はてなキーワード: うつ状態とは
原点あたってないけど、基本的に翻訳年を観るとちょうどUFOや超能力が取り沙汰された、70年台の頃の作品だなと。これはあくまで国内事情で、向こうではアダムスキーなど、数年早くブームがきていた。この頃の空気感が自分の子供の頃にはまだ全然残っていて、TVでは超能力特集とか毎度のように放送していたと記憶している。
番組ではクラーク氏の科学観を云々と述べていたいのだが、どこまでいっても時代の制約を人は脱しきれないのだ、という印象が強くなるばかりだった。時代の空気を読んで何かを作らざるを得ない以上仕方ないことなのかもしれない。
科学のカウンターとして宗教的なものを尊ぶという極端なヒッピー文化的な発想、近年の疲れ切った西海岸のIT実業家がカウンターカルチャーとして嵌まるメディテーションとそう変わらない印象を受ける。西洋人はその不自然なまでの実存主義に厭世感を覚えて常に別世界に逃げ込もうとする。
厭世的と極端なユートピア思想の背景は言うまでもなくベトナム戦争にるものなのだろう。両極端な分離した心理で常に葛藤して、それに対して内外圧と極端な癒やしを求める。もはやアメリカ全体がうつ状態なのではと思う。躁鬱の差が激しい国だと感じる。そういえばうつ病になりやすい性格は白黒はっきりつけようとする性格だとか。
(いくつかフェイクあり)
カウンセリングを受けて何かと楽になったので、知見を共有したい。
それに、カウンセリングを終えてからそろそろ1年が経過するので、ちょうど過去を振り返るのにちょうどいいと考えた。
増田でも、多くの人が「カウンセリングに行ってみたら?」と時には本気で、時には冗談で言うのだけれど、そこが実際にはどんな場なのかを知らないせいで、行くのをためらっている人が多い現状を、変えたいというのもある。
増田だけではなく、ネット上の多くの人が、少しでも楽になれるように祈っている。その助けになれば幸いだ。
長くなりそうだし、愚痴っぽくなるのも嫌なので、代表的なものだけを箇条書きで挙げる。
臨床心理士の資格を持っている50代の女性。中学生くらいの子供がいるらしい。
髪の毛が長く、少しやせ型。落ち着いた物静かな女性だが、明確な自分の考えを持っている印象がある。初恋の人に似ている気がするがおそらくは気のせいというか、投影しているのは間違いない。
初回は風景構成法を行った。これはカウンセラーの指示に従って、順番に山や川、家や田んぼ、人物などを配置していくもので、専門書に当たれば具体的な解釈方法が書かれているが、自分は専門家ではないので省く。当日に描いた作品を今になって振り返ってみると、道のど真ん中に障害物の石が置かれていたり、山が雪に閉ざされていたりと、寒々とした印象を受けた。描かれている人間も逆立ちをしていて、何やら不穏である。蛇も不気味にとぐろを巻いていた。
二回目からは主に夢分析を行った。カウンセリングとカウンセリングの間の一週間に見てきた夢を記録して、それを材料に話をする。つかみどころがないようだが、意外なことにかなり効果があった。理屈はわからないが、この治療中は同じようなテーマの夢を見るようになる。さらに、肝心なのは夢の内容そのものではなく、夢の話をしているうちに自分が何を思い出したか、あるいは漠然とした印象をどのように語りなおしたかで、それによって、自身の考え方の偏りや傾向が見えてきた。現に、夢の内容を話す時間は案外短く、後半の三十分は、そこから思い出した過去の出来事や近況、それについて自分がどう感じたについて話し合うことに費やされた。そうした雑談をきっかけに、突破口を開いたこともある。
夢分析が行き詰まった時には、箱庭療法を試みた。これは、砂の敷かれた箱の上に人形や模型を配置していくもので、話しながら人形を動かしたり、砂の上に模様を描いたりした。うまく説明できないが、非言語的なものを明確にするのに役立った気がする。例えば「このタヌキ(の置物)は寂しくて困っている。友達がいなくて寂しそう。上下がひっくり返って困っている。悲しくて暴れている」などと比喩的な話をすることで、日常使っている言葉の論理で語りたくないことを口にしていた。小さな人形を触っているうちに気分が落ち着いたり、逆にひどく動揺することがあったり、不思議な経験だった。箱庭療法の最初の一回も、自分の心理的混乱が反映されていたのか、人形同士がにらみ合ったりひっくり返ったり無意味に積み上げられたりと、非常に張り詰めた印象のもので、カウンセラーも「ちょっと怖い」という印象を漏らしていた。
これらの技法は、ある種のきっかけというか呼び水だった気がする。どんなことを語っても許されるというか、傾聴してくれる場というのはそれだけで貴重で、話しているうちに自分の思いがけない本音や、ダブルスタンダードに気づいた。また、夢のような一見「どうでもいい」話ができる仲になることで、普通は人に話すこともはばかられるような、野外オナニー願望についても話すことができた。
治療も後半になると、こうした技法はほとんど用いず、通常の雑談に近くなった。自分はこういうことをしてこう言う結果になった。自分の気持ちはこうだ。そうしたことが素直に言えない人のために、これらの技法はあるのかもしれない。
始め、自分は藁にも縋るような思いでカウンセリングを申し込んだ。と同時に、どこか疑ってもいた。自分はカウンセリングの技法についての基礎的な知識はあったし、大体どのようなことをされるのか予想がつくと思い込んでいた。精神分析に関するフロイトの著作だって読んだことがあるし、河合隼雄の「ユング心理学入門」も読んでいた。しかし、カウンセリングの概略を知っていることと、実際にカウンセリングを受けることとは、まったく別の経験だった。水泳の理論と、実際に水に入って泳ぐこと以上に隔てられている。なんといっても、何年にもわたって定期的に同じ人間と会うのだから、必然的に相手には強い感情を持ってしまう。結局、人間が強い感情を持つのは人間に対してであり、人間が変わるのも対人関係を通してだ。
カウンセリングでは何について話すことも自由だった。幼少期の悲しみ、いじめられた経験、両親から受けた不条理な仕打ちなどなど。それだけではない。女性にするべきではないとされている話もした。自分の性生活、自慰行為、風俗店での出来事など、自分は露悪的なまでに細部を語ったが、しっかりと耳を傾けてくれた。
そして肝心なのが、何度同じ話をしても相手は退屈する様子を見せない点だ。自分は、同じ話を繰り返すことで忘れていた細部を思い出すことがあったし、それに新しく意味付けをすることもできた。
最後に、カウンセリングの時間が終わりに近づくと、カウンセラーは僕の話した内容を簡潔に言い直す。そうすると、自分はこういうことを考えていたのか、と毎度のように驚かされる。まとめられた内容を反芻しながら次の一週間を過ごすことで、自分の考えが深まっていった。他にも、自分がすべての不平不満をぶちまけた後で、それに対する解釈を投げ返されることで、その負の感情を自分の一部として取り込むことができるようになった。「あなたがそこで腹を立てるのは当然だ」「あなたの感覚はそれほどおかしなものではない」という趣旨の言葉を返してくれるだけで、自分の過去を少しずつ受け入れることができるようになっていった。
ところで、カウンセリングに通ったのが、2014年3月から2019年8月のことなので、4年以上も同じ人と毎週のように会っていたことになる。途中から自分の気分が落ち着いてきたので隔週に切り替えたのだが、それでもかなりの頻度だ。自分は、自分のあらゆる感情や悩みをぶちまけて、それでも受け入れてくれる存在がうれしかった。モテないあまり風俗に浸っている自分を軽蔑しない彼女の存在が尊く思われた。
珍しくないことだが、自分はカウンセラーに好意を持つようになった。自分は、職業倫理上その気持ちは受け入れてもらえないことだと知ってはいたけれど、「あなたを尊敬しているし、とても強い好意を持っています」と伝えた。カウンセラーからは「私もあなたと会うのが楽しみです」という趣旨の返事をもらった。と同時に、僕は、なぜこのカウンセラーが好きになったのかをじっくり考えだした。すると、自分には好きな人に自分の悩みを洗いざらい吐き出したいという願望があったのだ、と気づいた。同時に、自分は知的水準の高い女性に強いあこがれを持つことも改めて認識した。年齢などどうでもよかった。比較的若く見えるが、相手は五十代の人妻で、自分が手を出すわけにはいかないのだけれど、叶わない想いだとは知りながら、相手に尊敬の念を持ち続けるというのは、思ったよりも悪くなかった。おかげで、自分にとって他人を好きになるとはどういうことかを言語化できたし、他人を尊重することを身をもって学んだ。
一人の女性を好きになり、それを軽蔑されたり馬鹿にされたりしないこと安心感を、自分はたくさんの悩みに取り組む支えとしていった。僕は、このカウンセラーのことが好きになれて、本当によかったと今でも思っている。
過去のどのようなつらい経験も、自分はそれぞれ意味があったのだと、迷いなく考えられるようになった。それから、今までは様々な物事を与えられて当然だと感じていたが、やっとのことで与えられた物事に感謝することを学べたように思う。
また、自分の恐れの感情やトラウマにとらわれずに行動できるようになったことで、自分の外側の世界に対して、うまく働きかけることができるようになった。
もちろん、上に書いたような悩みのなかには、直接解決しなかったものもある。でも、それはそれで仕方がない、と受け入れられるようになった。
何よりも現実検討能力がついた。不安を不安のままかかえておけるようになり、不安で頭が真っ白になることがほとんどなくなった。自分の中の膨大な不安のエネルギーが、落ち着くべき場所を見つけたかのようだった。
悩みの解決の過程を言語化するのは難しい。自分の考えがどんな風に変化していったかを記すにとどめる。人によってたどるべき道のりは異なるし、僕の頭の中の理屈をそのまま文字にしても、納得できないことは十分に考えられるからだ。
過去のいじめ、対人関係のトラブルはとても悲しいものだった。でも、おかげで自分は人をできるだけ傷つけないようにしようと心掛けられるようになった。それと同時に、絶対に誰のことも傷つけない発言・表現というのも無理だとも知った。男性であれ女性であれ、相手を一人の個人として尊敬することが大切であり、それは自分と相手は異なっていると認識することだ。だから、できるだけ丁寧に接することは大切だけれども、自分と他人は別の存在なので、礼儀正しくしていたとしても、絶対に不快な思いをさせないでいることは不可能だ。かつての自分は、自分が女性から不快な思いをさせられた経験から、絶対に女性を傷つけてはいけないというルールを自分に課していたのだけれども、それは不可能だと知った。過度に自分を縛る目標は、ある種の呪縛だ。
それに、世間にはいろんな女性がいる。優しい人、冷たい人、知的な人、ちゃらんぽらんな人。一人の女性が自分に暴力を振るったからと言って、そうでない人もたくさんいる。女性一般や平均的女性像みたいなものに、振り回されなくなった。
フェミニズムとの距離感もうまく取れるようになった。納得できることはうなずき、わからないことについては調べ、おかしいと思うことには反対する。それは、フェミニズムだけではない。自分とは違う考えの相手に対する対応の仕方と全く同じだ。
仕事に関しては、転職をした。自分の能力に見合った仕事に切り替えることでやりがいも感じられるようになった。給与は下がったが、例えば600万稼ぐ人間が300万稼ぐ人間の2倍偉いのかといえばそういうわけでもないし、僕にとっての一番大切な価値観は、早寝早起き快食快便が守れる生活が維持できるかどうかだと知った。
男らしくないのではないか、というのも気にしなくなった。世間の価値観がどうあれ、自分が好きなことを好きなようにする。自分らしくあることが自分にとって男らしいことと定義しなおした。
その中で、家族との関係も改善した。今にして思えば、両親は自分と非常に適切にかかわってきてくれた気がする。圧倒的にすがりたいと思っていた両親も50~60代のただの人間なのだ、と実感することができた。しかし、ただの弱みもある人間だからこそ、大事にしたく思えるようになった。距離感が適切になった気がする。
処女厨もロリコンも治った。正確には、そういう願望があることそのものに対して、思い悩まなくなった。一つには、50代の女性に恋をすることで、実際に小学生と恋愛したって、物足りなくなるに決まっていると心の底から理解したというのがあるし、人生経験豊かな女性の魅力に気付いたのもある。さらに、処女厨の根源にあった、「セックスとは汚いものだ」という意識も弱まった。「セックスは気持ちよいものだし、誰かを愛することは素敵なことだ」という感覚しかなかったら、処女喪失を汚れとは認識しないだろう。それよりも、出会った二人が新しく一緒に思い出を作っていくことの喜びに目が向くようになった。まだ彼女はできていないけれども、一緒にデートしたり、他愛のない話をしたり、うとうとしたりしたいし、それに向けて今でも努力している。
女子小学生の裸を見たいという感じもほとんどなくなった。確かにあの年頃の女の子はかわいいけれど、それだけのことだ。どんな感情を抱こうとも人間は自由だと思えるようになったことで、かえってそうしたロリコン的な願望から自由になった。
同時に、野外オナニー願望も消えた。なんというか、得体のしれないドロドロした性欲のエネルギーに、適切な形が与えられた感覚がある。よく夢で、性器を露出したり全裸になったりするパターンが多かったのだけれど、カウンセラーと話すうちに「おちんちん見せるだけじゃ意味ないよね?」みたいな話になり、そうしたことを話しているうちに、セックスって相手あってのことだよね、みたいな認識に到達した(このあたりの話が非常にわかりにくいのではないかと恐れている。ラポール、とでもいうのだろうか、クライアントとカウンセラーの間には、長い間の会話の積み重ねからくる膨大なコンテクストの共有があり、ある種のツーカー関係が出来上がっているので、会話だけも書き起こしても非言語的な部分が多くを占めていて、客観的にはわかりにくくなりがちだ)。
死への恐怖は、とりあえず先送りされた。これは個人的な経験だけれど、死ぬのが怖くてたまらないときというのは、何か大きな変化を恐れているときか、未知のものに飛び込まなければいけないときに強まるような感覚がある。
カウンセラーには日々の出来事を何でも話すことができたが、別にカウンセラーに聞いてもらわらなくても、別に大丈夫になってきた。さらに、ここで話をしても、これ以上自分は楽にはならない気がするようになってしまった。
とても感謝はしているけれども、自分で自分を励ます考え方ができるようになっていて、あとは毎日の出来事を淡々とカウンセラーに報告するだけみたいになっていた。
というのも、自分の悩みを解決できるのは、最終的には自分だと思うようになったからだ。話を聞いてもらって勇気をもらったり、現実的なアドバイスを受け取ったりすることはあったけれども、実際に行動するは他ならぬ自分なのだ。
ならば、これ以上ここにいても、自分は変われないのではないか、という気がした。そして、3月という区切りのいい時期であったので、そこで終えることにした。
最後にもう一度風景構成法を行った。山には緑があふれるようになり、街には人がたくさん姿を見せるようになった。蛇は道や川のうねりへと姿を変えた。困ったときには駆け込めるような病院や、芸術を鑑賞できるような美術館も街に描かれていた。そこでは、たくさんの人々が連れ立って歩いていた。ずっと住み心地のよさそうな風景だった。
https://twitter.com/monthlymansatsu
ウェブカツ かずきち
ソースコードや画像を丸パクリして炎上したが、全く悪びれもなく平常運転
https://twitter.com/kazukichi3110
白鳥 紘子
超絶ブラックエステ会社の社長。会社アカウント突然削除からの自己破産。給与が支払われたかは不明
https://twitter.com/irotarihslash
山口氏に対しての誹謗中傷、ウィルスはアルコール効かないなどガソリンを撒き散らしている
https://twitter.com/hasumi29430098
大澤昇平
とんでも医療で話題になったが、今年に入ってからは更新が止まっている
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.stoicclub131.com/entry/2019/11/18/000000
「いい歳していつまでも独身の人は信用しないし、既婚でも子どもがいるかどうかで信用度は異なる」発言
https://twitter.com/cloverfield_inc
その他
アカウント停止?
生理前でもないのに不安とイライラと情緒不安定がおさまらないとき、ああ私は本当にメンタル(あるいは脳の機能)がブッ壊れてるんだなと思って悲しくなる。思春期のころからずっとそうだった気がする。なんで産まれてきちゃったんだろう。私なんかいないほうが良かった。私はメンタルがブッ壊れてるわりに自傷も他害もしない。家に引きこもって独りで布団の中でグッと耐えてる。だから具合が悪くても放置されやすい。自傷なり他害なり、何かしか問題を起こす人はだいたい精神科入院歴がある。私は入院歴は一度もない。強いて言うならばこうやって部屋にずっと引きこもっていることが「入院的な環境」と言えるかもしれないが。もしインターネットがなかったら、私はもっともっと孤独で、それに耐えられなかっただろう。昔から孤独なときは常にネットにいた。別にそれで気持ちが救われるわけでもないのに。ただ時間潰しにしかならないのに。私はリアルでは他人を求めていないが、心の何処かで他人を求めてしまっているんだと思う。無意識に他人を求めてしまう気持ちをゼロにしたい。そうすればきっと楽になる。私はもう誰も見たくないし誰とも関わり合いたくない。こんなことを増田に書いて誰かに読んでもらおうとしてる時点で矛盾してる。
私はなんでメンタルブッ壊れ人間としての人生を歩むことになったのかな。
なりたくてなったわけじゃない。それが悲しい。
いつか主治医が言っていた「人生は楽しんだもの勝ち」という言葉は数ヶ月間ほど私に力を与えてくれていたが、今はそうじゃない。
楽しもうと思っても色々障害があって楽しめない。
障害というのは、自分の精神状態の不安定さだったり、外出しようと思ってもできない無気力状態だったりする。
躁状態になりたい、と懲りずに思う。うつ状態というのは端的に言って生き地獄だから。人生楽しんだもの勝ちと言うなら、私が躁状態で楽しくアクティブに生きてるときに静止しないでほしい。私が楽しんで生きていられるときって大体は躁状態のときなんだから。私は楽しみたいし、楽しまなきゃ生きてる意味はもはやない。子どもを産み育てるつもりも異性と付き合うつもりも仕事をする気すらない。自分独りで生きていく。
どうか壊れた人間に何か生産的なことを期待しないでほしい。それから…しょうもないことで褒めないでほしい。
私は私がなりたい人間にはなれなかった。最低限ここまでの基準には到達したいと思う基準にすら到達できなかった。だから自分のことが好きになれない。頑張りたかった。努力して実力不足を超えたかった。たしかにそう願って努力した時期があった。他の人たちがそうしているように。
私はこれからも行動化を起こさず目立たず社会の最下層にて独りで静かに暮らす。上にいる人たちが眩しいと同時に憎い。特にインテリの家に生まれ裕福に産まれ育ち心身ともに健康で努力できる人が憎い。それは全て私がほしくて手に入らなかったものだからだ。
今はうつ状態で寝たきりなので、ここから上向き次第筋トレするさ。やりすぎると躁転するので加減が難しい。
うつ状態→躁状態(アスリート並みに鍛えまくって体脂肪率1桁)→うつ状態→躁状態(アスリート並みに鍛えまくって体脂肪率1桁)…を繰り返していて賽の河原状態。
DIO様とか吉良吉影とかディアボロとかそういう絶対強者に生まれたかった。
彼らは悪者だけど魅力的だよね。私自身には彼らほど反社会的傾向はないが、というかだからこそ、あの圧倒的な強さと自信に憧れる。現実の私は気の小さい絶対弱者でドッピオは私に近い。「俺たちにできないことをやってみせる」そこに魅せられるのかもな〜〜。吉良吉影以外はみんなマッチョでもう見るからに強そうだよね。今の私はうつ状態が長引いて家から出てないせいで、家で軽くストレッチしただけで翌日全身筋肉痛になるくらい筋力低下してる。女だからどれだけ鍛えても彼らほど強くはなれないけど、自分の限界まで身体を鍛えて強くなりたい。メンタルが弱いならせめて身体だけでもタフになりたい。願望を書くだけなら自由だから書いてみた。すぐにじゃなくていい、何年かかってもいいからこの思いが叶う日が来ることを願う。
おそらく何処かで自殺未遂のようなことをしているのだろうと思う。
それを止めたことがあるから場所はたぶん知っている。その時の強烈な緊張感は一生忘れないだろう。
私も精神的に安定していないが、常人の部類だと思う。死にたいとまでは思わない。
彼女は、夜な夜な出かけては、このようなことを繰り返す。その度に私は彼女のTwitterのアカウントを見たり、ブログで監視することに集中してしまう。
彼女はそれを知らないはずだ。
こちらは眠れない日が続いてしまう。まだ帰ってこないもう夜の3時だ。明日は8時に家を出て仕事なのに眠れない。
正直に言って、こちらが先に疲れてしまう。いや、本当に疲れているのは妹なのかもしれない。
しかし、私も全能ではないので気になることがあれば眠れない。母はなぜ眠れるのだろうか?
死んでいるかもしれない家族がいるとなると気になるのは当たり前だ。しかし、それにも疲れてきた。今までは全て帰ってきているから。
でも万が一がある。
男夫婦にも私夫婦にも今のところ子供はいない。交際を始めて一年半になる。
養子縁組の件、男は公的機関に申請済みで、あとは子供が紹介されるのを待つだけ。もしかしたらすでに紹介されてて面談中なのかもしれない。
状況がよく分からない。詳しく聞こうとしても、いつもはぐらかされる。
「子供が来たら教えてね」と言うと「でもそしたら君はもう会ってくれなくなるんでしょ」と言われ、
「子供が可哀想だから、子供が来たら不倫やめよう」と伝えると「ほんとに子供が可哀想かな?」と宣った。
でも聞けるか?お父さん不倫しても嫌じゃない?って聞けるか?
それとも親は子供に対して、そこまで誠実である必要はないのだろうか?
分からない。でも少なくとも私は、自分の父には誠実であって欲しかった。
だから誰かのお父さんとは関わりあいたくない。子供を傷つける危険因子になりたくない。
子供を大切にしたい。
色々あって苦しくて仕方ない時に、藁にもすがる思いで始めたW不倫だった。死にたくなかった。助かりたかった。
男と寝ると脳をつんざくような刺激があって、その時だけは苦痛が和らいだ。キラキラ星が瞼の裏に散って、生きられる気がした。ハマってしまった。
男もそれなりに私を気に入って、カワイイ、大好き、一緒に暮らしたい、転勤したらついてきて、妻とは別居している、妻を女性として見られない、関係は冷え切ってる、離婚するかもしれない…etc と言われた。
そんな風に言われると私もその気になってしまい、最初はセックスだけだったのが段々精神的にも親密さを覚えるようになった。男を可愛く思うようになって、社会的に支えてあげたいとか、独占したいとか思うようになった。
歌舞伎町のホストが客をホスト狂いに墜とすのと同じやり口で惚れてしまったわけだ。
それで交際一年ちょっとしたとき「じゃあ私離婚するね。再婚しよう」とプロポーズしてみたら「それはできない」と手のひらを返された。
「別居していた妻とは今ほとんど同居している。君と再婚する気は無い。養子を募集している」のだと。
な、なんだそれ…と絶望してしまい、高岡由佳みたいに包丁で滅多刺しにしてやろうかと思ったけど、同時に男のことをもっと好きになる自分がいた。
人は生きるために、手首を切ったり、薬物やったり、サウナで整ったり、アルコール飲んだり、
猫を殺したり、何にでも七味かけたり、痴漢行為したりするんだろう。
私の場合その対象がたまたまセックスで、相手との関係性は不倫だ。
でも刺激は慣れる。回を重ねる毎に、もっと重い刺激、もっと大量のドーパミンだかアドレナリンが必要になる。
だから男に軽んじられ傷つけられても滝に打たれる修行僧みたいに耐えられちゃうし、「殺す卍」と思うほど強い刺激が発生しても、殺意と同量の「大好き♡」が生まれてズルズル続いてしまうんだ。
刺激が無いと死んでしまうわけだが、刺激を求め出すと底なし沼みたいにどんどん堕ちていき、それはそれで死んでしまう。
うつ状態で視野が狭まり、体が動かなくなるときもある。ものを食べられなくなり体重が落ちて35キロになってしまった。
というところまで不倫のカラクリが分かってきた。分かると同時に冷めた。
刺激が無くても生きていられるようになるには、セロトニンが必要なのかなと思って、いまトリプトファンのサプリを摂っている。
穏やかさに満たされてけっこういい感じ。キラキラ星が見えなくてつまんないな〜とも思うけど、これで良いんだよね。これで良いんだ。
特定されない為に以下の記述にはフェイクをいくらか織り交ぜてある。
人が苦しむ姿を見て楽しむのが趣味だ。
そんな俺がここ最近特に観察するのを楽しみにしているなろう作家がいる。
彼は40万字書いてアクセス数がやっと一万五千を超えるかどうか。
対して俺は書籍化にはほど遠いが100万アクセス以上の作品がいくつかある中堅作家といったところか。
その男は別にリア友という訳ではなく、ただのネット上の知り合いだ。
だがその男がエッセイで、活動報告で、ツイッター上で吐き出す苦悩を見るのが本当に好きなのだ。
誤解されないように言っておくが、彼の力量は決して低くない。
むしろ俺などよりもずっと巧みで、彼の作品を読む度に俺にはこんな文章は書けないと思わされる。
そんな彼が何故俺程度すら超えられないのか。
これは単に俺が彼の作品を読んだ感想でしかないが、彼の作品にはいつも何処か寂莫とした感覚が憑き纏う。
読んでいて居心地が悪いというか。座りが悪いというか。
「この登場人物に本当に感情移入していいのか」とビクビクしながら読み進めることになる。
彼の作品には「書きたい」という気持ちも「読みたい」という熱意も篭もっていないからだ。
彼は単純に「書ける」ものを書いている。加えて大衆受けする作品でもない。
だからと言って俺は彼に「自分の書きたいという気持ちや読みたいという感情を大事にしなよ」とはアドバイスしない。
彼はエッセイで絶叫している。
スランプの最中で自分の書きたいものを書けなくなってしまったと。
どんなコンテンツに触れても「作品の為のネタ集め」としか思えなくなって、自分の読みたいと言う気持ちが分からなくなってしまったと。
そんな彼に上記のアドバイスをするのは「お前には絶対に名作は書けない」という宣告に等しい。
俺は彼の筆を折りたくない。彼の苦悩をずっと見ていたい。
だから俺は何故彼の作品がダメかの根本には触れないようにしながら、彼が苦悩を吐き出す度に共感する振りをしつつ、優しい言葉をかけ、当たり障りのないアドバイスをする。
彼がなんとか作品を書き続けてくれるように。
しかし彼も薄々分かっているのだろう。
自分は「書きたい」「読みたい」という感情がないから駄目なのだと。
分かっていながら届かないものに手を伸ばして、それが指先にもかからない人間の苦悩は何よりも価値がある。
彼の人生が上を向くことはあるのだろうかと思う。
彼はフリーターで、もういい年だ。
根っからの無性愛者(アセクシュアル)で他人と恋をしたいと思ったことが無い。
それでも書けるから書いてしまうことが彼の苦しみを助長させている。
もし彼がうつ状態から回復できれば「書きたい」や「読みたい」も生まれるかもしれない。
でも、彼にそんなチャンスがあるだろうか。
そう思い悩み、彼の境遇に思いを馳せ、彼の苦悩をテイスティングする。
俺は彼の苦悩のファンだ。
こんなに価値のある苦悩をしている人間がいる、と誰かに伝えたくてこの文章を書いた。
できれば彼が自ら命を絶つことなく、筆を折らず、無名作家のままでいてくれることを俺は願う。
無茶な願いだろうな。
アラフィフ、既婚、子なし、両親健在。
障害年金2級。
妻は結婚してから統合失調症を発症、義母も統失だったが知らなかった。
今年の春、うつが重くなり自殺願望が出てきて、しばらく私だけ実家の世話になることにした。
うつが重くなった理由は、妻が自分の好きなことに夢中で、私と向き合うことがほとんどなく、私の孤独感が強くなったからだと思う。
妻とは定期的に連絡を取っていたが、夏になって言動がおかしいことに気づき、妻にもしばらく実家で養生してもらうことにした。
連絡を取るときはいつも私からで、妻から連絡が来ることはなく、返信も来なくなった。私と連絡を取ると体調が悪くなるらしい。
私の実家の居心地は十分いいとは言えない。
母はある程度病気のことを理解してくれているが、80才の父は頭が固くなっていて精神疾患にあまり理解がない。
独身の妹がいるのだが、指定難病を抱えていて、投薬治療の副作用が体中に出ており、常に痛みを感じていて、なんとか仕事を続けている状態だ。
躁状態のときは多幸感に包まれていて、実家に戻ることによってうつが治ったものと勘違いしていたが、秋になってうつ状態に戻り、躁が高かった分落ち込みが激しい。
これの取り崩しと境涯年金で生活しているが、働きもせず、ストレスもない現在の立場は、羨ましく思う人も少なくないと思う。
行きたいところにはだいたい行ったし、やりたいこともだいたいやった。
もう死んでもいいかなと思っている。
私は人付き合いが嫌いなくせに、さみしがり屋という面倒な人間だ。
自殺は首つり、飛び降り、頸動脈切断を中心に考えていたが、やはり首つりが妥当という結論に至った。
迷うのは、少ない遺産を家族に残すのか、使いきってしまうのかだ。
今の状態なら妻には相続したくなく、そのためには離婚が必要だが困難だと思う。
老い先短いとはいえ、世界中で私のことを思ってくれるのは実母しかいない。
実家で暮らすまでは難病を抱えている妹に残したいと思っていたが、今はあまりそうお思わなくなった。
まとめると、
・生きるとしたらどう生きていくべきか?
この2点だと思う。
諸兄のご意見を伺いたい。
4月からずっと希望していた発達障害のある人の支援をする仕事に就いたんだけど知能検査のテスターをし始めてめちゃくちゃ不注意を指摘されるようになった。検査中は裏で指導役が見てくれてて結果をまとめたあともチェックしてくれる。10件以上検査を取らせてもらって2,3人ほど1人で入った以外は全部指導役同席。そんな状況でミスを連発してしまい、今までの人生で本当に言われたことの無い「不注意」を指摘されるようになってしまった。おそらくADHDだと思われている。
空間認知的な部分が弱いのは自覚しているので見落としやすい課題は何度も確認する。時間がかかるのは仕方ないと言われているので他の仕事を挟み、時間置いて確認する。1人につき2日ほどかける。しかしあとから今これだけ見たとしても指摘されるかもしれないと思うと緊張して目が滑る。結局間違えて、「また?」と言わんばかりの視線で指摘される。報告書のミスも、日付のミスなどは減ったが微妙な図形のズレとかますに綺麗に文字が入っていない、これをお渡しするんだからと言われて納得はするが、恥ずかしさと緊張で頭が沸騰しそうな状態になる。結局、ひとつの図形を整えるのに1時間かけてしまった。指導役の指示も完全にADHDへの対応になっていて申し訳ない気持ちしかない。こんなことなら今の仕事を選ばなければよかったと思ってしまう。ずっとやりたい仕事だったのに。
ADHDの特性はたしかに持っているし、ASDの特性も持っていると思う。ただ診断がつくほどではなく、傾向ありとするにも微妙なライン。母から幼少期の話はきいているし、医師に相談したこともあるのでこれは間違いない。強迫と自己愛がかなり強く、そこで苦労した学生時代だったもののそこは受容して上手く付き合っていこうねとお世話になった先生から言われ、それなりに頑張ってきたつもりだったが。
自分でもこれほど不注意不注意と言われるのは予想外だったし、気をつけたら気をつけた分だけ落ち込む。今も書きながら泣けてきて仕方が無い。自分が惨めで、これほど迷惑をかけながら職場に居座ることが辛くて仕方ない。今まで懸命に育ててきた自尊心は毎日しぼみ続けている。他職種の同期がどんどん仕事を任されているのを見ると、どれだけ自分が期待されず、厄介者だと思われているんだろうとただただ悲しくて仕方ない。今もお腹が痛くて仕方ない。
不注意の原因は分かっている。なれない仕事と仕事の他にやらなければならないこと、新しい環境がかなり負担になっていること、それによりうつ状態に近いこと、それに起因する注意力散漫になっていること。それから元々人の目がとにかく気になること、過度に緊張して人から見られていると力が発揮できないこと、今の監視されているような状況が心底辛いこと。それらが要因になっていることは間違いなく、ある程度野放しにしてもらえたらそれなりに結果を出せる自信はある(いや、あった。)。根拠はこれまでの自分はそうやって評価されてきたから。それを知っている人は自分以外にも多数いて、放っておいてくれるほうが安心することを知ってくれ、許してくれた環境下ではうまくやってこらた。
自分が発達と疑われていることが辛いのか、だとしたらもうこんな仕事やめてしまった方がいいんじゃないかとも思う。自分はなんて傲慢な思いで今の仕事を選んだんだろうと。とにかく自分のことが嫌で嫌で仕方ない。自分で自分のことを嫌だと思っている自分が嫌で、とにかく無価値でそれでもまだあれしたいこれしたい、という思いがあること、生きようとしていることが恥ずかしい。
「精神疾患」が確かだとして「統合失調」という情報は、どこから来たのか?
(明らかに「統合失調」ならばすでに報道されていてもおかしくはないと思うのだが)
例の5chの書き込みには「思考盗聴」というキーワードが出てくるらしい。
5chの書き込みを本人と仮定して追う場合、時系列も考慮するべきだろう。
現時点で5chの書き込みは2012年頃のものと2018年頃のものが発掘されているようだ。
(※なお2012年6月20日にコンビニ強盗で逮捕されて懲役3年6か月で釈放が2016年)
2012年の書き込みを見るに「あの子」「ここまでの女」「こいつ」と交流があった様子だ。これも幻覚なのか?
しかし2012年の書き込みは逮捕前のものだから「精神疾患」が「心神喪失とみなされる」ほどには進行していないであろう時期だ。
一方で2018年の5chの書き込みには「実体験」のような感じで「うつ病」「パニック障害」「依存症」に言及されている。
それらが真となれば合併症もありうるのでは?
2012年の時点では精神疾患はさほどではなかったが2018年の時点では合併症にまで進行していたのだろうか?
(精神疾患が複合パターンだとすると責任能力はどのように判断されるのだろうか?)
仮にそうだとすれば、うつ状態だけでなく、そう状態もあったのかもしれない。
「依存症」というのが危険ドラッグとかなら幻覚・錯乱(思考盗聴)が薬物由来もありうる。
少なくとも自己認識では「統合失調」ではないと認識していたようではある。
ただ「医師に統合失調と診断された」なら病識欠如だとしても「俺を糖質扱いしやがって」的発言が発掘されてもおかしくはない。
統合失調であるか否かは取り調べ(カウンセリング?)で明らかになることだろう。
ただ「みんな糖質しか知らないから、とりあえず糖質ということにしているだけでは?」とは思う。
個人的には両極端な愛憎の移り変わりという点は「境界性人格障害」の特徴らしく思えるが。
お酒のみの増田さんだったら、アルコール中毒で聞こえることがあるって。
聞こえる声の背景にある病気
幻聴(幻声)を引き起こす原因として、いくつかの精神科の病気が考えられます。代表的なものを3つ挙げてみましょう。
一つは、統合失調症という病気です。統合失調症の幻聴は、不安で恐ろしい気分、周囲の世界が変わってしまって切迫したような感覚とともに聞こえてくることが多いものです。10代後半から20代に始まることが多い病気です。
次は、PTSD(心的外傷後ストレス障害)という病気です。心が非常に傷つくような出来事を経験した後に、その経験がよみがえるようにして幻聴が聞こえてきます。短い言葉のことが多いようです。しかし自分では、昔のことがよみがえるという感覚は必ずしもありません。
最後は、薬物によるものです。アルコール・大麻・覚せい剤・シンナーなどいろいろな薬物によって、使用している最中、あるいはしばらくたった後に、幻聴が聞こえてくることがあります。
今考えられる病名
「統合失調症」、「双極性障害(繰うつ病)」、「うつ病・うつ状態」、「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」、「強迫性障害(OCD)」
【追記】続編書きました。この記事、釣りなんですがまあ、とりあえず読んでから下記の追記へとお進みいただけると嬉しいです。
https://anond.hatelabo.jp/20190703165854
前々から、ずっとADHDの気配を背後に感じながらも怖くて振り向けずにいた。
いや怖いというよりかは、面倒。知ってしまったらお金、どのくらいかかるんだろ?仕事はどうなるんだろ?制度?調べること多くない?
面倒だー、無理無理、ちょっと頑張ればどーにかなるから医者行かなくても平気平気。
そう思ってたのに、ちょっとの頑張りが積もり積もってメンタル崩して仕事を失い、ニートの期間ができてしまった。
メンタル崩すっていうのは毎日泣き暮らすようなイメージだったけれど、割と私は静かに壊れていた。
生活の中に、至る所で当たり前のように死が紛れ込む。そこに感情の機敏はなくて、ただ当たり前の発想として死にたくなる。そんな生活を数年は続けていたけれどある日行動に起こしてからは即解雇。ただの変わり者だと思ってたのに、こんなことするなんて。その「こんなこと」の原因は、我慢できなかった私に10割の非があるんだろうか。
そんなこんなで、うつ状態から抜け出すために精神科医に向かったついでにふわっと聞いてみた。ADHDってどう思います?
そう話した瞬間から診察の雰囲気が少し変わって検査日程が増え、あれよあれよと面倒ごとが増えていく。あーこれはニートじゃなきゃ無理だわ。生活の全てを費やすつもりで行かないとこなせねーわと思った。キャパシティが驚くほどに少ない。
結論として、うつにプラスしてADHDで間違い無いでしょうね、とのこと。
あっ、マジですか。
お薬も用意できますし、きちんと通えば手帳の申請も視野に入りますね、なーんて言われて。
帰って泣いた。
嬉しくって泣いた。
だってさー、毎日どうして自分は普通になれないんだろうって泣いてたから。
他の人は頭が良くて、どうして私はこんなにも頭が回らないのか。どうしてこんなにも私は話がまとまらないのか。どうして、私はこんなにも空気が読めないと言われるのか。
私の普通、はどうやら周りから見る普通ではないことはわかっていたけれど、私はどうやってもその普通にたどり着けないと泣いていたのだ。
毎日ムカついていた。どうして普通にできないんだと、周りも自分も思ってた。
あなたのそんな個性的なところ、素敵だよ!個性を貫き通して活かせば、今の時代は受け入れられるよ!みたいな風に言われることもあった。
優しい言葉に見えて、「お前は普通じゃないし昔だったら受け入れられてねえからな」って言いたいわけでしょう、っていうか個性的になりたいわけでも貫きたい信条があるわけでも無いし。
どこに行っても、はみ出してて、どうしてもっと頑張ってみんなに並ぼうとしないのかと、もっと頑張れ頑張れって言われ続けてた。
みんなから責め立てられてた。
でも残念でした、私はどうやっても普通になれないキチガイなのでした。
正直、煽ってるとかそういうんじゃなくて心の底から安心してるんだ、もう普通を目指さなくていいから。だって普通になれないんだもん。
今までの自分に対する、なんで、どうしての全ての答えが急に出てきて自分でも捉えきれないほどに喜んでいる。この世の全ての答えは、42じゃなくて私にとってはADHDだった。
私は怠けていたわけじゃない。
私は特別な心情のためにキャラクターを演じていたわけでもない。
私は個性的でありたいわけじゃない。
全部私は生まれながらにして頭がおかしかったんですどうにもならない救いようもない普通には到底なれない障害者だったんです。
幼少の頃、親は、クラスにいた車椅子を使う子に対してこう言っていた。
「あの子には優しくしてあげなさい。障害を持っているかわいそうな子なのだから」
じゃあ、私にも、もう頑張れと言わないでくれますか。もう子供として見ないで、障害者として、私に対して優しく接してくれますか。
肩の荷が降りてしまって、力が抜けて仕方ない。普通になれないと証明されることがこんなにも世界観を変える出来事だなんて思ってなかった。
それに怒りだって湧いてくる。
私に普通であることを、知らないからといって強要し続けてきた全ての世界が憎い。
あの苦しみの日々の全てを与えた人たちに、私の苦しみを分けてあげたい。
今まで、憎しみという言葉は自分にしか向けてこなかったから、明確に行き先のわかる憎悪が自分の中にあるのが不思議で、どうしていいのかわからず持て余してしまう。
と、ここまでその喜びと、世間へのざまあみろ!みたいな心意気を書き連ねてみたものの、書いている途中で、少しずつ昂りがなだらかなものになっていき、物事が冷ややかな輪郭を取り戻してきてしまった。
だって、私今まで毎日、思考と感情のほぼ全てを普通になることに注いできてしまった。
周りに笑われたくない周りにバカにされたくない周りと同化して見えなくなってしまいたいとずっと思って生きてきて、もっと普通にならねばと自己啓発本を読んで続きもしないタスク管理術を何度も試してみて、普通の人になりたい、なりたいと日々を過ごしてきたのに、結局私はなれないのだ普通に。だったらなんのための日々だったんだろう。毎日泣いて毎日苦しい死にたいと言ってきた日々、本当に意味がない。
解釈も文脈も全然違うけど、私の好きな作詞家の言葉で、要約するとこんな言葉があった。
「何も考えがわかないときは、空っぽの頭になんでもいいから知識を詰め込みなさい」
と。
映画でも本でも誰かと話すでもいいから知識を得ることで判断の基準が出来るのだと。
ならば私も今は、新しい自分の日々に向かって知識を蓄える時ですかね、そうですかね。
もう世界線超えたレベルで今までの価値観が全部、障害者手帳の言葉にぶっ壊されてしまったので、大人しく今は今後のためにインプットの日々にします。
映画を見るなら、なんとなく今はトゥルーマン・ショーの気分です。
私の世界は壊れてしまった。いや私が元から壊れてたんですけども。
わかってるわかってるそんな診断されたからって明日からみんながかわいそうなものとして扱ってくれるわけでもなく今まで通り誰からも足手まといの私がただ生きてるだけの日々が地続きでただただ伸びているだけなのはわかってるんだ。
私だけが世の中の不幸を背負ってるだなんて微塵も思ってはないけれど、驚いてしまってるんです。驚天動地で動転してるんですよ。気を悪くされたらごめんなさい。