2020-08-10

「我々の世界では周知の事実なのに、ご存知ないのかね」と言う物言いが嫌い

どう言う世界で生きてるのかは知らないが、啓蒙喧伝も自ら率先してしないでおいて他人無知ばかりを批判する行為を目撃し、複雑な感情を抱かざるを得ない

「どうせ聞き入れてくれなかったろう」という気持ちもわかるが、そう言う風に自分の外側の世界に生きる人間たちに対して無知だ、無理解だと一方的に決めつけるような物言いは、言葉さえ届けば理解者、協力者になったであろう人たちをも侮辱することになるのではないか

「大変なんだなぁ」と思ってくれる人を少しでも多くしておく事は後の協力者を増やすことに繋がるのだが、一時の感情に任せて、一方的な決めつけでもって相手無知皮肉れば、それを侮辱と取る人間も多いだろう。侮辱言葉を叩きつけられてなお、相手の苦境に対して行動を起こせる聖人は少ない。少数の聖人よりも多数の凡人の方が戦略的には有効であるのだが、苦境に擦り潰された心ではそれも理解できないとみえる。実に不幸な事だと思う

苦境にあればこそ、救いを求めればこそ、自分自身が聖人のごとく振る舞わねば、敵ばかりが増えるという事を肝に銘じて生きていきたい。そうありたいと強く願うものである

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