はてなキーワード: 聖人とは
ナギサさん最終回を見て思ったことを書かせて欲しい。今から書くことはわたしの家政婦ナギサさんを全部見た人でないと基本わからないのでその点は御承知おきいただきたい。
このドラマは確かにフェミニズムの観点では良いドラマだったのだろう。仕事を頑張る女性が自分の理想にあった男性を見つけて結婚し、報われる。それ自体は良いと思う。
しかしこのドラマはマスキュリズム(=フェミニズムの男版)の観点では問題がある。なんでナギサさんは完璧超人かつ聖人君子でなければならなかったのか。
引っかかったのは主に2点だ。
・なぜナギサさんは家政婦でありながらも、主人公のメイよりも上位の業界首位のMRで優秀な成績を収めなければならなかったのか。
・結局メイはナギサさんを結婚後も都合の良い家政婦として使っているだけでないかと思うがそれを是として良いのか。
他にも「なぜナギサさんは主人公におっさんと罵倒されながらも、ああも寛大でならなければならんかったのか」とか言いたいことはあるが、物語の都合上しょうがないとして受け入れるとする。
初めになぜナギサさんは家政婦でありながらも、主人公のメイよりも上位の業界首位のMRで優秀な成績を収めなければならなかったのか。
メイのアドバイザーとしての立ち回りを求められるのはしょうがない。しかし、ここまであからさまに上位でなければならなかったのか?
働く女性に対してナチュラルに意見を言うためにはここまでのハードルが求められる社会は果たして健全だろうか。(なおメイに意見を聞かれたから、ナギサさんは意見を述べただけで自分から押し付けがましく言ったわけではない)
・結局メイはナギサさんを結婚後も都合の良い家政婦として使っているだけでないかと思うがそれを是として良いのか。
メイがナギサさんにアプローチする理由、ナギサさんが結ばれた後も描かれた生活でもナギサさんが一方的にメイに尽くしている。これは良いのか。これはかつての逃げ恥で述べていた「好きの搾取」の典型ではないのか。
腐女子やけど、高校生の時に初めて作った携帯サイトに掲示板を付けた
ただ単に当時はサイトと言ったら掲示板を付けるのがデフォルトっぽい空気を感じていたし、御多分に漏れずフォレストページでも簡単に掲示板を付けることができたからコンテンツの1つとした
ただそれだけだ
ただ紙に丸ペンとコピックで描いたの絵の写メを載せていただけだったが、なぜか掲示板には書き込みがあった
私はリア友でもない他人のサイトの掲示板に絵の感想を書き込もうなどと考えたことがなかった
このロジックでよく考えたらそもそも最初から掲示板を付ける必要がなかった
なにも考えていなかった
知らん他人と絡むのは怖いからリンクページなどは絶対作らないと思った時点で掲示板をコンテンツに入れるべきじゃなかった。アホだ
なぜか私のペンネームにそっくりな名前で書き込む人もいたし(私が〇〇、相手が〇〇ぽん)、たまたま似たペンネームなのかな?と思うようにしたかったけど書き込み頻度も高い
とても穏やかな文体で決して荒らしなどではないとはわかるのだがどうしても怖かった
こんなガキの絵を褒めてくれる優しい人はたまたま娘の携帯を見てサイトを見つけたリアル私の母かな?と本気で思っていたし今でも少しはそう思ってる
まあ、リアル私の母はそんなふうに携帯サイトの掲示板を使いこなしたりできないのだけど
そして褒めてくれるのが好意だろうと、逆に怖い。だって顔も知らん人だよ?私におべっか使う必要はない
それが怖い。この気持ちに共感してくれる人を遠くから見つけることができたらとても嬉しいくらい、インターネット世論から外れた感情かなと思っている
Twitterとかでも「感想を送らないと同人作家は筆を折る」みたいな私と正反対の極論の方が大きく聞こえるからね
あと知らん他人とインターネット上で、特に私の絵を媒介して絡むのは嫌だがリアルで知らん他人と話すのは好きだ
インターネット世論で嫌われがちな絡んでくるショップ店員と話すのが大好きだ
まあそれはアパレルの販売員ではない裏方だからというのもでかいけど、美容師とか、旅行中にその辺にいる人たちとかと話すのも好きだ
でもインターネット上で私の絵を媒介して絡むのは嫌だし、リア友でも相手が私の絵を変な持ち上げ方してくると徐々に気まずくなるのもうわかったから自作の同人誌渡す時はでかい声で「絶対感想とか言わないでね!」と言う
「感想いらないなら不特定多数に絵を見せるな」みたいな極論も聞いたことあるけど、私は自分の絵も漫画も好きで並べておきたいし、サイトを作ったり新しいSNSに登録するのも好き
勿論localhostにネットには上げてない小学生の頃からの絵を全部ずらっと並べたサイトだって作ってるよ
でもコンセプトごとに厳選した絵を載せるサイトをワールドワイドウェブに置いて、自分以外の誰かが私の絵を見てる形跡を発見して、どんなふうに見たのかなって生ログのページ遷移時間から想像するのが好き
でもよく知らん他人から接触されるのはいかに相手にとっては好意であろうとまじで怖い
私は好きで趣味で描いてるだけだからこれ以上改善してどうこうとかはそんなに思わんし、技術的に悩む時はあるけどそういう時は絵の上手いリア友に相談してるから不特定多数のご意見は不要だ
好きな「趣味」という大枠の中にコアとなる好きな部分と付随する苦手な部分があるのは多くの場合に有り得ることだ
その大枠から苦手な部分を限りなく取り除いて濃厚なコアだけ味わいたいじゃん
好きなことしたいなら苦手なことも受け入れろなんて根性論今時昭和すぎるでしょ
そんなわけで私からしたら「絵」と「不特定多数のご意見・ご感想」にはなんの関わりもないよ
勝手にセットにしないでほしい
まあこれもイマジナリーエネミーを勝手に見て心が騒いでるってだけなんだけど
いくつかの携帯サイトを作った高校生時代が終わり、大学生になると有料鯖を借りてPCサイトを作るようになる
長年ねらーで同人板の影響を多分に受けていたため同人サイトとは言え連絡先が1つもないのは無責任と思っていた
そしてメールフォームや拍手は感想を送りやすいが業務連絡用と書き添えたメールアドレスのみなら感想を送りにくいらしい
私は〇〇○★yahoo.co.jp(★→@)のような表記がダサく感じて嫌だったので、しっかり@込みでメールアドレスを画像にして貼った
画像ならコピペできないし一文字一文字打ち込むのは絶対にめんどくさいからよっぽどの不具合がなければ誰も連絡を取ろうとはしないだろうと踏んだのだ
クソめんどくさい。適当にお礼を言ってスルーしたかったけど多分これが営業ってやつだろうと思った
勝手な妄想が膨らんで相手をフォローしたり相手の作品に10点入れた方がいいのかなという圧を勝手に感じた
もうそんな妄想をしてしまう自分自身が嫌だった。だからとにかく私に触れないでほしかった
この頃にはだいぶ学習できてきていたのでかなりお触り禁止感の演出ができていたのではないかと思う
大体の人が黙ってRTいいねだけしてくれるし、bioで予防線張ってるから直リプも無視し放題だ
一言感想の空リプ引リツは結構あるけどこれは割とおもしろかった
どうやら私は感想メールに返信しなきゃいけないという義務感の発生が最も嫌だったらしい
でも積極的に感想欲しがってると勘違いされたら困るから絶対に反応しないしマシュマロとかは絶対置かない
Twitter見てると前述の「感想を送らないと同人作家は筆を折る」みたいなツイートがバズるのをたまに見かけるけどどうして?
個人的にはそういう極論を持ってる人ってごく一部で、大半は感想はあったら嬉しいけどなくても別にって人、そして感想不要って人も見かけよりは多いと思ってる
私は過去の経験から「感想不要」と明記せずとも感想を送りづらい雰囲気を出すことに長けてきたと思う
でもわざわざ不要と書くのはなんか怖い
感想を欲してやまない、でも全然もらえなくてほぼ飢えてるような過激派、同ジャンルでも目立つからついついヲチってるけど、目視したわけでもないイマジナリー感想不要の人を脳内ででっち上げて「嘘つき」とか「聖人君子を気取ってる」とか罵ってるもの
こっちからしたら私が「感想ください!」って言う方が嘘だし、人の好意を受け入れられない私みたいなタイプの感想不要人が聖人君子とはとても思えないけど
本人はほしいもんはほしいって言わなきゃもらえないって発想に捉われてるみたいだけど、逆にあの攻撃性の発露こそが「感想を送りづらいお触り禁止感の演出」の極致にすら思える
私は割と詳細なウェブ性格診断みたいなのの結果を見るのが結構好きだ
感想を欲しがるのって診断結果を早く見たいような気持ちと近いのかな、と勝手に想像している
確かになんかそういうののプロが私の漫画を読んで心理分析とかしてくれるならすごく興味ある
お金払ってでも頼むと思う
そういうことなのかな?
でもインターネット上で誰かに感想を送るであろう人の大半は心理分析の素人だろうし、別に感想って大部分は心理分析じゃないし、私はいいかなあ
あれ読んで朝鮮人め!という気持ちになる人おるんだろな、多分。まじかよ、とは思うが。
一郎さんの阿南陸相の自決への怒りのツイートを今の政治に結びつけて一緒に怒ってる人は見たし。
自分は一連の東へ向かうツイートは、敗戦の混乱を感じることができてよかったと思う。なんもかんもカツカツでみんな余裕がないから、不寛容。優しい人は優しいけども、みんながそうはできない。でも起きた出来事はショッキングで記憶に残りやすい。
全く存在しない出来事を新たに作り出す事は無いと思うので、多分日記以外の根拠があるか、インタビューとか取材した結果のツイートだろう。
いや、軍関係の奉仕に行った先で日本は負けるって煽ってきた朝鮮人と口喧嘩して負けた事ゼロから作らないでしょ、普通。創作ならすごいよ。私だったら、ひよって苛烈な環境で働いていた人達への連帯感とか哀れみのエピソードにしちゃいそうだもん。
自分が広島市の義務教育課程を卒業して20年近く経ってるから参考にはならないかもだけど、急に教育が右翼化したとかじゃない限り、ダム建設に徴用された朝鮮人など差別の話、日本が植民地へしてきた事への反省教育はされてるはず。
さすがに君が代の代わりにアリランの歌を教えられるとかはもう無いとは思いたいけど。
だから安易にヘイト創作しないと思うんだよなあ。悪い印象与える位なら存在無視しろ、って事なら分かるけど、一郎さんややすこさんの日記に朝鮮の人が出てこないので、透明な存在のままだったろう。戦争孤児の浮浪者集団も強烈に印象づけられたけど、その集団に弁当強奪された旨のツイートへ、彼らは可哀想な存在だからと諭す反応があったな。
シュンちゃんも一郎さんもやすこさんも、聖人ではないし、ただの一個人の感想だと思って見ている。日記に他人が色々肉付けしてるから、そこが嫌な人はいるんだろう。わたしは映像作品を見るより受容しやすかった。
個人的には三者三様の視点で終戦期のやり取りを見ることが出来るのはありがたいと思う。終戦後にやすこさんが小磯元首相の血縁者と分かるツイート、ビックリしたのと同時に米軍がやってくる事への強い不安感や玉音放送聞いた後の悔しがりに納得がいった。
自分が読んだ事のある戦中の日記、その子が原爆にあって5日で終わってたのでこのまま年末まで読めるなら読みたい。(やすこさんは9月中旬、シュンちゃんと一郎さんは年末まで日記が続く予定)
例えば日本人は12月24日にはイエス・キリストの誕生日を祝うし2月14日は殉教した聖人バレンタインを祝う
だけど大晦日に除夜の鐘を鳴らすしお正月には神社に行くんだからキリスト教も仏教も神道も上澄みの美味しい所だけいただいている
それと同じようにポリコレも元々西洋圏で生まれた思想なのだから
東洋に持ち込む際には東洋風にアレンジするのが自然な事ではないか、みたいな話だったと思う
まあポリコレのどこが美味しい部分なのか僕には分からないけど、そこは社会学や人権学のプロフェッショナルが上手い事決めてくれるだろう
しかし、看護婦という言葉が最近すっかり廃れてしまった事と、「看護婦」という言葉が出てくる昔の作品が差別的だと批判の対象になるとしたらそれは個人的に寂しい事だな、と思う
宇佐崎しろを擁護しようという向きはわかる。めちゃめちゃわかる。宇佐崎しろは完全にもらい事故。
マツキタツヤは批判されるべき。女子中学生に痴漢で逮捕でプロジェクト総崩れとか、笑い話にもならない。
けど、アクタージュの物語がマツキタツヤの罪と関連づけて語られるべきじゃない。
1話から女子中学生の主人公の入浴シーンがあったとか、そういう演出を原作者の欲望と結びつけて「見る目変わっちゃうよね……」とか言ってる連中、なんにもわかってない。
たとえ聖人君子の作った物語だろうと、人殺しが作った物語だろうと、面白さ以外の尺度で価値が測られるべきじゃないんだ。なのにまるで物語の価値をも否定しようという意見が目立つ。
どう言う世界で生きてるのかは知らないが、啓蒙も喧伝も自ら率先してしないでおいて他人の無知ばかりを批判する行為を目撃し、複雑な感情を抱かざるを得ない
「どうせ聞き入れてくれなかったろう」という気持ちもわかるが、そう言う風に自分の外側の世界に生きる人間たちに対して無知だ、無理解だと一方的に決めつけるような物言いは、言葉さえ届けば理解者、協力者になったであろう人たちをも侮辱することになるのではないか
「大変なんだなぁ」と思ってくれる人を少しでも多くしておく事は後の協力者を増やすことに繋がるのだが、一時の感情に任せて、一方的な決めつけでもって相手の無知を皮肉れば、それを侮辱と取る人間も多いだろう。侮辱の言葉を叩きつけられてなお、相手の苦境に対して行動を起こせる聖人は少ない。少数の聖人よりも多数の凡人の方が戦略的には有効であるのだが、苦境に擦り潰された心ではそれも理解できないとみえる。実に不幸な事だと思う
苦境にあればこそ、救いを求めればこそ、自分自身が聖人のごとく振る舞わねば、敵ばかりが増えるという事を肝に銘じて生きていきたい。そうありたいと強く願うものである
キモい上に金もないしもう若くもない最底辺の自分を愛してくれるひと
そりゃあ、そんな素敵なパートナーが居ることはとても幸せなことだろうが
普通に考えてそんなに人現れるわけないだろ
普通の人でも、失職し、資産を失い、心身共に病にかかり、無一文の無能になっても愛し続けてくれるような相手そうそう現れない
3組に1組が離婚する時代だし、仮面夫婦の数を考えれば、本当に愛し合ってる夫婦なんて1割いるかどうかというところだろう
相手が自分に何をしてくれるか、相手と結婚してどんなメリットがあるか
それが問題にならないことはない
KKOはキモいし金も稼がないし発達障害もしくは学習障害をもつ生活保護寸前の人間だ
そんな地獄も厭わないような聖人、KKOを心から愛すようなエンジェルがいれば、そりゃあKKOは幸せだろうさ
「どうしょうもないKKOに天使が舞い降りたら」「幸せになれるだろうな」なんて、考えるだけ無駄だ。
普通の人にもキモカネにも天使は舞い降りない。異性は天使ではない。異性だって救いを求める打算的な普通の人やキモカネで構成されているのだ。
最底辺からミラクルハッピーを望むのは現実的じゃない。俺たちはもっと、ささやかな幸せを一つずつ手に入れていくべきだ。
俺にも昔天使が舞い降りた。半無職の発達障害のブサメンの俺を彼女は愛してくれた。でも、10年経つ頃には「離婚してください」って土下座されたよ。これ以上同じ家で生活するのが耐えられないってさ。慰謝料は払うから別れてくれって。最終的にはそうなるんだよ。(クズだからいっぱい慰謝料貰った。子供との面会は、何回もぶっちしてパチに行ったりしたせいで、子供にも元妻にも断られるようになって5年会ってない。)
人生の僅かな間、天使のように思える異性が舞い降りたとしても、相手も結局人間にすぎない。宝くじに当たるように運良く結婚出来たとしても、維持できないんだよ。結婚生活の維持なんて健常者でも難しいこと、KKOに出来るわけないだろ。
KKOの救済措置に、土台無理な結婚を持ち出すことこそ、KKO救済の妨げだと俺は思うよ。宝くじがあったら救済されますよねー、って言い続けてもKKOは救われないんだ。何も変わらないんだ。
KKOを救う、つまりKOの孤独を解消し、生活を安定させるために必要なのは何か?
仕事が普通にできて(多分そこそこの企業)彼氏がいて近々結婚する
はー羨ましい
これで欠点ないのか?ってなるけど本人が欠点だと思っている部分は別に欠点でもないんだよな
そこに関するトラウマもあるけどそれ以外は全てに置いて恵まれてると思うからもうトラウマなんてあっても変わらないんじゃないかと思う
ちょっと前までは苦手なことを頑張ろうとするヒロインが可愛いなあと思って読んでたけど
軌道に乗り始めて?からの生活がすごい自分との落差を感じて読んでてしんどい
たかが漫画のキャラクターなのになんでこんな思うんだろうと考えたけど
一つは自分が成人して性格以外のスペックが比較対象に入ってきたから
彼氏や親、友人などの関係性や勤めている企業や仕事内容やポジション、同僚など
あと成人して漫画読むと学生や子供が主人公の漫画ってもう微笑ましいんだよね
あー頑張ってるな、とかちょっと意地悪するタイプでもそういう時期だよね…とか自分が通り過ぎた年代だから同じ土俵に立ってない
でも成人してるキャラクターだと同じ土俵に立ってるから、スペックの違いや差を感じてしまう
性格的な悪さを感じられないし、欠点も欠点として機能してなくてただただ良い性格のキャラクターが良い生活を送ってるだけって言う
嫉妬するんだから自分の生活に満足できてない部分があるんだよな
鬱々してないで満足できてない部分を変えていけばいいんだよ
でもセックスに関しては一人ではできないからそこはもうどうしようもないじゃんね???
だらだら書いたけど多分一番良いなーと思ってるのはそこだ
胸大きくて彼氏から誘われていて、していても多分大きな問題がなさそうな部分が羨ましいんだよ
関わり合いや歩みがちょっとリアル寄り?かなと思うけどセックス関連は別に問題ないよね
フェチ部分が先に押し出されてるからなのか知らんけど実はそこまで気持ちよくないとかそう言うネガティブなリアルな部分はないんだよね、ファンタジーだな
作者をずっと男性だと思ってたけど女性なんじゃないかと言う意見を見て目から鱗だった
ヒロインに対するフェイチズムから男性かなと思ってたけど彼氏の聖人具合から、そっちに理想を落とし込んでるならあり得るか
ヒロインも嫌味がないけど彼氏も一部モブからの評価はあれだけど仕事できるイケメンだから
変な部分で落としつつ、ヒロインの最大の理解者で経済力もあり仕事もできるイケメンなんだよな
最近漫画の中では連載の中で最大かもしれない修羅場があったけどそこも読んでて別に最後はハッピーエンドなんだよなって思って白けてしまった
現実だと相手の考えなんか分からなくて、喧嘩していた時にそこから別れに繋がるかもしれないって言う不安があるけど
あの漫画だとヒロインが自責の念から閉じこもってしまって、そこを彼氏が納めつつ解決に向かうだから
ヒロインなりに頑張っているんだろうけど、なんかすごい周りの人が良い人だなあと思ってしまって、創作だなあと…
めちゃくちゃしょっちゅうあるんですけど特に意味とか調べたことない。タイトルに困ったから書いてみただけです。
ここから本題、友人の話。
友人とは学生の頃からの付き合いで、気づけばそろそろ二桁くらいの年数仲良くしていた。過去形なのは、今、その友人から自分が友人認定されてるのかわからないから。
私の友人はとてもメンタルが弱くてとんがっている。
別にメンタルが弱いのはいい。ちょっとしたミスで落ち込んだり、自分ダメだな~ってなって引きこもったり、全然よくあることだ。どよんと落ち込む深さが違うくらいで、私にだってそういうことはある。
問題はとんがっていること。いや、別に彼女にとっては問題じゃないだろうけど、私にとっては問題だった。自分勝手にも。
友人がどんなふうにとんがっているかを書くために、半年ほど前の話をする。
当時、友人はツイッターで仲良くしていたフォロワーと仲違いして、そのフォロワーをブロックした。ちなみに私もそのフォロワーとは仲が良くて、三人のライングループなども存在したが、彼女は無言でグループから抜けたし、フォロワー個人もブロックしたらしい。
端的にまとめると、フォロワー(いちいち打つのが面倒なので以降Aとする)が友人を怒らせて、怒った友人がAとのつながりをすべて絶った、という話だ。まあネット上で交流してたら、そんなことはしばしば起こりうることだと思う。私はマジでそのやりとりに関係ない第三者だったので、友人とも普通に友人を続けるつもりだったし、Aとも仲良くし続けるつもりだった。それぞれからこういう経緯でもう仲良くしません(できなくなりました)という報告を受けたけど、どっちが悪い良いの話じゃなかったし。
Aとはそれでよかった。相変わらず普通に話すし仲良くしている。問題は友人である。ここで話が戻ります。
友人のメンタルのとんがり具合というのは、自傷に特化しているという意味合いを含む。どう特化しているかというと以下のように。
「Aさんのこと、いい人だと思ってたのにあんなこと言われると思わなかった」
「Aさんにあんなこと言わせるくらい私が何かしていたのかもしれない……。でも、それにしたってもっと言いようがあったはず」
「Aさんは自分が正義だと思ってるし事実そうだから、弱者の私の気持ちなんてわからない」
へ~~~って感じである。
私はふんわり書いてみたけど、つまりなんかめちゃくちゃAが素晴らしい人間みたいなことを前提にしつつ、そう信じていたのにそうじゃなかったし私は裏切られたし傷ついたのよ的な内容を友人は延々話し続けるのである。
これの何を私が問題視しているかというと、友人、自分が傷ついた話しかしない。
いや、そうなんだけども。詳しくは書いてないけど、友人は確かにAとのやりとりで傷ついていた。それでメンタルボロボロになるのはわかる。でも、友人……あなた……自分で傷えぐってない……? Aは最初からそんな聖人みたいな人じゃなかったし、あなた今までAのことそんなふうに言ったことあったっけ……? なんなら仲良くはしてたけど、そんなにAを好いてはなかったよね……? って話なのである。そりゃめちゃくちゃ大好きでめちゃくちゃ尊敬してる相手から急に足蹴にされたらこうもなるだろうと思うけど、友人の中のAの占める場所そんななかったやろ、という。
これが私が問題視する、友人の悪癖だ。
とにかくメンタルが落ち込むことがあると、神の理不尽さに振り回されたかわいそうな人間ムーヴをし始める。おおげさと思うか。おおげさじゃないんだよな。
上記のAの話はあくまで一例で、この十年近く、友人は半年に一回くらいは大体こんなことを繰り返している。疲れないんだろうか、と思う。疲れている、と思う。でも友人は何度も何度もやってしまうのである。これを悪癖と言わずなんと言おう。
ぶっちゃけた話、今まで私は「あ~またやってるよ」と思いつつ、凹んだ彼女のメンタルを適当にヨシヨシしたり放っておくことしかしてこなかった。基本的に私のいないところで、それらの事件は起こっていたからだ。
もう一つ例をあげる。友人に恋人がいた頃の話だ。
就職してしばらく、友人に恋人ができた。同じ部署の人から告白されたとかで、友人としては相手に仕事仲間くらいの感情しかなかったらしいが、とりあえずOKしたとのことだった。そんな始まりではあったけれど、友人からは恋人との時間が心地いいと聞いていたので、それなりに仲睦まじくやっていると思っていた。
メンタルをめこっと凹ませた友人に後から聞いた話によれば、彼女は恋人に自分から連絡をとることを一切していなかったらしい。恋人からのラインに返事をする、誘われたら出かける、たまにかかってきた電話に出る。以上。それだけ。
恋人からの別れの言葉は「君が僕のことを好きになってくれる日は一生来ない気がする」だったらしい。そうだね。私もそう思う。
この話をするとき、友人は泣いていた。なぜか。相手を好きになって付き合っていたわけではないのだから、友人としてはそこまで凹むことでもなくないか? 不思議に思って聞いてみれば、自分が頑張らなくても相手が頑張って好きでいてくれる関係が心地よかったそうだ。あほか。
これも友人の悪癖だ(と私は思っている)。人には好かれていたいけど、そのために頑張ることはしない。居心地がいい関係というのは「自分が」無理をしない関係のことであり、頑張らせようとする人とは仲良くしたくない、という。
話が長くなった上に逸れていた。閑話休題。
別れた恋人のことを、友人はやっぱりさんざん言った。いい人だった、優しかったと言ったその口で、どうしていい人ぶったの、優しくしたの、私を傷つけるなら最初から告白なんてしないでほしかった、と言う。
あほか、と思った。けれど言わなかった。言ったら友人のメンタルはさらに凹んで面倒なことになるから。
でも、最近になって気づいた。気づいたというか、ようやくその事実を直視した、というか。
友人はこれを、私相手でもやるんだろうな。
前述したとおり、これまでの事件に私は関わっていない。友人と私は職場が違うし、ツイッターでは呟く話題も違うからそもそもフォロワーが被らない。Aが例外だったのだ。
友人はとにかくとんがっているので、一度嫌いになった相手のことをさんざん言う。相手を神さまのように持ち上げることで、あんな高いところから私は落とされたのよと自分が受けたダメージを倍くらいにする。そして、嫌いになった相手が関わってきたものも大体嫌いになるので、さらにダメージを倍にしている。
今回の場合、「嫌いになった相手が関わってきたもの」に私が含まれている。
もう3ヶ月ほど、友人とは連絡を取っていない。
私から、友人をブロックしたり、連絡を絶ったりするつもりはなかった。なぜなら、そんなことをすればきっと彼女は私を神さまみたいな悪者にして、自分が傷ついた話を延々他の人にするんだろうから。ここまで来ればもはや意地である。
しかしそれも時間の問題なのかもと思う。悪癖だのなんだのと私もさんざん言ってきたし、この文章はまるっと全部友人への愚痴なのだが、それでも私は彼女を友人と思っていたし、これからも友人と思っていたかった。面倒に思うことを補って余りあるくらい、私は彼女のことを好いていた。
でもたぶん、友人はそうじゃないんだろうな。
……長々と書いたらそれなりにすっきりした気がする。
誰も見てなくていい日記だけれど、これがインターネットというだだっ広い場所に公開されていると思うだけで、愚痴を誰かに聞いてもらった気にはなる。
見てくれていた人がいたら、ありがとう。
今日の晩は、歯が抜ける夢を見ずに済むかもしれない。
25日目
302回
今日は西美へ
待機列で並んでいる際に一斉に地震速報が鳴りだしてびっくりしました
いつものように企画展と常設展を回ったのですが、企画展の内容的に常設展を2周したような感じで少し面白かったです
最近の西美はオタクタペストリー的なものに説明文をプリントして天井から吊り下げるのが流行りなのでしょうか
企画展・常設展双方でオタクタペストリー的な説明文がありました
企画展で気になったものとしては、明らかにペルセウスとアンドロメダの構図なのに登場人物が全然知らない人たちな「アンジェリカを救うルッジェーロ」、もさいけどなんかかっこいい「アンティオキアの聖マルガリータ」などがありました
前者は、調べてみると「狂えるオルランド」の中の一場面だそうで、アンジェリカは中国のお姫様、ルッジェーロはイスラムの戦士らしいです
とてもそうは見えんな
狂えるオルランドと言えばドン・キホーテで散々バカにされているタイプの小説という程度の認識しかありませんでしたが、この絵を見ると当時の人気ぶりが伺えます
オルランドはローランのイタリア語読みで、狂えるオルランド自体はローランの歌の前日譚らしいです
常設展を回るのも久々のことでしたが、新規収蔵品の中で、ドミニコ会の象徴でもある白黒の衣装をまとった「聖ドミニクス」がイケメンですてきでした
そういえば「聖母子と三聖人」の聖人のうち二人の衣装も白黒でしたが、あれもドミニコ会となにか関わりがあるのでしょうか
新館では戦争中の疎開で大きく損壊したモネのクソデカ睡蓮が展示されていました
西美の成り立ちと背負った歴史を象徴しているようで、しばらく見入ってしまいました
版画素描展示室では最近まとまったコレクションの寄贈を受けたという写本の展示が行われていました
よく考えたら本物の中世写本を目にするのは初めてかもしれません
羊皮紙でも木簡と同じように誤りを訂正するのには小刀で表面を削ったそうで、ヨーロッパでも刀筆の吏という言葉は通用しそうだなと思ったりしました
写本を書いた人々は役人ではありませんが
今回はこの場をお借りして原作未履修者について少しばかり自分の思うことを書いていこうと思う。
まず私は原作主義者だ。「原作やってないけど創作しましたー!」っていうのが嫌いなタイプだ。
タイトルの主語は少し大きいが、原作未履修者を全員叩く文ではない。これは「原作全く知らないから自分なりに考えて独自の設定をつけてオリキャラみたいにしました!」という人を指す言葉である。
自界隈ははっきりいうと原作をやっていない人が創作をしていたりするようなジャンルだ。昔の作品であり、今は入手するのが少しばかり面倒な作品であるからであるのと、今はネットで調べればあらすじやキャラクターの関係なんかは出てくるからというのもあるだろう。そのため原作を見たことのない人が少なからずいる。
ゲームなんかだと実況動画を見て終わらせたり…これに関してはかなりグレーゾーンであるが。
いるのは仕方がない。私も今のジャンルを知ったきっかけはTLに偶然流れてきた二次創作を見たからであり、その頃はキャラクターは知っているが原作は知らないレベルだったからだ。その作品は原作が好きな人が考察を含めて愛を綴った作品で、魅力の伝え方がうまかったのもあり原作も面白そうだと色々と調べていくうちに「まぁ少し触れるだけなら」と原作に触れて沼に落ちた。
そんな私が原作をやっていない人をどうして苦手とするかというと、作品に対してではなくキャラ単体であったりカプであったりに萌えている人が多いからであり、そのような人が描くキャラクター像は上で書いたようにオリキャラのようになりがちだからである。
どれだけ検索をしようがそこに書かれた文からはキャラクターの心情や表情、性格などをはっきりと知ることはできない。こればかりは台詞回しやそのキャラクターに関わった人の動きなどを見なければ感じることができないと思っている。そしてそれはまとめサイトには載っていない。
自分の推しすらもこれこれこういう経歴のある心優しい人としか表記されていなかった。優しいからこそ自分に厳しく見ているこっちが心配になるぐらい精神的に弱かったりもするし、仲間に支えられたりしているんだけども。
だからこそ自分の推しに対して「優しいところが好き!聖人すぎて眩しい!」って持ち上げて騒いでいる人を見ると、この人は原作見てないなと思ってしまう。「優しいからこそ弱い。そこが魅力なんだ」と語る人との差異が顕著に出てくる。
たとえ実況動画で見たとしても実況者の意見に引っ張られやすいためそこから自分の意見を持つことは難しいだろう。
そのため原作を知らない人が描いたキャラクターはどこか薄っぺらく魂がない。魂がないため創作者自身が透けて見える。何かが違うのだ。
歴史上の伝説のみを聞いている人と、その時代に生きていた人の語りだと例えるとわかりやすいだろう。
薄っぺらいからこそ、こうであったら嬉しいな!私はこういう設定が好きだな!と設定が付け加えられる。それはもうそのキャラクターではなく作者のオリキャラじゃないかってほどに。そして台詞すらも薄くなる。
そうなるとどうなるだろうか。
自分がこの色の方がいいからって服や髪や目の色を変えられる。まとめサイトに書いていないからって過去を捏造される。性格を変えられる。
なんかしらの設定を付けて私物化しないでくれ。それは誰だ?原作を踏み台にキャラクターという素材を使って行う一次創作キャラみたいなものになっているじゃないか。
残ったのは髪型と整った顔だけで、そのキャラである必要はあるのだろうかと疑問に思うことも多い。お人形遊びのようにキャラクターを扱うその人がキャラクターに求めているのは残ったそこだけなんだろうけども。
このキャラに対して愛が重いとか自慢をするぐらいならせめて原作を見てくれ、頼む。愛が重いのならそのぐらいの投資は安いものじゃないか?
そのような人が作る作品を見て、原作を知らないけどこの人のキャラクターは好きだなという人が現れて誤解の連鎖が続いてしまう。薄っぺらいからこそ原作に対して魅力を感じさせることができず、キャラ萌えのみの間違った解釈が広まってしまう。「このキャラクターはかっこいいね、可愛いね、綺麗だね」で終わってしまう。
私が最初に見た作品が原作愛のある作品だったからこそ私はここまで落ちたのもあるだろう。それまではキャラクターを見たことはあったがここまでは落ちていなかった。
そして絵がうまい人に限ってそれをやりがちだ。原作をきちんと知らない人にとっては二次創作こそが作品への入り口になってしまうし、原作となってしまうんだ。気をつけてほしい。
「〇〇さんの描く黒(化された)キャラが好き!好きなんだけど探してもないんだよな〜」と言うツイートを見たときは頭を抱えたくなった。
自分好みのキャラクターではなくキャラクター自身を愛してあげてほしい。着せ替え人形みたいな扱いをしないでほしい。
原作を履修せずに創作をしている人は一度支部やTwitterなどでキャラクター名やカプ名ではなく原作名でも検索をかけてみてほしい。その世界はあなたの考えている世界と同じだろうか。
内定が出ないです。就活中です。始めるのも遅かった(今年の1月からです。あーあ)。だから反省した。反省して真面目に就活したつもりだったのにそれすら全然足りなかったみたいだ。
死にたいです。私は甘い人生観で甘い考えで生きてきた甘えんぼなので出来れば殺されて死にたいです。なぜなら自分で死ぬとなるといざって時に「もしかしたら次受けたら今度こそ受かるかも」とか自分への期待とかくだらないことまた思っちゃうからです。そんなことないのにね。バカじゃん。
何十社と落ちた。次こそ通ろうとその度その度頑張って準備して時には気合い入れるために新しくシャツを新調したりして、エージェントに何度も見てもらって、それでも次こそは次にはと続くばかりだったよ。
私が一通一通のお祈りメールで毎度喉が枯れるほど泣いてるのにこれを送った奴は鼻でもほじりながら送ったんだろうな。悔しいよ。でも仕方ないよ私が悪い。何も無いからさ。スキルも頭も学歴もサークル長の経験もカンボジアに学校建てたこともないもん。本当に何も持ってなかったんです。
自己アピールにさ、何書くかっていうやつですよね。自分の今までの人生の虚無っぷり
突きつけられました。就活生で自己アピールしんどかった人はエージェントとか就活サイトのアドバイスとかで「1つくらいなんかやった事あるでしょう」ってよく言われたと思い出しませんか?あれ本当の本当に無い人間がいるってことわからない人多すぎるよね。「今の今までカレカノいなかったとか本当!?嘘だよね!?」って言われてるみたい。この場合の嘘扱いされる存在。土俵にすら上がれない人間が就活にもいるはずです。現に私がそうなのだから。エージェント名乗るならそこら辺もちゃんと考慮して助けてみせろ。これも甘えです。どうせみんな企業紹介してそこに学生送ると報酬が発生するからやってんだろ。ケッ。この世の人間がちゃんと相手を考えてアドバイスしてくれてると思うのは甘えですよ。老人や妊婦さんや体の不自由な方ではない他人相手にする親切というものはこの世に無い。
それでも必死こいて自己アピールを書きますし言います。3Dできます絵がかけますプログラミングも練習してますバイト頑張りましたぜんぶ子供の遊びなんだよ。少なくとも企業はそう思ってますよ。そんなのわかってますよバカバカしいこと書いてるなって思いますよ。でもせめて、せめてそれに挑戦しようと思った気持ちとか、実際にやりとげた根性とかを誰かしらがすくい上げて評価対象にしてくれると信じて提示してるんです。
というか上記のことやれるならそういう仕事すりゃいいじゃんて思うよね。でもね無理なんですよ。これらは作品として提出できるほどすごいもんじゃないんです。専門学校でちゃんと学んだわけじゃない。その仕事がしたいから独学ですごい作品を作ったって訳じゃない。そういう方は本当すごいと思います。でも私はそういう方じゃない。本気でやってきたわけじゃない。ポートフォリオも作れない。だから受けられない。シンプルですね。私が真面目に打ち込まなかったからダメだっただけです。本当に私が悪い。
なら狙うのは総合職とかですよね。でも他に何も無いのでそういうことしか自己アピール出来ない。そんな自己アピールされても万が一そこへの気持ちを汲み取ってくれる聖人のような人事が居ない限り無理です。中途半端なんです。そりゃ落ちます。私でも落とします。落ちる理由はわかってるんですね。
何も無いから死にたいんです。就職してからの方が大変だぞと言われますけれど、その就職してからの困難に晒されていない人間は一般的にはこの世にいらない人間なんです。そもそもこんな就活ごときで死にたいとか馬鹿か?馬鹿ですよ。こんなんで死にたい人間が就職して生きていけるわけないですね。だから今のうちに死んでしまいたい。お父様やお母様に迷惑をかける前に死んでしまいましょう。
お父様は学部卒業後の私にはびた一文払わないそうなので院には行けません。お母様は私が卒業したら離婚したいそうです。
思えば全部私が悪かった。小学校の頃からずっと就活のために何か作ったりし続ければ良かった。中学生からスキルを見につければよかった。高校生の夏休みも大学生活もぜんぶ就活のための自己アピール作りしようって意識すればよかった。今までの人生を全て就活のために使えばよかったんですね。もう遅い。
何もありません。就職しなくても道はあるよなんてそんなものありません。道がある人は自分は才能があるんだと思って驕っていいです。ニートだが?って言う人もニートになれる環境や家の金や才能があったんです。私には何も無いのでどこにもいてはいけません。
SNSは苦手だがTwitterは細々と10年ぐらいやっている。
昔は良かったなんて言うつもりはないが、最近はより村社会的なノリになっている様に感じる。
わー!とか、きゃー!みたいな盛り上がり。
マジ無理、とか、しんどい、尊い、とか。そのものズバリ、〇〇村が燃えた!なんてのもあるよね。
オタクのホームグラウンドが2ちゃんねるであった時代、余程のことがない限りスレ内のノリはスレ内で完結していた。まとめサイトが出来てくると、そういったノリは一気に拡散される様になった。
ニコニコ動画が隆盛を誇った時代、その拡散はより顕著となった。
アニメや特撮が公式配信される様になっても、映像は二の次。画面は内輪ノリのコメントで埋め尽くされ、2ちゃんねる発、或いはニコニコ動画発のネットミームが座を席巻し、作品がネタとして消費されるようになった。
それ以前とは空気が変質してしまったジャンルも数多くあった様に思う。
そうして私はTwitterに流れていった。
当時はまだ公式RTなんて無かったし、リプライも相互フォロワーにしか見えなかった。ふぁぼっても当人達しかわからない、秘密の交換日記の様な独特なコミュニケーションもあった様に思う。
すべてが良かったとは思わない。当時から村社会的な利用をしている人達もいた。
それでも今よりはもう少し淡々とした『つぶやき』で形作られたコミュニティが主流であった様に思う。
しばらく経つと、2ちゃんねるやニコニコ動画はかつて程の勢いは無くなっていった。
そうなると2ちゃんねるやニコニコ動画にいたオタクはTwitterを併用する様になり、結果として村社会的なオタクの内輪ノリがTwitterを侵略した。
繰り返しになるが、昔は良かったなんて言うつもりはない。
でも村社会がMajorityになったTwitterにどこか居心地の悪さを感じる様になっていた。
いやならやめろ、その通りだと思う。
SNSをなんだと思っている、その通りだと思う。
求めていたゆるいつながりは既になく、あるのは村社会的な鉄の結束。
オタクは清廉であり、賢人であり、聖人であるとでも言う様なTweetが数万いいねを集め、買ったグッズは写真を上げて購入報告せねばならず、そしてソシャゲの課金を煽られる。
つぶやきは、かき消されていった。
オタクのノリが苦手だ。
つぶやきを見るのが好きだった。
つぶやくのが好きだった。
今はもう、つぶやきが聞こえない。
また教えてください。
☆今週読んだもの
推理小説を趣味で書くお父さんがその知識を総動員し、娘のために裏組織と戦う話。
今まで読んだミステリ?漫画中でもダントツに面白い。息もつかせぬスピード感と展開。読み終わるまで眠れない。
お父さんがすごすぎて悪漢がかわいそうになるレベル。絵が細密でうまいしキャラの性格に沿った描き分けがいい。
この作の方、推理小説とか書いてないのかな。最新刊読んだら検索してみる。面白い。
【異世界失格】
ハーレムというとそんな都合いい女いるかという気分になるが転生者が太宰治というだけで納得いく。
いやこんな女いるなー。私が間違ってた。絵は綺麗。内容はちょっと薄め。あんまり濃くできない理由はわかる。
同時期に太宰治が転生してると聞き検索して見たけど多分なろう連載小説かな?
こちらは文体から凝ってて読み応えありそう。一緒に読むと2度おいしくていいと思う。
書籍化は川端康成サイドとの折衝にかかってると思うけど難しそうな気はする。
【応天の門】
まだ学生の菅原道真と在原業平が今日の都で起こる問題を解決する推理もの。
大河ドラマの時代考証やってるプロがついてるらしく、挟まれる講釈がためになって面白い。
漫画としての面白さよりなんかこう、知的好奇心で読むと良さそう。エンタメとしては薄味?
絵はざっくりした感じで好みは分かれそう。
幼馴染が都会にでて歌手になるのに利用され、貢いで尽くした挙句捨てられた少女が自分もアイドルになって見返そうとする話。
エキセントリックで体当たりなヒロインが自力で成り上がる姿が清々しい(?)
この作者さん、全作通して普通の王子様を待つ少女漫画なぞ描かないわよ、という気概があって、あんま少女漫画好きじゃなくても楽しく読めてたんだけど、最近はちょっとヒロイン上げが鼻につくような。典型的はわわヒロインになってる気がする。
でも夢小説が大流行だからそういうヒロインの方が世間受けはいいのかもしれない。仕方ない時代の流れ。
【ゴールデンカムイ】
あらすじ書くまでもない人気漫画。
最新刊読んだ。杉本かっこいい。妙に乙女なおっさんなだけではないところをたまには見せてくれる。
敵味方入り乱れすぎて似たような顔のキャラはどこ陣営なのかよくわからんくなってきた。
【ファブル】
なにわ友あれの作者の漫画。前回タイトル間違えててすいません。
殺し屋ファブルがボスの命令で一時休業し、一般社会で一般人として暮らそうとする話。
正体を隠したファブルが悪漢に囚われた美女を救う話で、こういう話を嫌いな人間がいるだろうか、いやいない。
相棒の小悪魔美女が暇つぶしにヤリチン男をうんちに沈める回も楽しい。
職場で同じ課に若い女子社員が2人いるのだが、片方の子(見た目ふつう 痩せてる)がミスしたときは「ちゃんと確認した?前にも同じミスしてたよ 何度も同じ失敗は駄目だよ」と普通に怒ってしまう
もう片方の子(ちょいブサ 巨乳)が同じようにミスしてもついおっぱいに免じて許してしまう
口では「〇〇さんこれ違ってない?気を付けてね」って優しく注意してあげるのだが、自分の脳内では「大きなおっぱいが邪魔で手許の書類がよく見えなかったんだよね仕方ないね」とセクハラに近い発言をしてしまっている
やんわり注意しながらも視線はずっとおっぱいを注視してるから向こうもおっぱいを見られていることに恐らく気付いていると思う
自分は注意するフリして大きなおっぱいを真近で見ることが出来るので幸せ、ちょいブサの子も自分のおっぱいのおかげで上司にあまり怒られないですむので幸せ
おっぱいのおかげでwin-winな関係が築かれているのだなぁとしみじみ考えてしまった
【追記】
酷い叩かれようなので少しだけ反論させて頂きたい
私の文章の「巨乳」を「美形(または美人でもいい)」に置き換えて考えてみる
美男美女に対して、業務上でより丁寧な対応をとったり親切にしたりしたことが一度もないと言い切れる人が一体何人いるだろうか
「私は容姿で差別はしない 不細工だろうがイケメンだろうが対応は一律だ」と言い切れる聖人君子ばかりのはてな そんなのあり得ないでしょう
容姿に関する依怙贔屓はOKで巨乳に対する依怙贔屓はNG⇒どっちも見た目の問題でしょう であればどちらもNGのはずだ
顔をじろじろ見られるのは不快じゃないけど胸をじろじろ見られるのは不快⇒あまり興味ない女性に顔をガン見されるのはイケメンさんにとっては不快ですよ
「おさるのジョージ」に出てくる黄色い帽子のおじさんのように心が広い人間になりたい
黄色い帽子のおじさんはジョージが何をやろうが怒らない
ジョージが別荘を泡まみれにしても怒らない ジョージが浴槽で魚を買おうとして水草や泥を放り込んでも全く怒らない
おじさんにドーナツを1ダース買ってくるよう頼まれたジョージが勝手に100ダース買ってきたときも全く怒らず
「余ったドーナツを普段頑張ってくれている消防士さんに寄付しよう」と言い出したときはあまりの聖人ぶりに足が震えた
ドーナツ1ダースが1000円だとして10万円の支出だぞ 私なら即座にこの糞猿を保健所送りにするレベルである
話が横道に逸れたので元に戻すがなぜ私が黄色い帽子のおじさんになりたいかというと、嫁や子供に対していつもすぐキレてしまうからである
一昨日は5歳の息子が私のipadの液晶にチャギントンのシールを張り付けたので思いっきり頭を殴りつけてしまった
昨日は「オナニーして拭き取ったあとのティッシュをゴミ箱にそのまま捨てるな 臭くて困る 袋に入れるとか気を遣え」と嫁に注意されたので
「だったらお前も口臭に気を遣えよ 朝昼晩いつも歯磨きしてる割に滅茶苦茶臭いぞ 並んで歩くこっちの身にもなってみろ」と怒鳴り返したら
普段から歯槽膿漏なのを気にしている嫁がガチ切れしてしまい、それ以降全く口をきいてくれなくなった
何をされてもすぐに怒らない、心の広い人になるにはどうすればいいのだろう