べて多いか少ないかわからないのである。オキシトシンの多い人は不倫傾向が弱いとも書いていたが、日本人は不倫が多いという同著での主張とも矛盾する。(よくよく見ると厳密には比較不能な国際調査と国内調査を比較していたが)
更に、セロトニン神経細胞にはオキシトシン受容体が存在し、オキシトシンが増えるとセロトニンが増えるという事実は「日本人はセロトニンが少なく、オキシトシンが多い」というモデルとも上手くかみ合わない。彼女もこの矛盾に気付いているのか、週刊新潮 2020年12月17日号での佐藤優との対談でまだ発見されていない要因があるのかもしれないと言っていた。
更に中国や韓国の「反日」まで「セロトニンが少なく、オキシトシンに頼りがちな遺伝的特質」のせいにしているのには呆れを通り越して笑ってしまった。歴史上何度も革命を起こしている中国人もまた、保守的でリスクを好まない形質の持ち主らしい。
「サイコパス」でフロイトはトンデモだという声もあるほどだなどと書いていたが、リビドーや無意識という概念の代わりにセロトニンやオキシトシンや脳部位が万能の説明法として君臨するようになっただけで間違い方に大して違いはない。
この記事でも指摘されているように、彼女は不要な場合でもひたすら専門用語を使って話す。https://anond.hatelabo.jp/20150908145246そういう言葉を用いれば多くの人間は科学っぽく感じてしまうことをわかっているのだろう。
人間でもそうだという根拠にならない動物実験をたびたび引用して人間の話に繋げる。キツネ、マウス、プレーリーハタネズミ、サバクトビバッタと…
「脳・戦争・ナショナリズム 近代的人間観の超克」(嫌な部分が剥き出しで、是非お勧めしたい本だ!)で人間に何世代も飼いならされたキツネは容姿が変わってくることを挙げて人を見た目で判断するのは科学的に正しいのだという主張に持っていっていた。少し脱線するが「空気を読む脳」でもたかだか0.126の相関で「容姿と知能に関係がないとは言い切れない」などと書いていた。それだけの数値なら関係ないかあったとしてもごくわずかな関係しかないというべきだろう。
「戦国武将の精神分析」でマウスを取り上げて人間でテレゴニーが起こらないと証明されきったわけではないなどと立証責任を押し付けた。確かに人間にもマイクロキメリズムはあるがそれはテレゴニーとは違うものだ。それにしても不倫バッシングを批判する中野がヒト・テレゴニー説に対して好意的なのは面白い。
「不倫」でプレーリーハタネズミのAVPR1a遺伝子を操作すると生殖行動が変わり、AVPR1a遺伝子が人間とボノボで「ほぼ」同じだからといって人間も本来ボノボのように乱婚的だと示唆した。
そのわずかな違いが重要な違いである可能性はあるしAVPR1a遺伝子も実際は空間記憶能力に関わる遺伝子で空気記憶能力の高いプレーリーハタネズミは行動範囲が狭く単婚的になるというのが実際のようである。https://www.eurekalert.org/pub_releases_ml/2015-12/aaft-_4120715.php中野はかなり単純化・歪曲して解釈している。
「空気を読む脳」で書いていたサバクトビバッタに至ってはなんとセロトニンが多いバッタが集団志向になるのだそうだ。同著での主張とは真逆だ。
文藝春秋4月特別号の「脳科学者が小室圭を「分析」する 世間の常識はなぜあの母子には通じないのか」でゴールドウォーター・ルールに触れておきながら小池百合子やドナルド・トランプがサイコパスだなどと言っている。精神科医ですらない人間が直接の診察もなしであの人はサイコパスだなんだと言っているのである。
「ペルソナ」でセクハラを告発していたが、「脳・戦争・ナショナリズム」では以前なら当たり前だったことも「セクハラ」「パワハラ」にされてしまうなどと言い、今日かわいいねと言ったら今まではかわいくなかったってことだと思って泣いた子供を批判的に取り上げて世の中が過敏だというニュアンスを込めて論じていた。以前とは考えが変わったという見方もできようが最近でも「昔は乱婚だった、現在の倫理を相対化すべきだ」という主張を繰り返している。当たり前だがある倫理が新しいことはそれを否定する根拠にはならない。私は乱婚社会を悪だとは思わないが。
「ペルソナ」の話に戻ると、親と子の関係に他人が口を挟むなとも書いていた。虐待の温床となる態度である。旧式の価値観に従っていい子でいるくらいなら~などと宣っているが、旧式の価値観にしがみついているのは彼女自身である。
そして最後に「不倫」で書いていた、不倫は遺伝子によって決定されているのだからそれを断罪することは差別や優生学に繋がるという主張について批判しておこう。
別に不倫遺伝子とはあれば絶対に不倫するという因果律を支配する魔法のようなものではない。ある人はない人に比べてその確率が高くなるといった程度のものなのだ。もし殺人やレイプのような重犯罪についてもそのような遺伝子があれば殺人やレイプも断罪してはいけないことになってしまうだろう。不倫バッシングも遺伝子のせいだとすれば不倫バッシングを差別だ優生学だと断罪することもまた差別ということになり自己論駁に陥る。「あなたの脳のしつけ方」では後天的に脳を変えることもできるのだと書いていた。この頃はまだまともな内容を書いていた。
思うに、彼女の本がベストセラーになるのはこういった免罪的側面のせいなのだろう。そういった遺伝決定論に従えば不道徳な行動も遺伝のせいになり免罪される。世の理不尽なことも「脳や遺伝子のせい」とわかった気になれる。
橘玲の本のレビューにも「遺伝によって決まっているのだから学生時代あんなに頑張ることはなかった」とか「子育てするお母さんに読ませたい」というものを見た。遺伝率とは集団規模での決定係数のことであって個人のレベルでは親のIQから予想された数値より高かったり低かったりして当たり前でどのくらい予想された数値と違うかも個人によるのだが。
この記事におかしなところがあったら、具体的な反論をしてほしい。私も流石に脳や遺伝子についてそこまで詳しいわけではない。中野の本を読み、関連する内容を調べた程度なのだ。それでもこれだけ矛盾が見つかる。
追記:2021/5/8
https://next49.hatenadiary.jp/entry/20161220/1482228666
“2000年の論文で「この損害回避とセロトニントランスポーターのプロモーター領域の遺伝子多型との関連を支持する研究と支持しない研究が存在し,今後さらなる検討が必要である」とあり、2009年のメタ分析の論文で少なくともフィンランド人のサンプルにて不安遺伝子を持っているかどうかと損害回避性(harm avoidance)と神経症的傾向を持っているかどうか調べたところ関係があるという証拠はないという結果がでているのだから、セロトニントランスポーター遺伝子が少ないから損害回避的にふるまう傾向があり、そのため、「上位の人間に対して勇気を持って行動できる性質」が日本人にないというのは適切でない主張。”
https://www.ncnp.go.jp/nimh/pdf/kenkyu59.pdf
“さらに、この S/L 多型は、PET により測定される脳内 5-HTT 結合に影響しないこと、前述したように、5-HTTLPR の多型は S 型と L 型の 2 つではなく、14 種類のアリルからなり、それぞれの機能の異なる複雑な多型であることからS 型、L型の2分法での研究自体に疑問が生じているのが現状である ”
https://neurophys11.hatenablog.com/entry/2016/03/01/223747
”ざっとこんな趣旨の記事だが、先に書いたようにそんな気質そのものがたった1つの遺伝子で決まるものでは無いんである。このセロトニントランスポーターが気質を決めるというのは実は結構な前から沢山の論文が発表され、ある程度そう言える部分はありそうなのだが、それでもその決まる程度は極僅かで、決して「日本人気質」を作ってなどいない。
こういった「1つの遺伝子が性格を決めている」系の話は、すべて科学漫談として楽しんでおけばいい。特にセロトニントランスポーターが気質を決めるという話は良く出てくるが、そんなにすごい力コレだけにはないですよ。”
https://www.amed.go.jp/news/release_20160128.html
”SNPの品質管理などから、最終的に1088名について解析を行いました。その結果、BMP2遺伝子近傍のSNPとストレスフルライフイベントの相互作用が、統計学的に有意にうつ状態と関連することを見出しました(図2、図3)。そして、抗うつ薬の作用点であるセロトニントランスポーターなど、古くから知られる候補遺伝子には、有意な関連は認められませんでした。”
どうやらセロトニントランスポーターが「日本人らしさ」を決めているというのがトンデモだというのはまともな研究者ならすぐわかる話のようだ。中野信子はあまりにも本を流行らせ過ぎた。研究者はもっと積極的に反論するべきだろう。
祖父母は怒っているから母はビクビクして、父は近くにいないから。
祖父母は私は可愛がるが親にあたりが強かった。
その帰り道は必ず両親は喧嘩をする。
父は母を守らないし、母はわからないことばかりのなかでなんとかきちんとしようとするがうまく行かない。それを怒鳴る祖母、威圧感のある祖父。
落ち込み父をなじる母、怒る父。
誕生日も何も楽しくなかった。なんとか親や祖父母や場の空気を明るくしたくて振る舞っていた。
つらい気持ちを飲み込んで自分が馬鹿なことをしたり賢い発言をすると喜んでもらえる。
とにかくそれに注力しようと思った。
また親戚の伯父伯母も性格や性根が曲がりまくってて、しかも財産争いでみんな出し抜かないようにお互いに監視し合ってた。
お宮参り、お食い初め、ハーフバースデー、ひな祭り、一歳の誕生日、父の日母の日、敬老の日、正月。
夫の実家は隣の県にあるためすぐ会うことができる。
産後、里帰りから帰ってから、義母が週一回手伝いに来てくれてとてもありがたい。
しかし、義母が、義父が、子どもに接する度、自分の子どものころのトラウマが蘇る。
お利口さんにしていないと。
母よりしっかりしないと、でも何をしたら正解なのかまったくわからない。
しかし、義実家の些細な一言で、私の役目もまた終わってしまったんだと言うことをひしひしと感じる。産んだら私の役目も終わりなんだ。
実家に里帰りしたときも、父と母は昔に比べて優しいけど、なぜあのとき私は優しくしてもらえなかったんだろうとどうしようもない悔しさがある。
(1)はこちら。anond:20210212080317
好き。ただし、当時の人にしかわからないパロディやジョークが多く、というかこの本を通じてしか残っていないのもあるので、純粋に笑えるかどうかはわからない。とはいえ、わからないなりにナンセンスさは楽しく(「ぽっぺん先生」シリーズにも引き継がれている)、トーベ・ヤンソンなどいろいろな人の挿絵も楽しめるし、こじらせ文学少年・文学少女とも仲良くなれるかもしれない。大学時代の読書サークルは楽しかったなあ。
ドストエフスキーの小説は基本的に頭がおかしい。ドストエフスキー自身がギャンブル依存症でユダヤ人嫌いのヤバいやつだし。
登場人物は基本的に自己主張が激しくて感情に溺れやすく、数段落数ページにまたがって独白する。プライドが無駄に高くて空想癖がひどく、思い込みが激しくて人の話を聞いちゃおらず、愛されていないのに愛を語る。そしてそんな奴らが大好きだ。
ぜひとも増田をロシア文学沼に落としたいのだが、いかんせん「悪霊」を含む五大長編から挑戦するのはハードルがあまりにも高いので、「永遠の夫」か「賭博者」か「地下室の手記」か「白夜」からがおすすめ。ロシア文学はいいぞ。
ところで、高校時代の友人曰く「ドストエフスキーにはまるのは自己愛と自己嫌悪の衝突を必死にプライドで支える人間、言い換えるとモテない」とのこと。ひどい。
こっちはスマートなほうのロシア文学。一家が没落して家や土地を売らないといけないのに、家の経済状態をわかっておらず(認めず)すぐに物乞いに金貨を上げちゃう、現実の見えていないお母さんのキャラが強烈。ギトギト描写するドストエフスキーに対し、勘所をびしりと抑えるチェーホフ。
実家のお母さんと(特にお金関係で)うまくいっていない人におすすめ。
未読。怪作「木曜日だった男」は読んだんだが。ミステリはあまり読んでいないのでそのうち読む。
誰もが冒頭のマドレーヌの香りから想起されるママンとの思い出についてしか語らず、たぶんみんなちゃんと読んでないからなのだが、実は無職のマザコンが自分の性の目覚め(野外オナニーを含む)やソープ通いや失恋の思い出について延々と語っている話で、何度語り手に向かって「働け!」と言いたくなったことか。
しかし、実のところ登場人物の九割がLGBTという当時としては非常に先進的な小説で、さらに当時炎上していたドレフュス事件という両陣営を真っ二つに分断した冤罪事件をネタにもしているので(今でいえばMeTooやBLMに相当する)、実は差別反差別についていろいろ語っている増田たちにすごく刺さる内容だと思う。俺差別してないし~、あいつは〇〇人だけどいいやつだよ~、的な態度もぐさりとやられている。最高でしかない。
ちなみに、金に苦労しないボンボンがうだうだ恋愛で悩む小説が好きになったのはこの本のせい。「アレクサンドリア四重奏」とかね。
不条理ギャグすれすれで訳もわからずひどい目に合う小説。いきなりこの小説にチャレンジするのはしんどいので、まずは「変身」か岩波文庫の短編集を読んで、カフカのノリが気に入ったら読むといいんじゃないかな。
読んでいるとカフカがお父さんのことめちゃくちゃ苦手だったってのがびりびり伝わってきて気の毒(カフカは線の細い文学青年、父は叩き上げのビジネスマン。想像できるでしょ?)。お父さんとの関係がこじれている人におすすめ。
最高のダメ人間小説。精神勝利法なることばはどこかで聞いたことがあるんじゃないだろうか。作者は当時の中国人の意識の低さを批判したつもりらしいが、万人に刺さる内容。
ちなみに自分はダメな人間、情けないやつ、どうしようもないやつが大好きなので「指輪物語」のゴクリ(ゴラム)だとか、「沈黙」のキチジローだとかが大好きです。
さえないおっさんが妻の浮気を知りながら一日中ダブリンの町をウロウロするだけの寝取られ小説で(途中で女の子のスカートをのぞいて野外オナニーもする)、このリストの前に出てきた「オデュッセイア」のパロディでもある。
これだけだと何が面白いのかよくわからないのだが、実は当時の反英的な機運の高まっているアイルランドの空気を活写している。それだけではなく小説の様々な実験的手法の見本市みたいになっており、和訳もすごい。たとえばある章では英文学の様々な文体を歴史順に真似て英文学の発展をパロるのだけれど、和訳ではその章は祝詞に始まって漢文になり、漱石や芥川の文体を経て現代小説になるという離れ業で訳している。これがもっと無茶苦茶になると「フィネガンズウェイク」になるのだけれど、すでに言語の体をなしていないのでまだ読めてない。
上記の説明でドン引きしないでください。「ダブリン市民」をお勧めします。
結核療養サナトリウム小説。北杜夫ファンの間で有名な「ねーんげん的」の元ネタ。あらゆる知識を山のサナトリウムで吸収した主人公の運命やいかに! 「ノルウェイの森」で主人公が京都山中の精神病院にこの本を持っていくのは村上春樹なりのジョークか。
ただし、やっぱり長いので美少年萌えな「ヴェニスに死す」か陰キャの悲哀「トニオ・クレーゲル」にまずチャレンジするのがおすすめ。
はまったら「ブッデンブローク家の人々」や「ファウストゥス博士」を読もう。
洗脳エンドのディストピア小説なんだけど、増田で「一九八四年」が古いと言われてしまうんだったらこれはどうなるんだろ。読むんだったら他の「すばらしい新世界」とか「ハーモニー」とかと読み比べて、ディストピアの概念が現実の社会の変化に合わせてどんな風に発展してきたからを考えながら読むと面白いのかも。
未読。長すぎる。
未読。
文学サークルの友人に勧められて読んだんだけど、とんでもない小説だった。あらすじとしては、野望に取りつかれた南部の人種差別主義者が自分の帝国を作るために理想の女性と結婚するが、その女性に黒人の血が混じっていたために離婚して別の女性と結婚することから始まる、二つの家系の因縁話なのだが、時系列がしっちゃかめっちゃかなのでとにかくその男の妄念とその子孫の不幸ばかりがじりじりと迫ってくる。あまりにもすごかったのでフォークナーの他の作品は読めておらず、黒人差別を扱った小説も怖くて読めていない。
未読。
読んだがよくわからなかった。うつ状態のときには時間の経過さえも苦痛で、それを救ってくれるのは音楽だけだ、的な話だったか。とにかく本を読み漁っていたころ、新潮文庫のサルトル短篇集を意味も分からず読んでいたのを思い出す。わけもわからないままヌーベルヴァーグを観ていた頃だ。さっき出てきた高校時代の友人曰く「フランス映画のあらすじはセックスして車で逃げて殺されるだけだ」とのことだが、起承転結に還元できない小説を楽しむようになったのはこの頃からだった。
未読。
短いのですぐ読める。ゴドーはいまだに再臨しないキリストのアレゴリーだという説もあるが、実際のところはよくわからない。意味の分からない話だけど、僕らの人生も結構意味不明だよね、みたいな感じか。
未読。「愛人」は読んだが記憶のかなた。まだ幼くて没落する富裕層とその爛れた愛を十分に楽しめなかった。
どうでもいいが自分が年上萌えに目覚めたのは「海辺のカフカ」のおねショタシーンです。
レムの作品の中では一番好き。たとえ出てくる科学技術の描写が古くなっても(SFだとこういうことはよくある)、理解できない対象として立ちふさがるソラリスという惑星の描写は古びない。
SFは考えうるあらゆる可能性を検討し、人類の達成しうることや宇宙の中での意味について想像力の境界をどこまでも遠くまで広げていく文学だ。中には人類がろくでもない理由で滅亡してしまったり、人間など取るに足りないという悲観的なヴィジョンに至ってしまったりするものまであるが、それでさえ美しい。なぜなら、想像力がヒトという種の肉体に縛られまいと羽ばたいた結果なのだから。
最近SFをろくに読んでいないが、元気が出たらまた読みたいものだ。
初めて読んだラテンアメリカ文学。起こりえないことが起こり、名前がややこしいので誰が誰だかすぐに混同され、しかもそのすべてが意図的である。混乱してもとにかく読み進めてほしい。目の前で起きる不可解な出来事をまずは楽しもう。
慣れてきたら、これが不条理としか言いようのない南米の歴史の縮図だとかそんなことを考えてみるのもいいかもしれない。この本のおかげでボルヘスに、バルガス=リョサに、ドノソに出会うことができた。
一説によるとこの本が文庫化されるとき世界の終末が近づくという本の一つ(未確認情報)。新潮社がなぜか頑なにハードカバーしか出さない。ちなみに「薔薇の名前」にもそうした風説がある。
インド独立の瞬間に生まれた子供たちが全員テレパシーの使い手だった! こんな話があの岩波文庫に収録されるんだから世の中わからない。
主人公は裕福な家で育つが、じつはそれは出産時の取り違えによるものであり、誤って貧しいほうで育ってしまった子供が復讐にやってくる。それも、真夜中の子どもたち全員を巻き込む恐ろしい方法で。
インドとパキスタンの分裂、人口抑制政策、そういったインドの歴史をちょっと頭の隅っこに入れておくと面白いが、昼ドラ的な入れ替わりの悲劇の要素のあるSFとして娯楽的に読める。権力を持った強い女性に対する嫌悪感がほんのりあるのが難点か。
ちなみに、「悪魔の詩」も読んだが、(亡くなった訳者には本当に申し訳ないが)こっちのほうが面白かった。あれは当時のイギリスのポップカルチャーがわかっていないと理解が難しい。
独自の神話的なヴィジョンで有名らしいんだが、邦訳あったっけ?
未読。
卒業旅行でパリに持って行った。たぶん時期的には最高だったと思う。とにかく血だとか死だとか堕落だとか退廃だとかそういうのに惹かれる人生の時期というのがあり、まさにそのときに読めたのは幸せだった。もっとも、所詮自分はそれらを安全圏から眺めていただけだったが。
同じく卒業旅行でパリに持って行った。残念ながらフランス語はわからないのだが、フランスのサンドイッチは最高だった。当時はまだピュアだったのでキャバレーやフレンチカンカンは見に行っていない。
未読。
未読。
ドストエフスキーの作品がカーニバル的、つまり一斉にいろんな出来事が起きてしっちゃかめっちゃかになって、日常の価値観が転倒する、みたいな内容。確かにドストエフスキーの作品は爆弾抱えた人間が一か所に集まってその爆弾が一斉に大爆発、的な内容が多い。
ただ、これ以上のことは覚えていない。実はあまり文芸批評は読まない。
未読。
疲れたので続編をやるかは不明。日本文学や哲学・思想は海外文学ほど読んでないし。まとめてみて、遠ざかっていた文学に久しぶりに手を伸ばしたくなった。
父も母も毒親だった。
殺されるほどの暴力は無かったが、崩壊した家庭の中で精神的な(時には物理的な)サンドバッグとして生きてきた子供時代。
高校の後半からうつ状態になって、なんとか大学には入ったけど、大学は3留して中退。
どこにも就職できるわけがなく、アルバイトしながら引きこもってたが父親の会社に就職。
俺が親の稼いだ金で生きてきたのは事実だしそこへの感謝は忘れるつもりはない。
でもそれと同じように子供のころにされた仕打ちへの恨みも忘れないってだけ。
引退すれば俺が社長だろう。そういう前提でいろいろ進んでいる。
ゴミカスみたいに小さな会社ではあるが、まぁそれなりに稼いでいる。業種的にこれ以上の成長は難しいとは思ってるけど。
ただ、親を恨み親から離れたいとずっと思っているが、結局親から離れられずここまで来てしまった。
他に兄弟もいるが、俺が長男だから最後に責任を持つべきなのは俺なんだろう。
ずっと苦しいんだよな。
親の顔見るのが苦しい。
本当は全部捨てたい。でも捨てたら生きていけない。
そんな状況まで来てしまった。
なんだか結局親に上手くからめとられた人生だったなと考えてもしまう。
なんだかつらいんだ。
最初は鬱と躁を繰り返してて、
そういう状態に自分はなっているんだなと自覚が芽生えたときは、
1ヶ月ぐらい躁、その後1週間ぐらい鬱みたいな状態を繰り返してた。
それから色々無理がたたって、最終的には、
一週間が躁で、その後半年ぐらい鬱の状態になるという状態になってしまい、
その後3年ぐらいうつが続く。
で、今なんだけど、100%を全快として90%ぐらい改善したといっていい。
それに一役買ってくれたのが、
「エゾウコギ」
ではない。ごめんな。ではない。
ちなみに回復したのは「とにかく休んでたから」っていうシンプルなものだと思う。
何も考えず、何もせず、ただ生きていた。これがシンプルだけど難しいんだよな。自分は身の回りの環境に恵まれてた。ありがたいことに。
そうやって休むことはできてある程度改善したんだが、最後のひと押しがどうにもならなかったんだ。
だいぶ回復してきたと自覚したとき、2週間が躁で2週間が鬱っていうサイクルだった。
で、それが半年ぐらい続いてて、
その頃は仕事にも復帰している段階だったから正直鬱陶しかったんだよ。このサイクル。
別に何も辛いことないし悩みもないのにサイクルで回ってくるんだよ。
感情のジェットコースターを無理やり作らされているというか、そういう目にあう感じでさ。
でもこの癖ってやつがなかなか抜けきれてくれなかったんだ。
で、これうぜえなって。
このとき自分はある程度メンタルコントロールができるようになって、
嫌なことだったり不快なことから目を背ける術を身につけたから、
それにも関わらずサイクルが発動してさ。
で、うぜえってなって。
薬というかサプリで解決できないかなって思って適当に調べて見つけたのがエゾウコギ。
ここでやっとエゾウコギ。長くなってすまんな。これを飲んでからその原因不明の感情ジェットコースターから解放されたんだ。
まあプラセボかもしれないがなんだっていいよ。とにかく改善して半年間安定してる。
たぶん脳の、そのサイクルの癖が抜けたからもう飲まなくてもいいと思うけど1年間は続けてみるつもり。
というわけで、もちろん鬱の治療薬としては使えない。今がひどい状態だったら何の効果もないだろうな。効果あったらみんな飲んでるだろうし。
そうじゃなくて、もうだいぶ改善したけど、
何か最後のひと押しが足りないなあと感じたら、
試してみたらいいんじゃないかな。
入社後はずっと同じ部署で仕事をしていたが、2020年4月からコロナの影響でテレワークでの勤務になった。
第一に、上司がどんな人かわからず不安。評判ではズバズバきついことを言ってくる人らしく、本当にそうなら苦手。
学生時代に研究室の先生に毎日怒鳴られ続けてうつ状態になり心療内科に通っていたことがあるので、また当時のような状況になるかもと思うと苦しい。
第二に、人間関係が不安。今の仕事は内容的に他部署と関わらないので、他部署の人間を全く知らない。
異動先の既に形成されているコミュニティに入っていくのが無理すぎる。テレワークだから、場の雰囲気とか誰が会話しやすそうとか全然わからないのも辛い。
第三に、技術的なレベル感がわからず不安。一度異動先のミーティングに参加したが、9割の専門用語が初耳だった。
分からないことは早めに聞いた方が良いのはわかっているが、やはり聞きにくい。チャットで聞こうにも、そもそも何がわからないかわからないので文章にしにくい。
30近くにもなって自分自身の面倒を見るだけで心が一杯いっぱいだ。こんな調子だと、結婚したり子供作ったりなんて夢のまた夢な気がしてきた。