はてなキーワード: 教育現場とは
あーなんか「セックスを推奨してるように読める」だけじゃなくて全体的に話が印象ありきになってるな
こちらがそちらが一番聞きたい部分にちゃんと答えられていなかった、ってのは認めるけど
そちらの
あんたが具体的にあげた項目は性行為の作法以外全部現行の教育現場でやってるって言ってるじゃん。んでそれは流行りの同意のプロセスと似たような話だと思うんだけど、コミュ力ありきで察しろみたいな記事しかないけど教育現場でどう教えるつもりなのかが俺はしりたい。
このへんの発言も単なる主観の域を出てないよね。少なくとも「実践的な性教育は教育の範疇を超える」という増田の理屈は自分にはピンとこない。このまま話し合っても平行線になるし、自分の意見の論拠となるデータをちゃんと提示しあって「なにを拠り所にしてそう考えるか・そう主張するのか」を踏まえ直すべきでは?
- 2「性感染症も妊娠もリスクを0にはできません」 間違った知識から卒業しよう(BuzzFeed Japan): https://www.buzzfeed.com/jp/satoruishido/sex-ed-week-hori?utm_term=.jsjvqJPaz#.dhGglvrwx
- 3性教育の欠落で失われる、子ども達の人生(ハフポスト日本版)http://www.huffingtonpost.jp/hiroki-komazaki/the-facts-of-life-children_b_14278952.html
自分が意見形成の過程で見聞きした情報、ないし見聞きした情報と同種の内容が掲載されているサイト。とくに「現状の性教育が不十分である」とする論拠、それから後で書く増田の「実践的な性教育=セックス講習ではない」の根拠ととなっているのは1と5。
1ははてブでもホッテントリに上がるくらいブクマがついていたからもしかすると増田も読んだかもしれないけれど、この記事の中に「1990年代は熱心だった日本の性教育」という項目があり、次のように書いている。
実は、日本の学校教育の現場でも性教育に熱心だった時期はあった。「性教育元年」と言われた1992年からの約10年間がそれだ。1980年代のエイズ・パニックをきっかけとして、「エイズ感染予防のためにも性教育が必要」と言われるようになり、学習指導要領も改訂。「理科」や新たに始まった「保健」を通じて小学校段階から「性」を本格的に教えるようになった。
きっかけは、厚生労働省所管の財団法人・母子衛生協会が中学3年生向けに作成した冊子「思春期のためのラブ・アンド・ボディBOOK」の回収騒動だ。冊子にはコンドームの装着方法やピルの紹介などもあり、2002年頃、国会で「中学生の性行動をあおっている」といった激しい批判を受けた。冊子は結局、全面回収されてしまう。
この当時、国会や地方議会、マスコミを主舞台として「過激な性教育が学校でまん延している」「教室で性交渉の方法を教えていいのか」といった批判が激しくなり、「性教育元年」と呼ばれた動きは教室から姿を消した。
ここを読めば、現在の性教育についての内容が行政の取り組みの段階から過去の教育と比べて後退的であるということが分かる。また3の記事でも00年代初頭の性教育へのバッシングについての言及があり、ここでも同様の見方を取ることが出来る。
「性教育の不十分さ」の可能性については増田も自分とそれほど意見が違っていないようだから、ここはそのまま承服してくれるだろうと思う。
次に5について。これは日本とオランダ、アメリカ、タイといった実践的教育を行っている国との教育内容の比較で、この中からオランダとアメリカの部分を引用する。
オランダでは~(中略)~思春期を迎える前の時期から、性は食事や睡眠と同じように日常生活の一部であり、ごく自然で当たり前のことだと教えられます。小学校によっては高学年でバナナを使って実際に避妊具を被せる実習を行うこともあるようです。
~(略)~
このように、オランダの若者は性に関する十分な知識を身につけているため、10代の出産率と中絶率が世界の中でも極めて低くなっています。
○「総合的性教育(セクシュアリティ教育)」…性を生物学・心理学・社会学など多角的にとらえて1人の責任ある人間としていかに行動するかを教え、避妊・妊娠中絶・同性愛は否定しません。
○「禁欲教育」…結婚まで性交せずに禁欲生活を送ることがいかに重要かを教える教育です。
これ以外のタイでも、これらと同様に単に性機能や避妊方法と言ったごく狭い範囲に教えるのではなく、対人関係、人権の視点と言った多角的な目線で“性”を捉えることを重視している、といったような記述が成されている。
それで、この1と5を踏まえて言えるのは、まず日本の性教育が世界はもちろんのこと“過去の日本にさえ”遅れているということ。また、これだけ行き遅れている状態で性教育についてのカリキュラムを多少なり進展させたところで、それが踏み込みすぎになることはあり得ない、とも言える。
また、コンドームの仮想利用まで教育にとり入れることを容認しているオランダの出産率、中絶率の低さから言っても「踏み込んだ性教育が、乱れた性風紀を生み出すことと直結することはない」というのも明らか。これで自分の
「セックスという行為の存在自体は肯定的に捉えつつ、それはそれとしてセックスする前に必要不可欠な知識はしっかり頭に入れてからやってね」
が単にセックスを推奨するものではない、ということを理解してもらえると思う。
そして最後に増田の言う性教育には限界がある、という主張に対する反論として、先に引用したアメリカの性教育についての文章(抜粋なのでできれば元サイトの文章も)を読んで欲しい。
アメリカの場合は特殊で、「同性愛・避妊・中絶」といった部分までひろく教えるところ、現状遅れているとされる日本さえ先進的に見えるくらいにガッチガチの「反中絶主義・禁欲主義」を掲げるところと、州によって性教育のカリキュラムに天と地ほどの差がある。つまりこれは「性教育の過程で教えるべき知識・教えるべきでない知識」「性教育の限界がどこにあるのか」というのは、単に教育者側・行政者側の主観によってしか取り決められていないってこと。
ともすれば、性教育限界説なんていうのは単なるまやかしで、本当に拠るべきは「性教育の限界がどこにあるのか」なんていう主観でいくらでも変わるものではなく、「実施した性教育が、実社会にどのような結果をもたらしたか」のはず。そしてその「踏み込んだ性教育を実施した結果」は、オランダのそれを見れば分かるように、充分に好意的に捉えていいものになってる。
はじめの増田の記事に自分含めたくさんのブクマが集まったのもこの増田のはじめに書いたように
っていう、主観でしかない「実践的な性教育はセックス講習と同義」「実践的な内容に踏み込むと教育とは違うものになる」という理屈立てをさも自明の理であるかのように書いたからなんだよね。
で、自分含めみんなその理屈立てがそもそもおかしいことに気づききれないまま
コンドームを使いましょう
避妊薬を使いましょう
の部分に突っ込んで、「オーラルセックスの知識は必要」「オーラルセックスの話になる意味がわからない」といったように、概ね「踏み込んだ性教育をするべき」という意見にまとまっているはずなのに、各発言にばらつきが出てしまったわけだ。
それで、この辺の話を踏まえたうえで改めてトラバに言及するけど
元増田でも言ってるんだけど
実践的な性教育って教育の範疇超えちゃうよね。じゃあ、結局性教育ってどうすればいいんよ
ってのが俺の趣旨なんだけど、言いたいことだけ言ってる感すごくない?
まず自分に質問をする前に、増田は自分でさんざん挙げている「教育の範疇」というものについて定義する必要がある。明確な定義付けがなされなければ増田の意見は単なる主観の域を出ないし、主観ありきの出発点で話を始めている以上、そのレールに乗ったまま自分が何か意見を挙げても増田が「それは教育の範疇じゃない」と言えばそういうことになってしまう。これはこれまでのトラバで増田が「どう読んでもお前の意見はセックスを推奨しているとしか読めない」と主張した、またそう主張し続けることができたことから言っても明らかだ。
しかしながらそこで「教育の範疇とは何か」を定義づけするにしても、先に挙げたアメリカ、オランダといった他国の性教育の例を見れば明白なように、教育者・行政者側の視点でいくらでも変わり得る「教育の範疇」に絶対的な基準などないし、もし絶対的な基準というものがあるのだとすれば、その基準にもとづいて性教育のカリキュラムを制定すればいいわけで、増田の「性教育には限界がある」という主張は成立しなくなる。
ただ、こう書いて「煙に巻いただけで、さんざん自分が質問したことには答えてくれていない」と言われるのは嫌だから元増田の
コンドームを使いましょう
避妊薬を使いましょう
自分の主観と、これまでに引用した記事の知見に拠るなら、妊娠リスクを回避しつつ性的快感を互いに感じ合うというのは未成年に依らず性的機能を保持しているあらゆる男女で行われていることだし、別に自分はオーラルセックスの存在を例示するのは何も問題があるとも思わないし、自分はそれが「教育ではない」とは思わない。
ただ、オーラルセックスでも性病の感染リスクはあるわけで、「そうするようにしましょう」とまで言うべきだとも思わない。原則として「妊娠したくない(させたくない)、妊娠しても出産できない状況下では、妊娠リスクを伴う性交渉は最大限避けるように努めるべきだ」としつつ、避妊手段や口淫などの性器同士を直接触れ合わせずに性的快感を感じ合う手段を例示する(実際にそういった手段を行うかの判断は生徒側に任せる)のが理想的だと考える。
どうだろう、増田の意見に沿うかはさておいて、ひとまず確かな一意見の提示として読んでもらえたなら幸いだけど。
2017-08-16 14:29追記: 全体的にタイプミスや意見として明瞭でない部分があったので、論旨は維持しつつ一部文章を手直しした。なんか返信もらえなかったけど、それはそれとしてひとまず読んでくれたのならよかった。
太字を何度読んでみてもそれを実践しようとしたら推奨してるイメージしか浮かばないけどねw言うが易しで理想論だけ言うから具体的にどう教えるのか全くイメージできないんだよ。あんたが自分の子供に性教育する時に具体的に何をどう伝えるつもりでいるの?
なんの異論もない。だからどう教えるのかって話を元増田からしてる
現状の教育が過剰に忌避してるとは思えない。俺も行為そのものを忌避してない。元増田ではオーラルセックスでリスク回避する可能性まで示唆してる。
少なくとも生殖のしくみやエイズとかの性感染症については小学校で習ってたし中学では避妊についても教わった。高校では専門の時間まであった。あくまで形式的な内容で実践性が乏しく実際にリスクに直面した時に対処できてたかは謎だからそれでいいのとは思うけど。
性に関する知識を学校の教育課程に盛り込むことの難しさは理解するけど、だから現状の教育課程に甘んじることを許していい、という話にはならないでしょ
そう俺も思うんだけど、あんたが具体的にあげた項目は性行為の作法以外全部現行の教育現場でやってるって言ってるじゃん。んでそれは流行りの同意のプロセスと似たような話だと思うんだけど、コミュ力ありきで察しろみたいな記事しかないけど教育現場でどう教えるつもりなのかが俺はしりたい。
元増田でも言ってるんだけど
ってのが俺の趣旨なんだけど、言いたいことだけ言ってる感すごくない?
https://togetter.com/li/1129182
私たちは仕事柄罫線をよく引きます。解答用紙の作成なんかがそうです。
wordの罫線機能は終わってます。引きたいところに自由に引けません。縦書きにもうまく対応できません。
がんばって引いても,今度は書きたいところに文字が書けません。やたらと設定が必要です。
皆さんが忌み嫌うセル結合を駆使すれば文字も自由に配置でき,どのような解答用紙でも自由に作れます。
そもそも関数を使ってないので,再現性なんて気にする必要ありません。
エクセルは表計算ソフトであり,これが本来の使い方とはかけ離れていることは承知しています。
ですから代替案を示してください。いままでこれ以上に使いやすいソフトに出会ったことがありません。
エクセル方眼紙並に自由に罫線が引け,文字入力が縦横自在に出来る文書作成ソフトがあるのでしょうか。
一太郎は罫線は確かに引きやすいです。ただ,セルの書式設定という概念がないため,(1)(2)・・・という入力がめんどうです。
エクセルならセルの書式設定で(@)ってやって1,2,3・・・って入力すれば良いですから。
フォントの大きさも「縮小して全てを表示」があれば簡単に設定ができますが,一太郎にはそれがありません。
Illustratorも同様の理由で却下です。そもそも仕事で使うツールに月980円も自腹切るのは変です。
IT系の仕事に就いている方の多いはてな民の皆さんにとって,エクセル方眼紙は目眩のする使い方でつい馬鹿にしたくなるのでしょうが,現場にはこのような需要があることをご理解ください。
セル幅の自由変更,セルの結合という機能をMSが提供している以上,それを使って何をするのも使い手の自由のはずです。
でも,この使い方を続けていくのも嫌です。
理由は沢山あるだろう
注射痕まみれの汚い腹は見たくない
俺ならこれだ
そしてそういう人もいるのだろうと理解して、
注射などどこでも打てるのだからトイレでクソしながら打つぐらいは
もしこれが認められるならば、
朝昼晩陰部に軟膏を塗る事になった俺も会社の昼休みに可愛いあの子の前で陰部に軟膏を塗ってもよいのだろうか?
よいのだろう。
病気なのだから配慮されるべきであり、不純な目的ではなく治療なのだから。
この汚い陰部を見るのが苦手な人もいるだろうなとトイレで塗ってる。
なんかマンコ自体は臭くなかったから生でやっちゃったんだけど失敗だったね。
今25歳以下くらいの若者にききたい
君たちはおそらくブルマを実際の教育現場では見たことがない世代になるはずだ
もはやフィクションでしか見ることのないブルマという文化についてどう思うのか
教えてくれ
俺はちょうど小学校中学年~高学年時にブルマからクォーターパンツへの移行が始まった時代で、
低学年時はみんなブルマブカブカでかぼちゃパンツもかくやというかんじだったけど、中学年とか高学年になって肉感的になってくるとちゃんとパンツの形になって絵六なっていたことを覚えている
水着だとはみけつをなおす
一枚うすくなるたびにうすくなるものをなおしているんだなあ
話がそれた
とにかくブルマだ
さすがにドラゴンボールのブルマって名前みて下ネタがなにかわからんレベルではないとおもうが
どうなんだろうな
どうなんだろうな
4月初め、かわいい我が子と幼稚園の門をくぐったならそのまま「保護者の方はこちらへ」と
そして、前会長がPTAとして幼稚園と関わる素晴らしさを一通り語ると、
この役とこの役と…これを決めてください!と教室の扉の前には前年度委員が仁王立ちし、
上の子どもがいて内容を把握されている方の立候補が一通り終われば、残りの保護者はPTA役員から逃れようと下を向き続ける。
PTAの多くが女性で構成され、働いていようがいまいが協力を要請される。
この我慢大会には前委員からの「なぜPTAをやらないのかわからない!!」とひそひそ聞こえるプレッシャーに耐えなくてはいけないのだ。
時間が無駄になってしまう…このまま決まらないのなら私が…なんて仏心を出したら最後、聞いていた以上の仕事が降ってくる。
(私はここで失敗した。今後この我慢大会に参加される方にはご注意願いたい。)
この役決めに関しては、特定の場所に閉じ込めるという意味では「監禁」、
仕事内容に関しては当初受けていた説明と違うという意味で「詐欺」と私は言いたい。
ちなみに当方は時短で働く兼業主婦、家事も育児も仕事も…あきらめたくはない。
「仕事内容は〇〇だから、働いていてもできるよ~。補佐の協力委員数名いるし平日出られなくても大丈夫!」と確かに私は言われた。
が、現実は違った。(ボイスレコーダーを仕込むべきだったと今では後悔している。)
送り迎えの後の井戸端会議に、PTAエッセンスをプラスしたプチ会議で物事は決まる。
「どーしよー?」「どう思う??」の発言が良しとされ、前に進ませようもんなら、要点つかない返答が返ってくる。
グループLINEへの加入を促され、必要事項のホウレンソウはないまま「う~ん、どうしよ?」が繰り返される。
そして「こんなのやりましたよ(内容はたいしたことない。)」のアピールの場となるのだ。
そしてびっくりなのはPTAには謎の親玉、運営本部があることだ。
つい数週間前に我慢大会の末にババを引いただけかと思いきや、この時点で運営本部の手下となっていたのだ。
だから、ただ役員を引き受けた保護者は子どもたちのために!と同じベクトルを向いて活動するだけだと勝手に解釈していた。
が、私はバカだった。
ほぼ強制的な時間的拘束とウダウダグダグダの足並みを乱すことは決して許されない。
そして女性特有の粘着質な会話を絶えず意識しながら、子どもを人質に取られ親は1年の任期を耐え忍ばなくてはいけないのだ。
あぁ、そうか。
安倍首相の言っていた女性の社会進出の「社会」とはPTAのことだったのか!!
働き方改革、生産性革命とは、PTAの改革のことだったのか!!!
「ベルマークの集計のためにお仕事休めるかな?」って…旦那さんにも同じことが言えるのだろうか?
是非、稼ぎ頭である旦那さんに「明日PTA活動だから仕事休んで」と言ってみてほしいものである。
IT化で作業効率向上やタスクを激減させることができる世の中に、些細な仕事を大勢で取り組むのを良しとするPTA
いや、100歩譲って、教育現場への保護者の関わりが多少必要であったとしよう。
人がやりたがらない仕事こそ価値がある!ならばアウトソースすれば?と思うのは私だけなのだろうか?
予算がない?
やりたがらない保護者から徴収すればいいし、作業をこなした人への謝礼として支払えばいいだけではないだろうか?
「PTA」聞いた事ある組織だが、その中身をしる人は経験した人のみだ。
役員決めでは下を向け!時間は無駄に過ぎ去っているのではない。無駄な時間を耐えることにこそ意味がある!
「PTAへようこそ。あなたもこの素晴らしい仕事をやってみませんか?」
余談
PTAに関連して。
「子どもの学校での活動費になる」と、小さいころからベルマークを集める事を良しとされてきた私は
「なんで(ベルマークのついた袋を)捨てるの?」と怒ったことがある。
ベルマークをパッケージに掲載している企業は「なんとなくいいこと」している企業と思い込んでいた。
が、そのベルマーク集計のために、保護者はPTAからボランティアという名の強制労働を強いられるのだ。
ブラックシステムの元凶である企業に、「なんかいいことしている気がする」というイメージだけで、私は利益に貢献してしまっていた。
非常に恥ずかしい。
小さいころから学校という教育現場でベルマークを集めるという行為こそPTA主管のもとおこなわれる洗脳教育であり、
なんか今バズってるらしい男性保育士の記事だけど最後の方に問題がたくさんあって怒りが収まらないので自分の思考を整理するためにメモします。
https://travel.spot-app.jp/hoikuen_nagahashiryo/
たくさんコメ(http://b.hatena.ne.jp/entry/s/travel.spot-app.jp/hoikuen_nagahashiryo/)がついているようだけども、はっきりいって的外れ。手ばなしにいい記事とか言ってる人のセンスがわからない。自分の差別意識に気づいていないのかな???
1ページ目の保育の現場のレポートはとてもいいと思います。現場を知らない人がこういうのなんだって知るのは大事。
このページの前半も、とてもいい。
保育園の整備の必要性だとか、保育士の専門性、子育てを核家族が担うのは限界がある現代で、保育園が保護者に子育ての専門知識やスキルのインプット・サポートになっているという指摘は本当にその通り。
https://travel.spot-app.jp/hoikuen_nagahashiryo/2/
千葉市長の掲げた「男性保育士活躍推進プラン」にSNSから批判がたくさんあったことに関する話に及んだところで、千葉市長は、自分にコメントを寄せたアカウントなどを全部過去発言なども遡って調べたと言って、こう述べる。
「マジです。この問題は、真面目に研究しなくてはならないと思いまして。で、調べていくと、“ジェンダーフリー”の生き方を持った方々で、例えば女性の権利を守るために活動している方が非常にこだわっていらっしゃることも分かりました。もちろん、保育園に預けていた経験のある方で反対意見を出していた人もいましたけれども、それは本当にレアなケースで。例えばその人たちの中には、“旦那が自分の娘のオムツを替えているだけでも嫌”みたいな意見を言っている人もいました。でもそれはもう、ポリシーの話ですからね。生き方の」
ここのあたりの段落よんで、それまですごくいいねこの記事!って思っていた心がボキっとへし折られました。
私の周りで男性保育士活躍プランが出た時に批判していた意見を思い出すと、(かなりざっくりまとめると)実際に現実に起こっている小児への性的虐待をいかに防ぐか、そこが大事なのに、その議論をしなくて男性保育士を増やそう〜っていうのってどうなの?っていうことだったと記憶している。
(市長も「自分に寄せられたコメントを調べて」意見を言っているので、私も自分の周りでみかけたコメントから意見しますね)
で、そういうコメントの多くは、過去に学校とか教育現場で男性の教育者、あるいは家族や親族の中で年長の男性から向けられる性的な眼差しや振る舞い、そういったものに感じる「いやーな感じ」を思い出して、「やめてほしい」っていう感覚を抱いている、そう見受けられた。
この千葉市長の答え方の問題点は、そういう、過去の性被害体験につながるようなものも含まれているはずの批判を、十把一絡げに「“ジェンダーフリー”の生き方を持った方々」と雑にまとめてるところだと思う。はっきり言ってこれはセカンドレイプではないですか?
この発言によって、「性的虐待の心配がある」という指摘が、「うるさいフェミニズムがなんか言ってる」という文脈にすり替えられてしまっていて、問題が矮小化されて対策が全く取られなくなってしまう。子どもを主役に考えるはずなのでは?子ども守れないよねこれじゃ?
性的被害やそれを守ろうとする人の意見をこうやって矮小化するのは、被害を防ぐことはできないどころか、温床にしてしまう可能性もあって本当に危険。
「とはいえ、例えば“性犯罪の9割が男性だ”という意見なども出ていました。こういう意見は、男性として受け止めなければいけない現実っていうこともありますよね」
「それはある種の真実でもあるし、そのご意見に至るなんらかのご経験をされてきたことを受け止めなければならないと思います。しかし、我々が議論しているのは、保育という世界の話です。ですから、保育という中において望むべきものについて、少なくても公的な側はしっかりと筋を通さなければならないと思います」
ここにきてトンデモ感が倍増。保育の世界の問題、と切り取って、対策を打とうとしないのは、いじめの問題を教育現場で「教育の問題なんで」って言って、本当は暴行脅迫、金銭の搾取なのに刑事事件にしないのと同じくらい悪質。
そもそも、ジェンダーフリーの何が悪いんですか?と小一時間問い詰めたい。
インタビューの最後の方で、「“男性の子育て”を多くの市民に理解してもらうという意味もありましたけど」とか言っているくせに、なんでジェンダーフリーに批判的なの?
ジェンダーフリーってそもそも「女性を守る」ってこの市長はインタビューで言っているけど、女性の方が男性に比べてハードモードだから、そこから守ろうよって言っているだけで、別に男女の間に格差がなければわざわざ守ろうとしなくてもいいはず。
女性の方が小さい・若いうちからレイプに遭いやすかったり、性的搾取(JKビジネス、って狂ってるよね、まだ学校行ってる高校生で医学的にも発達過程だったりするんじゃないの?な存在で性的サービス受けるとかさ…)されやすかったり、女性だけ家事育児を担うような風潮があったり、その影響で男性が正社員長時間労働化するから男性の方が賃金高くなって格差があったりするから、そこをイーブンにしようとするだけじゃん?
だから、ジェンダーフリーになったら、子育てに理解のある男性も増えるし、男性保育士も増えるだろう?なのに、そういうダブルスタンダードに気づかずになんとなく言っている。
そういうところが、ほんと〜〜〜にムカつきました!
あと、そもそも論として、「男性保育士活躍推進プラン」の政策的な面に対して分析すると、ダイバーシティを促進するために男性保育士の働きやすい環境を整備するというものらしいんですが。
https://www.city.chiba.jp/kodomomirai/kodomomirai/unei/documents/danseihoikusi.pdf
これ、つまり、男性保育士の数がめちゃめちゃ少ないから、将来男性保育士がこれだけ増えるように数値目標を立てましょう。それを達成するために魅力を発信したり、働く環境の整備をしたりしましょう。ということみたいなんですが。
環境とか魅力の発信もだいじだろうけれども、そもそも根本的に増やすために、じゃあなんで男性保育士がこんなに少ないの?っていうのをまずかんがえてほしい。
去年の待機児童問題の国会の議論以降いろいろ発表されてますが、ざっくり、女性だけで比較しても、全産業平均より5万少ない、男女全部平均すると、全産業平均に比べて10万少ないって言われてる。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201605/CK2016050102000129.html
http://www.sankei.com/life/news/161205/lif1612050042-n1.html
冒頭記事にもある通り、子供の命と発達を担う責任重大な仕事で、最近はブラックな現場も多いというし、それだけ働いて、手取りが少なかったら、そりゃみんな辞めるよね?
ましてや、「結婚したら一家の稼ぎ頭」を期待される性役割分担を負いやすい、男性が、長く働けるだろうか?
だから、男性を増やすという施策をするよりかは、とにかく保育士という仕事の待遇をもっとよくする、根本的にはこれが男性保育士も増える本当の解決策だと思うんだよね。
もちろんトイレとかないんだったらそういうのの整備は大事だけど。でも給料安くてもトイレと休憩室よくなったから続けよ、って思わないよね。
あと、男性保育士批判を批判してる人に、子供を主役に考えてないっていう人いるけど、それも違うとおもう。
子供の性虐待防止のための現場の仕組みをもっとしっかり作ることが、男女関係なく、現場の保育士への疑いも晴らすし、子どもの安全も高める。
あと性虐待ではないけど、保育園での死亡事故は毎年報道されていて、これは根本的には「お昼寝中のうつぶせ寝をさせてはいけない」みたいなスキルの共有ができていなかったり、人手が足りなすぎて泣いちゃってる子どもをぐるぐる巻きにしちゃったりという、結局は現場の保育士への教育・人的リソースが足りていないせいでおきている。
だから、性虐待、暴力的虐待、ネグレクト、いろいろふくめて、子どもの安全性を高めるために、保育士の配置を増やしたり、研修のリソースを増やしたり、ということで対応するべきで。
そういう対応をちゃんとして、男性保育士に子どもを世話されたくない、という恐怖心を持っている人も、男性保育士が増えても大丈夫、って思えるような仕組み作りをしないといけないはずでは。
ネットの世論は福島から自主避難した横浜の児童へのおごりの強制は「いじめだろ!みとめろよ!」っていうのに、保育園で虐待を防ごうよっていう話にはなんでこんなに気づかないんだろうね。まあみんなが保育園行くわけではないからしょうがないのかな…
なんか今バズってるらしい男性保育士の記事だけど最後の方に問題がたくさんあって怒りが収まらないので自分の思考を整理するためにメモします。
https://travel.spot-app.jp/hoikuen_nagahashiryo/
たくさんコメ(http://b.hatena.ne.jp/entry/s/travel.spot-app.jp/hoikuen_nagahashiryo/)がついているようだけども、はっきりいって的外れ。手ばなしにいい記事とか言ってる人のセンスがわからない。自分の差別意識に気づいていないのかな???
1ページ目の保育の現場のレポートはとてもいいと思います。現場を知らない人がこういうのなんだって知るのは大事。
このページの前半も、とてもいい。
保育園の整備の必要性だとか、保育士の専門性、子育てを核家族が担うのは限界がある現代で、保育園が保護者に子育ての専門知識やスキルのインプット・サポートになっているという指摘は本当にその通り。
https://travel.spot-app.jp/hoikuen_nagahashiryo/2/
千葉市長の掲げた「男性保育士活躍推進プラン」にSNSから批判がたくさんあったことに関する話に及んだところで、千葉市長は、自分にコメントを寄せたアカウントなどを全部過去発言なども遡って調べたと言って、こう述べる。
「マジです。この問題は、真面目に研究しなくてはならないと思いまして。で、調べていくと、“ジェンダーフリー”の生き方を持った方々で、例えば女性の権利を守るために活動している方が非常にこだわっていらっしゃることも分かりました。もちろん、保育園に預けていた経験のある方で反対意見を出していた人もいましたけれども、それは本当にレアなケースで。例えばその人たちの中には、“旦那が自分の娘のオムツを替えているだけでも嫌”みたいな意見を言っている人もいました。でもそれはもう、ポリシーの話ですからね。生き方の」
ここのあたりの段落よんで、それまですごくいいねこの記事!って思っていた心がボキっとへし折られました。
私の周りで男性保育士活躍プランが出た時に批判していた意見を思い出すと、(かなりざっくりまとめると)実際に現実に起こっている小児への性的虐待をいかに防ぐか、そこが大事なのに、その議論をしなくて男性保育士を増やそう〜っていうのってどうなの?っていうことだったと記憶している。
(市長も「自分に寄せられたコメントを調べて」意見を言っているので、私も自分の周りでみかけたコメントから意見しますね)
で、そういうコメントの多くは、過去に学校とか教育現場で男性の教育者、あるいは家族や親族の中で年長の男性から向けられる性的な眼差しや振る舞い、そういったものに感じる「いやーな感じ」を思い出して、「やめてほしい」っていう感覚を抱いている、そう見受けられた。
この千葉市長の答え方の問題点は、そういう、過去の性被害体験につながるようなものも含まれているはずの批判を、十把一絡げに「“ジェンダーフリー”の生き方を持った方々」と雑にまとめてるところだと思う。はっきり言ってこれはセカンドレイプではないですか?
この発言によって、「性的虐待の心配がある」という指摘が、「うるさいフェミニズムがなんか言ってる」という文脈にすり替えられてしまっていて、問題が矮小化されて対策が全く取られなくなってしまう。子どもを主役に考えるはずなのでは?子ども守れないよねこれじゃ?
性的被害やそれを守ろうとする人の意見をこうやって矮小化するのは、被害を防ぐことはできないどころか、温床にしてしまう可能性もあって本当に危険。
「とはいえ、例えば“性犯罪の9割が男性だ”という意見なども出ていました。こういう意見は、男性として受け止めなければいけない現実っていうこともありますよね」
「それはある種の真実でもあるし、そのご意見に至るなんらかのご経験をされてきたことを受け止めなければならないと思います。しかし、我々が議論しているのは、保育という世界の話です。ですから、保育という中において望むべきものについて、少なくても公的な側はしっかりと筋を通さなければならないと思います」
ここにきてトンデモ感が倍増。保育の世界の問題、と切り取って、対策を打とうとしないのは、いじめの問題を教育現場で「教育の問題なんで」って言って、本当は暴行脅迫、金銭の搾取なのに刑事事件にしないのと同じくらい悪質。
そもそも、ジェンダーフリーの何が悪いんですか?と小一時間問い詰めたい。
インタビューの最後の方で、「“男性の子育て”を多くの市民に理解してもらうという意味もありましたけど」とか言っているくせに、なんでジェンダーフリーに批判的なの?
ジェンダーフリーってそもそも「女性を守る」ってこの市長はインタビューで言っているけど、女性の方が男性に比べてハードモードだから、そこから守ろうよって言っているだけで、別に男女の間に格差がなければわざわざ守ろうとしなくてもいいはず。
女性の方が小さい・若いうちからレイプに遭いやすかったり、性的搾取(JKビジネス、って狂ってるよね、まだ学校行ってる高校生で医学的にも発達過程だったりするんじゃないの?な存在で性的サービス受けるとかさ…)されやすかったり、女性だけ家事育児を担うような風潮があったり、その影響で男性が正社員長時間労働化するから男性の方が賃金高くなって格差があったりするから、そこをイーブンにしようとするだけじゃん?
だから、ジェンダーフリーになったら、子育てに理解のある男性も増えるし、男性保育士も増えるだろう?なのに、そういうダブルスタンダードに気づかずになんとなく言っている。
そういうところが、ほんと〜〜〜にムカつきました!
あと、そもそも論として、「男性保育士活躍推進プラン」の政策的な面に対して分析すると、ダイバーシティを促進するために男性保育士の働きやすい環境を整備するというものらしいんですが。
https://www.city.chiba.jp/kodomomirai/kodomomirai/unei/documents/danseihoikusi.pdf
これ、つまり、男性保育士の数がめちゃめちゃ少ないから、将来男性保育士がこれだけ増えるように数値目標を立てましょう。それを達成するために魅力を発信したり、働く環境の整備をしたりしましょう。ということみたいなんですが。
環境とか魅力の発信もだいじだろうけれども、そもそも根本的に増やすために、じゃあなんで男性保育士がこんなに少ないの?っていうのをまずかんがえてほしい。
去年の待機児童問題の国会の議論以降いろいろ発表されてますが、ざっくり、女性だけで比較しても、全産業平均より5万少ない、男女全部平均すると、全産業平均に比べて10万少ないって言われてる。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201605/CK2016050102000129.html
http://www.sankei.com/life/news/161205/lif1612050042-n1.html
冒頭記事にもある通り、子供の命と発達を担う責任重大な仕事で、最近はブラックな現場も多いというし、それだけ働いて、手取りが少なかったら、そりゃみんな辞めるよね?
ましてや、「結婚したら一家の稼ぎ頭」を期待される性役割分担を負いやすい、男性が、長く働けるだろうか?
だから、男性を増やすという施策をするよりかは、とにかく保育士という仕事の待遇をもっとよくする、根本的にはこれが男性保育士も増える本当の解決策だと思うんだよね。
もちろんトイレとかないんだったらそういうのの整備は大事だけど。でも給料安くてもトイレと休憩室よくなったから続けよ、って思わないよね。
あと、男性保育士批判を批判してる人に、子供を主役に考えてないっていう人いるけど、それも違うとおもう。
子供の性虐待防止のための現場の仕組みをもっとしっかり作ることが、男女関係なく、現場の保育士への疑いも晴らすし、子どもの安全も高める。
あと性虐待ではないけど、保育園での死亡事故は毎年報道されていて、これは根本的には「お昼寝中のうつぶせ寝をさせてはいけない」みたいなスキルの共有ができていなかったり、人手が足りなすぎて泣いちゃってる子どもをぐるぐる巻きにしちゃったりという、結局は現場の保育士への教育・人的リソースが足りていないせいでおきている。
だから、性虐待、暴力的虐待、ネグレクト、いろいろふくめて、子どもの安全性を高めるために、保育士の配置を増やしたり、研修のリソースを増やしたり、ということで対応するべきで。
そういう対応をちゃんとして、男性保育士に子どもを世話されたくない、という恐怖心を持っている人も、男性保育士が増えても大丈夫、って思えるような仕組み作りをしないといけないはずでは。
ネットの世論は福島から自主避難した横浜の児童へのおごりの強制は「いじめだろ!みとめろよ!」っていうのに、保育園で虐待を防ごうよっていう話にはなんでこんなに気づかないんだろうね。まあみんなが保育園行くわけではないからしょうがないのかな…
俺も教育困難校に3年勤務した。
中学時代はいわゆる不良とも仲が良かったので、着任前は高をくくってた。
一限目は生徒の半分しかいない。
中学時代に教員から見放されていた子が多く、遅刻をしても何も言われていないので
何があったのかと確認したら、授業の途中で嫌になってしまったらしい。
校内ではシンナーが蔓延し、窓ガラスの外側はタバコの吸い殻だらけ。
注意をしたら唾をはきかけられた先生がいた。
教室の後ろで野球をし、ぐちゃぐちゃな向きに固められた机で大声で雑談する生徒の中で、
ひたすら板書をする先生も居た。
「ね」と「れ」の違いが分からない、アルファベットが言えない、
江戸時代を知らない、自分の住所が言えない、色々な生徒が居た。
風俗街の外れのアパートで、風俗に勤める母と兄弟と、2間のアパートで暮らしている生徒も居た。
卒業までに1つの学年で80人が退学する、そういう学校だった。
でも彼らと接している内に、俺は何でここにいるんだと考えるようになった。
「学校だけが全てじゃないよ」「勉強より大切なものがあるよ」って伝えることに何の意味があるんだと。
俺の役割は彼らに勉強の楽しさを、学ぶことの重要さを知ってもらうことじゃないかと。
「オレ、バカだから」が口癖の彼らに「そうじゃない」って言えるのは教師にしかできないことじゃないかと。
彼らにどうやって教えるべきかを。
理解ってなんだ?知るってなんだ?身につくってなんだ?
学ぶってなんだ?
振り返ると、着任前の俺は「生徒に人気のあるオレ」になりたかっただけだった。
でも、彼らと出会ってプロって何だってことを教わった気がする。
素晴らしい先生との出会いもたくさんあって、忘れられない思い出だ。
仮に辞めたとしても「自分には全身全霊を何かに傾けた時があった」というのは、
助けて欲しいです!
息子が当時の担任から首を絞められ、叩かれる等の体罰を受けました。杉並区は体罰認定してくれましたが、校長は未だに体罰の事実を認めず、謝罪もありません。体罰教師は、通常の人事異動で今も他校で教えています。
そればかりか、校長が息子の卒業式に、体罰教師を来賓として招くと言うのです。息子は怯えて、卒業式に出られないかもと言っています。
東京都教育委員会にも何度も話をしましたが、「都教委は東京都職員の処罰・指導を行う部署であって、イジメや体罰を無くす部署ではありません。」だそうです!
文科省からは「優れた職員の働きを認める学校」として、学校が表彰もされると言われました。体罰をした学校が表彰されるのは疑問と伝えましたが、評価の仕組みが違うので、と言われました!
頑張って学校に通った息子が卒業式に出られなくて、体罰教師が来賓として出席できるっておかしくないですか!?
「日本死ね」再びです!
教育に携わる者が、イジメや体罰を無くすつもりが無くて口だけ。
区の体罰認定も、1人で頑張って勝ち取りましたが、まだ戦わなくてはいけないなんて…。
1人の力では弱いです。
苦情だけでもいいので、助けて下さい。
教員免許が国家資格なのは、子供を預かり教育することがどれだけ重要なのかというのことを表している。
それなのに国や各自治体は何食わぬ顔で教育現場未経験の新卒を担任にする。
昨日まで学生だった22、3歳の彼らは突然30数人の子供を預かることになる。思春期反抗期に入った子供は実の親ですら分からなくなる時がある。それなのに国はそんな子供達をまだ何も知らない若者に放り投げる。若者は若者なりに考えてやるものの、ベテランと同じ仕事をできるわけがない。普通の会社ならここで「すぐにベテランみたいになれるわけがないんだから失敗しながら頑張れ」と自分を慰めることができるかもしれない。しかし教育現場ではそうはいかない。学校というのは子供にとって大きな影響を与える場所である。大人になっても学校での良い経験、嫌な経験を覚えているように感受性が豊かな子供の頃は、学校ひいては教員の存在は大きいのだ。つまり大人にとってはただの失敗でも子供にとっては数十年経っても忘れないトラウマになることだってありえるのだ。
そんな大事な仕事する新卒のために、多くの自治体では事前研修などをしない。
4月1日になると現場に放り出され、6月7月になってからやっとクラス経営や指導方法といった研修が行われる。おせーよ。
周りの教員も忙しい年度始めにきた新人など相手にしている暇がない。嫌がらせではなくそこまで心の余裕が持てない。孤立する新人、思春期の子供、忙しさで苛立つ同僚、おなざりになるプライベート。そりゃ死ぬわ。
国や地方自治体の人が見てるならどうか分かってほしい。研修は事前にやらなければ意味がないということ。土日の部活をすると週7勤務になること。新卒は副担任から始めるように義務づけること。
子供の頃、”男の子が泣くなんて女々しい””女の子なんだからもう少しお淑やかにしなさい”簡単に言うとこういうことが問題らしい
同じ人間なのに性別で色々分けるのはジェンダー問題だと言っていた。
学校で男を君、女をちゃんで呼ぶのも問題らしく一律さんじゃないとダメらしい。
ソースはわからないけど、日本人は小学校中学校の生徒会長は男にやって欲しい人が多いらしいそして副会長は女にやって欲しい人が多いらしい
これもジェンダー問題で学校教育が男はこうあるべきで女はこうあるべきという思想を教育しているらしい。だから問題だと。
日本の国会議員の女性の数は世界の190ある国の中で161位と言われた、これも問題らしい
大学の教授の数も70%が男らしい、これも問題らしく大学はジェンダーに非常に過敏になってるから女性の教授を増やしてる最中だとか
そして同じ能力なのに女性だからといって管理職に無理矢理挙げられたりするのもジェンダーの問題らしい
欧米諸国はジェンダーが凄い進んでいて女性の社会進出もめまぐるしいらしい。特にスウェーデンについて語ってた。
そして講師も、旦那と結婚したかったが名字が変わるのが嫌だ、変わったら今までの私は何だったの?と思いずっと籍をいれてなかったらしい。
しかし両親、義両親からのお願いで数年前に籍を入れたらしい。そして大学は旧姓を名乗ることを認めてくれたらしい。
夫婦別姓ってのは別にいいと思うけど名字が変わったくらいでそんな今までの人生否定されるような事ではないと思うんだけどな。
価値観は人それぞれだから難しい問題ではあるね、いずれは別性認められるだろうし。
覚えてるのはこれぐらいだった。
女性の社会進出については、女性だし結婚してやめて行ったり子供産んだりとかあるだろうから
それを考えて採用しない現状はジェンダー問題だと思うけど、男だから、女だからって言うのは何が問題なんだろうか
社会進出についてのジェンダー問題に関してはそうなればいいねとは思うけど
昨日、これを書いた元増田です
とりとめなく思ったことを書いただけなのですが、ここまで反響が多くてびっくりしました
やはり、みなさん、国語の授業には色々思うところがあったのですね
自分も色々参考になりました。ありがとうございます
はてブコメントで気になったものをピックアップして、この話題は終わりにします
ボトムアップでは細部に拘泥して大意を読み取れない
端的に言ってすみません、これは、パーツを「繋ぐ」工程に問題があるパターンです
そして、上手く「繋げ」られないのは我々国語教員の教え方の問題でしょう
ただ、思うに、大意が読み取れないのは、細部に拘泥しきれていないのではないでしょうかね?
要するに、ある「細部」を読み取ったは良いが、また別の「細部」を正しく読み切れていないから生じるのだと思います
どっちも使え
はい。その通りです。現にセンター試験は4つの大問を80分で解かなければなりません
評論と古文は20分では無理なので、漢文と小説は15分で解けと生徒に言っています
この場合、トップダウンの読み方をするしかありませんが、元増田で書いた通り、
トップダウンの読み方と言うのは、ボトムアップの読み方が出来て初めて習得できるものだと思います
例えを出すなら、
知識のある人が頭が良いわけじゃなくて、頭の良い人は総じて知識を持っている、という必要十分の問題と似た感覚です
それを無視して、トップダウンの読み方だけを授業に持ち込むことには疑義を示したい、というのが元増田の趣旨でした
世の中まともな文章だけじゃない
はい。その通りです。自分が書いているようなクソみたいな文章もあります
ただ、「読みやすさ」のクソさと「内容」のクソさの峻別が出来るようになってほしいと、国語に関わる者として強く願っています
ですから、「読みにくい」文章でもなんとか読めるように、内容を吟味したうえで「クソ」と言えるようになってほしいと思っています
時々、「読みにくい」を「内容がクソ」とイコールで繋げたがる人がいますが、自分はそうは思いません
むしろ、読みやすくて内容にも優れている文章が見つかる方がレアではないでしょうか?
「読みやすさ」を守るために、「内容を理解すること」を拒絶してほしくないというのが自分の考えです
もう一度言います、「読みやすさ」を守るために、「内容を理解すること」を拒絶してしまうのは悪です
おっしゃる通りです
小学校の先生方というのは、非常にまじめな人が多く、丹念に、一生懸命にやっていると思います
ですが、小学校と高校にもなると、言葉遣いから表情、距離の取り方まで、もういろんなことが違うのです
それ以前に、この業界は「他人の仕事には口を出さない」という空気が強いですけどね
これはトラバですが消されていたのでここで
はい。すみません。「書く」訓練に関しては、本当に足りないと思っています、返す言葉がありません
他方で、「話す」「聞く」は、音声言語の発信と受信に対応していますが、
現実問題として「話す」「聞く」を言語だけで行うことは稀で、非言語的コミュニケーションが伴う場合がほとんどです
一般的なコミュニケーションにおいて、非言語的なものはその7割を占めると言われています
国語教育がそこまで立ち入れるかはなはだ疑問ですし、立ち入る必要もないと思います
むしろ、純然たる「言葉(言語)」のみでどこまでコミュニケートできるかの限界線を知ることの方が大切だと思います
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この業界は、どこまで行っても、場数を踏んで、手探りでやってくしかないのです
正直、わからないことばかりです
良い結果になるか悪い結果になるかは、蓋を開けてしばらくしないとわからないでしょう
また、純然たる「教育」が、どの程度社会に対して影響を持つかを正確に測定するのは無理です
それでも、「少しでもマシな」社会を作るために、自分にできることをやらなければなりません
日頃「つまらない」授業をしているバチが当たったせいか、お茶が気管に入って噎せ込んで噴き出してしまいました
終わりにします
元増田です
結構、教育現場(とりわけ授業論)のホットイシューに詳しいですね
教育系の方ですか?
「アクティブ・ラーニング」「問題解決型学習」「協働学習」など
見栄えの良い授業をするための演繹型授業なのかと。
この点、あれですよね、非常に勢いありますよね、僕はその勢いに乗る気はないんですが
この時代にあって、ALとか問題解決学習とか、聞こえも耳障りも良いと思いますよ
コミュニケーションの「発信」に重きを置きすぎていて、「受信」に注意を払ってないんです
コミュニケーション力が大事なのは事実だし、学んだことを共有する場も必要だと思うんですよ、確かに
ただ、正しく「受信」する能力も大切だと思うんです
「発信」と「受信」が相互に噛み合ってこそのコミュニケーションだと思います
ALや問題解決学習だけやってしまうと、「発信」は上手いけど、何にも「受信」できない人間を育ててしまうんじゃないか、
誰もかれも「発信」はするけど、それを「受信」してくれる人は誰もいない、ディストピアですら裸足で逃げ出すレベルです
(しかし、この一連の流れは、従前の教育システムが「受信」に偏り過ぎてたことへの強烈なバックラッシュであるということも忘れてはいけないでしょう)