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2022-11-22

anond:20221122161528

私たちはどこにでもいるごく普通女性意見を代弁してるにすぎない」

って言ってる人達特殊女性扱いするの、一周回ってかわいそうすぎるでしょ

 カタールでも日本人精神が称賛の的になった。発端となったのは、バーレーンYouTuberという男性TikTok投稿した動画。そこでは、試合後、すでに多くのサポーターが後にした客席で日本ユニホームを着たサポータービニール袋を持ち、足元に散らばったボトルなどのゴミを集めていく。それも1人、2人ではなく、あらゆる場所で多くのサポーターが行っている。カメラを回すYouTuber男性は、信じられないといったリアクションで驚きの声を上げた。

 日本人サポーターゴミ拾いといえば、大会のたびに話題になっている。しかし、自国とは関係ない試合すら行う善行海外メディアも驚きを隠せない。カタール地元メディア「ザ・ペニンシュラカタール」は「日本ファンアルバイトスタジアムゴミを拾う動画話題に」との見出し記事掲載した。

開幕戦カタールエクアドルの終了後、多くの人がスタジアムを後にし、ごみを拾う人はほとんどいなかった」と状況についてレポートした上で、YouTuber男性映像を紹介。「大きな袋を持った日本ファンスタジアムを綺麗にする様子が映っていた」とし、なぜそのようなことをしているのかと男性から問われた一人は「私たち日本人です。ゴミを残すことはしないんです。この場所リスペクトを持っている」と話したと伝えた。

 記事では「この動画拡散されると、日本人ファン感謝する声や尊敬気持ちがつづられたコメントが集まっている」とも報じた。

日本人サポーターゴミ拾いと並び、ロシアW杯では日本代表選手たちによる試合後のロッカー清掃も大きな話題となり、世界中から称賛されました。

日本はラウンド16でベルギーに敗れた後、ロッカールームを清掃し、ロシア語「ありがとう」と書いた紙を残して大会を去ったのですが、それが現地で報道されると、世界中から日本品性」「すべてのチームのお手本」という称賛の言葉が寄せられたのです。

まあ日本人が偉いというか遺伝子的に組み込まれてるんだよなあ

信長公や家康公もきれい好きだったようだし、江戸上下水道の整備とか見てもねえ

とはいえ30年前は都内も汚いところも多かったからな

まあここ10年での習慣もあるでしょう

マツコ、居酒屋初体験で「夢のよう」と言った89歳女性への思い「普通のことをやれてなかった世代がいるんだよ」

 タレントマツコ・デラックスが17日放送のTOKYO MX「5時に夢中!」(月~金曜・午後5時)に出演。高齢世代への思いを口にする場面があった。

 この日の番組では、田舎から呼び寄せ、同居することになった89歳の母親を初めて居酒屋に連れていった娘が「夢のようだった」と感謝されたという読者の新聞への投稿記事を紹介。

 この件について聞かれたマツコは「89歳というところが時代背景というか、女性が働いている人も少なかったろうし、専業主婦のようなお立場だったとしたらさ。ダンナが外に出て自由にやっているのを見ながら自分居酒屋すら行かない、下手したらお酒ほとんど飲まないような人生を歩んできてさ」と推測すると、「もう、先がそう長くないなと思った時に私たちからすりゃ普通ことなんだけど、その普通のことをそんなにやれてなかった世代がいるんだよってことよ。『夢のようだ』って言ってるというのは、別に何かすごい高級な所に行って満たされたからじゃなくてさ。自由というか、それを感じることができたのが、お母さんはすごく幸せだったんだと思うんだよね」と続けた。

 その上で「そういう風な見方ちょっとしてあげた方がいい世代がいるってこと。ウチの父とかもそうだけどさ。(そうした世代が)いるよってことを若い人たちに言っておきたいな。今、当然のようなことが当然じゃないって時代があったって言うね」と、しみじみ話していた。

専業主婦システムもそろそろ崩壊だなあ

2022-11-21

anond:20221120221519

ペットペットにすぎないんだけど、それを人間扱いするのってきちんとした自覚持ってなさそうで怖いんよな。

実際には動物人権法律保障されてないし、飼い主もそのように扱ってる。

そもそも団体からもらおうがペットショップで買おうが、そんなこと人間じゃできないわけで。

そういう分別がないように見える。

大げさに言うと奴隷扱いしておきながら、彼は私たち家族ですとか言ってるように見えて気持ちが悪い。

anond:20221120160603

私たちこんなにひどい目にあった、共感して、ってことなのかもしれないけど、

シンママ、育休が取れない、そもそも保育園に入れてない家庭はもっと厳しい状況が続いているわけだし、

供給が限られる以上は妥当措置しか思えない。

子の面倒を見るサービスならシッターとかもある中で、安くで済む経済的優遇を誰に優先して与えるかの話でしかいからね。

2022-11-20

アカデミアのアファーマティブアクションなんてクソ喰らえ

東大博士課程 男性

定期的に燃えては消えを繰り返すアカデミアのアファーマティブアクション(以下、AA)に対する怒りが止まらないため感情整理のために書く。

東大准教授以上のポストを今後女性限定で埋める記事を見て日本でのアカデミア就職を諦めかけている。

https://www.asahi.com/sp/articles/DA3S15478221.html

大学のファカルティ職(助教以上のアカポス)の男女比は偏りがあり、教授では7.8%程度になるらしい。そのため、文科省および大学は、女性アカポス比率を上げるために女性限定公募を設け女性比率を向上させる事を推奨している。

パッと見ると非常に重要施策だし、男女平等に向けて良い向きだと思われる。しかし、実際に運営するうえで差別差別で上塗りする面が拭えず一定数の反対を受けるため、それに対する私見を述べたい。

そもそも論として日本アカデミアでテニュアポストは減少傾向にあり、ポストを獲得するという事は簡単な事ではない。そのため有名大(とりわけ大都市予算の潤沢な大学)はひとつポストに対して倍率数百倍という応募が殺到する。つまり、年間数万人の博士誕生するが安定したポストを得ることができるのは男女に関わらず一握りであると言える。ひとつ仮定として、男女平等一定の優秀層が選ばれた場合、男女比は博士学生比率とほぼ同一になると予想される。しかし、博士課程学生における女性比率現在約30%程度となっており、女性に対して選考プロセスで何らかの差別があったと考えても良さそうであるしかし、本当にそうだろうか?

ここで(1)世代間格差, (2)分野間格差, (3)日本における女性ライフスタイルの選好という新たな変数を導入すると、今のAA問題が浮き彫りになってくる。

(1)世代間格差

 これは簡単に言ってしまえば、博士の男女比が世代によって変化しているはずという事である科学技術政策研究所による調査では、1975年博士女性比率は5.8%であり2010年の30%まで上昇傾向にある。

 ここで単純な仮定として、現在教授が60歳とすると博士号の取得年度は1990年となり、その年の博士女性率は12%と推測できる。この場合選考プロセスにおける差別度は前述の30-7.8 = 22.2から12-7.8 = 4.2と大きくポイントを下げる。また准教授助教と職位が下がるごとに女性比率は上昇傾向にある事からも、女性博士取得の上昇とアカポスの女性率は正の相関があり、不合理な差別によって力強い訳圧ある訳ではないと推測できる。

(2)分野間格差

 これは男女の分野による好みの違いである。一般女性STEM(科学技術分野)を敬遠する傾向にある。実際に上述の博士調査於いて人文科学40%に対し、工学6%と選好に差が生じている。また、議員数や社長の男女比により算出されるジェンダーギャップ指数が高い(男女平等度が高い)国ではSTEM系は敬遠される傾向にある事が報告されている。つまり、完全に平等選考プロセスを踏んだとしても分野間による男女比の差は生じるため数値目標には分野間の調整が必要だと考えている。もし、理工系などでアカポス男女比を50%すると言ったら、選考に歪みが生じるのは想像に難くないはずである

(3)ライフスタイルの選好

 これが一番燃えそうな気がするが、つまり女性は養うために仕事をしないという事である

 男女における賃金格差は全業種において大きな問題ひとつだが、独身場合、差はほとんどない事が各調査で示されている(そもそも同じ職位で性別による給与差があれば労基案件である)。では、どこで差が生まれるかというと、単純に結婚後にフルタイムワークからパートタイムに変更するからである。つまり女性結婚後に稼得業務男性委託する傾向にあると言える。これは各家庭の家事/稼得の比率を断定するものではなく総体として、女性結婚出産後に仕事を辞める傾向にあると言う話である

 ではアカポスと何の関係があるかというと、博士アカデミアに残った女性一定確率仕事を辞めているという事である。つまり、単純に博士の数と出口であるアカポスの比率を比べても一生その溝は埋まらないのである。これは個人的観測だが、女性である程度のアカポスにある人は医者同業者などと結婚しており、男性のように専業主婦を養うようなスタイルは非常に珍しい。同期や友人の博士学生プロポーズされたから辞めたいなどと言う始末である。これは全業種の女性収入が高くても専業主夫を養わない事と同根であると考えている。

一方で男性自己実現としての研究職と家族を養うという両軸のバランスを取りながら、覚悟を決めて科学職業にしようとしている。実際にめちゃくちゃ優秀なのに家族を養うためにアカデミアを去った人を何人も知っている。

(まとめ)

以上をまとめると、現在アカポス事情女性博士取得者の上昇に従い、男女比は改善しつつある。しかし、一定の低い分野や上昇の鈍さは女性のものの選好も加味する必要があると言える。

しかしながら、現在進められているAAはこの結果を見ずに、ただ数値目標的に女性比率を上げようとしているものが大半である。これは平等担保されるべきである選考を無理矢理歪めた結果平等であり、断じて許されるものではない。理工系などでは、その歪みによる若手のダメージは深刻である

百歩譲って過去に機会レベル男女差別があった事は認めよう。しかし、男女平等一定水準でインストールされ育ってきた、我々若手男性が不当に差別を受けなければいけないのだ。看護系や美術系に男性が少ない事は、一切問題にしないのに、一部の理工系だけ捕まえて無理なロジックを使わないでほしい。

こっちは今後家族を養っていく事を踏まえて、覚悟を決めたチャレンジをしているのに"自己実現(笑)"みたいなノリで遊びに来ないでくれ。

実際に現場レベルで何が起きてるかと言えば、外国人留学生女性とか教え子を2年とか助教として置いて、外国人1 pt, 女性1 ptと点数稼ぎしてるだけじゃないか。何の意味があるんだ。

声のデカ女性研究者が声高にAAを礼賛し、少しでも反論すれば差別者呼ばわりするのも辟易する。謎のポンチ絵反論したり謎ロジック脅迫しないでくれ。せめて科学者なんだから論理的整合性を取ってくれ。

貴方たちが求めるアカデミアが、結果平等で男女比が均質な世界なのなら、立場の弱い私たちは受け入れて生きていくしかない。ならせめて、加害している事を受け入れてくれ。痛みも背負った戦いをしてくれ。アクロバティックに被害者にならないでくれ。いっそ「差別者だった性別の方に産まれたのが運のツキだったな!バーカ!死んでやり直すんだな!」とか言われた方が気持ちがいい。それなら我々は、男としてこの時代に生まれた事を受け入れて去っていくから

恐らくこれを外で言えば、我々男性は一瞬でアカデミアから消されるだろう。もう動き出したのは止まらないし、誰も変えられない。我々20代からすれば抑圧者はいだって女性である

感情的に書き殴ったが、以上が今のAAに対する素直な気持ちである。これだけ間違っていても私は科学が大好きなので、科学をしながら家族と生きていける未来模索していこうと思う。

改めて言おう。AAなんてクソ喰らえ

youtubeで「急におすすめに出てきた」というコメントを見ると心がざわつく

私は基本的にはおすすめしかみない。

から基本的には同じような動画しか見ていない。

しかyoutubeおすすめの中に今までとは違うジャンル動画を1個2個入れてくる。

その動画を俺が見れば、今度はおすすめにそのジャンル動画を入れてくるようになる。

これはユーザーを飽きさせない仕組みだろうと思う。

まり私が見たことのない動画おすすめするということが毎回あることは分かる。

その動画は私の動画を見る幅を広げるためのものだろう。

お勧めに出た動画に出てきて、私の好みに合っていた動画を見るときは新鮮な気持ちで見ることが出来る。

しかしそこでコメントを見てしまうと一気に最悪な気分にさせられる。

「急におすすめに出てきた」というコメント

こいつは多分なにもyoutubeの仕組みを理解していないのだろう。

かに何年も前に投稿された動画をいきなりおすすめする意味は分からないが

しかおすすめ動画を見ているなら、私たちは常に急におすすめに出てきている動画を見ているんじゃないのか?

そんなアホと同じようにおすすめ動画を開き動画を見ているという現実

いや分かっている、私はこいつと同じレベルだ。

ただただ自分失望する。

youtubeおすすめを言われるがまま見ている思考能力を失ったロボットだ。

はぁ自分を変えたいけど、youtubeしか見るものがないので見続けている。

コメントは見ないようにしないといけない。

なんだっけ。忘れないうちにメモ


最近ゴッホ絵画など芸術作品トマトスープをかけたり、ウォーホルアートカーに小麦粉をかけたりする気候変動対策を訴えながら過激抗議活動が耳目を集めている。

ブクマもよくされているが、ほとんどが環境テロ、という認識で眉をひそめたコメントにあふれている。

もちろん許されない犯罪として国内外報道されているわけだが、しかし、海外メディアでは、テロという表現ラベリング)は少なく、抗議団体自称するCivil resistance市民抵抗)という表現を紹介していることが多い。正直、この種の活動で昔から有名なグリーンピースもそうだが、テロ呼ばわりされてもおかしくない運動ではあることは確かだが、報道ニュートラルに構えているのだろう。

そんなおり、斎藤幸平が、「ゴッホ名画にスープ投げ」を理解しないのは、日本人想像力の欠如だ、と述べてブコメから総すかんを食らっていたのをみかけた。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/toyokeizai.net/articles/-/631285

しかそもそもテロという認識日本では強いのはわかるけれど、実は欧米での反応というのはそれほど強くなく、むしろ彼らが自称するCivil resistanceへの一定の理解の上に立った報道も多く見受けられるように思える。

https://time.com/6234840/art-climate-protests-margaret-klein-salamon/

そして、よく考えると、そもそもテロまがいのデモというのは、現代人権歴史を振り返ると、一定程度、社会変革の不可避な副産物として、憲法などのシステムビルトインしてきた経緯がある。典型的かつ最初の事例は、20世紀初頭の資本主義社会における労働環境を前提とした社会権。

この問題は二つの視点から興味深く、注視している。

ひとつは、抗議のコンセプトの抽象性。

もうひとつは、抗議運動市民社会的な価値

抗議運動抽象性について。

https://artnewsjapan.com/news_criticism/article/508によると、世界的な環境活動グループ「Extinction Rebellion」の共同創設者であり、ジャストストップ・オイル活動に加わっているサイモン・ブラムウェルは、アートニュースインタビューで、若い活動家がこの抗議行動のスタイル選択した理由を次のように説明する。

「これはアートの美しさを否定するのではなく、今の私たち優先順位絶対的おかしいということを言いたいのです。アートに美を見出しギャラリーを訪れる人たちがいる。にもかかわらず、消えつつある太古の森の美しさや、日々絶滅していく何百もの生物たちには目を向けないのです」

アートの美しさを否定しないといいつつ、美の概念の相対化というか、再構築といった意味では、形而上学的な禅問答である

この説明を聞いて、素直に納得できる人の割合が多いか少ないか、という視点でみると、ヨーロッパに比べると恐らく日本人は少ないだろう。

アリストテレス時代から愛だの美だの徳だのといったことをテーマに発展した形而上学から学問が枝分かれしてきた欧米と、近代以降のすでにたこつぼ化した個々のジャンルとして完成形をみた成果を受け取ってそれを解読して発展してきた日本では、こういう抽象的なテーマの抗議の趣旨理解できるのは圧倒的に少ないだろうと想像できる。

これは、作品の美の価値が分かればわかるほど、スープをかける行動の意図もわかる、という構図でもあり、実際、被害を受けた美術館環境問題の意義に言及するなどしている。作品に接したこともなく、それこそ「ウォーホル」だ、「ゴッホ」だと資産的な記号程度にしか理解していない人ほど抗議行動の意図自体を測りかね、なんじゃこの奇行は?という反応になっているようにみえる。

そういう意味では、当然、環境急進派の行動は、そもそも抗議の意図が分からない地域では成功しない(日本ではテロ以外の認識は生まれないだろうし、絶望的に無理だろう)。

しかし、欧米では、意外と功を奏しているのかもしれないと思える。感心はしないが、ああ、なるほどね、くらいの素養のある人は日本よりは多いだろう。

おおざっぱにいうと、日本人経験から教訓を得て社会設計をしていくのが得意。いわば帰納法的な解決が染みついている。一方、欧米、ひろくラテン系言語圏含めて、日本人とは比べ物にならないほど、なにかにつけ演繹的な入り方をする。言葉定義からまり指導原理を引き、タスクを明示する、という物事の進め方へのこだわりが強い(日本人自分からみると)。

組織でも、経験常識が共有できていないと不安なのが日本人

一方、構造化された概念ルール化された行動原理(法)にのっとって行動する、という相互の信頼がないと不安なのが欧米社会。そこに、デモ過激運動の機会に、自分たちが共有していない別の概念オルタナティブとして提示されたときにみせる反応というのは、おのずと異なる。


そのもうひとつ理由が、市民不服従という考え方や人々の認識の違い。

日本人社会迷惑をかけるのがとにかく大嫌いなのだ

欧米では、恐らく日本人想像している以上に、Civil resistanceというアプローチ自体価値社会変革のダイナミズムとして認めている。

それが今回の場合、限度を超えたものであり、法的に違法である、というときに、運動趣旨理解はするが違法である、という具合に飲み込みながら。

この違法性というのは、実は重要視点。それを理解するには、市民社会根本から支える憲法など、法について考えないとわからない。

近代から現代20世紀に法の考え方が近代法が大きくバージョンアップした際に、社会権が組み込まれたのは、中学生で習う話。

日本学校では昔から社会権を生活保護など、上から目線な形で教えてきた傾向があった。

しかし、社会権のうち、争議権を思い出してみればわかるように、実際はボトムアップな契機をはらんでいる。

他者危害禁止近代法の原則をはみ出した形で、ストやピケなど市民的な抵抗暴力性を認める市民権が存在する。

考えてみれば、他者に損害を与え暴力的な行動をとっていい、というのが「労働」に関してのみ例外的憲法に組み込まれている、というのは、よくよくなぜなのか歴史を知っておく必要がある。一歩間違えれば、革命トリガーになりかねないボトムアップ暴力。これをあえて憲法に明記するのは、明記することでコントロールしたいという、上と下のせめぎ合いのようなものも感じる。しかし、なんだったらいつでも政府おかしければ転覆して革命をおこせるんだぜ、と市民に思わせておく、オーナーシップ感覚絶妙バランスで持たせる機能果たしているともいえる。

マルクス時代、そしてワイマール憲法時代社会権を育んできた思想運動社会歴史のなかで、当時「労働」が最重要課題で、社会権の大きな柱として考えられたのは自然な流れだっただろう。抵抗暴力は、労働問題を争うツールであるというのが20世紀だった。しかし、抵抗暴力資本主義社会のなかで、たまたま労働キーワードになっただけであって市民社会としては、労働である必然性はない。20世紀には「環境」といったテーマシステムビルトインされなかったわけだけど、80年代後半にブルントラント委員会が「我ら共有の未来」といって今日SDGの原型となるコンセプトを立ち上げたときに、労使間に代わる、世代間の闘争といったことがテーマになりうることはうすうす予測がついていたように思う。

なので、抵抗暴力労働問題ではなく、環境をめぐる世代問題だとしても、その新たなムーブメント市民社会における意義が注目されるのも自然な流れだ。

ここで、はい違法です、はいテロです、といってしまうのは簡単だが、思考は停止する。


一方日本では。

労働」というキーワード戦後日本ははじめて市民不服従権利を手にした。市民社会における抵抗という考え方に「労働」というコンセプトが、時代要請でむすびついていた、というのは押さえておくべき文脈

GHQの五大改革から。勤労者から労働者への主体認識の転換。

しかし、その権利過激行使は、1950年代から60年代大衆の心を猛烈にイラつかせた。

日本高度経済成長を支えた大手企業は、大規模な争議に悩まされた。

民間では、1960年三井三池炭鉱紛争など半年を超える争議も珍しくなかった。しかし、ほぼ100%ユニオンショップで、従業員全員が労働組合員という会社組織風土のなかでは、会社家族みたいなものであり、労使一体みたいなのが当たり前であり、60年をピークに民間の争議はピークアウトする。そのなかにあって、国鉄だけは年中行事のように、順法闘争ストライキを繰り返して市民生活に甚大な影響を及ぼし、会社のみならず社会的に損害を与えた。さらベトナム戦争反対や成田闘争など、新左翼政治闘争が加わっていくなかで、日本人のいら立ちは頂点に達していく。

国鉄やら共産党やら新左翼にひどい目にあわされた、という日本社会のこの経験というのは、争議だなんだといっても社会迷惑をかけてはいけない、という教訓を強く残し、憲法に組み込まれ暴力的な契機をできるだけ抑制的にするべきだ、という認識支配的になるきっかけだったんだろう。1973年最高裁は、それまでリベラル保守裁判官の間で揺れ動いていた官公労組の争議権の是非について、完全に保守化の方向に舵をきり、封殺する結論に至る。公労協のスト権奪還スト(1975年)を時代の潮目に、公社民営化路線が進められていく。争議権だかなんだが知らないが、憲法に書いてあったとしても、市民としては正直、うんざりしてしまったというところだろう。戦後、長い間、政治闘争旗手として大きな存在だった総評、そしてその大半を国労が占めていた時代は終わる。

ということで「労働」をキーワードにせっかく手に入れた不服従暴力は、迷惑をかけんじゃねーという市民社会常識を繰り返し強化する経験を重ねることにより、空洞化した。

その後の日本社会では、エスタブリッシュメントと化して長い間、社会運動の先頭に走っていた労組が今度は勢いを失うと、どういうことになるか。

例えば、正規雇用非正規雇用ギャップみたいに新たな問題が浮上してきたとしても、ユニオンショップ非正規も入れてあげたほうがいいんじゃない?、という手続き的な、上から目線的な議論の仕方に収れんしてしまう。日本社会があまりにも保守化してしまって、そもそも争議という暴力的な手法は何のために憲法というシステムに組み込まれたのか、根本的な思想がわからなくなってしまっているようにも思える。言い換えると、憲法さらメタ視点からとらえる思想的な背景がさらに弱くなっている。

歴史を振り返ると、20世紀初頭、メタ視点があったからこそ、資本主義社会の現状と課題に即して、社会権という新しい権利が組み込まれたのだが、現行憲法を頂点とし、人権普遍性憲法の最高規範性を強調してしまうと、憲法思想根拠はと問われたときフリーズしてしまう。日本では制憲者の意思議論は起こらず、代わりに基本書読め、といってなぜか憲法学者に振られるのが定番。(制憲者があいまいなのも諸悪の根源かもしれないし、ステートに対するネイションオーナーシップの違いとも思える。)

欧米環境運動というのは、あるいはLGBTも同様だけど、恐らくそうじゃないんだと思う。

既存規範に書いてないものであっても、新たなムーブメント意味真剣に見極めようとする思想文化があるんじゃないと思える。

そのムーブメント暴力性を違法認識しつつも、時代ダイナミズムとしてとらえようとする、というか。

繰り返すと、

・美の概念など、概念の構想力、概念について深く考えたがる文化の違い。

憲法など国の根本的なシステムアップデートするのに必要社会ダイナミズムへの関心の低さ。

この二つをひとまとめにして、斎藤平氏のように想像力の欠如といってしまえるのかもしれないが、因数分解すると、社会設計をするのに基本的重要な2つの能力、この二つには欧米社会と大きく差があるように思える。

私が流産経験するとは思ってなかった

妊娠検査薬で陽性反応が出たのが10月2日

出来たら良いねって話してた矢先で嬉しさよりもびっくりが勝ったのが本音だけどついに親になるのか…っていう不安もあった。

産婦人科に行ったら妊娠はしてるけどまだ小さいから3週間後にと言われとりあえず妊娠してる確認だけ取れた。

10月7日だんだん出血が止まらなくなり流石にマズいのではと思って10月19日に診察。

成長してるし流産兆候も無いからと言われてまた3週間後の診察に。

11月12日の診察で心拍確認ができるかと思いきや子の形は確認できたけど心拍が無い。

流石に実感なさすぎて泣けなかった。

夫にも心拍確認できなかった事は伝えたけど私以上に実感が無さそうだった。

もう一度念の為11月15日エコー確認したけどやはり心拍確認できなくてこの時点で稽留流産確定。

私は結局一度も子の心臓の音を聞く事もなく9週弱で妊婦が終わってしまった。

そこから稽留流産手術の手続きへ。淡々としててこれが1番辛かったかな。

血液検査心電図測ってくれた看護師さんがとても優しくて。ありきたりだし皆んなに言ってるのかもしれないけど、また会いに来てくれるからはいっぱい泣いても良いんだよ。って言葉で涙が止まらなかった。

一度お腹にに来てくれたからには産んであげたかったなぁ。

11月18日流産手術のため病院へ。エコーで成長がない事を確認。これが子を見た最後だったな。

手術着に着替えて点滴刺されてある程度したら手術台へ。

優しく声かけてくれた看護師さんと再会したのも束の間全身麻酔で寝て起きたら手術終わってて気づいたらベッドの上だった。

最後の診察してお腹の中に何もない事を確認して帰宅

これで私のたった48日間の妊娠は終わった。

こんなあっけなく終わる事もあるんだなと。誰にも言うこともなく相談する事もなく。

両親に話したら喜んでくれるかなとか、友達に報告できたらなとかうっすら夢見てたけど本当に妊娠して子どもが産まれる事は奇跡なんだなって身をもって実感した。

術後はびっくりするほど普通。私の頑丈さを子にも分けてあげたかったな。

今はネット広告記事マタニティ関連なのがなかなかダメージ受けるけど拒否反応とかではなく。

また会える準備期間なんだと前向きに捉えて元気に過ごします。

今度はね、心臓の音も聞きたいし、無事に育って欲しいし抱きしめたいよ。

またいつでもいいか私たちの所に会いに来てね!

2022-11-19

自分には何をどうできるか

他人を変えることは困難だから自分の考えや行動を変えるしかいから、こういう言説にたどり着く。

そのこと自体は至極当然のことであり、例えば上司に対して不満がある場合に、ただ不平不満を述べて終わるのではなく、「自分には何をどうできるか」という視点に立ち、上司に先回りしてあれをやりこれをやる、準備しておく、といった対応可能だし、既にそうしている。

ただ、皮肉にもそうすることで、私や周りからの先回りがなければ自らは何もできない、何もしない、ますます悪い(?)上司に成り下がるという結果になってしまった。

おいしいところだけは確実に上司がもっていき、私や周りの人間努力評価され、報われることはない。

世の中自主性とか主体性とか厳然たる結果成果よりも、こうやって「うまく立ち回る」能力を磨いたほうが圧倒的に得なんじゃねーの。

「そんなやつはいつかは淘汰される」と考えられなくもないが、そんな状態が5年以上続いているのだから組織のもの陳腐化しているのでなければ、やはり私たちの側が「うまく立ち回」らなければならないということか。

モチベーションは著しく大きく削がれた。。。

インボイス反対活動家さん「私たち活動新聞にも採り上げられました!」

し ん ぶ ん 赤 旗

 

なるほどねぇ…

やっぱりこれ「男らしさ2.0」じゃん

#MenWithWomen とは?

「#MenWithWomen」は、ジェンダー平等社会にふさわしい男性のあり方を普及・推進するプロジェクトです。

ジェンダー問題と聞くと、おそらく「女性問題」と捉えている人が多いのではないでしょうか?

ですが、女性差別を生み出し、維持しているのは男性中心社会であるため、これは「男性問題」に他なりません。

それゆえ、男性こそ当事者として主体的女性差別の解消を推進するべきだと思います

そのムーブメントを起こすべく、私たち2022年11月19日の「国際男性デー」を機に新しいプロジェクトスタートしました。

それが「#MenWithWomenメン・ウィズ・ウィメン」です。

https://men-with-women.com/

2022-11-18

anond:20221118232134

うるせえよお前らどうせ「ンーあの学生ちょっと向いてなさそうですね^^;ASDっぽいですもんね~社会出たら困る感じの。それでも学生なら私たち教員は診断も下せませんし、何も言えませんよね^^;本人が気付くのを待つしか・・・^^;」とか言いながら仕事してるだろ

学生のため思うんなら日和ってないで言ってやれよ

お前らの商品学生なんだろ?

anond:20210512142829

業績や能力、将来の科学振興より男女平等が優先される。

これは私たちフェミニストの総意。



ちなみに女性定義性自認なので男性性自認が女ということにすれば応募できる

2022-11-17

anond:20221117110837

うそつけゼレンスキーはこう言ってるぞ

「私が空軍司令部からザルジュニー総司令官への個人的な夜の報告を疑うことはない。私は、それが私たちミサイル、あるいは私たちミサイル攻撃ではなかったということを疑っていない。私には、彼らを信頼しないということには、意味がないのだ。私は彼らと戦争を乗り越えてきた。私は、多くの首脳と話をした。私には、『ウクライナ現場に通してもらえないか?』というシンプル立場がある」

https://www.ukrinform.jp/rubric-ato/3616036-zerenshiki-yu-da-tong-lingporandohenomisairu-zhe-dannitsukisorega-sitachinomisairudenakattakotowo-yitteinai.html

2022-11-16

朝日新聞私たち希望を抱かせてください!」

朝日新聞私たちが誇れる日本になってください!」

AIロボット早く発展してくれ

子供労働力にしなくてもいい世界に早くしてくれ

子供労働力として必須世界じゃなくて

もっと嗜好品みたいな世界にしてくれ

 

別にそんなつもりで作ったわけでも何でもないのに

私たちの子供が日本の将来を支えるんですよw

みたいなドヤ顔してる連中を一掃してくれ

 

将来ゴミ老人のために働かされるためじゃなくて

純粋に二人の愛の結晶として子供を作れる世界にしてくれ

本日スマホ全部忘れる増田朱眞ル玲スワ奉膳帆マス津人保(回文

おはようございます

今日全部携帯スマホを家に忘れて来ちゃいました!

シムの入っていないスマホだけはあるけど、

かろうじてそれで今日は生きるわ。

でも全く携帯スマホを忘れても支障ないところがいいわね。

何も困らないけど唯一、

ログイン認証の時に手からから揚げを出しながら二段ジャンプするとき必要なので、

今日はそう言った不意のログアウトしてログインして

ヤシの木を探すゲームをするのには遭遇したくないわね。

困るのはこれだけかしら?

あとはヤシの木だけど、

これ正解!ってあなた画像選び認証言ってるけど

それソテツだかんね!ってもはや突っ込みどころ満載で正解の画像選びが超絶難しい、

横断歩道を探せ!とか

バスを探せ!とか

あの突然出てくる画像認証というかあのクイズ

この車は日本で言うとバスなのかしら?な海外ではバスかも知れないけど。

そう思いながら今日は全部スマホ忘れちゃってるので、

しくよろです。

そんでさー、

こないだ出掛けるときにお財布忘れちゃっててこれどうしようかな?ってパスとか入ってんのに!でも戻っておにぎり握り結び直している時間がないっ!ってぐらい家に戻るのも億劫で、

どうしたものかと思ったけど、

腕時計に入ってるスイカとアイディーで今日は戦うわ!って

案外財布自体なくてももはや暮らしていけることを発見してしまったわ。

となるとさー

スマホ忘れちゃってても困らない現実世界の中

スマホで何やってるの?って感じになるじゃない

もはや情報摂取するデバイスとしての役目の機能目的しかなくて

私たちラーメン屋さんでラーメンを食べているのではなくて情報を食べているんだよ!って

美味しんぼ山岡さんがそんなこと言ってるような気がするぐらい、

明日たここに来て下さい!本当の情報を食べさせてやりますよ!って

情報再生する端末なのよね。

でも

時計かにそういうの入ってるから

かろうじて世の中には存在していることとしていけるけど、

それこそいろいろと機能の入ったそういう腕時計スマートに家に忘れちゃう

もはや不便極まりまくりまくりすてぃーな

結構そうなると終わった感があるわよね。

さすがに何も電子デバイスを持たずに丸腰で世の中やドコモショップに行くバックアップなしの母親のようにだと

電車にも乗れないから、

丸腰のまま外に出るってことはないわよね。

車だと一回そう言うことがあって

カローラIIに乗って買物に行ったけど財布を忘れてそのままドライブな陽気なパフィーの歌をカニ食べたい曲だと思ったら「アジアの純真」だったってぐらい!

かに!ってことよね。

今だとかろうじてスマート腕時計クレジットカード入ってっから

カローラIIに乗って買い物に出掛けても財布を忘れていても

そのままドライブで今度は「渚にまつわるエトセトラ」をお気に入りエフエム局にリクエストして採用されるまでってわけにはいかないので便利だわ。

ゴルゴサーティーンの依頼を頼むときの回りくどいやり方だと

同じ番組で同じ局が何度もリクエストされて採用される不自然なっちゃうぐらいだから

まあスマート時計があったらスヌーズ知らずで朝も起きられるもんってものよ。

それぐらい便利!

もう私スマホとか財布とか全部忘れちゃっても

アジアの純真を間違ってリクエストしない

渚にまつわるエトセトラだってことを覚えておけるわ。

世の中そんなものよね。

うふふ。


今日朝ご飯

彩り野菜サンドイッチよ。

野菜も私食べるのよちゃんと。

発表していないだけよ。

今の時期のシーズンはベーナーで美味しく鍋で野菜も摂れるしね!

トマトって貴重なので、

サンドイッチから摂取よ。

デトックスウォーター

緑茶ホッツウォーラーね。

急須すら出すのがめんどくだったので、

例の出汁パックに緑茶お茶っ葉を入れて

ホッツウォーラー投入で

後片付けも簡単ホッツ緑茶ウォーラーね。

寒いので温活で温めて目覚めよ


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2022-11-15

anond:20221115182306

文章読みました?

今まで女性は不当に扱われてきたので男性が矢面になるべきという話です。

もちろんその他の面でも女性優遇してね。

だって私たちはこれまでかわいそうな扱いをされてきたんだから

2022-11-14

憧れのあの子オタクになって縁を切ることになるまで

 私が高校時代から憧れていて大好きだたった彼女が、オタクになって一緒にいるのが不快な、縁を切りたいと思う女になってしまった。彼女LINE非表示にし、インスタとTwitterフォローを外したら無性に悲しくて、この文章を書いている。

 高校時代彼女は輝いていた。バトミントン所属で、小柄で可愛らしい顔立ちに明るい性格彼女クラスでも人気者だった。両親共歯医者さんの家の娘さんで、本人も頭も良くて、制服の着こなしも持ち物も垢抜けていた。私たちたまたま席が隣になったのがきっかけで仲が良くなった。マクドナルドポテトを食べながら栓もないことを喋り続けたり、道でナンパされれば二人して手をつないでダッシュして逃げた(走りながらゲラゲラ笑った)。毎日が輝いていた。私たちは無敵だった。

 彼女歯医者さんになるための大学、私は普通文系大学と進学先は別だったけど、私たちは相変わらず仲良しだった。大学に入って髪を金に近い茶髪に染めて、明るい色のギャル服を着た彼女が眩しかった。彼女には当時、同じ大学同級生だという彼氏がいて、彼はおとなしそうな男の子だった。彼女の持つ溌剌とした雰囲気や勝気な態度に夢中になっているようだった。分かるなあ、と思った。

 四年経って私は就職し、彼女はまだ学校に通っていた。私は社会人になってなかなか生活のペースが掴めず、苦労していた。たまに彼女に会うと、その明るさに救われた。ただ、話の内容が学生社会人なので、微妙に噛み合わなくなって来た。彼女の実習期間を忘れてシフトを立てたバイト先の店長に腹を立てて、彼女が休憩室に張り出されたシフト表に、真っ赤なマッキーで「無理です」とだけ書いておいたというエピソードを聞いた時、学生時代のように笑えなかった。アルバイトとはいえその態度はどうなの?と真顔でたしなめそうになった。

 彼女は一回国試に落ちて、専門学校に通った。そこでできた友人の影響と、現役生に比べるとやることが少なかったとのことで、彼女アニメコスプレにハマり出した。26歳だった。遅咲きである。ただ、この頃も彼女にはお金がなかったので、就職したらあれも買う、このコスをする、と嬉しそうに語る姿は可愛かった。早く思う存分遊べるようになるといいねえ、と、社会人4年目で後輩もできて仕事面白くなって来た私は、話半分に聞いた。

 彼女は27歳で歯医者さんになった。実家で働くのかと思ったが、まずは別のクリニックで働き始めた。歯科衛生士助手女の子たちを見下し、愚痴ばかりいう彼女に、やや辟易しながらもまあ就職一年目なんてそんなもんだ、とやり過ごした。代わりにオタク趣味の話を振って愚痴を封じた。彼女は嬉々として好きなアニメ声優ゲームの話をした。この頃から彼女は話しながらもスマホから手を離さなくなったし、すぐにTwitterソシャゲを立ち上げて、指をひらめかせながら会話を続けるようになった。ちょっと態度悪いな、と思ったけど、何かいうほどではないかな、とスルーしていた。

 彼女は30歳になった。実家歯科医院で働いている。上司が親という状況のため、休みの融通をつけては好きなアニメイベントで全国を飛び回り、髪には推しの色だというグリーンインナーカラーを入れて、白衣の下には好きなアニメコラボしたワンピースを着ながら楽しそうに働いていた。

 一緒にホテルランチに行った時、彼女はずっとTwitterをしていた。何してるの?と聞くと、グッズやチケットの交換相手を探しており、これは刻一刻と状況が変わるため、優位に取引するにはずっとTwitterを見ていないといけないと言った。料理が来たら、彼女は徐に鞄からぬいぐるみを取り出して、写真を撮り始めた。それから自撮りも何枚か。何となく食べにくくて、彼女写真を撮り終わるのを待っていた。

 彼女食事をしながら写真を加工し、それもすぐにTwitterに載せていた。見せて、と言ったら当該写真を見せてくれた。ぬいぐるみの方は、彼女の向かいに座った私の胸から下が背景になっていた。顔は写ってないとはいえちょっとやだな、と思ったし、写真アップロードするなら一言言って欲しかった。彼女自撮りは、真っ白い肌に緑の目の、漫画じみた女の子に加工されていた。感想が言えずにいると、「今日○○ってキャラ意識の化粧と服なんだよね〜」と彼女説明してくれた。今時見ないくらいに真っ黒なアイラインや目の下の真っ赤なアイシャドウはそのせいか、と思った。それに、お人形みたいなフリルレースのついたワンピースも、普通の服ではなくコスプレ衣装的なものらしい。

 ずっと行きたかったランチだけど、一人で行った方がずっとマシだった、と、今度はソシャゲを2台のスマホでやり出した彼女をみて思った。

 私たちは32歳になった。私は春に結婚する。昨日はその報告を彼女にしたくて、お茶に誘った。何となく疎遠になっていたので、会うのは一年ぶりくらいだった。彼女11月なのにピンクの薄手のカーディガン一枚に、プリーツのミニスカート姿だった。前にあった時より、みちみちに太っていた。二つ結びにされた髪は、今度は裾だけ濃いピンク色になっていた。薄いピンクカーディガンも、ミニスカートも、長い髪を耳の下で二つに結んだスタイルも、高校時代彼女が好んだ、そして、私が憧れていたスタイルだった。眩暈がした。あ、私の好きだった彼女は死んだんだ、と思った。私たちドトール(本当は行きたいカフェがあったが、この奇妙な服装の太った女と、素敵なカフェにはとてもじゃないけど行きたくなかった)に行き、彼女旅行した話(相変わらず、好きなアニメ声優イベントのために飛び回っているらしい)を聞いて、小一時間解散した。結婚の話はできなかった。したくなかった。それに、そもそも彼女は相変わらずスマホに釘付けのまま、私の目を見ることも近況について聞くこともなかった。

 そして私は家に帰り、彼女LINE非表示にし、何となくフォローしていたインスタもTwitterフォローを外した。失恋した時よりも辛くて、ちょっと泣いてしまったため、婚約者喧嘩でもしたのか、と心配していた。喧嘩の方がマシだったな、と思った。

 えり、見てる?(見てるわけないだろうけど)。私はずっとあなたに憧れていて、あなたが好きだったよ。時間を巻き戻せるなら26歳のあの一年に戻って、もっとあなたの話を聞いて、あなた漫画アニメに没頭する時間を減らしたいよ。27歳のあなたのところに行って、オタクの話をして誤魔化すんじゃなくて、仕事の辛さについてもっとちゃんと聞いてあげたいよ。30歳のあなたのところに行って、私といる時はTwitterやめて、私とちゃんと話して、って怒りたいよ。

 あなたオタクになって、楽しくて幸せなのは分かるけど、私はまだ明るくて可愛いあなたと過ごす未来を諦められないよ。えり、寂しいよ。でも絶対結婚式には呼ばないし、もう会わないよ。だってあなたと並ぶと恥ずかしいし、惨めになるからさよならえりな

友達結婚すると激怒する女オタク気持ち

ちょっと理解できたかもしれない。

まり自分と同じように、今までと同じように、趣味友達に全振りした生活を送ることを捨てた」ことに対する憤りなんじゃないだろうか。

私(30代未婚彼氏なし)は18歳のとき友達彼氏ができてめちゃめちゃショック受けて、それでもう私たちは今まで通りじゃいられないんだって悟ったので、友達彼氏できたり結婚したり子ども産んだりなんて当然のことなのに何でそんなに心を掻き乱されるのか分からなかったんだけど、

友達がもう自分とは違う生き方を選んだということへの怒り、淋しさ

自分はこのままでいいんだろうかという焦り、不安

③周りがどうであろうが自分自分の思うように生きたいのにままならないことへの閉塞感

あたりの感情がぐるぐるし続けている人がわりといるってことなのかな。

結婚出産=女の幸せ!という価値規範がいまだに強固だということの裏返しなのかもしれないって思っちゃうな。

性格が悪いと損をするっていうけど

明らかに性格悪そうな政治家が跳梁跋扈してるのはなんやねん

と思うので。嘘っぱちだと思う。

 

性格悪いと損をする」

というより

相手利益を与えられる人間にならないと損をする」

だと思う

 

どんなに性格が悪くても利益を与えられる政治家はずっと生き残ってるやん

国民が嫌っていても誰も攻撃できない。あれこそ最強じゃん。

 

「でも私たち性格がいいからね」って負け組同士で言い合ってても寂しくない?

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